伝統板・第二
困難に戯れよ④ - 伝統
2020/11/13 (Fri) 05:01:22
《抵抗は有難い、吾々を前進せしめる》
*『 生長の家 』(昭和24年7月5日の法語)より
人間が反対と摩擦から解放されてしまった時に
それはレールの上に油を塗って滑らした機関車のように、
上向することはできないで下向(げこう)するばかりである。
抵抗と摩擦とによって人間は自己をみがき上昇し向上する。
カントは鳩(はと)の例をあげている。
鳩は空気の抵抗によってその速力を減ぜしめられ、
その飛翔を困難ならしめられる。
だから、もし空気の抵抗がなかったならば、
鳩は尚(なお)一層快速に、尚一そう容易に飛翔し得るだろう
とも思えるが、
空気をぬいて真空のところを飛翔せしめて見るならば、
忽(たちま)ち鳩は飛ぶことができないで
落下することは間違いはないのであると。
http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/d14ec46bd5e21bf633f5327ac1344cc9
・・・
<関連Web>
(1)光明掲示板・第二「困難に戯れよ! (10457)」
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2004 (消滅)
(再掲示)伝統板・第二「困難に戯れよ(光明掲示板・第二)」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7897491
(2)光明掲示板・第三「困難に戯れよ! (70)」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=36
(3)光明掲示板・伝統・第一「困難に戯れよ! (28)」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=16
(4)伝統板・第二「困難に戯れよ①」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6463677
(5)伝統板・第二「困難に戯れよ②」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6879318
(6)伝統板・第二「困難に戯れよ③」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7897577
<感謝合掌 令和2年11月13日 頓首再拝>
ピンチをチャンスに変える(トーマス・エジソンの日記から) - 伝統
2020/11/15 (Sun) 04:30:41
*Web:今日も良いことがあるように(2019/05/14)より
▼世界の発明王、トーマス・エジソンの日記です。
私は、耳が不自由になって以来、想像力が無限に広がった。
それと同時に、よけいな雑音を耳にしなくなった。
私は、耳が聞こえない分、雑音をシャットアウトして、
書物の世界を通じて自分の世界を広げることができた。
デトロイトの公共図書館に通い、
私はAの棚からZの棚まで、すべての書物を読んだ。
▼偉大な作曲家、ベートーヴェンが難聴だったことは知っていたのですが、
エジソンも少年の頃からそうだったんですね。
エジソンは、10台のとき、列車に乗り遅れそうになったとき、
車掌に両耳をつかれまれて、引き上げられた瞬間に難聴になったのだそうです。
耳が不自由になるということは、非常に辛いこと。
ずいぶん悩んだでしょう。
しかし、彼は書いています。
「耳が聞こえないことは、たくさんの『とてもいいもの』をもたらしてくれた」
彼は、耳が聞こえないで自分を不幸だと思わず、
自分に「たくさんの『とてもいいもの』をもたらしてくれた」と
プラスに考えたのです。
このような発想ができたからこそ、彼はたくさんの偉大な発明ができたのですね。
▼たとえば、ベルが作った電話機を試してみたのですが、
難聴の彼には、よく聞こえませんでした。
そこで、それを改良に改良を重ね、
さらによく聞こえ、実用化できるものを作ったのです。
その技術が、蓄音機の発明にもつながったとこと。
エジソンは、自分に起こったピンチの状態を
チャンスに変える知恵とたくましさをもっていたのです。
▼厳しい状況であれば、人間は本来の能力を遺憾なく発揮します。
私たちもそうです。
試練があれば乗る超えるために、
これまで眠らせていた力や知恵を使うようになるものです。
エジソンだって1つのものを生み出すのに、1万回以上も失敗したんです。
失敗したら、新しい工夫を加えて、またチャレンジすればいい。
そう考えると、ピンチは、成長し飛躍できるチャンスの場なのです。
ピンチを通して成長できる。 (^.^)
【出典】浜田和幸著『未来を創る エジソン発想法』
https://lucky.t-nakai.work/2019/05/14/thinking-63/
<感謝合掌 令和2年11月15日 頓首再拝>
《危機を恐れるな、人間の全力は危機に出る》 - 伝統
2020/11/22 (Sun) 04:34:06
*『 生長の家 』(昭和24年7月6日の法語)より
怒涛(どとう)荒れ狂う海に於いて、
本当の偉大なる海洋国民はつくられるのである。
危機一髪のところに無限の力がでてくるのである。
歴史にその名の出ている人は 殆(ほと)んどすべてが、
世界の危機に出現した人たちばかりである。
危機は英雄豪傑を作るのである。
愈々(いよいよ)の土壇場になれば
どんな繊弱(かよわ)い婦人も驚くような力が出る。
高きにのぼらんとする努力が
人間の生活を高邁(こうまい)にするのである。
安易と快楽とに身を委(ゆだ)ねるものは
自分自身の生命を腐敗せしめ 懦弱(だじゃく)化するのである。
http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/31f9c2b5ee6544531d0dfaa49ae27ced
<感謝合掌 令和2年11月22日 頓首再拝>
《人生は錦織(にしきお)りなす織物である》 - 伝統
2020/11/27 (Fri) 04:46:45
*『 生長の家 』(昭和26年7月6日の法語)より
人生を織物にたとえるならば、人間はその織り手である。
経糸(たていと)は 全体を貫く自分の希望であり、理想である。
緯糸(よこいと)は 経糸を遮(さえぎ)り
交叉(こうさ)するところの出来事である。
どんなすがたに緯糸が交叉して来ようとも、
経糸は必ずこれをまとめ上げて 一反の織物に完成するのである。
そしてその緯糸の交叉する状態に応じて
色々の美しい模様を作り上げるのである。
吾々は こう考えるとき自分の前途に横たわる出来事が何であろうとも、
それを悲しむことも憎むことも要らないのである。
すべての出来事は 人生を美しき織物に織りなす素材である
に過ぎないのである。
http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/6ca0b00d4f971cef1d613ba287ea3a34
<感謝合掌 令和2年11月27日 頓首再拝>
ピンチは潜在能力を 発揮するチャンス(安藤百福) - 伝統
2020/12/02 (Wed) 03:08:14
*Web:今日も良いことがあるように(2019/02/05)より
ラーメンが好きです。
インスタントラーメンも、もちろん好きです。
「チキンラーメン」
「カップヌードル」
子どもの頃から大好きです。
これらを世界で初めて生み出し、
96歳で天寿をまっとされた日清食品の創業者、
安藤百福さんに感謝をこめて、
今日は、安藤さんの名言をご紹介します。
まったく知らなかったのですが、
安藤さんは、なんと48歳、無一文で、
インスタントラーメンの開発に乗り出したのです。
それまでは様々な会社の社長や信用組合の理事長を
務めていたのですが、その信用組合が破産。
その負債を負い、無一文となりました。
ただ自宅が残っただけです。
このままでは、人生、敗北・・・。
48歳の安藤さんは、インスタントラーメンの開発に
これからの人生を賭けることにしたのです。
彼は裏庭に掘っ立て小屋を立て、来る日も来る日も、
インスタントラーメン開発の研究を続けました。
いまでは当たり前ですが、
お湯をかければ食べられるラーメンなんて、
これまで誰も考えつかなかったことです。
モデルもないし、作り方なんて、誰も知りません。
ですから、考えて考えて、実験を重ねて重ねて、研究し続けました。
失敗を繰り返し、挫折を味わい、
1日睡眠が3~4時間の日が続きました。
そして、1年間を経て、安藤さんはついに発明します。
世界初のインスタントラーメンの誕生でした。
1958年に商品化されると、
どんぶりに入れて湯を注ぐだけでおいしく食べられる
「チキンラーメン」は、瞬く間に人気商品となりました。
そして、ご存じのように、
いまでも根強い人気のラーメンとなっているのです。
(安藤さん、よくぞ開発してくださいました!)
安藤さんは後に語っています。
「事業と財産を失い、裸一貫、絶対の窮地から出発したからこそ、
並でない潜在能力を発揮できたのではないか。
逆説的に言えば、私に事業失敗がなければ、
(チキンラーメンの開発に没頭するという)
これほど充実した時間はもてなかっただろうし、
即席めんを生み出すエネルギーも生まれなかっただろう」
誰でも潜在能力をもっています。
その能力を発揮できるかどうかは、いろいろな要素があると思います。
・明確な目標をもっているか?
・その目標に向かって今日、行動しているか?
・その行動を日々、続けることができるか?
・失敗を繰り返しても、あきらめないで、常に目標に向かっているか?
このような意識で行動している人は、いずれ目標を達成するでしょう。
特に、窮地に立たされている人は、
自分の眠っている能力が発揮しやすいのです。
「窮鼠、猫を噛む」ではないですが、
逃げ場がなく、やるしかない!
という状態で、必死になれば、
誰でも普段の何倍も力が発揮されます。
ですから、ピンチこそチャンスです。
窮地は、人間を成長させるのです。
ピンチのときに自分の潜在能力を発揮させよう。
●安藤百福さんに感謝をこめて・・・名言をあと2つ●
「明確な目標を持ったあとは執念だ。ひらめきも執念から生まれる」
「知識も大切だが、知恵をもっとだせ。
知識は比較的簡単に手に入るが、
知恵は大きな努力と体験がないとなかなか手に入らない」
by 安藤百福
この安藤さんの言葉を
チキンラーメンを食べながら、味わってみたいものです。
安藤百福さん、ありがとうございました!
