伝統板・第二

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谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑯ - 夕刻版

2023/04/17 (Mon) 03:35:04


神の生命(せいめい)を感じる朝~吉田国太郎

           *「常樂への道」(P5~6)より

或る日の記 ―― 

昨夜の激しい雨をよそに、
今朝(けさ)は又素晴らしい晴天、目に沁み入る様な青さである。

昨夜、十国峠あたりには雪が来たらしく、今朝は山肌が白い。
湯河原相愛会の神崎一郎さんのお住居(すまい)は、
十国峠の望める広い蜜柑畑の中腹にある。

雑木の繁っている庭先に、
湯河原八景の一つに数えられている樹齢八百年を数える老松が
そびえている。名の由来は知らないが見附の松と呼ばれている。

樹下に立って空を仰ぐと、
八百年の年月を越しているとは思えない枝々の逞しさ。

虚空と呼ぶには余りにも清浄な深さを感ぜられる
空の清さ。《りん》とした大気の冷たさ。

朝のしじまの中に静かに照りはえる朝日の光。
時折きこえる小鳥の囀り。


一つ一つ値打のしらべられない感じである。
どれもこれも取り去りたくない感じである。

松も、虚空も、大気も、陽(ひ)の光も、小鳥の声も、
みんな一つである様な感じである。

何かが強く感ぜられる。

清く、高く、明るく、未だ動き出さない力強さ、
いつ迄もふれていたい感じである。

やはり、神の生命(せいめい)と云う以外
適当な言葉の無い様な何かである。

自(おのずか)らに瞑目する。

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・伝統・第一「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉 (100)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=59 


(2)光明掲示板・伝統・第一「伝道体験講話~大熊良樹講師 (420)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=105


(3)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」②
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6458658


(4)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」③
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6582228


(5)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」④
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6691070

(6)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑤
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6819394

(7)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑥
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7167361

(8)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑦」
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7788859

(9)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑧」
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7989007

(10)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑨」
     → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8298091

(11)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑩」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8301267

(12)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑪」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8304221

(13)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑫」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8307975

(14)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑬」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8310829

(15)谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑭
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8313692

(16)谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑮
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8316682


(17)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6620484

(18)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎②」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7220053

(19)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎③」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7912130

        <感謝合掌 令和5年4月16日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 25 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/17 (Mon) 15:25:40



生長の家 谷口雅春 詳密講習会 25 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/28)
https://www.youtube.com/watch?v=0m3DJ1Gsll8

          <感謝合掌 令和5年4月17日 頓首再拝>

神をあなたの恋人にいたしましょう~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/18 (Tue) 04:53:49


         *『真理』悟入篇 より

若(も)し、あなたが神を愛するならば
神と偕(とも)に対坐(たいざ)する時間を持ちたいと
思うのが当然でしょう。

そしたらあなたは神想観して、
ひたすら神を想う時間を持たなければなりません。

神想観を面倒くさいと云(い)うのは、
恋人と二人きりで会うのが面倒くさいと云うのと同じことです。

もう其(そ)の恋人を本当に愛していないのです。

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/ae5d8442f76fd0ae553e91fc03157dea
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-22)

          <感謝合掌 令和5年4月17日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 26 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/18 (Tue) 13:18:57


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 26 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/29)
https://www.youtube.com/watch?v=N5UF7UCDGFg

          <感謝合掌 令和5年4月18日 頓首再拝>

「感謝」こそ救いの根本~藤原敏之 - 伝統

2023/04/19 (Wed) 04:41:26


         * 藤原敏之(著)『すべてを癒す道』より

誰かに頼んで祈ってもらって、
苦難から逃れようとするくらい卑怯なことはありません。 

生長の家は、世間一般にあるような祈祷宗教ではありません。 
「拝み屋」 と間違えてはなりません。 

 
谷口雅春先生は、 

「神は私たちに真剣を要求し給う」 とも御教え下さり、 

「価を払わずして受けることだけを求めてはならない」 

とお示し頂きます。 

お金だけを払って、かわって祈ってもらうことによって、
幸せになろうなどと考えることは楽で、よいでありましょうが、
そんなところから自信も安心も絶対に生れません。 

正しい信仰が生れる道理がありません。


徹頭徹尾 自力の否定であり、感謝以外にはないのであります。 
祈りも感謝、愛行も感謝、神想観も聖経読誦も悉く感謝であります。

自己中心の祈りや行は、生長の家ではありません。 
目的や都合から出発した行は、どんなに完璧に出来ても、
不安を取りのぞく力とはなりません。 

やりながら不安を伴うのであります。 

それは心の底では自分を頼み、結果を期待していることになり、
肝腎の神様がぬきになっているからです。 
神様が抜きになっていて救われるはずがありません。 

神に全托したものは、あるのは唯感謝のみであります。 
感謝以外に努力は救いにつながる努力とはなりません。


『七つの燈台の点燈者の神示』 の中にも、
一にも感謝、二にも感謝、感謝、感謝、ただ感謝だけとあります。 

あまり感謝ということばが多いので数えてみましたら、
何とあの短い御文章の中に、十四回も感謝というおことばがあり、最後の方に、

 『その感謝の念の中にこそ、汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう』

とお示し頂いています。 

これをみても、生長の家がどんな教えであり、
どんな方法で救われるかが明らかであります。 

この 『七つの燈台の点燈者の神示』 は何十とある神示の中の、
根本の神示であり、み教えを代表する神示であります。

その神示で 「感謝」 がすべてであり、それのみが救いの根本である
とお示し頂いておりますから、私たちはその教えに素直に従い、
信じて行ずる以外に方法はありません。 

それ以外のことを考えたのでは、生長の家ではなくなります。



https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p15.html
晴れときどき(2013 年 12 月 07 日)

          <感謝合掌 令和5年4月18日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 27 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/19 (Wed) 14:42:09


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 27 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/30)
https://www.youtube.com/watch?v=QQckyh5WMKs

          <感謝合掌 令和5年4月19日 頓首再拝>

天皇陛下に顕れたる愛國心~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/20 (Thu) 04:54:20

 
吾々が祖国を見る場合、縦に時間的に久遠につづく “生命の系譜” を見、
横にはその生命が生き発展し築き上げて来た歴史的 “場” を見、
それを子々孫々に伝えることが、吾々の責任である

  ―  このような祖国愛の精神は昭和天皇陛下が、
終戦直前の御前会議で、ポツダム宣言を受諾すると仰せられて、
その理由をお述べになった御言葉の中にハッキリと示されているのである。 ――


『自分の任務は祖先から受けついだこの日本を子孫に伝えることである。 
 今日となっては一人でも多くの日本人に生き残って貰って、
 その人達が将来再び起ち上って貰う外に、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。 

 それにこのまま戦を続けることは世界人類にとっても不幸なことである。 
 自分はどうなっても構わない。 

 自分は明治天皇の三国干渉の時のお心持も考え、
 堪え難きこと忍び難きことであるが、この戦争をやめる決心をした次第である ・・・ 』

          (終戦時の鈴木内閣の内閣書記官長 迫水久常氏 『終戦の真相』)


「この日本を子孫に伝える」 こと、そしてその 「祖国愛」 が
同時に 「世界人類の福祉になる」 と云うこと。 

そのためには 「自分のことはどうなっても構わない」 と云う捨身無我の精神
  ―  天皇陛下はこの際、「祖国愛」 又は 「愛国心」 に就いての
模範を示されたのである。

祖国を子孫に伝えることが、同時に世界人類の福祉につながる。 
そしてそれは最早や 「執着」 ではなく 「捨身無我」 である。 

ここでは完全に昇華せられ、崇高化せられて、
最早や執着や煩悩ではなくなっているのである。

それは人類全体の福祉につながるものであり、
戦争を誘発する愛国心ではなく、戦争を不可能ならしめる愛国心である。

ここに至っては日教組と雖ももはや 「愛国心は戦争につながる」 
と云うような逆宣伝が出来ない崇高な愛国心となっているのである。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/57c429b38eb50f4f1ebae27ccc9df42c
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-08)

          <感謝合掌 令和5年4月19日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 28 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/20 (Thu) 15:26:51


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 28 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/01/31)
https://www.youtube.com/watch?v=riR2lKfUhBw

          <感謝合掌 令和5年4月20日 頓首再拝>

食物(しょくもつ)を神から頂いたものとして食べよ~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/21 (Fri) 04:49:20


            *『生命の實相』実相篇より

神から与えられた食物に人間を害するものは決してあり得ない。

私心(わたくしごころ)で、
「何を食(く)らい何を飲まんと思い煩(わずら)うて」得た
食物であってはならないのであります。


神は「全体の渾一(こんいつ)的生命」であり
調和の統体(とうたい)でありますから、

神の力で循環して自分の食膳(しょくぜん)に
上(のぼ)る物ばかりを食べていれば
自分の健康も調和して来るのであります。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a845c901057bd7269cbf53b5bb6188ac
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-23)

