伝統板・第二

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谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑲ - 夕刻版

2023/07/01 (Sat) 19:00:14


ラジオ放送『幸福への出発』(その36)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/audio/kouhuku_036.mp3


・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・伝統・第一「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉 (100)」
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(2)光明掲示板・伝統・第一「伝道体験講話~大熊良樹講師 (420)」
     → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=105


(3)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」②
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6458658


(4)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」③
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6582228


(5)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」④
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6691070

(6)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑤
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6819394

(7)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉」⑥
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7167361

(8)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑦」
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7788859

(9)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑧」
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7989007

(10)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑨」
     → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8298091

(11)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑩」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8301267

(12)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑪」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8304221

(13)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑫」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8307975

(14)伝統板・第二「谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑬」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8310829

(15)谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑭
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(16)谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑮
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8316682

(17)谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑯
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8320065

(18)谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑰
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8324394

(19)谷口雅春先生とその高弟の先生方の言葉⑱
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8328228


(20)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6620484

(21)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎②」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7220053

(22)伝統板・第二「常楽への道~吉田国太郎③」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7912130

        <感謝合掌 令和5年7月1日 頓首再拝>

悟りと神想観(2)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/02 (Sun) 04:55:18


更にもうひとつ断食修行の弊害というものは、
断食すると肉体的精神が減衰するのと逆に、
霊的感受能力というものが過敏になります。

その結果、低級霊もいろいろかかって来ることになり、
その場合に正しい指導者がいなかったり、或(ある)いは
修行者自身に正しい強力な守護神がいない場合には、
迷ってる霊にだまされる事があるんです。

これは釈迦が悟りをひらく最後の直前に悪魔波旬(はじゅん)があらわれたり、
イエスが神の子の自覚を得る直前にサタンがあらわれたりしている。

それを釈迦やキリストはその悪霊の誘惑に負けないで、
それが正しい神でないことを知って「去れ」と退(しりぞ)けているのです。

山に籠(こも)り断食などをしていると、
山に浮浪(ふろう)しているような野天狗(のてんぐ)とか
いうようなつまらない種類の霊魂にひっかかったりして、
其(そ)の結果、ちょっと位の第六感が働いて霊眼がひらいて
霊の姿や霊界の一部が見えたり、

或いは天言通(てんげんつう)を得たとか言って、
「神様の言葉」を自分でしゃべるとかというような境地になる人もあります。

けれども、それは霊的感受力が鋭敏になった結果、
一種の霊媒状態になったのであって、
自分の実相が神であるという実相の神性を覚ったという状態ではないから、
その霊の示すところにだまされて脱線する危険性が非常にあるのであります。

ですから、山へこもって断食水行をするとかいうようなことは
しない方がいいのであります。

神は普遍者でありますから、山へ行く必要はない。

悟るためにはやっぱり神想観をするのが一番いいのであります。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/2ed54fd5c81d0bbfbdf14331124b3342
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-09-14)

          <感謝合掌 令和5年7月1日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その37)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/02 (Sun) 12:23:08


ラジオ放送『幸福への出発』(その37)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/audio/kouhuku_037.mp3

          <感謝合掌 令和5年7月2日 頓首再拝>

郷土愛と祖国愛~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/03 (Mon) 04:25:43


       *『生命の實相』 生命篇 より

“郷土愛”、さらにそれが大きくなっては“祖国愛”
 ―― それは超越的な汎世界的な立場からみまするならば、
一個の執着の念だとも評されましょうが、

さらにそれを深く考えますと日本に生まれた日本人は
日本を愛し善くすることによって世界に奉仕し、
人類に貢献すべきであります。

日本人が日本的であることが、世界のためになるのは、
桜の木が桜の花を咲かせることによって人類を喜ばすのと
同様であります。

国民がその国土に生まれて、その国土から恩恵を受け、
自分が現在安穏に生活を続けられているのもすべて国土のお蔭です。 

国土の恩(おかげ)と同時に、その国土の開発につぶさに
艱苦をなめつつ努力して来られた祖先の賜物でもあります。

この恩この賜の一切を否定してしまって、
祖国などはどうでもよい、祖先の意思などというものは
どうでもよいものだというように祖国に対して叛逆的思想を
いだくということは、恩の否定、賜の否定、感謝の否定と
いうことになって、これは神の道 ―― 人の道ではないのであります。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p22.html
晴れときどき(2014 年 1 月 27 日)

          <感謝合掌 令和5年7月2日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その38)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/03 (Mon) 13:41:26



ラジオ放送『幸福への出発』(その38)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/audio/kouhuku_038.mp3

          <感謝合掌 令和5年7月3日 頓首再拝>

祖先の霊供養~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/04 (Tue) 04:53:58

        *『神性開発・完全健康の原理』より

この『甘露の法雨』を読むのは、祖先をお祀りしてあるお仏壇の前で、
毎朝とか毎晩とか時間を決めて、『甘露の法雨』を祖先の霊供養、
霊に対する供養のつもりでお読みになると、
祖先の霊が救われ、自分もまた救われるということになるわけです。

とかくわれわれ現実界の人間は、現実界だけで生活している
ように思っているけれども、そうじゃないのですよ。

祖先の霊魂の神通力が現実界のわれわれに影響して、
思わぬ奇蹟が演じられたりする。

現実界の人間は大した働きもしていないのに、
非常に運よく行って、うまく事が運んだりする人があるでしょう。

そういう人には祖先の霊の影響というものがあるのです。

祖先の霊魂の影響で自分の肉体の病気が起ったり、
あるいは肉体の病気が治ったりすることもあるのです。
 
ですから祖先の霊供養ということが非常に大切であります。


https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/dd41a21514118a20ca851d73b6bfedeb
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-09-16)

          <感謝合掌 令和5年7月3日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その39)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/04 (Tue) 12:54:55


ラジオ放送『幸福への出発』(その39)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/audio/kouhuku_039.mp3

          <感謝合掌 令和5年7月4日 頓首再拝>

悟りと神想観(3)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/05 (Wed) 01:02:26


夜神想観をする時にはむしろ電灯をとぼしておく方が良いのであります。
それは明るくして神想観をする方が、迷っている霊の霊波というものは
(つまり波長の弱い霊波というものは)光線によって
その霊的波動が粉砕されるのは、

恰度(ちょうど)、中波のラジオ波が昼間の太陽の光線で破砕されて
遠距離通信が出来ないのと同じ道理であります。


ところが暗いところで神想観すれば、弱い霊的波動でも粉砕されないから、
低級の霊でも吾々に働きかけることが出来、

神想観が純粋に出来ない場合、低い霊が吾々を欺(あざむ)いて、
神様めかしく吾々に働きかけることがあるのです。


低い階級の霊の波動を光に粉砕せしめて人間に働きかけにくい様にするために、
暗がりの中で神想観をするよりも、明るい昼間又は夜なら電灯をとぼして
神想観をする方がよいのであります。


https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/d3933de7d3ac9db242e021f2e301ee46
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-09-14)

          <感謝合掌 令和5年7月4日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その40)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/05 (Wed) 12:49:13


ラジオ放送『幸福への出発』(その40)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/audio/kouhuku_040.mp3

          <感謝合掌 令和5年7月5日 頓首再拝>

世界を取巻く神霊の大光輪~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/06 (Thu) 04:49:58


     *『生長の家』(昭和40年8月号)より

現象的には
自由主義陣営側は自分のイデオロギーが正しいと思っているし、
共産主義陣営はまた自分のイデオロギーを正しいと思っている。 

そして果てしなき闘争を繰返ししつつあるが、
吾々 “心霊界” に属する者の運動は、
そのような暴力の争闘ではないのである。

 
現象以前の、もっと高次の立場から 
『世界を取巻く神霊の一大光輪』 の一部として、
神霊の世界から、彼らの闘争を止め、

正しき神のみこころが地上に降臨して、
地上に天界の平和が実現せんがために、活動を続けつつあるのである。

若し地上の大多数の人々が 
『すべての人類・神の子である』 という
吾々の正しい信仰に到達することが出来るならば、
自由陣営と共産陣営とは互に微笑を浮かべながら手を握って、
地上の天国建設に邁進することができる筈である。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p22.html
晴れときどき(2014 年 1 月 27 日)

          <感謝合掌 令和5年7月5日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その41)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/06 (Thu) 12:56:12


ラジオ放送『幸福への出発』(その41)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/audio/kouhuku_041.mp3

          <感謝合掌 令和5年7月6日 頓首再拝>

笑顔なき生活に幸福は訪れない ‐ 御教の恩、人の恩 ~ 小林敏之 - 伝統

2023/07/07 (Fri) 04:34:02

   
         *『生長の家』(昭和58年12月号)より

「真理は汝を自由ならしめん」という法則に生きておりながら、
その法則に生かされている自分を見失って、
己が己を苦しめて生きている人々の多勢いるものだという事が、
今こうして地方光明化の第一線責任者の使命を預りますとき、
一層強く感じられるのであります。

私自身も来し方を振り返って見て、
いろいろと法則にさからって過して来て、
今の自分があるのだと深く反省させられます。 

私は、母を小学校に行く前の年に亡くしました。 
母は、私が4歳の時に、親戚の人の看病に行くために別れ、
家にもどった時には自分も病にかかっていて、
私たち子供はもう傍には近寄れなかったのです。 

