伝統板・第二
恐怖心を追放するには ⑤ - 伝統
2022/05/29 (Sun) 10:15:38
《恐怖心を捨てること》
*「光明法語」(4月29日)より
信ずるとは知ることである。
生命をもって直接に知ることである。
自己の生命は神より出でたるものであるから、
自己の生命は実相に於いては既に神を知っているのである。
だから危急のときに人間は神を呼ぶのである。
思わずとは「無意識」にと云うことである。
「無意識」とは意識がないと云う意味ではない。
「気がつかぬ意識」と云うことである。
自分の気がつかない心の奥底に神を信ずる心があるのである。
しかし神を呼んでも感応がないのは恐怖心や狭い心があるからである。
・・・
<関連Web>
(1)光明掲示板・第一「恐怖心を追放するのが「生長の家」の念願の一つ (2064)」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=436
(2)光明掲示板・第二「恐怖心の追放 (87)」
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=41 (消滅)
(3)光明掲示板・第三「恐怖心を追放する道 (51)」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=29
(4)光明掲示板・伝統・第一「恐怖心を追放するには (70)」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=43
(5)伝統板・第二「恐怖心を追放するには ①」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6462215
(6)伝統板・第二「恐怖心を追放するには ②」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6864480
(7)伝統板・第二「恐怖心を追放するには ③」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7668102
(8)伝統板・第二「恐怖心を追放するには ④」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7949523
<感謝合掌 令和4年5月29日 頓首再拝>
恐怖心を醸す環境を変えることから始める - 伝統
2022/05/31 (Tue) 09:30:01
*「光明法語」(5月31日《環境の精神的影響》)より
精神科学は結核患者をみちびくのに、
決して形の上から「絶対安静」を破れと云うのではない。
先ず「恐怖心」を捨てよと教えるのである。
「恐怖心を捨てた」其の結果が、自然に絶対安静の必要がなくなるのである。
まだ恐怖しながら、戦々恐々「動いて見よう」位では危険なことこの上ない。
しかも、周囲の人々が、「動いたら危ないぞ」と
恐怖心をそそる言葉で包囲攻撃する場合、
患者は恐怖心を起こさずにいることはむずかしい。
まず環境を変える必要がある。
また家庭の不調和から来る患者は家族互いに感謝させねば精神の安静は得られない。
<感謝合掌 令和4年5月31日 頓首再拝>
恐怖とその対処 - 伝統
2022/06/10 (Fri) 07:20:14
怖がり度
*Web:MYCODE より
(1)生物学的な観点から見ると、生き物が「怖い」という感情を抱くことは、
避けるべき出来事や敵に対して適切に反応し、
自分の生命を守る上で非常に重要であるようです。
(2)一方、避けるべき出来事や敵が去った後は、
「怖い」という気持ちをできるだけ早く取り去り、
普段の自分に戻ることも等しく重要とされています。
常に「怖い」という気持ちを持ち続けることはストレスとなり、
心身に影響が現れると考えられています。
(3)付きまとう恐怖は、遺伝子のせい!?
①人間が「恐怖」を感じるメカニズムを解き明かすべく、
昔から様々な研究が行われてきました。
動物を用いた様々な研究によって、恐怖感が消える過程には
「カンナビノイド受容体1」が重要な役割を果たしている可能性が高い
ことが明らかにされてきました。
しかし、それが人間にも当てはまるかについては
明らかにされていませんでした。
②そこに目をつけたのが、オランダのユトレヒト大学の研究グループ。
研究グループは「カンナビノイド受容体1」に関わる「CNR1遺伝子」が、
「怖がり」の個人差と関連している可能性があると考えました。
③オランダ ユトレヒト大学の研究グループの研究によると、
rs2180619というSNPが「G」であると、恐怖感があまり持続しない、
つまり比較的怖がりでない傾向にあることが分かりました。
rs2180619というSNPにはGG,GA,AAの3通りの遺伝型があります。
・GA,GGの遺伝型をもつ人は「怖がり度低めタイプ」
怖い思いをしても、比較的すぐに恐怖感が消えるタイプです。
・AAの遺伝型をもつ人は「怖がり度高めタイプ」
怖い思いをすると、比較的恐怖感が残るタイプです。
(https://mycode.jp/fumfum/fear-extinction#thesis)
・・・
「怖がり」への対処
*Web:カウセリングしらいし より抜粋
(1)性格の遺伝は概ね50%ぐらいとされており、
残りは生まれてからその後の後天的な環境によって
影響されていると一般的に言われています。
(2)50%は遺伝なので諦めないといけないと考える必要はなく、
遺伝子のスイッチがONになったり、OFFになったりする働きがある
ことが分かっています。
(3)そういったスイッチによるものや
環境によって成長・学習・馴化(慣れ)によって
