伝統板・第二
潜在意識 - 伝統
2020/04/14 (Tue) 04:34:19
このスレッドでは、人生を大きく左右する
「潜在意識」に関する情報を集めてまいります。
《先ず真に自己が何を求めているか》
*「光明法語」(4月14日)より
先ず真に自己が何を求めているか、自分の求めが曖昧であってはならない。
Aの土地の仕事もしたいし、Bの土地にも帰りたいし、
自分自身の要求が二個に分裂しながらBの地に借家を求めるべく祈っても
かかる祈りは成就しない。
神に求めるには吾が求むる事物が何であるかを知らなければならない。
現在意識(自分が気がついている心)が求めている物と、
潜在意識(自分に気がついていない心)の求むる物とが
食違っていてはならないのである。
現在意識の求めが実現しないのは潜在意識の求めが反対であるからだ。
<感謝合掌 令和2年4月14日 頓首再拝>
《潜在意識を浄(きよ)めるには》 - 伝統
2020/04/15 (Wed) 04:11:14
*「光明法語」(4月15日)より
日本は現在意識では勝つように祈り乍ら、
潜在意識では、「****で会おう」というように祈っていた。
又みずから「水漬く屍(しかばね)」「草生(む)す屍」になる様に祈っていた。
現在意識で「成功」を願い乍ら、
潜在意識には「失敗して、死して****に祀られる」様に
祈っていたわけだから、その祈りは成就して負けたのである。
必ず「成功」を実現せんと欲するならば現在意識・潜在意識共に、
「成功」を念願しなければならぬ。
その為には神想観して潜在意識の底までも「吾神の子なり必ず成功する」
との念を深く印象せねばならぬ。
<感謝合掌 令和2年4月15日 頓首再拝>
《現在意識と潜在意識との一致》 - 伝統
2020/04/27 (Mon) 04:11:04
*『生活の智慧365章』(第1部生命の泉)第1篇(P28~29) より
吾々がひとつの願いを達したら、また次なる願いが起って来て止(や)む時が
ないのは、それは自分の生命(せいめい)は、無限者(神)からであり、
無限を内(うち)に包蔵するからなのである。
各人はすべてそれぞれ宇宙大生命の自覚的表現の表出口であり、
内在する“無限”を意識的な形で表現する出口を構成しているのである。
次から次へと希望や願いが湧いて来てやまないのは吾々の”実相”の中に
潜在的に横たわっている内容が顕在的になりつつあるのである。
併しながら、時として、自分の願いが到底実現しないので、
失意落胆することがあるかも知れない。
若しあなたの願いが実現しないならば、現在意識の願いが潜在意識の願いが
一致しないことが原因であるか、信仰と努力とが足りない事が原因なのである。
現在意識(今意識的にあれあわれている心)が、外界に捉われて、
内界にある願いをそのままあらわすことができず内界にある願いが歪められて
所謂(いわゆ)る「我の願い」となっている場合には、充分に潜在意識の
後援を得ることができないで、その願いが成就しないことになるのである。
この真理をグレン・クラーク教授は「牝鹿の脚」といったのである。
牝鹿の脚は、前脚(現在意識の譬)が前進ずべく踏んだ同じ場所を実に精確に
後脚(潜在意識)が踏むから、そんな難しい山の突兀(とつこつ)たる岩道を
通っても、踏みはずして墜落するということがないのである。
<感謝合掌 令和2年4月27日 頓首再拝>
神の啓示は、一度潜在意識面へ照射されてから現在意識へ反射して出て来る - 伝統
2020/04/28 (Tue) 04:48:02
*「光明道中記」(4月28日《心の主人公となる日》)より抜粋
【神と私とは父子の関係だ。本当に愛して愛されている。
(『生命の實相』第十七巻)】
吾々への神の啓示は、一度吾々の潜在意識面へ照射されてから
現在意識へ反射して出て来るのである。
吾々の潜在意識が「幸福」を吸収して了うならば、
「幸福」になる方法は現在意識面へ浮かび上がって来ないのである。
潜在意識に色々の悪感情を蓄積して置くならば、
どんなに神がその人に「幸福」の光を投げかけても、
その人の現在意識には不幸になる道のみが思い浮かぶだろう。
<感謝合掌 令和2年4月28日 頓首再拝>
吾々の周囲の出来事は、潜在意識中の優勢観念が磁石となって回転する - 伝統
2020/04/29 (Wed) 04:51:19
*「光明道中記」(4月29日《感謝報恩の日》)より抜粋
【富を自分の方へ引き寄せようと思うまでに、
自分自身を全体のために与えなければなりますまい。(『生命の實相』第十七巻)】
吾々の潜在意識の中には色々のものがある。
その中で最もどう云う種類の観念が優勢を占めているかと云うことによって
其の人の運命は決するのである。
其の人の周囲に集まって来る日常無数の出来事は、
その人の潜在意識中の優勢観念が磁石となって回転するのである。
吾々の潜在意識中の優勢観念が、「人間神の子・万事良くなる」という
大信念であるならば、その人の周囲に起るところの大小無数の事件は必ず
其の人が幸福になるように、その人が発展するように好転好転又好転するのである
<感謝合掌 令和2年4月29日 頓首再拝>
潜在意識にある「想念」を改造する - 伝統
2020/05/10 (Sun) 04:59:35
*『人生の秘訣365章』第5篇(P118) より
~《想念と運命との関係》
「私は貧乏だ」と思っている人に金持はなく、
「私は不健康だ」と思っている人に健康人はないのである。
あなた自身はあなたの想念の具象化したものなのである。
もっとも、「心」には、表面にある“現在意識”と、
隠れたる底にある“潜在意識”とがあって、
現在意識では「金持だ」と無理に思っていても、
潜在意識では、「貧乏だ」と云う想いが脱け切らない場合もある。
そんな場合には表面の心で、「自分は金持だ」と思っていても、
まだ現象的には貧乏であり得る。
では、潜在意識にある「想念」を改造するにはどうしたら好いだろうかと云うと、
それには潜在意識の特質を利用するが好いのである。
潜在意識は、外から暗示として入ってくる心的刺激を受け容れて、
素直に刺激された通りの「想念」をテープ・レコーダーのように
それを印象して保存している特質がある。
だから潜在意識を改造しようと思ったならば、
外から来る暗示に対して無防禦(むぼうぎょ)であってはならないのである。
<感謝合掌 令和2年5月10日 頓首再拝>
現在意識は自主的精神である - 伝統
2020/05/20 (Wed) 04:39:16
*『人生の秘訣365章』第5篇(P118) より
現在意識は自覚意識とも言われ、自我の自主的精神であるから、
自己に適するか否かを批判して、それを拒絶して
潜在意識内に入れないようにする力を持つのである。
若しそれが出来ないならば、
人間は「自主的存在」だとは言い得ないことになるのである。
人間が「自主的存在」であるためには、
自己が志向するものだけを意識の中に入れ、
自己が志向しないところの印象は断じて自分のうちに入れない
「自主的能力」をもたなければならないのである。
人間は本来このような「自主的能力」をもっているのである。
吾々の心は、現在意識が「断じてこの暗示を受け容れない」と
固く決意した暗示を決して受け容れないと云うことは
催眠術の実験によっても明かなのである。
現在意識が固く反抗している限りは中々“催眠暗示”にかからない。
<感謝合掌 令和2年5月20日 頓首再拝>
「潜在意識」の中に印象されている「劣等感」 - 伝統
2020/05/25 (Mon) 04:51:43
《自信力は推進の原動力である》
*『 生長の家 』 昭和29年5月1日の法語)より
全ての資格や能力が同じであったら、その人が成功し、又は幸福を得る程度は、
その人の自信力の多少によって定まるのである。
優秀なる才能を持ちながら自信力が欠乏しているために、常に後退していて、
