伝統板・第二

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恐怖心を追放するには ④ - 伝統

2020/02/01 (Sat) 03:26:56

恐怖心を克服する

          *『白鳩』(昭和47年新年号)より

    若し汝の心にて恐怖を滅せんと努力して、
    而も恐怖を滅することを得ざるときには、
    恐怖を捨てんとする努力をさえ止め、
    唯そのままであれ、
    ただ實相(そのまま)であれ。

    如何なる恐怖も
    『生命』の実相(そのまま)の中には存在せざるなり。
    無き恐怖を滅せんとする必要も亦あらざるなり。
    汝は汝の『生命』の實相(そのまま)で宜しきなり。
    恐怖しながら、そのまま恐怖本来無きなり。
    そのまま真に任せ切るとき
    實相(じっそう)なる神は一切の恐怖は拭い去り給はん。

                     『続々甘露の法雨』


この一節は非常に深い真理が書かれているのであります。

『生長の家』信徒行持要目の第二項には、 
「そのままの心を大切にすべし」 と題して次のように書かれているのであります。

「そまままは零なり、一切なり、○(まる)なり、圓萬なり、無礙なり、
無限供給なり、調和なり、病なきなり、一切の不幸、災厄、病難は “そのまま” を
外したるときあらわれるなり、顧みて、 “そのままの心” に復るとき、一切の不幸は滅す」


恐怖とは要するに “そのままの心” から外(そ)れた状態をいうのであります。 
日本語の 「おそれ」 とか 「おぢる」 とかいうことばの語源は 
「緒外れ」 「緒縮る」 という意味であります。 

われわれの魂の事を、古語では 「玉の緒」 といったのであります。 
天界から神の生命の霊気の極微の繊維が喩えば麻の緒のように連なって、
髪の毛を通して人体に流れ入ってわたしたちの魂になっていると古代人は直感したのです。 

それゆえに 「魂」 のことを古代人は 「玉の緒」 と呼んだのであり、
頭髪は、神は生命の霊気の流れ入るアンテナ的なものと古代人は感じたので、
頭髪のことを 「神の毛」 と称したのであります。

そして、その玉の緒が心が正常で静かで波打たない時は、
その玉の緒の極微の霊線がスンナリと、波打たず、縮れず、
あるべき位置から外れずにあるのですが、

何か驚くことが出て来ますと、玉の緒が、暴風に揺れて振動しながら
ヒュー、ヒューと梢が枝鳴りを起こすように轟くのであります。 

その “玉の緒” が轟くことを 「緒轟く」 即ち 「おどろく」 というのであります。

その 「おどろき」 が烈しくなると、魂は人によって二様の反応を起します。 
その一つは 「玉の緒」 が縮みあがってしまうことであります。 
これを 「緒縮る」(怯) というのであります。 

縮みあがると冷えるので 「緒冷える」 ともいうのであります。 

もうひとつの反応は、 「玉の緒」 が、そこにいたたまれなくなって、
あるべき位置から 「外れて」 逃げ出してしまうのであります。 

即ち驚きが烈しい時には “驚死”(ショック死) を遂げたり、気絶したりします。 
人体の生理作用は、魂によって動かされているのでありますから、
魂が、あるべき位置から外れて、人体内から一時外へ逃避しますと、
気絶状態になるのであります。 

恐怖で腰がぬけたりするのは、脚を司っている部の脊髄神経節から、
玉の緒が一時的に外れて、冷えて縮みあがって充分脚部を
司配し切れなくなったのであります。


恐怖すればそのように、人体の生理作用を本来司っているところの
神経系統を司配する主動者である魂が外れたり、冷たり、縮んだりして、
正常なはたらきをしなくなるので、そのために、その位置に
不随や病気症状を惹き起すことになるのであります。

この聖経の一節に  
『もし汝の心に恐怖を滅せんと努力して、而も恐怖を滅することを得ざる時には、
恐怖を捨てんとする努力をさえ止め、唯そのままであれ、ただ実相であれ』  
とありますが、

ここは充分、咀嚼(かみ)しめてその真理を味わって頂きたいのであります。

http://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p2.html
07/14/13--14:55

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第一「恐怖心を追放するのが「生長の家」の念願の一つ (2064)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=436      

(2)光明掲示板・第二「恐怖心の追放 (87)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=41 (消滅)

(3)光明掲示板・第三「恐怖心を追放する道 (51)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=29

(4)光明掲示板・伝統・第一「恐怖心を追放するには (70)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=43

(5)伝統板・第二「恐怖心を追放するには ①」
   → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6462215

(6)伝統板・第二「恐怖心を追放するには ②」
   → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6864480

(7)伝統板・第二「恐怖心を追放するには ③」
   → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7668102

            <感謝合掌 令和2年2月1日 頓首再拝>

恐怖心を取り除く - 伝統

2020/02/17 (Mon) 05:01:11

   * 『生長の家』(昭和40年8月《神は如何なる難問をも解決し給ふ》)より抜粋

若し、突然、あなたの身体に異常を覚えたとき、
若し、突然、あなたの事業に何らかの躓きを感じたとき、
あなたはどうするであろうか。

恐怖しますか。
次々と起るかもしれない色々の故障や躓きを想像して
心配し、恐怖し、不安に閉じ込められますか。

そんな時に第一になすべきことは、
あなたの恐怖や不安を取除くことなのです。

恐怖や不安で満たされている心境で、行動をとるならば、
その恐怖すべき状態を現実化するような方向に
あなたは行動することになるのです。

それは蛇に睨まれて恐怖した蛙が、敏速に跳びはねて逃げればよいものを、
逃げることをしないで、じりじり蛇の口に近づいて行くのと同じようなことです。

あなたが恐怖して予想したところのものを、
あなたはわざわざ現実化するために行動することになるのです。


不幸が自分に蔽いかかって来るように感じられたとき、
第一になすべきことは恐怖の念を取る去ることなのです。

それには第一自分の心を恐怖すべき予想の方に振り向けないで、
神の方へ振向けることなのです。

そして『神は全智全能であり給い、神の子たる自分を護り給い、導き給う。
神の力は如何なる出来事よりも偉大であり、神の智慧は如何なる問題も
解決し得るのであるから、その問題を私は神の智慧によって容易に解決し得るのである。
神は今全智全能の叡智によって導き給う。ありがとうございます』 
   
と繰り返し念じて恐怖心がなくなり、
自信に満ちみちて来た時に思い浮かぶことを実行するがよい。

(「神と偕に生きる真理365章」(P264~265)に収載)

            <感謝合掌 令和2年2月17日 頓首再拝>

まずは落ち着くこと - 伝統

2020/03/19 (Thu) 04:51:19


        *Web:かんながら(2020年03月18日)より抜粋

さて話が長くなりましたが、いま世界中で起きている異様な現象。

このことに対して一番的を射た態度は、静かに坐って瞑想することです。

戦闘に出かける前夜の武将のように、じたばたせずにただ坐る。


そこに起きてくる静寂の中に安心があります。


あらゆる恐れは外側からやって来るのではなく、
内側からやってくることを忘れない事。

同じ現象を前にしても人によって反応が違うのは、
現象そのものが反応を作っているのではないからです。


坐ったときに出会う静寂は、
あなたの本質であり、外側の現象に影響されていません。

それは時間も生死も超えて永遠です。


人生で想像を超えるような災いが起きた時、
最も大事なのは平常心を忘れないことなのです。

その静寂の波動から生ずる対策と、
あたふたと巻き込まれた反応による対策とでは正確さが違います。


まずは落ち着くこと。

(中略)

すべてはよりよいことに向かう過程です。

そのことを信じて、安心してください。


そして情報に惑わされることなく、
あなた自身を見失わないようにしてください。

   (https://abetoshiro.ti-da.net/e11480830.html )

            <感謝合掌 令和2年3月19日 頓首再拝>

恐れず、行動せよ! - 伝統

2020/03/26 (Thu) 03:04:18


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月26日)」より

まず恐れないで虎穴(こけつ)に降りて行かなければならない。
待っているということと、降りて行くということとは両立しないことではない。

恐ろしいものは何も出て来ない。
もし恐ろしい者に出くわしたら、
それはただ仮面を被っているだけだから恐れるにはおよばない。
まずそいつと取っ組んで征服し、その仮面を剥いでやるのだ。

すると本当はそのお化けの正体は「幸福」というものであったことがわかるであろう。

            <感謝合掌 令和2年3月26日 頓首再拝>

《不安恐怖を去り問題を解消する祈り》 - 伝統

2020/04/05 (Sun) 04:47:22


        *『 生長の家 』(昭和49年4月5日の法語)より

   【 祈り 】

   【 神言い給う 「 我に来れ、我れ汝を安息(やす)ましめん 」 と。
   わたしは 此の “ 神の言葉 ” にこたえて一切の “ 自我の心 ” を棄て、
   ひたすら心 神に向かう。

   私は 神に無条件に全托し、すべての問題を神に委(ゆだ)ねて
   神にそのまま 倚(よ)りかかる。

   それ故に 何の不安も心配もなく、神の平和と調和と健康と悦びとは
   そのまま わが平和となり、調和となり、健康となり、悦びとなったのである。

   すべての問題は、すべての人間を幸福にし給う
   神の智慧と愛とによって解決せられて、
   皆が悦び、私もまた悦ぶのである。

   われ神に感謝し奉る。ありがとうございます。 】


   あなたは自分の手をひろげて、またそれを握って見てご覧なさい。
   握っている掌(てのひら)の中には
   極(ごく)わずかの分量しか入らないでしょう。

   併(しか)し その掌をひらけば その上に虚空が載るのです。

   禅宗には 「 空手還郷(くうしゅげんきょう)」
   という語(ことば)があります。

   心の把みを放して、心が空っぽになって故郷(ふるさと)に還りなさい。
   そこは 自由自在の境であり、無限供給の世界であるという意味である。

   故郷というのは 自分の 「 実相 」 のことです。

   みんな悩んでいる人は、過去をつかみ、人の過ちをつかみ、
   自分の失敗をつかみ、問題をつかみ、
   自分勝手に、神の子本来の自由自在を棄てて悩んでいるのです。

