伝統板・第二
長寿(聖典篇)② - 夕刻版
2020/09/03 (Thu) 22:23:20
*伝統板・第二「長寿(聖典篇)」からの継続です。
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7716612
《新生する力に感謝せよ》
*『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第12篇
(P318~319) より
神は人間を“神の最高の自己実現”として造ったのであるから、
神はつねに人間を《より》一層完全により一層健康に、
《より》一層あらゆる点に於いて、時々刻々一層すぐれて進歩するように、
内部的衝動与えておられるのである。
皮膚に傷をしても数日のうちに美しく新鮮な皮膚が再生することを思えば、
あらゆる病菌が人間を傷つけても、その傷を完全にいやす力は内部宿っている筈であり、
更に、年齢や、年月の経過が私たちの肉体を傷つけても、それを再び
若々しい肉体組織に再創造する力は私たちの内部に与えられている筈なのである。
この「再創造する力」を指揮する潜在意識に、
現在意識がよきデザインを与えればよいのである。
つとめて、自己の不健全を思わぬこと、明るい心を持つこと、
「老(おい)」を思わぬこと、つねに大自然の力が自分を新生しつつあること
を思って感謝することである。
<感謝合掌 令和2年9月3日 頓首再拝>
《心を柔らかく「そのまま」に》 - 伝統
2020/09/06 (Sun) 18:38:47
*『生活の智慧365章』(第4部繁栄の泉)第12篇(P319) より
肉体は、潜在意識が建築主となって構築されつつある構造物であり、
その潜在意識が施工主(ぬし)として、どんなデザインでも吹き込むことができる
のであるから、現在意識に絶えず想うことが、その構築の原図となって
肉体がつくられることになる。
人体の老化現象は、心の原図に『老(おい)」が描かれているからであるが、
またそこには血管や筋肉や皮膚に硬化現象が起こりつつあるのは、
心の原図の中に「柔らかさ」が失われつつあることを証するものである。
人間が老いなくなるためには、心を柔軟にしなければならないのである。
鋼(はがね)のように硬い心をもって、「頑固一徹の老人」と言われるような
心の原図を作っておけば血管や皮膚や筋肉に硬化現象が起こるのも無理がないのである。
やはり爰にも、素直な、やわらかな、「そのままの心」と言うものが必要である。
<感謝合掌 令和2年9月6日 頓首再拝>
《若々しくある秘訣》 - 伝統
2020/09/07 (Mon) 21:47:31
:『生活の智慧365章』
(第4部繁栄の泉)第12篇(P320~321) より
常に「我れ若し」と念ずること、
常に若き人々を友として交わり、その若々しき想念の影響を受けること、
常に、”悦び”を念じて、”苦痛”を思わざること、
頑固に去って柔軟な心をもつこと
── これらは、常に若々しくあることの秘訣である。
こうして若々しき想念は、常に肉体を再建築するときの「心の原図」となって、
ついに本当に其の人の肉体を若返らせることに成功することができるのである。
人生は無限内容の展開である。
だから、人間は「これだけの事をしたから、もう我が使命終れり」
などと云うことはないのである。
人は「我が使命終れり」と思うとき、
次の世界(霊界)へ行く準備をしはじめるのである。
肉体の老化、硬化、精力の減退、疲労・・・など悉く心の問題である。
常に希望をもち、使命感を有し、一刻と雖(いえど)も、
向上進歩の心を捨ててはならないのである。
<感謝合掌 令和2年9月7日 頓首再拝>
《老衰は精神の沈滞から》 - 伝統
2020/09/08 (Tue) 18:34:30
*『生活の智慧365章』
(第4部繁栄の泉)第12篇(P321~322) より
常に努力し向上してやまぬ心は人間を若返らせるものである。
忙しければ老いる閑(ひま)がなくなるのである。
急速に回転する独楽(こま)は、少しも揺れることなく正確に立つけれども、
速度が衰えて行くと回転が乱れて来る。自転車でも同じことである。
人間も隠居して閑居(かんきょ)に置かれれば急に追い込み始める。
国鉄で定年退職した人の、後(あと)の寿命は
平均5年に過ぎないと聞いたことがある。
老人が老人であるのは、年齢によらないで、
生命(せいめい)が溌剌として働くか、働く意欲がなくなるかの相違である。
精神の沈滞は老衰の最大原因である。
子供のように語学を習ったり、初歩の高等数学を習って頭脳を
常に働かすことは老衰を避ける最もよき方法である。
仕事が人間を老衰さすのは、仕事そのものから来るのではなく、
責任感から来る精神の重圧、急ぎすぎる心、
失敗や周囲から来る恐怖などが因(もと)である。
<感謝合掌 令和2年9月8日 頓首再拝>
《夢を描く》 - 伝統
2020/09/09 (Wed) 20:10:40
*『生活の智慧365章』
(第4部繁栄の泉)第12篇(P322~323) より
人間は希望を失い、夢を描かなくなった時進歩はとまり、
向上しなくなり、「老い」は始まる。
空中の楼閣だと笑われてもかまわない。
たといそれが現実化しない空想であっても、常に前方に夢を描くことは、
人間の精神を常に若々しくし、それにつれて肉体を若返らせる功徳がある。
更に空想された「精神的原図」を骨組みとして、
それに肉をつけることが出来れば、
それは精神的と現実的との両面の功徳を得たことになるのである。
人工衛星や、月ロケットは過去に於いては
現実化し得ざる単なる「空想」であったかも知れないが、
今は確乎とした科学的設計の問題になりつつあるのである。
だから空想を描くことを遠慮してはならない。
そして絶えず、新しき科学的知識をとり入れて、精神自身も
時代と共に若返って行かなければ、肉体ばかり若い様相をしていても、
精神が「老い」てしまっていては何にもならない。
<感謝合掌 令和2年9月9日 頓首再拝>
《猛烈なる事業欲》 - 伝統
2020/09/12 (Sat) 22:59:00
*『生活の智慧365章』
(第4部繁栄の泉)第12篇(P323) より
実業界に於いても偉大な成功したような人たちは中々老いないで
