伝統板・第二
ゆるしはすべてを変える ⑥ - 伝統
2023/11/24 (Fri) 13:45:03
「ゆるしの法則」ジェラルド・G・ジャンポルスキー(著)
(1)ゆるしとは、過去からの罪の意識と怖れを手ばなすことなのです。
(2)人生でもっとも重要なことは、人間関係を癒すことです。
人間関係は、ゆるしによって、罪の意識や怖れ、
一人ひとり孤立しているという思い込みを消し去ったときに
癒されます。
(3)何かを心から受け入れ、ゆるすとき、
私たちは、それから解放され、手放すことができます。
そして、本当の自分、生まれながらにもっていた『愛』が
流れ込んでくるのです。
(4)今この瞬間、ゆるしを考えることで、
心からやすらかに幸せでいることができるのです。
https://spiwisdom.com/spibooks/love-forgive/gerald-g-jampolsky-forgive
・・・
<参照>
これからの「許す心」の大切さ
伊勢ー白山 道2023-11-24
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/bc89b1d2c07a2723a07b00079095b592
・・・
<関連Web>
(1)「光明掲示板・第一」内スレッド「ゆるす(釈・赦・許) (6522)」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1234
(2)「光明掲示板・第二」内スレッド「ゆるし (10842)」
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2078 (消滅)
(再掲示)伝統板・第二「ゆるし」(光明掲示板・第二)
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7885006
(3)「光明掲示板・第三」内スレッド「ゆるし」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=41
(4)光明掲示板・伝統・第一「ゆるしはすべてを変える (42)」
→ http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=25
(5)伝統板・第二「ゆるしはすべてを変える ①」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6461367
(6)伝統板・第二「ゆるしはすべてを変える ②」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6859307
(7)伝統板・第二「ゆるしはすべてを変える ③」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7631151
(8)伝統板・第二「ゆるしはすべてを変える ④」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7884825
(9)伝統板・第二「ゆるしはすべてを変える ⑤」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8055943
<感謝合掌 令和5年11月24日 頓首再拝>
ゆたかに愛し、ゆたかに釈(ゆる)す念(こころ)を起こす - 伝統
2023/11/28 (Tue) 10:28:10
*「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月28日)より抜粋
われわれは他(ひと)を釈(ゆる)す心にならなければならない。
「釈(ゆる)す」は「放つ」であり、「放つ」は開放するのである。
他(ひと)を釈(ゆる)すことのできない者は「尻(けつ)の穴の狭い者」であり、
他(ひと)を害する心あるがゆえに、自分自身をも他(ひと)から害される恐怖が
あるのである。
かくて内臓も筋肉もすべてみずから把(つか)むことによって
硬化し萎縮してしまうのである。
それを癒す道は、症状に対して直接的には
「人間は神の子であるから、害されるものではない。
われ便通によって生きず、神の生命(いのち)によって生くるなり」と
大らかな気持ちになって心から便秘を放つのである。
そして間接的にはもっと根本的には、ゆたかに愛しゆたかに釈(ゆる)す
念(こころ)を起こすことである。いやしくも人を釈(ゆる)さず、
やっつけてやろうというような考えを起してはならないのである。
他(ひと)を傷つける心は自分を傷つけ、
他(ひと)を愛する心は自分を愛することになるのである。
<感謝合掌 令和5年11月28日 頓首再拝>
他(ひと)を赦さぬことは、「自分の心」を赦さぬこと - 伝統
2023/12/27 (Wed) 12:05:01
*「生命の實相」幸福篇下巻(12月27日)より抜粋
他(ひと)を赦さぬことは、「自分の心」を赦さぬことである。
他(ひと)の欠点を見つけることは、
「自分の心」を不快で塗りつぶすことである。
「峻厳なる寛容」こそその人の魂の進歩を物語るものである。
断ち切るべきは断ち切り、棄てるべきは棄てきり、
しかして****のごとくカラリと明瞭に
心の中に一点の雲もないようでなければならない。
いつまでも他(ひと)の欠点を見ながら、それを言い現わすこともできないで、
常にグジグジ心の中で思い煩っている者は、
自分自身を切り虐(さいな)んでいる者であるとともに、
相手からも見くびられて尊厳を失墜するものである。
<感謝合掌 令和5年12月27日 頓首再拝>
アーロン・ドーティ〜その時、初めて君は変わる!! - 伝統
2024/02/07 (Wed) 11:14:40
アーロン・ドーティ〜その時、初めて君は変わる!!