その優秀なる能力を発揮し得ないで、いたづらに為す事なく
人生を過ごしてしまう人も多いのである。
自信力は船を推進する力のようなもので、
「優秀なる能力」という宝を満載している船も、
その船を推進する力を持たない場合には、
その船は立ち往生して目的の所へ運んで行く事はできないのである。
自信力というのは心の力である。
それは内部にある「素晴らしきもの」を表現するための原動力であるのである。
内部に「神の子」として素晴らしいものを包蔵しようとも
表現することが出来ないならば甲斐なき事である。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2237
・・・
《心の深層にある劣等感》
*『 生長の家 』 昭和29年5月2日の法語)より
自信力の必要なことが解っただけで、
その自信力を養成する方法を知らなければ何にもならない。
自信力は養成し得るものであることを先ず知らなければならない。
自信力は先ず「心」の中にあるのである。
その「心」というのも、
表面の心即ち「現在意識」の中にのみあるのではなくて、
心の深層すなはち「潜在意識」の中に印象されている
「劣等感」としてあるのである。
すなはち、「自信力の養成」は必然的に
「劣等感の克服」という問題を含んでいるのである。
自信力がないということは、先ず、幼い時に何かをやって失敗した 、
その印象が深く心の深層に残っていて、
「今度もまた失敗するに違いない」という予想が先に立って
何事も出来なくさせているのである。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/2243
<感謝合掌 令和2年5月25日 頓首再拝>
潜在意識によき想念を刻印する - 伝統
2020/06/21 (Sun) 04:25:09
*「光明法語」(6月21日《善き友と交わること》)より
見る姿・形は一種の暗示となって吾々の魂の中に投げ込まれるのである。
友だち又は知人の悪しき範例(おてほん)を見ていると、
その悪しき姿が自分の潜在意識内のレコードとなり、
縁を得ればその通りの悪しき姿が自分の行為(おこない)に現れてくる。
善き友と交わり、善き友の行為(おこない)を見、善き友の言葉をきく事は、
目に見えぬ無限の宝を内に積むことになるのである。
潜在意識の中にあるよき想念は、無限のよき宝であると云うのは、
其処から無限の善きものが湧き出るからである。
すべて心に入りたる物はやがて形となって顕れて来る。
<感謝合掌 令和2年6月21日 頓首再拝>
自分を害するものは、潜在意識にあり - 伝統
2020/06/24 (Wed) 04:39:28
*『 生長の家 』(昭和25年5月22日の法語)より
~【 汝を害する物は自分自身以外にない 】
何ものも何ものもあなたを害するものはないのである。
自分が心の中に 「 害するもの 」 を認めさえしなければ
この世界にあなたを害するものは一つもない。
「 知らずして害された 」 という人があるかも知れないけれども、
本当は人間には、その潜在意識に於いて 「 知らないもの 」 はない。
知り乍(なが)ら自然と害を受ける様な所へ
自分の位置を持って行くのである。
それは自己処罰の考えからも出て来るし、
自己犠牲の心からも出て来る。
他が害するのではなく
自分自身の 「 受難の心 」 が自分を害するのである。
※ 何ものも何ものも・・・「 何者も何物も 」の意。
<感謝合掌 令和2年6月24日 頓首再拝>
現在意識と潜在意識 - 伝統
2020/07/10 (Fri) 04:35:18
*『人生の秘訣365章』第5篇(P118) より
~想念と運命との関係
「私は貧乏だ」と思っている人に金持はなく、
「私は不健康だ」と思っている人に健康人はないのである。
あなた自身はあなたの想念の具象化したものなのである。
もっとも、「心」には、表面にある“現在意識”と、
隠れたる底にある“潜在意識”とがあって、
現在意識では「金持だ」と無理に思っていても、
潜在意識では、「貧乏だ」と云う想いが脱け切らない場合もある。
そんな場合には表面の心で、「自分は金持だ」と思っていても、
まだ現象的には貧乏であり得る。
では、潜在意識にある「想念」を改造するにはどうしたら好いだろうかと云うと、
それには潜在意識の特質を利用するが好いのである。
潜在意識は、外から暗示として入ってくる心的刺激を受け入れて、
素直に刺激された通りの「想念」をテープ・レコーダーのように
それを印象して保存している特質がある。
だから潜在意識を改造しようと思ったならば、
外から来る暗示に対して無防禦(むぼうぎょ)であってはならないのである。
<感謝合掌 令和2年7月10日 頓首再拝>
現在意識は自主的精神である - 伝統
2020/07/27 (Mon) 03:48:16
*『人生の秘訣365章』第5篇(P119) より
現在意識は自覚意識とも言われ、自我の自主的精神であるから、
自己に適するか否かを批判して、それを拒絶して
潜在意識内に入れないようにする力を持つのである。
若しそれが出来ないならば、
人間は「自主的存在」だとは言い得ないことになるのである。
人間が「自主的存在」であるためには、
自己が志向するものだけを意識の中に入れ、
自己が志向しないところの印象は断じて自分のうちに入れない
「自主的能力」をもたなければならないのである。
人間は本来このような「自主的能力」をもっているのである。
吾々の心は、現在意識が「断じてこの暗示を受け容れない」と
固く決意した暗示を決して受け容れないと云うことは
催眠術の実験によっても明かなのである。
現在意識が固く反抗している限りは中々“催眠暗示”にかからない。
<感謝合掌 令和2年7月27日 頓首再拝>
暗示に対する防御について - 伝統
2020/08/13 (Thu) 04:39:26
*『人生の秘訣365章』第5篇(P119~120) より
自己の運命は、自己の潜在意識に印象されている「想念」の具象化と、
その想念の類似によって呼び寄せられて来る「類似の想念」の具象化である
と言い得るのである。
悪いことが来れば、それが重なって来、善いことが来れば、
それが重なって来る実例が多いのもそのためである。
だから自己の運命を良くしようと思ったならば、
自己の想念を支配すると同時に外界から暗示されて来る印象を
選択することを学ばねばならない。
自己を「神の子」なりと信じて決して劣等感をもってはならない。
常に毅然として「われ神の子なり、決して劣弱なる暗示をば受け容れない」
と現在意識で決意することが必要である。
現在意識は潜在意識のように「何でも素直に受けて印象を記録する」
と云うような性質のものではなく、非常に批判精神の強い意識であって、
「意識の検閲官」として、
入って来る「想念」が合理的か不合理かを批判拒絶する力がある。
<感謝合掌 令和2年8月13日 頓首再拝>
断じて外来の“暗示”に屈従しない意志 - 伝統
2020/08/15 (Sat) 05:00:54
*『人生の秘訣365章』第5篇(P120~121) より
反抗していても催眠術にかかる場合は、
現在意識が“もう駄目だ”と自己崩壊的に意志がくだけて、
みずから相手の暗示に屈従した場合のみである。
この自己崩壊が起るのは、術者(催眠術をかける人)に対して
被術者が劣等感をもっている場合である。
つまり劣等感によって、自分が相手に圧倒され、譲歩を止むなくさせられるのである。
しかし、斯うして催眠状態になってしまった場合でも、
その人の現在意識が「これだけは秘密にして置かなければならない」と
強く念じて来た事柄については、どんなに暗示をかけても、
その秘密を告白しないのが、催眠術状態中の実際である。
これによってみても、現在意識と云うものは、
最後の最後まで自主的で、その人の主人公であることが判るのである。
