伝統板・第二
恩 - 伝統
2015/04/06 (Mon) 06:36:50
光明掲示板・伝統・第一「【恩】 (59)」からの継続です。
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=38
・・・
報恩の心を起して、善き事を必ずしようと発願なさい
*「眞理」第一巻入門篇(P327~328)より
感謝の次に必要なのは、その感謝すべき多くの恵みを受けながら、自分は果して
その恵みに対してむくいるほどの何か立派なことをしたであろうか、
人類に対して何を与えただろうかと考えてみることです。
そして人類に対して何か恩返しに献(ささ)げることをしようと発願することです。
すべて偉くなった人、大事業をなした人、お釈迦さんのように仏様におなりになった人
―― これらの人は、此の発願と云うことをして、その発願を成就するために修行を
なさった人たちであります。
発願とは、ある願いを起して、それは必ず成就することであります。
法蔵菩薩は四十八の願(がん)を建て、それを成就して仏になったと云われています。
今あるところの恵みに感謝し、それに報いるために、人類につくすべく発願し、
その願いは必ず成ると期待して「神よ、私の天分にかないまする方法で、人類に
何か献(ささ)げることが出来ますように、善き智慧を与えたまえ」と祈って、
それを信じ、今ある環境にいて何でも、どんな小さな事でも、人のためになることで、
自分に出来ることなら一所懸命それを尽してみることです。
今なし得るどんな小さな事でもおろそかにしてはなりません。
どんな小さな木でも、今なすべき僅かの水を吸い上げを怠っては大木にとなることは出来ません。
今、目の前にある小さな報恩の仕事が、次の大いなる祝福を受ける迎え水になるのであります。
小さなことを《おろそか》にせず、しかも大きな夢と希望をいだいて、必ずそれは
実現すると信じて、明るく楽しい将来を期待することです。
・・・
<関連Web>
(1)光明掲示板・第一「恩 (4315)」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=824
(2)光明掲示板・第二「【恩】 (1250)」
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=303
(3)光明掲示板・第三「【恩】 (1733)」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=347
<感謝合掌 平成27年4月6日 頓首再拝>
《恩を施して恩返しを期待せず》 - 伝統
2015/04/16 (Thu) 04:23:57
*『 生長の家 』 昭和二十六年四月号 五日の法語 より
人に恩を施して、心の中に恩に着せる心を持っている限り、
相手は束縛せられた気持になって、こちらに対して恩を返さなくなり勝である。
若(も)し恩を与えながら、恩に着せる心がなくなるならば、
束縛されることなく、従って反撥(はんぱつ)心がなくなり、
相手は正直に恩を受けていることを承認して 却って恩を返すようになるものである。
喜んで相手を助けて、あとは忘れてしまっているようなのが本当によいのである。
相手が恩を返さないので、やむを得ず、恩返しされることをあきらめたのと、
全然恩返しなどを期待しないで相手に与えたのとは 余程 相違があるのである。
(http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12206004.html)
<感謝合掌 平成27年4月16日 頓首再拝>
恩返しに、祝福の念を送る - 伝統
2015/04/22 (Wed) 04:45:30
*『無限供給の扉を開く』(P130~132)より
一人の男があった。
彼は隻脚を失って身体が不自由であり、胃が悪くて、始終胃痛にくるしめられ、
職業は無いし、肉体的にも経済的にも行き詰まって、町角に坐って、
道行く人に「物乞い」しなければならないようになったのである。
ところが或る日、彼の前に一人の光明思想の先生があらわれて、
次のようなことを教えてくれた。
「此の世界には“法則”がある。そして神とは“法則”であり、
“法則”によって与えたものが与え返されるのである。
君の坐っているこの町角は、君の持ち物ではなく、この町の一部分である。
而もこの町に住んでいる人々の多くは貧しいのである。
その貧しい町の一角に君は無料で住まわせて頂いているのであるから、
ただその恩恵を受けるだけではいけない。
受けた恩恵は返さなければならない。
受けた恩恵を受けただけで返さないと云うことは、
それだけ“借り越し”になっているのである。
君が貧しいのは、“借り越し”があるからである。
“借り越し”になっているものは、法則によって償わされるから常に貧しくなるのである。
人間は宜しく“貸し越し”の生活をしなければならない。
“貸し越し”の生活になっている者は、法則によって、常に豊かに彼に支払われるから、
その人は常に豊かに恵まれることになるのである。
先ず君は、この町に対して、町の人々に対して何かを与えることにして、
自分の生活を“貸し越し”にしなければならない」
とその人は言うのであった。
「私はこの町の人に対して与える何物をも持っていません」と彼は答えた。
「私は人に“物乞い”して辛うじて生きているのであり、脚はこんな不自由であり、
胃は悪くて身体は衰弱しているので、労働奉仕をすることも できません」
光明思想の先生はこう言った。
「あなたの肉体は弱くて労働が出来ないでも、またあなたが経済的に貧しくて
何物も人に恵むことが出来ないでも、あなたは、心でこの町の通りを歩む人たちに
祝福の祈りをしてあげることはできます。
貧しそうな町の人があなたの前を通ったら、
“神の豊かなる供給が今あなたに注がれています”と
その人の實相の裕かさを心で念じてあげなさい。
若し病人があなたの前を通ったら、
“神の完全なる健康が今既にあなたに実現している”と
實相の完全さを念じてあげなさい。
すべてあなたの触れる機会のある人の幸福と健康と豊かさとを
“既にある”として祈ってあげるのです。
すると、既に實相に於いてその人にある幸福と健康と豊かさとが呼び出されて来るのです。
そして、あなたのお陰でそれらの人たちは幸福・健康・豊かさ等を得られたと
云うことになります。すなわちあなたは良き種を蒔いたのです。
良き種を蒔いたら、またあなたに良き収穫があるのです」
こう教えられた彼は、その教えられた通りを實践することにして、
町角を行く人々にいちいち“祝福の祈り”をささげることにしたのである。
それを1週間つづけて、八日目の朝になった。
彼は眼を覚まして見ると、常に慢性の胃痛にくるしめられていた自分の胃から
一切の不快感が消えさっていて、神気爽快な気持ちがするし、
頭は明朗な晴々した気持になっているので彼は驚いた。
彼は隻脚であったけれども、深切な人が出て来て、彼に適する仕事を与えてくれた。
また或る深切な人からは義足を贈られるし、両脚揃っている人のように快活に
ゆたかに働けるようになったと云うのである。
<感謝合掌 平成27年4月22日 頓首再拝>
恩はすべて神から来る - 伝統
2015/04/28 (Tue) 03:23:27
*『 生長の家 』(昭和26年2月26日)の法語より
【 因果 昧(くらま)さず 】
恩に着せがましい心を起してはならないのである。
恩はすべて神から来るのであって、すべての人間は受身である。
真の宇宙は神によって造られたものであるから、
実相に於いては全体が平等釣合っていて、
恩の貸し借りなどは存在しないのである。
甲が乙に与えても、乙が丙に与えても、
それは釣合の原理に従って、天地の法則に従って
高き所の水が低き所に流れるが如く行われるのであるから、
自分が恩を与えたのである。
原因結果の法則は恢々(かいかい)として漏らすことなく
他の処(ところ)で取り過ぎがある時に奪われるようになっており、
他の処で与え過ぎがある時に与え返されるようになっているのである。
(http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=60)
<感謝合掌 平成27年4月28日 頓首再拝>
ご恩の人生 ―― 聴聞の大切さ - 伝統
2015/05/03 (Sun) 04:19:58
*Web:「光明寺だより74号」(平成23年9月)より
今から十数年前、あるお寺で、一派の管長さんをお招きして大きな法要が催されました。
管長さんは多くの檀家さんを前に、
「父母の恩」「社会の恩」「師の恩」「人々の恩」について法話をされました。
それを聞いていた一人の大学生が手を挙げて質問したのです。
「私は恩なんて必要ないと思います。
社会の恩といっても、税金を払ってるんだから国がサービスをするのは当然です。
師の恩といっても、私たちは授業料を払っているんです。
親の恩といっても、生んでほしいと頼んだわけではない、勝手につくったもんだ。
それよりお金が大事です。
お金さえあれば何でも出来ます。
恩なんて関係ありません。
何といってもお金が一番です」
この言葉に檀家さんたちはビックリし、堂内は騒然となりました。
どのように管長さんは対応されるのか、皆が注目する中、管長さんは答えました。
「お前さん、いくら欲しいのか?」
予想外の言葉に驚きを隠せない大学生に、管長さんは続けて言います。
管長「一千万円か? 一千万円ならやるぞ。その代わり条件がある」
学生「条件て何ですか?」
管長「お前さんの命をよこせ」
学生「一千万円位で命をやれるもんですか。金なんかで命は売れませんよ。冗談じゃない」
すると管長さん厳しい口調で、
「その大事な命は誰からいただいたものだ。父母だろうが。
その命を育てたのは誰か。先生じゃないか。
平和の国におられるのは誰のおかげか。
お前さんは自分の事ばっかり言っているが、それは恩を忘れた餓鬼というもんだ。
それが分からんやつはここから出て行きなさい」
と一喝したのです。
大学生は返す言葉もなく、その場に立ちすくしていたということです。
後日、この大学生は当時を振り返り
「あの時、管長さんにお出会いし、厳しいご説法を頂き、本当によかったと思います。
管長さんのおかげで目が覚めました」と語り、
今は立派な社会人になっているとのことでした。
管長さんのおっしゃる通り、私たちは、お金には代えられない「命」をいただき、
しかも、何時死んでもおかしくないその命が、無量無数の「おかげ」によって
支えられているのです。
この「おかげ」を恩といいます。
仏教語辞典によれば
「恩とは何がなされ、今日の状態の原因は何であるかを心に深く考えること」
と、説明されていますが、
「私が今の私になるためにどのくらい多くのおかげをいただいてきたか、
そのことを心にとどめておく」ということでしょう。
その代表的なものが、父母の恩、師の恩、衆生の恩、如来の恩の四恩です。
お経には「恩を知り、恩に報いることが人の人たる道である」と説かれていますが、
まさに「恩」は、人間育成の大事な徳目として、
私たち日本人の心に永く受け継がれてきたものです。
これは言ってみれば、「おかげを知る人間になりなさい」と教え継がれてきたのです。
ところが、戦後の民主教育の中で、この「恩」ということが、
縦社会の論理で封建的思想だということから、すっかり尊ばれなくなり、
さらには急激な経済発展により、「モノ優先」の社会になり、
「心よりモノ」、「徳(恩)より金」という風潮が日本人の間に定着してしまいました。
先ほどの大学生が「恩など必要ない。何といってもお金だ」と言った背景には
こうしたことが大きく影響しているのです。
ここで大事なことは、「だから最近の若い者はダメじゃ」と非難するのではなく、
「果たしてこの私はどうなんだ」と、自らを問い直していく「ご縁」にしていくと
いうことです。
そうして、「この私もそうだった」と、気づかせてもらうことが出来れば、
まことに素晴らしいことです。
そこに、聴聞(仏さまの教えを聞く)の大切さがあるのです。
何度も何度も聴聞を続けていくうちに、大きなご恩に包まれていながら、
そのことに思いをいたさず、「誰の世話にもなってない」「誰にも迷惑もかけてない」と、
ご恩には程遠い思い上がった生き方をしている我が身の愚かさに気づかされるのです。
その愚かさは、決して時代や社会のせいではありません。
人間存在のもっとも深いところにある我執(自己中心性・自分が一番可愛いという心・
エゴイズム)という煩悩に起因しているのです。
その愚かな我が身に気づく時、「あー、お恥ずかしいなぁ。申し訳ないなぁ」という
慚愧の念が生まれてきます。
それと同時に、そんな愚かな私が無量無数のおかげに支えられてあることに、
「ありがたいなぁ。もったいないなぁ」という感謝の念が生まれてくるのです。
そうして、これからは一つでも二つでもご恩に報いる生き方をさせてもらおう
という念が生まれてくるのです。
この、慚愧と感謝の日暮しが「恩を知り恩に報いる」人生へとつながるのです。
念仏者にとって最も大きいご恩は何かと言えば、それは阿弥陀さまの大悲心です。
救われようのないこの私に向かって「我にまかせよ。必ず救う」と、
無条件の救いを約束してくださった阿弥陀さまの大悲のお心こそは、
何にも増して広大のご恩であります。
(http://www.koumyouji.com/hitokuchi/houwa/052.pdf)
<感謝合掌 平成27年5月3日 頓首再拝>
「ご恩の人生」 - 伝統
2015/05/09 (Sat) 04:38:11
*Web:「光明寺だより18号」(平成13年10月)より
産経新聞に、次のような、エッセーが掲載されていました。
いつもは5時前に配達される朝刊が、その日は6時を過ぎても配達されない。
そこで退職老人の私は、マンションの玄関付近をウロウロして朝刊を待っていると、
見なれないおばさんが、ようやく配達に来てくれた。
「すみません。息子が高熱で動けないものですから、今朝は私が代わりで・・・」
そのおばさんは、日ごろから配達順序を調べていたのだろう。
しかし、どっさりチラシを折り込んだ新聞をかかえながら配達するおばさんの姿は、
気の毒で見ていられない。
そこでヒマな私は、その新聞の束をかかえてマンション内を歩き、
おばさんに配達だけをしてもらった。
「すみません。大助かりです」
翌日もまた、おばさんの配達を手伝った。
3日目からは、もとの5時前配達となったが、新聞受けに一通の手紙が入っていた。
「母の配達を手伝ってくださってありがとうございます。このご恩は決して忘れません」