*「許すべきものは何もない」〜
Makana Spiritual(2024/02/06 )
https://www.youtube.com/watch?v=pS1TqUi0mwo
<感謝合掌 令和6年2月7日 頓首再拝>
家族互いに赦す日 - 伝統
2024/02/08 (Thu) 08:36:34
*「光明道中記」(2月8日)より
【地獄の家庭では、主人が「怒っても好い権利」を捨てぬし、
細君は河豚(ふぐ)のように「ふくれても好い権利」を主張する。
(『生命の實相』第四巻)】
審判(さば)く人、閻魔の庁の御役人のような人、
青鬼のようなヒステリックな人、赤鬼のように興奮した人、
こんな人たちが住んでいる世界が地獄であり、
そんな家族の住んでいる家庭が「地獄の家庭」である。
誰の家庭でも此の地獄的分子の多い少ないによって、
その地獄的性質に多少の色合が変化するのである。
赦すこと、すべての家族を赦すこと。
赦さないから、筋肉が突張るものを。
赦さないから、肩が凝るものを。
外部的治療は一時的効果しかない。
癌と心の中に「品」物を「山」のように積んでいるのは愚かなことである。
あなたの癌を治すためには心の中の癌を取り除くことが必要である。
「富める者の天国に入るの難きこと駱駝が針の孔を通るが如し」
とキリストは言っている。
心の中に色々の品物を貯え置くのは愚かである。
心は常に空虚が好い。
妻たるものは優しくあれ。
良人に物を言われて、立った儘返事をするようなことでは、
その家庭は屹度面白くないであろう。
柔らかい女性の天性はどこまでも柔らかくなければならぬ。
<感謝合掌 令和6年2月8日 頓首再拝>
《一度憤った相手は思い出してゆるせ》 - 伝統
2024/05/27 (Mon) 12:27:31
*「光明法語」(5月27日)より
「われすべての人を赦したり」と観じても、
そう漠然と思うだけで赦していないことがある。
それは自分の家はもうすっかり不浄のものを洗ってしまって
洗濯物はないと信じていても、
押入の隅っこに「汚れ物」をつくねて忘れていることがあるのと同じである。
その「汚れ物」を発見し、それに清らかなる水を灑(そそ)いで
洗い浄める事が必要なのである。
過去より今まで嘗て憎み恨み憤りたりし相手を思い起こし、
一々その顔を眼瞼(まぶた)の内に思い浮かべ、
「私は貴方を赦しました。貴方も私を赦しました・・・」と
心の中に唱えるのである。
<感謝合掌 令和6年5月27日 頓首再拝>
《相手の幸福を祈ること》 - 伝統
2024/05/29 (Wed) 13:28:18
*「光明法語」(5月29日)より
次に相手の幸福を祈れ。
真に相手の幸福のために祈り得るような心境になり得てこそ、
真に相手を自分が赦しているのである。
そうでなしに、相手のことを思い出すのは不快であるから、
忘れてしまいたいと思っているようなことでは真に赦していないのである。
キリストが「汝の敵のために祈れ」と教えたのもこの意味である。
彼の幸福を祈り得るような心境に達したときにのみ、敵が敵でなくなるのである。
人間の真の勝利は、自己内部の敵を征服することにある。
自己の内にある「敵」の観念を克服せよ。
<感謝合掌 令和6年5月29日 頓首再拝>
懺悔によって赦されよ - 伝統
2024/07/14 (Sun) 10:41:52
*「光明法語」(7月14日)より
「赦された」と云う実感は、神と自分とを隔てていた堤を取り去る事になり、
其処からして神の癒力が流れ入るのである。
キリストの「汝の罪はゆるされたり」の言葉が、
よく難治の病者をいやしたのも此の理によるのである。
悪は悪と気がついたとき、その罪は消えたのである。
何故なら、悪が悪と気がつくとき、
もう自分は上の境涯に立って過去の自分を見ているからである。
かかるとき、キリストは言った。
「汝の罪ゆるされたり、去って再び罪を犯す勿れ」。
