伝統板・第二
繁栄の書 - 伝統
2016/03/02 (Wed) 03:57:56
このスレッドでは、橋本徹馬師の「繁栄の書」から
その要点を紹介してまいります。
《序文》
晴天の日に太陽が万物を照らして、輝き渡っているのを見ると。
この大自然は「すべての人も物も繁栄せよ」と呼びかけているのを
感じるのではあるまいか。
実際草木の類はこの呼びかけに応じて、太陽の輝く方向に枝を伸ばし葉を拡げなどして、
それぞれの繁栄を楽しんでいるのに、なぜ人間だけは繁栄し得ないで、
苦しんでいる者が多いのであろうか。
これを明確に言うならば、この自然の法則こそ、そのまま繁栄の法則なのである。
従ってこの自然の法則と調和するものは繁栄し、これと調和しないものは
繁栄ししないのである。
それはどんなに太陽が輝いていても、地価にもぐっている者は、
太陽の恩恵に浴し得ないのと同様である。
しかもその自然の法則と調和し、繁栄を得るための条件は、
何もむつかしいことではなく、誰でも愉快に行ない得る次の5条件に過ぎないのである。
(1)正直であること。
自然の法則は誠の道であるから、少しでもウソがあると、
自然の法則と調和しないのである。
(2)親先祖へ孝行であることである。
(3)愛情が深いこと、そして善い行ないをすることである。
(4)すべての人の善なる本性を信じきること、
そしてすべてに感謝することである。
(5)この宇宙を通じて厳存する、眼に見えぬ理法の存在を信じることである。
宇宙の理法こそ、万物を繁栄せしめる全智全能者であるから、
この理と完全に一致した心境である時は、そこに常識・科学・医学を
超えた事実が現われる。人呼んでそれを奇蹟という。
奇蹟は或る事態に関する、完全なる宇宙理法の顕現ということであり、
全智全能の神の道の実現ということである。
昭和58年1月 著者 橋本徹馬
<感謝合掌 平成28年3月2日 頓首再拝>
宇宙には繁栄の道がある - 伝統
2016/03/03 (Thu) 03:12:09
第1章 宇宙には繁栄の道がある
―― それを見出す者は必ず繁栄する
*「繁栄の書」(P1~10)より抜粋
《形(象)なきものが、形あるものの主宰者》
(1)この宇宙には眼に見えぬ、素晴らしい理法があります。
眼に見える現象界の万物も、形なき精神界のものも、
皆この眼に見えぬ理法によって創造(つく)られているのです。
(2)眼に見えぬ理法が繁栄道である。
この宇宙に遍満する、眼に見えぬ理法は全智全能です。
すべての人間は皆宇宙大生命の神によって、創造(つく)られており、
すべての人間は大生命の神同様の智慧能力を、本来持っているのです。
万物をお創造(つく)りになった神は、そのすべての被造物が各々その処を得、
その特色を発揮して、共に栄えることを望んでいられる、
そこに繁栄道の本源があります。
(3)太陽は繁栄の象徴である。
(4)病み且つ貧し、悩むは迷いである。
迷いが生ずるのは、神の摂理、神の法則を離れて、
現象界のことに囚われるからであります。
(5)多くの奇蹟はなぜ起こるか。
その人の心境が神(或いは仏)と一体の心境になれば、
神の前にすべての悪はないから、悪事災難を免れ得るのに
不思議はないのであります。
本当に人間の心境が進めば、中国の文人蘇東坡が
「渓声(けいせい)はすなわちこれ広長舌(こうちょうぜつ)」と見た程度以上に、
現象界の諸人も草木も、すべて阿耨菩提(あのくぼだい)のみ
心の現われと見得るのではないでしょうか。
そこに到ると、その人自ら神と共に、繁栄道の保持者ということになります。
・・・
宇宙の理法=神の道は、繁栄道そのものなればこそ、古来幾多の暴君や、罪多き人々が
世を汚しても、この世は破滅もせずに、保たれているのである。
水は幾度掻き濁しても、捨ておけばまた澄み返えるのである。
澄むのが水の本性だからである。
<感謝合掌 平成28年3月3日 頓首再拝>
青年諸君よ大志を持て - 伝統
2016/03/04 (Fri) 03:08:55
第2章 青年諸君よ大志を持て
―― 君の志は必ず達成するのである
*「繁栄の書」(P11~22)より抜粋
(1)われ志す、この志は必ず達成す
無限の可能性を有する青年諸君よ大志を持て、
且つその大志は必ず達成されると信じて、努力せよ。
(2)青年諸君に贈る7か条
①初めに目標を定めること。
②人生の目的を知ること。
~神のみ心に従って、この世を楽園たらしめるために尽すこと。
③採るべき道に迷う時。
~切羽つまった場合には、「明****ぬとすれば、どちらの道を採っていた方が
心残りがないか」を一つの判断の目安にする。それによって、道を誤らぬことになる。
④実行せねば空論になる。
どんな立派な事をいっても、実行せねば、世にいう論語読みの論語知らずである。
⑤古人の事績を見て及ばぬと思うな。
「聖賢に成らんと欲する志無く、古人の事跡を見、迚(とて)も企て及ばぬと
云う様なる心ならば、戰に臨みて逃ぐるより猶ほ卑怯なり。」
(西郷南洲遺訓三十六)
⑥時勢の誤りを正す覚悟。
⑦取る人でなく与える人になれ。
与えるばかりいては、自分が立ち行かなくなると思うのは、
神を知らない者の近視知見である。
与えることに本気な人は、本当に悟った人である。
・・・
自分の本性が無限に偉大であることを知らぬのが、無智の最大なるものである。
<感謝合掌 平成28年3月4日 頓首再拝>
学校教育で学べぬこと - 伝統
2016/03/05 (Sat) 03:58:05
第3章 学校教育で学べぬこと
―― この4項目は自得すべきである
*「繁栄の書」(P23~27)より抜粋
(1)大局を見る明
戦争に限らず物事を部分的、専門的に見ることも必要だが、
広く大局を見る眼がないと、本当の大事には当たれない。
(2)独創的着眼のこと
ヘンリーフォード一世の事績
①自動車の発明
②雇用賃金を倍増
(3)人を使う才能のこと
労働者を喜ばす施策を
(4)困難に屈せぬ忍耐力
①困難に出逢ってすぐへこたれるようでは、大事を成しえない。
②エジソンのように、失敗と見えるものでも、その経験を
将来に生かしていくならば、失敗というものは一つもないと
言える。
(参照「生活標語(解説)」22日
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6711242 )
・・・
《本気に修行すれば必ず効果があり。》
《まごころを以て祈れば必ず反応がある。》
《人生は頼もしいかな。》
若しこの反対に、本気に修行をしても効果がなく、まごころを以て祈っても、
何の反応もない世の中であれば、誠につまらぬ人生であろうが、
そうでないから励む甲斐がある。
嬉しくもまた頼もしい人生ではないか。
<感謝合掌 平成28年3月5日 頓首再拝>
正直な納税が幸運を招いた話 - 伝統
2016/03/06 (Sun) 04:47:41
第4章 正直な納税が幸運を招いた話
―― 税金が殖える毎に神仏に感謝した人物
*「繁栄の書」(P29~43)より抜粋
(1)納税を厭(いと)う者は栄えない
(2)税金が殖える毎に感謝した人物
~ 田中清一さん(故人、沼寿市の富士製作所社長)
① 肩書元・参院議員(自民党),富士製作所社長
生年月日 明治25年9月3日
出生地 福井県大野郡和泉村
学歴大阪工業専修学校〔大正5年〕卒
経歴大正7年大阪製材機工作所を設立し、昭和6年富士製作所と改称。
31年沼津商工会議所会頭。34年参院議員に当選し、1期務めた。
受賞藍綬褒章〔昭和29年〕 勲二等瑞宝章〔昭和41年〕
没年月日 昭和48年11月27日
http://tamutamu2011.kuronowish.com/tanakaseiiti.htm
②田中清一氏は、
伊勢神宮の神前で祈り、「カヌチになれよ」とのご神託を受けた。、
(カヌチ=カネウチのこと、即ち鍛冶屋)
汽車での帰途、駅弁を買おうと立ち上がった、その時、製材機械が
田中さんの面前で、幻となってぐるぐる廻った。
その瞬間田中さんは、ご神託は「製材機械」を作れということだ」と直感した。
これが沼津に富士製作所を起こした所以である。
③田中さんは、事業が栄え税金が殖える毎に、その納税書を神棚に供え、お灯明を上げて
「神様、清一も今度これだけ税金を納めるようになりました。有難うございます」
とお礼を言ったという。
④田中さんが伊勢神宮のご神託を得て、その後繁栄の基(もとい)を開いたが、
さらに、伊勢神宮より、1千万体の大麻即ち御神符を作る工場の相談を受け、
それを設計し、富士製作所で作った機械を据えつけて、
立派に神宮先年のご神託の神助に対する報恩の一端を果たした。
・・・
ごまかして得をしたと思う者は、その度ごとに損をしているのである。
見抜き見通しの神を盲目(めくら)だと思う者こそ、本当の盲目(めくら)である。
<感謝合掌 平成28年3月6日 頓首再拝>
恨みに報いるに徳を以てし - 伝統
2016/03/07 (Mon) 03:46:06
第5章 恨みに報いるに徳を以てし
―― 大いに栄えつつある会社
*「繁栄の書」(P45~53)より抜粋
(1)名古屋の森光男さんの例
①家族(妻)に起きた奇蹟
僅か1週間でガンが治った。
瀕死の難産から救われた。
②会社経営
取引先の会社が倒産し、3億円の負債。
一時は、倒産した会社を恨む。
倒産会社の社長・ご家族・御先祖に対して、その幸せを祈ることにした。
祈っている期間に、一部の社員が辞めていき、立派な社員だけが残り、
一致団結し、苦難に立ち向かうことができた。
毎朝幹部社員と一緒に太陽を拝み、倒産会社の社長の再起を祈り、
皆で、自社の繁栄を祈った結果、社運隆盛に向い負債を返済。
(2)恨みに報いるに徳を以てする
①聖人孔子の場合
或る時、孔子の弟子の一人が「徳を以て恨みに報いるは如何」と聞いた時、
孔子は「何を以て徳に報いん、直きを以て恨みに報い、徳を報いるに徳を以てせよ」
と教えており、「恨みに報いるに徳を以てする」には気づいておりません。
②キリストの場合
「汝等の仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ。これ天にいます汝等の父の子と
ならんためなり。天の父はその日を悪しき者の上にも、善き者の上にも昇らせ、
雨を正しき者にも、正しからぬ者にも降らせ給うなり。・・・
汝等の天の父の全きが如く、汝等も全かれ」
と言っています。
つまり恨みに報いるに徳を以てする者は、神と一体の人になるということです。
③森さんはそこに気づき、その通りに行なったのであるから、
そこに全智全能の神のお働きが現われて、奇蹟が起こるのは当然なのであります。
・・・
恨みに報いるに徳を以てする者は、神智を得る人である。
泥棒に追い銭ということも、愚か者のたとえに引かれているが、そうではない。
それほどの愛情があってこそ、泥棒のかたくなに閉じている善なる本性を、
引き出すことが出来るのである。
<感謝合掌 平成28年3月7日 頓首再拝>
相手の善性を拝む - 伝統
2016/03/08 (Tue) 03:16:07
第6章 相手の善性を拝んで
―― 成功した実例のいろいろ
*「繁栄の書」(P55~69)より抜粋
(1)ヤクザの善性を拝む
関西のアパート経営のTさんの夫人からの相談
アパートに、ヤクザが入居して困っている。(Tさんの夫人)
→ 「ヤクザと思えば、ヤクザの本領を発揮してあなたを苦しめるでしょう。
その人をヤクザと思わずに、立派な紳士として扱えば、
その人はヤクザの本領を発揮することが出来ずに改心するか、
おとなしく出て行くでしょう」 と指導。
さらに、「あなたは毎日写経(般若心経)をし、あの人は立派な紳士だと思う
信念を強くし、その気持ちで接していればよいのです」といいました。
→ 間もなくその人は、何も悪いことをしないで、おとなしく
出て行ったそうです。
・・・
どんなヤクザでも、その本性は必ず善い人なのであるから、
悪い方を見ないで、良い方を見るようにすれば、
悪い方は出口を見失って、良い方だけが出るようになるのであります。
(2)厄介な共産主義者の始末
某会社経営者からの相談
140人ほどの従業員の中に30人の共産主義者がおり、
口やかましく、徒党を組んで、工場運営に支障をきたしている。
→ 「その人たちを困った存在と「思わず、皆立派な善人だと思って接しなさい。
毎日般若心経を一巻写経して、その人たちのすべてを、善人と信じて、
つきあうようにしなさい」と指導。
→ その通りにしていましたら、一人さり二人去りして、いつの間にか30人全部が
何の問題も起こさず、去って行き、工場経営がうまくいくにになった、とのこと。
(3)韓国人のパクリ屋を善人と信じきる (略)
(4)貸し金100万円が返って来た話
或る夫人からの相談
伯父さんに貸した100万円を催促しても返してくれない。
→ 「催促する代わりに、その人の善性を拝み出しなさい。それには、こらから毎日
写経をして、伯父さんは立派な人だ、あのお金はきっと返して来る、
と、毎日念じなさい」と指導。
→ 結果、貸し金100万円が返って来たと、その夫人は感謝をしに来た。
(5)女子従業員の結膜炎が治った (略)
(6)夫に信仰心のない場合 (略)
(7)面接試験の際の心得 (略)
(8)意地悪で知られた検査官に対し (略)
(9)近所の人がつらく当たる場合 (略)
(10)追いはぎにも善性あり
有名な禅僧の愚堂和尚が、或る夜檀家の追善に行っての帰途、淋しい所にさしかかると、
数人の追いはぎがいて、
「こら坊主、裸になって行け、ぐずぐず言うと叩き殺すぞ」と言った。
愚堂和尚は一言の不平も言わずに
「ハイハイ」と言って裸になった。
追いはぎの一人が感心して
「脱ぎっぷりのよいのに免じて、襦袢1枚だけ許してやるから着て行け」と言った。
愚堂和尚は
「こりゃ有難う」と言って襦袢を着て行きかけたが、
急にあたふたと引き返して来た。
追いはぎ達は、すわ仕返しに来たと思って立ち上がると、愚堂和尚は言った。
「泥棒さん、泥棒さん、わしゃすまんことをしてしまいましわ。
先刻この襦袢だけはゆるしてやるから着て行けと言われたので着て帰りかけたが、
ふと気付くとこの襦袢のカクシには、今日檀家から貰ったお布施が入っている。
あんた方がそれを知ったら、取り上げずにおかなかったであろうと思ったので、
これを返しに来ましたわい」 と言って差し出した。
「これだけでも助かってよかった」 と思わずに、それまで返しに来た。
世にいう泥棒に追い銭である。
それを聞くと、追いはぎ達が顔を見合わせた。
「世の中には、このようなきれいな心の持ち主もいるのに、
こういう人をはぐことによって、生活している自分たちは、
何という浅ましい人間か」
と自責の念を起こし、一同愚堂和尚に謝り、
善人になることを誓ったと、いうことである。
こちらの態度如何では、追いはぎの善性を、引き出すことも出来るのである。
(11)聖フランシスと4人の泥棒の話
フランシスは富者の家に生まれたが、富者の生活を嫌って家を出て、
乞食をしながら道を説き、聖(セント)フランシスといって尊ばれた人である。
