伝統板・第二

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運命が修正される原理 - 夕刻版

2016/11/14 (Mon) 19:45:49

運命が修正される原理(P50~111)

         *「苦難と恐怖の克服法~人間救いの原理」谷口雅春・谷口清超(共著)より
          ~ 昭和33年4月1日 発行 <精神科学選集 1>

《運命が修正される原理~その1》

 <神は導き給う>

  ○生命が、神の創造が、存在に入り来るのは愛を通してであり、
   それが支えられているのも愛を通してである、
   常に斯くあることを自分は悟ったのである。(ノールウイッチの聖ジュリアン)

眞の幸福を求むる所の人々は、やがて必ず吾々自身では何事をも成すこと能わず、
吾々が幸福のために関心すべき唯一つのものは、如何にすれば神と一体となれるか
と云うこと以外に於いてはない。

そして吾々を一切の制約から解除し給う所のものは唯一つ、
神の摂理の調節であると云う重要なる自覚のポイントに到達するのであります。


(先の大戦において日本は)
先ず日本は自身の経済的幸福を成就せんが為に、
我意、我見をもって戦争を始めたのです。
それは一時成功するかの如く見えた。

しかし「神」を離れて起こしたところの行動は、
「成功」と見えるものの奥に「墜落」があり、
「勝利」と見えるものの奥に「敗北」があり、

進めば進むほど、焦れば焦るほど「墜落」と敗北の奈落の底へ
近づいて往ったのであります。

そうしてついにこの戦争は神の愛の導きに依って停止せられたのです。


(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年07月04日)より、抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )



<関連Web>

伝統板・第二「運命の神秘」
 → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6601238

            <感謝合掌 平成28年11月14日 頓首再拝>

《運命が修正される原理~その2》 - 伝統

2016/11/15 (Tue) 18:55:52


(1)信仰生活の最初の頃には、吾々は神の力に助けられて何事もわが望むことを
   成就し得るように考えるものなのです。

   また実際に、吾々が求むるものを必ず成就し得ることは驚くべきばかりであります。
   病気は治る、運はよくなる、欲しいと思ったものは与えられる。

   どんなにか吾々は奇跡を為すことが尋常茶飯事となって来ることでしょう。

   併しここで有頂天になってはいけません。
   それは一つの段階であって、信仰が進んでくるにつれ、
   吾々は喜んでその段階から脱け出さねばならないのです。

(2)吾々は吾々に与えられたる尚一層高き善きものを得んが為には、
   既に得たるものを放棄しなければならないのです。
   それは魂の蝉脱の過程であります。

(3)国家も人間も飛躍の時が来るのです。
   今迄有ちしものが失われ去るのは、過去の業の脱皮作用であり、
   より一層よき状態に変化する過程であります。

   今迄得たところのものを捨てねばならぬのは、
   尚一層祝福されたる広く平和なる世界に進み入る入口であります。

   このことを知るならば、人間は自己の運命の如何なる他働的と見える変化に対しても
   喜んで和解して受けることが出来るでありましょう。

   生長の家の神示に「汝ら天地一切のものと和解せよ」とあるのは、
   こうした摂理への無我随順の意味もあるのであります。



(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年07月05日)より、抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )

            <感謝合掌 平成28年11月15日 頓首再拝>

《運命が修正される原理~その3》 - 伝統

2016/11/16 (Wed) 18:20:32


キリストも次の如く言っています。

   ○「目には目を歯には歯を」と言えることあるを汝ら聞けり。
     されど我は汝らに告ぐ、悪しき者に抵抗(てむか)うな。
    人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。
    下衣(したぎ)を取らんとする者には、上衣(うわぎ)をも取らせよ。
    人若し汝に一里行くことを強いなば共に二里を行け。
    汝らに請う者に与え、借らんとする者を拒むな。(マタイ伝、第五章38~42)

(1)吾々が知らねばならぬのは、「視えぬ力」を使用することに依って
   事物を見えざる奥底から支配する方法を知らねばなりません。

(2)やがて吾々は、人間の我の「力」が成し遂げ得ると見える事物が
   如何に一見素晴らしく、如何に一見驚嘆すべきものであろうとも、
   それは、結局吾々にとって好ましくなかったことだとわかるのです。

(3)「我」の力は一見強力に見えようとも、
   そしてそれが順調に事をやり遂げる力があるように見えている時と雖も、

   我の力でやったことは、それがたとい成就しても、
   何等吾々の人生に眞の幸福も、眞の調和も齎さないものであると云う事が
   遂に発見されるに相違ないのです。

   そこに神の摂理の御手による修正が行われており、
   「我」の力には最後に「無数」の審判が起るようになっているのです。


(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年07月07日)より、抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )

            <感謝合掌 平成28年11月16日 頓首再拝>

《運命が修正される原理~その4》 - 伝統

2016/11/17 (Thu) 18:46:48

《運命が修正される原理~その4》信仰生活のタイプごとの運命

(1)貧窮者の場合の信仰生活

   初心の入信者にとっては、最初の真理の応用法として経済的苦難の克服を欲する
   と云うことは当然の順序に見えます。

   併しながらやがてその人が眞理に奥深く入って行くに従って、信仰体験によって、
   彼の最初の希望が間違いであったと云うことを悟らしめられるに到るのであります。

   何となれば彼は彼がただ利己目的で富を要求し、それを成就したならば、
   それを得ざる時よりも却って遥かに彼の人生は惨めになり、
   彼の生活は訪問者や恐喝者で掻き乱され、家庭や社会に一層問題は多くなり、
   禍は重なり来たり、悲劇は続出し、自己の品性は乱れ、
   生活は混乱を重ねるほか致し方がなくなることを発見するのが普通であります。

   このことを警告せんが為に、「致富繁栄の黄金律」の次に本章を配したのであります。
   (「致富繁栄の黄金律」
      → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=353
     <伝統板第二では、http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7057884>)

(2)健康を求める者の信仰生活

   彼が健康を求め、肉体の健康を獲得した時に、彼には不健康のときには全然なかった
   他の種類の彼を悩ます色々の問題が次から次へとやって来ることを見出すでありましょう。

   例せば、彼が不健康であった時には肉体の快楽は克己し自制していたのに、
   健康な肉体力を得た為に、色々の人生の享楽の中に迷い込み、家庭は破壊し、
   三角関係の桎梏の中に苦しみつつ自ら愚かな遊蕩に耽るが如きです。

   かくの如くして、彼の入信後の生活は入信前の身体の弱かりし時よりも
   尚一層悪くなっていることを発見することもあるのであります。

(3)社会的成功を求める者の信仰生活

   彼は、彼の仕事が最大多数の人類に最大多数の幸福を持ち来すところの
   最も価値多きものであると考えます。彼は自分の社会的又は政党的仕事が国民を救済し、
   国家を再建すると考えます。

   而も彼がその仕事の成功がほぼ得られたと見ゆる時に、
   色々の紛糾が彼の生活に群がり来ることを発見し、人類を救済するどころか、
   自分自身が少しも救済されないことを見出すでありましょう。