70歳を超えてからでも多くの会社を管理したり、
新規事業計画に熱意を示しているものである。
換言すれば、事業の中に常に大いなる夢と希望をいだいて、
「必ずなる」と信じて努力を続けるのである。
夢と希望と信念と努力とは「老い」を防ぐところの精神的妙薬である。
この種の人々は常に精神に弾力があって、どんな悪条件でも、
世間の不景気が襲って来ても、それで枉屈(おうくつ)してしまわないで、
撥ねかえす精神的弾力持っているのである。
その精神的弾力が、その人の血管に弾力を与え、
筋肉や皮膚にも弾力を与えて肉体をも若返らせるのである。
常に何かを計画せよ。
小さな”仕事の苗”を植えて、苗の成長を楽しむ心は人間を若返らせる。
<感謝合掌 令和2年9月12日 頓首再拝>
《肉体を若返らせる心》 - 伝統
2020/09/13 (Sun) 19:22:23
*『生活の智慧365章』
(第4部繁栄の泉)第12篇(P324) より
温かい心、善意、寛大、同情等、
およそ、愛から発する心は人間を若返らせるのである。
凡(およ)そ愛に反する心、冷たい心、悪意、狭量、刻薄等の心は
肉体を硬化させ、血管や筋肉を収縮させて老衰をまねくところの心である。
どんな逆境に於いても、すぐ心を転じて光明の方へ
振向き得る心は肉体を若返らせる心である。
どんな悪人に見えようとも、その悪を責めず、その奥にある実相の善を見て、
それを賞(ほ)める事に悦びを感ずるような心は、常に明るく、
常に楽しい故に肉体を若返らせる効果があるのである。
常に人の欠点を観、人の欠点を指摘することに悦びを感ずるような人は、
常に心のうちに敵を持つが故に、ホルモンの分泌が騒(みだ)れて
生理的変調を起して、肉体の老衰を招くのである。
<感謝合掌 令和2年9月13日 頓首再拝>
《生活を遊戯化する》 - 伝統
2020/09/16 (Wed) 17:30:00
*『生活の智慧365章』
(第4部繁栄の泉)第12篇(P324~325) より
家族集って愉快に笑いさんざめくような心境では人間は老いないのである。
人生の“悪”を見て悲憤慷慨する心は「老(おい)」を招く心である。
現在の状況が如何に自分の理想に遠いものであるにしても、
それに憤(いきどお)りを感ずるだけでは何にもならないのである。
その現在の不完全な状態は、自壊しつつある過程であって、
やがて自分の理想とするような状態があらわれて来ようとするための先駆である
と思って、信念と希望とを持つことが必要である。
信念と希望とさえあれば、手を束ねて待っていればよいかと言うと決してそうではない。
今ある所の地歩を踏石として、最も適切なる所へ次の手を打つということである。
それは将棋をさし碁を打つのと同じことである。
人生は或る意味においては遊戯である。
生活を遊戯化するものは若返る。
<感謝合掌 令和2年9月16日 頓首再拝>
《美点のみを語る会》 - 伝統
2020/09/19 (Sat) 17:13:22
*『生活の智慧365章』
(第4部繁栄の泉)第12篇(P325~326) より
常に善意を持つ者は、自分の周囲に善意ある者を引き寄せるのである。
苟(いやしく)も人々に対して悪意をもってはならない。
其処には必ず「類は友を招ぶ」という心の法則が働くのである。
悪意を起せば、悪意ある者が集まって来るのである。
友だちや家族が集まっても、人の欠点を指摘して楽しむような
ゴシップの会にしてはならない。
「家族互いに美点を見て、賞め合い且つ感謝し合う会」を月に1回以上催すがよい。
人の美点を見る習慣がこれによって養われる。
人の美点ばかり見えるようになったら、その人の身辺は必ず極楽浄土になるのである。
それに反して、人の欠点ばかり探して嘲笑するゴシップの会などを毎月恒例に
開いているならば、その人の性格から「素直さ」は失われ、反対観念ばかり
浮かんで来るようになり、歪んだ性格となり、肉体は速やかに老化し、
運命も暗くなる。
<感謝合掌 令和2年9月19日 頓首再拝>
『いつまでも健康で若々しくなる祈り』 - 伝統
2020/09/21 (Mon) 19:20:26
*『白鳩』(昭和51年7月号)より
“若さ”の雰囲気の感染である。
“茶飲み友だち”などといって、老人は老人づれで老人ばかり集まって、
時折春宵を語りあかすのは、楽しみであろうけれども、
“若返える”という点からいうと、若い人の群に入って一緒に楽しんで
“若さの雰囲気”に感染することは一層よいことだと私は思う。
若い人からは“若さの霊的雰囲気”が始終放散されているのである。
この“若さの雰囲気”は一種の“生命力元素”の放出みたいなものである。
ある人はこれを“若素(じゃくそ)”と命名した。
われわれは一日のうちある時間を、それが出来なければ一ヶ月のうち何回かを
子供又は幼児と生活することにして、
彼らから“若素”の放出を吸収するようにすることは若返りのために必要な項目である。
人間は常に若返って長寿を得たいと思うならば、
“若さ”と何らかの‘つながり’をもつ生活を心掛けるがよい。
“若さ”の中でも“一時的若さ”よりは“永遠の若さ”とつながりをもつことが出来れば、
それに越したことはないのである。
次に掲げるのは、長寿練成会で神想観のとき、
長寿、若返りのために皆と共に行った思念である。
・・・
〈神想観の姿勢にて坐す。
瞑目合掌の後、招神歌4首をとなえ、つづいて朗々と唱う〉
住吉(すみのえ)の大神いでまして宇宙を浄め、われらを浄め給う。
あー、おー、うー、えー、いー
〈以上指導者が朗唱〉
〈以下、全員黙然する〉
住吉の大神われを伴いて龍宮海をわたり、龍宮城に入り、“神癒の社”に坐せしめ給う。
ここはこれ龍宮城の“神癒の社”である。
超高圧の龍宮無量寿のいのちが満ちているのである。
住吉の大神龍宮無量寿のいのちを執りてわれに注ぎ給う。
住吉の大神、わが頭髪より爪先に至るまで
龍宮無量寿のいのちを滔々として漑(そそ)ぎたまう。
わが皮膚も筋肉も内臓も、すべての血管も、淋巴管組織も、
すべて必要なるホルモンを分泌する腺組織も、全身を貫いて存する脳神経組織も、
眼の組織も、耳の組織も、ことごとく龍宮無量寿の‘いのち’に満たされて
すこやかとなり若返り25歳の若さに返るのである。
龍宮無量寿のいのち頭髪に注ぎ込まれ毛根は25歳の若さに返るのである。
