伝統板・第二

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「苦難すでに無し」(光明掲示板・第二) - 伝統

2019/08/31 (Sat) 09:25:05

光明掲示板・第二 消滅により、
「苦難すでに無し」の伝統板・第二への再掲示です。


《自分自身の欠点を許す》

      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(P72<9月1日>)より

われらはすべての人を赦さなければならないのである。
すべての人の中には、自分自身を含んでいるのである。

自分自身の欠点を赦さなければならないのである。
あなたの欠点に向かって、心の中で次のように唱えて
その欠点を赦すのが一つの良き方法であるのである。

「自分はすでに赦されたり。
神によって完全にせられたのである。
もはや、欠点もなく浄(きよ)められたのである。」

こう繰り返し繰り返し念じて、神の光明の中へ融け込んで、
完全に雪のごとく清浄にせられたる自分を瞑想するのがよいのである。

             <感謝合掌 平成25年9月1日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年8月31日 頓首再拝>)   

《他人を責めることなかれ》 - 伝統

2019/09/01 (Sun) 19:25:06


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(P72<9月2日>)より

すべての事物は、想念の具象化であるから、われわれ自身のうちに、
自己でも他人(ひと)でも、呪ったり、憎んだり、不完全だと責める想念を
起こしてはならないのである。

この真理を、キリストは「我らに負債(おいめ)ある者を我らの免(ゆる)したる
ごとく、我らの負債(おいめ)をも免(ゆる)し給え」と祈るように教えたのである。

だいたいひとに罪を着せて、「あいつは悪い奴だ」と思っていて、
自己に幸福が来るはずはないのである。
なぜなら「類をもって集まる」「類は類を招く」のが心の法則であるからである。

「人を呪わば穴二つ」という諺のとおり「人を罪する心」をもっているかぎりは
「自分を罪する」(すなわち自分を不幸にする)何者かがあらわれて来るのである。

             <感謝合掌 平成25年9月2日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月1日 頓首再拝>)   

すべてを感謝に変える - 伝統

2019/09/01 (Sun) 19:26:23


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(P73<9月3日>)より

人を審判(さば)く者は、また自分も審判(さば)かれるのである。

聖書に「人の負債(おいめ)を赦せ」とあるのは、人に金を貸してあるのに
その借金証文を全部焼いてそれを帳消しにせよという意味ではないのである。
そんなことをしたら商取引は成り立たないのである。

「あいつはわしに損かけている」という感じを捨てて、
「あの人のお陰で商売(その他なんでも)が成り立っているのだ。ありがとうございます」
という気持ちになることなのである。

憎しみや、呪いや、腹立ちの感じを感謝に変化してしまうことである。

できるならば、憎んでいた人の名前をいちいちとなえて
「わたしはあなたを赦しました。わたしはあなたに感謝しています。ありがとうございます」
と毎朝夕20分くらいずつ思念するがよい。

             <感謝合掌 平成25年9月3日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月1日 頓首再拝>)   

損失や、犠牲や、負債は実相においてはないのです - 伝統

2019/09/03 (Tue) 20:01:43


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(P73<9月4日>)より

誰かが犠牲になるとか、損をかけられるとかいうのは、
実相永遠の秩序においてはけっしてありえないのである。

実相はただ一つの智慧(神)によって創造され、運行しているのであるから、
その間(あいだ)には調和した平衡(バランス)が得られているのであって、
だれが、だれに、損をかけたとか、たれがたれを不幸に陥れたとかいうのは
実相においてはありえないのである。

どこにも自分を害した者もないのである。

いっさいの不調和は心の世界にあるのであるから、
損失や、犠牲や、負債(おいめ)はまず心の世界で克服しなければならないのである。

心の世界でそれを消滅するとき、損をかけた人も、損をかけられた状態もなくなるのである。

             <感謝合掌 平成25年9月4日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月3日 頓首再拝>)   

