伝統板・第二
実践力 - 伝統
2016/06/22 (Wed) 03:47:53
決意をもって断じて行え
*「光明法語」(6月22日)より
「断じて行えば鬼神も避く」と諺(ことわざ)は言う。
道は、決然たる意志の前にはその扉を開く。
道がなければ自分が道を造れば好い。
キリストは「我は道なり」と言った。
八方が塞がっても上方はあいているのだ。
上方は神に通ずる道である。道なき時には神に頼れである。
不可能を可能にかえ得るものは決意である。
「意志の教育こそは吾人存在の目的である。
断乎たる決意ある者の前には常に時と機会とが待っている」とエマーソンは言っている。
世界を動かす梃子(てこ)は意志の力である。
<感謝合掌 平成28年6月22日 頓首再拝>
勇気をもって決断し、情熱的に行動すること - 伝統
2016/07/03 (Sun) 04:13:54
勇気をもって決断し、情熱的に行動すること
~幸せな金持ちになる17の秘訣⑭
*「ユダヤ人大富豪の教え」本田 健・著 より
(1)決断を瞬時にする
①決断を先延ばしにしている人も、大きな決断を知らずにやっている。
それは「いまは決断しないでおこう」という決断だ。
これが、人生でも最も大きな落とし穴のひとつだ。
②決断を先延ばしにしてしまう人は、
人生を無駄に過ごすと決断していることを知らないのだ。
(2)どんなことでも自分で決定する習慣を身につける
ー決断力をつける5つのポイントー
①どんなことも意図的に決める。
◎どんなくだらないことでも積極的に決めなさい。
◎普通の人は、間違った決断を恐れ、何も決めない。
普通の人は、決断の結果で出てくるかもしれない一時的なイヤな
感じから逃れるために、一生を失敗ので過ごしてしまう。
◎成功する人は、間違うリスクを犯すことが、
いちばんリスクが少ないと知っている。
だから、失敗するイヤな感じといつも対決し、積極的に行動する。
②人生の価値観、優先順位をはっきりしておく。
◎多くの人は、自分が何を望んでいるかわからない。
成功して金持ちになる人は、ふだんから何になりたいのか、
どこに行きたいのかはっきりしている。
③決められないときは、自分で納得いくまで待つ。
◎すぐに決断できないときは、ひょっとしたら、直観が何かを教え
ているのかもしれないと考えなさい。
◎自分の心に聞きなさい。そして、的確な決断を下す訓練を積みなさい。
◎次から次へと決断をしていかなければいけない。
すべての情報が出そろうまで、決断を下すのを待ってはいけない。
④決断に失敗はないことを知る。
◎多くの人が決断をせずに、先延ばしにするのは、失敗が怖いからだ。
小さい頃から失敗は最悪のことだと刷り込まれてきたので、当然の反応だ。
◎人生では、いいことも悪いことも起こる。
それは、ある状況をどう捉えるかによって変わってくる。
そう考えると、決断せずに、何もやらないというのが
いちばん害になることがわかるだろう。
⑤一度決めたら断固たる態度で前に進む。
◎その道を進むと決めたら、迷わないことだ。
その道を決然として歩いていくと、障害のほうから退いてくれるだろう。
◎行動力は成功の要素の中でも、いちばんと言ってもいいほど大切なものだ。
◎普通の人は、小さい頃からの刷り込みで、
間違うことへの異常ともいえる恐怖感をもつようになる。
◎実際の人生では、間違ったり、失敗しなければ何も学べない。
◎行動するときには、無意識のうちにこの失敗への恐れは出てくる。
それを乗り越えて、行動できるかどうかが鍵だ。
失敗に強くならなければ、よい成績を上げることはできないのだ。
<感謝合掌 平成28年7月3日 頓首再拝>
渋沢栄一の行動は一貫して「世のため人のため」 - 伝統
2016/07/18 (Mon) 04:36:29
*佐々木常夫のリーダー論より
渋沢栄一は今の埼玉県深谷市の農村の息子として生まれさまざまな運命を経て
実業家として活躍した。日本初の銀行などおよそ500の会社と600の教育福祉事業の設立に
関与し「日本の資本主義の父」とも呼ばれている。
私の渋沢栄一との最初の出会いは彼の著書「論語と算盤」である。
論語は道徳で、算盤とは経済のことであるがこの本の中で渋沢は経済では
「公のために尽くす」といった確固とした倫理観と道徳観が必要であると述べている。
論語にある道徳と利益を目的とする経済という一見かけ離れた二つを融合させる
ということを渋沢は明治の初期にやってみせた。
ピーター・ドラッカーは渋沢を
「日本の誰よりも早く経営の本質は「責任」に他ならないということを見抜いていた」
と40年前の「マネジメント」で書いている。
渋沢の行動は一貫して「世のため人のため」という私心のなさで貫かれている。
資本主義に対する彼の思想は、時代や国境を越えているかのようだ。
「論語と算盤」が契機となって私は彼に興味を抱くようになった。
渋沢栄一の最大の特徴はその類稀な好奇心であり全身が受信機の塊のようなもので、
どのような逆境に置かれても逆境を意識する暇がないほど取りつかれたように
興味を持ち勉強し提案する。
自藩武州の代官所を襲う計画がばれて、郷里におられず逃げ込んだ京都の一橋家に拾われ、
そこで毎日勉強し何度も提案した建白書が主君の慶喜に認められる。
パリの万国博覧会に15代将軍慶喜の弟清水昭武が派遣されるが、
随行する尊王攘夷の水戸藩と幕府の外国奉行の混成チームをまとめられるのは渋沢だろう
ということでフランスに一緒に行くことになる。
異常な好奇心を持つ彼は、パリの下水道の中を歩き回り、
アパートの賃貸契約のやり方などをすべて書き留めるなど
ヨーロッパの文化と知識を吸収していく。
吸収魔といわれるほどの受信能力を持つところが、
彼の強みでありこうした性格が何でもない農村の一少年を日本最大の経済人に仕立て上げた。
パリにいる間に幕府は倒れ、新政府から急遽帰国させられる。
主君の徳川慶喜は隠居して静岡に謹慎していたので自分もその近くに住む。
パリで勉強しまくったという評判を聞いて大隈重信が新政府の大蔵省へ来るよう説得し、
そこで持ち前の吸収魔と行動力で地租改正、鉄道敷設、暦の改訂などの大仕事をしていく。
その後、強烈な生き方を積み重ねどのような困難なときでも初心を失わず、
ぶれない性格が形成されていく。
渋沢のもうひとつの特徴は対人関係能力である。
彼は晩年に至るまでいつも自分の目の前にいる人にこころのすべてを傾けて対応した。
どんなときでもどんな人に対しても同じ態度だった。
いつも初心を忘れず自分に安住せず人から学ぼうとする力。
私はその人が成長するかしないかは
出会った人や経験から学ぶ力があるかどうかが大きいと考える。
私はそれを学ぶ力のある人、即ち「学力がある人」と呼ぶが、
学ぶ力がある人は人や経験から学ぼうとする「謙虚さがある人」だ。
なぜ渋沢がそうしたかというとどんな人にも必ず良いところがあり、
それを学ぼう、認めよう、引き出そう、伸ばそうという強い信念があったからだ。
簡単に人を馬鹿にしたり否定したりもしない、
リーダーというのはどんな人も受け止め認めるという「懐の深さのある人」である。
渋沢栄一は明治維新後における日本経済界をリードし「日本資本主義の父」と呼ばれた。
第一国立銀行、日本郵船、キリンなど数多くの会社を興すなど日本経済発展のもとを
作り上げた明治時代の最大の経済人で、その存在感は今でいったら日本経団連会長の
10倍以上であったであろう。
そして彼がそれほどのリーダーになった理由は、
その類稀なき好奇心とすべての人を受け入れる人間関係能力であると書いた。
しかし彼の著した「論語と算盤」を読むとそうした渋沢の性格や行動の多くは
論語から大きな影響を受けたことがわかる。
論語を愛読するリーダーは多いが、
おそらく渋沢ほど論語を自分の人生のバイブルと位置づけ、
繰り返し読み、考え、身に付けてきた人はいないといってもいい。
論語は、今をさかのぼること2千5百年ほど前、中国の春秋という時代を生きた
孔子の言葉を集めた語録で、この本に収録されている章句の数は5百くらいで、
短いものは五文字、長くても三百字。
全部で一万三千余字。四百字詰め原稿用紙では、
きっちり詰めて書いたら三十数枚にしかならない。
マックスウェーバーは、キリスト教プロテスタントの宗教的倫理観に基づく
思想によってこそ資本主義は発展するとした。
つまり経済活動においては誠実かつ勤勉であることが重要だと指摘した。
それに対して、渋沢は武士道精神、特にその中核になっている論語の教えこそ
日本ビジネス道の基本としなくてはならないと考えこの本を著した。
日本を開国しいち早く経済を立ち上げようとしたとき、
そのコアにあったものが武士道であり論語であったということは興味深い。
渋沢が多くの官界からの誘いがありながらそれを断り、
経済界で仕事をすることを決意したとき、
友人が「卑しむべきお金に目がくらんだのか」と批判した。
これに対し彼は「お金を扱うことがなぜ卑しいのか、
君のように金銭を卑しむようでは国家は成り立たない。
官が偉い、身分が大事ということはない。
人間の勤むべき仕事はすべて尊い。
私はビジネスを論語の教えで一生貫いてみせる」と反論したという。
事実、彼はこの後、500もの会社を設立し日本の近代経済をリードする礎を築いていく
わけだがその成功の原動力は論語の思想の実践にあったといってもいい。
論語をそらんずるまで読み込み骨の髄まで身に付けていった結果、
論語が渋沢のあらゆる行動の起点になった。
「私心を入れない、逆境は人を育てる、誠実と思いやりを大切に、自分を知る、
大事と小事の扱い方、目の前の仕事に全力を尽くせ、常識とは何かーーー」このような
論語の考え方を事業経営の基本的考え方と位置づけることによって事業の成功に結び付けた。
たしかにリーダーは生まれながらの資質によるところ大であるが、
それ以外にその人の周りにどのような指導者がいたかとかどのような書物に出会ったか、
そしてその中で努力することで優れたリーダーになっていくこともある。
そういう意味ではリーダーは生来のものではなく人生の中で育んでいくもの、
経験の中で自ら掴み取っていくものともいえる。
日本人にとっては渋沢が論語に出会ったことは僥倖としなくてはならない。
<感謝合掌 平成28年7月18日 頓首再拝>
「心」が伴った「言葉」と「行ない」 - 伝統
2016/07/29 (Fri) 03:42:06
*『生命の實相』第38巻幸福篇(下)<7月29日>(P32~33)より
生長の家では、心と言葉と行ないとこの3つが一致しなければならないのである。
「イエス言い給う『なんじらも今なお悟りなきか。すべて口に入るものは腹にゆき、
遂に厠に棄(す)てらるることを悟らぬか。されど口より出(い)ずるものは心より出ず、
これ人を汚すなり』」と「マタイ伝」第15章16節~19節にある。
またあるところでは「主よ主よと言うもの必ずしも天国に入るに非ず、天の父の御意(みこころ)
を行なう者のみ天国に入るなり」ともイエスは言っている。
口先ばかりでも救われないし、行ないばかりでも救われない。
心が伴った言葉、心が伴った行ないでないと救われないのである。
<感謝合掌 平成28年7月29日 頓首再拝>
【「わかる」とは「かわる」こと】 - 伝統
2016/08/11 (Thu) 04:15:46
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2016年07月30日)より
(京都文教大学学長、平岡聡氏の心に響く言葉より…)