<感謝合掌 令和2年8月15日 頓首再拝>
《神への抵抗を取り去りましょう》 - 伝統
2020/08/27 (Thu) 04:48:26
*「真理」第9巻生活篇第14章(P381~382)より
人間は「神の子」であるのに、それを「罪の子」だと考え、
自分を自分で放蕩息子にしてしまうのも「神への抵抗」の一つです。
人間は「霊的実在」であるのに、
単なる「物質的存在」だと考えるのも、「神への抵抗」の一つです。
そのほか「病気になりたい意志」とか「貧乏になりたい意志」
などと云うものもあります。
人間の心の深層をさぐると、実に人間の心は複雑なものであって、
その人の「深相の心」(潜在意識)では、病気を欲して病気をつくりながら、
表面の心(現在意識)では、病気を厭って常に自分の虚弱をなげいている
ようなこともあるのです。
その人の現在意識では富を欲していながら、「深層の心」では
清貧礼賛が抜け切れないでいることもあるのです。
そして此のような「深層の心」の具象化として其の人の肉体に
病気が現われたり、経済的に貧乏が現れたりするのです。
<感謝合掌 令和2年8月27日 頓首再拝>
Re: 潜在意識
- nnorxwvwti
URL
2020/08/29 (Sat) 16:11:51
伝統板・第二
[url=http://www.g20s31m9l1hhutq8h23po75v5ty65g83s.org/]unnorxwvwti[/url]
nnorxwvwti http://www.g20s31m9l1hhutq8h23po75v5ty65g83s.org/
<a href="http://www.g20s31m9l1hhutq8h23po75v5ty65g83s.org/">annorxwvwti</a>
《病的な暗示を避けましょう》 - 伝統
2020/09/26 (Sat) 02:59:07
*「真理」第9巻生活篇(P20~21)より
肉体の部分品への技術指導者が潜在意識でありますが、潜在意識は
「傾向の心」とも呼ばれていまして、一度暗示されますと、その暗示
された観念の通りに無批判的に働いて肉体の新陳代謝を指導するのです。
その潜在意識は、超在意識(即ち「神」の意識<こころ>)から暗示を
受けて、その通りに素直に肉体の新陳代謝を指導しているときには
健康的な肉体をつくり上げますが、
五官から来る「何々したら病気になる」と云うような暗示を受けたり、
「口惜しい」と捻(ねじ)れ、「腹が立つ」とたかぶり固まり、「恐れ」て、
魂(たま)の緒が正坐の位置から外(そ)れ(緒外<おそ>れ)たり、
「輝無(かな)しい」と生命(せいめい)の「輝き」を失ったりしますと、
潜在意識の肉体再建の指導精神が歪んでしまって不健全な肉体となって
あらわれて来るのです。
だから病のことを恐れさせる広告や文章を読んではなりません。
<感謝合掌 令和2年9月26日 頓首再拝>
《過去にどんな絵を描いていても、其の上に油絵を描(か)きなさい》 - 伝統
2020/09/28 (Mon) 03:44:51
*「真理」第9巻生活篇(P21~22)より
潜在意識に「虚弱」や「老衰」や「不景気」や「悲しみ」や「不快」や「恐怖」の
暗示を与えてはなりません。
潜在意識に与えられた暗示は、油絵の具で彩色されるように、
カンバスの下地(したぢ)に(実相に)にどんな完全な相(すがた)が
描かれていても、あとから塗った絵の具だけがハッキリ形をあらわすように、
いくらあなたの実相が神の子でも、悪い不健全な暗示を次々と与えると、
不健全な状態だけが形にあらわれることになります。
始終、慢性的に「自分は病気だ」と考えている人が、
慢性病に罹っていて治らないのは其のためです。
今不健康な状態が形にあらわれている人は、
既に描いた油絵の上を新しい油絵の具で塗りつぶすかのように、
毎日或る時間は必ず目を瞑(と)じて
「自分が既に健康であり、生々(いきいき)と活動している」有様を
心に描いて、其の思いで塗りつぶしなさい。
それがあなたの潜在意識を改造します。
・・・
<参照>
伊勢ー白山 道(2020-09-25)
自分が出した過去の命令を解除せよ!
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/f72075dd4aca8328a849749bff2fef6d
伊勢ー白山 道(2020-09-26)
過去の間違った思いを解除する方法
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/3cf2391bbe99cb405d1061d563132e29
<感謝合掌 令和2年9月28日 頓首再拝>
《自分の蒔いた行為の種が芽を吹くとき》 - 伝統
2020/10/11 (Sun) 04:05:28
*『 理想世界 』(昭和42年7月4日の法語)より
イタリアのトリノにある大学のボネリ教授の実験によるならば、
30年間葡萄酒の中に入れてアルコール漬けにされ、さらに16年間、
空中に乾し晒らされたガラガラ蛇の牙にまだ毒性が残っているかどうかを
試すために或る動物の皮膚をその牙で刺して実験してみたところ、驚くなかれ、
その1時間後にはその動物は蛇毒にあてられて死んだのだった。
行為の積み重ねによって生じた習慣というのも、
このように吾々の生命の奥深く眠っていて、ある機会が来たら、
それが活性化して吾々の行動を支配することがあるのである。
だから、吾々はガラガラ蛇のような、
人を害する毒性のある想念や行為を積みかさねて
それを潜在意識の底に眠らしておいてはならないのである。
一千年以上も以前に乾燥状態で埋もれていた蓮の実が,
播植してみたら発芽した実例もある。
人間は、現世一代の存在ではなく、幾度も生れ変って来ているのであるから、
今、種を播いておいた善行又は悪行が、数代もの生まれ変わりの後に報いられて
来ることもあるのであるから、人生をこの世一代の存在だと思って、生きてるうちに、
どんなズルイ事でもやって出来るだけ快楽を貪って置けというような考えから
悪行の種を播いておくと、数代後の生まれ変りに、困難な状態におかれる
ということもあるのである。
私たちは毎日よき種子を業の世界に播いておかなければならない。
http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6956412
<感謝合掌 令和2年10月11日 頓首再拝>
《潜在意識を“暗い暗示”から衞ること》 - 伝統
2020/10/15 (Thu) 04:52:18
*『 生長の家 』(昭和43年7月4日の法語)より
人間の中心体なる「最高の叡智者」を吾々は「實相」と称ぶのである。
しかし生命体がつくりられた後は、實相それみずからは
「奥の宝座」にましまして、陰・陽の意識を道具として外界に対応して
人対的な生活を營ましめることになっているのである。
“陽の意識”は“現在意識”とも称せられていて、
表面にあらはれて外界の出来事や情況に応対するのである。
“陰の意識”は“潜在意識”とも称せられていて、
表面にあらわれていないで、専ら内部的な役割を果すのである。
即ち記憶の保存とか、人体内部の生理作用の調節とか、直感によって
内的に感受したことを“蟲の知らせ”などの形で現在意識に報道するとか、
要するに内的微妙なハタラキを営むのであるが、
“陽の意識”(現在意識)が男性的・主動的であるに反して
“陰の意識”は女性的又は受身的であって、外界または現在意識から発せられた
暗示をそのまま受け容れて、それを心内に懐妊して、やがてそれを具体化して
産み出すやうなハタラキを分担するのである。
内部にあって生理作用を司っている潜在意識が外界からの暗示に感応して
その暗示に左右せられ易いために、暗い暗示を潜在意識が受けるならば、
生理作用が陰気な影響を受けて活発に働かなくなり、