とあった。
「ご恩」という言葉は、久しく聞いたことがない。
だが、まだ「ご恩」という言葉を使う律儀な新聞配達少年がいることを知って、
私は目頭が熱くなった。
以上のような大変心温まるお話です。
この筆者が言われるように、
たしかに私たちの日常生活から「ご恩」という言葉が聞かれなくなりました。
ところで、この「恩」ということはどういうことでしょうか。
仏教語辞典で調べてみますと「恩とは、私に何がなされ、今の私がこの状態で、
ここにある原因は何であるかを心に深く考えること」とありました。
これを私なりに解釈しますと「私が、今の私になるまでに、どれだけ多くの恵みを頂いて
きたか、その事をいつも心にとどめておくこと」という事になろうかと思います。
そこで「私が頂いている恵み」というものを考えてみますと、
それは、どこからどこまでと区切ることが出来ないと思います。
時間的に言えば、無限の過去から現在に至るまでの恵みであり、
空間的(横のつながり)に言えば、無限のつながりからの恵みだと思います。
また、その恵みは人からだけではありません。
空気がなければ生きていけないでしょうし、大地や水や太陽がなければ、お米もとれません。
植物が育たなければ大気は炭酸ガスで充満してしまいます。
このように、私たちは直接的に間接的に、ありとあらゆる恵みを頂いているのです。
まさに私たちの人生は、「ご恩の人生」なのです。
そして私たちにその目覚めを促して下さるお方が仏さまなのです。
私たちがその事実に目覚めた時、
我が日暮しのお粗末なことに深い慚愧の心(恥じる心)が生まれてくると同時に
「ご恩の人生」であることに深い喜びが生まれてくるのです。
(http://www.koumyouji.com/hitokuchi/houwa/006.pdf)
<感謝合掌 平成27年5月9日 頓首再拝>
「棄恩入無為」 と 「父母の恩に感謝」 - 伝統
2015/05/15 (Fri) 04:07:50
*『白鳩』誌(昭和47年2月号)より
その頃私は一燈園と親しくなって、一燈園の機関誌 『光』 に
「無一物の経済と無一物の医学」 という意味の論文を寄稿したことがあった。
“無一物” と書かずに “無の経済” と書いたかも知れないが、
一燈園では一度、全所有を棄て、全係累を棄て、
何も有たないで路頭から生活を新たに始める。
そこから龍宮無限の供給の道がひらかれて来る、
“無” の中に “無尽蔵” があるのである。
この “無” は有無相対界のただの “無” ではない。
無尽蔵を内に蔵する無なのである。
その龍宮無限供給の世界に到るには、
“目無堅間の小船” に乗って龍宮海に渡るである。
“目無し” とは 「時間の目盛り無し」 のことで“無時間” を意味し、
“堅間” とは、空間が堅く詰って空間なきことで、“無空間” を意味する。
この無時間無空間の境地に乗るのが “目無堅間の小船” に乗るということである。
一燈園生活で何ものをも所有せず、無所有の境地で路頭に立つのは、
この秘儀を、生活を身をもって実践することである。
これが一燈園の “無一物即無尽蔵” の生活である。
私は一燈園の生活を礼拝する。
一燈園の創始者 西田天香先生が 「諸宗の神髄を礼拝し ・・・ 」
と示していられることは生長の家の萬教帰一に一致するのである。
私は 『生長の家』 誌の無代贈呈広告を色々の雑誌に出して貰ったが、
一燈園の機関誌 『光』 にも編集者の御好意で載せて頂いた。
それが縁となって生長の家に来られた人もあるし、
『生長の家』 誌に折りに触れて書いた記事で一燈園が好きになった人もある。
どちらも一宗一派の偏狭な教條を説かないで、
出入自由自在の “空無” の門関を突破した生き方を説くのだからである。
一燈園は維摩経を所依の経典として在家にあって
維摩の自由自在の生活を営む道を説くのであるが、
その生活にいくらか尚、出家的な、親の家を棄てて
「路頭に立つ」 という点があると思う。
「棄恩入無為」 という点など、まことに出家的である。
生長の家は、路頭に立たない。 当り前の日常生活を送るのであり、
恩を棄てないで、両親の恩を特に強調する。
本(もと)に報い、始めに帰る。
そして 「神に感謝しても父母(ちちはは) 〈祖先を含む〉 に
感謝し得ない者は神の心に叶わぬ」 と教えられているのである。
そして両親の恩を憶い出して父母(ちちはは)に感謝する心に帰るとき、
不思議に癌が治った実例なども出ているのである。
しかし、“棄恩入無為” の心境になり、“無為” とは
“実相” のことであるから、執着の恩義の搦みを棄て切ったとき、
“実相” の‘いのち’の底から、両親への感謝の念が
沸々と湧き出て来るのではないか。
そのように考えるならば、一燈園の “棄恩入無為” も
生長の家の 「父母(ちちはは)の恩に感謝せよ」 の教えも
一つになるのではないかと思う。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19037231.html)
<感謝合掌 平成27年5月15日 頓首再拝>
二つの池 - 伝統
2015/05/21 (Thu) 03:51:40
*Web「魂が震える話」(2013-04-04)より
二つの池 _______
イメージして下さい・・・ 二つの池があります。
一つの池は、とても綺麗に澄んだ水で、 魚も植物も生き生きとしています
もう一つの池は、見るも無残な汚れた水で、 魚も植物も生息出来ません
この、綺麗な池と、汚れた池・・・ 決定的な違いがあります!!!
それは・・・
綺麗な池の方は、上から流れてきた水を受け、 受けた分、水を下に送り出していた!
汚い池の方は、上から流れてきた水を、 下に送ろうとせず、溜め込んでしまった・・・
溜め込んでしまった池には、上からも水が流れて来なくなり、 結果として淀んでしまった・・・
人間も同じではないでしょうか?
受けた恩に気付かず、恩返しも恩送りもしないで自分で止めてしまったら、
受けた恩を溜め込んでしまったのなら、 きっと水は流れて来なくなり、
無残な汚い池になってしまう!!!
もし、受けた恩に気付き、 恩を返したり、恩を送ったりしていたのなら、
どんどん綺麗な水が流れ込み、 どんどん綺麗な池になる!!!
今、 してもらっている事は、あたりまえじゃない!!!
そのあたりまえじゃない真実に気付いて、恩を感じる事が大切ですね♪
「筆を洗ったまっ黒なコップの水も、 水道の蛇口のところに置いて、
ポタリポタリと水を落とせば、 一晩のうちにきれいになってしまう」
by 中村天風(明治~昭和の思想家)
(http://ameblo.jp/and-kei/entry-11503626480.html)
<感謝合掌 平成27年5月20日 頓首再拝>
オウムの恩返し - 伝統
2015/05/27 (Wed) 03:45:16
オウムの恩返し~ウドゥンバラ樹とオウムの話
*Webより
この物語は、釈尊がジェータ林におられたとき、ある比丘について語られたものです。
彼はお釈迦さまのもとで修行の指導を受けてから、
コーサラ国の国境の村に近い森林に住んでいました。
人々は彼のために、行き帰りが楽な所に昼夜住める房舎を用意し、
うやうやしく仕えていました。
ところが彼が雨安居に入った最初の月にその村が焼けてしまい、
村人には蒔く種すらも残りませんでした。
村人たちは、比丘においしい食べ物をお布施することができなくなりました。
彼にとってはよい住居でしたが、食物が不味いことに悩んで修行は全く進みませんでした。
それから三ヵ月過ぎて、彼はお釈迦さまのもとにご挨拶に行きました。
お釈迦さまは、親しく言葉を交わされ、
「食物には困ったろうが、房舎は快適であったろう?」とお尋ねになりました。
彼は、その事情を報告しました。
お釈迦さまは、彼のその房舎が快適であったことをお知りになり、
「比丘よ、沙門というものは、房舎が快適であれば、食欲に陥るのではなく
手に入った食べ物で満足し、修行を行うべきである。
むかしの賢者は、動物として生を受けたときでさえも、
自分の住所である枯木で木の粉を食べていても、欲望に囚われることなく、
満足して恩(感謝)を忘れることなく、他の場所へ去りはしなかった。
おまえはどうして『食物が乏しい、粗末である』と言って、
適当な房舎を活用しなかったのであるか」
とおっしゃり、彼に請われて、過去のことを話されました。
**********************
むかし、ヒマラヤ山中のガンガー河の岸辺に、ウドゥンバラの森があって、
数千羽のオウムが住んでいました。
そこに一羽のオウムの王がおり、自分の住んでいる木の果実がなくなると、
残っているものは若芽でも、葉でも、樹皮でも、枯皮でも、何でも食べ、
ガンガー河の水を飲み、徹底した少欲知足生活で、決して別の場所には去りませんでした。
彼の少欲知足の徳によって、帝釈天(サッカ)の天宮は震動しました。
帝釈天は原因を調べたところで彼を見出しました。
そして、彼を試すために、自分の神通力によってその木を枯らしてしまいました。
そのため木は幹だけが残り、穴だらけになり、風に吹きさらされて立っていました。
そしてその穴から木の粉くずがでてきました。
オウムの王は、その木の粉くずを食べ、ガンガー河の水を飲み、他の場所へは去らずに、
風や太陽の熱を気にせず、ウドゥンバラの幹のてっぺんに坐っていました。
帝釈天は、彼がとても少欲であることを知り、
「彼に恩(感謝)について語らせ、謝礼を彼に与え、
ウドゥンバラ樹に甘露の果実を実らせてこよう」と思いました。
帝釈天は一羽の白鳥に姿を変え、自分の妻である阿修羅の娘、スジャーを先に立てて、
そのウドゥンバラの森へ行き、近くに立つ一本の木の枝にとまりました。
そして、オウムと会話を始めて、最初の詩句を唱えました。
果実に溢れる樹木には
鳥は群らがり果実を賞味する
果実が尽きたところで
鳥たちは他方へ飛び去る
彼はこのように言って、オウムを立ち去らせるために第二の詩句を唱えました。
オウムよ、飛び去れ
何故枯れ木の上で困窮するのか
そのわけを聞きましょう
春の如き麗しい鳥よ
何故枯れ木を捨て去らないのか
そこでオウムの王は、帝釈天に向かい、
「白鳥よ、私がこの木を捨てて去らないのは、この樹に恩を感じているからです」と言って、
二つの詩句を唱えました。
白鳥よ 真友の友情は命の如し
苦楽と禍福を共にし
友人を捨て去ることはしない
善人は常に善行為を想う
白鳥よ 私も親善を尽くす
樹は我が親族にして友なり
命を惜しみ この枯樹を見捨てることは
友情の道ではない
帝釈天は彼の言葉を聞いて満足し、
賞讃して贈り物を与えようと思い、二つの詩句を唱えました。
汝は友情と慈しみと和合を
見事に語る
この法を重んじる汝は
賢者の賞讃に値する
オウムよ
私は汝に謝礼をする
汝が望むものは
何なのか
それを聞いてオウムの王は、贈り物を選びつつ、第七の詩句を唱えました。
白鳥よ もしも私が謝礼を受けるなら
再びその樹の生命を希望する
枝葉がのびて果実が実り
栄えて美しく立つように
そこで帝釈天は彼に謝礼を与えようと第八の詩句を唱えました。
友よ 果実の豊かなこの樹を見よ
君はこの樹と共に住むべし
枝葉がのびて果実が実り
栄えて美しく立つであろう
このように言って、帝釈天は白鳥の身体を捨て、
自分とスジャーとの神通力を現し、
ガンガー河から手で水をすくって、ウドゥンバラ樹の幹に注ぎました。
するとただちに樹には枝や若葉が茂り、甘い果実が実り、
露出した宝石の山のように、美しく輝きながらそびえ立ちました。
オウムの王はそれを見て喜び、帝釈天をほめたたえて、第九の詩句を唱えました。
多くの果実を眺め見て
わが喜びは限りなし
それと同じく帝釈天一族にも
幸福と栄えあれ
帝釈天は彼に謝礼をして、ウドゥンバラの果実を甘露の如くして
妻のスジャーと一緒に自分の住処へ帰りました。
最後に、この物語についてお釈迦さまが次の詩句を唱えられました。
オウムに謝礼をして
再び果実を実らせ
帝釈天夫妻は
神々の歓喜苑へと立ち去った
お釈迦さまはこの話をされて、
「比丘よ、このようにむかしの賢者は動物として生を受けても、
欲に溺れることはなかったのだ。おまえは、どうしてこのような教えのもとで
出家しながら欲に溺れる行動をするのであるか。行ってその場所で暮らしなさい」
とおっしゃって、さらに指導なさいました。
そして、過去を現在にあてはめられました。
(その比丘は、その場所へ行き、ヴィパッサナー実践を行い、阿羅漢の悟りに到達しました。)
「そのときの帝釈天はアヌルッダであり、オウムの王は実にわたくしであった」と。
(http://www.j-theravada.net/jataka/jataka-0311.html)
<感謝合掌 平成27年5月27日 頓首再拝>
明るい心で恩返しに何かさせて頂きましょう - 伝統
2015/06/10 (Wed) 04:10:44
*「真理」第1巻入門篇(P178~179)より
だから実相の円満完全な有様を常に見つめている者は徹底的に楽天主義になるのであります。
楽天主義とは全然反対であって、どこどこまでもこの世は楽しいとする主義であります。
こんな楽天主義の人ばかりがこの世の中に住んでいますと世の中は自然に平和になるのであります。
今世界が二つに分かれて、何時戦争が起こるかわからないような危険な状態になっていますのは、
互いに「なにか悪い事が起こるにちがいない」と思って、相手をうたぐっているからであります。
もし世界の人が人間の実相が神の子であって、決して他を侵略などするものでないと、
いま信じることが出来ましたならばいまこの世界に平和が来まして武器を作る必要もなくなりますし、
重い税金をかけられることもなくなのであります。
全世界のひとがそうなるのを待っていても仕方ありません。
先ずあなた一人から明るい心になることです。
「自分は幸福」です」と思って、幸福の微笑を人々に投げかけることです。
「私に出来ることなら何かさせてください。私は恩返しがしたいのです」と
明るい気持ちで人々に深切をしてあげることです。
其処から、明るい、何か暖かいものが、貴方の心から流れ出、周囲の人々の心をなごやかな、
平和な、楽しいものにならせることになるのであります。
<感謝合掌 平成27年6月10日 頓首再拝>
校長先生への恩返し - 伝統
2015/06/16 (Tue) 04:11:18
【凄いぜ若者!】高校生一同が「修学旅行には行きません!」と宣言
/その理由が “真似できないほど立派” だと話題に
*Web:ロケットニュース24(2015/06/02)より
学生生活の最大行事といえば、修学旅行!