黒髪密生(くろかみみっせい)、黒髪密生 ・・・・・ 〈7回念ずる〉
龍宮無量寿のいのちわが脳髄に注がれ、
すべての血管すべての組織、すべての中枢、
すべての細胞ことごとく25歳の若さとなる。
すべての精神機能、すべての生理機能、
25歳の若さとなって完全にいとなまれるのである。
脳髄のすべての血管は新しきゴムの如く強靭となって決して破れることはないのである。
記憶力、思い出す力、発想力、計画力、判断力、決断、勇気等ことごとく若返りて
青年の如く精確にして敏速であるのである。
龍宮無量寿のいのちわが眼に注がれ眼の全組織及び全細胞の老化は去り硬化は去り、
毛様筋(もうようきん)の調節力は若返り、調節自在となり、
あらゆる距離あらゆる光度に於いて事物をハッキリと見ることができるのである。
龍宮無量寿のいのちわが耳に注がれ、耳ぜんたいの老化及び硬化は去り、
鼓膜、小耳骨(しょうじこつ)、中耳、三半キカン、蝸牛骨(かぎゅうこつ)、
聴神経、聴覚中枢は若返り、どんなかすかな声も、高すぎる声も、低すぎる声も
ハッキリと聴くことができるのである。
龍宮無量寿のいのち、わが鼻孔(びこう)にそそがれ、
鼻粘膜、咽喉、声帯、気管、気管支及び肺臓の全組織の老化は去り、硬化は去り、
発声器官、呼吸器官ことごとく25歳に若返りて健かとなるのである。
龍宮無量寿のいのち、わが口腔(こうこう)に注がれ、
唇、歯齦、歯、舌、口蓋、咽喉等、すべての炎症は去り、
口腔内ことごとく健全であるから食するもの悉く美味にして栄養となるのである。
龍宮無量寿のいのち、わが消化器ぜんたいに滔々として注がれ一切の病いなく、
胃に、肝臓に、膵臓に、十二指腸に、小腸に、大腸に、盲腸に、直腸に、
肛門に至るまで龍宮無量寿のいのち充満して消化作用は完全に行われ、
栄養の吸収、同化及び、不浄物の排泄は完全に行われるが故に、
私は常に若々しく健全で元気であるのである。
龍宮無量寿のいのちわが心臓及びすべての血管に注がれ、
心臓の筋肉力は若返り、心臓に連絡する冠動脈、大動脈、大静脈をはじめとして
毛細血管に至るませその組織は若返り、伸縮力は増し、
血管内のコレステロールは溶かされて搬び出され、
皮膚の表面にコレステロールは再分配されて
皮膚はつやつやと常に若さを保つのである。
龍宮無量寿のいのち、わが副腎及び腎臓輸尿管、膀胱、尿道括約筋に至るまで
ゆたかに注がれ副腎は完全精確にホルモンの質及び量その分泌を調節して、
全身のホルモンのバランスを得せしめ、
腎臓の尿の透析作用及び塩類の調節作用は完全であり、
糖尿、蛋白尿等出ることはなく、
全身の血液は常に清浄であるから、全身は常に若々しいのである。
〈黙然終り〉
〈以下朗唱〉
住吉の大神すべてを浄め終りて天照大御神いでましぬ
天照みおやの神のみすまるのいのち射照し宇宙しずかなり
〈2回朗唱、2拍手〉
(https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/2c5eaae76fc502dc721bdb72b9bc8038)
・・・
龍宮住吉本宮長寿ホーム練成会模様
長寿ホーム練成会http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9996
ギャラリー
第145回長寿ホーム練成会http://snis.jp/main.php?menu=6&index=9383
第141回長寿ホーム練成会http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9322
第138回長寿ホーム練成会http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9271
第137回長寿ホーム練成会http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9253
第136回長寿ホーム練成会http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9237
第135回長寿ホーム練成会(4月13日~16日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9218
第134回長寿ホーム練成会(12月19日~23日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9207
第133回長寿ホーム練成会(6月23日~27日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9190
第132回長寿ホーム練成会(4月22日~25日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9183
第131回長寿ホーム練成会(12月19日~23日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9171
第130回長寿ホーム練成会(6月23日~26日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9154
第129回長寿ホーム練成会(4月21日~25日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9147
第128回長寿ホーム練成会(12月15日~19日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9135
第127回長寿ホーム練成会(6月22日~26日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9118
第126回長寿ホーム練成会(4月20日~24日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9111
第125回長寿ホーム練成会(12月15日~19日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9098
