伝統板・第二

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天皇陛下の祈り - 伝統

2016/01/13 (Wed) 04:55:49

国民を思う万世一系の祈り(1)

       *Web:JOG国際派日本人養成講座( H27.12.20)より

《「皇室は祈りでありたい」》

「皇室は祈りでありたい」とは皇后陛下のお言葉だが、
そのお言葉通り、両陛下が深々と頭を下げていらっしゃるお姿を、
我々は何度も目にしてきた。

つい最近の10月1日、両陛下は東日本豪雨の被災地を訪問され、
鬼怒川の堤防が決壊して、濁流にのまれ死亡した男性が発見された場所に向かって、
冷たい雨が降る中を傘を閉じて、深々と頭を下げられた。

両陛下が被災地で黙礼される姿は、東日本大震災でも阪神淡路大震災でも見られた。

平成27年4月に訪問された先の大戦の激戦地ペリリュー島では、
両陛下は西太平洋戦没者の碑と米軍慰霊碑に供花され、黙祷を捧げられた。

ついで海を隔てたアンガウル島に向かって、ほぼ90度に頭を下げられ、
戦死した約1200人の日本軍将兵の冥福を祈られた。

戦地・戦災地でのお祈りは、広島、長崎、沖縄、硫黄島、サイパンと続けられてきた。

しかし、天皇の祈りはこうした国民の目に触れるものだけではない。
皇居内で御自身がお出ましになる儀式だけでも、年間30回ほどもある。

国民の知らない所で、陛下は静かに国家と国民の安寧を祈られているのである。


《「新嘗祭の折などには、祭祀が深夜に及び」》

天皇の祈りには、神主のような装束で深夜や早朝に何時間もかけて行われる儀式もある。
たとえば11月23日の新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)。
天皇が五穀の新穀を天地の神々にお供えし、御自らもそれを食して、感謝するという儀式である。

夕方から始まる儀式が終わるのは午前一時頃になるが、
紀宮(黒田清子)様のご幼少の頃に御用掛を務めた和辻雅子さんは、
次のように記している。


   新嘗祭の折などには、祭祀が深夜に及び、
   皇后様は御装束をお召しになり古式ゆかしいお姿のまま、
   御拝を終えられた陛下と共にお祭り終了までお慎みの時を過ごされます。

   このような祭祀の夜は「およふかし」と御所で呼ばれておりましたが、
   宮様方も一定のご年令に達されてからは、
   それぞれにこのお時間を最後まで静かにお過ごしになるようになりました。


11月23日は勤労感謝の日で、我々は休日の一つくらいにしか考えていないが、
その日に陛下は深夜まで、国民を養う五穀を戴いた事に感謝の祈りを
捧げられているのである。

お正月の初日の出の前にも、天皇はお祀りをされている。
午前五時半からの「四方拝(しほうはい)」、
その後に「歳旦祭(さいたんさい)」が行われる。

平成17(2005)年の歳旦祭に、陛下はこう詠まれてた。


  【 明け初むる賢所(かしこどころ)の庭の面(も)は雪積む中にかがり火赤し 】


寒気の厳しい元旦に、庭に降り積もった雪にかがり火が赤く映えている、
という幻想的な光景であるが、そう詠われる今上陛下は暖房もない宮中三殿で、
神々に国家と国民の安寧と豊作を祈られるのである。

今年(平成27年)、82歳を迎えられるご老体で。

我々も正月には神社に初もうでをして神に祈るが、
天皇の祈りはそれとは比べものにならないほどの「激務」なのである。

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第二「日本は「天皇の祈り」に守られている (1936)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=439 

(2)光明掲示板・第三「天皇陛下の祈り (1084)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=226

(3)光明掲示板・伝統・第一「《天皇陛下の祈り》 (37)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=23