<感謝合掌 令和6年7月14日 頓首再拝>
《自分自身の欠点を許す》 - 伝統
2024/09/01 (Sun) 10:43:12
*『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月1日)より
われらはすべての人を赦さなければならないのである。
すべての人の中には、自分自身を含んでいるのである。
自分自身の欠点を赦さなければならないのである。
あなたの欠点に向かって、心の中で次のように唱えて
その欠点を赦すのが一つの良き方法であるのである。
「自分はすでに赦されたり。
神によって完全にせられたのである。
もはや、欠点もなく浄(きよ)められたのである。」
こう繰り返し繰り返し念じて、神の光明の中へ融け込んで、
完全に雪のごとく清浄にせられたる自分を瞑想するのがよいのである。
<感謝合掌 令和6年9月1日 頓首再拝>
「赦す」と「許す」の違い - 伝統
2024/10/11 (Fri) 12:46:21
「赦す」と「許す」の違い
伊勢ー白山 道(2024.10.11)
https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/4f2b1b568dc5b491964585fbf727c937
<感謝合掌 令和6年10月11日 頓首再拝>
すべての者をゆるせ - 伝統
2024/11/20 (Wed) 10:59:49
*「光明法語」(11月20日)より
「ただ一人に対する憎みでさえも神の国に入(い)る扉をすべて閉じる事になる」
とグレン・クラーク教授は言っている。
「七つの燈台の点燈者の神示」には
「争いの念波は神の救いの念波を能(よ)う受けぬ」とある。
自己慢心、自己憐憫、自己欺瞞、嫌悪、憎み、怒り、及び恐怖心は
同じく神の霊波の入口をとざすものである。
扉をとざす諸原因を捨てるとき、吾らは「神の国」に入る事が出来る。
如何にせばこれらの諸原因を捨てる事が出来るか。
愛と赦しと平和の思念をすることである。
<感謝合掌 令和6年11月20日 頓首再拝>
《人を赦して眠ること》 - 伝統
2024/12/15 (Sun) 11:18:24
「光明法語」(12月15日)より
イエスさえも審判いたならば審判(さば)かれて十字架に架かるのである。
普通の人間が人を審判いて幸福になれる筈(はず)はない。
「兄弟を憤る者はゲヘナの火に投げ入れられん」とまでイエスは激語している。
多くのなかなか治らない難病は
人を恨んでいる為に、又は人を赦(ゆる)していない為に治らない。
病める者は眠りしなに、赦していない者があればそれを思い出して
「私は貴方(あなた)を赦しました。貴方も私を赦しました。
私はあなたに感謝しています」と深く念ずる事によって治るのである。
<感謝合掌 令和6年12月15日 頓首再拝>
すべてを赦し、感謝して眠りに入る - 伝統
2024/12/23 (Mon) 12:13:26
*「生命の實相」幸福篇下巻(12月23日)より
わたしの『光明の生活法』の本の携帯版が気持ちのよい形で、
そんなどぎつい装飾もなしに、ととえば夜しずかに降りて
万物をうるおしてくれる夜露のように質素な、そして典雅な形で出た。
常にこの書を携帯していちいちその生活法どおり実行する者は幸いである。
この生活法を常に実行している者は常に健康であるに相異ない。
不健康とは、生活が不健康であり、
思いが不健康であることの反映であるに過ぎない。
人間の実相(そのまま)は健康であるからである。
わたしは『光明の生活法』の中で
就寝前の15分間の神想観の方法を説いておいたが、
それを病気の治癒に応用する場合に特に注意すべきことは、
就寝前に、その日、またはそれまでの日において呪っていた人々を
釈(ゆる)し、憤(いきどお)っていた人々を宥(ゆる)し、