第124回長寿ホーム練成会(9月4日~8日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9086
第123回長寿ホーム練成会(4月20日~24日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9074
第122回長寿ホーム練成会(12月16日~20日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9062
第121回長寿ホーム練成会(9月4日~8日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9049
第120回長寿ホーム練成会(4月20日~24日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9036
第119回長寿ホーム練成会(12月17日~21日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9023
第118回長寿ホーム練成会(9月4日~8日)http://snis.jp/main.php?menu=9&index=9011
<感謝合掌 令和2年9月21日 頓首再拝>
《不思議な無限の叡智》 - 伝統
2020/09/22 (Tue) 22:52:17
*『生活の智慧365章』
(第2部歓喜の泉)第6篇(P147~148) より
吾々は肉体からいうならば常に死につつあるのである。
吾々に肉体を構成する細胞、それは生れ、組織をつくり、
その割り当てられたる仕事をし、やがて死んでいく。
その死んで行った後の椅子を、新しく生れた細胞が埋め、
前の細胞が行って来た仕事の引き継ぎをして、
全体として統一ある仕事が行われるのである。
新たに生れた細胞は生きていて、仕事を引き継いで、
継続してその任務とする仕事に従事する“引き継ぎ”は
如何にして行われるであろうか。
引き継がおこなわれるためには“心”がなければならないのである。
細胞から細胞へとその事務引継ぎは行われるのだろうか。
それとも、中枢からの命令が無線伝導で行われるのだろうか。
直接その事務引き継ぎが行われるにしても、
中枢からの命令が無線伝導で行われるしても、いずれにせよ、
細胞が生きていて、それに“心”があるからこそ引き継ぎができたり、
中枢の命令が感受できるのだといわなければならないのである。
或いはそれは“心”によって感受するのではなく、
電子計算機のように自動的にその引継ぎや命令の伝達が行われるのかも知れない。
併し尚(なお)、問題は残るのである。
この極めて微小な、肉眼で見えないほどに小さな細胞に
電子計算機のような複雑な構造が組み込まれているだろうか。
若しそうだったら、そのような微小な中に複雑な構想を組み込んだところの
「創造者」は実に驚くべき叡智を備えた者でなければならない。
それは到底、吾々人間の脳髄の知恵でできることではないのである。
脳髄をも造ったところの不思議なる「無限の叡智」それを神というのである。
吾々はどうしても神の存在を認めなければならないのである。
<感謝合掌 令和2年9月22日 頓首再拝>
《新陳代謝と老衰》 - 伝統
2020/11/09 (Mon) 23:44:03
*『生活の智慧365章』
(第2部歓喜の泉)第6篇(P148~149) より
常に新陳代謝の行われている人体は、或る生理学者の説によると、
人体の柔らかい部分の組織は、もう2ヵ月もたったら殆ど過去の細胞は死滅して
運び出され、新しい細胞によって、再組織せられているということである。
(脳細胞だけは別である。)
それなのに、その人体の構造や形態が、数ヵ月前の今日(きょう)も全く同じき
構造をもっているというのは、如何なる理由によるのであろうか。
それは電子計算機のように自動的にそれが計算されて、
新しい細胞が自動的に元の位置を占めるからであろうか。
自動的に、そのような新陳代謝が行われるのだったら、
全く同じき変わらない構造をもっている人体は老衰し、皮膚はしわみ、
精力は衰えて行くのは何故であろうか。
人体の電子計算機が不完全な為なのであろうか。
それとも、人体は物質であるから、電子計算機でも、
それが物質で出来ている限りに於て長期間使っているうちには全体が摩耗して、
ちびて来るからであろうか。
併し新陳代謝の行われない物質の機械では禿(ち)びて来て長期間には
使いものにならなくなるのは当然だけれども、
人体は新陳代謝が行われているから、長期間使用して禿(ち)びて来て
使いものにならない場合は、その部分は、新しい細胞がその組織を再造してくれるから、
それだけでは老衰の原因の説明にはならないのである。
<感謝合掌 令和2年11月9日 頓首再拝>
《人類意識の大海に泳ぐ人々》 - 伝統
2020/11/16 (Mon) 23:55:44
*『 生長の家 』(昭和43年7月15日の法語)より
あなたの容貌の若さは、あなた自身が「私は幾歳である」と
感ずる通りにあらわれるのである。
容貌の若さだけではなく、体力の若さやスタミナの強さも
「私は幾歳である」とあなたが始終想っている程度にあらわれるのである。
地球上には、そこに住んでいた人類が過去に経験し、
感じ想って来た想念の波が、
放送電波のように始終宇宙に漂っているのである。
これを人類意識と吾々は称している。
私たち各人は“人類意識”の大海の中を泳いでいる一尾の魚のようなものである。
だから各人はその人類意識の大海の波(想念・感情の波)の動きに左右せられて、
生理作用のみならず、原因不明の“心の暗さ”や“心の明るさ”も
それに影響せられることになるのである。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4329
<感謝合掌 令和2年11月16日 頓首再拝>
無病息災延命長寿の心 - 伝統
2020/11/19 (Thu) 23:37:26
*「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月19日)より
「武士たらんものは、正月元日の朝(あした)、雑煮の餅を祝うとて、
