伝統板・第二

3728608
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

省みる ② - 伝統

2020/12/06 (Sun) 02:20:18

      伝統板・第二「省みる」からの継続です。
        → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7065761



《日々省みて、われ地獄の生活に堕ちてはいないかと反省せよ。》

    *「光明道中記」(12月6日《貪(むさぼ)りを捨つる日》)より

【****(おしろい)で化粧しても心情の下劣は隠せない。心で化粧せよ。
                      (『生命の實相』第十一巻)】


自分の言いなり通りが通る世界に永くいると、それに慣れて感謝と反省とを忘れる。
すると、その天上界の境涯が直ちに地獄に落ち、畜生に落ち、修羅に落ちる。

地獄とは如何なる世界であるかと言うと、閻魔と鬼とのいる世界である。
閻魔は審判(さば)く者であり、鬼は悪を爬羅(ほじくりだ)して責める者である。
人を審判き人を非難する者の住む世界が地獄である。

日々省みて、われ地獄の生活に堕ちてはいないかと反省せよ。

餓鬼とは如何なる世界であるかと云うと、貪(むさぼ)れば貪れど、
尚足らぬ飢え渇いた感じがしてたまらぬ者の世界である。
あるが上に欲しく、幾ら恵みが与えられていても尚不足に感ずる人はないだろうか。

げに常に不足を言うものは餓鬼の境涯に堕(お)ちているのである。
五感の快感のほかに喜びを知らぬ者は畜生である。
尤(もっと)も犬にも忠犬があり、義烈なる軍馬もあるが
、それは寧(むし)ろ仏性が出たのである。

また人を憎み嫉妬し腹立ち争う者は修羅である。

人間は、毎日自己が餓鬼に、畜生に、修羅に、
堕ちていないかを反省しなければならぬ。

           <感謝合掌 令和2年12月6日 頓首再拝>

《ニセモノの自覚を捨てよ》 - 伝統

2020/12/20 (Sun) 04:57:35


       *「光明法語」(12月20日)より

「悔改めよ、天国は手の届くところにある」とキリストは言った。

ニセモノの自覚を捨てなければ、ニセモノのままで、
自分は神の子だと頑張ったとて何にもならぬ。

鍍金(メッキ)は本物だと頑張っても本物にはならぬ。
鍍金を剥がして本物を出してこそ「わしは本物だ」と主張する資格があるのだ。

鍍金(メッキ)を剥がす方法が『悔改(くいあらた)め』であり、懺悔である。
懺悔なしに自覚の転回は不可能である。

洗濯することなしに、垢)あか)を流し捨てることなしに
「私は清潔です」と頑張って見ても駄目だ。

           <感謝合掌 令和2年12月20日 頓首再拝>

神仏にお守りいただくための心得 - 伝統

2021/01/09 (Sat) 04:20:24


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2020年12月19日)より

神様や仏様、天使や高級霊等の働きについてこのブログでも書いてきました。


それらは呼び名は違っていても、
人々を守り導く偉大なる霊存在であることは同じです。

そうした偉大な存在にお守りいただくためには、
私たち人間側はどのような心掛けが必要でしょうか。

古来より宗教の枠を超えて、人々の心の過ちや汚れを正して清めてから、
神様の前に出るという考えがありました。


日本の神道においては、禊祓(ミソギハラエ)といって、
汚れや罪をはらうという考えがあります。


仏教では八正道という八つの正しい道に照らして、
自らを反省して正していくという方法が説かれています。


キリスト教ではイエスの「悔い改めよ」という言葉があり、
カトリック教会では神に対して罪を告白し許しを得るための
懺悔の部屋があります。


洋の東西を問わず、人の心の過ちというものは、
神仏から離れるものであり、悔い改めて清らかな心に戻ることで、
神仏の望まれるものとなると教えています。

人の心の汚れというものは、窓ガラスについたホコリのようなもので、
天から射すあたたかな光を遮る役割をし、
私たちを暗い場所に置いてしまいます。


霊的には光の存在の反対である闇の者もいて、
彼らは人々の心の汚れがあり、光の射さない場所があると、
そこで闇に動く生き物のように暗躍します。

こころの汚れを落としていく事で、
こうした闇の者から離れ、憑依を取り除くことにもなります。


世の中の人には、本人は気づかない所で、
闇の者に憑依されたり、悪影響を与えられていることが多くあります。

地峡に生きれいる間には、
少なからずそうした闇の者の影響というものはあるものです。

自分には関係ないと思われるかもしれませんが、
実際にはほとんどの人が何らかの縁をもっています。

このような闇の者の影響を断ったり、憑依をのぞくことも、
心の掃除や反省によって可能となっていきます。

わたしたちは、そうした汚れをはらっていくことで
、神仏に加護をいただいたり、守護霊様などから導きを
うけられるようになっていきます。


自らの過去を振り返って、人を傷付けるような思いや行いを
していなかったか、欲のままに生きていなかったか、
ネガティブな思いを発していなかったか、
ふりかえって反省してみましょう。

心の中の汚れを落としていくことで、
神仏や天使、守護霊様の光りは射すようになり、
お守りも強くなっていくでしょう。

   (https://www.spacebrothers.jp/2018/02/blog-post_12.html

・・・

<参考>
伊勢ー白山 道
2020-12-12
「苦しみ」について
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/a3280cb4e8dd9f7b7886afd0776531e7

           <感謝合掌 令和3年1月9日 頓首再拝>

日々、自分は本当に生きているか、と問いかけよ! - 伝統

2021/01/16 (Sat) 04:22:20


          *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月16日)より

今日(きょう)いちにち自分の生命(せいめい)を生かさないことは自殺である。

「今日(きょう)自分は本当によく生きたか」
とわれわれは毎日自分自身の心に対して問いかけねばならぬ。

自殺はすべての罪悪のうちで最大の罪悪である。

            <感謝合掌 令和3年1月16日 頓首再拝>

自分の生命(いのち)がどれだけ生きたか? - 伝統

2021/01/18 (Mon) 02:10:09


          *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月18日)より

毎日何事か《人のためになる》仕事をせよ。
その《ためになる》部分だけが自分の《生きた》生命である。

《ためにならない》部分の生活は死んだ生活である。
自殺の生活である。
日々、自殺の生活を送らないように心がける者だけが大きく生長するのである。

何よりも自分に深切であることである。
そして自分に深切であるには、常に振り返ってみて、
人のために何事をなしえたか ――
それによって自分の生命(いのち)がどれだけ生きたかを反省しなければならぬ。

            <感謝合掌 令和3年1月18日 頓首再拝>

自分自身と対峙する時、カルマや人生の課題と向き合う - 伝統

2021/01/31 (Sun) 02:05:01


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2021年1月27日)より

人生にはいつか自分と直接対峙する時期が来ます。

自分の持つ課題やカルマと向き合う時です。

普段生きている間には考えなかったことで、見逃されていますが、
自分というものを見つめる時期が誰しも訪れるのです。

それは事業が倒産した時であったり、
失業して行き場を失なった時であったり、大病して入院した時、
離婚した時、その他様々なアクシデントに見舞われる時が多いでしょう。

順調満帆に生きている時には、
自分の人生を振り返る時も少ないでしょうが、
不慮の時には自分と向き合わなければならなくなります。

多くの人は、普段から自分と向き合う事は避けて通っています。

本当の自分と向き合うのは、嬉しい事でもなく、
臭いもののは蓋をして通りたいと思うあまり、
手付かずで放置されてしまっています。

ですが、そのまま何もせずに蓋をしていたとしても、
心の奥底にはずっと残されているものです。

人間はいつかは自分自身と対峙しなくてはならない時が来ます。

醜い自分や、嫌らしい自分ともいつかは向き合い、
正面から見据えなくてはなりません。

必ずしも自分から望んで対峙するのではなく、
様々な人生問題が目の前に起こって、
向き合わざるを得なくなる事が多いでしょう。


もしも今世で向き合わなければ、
来世でもっと厳しい状況で向き合わざるを得なくなります。

順調の時には、深く見つめることなく過ごせても、
試練の時がやってくると、自分を正直に見ていかなくてはならなくなります。

現在のコロナ禍で苦しんでいる人も多く出ているでしょう。

普段では起こらない苦難に立ち向かっている人も多く出ています。

そうした時に人は、自分の持っている課題やカルマも現れてきて、
その問題と向き合わなければならなくなります。

災厄は出来たらあわずに過ごしたいと願いますが、
人生でどうしても起こる事があります。

それは私たちに深く人生を見つめ、
自分を振り返る機会が与えられている機会でもあります。

来世に宿題を持ちこさないためにも、
今世で自分の課題に立ち向かい、
克服していかなくてはなりません。

   (https://www.spacebrothers.jp/2021/01/blog-post_27.html

            <感謝合掌 令和3年1月31日 頓首再拝>

心で懺悔、頭痛が消えた例 - 伝統

2021/03/19 (Fri) 02:40:19


        *『生命の實相』第17巻宗教生活篇(P13~16)より

京都に大変「生長の家」に御熱心な奥さんがあります。
この奥さんは、もう20年来の持病の常習頭痛の持ち主で、
頭痛のする時は極量1錠のなんとかいう頭痛薬を
3錠も5錠も飲むほどでありました。