          <感謝合掌 令和5年4月20日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 29 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/21 (Fri) 13:03:14


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 29 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/02/01)
https://www.youtube.com/watch?v=igVN67f7WrI

          <感謝合掌 令和5年4月21日 頓首再拝>

縁なき衆生は度しがたし~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/22 (Sat) 04:56:23


        *『生長の家』(昭和44年12月号)より

迷いの中に苦しみ悩みながら、こちらが救けてあげたいと思うけれども、
宗教とか信仰とかいうものに興味のない人がたくさんある。 

このような人を救うにはどうしてあげたらよいのであろうか。

 
釈尊はこういう人の事を「縁なき衆生は度し難し」と仰せられた。 
「度す」というのは「済度する」ことである。 

実相光明世界 ― 即ち「彼岸」に度してあげたいけれども、
「縁」即ち触れ合う、機会が無いということである。 

肉体は互に触れ合い、目に触れてはいるけれども、
「機」即ち「心のはたらき」が互に「会う」ことがないのである。 

それは恰も、ラジオ放送電波は現実に今此処に到達しているけれども、
放送電波と受信機との波長があわないので、いくら「善き助言」を
放送してあげても、彼らは波長の合わぬラジオ・セットのようなもので、
心の触れ合う機会がないのである。

 
では、本当に「縁なき衆生は度し難し」なのだろうか。 
「縁なし」といって放置して見殺しにしておいて、よいものだろうか。 

現象面では波長が異なり、肉体は触れ合っていてすらも、
心は互に断絶していて互に触れることが出来ないかも知れないけれども、

実相は彼らも亦 “神の子” であり、本来 “仏性” であり、
彼らの生命の根元的な面に於ては互に密接に“一体”なのである。 

だから彼らを救ってあげようと思えば
彼らの生命の根元的な面で彼らと接触すればよいのである。 

即ち、彼らの「実相」の円満完全さを心で凝視し
礼拝する行事をつづけるのがよいのである。 

 
彼らにも“実相の完全さ”が宿っているのである。 
彼らの肉体は“実相”の波長には全然波長の合わない
迷妄の波長を起しているために、

“実相”と“肉体”との間が相互断絶していて“実相”は隠覆されて、
恰も眠ったような状態になっているのである。

私たちが彼らを救わんがために、
彼らの「実相」の円満完全さを凝視して礼拝するのは、
その眠っている「実相」に対して、波長の合う霊波を起して
「実相」を霊波で叩いて目を醒まさせて「実相」のハタラキを
表面にあらわすためなのである。

実相礼拝の行事によって、恰も「縁なし」と見える衆生の仏性を
目醒めしめようとせられた方が、法華経の“常不軽菩薩”なのである。 

この菩薩は「われ常に軽んぜず」と唱えて、いかなる浮浪者でもヤクザでも、
また彼を石をもって打擲しようとした者すらをも、

「あなたの実相は“如来”でいらっしゃいます。
 当来必ずその如来の実相のあらわれる方であります」

といって、ひたすら相手の実相たる“内在の如来”を礼拝したのである。

生長の家人の生き方は、この常不軽菩薩の生き方をすべきである。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p16.html
晴れときどき(2013 年 12 月 10 日)

          <感謝合掌 令和5年4月21日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 30 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/22 (Sat) 13:59:50


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 30 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/02/02)
https://www.youtube.com/watch?v=Ocu-UJk5uik

          <感謝合掌 令和5年4月22日 頓首再拝>

山も信仰により動くという絶対真理を知れ~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/23 (Sun) 03:35:23


        *『希望実現の鍵』 より

吾々自身の信仰は如何なる大いさをもてる信仰か、完全な絶対的なものであるか、
或いは実際いと小さきものであって、芥子種にも比すべきものであるか、
又如何にその種を培いつつあるのであるか、

吾々は消極的な理念や否定的な言葉の雑草をとり除いて
水と日光とを豊富に潅ぎかけ、積極的な明るい想念を以てその緑地を耕し、
イエスの教え給いし神の法則に最後まで従っているのであろうか。

 
吾々は内部的な喜びの感情を以て吾が中にある芥子種程の信仰を培って
毎日毎時間、その信仰の種が成長し、やがて如何なる大いなる山をも
動かし得る信仰まで、それが成長することを静かに心を落ちつけて待つべきであります。


吾々はこの信と喜びとの資格を与えられているのである。 
なぜならわが中にある種は、如何に小さくとも、その信仰は
必ずや速かに成長してやがて山を動かす一大信念になるに違いないからである。 

信仰の力に抵抗し得る何ものもないのである。 
信仰の前には山もくだけて無に帰するのであります。

諸君の魂の中には少なくとも今、芥子種にも比すべきいと小さき信仰はあるのである、
その信仰の種は金剛不壊のものであって、それが一度、植えつけられて居れば、
決して抜き捨てられることはないのです。 

それはやがて成長して、輝かしき完全な信仰にならずにはおかないのであります。 
かくならしめるためには、諸君は毎日毎時毎瞬真理の法則に従って
生活すればよいのである。


此の真理の法則とは如何なるものであるか。 
それに就いてイエス・キリストは詳しく説明しているのであります。 
彼は山上の垂訓に於てそれを説いて。

「されば、わが言葉をききて此れを行うものは、巖の上に家を築く賢者にたとえられん。 
 雨降り、水溢れ、風吹きすざび、その家をうつとも倒るることはなけん。 
 なんとなれば、それは、巖の上に築かれておればなり」

芥子種程の信をもちてさえ、イエスの教えを忠実に遵奉し築き上げて行く時に
巖の上に堅固な家を立てることができるのである。 

かかる人は目の前に迫る現象に惑わされはしないのであります。 

なぜなら諸君の信仰の種は巖の上に建てられる家の如くに必ず成長する。 
何ものをもってしてもその成長を阻むことはできないのであります。 

やがて時が来ると驚くべき短時日の中に山が崩れて、
山が海にまで入るときが来るでありましょう。


諸君、このことを汝の肝に銘ぜよ。 

汝の前に未だ動かざる山を見て、嘲り笑うこと勿れ。 

諸君は今や絶対に、その山が動いて海に入り得るものであることを知っていただきたい。 

斯くならしめ得るとは山も信仰により動くという
絶対的真理の認識に依って始まるのであります。 

これを知り認めるならば如何にそれは僅かであろうとも、
目の前にある山は既に動き出しているのであります。 

諸君の内奥の切実なる魂は之を知っているのであります。 
なぜならば、諸君の魂の奥殿には、芥子種にも比すべき信仰の種が
必ず蔵されているからであります。 

時々刻々、この瞬間にも成長しつつあるのです。 
時々刻々あなたに幸福が近づいて来つつあります。 

それを信ずるものは幸いなるかな。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/bfea819a25cee2a90d8d714788888ef2
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-12)

          <感謝合掌 令和5年4月22日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 31 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/23 (Sun) 18:25:29


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 31 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/02/03)
https://www.youtube.com/watch?v=UHAUFCnVqoM

          <感謝合掌 令和5年4月23日 頓首再拝>

富とは愛と智慧と生命の結晶である~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/24 (Mon) 04:52:09


         *『生命の實相』観行篇 より

愛と智慧と生命とは目に見えない存在
 ー すなわち「心的(しんてき)存在」でありますが、

「富」はすべてこの心的存在の具象化(ぐしょうか)でありますから、
実は 「 物質 」そのものではなく、「 富 」の本質は 「 心 」であります。


だからわれわれが心の世界にまず無限の富を実現すれば、
現象界に無限の富が実現するのであります。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/f9ad877b4cb2d683e55391a51ec99230
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-24)

          <感謝合掌 令和5年4月23日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 32 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/24 (Mon) 14:15:02


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 32 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/02/04)
https://www.youtube.com/watch?v=hLFEdP-kFz4

          <感謝合掌 令和5年4月24日 頓首再拝>

神様への報恩 法供養~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/25 (Tue) 04:53:17


        *『維摩経解釈』より 

たゆまない真理の実行を通して、不退転であってのみ、
菩提〈さとり〉を成就することができるのであります。 

或る人は法供養のほかに、行供養というのを説いておられます。 
「行即ち行いの伴わない信仰は空念仏で功徳はない」 と
生長の家でも説いているのであります。

人を救う実行〈行〉をすることが、仏様又は神様への報恩であり感謝であります。 
自分だけ救われたといって、「ハイ、サヨウナラ。 有難うございました」 と
去ってしまうような人は、少しも救われていない。 