京都に奈良、広島、長崎、東京などなど、クラスのみんなとの旅行を
学生時代のハイライトに据える人も多いだろう。
しかし今回ご紹介する高校生たちは、「修学旅行には行きません!」と力強く宣言したのだ。
そして、その理由がとっても立派だと話題になっている。
なんと浮いた旅費を、ガンと闘う校長先生に寄付するというではないか!
《思い出よりも先生の命》
米ニューハンプシャー州、ベスレヘムに位置するプロフィール高校。
日本の “高校3年生” にあたる “シニア” の学生たちは、今年の修学旅行に
ニューヨーク州のアディロンダック・パークに行く予定だった。
しかし旅行の1週間前、突然の中止を発表。
なぜなら、校長先生がガンだと診断されたことを知り、
旅費を校長先生の治療費のために寄付することに決めたのである!
《先生を慕っている生徒たち》
今回、生徒から修学旅行の中止とその理由を告げられたコートニー・ヴァーショウ校長は、
感極まりながら「生徒のみなさんの助けを受けていいものか……言葉がありません」と
涙を浮かべた。
生徒たちは校長先生が大好きなようで、
「みんな先生にはお世話になってきました。今が、恩返しするときなんです」
「先生は僕たちのことをよく考えてくれます。だから僕たちも先生のことを考えたかったんです」と、
修学旅行が無くなったことを悔やむ様子など全く見せずに、先生へのまっすぐな気持ちを述べている。
《「他人に親切に」と校長先生の教え》
これまで “自分のことばかり考えるのではなく、周りに親切にするように” と
生徒たちに教えてきたヴァーショウ校長。どうやら教えは、生徒たちにちゃんと
浸透していたようだ。
ちなみに、生徒たちは修学旅行の代わりに、近場への旅行を計画しているとのこと。
困っている校長先生を助けるために生徒が立ち上がるなんて、なんとも素敵な学校。
きっと日頃の校長先生の態度や人柄が、生徒たちの心を動かしたのだろう。
生徒たちは、先生の姿をジッと見ているものなのだ。
(http://rocketnews24.com/2015/06/02/589463/)
<感謝合掌 平成27年6月16日 頓首再拝>
恩を知る人を養成する教育が必要である - 伝統
2015/07/03 (Fri) 04:35:11
*『生命の根元を培う新しき教育』 より
教育の根本は、「自己」(内在神性) の覚醒でありますから、
「愛し」 ながらも 「放つ」 ことが必要であります。
いつも手を引いて歩かせて貰っている者は、
いつまでも独立して闊歩することが出来ないのであります。
だから、相手の中に無限叡智の 「神性」 が存在することを‘信じて’、
それを言葉にて賞め、心にて観じ、言葉にて鼓舞激励し、
そして、ある程度まで手を引いたら、
あとは、みずから立つ力を引き出すように、「放つ」 ことが必要なのであります。
それが 「愛深き冷淡」 又は 「峻厳なる愛」 といわれるところのものでありまして、
「君には出来る! ひとりで出来る。 神の子だから、必ずそれだけの力は内在する!」
と断乎としてコトバの力によって宣言することが必要であります。
次に教育の基礎として必要なのは 「恩を知る」 という美徳を養成することです。
第二次大戦後の日本人は、民主化ということを穿きちがえて恩を恩と知らず、
個人の自由を振り廻して、恩義を蹂躙しても、自分さえ都合がよければ
それで民主主義生活だなどと思っておりますが、
本当の個人の自由は、個人個人の相互の社会的連関の円滑によって
得られることだというとを知らなければなりません。
一人の個人の自由は、多くの人々の協調によってのみ得られるのであります。
簡単な例を挙げてみましても、今日の私の朝食は午前6時に頂きたいと思いましても、
午前6時までに朝食を調理してくれるものがなければ、
私が朝食を午前6時にたべたいという自由は満足させることが出来ないのであります。
そこに一人の人の自由への要求を満足させるためには、
他の幾多の人々の社会連関性が必要さということがわかるのであります。
これが 「衆生の恩を知る」 ということであります。
恩には、天地の恩、神仏の恩、国家の恩、社会の恩、父母の恩、その他家族全体の恩、
師の恩、一切衆生の恩、天地万物の恩などがあります。
生長の家の教えには 『皇恩に感謝せよ。 汝の父母に感謝せよ。
神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ』 ということが、
第一に挙げられておりますが、
大東亜戦争後の日本では、 「天皇の恩」 とか、 「忠孝」 とか申しますと、
封建的だといって叱られそうでありますが、教育の基礎は、自分の生命の本源を知る
ことから始まらなければなりません。
「恩」 という字は 「因(もと)」 と 「心」 との合字であって、
自分の生命(いのち)の 「因」 を知り、自分の現在こうして生きていることを
得るための予見として 「因」 に対して感謝する心を 「知恩」 というのであります。
「皇恩」 とか 「天皇の恩」 とか申しますと、 「天皇は戦争責任者ではないか、
恩どころか、自分の父、夫、息子、兄弟等は戦争のために戦死したのだから怨みに思う」
という人があるかも知れませぬが、私の考えでは、天皇は戦争責任者ではありませぬ。
群集ファッショの行われる世界に於いては、一個人の自由意志の如きは
蹂躙(ふみにじ)られてどうすることも出来ません。
日米開戦当時の軍閥(当時の勢力階級たる軍関係の群集ファッショ)の旋風の如き
戦争へ駆りたてる群集心理は、天皇といえども、一木(いちぼく)のよく支うる
ところではなかったのであります。
ところが開戦数年にして現地敗戦事情は次第に明らかになり、
日本の軍刀既に尽きんとして、軍閥の権威地に堕ち、軍閥は群集ファッショとして、
天皇及び国民の自由を強制する力が薄くなって来たのであります。
もう軍閥ファッショの旋風の如き力は、
天皇の自由意志を抑えることは出来なくなったのであります。
ここに、天皇は 「朕の身はどのようになっても好いから、
国民をして戦禍からまぬかれしめたいから、ポツダム宣言を受諾する」 との、
自己を犠牲として国民を救いたいという御聖断が、
天皇の自由意志の表現としてなされたのであります。
だから、天皇は戦禍の責任者ではなく、かえって、
天皇の御聖断によって国民は戦禍から救われたのであります。
爾来数年、吾等が兎も角も平和に家業にいそしみ、飢えることなく、
日本再建の努力をつづけ得るその本源は、この天皇の平和への御聖断に負うところ
甚大なのでありますから、吾等は当然、皇恩に感謝して然るべきであるのであります。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18137254.html)
<感謝合掌 平成27年7月3日 頓首再拝>
『5年前の恩返し』 - 伝統
2015/07/11 (Sat) 04:22:12
*Web:ほろほろ通信第1131号(志賀内泰弘)より
昭和25年ごろ、半田市の加藤文平さん(86)が 家業の木工所で働いていた時の話。
ドーン!という大きな音がして表に飛び出してみると、
オート三輪がアスファルトと砂利道の境目の段差で バウンドして動けなくなっていた。
雪が舞い始める中、運転手の青年はぼうぜんと立ちすくんでいた。
文平さんはお兄さんと二人で車の下にもぐり込んだ。シャフトが損傷している。
堅い材木で補強してはどうかと、作業場に戻り試作した。
何度も車との間を往復して調整。
いつしか吹雪になり、懐中電灯で照らしながらの作業となった。
応急措置のかいあり車は再び動きだした。
無事に青年が名古屋の会社まで戻れることを心の中で祈って見送った。
それから5年がたったある日のこと。
文平さんがお兄さんと名古屋へ材料の仕入れに出掛けた帰り道、
横須賀高校の前辺りで路肩にトラックが脱輪してしまった。
助けを乞い過ぎゆく車に手を振るが、誰も止まってくれない。
だんだん薄暗くなってきて途方に暮れていたその時だった。
いったん通り過ぎた一台の大型トラックがUターンし、二人の前に止まった。
そしてロープでけん引してくれた。
その運転手に帰り際、こう言われて驚いた。
「私は昔、あなた方に吹雪の中で助けていただきました。
トラックに書かれている『指玉家具作業所』という屋号を見て引き返してきたのです。
やっとあの時の恩返しができました」
以来、文平さんのお兄さんは、
「良いことをすると良いことがある。 いつか返ってくるものだ」 と
口癖のように言い続けていたという。
《中日新聞2015年(平成27年) 5月24日(日曜日)掲載》
(http://www.giveandgive.com/iihanashi_top/horo/vol_1131.html)
<感謝合掌 平成27年7月11日 頓首再拝>
恩を忘れないとは、感謝多き人であること - 伝統
2015/07/29 (Wed) 04:29:38
【ささいなことに感謝ができる人】
*メルマガ「人の心に灯をともす(2015年07月22日)」より
(本田健氏の心に響く言葉より…)
一流の経営者何人かと話していて、
「どういう人を引き立てたいか」という話題になったことがあります。
そのとき、「ささいなことに感謝ができる人間」を挙げる人が結構いました。
部下、取引先、お客さんに感謝できる人は、まわりからも好かれます。
ふだんから、ねぎらいの言葉をかけてもらったり、感謝された人たちは、
なんかあったら、「この人のために頑張ろう」という気持ちになるでしょう。
なので、上手に感謝できる人は、自然とまわりから慕(した)われるようになります。
逆に、感謝が足りない人は、みすみす運を逃してしまっているとも言えます。
感謝できない人は、まわりの人の親切や気くばりが見えません。
してもらったことに気づかないか、すぐに忘れてしまうからです。
ちょっとした親切を忘れず、折に触れて感謝することができたら、
きっと、相手も、もっと応援してあげたいという気分になるはずです。
それなのに、自らそれを切り捨ててしまうのですから、
もったいない話ではないでしょうか。
先輩のところに、社会人になったばかりの後輩二人が訪ねてきたとしましょう。
気前のいい先輩は、就職祝いとして、二人に同じ万年筆をプレゼントします。
一人は、翌日にお礼の手紙を出し、その後も先輩と会うたびに、
万年筆を見せて「大事に使っています」と嬉しそうに感謝の言葉を伝えます。
もう一人は、その日にお礼を言っただけで終わっていたとしたらどうでしょう。
ちょうどそのき、さきほどの先輩に、仕事の知り合いから
「あなたのまわりで、どなたか優秀な人をご紹介いただけませんか」と言われたら、
間違いなく、最初の後輩を推薦するのではないでしょうか。
そうやって、恩を忘れない人の評価は上がっていきます。
かつて私は、メンターから言われたことがあります。
「受けた恩を忘れないというだけで、ある程度の成功はできる」
また、感謝することは、能力が低くてもできることなのだから、
どれほどやっても損はないのだと教えてもらいました。
逆に、能力はあるのに成功できない人は、
もしかすると、ふだん感謝ができていなかったり、
まわりの人に配慮が足りないのかもしれません。
事業をやっていく過程で、いろいろな人の力を借りているはずなのに、
その恩を忘れてしまった可能性があるのです。
あなたは、ふだん、どれくらいまわりの人に感謝を表現していますか。
「ありがとう」という言葉を一日何回ぐらい発しているでしょうか。
あなたの「ありがとう」が多ければ多いほど、
あなたに好意を持ってくれる人も増えます。
何十億人という世界にいる人のうち、
一生を通して親しくなる人は、ほんの数百人です。
この奇跡的な縁に感謝できれば、
自然と「ありがたいなぁ」という気持ちが湧いてくるのではないでしょうか。
「ありがとう」を日常生活に増やしましょう。
<『強運を味方につける49の言葉』PHP文庫>
・・・
「施して報を願わず、受けて恩を忘れず」
早稲田大学の創設者であり、内閣総理大臣も歴任した、大隈重信翁の言葉だ。
「受けたご恩は石に刻み、かけた情けは水に流せ」とも言う。
多くの人は、自分が他人にしたことはよく覚えている。
「何か(誰か)を紹介したのに」、「ご馳走したのに」、「プレゼントしたのに」、と。
恩を忘れないとは、感謝多き人であること。
ささいなことに感謝ができる人でありたい。
<感謝合掌 平成27年7月29日 頓首再拝>
上司に育ててもらった恩返し - 伝統
2015/09/19 (Sat) 04:40:22
上司に育ててもらった恩返しは、すべて部下にしよう、と考える。
*「リーダーになる前に20代でインストールしておきたい大切な70のこと」
千田琢哉・著(Chapter3<P66~67>)より
(1)上からご馳走になったら、下にご馳走する。
上から育てられたら、下を育てる。
(2)人体がインプットとアウトプットのバランスをとりながら生存しているのと同様、
恩返しも流通させていかなければ淀んで腐ってしまう。
(3)リーダーになる人は恩返しのサイクルをせき止めない人だ。
恩返しを流通させる人がリーダーだ。
<感謝合掌 平成27年9月19日 頓首再拝>
恩送り - 伝統
2015/11/06 (Fri) 04:40:41
*「ようこそ感動指定席へ! 言えなかった「ありがとう」」志賀内 泰弘・著
(P180~181)より
「恩送り」という言葉がある。
人から受けた恩を、ほかの人に順に送っていくという意味。
愛西市の棚橋きみ子さん(71)は、友人たちと韓国旅行に出掛けた。
土産を買い込み、荷物が大きくなってしまった。
帰国して電車に乗った時には疲れ果てていた。
最寄駅でのこと。
エレベーターがなかったので、 まず軽い荷物だけホームから階段で降ろした。
置きっぱなしにしてある荷物を取りにホームに戻ろうと振り返ると、
後ろから見知らぬ青年が大きなかばんを運んで付いて来てくれていた。
思わず手を合わせてお礼を言った。
それだけではない。
友人の方を見ると、 やはり通り掛りの若い女性が、 大きな荷物を手にホームと改札を2往復。
疲れもたちまちうせてしまったという。
次は名古屋市南区の内山美恵子さん(62)が スーパーマーケットで買い物をしたときの話。
財布の中のお金が足りないことに気付いた。
9円自分の不注意だったが「不足分は明日持って来ます」とお願いしてみる。
やはり無理との返事。
一品返して清算し直してもらうことにした。