私たちは「怖がり度」を下げることができます。
(https://s-counseling.com/counseling-for-fear/)
<感謝合掌 令和4年6月10日 頓首再拝>
不眠は、不眠恐怖症にすぎない - 伝統
2022/07/11 (Mon) 07:14:51
*「光明道中記」(7月11日《心爽やかなる日》)より
【実相と云うものは「其儘(そのまま)美しい」のであります。
(『生命の實相』第十五巻)】
四祖の道信は
「祖風を継いでより心を摂(せつ)して寝(い)ぬることなし」とあるから、
衣鉢(いはつ)を伝えられて以来眠ることがなかったらしい。
それでも別に神経衰弱で夭死(わかじに)したのではない。
彼は七十二歳で示寂(しじゃく)したのである。
私が不眠症の人に示して必ず治る秘訣がある。
それは不眠の人に、
ロンドンで四十数年間1時間の睡眠もとらないで健康状態で続いて来、
最近七十四歳の長命で亡くなったと云う実話である。
この話が或る新聞に報ぜられると、
ウィーンでは「私は二十何年間一睡もしないで活動を続ている。
眠る必要がなくなったので、仕事をしないと退屈で仕方がないので
1日24時間としての時間割を作って仕事をしている」と言って
発表した人があったと云うことである。
それから文士の倉田百三氏が約1年間不眠が継続していて、
その揚句の果に廓然(からり)と悟ると十数年間の全身結核がケロリと治って、
夏は水泳までも自由に出来るようになったと云う実話である。
こんな話をしているうちに
「人間必ずしも眠る必要はない」と云う観念を得、
不眠に対する恐怖が消える、
するとその晩から大抵その人はグウグウ眠るようになるのである。
不眠症 ―― 実は不眠恐怖症に過ぎなかったからである。
<感謝合掌 令和4年7月11日 頓首再拝>
恐怖すること勿(なか)れ - 伝統
2022/10/09 (Sun) 07:29:13
*「光明法語(10月9日)」より
何事に対しても恐怖すること勿れ。
神の子であり、神が常に汝を護っている事を知るならば吾らは何事も恐怖する事はない。
恐怖するのは神を信じていないからである。
恐怖すれば血管は収縮し血液中の過度のアドレナリンを生じ、
血圧は昂(たか)まり、全身の細胞は萎縮して活力を失うのである。
肉体の各器官は神の諸々(もろもろ)の霊的属性の表現である。
神の諸々の属性を完全に表現すればする程、肉体の各器官は一層健康となる。
心臓は愛の表現である。
愛が乱れれば心臓が乱れる。
またそれは心膽(しんたん)である。
気を大きくすれば心臓病は治る。
<感謝合掌 令和4年10月9日 頓首再拝>
恐怖は誤解の上に成り立つ、困難の意義を見出す - 伝統
2022/12/18 (Sun) 11:18:31
*「生命の實相」幸福篇下巻(12月18日)より
およそいっさいのものには存在の意義がある。
その人にとって不必要なものは存在しないのである。
いわんや困難に意義がないなどというはずはない。
与えられたものをその存在の意義をそのままに受け取ろうとしないとき、
そこに苦痛は起こり、悲哀が感じられるのである。
わたしはある日、鳩が板の上に卵を生んで抱卵に困っているありさまを見て、
その卵を巣皿の中に入れてやったら、慣れない鳩はその巣皿を怪しいものと思い、
「不幸」が見舞ったと思い、その卵の抱卵の期を失ってしまったことがある。
板の上に卵を生んだ鳩にとっては、そこへ巣皿が現れたということは、
かえって救いの手であったのだが、彼はそれを誤解し、恐怖し、
与えられたものを素直に受けようとせず、苦痛を感じ、呪詛を感じ、
そして自己と自己の子孫の運命を腐敗せしめてしまったのであった。
困難を恐れる人間も、この鳩のごときものである。
すべて恐怖は誤解の上に成り立つのである。
静かに受けて、与えられた意義を見出せば、
その人にとってそれはあるいは運命向上の、あるいは人格向上の、
あるいはいっそう健康となるための素材であるはずのものが
どんなにか多いことであろう。
<感謝合掌 令和4年12月18日 頓首再拝>
失う恐れに悩まされる人間 - 伝統
2023/01/17 (Tue) 07:14:00
*Web:宇宙の兄弟たちへ(2023年1月16日)より
人間は様々なものを失う恐れに悩まされています。
たとえば彼氏が自分の元から離れていく不安も、失う恐れでしょう。
夫婦で離婚して離れたり、子供と別れて暮らさなくてはならない
と考えるのも、失う恐れに入ります。
他にもせっかく頑張って貯金したお金が、
あっという間に無くなると考えるのも失う恐れとして強いものです。
今まであった財産を失う恐れ、リストラされて仕事を失う恐れ、
健康を失う恐れなど、生きていくうえで様々な恐れが出てきます。
しかし、原点に返ってみると、
人間はもともと裸で生まれ、何も持たずに生まれてきました。
本来、無一物で誕生したのです。
それが長じるにしたがって、いろんなものを手にします。
それは幸せな事ですが、
今度は逆に、失ってしまう恐れが出てきてしまったのです。
もともと何も持っていなければ、失う恐れも無かったのですが、
様々なものを手にし、幸福になったため、
それを失う恐れが出てきてしまいました。
より多くの物を手にしたものほど、失う恐れを抱き、
次々と握った手からこぼれ落ちるのを止められません。
やがて人間は、すべてを手放して、死んでいくのです。
あの世へはこの世の物は何も持って帰ることが出来ません。
全てを捨てて、魂の故郷に帰らなければならないのです
もしもそれを拒んでしまうと、その人は地縛霊となって、
この世に留まり続けてしまう事になります。
私たちは何も持たずに生まれ、
そしてすべてを手放して帰っていく存在です。