病氣や虚弱状態をあらわすことになるのである。
だから私たちは常に潜在意識に対して明るい健全な暗示を与えるように
工夫しなければならないのである。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4312
http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7754652
<感謝合掌 令和2年10月15日 頓首再拝>
クーエの自己暗示法 - 伝統
2020/10/17 (Sat) 04:28:36
*「光明法語(10月17日)」より
クーエの自己暗示法は「自分はこれから毎日あらゆる点で一層よくなる」と云う
同一思念を20回繰返す事によって成り立っている。
併しこれは念力波及の方法ではなく、ただの言葉で、その想念を潜在意識につぎ込めば、
潜在意識が絶大なる力でその言葉の通りを成し給うと云う信念に基いている。
これは精力を消耗し尽す事はない。
クーエも他に念力を送る場合もある。
子供をよくしたいと思う時、欲する内容の言葉を眠れる子供から1米(メートル)
離れて繰返し唱えれば好結果を得ると主張したのである。
<感謝合掌 令和2年10月17日 頓首再拝>
《暗黒思想に對して、聖語の波状攻撃を加へよ》 - 伝統
2020/10/18 (Sun) 05:03:54
*『 生長の家 』(昭和43年7月5日の法語)より
この世界には無数の不健全な暗示に満たされているのである。
特にテレビ、ラジオの發達に伴って、吾々に商業広告
―― 特に新薬の広告宣伝―― が薬を買わせるために、
病氣を恐れさせ、老衰を予告する「言葉」が愈々益々
氾濫して来ているのである。
「言葉」は種子であることを知るならば、吾々はこのような
“病気”や“老衰”の観念を潜在意識に投げ込む暗示から
“自分の心”を衞る工夫をしなければならないのである。
といってラジオやテレビに対して耳をふさぎ眼をとじている訳にも
行かないで、私たちは積極的防衛策を、「攻撃は最良の防御である」
という諺にしたがい、積極的に「光明思想」の言葉の砲弾を射ち込んで、
暗黒の想念が潜在意識を占拠しつつあるのを撃滅し
追い払わなければならないのである。
繰り返し繰り返し聖典を読むこと、そしてあまり同じ聖典を読んでいると、
言葉の新鮮味がなくなり、それだけ印象力が弱まって来るから、
また別の聖典を読むこと、未だ読まざる新しき聖典を読むこと、
これによって暗黒想念の定着せんとするのに対して波状攻撃を加える訳である。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4316
http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7754652
<感謝合掌 令和2年10月18日 頓首再拝>
潜在意識と現在意識の食違い - 伝統
2020/10/23 (Fri) 04:33:58
*「光明法語(10月23日)」より
吾々人間の潜在意識の願いには、
実相本来の願い(既に実相に於いて与えられている本性)
そのものではない、「歪(ゆが)み」があるものである。
現在意識の願いが遂げられないのは、
潜在意識の願い(又は想念)がその反対であって邪魔をするからである。
戦争中、日本人は現在意識の願いは「勝ちたい」と云う事であったに拘らず、
潜在意識の願いは「海ゆかば水漬く屍(かばね)・****で会おうよ」
(負けて死ぬ)事であった。
そこに現在意識の願いと潜在意識の願いとに食違いがあったのである。
<感謝合掌 令和2年10月23日 頓首再拝>
《あなたの良心の審判から免れることはできない》 - 伝統
2020/11/08 (Sun) 04:46:14
*『 理想世界 』(昭和42年7月6日の法語)より
赤ん坊は見ていないかも知れない。
又たとい見ても無関心で、何のことか行為の意味を解しなかったかも知れない。
本人以外誰もそのことは知らないかも知れない。
”天知る地知る”といっても部屋の中で、天も地も知らないかも知れない。
神もそれは看過すかも知れない。
神は見ていても直接には神罰を下すことはないであろう。
しかし本人の意識はそれを知っているのである。
肉体の全細胞はその行為について連関(かんれん)をもっていて、
その行為に対して反応を示すのである。
その反応の一つが「腰が立たぬ」ということであった。
それは同時に彼の意識の自己処罰であった。
「下腹部を立ててはならない」と彼の潜在意識の自己批判は
このように考えたのであった。
そして彼の下腹部から下方が全然不随になったのである。
私たちは、何人も知らぬと思い、神の罰もないと思っても、
自分自身の良心が与える判決の前には、
人は何の抵抗もなくそれに随わねばならないのである。
<感謝合掌 令和2年11月8日 頓首再拝>
如何なる観念が潜在意識に入るか - 伝統
2020/11/09 (Mon) 04:10:50
*「光明法語」(11月9日の法語)より
現在意識がボンヤリしている時に突如として投げ込まれた強烈なる印象
又は明確なる観念は、潜在意識の中に深く種子を蒔かれるものなのである。
催眠状態中の暗示は勿論、朝眼が覚めた直後の自己暗示や、
就寝後の眠りを催し来る直前の自己暗示や、診察中に医者の態度に気をとられている
最中に医者の偶然漏らした言葉や、
両親が子供を叱りつけた時、子供は呆然としている、
其のとき親の言った言葉などは深く潜在意識に刻みつけられて、
やがて芽を吹き実を結ぶ事にもなる。
<感謝合掌 令和2年11月9日 頓首再拝>
《現在意識・潜在意識・生理作用》 - 伝統
2020/11/16 (Mon) 03:31:03
*『 生長の家 』(昭和43年7月14日の法語)より
あなたが感覚にてものを視、如何なる感情又は想念を起こすにしても、
かくしてあなたが起した現在意識は、その強弱の程度に従って或は強く、
或は弱く潜在意識層に印象せられ、その印象の程度に従って
生理作用に影響を与えるのである。
明るい感情想念の影響は生理作用を強める方向に影響し、
暗い感情想念の影響は生理作用を沈鬱せしめる方向に影響するのである。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4327
<感謝合掌 令和2年11月16日 頓首再拝>
《肉体の健・不健を支配する潜在意識》 - 伝統
2020/11/29 (Sun) 05:08:21
*『 生長の家 』(昭和43年7月6日の法語)より
肉体は、“人間”そのものでないけれども、
“人間”の“生命”又は“魂”が地上生活を営む上に欠くべからざる
道具であるのであるから、その道具が健康であるか、不健康であるかは、
魂が地上で使命を果たす能率に大変な相違を来すのである。
しかもその肉体のはたらきは、生命が、肉体の生理作用をつかさどるための
媒介である“潜在意識”の状態(想念の内容)によって支配されるのであるから、
潜在意識に不純な感情、暗黒な感情などが溜まっていて、生命の純粋な健全な
はたらきを妨げることのないよやうに注意しなければならないのである。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4317
<感謝合掌 令和2年11月29日 頓首再拝>
《無意識の完成について》 - 伝統
2020/12/13 (Sun) 04:45:41
*『 理想世界 』(昭和42年7月8日の法語)より
剣の修行も、英語の修行も同じことである。
毎日の修練が一つ一つの鎖の“環”を形造って、潜在意識の底にそれが蓄積され、
敵が襲って来るとか何事かが起こったとき、或いは何かを英語で喋らなければ
ならなくなったとき、
潜在意識の底に積み重ねられていた”業の蓄積”が(この場合は)
自動的に動き出して、適当に敵の刃を払いのけ、敵を一撃の間に斬り仆す動作
