伝統板・第二

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谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑰ - 夕刻版

2023/05/13 (Sat) 04:53:09

「人間は神の子」って、どんなこと? 
谷口雅春先生が説かれる「一即多(いちそくた)」の真理
岡正章(2020/05/28)
https://www.youtube.com/watch?v=V0whOnSeQ2w


・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・伝統・第一「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉 (100)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=59 


(2)光明掲示板・伝統・第一「伝道体験講話~大熊良樹講師 (420)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=105


(3)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」②
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6458658


(4)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」③
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6582228


(5)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」④
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6691070

(6)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑤
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6819394

(7)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑥
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7167361

(8)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑦」
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7788859

(9)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑧」
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7989007

(10)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑨」
     → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8298091

(11)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑩」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8301267

(12)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑪」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8304221

(13)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑫」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8307975

(14)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑬」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8310829

(15)谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑭
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8313692

(16)谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑮
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8316682

(17)谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑯
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8320065


(18)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6620484

(19)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎②」
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(20)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎③」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7912130

        <感謝合掌 令和5年5月12日 頓首再拝>

「人間復興の原点」~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/13 (Sat) 13:05:23

「人間復興の原点」―‐生き甲斐はどこにあるか―谷口雅春先生御講義
岡正章(2020/06/04)
https://www.youtube.com/watch?v=_NkZnERaHAs

        <感謝合掌 令和5年5月13日 頓首再拝>

気合いは人生の推進力である~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/14 (Sun) 04:54:14


        *『生命の實相』聖語篇 より

躊躇逡巡(ちゅうちょしゅんじゅん)と
あやまれる謙遜(けんそん)は
役に立たない。

人生は剣戟(けんげき)の戦いである。

一瞬の気合(きあ)いの相違(そうい)で勝敗は決するのである。

気合いをもってのぞまば
折り紙をもって太刀(たち)を斬(き)ることもできるのである。

人生の成敗(せいはい)も気合い一つにある。

気合いは人生の推進力(すいしんりょく)である。

気合いの欠けた人間は推進力の欠けた人間である。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a65c6147aa2adc1d9d0e460df450ba36
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-29)

          <感謝合掌 令和5年5月13日 頓首再拝>

御題詠進「母」~雅春先生、輝子先生、清超先生、恵美子先生 - 伝統

2023/05/14 (Sun) 14:32:56

御題詠進「母」(昭和五十三年) 

         *「生長の家五十年史」(P70~90)より
          ~御題詠進(雅春先生、輝子先生、清超先生、恵美子先生)

【 昭和五十三年  母  谷口雅春 先生 】

 意識なく ただ息のみ 殘りたる 母の額に 手を按(お)きて祈る

 何ひとつ 母に盡せる 憶ひ出も 今はなくして 冥福を祈る



【 昭和五十三年  母  谷口輝子 先生 】

 いのちかぎり 父仰慕する しあはせを 與へし母を をろがみまつる



【 昭和五十三年  母  谷口清超 先生 】

 母去り給ひ 年を重ねる たび毎に いたらざりしを いとど悲しむ

 とこしなへに 安らぎませと 額(ぬか)づきぬ その墓石は 母の選びし



【 昭和五十三年  母  谷口恵美子 先生 】
 
 乳足りて ねむるみどり児 眺めゐる 母となりし娘(こ) いともやさしき

     (http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7776787

          <感謝合掌 令和5年5月14日 頓首再拝>

天地一切と和解する祈り~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/14 (Sun) 19:45:34


天地一切と和解する祈り 『真理の吟唱』より
岡正章(2020/08/01)
https://www.youtube.com/watch?v=ad_U17IckVo

        <感謝合掌 令和5年5月14日 頓首再拝>

あなたの言葉で人を傷つけてはならない~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/15 (Mon) 05:01:24


         *『生長の家』(昭和44年12月号)より

誰でも不快なことを聞くと、自分が不快になるのである。

人に不快なことを聞かせることは、人に不快な目をさせることになる。 

人に不快な目をさせることは、相手の心を傷つけることである。

それは相手の肉体を傷つけるよりも一層大なる罪悪である。

何故なら、“心”は“肉体”よりも一層大切なものであるからである。

人の心を傷つけながら、自分が相手を傷つけている事を知らぬ人がある。

そして常に、人に“不快な言葉”を聞かせて、
常に人を傷つけて止まるところを知らないのである。

だから、釈迦は 
「悪いと知らずに犯す罪の方が、悪いと知って犯す罪よりも重い」 
といって教えられたのである。

あなたは決して “不快な言葉” を人に話してはならないのである。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p18.html
晴れときどき(2013 年 12 月 22 日)

          <感謝合掌 令和5年5月14日 頓首再拝>

有限そのままに無限を悟る祈り~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/15 (Mon) 15:55:38


有限そのままに無限を悟る祈り 『真理の吟唱』より
岡正章(2020/11/13)
https://www.youtube.com/watch?v=3-clTwlbJx0

        <感謝合掌 令和5年5月15日 頓首再拝>

『萬物一元萬教帰一成就燈』 点灯~岩田 安雄 - 伝統

2023/05/16 (Tue) 04:51:57


        *『生長の家』(昭和59年3月)より



生長の家宇治別格本山 宝蔵神社発行の体験談集に掲載されている、
広島市にお住いの沢さんの内容に心ひかれました。


       『霊牌祭祀の功徳 海を越えアメリカへ』

「次男は、3年程前からアメリカのロスアンゼルスにある
 M・F社に派遣されております。 
 従業員500人ぐらいで、社長の重役も一般従業員も
 全てアメリカ人で、次男がその中に日本人として
 ただ一人派遣されました。

 斜陽した会社を発展させるための使命を担ってですが、
 最初はわざわざ日本から何しに来たかという態度で
 坐る机も無いという具合でした。

 昨年の6月23日でした。 
 電話があり、ロスの次男からでした。 

 そのとき、日本では夕方7時でしたが、
 ロスでは早朝であると言っておりました。

 電話をかけてきた目的は、
 『今日これから会社の運命を決定する重要な会議がある。 
  ところが人間智でどうにもならないほど混乱している。 
  お父さん、お母さん祈って下さい』

 とのことでした。 

 その時、私は無我夢中でしたが 『霊牌』 を書きなさい、
 『霊牌』 を書いて御先祖様からのお力添えを頂き、
 円満解決することが先決だと指導しました。  
 〈霊牌による祭祀は、どの宗教の方でもできる
  萬教帰一の生長の家独特の祀り方です〉

 実は昨年5月の宇治別格本山対策部研修会に参加させて頂きましたが、
 群馬の方の体験談を拝聴し、『霊牌』祭祀の素晴らしさを
 改めて認識させて頂きました。 

 それで、次男のアメリカでの苦労を知っておりましたので、
 これは御先祖様の御力添えを頂かねばと思い付き、
 早速次男のもとへ『霊牌』を送ってあったのでございます。 

 それがこの電話の時にすぐ『霊牌』を書いて送り返すように決意させました。
 〈生長の家では有縁の方の愛行として、誰方でもできるのです〉

 また私は私で、その夜一人で、会議出席者7名の方々の
 アメリカ人の御先祖様を『霊牌』に書き、
 聖経 『甘露の法雨』 の読誦を3回、
 一所懸命に行じさせて頂きました。

 翌日、気になって私の方から電話をかけてみましたところ 
 『会議は最初から大調和のうちに進み、
  ただ一人の傷つける人も無く、無事終了することが出来た』 
 とのことでした。

 それから少しして、オートネルとか、リチャードとか
 片仮名で書かれた『霊牌』が次男のもとより送られて来ました。 

 それで私の書いた『霊牌』と共に、宝蔵神社に祭祀して頂くべく、
 教化部へ届けさせていただきました」

          ◇           ◇

この体験で共感されますのは、アメリカ人の御先祖様を
有縁の方として『霊牌』に浄書し、
聖経 『甘露の法雨』 を読誦、感謝行に励みましたら、

遠隔の地、しかも4次元世界に転移されている諸霊に感応し、
現実界の人々が大調和の念に満たされ、
なごやかな雰囲気の中に、会議が終ったと言うことです。

それは当然あり得ることなのです。

前回でも触れましたように、萬教帰一の真理に目醒めた
ブラジル人は祖先霊供養に非常に熱心で、
キリスト教の真意義とともに、神の普遍の霊性について、
一層自覚が深まると同時に、