出典:鈴田 孝史 著『安藤百福のゼロからの「成功法則」』(かんき出版 )
https://lucky.t-nakai.work/2019/02/05/word-29/
<感謝合掌 令和2年12月2日 頓首再拝>
困難と戦う - 伝統
2020/12/11 (Fri) 04:45:00
*「光明道中記」(12月11日《無限生長の日》)より抜粋
【心を尽し、力を尽して自分自身の無限の可能性を信ぜよ。
(『生命の實相』第四巻)】
宇宙の法則は無限生長にある。換言すれば進歩にある。
だから必ずしも隴(ろう)を得て蜀(しょく)を望むのが悪いのではない。
ただそれが「公(おおやけ)」なる道に乗らないのが悪いのである。
彼が「公」なる道に乗る限りに於いて、進歩を心がけること、
前進を心掛けること、成功を心がけることは正しいことであり、
祝福されることである。
前進する者は衰退しない。
前進する者は多くの困難と戦わなければならない。
困難と戦うことには色々の新しい経験を得る。
困難と苦痛とは異なる。
<感謝合掌 令和2年12月11日 頓首再拝>
勇気がもらえる感動の動画の紹介です - 伝統
2020/12/14 (Mon) 06:31:15
The Miracle Violinist That Had Judges in Tears
- Manami Ito’s World’s Best Audition
https://www.youtube.com/watch?v=KncnB5bfMWo&feature=youtu.be
・・・
(詳細)
【海外の反応】信じがたい方法で演奏するある日本人女性が海外で話題に!!
美しい音色の背景にある感動のエピソードに外国人から賞賛の声!!
海外「驚きと感動をありがとう…」【動画のカンヅメ】
2018/09/16
https://www.youtube.com/watch?v=-XejMiGqVmU
<感謝合掌 令和2年12月13日 頓首再拝>
困難を恐怖するなかれ! - 伝統
2020/12/17 (Thu) 04:47:09
*「生命の實相」幸福篇下巻(12月17日)より
恐怖というものは誤解の上に築かれている。
およそ恐怖すべてものは実相には無いのである。
人は困難を恐怖するが、困難がどれだけわれらを高め上げてくれるものであるか、
その困難の功績を知らない者が多いのである。
もし、困難の功績というものを、われらが知ることができるならば、
われわれは困難を苦痛と感じなくなるであろうし、
困難に対して恐怖を感じなくなるであろう。
困難と苦痛とは異(ちが)うのである。
困難を苦痛と感ずるのはただ誤解に因(もとづ)いている。
困難は時として立派な遺産を置いて行ってくれるものなのである。
<感謝合掌 令和2年12月17日 頓首再拝>
困難への恐怖は、すべて誤解の上に成り立つのである。 - 伝統
2020/12/18 (Fri) 02:11:25
*「生命の實相」幸福篇下巻(12月18日)より
およそいっさいのものには存在の意義がある。
その人にとって不必要なものは存在しないのである。
いわんや困難に意義がないなどというはずはない。
与えられたものをその存在の意義をそのままに受け取ろうとしないとき、
そこに苦痛は起こり、悲哀が感じられるのである。
わたしはある日、鳩が板の上に卵を生んで抱卵に困っているありさまを見て、
その卵を巣皿の中に入れてやったら、慣れない鳩はその巣皿を怪しいものと思い、
「不幸」が見舞ったと思い、その卵の抱卵の期を失ってしまったことがある。
板の上に卵を生んだ鳩にとっては、そこへ巣皿が現れたということは、
かえって救いの手であったのだが、彼はそれを誤解し、恐怖し、
与えられたものを素直に受けようとせず、苦痛を感じ、呪詛を感じ、
そして自己と自己の子孫の運命を腐敗せしめてしまったのであった。
困難を恐れる人間も、この鳩のごときものである。
すべて恐怖は誤解の上に成り立つのである。
静かに受けて、与えられた意義を見出せば、その人にとってそれは
あるいは運命向上の、あるいは人格向上の、あるいはいっそう健康となるための
素材であるはずのものがどんなにか多いことであろう。
<感謝合掌 令和2年12月18日 頓首再拝>
《危急の時に自己の全力を発揮させる》 - 伝統
2020/12/21 (Mon) 07:07:50
*『 生長の家 』(昭和24年7月7日の法語)より
危急存亡の時に到(いた)れば
吾々の生命の中にある無限の能力が揮(ふる)いおこされる。
周囲一面が火の海に包まれて坐(すわ)っておれば
焼け死ぬより外に道がないと思われるような瞬間に
中風の老人が、全身の不随を回復して逃げ出したという様な事実も
あるのである。
ダンテは 二十年間追放生活の中に営々として著述に従事し、
死刑の宣告の下に於いても著述したのである。
「 ロビンソー・クルソー漂流記 」 の作者も
入獄中にそれを執筆したのだといわれている。
一度 意を決したる人には 如何なる困難も
その人の自由を奪うことはできないのである。
http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/9525d56a7bf2ea70daa447fc89c9b418
<感謝合掌 令和2年12月21日 頓首再拝>
困難の時ほど「神の子」を自覚せよ - 伝統
2020/12/25 (Fri) 05:03:12
*「幸福を招く365章」(P225~226)より
困難が来たときに其の人の信仰がテストされるのである。
困難が来ぬときに「人間、神の子」と豪語するのは
容易(たやす)いことであるけれども、
実際、解決し難き困難、普通では癒えがたき病気に直面したときに
其の人の信仰がどの程度のものであるかがわかるのである。
かかる場合、信仰うすきものは平素の「神の子」の自覚は
何処(どこ)へやら、現象の困難の前に屈従してしまうのである。
そんなときに言葉の力によって自己が神の子であることを強調し、
「吾れは神の子であり、神の愛に強く支えられているから
如何なる困難をも克服し得るのである。
神よあなたの愛に感謝いたします」
と繰り返し念ずることは信仰を更に強め困難を乗り切る力を与えるのである。
<感謝合掌 令和2年12月25日 頓首再拝>
《吹きすさぶ風に戦う樹木の根は深い》 - 伝統
2020/12/26 (Sat) 06:29:01
*『 生長の家 』(昭和24年7月8日の法語)より
二個の樫(かし)の実を 一つは深い森の中に落し
一つは寒風吹きすさぶ禿山(はげやま)の上に植えておいたと仮定せよ。
二つの樫の実は同時に発芽するかも知れないが、
深い森の中に発芽した樫の苗は、森林に蔽われて強い日光にも
強い風にもさらされないでいる代りに
それを繊弱な姿にしか成長しないのである。
禿山の頂上に植えつけられた樫の苗は、
常にはげしく吹きすさぶ風と戦いながら、
深く根を張り、成長は徐々であるが幹は一そう強固に太くなり
遂には亭々として天をも摩する大樹となるのである。
http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/4baaffc4696b85e8ea13f34d11f03d06
<感謝合掌 令和2年12月26日 頓首再拝>
《困難は受け方で毒とも薬ともなる》 - 伝統
2020/12/31 (Thu) 04:59:23
*『 生長の家 』(昭和24年7月9日の法語)より
ゴムのボールは強く障礙物(しょうがいぶつ)にぶつかればぶつかるほど
弾力を以(もっ)てとび上がるのである。
人間も障礙物に強く強くぶつかることによって
いよいよ高く上昇するのである。
障害物が人間を滅ぼすのではなく、
それの受け方が人間を滅ぼしもすれば向上させもする。
神は青年を教育せんとする時には必ずしも学校へは送らないのである。
そしてむしろ絶対絶命の境地に追いつめる。
そしてそこから無限の能力をしぼりださせるのである。
http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/ed27cbb371adb837540eba1dd399d512
<感謝合掌 令和2年12月31日 頓首再拝>
《困難は能力の働く場である》 - 伝統
2021/01/14 (Thu) 02:37:51
*『 生長の家 』(昭和24年7月10日の法語)より
競技がなければ勝利が存在しないように、
困難がなければ成功は存在しないのである。
又 困難がなければ能力が存在しないのである。
能力とは何か?