   本来神の子の実相郷里に還れば、
   其処(そこ)は既に天国であり、龍宮城であり、
   無限の宝の世界なのであります。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=125

            <感謝合掌 令和2年4月5日 頓首再拝>

《不眠が来るのは自我中心の想念がもと》 - 伝統

2020/04/22 (Wed) 04:17:31


          *「真理」第9巻生活篇第3章(57~58)より

平和な睡眠がとれないと云う人には、何か必ず、心配とか、恐怖とか、
嫉妬とか、怒りとか、憎しみとか、その他(た)、
自我中心の敵対感情があるのであります。

自我中心の考え方から離れますと、すぐ安らかに眠れるものであります。
もっとも自我中心と言っても、深刻な嫉妬心や経済的破綻による恐怖心と
云うような深刻なものから、「今晩眠れないと《自分は困る》」と云う風な
浅い恐怖心に到るまで、ピンからキリまであるのですが、

兎に角、「自分が」と云う自我中心の考えが愛憎や、損得、快不快の予想感に
とらえられて、それが心を渦巻くために眠れないのであります。

それで、「自分が」と云う自我中心の考えを捨てるようにし、
「みこころの如くならしめ給え」と念じながら、
神様の御心通りに委(まか)せますと云う気になれば眠れるものであります。

眼をつぶって、自分に何の利害関係もない光景(たとえば、時計の振り子の
運動や集団体操の有様(ありさま)など)を眼のうちに描いてそれを
見つめるようにしていると、容易(たやす)く眠りに入ることができるもので
あります。

            <感謝合掌 令和2年4月22日 頓首再拝>

《恐怖心を捨てること》 - 伝統

2020/04/29 (Wed) 04:49:14


         *「光明法語」(4月29日)より

信ずるとは知ることである。
生命をもって直接に知ることである。

自己の生命は神より出でたるものであるから、
自己の生命は実相に於いては既に神を知っているのである。
だから危急のときに人間は神を呼ぶのである。

思わずとは「無意識」にと云うことである。
「無意識」とは意識がないと云う意味ではない。
「気がつかぬ意識」と云うことである。

自分の気がつかない心の奥底に神を信ずる心があるのである。

しかし神を呼んでも感応がないのは恐怖心や狭い心があるからである。

            <感謝合掌 令和2年4月29日 頓首再拝>

《あなたは既に救われる神縁になっている》 - 伝統

2020/04/30 (Thu) 04:57:57


        *「生長の家」(昭和26年4月30日の法語)より

   今、あなたが 「 生長の家 」 を披(ひら)いて読んだ瞬間に、
   あなたのすべての不幸の原因が 浄(きよ)められたのだと信ぜよ。

   信ずれば信じたとおりになるのである。
   あなたが「生長の家」を披いて読む気になったのは
   決して偶然ではないのであって、深い深い神のおはからいによるのである。

   此(こ)のおはからいを通してあなたは既に浄められたのである。
   この病気は治らぬのではないか、この店の不景気はどうにもならぬのではないか
   などと云う心配を心から放逐せよ。

   そのような心配や恐怖の雲が晴れてしまったときにのみ、
   太陽のように輝く実相の円満完全なる相(すがた)があらわれるのである。

   信ぜよ、あなたは神の生命の最高顕現として何等の欠点なく
   完全に造られているのだと云うことを。


    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12258903.html(消滅)

            <感謝合掌 令和2年4月30日 頓首再拝>

「恐怖心」を捨てよ、そのためには環境を変える必要もある - 伝統

2020/05/31 (Sun) 03:24:58


         *「光明法語」(5月31日《環境の精神的影響》)より

精神科学は結核患者をみちびくのに、
決して形の上から「絶対安静」を破れと云うのではない。

先ず「恐怖心」を捨てよと教えるのである。
「恐怖心を捨てた」其の結果が、自然に絶対安静の必要がなくなるのである。

まだ恐怖しながら、戦々恐々「動いて見よう」位では危険なことこの上ない。
しかも、周囲の人々が、「動いたら危ないぞ」と恐怖心をそそる言葉で包囲攻撃する場合、
患者は恐怖心を起こさずにいることはむずかしい。

まず環境を変える必要がある。
また家庭の不調和から来る患者は家族互いに感謝させねば精神の安静は得られない。

            <感謝合掌 令和2年5月31日 頓首再拝>

神の全能を信じて常に神に振り向けよ - 伝統

2020/06/09 (Tue) 04:46:16


    *『光明法語』(六月の法語「天国は汝の内にあり」6月9日)より

汝が困難に直面するとき常に神に振り向けよ。
汝が人間力を絶したる複雑困難なる問題に面した時、常に神に振り向くべし。
神はすべての解決である。

「神様」と呼びかけよ、全身全霊をもって神に呼びかけよ。
その間神の全能を信ずべし。
少々の疑いも、恐怖も持つべからず。疑いと恐怖とは神の救いの波に対する絶縁体である。

完全なる信のあるところ恐怖はないのである。

恐怖なくして神に振り向き、「神はすべての方法と手段とを有(も)ち給う。
如何なる複雑な問題も、すべて調和した姿に解決する方法を知り給う」と念ぜよ。

            <感謝合掌 令和2年6月9日 頓首再拝>

恐怖すべきものは一つもない、「今」恐れなく受けよ - 伝統

2020/06/12 (Fri) 04:43:38


       *「光明道中記」(6月12日《今すぐ行う日》)より

【恐怖心は神の全能の愛を信じない為に起る。(『生命の實相』第ニ巻)】

すべてを神のみこころに委(まか)せること。
併しこれだけでは恐怖心は絶滅されるものではないのである。

神のみこころの中には不幸は無いと云うことを知らなければ、
人は神を恐怖するに到るであろう。

神に委せるとは、一番高き幸福の源泉に委せることなのである。
《此処に》《今》幸福があることを知ることである。

幸福か不幸かわからないけれども、兎も角神に委せようと云うことではない。
神はわが憩いの家であり、愛の家であり、わが砦であることを知ることである。

単に「思い煩うな」と言って、問題を次へ次へと延ばして行く者は、
恐怖を先に延長しているようなものであって、
本当は「思い煩っている」のである。

吾々は事物に面することを次へ延ばすことなく、「今」受けるが好いのである。
「今」恐れなく受けるのである。
「今」目の前に《ある》ものが決して自分を害するものでないと知ることである。

避けるのではない。捉えるのである。

幽霊の正体見たり枯尾花。
正体を捉えて見たら、恐怖すべきものは一つもないのである。

            <感謝合掌 令和2年6月12日 頓首再拝>

敵はない、恐れるな - 伝統

2020/06/26 (Fri) 04:40:17


        *『 生長の家 』(昭和25年5月15日の法語)より
          ~【 敵はないのに敵と見るな 】

何人(なんびと)かが あなたから幸福を取り去り得ると
あなたはお考えになりますか。

すべて不幸な境遇は、自分の外(ほか)にある物が
自分から幸福を奪い去る力があると思う所から生ずるのである。

然(しか)し乍(なが)らあなたの幸福は本来あなたのものであって、
外にある何ものによっても奪われるということは決してあり得ないのである。

あなたの幸福が誰から奪われるかも知れないとあなたが恐怖する。

そしてあなたが相手を敵と認める。敵はないのに敵を認める。
想像の敵が具体化して遂にあなたを不幸に陥れることになるのである。

            <感謝合掌 令和2年6月26日 頓首再拝>

不眠恐怖症 - 伝統

2020/07/11 (Sat) 04:35:37


          *「光明道中記」(7月11日《心爽やかなる日》)より

【実相と云うものは「其儘(そのまま)美しい」のであります。
                      (『生命の實相』第十五巻)】


四祖の道信は
「祖風を継いでより心を摂(せつ)して寝(い)ぬることなし」とあるから、
衣鉢(いはつ)を伝えられて以来眠ることがなかったらしい。

それでも別に神経衰弱で夭死(わかじに)したのではない。
彼は七十二歳で示寂(しじゃく)したのである。


私が不眠症の人に示して必ず治る秘訣がある。
それは不眠の人に、ロンドンで四十数年間1時間の睡眠もとらないで
健康状態で続いて来、最近七十四歳の長命で亡くなったと云う実話である。

この話が或る新聞に報ぜられると、ウィーンでは
「私は二十何年間一睡もしないで活動を続ている。
眠る必要がなくなったので、仕事をしないと退屈で仕方がないので
1日24時間としての時間割を作って仕事をしている」
と言って発表した人があったと云うことである。

それから文士の倉田百三氏が約1年間不眠が継続していて、
その揚句の果に廓然(からり)と悟ると十数年間の全身結核がケロリと治って、
夏は水泳までも自由に出来るようになったと云う実話である。