ルールを守り、決して約束を破らず、受けた恩には必ず報いる人を
「律儀な人」といいますね。
この「律儀」とは仏教用語で、本来は「りつぎ」と読みます。
通常は「実直で義理がたいこと」という意味で使われますが、
これは本来の意味から派生して出てきた語意です。
では仏教用語としての「律儀」はどのような意味なのか。
この言葉の意味と、《心》と《からだ》の関係について考えてみましょう。
「悪いとわかってはいるが、やめられない」とか、
「よいとはわかってはいるが、できない」ということを人はよく口にします。
これは「頭では理解できているけれど、からだでそれが実行できない」ことの表明で、
その前提には「心とからだは別」という考え方があります。
はたして《心》と《からだ》は別物なのでしょうか。
解剖学者・養老猛司氏と物理学者・佐治晴夫氏の対談を収めた
『対談・「わかる」ことは「かわる」こと』(河出書房新書)という本に
こんな話が載っています。
あるとき、佐治氏は高校で理科を担当している先生方の研修会に呼ばれ、
宇宙に関する一般的な話をされたそうです。
すると講義後、立派な学歴と業績を持つ先生が佐治氏のもとにやってきて、
「先生が話されたことは全部知っている。それよりもビックバンが起こる前に、
どんなゆらぎがあったか、そこのところの数学的な話が聞きたかった」と言ったそうです。
そこで佐治氏はこう答えました。
「宇宙のことを知るということは、宇宙のことをあなたが勉強して知ることによって、
あなたの人生がどう変わったかということをもって、知る、ということなのです。
あなたは生徒に、授業を通して彼らの人生をどのように変えられるか
ということを念頭において、地学の講義をされていますか」と。
そして「《わかる》ということは《かわる》ということである」と結ばれていました。
その人の行動が《かわった》ことをもって、
本当に《わかった》ことになる、という指摘。
行動に示せなければ、わかったということにはならないのですね。
仏教には修行がつきものです。
では修行することの意味は何か。
それは、ここで問題にしている《わかる》と《かわる》を例にとっていえば、
さきほどの《わかる》→《かわる》という方向とは逆に、
《かわる》→《わかる》という方向で理解することができます。
《わかる》→《かわる》が《心》から《からだ》に働きかける方向なら、
《かわる》→《わかる》は《からだ》から《心》に働きかける方向です。
つまり、行動が《かわる》ことによって、
ある境地を理解する、すなわち《わかる》ということになります。
まずは形から入るというわけです。
仏教は最終的にはさとりを目指しますが、いきなりはさとれません。
そこでブッダが制定した戒律を守り、また修行を重ねることで、
さとりの境地を体得する(わかる)ことを目指すのです。
仏教での「律儀」とは、「殺さない・盗まない」等の戒律を守ることで、
《悪を抑制すること》を意味します。
これが習慣化すれば、悪を犯そうと思っても犯せなくなり、
その「善の習慣化(律儀)」が結果としてその人にさとりをもたらすのです。
以前、「腕を大きく振って歩いたら、気持ちも大きくなりました」という
松嶋菜々子さん出演のお茶のCMがありました。
行動(からだ)を変えることで気分(こころ)が変わる
という好例を示すものとして印象に残っています。
<『ブッダの処世術』ワニブックス>
・・・
中国、明の学者、王陽明は伝収録の中で、
「事上磨錬(じじょうまれん)」と言っている。
事上磨錬とは、実際の行動や実践活動を通して、知識や心、精神を磨くこと。
実行の中にのみ、学問がある、と。
つまり、知っていても行わなければ、知らないのと同じことになる。
「わかった人」は、それが実際の行動にあらわれている人であり、行動の変革ができる人。
「知行合一」という知識と行動が一体の人。
行動の人は、影響力を持っている。
影響力とは人を変える力。
実践の人でありたい。
<感謝合掌 平成28年8月11日 頓首再拝>
行動 - 伝統
2016/08/22 (Mon) 04:36:42
*「ドラマ思考のススメ」平野秀典・著(P99~100)より
「毎日がオーディション」をモットーとして生きる人は、行動が積極化されます。
一見マイナスの出来事も、表現力を磨く絶好の機会ととらえます。
「ドラマ」の語源は、古代ギリシャ語の「ドラーン」、行動するという意味です。
幸運をつかむ人は後回しにしない人です。
お礼を伝えることも、返事をすることも後回しにしません。
すぐに連絡することがどれほど相手に残す印象と余韻が違うかを知っています。
行動が積極化すると、自分の表現力を磨くことに喜びを覚えるようになります。
それは、幼いときに初めて歩けたことを喜んだように、
初めて自転車に乗れたときに感動したように、
人間の根源的な喜びにアクセスできるようになります。
行動力は、行動することで磨かれます。
女優の美しさは、静止画ではなく動画の美しさです。
《成功とは、名詞でも形容詞でもなく、動詞から生まれます》。
生きるとは表現すること。
価値あるものを創造することも、他者を喜ばすことも、世界に貢献することも、
豊かな表現力がもたらしてくれます。
世の中には、2種類の人間しかいません。
表現力を磨くのを放棄した人と、表現力を磨くことを続けている人です。
《成功を準備している人へ幸運とチャンスが降ってくる! 》
・・・
<参考Web:人生はドラマ
→ http://100bai.xyz/doramashikou >
<感謝合掌 平成28年8月22日 頓首再拝>
《熟慮の後の断行は斯(か)く実行せよ》 - 伝統
2016/09/13 (Tue) 04:56:37
*『 生長の家 』(昭和24年8月20日の法語)より
ジュリアス・シーザーがイタリー国境にある
ルビコン河迄(まで)兵を進めた時に
未(いま)だ如何(いか)なる他国の軍隊も
この国境をこえたものがないという
神聖なる河を渡るにのぞんで
さすがの彼の心が動揺したということが伝えられている。
その時シーザーは絶体絶命の境地に立ったのである。
「 自分を殺すか、祖国を殺すかどちらかだ 」 と彼は考えた。
それが彼の熟慮であった。
その時彼の心の中にすべての動揺が消え去ったのである。
彼のこの熟慮の後の決意によって世界の歴史は変わったのである。
彼はあらゆる要素を考えて見てその中のただ一つに
自分の決意をそそいだのである。
私は戦争の話をしているのではない。
あらゆる人生の問題の解決の一例として
シーザーの決意を例に引いたのである。
かくて彼の有名なる 「 吾(われ)来たり、吾見、吾克服せり 」
の標語が生まれてき来たのである。
この言葉の中に処世の格言ともいうべき尊いものが
含まれていることを指摘したいのである。
凡(あら)ゆる問題の条件を心に描いて
ただ一つの目的を採択しその反対のすべてのものを犠牲にする
ということは人生の成功にもっとも必要なやり方なのである。
これが本当の 「 熟慮断行 」 である。
周到なる熟慮と躊躇(ちゅうちょ)逡巡(しゅんじゅん)とは
異なるのである。
学校へ行くにしてもどの学校を選ぼうかと
何時(いつ)までも決定を残しているのは 躊躇逡巡である。
凡ゆる学校の特徴と性格とを充分比較考慮して、
この学校と決めたならば
その一つに対して全生命を傾倒するのが熟慮断行である。
http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12826529.html
<感謝合掌 平成28年9月13日 頓首再拝>
熟慮し迅速に行動する - 伝統
2016/09/21 (Wed) 03:47:38
*『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月21日)より
精神力をみだりに分散しては、
その戦力を消耗して大いに成功することはできないのである。
一人一業はその意味において成功の一つの要素である。
一業を志してそれに立ち向かう以上は、
その方面にのみ心を集注しなければならぬ。
左を顧み、右に秋波を送り、精神力を四方八方に分散していて、
一業といえども水平線以上に出ることができないならば、
その人が成功しえないのは当然のことである。
しかし、その事業に関することはあらゆる方面にわたって知識を収集し、
熟慮した上は迅速に断行することが必要なのである。
心に念じて描いておけば、
自分はなんら行動せずとも天から富が降って来ると考えてはならぬ。
<感謝合掌 平成28年9月21日 頓首再拝>
時を移さず行動に移す - 伝統
2016/09/22 (Thu) 03:30:08
*『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月22日)より
心を常に積極的に明るく建設的にのみ使うように心がけよ。
悲観的な暗い心を起こしたときに考えついたことは
常に多少とも破壊的なものである。
一つの仕事をあらゆる方面からゆきわたって考察したならば、
それを行動に移さねばならぬ。
目的とする事物の実現に必要だと思われる手段は、
時を移さず行動に移さねばならぬ、
1分遅れたために汽車に乗り遅れることもあり、
1分遅れたために踏切りで汽車に轢かれる人もあるのである。
時を得ない行動は役に立たぬばかりか、破壊的なことがある。
善き考えも時を失えば悪しき結果をひき起こす。
全然「悪」というものはないのであって、
時を失い、処を得ない状態が「悪」である。
<感謝合掌 平成28年9月22日 頓首再拝>
理想へ精神を集注し、ひたすら歩む - 伝統
2016/09/25 (Sun) 03:25:59
*『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月25日)より
「夢を描け」と教えられても、無駄な空想に溺れて、その夢を右に左にふらふらさせて
とりとめもないことに時間を費やせという意味ではないのである。
かくのごとく、目標も理想もなく、進むべき中心点のない夢に耽ることは
精神力の浪費にすぎないのである。
これに対して、一つの目標または理想に向かって精神を集注し、かくて得たるヒントを
建設的に組み立ててゆく努力は、精神力の鍛錬にあるのである。
かくて、その人の行動は正しい方向に載せられ、一歩一歩築いてゆくとき、
ついにも目標に到達することができるのである。
一歩も歩まないものは百歩先を見ることができないのである。
遠くが見えなくとも歩いて行けばわかる。
<感謝合掌 平成28年9月25日 頓首再拝>
【リーンスタートアップ】 - 伝統
2016/10/11 (Tue) 03:25:15
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2016年09月12日)より
(奥田浩美氏の心に響く言葉より…)
私は、ビジネスの世界では、重要な案件であればあるほど、
デスクでじっと考えても埒(らち)が明かないと考えています。
ある程度考えることは必要ですが、
むしろ具体的にあれこれ行動して検証していったほうが、
スピーディに解決するケースが多いのです。
たとえばある食品会社で、
「定番ドーナツにシロップをかけた新商品」を開発しようとしているとします。
会議室で企画書の字面だけをにらみながら何時間も議論するのと、
実際にドーナツをつくってみて、試食してもらい、その感想や意見を参考に
試行錯誤するのと、どちらが有益だと思いますか?