「負債」無し、神の無限供給の現われ - 伝統

2019/09/03 (Tue) 20:03:14


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(P74<9月5日>)より

負債(おいめ)というものの観念の中には、「欠乏」の感じがしているのである。
債権者は、返してくれるはずのものが「欠乏」していると考える。

負債(おいめ)というものを考えるとき、どちらの側も「欠乏」という観念から
抜け出すことができないのである。

本当に繁栄を得ようと思うならば、この欠乏の感じを「お蔭」(神からの供給)の
考えに転回してしまうことが必要である。

債権者の方からは「あの人に貸し与えるほど豊かな供給を得てありがたい」と考え、
債務者の方からが、「あの人を通して無限の供給を恵みたまうてありがたい。神の無限の
供給が種子(たね)になっていよいよますます幸福がやって来る、ありがとうございます」
と考えるがよい。

             <感謝合掌 平成25年9月5日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月3日 頓首再拝>)   

責める心ではなく、「豊富」を念じる - 伝統

2019/09/04 (Wed) 18:20:43


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(P74<9月6日>)より

相手が債務を履行しないことを責める心、払わせようと「損」を気に懸(か)ける心よりも、
「すでにわれ無限供給の富を受けたり」という「供給豊富」の観念を常に心に持ち続ける方
が、実際に富をいっそう増大することになるのである。

気の小さいようなことではいかぬ。
一方で損をしたにしてもクヨクヨと思ってはならない。

いっさいの富は「神」より来たるのであり、「神」はいたるところに充ち満ちていたまう
のであり、そしてわれわれの想念するとおりの形をとって顕われたまうのであるから、
「損」を心に描くことなく、自分に「損」をかけたと思う人に対しては、

特にその人が「豊富」であるように念じてやることが相手を生かし
自分の債権も生かすことになる。

             <感謝合掌 平成25年9月6日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月4日 頓首再拝>)   

自分に損をかけた人を、心の中で祝福する - 伝統

2019/09/04 (Wed) 18:21:55


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(P75<9月7日>)より

他(ひと)の借金を支払ってやるくらいでないと
本当に無限の富の源泉を捉えることはできぬのである。

といってそれは紙幣や小切手で支払ってやることではない。

貧しき者を心の中で祝福してやり、

「なんじは神の子であって神の無限供給によりいっさいの負債(おいめ)は支払われ、
今、なんじはすでに無限の供給を受けているのである」

という意味のことを思念してやることである。

特に自分に損をかけた人に対しては、なおいっそうこの思念を恵み与えてやることが、
かえって彼を富まして、その損失を償(つぐな)うだけの力を養ってやることになる
のである。

ところがたいていの人は自分に損をかけた人を祝福するどころか、
憎んで「不幸になれ」と念ずるから結果は反対となり損失は償われないことになる。

             <感謝合掌 平成25年9月7日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月4日 頓首再拝>)   

すべてを祝福することが、自己を富ます道 - 伝統

2019/09/04 (Wed) 18:22:54


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(P76<9月8日>)より

神はいっさいの本源であり、いたるところに充ち満ちてい給い、
われわれに無限に健康なる生命(せいめい)と、豊かなる供給を与えていられるのである。

しかし、それはラジオの波のように肉眼には見えないのであって、
ただわれわれがそれに対して適当な条件を与えることによって
可視的(めにみえる)世界にあらわれて来るのである。

富める者に嫉妬し、それを搾取であると呪うことは、
「富」そのものを呪い、「富をもつこと」そのことを排斥することになるから、
その人は大いに富むことはできないのである。

貧しき者、損をかけた者を、「無限供給」の思念によって祝福してあげるとともに、
富める者にも祝福を与えることがかえって自己を富ます道である。

             <感謝合掌 平成25年9月8日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月4日 頓首再拝>)   

愛と寛容の精神を養う - 伝統

2019/09/05 (Thu) 19:11:13


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(P77<9月9日>)より

貧乏は、「欠乏」の想念、「努力」の欠乏、「誠実」の欠乏、「サービス」の欠乏、
「愛念」の欠乏、「持続力」の欠乏、「寛容精神」の欠乏、「与える心」の欠乏等の
具象化であると言うことができる。