   併しながら以上の如き失敗は真理をただ物質的外形的成功に応用しようとした
   初期の間違いであって、もっと深い信仰に入り、ただ神を求め、ただ霊的生活を
   送らんことをのみ努めているのにその人の人生は困難に満ち満ちたるものとなり、
   紛糾極るものとなり、信仰生活はただ暗黒の地獄に陥り、
   もうそれ以上二進も三進も進むことが出来ないような状態になることを発見することも
   あるのであります。


諸君の信仰生活が、上記のどのタイプに属しているかは知れませぬけれども、
諸君は遂に自身の力では生活を調整することは出来ないと云うある信仰段階に到達せられる
ことがありましょう。

そこに神の摂理による調節が始まっているのであります。

神のみが常に吾々の魂の向上の順序を知り給い、今迄の環境に於いては、
もう魂の向上が得られなくなった時、今迄の境涯が暗黒となり、
他の光を求めしめられる神の無限の智慧が吾々の内部に働いて来るのであります。



(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年07月11日~12日)より、抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )

            <感謝合掌 平成28年11月17日 頓首再拝>

《運命が修正される原理~その5》 - 伝統

2016/11/18 (Fri) 19:34:40


(1)神は吾々に完全の自由を与え給う。

   吾々が過てる道を選んだからと云って、
   吾々を強制的に方向転換せしめ給うと云うことはないのであります。

   神はただ「法則」の相(すがた)において内在的に働き給い、
   人間の生活が一方に偏ったり、一つの形式のみに固定した時
   自然に行き詰ってくることによって、

   人間自身の自由に於いて、運命の修正が行われます。

(2)吾々が素直に神の導き給う運命の修正に随順し乗託するとき、
   物事はスラスラと運行して来、神の無限の力、無限の智慧、無限の愛に依って
   生活は立所に光明面に転回せしめられ、人生の摩擦と悩みとは消え、
   今迄よりも高次な極楽状態がその人の人生に現れて来るのであります。

(3)吾々が神の摂理によって如何なる悩みでも癒されたいと希(ねが)うならば、
   吾々は先ずすべての人を(吾々の敵をも含めて)喜んで愛しなければならないのです。

   多くの病気は、憤激することによって起こっています。
   そして感謝し、感ずることによって治っています。
   国家の病気も同じ原理で治るのです。

(4)人生の實相は愛の流れであります。――祝福と調和と善の流れであります。
   その流れの中に吾々が従順にその波に乗って棹さすならば、
   総てはそのままに祝福された姿であり、調和と善とはそのままに実現するのであります。

(5)愛は人生を支配している大生命の根本の流れでありますから、
   人生の凡ゆる困難なる立場を打開する所の鍵であるといえます。

   愛がなくなった時、吾々が實相の祝福の大生命の電波的流れと
   波長が合わなくなるのは当然です。

(6)(先の大戦の日本は)次代の増殖する国民に食糧と面積とを与えたいと云う
   「愛」の心で出発したと言い得るかも知れません。

   しかし戦争の継続中、その結末を急いだために、
   「ただ勝てば好い、どんな手段を弄しても勝てば好い」と焦るようになり、
   眞の愛の法則を蹂躙するようになったのです。

   日本の作戦は「生命を尊ばない」「愛を失った」行為に変わってしまったのです。
   大生命は日本の作戦に味方しなくなったのです。
   乃ちこれこそ日本の敗戦の根本因であります。

(7)個人の運命も国家の運命も同じことであります。それは法則に支配されます。
   凡(およ)そ神を味方とする者は勝利し、神に背く者は一時勝利するように見えても
   敗北するのであります。

   何故ならば神のみが永遠の勝者であり、神の道のみが天下無敵であるからであります。

   吾々は一歩後退したと見える日本の運命に、
   脱線から是正されつつある機関車の如き日本を見るのであります。

   吾々の日本はかくて神の摂理により、
   新しき正しき軌道に乗り換えせしめられつつあることを知らねばならない。



(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年07月13日~14日)より、抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )

            <感謝合掌 平成28年11月18日 頓首再拝>

《運命が修正される原理~その6》 - 伝統

2016/11/19 (Sat) 19:35:30

(1)(人生が縺れて絶望の淵に立たされた際には)

  ①諸君の生活にいつの間にか「愛」が失われていないかを顧みよ。
   そして愛の道を再発見し愛の道を実践しなさい。
   これこそが唯一の救いの道であります。

  ②日本の太平洋戦争が、陛下の大御心の中に
   「自分の一身はどうなっても好い、国民にこれ以上の苦難を負わせたくない」
   と云う愛の心が蘇生って来た時に、日本の国に新しい平和の太陽が昇り始めたのも
   この原理の実現であります。

  ③愛は神であり、愛の動き始めるとき神の智慧との交流が始まる。
   神の智慧よりも少ない所の何物を以ってしても、
   諸君の人生の紛糾を解くことは不可能であるのです。

   諸君が既に進退ここに極まったと云うようなのっぴきならぬ窮境に陥った時、
   兎も角も、この窮境から脱しなければならぬ。と決意するならば、
   先ず、自己の生活が愛の生活でなかったことを神に対して懺悔せよ。

  ④そうして神にお詫びして神に対して委せ切れ。
   その時神は神自身の方法に於いて吾々の苦難を解決して下さるでありましょう。
   このとき諸君は神の前に絶対の無我になって任せ切らねばならないのです。

   やがて神は神ご自身の時に於いて、神の無限の智慧、無限の創化力が発現し、
   神自身の方法によって、その紛糾せる問題がいとも容易に解決され始めるのです。

  ⑤吾々の為し得る所の唯一のことは、神に対して自分自身を完全に投げ出し、
   解決の道を知り給う神の摂理の流れに任せきりつつ、
   時節の展開する力に待つことが必要です。

   暗雲は必ず晴れるのであって、それには神への信頼と、時の到るのを待つ
   と云うことが条件なのであります。


(2)神への無条件降伏

  ①快刀乱麻を断つ如く神の大いなる力が働くのはかかる自我の無条件降伏が
   神に対して成された時に於いてのみであります。

   いまだ吾々が神に対して無条件降伏しなかった以前は、吾々の自我意識が、
   神の救いの霊波と共鳴しないがゆえに、神は既に救い給うていられながらも
   その救いが成就しないのです。

  ②神に和解する唯一の道は、神そのままになること
   ――即ち「人間我」がなくなることです。

   人間我が完全に撤廃された時にのみ神の力が完全に流れ入って来、
   完全なる調和を齎してくれるのであります。
   何故なら眞の調和は神自身の神聖なる内在秩序の展開であるからであります。


(3)神の祝福の霊波

  ①吾々に来たる所の祝福の流れを防ぎ止めて、吾々をして神の創造り給いしままの
   實相・完全の環境を実現することを妨げているのは、吾々自我の自我意識の残渣と、
   神に対する信頼の欠如とによるのであります。

  ②吾々がもし眞理を完全に自覚して生活し、常に實相世界の祝福の流れの中に
   生活しているならば、神の摂理による運命の調整などと云うことは
   必要ではないでありましょう。

  ③吾々の心の波が、神の祝福の霊波と同波長の生活をし、かくの如くして
   吾々が完全なる神の摂理の中に生きるならば、吾々は常に實相世界(天国)の
   調和せる状態と琴瑟を合わせつつ、天国現前の生活を営むことが出来るのであります。