明らかに、後者のほうが具体的な意見がどんどん出てきて、
次のアイデアにつながります。
通常、新商品を開発する際には、
このようにプロジェクトを検証しながら考えるのが当たり前です。
私のいるIT分野でも今、実際にサービス自体を市場に出して
反応を見ながら製品を作っていく手法が本格的に広がっています。
失敗をあらかじめ想定し、
成功が導かれることを想定したうえでチャレンジする
「リーンスタートアップ」手法と言うとピンとくる人もいらっしゃると思います。
グローバル時代の今、ほとんどの製品は
国外で発売することを想定してつくられています。
「発売して終わり」ではなく、発売後も、どんどん仕様を変えて
バージョンアップさせ、世界中に広めていきます。
ひと昔前までは、世界共通で使われているものは、
車をはじめとする工業機械が中心でしたが、
今は、洋服、食品など多様な品が一気に市場に投入されていく時代です。
また、最小単位で動くものをつくることもポイントとなっています。
できるだけユーザーの意見を引き出しやすくするため、
最初から複雑な機能を搭載させず、シンプルでわかりやすいものをつくるのです。
それを各国で展開していく中で次から次へと「取り入れる仕組み」、
「捨てていく仕組み」ができていきます。
私たちの社会では、まだそこに気がつかないまま
複数の合意を得て進め、完全なものを出そうといった
昔ながらのやり方をしているように思います。
しかしこれからは、時代に合わせて、
決断も、新しいものを受け入れる速度も、仕事のスピードも、
どんどん速めていかざるをえません。
それどころか、自ら変わっていく時代だと思います。
もしあなたの職場が少しでも「完璧を目指すより、まず動くものを」
という文化が受け入れられそうな世界なら、まずは完成していなくてもいいので、
周囲に働きかけてみてはいかがでしょうか。
その後、いろいろな反応をもとに、80点、90点へと高めていけばいいのです。
《「30点スタート」から80点、90点を目指そう》
<『人生は見切り発車でうまくいく』総合法令出版>
・・・
奥田氏は本書の中でこう語る。
「アメリカのシリコンバレーでよく言われる言葉が、
『完璧を目指すより、まず動くものを』。
彼らは、完璧な製品やサービスができるまで待つことはない。
小さなビジネスの種を見つけたら、まずは形にしてみる。
そして最低限のものができあがったら「試作品」として市場に出し、
お客様とともに商品を育てていくというやり方をとっている。
それが『リーンスタートアップ』という起業の手法」
【草履(ぞうり)片々、木履(ぼくり)片々】
黒田官兵衛の言葉だ。
片足に草履、片足に木履(げた)を履(は)いた不完全な状態でも、
人には走りださねばならない時があるということ。
まさに、「リーンスタートアップ」と同じ。
コンピューターの出現以来、
ITやIOTに関することは想像を絶するほどの速さで変わっている。
ますます、行動の速さが問われる時代となってきた。
<感謝合掌 平成28年10月11日 頓首再拝>
《行動が重要》 - 伝統
2016/10/24 (Mon) 03:36:59
*「夢がかなうとき、『なに』が起こっているのか?」
石田久二・著(P172~182)より
(1)一定のエネルギーを得たければ、
それ相応のエネルギーを宇宙に出さなければならない。
たとえば、「月収100万円」を宇宙にリクエストしたければ、
それに見合うだけのエネルギー、
つまり「行動」を差し出さなければならない。
(2)この地球は「行動の星」であり、
宇宙が唯一人間に期待しているエネルギーが、
まさに「行動」なのです。
(3)どんな「願望」であっても、
その願望に見合ったエネルギー等価の「行動」が求められる。
(4)失敗する方法はたったひとつ、それは「言い訳」。
この「言い訳」をつぶすことによって、行動は加速する。
願望実現する人は、言い訳をしない、最初から言い訳がない。
(5)願いなんかかなうはずがない、という深い思い込みを持っていると、
願望実現に大きな妨げになる。
この思い込み(幼少期からの刷り込み)、トラウマを外していくことが大切です。
<感謝合掌 平成28年10月24日 頓首再拝>
神とともに大活動しなければならない - 伝統
2016/10/29 (Sat) 03:48:27
*『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』<10月29日>(P114)より
すでに与えられていることを自覚せよ ―― と言えば、実際生活になんの努力もしないで
「すでに与えられている」とすこぶる甘い態度で生活している人も時には見出される。
そんなのを神に甘える信仰と言うのであって、”神の中に生きる”生活ではないのである。
われわれは小我を神の中に没却させてしまわねばならないが、
本当の我(われ)は「”神の中”」に生きなければならないのである。
「神は今に到るも働き給う」―― われらは小我を没し去ると同時に、
神とともに大活動しなければならないのである。
活動の中にのみ、神と偕(とも)なる悦びがある。
<感謝合掌 平成28年10月29日 頓首再拝>
いますぐ行動を起こしなさい - 伝統
2016/11/11 (Fri) 03:58:03
*「「成功」のルール」オグマンディニーノ・著(P154~156)より
《計画が夢に終わらないように、いますぐ行動を起こしなさい。》
大望を抱くだけでけっして羽ばたこうとはせず、
失敗を恐れて行動しない人は、望みをかなえることはできない。
潮が満ちているのを知りながら、海にの飲み込まれるまで
眠りこけているとしたら、それは軽率以外の何ものでもない。
幸運をつかむチャンスがきたのに、そのチャンスが隣人の手に移ってしまう
まで考えつづけている人は、愚か以外の何ものでもない。
行動だけが人生に力と喜びと目的をもたらす。
行動によってあなたの価値が決まる。
感情や考えを表明しなければ、誰もあなたの才能を測ることはできない。
顧客席にいるばかりで選手にならないのであれば、
あなたは才能を発揮することはできない。
勇気を出しなさい。
行動と悲しみは永遠に敵対するものである。
筋肉が緊張し、指が物をつかみ、足が動き、頭のなかが目の前の仕事で
いっぱいのときは、自分を哀れんだり、後悔したりしている暇はない。
《行動は、どんな傷も癒してくれる香油のようなものである。》
忍耐とは、よいおこないを通じて、あなたにふさわしい人生が
訪れるのを信じて待つことにほかならない。
それを心に刻んでおきなさい。
よいおこないを支えるのは、行動にほかならない。
忙しくしていれば、自分にふさわしい人生が訪れるのを待つ
時間が短く感じられるものだ。
あなたの代わりに行動してくれる人はどこにもいない。
あなたが立てた計画は、現状を維持しようとする力に
実際に立ち向かうまでは、怠け者の夢にすぎない。
行動にはつねに危険がともなう。
だが、幸運が転がり込むのを座って待つのは、
失敗を大声で宣言しているようなものだ。
ゆりかごから墓場まで、あなたの身の上に起こる出来事には、
つねに不確かさがつきまとう。
疑念や不安を笑いとばして前に進みなさい。
仕事でなく余暇を大切にしたいと思ったら、まずは行動しなさい。
行動すればするほど、もっとできるようになる。
忙しくなればなるほど、余暇をよっくり楽しめるようになる。
行動を起こしなさい。
《みずから行動しなければ、人の影響を受けるだけだ。》
<感謝合掌 平成28年11月11日 頓首再拝>
《生活創造は行動から》 - 伝統
2016/11/30 (Wed) 03:52:14
*『生活と人間の再建』(P36~38)
生活の正しい創造は、この正しき人生と人間との観方から
始まらなければならないのである。
然したんなる「観(かん)」だけでは生活のすわり方がきまっただけであって、
真の生活の創造は「行動」によって行わなければならないのである。
《如何に行動する》かが問題である。
ただ世界をあるが儘に善しとみているだけでは生活の創造はできないのである。
行動なき観だけでは、設計図はできたが建築しない家の様なものである。
生活は自己建築しなければならないのである。
生活の自己建築は、自己拡張から始まるか、自己没却から始まる
―― これが問題であるのである。
他(た)を殺して自分を拡張する行動をとるか、
自分を殺して他を拡張せしめる行動をとるか、
どちらかという問題である。
そうはいってをみたものの、西洋的及び東洋的なる生活創造の原理を超越して
《中道実相》の善一元的な世界観及び人間観をもっている我々にとっては、
他を殺さなければ自分が伸びられないというような矛盾はないのである。
「行動する」即ち「働く」ということは自分が働くこと即ち伸展することが
「側を《らく》にする」という意味であるのであって、人のために《設ける》
ことが自分《もうけ》となるのである。
自分が富むことをそれ自身目的として望むのではないが、
人を富ますことによって自分が富むのである。
人を喜ばせることによって自分が喜べるのである。
人を愉快にさせることによって自分が愉快になるのである。
<感謝合掌 平成28年11月30日 頓首再拝>
熟慮、断行せよ - 伝統
2016/12/07 (Wed) 03:53:13
*「生命の實相」第三十八巻幸福篇下(12月7日)より
常に落ちついて、周囲と自分の立場を見定めた後(のち)、
行動の方向を定めたら、その方向に一路邁進しなければならぬ。
いったん決意した以上は、右顧左眄することが禁物である。
ひとの中傷にまどわされるな。
<感謝合掌 平成28年12月7日 頓首再拝>
無邪気に願い、行動する - 伝統
2016/12/21 (Wed) 04:30:32
*「こうすれば、夢はあっさりかないます!」はせくら みゆき・著
(P155~154)より
さて、無邪気に願った後は、具体的な行動にとりかかります。
夢を意図すること(=思うこと)も、宣言することも、広い意味では行動ですが、
思うだけより、口に出して言ったほうが、口に出して言うだけより、
行動を伴ったほうが、確実にゴールに近づきます。
たとえば、あなたが「いつか作家になりたい」という夢をもっているとしたら、
としかく原稿を書き始めてみること、本を浴びるようにして読み語彙を増やす
ことなど、夢の現実化を加速させるための行動があります。
「海外旅行がしたい」と思うなら、パンフレットを集める、旅行会社に行く、
あるいはお金を貯める、などがありますね。
ところであなたは、何か新しい行動を起こすとき、起こす前にあれこれ考える
タイプでしょうか。それとも、とにかく動くタイプでしょうか?