ただ其の人は利己主義になっただけの事であります。

自分が得をして他に報いないのは一種の 「奪う」 行為であり、
それは魔境でありまして、一つの誘惑でありますから、
これを克服しなければなりません。 

そういう利己主義的な救われ方は、因縁の法則に逆行するものでありますから、 
「奪うものは奪われる」 の法則によって、一時はお蔭を得たようになっていましても、
やがては其のお蔭が消滅してしまうのであります。

仏の成したまうた其の通りを自分も実行して大慈悲を行なうのが行供養で、
これこそが大慈悲であり法供養であります。 

更に法供養は、供養されたる衆生が真理を語ってそれを他に及ぼす
菩薩たらしめなければならないのであります。 
これが 「能く衆生をして道場に坐して法輪を転ぜしむ」 であります。

法輪とは真理の説法のことであります。 
生長の家でいうならば、すべての誌友を講師化して
法輪を転ぜしめるようにするのが法供養なのであります。 

しかし、その転法輪の法供養を 「わたしが彼に法供養してやっている」 
という風に恩に着せがましい 「与え方」 をしているのではいけないのであります。 

「我なく人なく衆生なく」 というのはそれであります。

「寿命なく」 というのは、寿命は時間でありますから 
「何時」 わたしは法供養したということもないのが本当であります。 

「わたしはこんなに身命を賭して衆生を教化しているのに、
 本山では報いようが少ないから生活に困難である。 
 だからわたしは救ってあげた人たちから謝礼金を貰って生活するのが当然である」 

などという布教師があるとしたならば、
それは、 「我なく人なく衆生なく」 とは言えないのであります。

施しをしたり、供養をしたり、人を救ったりするのは、 
「空・無相・無作・無起」 でなければならないのであります。 

すべての人間は既に実相においては救われているのでありますから、
現象界にどんなことがあらわれておろうとも、それは空であります。 
相をあらわしていながら無相であります。 

作(はたらき)をしながら作をしていないのが無作であります。 
起っていながら無起すなわち起っていないのであります。 

これを反転して申しますと、
無相のままで適当な相をあらわし、働くことなくして、適当な働きをあらわし、
われが起すということもなく、適当なことが起こり、 
任運無作神通自在 になることであります。 

これが本当の法供養であります。

人を救けてあげながら、お礼を言われると、 
「何時私があなたを救けましたか?」 と忘れてしまっているようなのが
作(な)さずして作(な)す、無相の法供養であります。


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晴れときどき(2013 年 12 月 11 日)

          <感謝合掌 令和5年4月24日 頓首再拝>

谷口雅春先生 詳密講習会 33 宇治別格本山 - 伝統

2023/04/25 (Tue) 11:47:57


生長の家 谷口雅春 詳密講習会 33 宇治別格本山
妙楽天国( 2017/02/05)
https://www.youtube.com/watch?v=NHro9Vev4E4

          <感謝合掌 令和5年4月25日 頓首再拝>

天慈照照 ― 萬教の帰一するところ天皇信仰にあり~岩崎 時久 - 伝統

2023/04/26 (Wed) 04:47:00


          * 『光の泉』(昭和59年8月号) より

山陰の一小村の農家に生れた私は“おしん”とまではゆかないが、
まあ似たような貧しさのうちに生れた。 

父は病身であったがとても厳格であった。 
兄弟は男3人、その末っ子が私である。

末っ子の甘えん坊でいつも母と寝たものだが、たまたま父と寝ることもあった。 
父は昔話をよくしてくれたが、今でも心の底にしみついているのは、

 「日本で一番えらい方、尊い方は ・・・ 天皇陛下である」  

と語ってくれた言葉である。

尊いという意味がわからないので聞き返すと、
「それはなあ、ありがたいお方というこだ」  と言う。 

その父の顔を見ると何となくわかるような気はして“ふん”といって寝たものだ。

 
小学校では “紀元節” “天長節” “明治節” など、
国の祭日はすべて天皇陛下中心で、校長先生からありがたいお話をきき、
“紅白”のお餅をもらってふところに入れ、落ちないように手でおさえて家路を急いだ。 

歴史も “神代時代” の天照大御神から始まり、
天孫降臨、神武東征、神武建国、八紘為宇 と、血の湧く思いで学んだものだ。


天皇陛下の御玉姿を私が初めて拝したのは、「山陰路行幸」 のおりであった。 
当時、村の消防士が各駅、踏切等を警備したものだが、私もその一員として、
知井宮駅に近い踏切りで唯一人御警備申しあげた。

お召し列車の音が‘ごうごう’と近づいてくると、何か緊張感が増してきて、
鼓動が高鳴ったことを今でも覚えている。

 “ ・・・ 日本で一番えらい、尊い方、ありがたいお方の
   御姿を拝することが出来るかも知れぬ ・・・ ”

駅に近いせいか、お召し列車は速力をおとして通過した。 
私は目を皿のようにして、お召し列車の窓を一心に見つめた。 
と、一瞬、菊の御紋章があざやかに目に映じたと思うと、

“あっ!” 何と陛下は直立不動の姿勢をされ、こちらを向かれ敬礼されているではないか!!  

そこには私一人しかいないというのに ・・・ 。 
私は胸の底から熱いものがこみ上げてきて、流れる涙をどうすることも出来なかった。

あとで人の語ったところによると、天皇陛下は、お召し列車の中では
殆どお坐りにならないでお立ちになり、窓外にお向きになっていらっしゃるという。 

それは、田圃の中で作業をしている人は手を休めてお召し列車にお辞儀をする、
踏切りなどでたとえ一人でも陛下を拝している者があるかも知れぬ、
それらに対してこたえねばならないとの大御心からであるという。 

まことに勿体ないことである。 
あの時、天皇陛下は、唯一人の私に敬礼をして下さったのだ。


2回目に御玉姿を拝したのは、特務講師として生長の家本部勤務を命ぜられていた頃、
4月29日の天皇誕生日に、本部の誰かにつれられて皇居に参賀申した時である。

手に手に日の丸の小旗を持った沢山の人波の中で待つこと暫し、
天皇陛下、皇后陛下を始め各殿下が玉台にお立ちになった。 
私はこんなに沢山の皇族の方々を御一緒に拝するとは思わなかった。

何か大きな感動が身をふるわせた。 
誰からともなく 「天皇陛下万歳」 の絶叫があがった。 

それに合わせ日の丸の小旗が一斉にあがり、「万歳 万歳」 の大合唱となった。 
私も一所懸命 「天皇陛下万歳」 「天皇陛下万歳」 と叫んだ。 
“ああよかった、日本人に生れて本当によかった” ・・・ 涙がとめどなく流れた。

その夜本部で床についた時、霊界から父の声を聞いたような気がした。 
「日本で一番えらいお方がわかったか」。 
知らず知らずのうち、涙が頬を伝わった。


昭和34年春、立教30周年記念のよき日、
尊師・谷口雅春先生より本部講師の大任を拝し、大いに感動した。 

私は心の底に誓った。 

『生長の家は “萬教の帰一するところ天皇信仰にあり” ここに我が本命あり』 と。 

それから各地に於いて講演をする時は、必ずといってよいほど 
「天皇陛下」 の御話を謹んで申しあげている。

 
昭和53年5月、第1回徳島練成会の時、首が廻らないという島田さんが参加された。 
聞いてみると、何と1週間ぶっつづけてマージャンをやったあげく、首が動かなくなったという。 
まさにマージャン連続世界記録ともいえよう。

この島田さんは生長の家は初めての方。 
3日目の夜の浄心行の時、「お父さん、ありがとう ・・・ 」 と
みんなで言うのがどうしても言葉に出せない。 

同化出来ない自分がなさけない、と一段と大きな声で 
「お父さん、ありがとうございます」 と誰かが叫んだその声に、
思わず島田さんも大声で 「 ・・・ お父さん!」 と呼ぶことが出来、
しかも後から後から涙が溢れて仕様のない島田さんになっていた。 

まさに神性が開発されたのである。

さて、練成会4日目、画竜点睛の日。 愛国心と天皇陛下中心帰一の講話である。 
島田さんは一心こめて聞いた。

「天皇陛下がマ元帥に会見された時、
 陛下が “我が身はいかようになろうとも ・・・ ” と、
 臣の助命願いをされた時、陛下の龍顔には流れる涙とめどもなく床に落ちた」

ここのところまで話が進んだ時、島田さんは熱い涙が溢れてきた。 

そして心底から、

「ああ、我れ過てり、我れ過てり。 我れは国家のダニであった。 
 天皇陛下のこの暖かい御恩徳の袖に包まれて今日の自分があったのに、
 その事を少しも知らず、毎日家業を捨ててマージャンにうつつをぬかしていた。 
 全くもって申訳ない! 
 これから心を改めて家業に勢出して、世の為、国の為に尽さねばならぬ」 