特に寛容精神の欠乏は、はなはだしく他(ひと)に対して批評的になるために、
他(ひと)から愛されることなくいかに自己が賢明で、努力も、誠実もありながら
世に容(い)れられないで失敗してしまう原因になるのである。

「吾は神と一体である。神が吾を赦し愛し給うがごとく、我もすべてを赦し愛するのである。
神の無限の愛と赦しがわがうちに満ちていてすべての人を愛したまうのである」

と念ずることは愛と寛容の精神を養うのに最も良い。

             <感謝合掌 平成25年9月9日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月5日 頓首再拝>)   

常によき念を送る - 伝統

2019/09/05 (Thu) 19:12:17


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月10日)より

「神の無限の愛われに流れ入り給いて、愛の霊光燦然として輝き給い、
すべての不安、恐怖、憂鬱を雲のごとく散らしめたまうのである。」

常に暇あればかく念じて自分自身の心の中に神の愛をもって満たせ、
もしあなたがたれかに貸し金があったり、店子が家賃を払ってくれなかったり、
商品の決済をしてくれなかったりしたとて、その債務者が不正直で悪意があるとか、
払わぬつもりでいるとか考えてはならないのである。

もしそんな想念を起こしたならば相手はますます不正直になり、誠意がなくなり、
払わぬつもりになるばかりである。

自分に債務のある者を常に善意をもって扱い、善念を送り、愛念を送り、
無限供給の念を送ればその債務は速やかに払われる。

             <感謝合掌 平成25年9月10日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月5日 頓首再拝>)   

悪を語らず、神の愛を循環させる - 伝統

2019/09/06 (Fri) 21:21:50


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月11日)より

人の悪口(あっこう)はけっして陰でも喋ってはならない。
言葉は種子であるから、悪を喋れば悪が出てくるのである。

外見がいかにあろうとも、すべての人に対して、愛と敬とをもって
その人の繁栄と幸福とを祈るべきである。

万人は神において一体であり、彼の不幸は必ずや、
彼と一体であるところの自己の不幸となって現われて来るのである。

われわれは神から無限の愛を受けているのであるからその愛を、
他(た)の人間に愛念を送ることによって返還しなければならぬのである。

かくしてあなたが神の愛を、彼に返還するとき、
彼もまた、あなたに対して神の愛を返還してくれるのである。

             <感謝合掌 平成25年9月11日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月6日 頓首再拝>)   

富の道 - 伝統

2019/09/07 (Sat) 19:30:06


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月12日)より

各人の富は、神の無限供給の源泉を、自分の心で受けた分量であるから、
自分の心の影だということができるのである。

もしすべての人の富を回収して、それを全人類に平等に分配しても、
たちまちのうちに富む者は富み、貧しくなる者は貧しくなるのであろう。

その人の心が、その分配されたるものを操作して
おのおの異なる結果を生むことになるのである。

今日(こんにち)自分が働く力、考える力、生きる力、味わう力・・・等々を
与えられていることを感謝せよ。
すでに無限の供給の今あることに感謝せよ。

(損失なんて考える必要はないのである)そして、感謝のうちに報恩のために
働く力を、考える力を他(ひと)のために与えて奉仕せよ。

これが富の道である。

             <感謝合掌 平成25年9月12日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月7日 頓首再拝>)   

恵みに報謝する働きをする - 伝統

2019/09/10 (Tue) 18:29:13

      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月13日)より

金を借りるのは必ずしも悪いことはないが、
約束の時に必ず返却しうる万全の用意ができていなければならないのである。
返却しうる可能性だとか決心だけではいけない。

碁の布石のように、この石をこう置いたらこの次の石はこうなるという
ハッキリした計画と準備があって、それで金を借りるのならよい。

実際神の無限供給があるのに、「債務を負っている」という一種の「欠乏」とか「貧乏」
とかの観念の伴いやすい生活条件に入ることは好ましくないのである。

神の無限供給の世界に入るならば、そこには債権者も債務者もないのである。
そこは、ただ恵まれている世界である。
その恵みに報謝する働きをしておれば必要なものはことごとくやって来るのである。