《私は「まず動く」ようにしています》。
なぜなら、あれこれ考えると、けっきょく悩んで、
つい踏みとどまってしまうことが多いからです。
たとえば、いまの仕事が一段落したらやろう、お金が貯まったらやろう、
あの人に聞いてみて一緒にやると言ったらやろうなどと、
状況が整うのを待っていたら、チャンスを取り逃がしたり、
自分の熱が冷めてしまうなどします。
だったら、まず動く。
動いているうちに、その選択が違うと思えばやめればいいし、
やり方が違うと思ったら方法を変えればよいです。
《頭で考えているより、実際に行動を起こしたほうが
ずっと多くの気づきを得られるはずです》。
また、状況が整うのを待って行動しようとするとなかなか動き出せませんね。
それよりまず動いて行動を起してしまうと、自然と状況が整っていく場合が
少なくありません。
まずは、行動しましょう。
行動力が進化の鍵です。
<感謝合掌 平成28年12月21日 頓首再拝>
思いきりよく、押し強く、勇敢に断行せよ - 伝統
2017/01/12 (Thu) 04:21:09
*『生命の實相』第7巻生活篇(P132~133)より
今、なんじの決心をすぐ実行に移せ。
思想はそれが実践せられるまではただの夢でしかない。
諸君に競争者があるか。
あっても恐れることはない。
それはただ人間ではないか。
行け! あえて行くところに道が開かれるのだ。
決意をもって進む人の前には、万人がひざまずいて奉仕しようと申し出るのだ。
困難、それがなんだ。勇敢にそれを押しのけよ。
失意すべき時に失意せず、落胆すべき時に落胆せず、
勇気を失わずにあえて前進する者には困難が困難でなくなるのである。
それは臆病者は事物の前に立ってあえて行なう勇気を欠いて、
捕うべき機会を見失ってしまうからである。
「機会」に向かって最初の第一歩を踏み込まない者は
永遠に機会を見のがしてしまうのである。
人生は明快な決断力を有する人のためにのみ、
よい座席をあけて待っていてくれるのである。
不決断の人の前にはたとい空席があろうとも、彼がその座席に座るまでに、
ほかのいっそう決断力のある人がその椅子にかけてしまう。
勇敢なる人は自分の目の前にあらわれたる困難を、
そのまま神が自分に与え給うた「希望」実現のための踏み石として
感謝して受け、困難を踏み台としてなおいっそう前進する。
かかる人には困難はかえってその人の魂の向上の資料となる。
およそ大胆と勇敢と決行の迅速と、
どこどこまでもやりとげる押しの強さとは大人物なるものの一つの資格である。
右顧左眄して人の思わくに気がねし、猫を恐れる鼠のように周囲に気がねして、
コソコソオズオズ自分の行為を進める者は一生大事業をなしとげえない人である。
<感謝合掌 平成29年1月12日 頓首再拝>
《勇敢に前進する日》 - 伝統
2017/01/28 (Sat) 04:29:41
*「生長の家」(昭和16年10月27日の法語)より
大抵世の中の人々の感心するような出来事や、発明や、勝利は、
最初にはそんなことは到底出来る筈がないと思われていたことのみである。
また出来るのが当り前だと思われるようなことなら、誰でも
するし、また誰かがそれをしても少しも感心しないのである。
人間が空を飛ぶことや、何千里も離れていて、その中に
電線一つ繋がないで電話されるなどと云うことは、
1世紀前の人間には到底考えられていなかったのである。
また考えられていても、それは不可能のことだと思われていた
のである。それが今容易に出来るためには、その当時出来ないと
思われている事物に、勇敢に前進して行く人々が必要だったのである。
吾々が、若し勇敢に前進して行くならば、
そこから無限の智慧と力が湧いて来るのである。
前進は力であり、速度は力である。
速かに前進するものは、自分のところへ旋風のように
自分の同志を捲込んでくることが出来るのである。
躊躇するものは、ついにエネルギーが停止する。
吾々は惰力が消えてしまった頃に、
また新たな動力を加えるようでは駄目である。
さきの爆発が、なお前進の惰力を失わないうちに、
つぎのエンジンが爆発する。かくの如くして六気筒、八気筒の
自動車は滑らかに前進するのである。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=346
<感謝合掌 平成29年1月28日 頓首再拝>
行動と言葉とサービス - 伝統
2017/03/08 (Wed) 04:55:56
*「生活応用 健全の真理」(P191~192)より
生命(せいめい)は行動であり、言葉である。
同時に生命(せいめい)じゃ孤立したものでなく、
相互連関一体性のものである。
その生長は他(た)に与えることによって行われ、
それを受けてしみじみ感謝することによって、自ら一層豊かになるのである。
惜しみなく他(た)に与えよ。
而(しか)して他(た)より与えられたるものに無限の感謝を表現せよ。
自己の中に萌(きざ)してくるところの「為さんと欲する願い」はすでに
その願いが見えざる世界において成就しているから起こっているのである。
だから勇敢にそれを実現すべく行動せよ。
失敗を予想してはならない。
又たとい つまづくように見えようとも つまづいたらすぐ起(た)ち上がれ。
墜落の度が深ければ深いほど反動的に騰(あが)る程度も高いのである。
人生はスキーの如きものである。
滑って落ちるが如く見える反動で却(かえ)って昇るところに
人間の能力の進歩があるのである。
一番よくないのはなまけるということである。
怠惰は青年の墓である。
さらば勇敢に人生の航路を明るき朗らかなる希望をもって
豊かなるすべてのものを実現せんが為に進もうではないか。
神が吾らのバックにましますのである。
<感謝合掌 平成29年3月8日 頓首再拝>
恐れず、行動せよ! - 伝統
2017/03/26 (Sun) 03:26:54
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月26日)」より
まず恐れないで虎穴(こけつ)に降りて行かなければならない。
待っているということと、降りて行くということとは両立しないことではない。
恐ろしいものは何も出て来ない。
もし恐ろしい者に出くわしたら、
それはただ仮面を被っているだけだから恐れるにはおよばない。
まずそいつと取っ組んで征服し、その仮面を剥いでやるのだ。
すると本当はそのお化けの正体は「幸福」というものであったことがわかるであろう。
<感謝合掌 平成29年3月26日 頓首再拝>
【生きるとは呼吸することではなく、行動すること】 - 伝統
2017/04/12 (Wed) 04:50:00
*メルマガ「人の心に灯をともす(2017年03月13日)」より
(植西聡氏の心に響く言葉より…)
「生きるとは呼吸することではない。行動することだ」
これは、フランスの哲学者であるルソーの残した言葉です。
シンプルな言葉ですが、人生で行動することがいかに大切か、
ということを教えてくれています。
世の中には、幸せになる方法を教えてくれるヒントがたくさんあります。
本や雑誌はもちろんのこと、「幸せになる」ことをテーマにした講演会など、
種類も豊富です。
それでも、なかなか幸せを感じられず、不安や悩みを心に抱えながら
毎日を送っている人が減らないのには、理由があります。
「行動」が足りないのです。
宝くじに当たっても、実際に銀行に行って換金しなければ、1円も手に入りません。
これは人の「幸せ」も同じです。
どんなに知識があっても、念入りに計画を立てても、
実際に行動を起こさなければ、喜びも得られなければ、満足感も得られません。
「始めればうまくいくだろう。でも、今は忙しくて時間がない」
こんな言い訳をする人も多いのです。
心がマイナスのエネルギーでいっぱいだった過去の自分ならともかく、
心にプラスのエネルギーを増やす生活が身についた自分なら、
問題をうまく解決して、スムーズに行動に移せるはずです。
理由をつけて先延ばしにするのはやめて、
「やる」ほうを選ぶことが大切です。
そうすると、心の中には「やりたいことを実行できた」という満足感や、
「私でもやればできる」というプラスのエネルギーが増えていきます。
そして、人生を楽しめる時間が増えるのです。
<『プラスの選択で人生は変わる』海竜社>
・・・
「優柔不断は疑いと恐怖心を生み出し、行動は勇気を生み出す。
恐怖心を克服するには、家に閉じこもってくよくよしていては駄目だ。
外へ出て仕事に精を出すことだ」(デール・カーネギー)
悩みを解決する唯一の方法は、行動を起こすこと。
何時間机の前に座って考えたところで、解決策は見つからない。
なぜなら、行動の中にしか答えはないからだ。
『地球は「行動の星」だから、動かないと何も始まらないんだよ』(斎藤一人)
何度失敗しようが、具体的な行動をくり返す。
生きるとは呼吸することではなく、行動すること。
<感謝合掌 平成29年4月12日 頓首再拝>
人間は自己の欲する通りが実現できる - 伝統
2017/04/30 (Sun) 04:54:03
*「真理」第9巻生活篇(P215~216)より
善き想念をいだき善き言葉をいだすことは宇宙のエネルギーを、
其の方向に利用する機械の設計を終わったようなものである。
そしてそれを行動にあらわすのはその機械を運転するのと同じことである。
運転しなければ心に設計した通りの結果が得られない。
「行動を伴わない信仰は空念仏である」と云うのはそのためである。
宇宙のエネルギーは表現せんことを欲し、表現の出口となる想念と言葉と
行動とを待っているのである。
これが即ち「我れ戸(と)の外にありて叩く、誰にても戸を開くものあらば
直ちに入(い)らん」と聖書に書かれている聖句の意味である。
だから吾らは善き言葉を出し善き想念を浮かべる工夫をすべきである。
不幸と病気と死とはこの法則を知らないために、
又は知ってもそれを行なわないために起こるのである。
<感謝合掌 平成29年4月30日 頓首再拝>
行動を伴わねばならない - 伝統
2017/05/16 (Tue) 04:57:39
*『生活の智慧365章』(P205~206)より
「心の法則」は私たちに告げて言う。
「汝の求むるものをわれは汝に与えるのではない。
汝の想念が如何なる波長のものであるかに随って、
その波長に合うものを与えるのである。
心を暗黒にもてば、われは汝に暗黒を与える。
心を暗黒にもちながら、光明を求めてもわれは光明を汝に与えることはできない。
しかし、心を明るくもっていたならば、
労せずして何でも欲するものを現象界に於て得られると思ってならない。
汝にすべてのものが与えられているのは、実相界に於てのことである。
その実相界にある無限のものを、如何なる形に噴出せしめるかは、
汝の心によって、“心の形”の噴出口を如何につくるかによってきまる。
しかしそれだけでは足りないのである。
その噴出口から、実相界にある“無限のもの”を引き出すには、
行動を起こさねばならない。」
<感謝合掌 平成29年5月16日 頓首再拝>
不行為はマイナスの行動である。 - 伝統
2017/05/29 (Mon) 04:07:50
*「生活と人間の再建」(P40~41)より
《行なわない》ということも一つの《消極的行為》である。
《何もしない》のに不幸が来たというのは、
実は《何もしない》から不幸が来たのである。
生活の創造は心で考えているだけで何もしないでいることよっては
できるのものではないのである。
だからキリストは「汝ら常に主よ主よと呼びつつ何ぞ吾がいうことを行なわんか。
凡そ吾に来たり吾が言葉をききて行なうものは、如何なる人に似たるかを示さん。
即ち家をたつるに、地を深く掘り、巌の上に基(もとい)をすえたる人の如し。
洪水出でて流れその家をつけども動かすこと能(あたわ)わず、
