伝統板・第二
至福繁栄の黄金律 - 夕刻版
2016/10/31 (Mon) 18:04:23
至福繁栄の黄金律(P3~49)
*「苦難と恐怖の克服法~人間救いの原理」谷口雅春・谷口清超(共著)より
~ 昭和33年4月1日 発行 <精神科学選集 1>
《至福繁栄の黄金律~その1》
○人に与えよ、然らば汝らも与えられん。
人は量(はか)りをよくし、押し入れ、揺り入れ、溢るるまでにして、
汝らの懐中(ふところ)に入れん。汝らおのが量る量(はかり)にて量らるべし。
(ルカ伝 第六章 三八)
○我がものは皆汝の有(もの)、汝の有は我がものなり。 (ヨハネ伝 第十七章 十)
○かくて、わが神は己の富に随い、キリスト・イエスによりて、
汝らの凡ての窮乏を栄光のうちに補い給わん。 (ピリピ書 第四章 十九)
我らが上記ルカ伝第六章三十八節の心の法則に随って、
世界に対して「与える」事を、「寄与する」事をのみ心掛ければ、
やがて豊かに「人は量(はか)りをよくし、押し入れ、揺り入れ、溢るるまでにして」
日本国の懐中(ふところ)に富を無尽蔵に流入してくれるに相違ないのである。
このこと夢ゆめ疑うべからず、イエスキリストは決して嘘つき給うことはないのである。
吾々はこのルカ伝、第六章三十八節の聖句を
幼児(おさなご)の心を以ってそのまま信ずれば好いのである。
吾々宗教家から見るならば社会主義も資本主義も問題ではない、
ただキリストの聖言を信じ且つ実行すると否とに、
わが国の盛衰は関係しているのであって、議論やイデオロギーではないのである。
(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理(一)>より、抜粋し転写。
「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=353 )
<関連Web>
(1)伝統板・第二「無限の富を汲みだす①」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6460527
(2)伝統板・第二「無限の富を汲みだす②」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6824314
<感謝合掌 平成28年10月31日 頓首再拝>
《至福繁栄の黄金律~その2》 - 伝統
2016/11/01 (Tue) 18:19:05
メンタルサイエンスの人生支配の根本は、現象界のすべては想念の具象化であり、
「愛」がその牽引力であると云うことである。
愛する者からのみ、吾々は愛されるのである。
財を得んと欲するならば、財を愛しなければならない。
富を得んと欲するならば、富を愛しなければならない。
(中略~蜜蜂の寓話)
富を得んとすれば、富の魂を捉えれば好いのである。
富の魂には男性と女性とがある。
富の父性霊魂は「人類への奉仕」であり、
富の母性霊魂は「豊かさ」と云うことである。
富の父性霊魂は最大多数の最大幸福を目的として豊かに、
「生命」を、「智慧」を「愛」を、「資本」を、「資源」を「労力」を流すことである。
この「流出」こそ、眞の富を生み出す父性霊魂なのである。
(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理(二)>より、抜粋し転写。
「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=353 )
<感謝合掌 平成28年11月1日 頓首再拝>
《至福繁栄の黄金律~その3》 - 伝統
2016/11/02 (Wed) 18:04:29
(1)世間の多くの人々が、稼ぎながらも貧乏の状態を脱することが出来ないのは、
その稼ぎの目的が利己主義的「最大多数の最大幸福」と云う
富の父性霊魂が欠乏しているか、
「心の容れ物」(豊かさ)と云う母性霊魂が欠乏しているか、
どちらかだと云うことが出来るのである。
(2)清貧礼賛は、富そのものを気嫌いしているのであり、
「貧しさ」そのものに魅力を感じて、凡そ富とは正反対であるところの
「清貧」を招び寄せるのである。
(3)「神と富とには兼ね仕えること能わず」と云う聖書のコトバについて
①これは、神は貧乏人のみを愛すると云う意味ではないのである。
神は「地に蓄えられた富」を、換言すれば物質を本源として出て来る富とは
およそ「神」とは正反対なるものとして排斥し給うのであって、
「天に蓄えられたるとみ」を、換言すれば、神なる本源より必要に応じて
湧き出づる富を排斥し給うのではないのである。
またいくら蓄えても、「己が為に」蓄えないのならば好いのである。
②マタイ伝第六章には、
汝ら己がために財宝(たから)を地に積むな、ここは蟲と錆とが損ない、