個人の生命もまた永遠であり、具体的な感謝生活が大切である
ことに気付き、祖先霊の供養に励むことが日常となったのです。

このブラジル人の、“人間は永遠に死なない”という自覚から
滲みでる歓喜(よろこび)の姿こそは、世界の宗教界の現状と、
将来をふくむ問題を、反映していると言ってさしつかえありません。

広島市の沢さんの報告は、キリスト教徒である
アメリカの人々の信仰のなかにも、祖先霊を供養することによって、
新たな活力を与える機縁となることを、示唆していると思います。

           ◇          ◇

最近のニュースでは、日本のカトリック教会の行事に
祖先崇拝をとり入れるようにと、カトリック諸宗教委員会代表からの
提案があり、伝統的な信仰実践の場で、
意見が交されているとのことです。

混沌のなかにも光はあります。 
共産主義国のソ連は、第2次大戦中、スターリンが
国民の精神を鼓舞するために、キリスト教の再興を許し、
無宗教政策の弾圧を、一時的にも緩めたことがあったのですが、

本来のロシア人の魂の故郷は、今も依然として、
修道院や、ロシア正教会や、荒廃していない
古い農村生活への記憶にその基礎を置いていることは事実です。

ソ連にも、共産主義のイデオロギーに束縛されない霊性の高さと、
魂の自由を求め、内在の神性を堅く信じている人達が数多くいるのです。  
〈ロシア語による 『生命の實相』 宣布の機会をつくりたいものです〉

前回、顕幽一如であると知らずに去った多くの未発達の霊魂のため、
進んで浄化のはたらきを捧げる必要があるであろうと述べたわけですが、
人類の憎悪感の具象化として、いま現実的に迫っている、
大国間の対立は深刻です。

核戦争の恐怖を解消する手だての中に、
高次元世界に対する修正浄化の働きを期待することは根拠があり、
超宗教の立場からも充分ゆるされることと思います。

『萬物一元萬教帰一成就燈』点灯の意義を明らかにし、
人権を超え、国境を越え、萬教帰一運動への、
機縁の熟すことをひたすらに祈る日々です。



https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/f680430b74ceb3fa955ca7b29622dfd6
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-19)

          <感謝合掌 令和5年5月15日 頓首再拝>

無敵流平法~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/16 (Tue) 13:03:45


無敵流平法
岡正章(2020/11/13)
https://www.youtube.com/watch?v=qDSKwE0HlDg

        <感謝合掌 令和5年5月16日 頓首再拝>

「 出来たら、しよう 」 ではなく、意(い)を決してすれば出来(でき)る~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/17 (Wed) 04:59:06


        *『生命の實相』総説篇 より

これこれが出来たらあれをしようという人がありますが、
それが普通でありますが、
そんな根性ではとても何事も出来るものではないのであります。

「 出来たら、しよう 」というのではなく、
意(い)を決してすれば出来るのであります。

「 余裕があったら、しよう 」というのではなく、
断じて行えば、必ず余裕が出来て来るのであります。



https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/c0e620192f3dfa7c224520ec84fb3cfd
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-30)

          <感謝合掌 令和5年5月16日 頓首再拝>

「不足の原理」を抛擲して~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/17 (Wed) 14:47:54


「不足の原理」を抛擲して
岡正章(2022/02/28)
https://www.youtube.com/watch?v=OD3NN3Z6SDg

        <感謝合掌 令和5年5月17日 頓首再拝>

和顔愛語が天国をつくる~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/18 (Thu) 04:56:11


       *『生長の家』(昭和44年12月号)より

あなたの言葉の中に温い“愛”を満たせよ。

その時、あなたの言葉は神の言葉となるであろう。

決して冷酷な激しい言葉や、罵りの言葉を出してはならないのである。

もしあなたが激しい罵りの言葉を出すならば、
あなたの住む世界は阿修羅の世界となるであろう。

若しあなたが怒りによって他を復讐をするような言葉を出せば
この世界は地獄になるであろう。

地獄も阿修羅も極楽も
あなたの言葉がつくるのである。


愛情のこもった言葉、愛情に満ちた眼光 ・・・・・

愛の表現のみが この世界に天国をつくるのである。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p18.html
晴れときどき(2013 年 12 月 23 日)

          <感謝合掌 令和5年5月17日 頓首再拝>

艱難を光明化せよ~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/18 (Thu) 13:36:50


艱難を光明化せよ
岡正章( 2020/04/04)
https://www.youtube.com/watch?v=c4mpNDltGQU

        <感謝合掌 令和5年5月18日 頓首再拝>

一般社会には刑務所に入らない子供殺しの殺人者がうようよしている~土肥公志郎 - 伝統

2023/05/19 (Fri) 04:44:17


        * 『生長の家』(昭和39年11月号)より

ここ数年大体毎月1回、私は千葉刑務所に服役中の人々に、
生長の家の真理の伝道にあたって来ましたが、
ここに収容されている人々は、殺人強盗等の凶悪犯罪者が多く、
経済犯罪者は少ないのであります。 

彼等の殆どは抵抗され、発覚を恐れ、或いは泥酔の上の喧嘩の末、
又は怨恨等で相手を殺害するという結果となっているのでありますが、
それでも彼等の中の生長の家の話を聞いている者は 
(今のところ殆ど極く少数の人々でありますが)、
殆ど前非を悔い更生を誓い、再起を願って服役に精進しているのであります。

 
それにひきかえ罪もない、しかも抵抗もしない、
産児制限という名に於いて殺害する子供殺しのなんと多い日本でしょうか。 

極く最近の厚生省の発表によれば、届出されたものだけでも
年間100万以上で、無届のものが更に150万位はある
と推定されるということである。


最近ある処で個人指導を受けに来たある婦人に、
「貴女は子供を堕していませんか?」 と尋ねたところ、
「はい、堕しています」 と至極あっさりした顔で答えられました。 

あたかも排泄物を排泄するのは当然といった顔付きで答えられたので、
驚きながら、「それで何人堕しましたか?」 と聞いたら、
「さあ―、よく憶えていませんが、4回か5回程です」 との返事であった。

罪もない無抵抗な胎児を、4人も5人も殺害して、
しかも、なんの反省もない、悔むこともなく、改めることもなく、
勿論その小さき魂の供養も考えないどころか、

次に腹に宿ったら、又堕ろそうという心算らしい多くの子供殺しが、
或いは善良なる紳士の如く或いは虫をも殺さぬ顔の淑女の如く
身を装うて、社会を闊歩しているのであります。 

 
ただ一度、誤って人を殺害して殺人囚となり、反省し、改心し、
更生を誓い、再起を願いながらも、今も尚、これからも
その気持を抱きながら長年月間服役して行く刑務所の囚人と比較すると、

刑務所の中には悪人は少ないことになり、
むしろ刑務所よりは一般社会人の中に、
刑務所へ入らない子供殺しの殺人犯罪者がうようよしていることになります。

まことに矛盾撞着の現実であると、痛感せずにはおれないのであります。 
こんなことで良いのだろうか。 
いや決してこんなことで良い筈ではないのであります。

 
副総裁 谷口清超先生が、
神誌 『生長の家』 〈※昭和39年〉8月号74頁の 
「小さな生命の尊さ」 の中に、これらの根本原因を指摘されております。


『 ・・・ 別に大した問題もない大人や子供が、
 突如として人殺しをしたりそうでなくても凶悪な犯罪を犯す
 ということが起るのは一体どこに原因があるのでしょうか。 
 
 色々近因は考えられるかもしれませんが、その根本的遠因は、
 人々の人間観のあやまりにある、即ち人間を単なる肉体としてのみ
 考えるところにあると思われるのであります。 

 人間が単なる 「肉」 の塊りであり、
 その 「肉」 は早晩焼かれて 「灰」 になってしまう
 というのであれば、之を大切にしなければならない理論的根拠は、
 どこにも見出されない筈であります。 

 永生きしても、早死にしても、切られてもやかれても、
 結局人間は一握りの 「灰」 になってしまう、
 ただそれで凡てが終るということになれば、

 肉体を少々どのように取り扱おうと、又それを殺そうと、
 傷つけようと、犯そうと、鞭うとうと、汚そうと、
 一向にかまわないのではないかとも考えられるからであります ・・・ 』  

と。 まことにもその通りであります。

多くの人々は人間ならざるところの肉体を、人間だと思いちがえて、
「人間なるもの」 を見失っているのであります。
その結果、次から次へと重大な誤ちを、繰り返し繰り返し冒している
のであります。