こんな話をしているうちに「人間必ずしも眠る必要はない」と云う観念を得、
不眠に対する恐怖が消える、するとその晩から大抵その人は
グウグウ眠るようになるのである。

不眠症 ―― 実は不眠恐怖症に過ぎなかったからである。

            <感謝合掌 令和2年7月11日 頓首再拝>

人は皆、分離感覚を持ち、それがために、心に巨大な怖れを抱えている - 伝統

2020/07/26 (Sun) 03:59:00


       *Web:かんながら(2020年07月24日)より
            《な~んだ、そうだったのか》

人は、自分は分離した存在だと信じ続けています。
この分離感覚こそが、心の底に横たわる不安と怖れの正体です。
分離感覚を持ったまま怖れを克服することはできません。

分離感覚自体が怖れなのに、どうやってそれを克服するというのでしょう。


世の中を見渡せば、その人の立場とは関係なく、
ほぼ全員が私という独立した個人を生きています。

ということは、世の中の人は
みんな心に巨大な怖れを抱えているということです。

一見してそう見えない人もいるでしょう。
でも例外はいません。

そのようにして見るだけでも、
他者や自分に対する評価が変わってくるのではないでしょうか。


自分だけが抱えているような気がしていた絶え間ない怖れを、
あらゆる人が共有していると知るだけでも、何かが変わります。


ある人は次々と楽しいことを見つけ、チャレンジし、自分を拡大しようとします。
その衝動の奥にあるものは怖れからの逃避です。


ある人は大きな成功を収めて、人からの羨望を集めようとします。
その衝動の奥にあるものは怖れからの逃避です。


ある人はすべての理(ことわり)を解明して、すべてを知ろうとします。
その衝動の奥にあるものは怖れからの逃避です。


行動の動機そのものが、
心の奥の怖れから来ているというのは意外かもしれません。

もちろん分離幻想が消えて、ただ創造性を生きている状態もありますが、
その時は、やっている自分が消えています。



ここで興味深いのは、怖れが人の行動を促してきたとしたら、
科学や技術の進歩も、分離幻想のおかげだったという点です。

分離意識は悪いことばかりではなく、
人間独自の文化や文明を築く礎になってきたということです。


ただしその一方で、心安らかな時間はわずかなものとなり、
生涯を怖れと緊張と共に過ごすことになります。

これが人間の宿命なのでしょう。

もちろんそんな状態からジャンプすることは可能ですが、
その話は今後もあらゆる機会に伝えていきます。



さて今日伝えたかったのは、
自分だけが抱えていると思っていた問題は、
実はあらゆる人が抱えているものだったということ。

しかも「怖れ」という状態には、
自己不信、他者不信、嫉妬、羨望、エゴ、劣等感、優越感、自信の無さなど、
多くの側面があります。

ということは、いま挙げたいくつもの見たくない自分の側面は、
みんなで仲良く共有しているということです。


いい人ぶる必要などないのです。

分離感を無くそうとしても、こればかりは待つしかないのですが、
もし分離感のままだとしても、自分だけじゃないということが
徹底的に解れば、少しは気楽になれるというもの。

あなたが憧れている成功者も、突出した人に見える有名人も、
抱えている恐怖は同じです。

   (https://abetoshiro.ti-da.net/e11623045.html

            <感謝合掌 令和2年7月26日 頓首再拝>

恐怖心から脱却するには、「 神のみが実在である 」 という真理に目覚めること - 伝統

2020/08/12 (Wed) 06:56:28


          *『 生長の家 』(昭和25年5月24日の法語)より
            ~【 神のみが実在である 】

吾々を動きのとれなくするのは恐怖心である。

他物でもなく他人でもないのである。

蛙(かえる)は 蛇にみつめられると、自由自在に逃げる力はありながら、
恐怖心によって自分自身を縛ってしまい、蛇の餌食(えじき)となる。

多くの病人は自己の内部に、
生きる力、回復する力をもちながら、
恐怖心のために生活力を縛ってしまい、病気の餌食となってしまう。


吾々は色々の意味に於いて自分を縛る恐怖心を
多少とも もっているものであるが、

それは まだ全身全霊が 「 神のみが実在である 」 という真理を
深く自覚していないからである。

            <感謝合掌 令和2年8月12日 頓首再拝>

恐怖心は恐れる対象を引き寄せる - 伝統

2020/08/20 (Thu) 04:44:42


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年8月14日)より

引き寄せの法則というものが流行ったことがありますが、
実際に人間には思ったことを引き寄せる事があります。


あまり心配していると、その心配していたことが起こったりするのです。

人間の意識というのは、それが善いものであれ悪いものであれ、
意識を向けているとその方向に進んで行って、現実化する事があります。

あまり何かに意識が向きすぎて固定されていると、
それが怖い対象であっても引き寄せてしまうわけです。


新型コロナについても同様な事は言えると思います。

まず恐怖心が先だって世間に広まっていき、
それを追うように感染も広まっているように見えます。

世界に恐怖心の広まりがあり、
それに引き寄せられる形で感染拡大も起こっているようです。

そのように恐怖心はその対象を引き寄せる事があります。


ですので、あまりに恐れすぎ、心配しすぎるのも危険ではないかと思います。

ですが、かといって楽観視していればいいというものではありません。

大抵、恐怖心に支配されて、パニックになる人というのは、
楽観視していて無防備で、いざ危機が迫った時に
慌てて対処しようとするような人です。

楽観視して無防備でいる人が、
かえって急な変化に恐れをいだいてパニックになります。


では、恐怖心に囚われてしまわないようにするには、どうしたらいいでしょうか?

まず、起こる出来事を事前に受け入れて、
いざという時に対処しておくことでしょう。

コロナ以外にも、癌でなくなる人が日本人の死因では一番です。

親や周りの人も癌で亡くなっていて、
自分も罹ったらどうしようと心配になる人もいます。

ですが、そうした精神的なストレスがかえって身体に悪く、
癌にかかってしまう事もあります。

心配な方は、普段からがん予防によいとするものを取り入れて、
定期的に診断するなり、保険に入っておくなどの措置を取っておくことでしょう。

ある程度措置を講じておくことで不安も和らぎます。


新型コロナについても、先日紹介しました
予防に効果が期待できるものもありますし、
感染源になりやすい飛沫が飛ぶような所を避けていれば
今のところ大丈夫でしょう。


そして以前にも述べましたように、
いずれはすべての人が何らかの原因でこの世を去り、
魂の故郷に帰りますので、それを受け入れるしかありません。


お釈迦様も生老病死の四苦は避けられないと説いています。

私の方では、これから厳しい時代が来ることを事前に警告していますが、
先に知らされることで備えや心構えも出来るからです。

たんに不安を煽るために警告しているのではなく、
いざそうなった時に恐怖に囚われパニックにならず、
事前に備えも出来るためにしています。

これから様々な事が起こって来たとしても、
新しい地球に生まれ変わるための産みの苦しみだと知り、
それに備えていけたらよいと思います。

    (https://www.spacebrothers.jp/2020/08/blog-post_14.html

            <感謝合掌 令和2年8月20日 頓首再拝>

人生の代表的な4つの恐れに立ち向かう方法 - 伝統

2020/09/20 (Sun) 04:18:39


      *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年9月18日)より

人生にはおもに4つの恐れがあると言う人がいます。

1つ、無意味な人生を送る恐れ

2つ、孤独への恐れ

3つ、人生の迷子になる恐れ

4つ、死の恐れ

このような代表的な恐れがあると
リチャード・ライダーとデヴィッド・シャピロという方は言っています。

(「人生に必要な荷物 いらない荷物」)


まず一つの目の恐れについて見ていきます。

「自分の人生を無駄に過ごしてしまっているのではないか?」
「今までしてきた事は無意味だったのではないか?」という恐れです。

人生の目標を失った時に、人は自分の人生に疑問を持つことが多いでしょう。

何か目指していたものがあって、それを失った時に、
「自分の人生は何だったんだ」と思うこともあると思います。

あるいはお仕事をしている人でも、一生懸命に会社に貢献してきたと思っていたのに、
リストラにあったりとか、あるいは定年退職してふと
「自分のしてきた事は無意味だったのではないか」と恐れが沸き上がる事もあるでしょう。

