伝統板・第二
「お母さん」がこの世を救う - 夕刻版
2018/05/11 (Fri) 18:45:32
次の日曜日(5月13日)は「母の日」です。
《「お母さん」がこの世を救う》
*「神道 感謝のこころ」葉室頼昭・著(P71~75)より抜粋
(1)このどうしようもない、行きつくところまできたと思われる人間世界を救い、
これからの世の中を良くできるのは、科学技術でも、救世主でもありません。
世のごく普通のお母さんたちであると私は確信しています。
(2)最近は「お母さん」がいなくなっているように見受けられます。
ここで私が申し上げようとする「お母さん」は、
子どもを産み育てる女性すべてを指して言っているのではありません。
子供のために自分を捨て、無我になって
子供を育てることのできる人のことなのです。
(3)本当のお母さんであれば、
いとも簡単に子供のために全てを捧げることができます。
次の世代を担うことができる、素晴らしい立派な子孫を育てることができるのです。
(4)母親が無我になって子供を育てると、子どもは立派に育ちます。
ですから私は叫んでいるのです。
「日本の女性よ、我を出さないで本当のお母さんになってください」と。
(5)人間だれしも我を捨てて、
この混迷した世の中を良くしていかなければなりません。
そのためには、思慮分別のある立派な子供を育てていくことです。
これは男女の区別を越えた、
大きくいえば人類の存亡に関わる大切なことです。
だからこそ私は、世のお母さん方に、
明るい未来への希望を託したいのです。
・・・
<関連Web>
(1)“本流宣言”掲示板「母の大恩 (964)」
→ http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=224
(2)“本流宣言”掲示板「お母さんの偉大な力 (4535)」
→ http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=943
(3)“本流宣言”掲示板「いのちが響き合う (8809)」
→ http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2067
(4)光明掲示板・第一「母の日~「心に響く”いい話”」」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1546
(5)光明掲示板・第二「母 (8071)」からの継続です。
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1610
(6)光明掲示板・伝統・第一「母の愛」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=28
(7)伝統板・第二 「お母さん、ありがとう」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6487162
<感謝合掌 平成30年5月11日 頓首再拝>
《お母さんの偉大な力》 - 伝統
2018/05/12 (Sat) 19:02:47
明日、5月13日は「母の日」です。
《お母さんの偉大な力》
*『自分を育てるのは自分』 東井義雄・著 より
東井:長崎に、原子爆弾が落ちました時、
当時、10歳であった荻野美智子ちゃんという
女の子の作文をちょっと聞いてください。
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雲もなく、からりと晴れたその日であった。
私たち兄弟は、家の2階で、ままごとをして遊んでいた。
その時、ピカリと稲妻が走った。あっというた時には
もう家の下敷きになって、身動き一つできなかった。
(大きいお姉さんが水兵さんを4、5人呼んできて、
美智子さんは救出されました。しかし……。)
その時、また向こうのほうで、小さな子の泣き声が漏れてきた。
それは2つになる妹が、家の下敷きになっているのであった。
急いで行ってみると、妹は大きな梁(はり)に足を挟まれて、泣き狂っている。
4、5人の水兵さんが、みんな力を合わせてそれを取り除けようとしたが、
梁は4本つづきの大きなものでビクともしない。
水兵さんたちは、もうこれはダメだと言い出した。
よその人たちが水兵さんたちの加勢を頼みに来たので、
水兵さんたちは向こうへ走っていってしまった。
お母さんは、何をまごまごしているのだろう、早く帰ってきてください。
妹の足がちぎれてしまうのに……。
私はすっかり困ってしまい、ただ背伸びをして、
あたりを見回しているばかりだった。