ところが、そのやりとりを聞いていたすぐ後ろの年配の女性が
「これで買っていって。返さなくてもいいわ」 と10円玉を差し出してくれた。
店員さんは「よかったですね」と品物を再びかごに戻した。
遠慮したが、笑顔で「大金じゃないから」と答えが返ってきた。
実は、棚橋さんと内山さんのお二人。 便りの末尾が同じ言葉で結ばれていた。
「いつか私も、困っている人がいたら同じように手助けしたい」
まさしく「恩送りだ」だ。
《ほろほろ通信/中日新聞 2009.06.14 掲載》
【志賀内からのメッセージ】
みんなが「恩送り」してら、 思いやりでいっぱいの世の中になりますね。
<感謝合掌 平成27年11月6日 頓首再拝>
「恩送り」で世の中が変わる - 伝統
2015/11/15 (Sun) 03:29:17
*「ようこそ感動指定席へ! 言えなかった「ありがとう」」志賀内 泰弘・著
(P182~183)より
6月14日付「ほろほろ通信」で「恩送り」の紹介した。
「恩送り」とは、人から受けた恩をほかの人へ順に送っていく行為のことだ。
それを受けて「私も」と便りが届いた。
豊橋市の吉元里奈さん(35)が3年ほど前に、伊勢に出掛けた時のこと。
帰り道に津市一志町の町営温泉に立ち寄った。
ゆっくりと湯に漬かり、外へ出ると辺りは真っ暗。
帰る方角が分からなくなってしまい、 ガソリンスタンドで道を尋ねることにした。
40歳くらいの男の定員さんが出て来て、とても丁寧に説明してくれた。
手書きの地図まで書いて。その地図に従い、再び車を走らせた。
しばらくして信号で止まっていると、 車の窓をコンコンとたたく人がいる。
先ほどの店員さんだった。
「さっきのお姉さんだよね。家に帰る途中だから、
国道まで案内してあげるよ。後ろを付いて来て」
おかげで迷うことなく家までたどり着けた。
でも、今思い返すと妙な気がする。
仕事中だったはずの人が、帰宅途中だなんて。
「きっと心配になって、わざわざ追いかけて来てくれたのに違いない」
こんな親切な人がいるのかと忘れられない思い出になっているという。
吉元さんは、その時の親切を誰かに「恩送り」していきたいと思った。
ある時、近くの公園でみかけないお年寄りに声を掛けた。
案の定、道に迷っていたことが分かり駅までの道を教えてさしあげた。
「こんなふうに小さなことしかできないけれど、
みんながちょっとだけ親切にすれば世の中が変わるのでは」と話す。
《ほろほろ通信/中日新聞 2009.09.06 掲載》
【志賀内からのメッセージ】
「恩送り」という言葉は、江戸時代から日本にあるらしいです。
今こそ、再び、日本中に広めていきたいですね。
<感謝合掌 平成27年11月15日 頓首再拝>
恩は返さなければいけない - 伝統
2015/11/22 (Sun) 04:04:11
*産経新聞(2015年11月21日)より
【北の湖理事長死去】「もう10歩も歩けない…」 死の3日前、初めて吐いた「弱音」
直腸がんによる多臓器不全のため20日夜、
62歳の若さで死去した日本相撲協会理事長の北の湖親方。
現役の横綱時代から親交のあった北の湖部屋大阪後援会の香川芳江会長(70)
=大阪府富田林市=には、相撲協会や北の湖部屋関係者から相次いで訃報が舞い込んだ。
最後に言葉を交わしたのは死の3日前、恒例の3月場所前の激励会について電話で話したという。
今年3月の激励会では一緒に焼肉を食べにに行き、アイスクリームも食べたというが、
このときの電話で、弱音を吐いたことのない北の湖親方が
「先生、もう10歩も歩けないんです」と漏らした。
「前から入退院は繰り返していたが、もう相当体が悪いんだなと思った」。
数年前、「体も悪いし、もう理事長なんかやめたらいいのに」と忠告したこともあるが、
そのたび「相撲の世界には育ててもらった恩がある。恩はきっちりと返さないといけない」
と断られた。
そういう信念を曲げない姿勢が、現役時代と変わらぬ北の湖親方の魅力だった。
「こわもてだが、まじめで優しい人だった。部屋の雰囲気でもそれはすぐ分かった」。
一方で
「光の当たる人はいいが食べていけない人もいる。
引退後も皆が順風満帆に生活できているわけではない。
いい方法があればいいんだけど」
と口癖のように話していたという。
「あまり思ったことを口に出さず、私利私欲なく公のために尽くすことができる人だった」。
まだ気持ちの整理はついていないが、「今はなんとも言えない寂しさを感じている」と声を落とした。
(http://news.livedoor.com/article/detail/10858101/)
・・・
北の湖(相撲協会)理事長の、今世でのご活躍に感謝するとともに、
謹んでお悔やみ申し上げます。
<感謝合掌 平成27年11月22日 頓首再拝>
満席の新幹線で - 伝統
2015/12/01 (Tue) 04:07:21
*「ようこそ感動指定席へ! 言えなかった「ありがとう」」志賀内 泰弘・著
(P28~29)より
名古屋市守山区の関谷麻紀さん(40)が、東京に住んでいた8年前の夏の話。
当時1歳の娘さんを連れ、名古屋の実家に帰省することになった。
自由席券を買って新幹線に乗り込んだところ、全車満席。
リュックを背負いスーツケースを持ち、さらに子どもを抱いている。
次の列車に乗り換えるためには、再び、
隣のホームへ階段を昇り降りしなければならない。
そう考えるだけでつらくなり、デッキに座り込んでしまった。
そんな時、同年配の女性に声をかけられた。
「赤ちゃん抱えて大変。こちらへいらっしゃい」
案内されたのはグリーン車だった。
窓側の席には、小学6年生くらいの息子さんが座っていた。
隣の通路側席を指さし、
「ここへ座りなさい」
と言い、切符を交換してくれた。
その女性はデッキに立ち、途中二度ほど息子さんの様子を見に来た。
何かお礼がしたいと思い、たまたまかばんの中に入っていた500円の図書券を渡すと
「お母さんに怒られますから」
受け取ってくれない。
降りる間際に、母親に渡そうとすると、
「気にしなくてもいいのよ。気を付けて帰ってね」
と言われた。
実家に着くと、すぐに母親にそのことを報告した。
それから3ヶ月後、今度は関谷さんの母親が上京した時の話。
新幹線自由席のチケットを買い、ホームで並んでいると、
すぐ後ろにベビーカーを押す女性がいた。
列車に乗り込むと、席は一つしか空いていない。
手招きして、そこへ母子を座らせてあげた。
「あなたが、この前受けたご恩を少しお返しできた気がするわ」
と報告を受けた。
「いつもこの2つの出来事が心に残っています。
自分も席を譲るようにと心掛け、小学4年になった娘にも、
人に親切にしようねと教えています」
と関谷さん。
《ほろほろ通信/中日新聞 2011.11.13掲載》
【志賀内からのメッセージ】
まるで短編小説のよう。
つらい時こそ、人の優しさが心に沁みるものですね。
<感謝合掌 平成27年12月1日 頓首再拝>
徳のある人の恩返しの受け方とは? - 伝統
2015/12/08 (Tue) 04:02:47
*『忘れたいことを忘れる練習』植西聰・著より
ある大学に、とても人情深い教授がいました。
その教授はよく貧乏学生を自宅に招いて、食事をごちそうし、
悩みを持つ学生たちのよき相談相手になっていました。
その当時の教え子の一人が、のちに大学院に進み研究者として道を歩みはじめました。
今は経済的にも自立し、立派に生きています。
彼に「今の自分があるのは、学生時代にお世話になった教授のおかげだ。
自立した今、何かの恩返しをしたい」という気持ちが起こりました。
そこで彼は教授を訪ねました。
恩返しを申し出る彼に対して、教授は次のように言ったそうです。
「私はあなたをお世話したことなど忘れてしまったよ。
しかし、あなたが私から受けた恩を忘れられないでいるというのなら、
あなたの教え子たちのためになることをしてあげなさい」と。
これは中国の古典である『菜根譚』の言葉
「恩したるは忘れよ 恩得たるは忘るるなかれ」を参考にした考えでした。
「恩したるは忘れよ」とは、
「人のために何かしてあげたことなど忘れてしまいなさい」という意味です。
その言葉どおりに、教授は「私がお世話したことなど忘れた」と述べたのです。
「恩得たるは忘るるなかれ」とは、「人から受けた恩義は忘れない」という意味です。
教え子の彼もまた、その言葉どおりに「教授から受けた恩を忘れられない」と言いました。
そこで教授は、「ならば君の教え子のために何かしてあげなさい」と言ったのです。
恩返しを申し出られたとしても、「恩したるは忘れよ」という考えに従って
それを自分で受けるのではなく、また別の人のためになることをするように勧める
というのは、「徳のある人間」のすることです。
(http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1416738867/4337 より転写)
<感謝合掌 平成27年12月8日 頓首再拝>
神様に御恩返しを ― 抑留中に 「神様の本」 と出合う - 伝統
2015/12/18 (Fri) 04:32:32
*『生長の家』誌(昭和62年12月号)より
~生長の家旭川教区講師会長 松坂 幹雄
昭和20年8月9日、樺太の国境を越えてソ連軍が進撃して来ました。
要2232部隊第2機関銃中隊に所属していた私の分隊も、国境近くの八方山で応戦しました。
その戦闘中私の身近に落下した砲弾が不発、3度も生命拾いしましたが、
13日陣地後方8メートル地点の高い木の根に砲弾が炸裂、瞬間爆風が耳と鼻から
胸一杯に押込まれ、息を吐く事が出来ない苦しみが数10秒続きました。
それ以来私の両方の耳の鼓膜は破れて失いました。
「鉄側は墓場なり」と常に教官から教え込まれた2人の戦友は、
その時私の右と左で戦死しました。
終戦は8月19日でした。 ソ連の捕虜となり下山。
多数の者はシベリアへ送られ、私は患者の付添という事で残り、
転々と移動して敷香の街に落着きました。
捕虜生活も慣れた昭和22年12月の或る日、明け方から猛吹雪で
3キロ離れた作業場へ行くのがとても億劫でならなかったのです。
作業を休むには証明書が必要ですからソ連の軍医中尉の所へ走りました。
それまでの作業は皆勤していただけに簡単に証明を貰う事が出来ました。
3百名近くの者が作業に出て行った後の収容所内は、寒々として空しい感じでした。
仮の病人だから寝ていても退屈で仕方ないのです。
理髪店の藤岡さんだけは、ストーブの側で本を読んでいました。
「たまに休んだはいいが退屈ですよ。 何か面白い本はないですか」
「あ、あるわ。 松坂さんならこの本がいいよ。
でもロスケに見つかったらえらい事になるよ。
北海道に帰れんようになるかも知れんから、見つからんように、これ神様の本だからね。
共産系と全然違うから僕は隠してあったんだよ」
赤化洗脳の時だけに彼が念を押して渡されたその本は、
『生命の實相』 地の巻 という小型のものでした。
それが今日まで導き通して下さっている 生長の家の大神様 と私の最初の出合いなのでした。
感動しつつ繰返し繰返し拝読しました。
そして 「人間は神の子」 である事も知りました。
今朝の仮病もこの本を授けられんがためだったのかと感じました。
人目に付かせぬ計らいからであったか、そう思いますと
私は3百名の中から選ばれた、只一人なのだと思って感泣しました。
昭和23年9月3日、ようやく復員して函館港に着きました。
引揚者、復員者は援護局の下でみな検診を受けましたが、
私は耳鼻科の医師に両耳に鼓膜の無い事を言われるまで、鼓膜の無い事を知りませんでした。
しかし医師とは普通に話をしていましたので首をかしげている医師を見て、
われながら不思議でならなかったのです。
あとになって聖典 『精神分析の話』 〈谷口雅春先生著〉 の第6話に
「鼓膜と云うものは耳の塵除けの障子見たいなもので、
障子のない方が耳の中へ直通してよく聴えます」
と書いてありましたので、私も納得しました。
復員後初めて生長の家の誌友会に出席したのは25年4月1日の夜でした。
当時旭川市長の前野様宅で誌友会で合掌されて迎えられた時は
対応に赤面したのを今も思い出します。
誌友会の帰りは終電の出た後ですから4キロの砂利道を歩きながら帰宅しました。
当時は既に 『日々読誦三十章経』 の3日の経言(のりごと)だけは
暗誦していましたので、繰返し唱えて毎月誌友会に通いました。
そうしているうちに自然界と自分は一つであり、観世音の妙智力に生かされている事を
如実に感得する思いで、帰りの夜道の唸るような吹雪の風も、音楽のように聴こえ、
生命が心が跳る思いであったのです。
「吾れは今吾が住む世界を観音妙智力の表現であると観ずる。
み空の星は観世音菩薩がわれを看まもりたまう瞳である。
梢に鳴る風の音、小川の潺々たる囁き、これら全ては観世音の吾れに告げ給う御言葉である。
自然界の凡ゆる力は吾れを生かそう生かそうとしている力の顕れである。
吾が住む世界は最早未知の世界ではないのである。
吾れは此の世界を理解し、此の世界は吾れを理解している。
されば吾れは今より恐るるところはないのである。
吾れはいま宇宙に遍在し給う隠れたる力の泉を汲む。
吾れはいま宇宙の凡ての力と調和している。 ・・・ 」
私は毎朝この観音妙智観の一章を誦げて今日まで30年余年続けて参りました。
戦前に発行されました 『生命の實相』 〈革表紙版〉 も 地の巻 から
證の巻 までと全9巻を読み進み 「人間は総て神の自己実現であるから完全円満である。
三界は唯心の所現である」 と分って私の人生観も変って行きました。
いま思えば砲弾の炸裂によって両耳の鼓膜を失ったとはいえ、
3度もの不発弾で九死に一生を得た私は、
神に生かされ、導かれていたのだと染々と感じています。
以来私は、この尊い生長の家のみ教によって数多くの体験功徳を頂いて来ました。
昭和45年には生長の家地方講師を拝命、今まで数多く頂いた神様の御恩をお返ししようと、
皆さまにこの尊いみ教をお伝えしようと、神様のお仕事をさせて頂いております。
(http://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/af214825ae9e4edece9d59e4aa60e594 より転写)
<感謝合掌 平成27年12月18日 頓首再拝>
施した恩は思ってはならぬ。受けた恩は忘れてはならない - 伝統
2015/12/30 (Wed) 03:46:56
*「光に向かって 100の花束より」高森顕徹・著(P185~187)より