盗人うがちて盗むなり。
汝ら己がために財宝(たから)を天に積め、かしこは蟲と錆とが損なわず、
盗人うがちて盗まぬなり
汝の財宝(たから)のあるところには、汝の心もあるべし。
・・・・・・・汝ら神と富とには兼ね仕えること能わず
(マタイ伝、第六章十九――二十二、二十四)
とある。
(この意味は)
地に積む宝は自己のためであってはならないし、
自己のための財宝は天の倉に蓄えて
無尽蔵に必要に応じて引き出せば好いのである。
また自己のためでない富(公共奉仕の為の財)は
地にいくら多く積んでも好いのである。
聖書の言葉は微妙に書かれているのであるからそれを見逃してはならないのである。
(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理(三)>より、抜粋し要点整理。
「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=353 )
<感謝合掌 平成28年11月2日 頓首再拝>
《至福繁栄の黄金律~その4》 - 伝統
2016/11/03 (Thu) 18:00:53
(1)神は無尽蔵によき賜物を「天の倉」より与えようと欲していられる。
(マタイ伝第七章、七――十二)
○求めよ、然らば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。
すべて求むる者は得、たずぬる者は見出し、門を叩く者は開かるるなり。
汝らのうち、誰かその子パンを求めんに石を与え、魚を求めんに蛇を与えんや。
然らば、汝ら悪しき者ながら、善き賜物をその子らに与うるを知る。
まして天にいます汝らの父は、求むる者に善き物を賜わざらんや。
然らば凡て人に為られんと思うことは、人にも亦その如くせよ。
これは律法(おきて)なり、預言者なり。
・・・
神即ち「天の父」は無尽蔵によき賜物を「天の倉」より与えようと
欲していられるのであるが、人間は,「蟲食い錆くさる」地から財宝を得ようとして
貧しくなっているに過ぎないのである。
(2)神は我らにソロモン王以上に豊かにそして華麗豊富な富を約束していますのである。
(マタイ伝第六章二十六――三十三)
○空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず、
然るに汝らの天の父は、これを養い給う。
汝らは之よりも遥かに優る者ならずや。
汝らの中誰か思い煩いて身の丈一尺を加え得んや。
また何故に衣のことを思い煩うや、野の百合は如何にして育つかを思え、
労せず、紡がざるなり。
然れども我汝らに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに
その服装この花の一つにも及(し)かざりき。
今日ありて明日、炉に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装い給えば、
まして汝らをや、あぁ信仰薄き者よ。
さらば何を食い、何を飲み、何を着んとて思い煩うな。
汝らの天の父は凡てこれらの物の汝らに必要なるを知り給うなり。
先ず神の国と神の義とを求めよ。
然らば、凡てこれらの物は汝らに加えらるべし。
・・・
これこそアメリカのニューソートが、またメンタルサイエンスが
その経済支配の金科玉条として生活化しているところの眞理なのである。
そこには決して「貧しさ」の礼賛はないのである。
(3)眞理の言葉はそれを理解する程度に随って、その人に広くもとれ、狭くもとれ、
深くも浅くも解釈する事が出来るのである。
神の心を読んだ時に無限の功徳が現実的に現れて来るのである。
聖書の解説書とも云うべき『生命の實相』を読んでたちまち
その清貧状態を脱却した人も無数にあるのである。
神は吾々人間――神の子たち――が貧しき状態で生活することを
欲していられるのではないのである。
(4)併し諸君は人に、与うることを惜しんではいないであろうか。
取上げることを、取立てることをのみ望んでいないであろうか。
政府も政党も、与うることを政策に実行せず、
取上げたり糾弾したりすることばかりを実行しているならば、
それは凡そ神の約束し給いし、豊富無限の約束とは異なるのであることを
知らねばならない。
(5)地上を見よ、世界を見よ、宇宙を見よ、
何処に、神は「貧しさ」を示し又は求めていられるであろうか。
この世界は華麗豊富の神徳の充満せる世界ではないか。
神が太陽を、無限に近い星辰を、ナイヤガラの瀑布を、グランドの峡谷を、
そして大空の懸け橋の様な虹や、見渡す限りはるばるとした太平洋を創造した
と云うことを理解するならば、
神が神の子であり、万物の霊長であるところの人間にのみ、
豊富華麗を拒み給うと云うことはないのである。