 
総裁 谷口雅春先生は、
再度、神誌 『白鳩』〈※昭和39年〉8月号の28日の箴言に
次の如くお書き下さっておられます。


『 ・・・ 人工流産の非を説いて毎年300万の胎児が殺されて
 闇から闇へ葬り去られているのを救うために、人工流産を許している
 優生保護法改正の署名運動をすることです。 

 日本人の大人の生活が、毎年胎児300万人殺すことによって、
 辛うじて営まれているなどの現状は、まったく文化国家とはいえないで
 世界に対しても誠に恥ずかしい事であります。 

 そして 「殺すものは殺される」 という因縁循環の理によって、
 不幸が、やがて循環してやって来るということに彼らは気がつかないのです』

と。


私共生長の家人はもっともっと心を合せて、
「本来人間・神の子にして病なき道理」 を、
より多くの人々に徹底的に伝え、生命尊重の神意を如実に現わすよう、
急がねばならない責任があると思います。

子供殺しを奨励するような現行優生保護法、子供殺しを野放しにする法律、
こんなことが神に於いて許されることである筈がないのであります。 

ザル憲法とまで言われる現行憲法のようなものではなく、
真に日本人自身の手によって作られた、神意によるところの憲法が
出来るように、運動を強力に展開しなければならないと
特に感ずるのであります。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/b37677a1f029baffabcf5372966666ff
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-20)

          <感謝合掌 令和5年5月18日 頓首再拝>

「今」を全力を出して戦いとれ~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/19 (Fri) 13:33:31


「今」を全力を出して戦いとれ
岡正章( 2020/04/05)
https://www.youtube.com/watch?v=qBSEQQdLgdo

        <感謝合掌 令和5年5月19日 頓首再拝>

人生とは暗(やみ)の中を厳(おごそ)かに進軍してゆく光である~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/20 (Sat) 04:47:30


        *『生命の實相』万教帰一篇より

「 無(む)」と 「有(う)」との対立、

「 仮相(かそう)」と「 実在(じつざい)」との対立、

「 暗(やみ)」と「 光(ひかり)」との対立、

「 死 」と「 生(せい)」との対立

無明(むみょう)と知恵の対立は本当の対立ではなく、


これを対立と考えるのは
人間の「思考の形式」の誤りであるということであります。


「 無 」と「 有 」と対立すると言いましても、
一方(いっぽう)は無いのでありますから、
対立のしようがない。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/2daabb745d7964a20e2951811a476cb8
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-08-31)

          <感謝合掌 令和5年5月19日 頓首再拝>

思い切りよく、押し強く、勇敢に断行せよ。~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/20 (Sat) 14:55:01


思い切りよく、押し強く、勇敢に断行せよ。
岡正章( 2020/04/06)
https://www.youtube.com/watch?v=bFmTKdtpK3g

        <感謝合掌 令和5年5月20日 頓首再拝>

自己を冒すものは、自己の想念である~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/21 (Sun) 04:53:12


        *『生長の家』(昭和47年新年号)より

神想観を毎朝夕一回20分乃至30分間実修せよ。

どんなに忙しくとも一回は必ず実修せよ。


而して、自己が神の子であり、物質身ではなく、
霊身であることを自己の想念に深く印象せよ。

自分を扶けるものは、自分の信念のほかにはないのである。 
信念を強化し得た程度に従って、あなたは何物にも冒されず、
傷つけられることはないのである。


『天地一切のものと和解せよ』 との神言を
自己の生活に実践するための根本となるものは

先ず、この世界が 「神一元の世界」 であるとし
「唯神実相」 を深く理解し、それを信念としなければならないのである。

もしこの世界が一元の世界でなく、目的や想念を異にするところの 
“多元” より発生したものであるならば、
目的と目的とに食い違いや衝突を生じ、根本的に完全に和解し得ない原因を
内に蔵していることになるのである。

 
それ故に、先ず、この世界の一切のものは、
叡智ある唯一神によって創造せられたものであり、
その唯一神のほかには、如何なる積極的に実在する力も存在しないことを、
心にハッキリ承認すべきである。

そのことを心にハッキリ承認しないで、
神の創造による善なる金剛不壊の身(しん)でも、
それを時には破壊する力が又別に存在するのだという考えが、
かすかにでも残っていると、考えは想念であるから、

みずからが、みずからの想念の実現力によって、
自己を冒し傷つける事が発生して来るのである。


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晴れときどき(2013 年 12 月 27 日)

          <感謝合掌 令和5年5月20日 頓首再拝>

共通的生命の歓喜のために働け~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/21 (Sun) 13:21:25


共通的生命の歓喜のために働け。
岡正章( 2020/04/06)
https://www.youtube.com/watch?v=7-0wGAZzYSc

        <感謝合掌 令和5年5月21日 頓首再拝>

神意に随って生きる ― 神様に与えられた仕事は ・・・~和田英雄 - 伝統

2023/05/22 (Mon) 04:54:05


         *『生長の家』(昭和56年9月号)より

こんな体験談があります。

小長谷さんといって、結核でもう棺桶に半分入っているような人でしたが、
京都の第二教区の長村婦美子講師の練成会に行かれた。 

そこで長村講師の徹底した厳しい練成を受け、
2ヶ月ぐらい舞鶴の道場に長期練成員として居るうちに
見る見る元気になられた。

すると長村講師が言われた。

「小長谷さん、あなた元気にならせて頂いたのだから、
 これから一所懸命人のお役に立って働かなきゃだめよ」

「でも、私は長いこと病気で仕事から離れていましたので、
 何をしていいのかわかりません」

「わからんということはないでしょう。 
 あなたが元気になったのは、
 神様があなたを必要としておられるからです。 
 神様におききなさい」

 
小長谷さんは、それから毎日毎日、感謝の心で、
神意に叶った仕事を与え給えと祈り続けました。

するとある人が一つの仕事をもって来てくれた。 
ところがそれは京都の峰山という市の衛生局の仕事でした。 
あの香水つきのバキュームカーの清掃員です。 

小長谷さんは、神様にこんなに祈っているのにと、がっかりした。

「あなた、折角祈って与えられた神様のお仕事に、
 自分の好き嫌いを言うとは、それは信仰ではありません」

こう、小長谷さんは長村講師に叱りつけられました。 

ここが非常に大切なところです。

小長谷さんは決意して、人のいやがる衛生局の仕事に従事することにしました。 
しかし、どうしても娘さんには自分の仕事のことは言えなかった。 
だから、家を出る時は背広で、役所で作業着に着替えてホースを持ち、
帰りにはお風呂に入って背広に着替えて知らぬ顔で帰宅していました。

ところがある日、街で仕事中にバッタリ娘さんと出会ってしまった。 
それも友達と一緒のときにです。 
“しまった” と思う間もなく娘さんは家出してしまい、大騒ぎになりました。 

しかし、彼女は2、3日すると、フラフラと長村講師の前に現れたのです。

「うちのお父さんは、あんな恥かしい仕事をする位なら、
 結核で死んでいた方がずっと美しくて、私は嬉しかった。 
 あなたがあんな仕事を世話したのでしょう。 ひどいではありませんか!」

彼女は狂ったように喚きました。

長村講師という方は、本当に愛の深い方で、
厳しい時は物凄く厳しいが、また柔かい時はとても優しいのです。

「済まなかったね、あなたに隠していて、お父さんは病気上りだし、
 生活のこともあるし、色々考えてあそこへ行かれたのよ。 
 でも勧めた私が悪いので、お父さんのせいじゃない。 

 あなたも、家に帰るのが嫌だったら、
 ここに居て、ここから学校に通っていいのよ」

こうして娘さんは道場の雰囲気に包まれ、長村講師の温かい言葉に触れて
生活しているうちに、いつしか素直に掌を合せる素晴しい娘さんに
なっていました。

そんなある日、長村講師は言いました。

「あのね、お父さんは神様に真剣に祈ってあの仕事を戴いたのよ。 
 人の嫌がる仕事を、あんなに喜んで出来る人は少ないと思う。 
 本当に素晴しいお父さんじゃない!」

長村講師は長々と話ました。

聞いているうちに、娘さんはワーッとその場に泣き伏してしまいました。 
わかったのですね。 大事なことが。 

それで彼女は峰山に飛んで帰り、お父さんに手をついて謝りました。 
家族にも神意が天降ってきたわけです。

こうして娘さんは、明るく勉強する、
本当に素晴しいお嬢さんになったということです。


ところで、峰山という所は‘丹後ちりめん’で有名なところですが、
間もなく小長谷さんに紡績機を3台貸してくれるという人が現れ、
一家でその仕事が始められるようになりました。 