これ固くたてられたるが故なり」(ルカ伝第6章46節、47節)
即ち洪水が来ても河のつつみを高くきずいて氾濫しないようにしておけば
洪水の災厄にあわないのであるけれども、毎年洪水が来ることを知りながら
堤を築かないで洪水にあうものは、
その「不行為」という消極的行動が原因となって、
その結果を自分が受けることになっているのである。
だから光明思想を研究し、その理論はわかったけれども、そしてそれを信じて
いるけれどもやっぱり不幸が来たという人があるならば、それは光明思想を
生活に実践しない所に問題があるということができるのである。
彼は人を助くるべき時に助けたであろうか。
彼は人に与えるべき時に与えたであろうか。
その《不行動》が原因となって、自分が幸福を与えらるべき時に
与えられないことの結果が起こっているのである。
種を蒔く時期に蒔かないものは、刈りとるときに刈りとることができないのである。
不行為は一種の消極的行動であり、行動なければ何事も起こらないのである。
人生は坂道に車を押すが如きものである。
押さないでいる時には逆に下降するのである。
それは重力の法則の如きものである。
何故(なぜ)生命(せいめい)がそういう様になっているか。
それは生命(せいめい)は、「動」であるから、動かない事それ自身が
「生命(せいめい)」それ自身を抹殺する事になっているからである。
生命(せいめい)は行動と経験とによってのみ進歩し、発達し、洗練されるのである。
ただ神さまを拝んでおればそれだけで足りるというが如きものではないのである。
祈りは必要であるが、キリストはただ祈ってばかりではいなかったのである。
彼は、伝道したのである。
彼は自ら進んで行動したのである。
努力なしには何ものも与えられる事はないのである。
絶対他力の真宗の教えでさえも「南無阿弥陀仏」と称名念仏する事は
人間自身でしなければならないのである。
「神にふりむく」という心の態度に完全になり切る事は
余程深い修練と努力なしにはできない事である。
<感謝合掌 平成29年5月29日 頓首再拝>
実現すべき可能性(かみ)を行動によって成就する - 伝統
2017/06/12 (Mon) 04:24:10
「神」は実現すべき可能性として自己の内にある
*「生活と人間の再建」(P43~44)より
神は外にあるのではなくして自分の内にあるのである。
自分が努力することは神が努力することなのです。
もっともその「自分」というものの中(うち)には、本来神であるところの
「本当の自分」もあれば本来神でない所の「ニセモノの自分」もあるのである。
そこで吾々の努力する目標は「ニセモノの自分」を没却して
「本物の自分」をより一そう伸展するように努力することである。
凡ゆる宗教は人間の実相即ち「本当の自分」を目覚めしめそれを最高度に
実現するためのものでなければならないのである。
人生の目的は結局其処にあるのである。
人間は地上に於ける神の最高度の自己実現ではあるが、すべての人間が
現代の状態のままで最高度に完成しているというわけではないのである。
その真の完全さはやがて実現すべき可能性として実現するのである。
それは彫刻さるべき大理石のようなものである。
無限の可能性を内在する素材の上に創造の鑿(のみ)を加えて行く ――
そこに生活の創造があるのであり、生活の悦びがあるのである。
そこに各人の自由の努力を要するのである。
努力なくして何ごとをも成就することはできないのである。
「知るのでは十分ではなく応用しなくてはならない。
欲するのではなく行わなければならない」
とゲーテはいう。
ゲーテは色々の点において光明思想家であったといえるのである。
<感謝合掌 平成29年6月12日 頓首再拝>
決意をもって断じて行え - 伝統
2017/06/22 (Thu) 04:46:09
*「光明法語」(6月22日)より
「断じて行えば鬼神も避く」と諺(ことわざ)は言う。
道は、決然たる意志の前にはその扉を開く。
道がなければ自分が道を造れば好い。
キリストは「我は道なり」と言った。
八方が塞がっても上方はあいているのだ。
上方は神に通ずる道である。道なき時には神に頼れである。
不可能を可能にかえ得るものは決意である。
「意志の教育こそは吾人存在の目的である。
断乎たる決意ある者の前には常に時と機会とが待っている」とエマーソンは言っている。
世界を動かす梃子(てこ)は意志の力である。
<感謝合掌 平成29年6月22日 頓首再拝>
【行動することによって自分の程度が分かる】 - 伝統
2017/08/18 (Fri) 03:45:16
*メルマガ「人の心に灯をともす(2017年08月16日)」より
(心理カウンセラー、植西聡氏の心に響く言葉より…)
哲学者の三木清は、「行動することによって、
人は、自分がどの程度の人間か知ることができる」と述べました。
何かを行えば、必ず結果が出ます。
仕事の実績が出ます。
告白した相手から返事がきます。
受験の合格発表が出ます。
いい結果が出れば、何も思い悩むことはありません。
自分自身に自身を持てます。
しかし、悪い結果が出ることもあるのです。
仕事は失敗し、告白した相手からは断られ、
受験には落ちてしまうかもしれません。
そのような結果が出れば、自分が魅力のない人間であること、
自分は欠点がある人間であることを否応なく知らされます。
しかし、そんな悪い結果が出ることを恐れて何もしないでいたら、
いつまでも自分がどの程度の人間かを知ることはできません。
覚悟を決めて行動し、自分がどの程度の人間かを知ったほうがいいでしょう。
しかし、もし悪い結果が出ても気に病むことはないのです。
そこから少しずつ自分を成長させていく努力をしていけばいいのです。
何も行動せず、自分がどの程度の人間か知らない人は、
いつまでも成長することができません。
そのほうがむしろ愚かなことなのです。
<『覚悟のコツ』リンダパブリッシャースの本>
・・・
『フランスの経済学者であり、実業家だったジャン・パティスト・セイは、
「平凡で、何もできない人間の特徴は、《決断できない》ということである」
と言いました。
せっかく目の前に大きなチャンスがあるというのに、
「もし失敗したら、どうしよう」
「どうせ上手くいかないに決まっている」
「誰かがやってみるのを待って、その様子を見てから、
自分がやるかどうか決めても遅くはないのではないか」
と、あれこれ悩んでいるうちに、せっかくのチャンスを逃してしまうのです』(同書より)
何事もやってみなければ分からない。
頭で考えているだけでは何の結果も出ない。
成功への過程とは、やっていくうちに間違えが見つかったらそれを修正する、その繰り返し。
「行動することによって自分の程度が分かる」
行動して、その結果がうまくいけばいいが、悪くなることのほうが多いのが現実だ。
失敗したときは、自分の身の程(ほど)が分かる。
失敗を恐れずに、行動する人でありたい。
<感謝合掌 平成29年8月18日 頓首再拝>
《行動を伴わねばならない》 - 伝統
2017/09/06 (Wed) 04:51:55
*『生活の智慧365章』(第3部繁栄の泉)第8篇(P205~206) より
「心の法則」は私たちに告げて言う。
「汝の求むるものをわれは汝に与えるのではない。
汝の想念が如何なる波長のものであるかに随って、
その波長に合うものを与えるのである。
心を暗黒にもてば、われは汝に暗黒を与える。
心を暗黒にもちながら、光明を求めてもわれは光明を汝に与えることはできない。
しかし、心を明るくもっていたならば、
労せずして何でも欲するものを現象界に於て得られると思ってならない。
汝にすべてのものが与えられているのは、実相界に於てのことである。
その実相界にある無限のものを、如何なる形に噴出せしめるかは、
汝の心によって、“心の形”の噴出口を如何につくるかによってきまる。
しかしそれだけでは足りないのである。
その噴出口から、実相界にある“無限のもの”を引き出すには、
行動を起こさねばならない。」
<感謝合掌 平成29年9月6日 頓首再拝>
熟慮し迅速に行動する - 伝統
2017/09/21 (Thu) 03:50:17
*『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月21日)より
精神力をみだりに分散しては、その戦力を消耗して大いに成功することはできないのである。
一人一業はその意味において成功の一つの要素である。
一業を志してそれに立ち向かう以上は、その方面にのみ心を集注しなければならぬ。
左を顧み、右に秋波を送り、精神力を四方八方に分散していて、一業といえども
水平線以上に出ることができないならば、その人が成功しえないのは当然のことである。
しかし、その事業に関することはあらゆる方面にわたって知識を収集し、
熟慮した上は迅速に断行することが必要なのである。
心に念じて描いておけば、
自分はなんら行動せずとも天から富が降って来ると考えてはならぬ。
<感謝合掌 平成29年9月21日 頓首再拝>
時を移さず行動に移す - 伝統
2017/09/22 (Fri) 03:52:03
*『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月22日)より
心を常に積極的に明るく建設的にのみ使うように心がけよ。
悲観的な暗い心を起こしたときに考えついたことは常に多少とも破壊的なものである。
一つの仕事をあらゆる方面からゆきわたって考察したならば、それを行動に移さねばならぬ。
目的とする事物の実現に必要だと思われる手段は、時を移さず行動に移さねばならぬ、
1分遅れたために汽車に乗り遅れることもあり、
1分遅れたために踏切りで汽車に轢かれる人もあるのである。
時を得ない行動は役に立たぬばかりか、破壊的なことがある。
善き考えも時を失えば悪しき結果をひき起こす。
全然「悪」というものはないのであって、時を失い、処を得ない状態が「悪」である。
<感謝合掌 平成29年9月22日 頓首再拝>
理想へ精神を集注し、ひたすら歩む - 伝統
2017/09/25 (Mon) 03:20:50
*『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月25日)より
「夢を描け」と教えられても、無駄な空想に溺れて、その夢を右に左にふらふらさせて
とりとめもないことに時間を費やせという意味ではないのである。
かくのごとく、目標も理想もなく、進むべき中心点のない夢に耽ることは
精神力の浪費にすぎないのである。
これに対して、一つの目標または理想に向かって精神を集注し、かくて得たるヒントを
建設的に組み立ててゆく努力は、精神力の鍛錬にあるのである。
かくて、その人の行動は正しい方向に載せられ、一歩一歩築いてゆくとき、
ついにも目標に到達することができるのである。
一歩も歩まないものは百歩先を見ることができないのである。
遠くが見えなくとも歩いて行けばわかる。
<感謝合掌 平成29年9月25日 頓首再拝>
【変わるための鉄則】 - 伝統
2017/10/09 (Mon) 03:33:04
*メルマガ「人の心に灯をともす(2017年09月14日)」より
(メンタリストDaiGo氏の心に響く言葉より…)
ポジティブ・チェンジの第一歩として、
「変わるための鉄則」と呼ぶべき3つのルールについて説明していきます。
ルール1. 頭はいらない
ルール2. 根拠はいらない
ルール3. 希望はいらない
ルール1. 頭はいらない
まずは、「自分を変えるにはどうしたらいいのか」と
考えることをやめてください。
考えることは変化を妨げます。
行動して自分を変えたくない。
だから考えるし、思い悩むのです。
考えることで行動を先延ばしする、そして結局は行動しない、