後で聞かされたものですが、
その頃から私には笑顔が無くなったようであります。

そんな事で、私には本当の母というものがわからないまま、
小学校3年生の時に来た継母を母とも思えず、
自らの運命を暗い苦しいものにしてしまったようです。

継母を母と呼べず、“お母さん”と呼んだらオヤツをあげる
と言われても、どうしても声が出ず、それが呼べませんでした。 

そのため、犬のようにお菓子の御預けをくらって半年ぐらい過ぎた時、
何かのはずみで“お母さん”と呼ぶには呼べましたが、
その頃私は小児性胃潰瘍になっておりました。 

医者の診断は、「甘い物の食べ過ぎ」という事でありましたが、
半年もお菓子にありつけなかった私が、
どうして「甘い物の食べ過ぎ」なのか、
子供心には解りませんでした。

通院が始まって半年ほど過ぎた頃の或る日、病院に行く途中で、
私は、父から貰った5銭で「鬼かりん糖」を買ったことを忘れません。 

それが何と、私の胃潰瘍を治してしまったのです。 
今でも私は黒砂糖の付いた「かりん糖」が大好きなのですが、
その時、この世の中にこんなに美味しいものは無いと思ったほどで、

それまでは病院に通いながら変化の無い症状だったのが、
いっそくとびによくなって、それから1ヶ月もたたないうちに
完治してしまったのであります。

 
うっ積した思いが病いを発するなど知らない時の事でありますが、
今こうして思い返すとき、本当に真理は法則として
厳然と現れるものだと実感するのです。 

その後まもなく肺を病みますましたのも、父や継母を審き、
感謝の無さが、そうした病気を引き起していた事が、
今では良く解るのであります。

継母は厳しい人で、毎日の生活の中で、机の上には参考書も置けず、
解らない事は先生に聞けと言われ、友人から借りた参考書を
破られた事もありました。 

食事は箸の上げ下しにもきびしい注意をされ、
味気ない食事をしたとように子供心には思っていました。

ところが、後年学生時代に、武蔵野市長の子息の家庭教師に伺った時、
市長の奥様が或る日の夕食で、

「小林さんのお母さんはきびしい人でしたね」と言われ、
私は一瞬母を悪く言いかけた時、奥様の次の言葉にハッとして
何かが取れるような思いがしたのであります。

「良かったねえ。 他所様に行って恥をかかなくてすみますね」 と。

私は何がそうなのかは解りませんでしたが、継母のきびしさも、
ただきびしかったのではなかったと、その時素直に思えたのでした。 

また、自分の専門分野であった物理学においても、
他人より早く学位が取れたのも、
「解らない事は先生に聞け」の習慣が、良い結果をもたらしてくれた
ことを思いますと、

悪い継母も、悪い事も一つとして無いのであって、
結局自分の思い様、取り様が悪いのであったと、
今にして思えるのであります。

 新選谷口雅春選集 『叡智の断片』 48頁に次の如く説かれております。

 
『人間の運命を支配するのは、
 真理を知りさえすれば容易なことであるのである。 
 真理を知らないために人間は悲惨なる運命の虜となる。 

 悲惨なる運命を心に描くゆえに、愈々恐怖心の虜となりて、
 尚一層悲惨なる運命にまき込まれるのである。 

 我らの心が正しい方向に向わないで、「悲惨」の方向を向いている限り、
 「悲惨」の陥穽に墜落するほかはないのである。 

 我々が幸福になるためには
 「幸福」の方向へ心が正しく向くことが必要である。 

 「不幸」の方向へ心を向けながら
 「幸福」の都や到達することは不可能である。 

 「幸福」の都へ到達するためには、僅かの光線の方でも、
 その新芽を振向けて伸びて来るように、
 一寸の「明るさ」でも「楽しさ」でも探して、
 その方向へシッカリと心を向けて突進することである』


人々は自ら真理を知らず、
いつの間にか悲惨な運命の虜になっている事がいかに多いかを知るとき、
この御教を人々に伝えることの貴さを身をもって知るのです。

私は、自分では、昭和44年2月から生長の家の同志になった
と思っておりました。 

しかし、考えてみると、生まれたときから生長の家であったのです。 

『生命の實相』 が発刊されて53年、52歳の私が生まれる前から 
『生命の實相』 はありました。 

あったと言うことは、私の家に、生長の家つまり 
『生命の實相』 があったという事であります。

私の父は今春の彼岸の中日に他界しましたが、
その父に、中学校へ入学した頃、お前もそろそろこんな本を
読んでおいた方が良いと言われたのが、
実は黒革表紙の 『生命の實相』 であったのです。

その当時私はちらっと見ただけで、後は気にも止めておりませんでした。 
後年、大学を卒て東京で会社に勤め、葉山から通っていた或る日、
横浜の「しんしん堂」書店で、『光明の生活法』 という本を求めた時、
見おぼえのある文章のような気がして、とにかく良い本だと愛読しました。 

そして、昭和44年2月に生長の家の本部練成をはじめて受けた時、
『生命の實相』 第7巻 がそれであった事を知りました。

さらに、私の家内の実家は古くからの誌友であったようで、
結婚して間もなくのころから、私は聖使命会員にもなっていたのでした。 

そんな所にも真理の御働きを感ぜずにはいられません。


その後岐阜県で長い間薫陶を下さった多くの人々の中でも、
本願寺派の老僧棚橋道信氏を忘れる事が出来ません。 

和尚は、私が学生時代に齧った 『無門關』 を通して、
正しい生長の家を伝えて下さり、お蔭で、
私自身深く生長の家に入ることが出来たのであります。

「学者と坊主は後廻し、理屈の多い者ほど悟りが遅いぞ」と、
学究肌の私の課題を見ぬいて、もっぱら素直になる事の大切さを
教えてくれたのも老僧でした。
 
 
こうして、廻り道を重ねはしましたが、私は昭和54年の春、
岐阜教区教化部長川上繁先生の推薦を受けて、
8月から生長の家本部に努めるようになりました。 

その時父は、「やっとその気になったか」と言い、
本部講師になった時「やっと本物になったかな」と言ってくれました。

 
笑いの無かった私、
朝起きたら鏡を見てその日一日笑顔でおられるように練習せよ
と言われていた私が、現在こうして、毎日毎日を、
そのままそうした生活が出来るようになったのも、

谷口雅春先生がお説き下さった真理のたまものであり、
現在私を取りまいていてくれる家族や、恩ある人々のお蔭であり、
感謝あるのみであります。

 
『叡智の断片』 41頁には、

『吾々が常に記憶して置かなければならないことは、
 どんな経験でも、吾々の生活におこることはすべて
 吾々に好意を持って居るものであり、

 総ての経験は吾を助けて、より高くよりよき心境に達する
 人生航路に魂を深めて呉るものであり、
 事実多き喜びと幸福とを与えて呉るものだと言うことである』  

と、示されております。


人生そのものが、求道の積み重ねの日々であることを、
しみじみ感じる毎日であります。  

合掌

    

https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/6b0abf92cc0e13ca231c0f25df9d2664
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-09-16)

          <感謝合掌 令和5年7月6日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その42)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/07 (Fri) 15:02:03


ラジオ放送『幸福への出発』(その42)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/audio/kouhuku_042.mp3

          <感謝合掌 令和5年7月7日 頓首再拝>

悟りと神想観(4)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/08 (Sat) 04:51:44


神想観について


司会  

神想観をするにはやっぱり姿勢が正しいということが必要である
と言われておりますが、心さえ整えば寝ころんでいてもよい
のではありませんか。


谷口  

姿勢のあり方は、神想観のときに説明していますし、
『生命の實相』観行篇にありますから
重ねて此処(ここ)では申しませんが、
ちょっと位足が痛いからというのでごまかしているといかんのであります。

やっぱり体の姿勢というものが、
「心の姿勢」というものに互いに影響を与えます。

ちょっと姿勢が違うとラジオセットでもバリコンというところ、
ダイアルを廻すあの奥の方にあって外からは見えんけれども、
金属円盤が重ねてある装置がある。

あれが、ちょっと位置が変わるだけで波長が変わるんです。


それで神想観する時には
本当に正しい姿勢をもって神想観するということが必要なわけです。

そして神想観しても
ある人は早く覚(さと)れるしある人は早く覚れない。

これはその人の霊魂の発達の程度だから、仕方がない。


人間の霊魂は、皆神の霊魂が宿っているんだけれども、
皆出発の時期が違うんですから、スタートが違うんですね。

その人の魂の発達が遅れていると言って
低級なという意味で遅れているのではなくて、
その霊魂が神から生み出された最初の出発時期が違うんです。

何遍でも生まれ更(かわ)って修行している霊魂もあれば、
まだ回数少なくしかこの世に出ていない霊魂もあるのです。

そういう霊魂は他の人が早く覚れても、
自分はまだ覚りが遅いというのは、これは止むを得ないことなんですよ。

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/1019ebeef4b2d5a8a57a0972dc900f76
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-09-14)

          <感謝合掌 令和5年7月7日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その43)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/08 (Sat) 14:47:39


ラジオ放送『幸福への出発』(その43)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/audio/kouhuku_043.mp3

          <感謝合掌 令和5年7月8日 頓首再拝>

美点と欠点~谷口清超先生 - 伝統

2023/07/09 (Sun) 04:49:16


       *『生長の家』(昭和42年2月号巻頭言)より

人の美点を見て、それを称め讃えることは非常に大切である。 
この称賛によってはじめて内在の「神性」が開発されるのである。 

現象の奥に隠されている「実相」は、
こうしたよき称賛のコトバによって、はじめて発掘されるのである。

ところが、人の欠点を見て、
それを称賛したらどういう結果になるであろうか。 

例えば鼻が低くて苦しんでいる御婦人をつかまえて 
「あなたの鼻は高いですねぇ」 と言ったら、
恐らく彼女はその言葉を善意にはとらず、 
「あの人はイヤミな人だ。 私を侮辱した」 と憤慨するであろう。 