一燈園の『光』という雑誌で「生長の家」をお知りになり
『生命の實相』をお読みになるにつれてしだいに
その頭痛が薄らいできたのです。

今まで、半町ぐらいの距離しかない市場(いちば)でさえも、
頭痛と眩暈(めまい)と心悸亢進の恐怖とで一人で
出かけることができなかったのが、

ともかくも『生命の實相』を1回読むだけで、
京都から住吉の生長の家本部まで汽車にすれば
1時間40分の距離を一人で来られるほどになりました。

そして本部へ来られてわたしたちと一緒に一度神想観を致しますと、
20年来の常習頭痛が拭うがごとくとれてしまったのであります。

それ以来この奥様はたいてい毎月1回の住吉の誌友会には
京都から住吉へお出でになって、一緒に座談会にお加わりになった
のでありますが、

ある月の誌友会にお越しになって10分間ほどそこに坐っておられましたが、
どうしたのかいつの間にか見えなくなっている。

どうせてられたのかと思っていると、隣室の子供部屋で寝ていられる。
時々起きて「厠所(はばかり)」へいってはまた寝ていられる。

やがて誌友会も果てて午後9時ごろになったのですが、
その奥さんは「頭が痛い」と言って寝たままお帰りにならないのです。

京都から3人ほど一緒に来られた婦人のお友だちが介抱していられて、
「先生、この奥様の額に手を当ててあげて下さい」と言われるのです。

「額に手などを当てたとて治りませんぜ」とわたしは言いましたけれども、
手を当ててくれと請願(せが)んで承知されないのです。

それで止むなく額に手を当ててあげますと、
その奥様が下からこう言われるのです。

「先生、わたしは昨晩良人と口争いいたしました。
 生長の家が結構なというお話を良人にしましたら、
 良人が冷淡な冷やかすような態度をとりますから、

 わたし、腹が立ちまして、いろいろ言いたいことをグッと抑えまして、
 もうあなたには何にも申しません。

 生長の家の話などいっさいいたしませんと言って
 言葉を切ってしまったのです。
 今それを思い出しました。

 言いたいことがたくさんあるのを無理に飲み込んで
 腹に持っていましたから、それが具象化して
 先刻から吐き気がして厠所はばかりへ参りましてたくさん吐きました。

 ホンのぽっちりお茶をいただいただけなのに、
 よくあんなに水が吐けるものだというほど、
 たくさんの水がいくらでも吐き出るのでした。

 これは自分の腹に溜めた《思い》が『形』になって出るのだとわかりました。

 わたしが悪うございました。もう腹を立てたりいたしません」

とおっしゃったのです。

《これは懺悔であります》。
《「懺悔」というものは溜まっている思いを吐き出すことであります》

溜まっている想いを懺悔の形で吐き出さないで
抑えていれば、思い(念)というものは他の形をとってでも
その具象化の力を満足させようとするのです。

こうして懺悔されましたので、吐き気はスッカリ治ったのですが、
頭痛の方はまだなかなか治らない。

わたしが手を当てていてもなかなか治らないのです。

もう時間も遅くなりましたし、ホンの少し楽になったので、
頭痛を怺(こら)えてその奥様はお友だちと一緒に
京都までお帰りになりましたが、それから二日間、
どうしても激しい頭痛が止(や)まらないのです。

その時にフト奥さんは誌友会の前夜に、
夫婦で争われた時のことを思い出されたのであります。

あまり良人が「生長の家」に冷淡なので、冷淡といっても、
忙しいから『生命の實相』などを読む暇がないと
おっしゃるのでありますが、

明日は幸いに日曜日で良人の会社は休日であり、
そして住吉の生長の家で誌友会がある。

わたしは生長の家の誌友会へ往って、
頭痛が起こって家へ帰ることができなかったら、良人は
会社の休日であるから住吉の生長の家へわたしを迎えに来て、
それが動機で生長の家の信仰に入ってくれるであろう
――こういう考えがフトこの奥さんの頭をかすめたのです。

それはそのままその時まで忘れていたのでありましたが、
「《誌友会で自分が頭痛で寝ていたら自分を迎えに良人が来てくれるであろう》」

というこの考えが具象化して
この奥さんは誌友会に来て常に頭痛で寝ていられたのでありました。

「アア悪いことを思った」と気がついて心で懺悔をされましたら、
それきりスーッと頭痛が消えてしまったとのことであります。

            <感謝合掌 令和3年3月19日 頓首再拝>

憎み、悪口は、殺人に等しい - 伝統

2021/03/22 (Mon) 03:24:38


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月22日)」より

人を心で憎むことと、人の悪口(わるぐち)を言うこととは、
短刀をもってその人を刺し貫くに等しい。

善人だという人の中に、そういう人が多いというのは驚くべきことである。
善人よ、みずから省みよ。

われわれは人の善悪を測る標準を変えなければならぬ。

            <感謝合掌 令和3年3月22日 頓首再拝>

悔い改めと反省のスピリチュアルな意義 - 伝統

2021/05/12 (Wed) 03:28:32


      *Web:宇宙の兄弟たちへ(2019年2月5日)より

人は生きているうちに、
様々な方に迷惑をかけたり、傷つけてしまうことがあります。

たいていの場合は、傷つけていることを自覚しなかったり、
相手が悪いと責任転嫁したりして、自らの罪を自覚しない
ことの方が多いのではないでしょうか。


人間にはお互いに自由意志が存在します。

その自由意志と自由意志が衝突しあったときに、
相手を傷つけてしまうことが起こります。

人間がそのまま自らの自由のままに生きていたならば、
世の中は傷つけあい、苦しめあう世の中となっていくでしょう。

そのために、神様は人間の互いの自由の相克を克服させるために、
悔い改め・反省を与えられたのだと思います。

自らを振り返って、相手を傷つけてしまったことを悔い、
間違った思いや行いを正していこうとすることが反省です。


伝統的に仏教では八正道といって、
八つの項目に照らして、自らを正していく方法が取られています。

ですが、一般の人では、八つも項目があると、
なかなか点検するのは難しくなるかもしれません。

もっと端的に反省する項目を点検する方法として、
身・口・意の三つを振り返ってみる方法があると思います。

身・口・意を密教では三密とも呼びます。

身とは体のことで、人間の行為を言います。

自分の行為が人を傷つけてしまっていないか。
過ちを犯していないかを点検します。


口は言葉のことで、言葉によって人を傷つけていないか、
間違ったことを言っていないか、嘘をついていないか、
などを点検していきます。


最後の意は、心に浮ぶ思いのことです。

思いのなかで、誤った思いを持っていないか、
愚痴や不平不満・怒り・憎しみ・嫉妬・人を貶める思いや、
裏切る想い等、ネガティブな思いを持っていないか反省します。


このように、行為と言葉と思いを点検して、過ちを正して、
罪を悔いて、神様に許しを請い、また傷つけてしまった人がいたら
謝ることで、自らを正していきます。

ひとは生きているうちに過ちを犯してしまう生き物です。

その過ちを正していくために、人に与えられたのが悔い改め・反省でしょう。

それは許しの秘蹟であり、人間関係を調和させる原理となります。

 (https://www.spacebrothers.jp/2014/07/blog-post_22.html

・・・

<参照>

伊勢ー白山 道(2021-02-20)
反省と改心が出来る人は大丈夫
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/281a5f1b0fe7d32447d08aec249ce349

            <感謝合掌 令和3年5月12日 頓首再拝>

不幸の原因に気づくこと 反省できない人間とは? - 伝統

2021/05/27 (Thu) 04:37:18


      *Web:宇宙の兄弟たちへ(2019年8月20日)より

人間というのは、自分の不幸の原因を外のモノせいにしようとします。

親の教育が悪いせいでこうなったとか、家庭が貧しかったせいだ、
夫の稼ぎが悪かったから、パートナーが浮気を繰り返してたから、
嫁や姑のせいでこうなったなどあります。