或る日の夕方、フランシスが外出先から帰って来ると、留守をしていた弟子の一人が、
夕食の準備をしていたが、フランシスに言った。
「いま4人の泥棒が来まして、夕食を食べさせよということでしたが、
これは師匠のために用意している夕食だから、食べさせるわけにはいかないと
言ったら、そのまま向こうへ行きました」
フランシスはそれを聞くと
「それはいかん、なぜ断ったか。早く呼び返せ」
というので呼び返し、夕食を食べさせたところが、4人の泥棒は大いに感謝し、
4人とも泥棒をやめ、フランシスの弟子になったということである。
一般に泥棒などしている者は、人に好かれぬ者である。
それがすでに去っているのを呼び返してまで夕食を食べさせてくれた。
これも泥棒に追い銭の類である。
ところがそれによって、泥棒の善性が引き出されて、フランシスの弟子になり、
そのうちの一人は、最も優れた弟子になったということである。
<感謝合掌 平成28年3月8日 頓首再拝>
たたりのある土地を清浄化して - 伝統
2016/03/09 (Wed) 03:57:07
第7章 たたりのある土地を清浄化して
―― 文化公園地に採用された美談
*「繁栄の書」(P71~77)より抜粋
《静岡市の森栄一さんのこと》
①たたりのある闇田(やみた)を知らずに買う
この土地を取得した人は、急死したり、交通事故死をしたりする人が多かった。
②早く転売しようと考えるがなかなかまとまらない。
③「森さんの手でたたりのない土地に」と指導。
*たたりをなす土地には成仏し得ないでいる者がいる。
そのような霊魂は、たたりをなすのが目的ではなく、早く成仏したいのであるが、
供養をしてくれる者がないと、死ぬ時の妄執が縛りとなって、成仏し得ないのである。
④森さんの鄭重な供養、供養塔建立。
⑤掛川市の文化公園建設の用地に選ばれた。
これは、森さんを始めとした多くの人たちの供養が行き届いた結果と思われる。
⑥森さんは、土地売却代金の利益を公共のために活用。
・・・
現在ある禍(わざわい)を他に転嫁して、自分は利得をしたと思う者は、
本当は利得したのではない。
大損をしたのであるが、そこに気づく者は少ない。
他人の禍をも自分が引き受けて、その禍を浄化するのが、
聖者の道であり、その人は大利を得るのである。
<感謝合掌 平成28年3月9日 頓首再拝>
借金苦を乗り越えた話 - 伝統
2016/03/10 (Thu) 03:13:25
第8章 借金苦を乗り越えた話
―― 借金は神様に払って貰う
*「繁栄の書」(P79~90)より抜粋
(1)何人(なんぴと)も考えねばならぬことは、自然の法則である。
神さんは真面目に働いている者を、生かすように生かすようにと、
絶えずはたらいているのである。
自然の法則が即ち繁栄の法則というのは、ことことである。
だからいくら考えても解決のつかぬ問題を、
環境の変化によって解決して下さるのである。
(2)自分で借金を返せん場合は、神さんに借金を肩代わりしてもらえ。
(3)無理非道の数々を重ねて、窮乏のどん底落ちた時、神にも仏にも見棄てられたのだと
思う人があるが、そういう場合にも、心から反省ざんげして、神の力にすがれば、
神は必ず救い給うのである。
金光教祖のお言葉にも
神の縁が切れたというが、神は切らぬ。氏子から切るな。
とある。
何と有難いことではないか。
人間は相手が悪人と思えば、避けて相手にせぬが、
神はそのような悪人をも、懸命に救おうとされるのである。
(借金苦を乗り越えた事例<4例>については、省略いたしました)
・・・
苦しい時の神頼みという言葉があるが、借金に限らず、行き詰まりを感じた時は、
何よりも無限の繁栄道の保持者である、神に頼むことである。
そこに気づいた者は、すでに苦難を越えた人である。
神に苦難の行き詰まりなどはないからである。
<感謝合掌 平成28年3月10日 頓首再拝>
笑い飛ばして人を救った話 - 伝統
2016/03/11 (Fri) 03:52:00
第9章 笑い飛ばして人を救った話
―― 行き詰まって自殺しそうな人
*「繁栄の書」(P91~96)より抜粋
(1)行き詰まりは、心の行き詰まり。
(2)それを笑い飛ばせば、行き詰まりはほどけ始める。
(3)今の世にも「私くらい不幸な者はない」と、嘆いている者は沢山いようが、
そのくらいの不幸は、昔から無数の人が経験して、それを乗り切っているのである。
自分の心を行き詰まらせぬように、広い視野で考えることが肝要である。
《私のような不幸な者はないと思うな》
*「生活標語一日一言」第八日の項を参照。
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6711242
<感謝合掌 平成28年3月11日 頓首再拝>
会社建て直しの「黄金律」 - 伝統
2016/03/12 (Sat) 04:08:16
第10章 行き詰まった会社を
―― 1か月で立て直した話
*「繁栄の書」(P97~103)より抜粋
キリスト教の新約聖書の中の一部に
「汝等人にせられんと思うことは、人にもその如くせよ」
というのがある。
これは聖書の中の黄金律といわれるそうであるが、
或る米国の実業家は、この黄金律によって、倒れかかっていた会社を立て直したという。
その人はその会社の従業員の受けている給料が余りに少ないのに気づき、
事業開始以前に先ず給料の改正を行なった。
老婦人をわが母と考え、若き男女はわが兄妹と考え、青年はわが子と考えて、
それぞれの人に「わが母なら、わが兄妹なら、わが子なら、このくらいはやりたい」
と思う程度に給料を引き上げた。
それによって会社の空気は一変し、その後は全従業員があまりに勤勉になったので、
その人々を休養させなければと考えるようになり、そうして全従業員が喜びのうちに、
事業が立ち直ったという。
日本の石丸好衛さん(山口県徳山市の事業家)等は、
最も優れた黄金律の実行者であったのである。
<感謝合掌 平成28年3月12日 頓首再拝>
墓参は、繁栄につながる - 伝統
2016/03/13 (Sun) 04:44:50
第11章 他家の墓参で成功した話
―― 相手の家の親先祖に頼む効果
*「繁栄の書」(P105~113)より抜粋
(1)電力会社の用地買収の秘訣
用地買収交渉に当たり、事前に土地所有者の墓地を調べ、そこへ墓参して、
委しく事情を先祖の方々に申し上げ、
「そういう事情でお宅の土地を買いたいのですから、話が順調に運ぶように、
よろしくお願いします」と頼んでおき、その家へ話しに行くと、
非常に親しく話が出来て、順調にいく。
それが用地買収の秘訣だということであった。
(2)宇佐の郵便局長による、電話柱の移設の交渉
これも、(1)と同じように墓参し、再交渉で落着。
(3)横浪スカイラインの成功
一部区間の土地買収交渉で14回でも地主は売らないという。
そこで、県の職員とその土地の有力者とで、地主の先祖の墓地に行って、
今まで14回も交渉に行ったが、だめであった詳しい経過を説明し、
般若心経と三部経とを上げて、是非ご協力をお願いしますと祈念して帰り、
その翌朝に交渉に行った処が、今までの態度とは全然違って話に乗ってくれて、
都合よくいったとのことでありました。
(4)土地買収に成功した森さんの話
県庁からの依頼で、各地主さんと交渉したが、話にならなかった。
そこで、各地主の墓地を調べ、三度お参りして般若心経を読み、事情を告げて
ご協力を願っておき、それから各地主の家を回ると、不思議に皆さん相談に
応じてくれて、県庁からの依頼にそって、買収することに成功したとのこと。
(5)結婚話が纏まり難い時も
一方の両親は賛成するが、他方の父親が反対しているとの相談に対しての指導。
相手の家の墓がどこにあるかを調べ、その墓に日参して、その家の御先祖に
よくお願いしなさい。
「私を嫁にして下さるならば、必ず主人やご先祖を大切にし、墓参もよくして、
子孫が繁栄するように努力します。だからそうか私が嫁になれるように
お力添え下さい」
と祈念すれば、キッと親御さんも、承知されるようになります、と。
そうすることで、父親の態度が変わって、
結婚が出来たという実例がいくつもあります。
(6)父親の墓石が犠牲になった話
愛知県のB氏は、夫婦力を合わせて家を新築したが、そこに台風が襲来し、
新築した家が激しく揺れ倒れそうになった。
B氏は、一生懸命に亡くなったお父さんを拝み、
「お父さん助けて下さい。この家が倒れたら大変だ、助けて下さい」と祈っていると、
やがて台風が収まり、家は倒れずに済んだ。
やれやれと喜び、お父さんにお礼をと思って、お墓参りに行って見ると、
お父さんの墓石が倒れていたという。
恰も新築の家の身代わりになったというが如くに。
この例のように、肉体は亡くなっても、墓の主は生きている。
そうして眼に見えぬ、色々の働きをしてくれることが分かるであろう。
(7)死んだ母が使いに来た
①T氏は、死んだ母のために墓石を石屋さんへ注文した。
②その石屋さんに、老婦人が来て、もう少し後にしたいと言ってきたので、
石屋さんは保留にしていた。
③最初に墓石を注文した息子さん(T氏)が、進捗状況を確認に
石屋さんのところへ来たので、②の事情で保留していると答えた。
息子さん(T氏)は、墓石の注文を取り消したことはないと言いながら、②の老婦人の
様子を聞くと、まさしくその老婦人は死んだ母親であったことがわかった。
(息子さん(T氏)は、墓を建てるに当たって、息子さん(T氏)夫婦でいい争いがあり、
それを死んだ母親が知って、夫婦で争うようなら、もっと先にと思って、
石屋さんへ断りにきたようです)
④Tさんは改めて墓石を注文し、期日を約して帰られた。
そこで石屋さんは約束の期日に墓石を仕上げて、墓地に墓石を運んで行ったので
あるが、その墓地に母親を埋葬した土饅頭があるのを見て、
今度は石屋さんが青くなった。
その土饅頭のうえに突きさしてある杖が、いつぞや墓石を見合わせてくれと
いって来た老婦人のついていた、ハッキリと見覚えのある杖であったからである。
これによって見ると、死んだ人も霊界で生きていることが分かるであろう。
《墓参は、繁栄につながる》
(1)墓石は生きている。墓石は家運を現わす。
(2)長く墓参せぬ家の墓場は、甚だしく淋しげである。
家運の衰えていることを示している。
(3)墓石が傾いているのは、家運が傾いている証拠である。
すぐに直すべきである。
(4)私方の子は勉強する気はあるのですが、成績が悪くて困っています、と歎く人は、
親が墓参を怠り、子をも墓参に伴わぬ家庭である。
(5)親の生前に不孝であった者が、子を持って後に親の恩が分かり墓参をして歎く。
「さればとて石に布団も着せられず」
(6)【 清めして香華を手向けおろがめば はえあるさまに見ゆる墓かな 】
(7)家運の不振や子供の成績不良を歎く人に、
「墓参をよくしていますか」と聞くと
「お盆とお彼岸にはお参りしていますが」と答える人が多い。
両親の命日にも墓参せぬ人は、信心家ではない。
(8)何分お墓が遠いものですからという人がよくある。
それは言いわけにはならない。
遠くて困れば近くに墓地を持つべきである。
(9)遠方の墓地にお参りして、損をすることは絶対にない。
<感謝合掌 平成28年3月13日 頓首再拝>
神の恩寵、父母の恩寵を知る - 伝統
2016/03/14 (Mon) 03:41:23
第12章 神と親とに守られて
―― 広島市 東宝グラスビーズ㈱社長 山仲一二氏 の体験話
*「繁栄の書」(P115~123)より抜粋
(1)昭和19年8月 豊橋陸軍予備士官学校卒業。
小野田少尉とは同期。
暮まで、千葉歩兵学校にて厳しい教育。
(2)昭和20年正月 門司港を出港し、南支汕頭市に上陸。
すでに制空権は米国にあったが、幸いにも、厳しい低気圧の助け(?)で
無事上陸。
(3)昭和20年6月11日、汕頭市を眼下に見下ろす山の中腹を、褌1枚で陣地偵察中、
岩とともに転落し骨折をしたが、幸いにも生命は助かった。
(気がついて眼を開けると、急斜面の山肌に、亀のように四這(よつんばい)になった
左腕の上に、数トンも大きな岩が、どっかと止まっているのである)
(4)昭和21年春、蒋介石の恩義により、日本へ帰国。
(5)昭和26年、グラスビーズ製造販売に着手。
多くの助けにより、ビーズ業界世界一のメーカーへ成長。
(6)神の助け
(7)親の守り
戦争前の厳しい情勢の中、備後紬の機屋と言う家業と、大勢の子供の子育てに、
こま鼠のように働き続け、精根を傾けて尽してくれた、尊い母の手を思い出します。
(8)母は、自分(山仲一二氏)の生死を知らないまま、昭和20年9月他界。
・・・
神の恩寵が如何に高く、父母の恩寵が如何に深いかは、
危地を踏み、難苦に遭って後に知られる。
<感謝合掌 平成28年3月14日 頓首再拝>
信心に徹して聖者となり 多くの人を救った人物~その1 - 伝統
2016/03/15 (Tue) 03:08:56
第13章 信心に徹して聖者となり
―― 多くの人を救った人物 ~ その1
*「繁栄の書」(P125~131)より要約
《湯川安太郎~金光教玉水教会創立者》
(1)奉公から海産物の行商まで
①湯川さんは和歌山県の生まれ。
②21才の時、大阪の某所へ奉公
②3年間一生懸命勤めたが、奉公先の主人お人柄(相場好き)で
奉公先の店が潰れてしまった。
(2)海産物の商売を始める
①最初の内は、手堅く現金売りで栄えていった。
②一層大きくしようとし、貸し売りも始める。
当初は、発展して行ったが、月を重ねるに従って
現金不足に陥り、暗礁に乗り上げる。
③つなぎとして、頼母子講でお金を集め、急場を凌いでいたが、
毎月の掛け金に追われ、にっちもさっちもいかなくなってしまった。
(3)神さんに払って貰うようにする
①普通の人は、相場等へ手を出し、どん底へと落ちて行くのであるが、
湯川さんは、信仰の人であったから、神さんにお願いをしたのであります。
②しかし、最初の内は、神様に合掌しても、形骸の拝礼であった。
しかも、その神頼みは本当の神頼みではなく、いつも心配の伴う神頼みであった。
③自分の心得違いを、神様にお詫びし、神に全托をするようになった。
(4)神様のお蔭で難破せずにすんだ
①神様のお蔭で、頼母子講の掛け金を無事済ますことができた。
②ただ、依然として、経営上の困難が続いたので、さらに反省し、
自分の腕に自惚れていたことに、気づき、
以後、自分の商売ではなく、神様の商売であると捉え直した後、
それからは無限のおかげをうけることになったとのこと。
・・・
《観音妙智力、能救世間苦のこと》
①各種の難に遭った時「南無観世音菩薩」と念ずれば、諸難を免れると
「観音経」に書いてあります。
②衆生被困厄(しゅじょうひこんやく)、無量苦逼身( むりょうくひつしん)
觀音妙智力(かんのんみょうちりき)、 能救世間苦(のうくせけんく)
③観音妙智力とは、み仏と一体の心境になるということです。
み仏と一体の心境にになれば、なぜ諸難を免れ得るかといえば、
み仏の道には諸難というものはないからであります。
④神仏が人間をお造りになる時には、大調和繁栄の相(すがた)に人間をお造りに