と、深く深く誓ったのである。

その夜ぐっすり眠り、練成会5日目〈最終日〉の朝、
何ともよい気分で起きた島田さんは、早朝行事後のラジオ体操の時、
大きな声で叫んだ。 

「あっ! 首がまわる! 首がまわる!」 
練成員一同も島田さんの手をとって共に悦んだ。 

島田さん曰く、
「首がまわることが、こんなにありがたいことであることが初めてわかりました」


尊師は 『天皇信仰』 の御言葉の中で次の如く教示されている。

「 ・・・ わたしの 『生命』 を愛護すること勿れ。 
 生命が尊きは天皇の大御いのちの流れであり、岐れであるが故に尊きなり。 

 寸時も 『天皇のみたまのふゆ』 なることを忘るべからず。 

 『天皇のみたまのふゆ』 なることを忘れるとき、
 人は悪逆無道の迷妄の徒となるなり」

 
私達は皆神の子であり、勿体なくも天皇様の御慈光の現れであったのだ。 

「日本で一番えらい方は ・・・ 」 と言った父も、
幼心に‘ふん’と聞いた子も、御召し列車を拝して感激した涙も、
やっぱり天皇陛下がよかったといった女性徒も、首のまわらなかった島田さんも、

すべて “真心” に於いて一つであり、天皇陛下に於いて一つであったのだ。



https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/5b2f6bb283dc758a3ce132073df95edc
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-13)

          <感謝合掌 令和5年4月25日 頓首再拝>

現代を預言する古事記① - 伝統

2023/04/26 (Wed) 12:44:31

現代を預言する古事記①
無礙光(2014/07/20)
https://www.youtube.com/watch?v=hMS4HtW4A7E


ニコニコ動画

【講義】現代を預言する古事記【谷口雅春】1
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13205031


          <感謝合掌 令和5年4月26日 頓首再拝>

言葉は“強力な具象化(かたちにあらわす)”の力を持っている~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/27 (Thu) 04:51:44


          *『生命の實相』幸福篇 より

われわれは自己の運命ラジオのアナウンサーである。

われわれ自身が言葉に発(はっ)するとおりに
現象世界があらわれてくるのである。


だから常に自己の欲(ほっ)することを、希望することを
あたかもすでに実現せるがごとく想念し言葉に出すように
つとめなければならない。


そして言葉に出す場合にそれを信じて出すことが必要である。


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住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-25)

          <感謝合掌 令和5年4月26日 頓首再拝>

現代を預言する古事記② - 伝統

2023/04/27 (Thu) 18:30:25


現代を預言する古事記②
無礙光(2014/07/20)
https://www.youtube.com/watch?v=k_n_WmXU4Jg


ニコニコ動画

【講義】現代を預言する古事記【谷口雅春】2
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13205857

          <感謝合掌 令和5年4月27日 頓首再拝>

罪本来なし~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/28 (Fri) 04:53:55


         *『生命の實相』より

神に祈るのは、自分の犯した罪を不当に赦してもらおう
などという甘い考えでやるのは卑怯なことです。 

神様を対立的に置いて口先で神様にあやまったからとて、こびたからとて
罪というものは消えるものではないのです。

 
罪が消えるのはただ吾々が絶対無罪の 「吾が実相」 に
溶け込んだ時のみであります。

暗黒は口先で謝罪したからとて消えるものではないでしょう。 

暗黒が消えるのはただ光に照らし出される事によってのみであります。 

どうしても自分自身の救いが成就するには、
本来自分自身が 「神の子」 であることが条件なのです。 

自分自身の本来相が 「光明遍照」 であり、
自分自身の本来相が 「智慧円満」 であり、
自分自身の本来相が 「生命無量」 であることによってのみ
その本来相に帰入する

 ―― 即ち吾が実相に帰入することによってのみ救われるのであります。
            

https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p16.html
晴れときどき(2013 年 12 月 13 日)

          <感謝合掌 令和5年4月27日 頓首再拝>

現代を預言する古事記③~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/28 (Fri) 13:09:26


現代を預言する古事記③
無礙光(2014/07/20)
https://www.youtube.com/watch?v=A1Ff12i_WZ0


ニコニコ動画

【講義】現代を預言する古事記【谷口雅春】3
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13219239

          <感謝合掌 令和5年4月28日 頓首再拝>

何を以て報いん~木牟禮 民男 - 伝統

2023/04/29 (Sat) 04:48:05


         *昭和57年9月8日 生長の家栄える会 第10回九州ブロック大会

この鹿児島県には沢山の特攻基地があります。 
知覧、鹿屋、串良、出水、指宿、鴨池 ・・・ 中でも、
あの知覧特攻基地には零戦が飾られ、特攻隊の銅像が刻まれております。 

初めてお参りしたとき、礼拝させて頂いてからつぶさに境内をみせて頂きましたら、
大迫亘さんの 「少年航空兵の霊に捧ぐ」 という一篇の詩が刻まれておりました。

 『一死殉国護国の鬼となり国恩に報いん  
  血潮は梯悟(でいご)の花に似て真紅の花片(はなびら)散乱し珊瑚礁を色彩(いろど)る
  国の彼方に鳴くや鴎か群れ千鳥
  年去り年を迎えて30年
  玉と砕けし勲功(いさおし)を顧る人も今は無し
  日本人の心頽廃し泥濘(ぬかるみ)の如し慙愧深甚たり
  少年の心に何を以て報いん』

山岡壮八さんも 『小説太平洋戦争』 の中で書いておられます。 
あの鹿屋特攻基地に従軍記者として勤めていたときに、
わずか15、6歳の少年が片道だけの燃料と爆弾を積んで、
「行って来まーす」 とまるで遠足に出掛けるような気持で毎日毎日、
飛び立ってゆき、再び帰ってはこなかった

  ―  そういった少年たちの心に何をもって報いたらいいのであろうか。

知覧特攻基地からは3千名以上の若人たちが散ってゆきました。 
それを見送った人の中に、あの有名な “特攻お婆さん” と
いわれた鳥浜とめさんがおられます。 

この間お会いしましたら、生長の家に入っておられまして、
激動の中を通ってこられた人にしては余りにも和やかな顔を
されていたのをみて安心しました。

知覧にはたくさんの逸話が残されております。 

一人の特攻隊員が鳥浜とめさんに久しぶりに会ったために、
トラックから飛びおりて左腕を折ってしまった。 

出撃の日が近づいているのに風呂にも入れない。 
鳥浜さんは風呂をわかして入れてやった。

 「そういう手で出撃することはできないでしょう。 
  早くよくなって、それから出撃しなさいよ」

 「そういう訳にはいかないんです。 
  私がゆかなければ、日本はどうにならないんです」

そう言って、その隊員は操縦桿に腕をしばりつけて、その翌る日、出撃していった。 
わずか18歳の少年でありました。

鴨池には “貴様と俺の碑” というものがあるそうですが、
私はまだ行ったことがありません。 

偶々乗りあわせたタクシーの運転手さんに訊いてみました。

 「知っています。 私が小学校6年生のときでした。 
  B29の編隊がここへやってきて、間違いなく落とされると知りながら、
  あの赤トンボという練習機に乗って、
  15、6歳の少年たちが飛びあがってゆきました。 
  そして死んでいったんです。 
  そういう少年たちの霊を弔うために、碑がたてられているんです」

 
そういうような特攻基地が沢山あります。 
そして、それら若人たちにも、恋人もあり、兄弟もあり、親もあり、
夢もあったはずであります。 

おそらくそういった霊(みたま)たちが、 
「生長の家さん、頼みますよ」  と、
霊界から声援を送っているような気がしてならない。


谷口雅春先生の御教えを奉ずる私たちこそが、
陛下の御心を知り、陛下の御心を心として、
祖国救済の難に飛びたっていった若人たちに何をもって報いたらいいのか、
ということを考えたときには、やはり、
生長の家の御教えを拡げるほかに、その方法はないと思うのです。

皆様方が、それぞれの場にありながら、生長の家の御教えを拡げていただいて、
国と共に栄える栄える会になっていただくよう心からお願いいたします。


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VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-14)

          <感謝合掌 令和5年4月28日 頓首再拝>

現代を預言する古事記④~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/29 (Sat) 13:31:45


現代を預言する古事記④
無礙光(2014/07/20)
https://www.youtube.com/watch?v=nbAebgLNVoI


ニコニコ動画

【講義】現代を預言する古事記【谷口雅春】4
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13219665

          <感謝合掌 令和5年4月29日 頓首再拝>

本当の特効薬は、自分の内(うち)にある生命力である~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/30 (Sun) 04:40:36


          *『生命の實相』生命編 より

外的(がいてき)薬は一時(いちじ)ききましても、
これにたよる習慣をつけますと、

人間生命が物質に左右されるものだとの迷信を増長さし、
自分の生命力が十分発揮できないのは、

ちょうどいつも杖をついて歩く習慣をつけると、
ひとり歩きのできないのと同じことです。


神は病気を造り給(たま)わないから、
病気に対応する薬物を造り給うはずはない。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/9dff2a9b804d24892987bbc3cf7df349
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-26)