その時、向こうから矢のように走ってくる人が目についた。
頭の髪の毛が乱れている。
女の人だ。裸らしい。むらさき色の体。
大きな声を掛けて、私たちに呼びかけた。
ああ、それがお母さんでした――。
「お母ちゃん!」
私たちも大声で呼んだ。
あちこちで火の手があがり始めた。
火がすぐ近くで燃え上がった。お母さんの顔が真っ青に変わった。
お母さんは小さい妹を見下ろしている。
妹の小さい目が下から見上げている。
お母さんは、ずっと目を動かして、梁の重なり方を見回した。
やがてわずかな隙間に身をいれ、一ヶ所を右肩にあて、
下くちびるをうんとかみしめると、うううーと全身に力を込めた。
パリパリと音がして、梁が浮かび上がった。
妹の足がはずれた。
大きい姉さんが妹をすぐ引き出した。
お母さんも飛び上がってきた。
そして、妹を胸にかたく抱きしめた。
しばらくしてから思い出したように私たちは、
大声をあげて泣き始めた……。
お母さんはなすをもいでいる時、爆弾にやられたのだ。
もんぺも焼き切れ、ちぎれ飛び、ほとんど裸になっていた。
髪の毛はパーマネントウエーブをかけすぎたように赤く縮れていた。
体中の皮は大火傷で、じゅるじゅるになっていた。
さっき梁を担いで押し上げた右肩のところだけ
皮がべろりと剥げて、肉が現れ、赤い血がしきりににじみ出ていた。
お母さんはぐったりとなって倒れた。
お母さんは苦しみはじめ、悶え悶えてその晩死にました。
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東井:これは、特別力持ちのお母さんだったのでしょうか。
4人も5人もの水兵さんが、 力を合わせてもびくともしないものを動かす、
力持ちのお母さんだったのでしょうか。
皆さんのお母さんも 皆さんがこうなったらこうせずにはおれない。
しかもこの力が出てくださるのが、お母さんという方なんです。
女子の皆さんは、
やがてこういうお母さんになってくれりゃならんのです。
女になることはいいかげんなことじゃないんです。
<感謝合掌 平成30年5月12日 頓首再拝>
《本当の『母の日』》 - 伝統
2018/05/13 (Sun) 17:03:11
今日5月13日は、「母の日」。
今日は、「一般社団法人 いのちを守る親の会」のWebの紹介です。
<泣ける話>「誕生日に送る言葉」-お母さん生んでくれてありがとうー
~by 一般社団法人 いのちを守る親の会
→ https://www.youtube.com/watch?v=Ym1I1Gt2cMY&feature=youtu.be
いのちを守る親の会 動画(100本を超えました。)
⇒ https://www.youtube.com/channel/UC72N5dUOwviUHUlBGtmU92w
<感謝合掌 平成30年5月13日 頓首再拝>
《母の愛》 - 伝統
2018/05/14 (Mon) 19:06:04
*Web:面白い話.com (2017/08/04)より
もう20年位前の話です。
私は小さい頃親に離婚されて、
どっちの親も私を引き取ろうとせず、施設に預けられて育てられました。
そして3歳くらいの時に今の親にもらわれたそうです。
当時の私はその自覚などしておらず、記憶は無く、
その親を本当の親と思って中学2年まで過ごしてきました。
そして、突然の父との別れが訪れました。
脳梗塞で帰らぬ人になりました。
そして、その最悪の時に『私とその親は家族ではない』ということを
親戚の方から偶然にも聞いてしまったのです。
葬儀のあと、私は母を問い詰め、本当の事を聞きました。
その時を境に、私は母を嫌いになりました。
死んだ父でさえも嫌いになりました。
多分、裏切られたとか思ったんでしょう。
元々家が裕福ではありませんでした。
ですから父が死んでしまったので、母が働きに出ざるを得ませんでした。
母は、朝は近くの市場で、昼から夜にかけてはスーパーで働きました。
それもこれも全て、私のためのものでした。
ですが当時の私にはそれすらもうっとうしく思えてなりませんでした。
時には、登校の時間と母が市場から帰ってくる時間がちょうど重なってしまい、
友達と登校していた私はボロボロになった母と家族であるということを
友達に知られたくなく「いってらっしゃい」と言う母を無視しては
友達に「誰あれ、気持ち悪いんだけど」という悪口すら言っていたものでした。
それを察してか、次の日にはわざと目を伏せ、足早に私とすれ違っていきました。
でも、それでも、母は何一つ文句をいわず働いてくれていました。
そんな日が1ヶ月くらい続いたと記憶しています。