子育てに忙しかった主婦の方も、子どもが自立していって手がかからなくなると
「自分の人生は何だったのか」と疑問に思う事もあります。

こうした恐れを抱かないためには、充実した人生を送る必要があります。

充実した人生というのは、生きがいを感じて生きる事でもあります。

以前にも生きがいについて取り上げたことがあります。

「生きがいとは何か?」(https://www.spacebrothers.jp/2020/08/blog-post_27.html


生きがいを持って生きるためには、使命感を持って生きる事です。

使命を感じて生きていく事で、人は充実した人生を送ります。

使命を感じて生きるためには、自分の欲や願望の満足だけを求めるのではなく、
他人の役に立つことを願う事です。

人の役に立ち、感謝されるような生き方をする事で人は充実した人生を送ります。



次に孤独への恐れがあります。

孤独な人生を送る時に、人は恐れを感じます。

孤独は人間の持つ根源的な恐れと言っていいでしょう。

誰しも自分一人だけで生きていくのは空しいと感じるものです。

もし世界からすべての人間が消えて亡くなったら、恐ろしい恐怖を感じるでしょう。

好きなものは何でも自由に出来て、
好きな豪邸も高級車も世界中の物を独り占めできるとしても、
他人がひとりもいない世界では喜びも感じなくなるでしょう。

そのように、他人の存在は私たちの幸福と深い関係にあります。

この孤独の恐れから逃れるためには、愛するものと共に生きる事です。

夫婦であったり、子どもであったり、ペットであることもありますが、
自分以外の愛する存在と共に生きる事です。

愛する存在がいてこそ、人は孤独の牢屋から抜け出せます。



次に人生の迷子になる恐れがあります。

目標を失った状態の恐れであり、居場所が見つからない時の恐れだと思います。

何処にも帰る場所がないと感じる時に抱く恐れでもあります。

こうした恐れには、帰る場所を見つける事が大切です。

「自分の居場所を見つけるには」(https://www.spacebrothers.jp/2017/01/blog-post_7.html

上記のような記事を書いたことがりますが、自分で作り上げていく事が必要です。



そして最後は死の恐れです。

だれしも死ぬことに恐れを抱いてしまうと思います。

普段は感じていなくとも、いざ余命宣告をされたり、
死につながる病気にでもなると、その恐れは深まっていきます。

いくらあの世はあると思っていても、やはり怖いものでしょう。

死の恐れがあるために
人は自分の人生を真剣に考えますし、思いを改めたりします。

死ぬまでにどうしてもしたいことを考えたり、
本当に大切なモノは何だったのかを考えさせられます。

そして人は死の運命にあるからこそ、
来世について考えるきっかけにもなります。

この世だけを謳歌していればよいのではなく、
いずれはあの世へと旅だたねばならない存在であることを自覚していくのです。

真にスピリチュアルに目覚める事こそ、死の恐れに対峙していくものとなるでしょう

   (https://www.spacebrothers.jp/2020/09/blog-post_18.html

            <感謝合掌 令和2年9月20日 頓首再拝>

信仰を深め、恐怖心をなくするには - 伝統

2020/09/30 (Wed) 03:53:55


         *『 生長の家 』(昭和26年6月17日の法語)より

吾々の心を明るくするものは
神の愛が自分を取り巻いていると云う想いである。

神はわが砦(とりで)であり、防壁であり、愛深き父であり、母である。

神 われを護(まも)りたまうと云う想念のあるところ
恐怖心は起っては来ないのである。


「神の愛 常にわれを取り巻きて護りたまい、
 神の智慧 常にわれを導きたまいて
 栄えの道に進ましめ給う」と

一日のうち数回静かに目を瞑(つぶ)って十数分念ずることは
信仰を深め、神との一体感を増大して恐怖心を去り、
よき智慧を招き寄せる力となるのである。

信仰は力であり、信仰は絶えざる言葉の力によって増大して来るのである。

  (http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=127

            <感謝合掌 令和2年9月30日 頓首再拝>

恐怖すること勿(なか)れ - 伝統

2020/10/09 (Fri) 03:51:13


        *「光明法語(10月9日)」より

何事に対しても恐怖すること勿れ。
神の子であり、神が常に汝を護っている事を知るならば吾らは何事も恐怖する事はない。

恐怖するのは神を信じていないからである。
恐怖すれば血管は収縮し血液中の過度のアドレナリンを生じ、血圧は昂(たか)まり、
全身の細胞は萎縮して活力を失うのである。

肉体の各器官は神の諸々(もろもろ)の霊的属性の表現である。
神の諸々の属性を完全に表現すればする程、肉体の各器官は一層健康となる。

心臓は愛の表現である。
愛が乱れれば心臓が乱れる。

またそれは心膽(しんたん)である。
気を大きくすれば心臓病は治る。

            <感謝合掌 令和2年10月9日 頓首再拝>

《神を知るなら恐れることはありません》 - 伝統

2020/10/22 (Thu) 04:55:58


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P159~160)より

恐怖心は、すべての精神の正常な活動を麻痺してしまう働きをもっている。
恐れてはならないのである。

けれども単に「怖れてはならない」と教えられるだけで、
恐怖心が去るものではない。

併し、全能の神が今現にましましてあなたを護っていられることが判れば、
貴方は決して恐れることはないのである。

恐怖心を去るには常に

「われは神と偕に在り。神に護られてあり。
 如何なる悪も、吾れには近付くことが出来ない」

と瞑目精神統一して念ずるようにすれば、それを取去ることができる。

朝目ざめた瞬間にこの言葉を念じてから起き、
又、就寝の際にこの言葉を念じながら熟睡に入るならば
潜在意識にある恐怖心が除かれて大変効果があるのである。

            <感謝合掌 令和2年10月22日 頓首再拝>

人類最大の敵 - 伝統

2020/11/06 (Fri) 04:37:04


      *メルマガ「天路」(2020年10月08日 )より

人類最大の敵って一体何だと思いますか?

最大の敵は不安です。

失敗や病気、
そして人間関係のもつれのかげには不安が潜んでいます。

不安というのは、心の中にある否定的な“思考”です。

それを前向きな“思考”と入れ替えよう。
と言われる理由は、
自信には不安よりも大きな力があるからです。

『愛』は不安を一掃します。
『愛』とは、人生によいものに心を向けることです。

誠実さや素直さ、正義、善意、そして成功を愛して、
最高のものが届けられると期待して楽しい心で生きることで、
起きる現象は必ず最高のものが届けられます。

なので、
不安には正反対のもので対抗してみます。

たとえば、
「私は美しい声で歌える。
静かで落ち着いた、穏やかな気分で歌える」
といった感じです。
すると信じられないほどの恩恵が与えられます。


人は、この世に生まれてきたときには、
たった2つののことにしか恐怖を感じないと言われます。

それは、
落下と、大きな音。

それ以外の不安はすべて生まれてから身につけたものです。
それらを捨て去ってしまいましょう。

通常の不安はよいものです。
一方、病的な不安は非常に悪いもので、破壊的な影響力をもっています。

何かを恐れる思考にふけってばかりいると、
やがて病的な不安や、強迫観念、さまざまな恐怖症へと発展していきます。

何かにつけて、
しつこく不安を抱きつづけていたら、
パニック状態にらることがあり、極度の恐怖症になることさえあります。


潜在意識には、状況を変えて、
心から願うことを現実にする力がある、と知ることによって、
病的な不安を克服することができます。


今すぐ、
抱えている不安とは正反対の願いに目を向けて、
そのことばかり思うようにしましょう。

不安を取り除くのは『愛』なのです。

            <感謝合掌 令和2年11月6日 頓首再拝>

不安・恐怖と正反対のものは、愛 - 伝統

2020/11/20 (Fri) 04:45:05


        *メルマガ「天路」(2020年11月04日)より

不安という概念を、

命を脅かす状況
(わかりやすいように、「本物の不安」と呼ぶ)と、

(心の中に存在する)想像上の状況(「幻想的不安」と呼ぶ)に分けてみると、


大部分の人は、
人生で命を脅かす状況に直面することはめったにありません。


例えば、山道をハイキングしていたら、
前後を母グマと子グマに挟まれいるのに気づいた、よいうような状況(汗)


このような本物の不安を呼び覚まされる場面に遭遇すると、
人はまるで超人なみの、とんでもない力を発揮するものです。


けれども、この種の不安は、
多くの人々が苦しめられ、夜も眠れくなって、
ときには病気さえ引き起こす種類の不安とは違います。



一方、幻想的不安は、
何か悪いことが自分の身に降りかかるのではないか、
という自らつくり出した予感で、

不安な考えを潜在意識に深く浸透させない限り、
それが現実になることはありません。

そして、この悪い予感が現実にならないのは、

不安を感じていた人が、
その状況についての新しい情報や真実を見つけて、
それによって幻想的な不安が消え去ったからです。


このとき、不安な考えや感情の原因をつくった間違った仮定は、
現実の情報に差し替えられるけれど、

それは、もとの仮定とは全く正反対のものあるはずです。


その正反対のものとは愛です。

            <感謝合掌 令和2年11月20日 頓首再拝>

恐怖心は、あらざるものをありとする妄想から起るに過ぎない - 伝統

2020/12/03 (Thu) 04:47:26


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P161)より
            ~欠点を気にしてはならない

権威をもつ人に面接するのを恐怖する人があるけれども、
そんな恐怖心は結局、あらざるものをありとする妄想から起るに過ぎない。

何故(なぜ)なら真に偉大なる人格は、愛に満ちており、
決して人を排斥することはなく、また人を害することもないからである。

あなたが何物かを恐れるならば、それは唯(ただ)妄想に過ぎない。

何故なら人間は神の子であって、完全に自由であって、
何物にも害されることなく何物にも支配されることがないのが
人間の実相であるからである。

何者もまた何物も、あなたの幸福を奪うことは出来ない。

何処(どこ)かに傷口のある人は
常に心にその傷口のみを心にとめるから治りにくいのである。

欠点もその通り、その欠点を気にかけると治りにくい。

            <感謝合掌 令和2年12月3日 頓首再拝>

多くの人を救った感染症「K症候群」 - 伝統

2020/12/08 (Tue) 04:25:28


         *Web:ひかたま(光の魂たち)(2020年12月07日)より

今年の世間はコロナで大騒ぎしています。

先日
米国カリフォルニア州でコロナの重症患者を担当するユダヤ人の医師が、
重症患者を担当したときに患者の身体にナチスドイツの入れ墨をしていたため
ショックを受けたとツイッターに投稿していました。

そしてこのナチスドイツを信奉する患者は
ユダヤ人医師に向かって
「死にたくない、助けてくれ」と懇願したとのこと。

医師は患者に「治療に全力を尽くす」と言ったものの、
もしも医師と患者が逆の立場だったら
このナチスドイツを信奉する男性は
瀕死のユダヤ人に対してどのように考え対処するのだろうか
と想像したそうです。