だから変われない、ということになるわけです。
この、「頭はいらない」をもう少し具体的なイメージで説明してみると、
「準備はいらない」ということです。
起業家や経営者を見ていてわかるのは、
成功する人たちはだいたい「見切り発車」であるということです。
つまり、行動してから準備をする。
あるいは、行動しながら準備をします。
ルール2. 根拠はいらない
理由があるから変われないのではありません。
変わりたくないから、変われないのです。
変わることによって不安を抱えたり、
変わるために努力をしなければいけなかったり、
ということがイヤなので回避したい。
でも「俺はこのままでいい」というのはプライドが許さないから、
「変わりたくても変われない理由」を後付けしているだけです。
「怖いし、不安だから変わるための行動が取れない」という人は、
変わりたくないから、「怖い」「不安」といった感情を使用している、
ということになります。
本当に自分を変えたいなら、他人と比べた時点でアウトです。
なぜなら、他人と自分を比べる人は、
自分を変えようとするのではなく、他人になろうとしているからです。
自分を変えるためには、自分の過去を見つめて、
それをいかに使うかを考えなければいけません。
つまり、自分にしかない武器をいかに使うか、が勝負なのです。
そこで、自分にないものを他人の中に見て、
それを羨(うらや)むのは無駄でしょう。
ないものを求めるのではなく、あるものをどう使うかが大事なのです。
ルール3. 希望はいらない
行動が希望を作り出す、行動そのものが希望であるというのは、
決して精神論ではありません。
私は、不安や恐れ、悲しみなどネガティブな感情が湧いてきたら、
とりあえず何かをすることにしています。
つまり、落ち込みそうになったら行動し、その行動に没頭するのです。
つらい状況、絶望しそうな状況だからこそ行動する。
すると、すべてのネガティブな感情を消し去ってくれる。
このことは、心理学的にはフローという概念で説明できるのです。
このように説明すると、
行動し、変わるために希望が必要なわけではない、ということを、
改めて納得していただけるのではないでしょうか。
いかに行動することが大事かがおわかりいただけたでしょうか。
そして、希望がないから行動できない、
という考え方の愚かさも理解できると思います。
行動の前に希望はいらない。
まずは行動、なのです。
<『ポジティブ・チェンジ』日本文芸社>
・・・
行徳哲男師にこんな言葉がある(「感奮語録」より)。
『現代人は考えすぎる。
しかし、考えて解決する問題など皆無である。
問題を解決するには行動するしかない。
考えることは行動にブレーキをかける。
考えるから行動しない。
行動渋滞が起きる。
行動しなければ証は何も得られない。
禅の教えにもある。
「行ずれば証はそのうちにあり。行ぜずして証は得ることなし」と』
頭で考えるから、動けなくなる。
感動という言葉はあるが、理動という言葉はない。
つまり、感じて動くことはできるが、理屈で動く人はいない。
小林正観さんは、
「夢や希望を持って生きる」生き方から、
「夢や希望を持たない」生き方を提唱している。
それは、夢や希望をどこかに探しにゆくのではなく、
今自分のまわりにある幸せに感謝し、気づくという生き方だ。
行動する人でありたい。
<感謝合掌 平成29年10月9日 頓首再拝>
【行いは言葉よりも雄弁】 - 伝統
2017/10/23 (Mon) 06:02:17
*メルマガ「人の心に灯をともす(2017年10月21日)」より
(田中真澄氏の心に響く言葉より…)
人を評価する場合、
まずその人の日常の習慣を見て判断する人が本物の人物です。
本物の人物ほど単なる口先だけの人を信用しないのです。
「行いは言葉よりも雄弁」ということわざがありますが、
それは行動が本当の人柄を示すことを示唆しています。
上位20%の人は、そのことわざの真意を理解している人たちです。
残念ながら、残り80%の人は、
良き行動を続けている人を積極的に支援しようとはしません。
傍観者で終わる人たちです。
ですから私たちは、新たな行動を起こすときは、
上位20%の人たちを味方にできるように、
普段からその人たちとの交流を深めておく必要があります。
では具体的にはどうすればいいのでしょうか。
決め手はクイックレスポンスです。
年中無休・24時間対応の行動をとることです。
何か頼まれたら迅速に対応する、問い合わせにはすぐ答える
といった習慣を身につけて、
上位20%の人たちとの交流を深めておく必要があります。
これまで私は、3マメの実践を推奨してきました。
口マメ・手マメ・足マメのことです。
口マメとは電話を掛けることです。
これは今の日本人は携帯電話のおかげで得意になりました。
手マメとは筆まめのことで、
まめに礼状・祝い状・慰労状などのお便りを出すことです。
これは今の人の多くが苦手ににしています。
だからこそ、筆まめに徹した人は物事を有利に展開していけます。
足マメは訪問のことです。
何かあれば飛んでいく習慣のことで、これまた有力な対人関係の武器になります。
とにかくマメに動くことが大切です。
<『小に徹して勝つ』ぱるす出版>
・・・
脳力開発の創始者、城野宏氏は、「行動」についてこう語る。
「『行動のつながりで、具体的に考える習慣をつくろう』
手と口と足をフルに使った、行動のつながりで考える習慣を つくろう。
概念のつながりだけで抽象的に考える習慣をやめよう。
概念は重要ではあるがただの名札であり、
具体的行動を主軸にして考えないと成果はでない。
抽象理論だけで”わかったつもり”にならないようにしよう」
人物を評価する時、上っ面だけを見ているとすぐにだまされてしまう。
それは、地位や肩書、あるいは心地よい言葉などなど。
しかし、本当に見なければならないのはその人の実際行動。
行動と行動のつながりを見ていれば、その人の本質が見えてくる。
行動とは、手と口と足を使うこと。
そして、大事なのは、その行動を長く続けているかどうか。
口先だけではなく、具体的に動く人でありたい。
<感謝合掌 平成29年10月23日 頓首再拝>
神とともに大活動しなければならない - 伝統
2017/10/29 (Sun) 04:01:55
*『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月29日)より
すでに与えられていることを自覚せよ ―― と言えば、
実際生活になんの努力もしないで「すでに与えられている」と
すこぶる甘い態度で生活している人も時には見出される。
そんなのを神に甘える信仰と言うのであって、
”神の中に生きる”生活ではないのである。
われわれは小我を神の中に没却させてしまわねばならないが、
本当の我(われ)は「”神の中”」に生きなければならないのである。
「神は今に到るも働き給う」―― われらは小我を没し去ると同時に、
神とともに大活動しなければならないのである。
活動の中にのみ、神と偕(とも)なる悦びがある。
<感謝合掌 平成29年10月29日 頓首再拝>
《あなたの想念・感情・行動を同一方向に働くように統率せよ》 - 伝統
2017/11/14 (Tue) 03:59:19
*『心の力の秘密』 ユージン・ロイ・デービス(著)(P219~220)より
あなたは行動を開始しようと決意したときは、
自分の想念・感情・行動を同一方向に働くように統率して、
最後まで徹底的に前進せねばならぬのである。
あなたは持てるすべての事物を自分の計画の中に注ぎ入れよ。
あなたの姿勢・衣服・声の調子・心境等はすべて
あなたの偽らぬ感情を表現しているのである。
あなたはただ動き回るだけでは充分でないのである。
またよきことを考えるということは正しい方向へ進むための第一歩に過ぎぬのである。
あなたは自分の感情ならびに行動の働く方向と想念の方向を一致させねばならぬのである。
あなたは鏡の前に歩み寄り、自分の姿を見るがよい。
あなたは鏡に映っている自分に好感が持てるだろうか。
鏡の中からあなたを見つめているのは成功の雰囲気を持つ人の像であろうか。
あなたは鏡のの中の像を見てその雰囲気を一変するために
なんとかしなければならないと感じませんか。
もしそうなら直ちにそれを実行せよ。
人生を支配するこれらの法則を幾らか知っていると思っている人は大抵
「象牙の塔の哲人」程度の光明思想家であるのである。
なるほど彼らは、象牙の塔の中に籠って正しい想念を抱いているのであるが、
実生活のゲームに跳び込んで行くことは殆どないのである。
そのため彼らの人生の深さと大きな喜びとを取り逃がしていまうのである。
彼らは人生の波濤に勇敢に跳び込んで泳ぐことを怖れているので、
機会が眼前に現れても、それを捉えることができぬのである。
あなたは人生で自分の天分を生かすことができる適当な活動分野を真に知り、
そこにしっかりと腰を据えて落ち着くとき、あなたに共鳴して協力を惜しまぬ人が
あなたのところに集まってくることを知るであろう。
この場合、あなたは自分をどう見るかが真に問題となるのである。
あなたは自分の信じる通りのものとなってあなたの世界に住むのである。
他の人があなたに対していだく認識は、あなたが自分自身に対して懐く
認識如何によって、きまるものなのである。
それ故、あなたはこの世に、自分の欲する通りにどんな姿にでも自由に
自分の姿を心に描くことを躊躇してはならぬのである。
大抵の人は人生で自分の占める位置に自信がもてぬものだから、
あなたが信念をもって内在の能力を発揮すればこんなになれるということをみて、
きっと自分も信念を得て悦ぶことになるのである。
あなたが成功するのをみて、彼らは希望を懐くに至るのである。
<感謝合掌 平成29年11月14日 頓首再拝>
【とにかく、まずは「行動あるのみ」】 - 伝統
2017/12/03 (Sun) 04:37:40
*メルマガ「人の心に灯をともす(2017年11月06日 )」より
(堀江貴文氏の心に響く言葉より…)
とにかく、まずは「行動あるのみ」だ。
僕はいつも、そうやって生きてきた。
だから、痛い目も見たし、成功もした。
時には耐え難いような苦しみも経験した。
しかし、その全てにおいて言えることは、
「周囲の声を言い訳にせず、僕の選択で、僕の生きる道を選んできたから、
何も後悔はない」ということだ。
自分の選択で一歩踏みだしてみれば、大失敗することもある。
大恥をかくこともある。
しかし、それによって失うものなど、
よくよく考えてみれば、何もないのではないだろうか。
それによって傷つくものなど、
あなたの「小さな小さな」プライドだけに過ぎないのではないだろうか。
そして、そんな小さなプライドなんて、実は周囲は気にしてすらいない。
失敗したときの周囲からの嘲笑(ちょうしょう)が怖いという人は多い。
けれど、あなた以外の人間なんて、所詮あなた以外の人間だ。
無責任なものだ。
あなたの悪口を言ったって、陰でバカにしたって、
そんなことは次の日にはケロッと忘れている。
あなた以外の人間なんて、所詮そんなものだ。
そんな人間の目を気にして、
あなた自身が自分の人生を無駄にしていいわけがない。
自分の人生は、自分の責任でもって、自分自身で決めてほしい。
そして、一寸の後悔のないよう、いや、後悔したとしても
それが自分の決断による後悔だから受け入れられるよう、
そんな生き方をしてほしい。
そう、これまで僕は、著書はもちろん、あらゆるメディアを使って、
行動することの大切さを訴えかけてきた(それが自分が本当にやりたいことなら)。
とにかく、うだうだ考えないですぐにやりなさいと。
「言い訳」を並べたてて口を動かしている暇があったら、一歩を踏み出しなさいと。
しかし、これは僕の感覚だが、もし僕の著書を