             <感謝合掌 平成25年9月13日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月10日 頓首再拝>)   

あらゆる方面に神の愛を与えるのだ - 伝統

2019/09/10 (Tue) 18:30:36


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月14日)より

人の物を値切るようなケチな心を起こしてはならない。
値切る心は値切られるのである。

あなたの得た物(または人)の値打ちだけを十分与えるように心懸けなければならない。
値打ちだけを買い取り、値打ちだけを支払い、しかも自分もできるだけ力を尽くして
奉仕するのだ。

ただ金だけ出して与えたつもりになっていて怠惰や放漫になってはならないのである。
与えたけれどもそれが浪費になったという場合は、自分が知恵を出さず、愛を出さず、
生命力を注がないからである。

ともかく、与えることをできるだけあらゆる方面に試みてみよ。
「返って来る」というような予想なしに神の愛を与えるのだ。

             <感謝合掌 平成25年9月14日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月10日 頓首再拝>)   

そのままの心で愛を行ずる - 伝統

2019/09/10 (Tue) 18:32:12


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月15日)より

爪に火を点(とも)す式のケチな心を寛大な心に転ぜよ。
しかも金(かね)や物を与えるのに湯水を捨てるような気持ちで与えてはならない。

金(かね)は物を象徴(しるし)として神の「生命(せいめい)」と「愛」とを
心をこめておくるのだという愛と敬虔との心をもってしなければならぬ。

金(かね)や物を贈るのに、
憐れみの感じや、慈善の感じや、軽蔑の感じで贈ってはならない。
報酬を期待して贈ってはならない。

水がただ高きより低きに流れて、少しも高ぶらないごとき、
そのままの心で愛を行じなければならない。

神の愛を取り次(つ)がしていただいているのであって、
別に他(ひと)に高ぶる必要もないのである。

             <感謝合掌 平成25年9月15日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月10日 頓首再拝>)   

宇宙の美徳(誠実と純潔)に波長を合わす - 伝統

2019/09/12 (Thu) 19:24:56


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月16日)より

宇宙には動かすべからざる法則が支配しているのである。
その法則は人間が作った法律のようにごまかしたり、くぐり抜けたりできぬものであり、
絶対に終始一貫かわらざるものであるのである。

もしこの宇宙の法則の一貫不動性というものがなかったならば、
太陽系統は成り立たず、人類の生活は成り立たないことになるのである。

終始一貫性はある意味では純潔の美徳であり、ある意味では誠実の美徳である。
宇宙は純潔と誠実との美徳によって支えられているというも過言ではないのである。

人間もこの宇宙に存在する以上、誠実と純潔との美徳なければ、
大宇宙の生活と波長が合わないのである。

人生に繁昌成功せんとするには純潔と誠実とが必要である。

             <感謝合掌 平成25年9月16日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月12日 頓首再拝>)   

余り物を粗末にしてはならない - 伝統

2019/09/13 (Fri) 14:20:34


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月17日)より

宇宙の終始一貫せる法則の中には、因果応報の法則がある。
原因あれば必ず結果があるという法則である。

いかに狡猾に原因だけを造っておいて、結果だけをのがれようと試みても、
結果は早いか遅いか、あるいは他の形態をもってするか、
いずれにせよその人に報いてくるのである。

イエスが5つのパンと小さき肴(さかな)2つを5千人に分け与えて
なお12の籃(かご)にパンの余りが残っていたという奇跡が行なわれたときに、
なぜそのような奇跡があらわれたのであろうか。

それは愛のゆえに分け与えたこと、
そして「廃(すた)るものなきよう擘(さ)きたる余りを集めよ」
というイエスの教えを実行したからである。

無限供給を念じさえするならば、物の余りを粗末にしてもさしつかえない
と思うのはまちがいである。

             <感謝合掌 平成25年9月17日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月13日 頓首再拝>)   