あるいは学校の先生が悪かったとか、
親友と思っていた人が裏切ったのが悪い、
世の中が悪いせいだ、社会が悪いと、何でも周りのせいにしがちです。

そうして不平不満を膨らまし、
周りに愚痴の毒水を流している人も多くいます。

あるいは怒りを発したり、自暴自棄になって自分を傷つけたり、
闇の人生を生きるようになったりします。


こうした他人のせい、世の中のせいにして、
自分が反省できない人の特徴は、自己愛が強すぎる傾向があります。

自分を愛するがゆえに、自分に責任があると認められず、
周りの責任にしてしまいます。

また、なかには子供時代に甘やかされて育ち、
自己中心的に成長してしまって、
自分を反省できなくなっている人もいます。

子供時代だけでなく、大人になってからも、
周りからおだてられたり、立場の高いところにいると、
同じように自己中心的になっていきます。

職業でも、営業などは頭を下げる事も多いため、
反省する事もありますが、バイヤーとか購買部などでは、
買う位置で立場が高いため、不遜になりやすいでしょう。

あるいは役所などや学者さんなど、
立場が上のように感じたれるところにいると、
自己中心的になる人もいます。

そのように子供時代に甘やかされていたり、
社会に出ても人に頭を下げる事の無い職業にいるなどの場合には、
反省できない方が出来てくるケースがあります。


そうした人は、自分が自己愛が強いとか、
自己中に育っているなどと思いもしないでしょう。

「自分は周囲の人の被害者だ。自分は犠牲になってきたのだ」と
、自己愛の強い人ほどそう思ってしまいがちです。

他人のせいで不幸になったとか、
周囲のせいでそうなったと思った時には、
まずは自分にも反省すべきことが無いかを振り返って見ましょう。

実は人に対して批判している事が、
本当は本人の負の部分であったりするのです。

たとえば親に厳しく育てられたと恨みを持っている人が、
自分の子供にもまた厳しく当たってしまっている事もあります。


そのように他人を批判している言葉が、
実は、自分の事を言っている事があるのです。


まずは起こった出来事を自分の心の投影としてみるのです。

そこには自分の何が問題として現れたのか、
その出来事は自分に何を教えようとしているのか考えてみます。

他人のせいにするのではなく、
自分のやれることをまず考えてみる事です。

自分の足で歩めるようになってこそ、幸福への道は近づいていきます

  (https://www.spacebrothers.jp/2019/08/blog-post_20.html

・・・

<参照>

伊勢ー白山 道(2020-12-12 )
「苦しみ」について
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/a3280cb4e8dd9f7b7886afd0776531e7

            <感謝合掌 令和3年5月27日 頓首再拝>

不幸の連鎖を引き寄せる3つの原因と断ち切るスピリチュアル手法 - 伝統

2021/06/19 (Sat) 04:43:31


      *Web:宇宙の兄弟たちへ(2018年6月17日)

不幸の連鎖を断ち切る方法は?という質問を受けましたので答えていきたいと思います。

心がける事としては大きく分けて二つの方法がります。


1、自ら反省し不幸の原因を取り除く

  ひとつには不幸に見舞われる原因が、過去にご自身がまいた種にありますので、
  その原因を見つめなおして反省し修正することです。

  これはお釈迦様がよく説かれていた教えです

  お釈迦さまは、よく人の不幸になる理由を探求しているのですが、
  それが過去のご自身の思いと行いにあることを説きました。

  そうした原因があって、結果としての不幸が訪れているということです。

  スイカの種を土にまけば、条件が整えばやがてスイカの実がなります

  それと同じように不幸の種をまいていると、いずれはそれが実となって返ってきます


 ①人にしたことが返ってくる

  たとえば誰かの足を引っ張って、苦しめた経験があるとすると、
  いずれは回りまわって本人にも同じような苦しみを体験する時が訪れます。

  人を苦しめたり損をさせた穴埋めは、
  いずれ自分に返ってきて不幸の原因となります。

  その結果を取り除くには、
  巻き戻って原因となる部分を反省して取り除かなくてはなりません。

  人に対して傷つけるような事を過去にしたのなら、
  素直に心から詫びて、可能であれば本人にも謝罪することです。

  直接お会いできない時には、
  本人が目の前にいると思って、心から謝罪の言葉を述べていきます。


 ②不道徳な行為が原因となる

  対人以外にも、怠惰なところや不道徳な面が、
  不幸を呼び寄せる原因ともなります。

  真面目に仕事をする気持ちが薄く、
  ギャンブルやお酒や異性に溺れていると、
  どんどんと運も落ちてきて、苦しみを生んでいくでしょう。

  そうした自分の弱さや怠惰な面が、
  不幸の連鎖をもたらしている場合がありますので、
  それらを反省し、真面目に努力するような人間になっていくことです。

  まずは身の回りから整理して綺麗にしていくように心がけるのがいいでしょう。

  雑然として空間には、陰気が溜まってしまいますので、
  ますます堕落した生き方をするようになります。

  なるべく不要なものは断捨離して、
  周囲を明るく清らかな空間にすることで、気の流れもよくなり、
  怠惰や不道徳な面を改めていけるようになっていくでしょう。


 ③ネガティブな思いが引き寄せる

  自分に訪れる不幸の原因として、
  ネガティブな思いが引き起こしていることがあります。

  厚いサングラスをかけて世の中を見ていると、暗く見えてしまうでしょう。

  心の中が暗くなってしまっていると、
  暗い現実が引き寄せられるように起こってしまいます。

  たとえばいつも自己否定の思いを抱えていて、
  「自分はダメなんだ」と言っていると、
  現実に自分がダメだと思わせるような出来事を引き寄せてしまうことがあります。

  否定的な思いや言葉を使っていると、仕事で失敗しがちになったり、
  恋愛でも失敗を繰り返すような事をおこします。

  そのようにネガティブな思いと言葉が
  現実を引き寄せている場合がありますので、
  それらも取り除いていくようにするのです。



2、積極的に幸せの種をまいていくこと

  上記では不幸の連鎖を引き起こす原因として、
  「人になした悪しき行為が返ってきている事」
  「不道徳な生活が引き起こしていると」
  「ネガティブな思いが引き寄せている事」を述べました。

  そうした不幸の原因となるものを反省し、取り除いていくことで、
  不幸の連鎖を断ち切るようにするという方法があります。


  そしてもう一つの方法としては、
  積極的に幸せの種をまいていくということです。

  不幸の種を取り除こうとしてもなかなか難しい場合もありますので、
  反対に幸せの種をまいていくことで、不幸の芽を覆ってしまうことです。

  幸せの種をまくというのは、
  人のため世の中のために役立つことをしていくことを意味します。

  人のためになした行為は、
  いつか回り回って自分へと帰っていきますので、
  見返りを求めずに与えることです。

  他人に親切にしたり、ボランティアをしたり、寄付をしたりするなど、
  与えたものは何らかの形でいずれ戻ってくるといえます。

  人を苦しめたり、悪口を言ったりなど、悪い種をまいていたら、
  その報いはやがて悪い結果として返ってきます。

  人のためになした行為はいずれ善の結果として返ってくるのです。

  仏教では善因善果・悪因悪果と言います

  困っている人を助けていると、
  いずれ自分が困っていた時にも誰かから助けの手が入ったり、
  見えない存在からの手助けが訪れます。

  霊的世界には人助けをしたいと思う天使たちが大勢います。

  そうした存在は、自分たちと同じように、
  人のために立ちたいと思っている人のもとに来て、手助けしてくれるのです。

  世の中を明るくしようと頑張っている人には、
  天使たちも微笑み、その人の回りは明るく照らされていくでしょう。

  真面目に努力し、人々の幸せに貢献していく人には、
  天からの加護も得られて、幸せの花を咲かせていくでしょう。

  (https://www.spacebrothers.jp/2016/03/blog-post_10.html

            <感謝合掌 令和3年6月19日 頓首再拝>

省みて、利己心に気づく - 伝統

2021/06/20 (Sun) 04:57:07


       *「光明道中記」(6月20日《自分の心を調べて見る日》)

【心の世界にて形成された運命が物質世界に映って初めて地上の事件となる
                        (『生命の實相』第一巻)】

自分が利己的な心を持っていて、寛大な愛他的な相手が出て来て
自分を助けてくれそうなものだと思うことは愚かなことである。

利己心は利己心を招(よ)びむかえるだけである。
類は類を招(よ)び、朋(とも)は友を招ぶ。

憎む心を捨てないでいて本当に健康になろうと望んでも、
本当の健康になることは出来る筈がない。
どこかに頭につかえるものが残っているし、腹につかえるものが残っているからである。

多くの病人は自分が利己的であるがために病気に罹っている者である。
或るニュー・ソートの治療家(ヒーラー)の所へ通って来る患者があった。
彼女は規定の料金の数倍も支払って長時間思念をして貰っても病気が治らないのであった。

治療家(ヒーラー)はその理由を考えた。
その患者には出来るだけ自分《だけ》長時間思念をして貰いたいと云う
利己心があることが判った。

治療家はそのことを患者に指摘した。
その利己心に気が着いたときに、その患者の病気は治ったのである。

『生命の實相』は全部読むのは中々大変であるから、
先生に直接返事を頂きたいと云う患者も此の種類に属している。

            <感謝合掌 令和3年6月20日 頓首再拝>

躓くごとに反省し、感謝せよ - 伝統

2021/07/20 (Tue) 02:38:10


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月20日)より

われわれはわれわれを躓かしてくれたものに怒ることなく、
かえってこれに感謝すべきである。

われわれは躓くごとに、自分の”内部の故障”に眼を向けて反省しさえすれば、
躓きはかえって内部を浄める指示機となり、
いっそうわれわれを高めあげてくれる動機となるのである。

三界唯心の理は、反省が内面に向かうとき向上の契機を与える。

            <感謝合掌 令和3年7月20日 頓首再拝>

すべては心の反映であると信じ、自己を省みよ - 伝統

2021/08/07 (Sat) 04:38:04


   *「光明道中記」(8月7日《善のみを視(み)る日》)より抜粋
         
 【環境と心とは合せ鏡のように互いに影響し合う。(『生命の實相』第一巻)】 

今日いちにち自分の前に立つ人を、必ず善人であると信ぜよ。

如何なる不快なる相(すがた)をもってあらわれようとも、
その不快なる相は、現在又は過去に於て
自分のどこかに潜(ひそ)んでいた不快な心の反映である
と信じて自己を省みよ。