困難を自由に操縦する力である。
国民が一大困難に直面した時 無数の発明が成就されるのである。
困難は能力の働く場である。
http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/3f668e6447bbcd17c01dd3d2469e6cca
<感謝合掌 令和3年1月14日 頓首再拝>
《困難、困難に非ず》 - 伝統
2021/01/22 (Fri) 03:06:39
*「光明法語」(1月22日)より
あらゆる見せかけの困難はすでに困難ではないのである。
吾は何事は起って来ようとも神之(これ)を解決し給うことを信ずるのである。
如何なる出来事もこの信念を打ちこわすことは出来ないのである。
吾は目の前に起って来る如何なる困難をも呪(のろ)いはしないのである。
すべての困難は吾が魂を鍛え上げる鍵である。吾が魂を磨く《やすり》である。
吾が魂が鍛えられ、磨かれ、光輝燦然と輝く様になった時、
もはやそのようなあらあらしい砥石は自分の魂に不必要になって来るのである。
従ってそのような困難は消えてしまう。
<感謝合掌 令和3年1月22日 頓首再拝>
《克服する物 大なれば自己が偉大となる》 - 伝統
2021/02/07 (Sun) 03:14:23
*『 生長の家 』(昭和24年7月11日の法語)より
スター・デーリーは困難を克服した時
自分の中に潜在する能力がもっとも強く発揮されるといって
午前四時に必ず起きて精神統一の修行をする事にしたのである。
彼は獄中を出た後もっとも自分の不得手である所の
文筆と講演とで生活することにした。
しかも彼の文筆と講演とによって救われる人は随分沢山あるのである。
http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/24caecd2bd3a94e474310e22df9b6492
<感謝合掌 令和3年2月7日 頓首再拝>
困難を超えて向上する日 - 伝統
2021/02/10 (Wed) 03:21:12
*「光明道中記」(2月10日)より
【困難があるので魂は向上する。軌道に摩擦があるので汽車は進行する。
(『生命の實相』十一巻)】
魂の向上とは、困難がなくなることではない。
困難が困難でなくなることである。
甲は1ポンドの鉄亜鈴(てつあれい)を振舞(ふりま)わすことを
快感であると言い、
乙は2ポンドの鉄亜鈴がちょう度快感であると言う。
かくの如くして吾々の力が向上するに従い、困難が困難でなくなるのである。
吾々の筋肉は毎日使うことによって発達し、
吾々の頭脳も毎日使うことによって発達する。
最初は一桁の加算(よせざん)が難しかった小学生が、
ついには高等数学の問題を何の苦しみもなく解くことが出来るようになるのは、
その人の進歩であり、困難を征服した賜(たまもの)である。
お蔭と云うのは、数学上の問題が無くなることではなく、
どんな数学の問題でも自由に解決し得るように力を得ることであると同じように、
吾々がお蔭を得たと云うのは人生に問題が無くなる事ではなく、
どんな人生の問題でも重荷でなく解決し得るようになる事である。
最後のドタン場になって「救けてくれ」と言うのは、
平生(へいぜい)勉強しないでいて
お情(なさけ)及第させてくれと言うに当る。
お情及第させられた者は、その時は有難いと思っても
実力がないから次の時に失敗する。
<感謝合掌 令和3年2月10日 頓首再拝>
【難関を越える】 - 伝統
2021/02/21 (Sun) 02:24:40
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.01.03)より
(致知出版代表、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…)
2016年の新春大会にご登場いただき、1200人の聴衆の心を
深い感動で包んだ福島智(さとし)さん(東京大学教授)である。
福島さんのお話を初めてうかがった時、
肌がチリチリむようなような衝撃を覚えた。
福島さんは3歳で右目を、9歳で左目を失明、全盲となった。
生来が楽天的、と本人はおっしゃるが、
視力を失っても音の世界がある、
耳を使えば外の世界と繋がることができると考え、
実際、音楽やスポーツや落語に夢中になっていた、という。
だが、さらなる過酷な試練が全盲の少年を襲う。
14歳の頃から右耳が聞こえなくなり、
18歳、高校2年の時に残された左耳も聞こえなくなってしまったのである。
全盲聾(ぜんもうろう)…光と音からまったく閉ざされた世界。
福島さんはその時の状態を
「真っ暗な真空の宇宙空間に、ただ一人で浮かんでいる感じ」
と表現している。
なぜぼくだけこんなに苦しまなければならないのか、
これから先、ぼくはどうやって生きていけばよいのか…
不安、恐怖、懊悩(おうのう)の日々が続いた。
そんなある日。
母親の令子さんが福島さんの指を点字タイプライターのキーに見立てて
「さとしわかるか」と打った。
「ああ、わかるで」と福島さんは答えた。
母親のこの指点字は壮大な転機となった。
福島さんは真っ暗な宇宙空間から人間の世界に戻ってきたのだ。
その時の感動を福島さんは詩に綴っている。
【指先の宇宙】
ぼくが光と音を失ったとき
そこにはことばがなかった
そして世界がなかった
ぼくは闇と静寂の中でただ一人
ことばをなくして座っていた
ぼくの指にきみの指が触れたとき
そこにことばが生まれた
ことばは光を放ちメロディーを呼び戻した
ぼくが指先を通してきみとコミュニケートするとき
そこに新たな宇宙が生まれ
ぼくは再び世界を発見した
コミュニケーションはぼくの命
ぼくの命はいつもことばとともにある
指先の宇宙で紡(つむ)ぎだされたことばとともに
この詩の意味するものは大きい。
福島さんだけではない。
すべての人の命は言葉とともにある。
言葉のないところに人間の命はない。
福島さんは身をもって、そのことを私たちに示してくれている。
同時にもう一つ大事なこと、
絶望の淵から人間を救うのは言葉である、ということ。
どのような人生の難関も言葉という通行証をてにすることで、
乗り越えることができる、ということ。
そのことをこの詩は私たちに教えている。
福島さんのお話を聞き、著書を読んで強く感じたことがある。
福島さんには4つの特質がある、ということである。
(1)非常に明るいこと。
(2)ユーモアがある。
(3)常に人に何をか与えようとしている。
(4)自分が主語の人生を生きている、
ということ。
そこには被害者意識は微塵(みじん)もない。
被害者意識で生きている人は何ごとであれ人のせいにする。
人のせいにしている人に難関は越えられない。
人生は開けない。
この4つの資質こそ、福島さんをして、
普通の人なら絶望してしまいかねない人生の難関を
越えさせた秘訣であるように思うのである。
<『二度とない人生をどう生きるか』致知出版社
https://amzn.to/3o8BFIj >
・・・
「はだかにて生まれてきたに何不足」
という俳句の小林一茶の句がある。
我々は、元々、はだかで生まれてきた。
それが長じるにしたがって、
不平不満、欲、嫉妬、愚痴、などを頻繁に言うようになる。
だがしかし、この福島さんのことを知ったとき、
なんと我々は、人のせいにしたり、不平や不満を言っていたのかに気づく。
本当は…
目が見えることに感謝。
耳が聞こえることに感謝。
手が動き、足が動くことに感謝。
当たり前の日常を過ごせることに…
我々は、今一度、深い感謝の念を持ちたい。
<感謝合掌 令和3年2月21日 頓首再拝>
《裸一貫になることを恐れるな》 - 伝統
2021/03/06 (Sat) 04:56:27
*『 生長の家 』(昭和24年7月14日の法語)より
ユダヤ人はその殆(ほと)んどすべての歴史が
他民族からの圧迫と漂泊の生活であったが、
その中からもっとも偉大な詩であるところの
ダビデの詩篇(へん)が現われ、
ソロモンの箴言(しんげん)は生まれ
ナザレのイエスの福音が説かれたのである。
もしユダヤ民族に対する運命の重圧がなかったならば、
これらのもっとも尊きものは発現しなかったであろう。
民族も裸一貫になって見なければ その真価はわからないのである。
http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/6d32d10c516fe5d74e13cb6d9ef99cd2
<感謝合掌 令和3年3月6日 頓首再拝>
厳しい環境を克服するために必要な○○とは? - 伝統
2021/03/24 (Wed) 06:26:23
*Web:宇宙の兄弟たちへ(2021.02.07)より
人生では時として厳しい環境が訪れ、
そこから抜け出せずに苦しい思いをする時期があります。
沼地に足を取られたように、
なかなか自力で脱出できずに苦しい思いをします。
現在はコロナ過が猛威をふるっており、
厳しい環境に置かれる人も多く出ているでしょう。
現状が何時まで続くのかと、
長いトンネルの中に入った気持ちになっている人もいます。
そうした厳しい環境を克服するためには、正しい信念が必要です。
霊的真実からすれば、
私たちはこの世に肉体に仮に宿った不滅の魂こそが本質です。
私たちは永遠に生き通しの魂であり、
偉大な霊存在である神仏の子であるのです。
その「神仏の子であり、永遠の存在である私たちが、
仮の世界であるこの世の事でつまずき、挫けてしまうわけがない」
という正しい信念こそが大切です。
この世の世界、物質界というのは仮の世界であって、
お芝居の舞台に出ているようなものです。
お芝居の世界で、様々な艱難辛苦に会おうとも、
それは一つの幻のようなものです。
たとえ困難にあって死んだ役を演じたとしても、
舞台裏(あの世)に戻れば、ちゃんと元気に暮らしています。
このように正しい霊知識、正しい信念をもってすれば、
この世の困難も乗り越えていけるでしょう。
人間に与えられた真の力をもってすれば、
乗り越えられないものは無いのです。
人は神仏の子であり、偉大なる霊存在であることを忘れてはいけません
(https://www.spacebrothers.jp/2021/02/blog-post_7.html)
<感謝合掌 令和3年3月24日 頓首再拝>
《困難を超えて来た者には腹が出来る》 - 伝統
2021/03/29 (Mon) 04:34:47
*『 生長の家 』(昭和24年7月15日の法語)より
日本人も段々その真価を発揮しつつある。
多くの人間は一度は裸一貫になって見なければ
その真実の力を見出(みいだ)すことはできないのである。
困難と貧乏とは すべての蔽(おお)いをとり去って
人間を裸にして その尊き実相をえぐり出すのである。
困難に対して奮闘してきた人のみが
何が起って来ても、驚かないような魂の平静を
獲得することができるのである。
http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/d04b1db47589c3ed9e466c7c52291ece
<感謝合掌 令和3年3月29日 頓首再拝>
【災難をチャンスに変える心の処し方】 - 伝統
2021/04/09 (Fri) 02:46:58
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.02.17)より