憎んでいた人々を恕(ゆる)し、自分の好まない人たち、
反感ある人たちとその過失とをことごとく赦して眠ることである。
眠っている間に最も多くの癒しの神力(自然療能)は進行するのである。
「私はもうあの人を憎んでいない。」
あの人があの時ああいう態度に出たことは、
かえってわたしにとって必要なことだったのである。
わたしが彼を憎んでいたのは、わたしの観察眼が狭いために、
あの人がああいう態度に出たことを、
自分に害があるように思って思いちがいしていたにすぎないのである。
本当はあの人がああしてくれたので、わたしの《ため》になったのである。
わたしはあの人に感謝する。何某(なにがし)よ、
わたしはあなたに感謝する。本当に感謝する。
わたしはあなたに感謝し、あなたを祝福するものである。
ありがとうございます。ありがとうございます。
こう、精神を静かに調(ととの)えながら、繰り返し繰り返し念じて、
全き平和の心境に達したとき寝てしまうのである。
一日の最後の時間を赦しと感謝とで満たすこと、
それは健康に重大な関係があるのであるが、健康に関係がなくとも、
それはそのままありがたいことではないか。
寝床(ねどこ)に入(い)れば、
すぐ次のごとく念じて感謝のうちに熟睡に入(い)るべきである ――
「枕よ、ありがとう。寝床(ねどこ)よありがとう。蒲団よ、ありがとう。
寝巻よ、ありがとう。空気よ、ありがとう・・・」と
なんでも周囲に見出され、思い浮かべられるすべてのものに
感謝の言葉を心のうちに唱えながら眠りに入(い)るのである。
こうすれば不眠症の人でも直ちに熟睡に入(い)ることができるものである。
<感謝合掌 令和6年12月23日 頓首再拝>
赦し、仲よく、日の丸の心を持つ - 伝統
2025/02/03 (Mon) 11:20:07
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月3日)」より
争っていた者が仲よしのなることほど嬉しいことはない。
失われた一匹の羊が帰って来ることは、
亡(うしな)われない九十九匹がそこにいるよりも
嬉しいとイエスは言った。
仲直りぐらいありがたいことはない、喜ばしいものはない。
争っていた者が仲直りをしたために、ただそれだけの簡単な出来事のために、
医者で治らない病気が治った実例がたくさんある。
『生命の實相』の巻頭に「汝ら天地一切のものと和解せよ」
とある一句を忘れていて
病気が治らないとかこっている人はないか。
あらゆる心の持ち方が整っていても、和解ができていない人は、神の前に
足りない人である。神は《まこと》である。《まこと》は円相である。
《まこと》とは《○(まる)こと》である。○(まる)は和解のしるしである。
まんまるい、まんまるい、あのお月様のような心こそすべての病を治す心である。
なんじの心の中の羊をしらべてみることが大切である。
亡(うしな)われたる羊はないか。
あなたを憎んで去った人はなかったか。
誤解があったならば誤解を互いにほどくこと。
憎んでいたならば赦すこと。
恨んでいたならば恨みを解(と)くこと。
心の思いと、物の負債とにかかわらず、借りものがあったら
利息をつけて返すこと。
神の前に出て、もう誰とも仲の悪い人はございません。
争っている人はございません。
すべての憎みと恨みとは完全に水に流しました。
もう誰にも負債はありませんと、
おおらかな気持ちで言いうるようになれない人は、
まだ心に病のある人である。
人の世に生活して、それほどの心になれる人は少ないにしても、
それほどの心になれないかぎりわたしたちは神の前にいと小さなる者である。
もしわたしたちが神の前にいと小さき者であるならば、
わたしたちは人を責める資格はない、人を怒る資格はない、
人を恨む資格はない。
わたしたちは人を赦すほかに仕方がないのである。
ただわたしたちが、人を赦したときのみ神に赦されるのである。