そんな雨の日、雨合羽を着て市場から帰ってくる母とすれ違いました。
当然無言です。
その姿はなんとも淋しく、哀しく、辛そうに見えたのです。
涙が溢れました。ぐしゃぐしゃに泣きました。
私は一体何をしているのか・・・
ボロボロになってまで私を育ててくれているあの人に、
私は何をうっとうしく思っているのかと、凄まじい後悔が私を襲いました。
私は友達の目も気にせず、母に駆け寄りました。
でも、何を言っていいかわかりませんでした。
その時、ふと口をついた言葉が「いってきます」でした。
言えた言葉はたったそれだけでした。
でも、母は一瞬驚き、そして泣きました。
そして、何度も何度も「いってらっしゃい」と言ってくれました。
私が友達の元へ戻ったあとも、母は私を見ながら手を振って
「いってらっしゃい」と言ってくれていました。
今では、彼女こそが本当の私の母親です。
たとえ戸籍上はどうあれ、そう思っています。
恩は返しきれないくらいあります。
母は「それが親の勤めだよ」と言いますが、
でも、じゃあ今度は子として親の面倒を見ていきたいです。
この人が母親で、最高に良かったと思います。
(http://omoshiroi-hanashi.com/kandou/k-73.html)
<感謝合掌 平成26年5月14日 頓首再拝>
漢字としての「母」 - 伝統
2018/05/15 (Tue) 17:29:43
豊かな****をかたどった「母」
*日本経済新聞(2018/5/13)より
~遊遊漢字学 阿辻哲次
漢字だけに限らず、世界の文字は象形文字からはじまった。
象形文字とは要するになにかの絵を文字として使うことであり、
それがサカナとかヤマなら、だれが書いてもほぼ同じような形になる。
しかしすべての物体を、万人が同じように描くとは限らない。
ある事物や概念を表す文字を作る時に、なにを素材として、
それをどのように描くかに関して、古代人と現代人の思考回路は同じでないし、
さらに同時代でも人によって大きな差があるものだ。
たとえば「女」という漢字は、古代の字形ではひざまずいて
両手を前に組みあわせている人間をかたどっている。
この字が作られた古代中国では女が男に隷属させられており、
そこに明らかな「男尊女卑」の思想が反映されている。
現代の人間がもし「おんな」という意味を表す象形文字を作るとすれば、
決してそんな姿を描いたりはしないだろう。
しかしそれが「母」を表す漢字となれば、もしかしたら今でも、
古代中国人が作った字形に見られる発想が、
そのまま通用するかもしれないのである。
今の字形からはすこしわかりにくいが、
「母」は「女」という漢字を基礎にしており、
「女」の中央部、すなわち胸にあたる部分に点を二つ加えると「母」になる。
この点は****の先にある乳首を表しており、
それが「母」という漢字にいまも二つの点として残っている。
****は未出産の女性にもあるし、男にもある器官だが、
しかし****が果たすもっとも重要な働きは、
いうまでもなく赤ちゃんに対する授乳である。
だから「女」という大きな集合の中から、
「母」という小さな集合を取り出すための、
もっともわかりやすい指標として****が使われた。
古代中国人は愛する子どもに授乳する豊かな****を強調することで、
母という大切な概念を表した。
私が小学生だった昭和三十年代では、空腹でむずかる赤ちゃんに****を含ませ、
おっぱいを飲ませている母親を電車やバスの中でも頻繁に見かけたものだった。
「母の日」と聞くと、最近ではまったく見かけなくなったその姿を、
私は今でもすぐに思い出す。
(漢字学者)
(https://www.nikkei.com/article/DGKKZO30366170R10C18A5BC8000/)
<参考:Web「感じて、漢字の世界」(2013年5月10日)より抜粋>
「感じて・・・、漢字の世界」。
今日の漢字は、「母」。
「母」という漢字は、「女」という字をもとにしています。
「女」という字がかたどっているのは、
人が身体をかがめ、膝まづいた様子です。
中に添えられた二つの点は、女性の****をあらわします。
「母」という漢字が描いているのは、
女性が膝まづいて子どもを胸に抱きあげ、乳を含ませている風景。
赤ん坊に与える原始的な愛情の形が、
「母」という漢字のもとになっているのです。
今からおよそ三千年ほど前のこと。
いにしえの人々は、小さな村をつくって生活していました。
男たちは互いを助け合いながら、狩りや漁に出かけます。
女たちは身近な場所で木の実などを拾い集め、
煮炊きをしながら子供を育てます。
仕事はみな共同体単位で行われ、子育てもまた同じこと。