髪の毛がうすくて悩んでいる男性に、 
「君の髪の毛はまことにすばらしね」 と言っても同じことである。

そこで吾々は 
「欠点」 をほめ讃えたのでは決してよい結果はあらわれない
ということを知りうるのである。 

称賛すべき対象は、相手にある 「美点」 でなければならない
のであって、それは 「実相」 が現象にあらわれている箇所である
が故に、 「実相開顕」 の起点となるのである。


このことは、国家や団体に対しても、あてはまる筈である。 
或る国家の、真にすぐれた長所を認め、それを称賛することはよいが、
その国家の欠点や、悪を、善や美点であるかのごとく言いふらすのは、 
「実相開顕」 の力のみならず、相手をそこない、自己を堕落せしめ、
多くの人心を惑乱する結果となるのである。 

吾々が共産主義国の政治形態を称めることができないのは、
共産主義が唯物論に立脚している関係上、そのやり方が 
「神の國」 の理想とくいちがっている点が数多くあるからであって、
この 「欠点」 を称賛すれば、人心を惑わすからである。

 
勿論、全ての人類は 『神の子』 であり、その本質がすばらしいのである。 

しかし 「国家」 には 「神の國」 らしからぬ国家も沢山あって、
それは現象人間に悪人が沢山あると同様であり、
これらすべての仮相をそのまま良しと認めるわけには行かないのである。

 
個人としての人間であれば、
いかなる人も自分や他人の悪い点を知っているから、
善のみをほめておればよい。 

しかし国家形態となると、どのような国家が 「神の國」 の理想にかない、
どのような国家形態がニセモノであるかを知らない人が多くいるのである。 

そこで吾々は、先ずその説明から始めなければならない。 
個人としては盗癖を善しとみる人はいないであろうが、
国家となるといかに盗癖のある国家でも、生命圧迫の国家でも、
それを 「善」 とみる 「迷妄者」 がいる。 

そこで吾々はその間違いを指摘し、 
「真理国家」 のすばらしさを説かざるを得ないのである。



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晴れときどき(2014 年 1 月 31 日)

          <感謝合掌 令和5年7月8日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その44)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/09 (Sun) 13:20:42


ラジオ放送『幸福への出発』(その44)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/audio/kouhuku_044.mp3

          <感謝合掌 令和5年7月9日 頓首再拝>

逆立ちの民主主義~谷口雅春 - 伝統

2023/07/10 (Mon) 04:58:20

      *『人間そのものの発見とその自覚』 より

戦後、アメリカからデモクラシーという精神的料理が輸入せられて、
猫も犬も杓子も人間も、この精神的料理に舌鼓を打って、
何でもデモクラシーでなければ夜が明けぬ、太陽が昇らぬ、

今でも非民主的だというと悪魔外道のように
思いあやまる人もありますけれども、なかなかどうして、
このデモクラシーという料理、不消化きわまる曲者であって、

戦後幾十年も経った今日でも、まだ日本国民の胃の腑の底に停滞して
一向消化せぬらしいのはまことに困ったことであります。 

或いはこのために、国民全体の生命にかかわる精神的胃癌をも
起こし兼ねない現状なのであります。

デモクラシーというのは民主主義とか人本主義とか訳されておって、
君よりも民が主人公になり、足の裏を上にして頭で立って歩くのが
民主主義だという訳で、

「天皇の大馬鹿野郎」 と書いたプラカードを臆面もなく
押し立てて、共産党員が皇居前広場で平和憲法擁護の
大行列をやったとか、うわさとかいうことを新聞で
読んだことがあったが、

そんなことも今では多少昔物語で日本の国民も
大分落ち着きを取りもどして来たように思われるのであります。

 
しかし、やっぱり国民の「自己」の把握、即ち「人間」の把握は
曖昧模糊たるもので、

「自分を大切にする」ということは
「自分の肉体を可愛がること」だと考えたり、

「自己に忠実だ」ということは、
「自分の肉体的欲望を忠実に満足さすことだ」と考えたり
しているのがよほど多いらしいので、

夫婦の離婚争議でも、三角争議でも、労働争議でも、
基地拡張反対争議でも、大抵はただ一つ 
「自分の肉体的欲望を可愛がるのにはどうしたらよいか」 
ということを動機として展開されているように見受けられる
のであって、

これだから、私が日本ではデモクラシーが国民の胃の腑の底に
不消化のまま停滞していて、国民全体が精神的胃癌という
致命症にかかっていると言いたくなるのも無理はありますまい。


戦争を蛇蠍のようにきらう人があるが、
そして、そんな人が「平和論」の教祖様として
現代知識人信者諸君に崇拝せられて、
マスコミの花形として祭りあげられた時代も過ぎたが、

彼らが戦争をきらったのは、
「戦争後には、こんなに精神的頽廃が起こるから、
戦争は宜しくない」 というのではなく、

「戦争は肉体的に血を流すから、残虐であるからいかぬ」 とか 
「戦後にはこうして国民を飢餓に逐い込むからいかぬ」 とか
いうふうに、肉体の苦痛とか、肉体の飢餓とか物質的損得問題が
主題として取り上げられていたのであって、
精神の問題などは、殆んど忘れ去られている形でありました。 

万事万般、肉体の安楽、快楽、そればかりが注目の焦点
となっているのであります。

これに反して、戦争中は、日本人はもっと肉体を鍛え、
物質を超え、精神的な、霊的な、もっと高いものを求めていた。 

「武士道とは“死ぬこと”と見つけたり」 の日本武士の道には、
もっと高い霊的なものがある。

その時分の日本人の多くは、理想のために肉体を苦しめる
などということは何とも思わなかったのである。 

それどころか、理想実現のためには
「死」もまたいとわなかったのである。 

肉体尊重や、物質尊重ということは低卑な欲望であると
軽蔑せられ、無数の先人の死屍をふみ越えて魂は進軍する、
そこにこそ魂の向上があると考えられていたのでした。

霊的進歩の上からいうと、
肉体尊重のデモクラシー全盛時代よりも、
封建的と言われる戦争中の方に一段と高邁なものがあったのである。 

今でこそ「特攻精神」だなどというと、
市井の肉体主義者の笑い草にもならないかも知れませんが、
これがキリスト精神であり、ソクラテス精神であり、
佐倉宗五郎のせ維新でありました。


理想のためには肉体の苦痛も死も辞さないというような
精神文化と、肉体が楽をし、快楽をむさぼるためには
精神の堕落などはどうでもよいというような、
肉体逆立ちの下部露出的文化との、霊的価値の優劣などは
論ずるまでもありますまい。

誰でも売〇やストリップは軽蔑します。 
誰でも汚職がきたないことを知っています。 

それなら肉体や物質で快感を貪ろうとする傾向を
卑しいものだとみとめている事はどんな民主主義者でも
異論のないところでしょう。 

そこで、人間には、肉体や物質にあこがれる「自己」と、
肉体や物質を軽蔑する「自己」とがあるということがわかります。 

後者の自己の方が尊いことは一目瞭然である訳だ。 
ここに「自己」の正体ということが問題となってくるのであります。

もう一度、道元禅師の 

「仏道を習うというは自己を習うなり、
 自己を習うというは自己を忘るるなり」 

という禅語をくりかえして再考してみたいと思います。

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          <感謝合掌 令和5年7月9日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その45)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/10 (Mon) 12:47:46


ラジオ放送『幸福への出発』(その45)~谷口雅春先生
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          <感謝合掌 令和5年7月10日 頓首再拝>

悟りと神想観(5)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/11 (Tue) 03:39:05


しかしこれは最後のギリギリの悟りだなどというものは、
それはなかなか誰にも得られない。

最後の一番最高完全な悟りというものが得られないのは、
この世界は「無限生長の世界」と説かれているのでもわかります。


無限生長ということは幾(いく)ら生長しても
まだまだ前途遼遠(ぜんとりょうえん)に生長するという意味であります。


だから、若(も)し、
「もうわしは悟った。これで最後の悟りだ。自分は一番偉いんだ」と
思ったならばそれは一番偉いんではなくて、
それは途中で天狗になったというわけであります。


だから悟りにもいろいろな段階があるわけですよ。
だけども、ともかくこの自分の本性(ほんしょう)が神である
ということを、本を読んだり、話をきいたりして、
知的にでもそれがうなずけるというのは、
既に神なる実相がそこまで現われて来ているからであります。


だからこそ、有神論に反感を覚(おぼ)えずに、

「成程(なるほど)そうだ。神はある筈(はず)だ。
 自分のいのちは神から来ているんだ、理論的にうなずける。」

と、こういう感じが起って来るのです。

既に実相がそこまで現われているから、
それを肯定することが出来るのです。



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住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-09-14)

          <感謝合掌 令和5年7月10日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その46)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/11 (Tue) 17:04:58


ラジオ放送『幸福への出発』(その46)~谷口雅春先生
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          <感謝合掌 令和5年7月11日 頓首再拝>

独創のある価値を生み出す最良の方法が神想観~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/12 (Wed) 04:40:22