なるのであって、そこには諸悪というものがない。諸苦というものもありません。
⑤未生以前本来の面目とは、完全円満=諸悪諸苦のない状態=全智全能の神(仏)が
人間をお造りになったままの状態をいいます。
⑥それゆえ困難に遭った時に湯川さんのいわれるように、神さんに一切をお任せすれば、
やがて困難のない状態が、現われて来るのは当然なのであります。
⑦(通常)人間は諸悪諸苦に遭えば遭うほど、自分の智恵才覚をめぐらし、
それで難局を切り抜けようとします。そうして益々深みに落ちるのです。
そうではなく「南無観世音菩薩」と唱えて、自分の心境を諸難のない
神仏の心境と一致させて行動すれば、不思議と切り抜けられるのです。
「南無観世音菩薩」と唱えることで、心が落ち着き、自身が満ちるから、
することが皆適当なこととなって、大難を免れるようになるのです。
<感謝合掌 平成28年3月15日 頓首再拝>
“足信心” - 伝統
2016/03/16 (Wed) 03:27:49
《湯川安太郎~金光教玉水教会創立者》
今回から、少しの間、《湯川安太郎~金光教玉水教会創立者》のことへの理解を
深めるため、「繁栄の書」を離れて、湯川安太郎さんに関する逸話等を紹介してまいります。
《“足信心”》
*Web:ゼロからスタート 69歳ネットの世界へ挑戦だ!(2005年08月10日)より
金光君という青年がいました。
彼の叔父さんは金光教の教主で、彼も北金光直系の家柄の出です。
ある時、金光教中興の祖といわれる湯川安太郎教会長の話をしてくれたことがあります。
それは“足信心”ということです。
金光教のみ教えの中に、
「神は昼夜も、遠きも近きも問わざるものぞ。頼む心に隔てなく祈れ」
とあります。
これは
「神様に願い事をするには、いつ何時でもかまわない。
また、どんな遠い所から拝んでも、願いは神様に届くものである。
遠くからの願いは、聞いてもらえないだろうと、自分の思いによって、
神様との間に距離を作らないようにして、一心に祈りなさい」
という意味だと思われます。
そこで、
「わざわざ時間をかけて教会にお参りしなくても、自分の家にもお祠りしてあるから、
家の神様にお願いしたらいいではないか。
家でお願いしても、おかげに変わりはないはずである」
と言って、お参りしないのも信心の一つの行き方です。
ところが、そういう行き方で、本当の内容の充実した信心は、なかなか出来ないと、
湯川教会長は言ったそうです。
一般的に信心というと、例えば商売をして、商売がひまであるとか、
都合よくいってないと、自ずから足が教会へ向いて、せっせとお参り
してきて、商売繁盛を願います。
その願いがかなえられて、商売が忙しくなってくると、
「もう忙しくてお参りしているひまがない」といって
お参りにこない人が多いそうです。
湯川さんが商売していた信者時代に、信心についていろいろと実験されました。
教会へ1ヶ月お参りしては、次の1ヶ月はお参りを休み、交互に何回も繰り返してみて、
やはり足を運んでお参りした月の方が、商売の成績がよかったということを実体験されたそうです。
そういうご自身の経験に基づいて、「おかげ、わが足にあり」といわれたのです。
(http://blog.livedoor.jp/cosmotrek1/archives/30011081.html)
<感謝合掌 平成28年3月16日 頓首再拝>
湯川安太郎 先生 - 伝統
2016/03/17 (Thu) 03:22:38
*「金光教の信心案内」(玉水教会)より
湯川先生は明治3年(1870年)和歌山市近郊の農家に生まれ、
6歳でお父さんが病死、7歳で和歌浦にあった遠縁の鮮魚問屋に預けられました。
成長につれ、商売修業に打ち込むと共に、衰運にあった鮮魚問屋のために
心をくだき身を粉にして尽くされましたが、ついに倒産してしまいました。
それが明治23年先生20歳の年のことでしたがその年大阪に来て
当時塩干魚類(海産物)の問屋街であった西区靱通りの問屋の一軒に入店(奉公)
しましたが、間もなく病気にかかり医師もさじを投げる重態に陥りました。
もともと信心嫌いで、人から神仏に頼むことを勧められてもその気持ちになれなかったのですが
「しかし、自分が死んだら、母親にどれほど嘆きをかけることか。
母親のために、何とかして生きぬかねばならぬ」と、はじめて神にすがる思いになり、
心の中で拝んだ神様の名が『天地金乃神様』でありました。
だれに教えられたというわけでなく、以前町中を歩いていて提灯屋につるされた大提灯に書かれた
天地金乃神の名特に「天地」ということに心をひかれて記憶しておった神様の名でありました
この神様にお頼みするようになって、難病がぬぐうように6日で全快しました。
助からぬ命も助けて下さるという、このようなおかげを授けられる『天地金乃神』という神様は、
実は金光教の神様であって、大阪で最初に開かれた金光教の教会(大阪教会)が近い所にあり、
そこにお祀りになっていることを聞き、先生もそこへお参りして、金光教の信心のあらましを
聞かされ、その後は店の勤務時間外、早朝や深夜に教会参拝して熱心に信心を進められました。
ところが、勤める店は、主人が株や米相場の投機に深入りし、遊とうにふける等の原因で、
急速に衰えて行き、先生は新参の店員ながら、主人をいさめ一生懸命に営業の挽回・継続に
努力されましたが、ついに倒産してしまいました。
《商売が信心修行》~心配は神様に預けて。神様がご主人、自分は使用人
先生は失業の身の上になっても、他の問屋から「うちへ来てくれ」と、引く手は多かったし、
また自身長年の商売経験によって海産物の仲買い商売なら無資本でもやれる、
と自信に満ちていました。
しかし、当時の熱心な信奉者は、何か分かれ路に立って「どちらにしようか?」と、
ためらうような場合には、本部広前へ参拝してお取次の座にお座りの金光様に”お伺い”をして、
金光様のお指図を仰いだものです。
そこで先生もそのとおりにされたわけで、当時は三代金光様がお勤めの時代で、
三代金光様から「小売商売がよろしい」とのお言葉を頂かれました。
(当時食品の小売業は小売行商のこと)。
「問屋商売ばかり経験したものに小売商売をせよとは。全く思いがけぬ」ことで、
心進まぬ思いでしたが「天地の命なり」と覚悟を定めて、いさぎよく小売行商に
門出することになりました明治27年(1894)24歳の年のことでした。
やがて結婚して、前後11年間、家族を背負いながら小売商売と信心に取り組んで、
いろいろ深刻な経験をなめられたわけです。神様にお考えがあって、いろいろと経験させ、
身をもって信心の学習ができるように仕向けられたと思われます。
それは具体的にはどういうことであったか少し実例を挙げてみますと
少年時代から問屋商売の中で、金額も商品も大きなものに慣れた心に、
小売業では大切に考えねばならぬ厘銭のお金の重み。
自分でも”貧乏学校”と名付けた貧苦の中の体験学習。
生まれた子供を次々と死なせる(5人を失い一女一男が成長)親の失望落胆。
商売がら得意先の家々を、裏口から訪れて感知する家庭内の難儀のさまざま、人情のきび。
そうして、自身、借金と商売の行き詰まりから人間の力の当てにならぬことを痛感して、
神様を主人 ―― 商売の経営主と仰ぎ、自身は主人の意を受けて働く奉公人(使用人)に徹する、
この信心商売よりほかに道はないと悟り、この行き方を実行することによって商売が順調に
回転するようになりました。
「神様がご主人」と仰いでのやり方は、
私たちの家庭・家計維持の上にも当てはめることができます。
また、先生は商売で得意先を回って行くうちに、病気や借金等で苦しんでいる人があると、
見過ごすことのできない性質で、その人々に信心を伝え、
心の中で神様に祈り助かってくれることを願われました。
そうするうちに「あの人は神様のような人だ」とうわさされ、だんだんと、
人々から種々の悩みを訴えられ「神様にお願いして下さい」と救いを求めて
来られるようになりました。
そのような人助けのために時間をとられて、肝心の商売がはかどらぬことが多かったようです。
先生は「息子が成人したら家督をゆずり、自分は、全国でもまだ金光教の教会が出来ていない
地域を行脚(あんぎゃ)して、難儀している人々を助けさせてもらい、
この有り難い信心を伝えたい」との大願をいだかれるようになりました。
《玉水教会の発祥》
また、先生は、自身が商売で回る地域の内でも「この東江(江戸堀と土佐堀の東部)地区に
教会が一つあって欲しいものだと思い信心友達二、三人と相談して、当時自分が参拝していた
教会(道広教会)の先生の賛成を得て、
その教会の修行生の一人を新布教所(教会はしばらく布教所の段階を経てから教会設立に至る
のであり、通例、布教所は普通の借家に神様を祀り参拝場を設けてお取次が行われていた)
の先生に迎える計画を立てました。
そこで適当な所在地(当時は土佐堀裏町現在では江戸堀一丁目十二番)にあった空家を借り受け、
信心友達と協力して布教所の設備をととのえ、予定の先生を迎えました。
ところが、この布教所は折角お迎えした先生が故あって立ち去られてしまいました。
後任者を求めたが得られず、そのうちに、始めに修行生を派遣して下さった教会の先生が
「ご本部へお参りして三代金光様に申し上げたら『湯川さんに引き受けてもらえ』との仰せ
であったから承知してくれと伝えて来られました。
しかし当方は思いがけぬことで承服できず「お断り申し上げたい」と、
自身が本部参拝して三代金光様に何とかお断りしようと致しましたが、
金光様からもお言葉を受け「天地の命なり」と感じて、
神様のご用に生涯をささげる決心を立てられました。
こうして先生が金光大神様のお手代わりとして、土佐堀の小さな布教所
の広前に座りきってお取次のご用に就かれたのは35歳明治38年(1905年)4月20日の
ことでした。
商売は後を継ぐ人があって一切合切を無償で譲ってしまい信心友達からの
布教資金援助の申し出も断ってほとんど無資本での布教所開きでした。
「自分も家族も、神様が養って下さる。神様が授けて下さるものによって生活する。
食べ物が授からねば食べない ―― 食べられなくて餓え死にするまで
ご用を勤められたら、それも宗教的名誉の殉職だろう」との固い信念でした。
《初代大先生のお取次》~ご霊神となられてからも
布教所は1年後には、借家でも、ずっと広い所へ移り「玉水教会」(玉水は旧町名)に
昇格しましたが、参拝者は「取次にひまなし」という程、多くなりました。
それぞれに病気・借金・家庭問題その他いろいろの不幸からの助かりを求め、
商売繁盛・立身出世・計画の成就、あるいは男女の良縁等々を願って参って来るのですが、
その人々に対して先生はまことの信心を説き、まことの助かりを祈って
―― つまりお取次のために寝食も忘れてつとめられました。
そうしてだんだんと人が助かり「玉水の大先生」と敬い親しみ、
心のより所とする信奉者の数はますます増え続けました。
その信奉者を職業別で言えば、商業・職人・製造業・サービス業・会社員・公務員・軍人・
農業・警察官・学校教師・医師・船員・家庭主婦・学生生徒等々あらゆる職種・階層にわたり、
年令においても老若各年令層にわたりました。
そうするうちに大正11年から、先生のご子息(湯川茂・二代大先生)が金光教の教師となり、
また玉水教会副教会長としてお取次のご用を手伝われることになりました。
初代大先生はまた大勢の弟子を養い金光教教師を育てて
大阪市内外を始め全国諸方面に出社を持たせ、布教に従事せしめて、
人が助かる道の一層の拡充につとめられました。
話が前後しますが、教会は信奉者が増大するにつれ、この江戸堀一丁目の地域内を何度か
移転しましたが、昭和9年(1934)末に現在の教会会堂が完成し、
その後昭和20年の米機来襲による戦災にも焼失を免れました。
明治38年(1905)以来40年、生神金光大神様のお手代わりとしてお取次に
身をささげられた初代大先生は昭和19年(1944)2月1日満74歳でご帰幽になられました。
そして、おかくれになってからも今なお、ご霊神としてお取次にお働き下さっているのであります。
また、初代大先生が生前に説かれたお話は『湯川安太郎信話『わが信』心のあゆみ』等の
書籍にまとめられております。
<感謝合掌 平成28年3月17日 頓首再拝>
「一を信じたら二を信じ、二を信じたら三を信じる」 - 伝統
2016/03/18 (Fri) 04:28:30
*Web:次世代に手渡したい信心(金光教 高田教会)より
さて、強烈なインパクトを持つもう一つの説教集に出会いました。
玉水教会初代湯川安太郎師の信話集であります。
偶然最初に手にしたのが第二集でありましたが、後から思えば、
十冊近く出版された信話集の中でも、とりわけこの第二集がインパクトが強いのです。
どうやって調べたのかはもう忘れましたが、
湯川師の入信もまた、奇しくも明治23年の暮のことでありました。
十八歳の山室師が京都で食うや食わずの生活をしていたちょうど同じ頃、
大阪では21歳の湯川安太郎青年が、重病の床についていました。
病名は定かではありませんが、当時の医療水準では、半年間養生しても経過がはかばかしくなく、
ついに衰弱して寝返りもできぬほどになり、医師からも見放されてしまったのです。
信心嫌いであるけれども孝心の厚かった湯川青年は、このまま親を置いてはどうしても○ねない
という気持ちから、神様になと頼るしかないと、いろいろ頼る目当てを物色したあげく、
「天地金乃神」という神名を思い出し、寝床の中からその神に向かって祈りました。
「私はまだ○ねません。親に果たさねばならぬ役前が残っております。どうぞお助け下さい」
とくりかえしくりかえし祈りました。薬を飲むこともやめてしまって一心に祈ったのです。
*○:死
するとその翌日、まるで芋を蒸すような熱が出、
多量の汗が出始めて昼夜に6枚の寝巻がズクズクになりました。
とりわけ臍のあたりから臭い匂いのするウミが出るようになってから、
7日間で気分がよくなりました。
そこで、人が止めるのも聞かずに床屋に行って散髪をしてもらい、
絶食14日間の衰弱体で、風呂にも入れてもらい、ヤッサモッサの末正月を迎えました。
そして一日に雑煮を二杯食べ、二日には四杯食べて、そのまま仕事(初売り)に出かけました。
それが湯川師の「一を信じたら二を信じ、二を信じたら三を信じる」
という信心の始まりでありました。
(「一つ信じられたら二つ信じます。二つ信じて三つ信じられないことはない」
という言い方もなさっています)
(http://www.takada-konko.jp/index.php?data=./data/cl24/#06)
<感謝合掌 平成28年3月18日 頓首再拝>
湯川安太郎先生のエピソード - 伝統
2016/03/19 (Sat) 04:57:44
*「魔法の言霊力を生み出す」ありのまーさ・著 より
(現代風にアレンジしています)
ある年のことです。
ある人が
「先生、家主が替わりまして、これまで 10 万円だった家賃を、
いっぺんに倍にあげて、20 万円にすると言うのです。どうしたらいいのでしょうか?