(稲盛和夫氏の心に響く言葉より…)
思念は業(ごう)をつくる、と言いました。
輪廻転生、前世を信じない、来世も信じないという人は、それで結構です。
オレは生きているこの現実しか信じないという人は、現世だけで結構です。
その現世において思ったこと、やったこと、それが業をつくるわけです。
いちばん業をつくるのは思念なのです。
実行したことももちろん業をつくりますが、
その業が、運命というものを決めていくわけです。
つくった業は、必ず現れます。
業が現れるということは、つまり運命です、我々の運命です。
人間にはつまずきがあります。
現世のいまを生きているあなたには関係がないのだけれども、
あなたが知らない過去世でつくった因縁、また業によって
どんなことが起こるかわからないわけです。
それを一般に災難、というのです。
災難というのは避けようがありません。
現世に生きているときに善きことを思うことで避けられることもあるのですが、
それでも過去の業の深さによっては避 けられません。
じつは、その災難に遭ったときに人間の価値が決まるのです。
そのときに、みんなのたうちまわるわけです。
たとえば銀行、金融バブル崩壊における不祥事です。
昨日までは財テクに精を出し、株式や何やらで
たいへん儲かってすばらしいといわれていた経営者が、
バブルが崩壊し、一朝にして持っている株がメチャクチャに下がり、
土地の値段が下がり、首を吊らなければならないという経営者もおられるでしょう。
また証券・銀行で不祥事があって、いままで社長で威張っていたのに、
突然、社長交代で追放ということが起こっている。
新聞を毎日見ておられればわかるように、
人生にはさまざまな事象が起こってきます。
本人に責任があり罪があるものもありますが、
それとは関係なしに災難に見舞われる。
そのときにどう処するかということが問題になってくるのです。
そういう災難に遭ったときの身の処し方ができていないために、
さらに事態が悪化していくわけです。
大体がつまずきますと、
そのつまずきがさらにつまずきを起こしていくのです。
これは秘中の秘ですけれども、大きな災難ではなく 小さな災難でも、
あるいは災難と名のつくようなものではなく、病気でも結構です。
そういうことが起こったときに、それを喜ぶのです。
喜べなくても、喜ぼうと思うのです。
理由がなければ喜べませんね。
それはなぜかというと、業が消えるときだからです。
過去につくった業が消えるときに災難が現れるわけです。
現れるということは、すんだということなのです。
過去につくった業が消えるためには、表に出てこなければいけません。
隠されている間はいつ出てくるかわからないわけです。
つまり大病をしたときでも、
「よかった、この程度の病気で終わるなら、
手術をして命を取り留めただけでもよかった」
と喜ばないといけない。
つまり、業が消えるんです。
その現象が起こることによって、過去の業が消えるわけですから、
「死ななかったのだから、ええやないか」と、
それがポジティブな取り方です。
考え方がネガティブじゃないのです。
災難が起こっても、それをいいほうに解釈していく。
「ああよかった、ありがたいことだ。この程度の災難 ですんでよかったな」と、
そう思いなさい。
そう思えてくると感謝ができる。
そうすると、それで事がすんでしまって、あとはいい方向に行くのです。
<『人生と仕事の方程式』サンマーク出版
https://amzn.to/3ppr6An >
・・・
稲盛氏は本書の中でこうかたっている。
『私より一回り上、十二歳上の、女性の下着をつくっている
ワコールの創業者・塚本(幸一)さんと親しくさせてもらっています。
京都の商工会議所の会頭をされていますが、近江商人の出でして、
すばらしい人間性をもった人で、そしてなかなかのドンファンでもあります。
人間がひじょうにいいんですね。
とくに私をたいへん好いてくれていまして、
何かあると「稲ちゃん、稲ちゃん」と親しくしていただいています。
やっぱり、ああいうふうにすばらしい人生を歩いている人というのは、
理屈抜きにわかっておられるんですね。
私が偉いと思ったのは、何年か前に病気をして入院されたときのこと。
大変だということで、見舞いに走っていったのです。
ところが本人はニコニコしていて、
前の晩も友達を呼んでベッドの上で麻雀をしていたというのです。
それで院長に「『隣の部屋の入院患者にもよくない』と怒られたけれど、
また今日の晩もやるんだ」というようなことを言われる。
「いい加減にしてくださいよ」 と言うと、
「いや、オレはたいへんうれしいんや」 と言われる。
「実は一昨日、大したことはなかろうと思ったんだけれども、
ちょっと気になったので、病院に診てもらいに来たら、
すぐに入院しなくてはならんというので、入院した。
実はこういう病気でちょっと重いんや」と。
それなのに麻雀をして喜んでいるわけです。
ちょっと気分が悪くなって病院へ行って検査してもらって、
これは腎臓ですよ、肝臓ですよ、すぐに入院やと言われたのなら、
ああよかったと、なぜ思わないのだろう。
「そこから心配し始めるから、ますます病気が悪くなる」というわけです。
知らぬが仏で、家の中でウロウロしていたときはよかったのだけれども、
病院へ行って原因がわかったがために、そこから心配が始まる。
それを彼は、おかしいやないか、
原因がわかって、 医者が手当てをしてくれるというのなら、
ああよかった、それで救われたと思わねばならないというのです。
そういう人は、普通の人とはまったく別の、正反対の発想をします。
だから、病気でもすぐに治るのです。
運命も必ず好転していきます。
一代でああいうすばらしい大会社をつくっていける。
それはもう考え方一 つです。
だから「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」 と、
最初に「考え方」があるわけです。』
どんなに熱意があろうと、能力があろうと、
考え方が間違っていたら、とんでもない方向に行ってしまう。
考え方とは、方向性のことだ。
東京を目指して新幹線に乗ったのに、
京都行の車両に乗ったら永久に東京には着かない。
会社においても、方向性の間違った人がいると、
その人の熱意があればあるほど、能力があればあるほど、
会社を倒産させる方向に行ってしまう。
災難が起きたとき…
災難に感謝できれば、災難はチャンスに変わる。
<感謝合掌 令和3年4月9日 頓首再拝>
逆境を乗り越える方法 - 伝統
2021/04/20 (Tue) 04:37:11
*Web:宇宙の兄弟たちへ(2021年2月18日)より
世間では逆境に立たされている人も多く出ていると思いますので、
逆境を乗り越えるための話しをしたいと思います。
アメリカで以前に、成功者と言われる方々に
興味深いアンケートが取られました。
それは「あなたの成功のきっかけは何ですか?」というものです。
みなさんはなんだと思いますか?
親から受け継いだ遺産でしょうか?
綺麗な見た目でしょうか?
それとも人並み優れた才能でしょうか?
彼らがあげたのもに共通して多かった答えとは以外にも以下のようなものでした。
「病気」「倒産」「失恋」
いずれも人生の逆境と思われる時期にあたると思いますが、
それを成功の切っ掛けだと答えた人が多かったそうです。
こうした艱難辛苦があってこそ、
人は奮起して立ち向かうという事でもあるでしょう。
世の中の人には、逆境にあって打ちのめされてしまう人もいれば、
それを発奮材料としてさらに成功に転ずる人もいます。
その違いとかどこになるでしょうか?
それは結局のところ考え方の違いにあるでしょう。
目の前に起こる出来事をどう受け止めるかという、考え方の違いによります。
逆境に直面して、「もうだめだ、これでお終いだ」と思ってしまう人は、
打ちのめされた人生を送ってしまうものです。
逆境に応じて、「このピンチを何とかチャンスに変えられないか?」
と考える人にとっては、逆境下に道は開かれるでしょう。
考え方を変えると言うと、ただの気休めのように思う人もいるでしょう。
しかし、物事は考え方によって大きく変わっていくものです。
偉人が偉人である理由は、その考え方にあります。
凡人が凡人である理由も、その考え方が平凡であるからでしょう。
逆境にあっても普通の人と違った考え方が出来る事で、
普通とは違った成功を得られます。
空を飛ぶ鳥にしても、空気による抵抗があるからこそ空高く飛べます。
風や空気がある事で摩擦を生じ、羽根を動かすのに抵抗を受けるわけですが、
まったく空気の無い真空では、鳥はいくら羽ばたいても空を飛ぶことが出来ません。
大空を自由に飛び回るためには、空気という抵抗が必要なのです。
そのように私たち人間も、成長していくためには、
何らかの逆境となる抵抗が必要になってきます。
逆境とはつまり私たちを鍛えてくれる方便でもあるのです。
考え方次第で、逆境を乗り越えられると知っていれば、
これから訪れる出来事にも対峙していく力となっていくでしょう。
どのような思いを持つかで、その人の置かれる環境が出来上がります。
私たちの思考が現実を作り出しています。
https://www.spacebrothers.jp/2021/02/blog-post_18.html
<感謝合掌 令和3年4月20日 頓首再拝>
心が折れそうなときに - 伝統
2021/04/24 (Sat) 04:33:41
*Web:今日も良いことがあるように(2019/06/23)より
「どうせなら明るく生きよう!
前向きに楽しく生きよう!
人に優しく思いやりをもって生きよう。」
「三河のエジソン」加藤源重
この「どうせなら」に、逆境を知った人の強い思いを感じます。
先日、メルマガ「心の糧」の読者MTさんから
次のようなメールをいただきました。
先日は、○○○○さんのお話ありがとうございました。
今活躍されている人でも、なかなか芽の出ない時代があったのですね。
私もがんばります!
ところで”三河のエジソン”こと加藤源重さんはご存じでしょうか?
仕事中の事故で右手の指を失くされてから
身障者の方のために数々の自助具を製作されているおじいちゃんです。
自分の辛かった経験を、
人のために役立るというのはすごいことだなと思いました。
知らなかったので、調べてみました。
確かに、MTさんのおっしゃるようにすごい人です。
55歳のときに事故で、利き腕の右手の5指を失い、失意のどん底へ。
しかし、それを機に、身障者の方のために
数々の自助具を創意工夫して作り、
より人生を前向きに豊かに生きていらっしゃいます。
その前向きな言葉を拾ってみました。
勇気づけられますよ。
「指がなければ、手首があります。
右手がなければ左手があります。
両手がだめなら足があります。
やる気があれば、諦めなければ、夢は必ず実現できます。 」
そうですね!
必要なものがなくても、
やる気とあきらめない心があれば、何とかなるものです。
「失敗すれば、やり直せばいいし、人生が終わったわけでもありません。
逆に、失敗から新しいアイデアが生まれたり、
別な考え方が生まれることもあります。
失敗は、神様が与えてくれる一つの忠告だし、
別の見方をすると新しいことを教えてくれている
ようなものだと思っています。
くよくよしたって、悩んでばかりいたって、
済んだ過去は戻ってきません。
常に諦めないでいれば、必ず何とかなります。」
そうですね!