となったり、自動的に英語が喋れるようになったりするのである。
そのためには修練を重ねなければならないのである。
いちいち現在意識で考えながら剣を揮っているようなことでは
敵の急襲に反撃することはできないし、
相手が早口にしゃべって来るのに、一々現在意識で単語を文法に合うように
置きならべてから応答しているようなことでは日常会話の
役に立たないのである。
たんに剣の打ち込み方を型で習っても修練を重ねなければ
やり方はわかっていてもその通りに剣が動かないのである。
このように舌を曲げ、唇をこのようにして発音するのだと知っていても
修練を重ねねば、咄嗟の場合にその通りに口が動いて発声できないのである。
良き事の”行為の業”をたびたび重ねることによってのみ、
無意識の良き行動が完成する。
それが良き性格の形成である。
それと同じく悪しき事の“行為の業”を重ねることによって、
“悪しき行為をやめよう”と思っても、潜在意識が“悪しき行為”を
無意識のうちにやらせてしまう。
だから日常生活中の小事にも、
悪しき事を習慣とするような生活は慎まなければならない。
http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6956412
<感謝合掌 令和2年12月13日 頓首再拝>
《潜在意識の電子計算機的役割》 - 伝統
2020/12/28 (Mon) 04:58:15
*『 生長の家 』(昭和43年7月8日の法語)より
大生命の叡智は、人体を構成するところの色々の要素を
驚くべき智慧をもって組織化してこのやうな人体をつくったのである。
そして一応その“人体”それ自身の腦髄智に“自由”を与えて、
人体を自治体にしたのであった。
しかし腦髄智は、いまだ嘗て“人体”そのものを製造したことはないから、
完全には人体を本当に健康にする道を知らないのである。
だから、大生命の叡智は、人体の動きを内から指導する
電子計算機的ハタラキをする潜在意識”を与えて、
これによって自働的に生理作用が調節せられるようにしたのである。
ところが電子計算機には記憶装置があって、その記憶装置に
「あやまった事項」(データ)が組込まれていると、計算機の答えが
間違って来て誤った指導をするのと同じように、
潜在意識に「あやまった事項」(憎しみや、怒りや、悲しみや、不平や、屈辱や、
嫉妬や、貪慾や、欲求不満や、意気消沈など)が組み込まれることになると、
純粋に大生命の叡智そのままに潜在意識が生理作用を正しく調節することが
できなくなり、そこに病気や早期老衰をひき起こすことになるのである。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4319
<感謝合掌 令和2年12月28日 頓首再拝>
《超越意識の自己審判について》 - 伝統
2021/01/15 (Fri) 03:42:46
*『 理想世界 』(昭和42年7月9日の法語)より
私たちの潜在意識の奥には、
自分自身の行為を自己審判する超越意識が存在する。
それは“良心”とも通俗的に呼ばれるものであって、
良心は人類共通に同一の審判の規準となるものをもっている。
随ってそれは、普遍的な意識であって”殺生”に対しては誰でも、
“それは善くない”という審判を下すように、
共通的判断の規準を備えているのである。
しかし、吾々は実際生活に於いて時々、その規準を犯して行動するのである。
そのようなとき、吾々の超越意識はそれに対して、
“自己懲罰”の判決を与える ―― すると潜在意識が、
その刑の執行係となって、無意識行為によって自分に対して
苦痛や病気や不幸や災難を与える方向に動き出すのである。
その時、その人は自分の潜在意識を“敵”又は“処刑係”に廻すのであり、
現在意識が如何に幸福を求めても不幸が来たり、
富を求めて行動すればするほど失敗して損になったり、
健康を如何に求めても病気が治らなかったりするのである。
こんな時、心がクラリと転向して前非を悔いて、生活の方向を一変するとき、
特赦の恩典に浴するかの如く、病気が突然にして消え、
運命が突如として好転することが起こったりするのである。
http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6956412
<感謝合掌 令和3年1月15日 頓首再拝>
人類の病気、不幸、貧乏を半減させる道 - 伝統
2021/01/24 (Sun) 03:04:15
*『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月24日)より
人々の苦しみをして避けるものが、神の前には尊きものであるという考え方が、
敬虔なる宗教人に唱えられたる時代があった。
貧乏は人々の苦しみを避けるものであるがゆえに尊い。
不幸は人々の苦しみとして避けるものであるがゆえに尊い。
病気は人々の苦しみとして避けるものであるがゆえに尊い。
かかる考え方は人類の潜在意識が有していたがゆえに、
人類の潜在意識に心の創化力を動員して、その尊いと思う「貧乏」を、
その尊いと思う「不幸」を、その尊いと思う「病気」を、
創作しつづけてきたのである。
潜在意識が欲する病気を創作することは、
世界大戦時における戦争麻痺症がこれを証明している。
病人においては「富」は罪への誘惑となりうることはある。
しかしそれが「富」そのものの罪でないのは、
白刃(はくじん)が殺人の用に供されようとも、
白刃そのものの罪でないと同様である。
罪は「使用方法を誤る」ということと、「処を得ない」ということにある。
白刃も富も、処を得て正しく使用せられるとき、
天下を平定する剣となり富となる。
われわれの欲しないものを神が欲し給うかもしれぬという考えは、
神人分離の考えである。
われわれの欲せぬことを神が欲し給うかもしれぬというのであるならば、
あらゆる道徳の根拠は不確かなものとなってしまう。
われわれが善と思ったものが善でないかもしれず、
悪と思ったものが悪でないかもしれぬとしたら、
われわれは何を行なったらよいか分らぬことになり、
われわれは他人の貧乏を救うことも、
不幸を救うことも、病気を救うこともできぬことになる。
貧乏や不幸や病気が「善」であれば、それから人を救い出そうとする努力は、
人を「善」から追放する罪悪となるであろう。
しかし、何人(なんぴと)も、病気や不幸や貧乏から人々を救い出すことを
善事だと認めずにはいられない。
そうしたならば、病気や不幸や貧乏は「悪」であり、
神の欲し給わないものであることにまちがいはない。
では、病気や、不幸や、貧乏は人々が苦しいとして避けるものであるがゆえに
尊いという誤れる迷信を捨てなければならぬ。
人類が、病気や、不幸や、貧乏を真に尊敬しなくなり、
それを口実にして同情を求めなくなり、
悲劇を深刻だというような迷信から醒めるようになったとき、
人類の病気、不幸、貧乏は今よりも半減するであろう。
<感謝合掌 令和3年1月24日 頓首再拝>
《自然良能を妨げる潜在意識》 - 伝統
2021/02/11 (Thu) 04:49:23
*『 生長の家 』(昭和43年7月9日の法語)より
ちょっと皮膚に傷を受けたり筋肉が傷ついたりすると、
内部の潜在意識がその電子計算機的なハタラキによって、
どこに如何なる成分を移動して、如何にその成分を組織して、
新たなる皮膚組織や筋肉組織を復旧するが好いか判断せられて、
その判断によって作業が進められるのである。
ところが、そのように直ちに復旧作業の行われる人体と、
手術したあとが少しも新しい肉芽を発生せずに
糜爛と腐爛とを繰返して行く人体とがあるのである。
速やかに健康を恢復する肉体と、
段々病状が深刻になって行く肉体との
差別が生じて来るのは如何なる理由によるのであろうか。
私は戦争で片脚を失った傷痍軍人の脚の切り口がいつまでも癒えずに