  ④けれども吾々の多くの者は、恐らく計画した事物が成就したら返って
   結果は宜しくないとか、健康を快復したら却って精神的に堕落するとか、
   富有になったら怠けるとか、

   或はまた性格の中に何か神の摂理に依る調整を為さねばならないことが
   含まれているとか云う場合が多いのであります。

   かかる時、神の愛による運命の調整が始まるのです。

  ⑤人間の努力に対する希望が失われてしまった時に、
   総ての事物は無限である所の神の御心の前に
   無条件降伏の姿で差し出されて浄められるのです。


(4)現象に捉われず、「實相」のみを観る

  ①吾々が若し「実在」のみが「眞の存在」であり、「実在」は完全である
   と云うことを思い起こすならば、現象の変転は何も驚くべきことではないのであります。
   在りしものは滅びることはなく、滅ぶるものは本来無きものばかりである。

  ②不完全である所の事物は総て「絶対実在」から観れば、
   単に見せかけに過ぎないのである。何故なら、

   善のみが実在であり、「実在」のみが眞の「存在」であり、
   それのみが総て眞實であり、實相であるからであります。

  ③「観る」ことは創造することであります。
   吾らが神の心を以って、眞實の存在であるところの完全なる實相を観、
   眞理のみ實在であることを完全に自覚するならば、
   複雑と困難との外見は自ずから消えてしまうのであります。

   「善」のみを見給う神の心がそこに発現する時、吾々を取巻く困難は、
   差昇る朝日の出現と共に消えゆく朝霧のように、雲散霧消してしまうのであります。

   神に任せ切るとき、神は吾々に眞理を見、實相を観る目を与え給うのであります。

  ④自ら眼を閉じて暗いと言うな。
   吾々の祥福に反対して働いている力と云うものは全然ないのだ。

   何故なら、この世界は唯一つの善にして愛なる全知全能の神が支配し給う世界であり、
   吾々の生活は此の全能者の愛の慈手に委ねられているからであります。

  ⑤吾々は、現象は如何にともあれ、
   「實相」のみ實在であると云うことを記憶しなければなりません。

   「實相」より離れた所の何物も眞の存在ではないのです。
   そして「實相」のみ事物の眞の姿であり、
   「實相」は必ず完全であり、調和であり、秩序であり、善であり、幸福であります


(5)神に任せきる

  ①神と「實相」のみが吾々の困難を救治することが出来るのです。

  ②ここに吾々は自分自身の「我」の力で何事でも為そうという考えを
   放棄しなければならない魂の進歩の段階に達するのです。

  ③ただ神の生命に、愛に、智慧に、
   そして自ずから起こる創化作用に任せ切っておればよいのです。



(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年07月15日~20日)より、抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )

            <感謝合掌 平成28年11月19日 頓首再拝>

《運命が修正される原理~その7》 - 伝統

2016/11/20 (Sun) 19:08:53


(1)或る詩人が歌った

     われは我が戦いを戦えるに非ず
      神と共に歌を歌えるなり

   自己努力の影もなくなり、しかも怠けているのではない、
   神と共に生命の讃歌を歌っているように、
   その自然なる動きは労苦ではなくなるようになるべきであります。

(2)諸君よ、神に対して総てのものが投げ出されるのは、
   総ての試みが悉く失敗したこの時なのである。

   此の時こそ神聖なる瞬間であり、全てのニセ物が破壊し尽くされて
   神の救いが顕現し始める時なのです。

   病める人々よ。「神よ、御心の方法に於いて癒し給え」と祈れ。
   その時こそ、神は神ご自身の方法によって、神ご自身の時に於いて、
   神ご自身の順序によってその癒しを実現し給うに違いないのであります。

   素晴らしい治癒成績が起こるのは患者が総てを投げ出した時に於いてであります。

   此の時こそ一切の「私」の作為なしに、太陽のただ差昇るが如く、
   素晴らしい活力が湧き出でて来て、すべての順序が一斉に整い、
   神癒が成就するのであります。

(3)凡そ、生かすものは神のはたらきに由るのであります。
   それは外からの治癒作用や自壊作用に見えようとも、
   実際は神の癒す力の内流であり、

   それは個人に於ける場合と、国家に於ける場合とを問わず、
   凡そ凡ての事物が健全に復するためのあらゆる種類の癒しと云うものは
   決して自分自身の力ではない。

(4)大なる力を我が内に流入せしめるには、

   それは神の前への自我の無条件降伏によってであり、
   愛と感謝と委せ切りとの心境で「神よ、神よ、」と
   幼児が母の****に吸いつくような心境になることである。

   「我が為すに非ず、キリスト我に宿りて之を為さしめ給うのである」と云う自覚は、
   神癒を受くる者にとって、及び神癒の媒介又は媒体となるべき宗教家にとって、
   絶対に必要な心境なのであります。



(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年07月23日~24日)より、抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )

            <感謝合掌 平成28年11月20日 頓首再拝>

《運命が修正される原理~その8》 - 伝統

2016/11/21 (Mon) 18:16:51


 <我を知り給う神>

(1)(摂理の調節)

  ①吾々は病気のみならず、国家及個人の性格及び罪に関して
   摂理の調節を必要とすることがあります。

  ②誤れる国家及び個人の性格は一種の罪(實相隠蔽)であります。
   それ故に吾々はこの「隠蔽」の解決を必要とするのであります。

  ③實相の完全なる人間を顕現せんが為には、
   「罪の個我」――ハートの頑固さ、知識の間違い、反キリスト的な欲情、
   何事に対しても不平の心、呟く心、憎む心、恨む心、審判(さば)く心から
   解放されねばならないのであります。


(2)(罪からの解放)

  ①如何にせばこれ等の罪から解放せられる事が可能でありましょうか。

   吾々が誠実に吾々自身を反省し、心の中を点検して見る時、
   吾々の心の中には実に沢山な、とても自分の力では克服し難く思われる悪徳が
   満ちているのであります。

   しかし憂うるなかれ、神は吾々の罪を自壊せしめ、道徳的人格の傷を癒し、
   吾々の心情を新たにし、吾々の欲情を清め高めて本来の神の子の實相を
   顕し給うことが出来るのであります。

  ②ただ神に向かって祈れ。
   罪は実在でないが故に、闇が光によって自壊する如く
   「罪の自分」は必ず自壊する時が来るのである。

   真夜中はいつまでも続くものではない。
   必ず復活の太陽は差し昇るのである。

  ③吾々は「神」が自分の中に宿っており、
   「神」の実現こそ吾々に約束されたる光栄ある希望だ
   と云うことを知らねばならないのです。

  ④このためには吾等自身の上にも常に絶え間なき祈りが必要なのであります。
   祈りと共にその日、その日の為事(しごと)を神と共に為さなければならないのです。
   吾々は神と協働しなければならないのです。

  ⑤また吾々は自分の心の中に入り来る
   思想、観念、印象の門戸を見張らなければならないのです。
   吾々は悪の暗示の一つの断片さえも流入を許してはならない。

   何故なら吾々の生命は「神の宮」であるからです。
   神の宮を掃き浄める如く吾々の心の庭を浄めねばならない。

   かくて吾々は神を尊び神を迎うる準備を整えます。


(3)(自壊作用)