それが今では立派な事業に育って、
とても幸せな御一家になっておられるのです。

もし小長谷さんが神意のままに前進しないで、
自分の心で進んでいたらまた引っくり返ってぶり返していたかも知れません。

 
「神意に従うならば、どんな社会にあっても明るく、生々と、
 そして力強く美しく生きることができるのである」

こう御法語で教えられていますが、これは本当に素晴しいお言葉です。

 
神意(みこころ)に無条件に感謝して、謙虚に神意に生きる  ―  
そこに “一切の現象展開して万物成る” 
運命が展けて来ることになるのであります。

有難うございます。


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VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-22)

          <感謝合掌 令和5年5月21日 頓首再拝>

「断じて失敗を予想せざる者は遂に勝つ」~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/22 (Mon) 15:32:07


「断じて失敗を予想せざる者は遂に勝つ」
岡正章( 2020/04/06)
https://www.youtube.com/watch?v=cRFXyVHdZWI

        <感謝合掌 令和5年5月22日 頓首再拝>

神と一体となる時、一切のものが新生する~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/23 (Tue) 04:56:39


         *『真理』悟入篇 より

神を念ぜよ、神と偕(とも)に行動せよ、
神に祈れ、神の力を享(う)けよ。

神と祈りによって一体となるとき、
あなたの幸福と目的成就に必要な一切のものが
外から内からと自然に整って来るのです。

何故(なぜ)なら、神は内(うち)にあり、外にあり、
自然にあり、すべてであるからであります。

神と一体となるとき、吾らは新しき人間となる。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/6855172e48c6eb79a8388560745966cf
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-09-01)

          <感謝合掌 令和5年5月22日 頓首再拝>

「背水の陣を布け」~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/23 (Tue) 13:11:35


「背水の陣を布け」
岡正章( 2020/04/06)
https://www.youtube.com/watch?v=wPSZhKaIG3g

        <感謝合掌 令和5年5月23日 頓首再拝>

日常生活の事故はどうして起るか~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/24 (Wed) 04:54:08


         *『生長の家』(昭和40年8月号)より

幼い子供の事故死又は負傷は、
両親又は保護者の精神が動揺して不安定になっているときに起る。

一つの家庭で、事故の起る時も、起らない時も、
制度的な形式は同じであるが、

夫婦喧嘩をしたり、家族の感情の衝突が内に篭っていたりするときに、
添寝中の幼児の窒息、別室のベッドに寝かせてあった幼児の墜落死、
学童又は幼稚園児の交通禍、熱湯や熱い味噌汁やアイロンによる子供の火傷、
その他、両親の不注意及び子供自身の不注意から起る災害も、

単に物質に対する注意や管理を行き届いてしたら防げるというものではなく、
表面はどんなに注意しても、潜在意識に、敵対感情、犠牲感情、闘争精神、
傷つけたい心が潜んでいるときは、そのような心の具象化として、
色々自分自身や家族を傷つけるような生活上の錯誤が起って来るのである。

フロイドの『生活心理の錯誤』〈日本教文社発行〉の本など見ると、
それが詳しく実例で説明されている。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p18.html
晴れときどき(2013 年 12 月 27 日)

          <感謝合掌 令和5年5月23日 頓首再拝>

「夢を描け」~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/24 (Wed) 15:33:38


「夢を描け」
岡正章( 2018/02/07)
https://www.youtube.com/watch?v=r3eKYJ3s8K0

        <感謝合掌 令和5年5月24日 頓首再拝>

“いのち”立つ日  ―  神想観を生ききっているか ~福島 正俊 - 伝統

2023/05/25 (Thu) 04:50:48


        *『生長の家』(昭和40年新年号)より

如何なることがあっても、どのようなときにあっても、
生きて生きて生きぬいて行く生命、それが自分である。 

この生命は小さな5尺の肉体の生命ではない。 
肉体の死とともに消ゆる生命ではない。 
永遠に、始めなき始めから終りなき永遠にたつ“いのち”である。

この自覚は、理くつぬきにして只神想観を行ずるところから出たものである。 
神想観を行ずることを決意して、行じきったところからたつ“いのち”である。 

自分がどう生きて行ってよいのか判らないとき、
常に常に神想観によって導かれるのである。


昭和15年12月に始めて御教えを神戸市立大倉山図書館で 
『向上読本』 の聖典を通じて拝してより以来、今日まで、
いかなるときにも、神想観からたつ“いのち”なるが故に
逆境におかれても周囲の人々を心から拝みきってゆくことができたのである。 

どのようなことがあっても、縦(たと)い斬りつけるような人に
会っても自然に拝みきることの出来る境(きょう)が神想観の境である。

 
昭和20年8月15日、日本は、現象の日本は大音響の中に崩れ去った。 
このとき、実にこのとき、実相の日本は敗戦という一大通事の中にも
毅然として生きぬいていたのである。 

当時私は、満州牡丹江省横道河士の山中でソ連軍に包囲されて戦っていた。 
完全に包囲されていたのである。 
この包囲圏を夜半鉄道線路を突破して脱出して山中に入って、
9月20日を過ぎても敗戦を知らずに戦っていた。 

この戦闘の最中にも、私は神想観を、一日として欠かさなかった。

野戦に出ると、戦いの現実の中に自己を見失い勝ちになるのだが、
私は神想観によって天地四恩に合掌をつづけ、
ソ連軍も神の子であるという信念が常に湧いていた。 

縦い食糧がなくとも
生きものを自分から殺して食うという気持はおこらなかった。 

私の持つ銃からは1発の弾丸も出なかったのである。 
卑怯な心ではない。 臆病からではない。 

人に勝るとも劣らぬ尊皇心を、天皇に対し奉る感謝の心を持っていながら、
終戦の命令も判らない程の戦闘の最中にあって、私の持つ銃からは、
豚や鶏をさえ1匹も殺さず不発の銃として終ったのである。

 
そして、シベリアへ、シベリア4年の嵐、嵐であった。 
この嵐にくじけて精鋭を誇る関東軍60万の将兵が、
赤旗を振って舞鶴に上陸するとは、

   赤旗にゆらぎ爆する革命歌君らはそれで大和男子か

収容所で行われた集会は、常に 「天皇制の打倒」 であった。 

マルクス・レーニンの学習は、激しい作業の中の合間に行われた。 
このような環境の中で、一人私は神想観をつづけた。 

神想観の中から感得される、皇恩、父母の恩、
崩れ去って行く同胞の忠誠心、謳歌する革命歌、そ
の姿をみて、私は泣いた。 

“いのち”の自覚のないもののあわれなる姿、節操のない姿、
結局、肉体が自分であると信じこむものの弱さであった。


年、移って、今、私は皇国の土の上に坐している。 
激しい日教組の思想闘争の中から、職場で組合から脱退して
今も唯一人の非組合員として生きぬいている。 

神想観から立つ“いのち”、
それは真実を生きぬいてゆくより他に道はないのである。 

しかして、この“いのち”は強い。 

周囲がアカハタにとりまかれても毅然として祖国日本の
“いのち”を生きぬく“いのち”なのである。 

そしてこの“いのち”は非真理者、共産主義者の“いのち”を
拝みながら、真実を生きぬいてゆくのである。

職場での激しい闘争で、私はどうしても許せない、
拝もうと意識では思っているのであるが
拝みきれないものを感じたとき、

汝を憎むもののために祈れの御言葉に従って、
神戸の御教え発祥の地、本住吉神社の社前で徹夜神想観を実施した。 

尊い御教えを頂いておりながら、
御教えを実行できないのが悲しかったからである。

週末の土曜日の午後10時から、暁方の午前5時まで神想観をつづけた。 
この神想観には学生諸君もともに加わってくれた。 
足は痛み、眠いことは夥しかった。 

けれども回を重ねてゆく内に、私の心から、憎む者の面影は消えていった。 
みんな神の子であり、同じ“いのち”なのだ。

やはり、神想観から立つ“いのち”でなければ駄目なのだ。 
神想観の行が足らないとき、いつしか人を憎み、感情が
荒々しくなっているのである。 

私の心、大和の心こそ真の祖国日本の“いのち”なのである。


   何ごとのおはしますかは知らねどもただありがたきに涙こぼるる


神想観から立つ“いのち”は天地一切のものと合掌するとともに、

   君ヶ代は巖とともにうごかねばくだけてかへれ沖つ白なみ

 
毅然として、非真理を、はねかえす力でもある。 
私はこの歌をしみじみと味う。

神想観の中に生きる祖国のいのち、もののあわれを知り、
いつくしむ心、自他一体の感情、この“いのち”を悟り得たとき、
本当の日本は生まれるのである。

昭和45年の危機を如何にして突破するか、
それは只々一途に神想観の中からたつ“いのち”でなければならないのだ。

過ぐる安保闘争の最中、我々は安保体制の必要を説いて
街頭に日の丸の大旗をたてて叫んだ。 

そのとき出会わしたアカハタの労組のデモ、学生のデモ隊に対して、
我々は合掌したのである。 それは自然に合掌したのである。 
現象を超えて、“いのち”が“いのち”を礼拝したのである。 