             <感謝合掌 平成28年1月13日 頓首再拝> 

《国民の幸福を願う祈り》 - 伝統

2016/01/14 (Thu) 04:58:09

天皇の祈りが我々と違う点がもう一つある。
皇學館大学の松浦光修教授は、こう記している。


   私たちふつうの者は、自分や自分の家族や職場や組織などのために、
   つまり、「自分のために祈る」ことが少なくありません。

   それらは結局のところ、自分や自分のまわりの人々の“現世での利益”を求める
   祈りですが、天皇陛下の「祈り」は、それとはまるでちがっています。

   天皇陛下の「祈り」は神武天皇の昔から、ともに生きてきた国民の幸福を、
   さらには世界の人類の幸福を、ひたすら願う「祈り」です。
   日に見えない神々の世界と、目に見える国民の世界を結ぶ、
   果てしなく広い「祈り」です。

           [松浦光修『日本は天皇の祈りに守られている』p55]


歴代の天皇も国民の幸福を祈られてきた。
今上陛下で125代となる皇室はずっと一系でつながっているが、
その皇統を通じて祈りの伝統が継承されてきた。

歴代の天皇が、どのような御心で祈りの伝統を護られてきたのか、を見てみよう。

             <感謝合掌 平成28年1月14日 頓首再拝> 

《神武天皇の祈り》 - 伝統

2016/01/15 (Fri) 04:59:28


天皇の祈りは、初代の神武天皇からすでに始まっている。

神武天皇は「天地四方、八紘(あめのした)にすむものすべてが、一つ屋根の下の
大家族のように仲よくくらそうではないか」と言われて即位されたのだが、
その4年の後、そのような国が出来た事を神々に感謝している。


   私の先祖の神々は、天からお降りになり、私を見守りつづけてくださり、
   ずっと私を助けてくださいました。今、さまざまな反乱は平定され、
   天下は、なにごともなく治まっています。そこで私は、天の神々をお祭りして、
   先祖の神々に大きな孝行をしたいと思います。


そして、祭壇を大和の国の鳥見山のなかに設置され、先祖の神々にお祭りをされた。
これが現在も続く「皇室祭祀」のはじまりと言われている。


「天からお降りになり」とは、天照大御神が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に
「宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ」と命じて、
高天原から地上に下らせたことを指している。神武天皇はその曾孫にあたる。

 
古代日本語での「しらす(知らす、治らす)」とは、「領(うしは)く(領有する)」とは
厳格に区別され、「天皇が鏡のような無私の御心に国民の思いを映し、その安寧を祈る」
という意味であった。

したがって天皇が先祖の神々に「孝行」をするということは、
「民が幸福に暮らせる国を」という先祖神から与えられた使命を果たすことなのである。

             <感謝合掌 平成28年1月15日 頓首再拝> 

《「政治の前に神の祭りを」》 - 伝統

2016/01/17 (Sun) 04:32:43


大化の改新が行われた大化元(645)年、右大臣となった蘇我石川麻呂(そがのいしかわまろ)は、
第36代・孝徳天皇に次のような進言をしたと『日本書紀』に記されている。


   蘇我石川麻呂の大臣が、「天皇は、まず天神(あまつかみ)・地祇(くにつかみ)を
   祭り鎮め、そのあと政治をすすめてください』と、進言しました。

                   [松浦光修『日本は天皇の祈りに守られている』p41]


「政治の前に神の祭りを」というのは、民の幸せを願う先祖神の御心を思い起こした上で、
それを現実の政治の中に具現していかなればならないからである。
古来、「政治」を「まつりごと(祀り事)」と読んだのも、この意味からであった。

「政治の前に神の祭りを」の伝統は、その後も継承されていった。
平安時代の中期に「寛平の治」と称えられる政治を行った第59代の宇多天皇(867-931)の
日記には、こう記されている。


   「わが国は神国です。ですから毎朝、四方の大・中・小の天神・地祇を拝むのです。
   このことは、今日からはじめて、以後、一日も怠りません。

                  [松浦光修『日本は天皇の祈りに守られている』,p42]