失敗を重ねても、そこから学んでいけば、夢に少しずつ近づいていけるのです。
私たちも明るく、前向きに楽しく、優しく思いやりをもって、
今日を過ごしましょう。
きっと良いことがありますよ。
・・・・・・・・・・・・・・
【出典】
今関信子著『三河のエジソン―障害を克服する自助具の発明家 加藤源重』
https://lucky.t-nakai.work/2019/06/23/word-70/
・・・
<参考Web>
伊勢ー白山 道(2021-04-23 )
今の生き方と自分の思いが、来生の「条件」を決めている最中
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/0760c607afa6dc0972f8edad0eb1ed89
<感謝合掌 令和3年4月24日 頓首再拝>
苦しいのは、あなたが逃げているからです。 - 伝統
2021/05/06 (Thu) 04:37:06
*Web:宇宙の兄弟たちへ(2021年3月27日)より
あなたは深いところで、とてもよく知っています。
たった一つの魔法、たった一つの力、たった一つの救いがあることを。
それは「愛すること」だということを。
あなたの苦しみを愛しなさい。
それに抵抗しないこと、それから逃げないこと。
苦しいのは、あなたが逃げているからです。
それだけです。
上記はドイツ生まれでスイスの作家ヘルマン・ヘッセの名言です。
『車輪の下』や『デミアン』などの小説や詩でも知られている方です。
ヘッセは救いは”愛されること”ではなく、”愛すること”と言っています。
自分の人生を受け入れ、愛することを教えています。
悩みや、苦しみ、葛藤の中にある時、
私たちはそこから逃げ出したくなってしまいます。
ですがヘッセは逃げるのではなく、受け入れて愛しなさいと説きます。
自分が受け入れずに逃げているからこそ苦しくなるのだと
逃げ出すことなく、自分を信じ、愛することからはじまります。
https://www.spacebrothers.jp/2021/03/blog-post_27.html
<感謝合掌 令和3年5月6日 頓首再拝>
《「必ず能(でき)る」の心を失うな》 - 伝統
2021/05/24 (Mon) 04:58:51
*「眞理」第2巻基礎篇第14章(P391~392)より
あなたが能(でき)ると思うものは必ず能(でき)るのです。
「これは中々難しい」と思うものは、
必ず、あなたにとって難しくなるのです。
「難しい」と云う感じを心に持ちますと、
その感じそのものが、自分の心の中に摩擦となりまして、
滑(なめ)らかに回転している機械の軸承けの中に、
砂を投げ込んだようになるのです。
だから決して、「難しい」などと云う考えを起してはなりません。
「必ず能(でき)る」と云う考えを捨てたときのみ、
あなたは完全に打ち敗(まか)されたものとなるのです。
どうして、こんなに発達した飛行機でも墜落して
その時に死者を出したりすることがあるのですかと尋ねると、
或る航空家は、
「それは時として航空士が『もう駄目だ!』との恐怖感におそわれて
飛行機を操縦する意思を自己抛棄してしまうからです」
と答えたと云うことです。
もう駄目だと自己抛棄さえしなかったならエンジンが停止しても、
プロペラが折れても搭乗員が負傷しないで無事着陸することが出来る程に
現代の飛行機は完全に製作せられているのだと云うことです。
人間は、そんな飛行機よりも、尚一層完全につくられているのですから、
「もう駄目だ」と自己抛棄する心を起さない限りは、
駄目になってしまうことはないものです。
<感謝合掌 令和3年5月24日 頓首再拝>
困難消滅する日 - 伝統
2021/06/03 (Thu) 04:49:47
*「光明道中記」(6月3日)
【心が「迷いの念」に引っかかって生命本来の自由性を失うと、症状が顕れる。
(『生命の實相』第一巻)】
人が神に近づくには試練の火が必要であり、
必ず困難によって鍛えられなければならないと云うのは嘘である。
実際上多くの人達は試練の火によって鍛えられ、
困難によって浄められて神に近づく。
私自身も嘗てはそうであったのである。
併し今私は試練の火が必要であったのでも、
困難が必要であったのでもなかったと
「私の生活体験」を解釈する立場に立つのである。
試練の火は”神から”来たところの不可避の火ではなかったのである。
試練も無く困難もなかったのである。
自分の自覚が「実在」(神の造りたまえる《そのまま》)と
調和しなかったのである。
みずから神から離れたるものと誤覚し、
「実在」の秩序の中に調和しないでいる ――
その《みずからの状態》が「試練」であり、「困難」であったのである。
今よりのち試練を神からきたものと考えまい。
私が悪いのである。
すべては私の責任である。
試練を神に帰することは神を残忍者であると観、
神を不完全であると観ることになる。
斯くの如きことは「子たる者」の為すべきことではない。
子自身が勝手に放浪(さすら)い出て困難を経験していたに過ぎない。
心を放って本然の状態に復するとき、病気も試練もなくなるのである。
<感謝合掌 令和3年6月3日 頓首再拝>
困難を征服し宝石を得る日 - 伝統
2021/06/11 (Fri) 04:52:44
*「光明道中記」(6月11日)より
【自由ばかりでは形はない。光ばかりでは映像はない。
「実相」に虚が作用して形が生まれる。(『生命の實相』十一巻)】
逃れようと思わぬこと。
あらゆる経験は、すべて鉱石のようなものであって、
それを捨てずに処理して行くとき、
どんな貧鉱(ひんこう)からでも尊き金属を採取し得るように、
どんな経験からでも尊き「価値」を採取し得るのである。
吾らの生活は、五官の快楽のための生活ではなく、
「価値生活」であると云うことを知らなければならないのである。
人間の幸福は五官の快楽と否(いな)とにあるのではない。
それは鉱石の価値は採取し易いと否とにあるのではなく、
どんなに採取に困難でも「価値」多い鉱石は
それだけ値打ちが多いのと同様である。
盤根錯節(ばんこんさくせつ:面倒な事柄)を厭うのが
生長の家の生活ではない。
盤根錯節そのものは善でも悪でもないのである。
盤根錯節が吾々に不幸を齎(もたら)すのは、
盤根錯節を恐れ又は敵対するからである。
盤根錯節と協力して、わが生活を練るのだと思えば、
盤根錯節はかえって吾々に幸福を齎(もたら)すのである。
と云うのは不幸に甘んぜよと言うのではない。
不幸を幸福ならしむる不思議の力は、
逃げだそうとしないで眼の前の困難に
平気で進んで行くことから得られるのである。
<感謝合掌 令和3年6月11日 頓首再拝>
《生命(せいめい)は「抵抗」に面して悦んで活動する》 - 伝統
2021/06/24 (Thu) 04:40:52
*「眞理」第2巻基礎篇第14章(P392~393)より
生命(せいめい)は活動によってのみ生長し、
活動は何か「抵抗するもの」に面してのみ可能となるのである。
諸種の打球遊戯が興味があるのは
ボールが抵抗する形をもって迫(せま)って来るからである。
「抵抗するもの」が迫って来るので働きが楽しくなるのである。
何もボールが飛んで来ないのにバットを揮(ふる)うんだったら
馬鹿らしくて退屈で、バットを揮(ふる)う気になれないでしょう。
カンバスと云う抵抗物があるので楽しく絵が描(か)けるのである。
若(も)し全然抵抗のない道路の上を走ろうと思ったら
辷(すべ)って走ることが出来ないのである。
プロペラは空気の抵抗によって航空機を推進する。
噴射推進機は噴射による自己抵抗をつくって機体を推進する。
偉大なる能力は艱難(かんなん)の中から出て来る事が多いのである。
艱難(かんなん)を艱難と観ぜずに人生を推進せよ。
<感謝合掌 令和3年6月24日 頓首再拝>
すべての経験は、「神」を掘り出す喜びの作業 - 伝統
2021/07/03 (Sat) 03:02:00
*『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月3日)より
われらのすべての経験は、自分の内にある「神」を掘り出す作業である。
どんなにそれが失敗したように見えようとも、どんなにそれが深刻であり、
悲惨なように見えようとも、それが深刻であればあるほど、悲惨であればあるほど、
われらの神に通ずる坑道は深く穿たれていきつつあるのである。
深く深く下げていくうちには、やがて広々とした世界に出る。
そこには、もうなんの悲惨もない、常楽のみの世界なのである。
どんな経験も、苦しい経験も、
ただ、われわれは神に近づく掘り下げ方だとして喜ばなければならない。
<感謝合掌 令和3年7月3日 頓首再拝>
【穏やかな海では、優秀な船長も船乗りも育つことはない】 - 伝統
2021/07/18 (Sun) 04:40:45
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2021.05.08)より
(元リッツカールトン日本支社長、高野登氏の心に響く言葉より…>
4月といえば入学式や入社式など、若者たちが輝く季節ですね。
しかし、2020年に始まった新型コロナウイルスの影響で、
学校も会社も自粛ムードです。
さらに自宅待機やオンラインでの仕事が主流になりつつあります。
多くの若者たちもきっと将来に対する不安で、
心が圧し潰されそうなのではと、胸が痛くなります。
でも、これは人生にとって二度とない、
貴重な体験と学びの機会でもあると思います。
確かに、有難くない体験かもしれませんが、
多くの示唆に満ちていることも確かです。
人生が失敗や困難の連続なら、
問題はその困難や失敗の痛みとどう向き合い、
どう受けとめるかということでしょう。
リッツ・カールトン時代に二代目社長のクーパー氏から
言われた言葉があります。
「舟の行き先を決めるのは、風の向きではない。帆の張り方である。
そして、穏やかな海では、優秀な船長も船乗りも育つことはない」。
人は無難で順調な人生を送りたいと願うものです。
でも困難が様々な教訓を学ぶ機会でもあるのです。
忍耐力やものを見る知力もそこで磨かれるのです。
成功とは、困難の連続のなかにあっても
なお情熱を失わないことだといわれます。
苦しい時、つらい時こそ、心を調律する時間なのだ
と開きなおる強さを持ちたいものです。
《意識して、心を調律する時間を持ちましょう。
喜びは心を豊かさで満たす。逆境は精神を強く鍛える》
<『百年思考』かざひの文庫 https://amzn.to/3vOAD7y>
・・・
元福島大学助教授の飯田史彦(ふみひこ)氏は、逆境についてこう語っている。
『逆境というものは、自分が自分自身に与えた試験問題のようなものです。
その逆境には重要な意味が隠されており、
その問題を解くことによってワンランク上の人間に成長できる。