産みの母はひとりでも、誰もがみんな、育ての母です。
祖母も祖父も、叔母も叔父も、たとえ血がつながっていなくとも、
大勢の手が赤ん坊を抱き上げ、さまざまなものを授けます。
美しい声の少女は歌を、経験を重ねた老人は知恵を。
乳の出る女は、もちろん乳を。
赤ん坊はたくさんの母たちに見守られ、
共同体を担う立派な大人へと成長していくのです。
・・・
「感じて・・・、漢字の世界」。
今日の漢字は「母」。
「母」という漢字は、腕の中の赤ん坊を見つめながら、
いとおしむように母乳を与える風景を描いたもの。
でも、赤ん坊が欲しがるのは、母乳だけではありません。
肉親の愛に恵まれなかった太宰治は、
自伝的小説とも言われている『津軽』の中で、
幼い頃、自分の子守りをしてくれていた女性と再会します。
彼女と時を共にするうち、心の平和を感じた彼はこう記します。
「世の中の母といふものは、皆、その子に
このやうな甘い放心の憩ひを与へてやつてゐるものなのだらうか」
ここで、もう一度「母」という字を、感じてみてください。
故郷の美しい風景、懐かしい音楽、滋味豊かな一冊の本。
人を育て、憩いのときを与えるものを「母」と呼ぶならば、
世の中にはたくさんの「母」が存在します。
あなたをこの世に送り出してくれた母にはもちろんのこと、
あなたの母なるものたちすべてに、愛と感謝を、忘れずに。
漢字は、三千年以上前の人々からのメッセージ。
その想いを受けとって、感じてみたら・・・、
ほら、今日一日が違って見えるはず。
*参考文献 『常用字解』(白川静/平凡社)
『絵で読む漢字のなりたち 白川静文字学への扉』
(金子都美絵/太郎次郎社エディタス)
(https://ja-jp.facebook.com/kanjitekanji/posts/359068907531074)
<感謝合掌 平成30年5月15日 頓首再拝>
「母」と「子」 - 伝統
2018/05/16 (Wed) 18:05:44
*月刊『致知』2004年3月号特集「壁を越える」より
~松崎運之助(夜間中学校教諭)
「命の光がいっぱいの教室 いっぱいの学校」
年齢、国籍、職業、生活環境などまったく異なる境遇にある子どもたちを、
一つの教室で指導されてこられた 元夜間中学校教諭の松崎運之助さん。
山田洋次監督の映画『学校』のモデルになったことでも
有名でいらっしゃいます。
本日は、松崎さんの原点となった幼き日のお母様とのエピソードを
紹介させていただきます!!
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-
「父」と「母」という漢字を教えて差し上げた時のことです。
「父」は斜めに線を引っ張って下にバッテンを書くだけだけど、
「母」は「く」と「く」のさかさまを組み合わせ、
不安定に傾いていて、中に点々まである。
父は簡単だけど
母は難しいというのが
皆さんの一致した意見でした。
「先生、点々は略しちゃいけないの?
1本の線でいいじゃない」
「点々はお母さんのおっぱいを表しているから、
簡単には変えられません」
と答えると、
「ええ!? おっぱい出していいの?」
「やっぱり棒線で消したほうがいい」
と大騒ぎ。
そうこうしているうち、ある生徒さんが
「先生、悪いけど私にはあれが
お母さんのおっぱいには見えません」
と言い出しました。
困ったなと思っていると、その方は、
「私にはお母さんの涙に見える」
とおっしゃいました。
すると他の生徒たちも、
「そうだ。あれはお母さんの涙だ。
お母さんの涙は大事にしなくちゃな・・・」
と頷き、それぞれが
苦労の多かったお母さんの話を始めました。
若い頃、母の心など知らず
どれだけ反抗したか。逆らったか。
溢れ出る涙をそのままに
皆さんが語り出しました。
年が違おうと国籍が違おうと、
父がいて母がいて、
今日まで多くの方々に支えられて
生きてきたことは変わらない。
それは私も同じです。
私もクラスの仲間として、
皆さんに母の話をしました。
私は両親が満州から引き揚げてくる混乱のなかで生まれました。
小さかった兄は、私が母のお腹にいる時、
逃避行を続ける最中で息絶えたといいます。
失意のどん底に叩きつけられた母は、
泣き明かした後、
「いま息づいているこの命だけは 何があっても産み出そう」
と誓い、私を産んでくれたのです。
私は誕生日が来る度に、
母からこの話を聞かせられました。
「あんたが生まれたのは こういうところで、
その時、小さな子どもたちがたくさん死んでいった。
その子たちは、おやつも口にしたことがない、
おもちゃを手にしたこともないんだよ。
あんたはその子たちのお余りをもらって、