          <感謝合掌 令和5年4月29日 頓首再拝>

神癒のための集中講義①~谷口雅春先生 - 伝統

2023/04/30 (Sun) 14:18:40


神癒のための集中講義①
無礙光(2014/07/26)
https://www.youtube.com/watch?v=HevlJrnGpPw

          <感謝合掌 令和5年4月30日 頓首再拝>

礼節を大切にすべし~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/01 (Mon) 04:54:41


       *『生長の家』(昭和45年9月号)より

礼節は実相の秩序が、日常生活の秩序となってあらわれて来たものである。

秩序には必ず長幼の序が伴わなければならないのである。 
近頃の若い人は、長幼の序の破壊が民主主義であるかの如く教育されている
けれども、とんでもない間違いである。

“礼”は“ノリ”とも訓む字であるが“ノリ”は“宣り”であり
“コトバ”であり、実相世界にある生命の秩序あるリズムである。 

それが動き出して現象世界にあらわれれば、
それが“礼”となり“節”となるのである。

 
“節” は竹のフシのことである。 
竹のフシは無闇矢鱈に伸びていないで、
一節々々秩序あるリズムをもって列んで、
節毎に太さと長さが異なっているのであり、それが長幼の序である。 

その節によって、竹の幹は強化せられるのである。

人間の団体(家庭を含む)は長幼の序があるによって強化せられるのである。 
学校で赤い先生に長幼の序を破ることを民主主義の“人間の平等”だ
などと教えられ、親や目上に対して、まるで召使に言うような
ゾンザイな言葉使いをする子供があるが、

そんな家庭は実相の秩序の上に建っていないから
基礎が脆弱だというほかはない。


礼節は、誠心(真心 ― 実相の心)のあらわれとして、
それが作法にあらわれて来る時に価値があるのである。 

誠心(まごころ)なくして形ばかり慇懃丁寧な場合には、
「慇懃無礼」というものであって、
実相世界の秩序のリズムがあらわれていないのである。 

それは時として虚礼といわれ、内容が虚しくして、
唯、形ばかりの礼儀を正しくしているので偽善でもあるのである。


礼節のうちには“謙り”の美徳がある。 
自己の徳や善行を表面に出さないで下座にすわるのである。 

自分の功績を麗々しく人々に吹聴するのはまことに聴きぐるしい
ものであるが、功績あってもそれについて傲らず、驕慢な態度に出ないものは、
まことに奥床しい感じがするのである。

“奥ゆかしさ”というものは、露骨の反対であって、
奥に実相の美しさを秘めながら、ほんの僅かその美しさが
花の蕾のようにのぞき出して余韻をゆたかに残しているのである。 

自分が出しゃ張ることによって、他の人の光を遮ることがあってはならない
という深い実相の“心ばえ”が顕れた姿である。

茶花に椿の花を活けるときには、ほんのまだ蕾で、
中心にチラリと花の色が見えそめているのを活けるのがよいとせられているが、
それが“奥ゆかしい”姿である。 

人間もそのようであるのが礼にかなうのである。


傲慢にみずからを高しとする者は却って貶され、
謙虚にみずからの徳を隠して陰徳を積む者は却って
高められ尊敬せられるのである。 

徳を積み、光を重ねるとも、傲慢にそれを外に向って告げれば、
既にそれは報いを受けたのであるから、過去の積徳は帳消しになった訳である。

徳を積み光を重ねながら、みずからを隠す者は、
その積徳が霊界に貯えられ更に利子がついてイザという時、
大業をなすための貯えとなるのである。 

早く報いを求める者は、早く貯金を引出して消費してしまう者に似ている。



https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p16.html
晴れときどき(2013 年 12 月 13 日)

          <感謝合掌 令和5年4月30日 頓首再拝>

神癒のための集中講義②~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/01 (Mon) 15:39:46


神癒のための集中講義②
無礙光(2014/07/26)
https://www.youtube.com/watch?v=T86R1dlUM5g

          <感謝合掌 令和5年5月1日 頓首再拝>

『人類光明化の選士を讃えて』 に相応しい青年であるか~加藤 榮太 - 伝統

2023/05/02 (Tue) 04:38:44


        * 『理想世界』(昭和34年7月号)より
          ~生長の家青年会中央執行委員長(加藤 榮太)

(前半略)

谷口雅春先生より 『第二青年の書』 にて 
「人類光明化の選士を讃えて」 のお言葉を吾々は賜りました。

吾々は、この谷口先生の 「選士を讃えて」 とのお言葉に
ふさわしい内容とならなくてはなりません。 

又その内容に相応しい積極的な行動を展開いたさねばなりません。 

「人類光明化の選士を讃えて」 の御文章の各処で
お示し頂いております如く、吾々の運動は日本の祖国守護の運動であります。 

「生活がよくなったらよい、病気が治ったらそれでよい、
 就職さえ出来たらよい、入学さえ出来たらよい」 等々の、
ただそれだけの運動に‘あらず’ということを各自しっかりと
銘記して頂きたいのであります。

『生命の實相』 の真理を研究しようとか、
霊的文化体系樹立は一体出来るんだろうか、出来ないんだろうか、
又、この青年会運動は本当に意義があるんだろうか、ないのだろうか
 ・・・ そういう右顧左眄、躊躇逡巡することは、
この際、はっきり際断いたしましょう。

そして、本当に、谷口雅春先生の 「人類光明化の選士を讃えて」 
のお言葉にふさわしい内容と行動の持主になりましょう。 

谷口雅春先生のお示し下さいますただ一筋の道をまっしぐらに
前進いたそうではありませんか。

この純粋に真理を行じる生活の中に於て、
吾々は真の生き甲斐を見出すことが出来るのであります。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/20bb1b84cc3e458740d67c97068385de
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-14)

・・・

<参照>

谷口雅春先生・著「第二青年の書」第二十章 人類光明化運動の選士を讃えて

(①)https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12738263838.html

(②)https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12738446200.html

(③)https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12738611766.html

(④)https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12738776017.html

(⑤)https://ameblo.jp/sbmaitnanixy/entry-12739054899.html

          <感謝合掌 令和5年5月1日 頓首再拝>

神癒のための集中講義③~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/02 (Tue) 19:57:08


神癒のための集中講義③
無礙光(2014/07/26)
https://www.youtube.com/watch?v=Wj-huPXN0Fo

          <感謝合掌 令和5年5月2日 頓首再拝>

困難にたわむれるとき、無限生命力が湧(わ)いて来る~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/03 (Wed) 04:33:57


        *『生命の實相』生活篇 より

軽業師(かるわざし)が綱(つな)の上を渡らないで、
平坦(へいたん)な大道(だいどう)を歩くだけならば、
誰も喝采(かっさい)する者はないであろう。


梅の花は烈々(れつれつ)たる寒風(かんぷう)の中で
開(ひら)くので喜ばれるのだ。


兄弟よ、わたしは苦しみに耐えよとは言わない。

「生長の家」では苦しみに戯(たわむ)れるのだ。

いかなる苦しみをも戯れに化(か)するとき人生は光明化する。



https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/61d546e60cce15dec975061c5fe2f231
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-27)

          <感謝合掌 令和5年5月2日 頓首再拝>

神癒のための集中講義④~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/04 (Thu) 19:01:18


神癒のための集中講義④
無礙光(2014/07/26)
https://www.youtube.com/watch?v=0HVNVlzIhMw

          <感謝合掌 令和5年5月4日 頓首再拝>

あなたの職場を地上天国にせよ - 伝統

2023/05/05 (Fri) 04:15:08


        *『生長の家』(昭和40年8月号)より

毎朝の人生の出発にあたって、神想観と祈りとによって、
神との一体感を深めるようにするならば、その日いちにち
神との一体感を持続して生活することができ、

一日中 神に護られ、神に導かれて
何事も順調に事が搬ぶようになるのである。

神と偕に生活することができるならば、
人生のあらゆる場面に於いて周囲の人々と調和することができ、
あなたの周囲の人々から尊敬と愛と深切とをもって
迎えられることになるのである。 

神は無条件に吾らに与えていたまうのである。

では、“神の子”たる吾々も人々に
無条件に与える心で仕事を誠実に行うべきである。 

賃金や給料で自己の労力を評価してはならない。 

若し賃金で自分の肉体を売るような気持があれば、
その人は売買されたる奴隷の心境である。 

無条件に人類に奉仕する心境のみが神の子の心境である。 
賃金はその奉仕に対する謝恩として自然に与えられて来るのである。

無条件の奉仕 ―― それに対する感謝・謝恩 ―― そのような社会が
“神の子”たちの形成する地上天国である。


事業に躓いて来たときには、事業が今まで自分に与えて来た
恩恵に対して感謝が足りないで、唯、その事業から“甘い汁”を
吸って来たに過ぎなかったことを反省して、その事業に感謝するがよい。