第二次世界大戦中に
多くの人の命を救った感染症がありました。

それは、「K症候群」

第二次世界大戦中の1943年
ナチスドイツが勢力を拡大していった時期に
かつての同盟国でもありナチスドイツの支配下にあったイタリアに対しても、
****者ヒットラーの命令によってユダヤ人狩りが実施されていました。


ユダヤ人は見つかり次第、収容所に送られ処刑されていた時期に
突然、謎の感染症が発生したのです。

この感染症は、「K症候群」と名付けられました。

この感染症は
感染者の咳からうつり死に至る
とても怖ろしい伝染病とのことでした。


でも
この伝染病が、多くの人の命を救うことになりました。


実際には
K症候群は、病原体は存在せず架空の病気だったのです。


当時、ナチスドイツに見つかり次第、
強制収容所に送られていたユダヤ人たちは
それが「死」を意味することを知って
なんとか生き延びるすべを探していました。

そして
何組かのユダヤ人家族たちが、
自分たちの居住区から近い位置にあるカトリック教会系の病院に
助けを求めたのです。


そこの病院の医師とスタッフたちがユダヤ人たちを救うために
知恵を絞って考えだしたのが、架空の怖い感染症「K症候群」でした。


そして、助けを求めに来たユダヤ人たちを
患者として受け入れて入院させていったのです。

カルテには怖い感染症「K症候群」と記載し
特別病棟を作ってユダヤ人を入院させていきました。

患者たちには
もしもナチスドイツが食た時には
激しく咳をするようにと伝えてありました。

咳から移るとすると、検閲しにくくなるからです。


そして、ついに
ナチス兵たちがこの病院にもユダヤ人狩りに来ました。

病院のスタッフは
ナチス兵たちに「K症候群」の患者がいかに悲惨な状態を説明しました。

しっかりと説明した後で、院内を捜索する許可を出しました。

ところが患者たちが激しい咳をしていたために
ナチス兵たちは自分たちへの感染を怖れて
隔離病棟には近寄らずに、早々に捜索を切り上げて帰っていきました。


その後まもなく
連合国軍がローマを解放し、
ナチスドイツによるユダヤ人迫害は終了しました。


この怖ろしい感染症「K症候群」によって
命が助かったユダヤ人は、
十数~数百人もいたと伝えられています。


世界史上、
最も多くの人命を救った感染症かもしれません。



私たちは、
未知なるものに不安感を持ちながら出会うと
敵とみなす傾向があります。

不安感や恐怖心によって、自己防衛しようとしてしまうのです。

最初に細菌が発見された時もそうでした。

細菌は、有害なものというレッテルを貼り付け
人は細菌を攻撃してきました。


当時、
細菌が悪いという派と
健康であれば細菌とは共生できる派が
論争を行いました。


でも、人々は細菌を悪者と見なし
徹底して殺菌する意見を支持したのです。

ようやく今頃になって
私たちは細菌の力が無くては存在することすら出来ないことを理解しました。

細菌の働きによって、肉体が維持されていたのです。


そして
今度はウイルス。

私たちはウイルスについて
いまだに、ほとんど理解していません。

そして
悪いものと見なし、
徹底して避けて、徹底して消毒して
人とウイルスの繋がりを断ち切ろうとしています。


でも
最近になってようやく
ウイルスがさまざまな面で役に立っていることが
科学的にも証明されてきました。


私たちは
未知なるものに出会うときに
過剰な不安感を持つ必要はないのです。

地上にあるすべての存在との繋がりの中で
私たちは生かされているのですから。

http://shindenforest.blog.jp/archives/83547483.html

            <感謝合掌 令和2年12月8日 頓首再拝>

《何故不幸が此の世にあらわれるか》 - 伝統

2020/12/24 (Thu) 04:56:31


          *「眞理」第2巻基礎編第6章(P174~175)より

若し、善なる神以外の何者かが存在すると云う考えが
微塵でもあなたの心のうちにあるならば、
何らかの恐怖心があなたの内に培われることになるのである。

その恐怖心が「恐るるものは皆来(きた)る」と云う心の法則によって、
その恐れていたところの「何物」かを此の世の中に
現象(うつ)し出すことになるのである。

神のみが実在であり、神のみがすべて存在するものの原因である。
「悪」と見えるものは非存在を、仮りに「ある」として
我らが心に描いた妄想である。

妄想は夢みたいなものであって、
心的体験としては「ある」として感じられるけれども、
本当は無いのである。

病気も不幸も貧乏も災難も、それは心が描いた影である。
影でも順序を追って出てくるのは映画でも順序を追って出て来るのと同じである。

            <感謝合掌 令和2年12月24日 頓首再拝>

恐怖とオドシの網から脱出せよ - 伝統

2021/01/10 (Sun) 04:26:23


        *「女の浄土」(P8)より

正しい信仰は、恐怖から解放されたものでなければならない。

「この教えに入らないと不幸が来るぞ。 良人が半年ほどのうちに病気で死ぬぞ」 
などと、恐怖の起るようなことを繰返し言われて、

漁師が魚を網の中に追込んで漁獲するように、
恐怖の教団に入会させられる人も沢山あるらしいけれども、
おどかされて止むを得ずに入会するのは、
本当の信仰ではないから価値はないのである。

それは暗い信仰であり、心に明るい燈(ひ)がともらないで、
つねに 「折伏しなければ罰があたる」 と
仏罰の鞭で追い廻されている信仰であるからである。

 
みなさんは自分の信仰が、純粋の無条件信仰であるか、
おどかされて魚のように網の中へ追い込まれて
自由のきかぬ状態に置かれている信仰であるかを考えて、
もしそんな信仰なら、あなたの自由を奪っているその網から
脱出するようにしなければならない。

真理のみ、ただ真理のみが、あなたに自由を与えるのであって、

オドシはあなたの自由を奪うばかりである。

https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p19.html
January 7, 2014, 9:11 pm

            <感謝合掌 令和3年1月10日 頓首再拝>

《恐怖は神から離れた時に起る》 - 伝統

2021/01/18 (Mon) 02:12:49


       *「光明法語」(1月18日)より

神の霊、自己の内に宿り給う。
自己の中には無限の智慧と力の源が埋蔵されているのである。

自分は何事が出て来ようとも決して恐れはしないのである。
神と共にある者の心は常に平和である。

もはや吾が行く所の道に横たわる如何なる危険も困難も自分は恐れない。
困難よ消え失せよと吾念ずれば困難は消え失せるのである。
危険よ消え失せよと念ずれば危険は直ちに消え失せるのである。

波を叱咤すれば波は消え、山を叱咤すれば山は去るであろう。

吾これをなさんと決意すれば何事でも必ずなすことが出来るのである。

            <感謝合掌 令和3年1月18日 頓首再拝>

おそれを手放す8つの方法 - 伝統

2021/02/23 (Tue) 02:18:07


      *「新しい世界へ」安藤美冬・著より

(1)「こわいことリスト」をつくって、観念と思い込みを特定する。

(2)「こわいことリスト」を順番に実行する。

(3)感情のバランスが取れた人と会話する。

(4)おそれを身体で感じ切る。

(5)身体を動かす、ゆるめる。

(6)瞑想、マインドフルネスで心を落ち着かせる。

(7)「こうなったら嬉しい」にフォーカスする。

(8)祈りの力を味方につける。

            <感謝合掌 令和3年2月23日 頓首再拝>

人生にはリスクがつきまとう - 伝統

2021/03/08 (Mon) 03:01:01


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.02.12)より

   (ジョン・C・マクスウェル氏の心に響く言葉より…)

   飛行家のパイオニア、チャールズ・リンドバーグはこう語っている。

   「冒険心のない世界で生きていける人がいるだろうか?
    愚かな賭けに出るのはどうかと思うが、リスクを起こさないと、
    何事も成し遂げることはできない」


   目標を達成するのに、リスクはつきものだ。

   これに関して、数多くの記録をつくった著名な女性飛行家、
   アメリア・エアハートは、とてもシンプルで率直なアドバイスをしている。

   「その目標が、リスクを冒すだけの価値があるかないかを判断しなさい。
    その価値があると思ったら、くよくよ考えるのはやめることね」

   そもそも人生においては、あらゆることにリスクが伴う。

   すべてのリスクを回避したいと思うなら、以下のようなことになる。


   ●自動車に乗ってはいけない。
    (命にかかわる事故の20%を自動車が引き起こしている)

   ●飛行機、列車、船で旅をしてはいけない。
    (すべての事故のうち15%は路上で起こっている)

   ●家にいてはいけない。
    (すべての事故のうち17%は自宅で起こっている)


   人生に安全な場所、リスクを伴わない行動はありえない。

   ヘレン・ケラーの言葉を紹介しよう。

   「安全なんて、ほとんど迷信みたいなものです。
    そんなものは事実上、存在しませんし、
    誰も経験したことがないはずです。

    長期的に見れば、危険を避けることが、
    危険に身をさらすより安全だとは言えません。

    人生とは恐れを知らぬ冒険か、
    まったく無価値なものかのどちらかなのです」


   人生にはリスクがつきまとう。

   だからといって、何も新しいことにチャレンジせず、
   現状維持を決め込んでいても、リスクはある。

   作家のG・K・チェスタートンは、

   「行動を起こしたから悲運が降りかかるとは思えない。
    だが、行動しなかったために悲運に見舞われることはある」
 
   と言った。


   思い切って行動に出れば、それだけ失敗のリスクは大きくなる。

   しかし、失敗のリスクを負えば負うほど、
    そして実際に失敗すればするほど、
   成功の可能性は大きくなっていくのだ。

    <『一勝九敗の成功法則』三笠書房
            https://amzn.to/3pbyhMv >

           ・・・

日本人はとかく「ゼロリスク」を求めすぎる民族だといわれる。

少しの間違いや、少しでもリスクがあれば、イベントも、
さまざまな行事も中止となり、行動も制限される。

しかしながら、何かにチャレンジするとき、
特に起業などはそうだが、リスクがゼロということは絶対にない。


すべてのリスクを排除して生きるなら、
道路も歩かず、車にも乗らず、電車や飛行機にも乗らず、
そして家にいてもいけない。

子どもは、詐欺や変なサイトにひっかからないようにパソコンや
携帯にさわってはいけないし、はさみや包丁は手を切るリスクが
あるからさわらせないし、キッチンで火の不始末で火事になると
いけないので料理もさせてはいけない。