糜爛に糜爛を繰返していて、その原因が不明であったのが、
妻が早速、自分を病院に見舞に来てくれない事に対する憤りが
原因であって、妻が早速自分を見舞に来ててくれなかったのは
実にやむを得ない事情があったのであって、
妻の自分に対する愛情は少しも失われていないことがわかって、
妻に対する怨みの感情が消えると共に、
直ちにその脚の切断部の傷が癒えはじめて
1週間ほどのうちに完全に癒えてしまった実話をきいたことがある。
これは潜在意識の癒能を指導する電子計算機的ハタラキが
「妻に対する怨恨の感情」で歪められられていた間は
治癒が完成しなかったのである。
他の病気でも同じことである。
長く癒えない病気に苦しんでいる人は、
自分の心の中を振り返って見る必要がある。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4322
<感謝合掌 令和3年2月11日 頓首再拝>
《“そのままの心”になって潜在意識を淨化せよ》 - 伝統
2021/02/22 (Mon) 04:56:22
*『 生長の家 』(昭和43年7月10日の法語)より
潜在意識は受動的であり、現在意識が知覺をもって感じるところの印象や、
それによって反応する現在意識の感情の起伏が潜在意識に蓄積されていて、
潜在意識の司る生理作用の調節を混乱状態に陥れるのである。
「そのままの心」なるということは、このような混乱から、
自分の心が自由に解放され、大生命の叡智のそのままになる
ということである。
泳ぎを知らぬ人が水に跳び込んでも、
そのままの心でゐれば沈むことがないのである。
水面に“大”の字に寝て全身が平等に浮いて沈まなければ、
その人の心に偏りがなく、不安がなく、恐怖がなく、
そのままの心であるしるしである。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4323
<感謝合掌 令和3年2月22日 頓首再拝>
潜在意識がその行為の合理性に納得させられるよう事件を落着させることが大切である。 - 伝統
2021/02/26 (Fri) 03:10:37
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月26日)」より
腹を立てることと、相手に対して悪意を抱くことは相手を殺すことになる。
今日(きょう)、中島さんが入って来てこんな話をした。
○○電気局長のN氏、ある婦人と婚約したが、しばらくの後
その婚約した婦人のところへN氏から送られて来たものは、
N氏がすでに別の婦人と結婚したという通知のハガキであった。
あとで聞いてみると、さきの婦人はその時ハッと思っただけで
深く怨みに思ったわけではなかったというが、
ともかく重大な問題について約束を破られたのであるから、
強い衝動を受けたということは明らかである。
それからが問題である。――
爾来、N氏の結婚生活は不幸であった。
N氏の新妻は常に病気で、ほとんど健康な日とてはなかった。
その間に一人の女児を儲けたが、
N氏の家族は妻の病気のために不快な日がつづいた。
N氏が三回目に逓信省の辞令によって洋行したとき、N氏はどういう考えだか、
その夫人との13年間の結婚生活を解消すべく離縁状を送った。
夫人が結婚生活以来13年間の病気は、その結婚解消と同時に
たちまち完全に治ってしまったのであった。
N氏は今また別の婦人と夫婦生活を営んでいるが、
常に夫婦喧嘩の絶え間がないそうである。
中島さんの話はこれだけである。
あとはわたしの感想である。
第一の約束は先取的特権として最高権威をもち、ぜひとも守られるべきものである。
守らないくらいならば、イエス・キリストも「誓うなかれ」といったように
約束すべきではなかったのである。
やむをえずに約束を破らねばならぬようになったならば、
一片の葉書などで破約すべきではない。
先方が大調和の心持で快諾するまで十分話し合って、
心残りのないように十分合理性を持たせて
事件を落着せしむべきものである。
最初の約束を破って、N氏が結婚した二人目の夫人が始終不健康であったのは、
最初の婦人の恨みの念が、二番目の婦人を縛っていたのだとも
解することができるのである。
あるいはN氏自身の自己審判の潜在意識が夫人に移入して
夫人が13年間も病気していたのだとも解せられる。
ともかくとうとうN氏は二番目の婦人を去ることによって、
最初に約束をしたその婦人に申し訳をしたのである。
言葉で十分相手に申し訳をして
潜在意識がその行為の合理性に納得せしめられていたならば、
生活や行為に不幸な現象を現わして
最初の夫人に申し訳する必要はなかったに相違ないのである。
<感謝合掌 令和3年2月26日 頓首再拝>
《神に護られている思いを潜在意識に印象しましょう》 - 伝統
2021/03/13 (Sat) 04:53:00
*「真理」第9巻(P94~95)より
神が常にあなたの事業を護っていることを信じなさい。
神の愛が常にあなたの子供を護っていることを信じなさい。
信ずるとは表面の心で唯ポカンと漠然と、そう思っていることではありません。
常に心でとなえることです。
現在意識がそれを忘れていましても潜在意識は常に
「神は常に私の事業を護っている、私の子供を護っている」
と云う想念で一杯になっているのでなければなりません。
仏教でも「不断の念仏」と云うのがあります。
表面の心の動きよりも、心の底に流れている全心の思いが
「神に護られている」と云う想念で常に満たされていなければなりません。
「われは神に護られて常に健康である。
われは神に護られて常に幸福である。
われは神に護られて必ず栄える。
神の智慧は常にわれを安全と繁栄に導きたまう」
と念ずるように致しましょう。
<感謝合掌 令和3年3月13日 頓首再拝>
《あなたが常に若々しくあるために》 - 伝統
2021/04/15 (Thu) 02:42:23
*『 生長の家 』(昭和43年7月17日の法語)より
私たちは老人のヨボヨボした姿をなるべく見てはならないのである。
それは感覚を通して「人間は必ず老いるものであり、老いればヨボヨボになる」
という観念を暗示として受取り、自分の潜在意識にそれを印象して、
その模型の通りに自分の肉体を老衰した状態に導くのである。
私たちは常に若い人たちと交わるがよい。
そして自分もその若い人たちのひとりであるという暗示を
受けるようにするがよいのである。
神想観して時間を越えた境地に入り、人類意識の
「人間は年齢によって老衰するものである」
との観念から超出しなければならないのである。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4331
<感謝合掌 令和3年4月15日 頓首再拝>
潜在意識の世界に蓄積して来た業 - 伝統
2021/04/21 (Wed) 03:20:40
*「光明道中記」(4月21日)より
~種子(たね)を蒔くに肝腎の日
【兎も角十人の隣人に喜ばれる人は十人の顧客を有(も)つ者です。
神に喜ばれる人は神を顧客に有つ者です。(『百事如意』)】
勤労も好(よ)い、奉仕(サービス)も好い。
併しながらそればかりが成功の全貌ではないのである。
世の中には石川啄木の歌の通り、
働けど働けど生活が楽にならない人たちも沢山ある。
勤労は耕作であり、掘鑿であるけれども、
いくら耕しても不毛の地では好い作物は出来ないし、
いくら掘鑿しても、鉱物の埋蔵されていないところから
鉱石が採取される筈がない。
だから成功とは、見えない世界に埋蔵されている「或る物」だと
言わなければならないのである。
見えない世界に埋蔵されている「或る物」こそ
耕作して花開き実を結ぶ種子であり、
埋蔵されている鉱石である。
これは宗教上の語(ことば)で言えば「福田」であり、
心理学上の語で言えば識域下に印象されている観念である。