         *「幸福を招く365章」より

すべての善きものは内部から生まれます。

内部から生まれないものはすべて形骸(けいがい)であり、
模倣であり、ニセモノであり価値なきものです。

  内部とは自分の生命です。
 “自分の生命”とは“神の生命(せいめい)”です。

神の生命は無限内容をもっているのですから、
重複を厭(いと)うのです。 

模倣には同じものが幾つも出てきますが、
内部生命から出るものには同じものは二度とありません。

すべての行動を内部生命から出すとき独創的なものとなり、
内部生命は普遍生命とつながっていますから、
独創的であると同時に普遍的なものがあり、
人類全体の理解と共感とを得るのです。

では内部生命から、独創的なものを生み出そうと思ったならば、
内部生命に深く沈潜して、その無限の中から自己の個性に適する
独創のものを引き出して来なければならないんです。

その沈潜の最良の方法が神想観であります。

                       

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晴れときどき(2014 年 2 月 6 日)

          <感謝合掌 令和5年7月11日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その47)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/12 (Wed) 14:37:30


ラジオ放送『幸福への出発』(その47)~谷口雅春先生
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教えに反対する人と調和するには~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/13 (Thu) 04:45:50


          *『生長の家』(昭和24年10月号)より

『今まで3年間も結核でねていたのに、こんなに働けるようになった
 のは生長の家のお蔭だ。 ああ有難い』 

と云う訳で、安い月給でも不平一つ思わずに、

『兎も角ここへ勤めさせて貰ったことは神様が、
 ここへ生長の家の教えを伝えるべく自分に使命を与えられたのである』 

と思われまして、学科を教える傍ら、少しずつ真理の話をなさるのでした。

即ち 

『人間本来神の子だ。 罪はない。 病気はない。 
 人間は神の子だから既に救われている』 

と云う話をなさるのでした。

そうすると塾主のFさんはカンカンのクリスチャンで、

『人間に罪があるので宗教があるのだ。 
 そんな出鱈目な話をして貰ったら困る』 

と仰るのです。

そして 『罪はないのだ、病気はないのだ』 と
福嶋博さんが自分の病気の治った体験を通して真理の話をなさると、
塾主がそれを打消して 

『今の話は間違っている。 人間に罪があるので、
 それを救わんがために宗教があるのだ、
 病気があるので、それを救わんがために医者があるのだ』 

と云うような話をなさるのであります。

そこで、福嶋さんと塾主とは、どうしても調和しない。 

『天地一切のものと和解せよと云う教えを受けながら、
 先生どうしたらこの塾主と真理に於いて和解することが出来ますか』 

と云う質問の手紙を寄越されたことがあります。



こう云う場合に如何にせば相手と和解することが出来るか
と云う問題は、屹度、真理を人に宣べ伝える菩薩行をしておられる
読者の中には時々起って来る問題だと思うのであります。

そう云う場合に、相手と 『真理に間違っている人だ』 と
思いつめるようにすると、思い通りにあらわれる世界ですから
相手と調和しないどころか、
相手を真理に間違わぬ人にすることは出来ません。 

そこでそう云う場合には

『神は此の世界を完全につくりたまい、
 すべての人に真理を知る叡智を与えたまうのであるから、
 自分の触れる限りの人は悉く真理を知っていて、
 真理に敵対する人などは一人もいないのだ』 

と、神想観中に思念すると好いのであります。

すると、その思念の通り、 
『自分の触れる限りの人』 が真理を知れる人になり、

どうしても真理に抗う人がいれば、その人とは波長が合わないから
自然とその人と遠ざかってしまうようになるのであります。」

こう云う意味のことを私から返事して置いたのでありました。


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          <感謝合掌 令和5年7月12日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その48)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/13 (Thu) 13:20:30


ラジオ放送『幸福への出発』(その48)~谷口雅春先生
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          <感謝合掌 令和5年7月13日 頓首再拝>

悟りと神想観(6)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/14 (Fri) 06:42:30


ところが
「そんな馬鹿なことがあるか。神なんて説くものはみな迷信だ」と
そういう風に感ずる人があるとすると、
そういう人はまだ実相があらわれていないのです。

そういう人が随分たくさんあるのです。
大学教授みたいな学者でも神の存在をみとめられないような人は
実相がまだそこまで現われていないからであります。

だから霊的にいうと低いんだということになるわけです。


神の存在を知的に理解して分っても、
それはある程度実相が現われて悟っているというわけなんだけれども、
無論最後の悟りの境地ではない。


そういう人がだんだん神想観もやり、本も読みやっているうちには
「我(われ)は神の子である」という自覚を得てですね、
本当に何というべきか、法悦というべきか、
歓喜勇躍というような状態になるときが来るんです。


しかしそれでも、最後の境地というわけじゃないんです。
それは最後の境地じゃないんだけれども、
そういう状態になって、感情的に、情感的に、
そういう自覚が得られるのはそれは知的に把握したよりも
もう一段深く把握した一層高い心境で、実相がその程度まで来た
ということであります。


そういう深い境地は中々文字や言葉ではあらわせぬ。
それで禅宗などでは言詮不及(ごんせんふきゅう)とか
不立文字(ふりゅうもんじ)とか言って、
文字や言葉では悟りというものを説くことが出来ない、
文字を立てることをしないと言って、
音のない声を聞けという訳で「隻手(せきしゅ)の声を聞け」
などとも言いますし「まあ坐れ。坐ったら分かるんだ」とも言う。


道元禅師も只管打坐(しかんだざ)
 ー ひたすら坐れと被仰(おっしゃ)いました。




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住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-09-14)

          <感謝合掌 令和5年7月13日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その49)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/14 (Fri) 13:13:03


ラジオ放送『幸福への出発』(その49)~谷口雅春先生
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          <感謝合掌 令和5年7月14日 頓首再拝>

唯物論者の新生する道~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/15 (Sat) 04:53:10


       *『白鳩』(昭和49年新年号)より

   それでも〝悪〟を〝悪〟とみとめる道徳的規準をもっているのは、
   彼ら自身の中に〝善〟なる規準が消えていないからであって、
   それだけでも、人間は本来〝性善〟であり、善悪を知る〝神の子〟が
   宿っていることがわかるのである。

   共産主義者でも、人間を幸福にしてやりたいという〝愛〟の衝動によって
   行動し、それを成就するには革命をも辞せずという理想をもっている。

   そのような人間を幸福にしたい〝愛〟が彼らに宿っているのは、
   彼らも〝神の子〟であるからである。


   しかし彼らが間違っているのは人生観及び世界観が唯物論であって、
   物資や生産物の配分の統制によって人間の幸福が招来されるものだと思って、
   彼らの心のはたらき及び行動の向き方が、
   物質の方向にばかり向いているからである。

   その結果、彼等は魂の光を見ることが出来ない。
   愛の光を見ることが出来ない ―― 物質には魂の光はないからである。
   そして彼らは暗黒面のみを見ざるを得ない。

   しかも彼らも〝神の子〟であるから、
   その暗黒面を破壊して光を見出そうとする。
   それが制度や体制を破壊しようとするのがそれである。

   しかし制度や体制はなかなか頑固な障壁となって
   彼等の前に立ちふさがっていて破壊し得ない。
   彼らは、もどかしさを感じずにはいられない。
   彼らは自己の力が制度の前に無力であるのを痛感する。

   彼らは〝神の子〟だから、〝神の子〟にふさわしくない自分の弱さを憎む。
   その憎しみが自己嫌悪となり、やり切れなくなり、
   その内向的なやり切れなさが蓄積して飽和状態を超えると、
   やがて一転してそれが爆発して、内ゲバとなり、
   仲間同志が殺し合いをするような残虐行為となってあらわれるのだ。

   彼らを救う道は、彼らが〝神の子〟であり、
   人間の幸福は、唯物論的方向からはかち得られるものでなく、
   人間の実相は〝神の子〟であり、性善であるから、
   その性善をあらわすようにすれば地上天国が実現するのだという、
   実相哲学を知らせてあげるほかはないのである。

   そのような青年たちに読ませてあげたいのは『生命の實相』であり、
   『信仰の科学』であり、『いのちの革命』というような反唯物論哲学である。


   ウィリアム・ジェームズ教授のプラグマティズムが教える如く、これらの人の
   把持する哲学が正しいか正しくないかは、の哲学を奉ずる人が幸福になれるか、
   なれないかで判別することができるのである。

   マルキシズムを把持しながら、心がやり切れなくなって、
   同志互に殺傷し合わねばならぬようになっている現状は、
   彼らの捧持するマルキシズムの哲学が正しくないことを
   みずから証明しているのである。


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晴れときどき(2014 年 2 月 20 日)

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          <感謝合掌 令和5年7月14日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その50)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/15 (Sat) 15:21:11


ラジオ放送『幸福への出発』(その50)~谷口雅春先生
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          <感謝合掌 令和5年7月15日 頓首再拝>

傷つかない世界 ― 聖経『甘露の法雨』の奇蹟 ~川上 繁 - 伝統

2023/07/16 (Sun) 05:02:07

       *『光の泉』(昭和62年新年号)より

《『甘露の法雨』というお経には、素晴らしいお蔭があります。 

 その他『甘露の法雨』を持っていただけで災難をまぬがれたとか、
 あるいは又、『甘露の法雨』を一心に読んで御先祖をお祀りしたところ、
 一家が非常に幸せになったとかいう話がよくありますね。 

 これは一体何故でしょうか? 