そして相手の奥にある真実相を見て敬し、礼し、拝め。

            <感謝合掌 令和3年8月7日 頓首再拝>

《省みて常に自己改善せよ》 - 伝統

2021/09/16 (Thu) 04:54:43


        *『 生長の家 』(昭和24年8月16日)より

   自分の力だけのものを
   得ることができるのである。

   人の力に頼ってはならない。

   自分で失敗しただけの程度に
   自分はその問題に明るくなるのである。

   人の失敗を他山の石として自己を省みるものは、
   労少なくして効大(おお)いなることができるのである。

   しかしこれは労の外に「 自己を省みる 」 という値(あたい)を
   払っているからである。

    → http://blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12807072.html (消滅)

            <感謝合掌 令和3年9月16日 頓首再拝>

省み、進歩前進せよ - 伝統

2021/09/30 (Thu) 04:43:44


       *『 生長の家 』(昭和25年8月18日の法語)より
        ~《人間は無限に伸びる素質がある》

今日、唯今、神の力を実践することである。

自分は如何に自分の余裕の時間を使っているであろうか。
それを反省せよ。


自分の生活には何か理想をもっているか。
如何なる点に自分の進歩の目標をもっているか、反省せよ。


自分の欠点は何であるか、
その欠点を自分は克服すべく努力しつつあるか。


努力することは、価いを払うことにあたる。
価いを払わずして価値あるものを受けようと思ってはならないのである。


「 進歩 」 は日に日に努力の価いを払う者のみに
与えられる賜(たまもの)である。


    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=16

            <感謝合掌 令和3年9月30日 頓首再拝>

つもり違い - 伝統

2021/10/02 (Sat) 04:42:51

つもり違い十箇条

(1)高いつもりで 低いのが 教養
(2)低いつもりで 高いのが 気位

(3)深いつもりで 浅いのが 知識
(4)浅いつもりで 深いのが 欲望

(5)厚いつもりで 薄いのが 人情
(6)薄いつもりで 厚いのが 面皮(つらのかわ)

(7)強いつもりで 弱いのが 根性
(8)弱いつもりで 強いのが 自我

(9)多いつもりで 少いのが 分別
(10)少いつもりで 多いのが 無駄

https://www.gakubuti.net/products/detail.php?product_id=898

・・・

<参照>ある小学校校長による『我が家のつもりちがい十か条』

(1)高いつもりで 低い のが 笑いの センス
(2)低いつもりで 高い のが 私の座高

(3)深いつもりで 浅い のが 夫婦の愛
(4)浅いつもりで 深い のが 夫婦の溝

(5)厚いつもりで 薄い のが 私の財布
(6)薄いつもりで 厚い のが 妻の化粧

(7)強いつもりで 弱い のが わが家の男
(8)弱いつもりで 強い のが わが家の女

(9)多いつもりで 少ないのが 私の髪毛
(10)少ないつもりで 多いのが 体脂肪

・・・

<参照>「ならぬもの十訓」

(1)忘れては ならぬもの「感謝」

(2)言っては ならぬもの「愚痴」

(3)曲げては ならぬもの「つむじ」

(4)起こしてはならぬもの「短気」

(5)叩いては ならぬもの「人の頭」

(6)失っては ならぬもの「信用」

(7)笑っては ならぬもの「人の落ち度」

(8)持っては ならぬもの「ねたみ」

(9)捨てては ならぬもの「義理人情」

(10)乗ってはならぬもの「口車」

https://blog.goo.ne.jp/goo3360_february/e/98ca8108e542c40599f671250fcd89ab

・・・

<参照>つもりちがい30か条』

(1)広いつもりで 狭いのが 見識
(2)狭いつもりで 広いのが 人脈

(3)大きいつもりで 小さいのが 目標
(4)小さいつもりで 大きいのが 損失

(5)明るいつもりで 暗いのが 指針
(6)暗いつもりで 明るいのが 不正

(7)重いつもりで 軽いのが 責任
(8)軽いつもりで 重いのが 権限

(9)早いつもりで 遅いのが 報告
(10)遅いつもりで 早いのが 噂話


(11)長いつもりで 短いのが 人生
(12)短いつもりで 長いのが 青春

(13)遠いつもりで 近いのが 因縁
(14)近いつもりで 遠いのが 血縁

(15)固いつもりで 軟らかいのが 結束
(16)軟らかいつもりで 固いのが 思考

(17)熱いつもりで 冷たいのが 人気
(18)冷たいつもりで 熱いのが 恋心

(19)辛いつもりで 甘いのが 自評
(20)甘いつもりで 辛いのが 人評


(21)速いつもりで 遅いのが 連絡
(22)遅いつもりで 早いのが 時間

(23)良いつもりで 悪いのが 世話
(24)悪いつもりで 良いのが 友誼

(25)安いつもりで 高いのが 奉仕
(26)高いつもりで 安いのが 給与

(27)鋭いつもりで 鈍いのが 注意
(28)鈍いつもりで 鋭いのが 中傷

(29)苦しいつもりで 楽しいのが 仕事
(30)楽しいつもりで 苦しいのが 生活

https://kokoronigutto.info/tsumoritigai40kajou/

            <感謝合掌 令和3年10月2日 頓首再拝>

愛なき心がわれらを傷つけていることに気づく - 伝統

2021/11/07 (Sun) 04:56:42


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月7日)より

物質はわれわれを傷つけることはできぬ。
愛なき心がわれらを傷つけるのである 

―― そしてあたかも物質がわれわれを傷つけたるがごとく
   錯覚せしめるのである。
   物質に傷つけられたるがごとく見えている時に、反省してみると、
   物質によるよりも先ず自分の心が恐れていたか、
   憎んでいたか、怒っていたか ――

ともかく傷ついていたことを発見するであろう。

            <感謝合掌 令和3年11月7日 頓首再拝>

省みて、実相を観る - 伝統

2021/12/03 (Fri) 04:56:43


     *「光明道中記」(12月3日《すべて自己の責任と知る日》)より

【隠れたるところにて人を賞め得る人となれ、
 其の人の心境は朗(ほがら)かである。(『生命の實相』第十巻)】

私は第二次世界大戦が欧州に勃発した時の日記に次のように書いている。

「すべて私の責任なのである。私はみずから顧みて恥じるほかない。
 考えて見れば欧州の天地で、
 ヒットラーが英仏を向うに廻して戦っている姿も私の心の影である。

 私が『ヒットラーよ、もう戦争を止めてくれ』と言ったら、
 ヒットラーが『ハイ』と答えて戦争を止めてくれるほどになれないのは、
 まだ私の力が足りないからなのである。

 力が足りないのは偉さの徴候ではない。
 私がまだそれほど偉くなれないのは私が悪いからである」

私はそんなにまだ偉くなれていないのである。
まだまだこれからだと思う。
光明思想が世界に弘(ひろ)がることを待ちかねている。

光明思想を弘めている誌友のなかでまだ家庭が調和せず、
「何とか指導して貰いたい」と云う愬(うった)えが
私のところへ時々来るのは悲しいことである。

併し、わが実相哲学は直(ただ)ちにこうした悲しみから、
また私を立ち上がらせて、その人のために祈ることができるのである。

実相は皆”神の子”の兄弟で、争っていないのである。

            <感謝合掌 令和3年12月3日 頓首再拝>

いつも深い反省と感謝とを持つことが大切です - 伝統

2021/12/05 (Sun) 04:56:14

      *「光明道中記」(12月5日《常住微笑の日》)より

【悲しい時ほど笑わなければならぬ。笑いぬくとき悲しさは征服される。
                    (『生命の實相』第四巻)】

仏教では「人身得ること難し」と説かれている。

何故人身に生まれることを、

地獄、餓鬼、畜生、修羅の四悪趣に生まれるよりも、
また天上に生まれるよりも尊き事とされてきたかと云うと、
前(さき)の四悪趣は苦しみの世界、争いのみの世界であり、
後の天上は楽のみの世界であるからである。

苦しみのみの世界では苦しみを逃れんとして益々苦しみを招く。
楽のみの世界では楽に執着するから結局は
その楽は苦に変じて天上から墜落するのである。
「自分の言いなり通りが通る世界」はこの天上界の世界と同様である。

吾々が生長の家の真理を知り、少しく神想観を実修して、
自由自在の世界が其処に実現して来ると、
「自分の言いなり通りが通る」ところのさながら天上界が実現するのである。

その時、自分の言いなり通りが通ることに深い反省と感謝とを持たずして
慢心してしまうならば、やがて其処からその「言いなり通り」への執着が増長し、
「言いなり通り」なれぬときに忽ち憤懣(ふんまん)して平常(へいぜい)の
悟りも何処へやら、周囲に当り散らしたり、