物は拝んで使い、活かしきる - 伝統

2019/09/14 (Sat) 19:29:49


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月18日)より

物は大切にしなければならぬ。
「物質は無い」ということは、「何にもないのだからゾンザイにしてもよい」
ということではない。

それは「物質と見えているものも実は物質ではない、神の生命(せいめい)、
仏の慈悲があらわれているのであるから、大切にそれを拝んで使わねばならぬ」
という意味なのである。

いかなる物も「神物(しんぶつ)」であり、「仏物(ぶつもつ)」であるから、
廃(すた)らして捨ててはならないのである。それは冥加(みょうが)にあまる
ことであり神仏の加護の波長に合いかねるのである。

糞尿と見えるものも、落葉(おちば)と見えるものも、いったん用立ち終わった
と見えるものも、それを保存し利用厚生に役立たしめねばならぬ。

             <感謝合掌 平成25年9月18日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月14日 頓首再拝>)   

人・物を大切にするということは、神の愛を持ち来たすことになる - 伝統

2019/09/15 (Sun) 17:47:54

      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月19日)より

《もの》および人を役に立つように利用するということは、
内在の神の愛を、顕在(あらわれ)の世界にもち来たらすことである。

神の愛を《あらわれ》の世界に持ち来たらすことなしに、神の栄えはあらわれないのである。
神の栄えがあらわれのが、本当の人間の繁昌であるから、神の愛をあらわれの世界に
持ち来たらしさえするならば人間は繁栄するほかはないのである。

だから物を役に立つよう、人を役に立つよう使っていさえすれば
未来の取り越し苦労などは不要なのである。

「貪欲(とんよく)」ということと、「物を大切にすること」とはちがうのである。
「貪欲」は自己の本来の貧しさを恐怖して、むやみに自分に物を引きつけておきたいのである。

「物を大切にする」とはその物の内在の力を引き出すようにつとめることである。

             <感謝合掌 平成25年9月19日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月15日 頓首再拝>)   

富は有益に使う - 伝統

2019/09/16 (Mon) 17:41:42


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月20日)より

使わずに蓄(た)めておくということもある時期においては必要である。
それは種子(たね)を適当な種蒔きの時期まで保存するような意味である。

しかし未来の欠乏の恐怖によって物に執着する意味での貯蓄は、
「欠乏」の想念(こころ)が先になっているから、あまり感心しないのである。

まず神の国の無限供給を認識し、それを生かし表現することにつとめるならば、
未来も今も常に無限の供給に満たされることになるのである。

富の固定をもって真の富と考えてはならない。
固定しているかぎり、それはなんら人生に益することはできないのである。

富は有益に使うとき増殖する。

             <感謝合掌 平成25年9月20日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月16日 頓首再拝>)   

一業を志し、熟慮断行することが大切 - 伝統

2019/09/17 (Tue) 19:52:33


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月21日)より

精神力をみだりに分散しては、その戦力を消耗して大いに成功することはできないのである。
一人一業はその意味において成功の一つの要素である。

一業を志してそれに立ち向かう以上は、その方面にのみ心を集注しなければならぬ。
左を顧み、右に秋波を送り、精神力を四方八方に分散していて、一業といえども
水平線以上に出ることができないならば、その人が成功しえないのは当然のことである。

しかし、その事業に関することはあらゆる方面にわたって知識を収集し、
熟慮した上は迅速に断行することが必要なのである。

心に念じて描いておけば、
自分はなんら行動せずとも天から富が降って来ると考えてはならぬ。

             <感謝合掌 平成25年9月21日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月17日 頓首再拝>)   

時を移さず行動に移す - 伝統

2019/09/18 (Wed) 19:40:12


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月22日)より

心を常に積極的に明るく建設的にのみ使うように心がけよ。
悲観的な暗い心を起こしたときに考えついたことは常に多少とも破壊的なものである。

一つの仕事をあらゆる方面からゆきわたって考察したならば、それを行動に移さねばならぬ。
目的とする事物の実現に必要だと思われる手段は、時を移さず行動に移さねばならぬ、