 それは『甘露の法雨』の中に書かれている真理が尊いからで、
 「真理の言葉」によって全てのものが浄められて、
 「実相」があらわれてくるからです。 

 「実相」即ち本当の世界には、病気もなく、貧乏もありません。 
 どんな不幸も、あらそいも、災難もないのです》

              〈谷口清超先生著 『感謝の奇蹟』 36頁》


聖経『甘露の法雨』を一心に読んでいると、
本当に、不思議な奇蹟のようなことが起って来ます。

教化部長として岐阜県に赴任して1年半経った或る日の事、
家内は1歳の三女を抱いて、当時幼稚園へはいったばかりの四男が
近所の小学校へ遊びに行っていたのを迎えに行きました。

その帰途のこと。 
歌をうたいながら家内についてきていた息子の声が、
急にきこえなくなったと思った瞬間、「キー」と車のブレーキの音がしたのです。 

息子は普通車の前部で10数メートルも引きずられ、
前輪と後輪がそのか細い足の上を通り過ぎて、ようやく車は止まったのでした。 

家内は血みどろの子供を抱き上げて、
泣きくずれている事故を起した女性をはげましながら、
救急車で近くの救急病院へ行きました。

教化部で電話の知らせを受けた私は、すぐ病院にかけつけました。 
息子は、長時間レントゲンや心電図の検査を受けた後、4階の病室に入院しました。 

私だけあとに残り色々説明を受けました。 
「一番問題は頭です」 と言いながら、医師は、
後頭部の真中から三方にヒビのはいった写真を指さしました。

「頭にヒビがはいっています、すぐ手術しなければ大変なことになります」

認めたものが現れる世界であります。 
“認めたらいかん、認めたらいかん”と心の中で叫びながら私は、
「これはヒビではありません、息子の頭のすじなんです」 と答えました。

「何を言っとるかね。 これはヒビなんだよ!」 
と医師は強い語調で言われますので、

「うちの息子は金剛不壊です。 傷つく筈がありません!」 
自分に言いきかせるように、私は腹の底からコトバを発しました。

そして2、3回同様な言葉を交したあと、烈火の如く怒った医師は、
「この人、頭が変だ! オイタオイタ 〈やめるの意〉」 
と叫びながら奥へはいってしまわれました。

私は医者の後姿を拝みながら、

“現象の不完全は無い、実相は完全円満である” 

と祈りました。

子供の病室に行った私は、

「大したことはないようだけど、
 わしは朝まで三部経を誦げるからお前も一緒にあげてくれ」 
と、家内に言って、二人で朝まで一心に大声で聖経を読誦したのです。 

心と声をあわせて何度目かを誦げ終った頃、
“息子は大丈夫だ”との自信が湧いてきました。 

そこで家内を寝かし〈4時頃でした〉、そのあとも一人で一心に誦げました。 
この時ほど命がけで一晩中、聖経を読誦し続けたことは、
それまで無かった事でありました。

6時前頃、息子はむっくり起き上り空腹を訴えました。 
医師の許可を得て、パンと牛乳を与えると、さもおいしそうに平げました。

多量の出血は眼の上の傷口からで、「失明の恐れがあるから」と、
夜分ながら眼科医へも紹介されて診察を乞うたところ、
紙一重の差で眼球に異常のないこともわかり、
その後何度かの検査でも脳波に異常はなく、
6日目の朝、無事退院の運びとなったのでした。

しかし、そこでちょっとした波乱が起きました。 
治療費を、「飛び出した息子が悪いのだから我が家で払います」 
と言うのに対し、

先方様は、「いえ、私に払わせて下さい」 と言われるのです。 

結局あちら様に払って頂きましたが、示談書の 
「何年先になっても後遺症が出た場合、その治療費について責任を負う」 
という箇所は削ってもらいました。

「我が家の息子には絶対後遺症は出ませんから」ということで ・・・ 。 

認めたものが現われる世界であります。 
クワバラ、クワバラというわけです。

現在四男は20歳で、つい先日、生長の家総本山に就職し、
先輩である三男と共に人類光明化のために頑張ってくれています。 
親にとってこんなに嬉しいことはありません。 

『生命の實相』 第1巻〈124頁〉 に、
災難や不幸にあって自分が傷つくのは、自分の心が類似性をもっていて 
「自分の心が招ぶからである」 と示されています。 

大いに反省したことであります。

それにしても 『甘露の法雨』 はすばらしい功徳があると、
しみじみ神様に谷口先生に感謝している次第であります。


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          <感謝合掌 令和5年7月15日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その51)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/16 (Sun) 12:41:38


ラジオ放送『幸福への出発』(その51)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
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          <感謝合掌 令和5年7月16日 頓首再拝>

悟りと神想観(7)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/17 (Mon) 04:53:56


併(しか)し、二十年も坐禅しとっても分からん者が、
神想観をしたらはい分ったというような例もありますが、
別に私は神想観と坐禅との優劣を言っているのではない、
機を異(こと)にするに随(したが)って縁が異(ことな)るのであります。


とも角も、神想観でも坐禅でも覚(さと)れんこともない。
どちらでも覚れるけれども、それで最後ということじゃないのであって、

白隠(はくいん)禅師でも
「大悟(だいご)十八回、小悟(しょうご)は数知れず」
と言っておられます。


大悟徹底したと思っても、まだまだそれは、ひとつの段階であって、
今度こそ大悟徹底したと思っても、まだそれもひとつの段階で
十八回も大悟したと言われておりますがね、
だからもうこれでお終(しま)いだと思ったら無限生長じゃないのであります。

ですから、まだまだ吾々は修行をしなければならない。

知的にまず把握し、それから感情的にも把握し、
それから今度は行(ぎょう)的に把握しなければならない。

さっきおっしゃったところの愛行が真理の行的把握です。

人に本当に愛を与えた時に本当に生き甲斐の自覚というものが感じられ、
そして「我れ神の子である」というよろこびが実感として起って来る
というのが、真理の行的把握ですね。


行動というものは、ただ単に感情というものでもなければ、
知的に知るというだけでもない、もっと具体的に全体ですね。

だから「行動化して悟る」ということになれば、
尚(なお)一層高い程度に悟って来たということになるわけであります。


それでそのやっぱりその真理の書物を読んでそして同時に神想観をして、
それによって全生命が感情的に情感的に悟って、
その悟りから起(た)ち上って、そして人を救うという実際運動を行じてこそ、
そこに本当に永続的な覚(さと)りのよろこびというようなものが
得られて来るのです。


ただ坐禅とか神想観だけをして自分が悟っても、
それはある意味からいうと、ひとつの利己主義であるとも言えます。

自分だけ悟ってなかなかいい気持であっても、
陶然(とうぜん)として坐禅に酔い、
神想観を修して神(かん)ながらのよろこびの感情が湧く程度まで
なって来てもですね、

それは、自分が楽しいのであって、人を救うという境地にはならない
のでありますから、その境地でとどまったらいけないのであります。


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住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-09-14)

          <感謝合掌 令和5年7月16日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その52)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/17 (Mon) 14:16:26


ラジオ放送『幸福への出発』(その52)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/audio/kouhuku_052.mp3

          <感謝合掌 令和5年7月17日 頓首再拝>

実相の善き言葉で、人類の言葉を浄める~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/18 (Tue) 04:55:09


       *『生命の實相』教育実践篇上 より

ヨハネが福音書を書いた時分には「言葉は神なりき」であって、
もうすでに言葉は神ではなかった。 

それはどういう意味であるかといいますと、
言葉は、 實相の言葉 と 嘘の言葉〈つまり迷いの言葉〉 との
二種類があるのであります。

「言葉は神である」というのは、實相の言葉、
すなわち善き言葉が神であって、善き言葉を使う時、
この善き言葉の力によって創造られるものは
すべて善きものであるということであります。

 
それが反対に、本来の善き言葉が汚され歪められて、
われわれが神の言葉、實相の言葉を使わなくなり、
悪しき言葉を使う時、その言葉の力によってこの世は乱れ、汚れ、
天災地変、その他家庭争議などと、災い多き、悪しき現象となって
現れてくるのであります。

この時、もう「言葉は神なり」ではなく、
「言葉は悪魔」なりになっているのであります。

 
それで生長の家の人類光明化運動とは、人類の言葉を浄めて、
ほんとうに神の言葉にするということであって、
人々の言葉を、本来の神より発する言葉、実相より発し
実相を讃える言葉にしてしまおうというのが目的で、
これこそわれらの人類光明化運動の究極の目的なのであります。


本来われわれは神の子であり、その実相は神であります。 
この実相より発する言葉は必ず善ならざるを得ないのであります。 
すべての人みな神の子でありますから、すべてこれ善人なるべきはずであります。

ところがこの世の中には必ずしもことごとく善人の姿をした人間ばかりはいない。 

またそのことごとくが神の子らしい幸福さを備えていないというのは、
とりもなおさず実相から出た言葉がこの世界を形造っていないからであります。

実相ならざる言葉、罪とか、病とか、死とか、本来ないものを、
あるかのごとく装っている言葉がこの世の中を占領しているからであります。

そこでわれわれの使う言葉を実相の言葉
 ―― 神より出でた浄(きよ)まった本来の善き言葉のみに
還元したならば、実相の言葉によって、すべてのものが実相の姿を
この世の中に現わしてきてたちどころに地上に天国浄土が湧出する
というわけであります。


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晴れときどき(2014 年 2 月 23 日)

          <感謝合掌 令和5年7月17日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その53)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/18 (Tue) 13:31:31


ラジオ放送『幸福への出発』(その53)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/koufuku/audio/kouhuku_053.mp3