(6)与えれば与えられる。
豊富に与えれば豊富に与えられる、
ケチに与えればケチに与えられるのである。
小出しにケチケチと出し惜しみをしながら出していたのでは、
心がケチであるが故に、総計では沢山出していたにしても、
その心がケチであるがゆえ豊富な供給に恵まれると云うことはないものである。
何故なら、その人の心がケチであるからである。
形の分量よりも、先ず心のケチさが無くなることが必要なのである。
(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理(四)>より、抜粋し転写。
「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
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<感謝合掌 平成28年11月3日 頓首再拝>
《至福繁栄の黄金律~その5》 - 伝統
2016/11/04 (Fri) 18:38:55
(1)凡そ富むためには「資本」を愛しなければならないのである。
①愛あるところに、愛される人々が喜んで集まって来るように、
「資本」も同じく、資本を愛すれば資本が集まって来るのである。
②諸君が資本を愛するならば、資本を託する相手を吟味しなければならない。
そしてこの人ならばきっと資本をよく育て保護し生長せしめ増大せしめてくれる
と思う相手に託しなければならないのである。
③そして此処にも、「出せば出すほど殖える」と云う心の法則は当てはまるのである。
何故なら諸君は、金は出したが、智慧を出したか。深切を出したか。
その資本を愛するために凡ゆる手段と方法と智慧と愛との
出し惜しみをしなかったであろうか。
これらの条件がすべて整うたとき、諸君に豊富華麗な供給が与えられるのである。
(2)「汝の財宝(たから)のある所には、汝の心もあるべし。」(マタイ伝第六章二十一)
(3)イエスは宇宙に号令して必要なものを必要な時に引寄せる力を持ってい給うたのである。
〇イエス群衆に銘じて地に座さしめ、七つのパンを取り、謝して之を裂き、
弟子たちに与えて群衆の前におかしむ。弟子たち乃ちその前に置く。
また小さき魚少しばかり有り、祝して之をも、その前に置けと言い給う。
人々食らい飽きて、裂きたる余りを拾いしに七つの籃(かご)に満ちたり。
その人おおよそ四千人なりき。(マルコ伝八章一 ―― 九)
(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理(五)>より、抜粋し転写。
「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
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<感謝合掌 平成28年11月4日 頓首再拝>
《至福繁栄の黄金律~その6》 - 伝統
2016/11/05 (Sat) 19:51:58
(1)イエスは七つのパンを四千人に分かちて、その余りがなお七つの籃に充ちたと云う。
また別の章には五つのパンを五千人に分かちて、
その余りが十二籃に充ち溢れたともあるのである。
この驚くべき奇跡は一種の寓話に過ぎないと見る人もあるであろうが、
これこそ實相無限供給の眞實譚なのである。
(2)吾々がイエスと同じき信仰を有ち、
真に供給は神より来たるものであることを信じ、
イエスと同じき憐れみの心にて、
手持ちの五つのパンでも分け与えたいと云う心になって、
行動を開始するならば、
そこから無尽蔵の供給が自然に恵まれ来ることになるのである。
(3)イエスは「われこの群衆を憫(あわれ)む。・・・・飢えしままにて、
その家に帰らしめなば途にて疲れはてん。」と言っている。
愛がそしてその実現のための行動のみが
無限供給を招び寄せるところの魔術の秘法なのである。
(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理(六)>より、転写。
(1か所のみ、誤字の訂正をいたしました)
「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
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<感謝合掌 平成28年11月5日 頓首再拝>
《至福繁栄の黄金律~その7》 - 伝統
2016/11/06 (Sun) 18:59:18
(1)【富は神の愛が具象化したもの】
①「富」とは物質ではない、「愛」の具象化したものなのである。
神の愛が具象化した――それが物質であり、富である。
②されば富を実現するためには愛を実現することが必要なのである。