今でもやっていきにくいのに、このうえ家賃が倍になってしまったら…」
と言って、相談にきました。
「やっていけないと言うのだろうが、やっていけるように神さまに
お願いしたらいいじゃないか。何のために信心させて頂いてるのだ」
「ですから、家主が家賃をもう少しまけてくれますように、
先生からも神さまにお願いしてください」
「そんなアホらしいお願いはできん」
「そこのところを、先生、なんとか頼みます」
「いいや。だいたい、今までの家賃が安すぎた。家主が替わって値上げは当然だ」
「でも、これまで毎月足らん足らんで、借金が 125 万円もできているのです」
「借金は借金、家賃は家賃だ。
10万円の家から、一足飛びに 20 万円の家に住まわせてもらう。
私だったら、赤飯たいて祝わせてもらう」
「赤飯たいて祝う? 」
「そうだ。家賃2万5千円の家に住むのと、家賃5万円の家に住むのとでは、
どれだけ人間の値打ちに上下ができるか。
私は、家賃5万円よりは 10 万円、10万円よりは 20 万円、
20 万円よりは 40 万円と、なるべく家賃の高い家に住めるようになりたい。
それは何でかと言うと、
高い家賃の家に住めるほど、それだけその人に値打ちがあるように思われるからだ。
裏長屋の隅だったら、家賃は安い。が、いつまでもそんな家にくすぶっていてはならん。
人間は、時と場合によっては、そんな家に入らなければならないこともあるが、
幸せなことに、そんな目にあわなくてすんでいるとしたら、それは喜ばなければならないことだ。
あんたも値打ちが出てきて、20 万円の家に住めるようになったんだ。
赤飯たいて祝いなさい」
というと、私の言うことが肚に入ったのか、イソイソと帰って行きました。
その後、1年過ぎた頃。
「先生、また家賃を上げてきました」
「いくらほど? 」
「7 万 5 千円上げて、27 万 5 千円に」
「それは、けっこうなことだ」
「はい。また赤飯ですねぇ(笑)」
「やっと分かったかい、おかげを頂いたことが」
「はい、あれからズーッとおかげを頂き、毎月20 万円の家賃も払い、借金の方も
きれいにカタがつき、少々貯金までできまして、本当にありがたいことでございます。
もういくら家賃が上がってもビクともいたしません」
・・・
誤解を怖れずに言えば、神さまも自分が元気になるように活用したらいいのです(笑)。
神さまを信仰することで、いのちの中心につながるなら、素晴らしいことです。
そのとき、言葉は言霊となって実現力を持ち、神さまの働きが出てくるのですから…。
「最初に言葉(霊)があった。言葉(霊)は神であった」のです。
このエピソードは、悟り方の工夫をとても面白く伝えてくれています。
悟り方の工夫で言葉は言霊となり、思いどおりの現実が創造されていくのです。
<感謝合掌 平成28年3月19日 頓首再拝>
湯川安太郎先生の指導例と解説~その1 - 伝統
2016/03/20 (Sun) 03:25:59
*「神様の壺」立花大敬・著(P181~184)より
お茶屋(客に遊興・飲食させる店)の娘さんが湯川先生のところにやってきました。
「先生、私は今日から商売をはじめます。
母はとても商売上手でしたが、私もそのようにできますように・・・」
「何を?」
「今日から、私は商売をするのです」
「いったい、何をお願いするのじゃ」
「あの・・・私、今日から商売を・・・」
「だから、何のお願いじゃ」
「えーっと・・・」
こんなことでは、おかげはないので先生はさらにしつこく聞きます。
「えー、私は今日から商売はじめますよって、お客さんの受けがいいように」
「ああ、そうか」
「どうぞ、お客さんの受けがよろしいように」
やっと願いがはっきりしてきました。
お祈りのあと、娘さんが帰ろうとするのを呼びとめて、
「ちょっとお待ち、何のお願いだったかね? 」
「あの、私は今日から親のあとを継いで商売をはじめますよってに、
どうぞ、お客さんに嫌われませんように」
「あっそうそう、よっしゃ」
「先生、帳面に控えといて下さい」
「なに、これくらいのこと、書かんでも分かってるがな」
翌日、その娘さんが参ってきました。
「昨日のお願い何やったかな? 」
「先生、いやですよ。私は昨日から商売をはじめたんです。
それでお客さんに嫌われませんようにと・・・」
「あっ、そうそう」
「先生、書いといてくださいよ」
「なに、これぐらいのこと分かっている」
帰りにまた聞きます。
「ちょっと、何のお願いやった? 」
「まぁ、先生、あんなに頼んでいますのに。
私、商売をはじめたばっかりですから、お客さんの受けがよいように・・・」
「よっしゃ、分かった」
「先生、どうぞ、書いといてください」
「こんなことぐらい、書かんでも分かっている、分かっている」
・・・
本当に湯川先生は、上手に指導されますね。
金光教祖に、《一心に願え、おかげはわが心にあり》という言葉があります。
また、《神がおかげをくれるな。己が一心が、もみ出すと思え》、
《祈りて、みかげのあるもなきも、わが心なり》という言葉もあります。
つまり、《一心》という心の状態にならないとおかげ(思いの実現化)はないのです。
私(立花大敬)の説明では、未来の一点に心のゴムひもを
しっかりくくりつけなければならないのです。
また、心の中央のオノゴロ島をしっかり据えなさいというのです。
この娘さんは、はじめは目標がボヤッとしていたのです。
ですから、これでは《一心》という状態ではないのでおかげがありませんから、
湯川先生は、わざととぼけて、この娘さんが、ハッキリ、具体的な目標を心の中にすえることが
出来るよう、上手に誘導されたわけです。
《大切なことは、自分の目標を、しっかり言語化できることですね。
それも短い、スッキリした分かりやすい文章で表現できるよう努力することです。》
「はじめに言葉ありき」(ヨハネ伝)で、言葉が現実をつくり出す事場(ことば)なんですから、
目標を短文に表現でき、それを何度も称えて、時々確認するようにすれば、
しっかり、心のゴムひもが目標にくくりつけられたことになるのです。
また、心に設計図を手渡したことになるのです。それを、《一心》といいます。
<感謝合掌 平成28年3月20日 頓首再拝>
湯川安太郎先生の指導例と解説~その2 - 伝統
2016/03/21 (Mon) 03:23:25
*「神様の壺」立花大敬・著(P184)より
「先生、私はこの7年間、腰痛で苦しんでいます。
お治し下さるようおかげをお願いします」
「1週間で治して下さるよう、お願いするから、そのつもりで一心にお願いしなさい」
「1週間で、この病気が・・・。先生、いくらなんでも、そんな無理なお願いはできません。
なにしろ、7年間の患いですから」
「そうか、そんなら1年」
「そんなに長うかかりましては・・・。もうちょっと早く・・・」
「そんなら、やっぱり1週間」
「でも、私のは慢性ですから」
「あんた、本当に治してほしいんか・・・」
・・・
こんな人が意外と多いのですね。
《心》君は全知全能で、《心》君には時間・空間の制約なんかないのです。
それなのに、この人は7年の病、慢性病という自分勝手につくり出した制約で、
《心》君が、ポンと目標にとんでゆこうとするのを引き留めてしまっているのです。
<感謝合掌 平成28年3月21日 頓首再拝>
湯川安太郎先生の指導例と解説~その3 - 伝統
2016/03/22 (Tue) 03:06:15
*「神様の壺」立花大敬・著(P186~188)より
(借金に 困っている 床屋さんの話)
教会の近所の床屋さんがやってきました。
この人は借金に困ってやってきたのです。
「借金の返済もしなければなりませんし、わが家では、月々、4、5百円(当時の金で)
ほどは、どうしても入用なのですが・・・」
「そんな勘定はせんでもよろしい。いくら必要だろうが差しつかえなし。
借金もいくらあってもよろしい。
一心にお願いして 神様に 返して頂いたらいいのだ。
そのかわり、(収入、支出の)勘定したらいかん。
借金の支払い当日に勘定する以外、途中で勘定を、どんな事があってもせんかったら、
神様がよいように 計らって下さるから」
そして、その月の末となりました。
「先生、ありがとうございます。おかげをこうむりました」
「それは結構、もっと一心にお願いなさい」
翌月の末です。
「先生、あんまり頼りないので、途中で勘定しましたら、この月は足りません」
「何で勘定したんや、勘定は絶対したらいかんのや」
その翌月の末です。
「先生、今月はおかげがありました。
でも、少し心配でしたので、実は支払い日の1日前に勘定してみたら、
百円ほど残ることが分かりました。
この調子でしたら2年ほどで借金が全額返せそうです」
「あんた、こわいことするなあ。勘定はしたらいかん」
その翌月の末です。
「先生、今月は足りません。これは、やっぱり勘定したバチですか」
「フーン、そらみてみい、だから、言わんこっちゃない」
「でも、先生、どうして勘定したらいかんのでしょうか。
何かおまじないのようで気味が悪いですなあ」
さて、なぜ勘定したらおかげがないのでしょうか。
湯川先生は、次のように謎解きをしておられます。
「勘定すると、願う心に狂いが生じるのじゃ。
調子が良いとわかると、『やれやれ、これなら安心』と願う一心が弱るし、
調子が悪いと、あれこれ心配して、神様(心)以外のものに 頼ろうとする。
だから 勘定するなというのじゃ』
・・・
《一心に願う》というのは、目標地点に 到達するまで、
途中のアレコレの出来事には一喜一憂しないという事です。
私の説明で いいますと、いったん《心》の運転手さんに行き先を告げましたら、
途中の道すじを心配しないという事です。
もしかしたら、目標地点と反対向きに進んでいる時があるかも知れませんね。
それでも、その道は、あなたの《心》さんが、全知全能を発揮して、
最善の道をパチパチ計算して、その道を行くべきだと、はじきだしたのですから、
決して心配して『運転手さん、この道はダメ、別の道を・・・』などと指示してはならないのです。
“途中で勘定してはならん”というのは、そのことなのです。
金光教祖は、《心配する心で信心せよ》とおっしゃいますが、
心配すれば、心のエネルギーがあちこちに分散してしまい、進心(しんじん)、
つまり、心を目標地点まで進めるエネルギーとならないのです。
<感謝合掌 平成28年3月22日 頓首再拝>
湯川安太郎先生の指導例と解説~その4 - 伝統
2016/03/23 (Wed) 03:31:38
*「神様の壺」立花大敬・著(P188~190)より
(湯川安太郎先生とお茶屋を経営する女性とのやりとりです。
商売がなかなかうまくいかない女性は湯川先生とのやりとりを重ねながら、
「絶対にうまくいく商売の手法」に気づいた結果のお話です。)
「先生、有難うございます。おかげでこの月は三百万円の売り上げがありました」
「ちょっと待った。あんた三百万円と言うたが、三百円の間違いとちがうのか」
「いいえ、三百万円です」
「本当か。あんたの家の家賃いくらや」
「三十円です」
「それで食いかねていたはずや。そんな分際のあんたが、なんで三百万円の商いができる」
「先生、それでしたら何の不思議もありません。商売が私の商売というんでしたら、
なるほど三十円の家賃の者は三十円の家賃相当の商売しかできませんやろ。
けど、私は単なる店員です。
これは神様のなさる商売ですもの、
三百万円の商売をなさっても何の不思議もないのじゃありませんか」
「これは、1本とらえた。なるほど、あんたが主人じゃのうて、店員やったら、
親方(神様)の顔で商売できるわなあ。
あんたがハリボテでも、三百万円の商売ができるなあ」
・・・
これも面白いお話ですね。
《心》の神様は全知全能で、それは万人に平等に与えられているのですから、
どの人でも、その気になりさえすれば、そのすばらしい能力を使うことができるのです。
人間には、各人にいろいろ、才能、力量の差がありますね。
しかし、それは関係ないのです。
むしろ、そんな自分の能力、力量を自負している人は、その器で《心》の力を制約して
しまいますから、そのちっぽけな器の内側のエネルギーしか使えないのです。
かえって、自らの力量の限界をつくづく知って、絶望しているような人が、
その”自負”の器を打破して、器が破れたら、《心》は宇宙と一体なのですから、
その無限大、無量無辺の力を自在に使えるようになるのです。
前章の『心の本体』では、6人家族を養うのが精一杯だった人が、一挙に12人家族となって、
それでも十分養えて、さらに、お金があまるようになったという話を紹介しましたが、
それはこの一例ですね。
先日、こんな話も聴きました。
ある人が末期がんで、もう助かる見込みはないという医者の話だったのです。
それを本人も知って、夫婦で、何が何でも
神様におすがりして治して頂こうという《一心》になったのだそうです。
そうして、ついに治してしまったのです。
これも、末期がんだったから治ったのでしょうね。
もう、すべての手段を断たれて、あとは神様しかないとなって、
はじめて、《一心》になれたのです。
<感謝合掌 平成28年3月23日 頓首再拝>
湯川安太郎先生の指導例と解説~その5 - 伝統
2016/03/24 (Thu) 04:25:14
*「神様の壺」立花大敬・著(P190~193)より
湯川先生が、道を歩いていて、ついと信者さんの店に入っていって、
「せいだい倒されなさい(商品は納めたが代金が返ってこないこと)、さようなら」
といって行ってしまいました。
その信者さんは、『先生は、気持ちが悪いこと言われたなあ』と、
気になって、教会にやってきました。
「先生、先ほどのあれはいったい何ですか」
「どうやら、あんたの店に倒れの運がめぐってきているようなので注意してあげたのだ」
「先生、この上、倒されでもしたら、とてもやってゆけませんよ」
「だから、おかげをこうむって倒されたらいいんだ。
いくら倒されても、その代わり神様に倍増をお願いしてゆけばおかげがあります」
かりに百円倒されたら、”どうぞ二百円”と神様に手を出して受けるのだ。
千円倒されたら二千円のおかげをこうむってゆくよう願ってゆけばよい。
その場合、倒されて、”あれをくれたら”と思ったり、
”あれをもらったら、こうれはこうする”とか思ってはいけない。
”これがとれていたら”と思いつづけているようなことでは願いになっていない。
しかたがっておかげをこうむれないから支払いも出来ないことになる。
そんな、《らち》のいかん方をいくらつっついても、
《らり》のいきそうなはずがない。行き詰まるより外ない。
それで《らち》のいく方へ手を出して受けとれるよう一心に祈ってゆくのだ」
しばらくして、
「先生、本当でした。百五十円倒されました」
「よろしい、そんなもん、もらおうと思うな。
神様に使って頂いたと思ってお礼申しておきなさい。
そして、先方の立ち行くよう、お願いさして頂きなさい」
以後、次々と合計千六百五十円倒されましたが、
結局、8ヵ月後にさしひき五百円残ったということです。
・・・
<心>君は、たえず前進、前進なのです。前向きにしか進めないのです。
バックはできません。
倒される運なんかも、出るとなったら必ず出てきます。
<心>君はどんどんその向きに前進していって、決して停まることがないからです。
ですから、出てくる結果について、あれこれ心配してもしかたがありません。
<心>君はどんどん前進しますから、逆に考えたら、次々倒されるという事は、
次々、そんな運命が現われることによって消えてゆきつつあるということなのです。
消えてゆくものは、『ハイ、ありがとう、いい勉強になりました。さようなら』で、
次々、去ってくれますのに、その事態をアレコレ心配して、小細工を弄しようとするから、
ますます事態がこじれてくるのです。消えるものも消えなくなってしまいます。
<心>君の事は、たえず前進、前進でバックできないという特性を知って、
うまく利用して下さい。
悪い事が出てきたら、その瞬間もうその光景はその車のうしろに去ってゆきます。
それなのに、わざわざうしろを向いて、その光景をいつまでも追いながめるようなことは
やめましょう。<心>君の特性を利用して、どんどん去らせましょう。
また、<心>君はモノを創り出すのが大好きで、無理な注文があればあるほど、
芸術家魂が刺激されるのでしょうね。ますます、喜んで、力を入れて創造してくれます。
古いものはどんどん消えてもらって、それの2倍、10倍、100倍、千倍・・・の
価値のものを、<心>君に注文してどんどん創り出してもらいましょう。
<感謝合掌 平成28年3月24日 頓首再拝>
湯川聖者の教化ぶり~その1 - 伝統
2016/03/25 (Fri) 04:50:35
第14章 湯川聖者の教化ぶり
―― 頭上に火が降っている人を救う ~ その1
(ここからは、「繁栄の書」へ戻っての紹介です)
*「繁栄の書」(P145~151)より
《借金よけに寝ている人》
(紙函の製造に従事してTという信者さんに関するお話)
その方は約2ヶ月ばかりセッセとお参りしておりましたが、急に顔を見せなくなりました。
Tさんの知人に
「Tさんは、この2、3日一寸も顔を見せんがどうした」と尋ねてみました。
「あの人なら、寝ております」
「何処が悪いのだ」
「身体が悪いのと違います」
「では何で寝ているのか」
「大分借金がありまして、起きていると、
借金取りが仰山来てうるさいので、寝ているらしいです」
「ああそうか、それは気の毒だ。
そんなに行き詰まっているなら、お願いすればいいのに寝ておっては埒が明かぬ。
呼んで来てあげなさい」
《夜ぬけしても助からん》
(Tさんが来たので、Tさんへ)
「寝ているそうだが、天井の節穴ばかり数えていて、いい思案が浮かんだか」
「先生、万事休すで、もう夜ぬけでもするより方法がございません」
「夜ぬけもいいが、それでは此の難関が切り抜けられるか!