1分遅れたために汽車に乗り遅れることもあり、
1分遅れたために踏切りで汽車に轢かれる人もあるのである。
時を得ない行動は役に立たぬばかりか、破壊的なことがある。

善き考えも時を失えば悪しき結果をひき起こす。
全然「悪」というものはないのであって、時を失い、処を得ない状態が「悪」である。

             <感謝合掌 平成25年9月22日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月18日 頓首再拝>)   

成功と繁栄の要素 - 伝統

2019/09/19 (Thu) 21:21:53


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月23日)より

繁栄または成功を求めながら、それを成就しえない人々を
2種に区分することができるのである。

第1種は”働けど働けどわが暮らし楽にならざりじっと手を見る”という石川啄木式の人生観
をもっていて、一所懸命に働きはするけれども、自分の運命は不幸に掟(おき)てられている
と信じたり、心が暗くして明るさがないために運命が好転しないしない人たちである。

第2種は明るい朗らかな精神をもっているけれども万事なげやりの性格をもっていて、物事を
緻密に計画せず、建設的に実行を運んでいゆかない人たちである。

明るい精神と緻密な計画と建設的に実行を運んでゆくことが成功と繁栄とにぜひなくては
ならぬ要素である。

             <感謝合掌 平成25年9月23日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月19日 頓首再拝>)   

神の波長に合わす - 伝統

2019/09/20 (Fri) 17:13:59


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月24日)より

働いても働いても成功しないのは、その働きの方向が、まちがった方向または無駄な方向、
あるいは、能率少ない方向に向かっているからである。
かく誤った方向にその動きが向けられるのは、それは神の智慧に導かれないからである。

神の智慧に導かれないのは、神の心と波長が合わないからである。
神の心と波長が合わないのは、神に祈らないからである。

神に祈るということは、神の霊波に心を振り向けるということであって
感応すべき波を選ぶ選波の努力である。

祈ってもきかれないのは、心を神に振り向けるけれども、信仰が少ないのと、
明るい心がないために神の波長に自分の心が合わないからである。

             <感謝合掌 平成25年9月24日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月20日 頓首再拝>)   

理想へ精神を集注し、ひたすら歩む - 伝統

2019/09/21 (Sat) 19:04:17


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月25日)より

「夢を描け」と教えられても、無駄な空想に溺れて、その夢を右に左にふらふらさせて
とりとめもないことに時間を費やせという意味ではないのである。

かくのごとく、目標も理想もなく、進むべき中心点のない夢に耽ることは
精神力の浪費にすぎないのである。

これに対して、一つの目標または理想に向かって精神を集注し、かくて得たるヒントを
建設的に組み立ててゆく努力は、精神力の鍛錬にあるのである。

かくて、その人の行動は正しい方向に載せられ、一歩一歩築いてゆくとき、
ついにも目標に到達することができるのである。
一歩も歩まないものは百歩先を見ることができないのである。

遠くが見えなくとも歩いて行けばわかる。

             <感謝合掌 平成25年9月25日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月21日 頓首再拝>)   

魂の向上こそが、真の成功なのである - 伝統

2019/09/22 (Sun) 19:27:52

      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月26日)より

本当の成功は、富を得ることでも、商売の繁昌でもないのである。
本当の成功はその人の人格の完成 ―― 心霊学的に言えば、魂の向上である。

商売の損益や、事業の成否のごときは人生航路上の遊戯にすぎないのである。
勝つも負けるも一場の遊戯にすぎない。

ただその遊戯の上で、人間は性格を形造り、
人格をより完成せしめ、魂を向上させるのである。

商売上の利益も、財産の増殖も築きあげた事業も、
何一つそれらは真の意味においてその人の獲得ではないのである。

真の意味における獲得は、
肉体が死するときにも持って行けるものでなければならないのでのである。
魂の向上、性格の強さや円満、これこそが唯一の獲得である。

             <感謝合掌 平成25年9月26日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月22日 頓首再拝>)   