このとき日本は救われたのである。 

これからの我々は、
もっともっと“いのち”の自覚の上い立たなければならない。 
我々が真に “いのち”の自覚の上にたっていたならば、
光明化運動は、一大国民運動になっていたであろう。 

運動の目標を樹てることは大切だ。 
しかし中味の“いのち”を引き出さなければどうして立派な組織ができよう。 

一人一人の“いのち”を拝みきってこそ通い合う
“いのち”の自覚から強い団結がうまれてくるのである。


本住吉神社の社前に坐して祈るとき、いつも反省させられるのは、
自分にはまだまだ、力(りき)みがあることだ。 

人類光明化運動、などと言って力んでしまっては
もう人はついてこられないのである。 

自然に、淡々と行じきってゆくところに偉大なる力(ちから)があるのだ。 

それにはやはり神想観を行じなければならない。 
力(りき)むのは相手の欠陥をつかむからである。 

相手の欠陥をつかんで伝道をやっても、神の“いのち”はあらわれない。 
伝道とは、人々を拝む行なのである。 
理くつをかなぐり捨てて相手の“いのち”を拝みきるのである。 

拝みきったとき、自分の“いのち”が相手に伝わって、
相手の“いのち”とピタリと一つになるのである。 

これが伝道である。

伝道は生命の礼拝の直接体験である。 
伝道にたつと、理くつで人を拝もうなどと考えているのが、
かなぐり捨てさられるのである。 

だから伝道にたつと謙虚な心になるのである。 
そこがどうしても拝まなければならない場であるからだ。

職場において、本当に職場の人々の“いのち”を拝みきっているか、
特に思想を異にする職場ではともすれば対立の心がおこりやすい。 

だからますます神想観が大切になってくるのである。

神想観から立つ“いのち”になって始めて周囲の人々に
貴い御教えを納得させることができるのである。 

伝道は先ず職場から、家庭から始めなければならないのだ。 

徒に法則によって人を批判してはならない。 
法則による批判は相対の世界にたつもので厳としていましむべきである。 

法則は“いのち”のあらわれんがための自壊する姿なのであって、
軽々しく口にすべきものではない。 

あくまでもいついつまでも“いのち”をみつめ、
“いのち”のあらわれんことを祈るこれが神想観なのである。 
この神想観を行じきってこそ祖国は救われるのである。 

祖国が救われる、とか祖国を救うなどの言葉自体がもう、
相対の言葉である。


祖国の“いのち”を生きるのだ。 唯々生きぬいてゆくのだ。

これからは、いろいろなことが起る。 
祖国の内外にいろいろのことがおきてくる。 

この中で我々は神想観の中から立つ“いのち”を
生きて生きて生きぬいてゆくより他に道はないのである。

光明実践行動隊が結成されたが、
この隊の根本は、何と言っても“いのちの自覚”以外にはないのだ。 
“いのち”が自覚されたとき自然に行動となってあらわれているのである。

我々は今、街頭伝道にたっている。 
それは止むに止まれぬ“いのち”の自覚からである。

今日一日、本当に神想観を生ききったか。 
神想観を行ずるのではない。 
神想観を生ききるのである。 

行ずるのはまだ手ぬるいのである。 
「生長の家大神」 よ我れを導きたまえ。 

一日一日が真剣なる神想観だ。



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VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-23)

          <感謝合掌 令和5年5月24日 頓首再拝>

小林昭三青年のこと~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/25 (Thu) 13:13:46

人間は物質に非ず、生き通しであると云う確かな証拠 小林昭三青年のこと~谷口雅春先生
seimeinojissoh(2022/06/06)
https://www.youtube.com/watch?v=PrFOu4YwfPs

          <感謝合掌 令和5年5月25日 頓首再拝>

吾々(われわれ)は数え切れない神の愛の中に包まれている~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/26 (Fri) 04:52:42


        *『生命の實相』幸福篇より

万象(ばんしょう)は神の愛の顕(あら)れだと見ることができる。

太陽はわれわれを温めてくれるし、
水はわれわれの渇(かわ)きを医(い)やしてくれるのである。

植物はわれわれに衣食住(いしょくじゅう)を与えてくれる。

われらの眼、耳、鼻、口、皮膚、手、足、内蔵
 ー そしてあらゆるものことごとく神の愛である。

そんなに神の愛に包まれていることを思えば、
まずわれらはすべての物に愛を注がねばならない。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/0ea9c806576a16f2ff13ed8d92c2f342
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-09-02)

          <感謝合掌 令和5年5月25日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その01)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/26 (Fri) 12:32:02

ラジオ放送『幸福への出発』(その01)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/audio/kouhuku_001.mp3

          <感謝合掌 令和5年5月26日 頓首再拝>

難癖をつける習慣をやめよう - 伝統

2023/05/27 (Sat) 04:19:49


         *「生命の實相」幸福篇 より

人々よ、今日(きょう)から
他(ひと)に難癖をつける習慣をやめようではないか。

あなたがもし他(ひと)に難癖をつける習慣を改めるならば、
あなたの周囲がきっと前よりもいっそう輝き出すだろう。

世界が明るくなるであろう。

人々もあなたにまた難癖をつけることをやめるであろう。

世界が広々とした海闊明朗な世界になるであろう。

全体があなたを祝福し、あなたは今よりも幸福になるであろう。

呟く歌や悲しむ歌を雑誌などに書いている人を見るごとに、
わたしはその人をかわいそうと思わずにはいられないのである。

いたるところに眼を開けば光が充ち満ちているではないか。


   観終わり東(ひんがし)の空を見てありき燃ゆるがごとく雲流れけり


   太陽も大空も樹(き)も空も鳥もすべて生きてあり生かされてあり


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p18.html
晴れときどき(2013 年 12 月 28 日)

          <感謝合掌 令和5年5月26日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その02)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/27 (Sat) 13:10:21

ラジオ放送『幸福への出発』(その02)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/audio/kouhuku_002.mp3