箸を取り始めるより、その年の大晦日の夕べに至るまで、
日々(にちにち)夜々(よよ)、死を常に心にあつるを以て、本意の第一と仕り候。
死をさえ常に心になって候えば、忠孝の二つの道にも相叶い、
万(よろず)の悪事災難をも遁れ、その身の無病息災にして、寿命長久に、
あまつさえその人柄までもよろしく罷(まか)り成り、その徳おおき事に候。
その仔細を申すに、総じて人間の命(いのち)をば、夕べの露、あしたの霜になぞえて、
随分はかなき物に致し置候中(おきそうろうなか)にも、
ことさら危うきは武士の身命にて候を、人々おのれが心ずましに、
いつまでも長生きをする了簡なるに依(よっ)て、
主君への末永き御奉公、親々への孝養も、末久しき義なりと
存(ぞん)するから事起こりて、主君へも不奉公を仕(つかまつ)り、
親々への孝行も疎略にて罷(まか)り成るにて候(そうろう)、
今日(きょう)ありて、明日(あす)知らぬ身命(しんめい)とさえ覚悟仕り候に於ては、
主君の御前へ罷り出(い)で、御用を承るも、親々の顔を見上ぐるも、
これをかぎりと罷り成る事もやと、存ずる心あいに相成り候ゆえ、
主君への真実の思い入れと、罷り成らずしてはかなわず候。
さるに依て、忠孝の二つの道にも、相叶うとは申すにて候。」
享保年間の軍学者大道寺友山著『武道初心集』にこんなことが書いてある。
こんな心得は武士でなくとも、およそ大業を成さんとする者には必要な心構えである。
「日々(にちにち)夜々(よよ)、死を常に心にあつるを以て、
本意の第一と仕り候」というのは、生長の家の「人間不死」の真理とは
全然反対なことのように思えるかもしれぬが、
けっしてそうではないのである。
生長の家で言う「肉体無し」というのは「肉体」に対して
毎日毎時毎分毎秒毎瞬「死」を覚悟していることである。
ただ悪い連鎖を惹き起こす言葉を忌むがゆえに「死」という言葉を使わないで、
「肉体《無し》」と「無」の字を使うのである。
「死」という言葉を使う場合には、戦場とか、病気とか、
何か非常時が来てから初めて肉体が死ぬように思い、常住坐臥の時には
肉体は死なぬように思い、肉体を《ある》かのように思って執着しやすい。
そこで前記『武道初心集』にも「日々夜々死を常に心にあつるをもって本意とす」と
特に力説しなければならなかったのであろう。
しかしわれわれのように「肉体は無い! 」と端的に表現してしまったら、
非常時でなかろうが、戦場でなかろうが、
「肉体の無」が平常心に刻み込まれるのであるから、
日々夜々とり立てて「死」を心に思わずとも、常住坐臥いかなる場合にも、
武士道に協(かな)った生活を生きることになるのである。
「死をさえ常に心になって候えば、忠孝の二つの道にも相叶い」というのは、
肉体本来なしの境地に到れば、肉我に対する執着がなくなるので
自然法爾に天地の道に協(かな)うことを言ったものであって、
自殺などして身を殺すことではないのである。
それどころか、我執なき自然法爾のはたらきは、その生活が道にかなうがゆえに、
『万(よろず)の悪事災難をも遁れ、その身の無病息災にして、寿命長久に、
あまつさえその人柄までもよろしく罷(まか)り成り』と
大道寺友山翁が書いたとおりになるのである。
キリストの生命(いのち)を捨つる者は生命(いのち)を得(う)」
と言った言葉も同じ意味である。
「無病息災になろう」と思って、日々夜々武士のごとく
「死」を心から放さないのではない。
無病息災になどなろうという心はすでに「死」を覚悟している心であって、
かえって寿命短くなる心である。
無病息災になどなろうと思わない心になってこそ、
その人は「肉体の無」を常に心から離さない心であり、
かえって無病息災延命長寿の心なのである。
<感謝合掌 令和2年11月19日 頓首再拝>
老いるとは常に新しくなれないことの別名である - 伝統
2021/02/17 (Wed) 00:02:05
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月16日)」より
常に新しくなるものは老いない。
老いるとは常に新しくなれないことの別名である。
人体の細胞を切り離して培養し、その培養基を常に新しく取り替えれば、
結局人間の細胞は永遠に分裂増殖して死なないものであることを
生物学上の実験によって確かめられたという。
人間の肉体が老いて衰え死するということは、
細胞が複雑に組み合っているために、常に新しくなれないからであって、
必ずしも人間が老衰死するということが運命ではないのである。
ただ老衰死の原因は常にわれらが新しくなれないということが原因である。
人間の心もそのとおりである。
常に毎日新しくなれないものは死につつあるものである。
陳びつつあるものである。
老人が陳腐であるといって人から嫌われるのは、
ただ過去の惰力で生きており、過去の惰力でものを考え、
過去の惰力で行為をし、過去の惰力で若い人を推し測るからである。
過去の惰力で行為されたものは、すでに形骸であって生命はない。
これを称して型にはまるというのである。
型にはまっているものは形は立派に見えても、もう屍である。
<感謝合掌 令和3年2月16日 頓首再拝>
《自分自身を“人類一般”のレベルに堕すな》 - 伝統
2021/10/02 (Sat) 15:13:29
『 生長の家 』(昭和43年7月18日の法語)より
年老いて老衰するというのは人類意識の中にある観念の型であるけれども、
その型に、はまり易くなるのは自分が“人類の常識”にみずから許して
同調するからなのである。
そんな“人類の常識”に同調して、
自分という人間を“一般化”にまで引き下げる必要はないのである。
人間は“神の子”であるというのは、
“一般化”の人間になることではなく“個性ある自己”になることである。
人類一般が六十歳で老衰してしまおうとも、
自分はそのように一般化する必要はないのである。
人類一般が七十歳で老衰してしまおうとも、自分はそれに迎合して、
自分も亦七十歳で老衰して人生に役に立たぬ人間になる必要はないのである。
人間よ、あなたが“神の子”であるということは、
あなたには個性ある自由が許されているということである。