シラーの名作、ヴィルヘルム・テルの芝居に、こういう場面がある。
テルがある山陰で、仇敵の間柄である悪代官の危ないところを救助する。
帰宅してそれを、得意そうにテルは妻に話した。
「あの代官も今日からは、おれの恩に感じて態度を改めるだろう」
ところが妻は、
「それはとんでもないこと。これからいっそう、彼はあなたを、
けむたく思い、反感をつのらせるでしょう」
と、忠告するのである。
親切の貸方勘定を、こっちばかり得意になって、勝手な胸算用している間に、
先方は、返しきれない借方勘定に業腹を立て、かえって、こちらに
反感を抱くことはよくあることだ。
金を貸してもらいながら、ともすると債権者を恨みがちになるのは、債務者気質の常である。
だからといって、親切無用ということではもちろんない。
善因善果、悪因悪果、自因自果は宇宙の真理。
善果は善い因まかねば現れないが、その心がけが問題なのである。
舌切雀のじいさんは、かわいさ一心で探し求めた雀だから、
会っただけで満足し、ほかになんの要求もなかった。
おじいさんの慈悲に感応して雀は、大小のつづらを、みやげに差しだすが、
老の身を考え、じいさんは、軽いつづらを選んで持ち帰る。
中は金銀財宝で満ちていた。
一方、“私が養うてやったのだ”と思って出かけた、
ばあさんの目的は、雀をなぐさめることではなく宝物である。
だから出された大小のつづらでも、無理しても、大きな重いほうを選んで帰ってくる。
そこには、不純な心が、化け物となっているのである。
お互いに求める心がなくして、人に尽くすことができたら、どんなに楽しいことだろう。
施した恩は思ってはならぬ。受けた恩は忘れてはならない。
<感謝合掌 平成27年12月30日 頓首再拝>
すぐ100万円を持っていったのは、なぜか ~恩知らずになりたくない - 伝統
2016/01/07 (Thu) 04:34:02
*「光に向かって 100の花束より」高森顕徹・著(P234~235)より
不治の病にかかった大富豪が、奇跡的に快方に向かった。
全快に近づいたとき執事を呼んで、
「すぐに主治医へ、100万円包んでお礼にいってくれ」
と命じた。
「だんなさま。全快なさってからでよいのではありませんか」
不審そうな執事に、こう富豪は話したという。
「いや、すぐでなければならぬのだ。
あの絶望のとき、もし私の病を治してくれたら、
全財産をさしあげてもよいと、本心から思った。
ところがどうだ。危機を脱すると、そんなにまでする人はないのだから、
半分ぐらいにしておこうか、に変わってきた。
だんだん調子よくなるにつれて、3分の1でもよいのでないか。
財産の執着が次第にふくれ、100万円だすのもバカらしくなってくる。
医者は病気を治して当然でないか。
いくら治療しても死ぬ人がいる。
治ったのは医者の腕とばかりは言えない。
してみれば法外な礼は、他人に笑われるだけ、と考えだしたのだ。
こんな私は、健康体になってからだとビタ一文ださず、
請求されるまで自分の手元において、利子まで計算するにちがいない。
そんな恩知らずに、私はなりたくないのだ。
起きあがれないときに100万円持っていってくれ」
〝借りるときのえびす顔、返すときのエンマ顔〟といわれる。
就職をたのむときや、なにかお世話になるときは、
愛嬌をふりまき、おべっかのかぎりを尽くす。
このご恩、終生忘れはせまいと、そのときは思うのだが、
いつの間にやら見向きもしなくなるのが人情である。
ご恩をありがたく感謝する者は成功し、ご恩を当然と流し去る者は、必ず信用を失う。
<感謝合掌 平成28年1月7日 頓首再拝>
御恩返しをしようと思って、身にかなう働きを始めるがよい。 - 伝統
2016/01/21 (Thu) 04:40:57
*『生命の實相』第15巻・人生問答篇(P66~68)より
人間は「生命(せいめい)」であるから本来自由自在なものであって、
何も火がその側まで燃えてきているのにジッと坐っていなければならぬということはない。
火が燃えて来ればその燃えて来ように従ってわれわれの行動は自由自在に
千変万化しなければならないものであるのに、多分その坊さんは「坐っていなければならぬ」
という考えに凝りすぎたために生命の自由さを失って焼け死んだのでしょう。
もしわれわれが失業して貯金もない、だれも雇ってくれ手もない、生活の資料がない、
このままで行けば餓死が目の前に見えているということになったからとて、
我々は何も空腹を怺(こら)えて静坐していなければならぬことはない。
もう食べるものが無くなって、もう自分は死ぬと決ったら、
今まで天地一切のものにお世話になって生かしていただいたのであるから、
せめて半日でも一日でもこの身体が生きていられる間だけ、
今までお世話になった方々に対してお礼をしよう、
御恩返しをしようと思って身にかなう働きを始めるとよい。
道端の掃除をするとか、溝の掃除をするとかでもよろしい。
そうすると決して周囲の人が飢え死にさしてほっては置かない。
必ずその人の生きられるように周囲の人々が動き出すに違いない。
この自分の動き方一つで周囲全体が自分を生かすように動き出す
―― われ動けば天地動く、宇宙全体は一つの連動装置であって、
人間は自由意志をもった宇宙の中心でありますから、
自分の動き方一つで宇宙全体の事物の位置が変わるのです。
御恩返しと思ってする行ないがなぜ周囲を動かす力があるかといいますと、
「我(われ)のため」ということがない、我執がない、我執がなくなれば
《自分の神性》が発揮される。
《自分の神性が発揮されれば、「類は類を呼ぶ」という心の法則で、
周囲の人々の神性を喚び覚まします。》
周囲の人々の神性が呼び覚まされれば、神性において人間は相手と一体であるから、
今度は相手が自分を生かすために働き出すのは当然のことだと思います。
<感謝合掌 平成28年1月21日 頓首再拝>
報恩(愛)は実践を伴わねばならぬ - 伝統
2016/01/31 (Sun) 04:57:11
*「神と偕に生きる真理365章」(P342)より
その人の生活に、尚(なお)、不調和が消えないならば、
それは愛が足りないからである。
感謝するだけで、積極的に報恩する行為を伴わないときには
その感謝はカラ念仏になるのである。
報恩の中味は愛でなければならないのである。
計算ずくで、1の恩恵を受けたから、1を返済し、
2の恩恵を受けたから2を返済して、
それですべては精算ズミだなどと考えるのは、
本当に感謝の念がないからである。
それは感謝を「受けて返す」の物質的取引関係に考えているので
あって、精神的な感謝がなにのである。
精神的な感謝の中味には「愛」がなければならないのである。
愛は常に相手の人の幸福を希(こいねが)い、相手の身になり、
相手の心になって考え、その人の肉体的にも精神的にも霊的にも
向上することができるように行動によって援助するので
なければならぬ。
このような行動にあらわれない愛は、
やはり「愛のカラ念仏」である。
<感謝合掌 平成28年1月31日 頓首再拝>
忘恩と云う”魂の病気”を治す - 伝統
2016/02/20 (Sat) 04:55:34
*『真理』第9巻生活篇(P396)より
”魂の病気”を治しましょう
肉体の病気を治そうと考えるよりも、魂の病気を治そうと心掛けよ。
肉体の病気は肉体が死んでしまったら無くなるのであるから百年も続く病気はない。
魂の病気は肉体が死んでも無くならないから永遠につづくのである。
だから宗教で救われようと思う人は、
先ず魂の病気を消したいと云う念願に燃えなければならないのである。
而も宗教に来て肉体の病気を治して貰いながら、
肉体の病気が治ったら用が済んだと、恩を忘れて
”魂の病気”を背負ったまま去って行く人があるのはまことに気の毒である。
”恩を忘れる”と云うことは”魂の病気”のうちでもすこぶる悪質の重病であるのである。
肉体の病気の治ることを求めるよりも先ず”魂の病気”を治せ。
報恩と感謝行とは、忘恩と云う”魂の病気”を治す特効薬である。
<感謝合掌 平成28年2月20日 頓首再拝>
報恩のあるところに万物は栄える - 伝統
2016/04/18 (Mon) 04:36:41
*『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月18日)」より
たえず人に温熱を供給する太陽は熱が減ってだんだん貧弱になってしまうかと思えば、
事実は反対でいよいよますますその熱量が殖えてゆくのだと最近の天文学は教えている。
たえず人を饒益(にょうやく)し、たえず人に愛行を行なう人も
太陽のごとくますます自分が殖えるのである。
自分はこれだけ利益を貰ったから信心を止めようというような人があったら、
それは自分はもうこれだけ太陽から温熱を受け、太陽の熱というものはよく解ったから
太陽系統を去ろうと思うという地球のようなものである。
地球は太陽の恵みを解るために太陽系統に属しているのではない。
太陽系統を実践するために太陽系統に属しているのである。
今まで受けた温熱を次へ次へと送るので地上の万物は育つのである。
報恩とはかくのごときものである。報恩のあるところに万物は栄える。
<感謝合掌 平成28年4月18日 頓首再拝>
《恩を施して恩返しを期待せず》 - 伝統
2016/05/01 (Sun) 04:36:28
*『 生長の家 』(昭和26年4月5日)の法語より
人に恩を施して、心の中に恩に着せる心を持っている限り、
相手は束縛せられた気持になって、
こちらに対して恩を返さなくなり勝である。
若(も)し恩を与えながら、恩に着せる心がなくなるならば、
束縛されることなく、従って反撥(はんぱつ)心がなくなり、
相手は正直に恩を受けていることを承認して
却って恩を返すようになるものである。
喜んで相手を助けて、
あとは忘れてしまっているようなのが本当によいのである。
相手が恩を返さないので、
やむを得ず、恩返しされることをあきらめたのと、
全然恩返しなどを期待しないで
相手に与えたのとは 余程 相違があるのである。
→ http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12206004.html
<感謝合掌 平成28年5月1日 頓首再拝>
無限に恩返しをする - 伝統
2016/06/08 (Wed) 03:45:09
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(6月8日)」より
恩を受けて返さない感じがしている間は人間は落ち着けぬ。
とり得の感じがしている間は落ちつけぬ。
恩を返したときの感じほど楽しい感じはない。
恩着せがましい態度に出られても、
どれだけでも無限に素直に恩を返しうる感じは無限のよろこびである。
もうこれだけ恩を返したらおしまいだという感じは卑怯な感じである。
恩を無限に感じ、そして無限に恩返しする力が滾々(こんこん)と湧いてゆく感じは
また格別である。
孝ならんと欲するところに父母はいまさずという諺(ことわざ)がある。
恩を返せる財力ができたときに恩人がいないことがある。
いつでも恩を返すことが必要である。
実力で恩を返す力がなくとも、感謝の心を起こすことそのことがすでに報恩である。
実力ができたとき、実力で恩を返す。
実力がまだ備わらないとき、感謝の心で恩を返す。
実力ができたときに恩人がもうこの地上にいないとしたら、
国のため世のためにつくすことによって恩を返すがよい。
自他は一体だから。
<感謝合掌 平成28年6月8日 頓首再拝>
心を込めて、次の誰かに恩を送りましょう - 伝統
2016/09/09 (Fri) 03:40:10
38 見返りを期待しない人間関係が、よき友をつくる
*『ベテラン弁護士の「争わない生き方」が道を拓く』西中務・著(P84~85)より
人生はよき友に巡り合う旅です。
人生の喜びは、どれだけすばらしい心の友に出会えるかで決まります。
よい友かどうかというのは、趣味が合う、話が合う、気が合うかとうか
といったことではありません。
どれだけ見返りを期待せずに、友のために尽くせるか、
という関係性を持てるかどうかです。
昭和24年、最初の留学生としてアメリカに渡った青年がいます。
のちに文部大臣となった教育社会学者、永井道雄さんです。
戦争終結が昭和20年ですから、まだ戦後復興前の日本が貧しい時代です。
そんな永井さんに対し、留学先のE・ルイスという老教授が
食事やドライブに誘い、なにかと力になってくださったのです。
ある日、永井さんは、あまりによくしてくれるルイス教授に対して、
なんとか恩に報いたいと思っているけれど、とても恩返しができそうにない
と言ったそうです。
すると、ルイス教授は恩返しなどしようと思わなくてよいのだと答えました。
そして、もしも借りがあると思うのなら、私にではなく、日本より
もっと悲惨な国から来た留学生に返してくださればよいとおっしゃったのでした。
日本は、イアマはまだ敗戦の苦しみを噛みしめているけれど、
いすれな自分の足で立ちあがるだろう。そのときに、あなたのような留学生が
他国から訪れたら、その留学生に返してくださいということをおっしゃったのです。
永井さんにとって、このルイス教授の言葉は、その後何十年もずっと忘れられ
なかったというのです。きっと、ずっと心の中で励みになっていたのでしょう。
私たちは、たくさんの恩を受けて生きています。
受けた恩を、目の前の誰かに対して貢献することによって、返していく。
これが恩送りです。
恩送りができるようになると、心の友が持てるようになります。
それはなにも、やみくもにお金や時間をかければいいということではありません。
心を込めて、次の誰かに恩を送っていきましょう。
<感謝合掌 平成28年9月9日 頓首再拝>
現代で許される唯一の「仕返し」=「恩返し」 - 伝統
2016/11/30 (Wed) 03:35:39
日本の悪しき伝統「仕返し」をしても許されるたった一つのケース
*Web:MAG2NEWS(ビジネス2016.10.20)より
《仕返しして良いのはこのケースだけ》
人間ってやられたらやり返したい生き物なんですかね。
これが良い事なら恩返しになりますけど、ネガティブな事なら仕返しですから。
あなたが誰かにネガティブな事をやられた、としたら
(そんな事は毎週のようにありますよね)それをいつか、別の形でやり返してやろう、
つまり仕返しをしてやろうと思いますか?