          <感謝合掌 令和5年5月27日 頓首再拝>

只管打坐の功徳~谷口清超 - 伝統

2023/05/28 (Sun) 04:52:17


       *『正法眼蔵』 三昧王三昧の巻 より

まっしぐらに尽十方世界の現象を超越し、仏祖と同じ心境に達するには、
結跏跌坐することが何よりも大切である。 

外道や魔党の頭上を飛び越え、仏祖の堂奥に入る者となるには、
結跏跌坐にかぎるのである。 

仏祖の究極の境地をさらに超越するには、ただこの一法あるのみである。  

〈以下、「結跏跌坐」 を 「神想観」 と読みかえてよし〉  

それ故仏祖はこれをなし給い、その余のことはなさらなかったのである。

まさに知るべきだ。 
坐禅の世界と、その余の世界とは、全く異るのであると。 

この道理をハッキリと知り、仏祖の発心・修行・菩提・涅槃
 〈悟による安楽境〉 を極めることが何より大切である。

さて坐禅のまさにその時、全世界は縦なる時間か、横なる空間かを参究せよ。 

坐禅する時、その「坐る」ということはどういうことであるか。 
平素とは全く違うのであるか、自由自在であるか、思量するか、不思量か。 

作か、無作か〈何もしない〉か。 

坐禅の場に坐るのか、それともこれらを超越して坐るのであるか。 

これらもろもろの奥にある一切を、よくよく参究しなければならない。 

即ち、身で結跏跌坐し、心で結跏跌坐し、身心脱落して結跏跌坐するのである。

先師如浄禅師はこう説かれたのである。

「参禅は、身心脱落である。 ただひたすら打坐して、これを体得する。 
 焼香、礼拝、念仏、修懺〈懺悔を修す〉、看経を要せず」 と。

あきらかに仏祖の実相をえぐり出し、
仏祖の実相に打坐することを説かれたのであって、

焼香礼拝等の形式にとらわれ、
それもあわせ行えと言うのではないということである。

この只管打坐に徹せられたのは、この45百年来は、
ただ先師お一人であって、中国にも先師に比肩しうるものはまれであった。 

打坐こそが仏法であること、
仏法は打坐であることを明かにされた人はまれである。

たとい打坐即仏法と体得する人がいても、
打坐を打坐として本当に会得した人は未だ他にはいないのである。 

いわんや仏法を仏法と真に会得し保任し続けられた人々が、
果して他におられるであろうか。

それ故、心の打坐があるのであり、身の打坐と同じではないのである。 
身の打坐もあるが、心の打坐とはちがうのである。 
それらは身心脱落の打坐とも同じではない。 

実相がいかなるものかが本当に会得されたならば、
仏祖の行と理解とが相ととのうのであり、
その実相を観るのが 神想観 〈念想観〉 であるから、

この観を保任し、この意識の神髄を
よく深く参究しなければならないのである。

 
釈尊は大衆にこう告げられた。

「もし結跏跌坐をする時、身心が三昧境にいたるならば、
 その威徳を全の人々は恭敬する。 
 それは太陽が全世界を照す如きものである。 

 打坐三昧においては、睡懶や煩悩の心は取り除かれ、
 身体が軽々となって疲労し懈怠することがなくなり、
 悟りが明るく軽く開けるのである。 

 その安坐の姿はあたかも龍が蟠るに似て、
 この跏跌の姿を見るならば、魔王もまた驚き怖れるのだ。 

 ましていわんや仏道を悟った人の安坐なるものは、
 いささかも傾き動ずることがないのである」

 
即ち、結跏跌坐している姿を見聞すると、魔王ですら驚き怖れ憂えるのだ。 
いわんや正しい結跏跌坐をすれば、その功徳は実に測り尽すことができない。

そこで当然常日頃行うところの結跏跌坐は、
その福徳が無量無辺であるということができるのである。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/7f020de335b204225dd5c4c9343fd705
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-24)

          <感謝合掌 令和5年5月27日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その03)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/29 (Mon) 02:54:03


ラジオ放送『幸福への出発』(その03)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/audio/kouhuku_003.mp3

          <感謝合掌 令和5年5月28日 頓首再拝>

感謝と愛と赦(ゆる)しとが病気を治(なお)す~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/29 (Mon) 04:55:34


          *『真理』実相篇 より

肉体に苦痛があらわれたら、その苦痛は

「何か貴方(あなた)の対人的考え方又は行動又は言動(げんどう)に
 間違いがありますよ。注意しなさい」

と深切に警告していて下さっている警鐘(けいしょう)である。

常に想念にも行動にも言葉にも、
神の愛と赦しを実現するようにつとめるならば、
人は滅多に病気にかかるものではないのである。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/c1d4a44d9cc39bcc4c5e38dcb8bc80ae
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-09-04)

          <感謝合掌 令和5年5月28日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その04)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/29 (Mon) 15:20:57


ラジオ放送『幸福への出発』(その04)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/audio/kouhuku_004.mp3

          <感謝合掌 令和5年5月29日 頓首再拝>

新生への言葉~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/30 (Tue) 05:00:13


        *『生長の家』(昭和36年新年号)より

 新たに生れる時が来たのである。  

 今がその時である。  

 今日がその時である。

 この瞬刻限あなたの生命は新たになったのである。

 あなたの魂よ。 目覚めよ。

 あなたの心よ、 目を覚せ。

 あなたの肉体も
 自己が神の美しき逞しき生命の精妙なる自己実現であることに目覚めよ。

 既にあなたの魂は目覚めたのである。

 既にあなたの心は目覚めたのである。

 既にあなたの肉体も目覚めたのである。

 光があなたの魂にしのび入る。

 光明があなたの心に射し入る。

 そしてあなたの肉体も生命も輝きに満たされる。

 今あなたは、
 古き物質の不自由な肉体であると云う誤れる自覚から解放されたのである。

 今あなたは完全に自由である。

 あなたは神の生命である。

 あなたは神の智慧である。

 あなたは神の愛である。

 あなたには如何なる不幸も近づくことはできないのである。

 あなたは完全に解放されたのである。

 万物が神の生命に照り輝いている。

 幸福の天の使いがあなたの家と天界とを往復する。

 愛の花びらが天界から降って来る。

 それが具象化して現実の幸福となる。

 あなたは、今祝福されたる“神の子”なのである。

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晴れときどき(2013 年 12 月 31 日)

          <感謝合掌 令和5年5月29日 頓首再拝>

「愛こそ伝道のすべて」~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/30 (Tue) 14:53:49


Web:みすまるの珠(岡 正章)
481 愛は刑よりも強し(6)
http://misumaru.o.oo7.jp/index.html

谷口雅春先生御講話 「愛こそ伝道のすべて」

をクリック

          <感謝合掌 令和5年5月30日 頓首再拝>

心が動けば全世界が動く ― 『生活応用 健全の真理』 講義~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/31 (Wed) 05:01:49


          *昭和50年11月9日 放送分 より

皆さん、お早ようございます。

今日は 『生活応用 健全の真理』 〈新選谷口雅春法話集 別冊第1巻〉 
という書物をテキストにして話したいと思うのであります。

『健全の真理』 という本は、《新選谷口雅春法話集》 の中にあるのですが、
主として理論的に書かれています。 

この本はその生活応用篇でありまして、
吾々がこの “健全の真理” を日常的にどのように応用すれば、
健康に、幸福に、家富み榮えて、何事も想う通りに成就するようになるか
  ―  という、そういう問題を論じてあるところの書物であります。

さて、そういうようにですね、何でも自分が思う通りに
この世界がなるように日常生活をするためには、
どうしても根本的にこの世界が“物質の塊り”である
ということを信じている限りにおいては、

物質という、高い刑務所の壁のような固いものが吾々の周囲を取り巻いておって、
どうしても、人間は自由にはなれないのであります。

 
◇ 三界は“唯心の所現”

この不自由な“物質の法則”に縛られている世界から超脱して、
吾々は初めて完全な自由を得るのです。 

かつてイエス・キリストは、

 “汝は真理を知らざるべからず。 真理は汝を自由ならしめん”

と言ったのでありますが、
その時、“真理とは何ぞや”とピラトが訊いたのです。 

しかしイエスは黙っておった。 

そこでピラトは、

 “汝は王なるか?” と言ったら、

 “汝が言えるが如し”

とイエスは答えているのです。 

それで到頭磔になることになったわけですが、この 

《王である ―― KINGである》 という意味は、
 
全能の力があるということ  ―  つまり
自分の命令の通り一切のものが動くんだ、という意味を表わす
象徴の言葉だと私は思うのです。

‘それ’が真理なんです。 

一切のものは物質の塊りじゃなくて、思うとおりになるということは、
‘心の力によって’一切のものが動き出すということなんであります。 

そのためには唯物論を脱却して、
この世界は心でできている、心でできているのだから、心で想う通りになる
という世界が実現し得るということになるのであります。 

心で思う通りになるという根本は、
“この世界は心でできているんだ” ということであり、
それを吾々は先ず知らなければならないわけなんです。

お釈迦さんの悟りも、やっぱり‘それ’であったんであります。 

つまり “三界は唯心の所現である” という悟りです。 

三界とは、現象界をひっくるめて言ったんでありますが、
仏教で 欲界、色界、無色界 というのです。 

この3つの世界を輪廻と言って  ―  吾々は輪の廻るように
生れ替って出てくるわけですが、この3つに分れた世界を
“三界”と言ったのです。 

その現象世界全体のことであり、この現象世界というのは
唯心の所現  ―  ただ心の顕われであると釈尊は言われたのです。 

これは、何も生長の家の発明でもないのであります。
 古今を通じて、本当の宗教が説いている真理なんです。 

しかしその説いていることをただ単に象牙の塔の高い処の
本箱の中に入れておいただけでは駄目です。 

またその哲学の本を、或いは仏教のお経の本を、或いはキリストの聖書を、
ただ表面だけ読んで解ったつもりになっているだけでは駄目であって、
本当に、この世界は物質のように見えているけれども、