およそ、生きていく上で、リスクゼロの生き方でできるだろうか。

普通に歩道を歩いていても車が突っ込んでくる時代だ。

リスクゼロを目指すなら、何もしないことだと思ってしまいがち
だが、それは幻想だということになる。

生きているというだけで、様々なリスクに直面しているからだ。

「引きこもっている人」だって日々リスクに遭遇している。


だとするなら、
ほんの小さなことでいいから新しいことに挑戦するしかない。

絶対に成功すると分かっているなら誰もがやる。

成功するかもしれないが、失敗することも大いにある、
と思うから多くの人が手をだせない。

そして、一握りのチャレンジャーが挑戦するが、
そのうちのほとんどが失敗し、そのまたほんのごく一握りの
チャレンジャーだけが成功する。


だからこそ、人生は面白い。

ゲームと同じだ。


「人生にはリスクがつきまとう」

リスクや失敗を恐れず、何度でもチャレンジする人でありたい。

            <感謝合掌 令和3年3月8日 頓首再拝>

恐怖と希望 - 伝統

2021/03/23 (Tue) 03:49:39


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月23日)」より

人生において最も恐るべき敵は恐怖であり、
人生の中で最も助けとなる味方は希望である。

しかしいっさいの浮世の希望が打ちくだかれた時に、
人間は本当の希望を見出すのである。

            <感謝合掌 令和3年3月23日 頓首再拝>

心配事など取るに足らぬ - 伝統

2021/03/28 (Sun) 04:51:54


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月28日)」より

人間が心配していることは、すべて小さな重要でないことについてである。
真に重要なことの前には人間はかえって大胆に勇敢になるものである。

戦場に出れば人間はもう心配などしている暇がない。

心配していることそのことが、おん身の考えている事柄が
じつに小さな採るに足らぬことであることの証拠である。

これを知ったらあらゆる心配が消えてしまうであろう。

            <感謝合掌 令和3年3月28日 頓首再拝>

クヨクヨ思い煩うなかれ、未来の光明を持て - 伝統

2021/03/29 (Mon) 04:32:20


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月29日)」より

損失を恐れるものは損失の奴隷となり、
損失に蹂躙(ふみにじ)られて滅ぼされてしまうであろう。

損失は本来ないこと、損失のごとく顕われて見えるものも、
必ず本当は収穫への道行きであることを知ることは智慧である。

過去の傷害についてクヨクヨ思い煩う者は生命を摩り減らす。
クヨクヨ思い煩う暇があるならば、
未来の光明について希望と空想をもつべきである。

希望は実現の母。
心に描いて待つものは必ず成就する。

待つ間に心を掠(かす)める「不安」が事を毀(こわ)すのである。
「不安」は蒔いた種子(たね)を毎日掘り返してみる働きである。
かかる農夫に培われる植物は育たない。

            <感謝合掌 令和3年3月29日 頓首再拝>

恐怖の戒め - 伝統

2021/04/22 (Thu) 04:41:50


     *『運命を拓く 天風瞑想録』第十章・中村天風(著)
       (P243~245)より

今日は、人生、人として活きていくときに、
何を措いても一番戒めまければならない重大なことを
悟ることにしょう。


ではいったい何を戒めなければならないか。
それは“恐怖”ということである。


恐怖観念、詳しくいえば、病はもちろん、人事世事一切の出来事に対して、
物を怖れるという気持ちくらい、価値のない結果を人生にもたらすものはない。

ところが、今までのあなた方は、ちょっとでも体が悪いと、
すぐ戦(おのの)き、怖れている。

わずかな運命に見舞われても、
それが、とてもどえらい運命になってしまうように怖れてしまう。

いいえ、毎日の人生一切の出来事に対して、
この恐怖観念で応接しているという場合が多い。


このくらい、人生というものを哀れな状態にするものはない。

なぜかというと、恐怖すればするほど、
価値のない結果が人生にくるからである。


なぜ物事を恐怖すると、人生に良くない結果がくるかというと、

ある因果律の法則というものをハッキリと理解している人は、
正に、確かにそうだと肯(うなず)かずにはいられないと思う。


因果律の法則で、
どうしても、そうなるように宇宙真理が出来ているのである。

            <感謝合掌 令和3年4月22日 頓首再拝>

《恐怖心を捨てること》 - 伝統

2021/04/29 (Thu) 04:11:46


       *「光明法語」(4月29日)より

信ずるとは知ることである。
生命をもって直接に知ることである。

自己の生命は神より出でたるものであるから、
自己の生命は実相に於いては既に神を知っているのである。
だから危急のときに人間は神を呼ぶのである。

思わずとは「無意識」にと云うことである。
「無意識」とは意識がないと云う意味ではない。
「気がつかぬ意識」と云うことである。

自分の気がつかない心の奥底に神を信ずる心があるのである。

しかし神を呼んでも感応がないのは恐怖心や狭い心があるからである。

            <感謝合掌 令和3年4月29日 頓首再拝>

何も恐るることはない - 伝統

2021/04/30 (Fri) 03:23:54

何も恐るることはない

       *「光明法語」(4月30日《神は法則であり偏頗はない》)より

種子(たね)を植えて恐怖なしに土地に委ねることが出来るのは、
法則が支配していることを知っているからである。
法則の支配を信じなければ恐怖するほかはない。

神は法則であり、蒔いた種子の通りの芽を出さしめるのであり、
例外なしにそうであるから吾々は恐れる必要がないのである。

罪人が蒔いても善人が蒔いても法則によれば同じ種子には同じ植物が生えるのであるから、
どんな罪人も、善き種子をこれから蒔けば善き植物が間違いなく生ずるのである。

何も恐るることはないのである。
神は法則であり偏頗(へんぱ)はない。

            <感謝合掌 令和3年4月30日 頓首再拝>

問題が起こっても恐れることはない - 伝統

2021/05/13 (Thu) 04:48:32


       *「光明法語」(5月13日《問題は必ず解決する》)より

神が人間をこの世に生んだのであるから、
人間自身が兎や角、思い煩う必要はないのである。
問題が起こっても恐れることはないのである。

問題は必ず人間を今迄とは異なる境遇や環境に置き、
今迄とは異なる状態に於いて、その人の魂をきたえるのである。

問題は必ず解決されるために存在するのであって、
解決のない問題はないのである。
吾々は恐れることはないのである。

人生は生きており、人生は新生面を展開する。
人間の肉体は老いることがあっても人生は老いることはないのである。

            <感謝合掌 令和3年5月13日 頓首再拝>

「恐怖心」を捨てよ、そのための方策として環境を変えよ - 伝統

2021/05/31 (Mon) 04:56:30


       *「光明法語」(5月31日《環境の精神的影響》)より

精神科学は結核患者をみちびくのに、
決して形の上から「絶対安静」を破れと云うのではない。

先ず「恐怖心」を捨てよと教えるのである。
「恐怖心を捨てた」其の結果が、自然に絶対安静の必要がなくなるのである。

まだ恐怖しながら、戦々恐々「動いて見よう」位では危険なことこの上ない。

しかも、周囲の人々が、「動いたら危ないぞ」と
恐怖心をそそる言葉で包囲攻撃する場合、
患者は恐怖心を起こさずにいることはむずかしい。

まず環境を変える必要がある。
また家庭の不調和から来る患者は
家族互いに感謝させねば精神の安静は得られない

            <感謝合掌 令和3年5月31日 頓首再拝>

神に委せ、「今」恐れなく受ける - 伝統

2021/06/12 (Sat) 04:37:52


      *「光明道中記」 (6月12日《今すぐ行う日》)より

【恐怖心は神の全能の愛を信じない為に起る。(『生命の實相』第ニ巻)】

すべてを神のみこころに委(まか)せること。
併しこれだけでは恐怖心は絶滅されるものではないのである。

神のみこころの中には不幸は無いと云うことを知らなければ、
人は神を恐怖するに到るであろう。

神に委せるとは、一番高き幸福の源泉に委せることなのである。
《此処に》《今》幸福があることを知ることである。

幸福か不幸かわからないけれども、兎も角神に委せようと云うことではない。
神はわが憩いの家であり、愛の家であり、わが砦であることを知ることである。

単に「思い煩うな」と言って、問題を次へ次へと延ばして行く者は、
恐怖を先に延長しているようなものであって、
本当は「思い煩っている」のである。

吾々は事物に面することを次へ延ばすことなく、「今」受けるが好いのである。
「今」恐れなく受けるのである。
「今」目の前に《ある》ものが決して自分を害するものでないと知ることである。