富は愛を実現する為に使用せられたときにのみ自己本来の目的を遂げる、
その富は満足するのである。
(2)【富は愛の実現のために循環させる】
①富は愛の実現のために出せば出すほど、まるで外交員を派出するかのように、
「富」が富の友人を伴い来たって益々その人の富は殖えることになるのである。
②しかし富は愛の実現のために与えなければならない。
相手を見極めず、愛のない親が自分の娘を身売りさせるように、
ただ自分の富を投げ出すだけでは、
富はその持ち主の冷淡さを憤って、
再びその持ち主の所へは帰って来ないであろう。
(3)【富を金庫の中へ押し込めない】
①富は無駄に放出してはならないと同時に
いつも金庫の中に押し込めておいてもならないのである。
それは全く「富」にとっての禁固刑であるであろう。
②「富」は愛を実現するために、人々の懐中を循環して、
人々の生活を潤しながら、人々を富ましめながら、自分も富の子供を生んで、
もと出て来たその懐かしい人々の許に帰って来ることを楽しみにしているのである。
③だから「富」は金庫の中へ封鎖したのでは決して増加しないのである。
「富」はその愛を実現するために出て行かしめなければならない。
これが富を愛する最も完全な方法なのである。
(4)【富は時々自分の家庭に引寄せることも大切】
①「富」は愛の実現のために外出せしめなければならないが、
時々それを家の内に戻して休養せしめることが必要なのも、
すべて人間の家族を常に外勤状態のみに置いては
家族の懐かしさが無くなるのと同様であるのである。
②「富」を自分の家庭に引寄せようとおもうならば、
「富」をしてその家庭を懐かしいと思わしめるように
時々自己のうちに呼び戻して温存してやることが必要であるのである。
③相場師や事業家において、大富が崩れ落ちるのは
「富」を家庭に温存して、しばらく何事ににも使わないで
休養せしめることを知らないからである。
④「富」は「富」自身の増殖のためのみにコキ使ってはならいのである。
「富」も時々は社会の事情に従って静かにしていたいときもあり、
じっと様子を見ていたり、瞑想にふけっていたいこともあるのである。
(5)「愛」と云う内容のない「富」は、
内容がないニセ物であるから
忽ち亡霊の如く姿を消し去るものである。
(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理(七)>より、抜粋・転写し要点整理。
「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=353 )
<感謝合掌 平成28年11月6日 頓首再拝>
《至福繁栄の黄金律~その8》 - 伝統
2016/11/07 (Mon) 17:54:57
(1)当り前が当たり前に出来るのが、本当の自由主義である。
本当は「こうでなければならぬ」と云う主義に縛られるようなことでは
本当の自由ではないのである。
(2)社会制度や社会政策によって万人が悉く、空腹になるとき
食を得ることが出来るようにする事も必要であろう。
然しながらどんな社会制度の下にも貧困者はあるのである。
物資の無限に豊富な米国にも、共産主義社会のソ連邦にも貧窮者はあるのである。
如何なる制度の社会にも、自己の内なる無尽蔵の宝庫を開かない者は
結局貧窮者であるか、社会の寄生虫であるかの外はないのである。
(3)自己の内なる無尽蔵の宝庫を開く眞の道が、いのちのそのままの発露に乗託して
「小我」を用いないことである。
自己の内なる無尽蔵の宝庫とは、即ち「大我」であり、「神」であり、
「神」なる大宝庫を開く道が、「飢え来たれば則ち喫し、困じ来たれば則ち眠る」である。
そのまま功(工夫)を用いないのであり、しかも怠けているのではない。
これは私のはからいの巧智ではない、「無作の作」「無工夫の工夫」
孔子の所謂「心の趣くところに随って、矩を越えず」の心境である。
(4)「果報は寝て待て」と云う諺がある。
これは常住寝ていて幸福が来ると云う意味ではない。
「静」(Silence)の世界、「大寂」の世界(「神智」)の世界)に任せ切って、
私のはからいなしに、神からはからわれて自然に、法爾に、そのままに動き出すとき、
自然そのままに幸福が、無限供給が出現して来ると云う意味である。
人間の眞の富は「神の倉」(大寂)の中にある。
その「大寂」の生命の大海に吾等は棲んでおり、
その「大寂」の生命がわれ等の中に流れ入って、
わが生命となっているのであるから、
わが生命そのものの中に無尽蔵の供給があるのである。
自己の内にある無尽蔵の供給を先ず自覚することが、
供給無限の黄金律の第一である。
(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理(八)>より、抜粋・転写。