時代の推移や経済構造の変化や新しい発明等によって、
過去に繁栄してた事業でも衰微して来て、販路が益々縮まることもあり得る。 

常に神想観して神の叡智を受けている者は、
その遷り変りに速やかに対処して自分の事業に
新しい転換を与えることができるのであるが、

神想観による「叡智の受信」を怠ったり
事業に対する感謝を忘れたりしていると行詰ることになるのである。

併し、今からでも遅くない、今までの事業を止めるにしても、
方向転換するにしても、その事業に感謝し、而してのち、
神想観を毎日、怠らず実修することにして神の叡智の導きを受信して
それに従えば、新たに活路をひらくことができるのである。


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晴れときどき(2013 年 12 月 16 日)

          <感謝合掌 令和5年5月4日 頓首再拝>

神癒のための集中講義⑤~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/05 (Fri) 18:26:02


神癒のための集中講義⑤
無礙光(2014/07/26)
https://www.youtube.com/watch?v=DQT06f5Z--g

          <感謝合掌 令和5年5月5日 頓首再拝>

合掌は神の子の生命を礼拝する感謝行 ― 合掌三昧 ~ 深田 保 - 伝統

2023/05/06 (Sat) 04:48:38


          *『生長の家』(昭和60年8月号)より

私が生長の家にふれたのは、昭和15年の春だった。 
それから大東亜戦争や、終戦直後の混乱もあって、
9年近く生長の家から遠ざかっていた。 

そして昭和25年の暮、兄に連れられて赤坂の生長の家仮本部を訪れた。 
そのとき、先ずびっくりしたのは、事務室に入るとすぐ入口に居られた方が 
「ありがとうございます」 と合掌された事であった。

入信当時、谷口雅春先生の御講話も何回か聞かせていただいて感激したが、
その頃は御講話に入る前に、谷口先生が合掌されていたことは鮮明に覚えていた。 

しかし会う人毎にお互いが合掌していただろうか? 
と一瞬何年かの空白の時間を感じて、合掌されているその方に
合掌しなければ悪いような、しかし恥かしくて合掌なんか出来なかったのである。 

第一、手の合せるのは神社や仏様を拝むときとか、
御葬式の時じゃないかという常識的な反発もあって、掌が上へ挙らないのである。

その時、私は失業中で兄に相談したところ 

“私は今、相愛会の東京都連合会長を拝命しているんだが、
 仕事が忙しくて、中々思うように奉仕が出来ない。 
 しばらく手伝ってくれないか” 

ということで、生長の家につれてこられたのである。 
これから当分ここで手伝うんだなあ  ―  という気持と、
会う人毎に合掌するのは嫌だなあ  ―  という気持が、
心の中をかけめぐった。

紹介もすみ、連合会事務局の主事をしておられた、
竹内実次先生にも引き合わされたが、
この時も矢張り合掌されて又びっくり、
とにかく明日から出勤というみとになって、

生長の家に接する第一印象は “合掌” ということになったのである。

合掌すること  ―  なれてしまえば何でもないが、
しかし又それだけに、何の意味もない合掌では形だけに終ってしまうのである。

『人間苦の解放宣言』 という御本の中に、最初に出てくるのが 
「拍手および合掌の意義」(11頁) である。

「生長の家の練成道場へはじめて参加する人達が第一に驚くことは、
 玄関の入口に一歩入ると、道場の職員たちが、その人を合掌して 
 “ありがとうございます” と唱えながら礼拝してくれることである。 

 初めて参加した人のなかには、色々の悩みをもっていて、
 少しもありがたくないと思っている人たちもたくさんある。 

 そのような人達は、“ここは瘋癲病院とちがうか。 
 何が一体ありがたいんだろう。 こ
 のありがたくもない自分を拝んでいやがる” と思ったりするのであるが、

 やがて数日たつと、その合掌礼拝の意義がわかってきて、
 自分もまた、合掌礼拝する人間になってくるのである。 

 そこからその人の幸福生活が始まる。

 玄関で先ず “ありがとうございます” といって拝まれる
   ―  その時、既に魂の試練が始まっているのである。 
 それが道場の練成第一課なのである」


私はこの事がわからず、唯はずかしいから嫌だ、いうことで
この尊い姿を心で否定してしまって 
「私は納得するまで合掌しない」 と決心した。

しかし、その私の決心はそれから何日もたたないうちに見事に砕けた。 
理屈も何もない。 気がついたら “合掌” していたのである。

昭和26年の1月2日、3日と新春特別講習会があり、
4日から7日までは指導者特別教修会が開かれ、
私は下足番の役を与えられた。 

来る方も来る方も、皆下足を出しながら合掌される。 

「ありがとうございます」 の声と、合掌の美しい光景である。 

その中で、私だけは合掌に抵抗して、
ただ 「ありがとうございます」 だけを繰り返しながら下足を預っていた。

3日目の朝、参加者が一番多くて混んで来たときに、
一人の中年の御婦人が、非常に美しい合掌で 
「ありがとうございます」 と下足を差し出されたとき、

思わずつり込まれるように合掌して 「ありがとうございます」 と
言っている自分を発見してびっくりしました。 

しまった! と思ったが、下足を預ける人々は後から後から続いている。 
それからは考える暇もなく、合掌しながら下足を御預かりしている
自分がしばらく続いた。

一度だけの合掌では、はずかしい気持はなくならないかもしれないが、
次から次へと合掌しているうちに、納得しないうちは合掌しない、
と決心していた心が、だんだん変って、折角 “合掌” するなら
一所懸命の合掌をしようと思うようになって来た。

心が変ったのである。 合掌を否定していた心が、
合掌を肯定する心に変ったのである。 

その日から私は嬉しくてたまらなかった。 
抵抗を感じていた “合掌” から解放されたからである。 

すると実にのびのびと自然に合掌して 「ありがとうございます」 と
言えるようになって来た。 

合掌して 「ありがとうございます」 と拝んでいる自分も、
相手の方も、そのとき一つの‘いのち’になって、
地上天国が実現するのだ、という谷口先生の御言葉が
今更のように心にしみ通ってくる。

谷口雅春先生は、『人間苦の解放宣言』 の中で、

「わたしは人間をただの “肉の塊” だとも物質だとも見ないで、
 皆 “神の子” であり “霊的実在” であるという
 人間観に立っているから、自分が教祖で他の人は一段下の弟子
 であるというような差別観をもたないで、

 “法華経” にある常不軽菩薩のように、
 すべての人間を合掌して拝むのである。 

 その拝むのは、形を真似て拝むのではなく、
 心底から礼拝して拝むのであるから、相手の心を打つのである」 (19頁)


とお説き下さっている。 
私はこの御文章に接して、一度合掌しないと決めながら、反
転して今度は合掌しようと思って努力して来たことが正しかったと安心した。 

合掌しないと決めたのは、形だけで合掌したくない、
皆がやっているから自分もやらなければならない、
そんな御義理な、中途半端では “合掌” した意味がない
のではないかと考えていたからであった。

私が東京都連合会の事務局長をさせていただいた時の事である。 
幹部研修会を飛田給道場で開催するため、事務局総出で準備に
来ていたとき、受付の準備をしていた女子職員が、
何か興奮して話をしているので側に行き、「何かあったの?」 と聞くと、

その中の一人が、

「今私達の前を徳久先生が “合掌” して “ありがとうございます” 
 と言われて通られたんです。 あんな偉い先生が、私達に声をかけられ 
 “合掌” して下さるなんて感激です」

と喜びを満面に浮かべて報告してくれたのである。 

私はそのとき、この練成道場が総裁先生の御愛念によって始められ、
その責任者となられた徳久先生が 「合掌行」 を道場生活の目標
とされていた事を思い出した。 

そして一事務員に対しても合掌される徳久先生を手本にしなければ
と深く反省したことがある。


「それは “合掌” という形が尊いのではないのである。 
 合掌から “光” が出るようでなければならないのである。

 それは対者に宿る神性・仏性の光を心の眼で観て拝むのであるから、
 “光を観る心” からは “光が射す” のである」  
              〈『人間苦の解放宣言』 12頁〉


私が戦後始めて赤坂の仮本部に行ったときに体験した 
“びっくりした合掌” は、昭和23年3月16日から10日間
開かれた飛田給道場の第1回練成会から始まっていたということを、
あとで知らされたのである。 

それまでは一部の信徒の間では “合掌” の行持があったが、
まだ一般的ではなかった “合掌” を、
全国的な信徒の “合掌” にまで発展させたのは、
実にすばらしい事だと思う。