すべての境遇は、魂を向上させる学科である - 伝統

2019/09/23 (Mon) 17:30:05


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月27日)より

われわれは自分が与えられた環境、または境遇から逃げ出そうと考えてはならないのである。
環境、境遇においてあらわれて来る様々の出来事は、自己の人格を鍛錬し、
性格を磨きあげ、魂を向上させるための学科であるのである。

もしわれわれがそれから逃げ出すことによって安易を求めるならば、その人は決して人格を
鍛錬することはできないし、強き性格を築きあげることはできないし、
魂を向上させることはできないのである。

われわれは与えられた環境または境遇と取り組んで、それを征服しえたときにのみ
強き性格を築きあげ、魂を向上させることができるのである。
これはけっして受難を礼讃する意味ではない。

われわれは「難」をも「楽」をもともに克服しうる人とならなければならないのである。

             <感謝合掌 平成25年9月27日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月23日 頓首再拝>)   

喜びの心で、すべての体験を受け入れる - 伝統

2019/09/24 (Tue) 19:21:42


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月28日)より

この世界は不幸または苦難の連続だと考える人があるけれども、
けっしてこの世界は不幸や苦難の連続ではないのである。

魂の向上のために与えらた体験を避けようと思うときにのみ、
それは不幸と感じられ、苦難と思われるのである。

困難を迎え撃つ態度にかわるとき、
それは悦んで上級学校の科目を教えられる喜びに変わるのである。
体験を通して、魂は何事かを獲得する。

それは釣竿に魚のかかったときのようなスリルであり、
猟師が獲物を得たときのような喜びを獲得することができるのである。

人生の行路を険しいと言って嘆いてはならない。
それをハイキングの喜びやスキーの楽しみにかえるのは
それを受ける心の態度である。

             <感謝合掌 平成25年9月28日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月24日 頓首再拝>)   

境遇は、自分の性格の反影 - 伝統

2019/09/25 (Wed) 18:07:10


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月29日)より

自己の性格(内部の精神波動のレコードまたはフィルム)が原因であり、
その人の周囲にあらわれる出来事や境遇は、その性格の反影(かげ)である。
原因は性格、結果が境遇である。

境遇を自分の性格が鏡に映った映像であると観ればまちがいない。

あなたが自分の住んでいる境遇がおもしろくないならば、
「ああこれはわたしの性格が鏡に映っているのだな」と考えて、
性格を変えるようにすればよいのである。

鏡に映っている影を醜いと思って嫌悪するよりも、
自分自身の性格の欠点を直すようにつとめればよいのである。

たとえば自分の環境が自分に苛辣であるならば自分自身の性格が、苛辣であって気が短く、
人を容(い)れる寛大さがないからだと悟って、まず自分自身を寛容にすればよい。

             <感謝合掌 平成25年9月29日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月25日 頓首再拝>)   

自分自身が変化せよ! - 伝統

2019/09/26 (Thu) 17:22:55


      *『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月30日)より

鏡に不完全な姿が映っているのを、鏡そのものに欠点があるのだと思って、
鏡をいくら取り換えてみても、自分のとおりの醜い姿が映るのである。

鏡が悪いのだと思って鏡をこわしてしまったら、
ひびの入った鏡の破片にはなお不完全な姿が映る。

結局、自分自身が変化するよりほかに鏡に映る姿をよくする方法はないのである。
結局、環境も境遇も、自分の欠点を指示してくれる学科であるから、
その学科から逃げ出そうと思っては駄目である。

自分の性格を変化せよ。
商売も繁昌し、事業も成功し、人からも好かれ、喜ばれるのである。
性格の種を蒔けば、環境として刈り取るのである。

             <感謝合掌 平成25年9月30日 頓首再拝>

   (   <感謝合掌 令和元年9月26日 頓首再拝>)   

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