私は中学の頃に部活で運動部を選んだんですが、
運動部って当時は中学から大学まで上下関係がビシッとしているんですよね。
ですから新1年生というのは、いつの時代も2年生にいじめられるわけで、
ちょうど1年前は彼らもそうやって先輩にいじめられたんですよね。
で、当時の私はおバカですから、
「2年生になったら同じことをやって憂さを晴らしてやるぞ」って考えちゃったんです。
ホントにバカですな。これが仕返しってことですから。
よくあるのは姑による嫁イビリってまさにそんな仕返しから始まっているんですよね。
自分が若い頃、義母にいじめられて歯を食いしばって耐えた、
その鬱憤をようやく晴らせる機会が来たのだ。
私だってやられたんだから、同じことを嫁にやり返したってバチは当たるまい、っていうか、
私だって耐えたんだからこの娘も耐えなきゃおかしいでしょ、
私の大事な息子を奪ったんだから。
というのが彼らのメンタリティーで、
同じようなシチュエーションは無限に創造可能ですね。
誰かにいじめられて、それを耐え抜いたら未来自分と同じ立場にいる人間に
同じことをやれば一丁上がりですから。
これは日本の悪しき伝統で、旧帝国軍もそれに連なる現在の自衛隊も
多少マイルドになったようですが、同じようなことを未だにやっているんです。
会社でもそういう人っていませんか?
未だにモーレツ時代を引きずって、「オレたちの若い頃は残業代ももらえず
毎晩10時まで働いたんだぞ」ってドヤ顔して言う人。
あんたが無給で無休で働かされたのと、私とどういう関係があるんでしょうか?
すでに時代も法律も商習慣もなんもかんもガラッと変わったのに、
ここだけ変わらないってことが通用するとでも思ってるんですか?
って言いたくなるわけですが。
戦時中、やむを得ず軍人になった人の中には、新兵時代の強烈なイジメを受けながら、
「将来オレは絶対に新兵を殴らないぞ」と決めてその通りにやった人って
少数ですがいるんですけど、私は猛烈にそういう人を尊敬しますね。
反対に仕返しをしなきゃいけない場面もあるんです。
それは、「上司や先輩から受けた恩義を後輩に返す」ということです。
日本語的に仕返しって表現はおかしいんですけど、
こういうポジティブな仕返しは全力でやらなきゃいけません。
そしてこの時に後輩に恩義を感じさせたらダメなのです。
軽くサラッと、「オレも同じことを先輩にやってもらっただけだから、
お前も歳を取ったら同じことをやってやれよ」とだけ伝えて
そこで関係性をチャラにするのです。
世の中には色々な形の仕返しがあるんですが、
前者は自分の運勢を悪化させ、後者は輝かしいモノにしてくれるんですよ。
(http://www.mag2.com/p/news/224491)
<感謝合掌 平成28年11月30日 頓首再拝>
神への恩返し - 伝統
2016/12/05 (Mon) 03:31:22
*「生命の實相」第三十八巻幸福篇下(12月5日)より抜粋
恩を忘れてはならない。
恩を忘れる者は根を培わない樹木の枝のごとく、
一時(じ)は生け花のごとく美しくともやがては枯れてしまうのであろう。
人に深切をつくすのが、最善の宗教である。
ただ説教師になってはならないのである。
1日、1回以上、できるだけ自分の利益にも何にもならないことで、
純粋に他(ひと)のために尽くせ。
純粋で無我でつくすこと自体が神に通ずる祈りである。
無我の愛でささげたる奉仕は神の献(ささ)げたことになるのである。
自分の収入の2分(ぶ)ないし1割で、自分の救われた教えを広めるために
真理の小冊子を買って無代進呈することは神に対する恩返しとなる。
与えただけが与え返されるのである。
<感謝合掌 平成28年12月5日 頓首再拝>
感恩の心 - 伝統
2017/02/09 (Thu) 04:42:49
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月8日~9日)」より
われわれを嬉しくし、楽しくし、悦ばせてくれるものは実に「恩」の感じである。
「恩」とは因(もと)の心と書くが、因を知る心である。
恩を感ずるとき、わたしたちは苦しみの中にも喜んで飛び込むことができるのは、
恩の感じは苦しみを「歓喜(かんき)」にかえる念(こころ)であるからである。
恩を感じるとき実際苦しみは歓びに変わるのである。
激しい皇恩を感ずるとき、弾丸(だんがん)雨飛(うひ)の中へわたしたちは歓声を挙げて
跳び込みうるし、また弾丸があたっても痛まない。
感恩の念(ねん)は苦痛を歓喜にかえるからである。
痛みあり、苦しみがあるのは恩の感じ方が足りないからである。
皇恩に感謝せよ、汝の父母に感謝せよ、汝の夫または妻に感謝せよ、汝の子に感謝せよ。
汝の召使に感謝せよ。天地の万物(すべてのもの)に感謝せよ。
その感謝の念のうちにこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろうと
『生命の實相』の巻頭にある
―― 生長の家の教えを要約すれば、ただこの数句に尽きていると言ってもよいくらいである。
・・・
人間の深切にも物施と法施とがある。
物を与えることも時には必要であるが、あまり物のみを与えすぎるとかえって依頼心を起こさせ、
貰うことが権利のような感恩のない状態にまで相手の心を荒(すさ)ませることがある。
物を与えるならば、《心もち》を添えて贈らなければならぬ。
紙に包み、水引を掛けるのは心持を添える方法の一つである。
人間は心もちによって生かされているのである。
機械的な「与え」の前には感恩の心は起こるものではない。
与える側からいうならば、物を贈るのに相手に感恩の心をを起こさせようと
思ってするのは不純ではあるが、相手の心を依頼心に満ちたり、忘恩的な荒んだ心にまで
ならせないためには機械的な与え方をしてはならない。
勤務時間以上に働きをサービスする社員に、上役が感謝して夜食をおごったりしてくれる場合には、
いかにも上役の好意が身に沁(し)みて感謝されるが、規則によって夜勤手当というものを
定(さだ)めて、一定時間の夜勤をするする者には一定の夜勤料を支払うことに機械的に定(き)
めてしまうならば、もう誰も夜勤料をありがたく思わなくなるものである。
それどころか、時には夜勤料が少ないといって零(こぼ)すようにさえなりがちである。
与える悦びがなくなって、奪い足りないという不平に代わるのである。
生活に困っている失業者に仕事を紹介してやったら、その当座は生命(いのち)を救(たす)けて
もらったように感謝するが、毎月月給を貰うということが機械的に度重なってくるならば、
もうぼつぼつ月給の不足を零しがちである。
感恩の心は機械的になるとしだいに薄れてくるのである。
子供の愛情に養われる老人は幸福であるが、社会保障制度で養老院に養われる老人には
前者ほどの喜びはない。
われわれは毎日空気を吸っているが、機械的に空気を供給されているがゆえに
ありがた味を感じない。われわれは太陽がなくては生きられない人間でありながら、
太陽は機械的に毎朝地平線から顔を出すから太陽のありがた味をさほど感じない。
しかし、これでよいだろうか。
目ざめて立て!
わたしたちはあらゆる恩恵のうちに生きているのである。
ありがたさは物の分量にあるのではなく、心の《目ざめ》にある。
心の《目ざめ》ている人を悟っていると言う。
一かど悟っていると自負している人が常に不平を唱えているのは何を悟っているのか、
訊いてみたい。
<感謝合掌 平成29年2月9日 頓首再拝>
報恩のあるところに万物は栄える - 伝統
2017/04/18 (Tue) 04:29:17
*『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月18日)」より
たえず人に温熱を供給する太陽は熱が減ってだんだん貧弱になってしまうかと思えば、
事実は反対でいよいよますますその熱量が殖えてゆくのだと最近の天文学は教えている。
たえず人を饒益(にょうやく)し、たえず人に愛行を行なう人も
太陽のごとくますます自分が殖えるのである。
自分はこれだけ利益を貰ったから信心を止めようというような人があったら、
それは自分はもうこれだけ太陽から温熱を受け、太陽の熱というものはよく解ったから
太陽系統を去ろうと思うという地球のようなものである。
地球は太陽の恵みを解るために太陽系統に属しているのではない。
太陽系統を実践するために太陽系統に属しているのである。
今まで受けた温熱を次へ次へと送るので地上の万物は育つのである。
報恩とはかくのごときものである。報恩のあるところに万物は栄える。
<感謝合掌 平成29年4月18日 頓首再拝>
祖先の恩を知る日 - 伝統
2017/04/24 (Mon) 03:57:04
*「光明道中記」(4月24日)より
【人間の本性は「愛」でありますから、「愛」を失ったときその人は自暴自棄に陥るのです。
(『生命の實相』第十七巻)】
もう一人私に伯母さんがある。
もう此の世にはいないが、好い伯母さんであって私を常に愛していて呉れた。
時々夫婦喧嘩をして逃れて私の家へ来たときなどには、
私は一ヶ月も二ヶ月も此の伯母さんと一緒の布団に寝たものである。
私が一緒に寝ないと言うと、
「伯母さんと一緒に寝たら一晩に1円ずつお小遣銭(こづかい)をあげましょう」
と言った。
私は買い食(ぐい)も何しない子だったので、その金を皆養母(はは)に渡した。
養母はそれを貯金して置いてくれた。ついにその1円ずつが貯蓄されて
三百幾十円かになったものである。
私の大学での費用の一部は此の貯金で賄(まかな)われた。
此の伯母さんは家庭は裕福であったが、
良人は裕福なその「金」を人生のためになる方向に使わず、よく酒ばかり飲んでいた。
従って伯母さんは仏の道に志して四国八十八カ所を十幾度も遍路して
金の納札(おさめふだ)を納めたとか、西国三十三カ所を幾十回廻ったとか、
高野山にも毎年まいることを怠らなかった。
此の伯母さんには子がなかった。
此の伯母さんの唯一の希望は「私」であった。
最も大きな遺産は此の伯母さんが
私に神信心の福田を遺して置いてくれたことだと思う。
<感謝合掌 平成29年4月24日 頓首再拝>
【生きているということは、誰かに借りをつくること】 - 伝統
2017/05/10 (Wed) 03:39:26
*メルマガ「人の心に灯をともす(2017年04月22日)」より
(藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…)
小さなスパンでは、不順もありますが、季節は確実にめぐっています。
「四時(しじ)の序(じょ)、功(こう)を成したるものは去る」
という言葉が『十八史略(じゅうはちしりゃく)』にあります。
四時というのは、春・夏・秋・冬のことです。
春は春の役割をしっかりと果たして夏にゆずっていく。
夏も、秋も、冬も同じです。
それぞれの役割を精一杯果たして、次の季節に移っていくわけです。
何千年、何万年と続く宇宙の摂理から、人間も逃れられません。
役割を果たした人は常に、次の人にバトンタッチして、
冥界(めいかい)に移っていきます。
言い換えれば、いま、ここに生きている私たちは
自分の役割を果たさなければならない、ということです。
どんな偉大な指導者も、哲人も一人で人格を形成した人はいません。
人は皆凡夫なり、と聖徳太子はいったそうですが、
人は皆、縁の中でしか生きられない、その意味では人は皆一様に凡夫です。
一篇の詩が思い出されます。
どなたかの作かは知りませんが、時折、思い起こしては自らを省みています。
生きているということは、誰かに借りをつくること
生きているということは、その借りを返していくこと
誰かに借りたら、誰かに返そう
誰かにそうしてもらったように、誰かにそうしてあげよう
誰かと手をつなぐことは、その温もりを忘れないでいること
巡り合い、愛し合い、やがて別れのその時、悔いのないように今日を明日を生きよう
人は一人では生きてゆけないから
誰でも一人では歩いてゆけないから
<『生きる力になる言葉』致知出版社>
・・・
どんな人であろうと、誰であろうと、
人は赤ちゃんのとき、母親に世話をしてもらったから大きくなることができた。
「おむつをかえてもらった」、「お乳をもらった」、「着替えさせてもらった」、
「抱っこしてもらった」、「熱のあるとき必死になって看病くれた」・・・。
同様に、幼稚園、小学校、中学、高校と、
まったく親の世話にならずに、学校生活をおくれた者もひとりもいない。
仕事も家庭も同じで、誰かのご縁とお世話があったから、今がある。
死ぬときも同じ。
死んだあとは、必ず誰かのお世話になる。
人の世話になって生まれて育ち、人の世話になって死ぬ。
だからこそ、生きている間は、そのご恩返しをしておきたい。
「生きているということは、誰かに借りをつくること」
借りを返すとは、人様に喜んでいただくこと、お役に立つこと。
お借りたご恩を、少しずつでも返してゆきたい。
<感謝合掌 平成29年5月10日 頓首再拝>
人を救う実行が神様への報恩 - 伝統
2017/06/02 (Fri) 04:55:52
*『維摩経解釋』 より
たゆまない真理の実行を通して、不退転であってのみ、
菩提(さとり)を成就することができるのであります。
或る人は法供養のほかに、行供養というのを説いておられます。
「行即ち行いの伴わない信仰は空念仏であって功徳はない」
と生長の家でも説いているのであります。
人を救う実行 〈行〉 をすることが、仏様又は神様への報恩であり感謝であります。
自分だけ救われたといって、「ハイ、サヨウナラ、有難うございました」
と去ってしまうような人は、少しも救われていない。