それは一言で云えば、吾々の先祖と、吾々自身が
潜在意識の世界に蓄積して来た業である。
それは意業、口業、身業と云うように3つに分つことも出来るが、
すべての業は念の動かない所に動かないのであるから、
全(すべて)は「蓄積された念」だと云う事が出来る。
「念」が不幸になるように蓄積されている人は、
どんなに耕作しても、どんなに掘鑿しても、
そこは不毛の地だと云うことになる。
<感謝合掌 令和3年4月21日 頓首再拝>
潜在意識に蓄積された感情を統制する - 伝統
2021/04/28 (Wed) 04:39:37
*「光明道中記」(4月28日《心の主人公となる日》)より
【神と私とは父子の関係だ。本当に愛して愛されている。
(『生命の實相』第十七巻)】
愚かなる人と賢者との相違は、
愚かなる人は一時の感情に捉えられて失敗するし、
賢者は冷静な智慧によって、その野生的な感情を駆使して
一定の方向に利用して行くのである。
腹の立っている時には人に怒鳴り附けてはならないし、
腹の立っている時には人に手紙を書いて投函してはならない。
耐(たま)らなければ書くだけは書くが好い。
罵(ののし)れるだけその書き物の中で罵るが好い。
併しその手紙を投函してはならないのである。
激情は壁に打(ぶ)っ衝(つ)かったゴムボールのように
吾々の投げたと殆ど同じ力で投げ返されて来るものである。
書きたいだけ書いたならば、
その怒(いかり)の念は既に形の世界に顕れたのであるから、
新たな激情も煽(あお)らない限り、その最初の実現力を失って、
耐(た)まらないと云う程にはならないのである。
もうその時赦せば好い。
吾々への神の啓示は、一度吾々の潜在意識面へ照射されてから
現在意識へ反射して出て来るのである。
吾々の潜在意識が「幸福」を吸収して了うならば、
「幸福」になる方法は現在意識面へ浮かび上がって来ないのである。
潜在意識に色々の悪感情を蓄積して置くならば、
どんなに神がその人に「幸福」の光を投げかけても、
その人の現在意識には不幸になる道のみが思い浮かぶだろう。
<感謝合掌 令和3年4月28日 頓首再拝>
潜在意識中の優勢観念が磁石となって人生が展開する - 伝統
2021/04/29 (Thu) 04:14:38
*「光明道中記」(4月29日《感謝報恩の日》)より抜粋
【富を自分の方へ引き寄せようと思うまでに、
自分自身を全体のために与えなければなりますまい。(『生命の實相』第十七巻)】
吾々の潜在意識の中には色々のものがある。
その中で最もどう云う種類の観念が優勢を占めているかと云うことによって
其の人の運命は決するのである。
其の人の周囲に集まって来る日常無数の出来事は、
その人の潜在意識中の優勢観念が磁石となって回転するのである。
吾々の潜在意識中の優勢観念が、「人間神の子・万事良くなる」という
大信念であるならば、その人の周囲に起るところの大小無数の事件は必ず
其の人が幸福になるように、その人が発展するように好転好転又好転するのである
<感謝合掌 令和3年4月29日 頓首再拝>
「自然界の法則」か「人類の潜在意識」か - 伝統
2021/05/20 (Thu) 07:05:46
*「女性の理想」(P135~136)より
宇宙生命の想念の運動方式が《正しい意味での》自然界の法則です。
「《正しい意味での》自然界の法則」と云う表現に注意してください。
吾々が普通「自然界の法則」と云っているもののうちには
実は「自然界の法則」ではなく、人類の迷い心の《運動の道》(ほうそく)
であって宇宙大生命の運動の道でないものが多分に含まれている
のであります。
(例えば、寒冷な空気に触れれば感冒にかかるのは
自然界の法則だと云うが如き)
そこで宇宙大生命の想念の運動方式が自然界の法則でありますが
その中に生まれ、生き、動いている人類の潜在意識には先天的に
「宇宙大生命の想念の運動方式」(自然界の法則)が印象されて
いるのであります。
そして吾々の潜在意識を通して、自然界に行なわれる色々の現象を
見る(意識の表面に浮かび上らせる)のであります。
<感謝合掌 令和3年5月20日 頓首再拝>
馬の前脚(まえあし)と後脚(あとあし)との譬(たとえ) - 伝統
2021/06/17 (Thu) 04:51:26
*『 愛はかくして完成す 』(P108~109)より
グレン・クラーク教授は、現在意識と潜在意識との調和を、
「馬の前脚と後脚」 に譬えた。
それは教授が 或る暑中休暇に 山麓の高原地帯で
乗馬で体を鍛えている時であった。
或る日 教授は 現地の乗馬の友達と
そのあたりの嶮峻(けんしゅん)な山に登ることになった。
その時、現地の乗馬の先達が
「教授の馬では その嶮峻な山の急傾斜の坂道を真直に登ることはできないから、
遠廻りであるが 傾斜の緩かな普通人の通る山道をくねりながら登りなさい」
と教えてくれたのであった。
グレン・クラーク教授は
「自分の馬は 街では優秀な馬であるのに、
どうして嶮峻な山道を一直線に登ることが できないのですか」
ときいた。
その時、現地の乗馬の先輩が こういって教えてくれたのであった。
「どんな立派な馬でも、長期間 平地ばかり走っていた馬は、
その前脚の蹈(ふ)んだ足跡を、寸分たがわず同じところを 後脚が蹈まないで
1センチとか数センチとか 違う位置を後脚が蹈む。
それは 平地では 何の危険もないけれども、嶮峻な山道では、
前脚が蹈んだ恰度の場所(これは 眼で見て 安全なところを蹈んだ位置である)
を後脚が蹈まないで、一寸でもズレた位置を蹈むと急傾斜の岩を蹈んで
辷(すべ)って顛落(てんらく)する惧(おそ)れがあるから危険です」
眼で見ながら危険のない所を蹈んで前に進む前脚は現在意識に当るのであり、
ただ与えられた方向について行く後脚は潜在意識に当るのである。
潜在意識が現在意識に完全に重なり合う位に調和しておれば、
その人の現在意識の願うことは必ず成就するのであるが、
潜在意識の中に 現在意識の願いを少しでも 「それを好まない」 とか、
「それよりも この方がよい」 とかいう否定的なズレのある考えがあると、
目的の山巓(さんてん)に登ることができないで 途中で顛落(てんらく)する
ことになるのである。
・・・
<関連>
(1)「牝鹿の脚」全文~「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐[749] 牝鹿の脚の話」
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=96
(2)「牝鹿の脚」要点~「伝統板・第二~「牝鹿の脚」の話 」
http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6592074
<感謝合掌 令和3年6月17日 頓首再拝>
現在意識の願い と 潜在意識の願い とがピッタリ一致すること - 伝統
2021/07/14 (Wed) 03:01:39
*「眞理」第2巻基礎篇第5章(P151~152)より
~《自分と神とに調和するもの》
吾々が祈りによって何事(なにごと)にても成就するためには、
それが既にあなたにとって賦與(わりあ)てられたるもの
でなければなりません。
それがあなたの天分に適(かな)うものでなくてはなりませぬ。
薔薇の木が桜の花を咲かせたいと云うような願いであってはならない
と云うことなのです。
或る意味で言えば、既に「自分のもの」であるもの、
或る意味では、神から既に許されたるもの ――
自分と神とに調和するものでなければならないと云うことなのです。
そうすれば現在意識の願いと、潜在意識の願いとが
ピッタリ一致することになります。
すると、潜在意識の無意識的な抵抗がありませんから、
自然にその願いが成就することになるのであります。
<感謝合掌 令和3年7月14日 頓首再拝>