(1か所のみ、脱字の追加をいたしました)
「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=353 )
<感謝合掌 平成28年11月7日 頓首再拝>
《至福繁栄の黄金律~その9》 - 伝統
2016/11/08 (Tue) 18:08:08
(1)【すべてが吾が内にある】
○誰でもあらゆる物を有って出発する。すべてが吾がうちにあるんですからな。
(自動車王ヘンリーフォードの言葉。ワルドー・トライン氏著
“The power that wins”第十二~十三頁)
これは戦争前の私の日本語訳『百事如意』第八十六頁に掲載されている言葉である。
私はこの訳書によって米国光明思想を紹介し、アメリカを甘く見てはならない
アメリカと手をつなぐべきだと警告したのだ
「すべてが吾が内にある」と云う思想位自主的な民主的な、
自己の本性を尊ぶ思想はないのである。
(2)【アメリカの真の力の源】
①實にアメリカの勝利は、アメリカの精神の勝利なのである。
アメリカの巨大なる生産力は、外形から見るならば物質的巨富であるけれども、
その生み出す力は精神力なのである。
②フォード翁曰く「富は仕事をする道具でその他の何でもない。
富は炉に投げ込む燃料とか、機械を廻すベルトとか云う風なもので、
目的に達する為の手段なんです」と。
そしてそのベルトを廻し、燃料を燃やす力は精神力そのものなのである。
③富は外形から見れば物質であるから物質豊富のアメリカは「物質の国」に見える
けれども、富の内性を観るならばそれは精神力の具象化であるから、
物質豊富のアメリカは精神力豊富のアメリカである。
④フォード翁は言う、「その力がすべてですよ。一切の根元が其処にあるんです。
吾々はただその力を認めるだけのことです。すべてのものの精髄と本質とが
其処にあるのです。吾々が霊と云い物質と云うものは一つですよ。
霊と物質とは一つの全体です。
僕は「霊」とか「物質」とか云って全然違う反対のものがあるように
考えたくはないのです。この二つは全く一つなんです」と言っている。
(3)【日本人の生活の建て方を根本的に変革する必要がある】
(戦中・戦前の)日本人の大多数が日本精神と称しつつあったところのものは、
実は人間を「物」の代用とする物質精神に他ならなかったのである。
新しき日本を再建する為には彼らの所謂る日本精神(実は唯物精神)を打破し、
眞のアメリカ的精神、ニューソート的精神に基き、
日本人の生活の建て方を根本的に変革する必要があるのである。
(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理(九)>より、抜粋・転写。
「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=353 )
・・・
<参考>
(1)の中に、谷口雅春先生は、
「これは戦争前の私の日本語訳『百事如意』第八十六頁に掲載されている言葉である。」
とあります。
このヘンリーフォードの言葉は、
『百事如意』第3章 ヘンリー・フォードの致富法(昭和11年4月21日発行版)
のP86に収載されており、『生命の實相』第二巻実相篇下(P195~196)にも
収載されております。
<感謝合掌 平成28年11月8日 頓首再拝>
《至福繁栄の黄金律~その10》 - 伝統
2016/11/09 (Wed) 18:25:35
(1)【芥子種の信仰】
〇(「山、山に非ず、之を山と云う」とは金剛経に書かれている語(ことば)であるが、
「物質、物質に非ず、これを物質と云う」(「霊と物質とは一つの全体です。
僕は「霊」とか「物質」とか云って全然違う反対のものがあるように
考えたくはないのです。」――フォード翁)
これがアメリカの光明思想(ニューソート)であり、
キリストの説いた芥子種の信仰の精神である。
(「若し芥子種ほどの信仰ありて、この山に対(むか)いて動いて海に入れと言わば、
必ず成らん」 ――キリスト)
山は山に非ず、物質は物質に非ず、呼べば応えて動くのである。
(2)【「宇宙生命」の存在を信じ、それと波長を合わせなければならない】
①宇宙霊は存在するものの一切を蔽い、一切を生み、一切を生かし、
一切の存在を支えてい給う。それは決して一部の利益に奉仕しない。
それだから「この力と接触する道は、最大多数の人間の最大多数の善を為そう
と思って生活を正しくしなければならない。」とフォード翁は言っているのである。
②一民族、一国の利益の為に無数の殺人を厭わないような精神は、
宇宙全体の幸福を念願し給う、宇宙霊(神)の愛の精神と波長が合わないのである。
日本人が如何に神社へ参拝して日本の戦勝を祈願しても結局効果がなかったのは、