だからこそ、自分自身でその逆境を選びとったのです。
人間は自分のレベルに応じて、
自分にふさわしい試練というものを選びとって生きています。
自分の力で解決できないような試練は選びません。
目の前にある状況がつらければつらいほど、苦しければ苦しいほど、
その人はその試練に立ち向かうに値する人間だと言えるのです。』
人生は航海にたとえられる。
「船は港にいる時、最も安全であるが、
それは船が作られた目的ではない」 (パウロ・コエーリョ)
嵐や高波を恐がって海に出なければ、
ずっと港にとどまっていなければならない。
しかしながら、船は海原に出るためにつくられている。
一旦港を出れば、穏やかだった海が急に表情を変え、
一転にわかにかき曇り、雷鳴とともに滝のような大雨が降ることもある。
またある時は、嵐となり、奈落(ならく)の底まで
落とされるような****に遭遇することもある。
そんな逆境を何度も乗り越えたとき、優秀な船長と船乗りが育つ。
逆境は、自分が自分に課した試験問題。
乗り越えられない試練はやってこないと肚を括(くく)り、
人生の荒波を乗り切っていきたい。
・・・
<参照>
伊勢ー白山 道(2021-07-17 )
この世では、走り出したものは止まらないけれど・・・
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/1dbb407f29988732a494b3ad373b0d68
<感謝合掌 令和3年7月18日 頓首再拝>
【「ヤ・サマ」の精神でパラ車いす陸上7冠を目指すタチアナ・マクファデン】 - 伝統
2021/07/21 (Wed) 04:33:37
*メルマガ「日本一元気」(2021.07.20)より
ロシア生まれ、アメリカ育ちの車いすランナーである、
タチアナ・マクファデン。
本日7月19日放映のNHKスペシャル「超人たちの人体」
においても、取り上げられていましたが、世界を代表するパラアスリートです。
NHKスペシャル「超人たちの人体」 東京五輪注目選手の人体を可視化
(上)https://news.yahoo.co.jp/articles/4ad383bbd0e07aa6f95d29dabf142a1f0408f7ed
(下)https://news.yahoo.co.jp/articles/cfc96072767f687a7285d56a52c2d92aac30bf89
[NHKスペシャル] 車いすレーサー タチアナ・マクファーデン 前人未到のチャレンジ | HUMAN | NHK
(動画) https://www.youtube.com/watch?v=ePYWhJMFJYA
1989年、二分脊椎症という先天性の病により、
腰から下が麻痺した状態で生まれたマクファデンは、
「長くは生きられない」という医師の診断もあり、
実母が手放し、孤児院に預けられました。
しかし、なんとか一命をとりとめ、
他の孤児たちとともに幼児期を過ごします。
1994年、6歳のとき。
視察のため孤児院を訪れた米国保健局の障がい者担当官、
デボラ・マクファデンさんと出会い、
タチアナは養女となりました。
その後、アメリカで学校に通いながら、
デボラさんからスポーツの機会を積極的に与えられ、
水泳や車椅子バスケットボール、アイススレッジホッケーなど
さまざまな種目に挑戦をしたのだそうです。
このデボラさんの慧眼が、タチアナ選手の将来を決めたのだと感じます。
その後、タチアナ・マクファデン選手は、車いす陸上のアメリカ代表として活躍し、
今回の東京パラリンピックでは、パラリンピック車いす陸上で7冠を目指しています。
そして、このタチアナ・マクファデン選手が、常に自分に言いきかせている言葉が、
「ヤ・サマ」。
「Ya sama(ヤ・サマ)」とはロシア語で、「私にはできる」という意味。
困難にぶつかり、もうここが限界だと思ったときでも、
「ヤ・サマ」と自分に言いきかせ、壁を乗り越えてきたのだそうです。
タチアナ・マクファデン選手もそうですが、
世界を代表するアスリートのほとんどが、
ここが限界だと思ったところを、
さらにぶつかっていくという精神を持っているように感じます。
おそらく「ヤ・サマ」の精神は、
世界のどこでも通じるものなのでしょう。
タチアナ・マクファデン選手の活躍に期待したいと思います。
・・・
<関連>古舘劇場「新たなアート」陸上 タチアナ・マクファーデン
https://sports.nhk.or.jp/paralympic/video/furutachi-tatyana-mcfadden/
<参照>
Web:dmenuスポーツ(2019.04.10)
6歳まで手で歩いた哲人タチアナ・マクファーデン
「世界は美しい」
https://sports.smt.docomo.ne.jp/ol2020/column/20190410_1.html
<感謝合掌 令和3年7月21日 頓首再拝>
《重圧があるので内部の力が発現する》 - 伝統
2021/07/29 (Thu) 03:23:08
*「眞理」第2巻基礎篇第14章(P393~394)より
自分の肩に仕事の重圧がかかる事を嫌がってはならないのである。
重圧があるので内部の力が発現するのである。
これは動・反動の法則である。
重圧がかかっただけの反動力が自分の内部から湧き出て来るのである。
仕事のある間は、生命(せいめい)が発現するのである。
仕事がないのを楽しいと思ってはならないのである。
仕事がない方が、ジッとしている方が楽しいと思っている人があるなら、
病気でもないのに1週間ぐらい寝床で絶対安静にしてみると好い。
身体(からだ)じゅうが痛くだるく、何か為(し)たくなるに違いない。
仕事は人間を幸福にし、内在の活力を喚(よ)び出してくれるのである。
人間は金銭のためではなく内在の活力を喚び出すために仕事を持たねばならぬ。
<感謝合掌 令和3年7月29日 頓首再拝>
五輪競技と人生の勝敗 - 伝統
2021/08/03 (Tue) 03:58:31
*Web:宇宙の兄弟たちへ(2021年7月30日)より抜粋
オリンピックでメダルと取るには、
当然、数々の勝負に勝っていかなくてはなりません。
オリンピックに出場するだけで、
その選手は国内での競争に勝ったはずで、それだけでも凄い事です。
その勝者同士の集まりの大会がオリンピックです。
オリンピックで勝って金メダルを取ることで
世界中の競技者のトップに立てるわけです。
これらからすると、他人との競争という面ばかり見えると思います。
他人より強い者、あるいは他人より巧みで優秀な者が勝ち抜いて行きます。
人生にはこのように他人との比較の中において、
自分の優劣を比べる面があります。
他人との比較や勝敗で物事を見て行くのは、この世的な視点だと思います。
ですが、霊的視点からすると、
大切なのは他人との比較ではなくて、自分との勝負になります。
他人に勝ったか負けたかではなく、
過去の自分に勝てているかどうかが問われるのだと思います。
本来の価値からすれば、他人との勝敗ではなくて、
自分に勝ったか負けたかです。
過去の自分には出来なかった技が出来るようなったり、
タイムを縮められたとか、問題を解けるようになったなど、
自分の成長を喜ぶことが出来ます。
今世では他人よりもどうしても敵わない部分がある事も事実ですが、
大切なのは相手に勝ったか負けたかではなく、自分に勝ったかどうかです。
もともと持っていた才能からすれば、
これだけ成長した事が凄い事だと思えたら、それは幸せな事です。
才能の有る無しを嘆いていても仕方ありません。
過去の自分との戦いで、どれだけ勝てたかを気にすべきです。
自分との勝負に目を向けて行けば、そこには敗北はなくなるでしょう。
https://www.spacebrothers.jp/2021/07/blog-post_30.html
・・・
<参照>
「メダル取れなくてもあなたは最高」
Web:NHK(2021年8月2日)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210802/k10013175261000.html
<感謝合掌 令和3年8月3日 頓首再拝>
《人生の安定は責任ある仕事で得られる》 - 伝統
2021/08/24 (Tue) 05:00:44
*「眞理」第2巻基礎篇第14章(P395)より
船の安定を得るためには、船底に積荷をするのである。
不倒翁(おきあがりこぼし)は下部が重いために
倒しても倒しても起(お)き上がるのである。
人間は仕事を持っていると云うことは、
人生の船底に積荷をしたようなものである。
あまり軽い積荷では効果が薄いのである。
その人間にとってあまり重い仕事は、
重すぎる積荷が船を沈没せしめると同じ様に
その人間を圧(お)しつぶしてしまうかも知れないが、
その人間にとって、あまり軽すぎない仕事を与える
と云うことはその人に内在する力を引き出し、
その人の人生を落ち着いたものたらしめるのである。
人は責任ある地位に置かれれば、働き甲斐が感じられて来るのである。
責任のない地位で、働くべき仕事のない時、人は自然に堕落する。
<感謝合掌 令和3年8月24日 頓首再拝>
困難やピンチを乗り越える3つ言葉 - 伝統
2021/09/06 (Mon) 04:42:44
*Web:今日も良いことがあるように(2021/07/11)より抜粋
(1)壁があるからこそ人は成長する
束縛があるからこそ
私は飛べるのだ
悲しみがあるからこそ
高く舞い上がれるのだ
逆境があるからこそ
私は走れるのだ
涙があるからこそ
私は前に進めるのだ
マハトマ・ガンジー
★人は壁を乗り越えようとすることで成長する。
(2)困難の先にはいいことがある
困難は成長に欠かせない栄養分のようなものである。
シェイクスピア
★難しいことがあるから成長できる
(3)ピンチはチャンス
希望の光は、困難の中にある小さな幸せからともる。
ゲーテ
★困難の後に、良いことが待っている。
(https://lucky.t-nakai.work/2021/07/11/word-134/ )
<感謝合掌 令和3年9月6日 頓首再拝>
【四耐四不訣とは】 - 伝統
2021/09/28 (Tue) 04:10:20
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2020.03.25)より
(伊與田覺氏の心に響く言葉より…)
清代末期の政治家・曾国藩(そうこくはん)は、
四耐四不訣(したいしふけつ)という言葉を残しています。
「冷(れい)に耐え、苦に耐え、煩(はん)に耐え、閑(かん)に耐え、
激(げき)せず、躁(さわ)がず、競(きそ)わず、随(したが)わず、
もって大事を成すべし」
冷に耐える。
冷は冷ややかな目を表し、冷たい仕打ちや誤解に耐えるということです。
苦に耐えるは、文字通り苦しいことに耐えること。