今迄での明朗の気持ちが陰気に変ったり、そんなことなら光明思想も
糸瓜(へちま)もないと言い出したりするようになるのである。

            <感謝合掌 令和3年12月5日 頓首再拝>

《日々省みて、われ地獄の生活に堕ちてはいないかと反省せよ。》 - 伝統

2021/12/06 (Mon) 05:00:37


    *「光明道中記」(12月6日《貪(むさぼ)りを捨つる日》)より

【****(おしろい)で化粧しても心情の下劣は隠せない。心で化粧せよ。
                      (『生命の實相』第十一巻)】


自分の言いなり通りが通る世界に永くいると、それに慣れて感謝と反省とを忘れる。
すると、その天上界の境涯が直ちに地獄に落ち、畜生に落ち、修羅に落ちる。

地獄とは如何なる世界であるかと言うと、閻魔と鬼とのいる世界である。
閻魔は審判(さば)く者であり、鬼は悪を爬羅(ほじくりだ)して責める者である。
人を審判き人を非難する者の住む世界が地獄である。

日々省みて、われ地獄の生活に堕ちてはいないかと反省せよ。

餓鬼とは如何なる世界であるかと云うと、貪(むさぼ)れば貪れど、
尚足らぬ飢え渇いた感じがしてたまらぬ者の世界である。
あるが上に欲しく、幾ら恵みが与えられていても尚不足に感ずる人はないだろうか。

げに常に不足を言うものは餓鬼の境涯に堕(お)ちているのである。
五感の快感のほかに喜びを知らぬ者は畜生である。
尤(もっと)も犬にも忠犬があり、義烈なる軍馬もあるが
、それは寧(むし)ろ仏性が出たのである。

また人を憎み嫉妬し腹立ち争う者は修羅である。

人間は、毎日自己が餓鬼に、畜生に、修羅に、
堕ちていないかを反省しなければならぬ。

           <感謝合掌 令和3年12月6日 頓首再拝>

《常に自己を反省せよ》 - 伝統

2022/01/27 (Thu) 04:46:08


      *『生長の家』(昭和25年7月28日の法語)より

   汝(なんじ)の潜在意識の中(うち)にある習慣に
   心を振り向けて反省せよ。

   如何(いか)なる心の習慣が自分の内にあるであろうか。

   自分は夫に従順であるだろうか。
   常に 「 ハイ 」 と返事しているであろうか。

   言葉ではハイと返事していながらも、
   心では‘すなお’に受けていないことがあろうか。

   夫の命令に対して 「 然し 」 「 だけど 」 などと考えながら
   言葉だけでハイと答えているようなことはなかろうか。

   人を さばかない積りで
   やはり さばいていることはなかろうか。

   暗いことは考えまいと考えながら、
   もすれば暗いことを考えていないだろうか。


   http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=12

           <感謝合掌 令和4年1月27日 頓首再拝>

他に深切をしているかどうかを省みる - 伝統

2022/02/07 (Mon) 04:58:41


    *「光明道中記」(2月7日《深切を与える日》)より抜粋

【常に他に与えたいと思っている者は他から愛され、
 常に他から与えられたいと思っているものは他から嫌われる。 
               (『生命の實相』第十一巻)】

「あの人から深切して欲しい」と思う心は兎(と)もすれば其の人を躓かせる。
深切が欲しければ自分が先ず深切を自分の生活から造り出すことである。

深切を他から求めるような人は屹度深切に飢えている人である。
深切に飢えている人は、自分自身が深切を身辺に造り出していない証拠である。

他が深切にしてくれないと思う人は、
自分が他に深切をしているかどうかを省みるが好い。

           <感謝合掌 令和4年2月7日 頓首再拝>

まず眼下を浄めよ。 - 伝統

2022/06/04 (Sat) 10:34:47


       *「光明道中記」(6月4日《天の声を聴く日》)より抜粋

まず眼下を浄めよ。何処(いずこ)に自分の心が立っているか。

何処(いずこ)に自分の心が立っているか。
利己心の上に立っているものは、利己心は「本来無い心」であるが故に、
崩れる基礎の上に立つものである。

自分の欲望の上に立つ者は愚かなるかな。
そう云う狭い立場の上に大きな建築物は建たないのである。
まず立場を大きくし、大きな基礎工事の上にこそ大事業を打ち建つべきである。

「私ならぬ立場」超個人的な立場、人類的な立場、全体的な立場、
国家的な立場に於て吾々は立たねばならぬ。

若し此の基礎工事を自分自身の生活に於て誤っているならば、
あなたは今日から出直さねばならぬ。

        <感謝合掌 令和4年6月4日 頓首再拝>

躓くごとに反省し、感謝せよ - 伝統

2022/07/20 (Wed) 07:31:57


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月20日)より

われわれはわれわれを躓かしてくれたものに怒ることなく、
かえってこれに感謝すべきである。

われわれは躓くごとに、自分の”内部の故障”に眼を向けて反省しさえすれば、
躓きはかえって内部を浄める指示機となり、
いっそうわれわれを高めあげてくれる動機となるのである。

三界唯心の理は、反省が内面に向かうとき向上の契機を与える。

         <感謝合掌 令和4年7月20日 頓首再拝>

「反省」の習慣 - 伝統

2022/09/18 (Sun) 09:42:15


       *メルマガ「人間力」(2022.9.17)より
        ~稲盛和夫

私は洗面をするときに、
猛烈な自省の念が湧き起こってくることがあります。

たとえば、前日の言動が自分勝手で納得できないときに、
「けしからん!」とか「バカモンが!」などと、
鏡に映る自分自身を責め立てる言葉がつい口をついて出てくるのです。

最近では、朝の洗面時だけでなく、宴席帰りの夜などにも、
自宅やホテルの部屋に戻り、寝ようとするときに、
思わず「神様、ごめん」という「反省」の言葉が
自分の口から飛び出してきます。

「ごめん」とは、自分の態度を謝罪したいという素直な気持ちとともに、
至らない自分の許しを創造主に請いたいという、私の思いを表しています。

大きな声でそう言うものですから、
人が聞いたら、気がふれたと思われるかもしれません。

しかし、一人になったときに、
思わず口をついて出てくるこの言葉が、
私を戒めてくれているのではないかと思うのです。

このことを私は、自分自身の「良心」が、
利己的な自分を責め立てているのだと理解しています。

人間は、理性を使って、利他的な見地から常に判断ができれば、
いつも正しい行動がとれるはずです。

しかし実際には、そうなっていません。

往々にして、生まれながらに持っている、自分だけよければいい
という利己的な心で判断し、行動してしまうものです。

それは、たとえば自分の肉体を維持するために、他の存在を押しのけてでも
自分だけが食物を独占しようとするような貪欲な心のことですが、

そのような利己的な心は、
自己保存のために天が生物に与えてくれた本能ですから、
完全に払拭することはできません。

しかし、だからといって、
この本能にもとづく利己的な心をそのまま放置しておけば、
人間は人生や経営において、欲望のおもむくままに、
悪しき行為に走りかねません。

「反省」をするということは、そのように、
ともすれば利己で満たされがちな心を、浄化しようとすることです。

私は「反省」を繰り返すことで自らを戒め、
利己的な思いを少しでも抑えることができれば、
心のなかには、人間が本来持っているはずの
美しい「利他」の心が現れてくると考えています。

(※本記事は月刊『致知』2003年7月号
巻頭の言葉「反省ある日々をおくる」より一部を抜粋・編集したものです)

         <感謝合掌 令和4年9月18日 頓首再拝>

《毎日自己が餓鬼に、畜生に、修羅に、堕ちていないかを反省反省せよ。》 - 伝統

2022/12/06 (Tue) 07:40:36


    *「光明道中記」(12月6日《貪(むさぼ)りを捨つる日》)より

【****(おしろい)で化粧しても心情の下劣は隠せない。心で化粧せよ。
                      (『生命の實相』第十一巻)】


自分の言いなり通りが通る世界に永くいると、それに慣れて感謝と反省とを忘れる。
すると、その天上界の境涯が直ちに地獄に落ち、畜生に落ち、修羅に落ちる。

地獄とは如何なる世界であるかと言うと、閻魔と鬼とのいる世界である。
閻魔は審判(さば)く者であり、鬼は悪を爬羅(ほじくりだ)して責める者である。
人を審判き人を非難する者の住む世界が地獄である。

日々省みて、われ地獄の生活に堕ちてはいないかと反省せよ。

餓鬼とは如何なる世界であるかと云うと、貪(むさぼ)れば貪れど、
尚足らぬ飢え渇いた感じがしてたまらぬ者の世界である。
あるが上に欲しく、幾ら恵みが与えられていても尚不足に感ずる人はないだろうか。

げに常に不足を言うものは餓鬼の境涯に堕(お)ちているのである。
五感の快感のほかに喜びを知らぬ者は畜生である。
尤(もっと)も犬にも忠犬があり、義烈なる軍馬もあるが
、それは寧(むし)ろ仏性が出たのである。