「神は非礼を受け給わず」そのような利己主義的祈りは神の愛の精神と
波長が共鳴しなかったのである。
(3)【人間は霊的大海原に浮かんでいる一個の霊的中心である】
ヘンリ―フォード翁に言わせれば、全宇宙は、生ける霊的元素体(Spiritual entity)
の充満せる霊的大海原であり、一人一人の人間はその霊的大海原に浮かんでいる
一個の霊的中心であるのである。
即ち人間は、宇宙霊の自己顕現の中心者として、
今此処に宇宙霊の全徳が顕現しようとしているところの霊的中心なのである。
(4)【物質的形態は精神観念の具象化なのである(心の法則)】
①汝の信ずる如く汝にまでなれとイエス言い給いければ則ち癒えたり。―聖書
②(先の大戦では)
日本は、「海征かば水漬く屍、山征かば草生す屍」と日本軍の死屍累々たる有様を
「言葉の力」にて歌い、それを精神観念に毎日思い浮かべることを以て
所謂「忠義」と誤想した。
一億一心になって「必死、必敗、全艦水漬く屍、全隊草生す屍」を想念に念じている
のが日本一億の心である以上、心にハッキリと思い浮かべる観念が形をとって
具象化すると云う眞理が実際である以上、日本の必敗は当然であったのである。
③必死を心に描く所謂(誤った)日本精神と
必生必勝を心に描くアメリカ精神との戦いは、
アメリカの大勝に終わることは当然なのである。
(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理(十)>より、抜粋・転写し、要点整理。
「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=353 )
<感謝合掌 平成28年11月9日 頓首再拝>
《至福繁栄の黄金律~その11》 - 伝統
2016/11/10 (Thu) 18:30:57
(1)(戦前・戦時中の)日本精神と仮に称ぶから如何にも精神主義のように見えるけれども、
唯物論こそ彼らの所謂日本的世界観であり、指導精神であったのである。
これは明らかに空間的広がりを唯物論的存在なりとする誤想より来たのである。
(2)(当時の日本は)
「有たざる民族が有ち過ぎるところへ侵出することは当然の道徳的行動である」
と声明した。
唯物論者の彼等にとっては「有(も)つ」と云うことは
「他より奪う」と云うことによってのみ可能なのであって、
「有つ」ことの本源は神より許されて有つのであり、神より許されて有つ為には、
先ず日本民族の行為が神の御意に一致することが必要であるとの、
有神論者であったならば解り過ぎる程当然の事柄が解らなかったのである。
すなわち「有たざる者」が「有つ者」になる為には、
唯物論にとっては他より奪うより他に道はないと考えたのである。
(3)かくて「奪うための戦争」は「有たざる者が有つ者になる為の理由」に於いて、
民族の生存権の為の戦いであると云うイデオロギーによって勃発したのである。
かかる奪う為の戦争は正しくない。
されば新日本再建の理念は「有たざる者が有つ者になる為」には、
そして、「生存権」の為には奪い合いの戦いをしても好いとの道徳観・倫理観を
徹底的に覆してしまわなければならないのである。
(4)ヘンリーフォードや、ワルドートラインやマーデン等に顕れている米国的民主主義は、
一切の物質的所有は心の豊かさの反映として神より来たる「霊の具象化」として
説いているのである。
米国の日本への圧倒的勝利は、軍需生産の驚くべき莫大量に起因しているが、
その根本はこれを生産せしめた精神主義又は心霊主義とも云うべき
米国光明思想の日本唯物主義への勝利であったと言わなければならないのである。
(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理(十一)>より、抜粋・転写。
「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=353 )
<感謝合掌 平成28年11月10日 頓首再拝>
《至福繁栄の黄金律~その12》 - 伝統
2016/11/11 (Fri) 18:44:37
(1)一切の供給は神より来るものであって、個人の私有ではない」と云う
原始基督教やニューソートやメンタルサイエンスや、生長の家の思想等は、
一切の富を「神に於いて」共有であると見る点に於いて、一致するのである。
併し吾々精神主義者は、それを外的拘束又は暴力によって
平等に分けようとはしないのである。
神の財(たから)であるが故に神の摂理によって自然に神のまにまに計られて、
心の姿に随ってその富が分配されるのが、眞の自由人の世界であるとするのである。
外的拘束、強制力、暴力によって財を奪い又は強制分配する世界は
眞の民主主義の世界ではない。
(2)戦争を勃発せしめた過去の日本的世界観はかかる外的暴力による