  ①その時神が吾々の内に流入し給い、吾々を救い給い、解放し給い、
   必要なものを授け給い、すべての不幸と災厄とより護り給う。

   自ら浄めておいた後に神の救いの来たる時には「自壊作用」を伴わないが、
   浄めずして神の救いの来たる時には「汚れ」の自壊作用を伴い、
   一見不幸災厄と見ゆることを生ずるのです。

  ②禍の最初の徴候が現れれば直ぐ吾々は神に、キリストに、観世音菩薩に呼びかけ、
   過れる思想を拭って頂き、過れる欲情を浄めて頂き、悪しき暗示を拭い去って頂く
   と同時に、

   吾が實相の純粋さ、眞實さ、忍耐、愛、深切が
   現れて来るように祈らなければならないのです。


(4)(実相の顕現)

  ①神は吾々が求め、且つ予想したよりも素晴らしく豊かに吾々に恵み給い、
   外からと内からと、環境と自己内在の力となって吾等を救い給うのです。

   かくて吾等はすべて神ご自身の肖像(にすがた)なる實相円満なる姿を実現する
   ことが出来、万徳円満・光明遍照の姿を以って神の栄光の前に罪無き實相を
   露呈することが出来るのであります。

  ②吾等が祈りを通してかくの如き状態に達するとき、

   唯キリストの愛のみが、自分の中に生くる事になり、
   キリスト自身が自分の生命であり、
   観世音菩薩自身が自分の生命となり、
   住吉大神のみが自分に生くることになるのであります。(万教帰一)

  ③かく言えばとて吾々は決して眞の人格即ち眞の個性を失うのではないのであります。
   寧ろ眞の個性が吾々に現れてくるのです。このことはすべての宗教の眞髄であります。

   この眞理は賢き者、富める者、即ち放漫(たかぶ)れる者には隠されている神話
   でありますが、幼児(おさなご)乃ち心の貧しく謙(へりくだ)れる者には
   開かれている奥義であります。

   物質的知識に誇らず、我の経済的成功や地位に奢らず、
   霊に依って生まれ変わりたる、心貧しき人こそ眞に霊的なる事物を
   理解することが出来、新しき生命の啓示の中に生長することが出来るのであります。


(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年07月25日~26日)より、抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )

            <感謝合掌 平成28年11月21日 頓首再拝>

《運命が修正される原理~その9》 - 伝統

2016/11/22 (Tue) 18:26:22


 <正信・正行・信行の一致>

   ○唯一の實在は神と神の創造り給いし善なる事物(實相)のみである。(生命の實相)

   ○あぁ神の智慧と知識との富は深いかな。(ロマ書 第十一章 33節)

(1)正しき道と過てる道

  ①人この世に生まれて何を為すべきか、如何に生くべきかの問題位重大な問題はありませぬ。

  ②何事を為すにも正しき道と過てる道とがあります。
   人の心身を駆使して事物を創造するにも、正しき道と過てる道とがあるのであります。

  ③正しき道とは「實相」より出づる道、「實相」に即した道、「實相」と波長の合う行為、
   想念、言葉、態度等々・・・であり、過てる道とはその反対であります。

  ④欲する事物を心に描き強き意志を以ってその実現を期する為には
   想像力が用いられねばならない。

   併し何を欲すべきか、如何に欲すべきか、如何に心に描くべきかの問題を
   先ず解決しておかなければ、過って良からぬ結果が現れることがあるのであります。

  ⑤しかし良からぬ結果が現れた場合にも、吾等は決して心配することはない、
   それは「實相」に基礎をおいていないから永続的の結果ではないのであります。

   良からぬものは眞の神の創造ではないが故に仮相であり實相ではない。
   従って崩れる他はなく、やがては眞の調和せる状態が存在面に現れて来るのであります。

  ⑥良からぬ結果は「神」と離れたる吾等の行為、想念、想像、言葉、態度等の結果であります。


(2)善は栄え、悪は滅びる

  ①善なるものが栄え、悪なるものが滅びると云う懲悪勧善的な道徳蔑視の思想は
   個人主義的傾向の増進となり、その反動として興起したのが極端国家主義でありました。

  ②今次の戦争は、日本人の道徳蔑視の文学芸術が日本人全体の潜在意識に侵入し、
   その想念の力に依って、それは主として潜在意識の作用によってではあるが、
   「悪必ずしも滅びず」「力は善なり」の思想に発展し、現在のような不調和の状態を
   持ち来たしたのであります。

   今次の日本の敗北は、道徳蔑視の日本人に、
   「大自然には勧善懲悪的法則が存在する」ことを示し給わんがための
   道徳律の顕現であると云うことが出来るのであります。

   かくて、日本国及び日本民族の運命に一大修正が加えられるに到ったのです。

  ③日本は何のために敗北したか、それは表面は科学力や経済力の欠乏のように
   見えておりますが、実は「この宇宙には勧善懲悪的道徳律なし」―――
   と云う如き道徳蔑視の状態に立到った日本人に神が道徳の権威を示し給うたのであります。

  ④日本を愛する人々よ、日本人をしてすべての悪の想念を放棄せしめよ。
   而して彼らをして神にまで還らしめよ。
   然らば神は日本の上に御恵みを垂れ給うでありましょう。

  ⑤勧善懲悪の道徳律が宇宙に存在しないと主張するよりも大いなる罪はないのである。
   それは神の正義の否定であり、神の目に見えざる摂理への否定である。

   かくの如き目に見えざる神の導きを信ぜざる人間は、
   一旦野放しにされるとなにをするかも知れないのであり、
   実際無信仰者は占領地に於いてそういうこと(****行為等)をやってきたのである。


(3)真の民主主義

  ①民主主義とは自己尊敬による自己生活の自律的粛正であります。
   民主主義化とは吾々自身が自律的に悪しき想念、(不調和の創造者)を捨て去って
   神に還るべく要請されているということであります。

  ②神から離れて無道徳となり、放肆(ほうし)となることが民主主義ではないのである。

   神のみが調和と完全との唯一の源泉であり給うのです。
   吾々が民主主義化を求められるのは自主的に神の想念にまで帰ることを要求されている
   のであります。

   換言すれば、吾々の大多数の現在の思いは
   神の眞の思いとは著しくかけ離れて異なるものとなっていることの啓示であります。

  ③個我の本能(略奪本能、****本能、闘争本能等)の人間の思いは眞の人間の道ではない。
   それは不調和、不秩序、及び苦難を生ぜしめるものである。


(4)真の人間と「神の道」

  ①眞の人間の道とは神の道である。
   神の道のみ調和と、秩序と、美と、幸福と法悦とを生ぜしめるものであるから
   「神の道」に還れと神は示し給うたのであります。

   若し人間が「神の道」に立ち還らねばどうなるか。
   「神の道」のみ唯一の真実の存在の支柱でありますから、これを失うとき
   法則が自働して、その者は自壊するに到るのであります。


  ②唯一の創造者は完全の神であり給う。
   神が人間の為に設計し給う所の人生は、既に成就せる完全の状態であるのであります。
   しかもそれが顕れるのは、吾々の媒介を通してであります。

   若し吾々が神に立ち還るならば、而して誤れる本能の道、肉体の道をすてるならば、
   善の状態は自ずから持ち来たされ、病気に於いては、それ自体に於いて
   完全なる生命の示現(神癒)となり、