“物質じゃない、心の塊りである” ということを生活に実行する、
実践するということが必要なわけであります。

 
そこで 『生活応用 健全の真理』 という書物の必要性と
いうものがあると思うのであります。 

同書の 第1章 に、『人間が幸福に健全になる得る根拠』 
というのがありまして、最近の物理学の進歩のことが
書かれているのであります。  ちょっと読んでみます。

 
■ 人間が幸福に健全になり得る根拠

『物質科学特に物理学の最近の進歩は驚くべきものがあって、
 精神科学の進歩と互いに協調して生命の根源への吾々の探求に
 光を照らしていてくれるように見えるのである。 

 例えば物質と言うものは「原子」と言う
 絶対不可分の究極体の集合体だと言われていたものに、

 「原子」爆発の実験によって、「原子」は最早や物質の究極根元者ではなく、
 それはエネルギーの波動的凝縮体であって、
 実に驚くべき多量のエネルギーが、一原子と言う微小体の中に凝縮されており、

 その凝縮されたエネルギーを解放することによって、
 その驚くべきエネルギーが、実用または戦争用に供されると言うことが
 物理学の進歩によって判明した如きである。

 即ち最早、物質は究極的な存在ではなく、
 エネルギーの一つの状態に過ぎないと言うことが
 証明されるに到ったのである。 

 此処に於て、一切のものはエネルギーの変形であると言う
 「汎エネルギー論」とも言うべき世界観が出現して来ることになる
 のであるが、然らばそのエネルギーは何処より来り、何処へ去るのであろうか。

 古典物理学の原則には「エネルギー不滅の原則」と称するのがある。 
 曰くエネルギーはその表現されたる形が変化しても、
 それは熱とか、光とか、力とかに変換するだけであって、
 根本的に謂って決して減衰しないと言うのである。 

 ところが、フランスの科学者ル・ボン(Le Bon) は
 その実験によって、エネルギーは減衰し、
 而してやがて「無」に帰すると言うことを発表したのである。 

 「無に帰する」と言う意味は、五官その他による測定機にかからない
 ところの真空の中に溶け込んでしまうと言う意味である』

と、ここにはこう書いてあるのです。

 
◇ 唯物論では捉えきれぬ人体生理

戦後になって、原子の崩壊の現象を物理学者が色々と
大仕掛けの装置を使って、非常な高速力で原子を回転させてみたりして、
到頭“素粒子”というものを見つけた。 

それまでは、原子という  ―  これは原(もと)の子(こ)
ということで、昔はもうこれ以上“原(もと)のもの”は無いと思って
“原子”と名前を付けたんでしょうけれども、

その原子が一番元(もと)のものじゃなくて更に
“原(もと)のもの”があるというので“素粒子”と言う説を
立てたのであります。 

それで、今では3百種類ほどの素粒子が発見されているというのであります。 

しかも、その素粒子はその存在の期間が非常に短い  ―  つまり寿命が短い。 
1億分の1秒前後のものが殆どであると言うことを、
原子物理学者は発表しているのであります。

寿命が短くって、1億分の1秒ぐらいしか存在しないで消えてしまう
  ―  これを吾々は “無の世界” に溶け込んでしまう
と言うのでありますが、

唯物論的な物理学者は、
それは“無の世界”に溶け込んだのじゃないと言うんです。 

考えられないと言うのであって、
吾々は“エネルギーが物質として顕われたんだ”と言うんだけれども、
しかしながらこう言う唯物論的物理学者は
“エネルギーこそ物質の一つの形態である”と言うのです。

吾々の測定機に掛らない“無”の状態になっても、
決してそれは消えたのじゃないのであって、
エネルギーという一つの形態(かたち)の物質になったのだと言う、
どこまでも“物質”だとこう言うのであります。

これが唯物論でありますが、
しかし、そういう唯物論的考え方である場合にはですねえ、
この人間の身体みたいな、非常に霊妙な大仕掛けの装置を、
しかも有機体であるこの装置をどう捉えたらいいか分らない。 

或る生理学者は、我々の身の丈(身長)は20億の蛋白質の分子を
積み上げたほどの高さであると言っているのであります。

これは、ちょうど煉瓦を20億積み上げて造った
建築物の高さに等しい大建築物であります。 
またこれは横にも、10億ぐらいは拡がっているわけであります。

しかし、煉瓦の建築物であったら、ただじっと建っておれば
それで役に立つのですけれども、
人間という、この驚くべき大建築物は動く、自由に動くのです。 

物質でできた煉瓦の建築物だったら、煉瓦が20億積み重なっておっても、
ちょっと地震ででも動いたら砕けてしまう。 

けれども、人間は地震どころか、宙返りまでして
色々のアクロバットの姿勢でやっても、それでも少しも故障が起こらずに
全体の組織を構造している部分品がちゃんと意識をもっておって繋がっている。

人間は、このような驚くべき生理作用をもっている有機体なのであります。 
この有機体が、心の無い物質のエネルギーが固ってできる、
というようなことはとても考えることができないのです。

それで、“エネルギーも物質の一形態である”というのは、
それはそれで宜しいが、しかしそのエネルギーは単なる物質ではなくして、
知性のある、考える力のある、何でも設計したり、
構図したりすることのできる、

そういう驚くべき知恵を有っているエネルギーだ
ということになるわけなんであります。

そうなってくると“エネルギーは物質の一形態だ”と言っておった、
そのエネルギーと言うものは、実は知性のある、驚くべき知恵を有っている
エネルギーということになる。 

こうなってくると、これはもう唯物論だ、
ということができないのでありまして、
そこに唯心論的なものが出てくるわけなのであります。

そして全ての人体を構成している細胞の一つの目的によって統一されている、
目的性を有っているのであって、バラバラに設計された、
バラバラに偶然に寄せ集って出来上がったものでないのであります。 

ここに、この人間を創ったところの不思議な知恵あるエネルギーが
存在するということを、吾々はどうしても肯定しなければならない
ということになるわけなんであります。

 
◇ 知恵あるエネルギーこそ神様

この驚くべき知恵を有ったエネルギーというのは、物質ではない。 
知性ある存在(もの)であり、しかもその上ですね、

人間がもし偶然にできたものならば、あっちに一人ぐらい、
こっちに一人ぐらい、と言った具合に偶然にできたような形の
人間がいるかも知れないが、

地球上に存在するところの全ての人間が
  ―  37,8億とかある人間が  ―  皆んな同じ設計になっている。 

このことを考えてみたら、この知性あるエネルギー、
知恵を有っているエネルギーは普遍的な存在であり、
何処にも充ち満ちておって、そして霊妙なるその知恵によって
人体を設計して創造りつつあり、

また創造られた人体を巧みに操縦して、そして健康なる状態を維持している、
不思議なる力が存在していることが判るのである。 

その神秘なる力  ―  これを吾々は “神” である
と名付けるわけであります。

ですから、“神”というのが嫌いな人ならば、
神とは言わないで “大自然の知恵” と言ってもいいと思うのです。 

或いは“大生命”と言ってもいいと思いますが、
もう既に‘それ’は唯物論を超えたところの話でありまして、
この世界は、心を有っているところの驚くべきエネルギーによって
設計され、創造られているのであります。

そしてそこから、万物の霊長として一番優れた知性を有って
顕われているのが人間であって、またその人間自身の知性によって、
この宇宙に驚くべき知性があるということを知ることができるのであります。

それで宇宙全体の動きを支配している知性と、人間に宿っている知性とが、
“本来一つのもの”であるから、

それで吾々の心が動けば全世界が動き出す、
互いに相感応して動き出すということになるのです。

そこに吾々の心によってこの世界を支配し得るという
根本的原理が承認されるんじゃないか、と私は思うのであります。

兎も角、この 『生活応用 健全の真理』 という書物は、
そういう世界観、人生観に立って、この生活を如何にすればいいか
という問題を説いているわけなんであります。

 今日は、これで終ります。  


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          <感謝合掌 令和5年5月30日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その05~谷口雅春先生 - 伝統

2023/05/31 (Wed) 13:22:47


ラジオ放送『幸福への出発』(その05)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
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          <感謝合掌 令和5年5月31日 頓首再拝>

よき言葉は人生を照らす光となる~谷口雅春先生 - 伝統

2023/06/01 (Thu) 04:56:56


          *『生命の實相』総説篇 より

吾々(われわれ)は、
自分の言葉の使い方一(ひと)つで、心の持ちよう一つで、表情一つで、

今まで暗く不幸であった日常生活が明るくもなれば、幸福にもなり、

今まで病弱であった身体(しんたい)が健康にもなれば、
常人(じょうじん)以上の精力を発揮することが
出来るようにもなり、

衰(おとろ)えていた運命の開拓も徐々(じょじょ)に
意(い)のままになって来るのであります。




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          <感謝合掌 令和5年5月31日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その06)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/06/01 (Thu) 13:23:13