ですので、本来、失うものなど何もないのです。
失う恐れというのは、
この世で経験するひとときの幻にしか過ぎません。
失う事の恐れよりも、得ている事の幸せを感じるようにしましょう。
https://www.spacebrothers.jp/2023/01/blog-post_16.html
<感謝合掌 令和5年1月17日 頓首再拝>
《恐怖は神から離れた時に起る》 - 伝統
2023/01/18 (Wed) 07:51:13
*「光明法語」(1月18日)より
神の霊、自己の内に宿り給う。
自己の中には無限の智慧と力の源が埋蔵されているのである。
自分は何事が出て来ようとも決して恐れはしないのである。
神と共にある者の心は常に平和である。
もはや吾が行く所の道に横たわる如何なる危険も困難も自分は恐れない。
困難よ消え失せよと吾念ずれば困難は消え失せるのである。
危険よ消え失せよと念ずれば危険は直ちに消え失せるのである。
波を叱咤すれば波は消え、山を叱咤すれば山は去るであろう。
吾これをなさんと決意すれば何事でも必ずなすことが出来るのである。
<感謝合掌 令和5年1月18日 頓首再拝>
あなたを邪魔する「恐怖と罪悪感」 - 伝統
2023/02/04 (Sat) 07:12:32
*『The Riches Within』~Dr.ディマティーニ
メルマガ「Dr.ディマティーニ」(2023年02月03日)より
人生では誰もが、一見『障害』だと思うことを経験します。
それは自然なことです。
しかし、あなたを引き止める唯一の障害は、恐怖と罪悪感という感情です。
しかし、実際のところ、
この2つの感情は、直接対処すれば、あなたを引き止めることはありません。
もし同じように、
不安や恐怖を感じたり、後悔や自責の念に駆られて動けなくなったりしても、
それは知覚のバランスが崩れたときだけ生じる感情、つまり幻想です。
ですから、ただ、知覚のバランスを取れば良いのです。
この本が、あなたの知覚にバランスをもたらす助けになります。
子どもの頃、自宅の庭で草むしりをしていた時のことです。
隣に住む80代の女性が教えてくれました。
「ジョン。花を植えなければ、いつまでも雑草を抜くことになるわよ!」
(ジョンとはDr.ディマティーニを指す)
それを聞いて私は、
「なるほど、愛するものを育てれば、いらないものを追い出せるのか」
と思いました。
さっそく、花の種を植えてみました。
芽が出て、なんと雑草が生えるスペースがなくなったのです。
私は、心も同じだと学びました。
心の庭に花を植えなければ、いつまでも雑草を抜き続けることになるのです。
あなたの宝を「秘密」にして、
あなたから隠している恐れや罪悪感も同じです。
感情という雑草が生い茂り、宝が深く埋もれてしまうのです。
こうした雑草のような感情に対処する方法は、
バランスの取れた観点を持つことです。
人生の質は、質問の質によって決まります。
質の高い質問とは、
あなたの知覚と、その結果としての行動にバランスをもたらすものです。
たとえば、何かや誰かを「失う」と考えたとしましょう。
そのときには、真逆の可能性について自問することが賢明です。
「私は、何を『得る』ことになるか?」
同じように、何かで『失敗』したと思ったら、真逆の可能性を問いかけましょう。
「私の『成功』はどこにあるか?」
「いわゆる『失敗』と呼んだ出来事の、メリットは何か?」
このようなバランスを取る問いかけが、
この本で紹介する本質的なメソッドの基礎となっています。
本書には、自分、他者、そして私たちが生きる世界について、
あらゆる種類の神話や誤解のバランスを取るための方法を書きました。
なぜなら、人々の進化を妨げる最大の要因の1つは、
大げさで偏った誤解だからです。
そこには、
宇宙の壮大な秩序も、人間本来の美しい輝きもありません。
たいていの人は、自分が何者でもないと誤解しています。
それがどれほど自分を卑下しているか、わかりますか?
そのような妄想や空想で、
どれほどやる気をなくし、矮小化するかわかりますか?
もちろん、ファンタジー(妄想)と大きなビジョンは違います。
大きなビジョンとは、実現可能で、あなたの価値観に一致した夢のことです。
一方でファンタジー(妄想)とは、
実現不可能で、あなたの価値観に合わないので行動しません。
たとえ始めても、すぐに投げ出し
「失敗した」と自分を責めることになるでしょう。
あなたのハートと本当に一致するもの、
「これだ」と確信するもの、
「私はこのために地球に生まれたのだ」
と知ることは何であれ、あなたのインスピレーションとなります。
それは、もっとも輝かしいあなたの富の一部です。
ひとたび宝箱を開けたなら、手に取らずにはいられなくなるのです。
・・・
<参照>
悪神の手口を知っていることで、避けられます
伊勢ー白山 道(2022-12-19 )
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/4d6da4f7fb12a0bdf60033ae2a8a5d14
<感謝合掌 令和5年2月4日 頓首再拝>
恐れず、行動せよ! - 伝統
2023/03/26 (Sun) 05:01:57
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月26日)」より
まず恐れないで虎穴(こけつ)に降りて行かなければならない。
待っているということと、降りて行くということとは両立しないことではない。
恐ろしいものは何も出て来ない。
もし恐ろしい者に出くわしたら、
それはただ仮面を被っているだけだから恐れるにはおよばない。
まずそいつと取っ組んで征服し、その仮面を剥いでやるのだ。
すると本当はそのお化けの正体は