          <感謝合掌 令和5年7月18日 頓首再拝>

愛は癒す ― 二階堂(小林)春恵さんの話 ~ 中島 與一 - 伝統

2023/07/19 (Wed) 04:50:24


       *『白鳩』(昭和23年9月号 12~15頁)より

二階堂さんは新潟県の加茂町に住んでいる。 
加茂町と云えば2万5千の人口の小さい町である。 

夕食後のひとときを、
中林君、星野君を前にしてこんな話をされたのである。

或る年のこと戦死軍人の遺族たちを集めて、
その慰問のために星野講師に来て貰って真理の話をして貰う
ことになっていたのである。

星野君は加茂の町に来る迄に水上温泉で講演して
誌友の温泉旅館で非常に優遇され、少々過食していたところへ、
加茂の町へ来るとまた誌友が優遇して、
アラレを煎って砂糖をまぶしたようなお菓子を造って、
それが大変美味であったので、お腹をこわしたのであろう、
お腹が痛んでどうしても起きられなかった。

 
二階堂春恵さんは生長の家の本部講師ともあろうものが、
そのような病気になってイザと云うときに起てないなんて、
まことに生長の家の手前を汚すものである。 

どうも怪しからぬと胸糞が悪くなるほど憤慨おく能わざるものである。 

併し医者が来て注射しても、どうしてもその痛みが治らないので、

「二階堂さん、今日のところは貴女が私の代りに往って話して貰えないか」 
と云うたっての頼みなのである。

ともかく、もう会合を打消すことは出来ない。 
人々は集っている。 
講師は腹痛で動くことが出来ない。 

こうなったときに二階堂さんは仕方がないから
講師の代理としてその講演会場へ出掛けて往った。

もう心があがってしまって神招歌を心に歌って
神に祈るだけの余裕もないのである。 

途々 
「私は谷口先生に、貴女の話はラジオの放送をきくように雄弁だ
 と賞められたことがある。 
 だから私は上手に話すことが出来るんだ、出来るんだ」  

と、本部の講習会で体験を発表したとき賞められたことを思い出して、
心のうちにこうとなえながら自分の自信力を奮い起していたのであった。

会場へ到着すると町長や助役や色々の名士たちが自分に対して挨拶に来る。 
すると一旦落着き出した胸が動揺し出して来たのである。 

しかし彼女は演壇に立って聴衆を見渡したとき、多くの未亡人や、
白い髪をはやした戦死者の遺家族たちの何となく淋しそうな顔を見たとき、 
「ああ可愛そうだ」  と云う念で胸が一杯になって来た。

 
「これらの人たちを救うのは私の使命である。 
 人間生き通しの話をしてあげたい」  

と云う念が勃然と起って来たのである。 

その救ってあげたいと云う愛の一念が彼女の胸の中にわき起ると、
「愛のあるところには恐怖はない」とパウロの云ったように
恐怖心がたちまち自分の胸から消えてしまって、
口を開いて出るものはただ真理の言葉になってしまった。

 
人間は肉体ではない、物質ではない、霊である。 
肉体は影に過ぎない、本当の人間は死なないものだ  ・・・ と。

彼女の生れつきの雄弁が愛の熱情に喚び起されて
滔々と唇をついて出る言葉に聴衆を魅してしまった。 

彼女も聴衆が自分の一言一句に動かされて自分を見詰めて
一所懸命きき惚れている光景を見ていると、心は全く落着いて了って、
講話を終ると、講話の後に何だか慰問の余興があると云うことを知ると、
「私が一つ詩吟を致しましょう」と朗々と
まったく好い気になって歌ったと云う程であった。

星野講師は二階堂さんが講習会場で詩吟をやったと云う報告をきくと
全く安心もしたし、驚きもしたのであった。 
翌日も星野講師の腹痛はおさまらない。 

星野講師は翌日は柏崎の療養所に往って講演することになっていた。

二階堂さんの講演度胸を知った星野講師は 
「今日もひとつ柏崎へ私の代理に往って下さい」 と云う。 

そう云われると二階堂さんは腹が立つ。 
「生長の家の講師ともある者が病気をして」と攻撃したくなる。 
心がムシャクシャしてくる。 

しかし約束の講演は星野講師に故障があるとすると誰かが行かねばならぬ。 
二階堂さんは止むを得ず出掛けて往った。 
駅につくと自動車が迎えに来る。 
そしてとうとう柏崎の大病院の講堂に連れられて往ってしまった。

病院の講堂の中には患者のほかに、生長の家の偉い先生が来ると云うので、
星野講師の話をあてに聴きに来ている人たちも大部まじっていたのである。 

ところが「何だ女の人か」と思って、最初に失望した人も多かった。 

二階堂さんは演壇に上って白衣の病人たちを見ると、愛の心が湧き起って来た。 
「これらの人を救わねばならない!」 と彼女は感ずると、
演壇に立った恐怖が急に消えて了った。 

そして滔々として肉体は心の影であることを片瀬淡教授の
血液アチドーチス論を中心に論じて、
だから神想観をして心を調えねばならぬことを力説した。

聴衆は意外に感動したらしかった。 
あとで色紙と短冊10枚持って来て今日の講演の記念に
是非何か一筆かいてくれとことづけた人さえあった。

二階堂さんは驚いてしまった。 
自分は兎も角、『生命の實相』の受売りをしたが、
文字はハジのほかは書いたことがないから、
それだけはお断りしますと云った。 

「イヤ、字の上手下手を云うのではありませぬ。 
 入院患者のうちには、2千もいる中ですから字の上手な人もあるのです。 
 しかしそう云う字の上手な人に書いて欲しいのではありません。 
 今日の講演の記念に是非かいて欲しいのです」 と云うような話であった。 

「私は星野先生の代りに講演したのですから、
 それでは星野先生に書いて頂きましょう」 と云うような話であった。


それから二階堂さんに諸々方々で講演を求められるようになった。 
或る時は講演のあとで一人の母親が11歳の女の子を伴れて来て、
2歳の時から左の手が小児麻痺で動かない。 

そのため、右の手は普通に発達しているが、左の手は細くなって肉が落ちて、
右半身は痩せた赤ん坊の腕をくっつけたように畸型を呈していた。

二階堂さんは片肌ぬがせて、その赤ん坊のままで発育していない
片方の腕を見ると可愛想になってしまった。 
何とも云えない惻隠の情が湧き起って来たのであった。 

動くか動かないかわらないが、
「これは治らない」と云うにはあまりにも気の毒であったので、
「屹度、動くようになりますよ」 と断言したような口調で云った。

「どれ位まであがるのですか、上げて御覧」 こう云いますと、
その女の子は、小児麻痺で全然動かなかった手を、
当り前の健康な手のように、完全に上方まで挙げてしまったのであった。 

それを見ると、二階堂さんは泣いた。 
その母親も泣いた。 
傍らにいた人達も感動した。 

二階堂さんは、この場で 「生き如来さま」 だと唱えられるようになった。

 
ここまで話して来て彼女は泪ぐんで云うのである。 

「私には何の徳もない、ただ 『生命の實相』 の御教えを
 とりつがして貰っただけですのに、生き如来さまなどとは、勿体ない。 
 この話を、いつか来られた 服部仁三郎先生 にお話しすると、
 服部先生は、“悟りを開いたのは谷口先生ですよ。 

 私は谷口先生に救われたのです、私たちは救われたのであって、
 決して悟ったなどと、傲慢な心を起してはなりませぬ” と云われました。 
 私はその心掛けでいますから、いくら生き如来だと云われましても
 決して自分で思い上った気持にはならない積りでございます。」

 
「それは二階堂さんの愛が深いから、そんなに治るのですよ。 
 愛は癒すのです。 

 愛の心の起らない人は説教は上手でも治す力は少い。 
 宗教家は講釈師ではないのですからね。」  と私は云った。


「それについて私はこんな体験をしたのでございます」 
と二階堂さんはまた話し出した。

「もう何年も精神病になっている老婆なのですが、
 それを治して貰いに連れて来たのです。 

 その顔を見ると毒血が一杯にたまっているような
 何とも云えない気持の悪い顔色をしていて、その顔を短剣ででも突き刺すと、
 屹度ドクドクと黒い悪血が流れ出るに違いないと思われる。 

 見るからゾッとするような青黒く脹れた顔でありました。 
 私はその顔を見ているとたまらなくゾッとして、
 迚もその顔を見ていては治せませんでした ・・・ 」

そう云う訳で二階堂さんは仮病をつかって 
「今私はお腹が痛みますから、一寸横になって寝ながら話さして頂きます」 

こう云って彼女は横になって、その精神病の老婆の顔を見ないで、
老婆に背を向けながら生長の家の真理を話したのである。

老婆はそれから毎日根気よく二階堂さんの話をききに来た。 
いつも彼女は老婆に背を向けながら横になって真理の話を受売りする。 
1週間話をきいたあとでその精神病の老婆は斯う云った。

「私は毎日、此処へ斯うして来るけれども、貴女は何一つ話してくれないんですね」

この言葉をきいたとき二階堂さんは急にこの老婆から
頬ぺたを叩かれたような気がしたのである。 

自分は1週間話したのに、本人は何もきかぬと云うのである。 
それは何故であるか。 

自分は愛なしに、相手を唯きたないものとして、
それに背中を向けながら話したのである。 
愛のない話は幾日話しても、それは一日も話さないのと
同じことであると云うことである。