10万人が真剣に読んでくれたとしたら1000人ぐらいか。
いやそう考えると1000人もいない気もするが…。
まあ、人数のことはいい。
実際、極端に少ないのは確かだと思う。
一時的には、意識、気持ち、モチベーションを比較的多くの人が変えてくれる。
でも、やらない、続かない、行動で示してくれない。
ある人が僕の講演を聞きにきてくれる。
自分の貴重な時間を割いて聞きにきてくれて、僕の話に共感してくれて、
その場では表情を変え決意を新たにしてくれる。
だが、少したつとまた僕の講演を聞きにきている。
この間にその人自身なんにも変わっていない。
こんな人が多いのが本当に寂しい。
既存のレールに乗って生きていくことは、これからの時代、通用しなくなる。
僕が言う1%の人にならなければ、
本当の意味で仕事に没頭することはできなくなる。
あらゆる分野において皆さんの想像以上のスピードで
テクノロジーが発達しAIが進み、これまで普通にあった職業がなくなる。
稼げなくなる。
与えられた仕事だけこなしていれば安泰の時代はもうすぐ終わる。
そんなことはありえないと思っているあなたが一番危険だ。
自分から動き、何かを見つけ、仕事を生みだしていかなければならない。
そうしないと人生を楽しむことができなくなるということをわかってほしい。
<『好きなことだけで生きていく。』ポプラ新書>
・・・
『10年後、君に仕事はあるのか? 未来を生きるための「雇われる力」』
(ダイヤモンド社)という藤原和博氏の本がある。
それには、3つのポイントがあるという。
1つめは、今の中・高校生が社会人になる2020年代の半ばには、
多くの親が体験した「標準的な人生モデル」は追求できないということ。
会社で正社員にはなれないかもしれないし、
大手企業に入社したとしても一生そこで働くのは珍しくなる。
2つめは、言わずと知れたスマホと、それにつながったネット世界の広がり。
いまの高校生は1998年以降の生まれになるが、グーグルも1998年生まれ。
グーグル以前とグーグル以降は人種が違うと思ったほうがいい。
この世代の若者は、人生の半分をネット上で暮らすことになる。
3つめは、人生の長さ(ライフスパン)が決定的に異なること。
つまり医療が進み、平均寿命100年の時代に突入するということ。
そして、 あらゆる面倒なことや手間のかかる仕事もロボットやAIがやる時代になる。
すなわちこれからは、親とは全く違う価値観を持たなければ、
生きていけない時代になったということ。
だからこそ、新たな仕事を生み出すという「創造」をしなければ生き残れないし、
楽しく生きることはできない。
そのためには、まずは「行動あるのみ」。
行動しなければ何も変わらない。
<感謝合掌 平成29年12月3日 頓首再拝>
熟慮、断行せよ - 伝統
2017/12/07 (Thu) 04:29:28
*「生命の實相」第三十八巻幸福篇下(12月7日)より
常に落ちついて、周囲と自分の立場を見定めた後(のち)、行動の方向を定めたら、
その方向に一路邁進しなければならぬ。
いったん決意した以上は、右顧左眄することが禁物である。
ひとの中傷にまどわされるな。
<感謝合掌 平成29年12月7日 頓首再拝>
”行動力のある人”へ「25-25-50ルール」 - 伝統
2017/12/25 (Mon) 04:26:37
*「大富豪の仕事術」マイケル・マスターソン(著)より
成功者は、”行動”するためにあるルールを作っています。
このルールが、
”行動できない人”から”行動力のある人”へと変えてくれます。
そのルールとは、
「25-25-50ルール」と呼ばれるものです。
これは、あなたの時間を、
「学習する」「観察する」「行動する」の3つに区切って、
それぞれに、25%、25%、50%と時間を分配するというものです。
つまり、
・学習する時間は25%まで
・観察する時間は25%まで
・学習し、観察したことを
実際にやってみることに、50%
時間をかけるということです。
もしあなたが、新しいビジネスを始めたいのなら、
25%の時間を、
起業や顧客獲得のノウハウを学ぶことに費やし、
25%の時間を、
他のうまくいっている人の手法を観察することに使い
50%の時間は、
実際に事業を起こして、
新規顧客獲得のために商品を売ることに費やさなければいけません。
もしあなたが、
チラシを作って集客したいのなら、
25%の時間を、
チラシの作り方を学ぶことに費やし、
25%の時間を、
他のうまくいっているチラシを集めて、観察することに使い
50%の時間は、
実際にチラシを作って配布しなければいけません。
・・・
ドナルド・トランプの1日を調べてみました。
1日24時間の配分にしてみるとこのようになります。
・6.5時間の睡眠(5:30起床)
・5.5時間の計画、準備、読書
・9.5時間の行動
・2.5時間の休養とレクリエーション
さて、ベンジャミン・フランクリンはどうでしょうか?
フランクリンの自伝には、彼の1日の予定が書かれています。
一日24時間の配分で見てみると、、、
・7時間の睡眠(4:00起床)
・3.5時間の計画、準備、読書
・9時間の行動
・3.5時間の休養とレクリエーション
さらにもう一人、ある成功しているスーパー起業家の1日の24時間配分を見てみましょう。
・7時間の睡眠(6:30起床)
・4時間の計画、準備、読書
・8時間の行動
・5時間の交際、休養、レクリエーション
驚いたことに、ほとんどベンジャミン・フランクリンと同じです。
この人物こそ、この本の著者マイケル・マスターソンです。
<感謝合掌 平成29年12月25日 頓首再拝>
実践しなければ知識に意味はない - 伝統
2018/01/09 (Tue) 03:05:29
*Web:DIAMOND online(2016.1.21)より
~加地太祐(経営者、陽明学者)「成功する人の考え方」の著者
最も重要なことは行動である
僕の手元には、あるセミナー後の統計データがある。
そのデータは「どんなに素晴らしいことを学んでも、実践する人は3割以下である」
というのだ。
僕らは、子どもの頃から色んな人に「勉強しなさい」と言われるが、
しかし、「実践しなさい」とは言われない。
本来、学びとは実践を目的としたものであり、
ただ知識を仕入れるためのものではないのだ。
鹿児島に、この事を教えてくれるとても素晴らしい「いろは歌」がある。
このいろは歌は、島津家中興の祖である日新公が
5年の歳月をかけて作ったと言われている。
当時の薩摩には郷中教育、現代でいう教育プログラムがあり、
いろは歌もそこで歌われていた。
僕がまず驚いたのは、いろは歌の初めの「い」の歌だった。
「いにしへの道を聞いても唱えへも、我が行いにせずば、かひなし」
過去の賢者や賢人の話をいくら口にしても、実践、実行しなければ意味はありません。
なんと深く考え抜かれた言葉だろうか。
これを幼少の頃から聞かされてきた子ども達は、
様々なところで活躍する人間になろうとしたのではないだろうか。
実践なくして結果は生まれない
現代の教育は、どちらかと言うと
「先知後行(せんちこうこう)」と呼ばれるスタイルだ。
知識を先に知ってこそ実践できるという考え方で、
まず学び、そして行動するというものだ。
しかし、僕はこの考え方に疑問を持っている。
なぜなら、この考え方では成功する人になるというよりも、
先生になる人が増えるのではないかと思うからだ。
では、成功する人の考え方とはどういうものなのだろうか。
それは「知行合一(ちこうごういつ)」というものだと思う。
先の「先知後行」が学びを優先するのに対し、
「知行合一」は実践を優先する考え方だ。
つまり、どんないいことを学んでも、
実践できなれば知らないことと同じであるというものだ。
実は、この考え方は「朱子学(先知後行)」と「陽明学(知行合一)」の
対立でもあるのだが、どちらの考え方でも、実践なくして結果は生まれない
という点では同じだ。
<感謝合掌 平成30年1月9日 頓首再拝>
【この地球では行動が必要】 - 伝統
2018/01/25 (Thu) 04:14:36
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年01月22日)より
(斎藤一人さんの心に響く言葉より…)
この星は、行動の星だよっていつも言ってるんです。
地球は行動の星なんです。
どういうことかって言ったら、例えば幸せになりたかったら、
行動しなきゃいけないってことなんです。
待っていても、誰かが幸せにしてくれるわけじゃないんです。
行動することが意志なんです。
で、間違ってたら直ちにやめるのが意志なんです。
間違ってても、「我(が)」を通して言い張ったり、
なかなかやめようとしなかったりするのを頑固っていうんだよね。
だから間違ってたら、すぐやめればいいの。
だから、行動しながら「自分は間違ってるんじゃないか」って
常に疑問を持ってて、間違ったらすぐやめる。
いったんやめたら、そのままずっとやめちゃうんじゃないよ。
やめて、間違ってたところを改めて、また挑戦するっていうこと。
頑固な人は、それをやろうとしないの。
間違っててもやめようとしないからみんなが迷惑しちゃうんです。
例えば、自分がいじめられたら、すぐ先生に言う、警察に言う、親に言うんです。
10円取られても脅し取られたとか、触られただけでも殴られたとかね。
ともかく、嫌なやつ、自分をいじめるやつにとって
嫌な人間になるように努力すれば、絶対変えていけるんだよ。
だんだんいじめられなくなる。
で、この世で自分を助けるのは自分なんだって思って行動するの。
自分の力だけでどうしようもなかったら、
周りを、例えば親なり先生なりを巻き込むんです。
そのための行動が必要なんです。
けんかで勝てないんだったら、周りを巻き込んで、
正義の戦いをするという、勝ち方をしていかないといけないんです。
正しき者は必ず勝つ。
おまわりさんが守ってくれるからね。
おまわりさんは全員ピストルを持っているからね。
自分にはすごい味方がいるんだと思って、堂々と戦う。
<『成功力』マキノ出版>
・・・
どんなにいいアイデアでも、どんなにいいことでも、
それを行動に移さなかったらそれはないのと一緒。
頭の中にしまっておくだけだったら、
誰もわからないし、状況は何も変わらない。
例えば、「いじめ」の問題で、一人さんは
「嫌な奴にとって、嫌な人間になるように行動する」という。
それが、まわりを巻き込んで騒ぎを大きくするということ。
この地球上のすべてのトラブルや困難や嫌なことは、行動によってしか解決しない。
頭で考えているということは、
評論家や、傍観者(ぼうかんしゃ)や、ただの観客でいるということ。
また、「現状維持」という言い方で、
問題に蓋(ふた)をして、先送りするというのも、行動しないこと。
行動とは、現状を打破する姿勢のこと。
行動しないということは、現状維持の姿勢のこと。
どんなときも、この地球では行動が必要だ。
<感謝合掌 平成30年1月25日 頓首再拝>
《悟りと実践》 - 伝統
2018/02/10 (Sat) 05:03:05
*『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第12篇(P306) より
自己の内に埋蔵されたる「一層偉大なるもの」を発見するのが「新生」であり、
仏教的に謂うならば「悟り」である。
併し、その「悟り」が一時的な“魂の光耀”で消え去ってしまう人が多いのは、
その「悟り」を実践の上で生かさないからである。
白隠禅師が「大悟十八回」を重ねられたと云うのは、
その「悟り」が「悟り」のままで静止し、眠ってしまわないで、
動的な「悟り」となり、実践的に、その「悟り」が実現して行く、
巨大なる“悟り歩み”の足跡を振り返ってみて斯く形容されたものだと思われる。