そして時間の制約さえも超え得る自由をもつということである。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4332
<感謝合掌 令和3年10月2日 頓首再拝>
《本來涅槃なくして涅槃に入る》 - 伝統
2021/10/04 (Mon) 03:15:33
*『 生長の家 』(昭和43年7月28日の法語)より
人間が地上に生を享けた目的は、“神の子”としての実相“完全のすがた”を、
より多く展開し、進歩し向上し発展せしめることにあるのであるから、
老熟ということはあるにしても、老衰というやうな進歩、向上・発展に
逆行するようなことは本来あり得ないことなのである。
しかもそれが事実としてあらわれて来るのは、人類が過去長期間にわたって、
色々の生物の(人類自身をも引っくるめて)生老病死の起ることを眼で見、
感覚で体験し、心の世界に“生老病死”の観念を受け入れて来た結果なのである。
人間の実相は神の子であり、本来“老病死”なく、
金剛身・不可壊身・不滅身であるのだけれども、
老病死なくして老病死を現わしているに過ぎないのである。
涅槃経に於いて釋尊はこの真理を説きたまい、人間の老病死を否定しつゝ、
現象的には老病死をあらわしつゝ涅槃に入り給うたのである。
この真理は実に意味甚深である。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/kimidouge/&mode=res&log=4342
<感謝合掌 令和3年10月3日 頓首再拝>
不老長寿の秘薬は「心」にある - 伝統
2022/03/02 (Wed) 03:16:46
*「生命の實相」第24巻参考篇(P35~37)より
老齢は、まず心にはじまる。
肉体に老齢が印せられるのは、
心にまいた「老齢」という種子の収穫であるのである。
われわれは周囲の人々がある年齢に達すると
老衰の徴候をあらわしはじめるのを見て、
自身もおよそあの年齢に達したら、
同じように老衰の徴候をあらわすものだと想像するのである。
そして人間の老衰することは避くべからざることだと確信するがゆえに、
ついにいとわしい老衰の徴候が肉体にきざまれはじめる。
しかし、これが避けがたいのは、
各人みずからの心が老衰を避けがたいと信ずるためと、
人類全体の習慣的信念がまた老衰を避けがたいとしているからで、
何事もまず心にはじまるのだ。
もし、断固として人間が老衰すべきものだとの
信念を駆除するに成功するならば、
そしてもしわれわれが青年的理想を高くかかげ、
つねに若々しき希望と陽気とにみちた思想をいだくようにするならば、
老齢はその影を肉体にどうしたって、刻むことはできないのだ。
不老長寿の秘薬は「心」にあるのであって、はかのどこにもない。
若く見せようとして若々しい着物を着、若々しい化粧をしたからとて
若くなるものではないのだ。
何よりもわれらはまず自分は年をとりつつあるとの
心の念(おもい)を打ち破らなくてはならぬ。
年をとりつつあるあるとの念いが心のうちに根を張っている以上
若々しい衣装や化粧が肉体を若返らす力は
ほとんどないといってよいのだ。
信念をまずかえねばならぬ。
年齢を肉体に彫刻した念(おもい)を
まずくつがえしてしまわねばならないのだ。
自分は若いのだ!
かく感ずる永遠の若さの信念をもて!
この信念をもつとき
すでに諸君は老齢との戦いに第一塁をおとしいれたのである。
これを信ぜよ
―― 年齢について自身が心にいだく念(おもい)は
すべて肉体にあらわれてくるものであることを。
肉体は心の習慣的念(おもい)、習慣的感じのあらわれであるから、
あなたが今までどんなに長くこの世に生きながらえたからって、
遠慮なしに自身を若いと思え。
これはあなたが永遠の若さをいつまでも
失わぬようになるために非常な妨げとなるのだ。
神は永遠に若い。
神の子は永遠に若くてよいのだ。
晴々した、陽気な、楽天的な希望をもった、
愉快な青年のすがたを輝かしく描いて、
それを自分自身であると思え。
青年の持ちまえである若々しい夢と理想と希望と、
あらゆる輝かしい若さを自分自身のものであると思え。
この考えほど自分自身の年齢の歩みを遅らすものはないのだ。
<感謝合掌 令和4年3月1日 頓首再拝>
与えられた以上に発展工夫する者は常に新しく、常に老いない - 伝統
2022/04/04 (Mon) 14:53:44
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(4月4日)」より
環境が彼の表現欲望を強いて抑えつけるならば、
人間は狂乱状態に陥るか、ヒステリーになるか、
生命(せいめい)が委縮して病気になるかする。
ロシアのある囚人の刑務の一つとして
終日2つのバケツに同じ水を交互に空(あ)けかえる仕事を課したときには、
その囚人は気が狂ったという。(ドストエフスキー『死人の家の記録』)
これは仕事が強制として課せられて
「自己自身の生命」を表現するなんらの道を与えられなかったからである。
またある精神病者は、
自己の好む仕事に熱心に従事せしむることによって治ったという。
彼はその「仕事」の中に「自己」を表現する道を見出したからである。
自己創造のない「仕事」は人類を窒息または狂死せしめ、
自己創造のある「仕事」は人類の生命を伸び伸びせしめ、
たえず自分に生気を吹き込み、たえず自分を若返らしめる。
「仕事」が面白くない人は、その仕事に自分の生命を打ち込まないからである。
自己創造をしないからである。いかなる仕事の中にも自己創造ができる。
仕事に愛を持つとき、愛は生み出す力であるから自己創造となる。
与えられただけの仕事のみをするところに自己創造はありえない。
仕事を愛して、与えられた以上にその仕事の発展のために工夫するところに
自己創造があるのである。
与えられただけの仕事だけしかしない人はロシアの囚人に甘んずる人である。
彼はただ生命を擦(す)り減らし、老いゆくのみである。
今ある立場において、与えられた以上に発展工夫する者は常に新しく、
常に老いない者である。
<感謝合掌 令和4年4月4日 頓首再拝>
《常に若くあるには》 - 伝統
2022/04/06 (Wed) 01:04:48
*「眞理」第2巻基礎篇第3章(P85~86)より