そんな馬鹿なこと考えて、出来る事と思うのか」
(中略)
「いけない事とは知っていますが、背に腹は代えられませんので・・・」
「知っていてそんな馬鹿な事を言うとは、どうしたことだ! 」
「せっぱ詰まってしまいますと・・・」
「そこでどう処するかが問題だが、言わば今のあんたは火が降っているようなものだから」
「そうです。本当に火が降っているのでございます」
「ところで、その火だが、その火はあんたの頭の上で降っているかぎり、
何処へ宿替えする術もない。頭の上に降っている火の雨は、やんで貰わないかぎり、
夜ぬけをして何処へ行ったところが降りやまん。
それより一心に祈って行きなさい。さすれば雨はやむ」
「一心に祈れとおっしゃいますが、私は一心に祈っているのです」
「では雨がやむまで一心に祈って行くのだ」
「でも先生、今の私はもうどうすることも、出来なくなった私なのございます」
《神様のお仕事に奉公せよ》
「それなら仕方がない、商売やめて奉公などすることにしてはどうだ」
「奉公せいって、私らのようなものを、使ってくれるところがございましょうか」
「ある! ある! 私、頼まれている」
「本当ですか」
「本当とも! 誰がウソを言うものか。
ところで借金というのは何ぼほどなのだ? 」
「一寸5千円ほどです」
「たった5千円か」
「たった5千円と言われますが、掌のような家で、その5千円の借金が百二十幾口に分かれており、
家賃、米屋、割木屋、しょうゆ屋は申すまでもなく、知人という知人に借金していましては、
全くびた一文の貸し手もない八方塞がりで、私には首も廻らぬほどの、大きな負債でございます」
「なるほど、そう聞くとやっぱり奉公するのが、一番あんたの楽になる近道らしい」
「使ってくれる人があれば、奉公も致しますが、私の職は紙函屋でして、紙函のことなら
知っていますが、その外の事は一向に知りませんので・・・」
「ああそうか。それは願ったり叶ったりだ。
紙函さんで適当な人があったら、世話してくれと頼まれているから、斡旋してあげる」
「先生、私は家内も子供もありますが、それでもよろしいですか」
「差支えない。儲かったら儲かっただけ、月給にあげるから、
家内があっても、子供があってもかまわぬ」
「先生、本当にそんな人があるのですか」
「あるによって私に任せなさい」
「すると雇ってくれる方は、やっぱり紙函屋ですか」
「そうだ」
「方向は」
「北区だ」
「北区といいますと、私がおります区ですが、北区にはそんな紙函屋がありますか知らん。
大抵の同業者なら知らぬのはありませんが」
「それはあんただけが知らないのだ」
「北区のどの辺です? 」
「××町だ」
「××町? そんなとこにはありませんがなあ」
「その××町を一寸北へ入ると・・・」
「私の家もその辺ですが・・・」
「電車道を踏み切って、一寸入った東側にあるだろう? 」
「何件目です? 」
「3軒目だ」
「3軒目? それは先生、ウチではありませんか。
私のウチへ奉公せよなんて、そんな阿ほらしい事ができますか」
といって、私に一杯食わされたように、しばしうつろな面持ちで、私を見守っておりましたが、
事実”ウチだ! 俺とこだ! 俺の仕事だ! ”などと思っていますから、
こんな行き詰まりが出て来るのであります。
《天職とは神様のお仕事のこと》
「お互いが信心させて頂いている神様は、今更申し上げるまでもなく、天地金乃神様で、
お互いの大祖(おや)たる親様であります。この親様を我が家にお祀り申せば、
我が家の親様であらねばなりません。
お互いが日々営んでいる仕事を、天職といいますが、ここに天というのは神様ということに
解釈してよろしい。天職とは自分が神様から命ぜられた、職分のことであります。
天職という言葉は知っておりますが、その実天職の真義がハッキリしておりません。
そこで神様から命ぜられた職分を、俺の仕事じゃと思って、色々心配しております。
それは俺の仕事でないことを、知らないからであります。
お互いの仕事は、それぞれに社会の仕事ですが、それは天地の仕事であって、神様のお仕事を
お互いの立場持場において、やらせて頂いておるのであります。
ですからお互いは、この神様のお仕事にこの自分は使って頂いているという心を失わず、
やらせて頂けばハッキリとやって行けるのであります。
仕事という仕事はすべて神様のお仕事です。それに自分は使って頂くのです。
この本教(おみち)は神様が金光様のお口を使って、仰せ出されたお言葉が教(おしえ)に
なっているもので、つまり神様の教であり、神様が教をせられ、神様がお互いをお助けなさる
のですから、
私がここでこうしてお話をさせて頂いているのも、神様が可愛い氏子をお助けなさるお仕事に、
使って頂いているので、まあ私は番頭さんのようなものであります。
私がさきに”奉公してはどうか”と申したのは、ここのことで、我が仕事は神様のお仕事で
あるかぎり、神様に使って頂くということが肝心で、それで「奉公」という意味も、
ハッキリするでありましょう。
<感謝合掌 平成28年3月25日 頓首再拝>
湯川聖者の教化ぶり~その2 - 伝統
2016/03/26 (Sat) 03:51:23
第14章 湯川聖者の教化ぶり
―― 頭上に火が降っている人を救う ~ その2
*「繁栄の書」(P151~152)より
《難儀する者がないのが当然だ》~自分の店に奉公した話
こんな具合に、紙函屋さんに話をして、
「あんたも今日から、神様は親様である。
一家の御主人であるという思いを以て、この御主人に奉公させて頂きなさい。
そして、あんたの借金も、その御主人に払って頂けばよろしい」
と申しますと、
「そら先生、無理でございましょう。
何ぼ神様がえらいにしても、借金を払って下さるようなことが、出来ましょうか」
と、まだ二の足を踏んでおります。
「出来るとも、大出来だ。世の中で借金をしたが最後、それが払われるのは
当然なことだが、それが払われるのは、その人は知らぬにしても、恵まれているからだ。
恵まれさえしたら、借金は払われる。それは無理ではない。
しかも、これからあんたは、奉公人になるのではないか。
そんな事は、奉公人が心配しなくてもよろしい」
「でも、そんな事が出来るのでしたら、誰も難儀する人はありますまい」
「そうだ。私の言うようにすれば、難儀する人がなくなるのが当然なのだ。
それを奉公しないで、俺が主人じゃやと思っているから、
皆心配して難儀しなければならぬことになるのだ。
だから、神様に借金を払って頂くことは、一寸も無理なことではない。」
<感謝合掌 平成28年3月26日 頓首再拝>
湯川聖者の教化ぶり~その3 - 伝統
2016/03/27 (Sun) 03:44:35
第14章 湯川聖者の教化ぶり
―― 頭上に火が降っている人を救う ~ その3
*「繁栄の書」(P152~154)より
《神様と一緒に買物に行け》
「無理は、借金したあんたにある。
あんたは、それをお詑びし、お願い申し上げたら、ご主人が、必ず払って下さる。
要は、”私は勝手なことをして、これこれかような始末でございます。お許し下さいますように。
私には借金を返す力がございません。どうぞ返して頂けますように”願いして、
今晩からは、神様をご主人に頂いて、奉公させてもらいなさい。
商売も世帯も一切、神様に渡して、身も心も奉公人になりきるのです! 」
「ヨウ分かりました。それでは奉公させて頂きます」
「それで神様に奉公したら、神様に一心に願って神様と共に勉強して、
万事経済に気をつけていくのと、御主人が貧乏して借金があるのだから、
その断りを言うことが、あんたの役だが、この役を大切につとめて行きなさい」
「それは何故(なぜ)でございます?」
「罰金です。勝手なことをした罰金に、借金の断り役が科(か)せられたのだ。
あんたの働きがよかったら、借金は返して貰えるし、働きが悪かったら、
何時までも借金の断りを言っておらなければなるまい」
「ところで先生、神様に世帯を譲るといいますと、明日からどう致したらよろしいのございましょう」
「あんたのご主人は、紙箱屋をしていなさる」
「ヘイ」
「商売に出る時には、買物帳を持って行くように・・・」
「神様の買物帳? そんなもの何処にございます? 」
「”神様、これから買い物にやらせて頂きます。私は頼りない者でございますから、どうぞ、
御一緒にそして私はお共させて頂きます。私の買う品物は、あなたのお指図で買わして
頂いたことになるのですから、どうぞ買場(かいば)のおかげを頂けますように”
と願って買物に行けばよろしい。それでさしずめ今、材料の紙がないのだろう? 」
「ございません」
「無かったら、その願いを持って買物に行きなさい。その願いを、買物帳というのだ」
「然し先生、あっちこっちの問屋へ迷惑をかけておりますので、
ちょっと行きにくいのですが・・・」
<感謝合掌 平成28年3月27日 頓首再拝>
湯川聖者の教化ぶり~その4 - 伝統
2016/03/28 (Mon) 04:46:38
第14章 湯川聖者の教化ぶり
―― 頭上に火が降っている人を救う ~ その4
*「繁栄の書」(P154~157)より
《神様のご用だ、自分の用ではない》
「これからの用は、一体誰の用なのだ。
あんたの用で行くのなら行きにくかろうが、用は御主人の御用ではないか。
行きにくいと思ったら、それはあんたの用事になる。
あんたは奉公人だ。
あんたの勝手は許されぬ。
神様の御命令(おいいつけ)だから、行かせて貰いなさい」
その晩は、それで帰って行きました。
その翌日、朝九時頃に参って来ました。
「行ったか」
「行くには行きましたが、やっぱりあきませんでした」
「やっぱりと言うところを見ると、まだあんたには、俺が主人の気がぬけきっておらないようだ。
大体、何軒ほど廻って来た? 」
「ええ三軒廻って見ましたが、皆あきません」
「あかん言うて、廻るところはそれだけしか無いのか」
「あるにはありますけれど・・・」
「気のきかない丁稚(でっち)だなあ。まだ行く処があるのに、廻らないとはどうしたことだ。
何で行って来ないのだ! 」
私はボロクソに言いました。
「でも先生、今度行く処は、一番仰山迷惑をかけておりますので・・・」
「何を言うのだ! あんたは迷惑かけているか知らんが、神様は鐚銭(びたせん)一文も
迷惑をかけてはおられん。神様の商売ではないか。行っていらっしゃい! 」
こう言われては本人も居たたたまりません。渋々ながら出て行きました。
暫くすると、以前とは打って変わった元気な面持ちで、お参りして来ました。
「どうだった? 」
「先生、やっぱりおかげ頂きました。」
「またやっぱりか。やっぱりとはどういうわけだ? 」
《意外、多く取れた注文》
「いや、これはどうも・・・でも先生、
一番沢山借りのある問屋が、品物を融通してくれるようになりましたので有難うございます。
おかげで材科を頂かせて貰いました。
これから、どうさせて頂たら、よろしゅうございましょう? 」
「うるさい丁稚さんだなあ。いちいち教えんならぬのか。
仕事のできる準備工作ができたのだから、次に神様に
”これから注文を頂きに参ります。どうぞ、注文の頂けますように”
とお願い申してやらせて頂きなさい。
それでないと、若し自分ひとりで注文取りに行って、注文がなかったら、
御主人にぼやかれるかも知れんが、御主人と一緒に行ったら、御主人も御承知のことで、
注文がなくても差し支えなかろう」
「ヘイ、なるほど。有難う存じます。それではそうさせて頂きます」
教えた通りの思いでお願い申して、注文取りに行きますと、
おかげ蒙って、案外注文が頂けましたので、参って来まして、
「これは、神様のお商売でございますから、私は、神様と共に働かせて頂いて、
神様が、注文をお取りになったのでございます」
と言って、喜んでおりました。
これからは、本人の意気込みが違います。
「さあ、これから仕事だ。神様、それから仕事をさせて頂きます。
私は、一生懸命に働かせて頂きますから、あなたも一生懸命お働き下さいまして、
仕事の捗(はかど)りますよう、又良い品物の出来ますきますようお願い致します」
と元気一杯で仕事にかかりましたところが、気持ちよく仕事をさせて頂き、
大変都合よく仕事が捗(はかど)ると言って、御礼に参って来ました。
<感謝合掌 平成28年3月28日 頓首再拝>
湯川聖者の教化ぶり~その5 - 伝統
2016/03/29 (Tue) 03:04:49
第14章 湯川聖者の教化ぶり
―― 頭上に火が降っている人を救う ~ その5
*「繁栄の書」(P157~159)より
《小遣いがなくて借りられぬ時》
それから3日目の事です。
「先生、今日お小遣いが切れてしまって、お金がなくなちましたので、信心友達である隣家へ
五十銭借りに行きますと、”番頭さん、御主人が、借りに行けと仰せられたのですか、
それとも、番頭さんが旦那(だんな)さんになって来たのか”と言われ、ヒヤッとしました」
と言いますので、
「それはそうだ。御主人の命令(いいつけ)でもないのに、御主人の金を丁稚が無断で、
借りにくという法はないはずだ。奉公人はそんな心配は無用だ。余計な心配はしなくても、
小遣いが無くなったら、何で伝票を出さぬのだ。
神様、小遣いがなくなりました。どうか授けて頂きますよう願って置けばよろしい。
モウ、そんな事ぐらい教えなくても分かってもらわねばならぬ。
番頭さん、モウ一寸しっかりせんか! 」
と注意しておきました。
家に帰って二、三時間すると、お客さんがやって来て、
「おウチに、こんな函(はこ)はないか」
と見本を持ってきました。
「折角ですが、只今その函がございませんので・・・が」
と言いますと、そのお客さんが、棚を指さしながら
「あれは? 」
と言うではありませんか。
それは棚の上に棚ざらしの函が載っていたからです。
「あれですか、あれは駄目です」
「でも、一寸お邪魔ですがおろして見せて下さい」
と言いますので、おろして見せますと、
「これこれ” これでよろしい」
とのことで、長い間塵埃(ごみ)だらけになっていた函が、きれいに出払って、
三円五十銭に売れたそうであります。参って来まして
「お隣りへ五十銭借りに行って、ボロクソに言われ、先生に教えて頂いて、
三円五十銭頂かせて貰いました」
と喜んでおりましたが、こんな風に一つ一つ分からせて頂き、おかげを蒙って、
月末には、集金高四百六十円に達する、仕事のあかげにあずかりました。
「その中で問屋への払いは? 」
「百何十円でございます」
「すると大分勘定が違うではないか。盗んで来たのと違うか」
「先生、冗談ではありません。先生に、”横着したらおヒマが出る、正直にやれ”と
教えられましたので、私は、キッチリ勘定して参りましたが、帳面もそうなっでおりますので・・・」
「それがおかげだ」
「有難うございます」
「では、その内、二十円を当座の入用に残し、あと三百何ぼを借りのあるところへ、
シャーッと漏斗(じょうろ)で水を撒くように、パラッと払わして貰いなさい」
「ハイ、そうさせて頂きます」
こんな調子で、ずんずんおかげを蒙ってゆきましたが、奉公人になって働いていくのですから、
心配なくお願いもできます。約2年程の間に、全部借金済(な)しが出来ました。
ところでこの話は、これでおしまいとしてよろしいのでありますが、
更にお互いのためにも誡めとなる後日談がありますので、
この話を続けましょう。
<感謝合掌 平成28年3月29日 頓首再拝>
湯川聖者の教化ぶり~その6 - 伝統
2016/03/30 (Wed) 04:29:53
第14章 湯川聖者の教化ぶり
―― 頭上に火が降っている人を救う ~ その6
*「繁栄の書」(P159~161)より
《2万円貯蓄が出来たら着よという》
それから2年目のことです。
夫婦がそろって参って来たのを見ますと、二人とも、大島紬の重ね着です。
「これは、いけない」と思いましたので、その場で注意しました。
「番頭が旦那様のような風をして参って来たな。
そんな事をしていると、今に又難儀しなければなるまい。
奉公してからまだマルマル2年だ。2年ぐらいで、それだけの仕着せをくれる親方があるだろうか。
そんな風をするのが貧乏の因(もと)だ。旦那然ときめこむのはまだ早い。
お互いの奉公は一生であることを忘れてはならん。あれほど経済に気をつけてと
言ってあるのに、一体、その風はどうしたというのだ」
「恐れ入りました。私が悪うございました。もう着ませんから・・・」
「そんなものを着るのはまだ早い。着たらだまされる」
「だまされる! と仰せられますのは? 」
「丁稚は、厚司(あつし)を着ておればいいのだ。
丁稚が、旦那のような風をすると、旦那のような気分になる。それが危ない!