潜在意識が病気をつくる - 伝統
2021/08/28 (Sat) 04:59:35
*『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月28日)より抜粋
若い娘さんがお嫁に行って、その家庭がおもしろからぬ場合に、
なんとかしてその婚家先から逃げ出そうという思いを起こすと、
病気になったりすることがある。
病気になったら実家に帰れると思うと
潜在意識がその目的を達成させるために肉体を病気にならせるのである。
嫁が、そういうふうに逃げ出そうと思っているかぎりは
本当の真心を尽すことができないから、舅、姑から見ても
百パーセントその嫁が真心を尽しているというように見えないから、
舅姑の方でも不満足である。
そこでどうしても嫁に対して冷たく当たるということになる。
そして嫁と岳父母(しゅうとたち)との間に仕切りができたようになる。
けれども逃げ出すことができない。
逃げ出すことができないのを逃げ出すために病気にでも
なるほかしかたがない。
そこで潜在意識が病気をつくるのである。
<感謝合掌 令和3年8月28日 頓首再拝>
《「本能の心」と潜在意識との関係》 - 伝統
2021/09/26 (Sun) 04:53:12
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P209~210)より
人間に於て過大に発達した「自覚意識」は、
その重量の過大のゆえに、それが更(さら)にその影響を、
基礎工事の「無意識」の中に及ぼしているのである。
従って、人間の「無意識」層には、単なる「本能の心」のほかに、
過重の自意識が印象した「潜在意識」層があるのである。
それが肉体の生理作用を司(つかさど)る「本能の心」と混り合って、
正常の生理作用を抑圧して不完全ならしめることがあるのである。
「野獣が病気をしない」と云うことも、
それは「本能の心」を主として生きているからであります。
「本能の心」は主として大生命からの
基礎的催しであるから健全であります。
動物が過淫のために神経衰弱になった例はないのであります。
自覚意識が働いて、「本能の心」を過大に働かせたり
抑制したりするから其処に病気が起こるのであります。
<感謝合掌 令和3年9月26日 頓首再拝>
「切実なる願い」はきかれる - 伝統
2021/10/21 (Thu) 04:40:08
強力なる願い
*「光明法語(10月20日)」より
「切実なる願い」はきかれる。
切実とは単に「強力なる事」ではない。
深切真実と云う事である。
深切とは表面浅膚(せんぷ)の反対である。
流行を追い、虚栄を追い、時局に乗り、時流に投じ、世間の噂に動かされた其の結果
「こうしたい」と思う事は、如何なるものでも「強力なる願い」だと云うことは出来ない。
キリストはゲッセマネの園に於いて
「みこころならばこの苦き盃をわれより取去り給え」と血の汗を流して強く祈った。
併しそれは彼の切実なる願いではなかった。
・・・
切実なる願い
*「光明法語(10月21日)」より
イエスの切実なる願いは
「モーゼが金の蛇を竿の先にあげてユダヤ民族を神の怒りより救った如く、
みずからが十字架にかかって人類の罪の意識を身代わりとなる事」
であった。
だから彼は「モーゼが蛇を挙げた如く、我れも挙げられるとき来らん」と預言した。
それは潜在意識の切なる願いであったのである。
併し現在意識の強き願いは、「この苦き盃をわれより取去り給え」であった。
現在意識の如何に強き願いがあるとも、
潜在意識の中にその反対の願いがあると成就しない。
<感謝合掌 令和3年10月21日 頓首再拝>
潜在意識と現在意識の食違い - 伝統
2021/10/23 (Sat) 04:52:25
*「光明法語(10月23日)」より
吾々人間の潜在意識の願いには、
実相本来の願い(既に実相に於いて与えられている本性)
そのものではない、「歪(ゆが)み」があるものである。
現在意識の願いが遂げられないのは、
潜在意識の願い(又は想念)がその反対であって邪魔をするからである。
戦争中、日本人は現在意識の願いは「勝ちたい」と云う事であったに拘らず、
潜在意識の願いは「海ゆかば水漬く屍(かばね)・****で会おうよ」(負けて死ぬ)
事であった。
そこに現在意識の願いと潜在意識の願いとに食違いがあったのである。
<感謝合掌 令和3年10月23日 頓首再拝>
潜在意識にある本音が出る - 伝統
2021/10/25 (Mon) 04:49:33
*『生命の實相』(幸福篇下第三十八巻(10月25日)より
平常はみんな立派な人に見えるが、大事件が起こったときに、その人の本音が出る。
相当立派に悟っているような人で、近親者の死にぶつかって、
実は自分がなんにも悟っていなかったのだということを知ることがたびたびある。
人間は死なない生き通しのものだと教えられながら、
やっぱり人間は死んだと思いたがるのはどうしたものだろうか。
<感謝合掌 令和3年10月25日 頓首再拝>
如何なる観念が潜在意識に入るか - 伝統
2021/11/09 (Tue) 04:54:12
*「光明法語」(11月9日の法語)より
現在意識がボンヤリしている時に突如として投げ込まれた強烈なる印象
又は明確なる観念は、潜在意識の中に深く種子を蒔かれるものなのである。
催眠状態中の暗示は勿論、朝眼が覚めた直後の自己暗示や、
就寝後の眠りを催し来る直前の自己暗示や、診察中に医者の態度に気をとられている
最中に医者の偶然漏らした言葉や、
両親が子供を叱りつけた時、子供は呆然としている、
其のとき親の言った言葉などは深く潜在意識に刻みつけられて、
やがて芽を吹き実を結ぶ事にもなる。
<感謝合掌 令和3年11月9日 頓首再拝>
人類の潜在意識 - 伝統
2022/01/24 (Mon) 04:26:57
*『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月24日)より抜粋
人々の苦しみをして避けるものが、
神の前には尊きものであるという考え方が、
敬虔なる宗教人に唱えられたる時代があった。
貧乏は人々の苦しみを避けるものであるがゆえに尊い。
不幸は人々の苦しみとして避けるものであるがゆえに尊い。
病気は人々の苦しみとして避けるものであるがゆえに尊い。
かかる考え方は人類の潜在意識が有していたがゆえに、
人類の潜在意識に心の創化力を動員して、その尊いと思う「貧乏」を、
その尊いと思う「不幸」を、その尊いと思う「病気」を、
創作しつづけてきたのである。
潜在意識が欲する病気を創作することは、
世界大戦時における戦争麻痺症がこれを証明している。
<感謝合掌 令和4年1月24日 頓首再拝>
《現在意識と潜在意識との関係》 - 伝統
2022/02/27 (Sun) 04:38:55
*「眞理」第2巻基礎篇第8章(P211~212)より
雨の一滴一滴(いってきいってき)が川となり、
流れ込んで湖(みずうみ)になるように、
「現在意識」(自覚の心)の一滴一滴、一つの思い、一つの感情は
蓄積されて「潜在意識」の湖水(こすい)となっているのである。
湖水の底部(ていぶ)には、湖水の水を湛(たた)えるための土壌がある。
その土壌は「本能の心によって構築された肉体」にも
喩(たと)えるべきものである。
「潜在意識の湖水」の表面にあらわれている部分が
「現在意識<自覚の心)である。
「潜在意識の湖水」の中にある一滴一滴は嘗(かつ)ては、
現在意識の一滴一滴が流れ込んで出来たものであるがゆえに、
それは嘗(かつ)ては意識の表面にあったものであるから、
思い出そうと思えば思い出せるのは、
湖水の底の水を汲(く)めば汲めるようなものであるが、
必ずしもすべての記憶を汲み出すことが出来ないのは、
湖水の底の水を全部汲みだし得ないのと同じである。
<感謝合掌 令和4年2月27日 頓首再拝>