老年は先ず心の中に築かれて形の世界にあらわれて来るのである。
常に友人知己などと接触しているときには、
老いの変化が目立たないから、
心の中に老年が印象せられないで済むのである。
たまに訪問して相手の「老人じみた姿」を見ると、
「あゝ老いたな。自分も同じく老いたであろう」と考える
―― そして心に考える通り老衰するのである。
常に若々しい相手と接触して成るべく「老(おい)」を見ず、
「老(おい)」を心に思わないことが
「老衰」を避ける最良の方法であるのである。
「老(おい)」を心に思わず「われ若し」と考えて、
愉快に楽しく生活するのである。
すべての事が退嬰的になってしまっては
「老(おい)」は進んで忍び入るのである。
「一日の労苦は一日で足れり」である。
<感謝合掌 令和4年4月5日 頓首再拝>
《与える健康法》 - 伝統
2022/04/21 (Thu) 04:56:06
*「眞理」第2巻基礎篇第3章(P86~87)より
わが有(も)てる最も良きもの
(財物ばかりではない。深切、好い天分、性格等・・・)を
周囲に与えるように心掛けよ。
如何なる老年になっても、あなたの与え得る何か「長所」はあるのである。
それを与えることがあなたの健康法であり、また繁昌法であるのである。
それがまた若返り法となるのである。
「年老いたから出来ない」と云うような考えを捨てよ。
あなたが、神の与え給うた150歳までを地上の生命とするならば、
あなたはまだ90年も100年も生きるのである。
そんなに早く老い込んでしまわないで、
今から苗を植えて森林にまで生長するのを楽しむような心で、
善き行為や善き仕事の種子(たね)を植えて置けば、
気は長くなり生命(いのち)も長くなるのである。
<感謝合掌 令和4年4月20日 頓首再拝>
人間は永遠に老いない - 伝統
2022/04/25 (Mon) 04:56:31
*『生長の家』(昭和23年9月5日の法語)より
人間は老衰の感じを起こしてはならない。
生命は永遠に老いないのであるから、
何歳になったから もう自分は駄目だなどと考えてはならない。
「 老い 」 は心によって刻まれるのであって、
歳月によって刻まれるのではない。
人生には老熟と云うことはあっても、老衰すると云うことはない。
過去の悲しみや、失敗をいつまでもクヨクヨ思ってはならない。
過去の栄華をいつまでも回想して、
もう再びそのような機会は来ないなどと悲観してはならない。
人生には時々刻々の 「 今 」 が 常に機会である。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=86
<感謝合掌 令和4年4月24日 頓首再拝>
永遠に若くあるために - 伝統
2022/09/19 (Mon) 17:46:56
*「真理」第9巻生活篇(P153)より
人間は神の子であり、神は無限内容でありますから、
一定の姿に固定することを喜びません。
其処に進歩があるのです。
老人が保守的であり、旧弊であると云うのは、
生命(せいめい)の若々しさを失っているからであります。
イエスは「幼児(おさなご)の如くならずば天国に入ること能わず」
と教えましたが、私達は幾歳になりましても新鮮な心を失っては
ならないのであります。
若々しい心は新しい事を好むのです。
私たちが若し永遠に若くあろうと思いましたならば、
毎日何か自分の生活に、新しい体験をつけ加えなければなりません。
新しい知識を、新しい改善を、新しい計画を、
新しい進歩をしなければなりません。
私達の発達と進歩とが終わったとき、
わたしたちは老衰しつつあるのです。
変化をおそれてはなりません。
変化を通して私達は永遠に進歩するのです。
<感謝合掌 令和4年9月19日 頓首再拝>
神の子は永遠に老いない - 伝統
2023/09/18 (Mon) 09:44:40
*「女性の幸福365章」(P162)より
多くの人たちは年齢を気にし過ぎて、
自分の年齢を深く自分の潜在意識にきざみつけ、
それによって一層早く老年をきざみつける結果となっているのである。
「気にすること」「思うこと」「念ずること」は
すべて催眠術的な暗示となって
自分自身の容貌にきざみつけられるものなのである。
想念は一種の種であり、想うたに毎に私たちは、
その「想いの内容」の種を播きつつあるのである。
やがて其の種が発芽し生長し、果(み)を結ぶことになるのである。
あなたは”若さ”を失ってはならない。
”若さ”は肉体にはなく、”心”にあるのである。
「私は、もうこんな年になって・・・」などと考えてはならない。
「私は神の子だから永遠に老いないのである」と考えるべきである。
そして若々しい気持ちで、前途に希望をもって溌剌として行動するがよい。
「もうこの年になって、もう愛情を得る事は出来ない」などと考えないがよい。
人間は「霊」であるから、「霊」は時間以前のものであるから、
本来老いないのである。
肉体は「霊」の起こす想念によって振動せしめられ、
その組織を、「若く」にも「老衰」にも変化せしめるのである。
<感謝合掌 令和5年9月18日 頓首再拝>
人類意識の中にある「老い」の観念から超越する - 伝統
2023/09/18 (Mon) 13:26:21
*「女性の幸福365章」(P163)より
常に老年になるという恐怖を去れ。
老衰は、年月の多少によって来(きた)るのではなく、
心に「老い」をを念(とな)へ、
且(か)つ印象することによって来(きた)るのである。
人間が本来老いないのは、
人間の実相は、神の霊的生命そのものであるからである。
霊は肉体のように老いることはないのが原則であるから、
あなたの本当の相(すがた)は決して老いないのである。
「老い」は先ず心によって始まる。
人類意識の中に「老い」の観念があるのである。
私たちは常に神想観して、人類意識の「老い」の波動から
超越して、永遠に老いない「神の意識」と同調するように
つとめなければならない。
<感謝合掌 令和5年9月18日 頓首再拝>
老人には老人の美しさがある。 - 伝統
2023/09/19 (Tue) 04:58:31
*「女性の幸福365章」(P163)より
老人になったことを悲しむな。
老人には老人の美がある。
”翁(おきな)”の面(めん)の美しさは