   家庭生活に於いては主人から周囲に至るまで大調和の完全さに化して来、
   国家は自ずから殷富なる理想国として発展するのであります。

  ③凡て摂理によって運命が癒されるのは、神の智慧の催しと導きによるのであります。

   国家及び個人の繁盛、殷富、祥福等は人間心の工夫や作為や努力によって
   一時的な拡張的効果があるかも知れないけれども、神に礎を置かない者は結局、
   元の木阿弥に終わるのであります。

  ④吾々は富や金やその他日常生活に必要なる所の総てのものを得んが為に、
   それを一々心に描き、それらに精神を集中する必要はないのであります。
                     (「神は無くてならぬものを知り給う」)

   若し余りに自己の欲する事物を熱心に心に描き、それに精神を集中するときは、
   自己の今欲しいと思うものは永遠の秩序から見て誤れる処方であるかも知れないために、
   不結果を招来することになるのであります。

  ⑤神が我々に望み給う事は、他を押し倒して自ら栄えることには非ずして、
   神に還ると云うことである。

   即ち総ての秩序と、総ての円満さとの造り主である所の神に立還り、
   吾々の個我の思いを全く捨て去る時、円満と完全と、調和と平和との神が、
   吾々を通じて永遠の善を齎し給い、広く人類と世界とに幸福を実現するように
   働き給うようになるのであります。


(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年07月29日~08月16日)より、
  抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )

            <感謝合掌 平成28年11月22日 頓首再拝>

《運命が修正される原理~その10》 - 伝統

2016/11/23 (Wed) 19:56:03


 <現実に内在する神秘力>

(1)無限に偉大なる力の存在を認め、知ること

  ①現実人生に具体的に神の癒しの力を実現せしめる生活の隅々までも
   悉く神の円満完全さを以って充満せしめんが為には、

   吾々自身よりも無限に偉大なる力の存在を認め、単にそれを認めるだけではなく、
   「今」「此処に」「我に」その力が働き給うのだということ、
   しかもこの力のみが唯一の力であり善の力であると云うことを亦
   知らなければならないのです。

  ②諸君が、若し今なおそれを自覚することが出来ないならば、
   何が何でも「今」「此処」「我に」神の無限の力が働き給うと、
   言葉によって宣言することが必要なのです。

   若し諸君が敢えてかくの如く為さいますならば、やがて神の造り給いし
   實相世界の円満完全の状態は吾々の現実に展開せしめられて来る事を断言する。

(2)信念の具象化

  ①吾々の想念は事物創化の波動的力であり、實相が如何にあろうとも、
   想念する象(かたち)を現象界というスクリーンに映出する力を持っている
   のであります。

   だから吾々は想念を慎まなければならない。

  ②若し吾々がキリストのように「今」「此処」「吾」に
   神の無限力いまして働き給うのであるという正しい信念を
   強固に有ち続けることが出来るならば、

   見せかけの弱き力は悉く消散してしまい、
   神の、強き力が働き給うたに相違ないのであります。


(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年08月19日)より、
  抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )

            <感謝合掌 平成28年11月23日 頓首再拝>

《運命が修正される原理~その11》 - 伝統

2016/11/24 (Thu) 19:45:49


 <天皇の御楯なる信仰と神を楯とする信仰と>

(1)先の大戦での誤った天皇(神)観

  ①天皇を眞に神だと信じているものならば、天皇を利用したり、
   天皇を眼隠しして自分の野望を満足しょうとするはずはないのです。

   すなわち日本人の権力者は天皇を案山子として
   人民を威脅するために使っていたのであった。

  ②彼らは、天皇を「神」だと言いながら、天皇のために御楯となると云うのである。
   これが彼らの忠義であった。

   天皇が神ならば、吾々の身体の御楯で防がねばならぬなどと云う筈はないではないか。
   楯で防がねば傷つくような弱きものは結局、神ではない。

  ③「神の盾となる」宗教(日本)は、「神を楯とする」宗教(米国)に敗北したのです。
   前者は神を弱小者とする迷信であり、後者は神を無限力者とする正信であったのです。

(2)物質的意識に生きる程度

  ①人々はしばしばこれらの不幸に自分自身又は集団の想念の結果として晒されるのであるが、
   その受難の程度は其の人等が物質的意識の中にどの程度に生きており、
   またどの程度に受難不可避の迷いの中に生きているかと云うことに依って定まるのです。

  ②我々は物質意識を捨てると共に、
   すべての「業に支配される」という信念、「罪あり」と云う信念を
   捨てなければならないのであります。

   何故ならばこれらの物質的意識と、受難の業因と、
   そしてすべての不幸の原因であるところの「罪」とは
   阿弥陀仏とキリストによって既に征服せられているからであります。

(3)物質の法則からの脱却

  ①物質の法則に縛られている限り、
   人間は結局、「不自由の牢獄」に投ぜられた囚人であります。

   この牢獄を破壊した時に於いてのみ吾々の解放は完全なるものとなり、
   吾々は一切の罪、迷い、及びマンモンの力から解放せられるのであります。

   この牢獄の破壊は唯吾々が神の善と愛と智慧と全能とを信じ、それを受け入れ、
   その神意を行じ実践しさえすればよいのであります。

  ②信だけでもいけない、行だけでもいけない、信行一致・信行不二でなければなりません。
   信は行によって実現し、行は信によって真実の根據(こんきょ)を獲得します。

   正信に根據(こんきょ)しない徒らなる実践は不調和、不完全を現すほかはないのです。
   罪あり、不幸在り、病あり、迷妄(まよい)ありの如き力から解放し、
   吾々を正信に導き給わんが為に来たり給うたのがキリストであり、法蔵菩薩であり、
   生長の家の神様であります。

(4)吾々がこれらの救済の媒介者(實相自覚の仲介者)を通して實相円満の意識に入る時、
   観られる世界は観る世界の心の具象化でありますから、吾々の観るところの環境及び
   境遇は「實相円満具足の状態」即ち神御自身の創造と相一致するものとなり、

   唯善なる世界調和の世界、愛すべき善なる世界、豊かなる供給の世界、
   繁栄の世界のみが、吾が環境に実現して来るのであります。


(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年08月25日)より、
  抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )

            <感謝合掌 平成28年11月24日 頓首再拝>

《運命が修正される原理~その12》 - 伝統

2016/11/25 (Fri) 18:54:38


<摂理による運命の修正の秘密>

(1)神に波長に合わせる

  ①神の心に波長を合わせますと、調和と、自由と、豊かさと、無限供給とが
   吾々自身の心の力に依ってではなく、神のコトバによって創造られたる
   實相世界の智慧・愛・生命・供給・秩序等が如実に現世に実現して来て
   吾々自身の現実生活になって来るのであります。

  ②若し吾等が神の霊波に波長を合わせない場合にはどうなるかと申しますと、
   イザヤ書第59章にあるようになるのであります。
   ( http://ncode.syosetu.com/n0231cn/59/ )