もう昔の事であるが、といっても昭和43年の参議院議員選挙の際、
重宗雄三議長が生長の家の推薦を受けて活動をしているとき、
我々信徒が合掌している姿をみて、

「合掌は“心”の握手だね。 実に素晴しい。 
 しかも、遠くにいる人とも握手が出来るのがうれしい」

と言われた事があった。

合掌が心の握手であると直感された重宗議長のように、
私達も合掌をもっと深く考えてみることが大切なのではないだろうか。 
もっと自覚する必要があるのではないだろうか。


「人間は猿属の子孫ではない。 
 人間は “人間” という “神の子” たる “理念” の
 実現として出現したところの別種の種族である ・・・ 〈中略〉 

 つまり類人猿から人間に進化する以前に既に人間があったのである 
 〈中略〉 

 人間は本来 “合掌種族” として生れたので ・・・ 」  
                〈『人間苦の解放宣言』 14頁〉


と御教示されている通り、私達は最初から合掌していた、
ということを自覚しなければならない。

東南アジアなど世界の国の中には、今でも日常生活の中に 
“合掌” が生きている民族がある。 
しかしその生活は貧しいことが多い。 
それは合掌が形だけになってきているからではないだろうか。 

心の底から拝み合掌しているのならば、必ずそこには、
真の世界、実相が、顕れてくるはずである。

 
谷口雅春先生は 『古事記と現代の預言』 の中で、
古代の私達の先祖は、お互いを神の子と直感把握し、
その自覚から命と呼び合い拝み合いの生活をしていた民族であり、

神の子なるが故に宇宙創造の神と一体となるための祭祀を
第一の行持として行い、その伝統を正しく護持して来られたのが
歴代の天皇陛下であるとお説き下さっている。 

正に拝み合う “合掌生活” を垂範されているのである。

今上陛下 〈※昭和天皇〉は、御践祚されてから
60年の長き御在位の中で、第一に行じられているのは
祭祀であるとお聞きしている。 

この陛下の御祭祀が日本国家を繁栄させている源泉である
ことを思うとき、天皇陛下に限りない感謝の誠を捧げ
それをかたちに顕わしてゆきたいと思うのである。

そして合掌の真の意義をお説き下さった谷口雅春先生に深く感謝し、
我らの日常生活を “合掌三昧” の生活に徹しようと
決意するこの頃である。   

合掌


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VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-17)

          <感謝合掌 令和5年5月5日 頓首再拝>

神癒のための集中講義⑥~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/06 (Sat) 19:17:34


神癒のための集中講義⑥
無礙光(2014/07/26)
https://www.youtube.com/watch?v=p2ZmLlVhRvw

          <感謝合掌 令和5年5月6日 頓首再拝>

明るい心が幸福のもと~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/07 (Sun) 04:56:41


どの宗教でも、
神様は 「 光 」にたとえられている位に明るいのでありますから、
その神様の眼(め)に見えないお助けを頂こうと思いましたら、

それと同じ心の波長、
すなわち明るい心を起こさなければならないのであります。


明るい心を起こしなさい。

明るい心になりなさい。

幸福の明るい心の波を起(おこ)しなさい。



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住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-28)

          <感謝合掌 令和5年5月6日 頓首再拝>

神癒のための集中講義⑦~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/07 (Sun) 12:59:43


神癒のための集中講義⑦
無礙光(2014/07/26)
https://www.youtube.com/watch?v=gKnR7mUHBXA

          <感謝合掌 令和5年5月7日 頓首再拝>

あなたは生長の家信者ではない~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/08 (Mon) 04:51:32

 
      *『人間そのものの発見とその自覚』141頁 より

“『生命の實相』はもう読んで知っている。 
一時は幾多の奇蹟を生じたくらいなんだもの” と、
それで、もうわかったぞと、卒業した気になって、
易々加減な生活を送って来て、

その易々加減の心境の反映で不幸があらわれて来て、
最後に “『生命の實相』は私には効かなくなった” と言って、
やがて生長の家から離れて行く人があるのですが、
これは『生命の實相』が効かなくなったのではなく、
信仰がマンネリズムに陥った結果であります。

『生命の實相』を読んだ当初は、はじめて『人間神の子』の
大真理に触れ、空気の美味しさがわかるように、
『人間神の子』の嬉しさを満喫して感謝一ぱいになるのであり、

その心境の程度に応じて、幾多の奇蹟もあらわれるのでありますけれども、
いつの間にかそれが形式化してしまう人があるのです。

食前に感謝する行事でも、最初は本当に感謝の心を起こし、
感謝の黙祷を捧げて、合掌して食物を『戴く』気持ちで食する
のですけれども、それが段々形式的になり、瞬間的にパッと
合掌して終わるということになります。 

これは食前の祈祷における一例でありますが、
生活の全体がこの調子に、『信仰』という内容のない、
形式ばかりになるのであります。


こういう信仰内容のない生長の家信者は、
生長の家信者であって信者ではない。

『人間神の子』の真理は、嘗てものの本で読んだことがあり、
そう書いてあったことは覚えているけれども、記憶している
ということと、

自分が『人間・神の子』の自覚を得ていることとは別なのです。




https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p17.html
晴れときどき(2013 年 12 月 18 日)

          <感謝合掌 令和5年5月7日 頓首再拝>

神癒のための集中講義⑧~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/08 (Mon) 18:52:32


神癒のための集中講義⑧
無礙光(2014/07/26)
https://www.youtube.com/watch?v=jACqs8tydlY

          <感謝合掌 令和5年5月8日 頓首再拝>

鎮護國家 龍宮住吉本宮 建立の所以~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/09 (Tue) 04:45:16


      *『光の泉』昭和50年9月号『八絋一宇 人類一家族成就の祈り』

神は無相にして恰も鏡の如く、鏡が鏡面に向った人の貌(すがた)を
そのまま映し出すが如く、

それを礼拝する人それぞれの心の相(すがた)に従って
神がわれらに与へ給ふところの功徳も異ることになるのである。

住吉大神を祭祀し奉る神社諸方にあれども、
住吉大神出現の意義を正しく把握して、
その意義を完うせんがために神祀る神官も数少く、

たとひ、かくの如き神官ありと雖も、
住吉大神の由緒及び御使命を参拝者に教へる神官といひては殆ど稀なり。

それゆゑに参拝者は住吉大神を唯、鎮守の神として、
或は産土の神として、或は安産のための腹帯を賜る神として、
或は繁栄の神として、自己の個人又は一家の福祉のために
参拝する氏子のみ多くして

国家一大事の時に方(あた)りて天照大御神の稜威の
出現のための道を開く宇宙浄化の大神として祭祀し、
又、参詣し礼拝する人々に至っては絶無といってよいのである。

それゆゑに龍宮宏大無辺の功徳を内蔵したまふ住吉大神の 
“御心の鏡” には、鏡面に相対する参拝者の心の相だけの
御徳しか顕現せずして今に至り、それが長き習慣(ならはし)となり、

折角、宇宙を浄め給ひて天照大御神の御光を六合(りくがう)に
照り輝かす道を開き給ふ住吉大神の大徳を埋没せしめて、
この儘にては皇国の御光を宇内(うだい)に輝かす道絶えたり。

その隙に乗じて、現下、赤き龍の輩(ともがら)日本国の
四方(よも)に回(めぐ)りてさまざまの策動をなし、
天皇(すめらみこと)は豊葦原の瑞穂国治しめす
御使命の御座(みくら)より単なる “象徴” という
人格も神格もなき空座に移され奉り、

そのために、天皇(すめらみこと)の御国(みくに)、
既に皇国の姿失はれ、恰も天照大御神の天之岩戸隠れを
再現せるが如き暗澹たる国情となり、

今や、いつ “赤き龍” の策謀成就して、
この国に革命の焔、燃えあがるとも計り知れざる情態と
なってゐるのである。

この時、この際、妖気漂ふ革命の暗雲を一掃して、
日本国家の礎を安泰ならしめ、『古事記』 に予言される如く、
豊葦原の瑞穂の国は世々天照大御神の神霊(みたま)を
世嗣し給ふ天皇(すめらみこと)の治しめす国なる

神定めの日本国の実相を顕現し奉るためには、
住吉大神を新たに宇宙浄化・鎮護国家の大神として
更めて祭祀し奉り、祭司の心も参拝者の心も共に浄まりて、
住吉大神の “御心の鏡” に彼ら向ふとき、

大神の本来の国家鎮護皇国護持の御使命が完全に発動され
妖雲暗雲ことごとく祓ひ浄められ、“赤き龍” の住み家は
最早や日本国土に残る隈もなくなりて、

国土安泰、万民泰平を謳歌し、天照大御神の御稜威六合に照り徹りて、
神武天皇建国の御理想は実現せられ、八絋は一宇となり、
万国の民悉く集りて天照大御神の御徳を中心に仰ぎ奉りて
永久平和の世界連邦の理想必ずその達成すべきことを信じ、