また人を憎み嫉妬し腹立ち争う者は修羅である。

人間は、毎日自己が餓鬼に、畜生に、修羅に、
堕ちていないかを反省しなければならぬ。

           <感謝合掌 令和4年12月6日 頓首再拝>

1年を振り返り、拝み切れていないことを反省する - 伝統

2022/12/31 (Sat) 10:24:59


   *「光明道中記」(12月31日《新生のため準備整う日》)より

【植物の種子と等しく人間の事業の発芽にも時間を要する。急ぐな。
                        (『生命の實相』(第一巻)】

愈々(いよいよ)今日で本年も終わるのである。
終わると思うと、名残り惜しいような気もする。

振返ってみると、どれだけ私の魂はこの1年間に進歩したことだろう。
色々の失敗もあったであろう。色々の躓きもあったであろう。

併しその時には魔誤ついた如く見えた失敗も躓きも、
今から振り返って見ると、悉く私の魂の生長に必要欠くべからざる要素を
なしていることを発見するのである。

要するに、本当の意味に於て失敗と云うことはなかったのである。
躓きと云うものはあり得ないのである。
今から見ればすべてのものが拝まれる。

振返って見て拝まれるだけでは尚心細いと思う。
どんなときにも拝めるようになっていなければならない筈である。
その時その場で拝めるようでなければならないのである。

まだ私は、本当に拝み切っていることが出来なかったようにも
反省せられもする。

愈々今年もこれで終わるのかと思うと、
今年と云うものに申し訳ない気がする。

私自身の生命にも申し訳がないような気がする。

誌友諸君に対してもまことに申し訳がない。

この私を茲(ここ)まで鞭撻し、
ここまで引摺るようにして導いて下さったのは誌友の私に対する信頼である。

私は茲に感謝を以て本年の日記を終ろうと思う。

           <感謝合掌 令和4年12月31日 頓首再拝>

省みよ、そして小言は思わず言わず - 伝統

2023/02/06 (Mon) 12:51:39


      *「光明道中記」(2月6日《一切に感謝謝する日》)より抜粋

【天気に小言を言うな。すべてについて小言を言うな。
 小言はすべて暗い気分を招く。
 暗い気分は病気と不景気のもとだ。(『生命の實相』第十一巻)】


「あなたは心に不平を持っているから、それを直さなければ、
 その病気は治らないでしょう」と、
道場へ来た人に助言してあげることがある。

すると「私は決して不平など心に持ったことはありません」と
答える人が多い。
そう云う人は、自分の心に反省がないのである。

負債があるのに負債のあることに気附かず、
借金があるのに借金をしていることに気附かぬ人である。

そんな人は恐らく借金を払おうとしない人だろうし、
自分の悪癖(あくへき)を直そうとしない人で、
最も始末に了(お)えない種類の人間である。

そんな人が道場から帰る時間になって
雨でも降って来たなら直ぐ「チェッ雨が降って来て弱った!」
と言って天気の小言を言う現場を度々見せられているのである。

不平を持たぬ心とは、
どんな事が起っても小言を言わぬ、小言を思わぬ心である。

       <感謝合掌 令和5年2月6日 頓首再拝>

【神人靈媒日記2023.2.6】〜魔の常套手段〜 - 伝統

2023/02/07 (Tue) 05:01:40


       *Web:Jのあっちもこっちも(2023年02月06日)より

魔(悪魔・悪霊・悪の僕)は、人の欲望やネガティブな感情、
負の記憶を誇張するように弄り苦しみをもたらし、
人を不和不幸へと陥れる戦術を好みます。

いわば、まずは定めた人の懐に入り込み、
側で弱みとなるところをよく観察してから悪事を仕掛けるのです。


浄靈・導靈・除靈の仕方(知識)を学び実践することはとても大切ですが、
根本となる自身の心身の浄化を同時に行わなければ、
対処療法と同様で何度も同じ苦しみを繰り返すこととなります。



 "根本的解決がなされなければ意味がない"ということです。



Q.なぜ、人は病むのか?

A.それは、何かを変えなさいという指導なのです。

  自身の思考の選択の仕方(※感情を含む)に問題があるのです。
  "顧みること"から始めましょう。



みなみなうれしうれしたのしたのし

かわるかわるありがたいありがたい



おーーーうーーー

おーーーうーーー

おーーーうーーー

2023.2.6 神人 拝

https://ameblo.jp/j-out-sider-zzz/entry-12787922660.html

       <感謝合掌 令和5年2月7日 頓首再拝>

あなたは光の世界に帰れるか?気を付けるべき事項 - 伝統

2023/04/22 (Sat) 07:38:55


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2023年4月21日)より

ブログで霊界の中で畜生道などの厳しい世界について書くと、
批判してくる方もいます。

批判する理由の一つには、自分には関係ないというものでした。

先日も怠け者が落ちる畜生道について書いたのですが、
自分たちが落ちるわけではなく、関係ない世界だという意味の事を
言っている方もいたようです。

私には不思議に思うのですが、
どうもそうした不調和な霊界について書いても、
自分とは関係ないものだと思う人がいるようです。

私の場合には、
「こうした世界もあるのか、自分も怠け癖があるから気を付けないと」
と自戒しました。

その他の霊界についても、やはり人間であれば何かしら似通った面があり、
反省の材料にすべきではないでしょうか。

怒りっぽい人の行く野犬の世界があるとすれば、
「怒りを鎮めなくてはいけないな」と省みる機会にされるのが
正しい見方だと思います。

「自分には関係ない。自分は精神性が高くて、そんな低い世界に行くわけがない」
と思っている人ほど、実は反省が出来ずに、危険であるのです。

不調和な世界の話を聞いて、「自分も注意しなくては」と思う人ほど、
実は反省が出来る人で、精神性が高い人が多いのです。

むしろ「自分は優れているのだ、波長の低い世界とは関係ない」と
いうように慢心している人ほど、反省が出来ずに、危険なのです。

あの世の不調和な世界に行かれて行かれている人の特徴は、
反省できない人というのが際立っています。

「自分は悪くない。悪いのは世間の方だ」と思っている人ほど、
心が悪い方向に進んでいるのです。

不調和な世界に行きたくないのであれば、
まずは反省できるようになる事です。

自分の心を見つめて、不調和な世界に同通するところが無いか省みましょう

自分の過ちを認め、反省できない人は、
光の世界に帰れないと知っていてください。

https://www.spacebrothers.jp/2023/04/blog-post_21.html

        <感謝合掌 令和5年4月21日 頓首再拝>

生霊や人からの念が来た場合 - 伝統

2023/05/17 (Wed) 06:58:07


      *Web:宇宙の兄弟たちへ(2023年5月14日)より

他人から何か良からぬ念を向けられている時に、
どのようにすればいいでしょうか

人間は思いを発し、その思いというのは、
本人の元を離れて、何らかの影響を与えます。

それが良い念であれば、相手に良い影響をあたえることもありますが、
悪い念であったら、相手に悪い影響が出てきます。

念がさらに強くなって、発した当人の姿まで現れるようになると、
生霊と言われるようにもなります。

生霊とは、生きている人の霊が肉体から離れて、
外に出て来る事を言います。

必ずしも悪いものだけでなく、幽体離脱している時の魂も、
生霊として見られることもあるでしょう。


今回取り上げるケースでは、相手に強い思いを発して、
それが生霊となって悪い影響を与えるケースです。


いろんな良くない事が立て続けに起こったり、
原因不明の体調不良が続く時には、
亡くなった方の霊が影響している事もありますが、
生霊と呼ばれるものが影響している事もあります

そのような生霊や、何らかのネガティブな念が
自分に向けられていると感じた時に、
どのように対処したらよいでしょうか。


はじめに大切なのは、自分が他人に恨まれる事をしていたり、
傷つくことをしてしまっていなかったか、反省してみる事です。

人は生きている間に、
何かしら他人を傷つけてしまっているものです。

そして自分が傷つけられたことは執念深く覚えていても
、他人を傷つけたことは忘れてしまっているのが人間です。

他人に対する不適切な言動が無かったか、
何か恨まれるようなことをしていなかったか、
反省してみるのが大切です。

そしてもし過ちがあるのであれば、
素直に相手の方に謝りましょう。

直接本人には難しくても、
相手をイメージして、そのイメージ像に謝るのです。

そうして心の中で和解していく事が重要です。

本人は何気なく発した一言でも、
相手を深く傷つけている事があります。

不用意に発した言葉は、相手を傷つける刃ともなるのです。

また不道徳な行為も、
誰かを傷つけている可能性もあるので注意しましょう。

そのようにまずは自身を振り返ってみて、
生霊の発生源について、自分に責任が無いか振り返ってみましょう。

心の中で和解していけば、次第に念も薄らいでいくでしょう。


https://www.spacebrothers.jp/2023/05/blog-post_14.html

        <感謝合掌 令和5年5月17日 頓首再拝>

自分自身をハッキリ反省する上から心の日記をつけること - 伝統

2023/06/05 (Mon) 11:54:24


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(6月5日)」より

生かされている悦びを語ることは、言葉の力によって悦びを増幅することになる。

天地の万物みんな生かされている悦びを語っているではないか。
燃えるような若葉、空の色の碧、咲き出でた小草
 ―― みんな生かされている悦びを表現しているのだ。

人間だけ黙って憂鬱に黙り込んでいるべきではない。
自分の受けたおかげを人に対して話さしていただくということは、
悦びを表現することであると同時に、

言葉の力にて悦びを殖やすことであり、語る相手を救うことであり、
自分自身の心境の程度をはっきりさせることであり、話している事柄の中に
自分自身も教えられることがあり、自分の向上にも役立つのである。