人は様々な苦を体験します。
煩に耐えるは、忙しさや煩(わずら)わしいことに耐えること。
閑に耐えるは、暇に耐えることですが、これがなかな難しい。
経営者であれば仕事のない時期をどうすごすか、
サラリーマンであれば煩(はん)に耐えての会社勤めを終え、
年金生活に入ってどう過ごすか。
これらのことに耐え、つまらないことに腹を立てず、
ものごとが上手く運んでも調子に乗らず、よけいな競争をせず、
かといって何でも言いなりになってはいけない、という戒めです。
困ったことが起きると、空元気を出しても、
後から見ると何かしょんぼりして見えるものです。
人の心はすぐ後ろ姿に表れるものです。
昔の偉人の中には、牢(ろう)に繋(つな)がれる逆境に耐えて大を成した人もいます。
ガンジーは、静かな牢の中を最良の勉強部屋として、
そこから出るたびに多くの人々を啓発しました。
吉田松陰は、同じ牢の罪人や看守まで巻き込んでともに学び、
牢屋を教室に変えました。
まさに四耐四不訣の実践者といえましょう。
<『人生を導く先哲の言葉』致知出版社>
・・・
仏教における「苦」とは、
単に苦しいということではなく、「思い通りにならない」ことを言う。
「四苦八苦(しくはっく)」
という言葉があるが、八つの「苦」がある。
四苦という、
「死んでいく苦しみ」
「病気の苦しみ」
「老いの苦しみ」
「生きる苦しみ」。
そして、八苦という、
「心身を思うようにコントロールできない苦しみ」
「親しい人といつか別れなければならない苦しみ」
「恨みや憎しみを抱いてしまう人と会わなければならない苦しみ」
「お金や地位や名誉など、求めるものが手に入らない苦しみ」。
四耐四不訣もこれと同じで、思い通りにならないこと。
小林正観さんは、「耐える」とは言わず、「受け容れる」という。
それは「思い通りにしようとしないこと」でもある。
なんでも、自分の思い通りにしようとするから、苦しくなる。
なぜなら、人生のほとんどのことは、思い通りにはならないからだ。
だから、「ああ、そうなりましたか」「そうきましたか」といって
淡々として受け容れる。
「冷・苦・煩・閑」を淡々として受け容れ…
どんなこともあっても、カッとしたり、
嬉しいことがあっても、はしゃぎまわったりせず、
人とむやみに競うのではなく、
だれかの言いなりになったり、すぐに同調したりしてはいけない。
あらゆる困難、苦難に対し…
「四耐四不訣」の言葉を胸に刻みたい。
<感謝合掌 令和3年9月28日 頓首再拝>
人間の問題は人間が解決できる(ジョン・F・ケネディ) - 伝統
2021/10/15 (Fri) 04:41:46
*Web:今日も良いことがあるように(2019/05/07)より
第35代アメリカ合衆国大統領、ジョン・F・ケネディ大統領は、
体に大きなハンディキャップをもっていました。
子どもの頃から体が弱かったのです。
生まれつき背中に障害があり、
生涯、その激しい痛みに苦しめられていました。
しかも両脚は左右で2センチほど長さが違い、
人前以外では、松葉杖を使うことが多かったそうです。
弟のロバートは兄の死後、こう言っています。
「兄の生涯の少なくとも半分は、猛烈な肉体的な苦痛の日々であった」と。
上院議員のとき、ケネディは背中の大手術を受けるのですが、
その後2年間は入退院を繰り返し、議員生活もままなりませんでした。
議員としてもピンチの時期です。
しかし、彼はそのピンチをチャンスに変えます。
決してその時間を無駄にしなかったのです。
時にはベットの上で、あるいはロッキングチェアに腰掛けて、
深い政治的な思索を行っていきました。
そうして自分の政治信条を深め、1冊の本
『勇気ある人々』(Profiles in Courege)を書き上げます。
出版されると同書はベストセラーになり、
ピューリツァー賞をもたらすことになるのです。
それを機に、ケネディは大統領を目指します。
そして43歳のアメリカ史上、最も若い大統領として当選するのです。
若くても、ケネディは思慮深く、決断と勇気のある大統領でした。
彼は生まれもった自分のハンディキャップを言い訳にせずに
立ち向かう中で、精神力、思考力を鍛えていったのです。
だからこそ、われわれにも力強く語りかけています。
「我々の問題は人間によって作られたものだ。
それゆえ、人間によって解決できる。
人間の理知と精神は、解決不可能と思われることもしばしば解決してきた。
これからもまたそうできると私は信じている。」
ジョン・F・ケネディ
わたしたちも、ピンチであっても深く考え、勇気をもって行動することで、
問題を解決し、チャンスに変えることだってできるのです。
ピンチでも深く考え、勇気をもって行動しよう。
ピンチは私たちの能力を高める場になるでしょう。(^.^)
https://lucky.t-nakai.work/2019/05/07/thinking-58/
<感謝合掌 令和3年10月15日 頓首再拝>
《(困難な)仕事は人間の能力を増し健康とする》 - 伝統
2021/10/28 (Thu) 04:49:41
*「眞理」第2巻基礎篇第14章(P396)より
最初は困難だと思われていた仕事が、
それを努力して行っているうちに、困難でなくなる。
それは重い物を持ち上げる練習と同じことである。
最初は重く感じた物体がやがて軽々と持ち上がるのである。
その時には、それだけ筋肉が発達している。
それと同じ様に困難な仕事を繰り返しているうちに、
自分の能力が一層発達して来るのである。
これを称して「出せば出すほど殖える力」と言うのである。
奇怪なことではあるが、惰(なま)け者は却って、時間が少なく、
仕事を懸命にやっている者は、時間の余裕がたっぷり出て来る。
惰(なま)けて遊んでいる者は始終、身体(からだ)がくたびれているし、
忙がしい人々は却って身体(からだ)がシャンとしているのである。
仕事に感謝しなければばらぬ。
<感謝合掌 令和3年10月28日 頓首再拝>
人はある期間、みずからの脚で立ち、努力によって進歩する必要がある - 伝統
2021/10/29 (Fri) 04:57:27
*『理想世界』(昭和45年9月4日の法語)より
~《釈尊と梁の武帝との相異》
釈尊も、自分が裕かなる王宮にあって、皇太子として気儘な肉体生活を
営むことを続けていたならば、あのような悟りの境地に到達して
仏教の太祖となることは出来なかっただろうと考えられるのである。
梁の武帝は、帝王として裕かであったが故に、寺を建立し、
放光般若経をみずから講義するほどに学殖ゆたかには成り得たけれども、
それに依って何の魂の功徳を得たであろうか。
達磨大師に「無功徳」と一喝されて唖然としているのである。
多くの聖者は“物質の富”を棄てて、山に隠れて修行したのである。
遁世がよいのでもなければ、貧乏がよいのでもない。
併し、人間は魂の発達の途上に於いて、ある期間、人から譲られたものや、
与えられたものや、借りものに頼らないでみずからの脚で立つ
努力によって進歩する必要があるのである。
すなわち本当に「自分のもの」でないところの“物質の富”を杖にしないで、
物質に対して依頼心を起こさないで、みずから起つ修行をする
必要があるのである。
経営の偉才と謳われていた市村清氏もそのような人であったればこそ、
あれだけの経営の才がみがかれたのである。
坊ちゃん育ちで、どんな努力もしないでも社会的経済的にめぐまれた
位置にあって生活していたのでは、あらゆる場合に応じて
縦横自由にはたらき得る機能が磨かれる機会が失われるのである。
(別府正大氏著『経営の偉才・市村清』参照)
<感謝合掌 令和3年10月29日 頓首再拝>
《重荷を避ける者には重荷がやって来る》 - 伝統
2021/11/05 (Fri) 05:00:02
*「眞理」第2巻基礎篇第14章(P397~398)より
自分に降りかかって来る重荷は、
ことごとく自分を強めるためにやって来るのである。
その重荷を軽く感じることが出来るまでに
自分を鍛えることによって自分自身が高まるのである。
若し、青少年時代に、勉強や仕事と云う重荷を避けて
楽な生活をしたいと思うならば、
その人には又、別な重荷がかかって来るであろう。
それは「仕事がない」と云う重荷や、
「仕事をする能力がない」と云う重荷や、
「生活苦」と云う重荷である。
そんな詰らない重荷を背負う位ならば、
自分に課せられた仕事や勉強をそのまま素直に受けて、
それとしっかり取り組んで力を出すがよいのである。
力は出せば出すほど殖えるのであって、
やがて重い仕事と思われたものも軽くなるのである。
<感謝合掌 令和3年11月5日 頓首再拝>
困難を遊戯化する日 - 伝統
2021/12/04 (Sat) 05:04:22
*「光明道中記」(12月4日)より
【苦しみも戯(たわむ)れに化する時人生は光明化する。
何事も魂の生長の養分である。 (『生命の實相』第四巻)】
自分の言いなり通りが必ず通ると云うのは、
その人にとって一つの誘惑であることがある。
通らないことが時にはあるので、
自分が過って「我(が)」でものをやろうとしていた
そのことに反省の機会が与えられるのである。
『生命の實相』のなかにも書いてあるがナポレオンの辞書には
「不可能」と云う字がなかったが、彼は「我」の力を極度にまで信じていて
「何でも自分の言いなり通りが通る」と信じていたのである。
そして最後に蹉跌が来た。
「我」の力は如何(いか)に強大であろうとも最後に崩壊が来るものである。
それは「我」と云うものは本来無いからである。
無いものを有ると思って、我の道を通ると
陥穽(おとしあな)に陥(おち)るのである。
無いものは陥没するほかはないからである。
同じく陥没する位なら大事に至らないうちに陥没する方が好い。
早く「自分の言いなり通りが通らぬ場合」が出て来る方が好い。
コツンと一つ頭を打って自分の頭(ず)が高かったことに気附くのである。
ヒットラーが世界大戦を惹き起こしたとき、ヘンダーソン前駐独英大使が、
ヒットラーを評して「彼は何事にも『諾(イエス)』と答える人間に囲まれている
誇大妄想狂だ」と言った語(ことば)を思い出すが、
人は何事にも「諾(イエス)」と答える人間に囲まれているとき
却って災厄を惹き起こすのである。
<感謝合掌 令和3年12月4日 頓首再拝>
他の批判を恐れては何も出来ぬ - 伝統
2021/12/12 (Sun) 04:50:05
*『 生長の家 』(昭和24年9月7日の法語)より
どんな立派なものも人に認められぬ時期があるものである。
最初の創作や発明が人から認められないからといって
失望するにあたらない。
ワシントン・アービングの著作が認められて、
生活を支えるだけの収入が得られたのは、
彼が七十歳に達した時であった。
カーライルの「サーター・リザータス」(衣装哲学)は
今こそ全世界にその名を知られている有名な著作であるが、