富の再配分を是認する世界観であった。
「この世は物質の塊より成り立つ世界であり、自己の属する民族(又は階級)が
より豊かなる生活を送る為には他民族(又は他階級)より奪う為に戦うほかはない」
と云う世界観であった。
吾々は万世に太平の基を開く新日本を建設する為には、
かくの如き、富は有限の世界に於いて物質を奪い合うより道なきものなり
とする唯物論的世界観を脱却しなければならないのである。
(3)新しき日本はかくの如き世界観より脱却し、強制力、外的拘束力、
又は暴力に依らずして眞に民主的に万民鼓腹の天国を地上に建設すべきであり、
これを完成した時に於いてのみ日本は始めて、
万世に太平の基を開き得たと称すべきである。
これは新生日本に課せられた使命であり、その使命を達成することによってのみ
日本は敗戦の禍を転じて却って福となし、世界の平和に貢献したと称し得るのである。
(4)新日本の精神的基礎は唯物論の脱却、一切は「自心の展開」であるとして自己を反省し、
自己を懺悔し、環境の荒廃を観て、自己の心の荒廃せる姿なりと観ずる
新精神主義の上に建つべきである。
(5)吾等はこの基礎の上に建って、新しき意欲と新しき理想をもって心を練り
環境を創り直すべく勇往邁進する勇気と精進とを続くべきである。
それにはどうしても三界唯心的、ニューソート的、ヘンリーフォード的世界観
「吾々が何を希望するにもせよ、それに心想を集中してその実現を念じ、
その目的実現に向かって動き出せば、この生命の霊的元素体が集まって来て
吾々を助けて自分の希望するものを形に築き上げてくれるのです」と言いし
フォード翁の如き世界観、誰からも奪うものではない、
自分の念の力で霊的元素体を吸引して、富を具象化すると云う世界観を把持し、
その理想実現に邁進すべきである。
勇気と精進と念の集中とは、意志の努力によってのみ初めて可能なのであるが、
この時にも唯物論は努力精進の躓きとなる。
(6)ヘンリーフォードの言う通り、
「思念を集中すれば、其処に霊智的小生命体を引き寄せる中心磁力を生じます。
例えばある事業に思念を集中するならば、その思念の磁力にてその事業を成就するに
必要な凡ゆる要素が集まって来るのです。
志すものを大いに絶えず強く思えばその事物は引寄せられて来るのです。
吾々が諸種の事業をやりかけて見て成功しないのは、
その志すものを絶えず強く熱意を以って思わないからです。
志す事業を招び寄せるのには、その思いを中断せずに、
気永くその希望と熱意とを持続しなければならない。
短気ですぐ失望するようでは駄目です。
その事業が成就するのに適当な条件を引寄せるには或は三、四ケ月掛かることもあるし、
時には六ケ月掛かることもあります。
兎も角、思念を長期間持続的に集中することは、
必要な事物を引寄せる磁力となるものです。」
(戦前邦訳『百事如意』九十七頁)
(7)「絶えず強く思えばその事物は引寄せられて来る」のである。
フォード翁は「志すものを絶えず強く思う」と言っているけれども
志さないものでも「絶えず強く思えば」それは心の世界に先ず形成せられ、
その反影として形の世界に形成せられたのである。
(8)日本の敗退の原因もまた唯物論なるが故に、
また眞の神を信ぜざるが故に敗退したのである。
彼等は世界に通用せぬ「神」を信ずることを以って「日本は特別だ」と
滑稽にも誇称していたのである。
当時の日本人の大部分には、全能の神の信仰もなく、唯偶像崇拝であったから、
イザ正念場の戦いになると自信が有てない。
自然来るべき運命と信ずるところの敗戦の観念を暴露した
「水漬く屍」の歌を唱うより仕方がなかったものである。
(9)日本の将兵は絶えず、自国の軍隊が敗戦して「海の藻屑」になり、
「草生す屍」になっている歌を歌ってその事実を「大いに、絶えず強く思い」て、
愚かにもそれを忠君愛国だと思い、
満州三千万の住民に対しては、正午の号笛直前に「
海ゆかば水漬く屍となって敗けまする」と云う意味の例の歌をラジオで放送し、
そのラジオの奏楽につれて三千万人同時一斉に、
この歌を思念するように強制したのである。
一人の思念の力すらも力があるとするならば、三千万人の同時思念は、
前掲フォード翁の言のように、「その思念の磁力によってその事業
(此処では「水漬く屍」「草生す屍」)の成就するに必要な凡ゆる要素が
集まって来る」ことは当然である。
心の力、想念の力、言葉の力を知らざる徹底唯物論者はかくして大敗したのである。
(10)敗戦日本を建て直す道は三界唯心式ニューソート式精神主義である他はないのであり、
生長の家の今後の使命もかかる精神主義の宣布鼓吹にあるのである。
(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理(十二)>より、抜粋・転写し、若干の編集。