”お多福”の面の美しさよりも深い美しい味わいがある。
老人がその顔に無数の深い皺(しわ)を刻んでいるのは
よいことである。
美とは平滑面(へいかつめん)のことではない。
平滑面を美と感ずるのは単純な精神のみである。
老人の顔に刻んだ皺の一筋一筋には、
人生に於ける色々の深い悩みや、
悩みを通り越してきた忍耐の美が刻まれている。
それこそ深刻(しんこく)の美と謂(い)い得るのである。
<感謝合掌 令和5年9月18日 頓首再拝>
老齢はまず心にはじまる。 - 伝統
2023/09/20 (Wed) 04:59:10
*『生命の實相』第24巻参考篇(P35)より
老齢は、まず心にはじまる。
肉体に老齢が印せられるのは、
心にまいた「老齢」という種子の収穫であるのである。
われわれは周囲の人々がある年齢に達すると
老衰の徴候をあらわしはじめるのを見て、
自身もおよそあの年齢に達したら、
同じように老衰の徴候をあらわすものだと想像するのである。
そして人間の老衰することは避くべからざることだと確信するがゆえに、
ついにいとわしい老衰の徴候が肉体にきざまれはじめる。
しかし、これが避けがたいのは、各人みずからの心が
老衰を避けがたいと信ずるためと、人類全体の習慣的信念がまた
老衰を避けがたいとしているからで、何事もまず心にはじまるのだ。
もし、断固として人間が老衰すべきものだとの信念を駆除するに成功するならば、
そしてもしわれわれが青年的理想を高くかかげ、
つねに若々しき希望と陽気とにみちた思想をいだくようにするならば、
老齢はその影を肉体にどうしたって、刻むことはできないのだ。
<感謝合掌 令和5年9月19日 頓首再拝>
不老長寿の秘薬は「心」にある - 伝統
2023/09/21 (Thu) 04:56:04
*『生命の實相』第24巻参考篇(P36)より
不老長寿の秘薬は「心」にあるのであって、はかのどこにもない。
若く見せようとして若々しい着物を着、若々しい化粧をしたからとて
若くなるものではないのだ。
何よりもわれらはまず自分は年をとりつつある
との心の念(おもい)を打ち破(やぶ)らなくてはならぬ。
年をとりつつあるあるとの念(おもい)が心のうちに根を張っている以上
若々しい衣装や化粧が肉体を若返らす力はほとんどないといってよいのだ。
信念をまずかえねばならぬ。
年齢を肉体に彫刻した念(おもい)を
まずくつがえしてしまわねばならないのだ。
自分は若いのだ!
かく感ずる永遠の若さの信念をもて!
この信念をもつときすでに
諸君は老齢との戦いに第一塁をおとしいれたのである。
これを信ぜよ
―― 年齢について自身が心にいだく念(おもい)は
すべて肉体にあらわれてくるものであることを。
<感謝合掌 令和5年9月20日 頓首再拝>
「私は若い」と思え - 伝統
2023/09/22 (Fri) 13:27:47
*『生命の實相』第24巻参考篇(P36~37)
肉体は心の習慣的念(おもい)、習慣的感じのあらわれであるから、
あなたが今までどんなに長くこの世に生きながらえたからって、
遠慮なしに自身を若いと思え。
これはあなたが永遠の若さをいつまでも失わぬようになるために
非常な助けとなるのだ。
神は永遠に若い。
神の子は永遠に若くてよいのだ。
晴々した、陽気な、楽天的な希望をもった、
愉快な青年のすがたを輝かしく描いて、
それを自分自身であると思え。
青年の持ちまえである若々しい夢と理想と希望と、
あらゆる輝かしい若さを自分自身のものであると思え。
この考えほど自分自身の年齢の歩みを遅らすものはないのだ。
<感謝合掌 令和5年9月22日 頓首再拝>
想像力を早老化させない - 伝統
2023/09/26 (Tue) 04:52:11
*『生命の實相』第24巻参考篇(P37)より
何よりも禍(わざわ)いであることは
われらの想像力が早老(そうろう)してしまうということである。
われわれの近代生活はあまりにも辛(から)く、
あまりに余裕がなさずぎる。
そのうちに生活するわれわれの脳神経細胞はひからびて
若さと陽気さと弾力とを必要とする想像力を害している
ことはおびただしい。
実生活者の近代生活は精神力の弾力と、デリケートさと、
若さと想像の翼とを台なしにしてしまう傾向がある。
<感謝合掌 令和5年9月25日 頓首再拝>
老化しない生活 - 伝統
2023/09/29 (Fri) 04:54:26
*Web:粟野真弘のblog(2020年02月09日)より
「足が不自由だった母が、自分の息子が高いところから落ちたと
聞くや一目散に駆けだして助けに行きました。
不自由な足を忘れたように」
先日札幌で、このように話してくれた人がありました。
今必要だとの智慧が浮かんだ時、
相応しい能力は無限の宝庫から必要なだけ出て来る。
「無限力」という、誰もが持っている宝です。
今朝拝読した『真理の吟唱』の「向上の力を得る祈り」の冒頭です。
大自然には不思議な叡智があり、
その叡智が人間には、最も完全にやどっているのである。
この祈りの中段です。
人には生命の奥底から湧いてくる五つの深い願いがある。
それは、生きること、愛すること、愛されること、みとめられること、
何ものかの役に立ちたいことである。
しかし、この「生きる」ことの願いの中には
「向上して生きること」の願いが含まれているのである。
生命は同じところにいつまでも止まっていたくないのである。
生命は、それが進行を停止するとき、たんなる停止ではなく、
必ず退歩するのである。
ここまで読んだ時、
これが退化、つまり「老化」の一つの要因となるのだと思いました。
完全に生きるためには私たちは
是非とも毎日向上しなければならないのである。
向上あり進歩あるとき、そこに生命は生き甲斐を感ずるのである。
だから私たちは今後決して一日といえども、
智慧においてか、愛においてか、仕事においてか、
前日よりも必ず一歩進歩することを心掛けるのである。
必ず幾ぺージかは真理の書を読み、
必ず何らかの形で人および生物を愛し、
必ず何事か他の人のために役立つ仕事を愛するのである。
(以下略)
http://blog.livedoor.jp/mmmawano550121/archives/54299110.html
<感謝合掌 令和5年9月28日 頓首再拝>