避けるのではない。捉えるのである。

幽霊の正体見たり枯尾花。
正体を捉えて見たら、恐怖すべきものは一つもないのである。

            <感謝合掌 令和3年6月12日 頓首再拝>

不眠恐怖症が消える - 伝統

2021/07/11 (Sun) 04:50:03


        *「光明道中記」(7月11日《心爽やかなる日》)より

【実相と云うものは「其儘(そのまま)美しい」のであります。
                    (『生命の實相』第十五巻)】


四祖の道信は
「祖風を継いでより心を摂(せつ)して寝(い)ぬることなし」とあるから、
衣鉢(いはつ)を伝えられて以来眠ることがなかったらしい。

それでも別に神経衰弱で夭死(わかじに)したのではない。
彼は七十二歳で示寂(しじゃく)したのである。


私が不眠症の人に示して必ず治る秘訣がある。
それは不眠の人に、ロンドンで四十数年間1時間の睡眠もとらないで
健康状態で続いて来、最近七十四歳の長命で亡くなったと云う実話である。

この話が或る新聞に報ぜられると、
ウィーンでは「私は二十何年間一睡もしないで活動を続ている。
眠る必要がなくなったので、仕事をしないと退屈で仕方がないので
1日24時間としての時間割を作って仕事をしている」
と言って発表した人があったと云うことである。

それから文士の倉田百三氏が約1年間不眠が継続していて、
その揚句の果に廓然(からり)と悟ると十数年間の全身結核が
ケロリと治って、夏は水泳までも自由に出来るようになったと云う
実話である。

こんな話をしているうちに
「人間必ずしも眠る必要はない」と云う観念を得、不眠に対する恐怖が消える、
するとその晩から大抵その人はグウグウ眠るようになるのである。

不眠症 ―― 実は不眠恐怖症に過ぎなかったからである。

            <感謝合掌 令和3年7月11日 頓首再拝>

《恐怖心を克服するには》 - 伝統

2021/08/08 (Sun) 04:58:42


       *「眞理」第2巻基礎篇第14章(P381~382)より

恐怖心が起(おこ)れば、敏速にして適当なる判断は失われてしまい、
蛇に睨まれた蛙の様に逃れる道はありながら
立ち竦(すく)んでしまうのである。

恐怖心は誠に人生の敵だと云わなければならないのである。

「能(でき)ない」「もう駄目だ」と云う様な物の考え方は、
能(でき)る力を停止してしまい、陥(おちい)る必要のない
不幸の淵に陥(おとしい)れてしまうことになるのである。

では恐怖心を取り去り、「能(でき)る」と云う考えを
導き出すためにはどうしたら可(い)いだろうか。

それは

「自分は神の子である。神が常に無限の智慧をもって
 導き給うているのであるから失敗することは決してないのである。
 神はわが智慧、わが力、わが富 ―― 無限の供給である」

と常に念ずることである。

            <感謝合掌 令和3年8月8日 頓首再拝>

恐怖の戒め(2) - 伝統

2021/08/25 (Wed) 04:43:08


     *『運命を拓く 天風瞑想録』第十章・中村天風(著)
       (P245~)より

ベーコンという哲学者がいった言葉に、
「人の大いに怖るるところのものは必ず、遂に襲い来るべし」
というのがある。

これは正に、このコンペンセーション(報償)の法則を、
必然的のものであるという信念で、
人生を考えている偉大な哲学者の言葉である。

何度も言っているとおり、
宇宙霊という生ける大きな生命は、
常に我々人間の心で思ったり、考えたりする事柄の中で、

特に観念が集中し、深刻な状態の時に、その観念が、その事柄に注がれると、
咄嗟にそれを現実の「すがた」に表現しようとする
自然作用(natural operation)があるのである。


考えてみよう。
どんな精神統一の下手な人でも、「おっかないなあ、怖ろしいなあ」
と思ったときは、

本人自身は気が付いていないかもしれないけれども、
その恐怖の程度が深まれば深まるほど、
恐怖観念が発動して、その観念は知らず知らずの間に確実に集中されるのである。

だから、「おっかないなあ」と思った事柄は、
どんな物覚えの悪い人間でも、
たとえ思った時間は瞬間であったとしても、終生忘れないであろう。

さあ、そこで考えてみよう。

一生忘れないような深刻な記憶に出来るくらいに、
瞬間的でも、観念が集中されたとすると、

それが宇宙霊の力を受け入れる。
“鋳型” が用意されたことになる。

そのとき出来上がっている“鋳型”というものが、良かろうと、悪かろうと、
極めて確実な “すがた” が出来上がったことになる。

そうすると、
その恐怖している事柄が、やがて事実となって現実化してくる。
否、むしろ、そうなることが当然である。

ゆるがせにすることの出来ない真理と、
まったくもう油断も隙も出来ない事実を考えると、

何はさて措(お)き、有意義な人生に活きるには、どんな場合があろうとも、
恐怖観念で物事に応接しないようにすることが、
本当に戒(いまし)むべき人生の鉄則である。

            <感謝合掌 令和3年8月25日 頓首再拝>

恐怖心を除く道 - 伝統

2021/09/16 (Thu) 04:57:22


        *『生長の家』(昭和25年8月16日の法語)より

神を自己の内に、今、自覚するならば、今人間は幸福になれるのである。

神を自己の内に、今、自覚するならば、人間は健康になるのである。

神が汝に与えた実相であるところの 「 幸福 」 と 「 健康 」 とを
自分の迷い心で覆い隠すな。

迷いの帳(とばり)を去れ。

神は汝に罰を与えるどころか、常に汝を護りていたまうのである。

「神はわが護り、われ何をか恐れんや 」 と、

一日のうち数回、眼をとじて十分間位ずつ思念するようにするならば、

恐怖心はのぞかれ、人間は おのずから心が落ち着いて健康になり、
良い考えが湧(わ)き出て来て 幸福になり何事にも成功するのである。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

            <感謝合掌 令和3年9月16日 頓首再拝>

恐怖すること勿(なか)れ - 伝統

2021/10/09 (Sat) 04:50:22


        *「光明法語(10月9日)」より

何事に対しても恐怖すること勿れ。
神の子であり、神が常に汝を護っている事を知るならば吾らは何事も恐怖する事はない。

恐怖するのは神を信じていないからである。
恐怖すれば血管は収縮し血液中の過度のアドレナリンを生じ、血圧は昂(たか)まり、
全身の細胞は萎縮して活力を失うのである。

肉体の各器官は神の諸々(もろもろ)の霊的属性の表現である。
神の諸々の属性を完全に表現すればする程、肉体の各器官は一層健康となる。

心臓は愛の表現である。
愛が乱れれば心臓が乱れる。

またそれは心膽(しんたん)である。
気を大きくすれば心臓病は治る。

            <感謝合掌 令和3年10月9日 頓首再拝>

事物の真相を知れば恐怖はない - 伝統

2021/11/18 (Thu) 04:39:38


     *『 生長の家 』(昭和25年9月6日の法語)より

人生の問題は若(も)しその因って起るところの原因が
明瞭になるならば、それは容易に解決することが出来るのである。

問題を未解決にし、取越苦労や恐怖心にみたされるのは
真相がわからないからである。

真相がわかれば恐怖すべきものは何物も存在しないのである。

第一に吾等が知らなければならない真相は、

吾々の想念と云うものが自分自身の心の快不快を変化すると同時に、
自分を取りまいている環境、人間、供給、境遇、位置などを変化すると
云うことである。

これが真相である。

            <感謝合掌 令和3年11月18日 頓首再拝>

《恐怖は神から離れた時に起る》 - 伝統

2022/01/18 (Tue) 04:10:51


       *「光明法語」(1月18日)より

神の霊、自己の内に宿り給う。
自己の中には無限の智慧と力の源が埋蔵されているのである。

自分は何事が出て来ようとも決して恐れはしないのである。
神と共にある者の心は常に平和である。

もはや吾が行く所の道に横たわる如何なる危険も困難も自分は恐れない。
困難よ消え失せよと吾念ずれば困難は消え失せるのである。
危険よ消え失せよと念ずれば危険は直ちに消え失せるのである。

波を叱咤すれば波は消え、山を叱咤すれば山は去るであろう。

吾これをなさんと決意すれば何事でも必ずなすことが出来るのである。

            <感謝合掌 令和4年1月18日 頓首再拝>

恐怖の戒め(3) - 伝統

2022/02/28 (Mon) 04:47:22


     *『運命を拓く 天風瞑想録』第十章・中村天風(著)
       (P246~248)より

いつもいっているとおり、立派な建築物を造るのにも、
まず必要とするものは、完全な設計である。

これと同様、
立派な人生を作るのには、まず、その人生設計の中から、
恐怖というものを取り除かねばならない。

恐怖というものはまったく余計なものなのである。
考えなくてもいいことなのだ。

心に犬小屋みたいな設計図を描いて、宏壮な邸宅などは出来るはずがない。

いずれにしても、感情というものは、その種類が、いかなるものであろうと、
我々の肉体や、人格に影響せずにはいられないように出来ているのである。


だから、常に感謝と歓喜という積極的な感情を持っていれば、
肉体や人格に積極的な、非常に大きな、良い影響を与えるけれども、

反対に、
怒ったり、怖れたり、悲しんだりする、消極的な感情や情念は、
実に悪い影響を持ってくる。

中でも、この恐怖というものは、
一番、恐ろしいほどの印象力をもっている。

印象力を持っているのであるから、早晩、その恐れている事柄が、
現実になって、形象化されるのが当然である。


嘘でない証拠に、
回復のはかばかしくない病人や、不幸の人をジッと見ていると、
誰も、思ったり考えたりしている事柄が、すべて消極的である。
いわゆる、逆動仮我境で活きている。