「神国」とは「神々が護る国」という意味だろう。
そして、その神々が民を護らんとする御心を現実の政治に伝えるのが、天皇の役割なのだ。

 
平安時代には皇居の清涼殿(天皇が起居される建物)の東南の隅に
「石灰(いしばい)の壇」が設置されていた。
これは板敷きと同じ高さまで床下の土を築きあげ、その上を石灰で塗り固めた場所である。

天皇は毎朝、起床されると体を清め、そこで祈りを捧げられた。

土を固めて壇を作ったのは、太古より続く「大地の上で祈る」形を継承したものであり、
東南に設けられたのは、天皇の先祖神である天照大神が祀られている伊勢神宮の方向に
あたるからだ。

この毎朝の祈りは「毎朝御代拝(まいちょうごだいはい)」として現代まで受け継がれている。
毎朝、天皇陛下の代理の侍従が宮中三殿にお参りし、
その間は天皇陛下も「おつつしみ」になっている。

             <感謝合掌 平成28年1月17日 頓首再拝> 

「天皇たるもの朝から夜まで、神を敬うことを怠けてはなりません」 - 伝統

2016/01/18 (Mon) 04:46:43

 
鎌倉時代に倒幕を図った承久の変(1221)に加わって佐渡に配流となった
第84代・順徳天皇(1197-1142)は、変の以前には王朝時代の有職故実の研究に熱心で
『禁秘抄(きんぴしょう』を著した。その中に、次の一節がある。


   すべての皇居で行うことのうち、神を祭る事が、まず先であり、
   他の事は、すべてその後に行うものです。
   天皇たるもの朝から夜まで、神を敬うことを怠けてはなりません。

             [松浦光修『日本は天皇の祈りに守られている』p43]


これも「政治の前に神の祭りを」と同じ精神である。

 
戦国時代の天文9(1540)年、世間で疫病が流行した。
第105代の後奈良天皇(1496-1557)は、長く続いた戦乱の余波で経済的にも困窮されていたが、
民のために秘かに般若心経(はんにゃしんきょう)を写経し、醍醐寺の三宝院に収められた。
その末尾にはこう記されている。


   今年は、天下に疫病がはやり、多くの民が死に瀕しています。
   私の民の父母としての、徳が足りないからである(原文「朕、民の父母として、
   徳、覆うこと能はず)と思われてならず、私は、とてもつらい思いです。

   ですから私は、ここに『般若心経』を金字で写し、義堯(ぎじょう)僧正の手によって、
   醍醐寺三宝院に納めます。心からこれが、この疫病の妙薬になるよう、祈ってやみません。

              [松浦光修『日本は天皇の祈りに守られている』p47]


「民の父母」とは、まさに親が子の幸せを祈るように、
国民の幸せを祈る天皇のあり方を指している。

自分の子が不幸になったら、親は自分を責めるだろう。
国民の不幸は自分の徳が足りないからだと、
つらい思いをされる天皇の姿勢もそれと同じである。

             <感謝合掌 平成28年1月18日 頓首再拝> 

《「かならず神事の予定を第一にされて」》 - 伝統

2016/01/19 (Tue) 04:16:30


歴代天皇の祈りは、近代に入ってからも変わらずに継承されている。

明治天皇が初めて静岡の御用邸に入られた時、

「伊勢神官は、どちらの方角か?」、

「賢所は、どちらの方角か?」

と、お尋ねになった。

伊勢神宮や宮中三殿の方角に、自分が背を向けて起居しないように、とのお考えからだった。
方角をお知りになった天皇は、「それでは、こうしなければならない」と
机と椅子の位置を変えられた。