二階堂さんは横になっていた身体を起した。 
そして真正面(まとも)にこの老婆の方を向いたのだ、そして、

「貴女は私に何か話したい悩みがあるのでしょう。 
 色々苦しい事があったのでしょう。 それを私に話して下さい」 

と云った。

彼女は急にこの老婆に愛を感じて、
自分の母親にでも対するような気持になれたのである。 
もう不快も嫌悪も「きたならしい」と云う感じもしなかった。 

するとその老婆は幼い時からの色々虐待されて来た話をはじめたのであった。

老婆は幼いときに養女に往ったのであるが、おやつ一つ与えられなかった。 
それは農家で、竃の下の灰の中に内緒で薩摩藷の一つでも入れて焼いていると、
藷を焼く匂いがするぞと云って、その藷をもって往ってしまう。 

畑で、大根や蕪を生のままで噛って見る以前には
おやつを食べることは許されなかった。

私は今、その老婆の詳しい伝記を爰に書くことは出来ない。 
二階堂さんはそれを詳しく私に話してくれたのだけれども、
私はそれを忘れてしまったのである。 

二階堂さんが、それを覚えているのは、
老婆の話を愛をもってきいていたからである。 

私はその老婆を見ないから、老婆に愛が動かない。 
愛が動かないから、その話を充分にきいて覚えているほどには
私の心がひらかなかったに違いない。

ただ私は二階堂さんの話をききながら、私のところへ、
そう云う精神病者がたずねて来たならば、それに対して二階堂さんのように、
何らのきたならしさを感じないで、いつまでも話すくどくど云う狂者の話を
きいてやるほどの愛が起るであろうかと云うことであった。 

私は、そして、自分の愛の乏しきをその話をききながら恥じたのである。

「遠方には私などよりズッと偉い人がいる」 と、私は時々語ったり、
感動したり、反省したりするのであるが、
その偉いと云うことは学問があると云う事でもなければ、
智慧があると云う訳でもない。 

愛の深いと云う事である。 
二階堂さんの病気を癒す事の出来る力は全く愛の深さから来ているのである。


老婆は云いたいだけ言い語ると
血色が以前よりもズッとよくなっているかのように見えた。 

二階堂さんは云った。 

「もう過去はないのですよ。 今が常に幸福ならば、幸福なのですよ。 
 貴女はもう病気が治ったでしょう。 
 もう癒った証拠に西国33番の札所の詠歌を思い出すことが出来るでしょう」 

と云った。

老婆はそれを思い出して粉河寺の詠歌を美しい声で歌った。 
そうして礼を云って立去った。 
老婆の病気はそれきり治ってしまったのである。


二階堂春恵さんは空襲下で、

「恩師谷口先生の安否がわかる迄は死んではならない。 
 恩師が死んでしまって生長の家の使命が終ったら、いつ死んでも私は悔いがない。 

 けれども、谷口先生が生きていられる限り死んではならない。 
 どんなに食糧不足でも生きられる体験をつんで置かねばならない」 

と云うので、一日に味噌汁2杯と1杯の飯で1年間通して見たが、
栄養失調にもならなかった。 

京都の島薗内科でのビタミン欠乏食をわざと実験のために食べながら
天香さんが脚気にならなかった体験を思い出して信念を高めていた。 

又衣料欠乏の際であるからとて、一冬中新潟県の寒いところで
単物1枚で生活して見たが病気にならなかった。

そんな時には常に 

「神様の清涼な気が自分に流れ込んで自分は爽快で健康である」 

と思うようにしていたと云うことである。


イエスは云いたまう 「我を信ずる者は我よりも大なる業を成さん」 と。 

二階堂さんには到る処に奇蹟があらわれつつあるのである。



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          <感謝合掌 令和5年7月18日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その54)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/19 (Wed) 13:21:10


ラジオ放送『幸福への出発』(その54)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
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          <感謝合掌 令和5年7月19日 頓首再拝>

悟りと神想観(8)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/20 (Thu) 05:05:43


ひとりよがりの愛行では駄目です


しかし人を救ったら、それだけでいいかとこう考えますと、
やっぱり救っただけじゃいかんのであります。

自分は人を救ったつもりで、かえって人を害しているようなことが
随分(ずいぶん)たくさんあるのです。
いいことしたつもりで人に迷惑をかけとる人は随分たくさんある。

それは何(ど)ういう処(ところ)から起るかというと
自分の「我(が)」の考えの愛行から起るのです。


「我」の考えの愛行であの人に親切にしてあげたいと思って
深切するけれども、間違いの深切している。
そしてその人の発達をさまたげることが随分ある。

一時その人はお金でも貰(もら)って助かることもあるかもしれんけれども、
そのためにかえって自分が努力することを忘れることもある。

また或る時は人に忠告をしたらあの人は良くなるだろうと思って
欠点を指摘すると、かえって其の人は欠点の暗示を受けて
「もうわしはこんなに欠点があるから駄目だ」という具合に
堕落する場合もあります。

そういうようにただ「愛行」をするというだけではひとりよがりになります。

「私は人を助けているんだ」と思っとったら
あにはからんやちっとも助けていないで
却(かえ)って害を与えているかもしれない。

そこでやっぱり神想観をして、そして神に融合一致して、
其処(そこ)から出て来る神様の智慧(ちえ)によって、
愛行を実践してゆくということにしなければならない。


ですから、やっぱり真理の書物を読み、神想観をし、
そこから愛行を実践するという風に、
この三つを常に一緒に具体的に実行するということによって、
神に対する悟りがだんだん深まって来るということになるわけであります。

まあ此の問題はこれ位にしておきましょう。

          【 完 】

https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/4ac44d7e9441b671e43410d7924a5ea4
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-09-14)

          <感謝合掌 令和5年7月19日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その55)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/20 (Thu) 13:15:32


ラジオ放送『幸福への出発』(その55)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
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          <感謝合掌 令和5年7月20日 頓首再拝>

すべての富を私的所有としてはならない~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/21 (Fri) 04:00:19


        *『生長の家』(昭和40年10月号)より

人が繁栄の道に乗るのは、実相世界に於ける神の無限のよきアイディアが
現象世界に顕現するためであって、本来“神”のものであり、
実相世界の裕かなる光景(すがた)が地上に顕現したのであるから、
それは決して個人個人の所有ではないのである。

この財産は、自分の“永遠の所有”だなどと思ってはならないのである。 
また実際に何人も何物をも永遠に所有することはできない。 

たとい○○○○氏が百億円の財産を生前につくっていたにしても、
氏はやはりそれを永遠に所有し得ないで、霊界に旅立ったのである。

金銭は無論のこと、土地も、家屋も、
すべて永遠に個人の所有ではあり得ないのである。 

それは確乎とした“物質の固まり”のように見えているけれども、
実相世界にあるアイディアの投影であるから、
アイディアは普遍的存在であるから永遠に私的所有は許されないのである。

私たちは、ただ一時、現象界に影を映したところのその映像を楽しみ且つ、
自分の魂の進歩のための教材として色々に扱うだけの事なのである。 

そして、それを自己の私的所有として執着するとき、
その結果は悲惨な結果を招くのである。


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晴れときどき(2014 年 2 月 25 日)

          <感謝合掌 令和5年7月20日 頓首再拝>

ラジオ放送『幸福への出発』(その56)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/21 (Fri) 13:17:33


ラジオ放送『幸福への出発』(その56)~谷口雅春先生
Web:黄金華咲く
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          <感謝合掌 令和5年7月21日 頓首再拝>

不老長寿の秘薬~徳久克己 - 伝統

2023/07/22 (Sat) 13:44:28


         *『光の泉』(昭和62年新年号)より

「不老長寿の秘薬」は「心」にあるのであって、ほかのどこにもない、
と教えられますと、次には「どのような心が、不老長寿の秘薬か」
ということを知る必要があります。

生長の家では「肉体は心の反映〈かげ〉」である、と教えておりますが、
そのとおり、肉体は心によって、変るのであります。 

「心」というものは、目にみえませんし、手でさわることができませんので、
私たちは、この「大切な心」を、つい忘れてしまったり、
ほったらかしにしてしまうのです。

しかし、ビックリしますと、身体が全然うごかなくても、
心臓がドキドキとしてきますし、恥かしいと思いますと、顔が赤くなってきます。 

そのように、人間の身体は、その人の心に、強く強く影響される、と申しますか、
心が肉体で現われているのであります。

 聖経 『天使の言葉』 のなかに

 「『念』に従って一つの組織を現ぜるもの
  この『生ける肉体』なり。
  されば『生ける肉体』は念に従ってその状を変ず。
  『健』を念ずれば身健かとなり
  『病』を念ずれば身に病を現ず。」

と示されています。 
このように心が念ずるとおりに肉体に現われるのであります。 

このことが、よくわかっていませんと、
「不老長寿の秘薬」は「心」にあるのであって、ほかのどこにもない、
ということを理解することができません。

 『生命の實相』 をはじめて読みました時、

 「心変われば、病気がなおる」

と書いてありますので、私は驚きというより、むしろ腹立たしさを感じました。 
小学校の時から、医者になるために、25年間も勉強して、
来年、医学博士になれるという時ですから、
今まで習ったカラダだけを見る医学とは、全然ちがう。 

「心を変えれば病気がなおる」という病気に対する考え方を、
どうしても納得できなかったのです。

昔から「病は気から」と言われていますように、
実際に患者を診療していますとき心が病に多少の影響がある
とわかっていましたが、心が変っただけで、そう簡単に
病気がなおるとは信じられませんでした。

しかし 『生命の實相』 を読みつづけていますうちに、
「なるほど、なるほど、そうか」と、ダンダンとうなずけるようになり、
『生命の實相』 に説いてある「心の法則」を理解できるようになりました。