     神の救いの波長に合わない邪曲(よこしま)と虚偽と不義とによって汚れ、
     罪無き血を流す。

  ③併しこれは決して神罰ではない、
   神の救いの波長に合わない心を起こしたためなのであります。

   この罪の自壊の後に、自然に霧晴れて太陽の輝き出でる如く
   實相円満の姿が現れるのであります。

  ④神の波長に吾等の心の波長が合った時には
   祝福の形で神の導きはあらわれて来るのであります。
   イザヤはこの状態を誌的に表現して次の如く言っています。

   「汝等は喜びて出で来たり、平穏に導かれて行くべし。
   山と岡とは声を放ちて前に歌い、総ての野の樹木は手を打ちて喜ばん。
   松の木はいばらにかわりて栄え、もちの樹は棘(おどろ)に代わりて栄ゆべし。

   これらは主の御名のためのほめことばとなり、永遠(とこしえ)の栄えの徴として
   色あせることなかるべし」(イザヤ書第55章12~13)

(2)敗戦という自壊作用=摂理による運命の修正

  ①何故、神の救いの霊波に合わぬ心行(罪)を起こした時、
   不幸や難(なや)みや病気が起こるかと云いますと、
   そんな罪は本来存在しないから自壊するのであります。

   罪の自壊するその奥には、神の摂理による運命の修正があるのであります。

  ②そのまま抛っておいたら、どれだけの血を流す罪を犯すか知れない、
   そこで罪を犯さしめないように敗戦せしめる――この敗戦こそ神の救いであった
   と云えるのであります。

   それは一面から、自分の蒔いた所のものを刈り取のであります。
   換言すれば内部の想念及び想像力の中に蒔きしものを現実世界に刈り取ったのであります。

   奪おうと思った者は奪われ、
   爆撃によって始まった戦いは爆撃されて終わったのであります。

   吾々はこの敗戦の中に「神の導き」を視、「神も仏もあるものか」と
   自暴自棄になる代わりに、神は吾等を救い給わんがために敗戦せしめられたと云う、
   神の摂理による運命の修正を見なければならぬのであります。

  ③日本人の生活にして神の御心に随うような生活に帰るならば、
   いつでも其処に地上に天国が生じて来ることを直ちに信仰せしめるならば、
   日本国から闇は消え、利己主義は消え、イザヤがその詩的表現にて歌ったように、

   「視よわれ新しき天と新しき地とを創造す、人さきのものを記念することなく
   之をその心に思い出ずることなし、然れど汝ら吾が創造するものによりて
   永遠(とこしえ)に楽しみ歓べ」(イザヤ書第65章)

   というような新天新地が吾々の身辺に現実化して来るのであります。

(3)生命を動かすことによる経済界の循環流通

  ①物は物質面から観れば「物質」でありますが、「生命(いのち)」の面から見れば
   「生命」の具象化したものであります。「生命」が働けば「物」が必ず生まれる。

   だから貨幣を放出せず「生命」を働かせないでいるよりは、貨幣をしっかり放出しても、
   その刺激によって「生命」をうんと働かせば、「物」が過剰に出来る。
   従って流通貨幣量が多くともインフレは防止出来るのであります。

  ②個人経済に於きましても詰らなことに不必要に金を浪費的に出すと云う事は無論よくない。
   しかし財布の口を固く締めて、どんな慈善事業にも金を出さない。
   精神修養にも金を出さない。宗教の集まりにも金を出さない。

   こういうことでは経済界の循環流通は無くなってしまう。
   人を助ける為や慈善事業や、神の道に使う為に使った費用は
   天の倉に蓄えられてあるのであって、
   それは必ず数倍の供給となって還って来るのであります。

   それを信じないのは神が無限の力を有し給うことを知らないからであります。

  ③吾々が豊かなる心を持し、ケチな心を捨て、神から流れ入る供給の通路を清めて、
   吾々の生活に神の豊かなる流れが流れ入る事が出来るようにしますならば、
   神の無限の供給は吾々に必要に応じて流れ込むのが必然であります。

   与えられんと欲せば、先ず与えなければなりません。
   吾々が善事に対して与えることを止めるならば、吾々は神の供給に門を閉ざすことになり、
   如何なる善も吾々に流れ入らないことになるのは三界は吾が心の所現であるからであります。


(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年09月01日、2016年09月13日)より、
  抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )

            <感謝合掌 平成28年11月25日 頓首再拝>

《運命が修正される原理~その13》 - 伝統

2016/11/26 (Sat) 18:47:22


(1)窮迫した状態に立至るには、夫々心に原因がある

  ①恐らく善事に対して与えるということを平常忘れていた人であることは
   自身の心を反省すれば判る筈だと思います。

  ②真理の書(雑誌)を「卒業」したと称する人は、
   その眞理を人に伝え施すのでもなく、分かったつもりの眞理が
   自分の心の中で実践されずに停滞し、或は他を審くためのみに利用されて
   心はわずらいに満ちている。

   加えて、毎月自己を反省せしめるような記事や、
   信仰を新たに刺激する座談会等に出席しないから、
   眞理は深く心の底に眠っていてその上に迷いのカビが生えているのです。

   そうしてひとかど雑誌代を節約したつもりでいるうちに
   不幸はその人に襲い掛かって来るのです。

  ③眞理は無限に深いものであり、一歩進んだら次の一歩がハッキリして来るのです。
   第一の峰に到着したら、次の峰が霧の彼方からボンヤリと見えて来るでしょう。

   吾々は他の人の信仰体験談を聞いて反省し、悟りの契機とし、実践の拍車とし、
   勇気を揮い起こす刺激として進まなければならないのです。

(2)神は束縛され給うこともなく、時間によって制限されるということもないのです。

  ①無限者(神)の心は初めより終りに至るまで知り給うのであって、
   吾々が思うように一様に一つ一つの事件を別々に見給うのではありません。

   実際實在の世界に於いては時間も空間も吾々が五官で感ずるようにはないのです。

  ②信仰は前進を怠らない人は、新しく常に生き生きとしている。
   自分の魂を助け導いてくれた所の教えに自分も協力して何らかの貢献をし、
   他に伝えることをどんな逼迫な状態に於いても止めないような人なのです。

   そして自分が助けられた喜びを、他の人の生活に及ぼしたいという念願に満たされて、
   感謝報恩の心を以って他の人を常に助けるべく努力していた人々なのです。

   このような信仰の生き生きした人々は神の恩寵の流れ入る為の扉を常に開いており、
   自己の生活及び自己の周囲の出来事に、神の善なる導きを流入せしめる人なのです。

   かくてこのような人は常に神の智慧に導かれ、
   日常生活の事々物々に神は決して神を信ずる所の人々を見捨て給わない
   ということを実証するのであります。

   そして、信仰と献身と、愛行と、神への深き全託の心を通して
   常に祝福された状態におかれるのであります。

(3)什一税を献ぐる

  ①ユダヤ人が世界の財産の大半を支配しているその経済的実力は、
   実に彼らの大多数が信仰深く、金銭収入があれば必ず社会事業や、慈善事業や、
   教会の維持費に什一即ち収入の十分の一を捧げる事を怠らないからだと言われています。

   ハンブリン氏も、「吾らが必ず収入の十分の一を献ぐるならば、
   吾々は神の恵みを実証することが出来る」と断言しているのであります。

  ②神は決して賄賂を貰って、その贈賄者に祝福を与え給うのではありません。
   什一税を献ぐる行為というものは、固く握って放たない心から来るものではなく、
   豊かに人に与える心から来るものであり、