昭和天皇の侍従を務めた甘露寺受長氏は、こう書き記している。


   今上陛下(昭和天皇)は、いろいろなご計画をお立てになる場合、
   かならず神事の予定を第一にされて、それをはずして他のご計画をあそばされる。

   たまたま、計画が神事の日にあたるようなことが生じてくると、
   神事に支障がないかどうかをお確かめになり、
   支障がないことがわかると、はじめてお許しになる。

   また、いつでも御座所やご自分の位置が、賢所をうしろにしないように、
   細かいところまで気をお配りになっている。

              [松浦光修『日本は天皇の祈りに守られている』,p45]

             <感謝合掌 平成28年1月19日 頓首再拝> 

《「かならず神事の予定を第一にされて」》 - 伝統

2016/01/20 (Wed) 05:09:21

歴代天皇の祈りは、近代に入ってからも変わらずに継承されている。

明治天皇が初めて静岡の御用邸に入られた時、

「伊勢神官は、どちらの方角か?」、

「賢所は、どちらの方角か?」

と、お尋ねになった。

伊勢神宮や宮中三殿の方角に、自分が背を向けて起居しないように、とのお考えからだった。
方角をお知りになった天皇は、「それでは、こうしなければならない」と
机と椅子の位置を変えられた。

昭和天皇の侍従を務めた甘露寺受長氏は、こう書き記している。


   今上陛下(昭和天皇)は、いろいろなご計画をお立てになる場合、
   かならず神事の予定を第一にされて、それをはずして他のご計画をあそばされる。

   たまたま、計画が神事の日にあたるようなことが生じてくると、
   神事に支障がないかどうかをお確かめになり、
   支障がないことがわかると、はじめてお許しになる。

   また、いつでも御座所やご自分の位置が、賢所をうしろにしないように、
   細かいところまで気をお配りになっている。

              [松浦光修『日本は天皇の祈りに守られている』,p45]

             <感謝合掌 平成28年1月19日 頓首再拝> 
《「かならず神事の予定を第一にされて」》 - 伝統
2016/01/19 (Tue) 04:16:30


「天皇陛下は、日々、私どもの幸せのために祈ってくださっている…」と知れば、、、

 
こうして見ると、天皇が国民の幸せを祈るのは皇室の伝統そのものである事が見てとれる。
松浦教授は、こう語る。


   「天皇陛下は、日々、私どもの幸せのために祈ってくださっている…」、
   この一つの事実だけでも、全国の学校で教えるようになれば、
   みちがえるほど日本の子供たちの心は立て直され、
   やがては混迷をつづける日本にも、希望の光りが差し染めるのではないか…と、
   私は思っています。

               [松浦光修『日本は天皇の祈りに守られている』,p55]


人は誰かが自分の幸せを祈ってくれていたら、
嬉しく思い、自分も他の人々のために役に立ちたいと願う。

一人の利他心が多くの人々の利他心を呼び覚ます。

天皇が国民の幸せを祈る大御心を知った人々は、
政治家なら国民のための政治を行い、実業家なら国に役立つ事業を興す。
それが波紋のように広がって、国民一人ひとりが他の人々のために尽くすようになる。

まさに国民が一つ屋根の下の大きな家族のように、互いに思いやり助け合う姿、
我が国はそのような理想を実現すべく建国された。

そして歴代天皇はその理想を継承して、代々、無私の祈りを捧げてきた。

我が国では、そのような皇室が国民の連帯の中心にあり、
国民統合の象徴となっているのである。

(以上で、JOG国際派日本人養成講座( H27.12.20)からの紹介を終わります)