昭和23年から、練成会をはじめまして、
医学的な治療はなにもしないで、心をかえるだけで、
実際に多くの病人がいやされてきました。 
全く、不思議といえばフシギです。 

ですから、「不老長寿の秘薬」は「心」にあるということも、本当に理解できます。

『生命の實相』 第24巻〈※頭注版〉60頁に、

「不老不死の若返り薬は、物質的薬剤にはないのである。 
 それはわれらの心のうちにのみある。 
 永遠の若返り薬は正しき順なる心の向け方にあるのである」

と明記しておられます。 

そして同頁に、

「われらの知っている若返りの秘薬のうちで、
 愛ほど強力な若返り薬はないのである。 
 仕事に対する愛、隣人に対する愛、あらゆる事物に対する愛。 
 愛こそ実に最も強力なる起死回生薬、若返りの秘薬となるものである。 

 愛は人の最も高きものを魂のうちに目覚めさす。 
 愛は人の最も強きものを情のうちに掻き起こす。 
 愛は人のうちより神なるものを喚起こすのである」

このように教えておられます。

ここに教えておられる 
「永遠の若返り薬は正しき順なる心の向け方にあるのである」 のなかの、
「正しき順なる心の向け方」の第一が「愛」である、ということになるのです。

 「神は愛なり」

と教えられていますので、私たちが「愛」にめざめた時、
私たちの「心」が「神」と波長があい、
それが 「不老長寿の秘薬」 になるのであります。

ここで私たちが気をつけなければならないことは、
「愛」が、若返りの「正しき順なる心の向け方」でありますならば、
「愛」の反対の、怒り、憎しみ、怨み、などの心は、
「逆なる心の向け方」になりますので、
老衰を引きおこす心の向け方となるのです。

相手が悪いからといって、相手を怒り、憎み、怨んでいますと、
善いと思っている自分が、老衰してしまうのですから、
気をつけなければなりません。 

どんな相手であっても、
それを「ゆるし、愛する」ことこそ、不老長寿への第一歩です。


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          <感謝合掌 令和5年7月22日 頓首再拝>

「無門關解釋」講義(その1)~:徳久克己 - 伝統

2023/07/23 (Sun) 04:50:01

「無門關解釋」講義(その1)~:徳久克己
Web:黄金華咲く
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          <感謝合掌 令和5年7月22日 頓首再拝>

「無門關解釋」講義(その2)~:徳久克己 - 伝統

2023/07/23 (Sun) 12:43:44

「無門關解釋」講義(その2)~:徳久克己
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/tokuhisa/player/sound102.html

          <感謝合掌 令和5年7月23日 頓首再拝>

神想観の祈りと米国光明思想(1)~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/24 (Mon) 04:48:31


        *『 白鳩 』(昭和22年5月号)より

米国光明思想家グレーン・クラーク氏の祈りは、

『 神よ、あなたの生命を吾に流れ入らしめ給え 』
( Lord fill me with Thyself)と云うのであります。

ディヴァイン・サイエンスのヘンリー・ヴィクター・モルガン氏と
協同して光明思想を宣伝している英国チチェスター市の
ヘンリー・トマス・ハンブリン氏の著書にも同じ言葉が書かれています
(昭和二十二年当時)。

メタフィジカル・ヒーリングでは、
神の生命をわが内に流れ入らせて、神に任せきってしまえば
もう我(が)の計(はから)いで思い煩(わずら)うことは
要(い)らないのです。

「わがわざはわが為すには非ず」して、
おのずから神の祝福の流れにある自分を見出すことが出来るのであります。

それは生長の家の招神歌第一首の
『生きとし生けるものを生かし給える御親神(みおやがみ)、
 元つみたまゆ幸(さきは)え給え』
という所と全く一致するのであります。


招神歌は自分のみで実修するときは高声で朗唱する必要はありません。
『生きとし生けるものを生かしたまえる神よ、
 あなたの生命を吾に流れ入らしめ給え』と云う心で念ずる。

そして静かにその文句を繰り返し念じて、今ここに神の生命が生きているのだ。
自分が生きているのではない、神の生命が生きているのだ。
有難う御座います、有難う御座いますという心になるのであります。


その気持ちは唯(ただ)感謝だけで他の気持ちは何もなくなるべきであります。


何とか他に自分の注文(ちゅうもん)をして、
祈りをしなければ効かんように考えたり、
神様も私の願いに気がつかないかも知れない、
私を忘れていらっしゃるかも知れないなどとか思って
『神よ吾を覚え給え』などと祈る宗派もありますが、
之(これ)では神を信じていることにならないのです。



https://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou/e/a1e90acee7c120851506d5f6b96d13db
住 吉 大 神 浄 め 給 う(2013-09-14)

          <感謝合掌 令和5年7月23日 頓首再拝>

「無門關解釋」講義(その3)~:徳久克己 - 伝統

2023/07/24 (Mon) 13:13:29


「無門關解釋」講義(その3)~:徳久克己
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/tokuhisa/player/sound103.html

          <感謝合掌 令和5年7月24日 頓首再拝>

真理の自覚を研いておくこと~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/25 (Tue) 04:54:23


          *『生長の家』(昭和36年新年号)より

聖書や仏典を心讀すれば、人間の本質(実相)が如何なるものであるかを
知ることができる筈であるが、なかなかその解釈がむつかしいのと、
何処にその真理の中心があるのか不明なために、そ
の真理を捉え得ないのが普通である。

ところが 『生命の實相』 を讀めば、聖書や仏典に書かれている真理を
開く鍵が得られ、それによって今まで難解であった聖書仏典の章句の意義が
あきらかになり、

祖先伝来の宗教のよさがわかり、それがそのまま有り難くなるばかりでなく、
宗教が実生活に応用できることになるのである。


だから真理を自覚する最善の道は 
『生命の實相』 を一日数頁は必ず讀むと云うことが、
幸福生活を実現する道だと云うことになるのである。 

その次に必要なことは教えの集りに出席して、
真理を一歩でも多く到達した人に接触し、
その座談を聴き、体験に接することである。


私たちの日常生活は、大抵、物質の争奪や、虚栄、虚名をもとめる
煩労に汚されているのであるから、一日のうちの或る時間を、
それらの汚れた生活から離れ去って、 

『生命の實相』 を讀み、神想観をし、
或は真理を求める同信者との会合に列席して
心を清めることが必要なのであるのである。

 
人間は神の子であり、霊的実在であることは、
一度でも 『生命の實相』 を讀んだり、講習を受けた者には
明らかなことであるが、その真理を知っていながら、
その真理が日常生活の煩労によるゴミに掩われてしまって
役に立たないような状態になっていることが実に多いのである。

嘗て讀んで知っている真理は、整理箪笥の抽斗の中に入れてあって
忘れている道具のようなものであって、‘ある’には在るのだけれども、
何処に入れてあったかを急にそれを持出して実用に使えないのである。 

大工はつねに自分の道具を磨いて整備して置くものであるが、
真理を有効に使おうと思ったら、常に真理の自覚を磨いておかねばならぬ。 

その磨きが聖典読誦であり、神想観である。


https://predictional46.rssing.com/chan-21595050/all_p26.html
晴れときどき(2014 年 2 月 27 日)

          <感謝合掌 令和5年7月24日 頓首再拝>

「無門關解釋」講義(その4)~:徳久克己 - 伝統

2023/07/25 (Tue) 14:36:55


「無門關解釋」講義(その4)~:徳久克己
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/tokuhisa/player/sound104.html

          <感謝合掌 令和5年7月25日 頓首再拝>

幼児期に実父母に育てられなかった子供は~谷口雅春先生 - 伝統

2023/07/26 (Wed) 04:50:55


         * 『白鳩』(昭和40年7月号)より

幼い時に、生みの親に育てられなかった子供は、
両親として止むにやまれない事情があるにしましても、

子供としては其の事情がハッキリ呑み込むことができませんから、

「産んで置いて育てもせず、産みっぱなしにして置いた。 
 親としては無責任だし、親が私を手放したのは、
 親が私に愛情がなかったからだ」 

という風に考え勝ちで、里子にやって育てられていた子供の中には
一生涯、親を怨んでいる人もあるものです。

ですから、事情が許すと許さないとに拘らず、
自分の生んだ子供は自分が育ててやるべきであります。

更に況んや、自分たちが愛情の結晶として胎に宿した子供を、
自分だけの生活の御都合上で、その子供を殺して流してしまう如きは、
以っての外でありまして、

脳髄の発達していない胎児は、
脳髄の組織を通してあらわれる二次的意識  ―  肉体意識としては、
何もわからないで、闇から闇に葬られてしまいますが、

胎児は「霊魂」としては第一次的意識をもっていますので、
出生の希望をもって妊娠して来た子供を、その肉体を殺して
出生の希望を挫折させてしまうことは、その霊魂から怨みを買うことにもなり、

その霊魂の進歩の“場”を奪い去り、その霊魂の成仏をおくらせる事に
なりますから、胎児堕胎のような事は断じてよくないのであります。

https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/c3940d2f1a927b7ba789d4b7ce43f9cd
VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ(2015-09-25)

          <感謝合掌 令和5年7月25日 頓首再拝>

「無門關解釋」講義(その5)~:徳久克己 - 伝統

2023/07/26 (Wed) 13:12:27


「無門關解釋」講義(その5)~:徳久克己
Web:黄金華咲く
http://dainihon.sakura.ne.jp/tokuhisa/player/sound105.html

          <感謝合掌 令和5年7月26日 頓首再拝>

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