誰でも実践的に使わないところの力は退歩してしまう。
“悟り”も実践的にそれを行使しないとき、折角、その悟られたる
「一層大なる力」は徒(いたず)らに眠ってしまう。
凡(およ)そ人生に於て偉大に聳(そび)え立つところの人は、
その悟りによって把握したところの「一層大いなる内在の力」を眠らせないで
それを自由に駆使して行った人々である。
<感謝合掌 平成30年2月10日 頓首再拝>
《思念は行動の代用にはならぬ》 - 伝統
2018/02/26 (Mon) 03:34:28
*『 生長の家 』(昭和26年1月28日の法語)より
ただ坐(すわ)る、ただ神想観すると云っても、
一日中坐って祈っている訳では ないのである。
思念は 行動の代用品にはならないのである。
だから思念しているだけで、惰(なま)けていたり、
細かいところに気をつけなかったりしては何の効果もないのである。
孔(あな)のあいたバケツに水を入れて、
「 どうぞ このバケツが漏らないようにして下さい 」 と
祈るだけでは効果がないのである。
祈ることは 神の智慧につながることによって、
バケツを如何(いか)にして修理すれば好(よ)いかの
智慧と力とを得ることが出来るのであって、
その智慧の通りに実践することによって
始めてバケツの水が漏らなくなるのである。
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=51
<感謝合掌 平成30年2月26日 頓首再拝>
《行持(おこない)が大切である》 - 伝統
2018/03/13 (Tue) 04:33:42
*『 生長の家 』(昭和26年2月12日の法語)より
人間に内在する神の国は、
放送局から放送されているプログラムのように
現に茲(ここ)にあるのである。
しかし 「 茲にある 」 と単に知ったり思ったりするだけでは、
放送のプログラムが現実にならないのと同じように、
単に本を読んでわかっただけではいかぬのである。
その通りに動き出さないと可(い)かぬ。
この動き出すことを 「 行持(ぎょうじ) 」 と云うのである。
道元禅師は 「 発心(ほっしん)修行、菩提涅槃(ぼだいねはん)、
しばらくの間隙(かんげき)あらず、行持道環なり 」 と云っていられる。
発心と云うのは道に志すことである。
何故(なぜ)、道に志すかというと、すべての人の生命の中には
「 仏の生命(いのち) 」 即ち 菩提涅槃(さとりそのもの)が
既に内在しているからである。
→ http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/b4427af0a46f7e5ddb96d10b1298aff6
<感謝合掌 平成30年3月13日 頓首再拝>
【大切なのは、私が実践者になること、私が太陽になること】 - 伝統
2018/03/31 (Sat) 03:22:14
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2018年03月02日)より
(小林正観さんの心に響く言葉より…)
《どんな問題も腹を立てることで解決はしません》
この条件だったら腹を立てないけれど、
この条件だったら腹を立ててもいいだろう、ということはありません。
重要なのは、どんなことがあっても腹を立てない、戦わない、ということ。
腹を立てることで問題を解決することはできないのです。
社会ではこんな極悪非道なことが起きている、
あの人はこんなにひどいことをした…社会現象や事件に対して論評したり、
他人の評価やうわさ話をしたりすることはやめて、
自分はそうしない、と決めるだけです。
それらのことをした人を非難、糾弾したりする必要はまったくありません。
人間は根本的なところでは、ものすごく美しい心を持っていて、
自分の心の中で良心が芽生えることで、その問題は解決していきます。
大切なのは、私が実践者になること、私が太陽になることです。
<『たくさんの「奇跡」が舞い込む感謝の法則』宝島社>
・・・
「怒ったら負け」という言葉がある。
よくテレビなどで議論していて、
突如激昂(げきこう)して大声で怒鳴りつける人がいる。
それを傍(はた)から見ていると、
「ああ、怒ったから負けたな」「この人は、ニセモノだな」と思う。
議論では追いつかなくなり、大声で相手を圧倒し従えようとする、
その態度が見えてしまうからだ。
どんなに相手から大声で怒鳴られ、挑発されても、
涼しい顔をして最後まで冷静に、声も荒げずに、淡々と言い返す人はカッコいい。
しかしながら、これがいざ自分のこととなるとなかなか制御できない。
怒りを制御するには、「怒りそうになったら6つ数える」というメソッドがある。
怒りをコントロールする技術「アンガーマネジメント」を日本で広めている
安藤俊介氏の「怒りをしずめる」方法だ。
6秒間思考停止すると、怒りやイライラがおさまるのだという。
「 大切なのは、私が実践者になること、私が太陽になること」
腹を立てないこと・・・
口先だけでなく、実践する人でありたい。
<感謝合掌 平成30年3月31日 頓首再拝>
心の催しのまま躊躇なく実践 - 伝統
2018/04/19 (Thu) 02:48:15
*『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P63~64) より
《心の内の催し》
先ず祈りによって神と繋がる心境に達することが必要である。
自己の欲する事物を祈りに於いて「既に得たり」と念じ、
深く深く感情の奥底から感謝の念を起こすがよい。
神示には「感謝の念のうちにこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう」
と訓(おし)えられているのである。
深く祈りたる後(のち)、自然に「心の内なる催(もよお)し」として、
誰かのためになることをしたくなるならば、
また公けの奉仕的な行為をしたくなるならば、
それを躊躇なく実践するがよい。
その愛他的な無私的な行為は、愈々あなたの心を神の波長に合わすことにし、
あなたの願いを実現してくれることになるのである。
若しその時、あなたが、その愛他的な「心の内の催し」を、面倒くさいと思って
実践しなかったならば、あなたの願いが実現するのが遅れるおそれがあるのである。
何故(なぜ)なら、あなた自身が、他(た)の人に与えるべき愛他的行為を
直(す)ぐ実践せずにその実行をおくらせたからである。
<感謝合掌 平成30年4月19日 頓首再拝>
《内部理想の芽》を実践によって育てる - 伝統
2018/05/16 (Wed) 03:19:02
*『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第3篇( P69~70) より
何人(なんぴと)の心のうちにも、なにがしかの理想が宿っているのである。
それにも拘(かかわ)らず、それが実現しないで終わる人が多いのは、
その人自身が、到底このような願いは実現する見込みはないと、
自己限定してしまうからである。
吾々の魂が或る理想を直感する
―― たとえば宗教家になって人類を救いたいと其の使命を直感する。
ところが常識的な表面の心がそれを否定する。
「そんな者になっても経済的に食えないぞ」とか
「お前にはそのような天分はないぞ」とか、
「やっぱり大会社へでも入っている方が社会的に出世が早い」とか
常識の心が反論するのである。
こうして内部理想の囁きはいつの間にか心の奥底に退却して眠ってしまう。
しかし時々、その内部理想が目を覚ます。
そして、自分の生活が自分の本当の願いではない生活をしていることを
残念に思うことがある。
しかしまた”常識の心”が「そんな事は諦めよ、もお前は遅いのだ」という。
併し遅いことはないである。
いつでも自分が気がついた時に”理想の芽”をそのまま実践によって育てれば、
その芽は伸びるのである。
<感謝合掌 平成30年5月16日 頓首再拝>
《断行の勇気をもつ》 - 伝統
2018/06/07 (Thu) 04:08:20
*『人生の秘訣365章』第4篇(P100) より
あなたの内には“天与の希望”が宿っているのである。
それは最初は漠然とした憧れであり、糢糊とした感情であるけれども、
次第にそれは明確になってくるに相違ないのである。
それが明確になって来たとき、
それを実現するために敢て断行する勇気をもたなければならない。
希望実現の第五の法則は、断行の勇気をもつということであるのである。
断行の勇気を欠くところに、如何なる希望も実現することはないのである。
<感謝合掌 平成30年6月7日 頓首再拝>
祈りによって得たヒントは直ちに実行せよ - 伝統
2018/06/26 (Tue) 03:37:31
*「あなたは自分で治せる」(P95~96)より
「祈りの結果を楽しもう。その結果があらわれるまでは喜べない」
と云うのでは、喜ぶべき結果は顕れて来ないでありましょう。
今を喜ばなければなりません。
喜べば喜びが来るでありましょう。
そして正しき順序をもって事を行なって行くことです。
一事に多くの事を心を散乱させてはなりません。
第一の事を第一にして、着々として事を運んで行くべきでありましょう。
麓(ふもと)から一歩々々上がって行く行くことが必要です。
頂上のみが眺望が好いのではないのであります。
麓や山腹の眺めも美しいのです。
「今、心の開くところ、浄土はひらかれる」のであります。
今、祈りによって得られたる暗示、又はヒントを実践しなければなりません。
祈りを通じて神が与え給うた暗示を実践しないで放置するときには、
今後いくら祈っても神は何らのヒントも与え給わないようになり勝ちであります。
又、祈りによって得られた善き考えは、今すぐ実行したときに有効な考え
なのでありまして、10分間のちには却って不幸を齎(もたら)す考えでも
あるかも知れないのであります。
「今、この踏切を渡れ」と云う暗示も、その時渡って安全なのでありまして、
それから10分後に渡ったのでは、列車に轢(ひ)かれることも
あり得るのであります。
祈りと「今を生かす」ことは一体になるべきで、
そうでなければ祈りの効果が逆転してしまう事もあります。
<感謝合掌 平成30年6月26日 頓首再拝>
あなたの完全像を現実化せしめよ - 伝統
2018/07/11 (Wed) 04:28:43
*「希望を叶える365章」(P228~229)より
あなたの中にあなたの「完全像」がるのであって、
あなたの「完全像」の自覚の”ひろがり”が、あなたの環境となり境遇となり
運命となってあらわれて来るのである。
自分の自覚の程度があなたの運命の程度である。
今が時である。
常に今が時である。
今一層あなたの完全像(実相)を自覚せよ。
今一歩一歩自己の完全像に現実の自分を近づけせよ。
それには必ずしも今ある環境から抜け出さなければならない
と云うことはないのである。
今ある環境にいて愛行をつくせよ。
愛はあなたの「完全像」の一部分である。
今ある環境で吸収し得る一切の知識を吸収せよ。
「知」はあなたの完全像の一部分である。
あなたの完全像をあらわせばあらわすほど、
あなたの現実は完全となるのである。
拾遺が幸福になることを心掛けて行動せよ。
「行(ぎょう)」はあなたの完全像の一部分である。
愛と知と行と3拍子そろってあなたの完全像が現実化するのである。
<感謝合掌 平成30年7月11日 頓首再拝>
Re: 実践力
- sfzpjigej
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2020/08/29 (Sat) 03:51:19
伝統板・第二
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