「幸福」というものであったことがわかるであろう。
<感謝合掌 令和5年3月26日 頓首再拝>
心配事など取るに足らぬ - 伝統
2023/03/28 (Tue) 04:52:22
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月28日)」より
人間が心配していることは、すべて小さな重要でないことについてである。
真に重要なことの前には人間はかえって大胆に勇敢になるものである。
戦場に出れば人間はもう心配などしている暇がない。
心配していることそのことが、おん身の考えている事柄が
じつに小さな採るに足らぬことであることの証拠である。
これを知ったらあらゆる心配が消えてしまうであろう。
<感謝合掌 令和5年3月28日 頓首再拝>
《恐怖心を捨てること》 - 伝統
2023/04/29 (Sat) 05:02:09
*「光明法語」(4月29日)より
信ずるとは知ることである。
生命をもって直接に知ることである。
自己の生命は神より出でたるものであるから、
自己の生命は実相に於いては既に神を知っているのである。
だから危急のときに人間は神を呼ぶのである。
思わずとは「無意識」にと云うことである。
「無意識」とは意識がないと云う意味ではない。
「気がつかぬ意識」と云うことである。
自分の気がつかない心の奥底に神を信ずる心があるのである。
しかし神を呼んでも感応がないのは恐怖心や狭い心があるからである。
<感謝合掌 令和5年4月29日 頓首再拝>
(恐怖心を煽って支配する)アックンからの手紙 - 伝統
2023/05/25 (Thu) 12:37:31
アックンからの手紙
伊勢ー白山 道(2023-05-25 )
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/80121103965afaa779b92f305d3f3422
<感謝合掌 令和5年5月25日 頓首再拝>
精神の安静が得られるように、環境を整える必要がある - 伝統
2023/05/31 (Wed) 09:03:55
*「光明法語」(5月31日《環境の精神的影響》)より
精神科学は結核患者をみちびくのに、
決して形の上から「絶対安静」を破れと云うのではない。
先ず「恐怖心」を捨てよと教えるのである。
「恐怖心を捨てた」其の結果が、
自然に絶対安静の必要がなくなるのである。
まだ恐怖しながら、
戦々恐々「動いて見よう」位では危険なことこの上ない。
しかも、周囲の人々が、
「動いたら危ないぞ」と恐怖心をそそる言葉で包囲攻撃する場合、
患者は恐怖心を起こさずにいることはむずかしい。
まず環境を変える必要がある。
また家庭の不調和から来る患者は家族互いに感謝させねば
精神の安静は得られない。
<感謝合掌 令和5年5月31日 頓首再拝>
正体を捉えて見たら、恐怖すべきものは一つもない - 伝統
2023/06/12 (Mon) 06:50:54
*「光明道中記」(6月12日《今すぐ行う日》)より
【恐怖心は神の全能の愛を信じない為に起る。(『生命の實相』第ニ巻)】
すべてを神のみこころに委(まか)せること。
併しこれだけでは恐怖心は絶滅されるものではないのである。
神のみこころの中には不幸は無いと云うことを知らなければ、
人は神を恐怖するに到るであろう。
神に委せるとは、一番高き幸福の源泉に委せることなのである。
《此処に》《今》幸福があることを知ることである。
幸福か不幸かわからないけれども、兎も角神に委せようと云うことではない。
神はわが憩いの家であり、愛の家であり、わが砦であることを知ることである。
単に「思い煩うな」と言って、問題を次へ次へと延ばして行く者は、
恐怖を先に延長しているようなものであって、
本当は「思い煩っている」のである。
吾々は事物に面することを次へ延ばすことなく、「今」受けるが好いのである。
「今」恐れなく受けるのである。
「今」目の前に《ある》ものが決して自分を害するものでないと知ることである。
避けるのではない。捉えるのである。
幽霊の正体見たり枯尾花。
正体を捉えて見たら、恐怖すべきものは一つもないのである。
<感謝合掌 令和5年6月12日 頓首再拝>
不眠症は不眠恐怖症に過ぎない - 伝統
2023/07/11 (Tue) 06:23:09
*「光明道中記」(7月11日《心爽やかなる日》)より
【実相と云うものは「其儘(そのまま)美しい」のであります。
(『生命の實相』第十五巻)】
四祖の道信は
「祖風を継いでより心を摂(せつ)して寝(い)ぬることなし」
とあるから、衣鉢(いはつ)を伝えられて以来眠ることがなかったらしい。
それでも別に神経衰弱で夭死(わかじに)したのではない。
彼は七十二歳で示寂(しじゃく)したのである。
私が不眠症の人に示して必ず治る秘訣がある。
それは不眠の人に、ロンドンで四十数年間1時間の睡眠もとらないで
健康状態で続いて来、最近七十四歳の長命で亡くなったと云う実話である。
この話が或る新聞に報ぜられると、ウィーンでは
「私は二十何年間一睡もしないで活動を続ている。
眠る必要がなくなったので、仕事をしないと退屈で仕方がないので
1日24時間としての時間割を作って仕事をしている」
と言って発表した人があったと云うことである。
それから文士の倉田百三氏が約1年間不眠が継続していて、
その揚句の果に廓然(からり)と悟ると十数年間の全身結核がケロリと治って、
夏は水泳までも自由に出来るようになったと云う実話である。
こんな話をしているうちに「人間必ずしも眠る必要はない」と云う観念を得、
不眠に対する恐怖が消える、
するとその晩から大抵その人はグウグウ眠るようになるのである。