やっと生き延びられたんだ。
あんたの命の後ろには、
無念の思いで死んでいった人たちのたくさんの命が繋がっている。
そのことは決して忘れちゃいけないのよ」
私は生まれてこのかた、
母に誕生日プレゼントをもらったことはなかったし、
欲しいと思ったこともありません。
私にとって誕生日は、
産んでくれた母に感謝をする日でした。
一家は長崎へ移り住みましたが、
結局父親は外に女をつくり、
母とは離婚。
父は家を売り払って、
そのお金を元手に女の人と
新しい生活を始めました。
無一文になった母は、小さな子ども3人を抱え、
市内を流れるどぶ川の岸辺にある、
吹けば飛ぶようなバラックに移り住みました。
すぐにお金が必要ですから、
母は男の人に交じって、なれない力仕事を始めました。
疲れて帰ってくるので、すぐに横になって寝てしまう。
それが子ども心に
どれだけ寂しかったことか。
一日中帰りを待ちわびて、
話したいこと、聞いてもらいたいことが山ほどある。
弟や妹は保育園で覚えた歌や踊りを見てもらいたいのです。
そこで私は考えました。
弟と妹の手を握り締め、
橋の上で母の帰りを待つことにしたのです。
やがて橋の向こうから小さな母が姿を現すと、
3人は歓声を上げて転がるように走っていきました。
あのね、あのね……。
同時に喋る私たちの話を上手に交通整理をしながら、
母はまっすぐ家には帰らず、
近くの石段を登って、眺めのいいところへ
連れて行ってくれました。
母が真ん中に座り、
子どもたちがそれに寄り添う。
眼下に広がる長崎の夜景を見ながら、
私たちきょうだいがひとしきり話し終えると、
母が少しだけ自分の話をしてくれました。
朝早くから夜遅くまで働いていたので、
母はほとんど家にいませんでしたが、
心はいつも一緒でした。
物はない、金はない、
町の人や学校の先生からは臭いだの
汚いだの言われていましたが、
母と子の間には
いつも真っ青な青空が広がっていた。
そんな気がします。
<感謝合掌 平成30年5月16日 頓首再拝>
「湯は外へ外へとかくもんだ」 - 伝統
2018/05/17 (Thu) 18:35:34
*Web:抜粋のつづり75集(2016/01/29)より
母は、7年前の平成20年に亡くなった。
直腸癌を患い、人工肛門をつけていたが、元気に暮らしていた。
ある日、急に腹痛を起こし入院した。
その時、実家を切り盛りしてくれている甥に「もう、アカン」と言ったそうだ。
腸が癒着し、破裂したのだ。
私は、連絡を受け、東京から飛んで帰った。
幸い母はまだ意識があった。
私の手を握ってわずかに瞼を動かしたが、安心したのか、
間もなく静かに息を引き取った。
83歳だった。
母の人生は決して平坦ではなかった。
裕福な家で育ったが、母が嫁ぐ頃には没落していた。
舅は政治に全財産を注ぎ込み、多額の借金を作った。
父と二人でそれを返済しょうと身体が曲がるほど働きに働いた。
最大の不幸は、逆縁という運命だ。
3人の子どもに恵まれたが、長女を39歳、長男を49歳の
若さで共に癌で亡くしたのだ。
残ったのは私だけだ。
長男には子どもがなかったので、長女が残した二人の男子を自分の手で
育て上げ、今、その内の一人が家を継いでいる。
私の記憶では、母はどんな時も泣いたことがない、。
本当に強い人だった。
どんなことも「運命」として受け入れた。
それは市井の日本人の強さだった。
私は、判断に迷うと、今でも母の言葉を思いだす。
それは幼い頃、母と風呂に入った時に言われた言葉だ。
昔は風呂が寒かった。
私は早く温まろうと必死で手を動かし、湯を自分のほうに取り込もうとした。
それを見て母は「湯は外へ、外へとかくもんだ」と諭した。
自分だけ温まろうと湯を取り込むと、脇の間から抜け出てしまい、
かえって温まらない。
反対に相手に温まってもらおうと湯を外へ外へとかけば、
湯が循環して結果として自分が温まる。
「人生も同じで、欲張って自分だけ得をしようとしたら損をするぞ。
何事も相手に得をしてもらおうとした方が良いぞ」と母は言った。
この風呂での教えは、私の生き方に大きく影響している。
私は、母の言葉通り自分の利益を図るより、
他人の利益を図ることを原則にしてきた。
銀行員の時も、先ず取引先の利益を優先した。
上司から「たまには銀行の利益も考えろ」と叱られたことがある。
しかし私は間違っていなかったと思っている。
金融も商売も人生も自分だけ利益を得ようと考えたら上手くいくはずがない。
母は、決して学問をした女性ではなかったが、
地に足のついた本物の知識を持っていた。
そしてそれを私に与えてくれた。
ありがとう、母さん。
<感謝合掌 平成30年5月17日 頓首再拝>