ただ其の人は利己主義になっただけの事であります。
自分が得して他に報いないのは一種の 「奪う」 行為であり、
それは魔境でありまして、一つの誘惑でありますから、
これを克服しなければなりません。
そういう利己主義的な救われ方は、因縁の法則に逆行するのでありますから
「奪うものは奪われる」 の法則によって、一時はお蔭を得たようになっていましても、
やがて其のお蔭が消滅してしまうのであります。
仏の成したまうた其の通りを自分も実行して大慈悲を行うのが行供養で、
これこそ大慈悲であり法供養であります。
更に法供養は、供養されたる衆生が真理を語ってそれを他に及ぼす
菩薩たらしめなければならないのであります。
これが 「能く衆生をして道場に坐して法輪を転ぜしむ」 であります。
法輪とは真理の説法のことであります。
生長の家でいうならばすべての誌友を講師化して
法輪を転ぜしめるようにするのが法供養なのであります。
しかしその転法輪の法供養を 「わたしが彼に法供養してやっている」
という風に恩に着せがましい 「与え方」 をしているのではいけないのであります。
「我なく人なく衆生なく」 というのはそれであります。
「寿命なく」 というのは、寿命は時間でありますから
「何時」 わたしは法供養したということもないのが本当であります。
「わたしはこんなに身命を賭して衆生を教化しているのに
本山では報いようが少いから生活に困難である。
だからわたしは救ってあげた人たちから謝礼金を貰って生活するのが当然である」
などという布教師があるとしたならば、
それは、「我なく人なく衆生なく」 とは言えないのであります。
施しをしたり、供養をしたり、人を救ったりするのは、
「空・無相・無作・無起」 でなければならないのであります。
すべての人間が既に実相においては救われているのでありますから、
現象界にどんなことがあらわれておろうとも、それは空であります。
相(すがた)をあらわしていながら無相であります。
作(はたらき)をしながら作をしていないのが無作であります。
起っていながら無起すなわち起っていないのであります。
これを反転して申しますと、無相のままで適当な相をあらわし、
働くことなくして、適当な働きをあらわし、
われが起こすということもなく、適当なことが起こり、
任運無作神通自在になることであります。
これが本当の法供養であります。
人を救けてあげながら、お礼を言われると、「何時私があなたを救けましたか?」
と忘れてしまっているようなのが作(な)さずして作(な)す、
無相の法供養であります。
(http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19016789.html )
<感謝合掌 平成29年6月2日 頓首再拝>
無限に恩返しをする - 伝統
2017/06/08 (Thu) 04:17:59
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(6月8日)」より
恩を受けて返さない感じがしている間は人間は落ち着けぬ。
とり得の感じがしている間は落ちつけぬ。
恩を返したときの感じほど楽しい感じはない。
恩着せがましい態度に出られても、
どれだけでも無限に素直に恩を返しうる感じは無限のよろこびである。
もうこれだけ恩を返したらおしまいだという感じは卑怯な感じである。
恩を無限に感じ、そして無限に恩返しする力が滾々(こんこん)と湧いてゆく感じは
また格別である。
孝ならんと欲するところに父母はいまさずという諺(ことわざ)がある。
恩を返せる財力ができたときに恩人がいないことがある。
いつでも恩を返すことが必要である。
実力で恩を返す力がなくとも、感謝の心を起こすことそのことがすでに報恩である。
実力ができたとき、実力で恩を返す。
実力がまだ備わらないとき、感謝の心で恩を返す。
実力ができたときに恩人がもうこの地上にいないとしたら、
国のため世のためにつくすことによって恩を返すがよい。
自他は一体だから。
<感謝合掌 平成29年6月8日 頓首再拝>
恩返し、恩送り - 伝統
2017/06/28 (Wed) 03:35:49
*メルマガ「人の心に灯をともす(2017年06月26日)」より
【人生のピンチのときに天使があらわれる】
(みやざき中央新聞 魂の編集長、水谷もりひと氏の心に響く言葉より…)
32歳のその女性は実家に帰省するため、1歳の幼子を連れて新幹線に乗った。
自由席の車両に乗り込んだが、車内は満席だった。
女性は、荷物を持ち、子どもと共にデッキに座り込んだ
そんな彼女に「こっちにいらっしゃい」と声をかけた女性がいた。
案内されたのはグリーン車だった。
「ここに座って」と言って、切符を交換し、その人はデッキに立った。
実家に着いて女性は車内での出来事を母親に話した。
その3か月後のことである。
今度はその女性の母親が上京するため、新幹線に乗った。
自由席の車内に乗り込むと、席が一つしか空いてなかった。
後からベビーカーを押す若い女性が乗り込んできた。
彼女はためらうことなく、その若い女性を手招きして、
一つしかない席に座らせた。
「娘が受けたご恩を少しお返しできた」と思った。
こんなエピソードもある。
とある病院に入院していた70代の女性の話だ。
ちょうど花見の時期だった。
ある日、嫁に行ったお孫さんがひ孫を連れてお見舞いに来た。
お孫さんの手には桜の枝が挿してある花瓶があった。
自宅の庭に咲いていたのを少し切って持ってきたという。
女性はベッドの上から花見をしながら、孫の優しい気持ちをしみじみと感じた。
次の日、病室に入ってきた若い看護師が、こんな頼みごとをした。
「その桜を貸してくださいませんか?」
訳を聞くと、「ほかの部屋の患者さんにも見せてあげたいと思いまして…」
女性は「そうだ、この病院には私のほかにも
桜の花を見られない人がたくさんいるんだ。
それなのに自分だけが喜んで…恥ずかしい」
しばらくして看護師が戻ってきて言った。
「皆さん、喜んでくれましたよ」
同じフロアの病室を訪ねて、お一人お一人に花瓶の桜を見せて回ったそうだ。
忙しさの合間を縫ってこんな気配りをしてくれる看護師がいたことに、
女性は胸が熱くなった。
中日新聞の愛知県内版で毎週日曜日に掲載されている
人気コラム『ほろほろ通信』には、こんな心温まる話が掲載されている。
「ほろほろ」とは、花びらや葉っぱ、そして涙が
静かに零(こぼ)れ落ちる様のことをいうそうだ。
たくさんの人たちの感動する話に出合ってきて、
志賀内さん(執筆者)は「いい話の法則」を見つけた。
人が忘れられない感動の出合いをするとき、人間っていいなぁって思うとき、
それは決まってピンチに遭遇したときだ。
人生のピンチのときに天使が現れるというのだ。
40代の男性にはこんな思い出がある。
幼稚園の頃、母親を亡くし、父親と2人で暮らしていた。
それを見かねた隣の奥さんが毎朝弁当を届けてくれるようになった。
大人になって父親からその話を聞いた。
食費の代金を持って行っても
「主人と息子の弁当のついでに作っているだけだから」
と絶対に受け取らなかったという。
男性はこの話を投稿した。
「あのときのお礼がしたい。ご健在だったら連絡してください」と書き添えた。
後日、「ほろほろ通信を読みました。私のことだと思いました。
あの子が立派に成長していること、お弁当のことを忘れないでいてくれたことを
知って涙が溢れました」というお便りが
志賀内さんのもとに届き、翌週の紙面に掲載された。
誰の人生にもピンチは訪れる。
そして誰の人生にも天使が舞い降りる。
こんな話が本当の「情」報なんだろうなぁ。
<『“すごい”人たち』ごま書房新社>
・・・
どなに感動するいい話を聞いても、それを知っているだけではダメだ。
それを、感動して、どいういう行動を起こすのかが問われている。
誰かに恩を受けたら、その恩を返していく。
その恩を直接にその人に返せないなら、
誰か別の人に恩を送るという「恩送り」をしていくこと。
英語では「ペイ・フォワード」。
「人生のピンチのときに天使があらわれる」
誰かがピンチのとき、黙って助ける人でありたい。
<感謝合掌 平成29年6月28日 頓首再拝>
神への恩返し - 伝統
2017/12/05 (Tue) 03:44:19
*「生命の實相」第三十八巻幸福篇下(12月5日)より抜粋
恩を忘れてはならない。
恩を忘れる者は根を培わない樹木の枝のごとく、
一時(じ)は生け花のごとく美しくともやがては枯れてしまうのであろう。
人に深切をつくすのが、最善の宗教である。
ただ説教師になってはならないのである。
1日、1回以上、できるだけ自分の利益にも何にもならないことで、
純粋に他(ひと)のために尽くせ。
純粋で無我でつくすこと自体が神に通ずる祈りである。
無我の愛でささげたる奉仕は神の献(ささ)げたことになるのである。
自分の収入の2分(ぶ)ないし1割で、
自分の救われた教えを広めるために真理の小冊子を買って
無代進呈することは神に対する恩返しとなる。
与えただけが与え返されるのである。
<感謝合掌 平成29年12月5日 頓首再拝>
受けた恩の有難さに気づく - 伝統
2017/12/23 (Sat) 03:15:09
*Web:末本ブログ(2014年4月3日) より
「ようやく出た便を、両手に捧げて泣いている妻の姿をうつろに知った時、
私は起き上がれぬまま、グッと熱いものが胸にこみあげてきて、
両眼から涙がしきりに流れ落ちるのを、どうすることも出来ませんでした」
これは、脳軟化症を患い、排便が出来ずに、生命の危機に見舞われたA氏の言葉です。
その時、氏は62歳。妻の愛情がどんなに深く、
有難く尊いものであるかを思い知らされました。
医者も諦めた病を、氏は見事に克服し、82歳まで元気に働きました。
「妻は観音様です」という氏の言葉からは、生死の淵に立って知る
妻の愛情への感謝と、謙虚さが伺えます。
また、A氏の体験は、排泄という
日々の当たり前のことに対する見方を変えてくれます。
食事と同じように、排泄も尊い生命の営みです。
命を支えてくれる食事に感謝するのと同じように、
トイレでたとえ一瞬でも、その有難さに思いを至らせ、
感謝する気持ちを持ちたいものです。
謙虚とは、辞書によれば「控え目で、つつましいこと。へりくだって、
素直に相手の意見などを受け入れること」(『大辞泉』)とあります。
増上慢的な発言や行動は、それだけ他人を不愉快にさせ、
人の善意を傷つけ、社会の調和を乱してしまいます。
また、慎ましさに内包される素直さがなければ、経営者としての学びを得られず、
事業運営上の必要な情報も的確に捉えることが難しくなるでしょう。
「今週の倫理」の今月最初の号(八六二号)には、寄附の話が登場しました。
「寄附をしても自分の名前が出ていないと不愉快に思ったりすることはありはしないか。
その底に他人に誇る気持ちがあるのではないか」と述べられています。
本来寄附は、善意で行なわれるもので、
自分の善行を世に示すためのものではありません。
とはいうものの、つい善を誇りたくなるのが人の常であり、
頭では分かっていても、謙虚さを失ってしまうのが人間でしょう。
A氏のような大苦難に見舞われなくても、日常の中で、
どうすれば謙虚な心持ちを保っていけるか。
その鍵は、してもらったことに気づけるかどうか、にあります。
「内観」と呼ばれる心理療法には、両親やお世話になった人との関係の中で、
「自分がしていただいたこと」「して返したこと」「ご迷惑をお掛けしたこと」
を年数を区切って細かく調べる(思い出す)段階があります。
初めのうちは、「して返したこと」ばかりが出てくるのですが、
次第にほかの二つを思い出していくにつれて、
治療の効果が上がってくる、とされています。
自分のしたことを誇りたい気持ちは誰にもありますが、
どれだけ多くの「していただいたこと」に支えられ、
「ご迷惑をお掛けしたこと」を許されて生きてきたのか、
その恩に気づき、有難さをかみ締める時に、
謙虚に生きる道が開かれるのではないでしょうか。
(http://www.kyoeihome.net/blog/?p=8079 )
<感謝合掌 平成29年12月22日 頓首再拝>
恩を忘れぬ心、恩に報いる行動 - 伝統
2018/01/20 (Sat) 03:33:03
*『若人のための78章』(P76~78)より
第28章 成功の基礎となるもの
戦後『昭和文学全集』を発行してたちまち出版界を席巻し、
一年あまりのうちに一億円も儲けたと噂されている角川書店というのがある。
その主人の角川源義氏は国学院大学出身のまだ青年と言って好い若い人である。
終戦後の出版物飢饉状態の昭和二十三年の夏、
名刺3枚を懐ろに仙台の阿部次郎氏邸を訪れたのである。
氏は理想家であり、人格主義者であり、若い時に読んだ阿部次郎氏の論文
『人格主義』にいたく感動したことがあったので、是非、終戦後の出版事業の旗あげに、
この真面目な精神的な人格主義の論文を終戦後の混乱している人心を善導することに
貢献したいと思って、その出版の許諾を阿部次郎氏に求めて行ったのである。
一面識もない阿部先生であるけれども、この青年の熱と誠心とに打たれて
阿部さんは出版の許諾を興えたのであった。
それが角川氏の出版社としての成功の第一歩であって、
自分の理想に向って敢然として進む断行の決断と勇気が、
氏の後年大いに出版事業に成功する要素となっているのである。
しかも感心なことには、氏は、その後、東北地方を襲った風水害の情報を手にすると
取るものも取り敢ず、バックに手に入るだけの食糧をつめて、
阿部次郎氏を見舞っている。
角川書店の後年の繁栄は實にこの角川氏の恩を忘れぬ心から来ている
と言わなければならないのである。