不眠症 ―― 実は不眠恐怖症に過ぎなかったからである。
<感謝合掌 令和5年7月11日 頓首再拝>
恐怖すること勿(なか)れ - 伝統
2023/10/09 (Mon) 11:21:48
*「光明法語(10月9日)」より
何事に対しても恐怖すること勿れ。
神の子であり、神が常に汝を護っている事を知るならば
吾らは何事も恐怖する事はない。
恐怖するのは神を信じていないからである。
恐怖すれば血管は収縮し血液中の過度のアドレナリンを生じ、
血圧は昂(たか)まり、全身の細胞は萎縮して活力を失うのである。
肉体の各器官は神の諸々(もろもろ)の霊的属性の表現である。
神の諸々の属性を完全に表現すればする程、
肉体の各器官は一層健康となる。
心臓は愛の表現である。
愛が乱れれば心臓が乱れる。
またそれは心膽(しんたん)である。
気を大きくすれば心臓病は治る。
<感謝合掌 令和5年10月9日 頓首再拝>
醜き姿を心より払拭せよ - 伝統
2023/11/05 (Sun) 09:23:30
*「光明法語」(11月5日)より
病気や災禍を思い浮かべ、それを恐怖したとき想念は形にあらわれる。
恐るるものは皆来るので、
これは神が造ったものではなく、想念の具象化である。
何か病気の醜き姿を見て、恐ろしいと思った時には
「かかるものは実在ではない。
実在するものは、唯(ただ)完全なるもののみである」
と数回心に念じて、
醜き姿を心の底から拭い去ってしまって置くことが必要である。
宇宙のすばらしく宏大にして完全なること、
それを創造(つく)った神の力の無限大なる事、
その偉大なる無限力の前に何の病気の存在の余地があろうぞ。
<感謝合掌 令和5年11月5日 頓首再拝>
不安感を有効利用して飛翔します - 伝統
2023/11/20 (Mon) 09:03:02
不安感を有効利用して飛翔します
伊勢ー白山 道(2023-11-18)
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/b2b1ec914147ced3942e493b82df9dca
<感謝合掌 令和5年11月20日 頓首再拝>
《恐怖は神から離れた時に起る》 - 伝統
2024/01/18 (Thu) 10:00:57
*「光明法語」(1月18日)より
神の霊、自己の内に宿り給う。
自己の中には無限の智慧と力の源が埋蔵されているのである。
自分は何事が出て来ようとも決して恐れはしないのである。
神と共にある者の心は常に平和である。
もはや吾が行く所の道に横たわる如何なる危険も困難も自分は恐れない。
困難よ消え失せよと吾念ずれば困難は消え失せるのである。
危険よ消え失せよと念ずれば危険は直ちに消え失せるのである。
波を叱咤すれば波は消え、山を叱咤すれば山は去るであろう。
吾これをなさんと決意すれば何事でも必ずなすことが出来るのである。
<感謝合掌 令和6年1月18日 頓首再拝>
恐れず、行動せよ! - 伝統
2024/03/26 (Tue) 12:04:50
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月26日)」より
まず恐れないで虎穴(こけつ)に降りて行かなければならない。
待っているということと、降りて行くということとは両立しないことではない。
恐ろしいものは何も出て来ない。
もし恐ろしい者に出くわしたら、それはただ仮面を被っているだけだから
恐れるにはおよばない。
まずそいつと取っ組んで征服し、その仮面を剥いでやるのだ。
すると本当はそのお化けの正体は
「幸福」というものであったことがわかるであろう。
<感謝合掌 令和6年3月26日 頓首再拝>
大胆に勇敢に - 伝統
2024/03/28 (Thu) 11:32:11
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月28日)」より
人間が心配していることは、すべて小さな重要でないことについてである。
真に重要なことの前には人間はかえって大胆に勇敢になるものである。
戦場に出れば人間はもう心配などしている暇がない。
心配していることそのことが、おん身の考えている事柄が
じつに小さな採るに足らぬことであることの証拠である。
これを知ったらあらゆる心配が消えてしまうであろう。
<感謝合掌 令和6年3月28日 頓首再拝>
《環境の精神的影響》 - 伝統
2024/05/31 (Fri) 11:41:20
*「光明法語」(5月31日)より
精神科学は結核患者をみちびくのに、
決して形の上から「絶対安静」を破れと云うのではない。
先ず「恐怖心」を捨てよと教えるのである。
「恐怖心を捨てた」其の結果が、自然に絶対安静の必要がなくなるのである。
まだ恐怖しながら、戦々恐々「動いて見よう」位では危険なことこの上ない。
しかも、周囲の人々が、「動いたら危ないぞ」と恐怖心をそそる言葉で包囲攻撃する場合、
患者は恐怖心を起こさずにいることはむずかしい。
まず環境を変える必要がある。
また家庭の不調和から来る患者は家族互いに感謝させねば精神の安静は得られない。
<感謝合掌 令和6年5月31日 頓首再拝>
「今」恐れなく受ける - 伝統
2024/06/12 (Wed) 10:53:00
*「光明道中記」(6月12日《今すぐ行う日》)より
【恐怖心は神の全能の愛を信じない為に起る。(『生命の實相』第ニ巻)】
すべてを神のみこころに委(まか)せること。
併しこれだけでは恐怖心は絶滅されるものではないのである。
神のみこころの中には不幸は無いと云うことを知らなければ、
人は神を恐怖するに到るであろう。
神に委せるとは、一番高き幸福の源泉に委せることなのである。