それがおかげのとまる因(もと)になる! 」
と述べ、更に次のように話して聞かせました。
お互いは、着物を着るにも、うっかり着てはなりません。きっとだまされます。
それも自分の身分を知っていましたら、不相応な風をしたいと思いませんが、
身分を考えずに不相応な風をしますと、人間はだまされるものです。
金を持たせば金にだまされ、権利を持たせたら権利にだまされます。
この点お互いは余程気をつけなねばなりません。
”まあ、こくらいのことは差し支えなかろう”が、終いには高いものになるのです。
お互いは、自分の懐と身分を勘定し、それに合わして行くべきであります。
これを経済というのです。
私の身体は、御覧の通り、痩せておりますが、これを太く見せたい、大きく見せたいと思って、
相撲取りの着物を着たらどうです? とても歩けません。
それは、自分に合わぬからであります。
これは、他人事ではない。
各自が真面目に考えて、自分の身分に合うように、心がけねなければなりません。
そこで、私は紙箱屋さんに、
「若し、今後2年間に、2万円の貯蓄が出来たら、その着物を着ていいが、
それまでは絶対に着てはならぬ。着たらだまされる」
と話して置きました。
それからまた2年の歳月が経ちました。
おかげを蒙って2万円の貯蓄が出来ました。
神様の思召しは、何処までも有難いではありませんか。
氏子の願いを叶えてやりたいということより外には、何もおありなさいません。
。
「先生、あの着物を着させてもらっても、よろしゅうございます」
と問われますと、私も、約束したことであり、
「まあそうあわてて着んでもいいが、2万円の番頭さんになったから仕方がないなあ」
と言わずにはいられないほどのおかげを蒙りました。
以上でこの話は終わりとなります。
・・・
(以下は、玉水教会の資料から)
以上で、紙箱屋さんのお話をおしまいにしますが、
この話によって、お互いの信心の道しるべが、よほどはっきりしたことでありましょう。
この人は、初め商売に行きづまって、夜逃げするよりほかには逃れる道がないと、
観念するところまで立ちいたりましたが、何が、この人をそこまで追い込んだのでしょう。
お互いは『わが身は神徳の中に生かされて』いる身で、
わが身はわが身ならず、あなた様の身体であります。
その身体を使ってするお互いの仕事は、みんなあなた様の仕事であります。
ですから、お互いは、あなた様に使って頂いていさえすれば、何の心配も憂いもなくてすむのです。
それを、神様から離反して、「わしが商売してゆかんならん。おれが世渡りしてゆかんならん」と
思うところから、目先の難儀を切り抜けるために小細工するようになり、
つい、借金しなければならないことになるのです。
こんな思いでは、借金ができるのは当たり前のことで息もつけないほどです。
しかも、この苦難は、まかり間違うと、自分一代でなく、
子々孫々までも残してゆかねばならないようなことになりますから、恐ろしいことです
もしも、”わしが商売する、おれが商売する”という行き方で、
行きづまらないですむ人がありましたら、それは、天地の道に合わないことです。
親の徳か、それとも先祖の徳によって、やってゆけておるのですから、
転ばぬさきに、おれが商売するというような大それた考えを捨てて、
「自分のしている仕事は、みんな天地の仕事だ、自分はそれを手伝わせて頂いている奉公人である」
ということをはっきりさせて、神様に一心にお願い申して、勉強と経済に意を用いて、
何でも、ご主人の思召しに合うように働かせて頂くことです。
これが、お互いのさせて頂く信心であります。
そうすれば、自分で、ああしようこうしようと心配しなくても、
だんだんと月給も上げて頂けますし、暮らし向きも楽になってくるのであります。
<感謝合掌 平成28年3月30日 頓首再拝>
湯川聖者の教化ぶり~その7 - 伝統
2016/03/31 (Thu) 03:25:50
第14章 湯川聖者の教化ぶり
―― 頭上に火が降っている人を救う ~ その7
*「繁栄の書」(P161~163)より抜粋
《玉水教会だけが戦災に焼けぬ奇蹟》
いま江戸堀にある玉水教会は、家賃九円の当時の教会と違って、
百畳敷きくらいの広間のある大きな建物です。
過般の大戦争の時の戦災で、四辺の家は皆焼けたが、
この大きな玉水教会だけが、焼けなかったそうです。
戦災に遭って避難する或る人が、振り返ってみると、玉水教会の屋上に、
すでに亡くなっていられる湯川安太郎さんが、白装束で、御幣を振っているのが
見えたそうです。
あの大戦災で、あたりが全部焼けたのに、こ大きな木造建ての教会が焼けなかったのは、
湯川さんの金剛不壊の信心のおかげによる、奇蹟と申す外はないでしょう。
・・・
不幸の原因を内に求めて反省する者は、既にその不幸を越えた人である。
これに反し、不幸の原因を常に他に嫁して不平を言う者は、
いつまも救われない人である。
・・・
<感謝合掌 平成28年3月31日 頓首再拝>
孝行の徳~その1 - 伝統
2016/04/03 (Sun) 04:45:22
第15章 孝行の徳、農夫が天子になった故事
~ 無道の父によく伝えた話 ~その1
*「繁栄の書」(P165~166)より
《閔子騫(びんしけん)の孝行のはなし》
中国の孝行者の話は、色々伝わっていますが、
その中で私が先ず想い起こすのは、閔子騫の話です。
閔子騫は孔子の十哲(十大弟子)の一人に入っているほどの人ですから、
青年の頃から思慮深い人であったのでしょう。
この人は早く実母に別れて、継母に育てられました。
或る寒い日に、継母の子である義弟二人と共に、父の仕事を手伝いをしていましたが、
二人の弟はさほど寒がらぬのに、閔子騫だけがヒドク寒がるので、
乳が腹を立て叱っていましたが、ふと気づくと、弟二人は綿入れの着物を着ていましたが、
閔子騫だけは、葦の花の入った着物を着せられていることが分かりました。
継母のヒドイ仕打ちを知って驚いた父は、後妻を離別しようとしましたが、
それを閔子騫が諌めて言いました。
「今のお母さんがいて下されば、寒い思いをするのは、私一人ですみますが、
別のお母さんが来れば、二人の弟も寒い思いをすることになるかも知れません。
そうかお母さんを離縁しないで下さい」
といったのです。
離縁されずにすんだ継母は、そのことを知って深く反省し、
その後は閔子騫をも、わが子同様に愛したということであります。
<感謝合掌 平成28年4月3日 頓首再拝>
孝行の徳~その2 - 伝統
2016/04/04 (Mon) 04:44:54
第15章 孝行の徳、農夫が天子になった故事
~ 無道の父によく伝えた話 ~その2
*「繁栄の書」(P166~167)より
《孟宗の孝心に涙する》
次に私の感心するのは、中国の二十四孝の中に出ている孟宗の孝行についてであります。
孟宗の母は旧暦十二月の或る寒い日に、筍(たけのこ)を食べたいと言いました。
今なら缶詰の筍がいつでもあって、いつでも食べられますが、
昔は暮春の頃でなければ、筍はありませんでした。
だから今のインテリ青年が、孟宗の立場でいたならば、母親のこの希望を聞いた時
「お母さん、何を馬鹿なことを言いますか。この十二月の雪が降っているような時に、
筍がたべたいなどと言うと、あまりに非常識だと人に笑われますよ」と、
簡単にたしなめれば、母親も理の当然に服したことでありましょう。
然し孝心深い孟宗は、そういう理屈は考えもせず、言いもしませんでした。
母がたべたいという筍、何とかさがし出して母を喜ばせたい一心で孟宗は雪降りの日に
蓑笠で身を包みつつ、鍬をかついで竹藪に出かけました。
「万一竹藪に筍が出ていたら、母を喜ばせることが出来るのだが」と、
一縷の望みを持ちながらです。
そうすると天が孟宗の孝心に感応されたのか、今頃竹藪に出ているはずのない筍が、
出ていたのです。孟宗の喜びはどんなであったか、想像にあまりがあります。
早速それを取って帰って、母に孝行をしたというのです。
私は孟宗のこの話を思い出したり、或いは絵などで見る時には、
いつもその孝心に感じて、涙ぐむのであります。
・・・
<参考Web>
(1)孟宗 共武
→ http://sangokushi.jp/go/detail.php?go_id=77
(2)二十四孝絵鈔
→ http://homepage3.nifty.com/nireyamajinja/koten/24ko.htm
<感謝合掌 平成28年4月4日 頓首再拝>
孝行の徳~その3 - 伝統
2016/04/05 (Tue) 04:20:53
第15章 孝行の徳、農夫が天子になった故事
~ 無道の父によく伝えた話 ~その3
*「繁栄の書」(P167~169)より
《舜は三度父に殺されようとする》
中国古代の聖王のひとりといわれる舜は、大層人柄の立派な人であったと見えて、
農夫であった時代に、舜のいるところには、舜の人となりを慕う人々が、
常に集まって来たといいます。
ところがこの舜の父の瞽叟(こそう)という人は、甚だ無道の人であって、
後妻の子の象(しょう)と結託して、三度舜を殺そうとします。
一度は舜に酒を飲ませて殺そうとし、
二度目は舜に穴を掘らせておいて、上から土をかけて殺そうとし、
三度目は舜が屋根にいる時、下から火をつけて焼き殺そうとします。
そのたびに舜は不思議に脱(の)がれて、死ななかったのです。
「孟子」という書物に舜のことが大分出ていますが、その中に
「舜、田(でん)に出でて旻天(びんてん)に祈る」という句があります。
舜は父から三度も殺されようとしたが、父を恨まず、自分の孝行が足らぬために、
父の心を和らげることが出来ぬのを嘆いて、天に祈ったというのです。
それが「舜、田(でん)に出でて旻天(びんてん)に祈る」なのです。
(中略)
そうして無道の瞽叟が、結局舜の孝心によって、正しい人になったというのです。
舜の人となりの尊さが、時の堯帝(ぎょうてい・中国古代に聖天子)に聞こえ、
堯帝はその娘を舜に嫁がせて仕えさせます。
そうして始め舜を顧問のような地位においていたが、後に自分の後継者として、
舜を天子にするのです。それが堯舜(ぎょうしゅん)の世といわれて、
二代の模範的聖天子といわれる人です。
(略)
<参考Web:舜
→ http://homepage3.nifty.com/kyousen/china/3k5t/3k5t_12.html >
<感謝合掌 平成28年4月5日 頓首再拝>
孝行の徳、~親に背けば必ず不幸に終わる - 伝統
2016/04/06 (Wed) 04:03:40
第15章 孝行の徳、~親に背けば必ず不幸に終わる
*「繁栄の書」(P169~171)より
或る日、若い夫婦が来訪して
「私たちは二人共、親の反対を押し切って、結婚した者です」といいました。
私は驚いて
「君、それは自慢のつもりで言っているのかね。
僕の知る限りでは、両親の反対を押し切って結婚した人で、
不幸に終わらなかった例はひとつもない。
親は吾等にとって、結婚の時無視してよいような、
そんな軽い存在ではないのだが、君等はそれを知らぬのだ。
君等は気の毒な人たちだ。
今からでもよい、出来るだけ双方の親に孝行して、
あの二人は矢張り夫婦にすべきであったと、
親に認められるようにしないと、碌なことはないぞ」
といったのです。
(中略)
その若い夫婦はまた
「私たちは結婚の初めから、子どもは産まぬつもりで、避妊の手術をしているのです」
という。
私はまた驚いて
「そうすると君等は親にも背き、子供も産まぬ。
それで子育ての苦労もなく、二人で心ゆくまで、二人だけの生活を楽しみながら、
一生を終わるということであるが、年老いても誰も世話をしてくれる者もなし、子孫も絶える。
その時になって
『ああ子供がほしい、不良の子でもよい、一人ほしい』と思っても、追っつかない。
君等の前途はそうした憐れなものだ・・・」
といったことでした。
人間は親に孝行をすることによって、この世を支配されている神に仕えるのです。
<感謝合掌 平成28年4月6日 頓首再拝>
孝行の徳、~親の大病は子の顔に現われる - 伝統
2016/04/07 (Thu) 04:43:10
第15章 孝行の徳、~親の大病は子の顔に現われる
*「繁栄の書」(P171)より
親子の関係が、如何に深いかを証明する明白な事実のひとつに、
親の大病は子の額に現われるという事実がある。
これはどこに現われるかと言えば、額の左右に現われる。
眼の上(即ち目うえ)の眉の上の額全体が父母を現わす中で、
左は父親を現わし、右は母親を現わす。
だからその人の額が広くてキレイである人は、両親の加護を十分にうけて育った人である。
額の狭い人、或いは見にくい人は、両親の加護の不十分であった人である。
また左の額の中央に疵を造った人は、父親と喧嘩した人であり、
右の額の中央に疵を持った人は、母親と喧嘩した人である。
子供の異状は親の心の異状の反映です。
こんな話の委しいことは、皆私の「生命の医学大事典」に出ているから略記に止めます。
<感謝合掌 平成28年4月7日 頓首再拝>
孝行の徳、~船中で父の大病を知ったが - 伝統
2016/04/08 (Fri) 03:38:26
第15章 孝行の徳、~船中で父の大病を知ったが
*「繁栄の書」(P171~173)より
私が満州の大連に向かって、朝鮮沖を航行していた昭和7年4月に、朝洗面しようとして、
洗面所の鏡を見た時、額の左の中央が今の十円銅貨大に凹んでいた。
父の老衰は知っていたが、こんなにハッキリ額に現われる所を見ると、
いよいよ重態だなと思った。それでももう死んでいるかどうか、鏡でよく額を見ると、