もうわずかなことにもビクビクして、戦々兢々、
ちょうど、氷の上を、思い荷物を持って歩いているような気持ちで活きている。

考えてみると、無自覚というものは、全く価値のないものである。

ところが、人間は、どうも、こういう点が悟れない。

右見ても、左見ても、自分と同じような人間が多くいるが、
それが人間の本当の“すがた”で、

「だから俺は他の人間と同じような状態の心持気持ちで活きているんだ」
と思うところに大変な大きな間違いがあるのである。


今の世の中の人々が、文化の世の中に恵まれながら、
おおむね十人に九人までが、否、百人に九十九人までが、否、
もっともっと大きな比率で、
幸福でない人生に活きているのが多い原因は、
結局、そういう点にあるのである。


神経過敏な人などは、
「到底一生、健康なんかになれるはずがない。
 一生こうして苦しめられ続けて死んでしまんだ」
というふうに、

人生を極めて消極的に独り決めし、
何事に対しても、恐怖的な気持ちで、落ち着かず、少しも安心していない。

因果律の法則は、
そういう考え方をしている人に、不健康や、不運名を、
最も“苦い”形で作り上げてしまうのである。


反対に順動仮我境、
いわゆる、一切の雑念妄念を統制し、神経過敏でなく、
自分の人生を積極的に断定して活きる人は、
よしや健康を損じたときでも、不運に直面しても、
その心の中に、そのことを恐怖で考えない。

だから、やはり、こうした心持ちをもっている人には、
因果律の法則によって、いつも、より良い事柄が、
現実に“すがた”を現わしてくれる。


だから、論より証拠、
一切の事実がそれを確実に証明してくれるから、
諸君が、まずそういう心掛けで、やってみることだ。

また、
人生、事業であろうと、日常生活の些細なことであろうと、
何事に対しても、自分の心の態度を、
恐怖から、断然引き離していかなければならない。

            <感謝合掌 令和4年2月28日 頓首再拝>

恐怖の戒め(4) - 伝統

2022/03/03 (Thu) 04:35:31


     *『運命を拓く 天風瞑想録』第十章・中村天風(著)
       (P248~250)より

本当のことをいうと、この世の中には恐ろしいということはないのだ!

怖ろしいなあと思うときには、ものその事柄は過ぎ去っているのだ。


原子爆弾が落ちたとき、「原爆は怖ろしいなあ」
と思ったときはもう死んでしまっている。

また空爆を受けている人は、
この中に幾らもいるであろうから考えてごらんなさい。


怖ろしかったか。
活きている自分の、
過ぎ去った“すがた”を観るときに経験の中に、
繰り返して、
それを考え出すくらいのものではないか。


私は、死生の巷を、
もう飽きるほど、活き抜いてきた人間だ。


しかし一遍も、
「ああ怖ろしかったなあ」と思ったことはない。


結局、やたらと物事を、恐怖観念で考えるのは、
宇宙霊と人間との関係を、
強く信ずるという信念が欠けているからである。


だから、人間を弱い方面からのみ考えずに、
もっともっと強い方面から考え直すことである。


つまり
「自分の生命の背後には、
見えないけれども宇宙霊が、
自分を抱き締めるように、
自分と共に在るんだ!
我は宇宙霊とともにいる!」
というふうにだ。


それから、
平素人と交際する時にも心掛けて、
神経過敏でない勢いの良い人と交際することである。


どうも、神経過敏の人は、
時とすると、
この恐怖の嵐に、随分誤った同情をする。


「これを怖れずにいられるか」
というふうに。


そして、
これを大して悪いことと思わぬ傾向がある。
むしろこれが当然だと思っている。


しかしこれは大変な間違いである。
間違いは訂正しないと、すべてが良い方に好転しなくなる。


だから、
ちょっと何か恐怖的に物を考えるような観念が出たら、
クンバハカ
(著者注:クンバハカとは、
天風先生が弟子たちに教えたヨガの呼吸法で、
不動の心と身体をつくることを目的としていた。)
が一番、
積極的言葉で、そんなものは吹き消してしまいなさい!


「自分の尊い生命を守ってくれる心の王座には断然、
恐怖というような悪魔は入れないのだ!」と。


いつも口癖にいうとおり、
「己を守るものは、己だ!」


それを、ともすると、
すぐに他人に守ってもらおうとしてやしないか。


他人は守ってくれはしないよ。
骨がなければ一緒になりたいと思っているほど、
どんなに思い合っている恋仲でも、
自分が自分を思うほど、守ってはくれない。


その証拠には、
利害が相反したり、感情が互いに相争えば、
必ず愛情の中にひびが入ってくる。


さあ!今日からは、断然!
自分はもう、
恐怖なんて観念は
自分の心の中にない人間にならばけりゃ!

            <感謝合掌 令和4年3月3日 頓首再拝>

恐れず、行動せよ! - 伝統

2022/03/26 (Sat) 07:01:08


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月26日)」より

まず恐れないで虎穴(こけつ)に降りて行かなければならない。
待っているということと、降りて行くということとは両立しないことではない。

恐ろしいものは何も出て来ない。
もし恐ろしい者に出くわしたら、それはただ仮面を被っているだけだから恐れるにはおよばない。
まずそいつと取っ組んで征服し、その仮面を剥いでやるのだ。

すると本当はそのお化けの正体は「幸福」というものであったことがわかるであろう。

            <感謝合掌 令和4年3月26日 頓首再拝>

失敗への恐れをなくするには - 伝統

2022/04/16 (Sat) 03:22:31


       *メルマガ「天路」(2022.04.04)より

今回は、これを読んで下さっている方、

中でも、失敗を恐れて前進出来ない方、

に向けて、大切なことを教えます。



心の準備はいいですか、

失敗が怖いというのは、地球で生まれた心の洗脳です。

洗脳?


そもそも、
スピリットっていうのは、
何だってめちゃくちゃに楽しんでいるんです。


失敗が怖い、というのは、
失敗することで起きる何かを、人間の危険回避能力が働いて、
先に阻止しようとしているだけだったりします。

実際、失敗では死にはしないにもかかわらずにです。


けれど、宇宙の真理では、

「失敗したくない」は、

「失敗したくない」というエネルギーをただただ増幅させるから失敗します。


失敗にフォーカスするんじゃなく、

成功にフォーカスすればいいのにです。


ここで、

「でも確かに、
 失敗によって本来得られるはずだったものが手に入らずに困ってしまう、
 ということはあるかもしれませんよね」

と考える人もいることでしょう。


しかし、逆に、失敗することによって得るものがあるからこそ、
次の行動へとつながって、
結果的に望んだとおりになるってことが「超意識」の働きです。


となるとやっぱり、行動した結果を恐れているのではなく、
失敗することによって起こる何かを無意識に避けていることになります。

どうして
「失敗したくない」と
無意識のうちに行動をやめてしまうのか?

そこで想像できるもののひとつが、
幼少期の親との関係から得た、失敗に対するルールです。


何かができたときにはじめて認めてもらえた、
何かができなかったとき、ものすごく否定された、
失敗したときに、めちゃくちゃ怒られた、とか……。


そうなると
「失敗=怒られる」とか、
「失敗=怖い」という、
心の危険回避ルールができてしまい


「失敗だけはしたくない」
と思うようになってしまうことがあるんです。

そうすると、
本来は願望達成のただの通過点でしかなかった「失敗」は、
命を脅かすような危険に早変わりしてしまいます。


こうなると、
行動するのも怖くなりますよね。


じゃあ、どうすればいいのかというと、

「できた」
「できなかった」
「成功した」
「失敗した」

というのは、

ただのできごとであり、通過点であって、
それ自体が自分の命を奪うものではないのだ

ということを、まずは頭で認識してみること。

そして自分にこう約束してあげてみます。

「私は、私が失敗しても 否定しません」
「私は、私が失敗しても 笑いません」
「私は、私が失敗しても 失望しません」
「私は、私が失敗しても 責めません」
「私は、私が失敗しても 否定しません」
「これが、私のあり方です」


そう伝えてください。

もし、あなたの家系が、
失敗にめちゃくちゃ敏感な家系だったとしても、
あなたから、その鎖を断ち切っていいし、断ち切れるんです。


失敗はただの経験であって、
あなたの存在を否定するものでは決してありません。

            <感謝合掌 令和4年4月16日 頓首再拝>

恐怖の戒め(5) - 伝統

2022/05/09 (Mon) 10:17:07


     *『運命を拓く 天風瞑想録』第十章・中村天風(著)
       (P250~251)より

恐怖観念撃退のしょう句


人の心霊が、宇宙の心霊と一致するとき、
人の生命の力は驚嘆に値する強さをもつに至る。


しかもこの尊厳なる宇宙の心霊と一致するには、
第一に必要なことは心の安定を失ってはならないことである。


そして心の安定を失うことの中で、
一番戒むべきものは恐怖観念である。


そもこの恐怖なるものこそは、
価値なき消極的考え方で描いているシミだらけな醜い一つの絵
のようなものだ。
否、寸法違いで書いた設計である。


かるがゆえに、今日からは私は断然私の背後に、
私を守りたもう、宇宙霊の力があることを信じて、
何事も怖れまい。


否、人が常にかくあることを信じて、
必然、人生に恐怖に値するものがなくなるからである。


ゆえに健康はもちろん、運命の阻まりしときといえども、
本当に私は私の背後に、
私を守りたもう宇宙霊の力のあることを信じて、
何事をも怖れまい。

            <感謝合掌 令和4年5月9日 頓首再拝>

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