「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=353 )
<感謝合掌 平成28年11月11日 頓首再拝>
《至福繁栄の黄金律~その13》 - 伝統
2016/11/12 (Sat) 17:28:43
(1)【潜在意識の力】
①精神分析学者フロイドの本の中に『日常生活の異常心理』というのがある。
その中に毎朝牛乳を沸かす時にガスの火加減の調節をどんなに丁寧にやっても、
火が強過ぎて牛乳が沸騰してこぼれてしまう夫人の話がある。
如何に上手にガスの火加減を調節しようと試みても、その調節に失敗するのは、
如何に上手に事業を経営しょうと思っても、その事業経営に失敗するのと
相似の問題である。
現在意識は「失敗しないこと」を念願する。
しかも潜在意識は失敗する事を念願している。
②潜在意識の引きずって行く力は現在意識の希望を容赦なく粉砕し、踏み躙り、
その潜在意識の底に描かれた想念を形の世界に具象化すべく、
グングン色々の条件を整えて行くのである。
現在意識が「失敗しないこと」を希望しているなどと云うことは、
潜在意識のこの引摺って行く力に比べては物の数にも当たらないのである。
③現在意識よりも潜在意識は強力である。
事業の成功の上にも、潜在意識が、富の蓄積や事業の成功を拒むような気持を
持っている限りに於いて、現在意識が刻苦勉励一所懸命、致富の為に、
また事業成功の為に孜々として努めても、
すること為すこと不成功になるように導かれるのである。
(2)【潜在意識が致富を拒絶し、事業の成功を妨害する場合とは】
①その人があまり純潔すぎて
「富と神とに兼ね仕えること能わず、吾は神に悦ばれんが為に貧しからんことを欲す」
と云うような清貧礼賛の気持ちでいるときである。
②その仕事の動機又は目的が正しくない為に潜在意識がその事業の成就を好まない為に、
凡ゆる手段を尽くして見るけれども、その採る手段は却って目的の成就の正反対の方へ
潜在意識によって導かれるのである。
(3)【正しき生活を進む】
①正しい生活を為さなければ「神に繋がる潜在意識」の祝福を受ける訳には行かない。
だから吾々は潜在意識の喜ぶことをしなければならぬのである。
悪銭身につかず、盗んだ金や、盗んだ金や奪った財は直ちに蕩尽されて
元の木阿弥になってしまうのである。
②成功と勝利の唯一の味方は「正しい生活」と云うことである。
宇宙に満つる渾てにして一つなる超在意識、これは「神の意識」であり、
宇宙に遍満する意識であるのであるが、吾々個人個人の潜在意識は
此の超在意識が吾々に流れ入って個性化したものである。
吾々は潜在意識を誤魔化して悪を押し通して
事業の成功を為そうとしてはならないのである。
仏教にも「道心に衣食あり」の諺がある。
生活が正しくて道にかなえば生活に必要なものはすべて与えられるのである。
良心に背いた事をしてはならない。
一時は成功したように見えようとも、それは永遠の成功ではない。
(4)【キリスト教が教えたところの眞理】
①神の生活が人間の子の生活である。
汝の生活について思い煩うな。
神の生命が自己の生命であり、神の生活が自己の生活であると云う事を
内に自覚したとき、そして、神の子としての生活を正しく生きるとき、
外の世界に於けるすべての事物はそれに伴うて実現するのである。
②先ず神の国の義(ただ)しきを求めよ。
その余のものは汝等に自ずから附け加えられるのだ。
③人間は万物の霊長として神の全徳の世嗣(よつぎ)ではないか。
だから人間を貧しくあらしめるということは神の意志ではないのだ。
汝等は地の宝を求め、人間智で悪を行うから却って貧しくなるのだ。
天の倉にある無尽蔵の宝庫を開け。
ソロモンの栄華よりも尚美しき装いの百合の花よりも尚々美しき生活を送らしめたい
という事が神の願いなのだ。
(5)【光明思想に於ける「供給無限の黄金律」】
①強いて清貧を求むるな。又強いて人間的な計らいを以って富むべく求るな。
②今、今、此処、此の一刻、一刻を神の正しき生活を送り給え。
その余のものは諸君に自ずから附け加えられるのである。
③然らばその「正しき生活」とはヘンリーフォードはこう言っている ――
「僕が自己の生活を正しくすると云うのは、
最大多数の人間に最大多数の善を為そうと心掛けることなんです」
(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理(十三)>より、抜粋・転写し、要点整理。
「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=353 )
(このスレッドは、ここで完了です)
<感謝合掌 平成28年11月12日 頓首再拝>