へこんでいるから重態ではあるが、なおそのへこみに艶がある。
これは重態だがまだ死んでいないということだと考えたが、大連に向かって刻々
父の居る愛媛県西条から遠ざかっている現在、何ともしようがなかった。
午後2時頃になって「チチキトク」という電報が来た。
危篤という電報を打ったあとで、大抵病人は死ぬものであるが、
その時もそのあとの4時頃、再び父危篤の電報を受け取った時も、よく鏡を見ると、
額のへこみに艶があるから、父は死んでいないと思った。
そこで大連に着き次第、満鉄と朝鮮鉄道に乗って、すぐ帰ることを打電しておいて、
その通りにした。広島県の尾道まで帰り、愛媛県西条へ渡る便船の出るまで、3時間あるから、
そこの銭湯にゆき、身体を清めた上で鏡を見て、父は確かにまだ生きていると信じ、
帰ってみると父は生きていて喜び、4日間看病の後に、父は亡くなったのであった。
私は友人たちの額を見ることによって、その親の大病を言いあてたことが度々ある。
退治の性別を言いあてるほどに化学が発達していても、
親の大病がなぜ子の額に現われるかはわかるまい。
これは大生命の法則を知り、親と子は一体であることを知ってのみ、分かることであると思う。
<感謝合掌 平成28年4月8日 頓首再拝>
孝行の徳、~孝行ということのある国とない国 - 伝統
2016/04/09 (Sat) 04:46:13
第15章 孝行の徳、~孝行ということのある国とない国
*「繁栄の書」(P173~175)より
欧米では昔から親孝行の思想は、東洋のように深くない。
米国では殆どの親は、子供を育てて大学を卒業させると、あとは自立させるという考えであり、
また子の方もそれが普通と考えて独立していく。
その代わり親の老後を子が見る必要などを、どちらもあまり考えていないのが多いという。
中米に長くいた日本人の書いたものの中に、向こうで交際していた或る知人が、
あまり気まえの良い方ではないのに、或る乞食にには、割合よく恵むから不思議がると
「あれは俺の親父(おやじ)なんだ。いつもあそこで乞食をしているから、
時々俺が恵んでやるんだ」といったという。
孝行のない国とある国、どちらがゆかしい国であろうか、
青年よ若い時から孝行を心がけよ。
孝行をして損した者はなく、不孝をして得をした者はない。昔は
木静かならんと欲すれど風やまず 子養わんと欲すれど親いまさず
という文句を読んで、孝行をしたい親が、すでに無いのを嘆いた人もあった。
「孝行そいたい時には親はなし」の嘆きを、持たぬようにしたいものではないか。
・・・
いつどこで聞いても嬉しいのは孝行者の話であり、
いつどこで聞いても不快なのは不孝者の話である。
前者は結局幸運を得、後者は結局不運に泣く。
<感謝合掌 平成28年4月9日 頓首再拝>
宝くじ1等が当たって死に運を招く人~その1 - 伝統
2016/04/10 (Sun) 04:42:17
第16章 当たりくじを焼いて出世した話
~ 1等が当たって死に運を招く人もある
*「繁栄の書」(P177)より
《幸運でなく死に運が当たった》
○○県のNさんは、1等の宝くじが2年続けて当たった。
Nさんは考えた。
「わたしは金運がある。だからこの際、株式相場をやれば、忽ち億万長者になれよう」。
然しNさんの株式相場は当たらず、父祖伝来の財産の3分の1を無くした。
Nさんは驚いて株式相場をやめ
「子々孫々に至るまで、株式相場に手を出してはならぬ」と遺言し、
首を吊って死んでしまった。
もとを正せば宝くじの1等が2度当たったのが、不運の初めである。
それは幸運のようであるが、実は死に運を引き当てたことになるのである。
Nさんはそこに思い当たらなかったと見え、
「子々孫々まで宝くじを買うな」
とは遺言しなかったようである。
<感謝合掌 平成28年4月10日 頓首再拝>
宝くじ1等が当たって死に運を招く人~その2 - 伝統
2016/04/11 (Mon) 04:30:49
第16章 当たりくじを焼いて出世した話
~ 1等が当たって死に運を招く人もある
*「繁栄の書」(P177~178)より
《1等1000万円で弟に殺される》
次には宝くじの1等1000万円が当たったばかりに、
兄の受け取ったそのカネを取ろうとして、同室に寝ていた弟が兄を殺した。
そうして室内をさがしたが、23万円だけしかなかったという。
これは一昨年(56年)の各新聞紙上に出ていたことである。
若しこの兄である人に、1000万年の宝くじの1等が当たらなければ、
弟に殺されずにすんだはずである。
この場合の1等賞も、明らかに死に運を引き当てたということである。
私は常にいう、善事の裏付けのないカネは、
すべてアブクゼニであるから、身のためにはならぬのである。
このような実例があっても、あとからあとから宝くじ買いがたえない。
自分もそのような死に運を、引き当てたいということであろうか。
お蔭で宝くじ売り場は、いつも繁昌しているのである。
宝くじが当たって良い目を見た人は、私の知る限りでは一人である。
その人は1等の当たりくじ(その頃は賞金100万円であった)の金額を二分して、
予て望んでいた学校への寄付と、病院への寄付とに当てて、自分は1円も身につけなかった。
その人は感心な人だと、大いに賞讃されたというから、
この人の場合は、先ず目出たし目出たしといえよう。
<感謝合掌 平成28年4月11日 頓首再拝>
宝くじ1等が当たって死に運を招く人~その3 - 伝統
2016/04/12 (Tue) 03:10:21
第16章 当たりくじを焼いて出世した話
~ 1等が当たって死に運を招く人もある
*「繁栄の書」(P178~179)より
《金銭の尊さと共に恐ろしさを知れ》
貧乏人の困難の大部分は、カネさえあれば助かる。
そのカネがなくて困るのであるから「カネのないのは、首がないのも同様です」
などと、深刻なことをいわれる。
そこで「いくらあっても困らぬのはカネです」とか
「私はカネのためには何でもする」などという人もいるが、こういうことをいう人で、
大金持ちになった人もなく、晩年幸福であった人もないのである。
遺産5千億といわれた、ギリシアの船舶王オナシスは、果たして生前死後を通じて、
幸福であったであろうか。彼はカネにものをいわせて、欲しいと思う女性は、
全部意のままにしたというが、それが身のためになったかどうか。
ドイツの億万長者の息子は、自動車でもヨットでも女性でも、自由であったそうであるが、
23才で自殺している。「こんなのが人生ならつまらん」というのが、自殺の理由である。
彼は億万長者であったがために、カネに集まる人々だけを知って、
真心のある人、愛情ある人に会わなかったのではないか。
<感謝合掌 平成28年4月12日 頓首再拝>
《善事の裏付けのないカネの行方》 - 伝統
2016/04/14 (Thu) 04:29:05
第16章 当たりくじを焼いて出世した話
~ 1等が当たって死に運を招く人もある
*「繁栄の書」(P179~180)より
《善事の裏付けのないカネの行方》
高利貸しなどで人を泣かしながら造ったカネは、悪業の蓄積である。
そんなカネを自分の財産だと思っていると、そのカネは悪業を造りながら消えていく。
子孫のためになどならない。
私の知っている例がいくらもある。
暴利をとった者の子は浪費をする。
鳥の毛をむしるように、人の財産をむしり取った人(女性に多い)は、髪の毛が多く抜ける。
人を丸裸にするような、財産の取り上げ方をした者は、
頭が丸はげ(台湾はげという)になる。
他人の財産を横領したような者は、人に顔向けの出来ぬような悪業を造りながら、
その財産を無くしていく。
これらの事実はいずれも筆者が実例を知っているが、ここでは書かぬことにする。
只カネカネと思う人の参考に、以上のことを書いておきます。
善事の裏付けのあるカネというのは、例えば官庁や会社に勤め、毎日出勤し働いて得た給料、
善人が薄利で人々の便宜を計った上の収入、
最も尊いのは人のために尽くしながら得た報酬である。
これは無意味に消えず、役に立ちながら使われていく等。
<感謝合掌 平成28年4月14日 頓首再拝>
《身投げの少年を助けたご家人》 - 伝統
2016/04/16 (Sat) 03:54:24
第16章 当たりくじを焼いて出世した話
~ 1等が当たって死に運を招く人もある
*「繁栄の書」(P180~183)より
《身投げの少年を助けたご家人》
昔本郷のあるところに、四両二人ぶちとかいうご家人(幕府の家臣)が住んでいた。
或る年の暮れに半年分の俸給2両を受け取っての帰途、神田川近くを歩いていると、
一人の少年が突き当たった。捕えて見ると、
それは神田川へ身投げをしようと急いでいた少年であった。
事情を聞けば、その少年は築地の紙問屋の丁稚であった。
丁稚というのは店員たちの下働きをする少年のことである。
その少年はこの年の暮れに、主人の問屋の貸金1両を取りに行き、帰途そのおカネをスリに取られた。
そんな不首尾で帰ったら、厳格な主人に何と言われるか分からない。
迚もこのまま帰れないから、投身しようとして、神田川へ急いでいる所であったという。
「事情を聞くと如何にも気の毒だ。それでは私がその1両を上げるから、
何事もなかったことにして、主人のところへ帰りなさい」といって1両を渡すと、少年は
「見ず知らずの人から、こんな大金を貰って」といって頻りに恐縮する。
「大金というほどではないが、貧乏ご家人にとっては、半年分の米代だ。
然し人の命には代えられぬ、遠慮なく持ち帰りなさい」といった。
少年は何度も礼をいって立ち去った。
《千両の富くじが当たったが》
善い事をしたと思いながら、また反面には
「あの1両がなくなったので、この暮れに子供に着物一枚、家内に帯一すじ、
買ってやろうと思っていたのが、不可能になった」と思うと、
少々淋しい気持ちになって、本郷の切通し坂を登っていると、
神田明神の富くじを売っていた。
フトその富くじを買う気になって買い、袂に入れて持ち帰った。
夫の帰りが遅いので心配していた夫人は、夫の顔を見ると
「お帰りが遅いので、子供に夕食をたべさせ、先刻提灯屋へ品物を持たしてやりました
(生活の足しに、提灯の内職をしていたのである)。
それにしても、どうしてお帰りが遅かったのですか」と問うから、
1両で少年を助けた話をすると
「それは善いことをなさいました。
私たちのことは、私たちさえ辛抱すればよいのですから・・・」と言って、
夕食をしている所へ、表の方で瓦版売り(今の新聞の代わりのようなもの)が、
「さあさあ、神田明神の当たりくじの番号がわかる、さあさあ・・・」
と呼び立てている。
ご家人はそれをきくと、あたふたと駆け出して行った。
そこには一人の見知らぬ男がいて、その男も瓦版を買っていた。
ご家人も瓦版を買い行灯(あんどん)の火で見ていたが、袂のくじ札と見くらべて
「当たった当たった、千両の富くじが当たった。
千両以上は分限者だ(金持ちだという意味)、わしも明日から分限者か」
といってはしゃいでいると、夫人は眉をひそめ
「何をはしゃいでいるのですか」と問うからご家人は、
「1両を少年に与えて懐中(ふところ)が淋しくなったのを考えながら、
切通し坂を登っていると、神田明神の富くじを売っていたので、
つい買う気になり、買ったのが当たったのだ」
と説明すると、夫人はいよいよ眉をしそめ
「浅ましいお心になられました。大きくなって子供から『この家の財産は、
どうしてできたのか』と問われたら、何んと答えますか・・・。
浅ましいお心になられました」といって嘆いた。
そういわれると、ご家人も恥じ入って
「そういわれれば、誠に恥じ入ったことだ、面目ない」といって、考えていたが
「そうだ、この当たりくじを、心のこりのないように、焼いてしまおう」といって
行灯の火をかざして、焼いてしまったのである。
(次に続く)
<感謝合掌 平成28年4月16日 頓首再拝>
《寺社奉行に知られて出世する》 - 伝統
2016/04/17 (Sun) 03:47:47
第16章 当たりくじを焼いて出世した話
~ 1等が当たって死に運を招く人もある
*「繁栄の書」(P183~184)より
《寺社奉行に知られて出世する》
神田明神の方では、翌日当たりくじの千両を、取りに来るのを待っていたが来ない。
その翌日も来ない。その翌々日も来ない。
「どうもおかしい、何か変わった事情があるに相違ない」と考え、
寺社奉行にも報告した。寺社奉行も不思議がり、誰か事情を知っている者は、
申し出よということになった。
その時ご家人の家の前で、その夜瓦版を買った男が名乗り出た。
「私が瓦版を買った時、その家から飛び出して来て瓦版を買い、
当たった当たったと大声を出していた人がいた。その人ではないか」
ということから、役人が調べて見ると、当たりくじを焼いた事情が分かった。
寺社奉行にそのことを報告すると、
「珍しい、見上げた人物だ・・・大変貧しい暮らしをしているようであるが、
何か役につけてやれ」
ということになり、小普請方(こぶしんかた)という役がついた。
役につけばそれに伴って、別に俸禄が貰えるのである。
忠実につとめているうち、次第に出世してそのご家人は、遂に小普請奉行という、
五百石取りにまで出世したのであった。
この話はまだあとがある。
<感謝合掌 平成28年4月17日 頓首再拝>
《助けた男に助けられる》 - 伝統
2016/04/18 (Mon) 04:26:56
第16章 当たりくじを焼いて出世した話
~ 1等が当たって死に運を招く人もある
*「繁栄の書」(P184~187)より