茲に実相世界に存する龍宮住吉本宮の型代(かたしろ)を
地上に造営し奉り、住吉大神を実相世界の秩序に従ひて顕斎し奉り、
大神の御徳の全世界に光被せんことを冀(こひねが)ふ。

これを以て生長の家九州別格本山に住吉大神の神殿(みあらか)を
建立する所以を明かにしたのである。

大神のこの趣旨を受けて嘉(よみ)し給ひ、
祭官及び諸民この趣旨に従って住吉大神を礼拝し奉るとき、
茲に全世界の浄化は成就し、

まことに神意(みこころ)の天上に成るが如く、
地上に八絋一宇、人類一家族の永久平和の天国は実現するのである。  

ありがとうございます。



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VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-17)

          <感謝合掌 令和5年5月8日 頓首再拝>

神癒のための集中講義⑨~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/09 (Tue) 17:35:34


神癒のための集中講義⑨
無礙光(2014/07/26)
https://www.youtube.com/watch?v=K7ll50SOOUU

          <感謝合掌 令和5年5月9日 頓首再拝>

この吾(わ)が「いのち」ー神の生命(いのち)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/10 (Wed) 04:41:50


          *『 人生読本 』より

時間を大切にいたしまするのも、
ここにこうして生かされている生命(いのち)、

それが神の生命である、ああありがたい、
何かしなければならない、無駄にしてはならないというー

この何とも言えない心の奥底から出る自然の自覚で、
ありがたくて自然に動かずにはおれない

働きになってこなければならないのであります。


そういう心持で時々刻々を生きてゆく事にしますと、
一分一分一瞬一瞬が無限の価値を持ってきまして、

どんな時にも、どんな境遇にも、あらゆる事に対して不平もなく、
みんなありがたい神様の生命に生かさせていただく瞬間である。

今、神様の生き通しの生命を生きている。

「久遠(いきとおし)の今」を生きている、
神の永遠生命(ほろびないいのち)をこの瞬間に生きているという
ありがたい心持になってくるのであります。

これが「生長の家」の生き方であります。


何とも言えない尊いありがたさ

この何とも言えない心の底から出るありがたさが最も尊いのであります。

この内から湧き出て来るありがたさの心で
何事でもおやりになったならば、
どんな事をしても必ず巧(うま)く成功するのであります。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/7ba6c17bfaa94a1eaf3a82a38c869a5c
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-28)

          <感謝合掌 令和5年5月9日 頓首再拝>

神癒のための集中講義⑩~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/10 (Wed) 12:35:33



神癒のための集中講義⑩
無礙光(2014/07/26)
https://www.youtube.com/watch?v=ncCDvVy0WsU

          <感謝合掌 令和5年5月10日 頓首再拝>

自分の欲望は後にせねばならない~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/11 (Thu) 04:53:11


       *『生長の家』(昭和45年4月号)より

神の祝福を受けるためには、神の御心を先にして、
自分の欲望は後に置かねばならないのである。

何か特別の希望とか願いとがあって、
それを神にお祈りしたけれども実現しない時に 
「神はこの私の願いを諾き給わないのだ」 
と悲観したり、絶望してはならないである。

荷物は馬よりも後方にある車に載せて置かねばならないである。 
荷物を積んだ車を馬の前方に繋いでおいて 
「馬よ、この荷物を私の家へ搬んでくれ」 といっても
馬は前進することが出来ないのである。

神の力を馬に譬えては申訳ないが、
無限の宝を“実相世界”から曳き出して来る力 
〈即ち“神”の力〉 を先に置いて
自分の希望する宝を積んだ車を、その後方に置かねばならない
という譬えである。

先ず 
「みこころの如くならしめ給え。 みこころならばこれを実現せしめ給え」 
と祈って、わが希望を後ろにつづける方がよいのである。 

それが自分にとって最高の宝だと思っても、
神が 「それは今のお前に適しない」 と思われたら、
その車は動き出さないで、もっと善い宝を曳き出して下さるであろう。



https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p17.html
晴れときどき(2013 年 12 月 20 日)

          <感謝合掌 令和5年5月10日 頓首再拝>

天地の****に随順して生活せよ~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/11 (Thu) 18:30:00


京都宇治:谷口雅春先生 動画放映 スペシャル講演会
「天地の****に随順して生活せよ」
いのちまもる(2016/08/19)
https://www.youtube.com/watch?v=jH4yi5p6Bh4

          <感謝合掌 令和5年5月11日 頓首再拝>

霊的実在としての富~別府正大 - 伝統

2023/05/12 (Fri) 04:44:17


         *『精神科学』(昭和58年11月号)より

産業人の繁栄能力開発研修会で人間は尊い存在であり、
かけがえのない絶対存在であり、絶対価値の無限繁栄者である
という話をしたら、質問がありました。

 「人間は何故尊いかということの証明がありますか?」

そこで私は、

 「“あなたはつまらない人だ、くだらない人だ” と
  軽蔑されたら、嬉しいですか、それとも腹が立ちますか」

 「そりゃ勿論、いい気持なんかはしませんよ。 腹が立ちますよ」

 「そうでしょう。 それはあなたの内に 
  “自分はすばらしい尊い存在である” という
  先験的な自覚があるからなんですよ。 

  自分の本質が尊い存在であるという神性仏性の自覚があるから、
  それを否定されたら怒るんです。 
  それがあなたが尊い存在である証明です」

 「なるほど、そうですね」

これは富の場合も同じです。 
人が豊かな富を実現したいのは、人の本質実相が無限の富者であり、
実相宇宙には無限の富が実在しているからです。

また、こんな質問があります。

 「よく、人間は神の子だとおっしゃいますが、
  どうして人間は神の子なですか」

 「それは、人の生命は神の生命であるという生命の事実から来ます。 
  従って人間は神の子だから神の子なんですと答えるしかありませんね。 
  これは無原因の原因、第一原理であり根本因です」

生命のみが生命を生み出します。 
私たちが今此処に生きているということは、
宇宙普遍の神のいのちが今此処に個生命として顕現している
ということであります。

私たちが、無限の愛、無限の智恵、無限の生命、無限の供給、
無限のよろこび、無限の調和の世界を願い求めるのは、
既に私たちが其の世界に、実相として、無限の可能性として、
現にその世界に住んでいるからです。

この根源世界、霊的実在、生命の本地の世界を、
『古事記』 では高天原とも龍宮海とも表現し、
『仏典』 では、如来蔵の世界とも極楽浄土ともいい、
『聖書』 では、神の国、御心の天に成れる世界と言っています。 

成り成りて無限の創造の本源世界であり、
何一つ失われたもののない世界であり、
衆生劫尽きて此世が大火に焼かれても安穏にして
天人常に充満する金剛不壊の実相浄土であり、
人とライオンが相たわむれる天国であります。

この霊的実在の山川草木国土悉皆成仏の風光が、
谷口雅春先生の 『秘められたる神示』 の 
「実相金剛身の神示」 に、こう記されてあります。


 「実相世界と云うのは神が創造せる唯一の実在世界であって、
  此の世界のみが実在であり、此の世界に住む人間が実相人間であり、
  至美至妙完全円満金剛不壊の実相身を備えているのである

  ・・・ 実相世界は一つの神に創造られ一つの神の叡智によって
  支配せられているから、秩序整然たる相である
  ・・・ 其処には山もあれば川もあり、植物もあれば、動物もある。 

  獅子も羊もあるが皆仲よく相戯れている。 
  一切の人間、動物、諸霊悉く調和して相食むものはない。 
  従って病気の人間は一人もない。 

  山の形や、川の形や、植物の形や乃至動物の形なども、
  仮に現象界のそれに似ていると思えば好いが、
  一層精妙なのが実相世界の姿である。 

  それは既に完成された世界であるが、
  完成したと言えば静止の世界のように思うかも知れぬが、
  不断の創造の世界である。 
  不断の創造を続けながら完成した世界である」


さて、あなたの富と繁栄は、
どちらの上に築かれていらっしゃるのでしょうか。

神の智恵と愛と生命と一体になり神の国、
龍宮無限供給の壊けない世界に壊けない富を築きましょう。 

これが本統の繁栄であります。



https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/2b821256aaf5ce0332cf9758387db0ab
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-18)

          <感謝合掌 令和5年5月11日 頓首再拝>

外にはない内にある~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/12 (Fri) 15:00:15


外にはない内にある 1
岡正章(2020/05/22)
https://www.youtube.com/watch?v=KzZEPO5__Po

      <感謝合掌 令和5年5月12日 頓首再拝>

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