   「与える心」はまた他から「与えられる」心の法則によって
   それが実現するのであります。

   もし諸君が神から祝福せられんと思えば、
   諸君は先ず周囲の人々を祝福しなければならないのであります。


(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年09月19日~09月22日)より、
  抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )

            <感謝合掌 平成28年11月26日 頓首再拝>

《運命が修正される原理~その14》 - 伝統

2016/11/27 (Sun) 18:21:05


<常に仕事に精を出すこと>

(1)仕事は吾等の神に対する奉仕であり、人類に対する奉仕であります。

  ①吾々は吾々の奉仕を出来るだけ改善し、質の良きものとし、
   貢献多きものとしなければならないのです。

   報いは結局、良く献ぐれば、また自らも献げられるということになるのです。
   即ちその人に必ず成功と繁昌とは来たるのです。

  ②併しかくの如く吾々は一所懸命サービスを改善し、仕事に精を出すことが必要
   ではあるけれども、24時間中の総ての時間を仕事で占めてはならないのです。

   そうでないと吾々は「自力誇り」に陥って
   全生活の方向が全く狂ってしまう事があるものです。

  ③一日一回、吾々は静かに座って、吾々の父であるところの神に呼びかけ、
   神の子としての自分自身が何を為すべきか、教え給えと念じ、
   「神の智慧われに流れ入りて御心を示し給う」と念じ、黙してそれを待ち、

   再び繰り返して「神の智慧われに流れ入りて御心を示し給う」と念じ、
   しばらく黙してそれを待ち、更に前の如く念じて、それを繰り返す事十数回、

   「神わが一挙手一投足を導き給う。吾が計画することは神が計画し給うので、
   わが為すことは神が為し給うのである」と幾度も念じ感謝の祈りを捧げて
   その一回の祈りを終わることにするのが可いのであります。

(2)(自分のために祈ることは神の道から外れているのか)

  ①諸君が祈るとき、先ず自己を富ましめ給えと祈っても
   祈り無き愛他的生活よりも好いのである。

   もし吾々が貧しくして惨めであり、肉体弱くして、何事も失敗続きであるならば、
   吾々は他の人を助けようと思ってもそれに相応しい状態ではあり得ないのです。

   だから自分の健全や、繁栄を祈るのは決して神の道にはずれたのではない。

  ②しかし得たところのものは再び元へ返さなければならないのです。
   感謝と報恩の為に十分の一を捧げるというハンブリンの教えは、又同じく、
   グレーンクラーク氏も言っているのです。

   兎も角諸君が祈りによって自己の艱難を無事通過し得たという生きた体験は、
   またそれを語り継ぐことによって「什一税」を神に捧げたと云うことになるのです。

   それによって人々は信仰に励まされ、勇気づけられ
   霊的に堪え忍ぶ力を得ることになるのです。

(3)霊的に富むこと

  ①まことにも人生百般の眞實の本源は霊的なるものであります。
   この眞理をよく悟り、会得し得た人々は、自分に富が来たからといって、
   他の人を自分が貧乏にしているのではないと云うことを知ることが出来るのです。

  ②霊的に富む人にとってはどんな経済機構の中にあっても、
   神の供給というものは無限であり、尽くることなきものなのです。

   イエスに依って示されたる五つのパンを五千人に頒けて
   尚十二籠に山盛りのパンが余ったという聖書の物語は、
   神の供給が決して他からの搾取ではないということを現しているのです。

  ③神の無限供給は水力電気の無限の供給と同じように尽きるものではないのです。
   自分が一層健康になっても、その為に他の人の健康力が衰える訳ではない。
   生命の世界に於いては「搾取」と云う事は成立たない。

   神の癒しの力は決して尽きてしまうものではないのです。
   一人の人が癒されたからと云っててその人は決して他人の健康の分け前を奪った
   という訳ではないのです。

   この眞理を知って実践しし、この眞理を自覚して生活する人々は
   イエスの言った通り真の自由を得ることが出来るのであります。

  ④吾々は一切の人生の祥福を「人間」より得ようとする心を捨て、
   神に祈って神の愛より得るようにしなければならないのです。

   そこから摂理が展開してまいります。
   そこから真に自由の道が開かれ、そこから閉ざされた供給が開かれ、
   そこから真の解放が生まれて来るのです。

(4)神の導き

  ①神です。一にも二にも神です。
   神の他に何物も実在しないのです。
   人類永遠の幸福の為に何人もこの眞理を知っておく必要があります。

  ②神に祈っているならば、然り、常に神に祈っているならば、
   一見、自分の為に祈っているように見えているときにさえも
   一層善き方へ導き給うのです。

  ③神は、健康や財物や玩弄物のような現世利益を与えてくださりつつ、
   ついに吾々をして眞に神の御声を聴くいと高き霊的進歩の正しき状態に導き給うのです。

(5)魂の信仰段階

  ①先ず神は吾々を苦難の現実生活のドン底より救い給う。
   その時卒業したと思い過ったらそれ以後の進歩はないのです。

  ②神は無限の善であり、吾々は神につながることによって無限に魂が向上し得るのです。
   その向上の行く手を導き給うのが神の智慧であり、
   その神の放送を受けるための受信波長をつくるのが祈りです。

   祈りが応えられた時に経験する吾々の喜悦、法悦は、
   信仰が無駄でなかったことを実証してくれつつ
   更に吾々を高き信仰の境地にまで導いて下さるのです。

  ③又たとい祈りが実現しなくとも、かくて尚、神を呼ぶ心を失わない魂の進歩は
   一層大いなるものがありましょう。

   かくて吾々は祈りと共に摂理の慈手に導かれつつ、
   吾が魂は無限向上の道を攀じ登るのです。

   この眞理を諸君が自ら体験せられんことを希望したいのであります。


(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年09月23日~09月26日)より、
  抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )

            <感謝合掌 平成28年11月27日 頓首再拝>

《運命が修正される原理~その15》 - 伝統

2016/11/28 (Mon) 18:11:22


 <魂の発達と進歩>

(1)◇野の百合は如何にして育つかを思え(ルカ伝第十二章27)

  ①野の百合の次第に生長するが如く吾々の信仰も生長します。

  ②各人は各々その魂の発達に応じて、
   自ら信心開発の道を昇り行かなければならないのです。

  ③そして吾々は最後の信仰の段階に達しても戎も定も慧も要るのです。

  ④信仰生活の新しき道に登るには絶対他力の真宗の信仰であってさえも
   念仏行の如き行持を必要とするのであり、その行持を通して吾々は
   吾々自身の心境を自ら開拓し、忍耐強く一歩一歩正しき方向に登って
   行かなければならないのです。

(2)祈りや称名念仏は吾々に方向を誤らしめない神仏の導きを喚び起こすものなのです。

  ①祈りながら、吾々は向上の心を失わず、常に精進努力し、
   色々の信仰上の試練に耐えなければならないのです。

  ②現世に於ける修行に於いては吾々は自己の信仰を鍛える為に、
   日常生活中に敢えて冒険であると思われるような仕事にもぶつからなければ
   ならないことも多いのです。