《助けた男に助けられる》
その後そのご家人が、所用があって築地へ行き、勝鬨(かちどき)の渡し舟に
乗ろうとして待っていると、突然自分の袂を掴んだ者がある。
船の方では船頭が「さあ船が出ますよ、早く乗りなさい」といっている。
ご家人も船の方へ急ごうとするが、袂をつかんだ男が放さない。
「わしは早く船に乗らねばならん。袂を放しなさい」というと、
「どんなことがあっても、この袂は放しません。
お急ぎであろうが、是非私方へ立ちよって下さい」 という。
「あなたは一体どなたですか、私をなぜそんなに引きとめるのか」と、
ご家人が問うと
「あなたは昔、神田川に身投げをしようとした少年を、助けたことがあるでしょう。
私はその時助けられた少年です。私の主人はあの時も申し上げた通り、非常に
厳格な人であるから、店員も皆辛抱出来ずに去って行き、私一人が残っている時に
主人は亡くなり、問屋をそのまま私にくれたのです。
だから私は今では紙問屋の主人になっています。
自分の今日あるのは、あの時助けられたお蔭です。
お名前も聞かずにお別れしましたが、もう一度お目にかかって、しみじみお礼を
言いたいと思い、どのくらい捜したかわかりません。
それできょうやっと、お会い出来たのです」
ご家人も、そういうことであったのかと、嬉しく思いながら、紙問屋の座敷に
通って、もてなされていると、俄かに表が騒がしくなった。
何事かと聞いて見ると、さっき出た勝鬨の渡し舟が転覆して、大分死人も出たという話。
「あの船に乗っていたら、自分も溺死者の一人であったかも知れぬ。
昔、助けたお蔭で、今度は自分が助かったのだ」と思ったという。
この話は、私が曽て読んだ出版物に出ていた話です。
《英国にもゆかしい人あり》
宝くじの話を新聞で見るたびに、私はこのご家人の話を思い出し、
宝くじで当てようとする人の、身の上を案じていたのであったが、
数年前に英国の某氏が、宝くじの一等(当時の日本のおカネにして千五百万円)が
当たったのを、取りに行かなかったという話を新聞紙上で見た。
その英人はいう
「家財道具などでも、自分の働いたお金で、ひとつひとつ揃えてこそ楽しいので
あって、偶然の当たりくじなどを、あてにすべきではない」
と言っていたという。
英国にも、そのような、ゆかしい人があったかと、感慨を催したことであった。
・・・
正しくない収入(善事のウラ付けのない収入)に、手をふれた人は、
そのために一生を誤ることがある。
反対にそのような収入を捨てた人は、必ず神によって報いられる。
これだけの事理に通達せる人は、疑惑事件などにはかかわらない。
<感謝合掌 平成28年4月18日 頓首再拝>
《奇蹟はいつ起きるか》 - 伝統
2016/04/20 (Wed) 04:20:48
《奇蹟はいつ起きるか》
*「繁栄の書」(P200)より
医師が見はなした病人が簡単に治り、或いは人間智では到底超えられぬと
思われた苦難が、不思議に超えられた時、人々は奇蹟といいます。
奇蹟はどうして起きるかといえば、それは全智全能の神の力が現れた時です。
全智全能の神には不可能はないのだからです。
私たちも修行の結果、いつでも神智と一体の境地にいれば、
その人の生活は奇蹟の連続ということになります。
皆さんと共に早くそのような境地に到りたいものです。
・・・
*「繁栄の書」(P210)より
釈迦は財宝、妻子、国城を捨てて6年間の苦行の結果、
”万人はその現状に拘らず、皆本来仏である”
という、宇宙大の鉱脈を発見した。
イタリアのマルコーニは、空中を結ぶ無線通信という鉱脈を発見した。
米国のヘンリー・フォードは、馬の運ぶ馬車よりも早い、
馬の要らぬ自動車を発明した。
鉱脈は空中にも、地上にも、地中にも、無限に存在するのである。
<感謝合掌 平成28年4月20日 頓首再拝>
日本の良き国柄の奥の深さ - 伝統
2016/04/21 (Thu) 04:19:18
*「繁栄の書」(P215~219)より
戦前に行なわれていた教育勅語の冒頭に
我が皇祖皇宗国を肇(はじ)むること宏遠に、徳を樹(た)つること深厚なり
とある。
国を肇(はじ)むること宏遠にとは、
我が国は神代と共に肇(はじ)ったのであることをいう。
徳を樹(た)つること深厚なりとは、皇祖皇宗が世々国民を愛し、
且つ生かして来られたことをいう。
世界広しと雖も、教育方針の初めに、このような文句を書き得る国は、
日本の外にどこにあろうか。
戦後独逸国の首相として有名であったアデナウアー氏が、
日本の教育勅語を見て、激賞したといわれる所以である。
人皇第十六代の仁徳天皇は
高き屋(や)に 登(のぼ)りて見れば 煙(けぶり)立つ
民の竈(かまど)は 賑(にぎは)ひにけり
といって喜ばれた。
それは3年間租税を免ぜられた上でのことであるから、皇室は乏しい生活を
せられていたが、それにもかかわらず、この難波の町の炊煙(しえん)の
盛んなのをご覧ぜられて、
朕すでに富あり
と喜ばれた。
これが仁徳天皇のみならず、歴代天皇の大御心である。
第三十八代の天智天皇は
秋の田の 刈穂(かりほ)の庵(いお)の 苫(とま)をあらみ
わが衣手は 露にぬれつつ
と詠まれた。
苫(とま)が荒くて稲が露にぬれるになぞらえて、ご自分の政治の行き届かぬ
ことを嘆かれ、御袖を絞らせ給うたことの御述懐である。
さらに第六十四代円融天皇の如きは、御即位後縷々起こった天災地変に、
深く感ぜられ
是れ朕が不徳によれり、速やかに帝位を去って天に訴え、
有徳(うとく)の君に践祚(せんそ)なさしめて、民の憂いを助けん
と、御涙を浮かべて仰せられ、一度は群臣に遮られ、御退位を果せなかったが、
後には群臣に計らず、御一存にて退位されている。
時に御年二十六才なりしと伝えられている。
明治天皇におかせられては、その御即位早々の明治三年の御親翰(ごしんかん)にて、
次の如くに仰せられた。
今般朝政一新の時に当り、天下億兆、一人もその処を得ざる時には、
皆朕が罪なれば、今日の事、朕自ら身骨を労し、心志を苦しめ、艱難の先に立ち、
古(いにしえ)列祖の尽させ給いし蹤(あと)を履み、治績を勤めてこそ、
初めて天職を奉じて、億兆の君たる所以に背かざるべし(後略)
と仰せられて、御自ら実践躬行せられた。
明治二十七、二十八年の日清戦争の当時には、大本営を広島に進められたが、
厳寒の日も火鉢一つにて暖をとられ、暖房について進言する者があっても、
戦場にいる将兵の艱苦を思いやられて、悉く退けられ、広い御部屋に
只御一人で起居せられた。
明治三十七、八年の日露戦争の時には
よも方の海 みなはらからと 思う世に など波風の たちさわぐらむ
と嘆かれ、さらに
国のため あだなす仇は くだくとも いつくしむべき 事な忘れそ
と仰せられた。
かかる大御心を奉体していたから、ロシアの捕虜が初めて到着した時には、
愛国夫人会の人達が出迎え、茶の接待をして、各国人を驚かしめた。
これらの記事が米国にも伝えられて、当時の大統領セオドル・ルーズベルトを
感動せしめ、日露講和の斡旋に乗り出さしめた。
今上陛下(昭和天皇)は過般の大戦争に御賛成でなかったが、閣僚一致の奏請に
余儀なく宣戦の詔勅公布を御承認なされたのであったが、
占領軍司令官のマッカーサー元帥に御対面の時には(昭和20年9月27日)
「今度の戦争の責任はすべて自分にある・・・それゆえ絞首刑も覚悟している。」と
申し出でられて、マッカーサー元帥を感激せしめた次第は、別の項に述べている。
誠に「わが皇祖皇宗国を肇(はじ)めること宏遠に、徳を樹(たつ)ること深厚なり」
である。
<感謝合掌 平成28年4月21日 頓首再拝>
至道無難、唯揀択を嫌う - 伝統
2016/04/22 (Fri) 03:19:58
*「繁栄の書」(P228)より
禅宗の三祖僧璨大師の信心銘の最初の言葉が
「至道無難(しどうぶなん)、唯揀択(けんじゃく)を嫌う」という言葉である。
信心銘のそれ以下の文章は、それの解説である。
つまり至道の道といっても、むつかしいことはない。
唯揀択即ちより嫌いをしてはいかぬというのである。
紫雲荘発行の生活標語一日一言の三日の項に
「何事によらず、眼前に現れることに最善を尽せ」とあるのは、この意味である。
寄付や無心に来た者にも、うまく居留守を使って、ごまかすようなことをするな。
そういう人が来るのには、それだけの因縁があるのであるから、
うまく避けたらよいのではない。
イエス・キリストはその点に関して
「悟らんとするものを退くることなかれ」
といっている。
なかなかむずかしいことであるが、尊い教えである。
・・・
<参考>
(1)伝統板・第二生活標語一日一言
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6618770
(2)伝統板・第二「生活標語「一日一言」解説」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6711242
<感謝合掌 平成28年4月22日 頓首再拝>
放生を続けている話~その1 - 伝統
2016/04/30 (Sat) 04:17:08
*「繁栄の書」(P229~230)より
第21章 世に立つ私の信念
~放生を続けている話 (東京都 大島啓資)
人の幸福は、天から降ってくるものでもなければ、地から湧いて来るものでもない。
成人迄は両親及び御先祖様、並びに前世に於いて宇宙万物神霊に対し報いたる、
善根の実績大小悪根の大小によって好むと好まざるとにかかわらず、
その運命を背負って現世に誕生し、同時に宇宙天海に運命の星が生まれ、
一生行動を共に運行す。
此の間時計の針の如く善悪総ての行動が、宇宙の法理版に刻まれ運命を築く。
聖人君主の星は宇宙大海に、燦然として天啓を照らす。
成人迄は両親御先祖様の恩恵加護を受け、成人以後は如何に良い運命たりとも、
感謝もせず、悪業の限りを尽せば、己自身のみならず子孫迄、因果は永遠に続く。
しかし如何に悪しき運命たりとも、分限に応じ、常時善根を積む努力をする者は、
必ず運も道も開け、神仏の加護を受け、光明の世界に入り、
感謝と幸運の日々を送ることが出来る。
けれども先ずもって願う以前、祈る以前に、宇宙の法理に順応し、
常時善根を積む実績を蓄積する事である。
以て宇宙法理にのっとり、人倫の戒律に徹すれば、時には人命迄も増約しさずけ受けると
言う、目に見得ぬ神秘の宇宙法理の世界のある事を、速やかに知るべきである。
此の心を基に分限を知り、法理を知り、常時人理の努力を尽さば、
十人が十人、百人が百人、分限の幸福を得、感謝の日々を送る事が必ず出来る。
次に信念を綴る
(信念一途 ~ 略)
<感謝合掌 平成28年4月30日 頓首再拝>
放生(ほうじょう)を続けている話~その2 - 伝統
2016/05/01 (Sun) 04:26:02
*「繁栄の書」(P231~233)より
(放生とは捕えられて、殺されることになっている生き物を、
買って放ちてやり、命を助けることをいう。)
私が放生会を始めたのは、11年前からです。
11年前徳風会へ入会し、11年前の供養後のひととき、
徳風会会長の竹谷聡進先生より、大島さん多摩川の水は、
魚が住めますかと尋ねられました。
私はコイやフナは沢山住んでおりますというと、
フナでもどじょうでも良いから、放生会しあtらといわれました。
その1年前、妻の生死に直面しました。
すがる思いで神仏に祈願しました。
人間身内の事となると身勝手なもので、人の命の尊さを身にしみて
感知すると同時に、生あるものの命の尊さを熟知しました。
たかが人間一人の命を救わんがために、命がけで神仏に祈願するあわれさ、
かなしさ、私は3日間食事もしませんでした。又食べたくもありませんでした。
牛や馬もブタも命をたたれる時は、言葉に尽せないかなしい事だろうと、
身にしみて思わず涙し、無常さにうたれました。
自分だけでもせめて今日から、肉はたべまいと決心し、心に誓いました。
それから11年、鶏肉たりとも食べた事がないです。
他人には強要は致しません。
11年前竹谷聡進先生にいわれた時感謝して、
その月に多摩川へ放生会を始めました。
妻の事があったればこそです。
なお放生会を知った事を、妻に感謝しております。
つい先頃のことと思いきや待つ歳月は長く、過ぎ去りし歳月は速いものです。
早や11年。
川に放してやると、どじょうが眼を輝かせ、喜びの光が私の心にささやきます。
有難う、有難う。
何百何千のどじょうの喜びと感謝の言葉が、私の心へ波うって聞こえて来ます。
陰陽の波長か霊波か、私には聞こえて来ます。
そして私の罪も穢れも洗い流し、一点のチリもなく清浄の化身の如く、
悦びと感謝が泉の如く無限に全身に、とうとうと湧いて来るような一時です。
そうして現在の幸せに感謝し、今後この幸せに報いるべく、努力するのみです。
人の一生は善意と感謝に報い、努力してこそ幸福が生まれて来るのではないでしょうか。
・・・
付記
大島さんの真面目な人柄が、紙背に徹している思いである。
今昔物語にも「長命なる者は、先生(せんしょう)に(前世に)
放生(ほうじょう)を行ぜし者ぞ」とあります。
大島さんのお話は尊いです。
・・・
信心深ければ深いほど、汲んでも尽きぬ滋味が出る。
尊い哉、有難い哉。
<感謝合掌 平成28年5月1日 頓首再拝>
Re: 繁栄の書
- jvgvlozlnt
URL
2020/08/29 (Sat) 03:51:14
伝統板・第二
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