黙ってこれまで得たおかげを握りつぶしている人の中には退転する人が多い。

自分自身をハッキリ反省する上から心の日記をつけることは
自分を退転せしめない一つの良法である。

           <感謝合掌 令和5年6月5日 頓首再拝>

躓くごとに反省し、感謝せよ - 伝統

2023/07/20 (Thu) 06:57:35


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月20日)より

われわれはわれわれを躓かしてくれたものに怒ることなく、
かえってこれに感謝すべきである。

われわれは躓くごとに、
自分の”内部の故障”に眼を向けて反省しさえすれば、
躓きはかえって内部を浄める指示機となり、
いっそうわれわれを高めあげてくれる動機となるのである。

三界唯心の理は、反省が内面に向かうとき向上の契機を与える。

         <感謝合掌 令和5年7月20日 頓首再拝>

生きているうちにすべきこと - 伝統

2023/10/02 (Mon) 09:10:36

死後の審判の前に、生きているうちにすべきこと
Web:宇宙の兄弟たちへ(2023年9月30日)
https://www.spacebrothers.jp/2023/09/blog-post_30.html

(1)昔から人は亡くなった時に、
   これまでの人生を振り返って見せられ、
   反省させられるという話が残されています。

(2)生前に自分が行った事が映し出されるのですが、
   その時に被害にあった相手の立場に立って
   その苦しさも味わうことになるのです。

(3)どれだけ相手を苦しめてきたのか、
   まざまざと思い知らされるのです。

(4)そして自らの行いによって他人を傷つけてきた
   自責の念から、死後に光の世界に帰れず、
   苦しみの続く世界にいくようになります。

   そうならない為には、やはり生きているうちに
   反省をしなくてはなりません。

   自分の行為がどのように相手を傷つけてしまったのか、
   人生を振り返って反省し、
   心から謝罪をしなくてはなりません。

(5)素直に反省できない場合には、
   あの世に帰ってからの後悔は激しいものとなります。

   ですので、生きているうちに素直な心で反省してみて、
   心から悔い改める事が大切です。

         <感謝合掌 令和5年10月2日 頓首再拝>

あなたの幸・不幸を分ける心の像を点検する - 伝統

2023/10/05 (Thu) 08:18:27


       *Web:宇宙の兄弟たちへ(2023年10月3日)より

人は絶えず心の中に思いの造形を作り上げています。


芸術家が粘土をこねて作品を作るように、
私たちも日々に思いの造形を生み出しています。

そうして作り出された像が、
暗く醜いものであれば、あなたは不幸な道を辿るでしょう。

その像が清らかで美しいものであれば、あなたは幸せの道を辿ります。

あなたが将来、幸せになるか不幸になるかは、
占い師に聞かずとも、その心の中の像の姿で分かります。

ですから、自分はいったいどんな造形を日々に作り出しているのか、
点検してみる事が大事です。

普通の人は、ただ日々を過ごしていて、
自分がどのような思いを発しているのか、振り返ってみる事がありません。

それは自分がどのような像を生み出しているのか見ていないという事です。

それでは知らず知らずのうちに醜い像を生み出していても仕方がないでしょう。

自分が日々にどのような思いを発しているのか、振り返ってみる事が重要です。

内省の習慣を持つだけでも非凡な人間と言えます。

自らの思いを振り返り、間違った造形があれば手直しして、
正しい姿に直していくことで、生み出す像は美しいものとなります。

生み出される像の姿を見ずに、ただやみくもにこねていては、
醜い姿の像が出来上がってしまうでしょう。

本人が望まない現実が押し寄せてくるのは、むやみに像を作り出し、
それがどんな姿なのか見向きもせず、直しもしないからです。

姿のいびつな心の像は、本人が思ってもいない未来を生み出します。

人には心の中に生み出した像の姿のままの未来が引き寄せられるのです

いびつで醜い姿をした像を心の中に作り出すと、
本人はちゃんとした未来像が作りたかったと言っても、
出来たままの像に応じた未来がやってきます。


自分の思いを振り返ることなく、発したままにしておくという事は、
見もせずに手の感覚だけで像を作り、
後から直すことさえしないようなものです。

自らの思いを振り返って見て、
間違った思いがあったら直していこうとすればこそ、
心に作り出される像は、綺麗に直されて、
自身の望む姿へと整えられます。

望ましい未来を求めるのなら、
自分がどのような心の像を作り出しているかを、
点検してみる事が大切です。

https://www.spacebrothers.jp/2018/10/blog-post_5.html

           <感謝合掌 令和5年10月5日 頓首再拝>

愛なき心がわれらを傷つけていることに気づく - 伝統

2023/11/07 (Tue) 09:52:13


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月7日)より

物質はわれわれを傷つけることはできぬ。
愛なき心がわれらを傷つけるのである 

―― そしてあたかも物質がわれわれを傷つけたるがごとく
   錯覚せしめるのである。
   物質に傷つけられたるがごとく見えている時に、反省してみると、
   物質によるよりも先ず自分の心が恐れていたか、
   憎んでいたか、怒っていたか ――

ともかく傷ついていたことを発見するであろう。

            <感謝合掌 令和5年11月7日 頓首再拝>

いつも深い反省と感謝とを持つことが大切です - 伝統

2023/12/05 (Tue) 11:44:30


      *「光明道中記」(12月5日《常住微笑の日》)より

【悲しい時ほど笑わなければならぬ。笑いぬくとき悲しさは征服される。
                    (『生命の實相』第四巻)】

仏教では「人身得ること難し」と説かれている。

何故人身に生まれることを、

地獄、餓鬼、畜生、修羅の四悪趣に生まれるよりも、
また天上に生まれるよりも尊き事とされてきたかと云うと、
前(さき)の四悪趣は苦しみの世界、争いのみの世界であり、
後の天上は楽のみの世界であるからである。

苦しみのみの世界では苦しみを逃れんとして益々苦しみを招く。
楽のみの世界では楽に執着するから結局は
その楽は苦に変じて天上から墜落するのである。
「自分の言いなり通りが通る世界」はこの天上界の世界と同様である。

吾々が生長の家の真理を知り、少しく神想観を実修して、
自由自在の世界が其処に実現して来ると、
「自分の言いなり通りが通る」ところのさながら天上界が実現するのである。

その時、自分の言いなり通りが通ることに深い反省と感謝とを持たずして
慢心してしまうならば、やがて其処からその「言いなり通り」への執着が増長し、
「言いなり通り」なれぬときに忽ち憤懣(ふんまん)して平常(へいぜい)の
悟りも何処へやら、周囲に当り散らしたり、

今迄での明朗の気持ちが陰気に変ったり、そんなことなら光明思想も
糸瓜(へちま)もないと言い出したりするようになるのである。

            <感謝合掌 令和5年12月5日 頓首再拝>

自己が地獄の生活になっていないかを反省しなければならぬ - 伝統

2023/12/06 (Wed) 09:46:36


  *「光明道中記」(12月6日《貪(むさぼ)りを捨つる日》)より

【****(おしろい)で化粧しても心情の下劣は隠せない。心で化粧せよ。
                  (『生命の實相』第十一巻)】


自分の言いなり通りが通る世界に永くいると、
それに慣れて感謝と反省とを忘れる。
すると、その天上界の境涯が直ちに
地獄に落ち、畜生に落ち、修羅に落ちる。

地獄とは如何なる世界であるかと言うと、閻魔と鬼とのいる世界である。
閻魔は審判(さば)く者であり、
鬼は悪を爬羅(ほじくりだ)して責める者である。

人を審判き人を非難する者の住む世界が地獄である。

日々省みて、われ地獄の生活に堕ちてはいないかと反省せよ。

餓鬼とは如何なる世界であるかと云うと、貪(むさぼ)れば貪れど、
尚足らぬ飢え渇いた感じがしてたまらぬ者の世界である。

あるが上に欲しく、幾ら恵みが与えられていても
尚不足に感ずる人はないだろうか。

げに常に不足を言うものは餓鬼の境涯に堕(お)ちているのである。
五感の快感のほかに喜びを知らぬ者は畜生である。
尤(もっと)も犬にも忠犬があり、義烈なる軍馬もあるが
、それは寧(むし)ろ仏性が出たのである。

また人を憎み嫉妬し腹立ち争う者は修羅である。

人間は、毎日自己が餓鬼に、畜生に、修羅に、
堕ちていないかを反省しなければならぬ。

       <感謝合掌 令和5年12月6日 頓首再拝>

日々、自分は本当に生きているか、と問いかけよ! - 伝統

2024/01/16 (Tue) 11:32:57


      *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月16日)より

今日(きょう)いちにち
自分の生命(せいめい)を生かさないことは自殺である。

「今日(きょう)自分は本当によく生きたか」
とわれわれは毎日自分自身の心に対して問いかけねばならぬ。

自殺はすべての罪悪のうちで最大の罪悪である。

            <感謝合掌 令和6年1月16日 頓首再拝>

自分の生命(いのち)がどれだけ生きたか? - 伝統

2024/01/18 (Thu) 09:58:36


      *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月18日)より

毎日何事か《人のためになる》仕事をせよ。
その《ためになる》部分だけが自分の《生きた》生命である。

《ためにならない》部分の生活は死んだ生活である。
自殺の生活である。
日々、自殺の生活を送らないように心がける者だけが
大きく生長するのである。

何よりも自分に深切であることである。
そして自分に深切であるには、常に振り返ってみて、
人のために何事をなしえたか ――
それによって自分の生命(いのち)がどれだけ生きたかを
反省しなければならぬ。