   戦場に於ける生活や、空襲下の生活はまことにそのような
   信仰陶冶のための神の導きだったとも言えるのです。

  ③吾々はかくて日常生活を通して何事かを学びつつ遂に最高自由の境界に到達し、
   自己内在の完全神性(仏性)を開発し得るに到るのです。

   而して最後に孔子の所謂「心の趣く処に随って矩を越えざる」底の
   自在境に入ることが出来るのです。

  ④大いなる信仰は実に多くの信仰上、及び実際生活上の
   血と汗と祈りと行との体験を通して生長し来たった所のものなのです。


(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年09月27日~09月28日)より、
  抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )

            <感謝合掌 平成28年11月28日 頓首再拝>

《運命が修正される原理~その16》 - 伝統

2016/11/29 (Tue) 18:27:04


    <悔悟の修養について>

(1)眞理の道に入信した後、まだ深い信仰が得られないという人々よ。
   絶望することはないのです。

   深い信仰が得れれない嘆きがあるのは、内在の大信心が眼を覚ましつつ、
   現実の浅い信心に警告を与えている証拠なのです。

(2)信仰というものは恐らく全く自分の自力の力が殆んど破壊されつくして
   神を心に呼ぶ他仕方がないというような人生体験に接した時に
   おのずから湧き出て来るものなのです。

(3)日本戦勝の希望が打ち破られたということは、誤れる祈りは効無しという体験によって、
   神が正しき信仰に導き給うところのものなのです。

   およそ苛烈な難(なや)みある人生体験ほど
   却ってその人の信仰を発達せしむるものなのです。

   吾々は本当の信仰にまで高め上げて頂く為に祈らねばならないのです。

(4)吾々が為すべき所のより一層賢明なる祈りは、
   「御心を吾に於いて示し給え、御心を吾を通して実現せしめ給え」と祈ることです。

   吾々が何事でも眞に大切なる事柄を成就することが出来るのは、
   ただ神の御心に随い、神の御心を実現するときのみなのです。

   信仰に依ってのみ、吾々は真に人類を生かすところの
   偉大なる事業を為すことが出来るのです。

(5)吾々の信仰を高め上げてくれる筈の人生の体験をなるべく避けようとし、
   唯のらくら楽の生活につこうとするならば、吾々は自分が嫌で避けようとした所の
   人生の出来事よりも、尚一層手痛い、もっと苛辣な人生の体験に会うように
   自然と導かれて来るものなのです。

   学校は卒業しなければならない。
   人生は魂の学校であり、自分勝手に退学してのらくらしていることが許されないのです。

   誠にも吾々が避け又は拒んだところの人生の出来事は、
   若し吾々が感謝して協調的な精神でそれを迎えるならば、
   何等苦痛を伴わないで、自分を高めてくれるものとなるのです。




(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年09月29日)より、
  抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )

            <感謝合掌 平成28年11月29日 頓首再拝>

《運命が修正される原理~その17》 - 伝統

2016/11/30 (Wed) 18:20:15


(1)神は人間に「艱難」を課しているのではありません。
   人生は決して吾々に苦しむべく求めているのではないのです。

   神は体験を通して吾々の魂を向上せしめたく希望していられるのです。
   人生の色々の体験は吾々を高めてくれる魂の課目です。

   それを次々習うことによって
   あなたの魂が次の段階へと到達することが出来るのです。

(2)神が望み給う所は吾々をより高き喜びに導くことなのです。
   総ての経験を感謝して受けよ。避けようと思うな。

   若し吾等が人生総ての体験に「素直にそのまま有難く」協調して
   その出来事や仕向けられたる悉くを受け入れるようにするならば、
   「眞理は汝を自由ならしめん」。

   自由への道は喜びに満ちた姿をして吾々の眼の前に展開して来るに違いないのです。

(3)人生それ自身は吾々の實相円満境の展開と顕現とに必要なる諸課目を行い学ばしむる
   ところの魂の学校です。吾らが辛い人生の科目を避けようとする習慣がある為に
   生活は却って難しく苦痛に満ちたものとなるのです。

   数学でも基礎知識が出来たら応用問題も難なく解ける筈なのに、
   その科目をエスケープしているから、いつまで経っても数学が難しいと同様です。

   人生に出て来る経験は實に同じものは二つない、
   實にそれを享受するのは絶好の機会であり、
   吾々はそれを享受することを人間の特権として悦び受ける
   覚悟がなければならないのです。

(4)如何に吾々の人生が退屈であろうとも如何に苛辣に吾々の環境が閉ざされていようとも、
   それはすべて心の法則によるのであって、特にある特定の人々のみを神は愛し給う
   のではないのです。

   それは実業界の大立者にも、総理大臣にも、会社員にも、
   いと小さき雇人にも当てはまるのです。
   そこには自分自身の「心」に似た環境が附きまといます。

   環境は心の法則に随って顕れ、
   法則は神が我らのために普遍的姿をあらわし給うたもので、
   利用厚生に役立つように現れているのです。

   科学界の成功者が法則の完全なる利用者であるように、
   人生の体験に於いては「心の法則」の完全なる利用者が、
   より高き魂の進歩を勝ち得るのです。


   吾々が何をしようとも、何処に居ろうとも、如何なる立場に置かれようとも、
   吾々の前には神が「法則」といういと従順な姿で吾々にサービスし給うべく
   顕れていられるのです。

   「与えよ、然らば与えられん。」「審判くなかれ、汝も審判かれん。」
   「自分自身の心の角で怪我をするな。」「笑う門に福来る。」「泣き面に蜂が螫す。」
   「奪う者は奪われん。」「侵略する者は侵略せられん。」

   諸君がどの道を選ぶかは自由であるが、
   法則は算術のようにハッキリと答えを示してくれるのです。

   諸君は法則によって何を選び取るか。
   どちらにせよ、総ての機会を与えられているのです。


(5)今、吾々日本人は開闢以来の最大艱難に直面しているのです。
   けれど、これこそ神の愛深き智慧の導きであり、神の摂理により、
   日本国は方向転換を余儀なくせしめられたのです。

   私はこれについて神の深き愛を感ずる。
   神が日本国の運命の上に摂理による修正を行われたのです。

   日本の軍閥が誤れる行動をとり、神を無視し、人命を何とも思わなくった時、
   摂理による運命の修正は、強力な方法を以って行われた。

   それはアッツの玉砕に端を発し、ガダルカナルの敗戦となり、
   以後恢復することも出来なかった。

   神は中途半端で日本に講和の機会を与えなかった。
   若し生殺しにしたら、前の過誤の日本が復元するからです。
   そして徹底的に無条件降伏へとうちのめされたのです。

   神は日本を憎んでうちのめされたのではない。
   神は日本を愛する故に打ちのめされた。

   私はこの敗戦の中に深き神の愛の摂理を感じ、
   再び日本がかかる過程を犯さないように宗教教育を施すべきことこそ
   吾らの責任であると感ずるのです。

   「汝らを悩め責むる者ある時、悦べ。神は汝らの為に導き給うのである。」




(”平賀玄米 さま”ご投稿<人間救いの原理②>(2016年09月30日)より、
  抜粋し転写。
  「谷口雅春先生に帰りましょう・第二」
  → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=550 )

            <感謝合掌 平成28年11月30日 頓首再拝>

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