《此処に》《今》幸福があることを知ることである。
幸福か不幸かわからないけれども、兎も角神に委せようと云うことではない。
神はわが憩いの家であり、愛の家であり、わが砦であることを知ることである。
単に「思い煩うな」と言って、問題を次へ次へと延ばして行く者は、
恐怖を先に延長しているようなものであって、
本当は「思い煩っている」のである。
吾々は事物に面することを次へ延ばすことなく、「今」受けるが好いのである。
「今」恐れなく受けるのである。
「今」目の前に《ある》ものが決して自分を害するものでないと知ることである。
避けるのではない。捉えるのである。
幽霊の正体見たり枯尾花。
正体を捉えて見たら、恐怖すべきものは一つもないのである。
<感謝合掌 令和6年6月12日 頓首再拝>
恐怖の正体は「悪」の存在を予想する念である - 伝統
2024/06/13 (Thu) 11:10:34
*「光明道中記」(6月13日《絶えず明るく微笑する日》) より
【言葉の力によって認めるものだけが存在に入る。(『生命の實相』第ニ巻)】
恐怖の正体は「悪」の存在を予想する念である。
念は吾々の「生命」より発する波動であって「生命」そのものと融合して、
体内と、外界とに、自分の「生命」に一連関せる環境を作り上げる。
体内の環境を内的環境と呼び、外界の環境を外的環境と言う。
血流、消化状態、内分泌の状態などは内的環境であり、
外界境遇貧富等は外的環境である。
内的環境も外的環境も共に自己生命の「念」の延長であり、
客観化(かたちにか)したのであるから、
自分の「念」によって支配されるのである。
「念」に悪を予想するところの恐怖心が、
肉体に悪影響を与え、外界に悪環境をつくるのは当然である。
されば、決して心に「悪」を予想することなかれ。
「悪」は存在しないのである。
ただ予想したときそれが形にあらわれて、あるかの如く視(み)えるに過ぎない。
静かに、「自分に近づきつつある物」を幸福の使者として微笑をもって迎えよ。
自分に近づきつつある物は、結局「幸福の使者」と変ずるであろう。
立対(たちむか)う者は自分の心の反影(かげ)である。
<感謝合掌 令和6年6月13日 頓首再拝>
不眠は、不眠恐怖症に過ぎない - 伝統
2024/07/11 (Thu) 11:06:39
*「光明道中記」(7月11日《心爽やかなる日》)より
【実相と云うものは「其儘(そのまま)美しい」のであります。
(『生命の實相』第十五巻)】
四祖の道信は「祖風を継いでより心を摂(せつ)して寝(い)ぬることなし」とあるから、
衣鉢(いはつ)を伝えられて以来眠ることがなかったらしい。それでも別に神経衰弱で
夭死(わかじに)したのではない。彼は七十二歳で示寂(しじゃく)したのである。
私が不眠症の人に示して必ず治る秘訣がある。
それは不眠の人に、ロンドンで四十数年間1時間の睡眠もとらないで
健康状態で続いて来、最近七十四歳の長命で亡くなったと云う実話である。
この話が或る新聞に報ぜられると、ウィーンでは
「私は二十何年間一睡もしないで活動を続ている。眠る必要がなくなったので、
仕事をしないと退屈で仕方がないので1日24時間としての時間割を
作って仕事をしている」と言って発表した人があったと云うことである。
それから文士の倉田百三氏が約1年間不眠が継続していて、
その揚句の果に廓然(からり)と悟ると十数年間の全身結核がケロリと治って、
夏は水泳までも自由に出来るようになったと云う実話である。
こんな話をしているうちに「人間必ずしも眠る必要はない」と云う観念を得、
不眠に対する恐怖が消える、するとその晩から大抵その人はグウグウ眠る
ようになるのである。
不眠症 ―― 実は不眠恐怖症に過ぎなかったからである。
<感謝合掌 令和6年7月11日 頓首再拝>
恐怖すること勿(なか)れ - 伝統
2024/10/09 (Wed) 10:13:16
*「光明法語(10月9日)」より
何事に対しても恐怖すること勿れ。
神の子であり、神が常に汝を護っている事を知るならば
吾らは何事も恐怖する事はない。
恐怖するのは神を信じていないからである。
恐怖すれば血管は収縮し血液中の過度のアドレナリンを生じ、
血圧は昂(たか)まり、全身の細胞は萎縮して活力を失うのである。
肉体の各器官は神の諸々(もろもろ)の霊的属性の表現である。
神の諸々の属性を完全に表現すればする程、肉体の各器官は一層健康となる。
心臓は愛の表現である。
愛が乱れれば心臓が乱れる。
またそれは心膽(しんたん)である。
気を大きくすれば心臓病は治る。
<感謝合掌 令和6年10月9日 頓首再拝>
1円もかけずに全ての恐れを消すスゴ過ぎる方法。 - 伝統
2024/11/13 (Wed) 10:05:57
【宮増侑嬉】1円もかけずに全ての恐れを消すスゴ過ぎる方法。
やった瞬間に脳の潜在意識で書き換えが起こってスゴイ事が起きる
思考の学校(2024/10/11)
https://www.youtube.com/watch?v=nnFSmlOoZTI
<感謝合掌 令和6年11月13日 頓首再拝>
《恐怖は神から離れた時に起る》 - 伝統
2025/01/18 (Sat) 11:54:56
*「光明法語」(1月18日)より
神の霊、自己の内に宿り給う。
自己の中には無限の智慧と力の源が埋蔵されているのである。
自分は何事が出て来ようとも決して恐れはしないのである。
神と共にある者の心は常に平和である。
もはや吾が行く所の道に横たわる如何なる危険も困難も自分は恐れない。
困難よ消え失せよと吾念ずれば困難は消え失せるのである。
危険よ消え失せよと念ずれば危険は直ちに消え失せるのである。
波を叱咤すれば波は消え、山を叱咤すれば山は去るであろう。