ラジオ放送『幸福への出発』(その06)~谷口雅春先生
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          <感謝合掌 令和5年6月1日 頓首再拝>

無限者に融合せよ~谷口雅春先生 - 伝統

2023/06/02 (Fri) 04:52:02


       *『生長の家』(昭和36年新年号)より 

何故、人間は或る局面に処して判断を誤り、
不適当な行動をとるのであろうか。

それはその人に神の叡智の流入がないからである。  
これはその人の心が「正」であるとか「不正」であるとかの問題ではない。 

その人の心が殻で蔽われていて
「無限者の智慧」の流入するパイプを閉鎖してしまっているからである。  

これを仏教では「無明」と言う。 

私たちが人々に教えている真理は
此の「無限者」の智慧の流入する道をふさいでいる「個我」の殻を除いて、
「無限者」の智慧と融合する道である。

これは単に書籍によって自己が“神の子”であり、
「無限者」の生命を自己に宿すものであると云うことを
理論的に知るばかりで足りるのではなく、

神想観によって、個我の想念を滅却して
「無限者」の中に没入する修行を為すことが必要なのである。


神想観を面倒くさがって行わない人が往々あるけれども、
最初の倦怠を克服する努力を重ねることによって
神想観が楽行となるのである。


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晴れときどき(2014 年 1 月 4 日)

          <感謝合掌 令和5年6月1日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その07)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/06/02 (Fri) 13:50:06



ラジオ放送『幸福への出発』(その07)~谷口雅春先生
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          <感謝合掌 令和5年6月2日 頓首再拝>

「実相一元、光明一元ということでしたね。藤原の父も榎本も。」 - 伝統

2023/06/03 (Sat) 04:25:54


       *Web:谷口雅春に訊け(2012.1.1)より抜粋
            ~ 榎本一子講師講話

(1) 實相が完全円満ならば、なんで困ったことが起こるのでしょう。
   「完全」が現象に現れてこないのはなぜでしょう。

(2)カタチに現れたら消えているのが、實相なんです。

(3)「これさえ無かったら幸せなのに」な現象は誰でもありますが、
   よくなるために現れたのです。

(4)「困ることがないので困っとる」が、
   父(藤原先生)の言葉でございました。

(5)入院して手術するという日でも、「〝困った〟が消えた」のだ。
   だからこれから良くなるばかりだ。(藤原先生談)

(6)「この世に起こってくるもの」のなかで、
   「悪くなるために起こること」は、「ただのひとつもない」
   と父(藤原先生)は申しておりましたね。

(7) 父が申しておりました。
   「どうしたら?」と思ったときはどうするか?・・・

   ・・・なんでも実践することです。
   「ありがとうございます」を言いましょう。

   ひとつ決めたら、どんな簡単なことでも実践することです。

(8)病気というのは、過去の間違いが消えていこうとしている姿ですから
   「ああ!消えていっているんだ!」なんですから、
   「ありがとうございます」なんです。

(9)借金がある人でも、過去の私の間違った思いが
   「消えていっている」姿なんですから、
   もう消えたんですから「ありがとうございます」です。

(10)問題があるから有難いんじゃないんです。
   消えていっているからありがたいんです。

(11)父は申しておりました。

   「生長の家に入るっているのは〝宝の山に入る〟くらいの有難さだ」

   「世界中のものをもらうよりも、ありがたいことだ」

http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65623509.html

          <感謝合掌 令和5年6月2日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その08)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/06/03 (Sat) 13:58:18


ラジオ放送『幸福への出発』(その08)~谷口雅春先生
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          <感謝合掌 令和5年6月3日 頓首再拝>

吾が國體を生命的に把握せよ~谷口雅春先生 - 伝統

2023/06/04 (Sun) 04:54:32


          *『行』(昭和16年10月号 19頁)より

生長の家は國體原理を明かにし、 
天皇の絶対神聖性を炳(あきら)かにする団体であります。

帝國憲法にありまする 天皇は神聖にして侵すべからず
と云う其の「神聖」と云う意義も、
まだわかっている人が少ないのは残念であります。

その「神聖」という語(ことば)の意味を、
只‘神聖なる機関’として置いてあるのだというような考えが
今までの日本に相当弘まっていたのであります。

美濃部達吉博士が大学の講座で、そういう学説をずっと弘げておったのです。

それにかぶれた人たちが政治を致しますと、
それはいつの間にか幕府政治見たいなものになって来るのであります。

だから日本は本当の政治に帰らなくてはならない
  ―  それは、形態の上のみではありません。

信念の上から、生命的に 
天皇の絶対神聖性を把握しなければならないのであります。

 天皇は宇宙の大神として絶対の方であられるという
此の実相を把握申上げなかったならば、形態の上からは幕府政治でなくとも、
精神の上から、信念の上から、内容の上から幕府政治というものに
なって来るのであります。

そう云う上から生長の家が国家へ貢献している立場は、
北畠親房が神皇正統記を書き、頼山陽が日本外史を書き、
吉田松陰が松下村塾を経営したと云うのと同じ立場であります。

 
幾多の忠烈無比な将兵が生長の家から輩出してまいりました。

その第一線に於ける活躍振りを纂(あつ)めたのが 『戦線消息』 であります。

まだお読みにならない方は是非とも読んで貰いたい。 
一字一句の訂正なしに血のにじみ出るような活躍が、
その第一線からの本人の消息の上に浮かび上っているのであります。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/90a97aabfefae9ec6e99d7928f75df08
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-08-31)

          <感謝合掌 令和5年6月3日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その09)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/06/04 (Sun) 15:31:30


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          <感謝合掌 令和5年6月4日 頓首再拝>

生命界の現象は大生命の愛の花模様(マンダラ)である~谷口雅春先生 - 伝統

2023/06/05 (Mon) 04:49:38


          *『生命の實相』総説篇 より

日本惟神(にっぽんかんながら)の道では
「愛」ということを「むすび」というのであります。

これを古くから日本では「産(う)む霊」という字をあて嵌(は)めて
ムスビと読ませてきたのであります。


つまり、愛は産む霊でありまして、
愛が無ければ「生命」は産まれることも育つことも
完全にできないのであります。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/d6cdd2524de10d92a7e550cd671bcd53
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-09-05)

          <感謝合掌 令和5年6月4日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その10)~谷口雅春先生言葉⑰ - 伝統

2023/06/05 (Mon) 13:35:30


ラジオ放送『幸福への出発』(その10)~谷口雅春先生
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          <感謝合掌 令和5年6月5日 頓首再拝>

“迷い”の悪循環の鎖を断つには~谷口雅春先生 - 伝統

2023/06/06 (Tue) 04:54:08


       *『生長の家』(昭和46年新年号)より

人は自分の “心” によって自分の住む環境をつくるのである。

「蟹は自分の甲羅に似せて穴をつくる」 という諺があるが、
人間は、自分の想念に似せて “自分の住む世界” をつくるのである。 

“自分の住む世界” がどんなに暗黒であろうとも、
それは “自分の心” がつくり出した穴であり、
その穴からのがれるのも自分の心によるのである。

自分の心でつくった牢獄から脱け出す道は、
自分の “心の鍵” で牢獄の扉をひらくよりほかに道はないのである。 

それを仏教者は 
「自縄自縛」 とか 「無縄自縛」 とかいったのである。

縄がないのに自分の心で縄をつくって自分を縛っているのである。 

実例で説くならば、
自分の “心の迷い” で “病気” をつくり出しながら、
その “病気” を見てそれを恐れて 
“心の迷い” を一層深くするのである。 

そして迷いが一層深くなれば、病気の症状は一層増悪し、
その症状の増悪を見て、心愈々迷うという風に
悪循環の環をくり返すのである。


私たちがこの悪循環の鉄鎖を断ち切るためには、
心が現象の症状を見ず 〈見ないからそれに捉われず〉 
「人間・神の子」 の完全な実相の方へ心を振向けることが
必要なのである。  

この、心の実相の 「完全な相(すがた)」 に
振り向ける修行が神想観なのである。



https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p19.html
晴れときどき(2014 年 1 月 5 日)

          <感謝合掌 令和5年6月5日 頓首再拝>

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