   (http://archives.mag2.com/0000000699/20151220080000000.html

             <感謝合掌 平成28年1月20日 頓首再拝> 

神嘗祭 - 伝統

2016/10/17 (Mon) 04:57:00


今日10月17日は、神嘗祭が行われます。

神嘗祭とは、八百万(やおよろず)の神々に五穀豊穣、収穫を感謝する神事です。


神宮(伊勢神宮)と宮中では、最も清浄な召し上がりものを意味する
「由貴大御饌(ゆきのおほみけ)」と称する新穀を供えます。

神宮へは皇室から幣帛(へいはく 供え物)と、勅使が遣わされ、
宮中では陛下御自ら御栽培された稲を根つきのままお供えになられます。



【昭和天皇の御製(ぎょせい)】

わが庭の 初穂ささげて 来む年の 田の実いのりつ 五十鈴の宮に


「わが庭」は皇居のことで「五十鈴の宮」は伊勢神宮のことです。
初穂をささげて祈り、神宮を遥拝(ようはい)する様を詠んでおられます。


神宮への遥拝がすみますと、陛下は初穂を供された
賢所(かしこどころ/けんしょ)に出御され、御拝礼なされます。
ついで皇后陛下、皇太子殿下、皇太子妃殿下が御拝礼なされます。



伊勢神宮では、10月15日~25日の間、最も重要な神事とされて
いる神嘗祭(かんなめさい)がおこなわれています。

神宮では内宮の天照大御神(あまてらすおおみかみ)、
外宮の豊受御大神(とようけのおおみかみ)に新穀を奉納して
その年の五穀豊穣、豊作の感謝をささげます。

神嘗祭は、神宮の行事の中でも最も重要な行事で「神宮の正月」とも
言われ、神宮ではこれにあわせて色々な道具が新調されたりします。

神嘗祭と11月に行なわれる新嘗祭、このふたつの行事は農業を
中核産業とする日本にとって重要な儀式として行われてきております。

稲は神から授かったものであり、日本人は食事の度に手を合わせて
「いただきます」「ごちそうださま」と神に感謝します。

日本人の食に対する感謝の原点が「神嘗祭」「新嘗祭」にあります。

http://blogs.yahoo.co.jp/mozugoe/223332.html

             <感謝合掌 平成28年10月17日 頓首再拝> 

新嘗祭(にいなめさい) - 伝統

2016/11/23 (Wed) 04:09:26


今日11月23日は、新嘗祭が行われます。

新嘗祭は、その年に収穫された穀物(新穀)を神に勧め神を祀る行事です


新嘗祭の語源は「新饗(にいあえ)」と考えられます。
新穀を捧げて饗応するという意味です。
では誰が誰を饗応するのでしょうか。

それは戦前の新嘗祭の説明にあるとおり、「天皇が神々を饗応する」のです。

戦後はこの新嘗祭は皇室典範に記載された儀式から外れたそうですが、
法的にはこの儀式を行う必要はなくなっても、皇室においては
重要な宮中行事として継続されております。

儀式は、23日の夕方から始まり翌日の未明まで行われます。

新嘗祭の歴史は古く日本書紀では「天武天皇六年(AD 677)十一月乙卯の日」
に行った記録があります。日本書紀での記録と言うことでは仁徳天皇四十年にも
新嘗祭の記述があります。


この際、捧げられる米、粟は各都道府県毎に2軒の農家が選ばれてこれを献納するそうです。
この伝統は明治25年に全国の都道府県知事(この時点では北海道は入っていなかったが、
後に加わる)の連名での要請ではじまったものだそうで、
戦後も農協が中心となって継続しているそうです。

http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0746.htm

・・・

<関連Web>

(1)天皇陛下、恒例の稲刈り

   天皇陛下は(9月)21日、皇居内の生物学研究所脇の水田で、恒例の稲刈りをされた。

   開襟シャツにズボン、長靴姿の陛下は鎌を手に腰をかがめ、
   春に自ら田植えをしたもち米「マンゲツモチ」の稲50株を刈り取られた。

   収穫された米は11月23日の新嘗祭などの宮中祭祀(さいし)にも使われる。

   (http://www.sankei.com/life/news/160921/lif1609210048-n1.html

(2)皇室献上米~中学生が献上米収穫 宇土市で「抜穂祭」 [熊本県]

   (Web:西日本新聞<2016年10月09日>)