            <感謝合掌 令和6年1月18日 頓首再拝>

病いが顕われているなら、省みよ  - 伝統

2024/01/29 (Mon) 11:49:55


       *「光明道中記」(1月29日心朗かなる日)より

【病気は自己を顧る好機会だ。顧みて迷を去るものは幸いなるかな。
                   (『生命の實相』第五巻)】

心朗かなれば病はない。
他を憎まなければ病はない。
悲しまなければ病はない。

物思いに沈むことなければ病はない。
怒ることなければ病はない。
気づつないこと、見栄を飾ることなければ病はない。

不平に思うことなければ病はない。
呟くことなければ病はない。
ひとから同情して貰おうと思うことなければ病はない。

病気になって都合よしと思うことなければ病はない。
家に争いなければ病はない。
仕事を嫌うことなければ病はない。

隠す心なければ病はない。
羨(うらや)ましく妬(ねた)ましく思うことなければ病はない。

心暗ければ病生ず。陰気が強くなるはすべての悪の中の悪である。
心明るき悪人は、心暗き善人に打ち勝つものである。
心暗ければ本当に善の資格はないのである。

人を愛すれば病はない。
すべての事物を愛すれば病はない。
愛するとは深切丁寧に心掛けることであって、
執着してその人または事物に巻き込まれて心が顛倒することではない。

心顛倒するは智慧が欠けているのである。
智慧欠けるは深切丁寧が欠けているのである。

            <感謝合掌 令和6年1月29日 頓首再拝>

他に深切をしているかどうかを省みる - 伝統

2024/02/07 (Wed) 11:20:35


    *「光明道中記」(2月7日《深切を与える日》)より抜粋

【常に他に与えたいと思っている者は他から愛され、
 常に他から与えられたいと思っているものは他から嫌われる。 
               (『生命の實相』第十一巻)】

「あの人から深切して欲しい」と思う心は兎(と)もすれば其の人を躓かせる。
深切が欲しければ自分が先ず深切を自分の生活から造り出すことである。

深切を他から求めるような人は屹度深切に飢えている人である。
深切に飢えている人は、自分自身が深切を身辺に造り出していない証拠である。

他が深切にしてくれないと思う人は、
自分が他に深切をしているかどうかを省みるが好い。

           <感謝合掌 令和6年2月7日 頓首再拝>

自分一人だけの時に恥じる人は、神様に愛されます - 伝統

2024/05/21 (Tue) 09:55:58

自分一人だけの時に恥じる人は、神様に愛されます
伊勢ー白山 道(2024-05-20)
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/f3f2915723e872602475ce94dffc455e

           <感謝合掌 令和6年5月21日 頓首再拝>

自分自身をハッキリ反省する上から心の日記をつけること - 伝統

2024/06/05 (Wed) 11:47:08


      *「生命の實相」第37巻幸福篇上(6月5日)」より抜粋

黙ってこれまで得たおかげを握りつぶしている人の中には退転する人が多い。

自分自身をハッキリ反省する上から心の日記をつけることは
自分を退転せしめない一つの良法である。

           <感謝合掌 令和6年6月5日 頓首再拝>

慢心を戒める - 伝統

2024/12/05 (Thu) 10:40:46


           *「光明道中記」(12月5日)より
            ~常住微笑の日

 【悲しい時ほど笑わなければならぬ。笑いぬくとき悲しさは征服される。
                       (『生命の實相』第四巻)】

仏教では「人身得ること難し」と説かれている。

何故人身に生まれることを、地獄、餓鬼、畜生、修羅の四悪趣に生まれるよりも、
また天上に生まれるよりも尊き事とされてきたかと云うと、
前(さき)の四悪趣は苦しみの世界、争いのみの世界であり、
後の天上は楽のみの世界であるからである。

苦るしみのみの世界では苦しみを逃れんとして益々苦しみを招く。
楽のみの世界では楽に執着するから結局はその楽は苦に変じて天上から墜落するのである。
「自分の言いなり通りが通る世界」はこの天上界の世界と同様である。

吾々が生長の家の真理を知り、少しく神想観を実修して、
自由自在の世界が其処に実現して来ると、
「自分の言いなり通りが通る」ところのさながら天上界が実現するのである。

その時、自分の言いなり通りが通ることに深い反省と感謝とを持たずして
慢心してしまうならば、やがて其処からその「言いなり通り」への執着が増長し、
「言いなり通り」なれぬときに忽ち憤懣(ふんまん)して平常(へいぜい)の
悟りも何処へやら、周囲に当り散らしたり、

今迄での明朗の気持ちが陰気に変ったり、そんなことなら光明思想も
糸瓜(へちま)もないと言い出したりするようになるのである。

         <感謝合掌 令和6年12月5日 頓首再拝>

《日々省みて、われ地獄の生活に堕ちてはいないかと反省せよ。》 - 伝統

2024/12/06 (Fri) 10:58:24


    *「光明道中記」(12月6日《貪(むさぼ)りを捨つる日》)より

【****(おしろい)で化粧しても心情の下劣は隠せない。心で化粧せよ。
                      (『生命の實相』第十一巻)】


自分の言いなり通りが通る世界に永くいると、それに慣れて感謝と反省とを忘れる。
すると、その天上界の境涯が直ちに地獄に落ち、畜生に落ち、修羅に落ちる。

地獄とは如何なる世界であるかと言うと、閻魔と鬼とのいる世界である。
閻魔は審判(さば)く者であり、鬼は悪を爬羅(ほじくりだ)して責める者である。
人を審判き人を非難する者の住む世界が地獄である。

日々省みて、われ地獄の生活に堕ちてはいないかと反省せよ。

餓鬼とは如何なる世界であるかと云うと、貪(むさぼ)れば貪れど、
尚足らぬ飢え渇いた感じがしてたまらぬ者の世界である。
あるが上に欲しく、幾ら恵みが与えられていても尚不足に感ずる人はないだろうか。

げに常に不足を言うものは餓鬼の境涯に堕(お)ちているのである。
五感の快感のほかに喜びを知らぬ者は畜生である。
尤(もっと)も犬にも忠犬があり、義烈なる軍馬もあるが
、それは寧(むし)ろ仏性が出たのである。

また人を憎み嫉妬し腹立ち争う者は修羅である。

人間は、毎日自己が餓鬼に、畜生に、修羅に、
堕ちていないかを反省しなければならぬ。

           <感謝合掌 令和6年12月6日 頓首再拝>

日々、自分は本当に生きているか、と問いかけよ! - 伝統

2025/01/16 (Thu) 11:41:34


      *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月16日)より

今日(きょう)いちにち
自分の生命(せいめい)を生かさないことは自殺である。

「今日(きょう)自分は本当によく生きたか」
とわれわれは毎日自分自身の心に対して問いかけねばならぬ。

自殺はすべての罪悪のうちで最大の罪悪である。

            <感謝合掌 令和7年1月16日 頓首再拝>

自分の生命(いのち)がどれだけ生きたか? - 伝統

2025/01/18 (Sat) 11:49:20


      *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月18日)より

毎日何事か《人のためになる》仕事をせよ。
その《ためになる》部分だけが自分の《生きた》生命である。

《ためにならない》部分の生活は死んだ生活である。
自殺の生活である。
日々、自殺の生活を送らないように心がける者だけが
大きく生長するのである。

何よりも自分に深切であることである。
そして自分に深切であるには、常に振り返ってみて、
人のために何事をなしえたか ――
それによって自分の生命(いのち)がどれだけ生きたかを
反省しなければならぬ。

            <感謝合掌 令和7年1月18日 頓首再拝>

小言を言う人は、自分の心に反省がないのである - 伝統

2025/02/06 (Thu) 10:41:18


    *「光明道中記」(2月6日一切に感謝謝する日)より抜粋

【天気に小言を言うな。すべてについて小言を言うな。
 小言はすべて暗い気分を招く。
 暗い気分は病気と不景気のもとだ。(『生命の實相』第十一巻)】


「あなたは心に不平を持っているから、
 それを直さなければ、その病気は治らないでしょう」と、
道場へ来た人に助言してあげることがある。

すると「私は決して不平など心に持ったことはありません」と答える人が多い。
そう云う人は、自分の心に反省がないのである。

負債があるのに負債のあることに気附かず、
借金があるのに借金をしていることに気附かぬ人である。

そんな人は恐らく借金を払おうとしない人だろうし、
自分の悪癖(あくへき)を直そうとしない人で、
最も始末に了(お)えない種類の人間である。

そんな人が道場から帰る時間になって雨でも降って来たなら
直ぐ「チェッ雨が降って来て弱った!」と言って
天気の小言を言う現場を度々見せられているのである。

不平を持たぬ心とは、
どんな事が起っても小言を言わぬ、小言を思わぬ心である。

            <感謝合掌 令和7年2月6日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.