一八五一年カーライルがその原稿をもってロンドンに出て来た時に、
ロンドン一流の出版会社は三社とも殆(ほとん)ど
侮辱に等しい言葉をもってその出版を拒絶した。
彼がやっと「フレーザー・マガジーン」にそれを掲載することが
出来た時にその雑誌の編集長は
「あの論文はすばらしい非難をうけていますよ」といって
笑いながら話したということである。
ヘンリー・ビーチャーが六篇の論文を或る宗教新聞の発行所へ送って
それを掲載してくれと依頼した時に、そ
れは見事に拒絶されたということである。
エマーソンの著述も、彼の生前は非常に不評判であって、
唯(ただ)その中の一冊だけが相当の売行きを見せたにすぎなかった。
人間の批評はまちまちである。
人々の批評にふりまわされているようでは
如何なる大事をも成しとげることは出来ないのである。
自ら信ずるもののみが偉大なる仕事を完成し得るのである。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=31
<感謝合掌 令和3年12月12日 頓首再拝>
困難の功績というものを知る - 伝統
2021/12/17 (Fri) 05:03:13
*「生命の實相」幸福篇下巻(12月17日)より
恐怖というものは誤解の上に築かれている。
およそ恐怖すべてものは実相には無いのである。
人は困難を恐怖するが、困難がどれだけわれらを高め上げてくれるものであるか、
その困難の功績を知らない者が多いのである。
もし、困難の功績というものを、われらが知ることができるならば、
われわれは困難を苦痛と感じなくなるであろうし、
困難に対して恐怖を感じなくなるであろう。
困難と苦痛とは異(ちが)うのである。
困難を苦痛と感ずるのはただ誤解に因(もとづ)いている。
困難は時として立派な遺産を置いて行ってくれるものなのである。
<感謝合掌 令和3年12月17日 頓首再拝>
困難の意義を見出す - 伝統
2021/12/18 (Sat) 04:57:28
*「生命の實相」幸福篇下巻(12月18日)より
およそいっさいのものには存在の意義がある。
その人にとって不必要なものは存在しないのである。
いわんや困難に意義がないなどというはずはない。
与えられたものをその存在の意義をそのままに受け取ろうとしないとき、
そこに苦痛は起こり、悲哀が感じられるのである。
わたしはある日、鳩が板の上に卵を生んで抱卵に困っているありさまを見て、
その卵を巣皿の中に入れてやったら、慣れない鳩はその巣皿を怪しいものと思い、
「不幸」が見舞ったと思い、その卵の抱卵の期を失ってしまったことがある。
板の上に卵を生んだ鳩にとっては、
そこへ巣皿が現れたということは、かえって救いの手であったのだが、
彼はそれを誤解し、恐怖し、与えられたものを素直に受けようとせず、
苦痛を感じ、呪詛を感じ、そして自己と自己の子孫の運命を
腐敗せしめてしまったのであった。
困難を恐れる人間も、この鳩のごときものである。
すべて恐怖は誤解の上に成り立つのである。
静かに受けて、与えられた意義を見出せば、その人にとってそれは
あるいは運命向上の、あるいは人格向上の、あるいはいっそう健康となるための
素材であるはずのものがどんなにか多いことであろう。
<感謝合掌 令和3年12月18日 頓首再拝>
人間性が試されるとき - 伝統
2021/12/19 (Sun) 04:53:24
*『論語と算盤』渋沢栄一(著)より
~致知BOOKメルマガ(2021年12月08日)
「真の逆境」とはどんな場合を言うのか?
実例を挙げて説明してみたいと思います。
だいたい世の中は順調なまま平穏無事に進んでいくのが普通であるものの、
水面に波が立つように、空気に風が起こるように、
平和で静かな国や社会でさえ、ときには革命や騒乱が起きないとは限りません。
こういうときは、平静で無事なときと比べれば
明らかに逆であって、人間もまた、このような時代に生まれ、
その渦中に巻き込まれるのは不幸と言えます。
こういうのが「真の逆境」というのではないでしょうか。
そう考えてみれば、私もまた逆境の中で生きてきたひとりです。
私は明治維新の前後の世の中が最も騒々しかった時代に生まれ、
さまざまな変化に立ち会ってきました。
思い出してみると、維新のような世の中の変化には、
どれだけ知能が高い人であっても勉強家であっても、
意外な逆境に立たされたり、あるいは順境に向かったりすることがありました。
実際、私は最初は尊王攘夷派で、
倒幕や鎖国を論じて東西を走り回っていました。
その後は、一橋家の家来になり、
幕臣になって民部大輔・徳川昭武に随行してフランスに渡航しました。
そして帰国してみると、幕府はすでに滅び、世の中は王政に変わっていました。
この変化の時代を生きるのに、自分の知能が足りないこともありました。
ただ、勉強だけは力一杯やったつもりで、不足はなかったと思います。
それでも、めまぐるしく変わる社会、政治体制の革新という状況では、
どうすることもできず、私は「逆境の人」になってしまったわけです。
あのころ、大変な苦労をしたのは今でもよく覚えています。
当時、苦労したのは私だけではありません。
きっと相当の人が私と同じような目に遭ったはずです。
このようなことは結局、
時代の大変化においては逃れられない結果と言えるでしょう。
こんな****乱はめったにないにしても、
時代の流れによって、人生に小さな波乱があるのは仕方のないことです。
そして、そうなると必ずその渦中で
逆境に立たされる人も出てくるでしょう。
逆境がない世の中などありえません。
ただ、順境や逆境に立たされている人は、
できれば、それがなぜ起こったのかを研究し、
それが人為的なものなのか、自然発生したものなのかを区別してほしい。
その上で、自分はどうすればいいかという策を
立てなければならないのです。
言ってしまえば、自然発生した逆境とは
「大人物の試金石」でもあります。
<感謝合掌 令和3年12月19日 頓首再拝>
《困難は魂を浄化する》 - 伝統
2021/12/24 (Fri) 04:58:42
*『 生長の家 』(昭和24年7月20日の法語)より
人生は一見 有用なるものばかりでは
成り立ってはいないのである。
却(かえ)って無用と見えるものが
適当の分量に於いて有用であるのである。
滋養物のみが人体に健康を与えるのではない。
不消化な滓(かす)になるような繊維素その他が
腸内の清浄作用に非常に役に立っているのである。
それと同じく人生に不用に思われる摩擦や困難が
吾々の魂の清浄作用に役立っているのである。
http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/bfdb706a940194f3ffea807b7423de3b
<感謝合掌 令和3年12月24日 頓首再拝>
うまくいかなくて辛いと思うとき - 伝統
2022/01/06 (Thu) 04:37:06
*Web:今日も良いことがあるように(2019/06/23)より抜粋
「少しでもいいから達成したことを喜ぶ」
パーソンセンタードケア講師・寺田真理子
仕事や勉強のプレッシャーであれができていない、これもできていない
・・・と辛く思うことがあるかもしれません。
誰でも、目標や課題が達成できなかったとき、辛い気持ちになるものです。
それが度重なると疲れてきます。
うつ病かその手前までいく人も少なくありません。
寺田真理子さんは、ご自身、うつ病になり、自殺まで考えた人です。
しかし、現在は、見事に回復。その経験を活かして、
人を幸せにする活動をされています。
では、寺田さんのうつから回復する教えをご紹介しましょう。
「生きているから、それでいい」と目標のハードルを引き下げる。
本当に生きているだけ、それだけでいいのです。
いのちには、かけがえのない価値があります。
今、特に何か目立ったことがなくても・・・
生きているだけで価値があることなんです。
「少しでもいいから達成したことを喜ぶ」
寺田さんのご経験です。
「メールの返信はできなかったけれど、
パソコンを起動して、もらったメールを読むことはできた。
昨日より5分くらい長く起きていられた。
顔を洗うことができた・・・
という具合にできなかったことに打ちのめされる代わりに、
小さな進歩を数え上げるようになったことから、
回復への道を歩むことができたのです。」
このブログを読んでくださっている方、
小さなことでいいので、できたことを喜びましょう。
今日も起きることができた。
今日もごはんを食べられた。
今日もあいさつを交わすことができた。
1つのブログの記事を読むことができた。
それだけも、OKではないでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・
【出典】寺田真理子著『パーソンセンタードケア 日日是幸日』
『うつの世界にさよならする100冊の本~本を読んでココロをちょっとラクにしよう』
https://lucky.t-nakai.work/2019/06/23/word-70/
<感謝合掌 令和4年1月6日 頓首再拝>
《今与えられている一切に感謝せよ》 - 伝統
2022/01/13 (Thu) 05:09:30
*「眞理」第2巻基礎篇第3章(P90)より
先ずすべてのものの本源なる神に感謝致しましょう。
あなたに既に与えられている日常茶飯の多くの事物に感謝しましょう。
その時にあなたは、また次のものを与えられる
資格を得(う)るのであります。
あなたの現在身辺に与えられているどんな些細な賜物
(空気でも、水でも、食物でも、膝を入(い)るるに足るほどの部屋でも、
良人にも、妻にも、子供にも、その他全ての人々にも)にも
感謝するように致しましょう。
神の愛は無限であり、到る処に充ち満ちており、
何人(なんぴと)も、如何なる権威も、如何なる事件も、如何なる困難も、
あなたを神の愛から引き離すことは出来ないのであります。
困難が来るのは、自分の心が神の愛を妨げているに過ぎないのであります。
<感謝合掌 令和4年1月13日 頓首再拝>
《困難、困難に非ず》 - 伝統
2022/01/22 (Sat) 04:52:13
*「光明法語」(1月22日)より
あらゆる見せかけの困難はすでに困難ではないのである。
吾は何事は起って来ようとも神之(これ)を解決し給うことを信ずるのである。
如何なる出来事もこの信念を打ちこわすことは出来ないのである。
吾は目の前に起って来る如何なる困難をも呪(のろ)いはしないのである。
すべての困難は吾が魂を鍛え上げる鍵である。吾が魂を磨く《やすり》である。
吾が魂が鍛えられ、磨かれ、光輝燦然と輝く様になった時、
もはやそのようなあらあらしい砥石は自分の魂に不必要になって来るのである。
従ってそのような困難は消えてしまう。
<感謝合掌 令和4年1月22日 頓首再拝>