恩は原因を知る心である。
本源を培うとき、その人は栄えるのである。
しかし昭和24四年5月頃角川書店の経営は最悪状態に陥った。
角川文庫がサッパリ売れないで、三、四千万円の借金の支払の道に窮して
二進も三進も行かなくなった。
この時、角川氏自ら夫人と共に有楽町駅に立ってチラシを配った
―― ここにも不屈不撓の強靭な商魂が見られるのであるが、
氏の出版業の危機を救ったのは阿部次郎氏の『三太郎の日記』の出版であった。
これは岩波書店で前から出していたが、あの東北地方の風水害のときに
バックで食糧を運んだその恩を知る青年の心に動かされて、
阿部氏は岩波書店に手紙を書いて、それを角川書店で出版することの
許諾を得てくれたのである。
この『三太郎の日記』が、旺んに売れた。刷っても刷っても間に合わぬ位売れた。
これが角川書店を立直らせた基となった。
もし阿部次郎氏が『三太郎の日記』の出版許可を興えなかったならば、
角川書店の今日はない。
しかもそれが東北水害の際の食糧見舞にかけつけた恩を知る心がかくならしめたのである。
角川氏は後に仙台に阿部日本文化研究所を建てて再び恩に報いるために
これを阿部次郎氏に贈ったのである。
あの成功した『昭和文学全集』は改造社の山本實彦氏が嘗て発行した
『現代日本文学全集』の形や組方を模倣して一冊の中に大量を収録することにして
出来たというので、その恩義に報いるため、『昭和文学全集』が出来上ると
故山本實彦氏の霊前にその第一冊を捧げて感謝の意を表したというのも有名な話である。
角川氏の今日の成功あるは全く氏の知恩の心からである。
角川氏は又親孝行で宅には何百万円もする立派な仏壇があり、
その奥には父の遺品天秤棒が祀ってある。
孝は百行の基であるのは今も昔も変りはない。
<感謝合掌 平成30年1月20日 頓首再拝>
恩を感ずる - 伝統
2018/02/08 (Thu) 03:57:52
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月8日)」より
われわれを嬉しくし、楽しくし、悦ばせてくれるものは実に「恩」の感じである。
「恩」とは因(もと)の心と書くが、因を知る心である。
恩を感ずるとき、わたしたちは苦しみの中にも喜んで飛び込むことができるのは、
恩の感じは苦しみを「歓喜(かんき)」にかえる念(こころ)であるからである。
恩を感じるとき実際苦しみは歓びに変わるのである。
激しい皇恩を感ずるとき、弾丸(だんがん)雨飛(うひ)の中へ
わたしたちは歓声を挙げて跳び込みうるし、また弾丸があたっても痛まない。
感恩の念(ねん)は苦痛を歓喜にかえるからである。
痛みあり、苦しみがあるのは恩の感じ方が足りないからである。
皇恩に感謝せよ、
汝の父母に感謝せよ、
汝の夫または妻に感謝せよ、
汝の子に感謝せよ。
汝の召使に感謝せよ。
天地の万物(すべてのもの)に感謝せよ。
その感謝の念のうちにこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう
と『生命の實相』の巻頭にある
―― 生長の家の教えを要約すれば、
ただこの数句に尽きていると言ってもよいくらいである。
<感謝合掌 平成30年2月8日 頓首再拝>
《借り越しを軽くする》 - 伝統
2018/03/24 (Sat) 03:25:47
*『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P71) より
私たちは神から多くの賜(たまもの)を受けているのである。
空気、日光、水、衣食住に必要な資材となるべき鉱物植物・・・等々いずれも
人間がこしらえたものではない。
すべて神からの与えものであり、授かり物であるのである。
それどころか、吾々の眼耳鼻舌身ことごとく、神の叡智によって設計され、
神の素材によってつくられ、神から与えられた恵みであるのである。
それを「恵み」として感謝することなく、それに対して恩返しすることなければ、
それだけ自分は借り越しになっているのである。
借り越し多い者は本当に自由にはなれないのである。
まず神想観又は祈りによって感謝すること、
それだけでもその“借り越し”の幾分が支払われたことになるのである。
次には、神の恵みを人々につたえること、
自分が救われた如く、他の人々を救う仕事に熱心になること。
これによって人は負債を軽くしてその人の生命が自由を得るのである。
<感謝合掌 平成30年3月24日 頓首再拝>
報恩のあるところに万物は栄える - 伝統
2018/04/18 (Wed) 03:30:40
*『生命の實相』第37巻幸福篇上(4月18日)」より
たえず人に温熱を供給する太陽は熱が減ってだんだん貧弱になってしまうかと思えば、
事実は反対でいよいよますますその熱量が殖えてゆくのだと最近の天文学は教えている。
たえず人を饒益(にょうやく)し、たえず人に愛行を行なう人も
太陽のごとくますます自分が殖えるのである。
自分はこれだけ利益を貰ったから信心を止めようというような人があったら、
それは自分はもうこれだけ太陽から温熱を受け、太陽の熱というものはよく解ったから
太陽系統を去ろうと思うという地球のようなものである。
地球は太陽の恵みを解るために太陽系統に属しているのではない。
太陽系統を実践するために太陽系統に属しているのである。
今まで受けた温熱を次へ次へと送るので地上の万物は育つのである。
報恩とはかくのごときものである。報恩のあるところに万物は栄える。
<感謝合掌 平成30年4月18日 頓首再拝>
祖先の恩を知る - 伝統
2018/04/24 (Tue) 03:21:46
*「光明道中記」(4月24日 祖先の恩を知る日)より
【人間の本性は「愛」でありますから、
「愛」を失ったときその人は自暴自棄に陥るのです。
(『生命の實相』第十七巻)】
もう一人私に伯母さんがある。
もう此の世にはいないが、好い伯母さんであって私を常に愛していて呉れた。
時々夫婦喧嘩をして逃れて私の家へ来たときなどには、
私は一ヶ月も二ヶ月も此の伯母さんと一緒の布団に寝たものである。
私が一緒に寝ないと言うと、
「伯母さんと一緒に寝たら一晩に1円ずつお小遣銭(こづかい)をあげましょう」
と言った。
私は買い食(ぐい)も何しない子だったので、その金を皆養母(はは)に渡した。
養母はそれを貯金して置いてくれた。ついにその1円ずつが貯蓄されて
三百幾十円かになったものである。
私の大学での費用の一部は此の貯金で賄(まかな)われた。
此の伯母さんは家庭は裕福であったが、
良人は裕福なその「金」を人生のためになる方向に使わず、
よく酒ばかり飲んでいた。
従って伯母さんは仏の道に志して四国八十八カ所を十幾度も遍路して
金の納札(おさめふだ)を納めたとか、西国三十三カ所を幾十回廻ったとか、
高野山にも毎年まいることを怠らなかった。
此の伯母さんには子がなかった。
此の伯母さんの唯一の希望は「私」であった。
最も大きな遺産は此の伯母さんが
私に神信心の福田を遺して置いてくれたことだと思う。
<感謝合掌 平成30年4月24日 頓首再拝>
無限に恩返しをする - 伝統
2018/06/08 (Fri) 04:44:28
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(6月8日)」より
恩を受けて返さない感じがしている間は人間は落ち着けぬ。
とり得の感じがしている間は落ちつけぬ。
恩を返したときの感じほど楽しい感じはない。
恩着せがましい態度に出られても、
どれだけでも無限に素直に恩を返しうる感じは無限のよろこびである。
もうこれだけ恩を返したらおしまいだという感じは卑怯な感じである。
恩を無限に感じ、そして無限に恩返しする力が滾々(こんこん)と湧いてゆく感じは
また格別である。
孝ならんと欲するところに父母はいまさずという諺(ことわざ)がある。
恩を返せる財力ができたときに恩人がいないことがある。
いつでも恩を返すことが必要である。
実力で恩を返す力がなくとも、感謝の心を起こすことそのことがすでに報恩である。
実力ができたとき、実力で恩を返す。
実力がまだ備わらないとき、感謝の心で恩を返す。
実力ができたときに恩人がもうこの地上にいないとしたら、
国のため世のためにつくすことによって恩を返すがよい。
自他は一体だから。
<感謝合掌 平成30年6月8日 頓首再拝>
三大恩のこと - 伝統
2018/07/12 (Thu) 03:17:13
*「日新館童子訓・武士道の教科書」
松平容頌(著)、中村彰彦(訳)(P18~19)より
人間は三つの恩があって生きている。
父母はこれを生み、藩主はこれを養い、師はこれを教える。
父母がいなければ生まれる事は無く、
藩主がいなければ成長する事も無く、
師がいなければ物事を知る事は出来ない。
父母の恩は天地にも等しく、父母がいなければ今の我が身は無い。
母のお腹に宿った時から数ヶ月もの間様々な苦労をかけ、
生まれて後は母は濡れた夜具に眠り、子を乾いた布団に眠らせ、
子が寝れば母は身体を動かさず、夏の暑さ、冬の寒さも感じさせず、
父は子の安寧を祈り、衣服や薬などにも気を配る。
食べる様になれば、箸の使い方、行儀作法や言葉遣いなども教え、
先生を選び、諸事を習わせて物事に優れた人となる様にと願い、
年頃にもなれば嫁の心配もし、家を保ち、
先祖に恥ずかしくない様にと慈愛を持って育て上げる。
そして又、藩主にはその領地で採れる穀物を食べさせて頂き、
領国に住む者皆藩主の恩恵を頂いている。
藩主がいなければ国は乱れてしまう。
藩主から禄と位を受けている者は、先祖から孫子の代までも藩主の恩恵を受けて
養い育てられ、屋敷も従僕があるのも、先祖の徳、子孫への恵みも全てが藩主の
恩恵あってこそである。
親がいなければこの身も無く、藩主がいなければこの身を養う事さえ出来ない。
その恩に報いる様、人の行うべき正しい道を知らなければ、
人の顔を持っていても心は禽獣である。
師の教えに従って正しい道を学び、身を修めれば禽獣とはならずにすむ。
弓術、馬術、読み書き、算術、刀術、槍術など
知らねばならぬ事をそれぞれの師に学べば、
物事も上達し、自分自身の嗜みにもなる。
これも、大なる恩である。
良き友を選んで自分の過ちを聞けば共に良い方向に進み、これも恩恵を成す。
しかし、この恩恵に報いる事をせず、父母にも孝行せず、兄に対しても従順で無く、
藩主にも忠義無く、師にも敬う心無く、友にも信頼されない者は
たとえ学問や諸芸に通じていても何にもならない。
人を侮り、驕り高ぶり、あるいは遊惰に日々を費やす者は、
終いには天の咎めを受ける。
自ら招いた事とは言え、実に嘆かわしい事である。
幼い頃からの躾は知らず知らずのうちに身に付き、
いつか持って生まれたものと成り得る。
幼い頃からの毎日の行い、父母、師に良く仕え、
良き友と交わる指針となる事を願ってこの書を著した。
年少の者達の学習にこの書が少しでも役立てば幸甚である。
<感謝合掌 平成30年7月12日 頓首再拝>
忘恩は、悪質な魂の重病である - 伝統
2018/07/25 (Wed) 04:52:18
*『真理』第9巻生活篇(P396) より
先ず”魂の病気”を治しましょう
肉体の病気を治そうと考えるよりも、魂の病気を治そうと心掛けよ。
肉体の病気は肉体が死んでしまったら無くなるのであるから百年も続く病気はない。
魂の病気は肉体が死んでも無くならないから永遠につづくのである。
だから宗教で救われようと思う人は、
先ず魂の病気を消したいと云う念願に燃えなければならないのである。
而(しか)も宗教に来て肉体の病気を治して貰いながら、
肉体の病気が治ったら用が済んだと、恩を忘れて
”魂の病気”を背負つたまま去って行く人があるのはまことに気の毒である。
”恩を忘れる”と云うことは”魂の病気”のうちでもすこぶる悪質の重病であるのである。
肉体の病気の治ることを求めるよりも先ず”魂の病気”を治せ。
報恩と感謝行とは、忘恩と云う”魂の病気”を治す特効薬である。
<感謝合掌 平成30年7月25日 頓首再拝>
すべての恩は仏に帰せらる - 伝統
2018/08/23 (Thu) 04:00:19
*「光明道中記」(8月23日 仏縁尊き日)より
【久遠常住の今――お前が仏であり、お前が極楽である。(『生命の實相』第六巻)】
(歎異抄第六条)
即(つ)くべき縁あれば伴(ともな)ひ、離るべき縁あれば離るることのあるをも、
師をそむきて、他(ひと)につれて念仏すれば、
往生すべからざるものなりなんどといふこと、不可説なり。
如来より賚(たまは)りたる信心をわがものがほにとり返(かへ)さんと申すにや、
かへすがへすもあるべからざることなり。自然の理(ことわり)にあひかなはば、
仏恩をもしり、また師の恩をもしるべきなりと、云々。
真宗につくべき因縁があるならば、真宗の同朋として同信の道に伴うのであるが、真宗に
離れるべき因縁のあるものは自然に真宗を離れるようになるのである。
真宗に即(つ)くのも離れるのも因縁によって催して来るのである。
自分が真宗に即くのも自分の手柄ではないし、他(ひと)が真宗を離れて他の宗教で念仏しても
往生出来ないという訳ではない。自分の時としてそれを標準に他を攻撃するような人は、
自分の頂いている「信心」を如来から廻施(いただく<えせ>)せられている「信心」だと
云うことを忘れて了って、自分の力で獲得(ぎゃくとく)した信心だと思っている間違である。
師弟の恩も因縁不可思議で造られるのであって私(わたくし)のはからいではない。
すべての恩は仏に帰せらるべきものだと解ったら、
師の恩と云うことも却って知られるようになる
と聖人は仰せられた。
<感謝合掌 平成30年8月23日 頓首再拝>