吾これをなさんと決意すれば何事でも必ずなすことが出来るのである。
<感謝合掌 令和7年1月18日 頓首再拝>
恐れず、行動せよ! - 伝統
2025/03/26 (Wed) 11:01:26
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月26日)」より
まず恐れないで虎穴(こけつ)に降りて行かなければならない。
待っているということと、降りて行くということとは両立しないことではない。
恐ろしいものは何も出て来ない。
もし恐ろしい者に出くわしたら、それはただ仮面を被っているだけだから
恐れるにはおよばない。
まずそいつと取っ組んで征服し、その仮面を剥いでやるのだ。
すると本当はそのお化けの正体は
「幸福」というものであったことがわかるであろう。
<感謝合掌 令和7年3月26日 頓首再拝>
大胆に勇敢に - 伝統
2025/03/28 (Fri) 11:19:46
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月28日)」より
人間が心配していることは、すべて小さな重要でないことについてである。
真に重要なことの前には人間はかえって大胆に勇敢になるものである。
戦場に出れば人間はもう心配などしている暇がない。
心配していることそのことが、おん身の考えている事柄が
じつに小さな採るに足らぬことであることの証拠である。
これを知ったらあらゆる心配が消えてしまうであろう。
<感謝合掌 令和7年3月28日 頓首再拝>
《恐怖心を捨てること》 - 伝統
2025/04/29 (Tue) 12:08:04
*「光明法語」(4月29日)より
信ずるとは知ることである。
生命をもって直接に知ることである。
自己の生命は神より出でたるものであるから、
自己の生命は実相に於いては既に神を知っているのである。
だから危急のときに人間は神を呼ぶのである。
思わずとは「無意識」にと云うことである。
「無意識」とは意識がないと云う意味ではない。
「気がつかぬ意識」と云うことである。
自分の気がつかない心の奥底に神を信ずる心があるのである。
しかし神を呼んでも感応がないのは恐怖心や狭い心があるからである。
<感謝合掌 令和7年4月29日 頓首再拝>
《環境の精神的影響》 - 伝統
2025/05/31 (Sat) 11:30:11
*「光明法語」(5月31日)より
精神科学は結核患者をみちびくのに、
決して形の上から「絶対安静」を破れと云うのではない。
先ず「恐怖心」を捨てよと教えるのである。
「恐怖心を捨てた」其の結果が、自然に絶対安静の必要がなくなるのである。
まだ恐怖しながら、戦々恐々「動いて見よう」位では危険なことこの上ない。
しかも、周囲の人々が、「動いたら危ないぞ」と恐怖心をそそる言葉で包囲攻撃する場合、
患者は恐怖心を起こさずにいることはむずかしい。
まず環境を変える必要がある。
また家庭の不調和から来る患者は家族互いに感謝させねば精神の安静は得られない。
<感謝合掌 令和7年5月31日 頓首再拝>
「今」恐れなく受ける - 伝統
2025/06/12 (Thu) 12:07:13
*「光明道中記」(6月12日《今すぐ行う日》)より
【恐怖心は神の全能の愛を信じない為に起る。(『生命の實相』第ニ巻)】
すべてを神のみこころに委(まか)せること。
併しこれだけでは恐怖心は絶滅されるものではないのである。
神のみこころの中には不幸は無いと云うことを知らなければ、
人は神を恐怖するに到るであろう。
神に委せるとは、一番高き幸福の源泉に委せることなのである。
《此処に》《今》幸福があることを知ることである。
幸福か不幸かわからないけれども、兎も角神に委せようと云うことではない。
神はわが憩いの家であり、愛の家であり、わが砦であることを知ることである。
単に「思い煩うな」と言って、問題を次へ次へと延ばして行く者は、
恐怖を先に延長しているようなものであって、
本当は「思い煩っている」のである。
吾々は事物に面することを次へ延ばすことなく、「今」受けるが好いのである。
「今」恐れなく受けるのである。
「今」目の前に《ある》ものが決して自分を害するものでないと知ることである。
避けるのではない。捉えるのである。
幽霊の正体見たり枯尾花。
正体を捉えて見たら、恐怖すべきものは一つもないのである。
<感謝合掌 令和7年6月12日 頓首再拝>
不眠は、不眠恐怖症に過ぎない - 伝統
2025/07/11 (Fri) 11:21:07
*「光明道中記」(7月11日)より
【実相と云うものは「其儘(そのまま)美しい」のであります。
(『生命の實相』第十五巻)】
四祖の道信は
「祖風を継いでより心を摂(せつ)して寝(い)ぬることなし」
とあるから、衣鉢(いはつ)を伝えられて以来眠ることがなかったらしい。
それでも別に神経衰弱で夭死(わかじに)したのではない。
彼は七十二歳で示寂(しじゃく)したのである。
私が不眠症の人に示して必ず治る秘訣がある。
それは不眠の人に、ロンドンで四十数年間1時間の睡眠もとらないで
健康状態で続いて来、最近七十四歳の長命で亡くなったと云う実話である。
この話が或る新聞に報ぜられると、ウィーンでは
「私は二十何年間一睡もしないで活動を続ている。眠る必要がなくなったので、
仕事をしないと退屈で仕方がないので1日24時間としての時間割を
作って仕事をしている」と言って発表した人があったと云うことである。
それから文士の倉田百三氏が約1年間不眠が継続していて、
その揚句の果に廓然(からり)と悟ると十数年間の全身結核がケロリと治って、
夏は水泳までも自由に出来るようになったと云う実話である。
こんな話をしているうちに「人間必ずしも眠る必要はない」と云う観念を得、