   新嘗祭(にいなめさい)(11月23日)に献上する米を収穫する
   稲刈り神事「抜穂祭(ぬきほさい)」が8日、宇土市上網田町の水田であった。

   6月の田植え神事「御田植祭」の2日後、豪雨で近くの網田川が決壊したが、
   水田は被害を免れ、参加者たちは豊かな稲穂の恵みに感謝した。

   水田横の広場に祭壇を設け、住民代表や行政、議会関係者ら約70人が参加。

   祝詞の後、地元の網田中の生徒16人が早乙女、田男姿で
   稲に鎌を3回ずつ入れて刈り取り、祭壇にそなえた。

   主催した宇城地域献穀事業推進協議会会長の元松茂樹宇土市長は
   「熊本地震と豪雨に見舞われながら、地元の熱意で稲穂がたわわに実った。
   被災地の熊本の米を献上できるのは素晴らしいこと」とあいさつ。

   稲を育てた農家の福島清幸さん(70)、一世さん(66)夫妻は
   「被害に遭った方たちの分まで頑張ろうと思って育てました」と話していた。

   (http://www.nishinippon.co.jp/nnp/kumamoto/article/280753


・・・

<参考Web>

(1)「光明掲示板・第一」内スレッド「新嘗祭 (3306)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=641

(2)「光明掲示板・第二」内「鎮魂祭と新嘗祭」
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=633

(3)「光明掲示板・第三」内「天皇陛下の祈り」~新嘗祭 (2014年11月23)
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=226

(4)伝統板・第二「鎮魂祭と新嘗祭」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6672834

             <感謝合掌 平成28年11月23日 頓首再拝> 

【元旦によせて】 - 伝統

2017/01/01 (Sun) 11:12:58


        *メルマガ「人の心に灯をともす(2017年01月01日)」より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   「祈り」は「意(い)」に「宣(のり)」と書きます。
   「意」とは「神の意」のことです。
   「宣」は「祝詞(のりと)」の「のり」です。

   神の意をことほぐこと。

   神の意に添います、
   あなたの仰せに従いますということを「祈り」といいます。


   「願い」というのは、「ねぎらい」が語源なので、
   自分がいろいろしてもらったことに対してお礼を言うことが本来の「願い」です。

   「祈り」も「願い」も、
   本来、神仏に対して言うべき言葉は全部お礼の言葉でした。

   ほとんどの人は神社仏閣に行くと、
   神様に向かって「〇〇してください」とお祈り(お願い)をしていますが、
   ただ「ありがとう」とお礼を言うお参りもあります。

   神社と神宮の違いは、「神社」は人を神として祀った所で
   「神宮」は天皇家の血筋の人間を神として祀った所です。

   ですから、明治天皇を祀っている所を明治神宮といい、
   乃木大将を祀ったところは乃木神社というわけです。


   伊勢神宮は、もとは「伊勢の神宮」と呼んだのですが、
   日本中で神宮といえばここだけでした。

   その後あちこちに神宮ができたため、
   伊勢の国にある神宮を「伊勢の神宮」と呼んだのが、
   いつの間にか伊勢神宮になりました。

   本来の正式名称は「神宮」です。

          <『ありがとうのすごい秘密』中径出版>

             ・・・

元日は、神社では「歳旦祭(さいたんさい)」というお祭りの日。

午前5時半から天皇陛下は四方拝を行われる。

四方拝とは、この新たな1年、日本に起こるすべての災いが、
すべて私の体を通して過ぎ去ってくださいと祈るもの。

つまり、陛下がすべての困難や災いをお引き受けになるということ。


陛下の祈りは究極の祈り。

陛下の域には到底及ぶべくもないが…

日本に生まれたことに心から感謝し、
陛下と皇室の弥栄(いやさか)をご祈念申し上げたい。

             <感謝合掌 平成29年1月1日 頓首再拝> 

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