不眠に対する恐怖が消える、するとその晩から大抵その人はグウグウ眠る
ようになるのである。
不眠症 ―― 実は不眠恐怖症に過ぎなかったからである。
<感謝合掌 令和7年7月11日 頓首再拝>
恐怖すること勿(なか)れ - 伝統
2025/10/09 (Thu) 11:53:05
*「光明法語(10月9日)」より
何事に対しても恐怖すること勿れ。
神の子であり、神が常に汝を護っている事を知るならば
吾らは何事も恐怖する事はない。
恐怖するのは神を信じていないからである。
恐怖すれば血管は収縮し血液中の過度のアドレナリンを生じ、
血圧は昂(たか)まり、全身の細胞は萎縮して活力を失うのである。
肉体の各器官は神の諸々(もろもろ)の霊的属性の表現である。
神の諸々の属性を完全に表現すればする程、肉体の各器官は一層健康となる。
心臓は愛の表現である。
愛が乱れれば心臓が乱れる。
またそれは心膽(しんたん)である。
気を大きくすれば心臓病は治る。
<感謝合掌 令和7年10月9日 頓首再拝>
メディアを通じて拡散される「恐怖」という名の負のエネルギー - 伝統
2026/01/16 (Fri) 11:12:09
メディアが報じない「最大のウイルス(恐怖)」という名のエネルギー
宇宙の兄弟たちへ(2026年1月16日)
https://www.spacebrothers.jp/2026/01/blog-post_16.html
(以下は抜粋です)
(1)緊急を要する「もう一つの備蓄(心の備蓄)」
①スピリチュアルな視点で見れば、今、世界で最も蔓延しているのは
ウイルスでもなければ、戦争そのものでもありません。
それは、メディアを通じて拡散される
「恐怖」という名の負のエネルギーです。
②「恐怖」こそが、闇の勢力にとっての最大の「餌」なのです。
私たちが怯えれば怯えるほど、彼らに力を与え、
ネガティブなパラレルワールドを引き寄せてしまいます。
③逆に言えば、あなたの心が「光」で満たされていれば、
どんな外的な嵐も、あなたの内なる神殿を侵すことはできません。
(2)日常こそが「神事(かみごと)」である
①掃除をする時:
「ただゴミを片付ける」のではなく、
「場を清め、光の結界を張る」という意図を持ってください。
掃除機をかけながら、部屋の隅々の邪気が払われ、
黄金の光で満たされるイメージを持つのです。
②料理をする時:
「ただ食事を作る」のではなく、
「家族の命を養う愛のエネルギー」を注入してください。
包丁で野菜を切るリズムに感謝を乗せ、煮込む鍋に
「健康であれ、幸せであれ」と祈りを込めるのです。
③家の中が整い、温かい手料理の湯気が立ち上る場所には、
低級霊やネガティブな波動は決して近づくことができません。
これが、あなたと家族を守る『光の結界』となるのです。
(3)今すぐできる「光の呼吸」ワーク
①朝、窓を開ける。
②太陽とつながる
太陽(曇りや雨でも、雲の上に太陽はあります)に向かって立ちます。
その光が、慈愛に満ちたエネルギーであることを感じてください。
③丹田に光を溜める
④宣言する
「私は光です。私は守られています。
私の内なる平和は、何者にも乱されません」
(4)心という神殿の鍵を、恐怖に明け渡してはいけません。
あなたが今日、笑顔でいること。
日常を丁寧に、慈しんで生きること。
それこそが、この地球(ニューアース)への移行期における、
最強の防災であり、光の貢献なのです。
<感謝合掌 令和8年1月16日 頓首再拝>
《恐怖は神から離れた時に起る》 - 伝統
2026/01/18 (Sun) 11:13:14
*「光明法語」(1月18日)より
神の霊、自己の内に宿り給う。
自己の中には無限の智慧と力の源が埋蔵されているのである。
自分は何事が出て来ようとも決して恐れはしないのである。
神と共にある者の心は常に平和である。
もはや吾が行く所の道に横たわる如何なる危険も困難も自分は恐れない。
困難よ消え失せよと吾念ずれば困難は消え失せるのである。
危険よ消え失せよと念ずれば危険は直ちに消え失せるのである。
波を叱咤すれば波は消え、山を叱咤すれば山は去るであろう。
吾これをなさんと決意すれば何事でも必ずなすことが出来るのである。
<感謝合掌 令和8年1月18日 頓首再拝>
恐れず、行動せよ! - 伝統
2026/03/26 (Thu) 11:35:17
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月26日)」より
まず恐れないで虎穴(こけつ)に降りて行かなければならない。
待っているということと、降りて行くということとは両立しないことではない。
恐ろしいものは何も出て来ない。
もし恐ろしい者に出くわしたら、それはただ仮面を被っているだけだから
恐れるにはおよばない。
まずそいつと取っ組んで征服し、その仮面を剥いでやるのだ。
すると本当はそのお化けの正体は
「幸福」というものであったことがわかるであろう。
<感謝合掌 令和8年3月26日 頓首再拝>
大胆に勇敢に - 伝統
2026/03/28 (Sat) 11:43:28
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月28日)」より
人間が心配していることは、すべて小さな重要でないことについてである。
真に重要なことの前には人間はかえって大胆に勇敢になるものである。
戦場に出れば人間はもう心配などしている暇がない。
心配していることそのことが、おん身の考えている事柄が
じつに小さな採るに足らぬことであることの証拠である。
これを知ったらあらゆる心配が消えてしまうであろう。
<感謝合掌 令和8年3月28日 頓首再拝>