ただ人と仲よしになったときのみわたしたちは神と仲よしになることが
できるのである。
仲よしになった時の愉快な心持を本当に知るものは、
人と仲が悪くなれるものではない。
人が人と仲よしになれないのは、
幸福というものはただ「心の愉快である」ことだという
かくも平明な真理に眼を閉じていて、
幸福というものがなんじの心の愉快にあるのでなく、
物の多いということにあると考えたり、
虚栄、虚名が多いということにあると考えたりして、
物と、虚栄、虚名を断じて放すまいとして傲然として構えているからである。
傲慢ということはかかる心持を云うのである。
謙虚、《へりくだり》の心持は正直に事物をまともに見る心である。
まちがっていたと気づいたら素直にあやまれる心である。
放たねばならぬ物は素直に放つ心である。
本来ありもせぬ栄えとか虚名とかを、
あるかのごとく装おうとする心が苦しむのである。
隠しない心、正直の心は謙虚な心の一面である。
無邪気につき合える人というのはこういう謙虚な心持の人である。
相手が警戒心をもって近づいてきて、どうも親しくなれないのは、
こちらに隔(へだ)て心があるからである。
隔てのない心。角のない心。仲のよい心。
○(まる)い心。○(まる)はいっさいを包んでいる。
隔てもなければ、角もない、実に実に仲のよい心が日の丸の心である。
<感謝合掌 令和7年2月3日 頓首再拝>
家族互いに赦す日 - 伝統
2025/02/08 (Sat) 10:42:07
*「光明道中記」(2月8日)より
【地獄の家庭では、主人が「怒っても好い権利」を捨てぬし、
細君は河豚(ふぐ)のように「ふくれても好い権利」を主張する。
(『生命の實相』第四巻)】
審判(さば)く人、閻魔の庁の御役人のような人、
青鬼のようなヒステリックな人、赤鬼のように興奮した人、
こんな人たちが住んでいる世界が地獄であり、
そんな家族の住んでいる家庭が「地獄の家庭」である。
誰の家庭でも此の地獄的分子の多い少ないによって、
その地獄的性質に多少の色合が変化するのである。
赦すこと、すべての家族を赦すこと。
赦さないから、筋肉が突張るものを。
赦さないから、肩が凝るものを。
外部的治療は一時的効果しかない。
癌と心の中に「品」物を「山」のように積んでいるのは愚かなことである。
あなたの癌を治すためには心の中の癌を取り除くことが必要である。
「富める者の天国に入るの難きこと駱駝が針の孔を通るが如し」
とキリストは言っている。
心の中に色々の品物を貯え置くのは愚かである。
心は常に空虚が好い。
妻たるものは優しくあれ。
良人に物を言われて、立った儘返事をするようなことでは、
その家庭は屹度面白くないであろう。
柔らかい女性の天性はどこまでも柔らかくなければならぬ。
<感謝合掌 令和7年2月8日 頓首再拝>
人の罪をゆるせ - 伝統
2025/03/23 (Sun) 08:59:44
*「光明法語」(3月23日)より
病気は罪の現れであるとイエスは見ている。
其の証拠に彼は「汝の罪ゆるされたり」と言って
人の病気を治しているのである。
そこで病気が治る為には罪が赦されると云うことが必要である。
そころが如何にしたら罪がゆるされるかと云うと、イエスは
「汝等もし人の過失(あやまち)を免(ゆる)さば、
汝らの天の父も汝らを免し給わん」
(「マタイ伝」第六章十四)
と言っている。
人の過失(あやまち)を見る心(過失<あやまち>は本来無であるから)
そのものの實相の隠蔽(包み ―― 罪)であるから、
人の過失(あやまち)を見ず、
その奥に輝く彼の神性を観るとき罪がなくなるのである。
<感謝合掌 令和7年3月23日 頓首再拝>
《一度憤った相手は思い出してゆるせ》 - 伝統
2025/05/27 (Tue) 11:34:09
*「光明法語」(5月27日)より
「われすべての人を赦したり」と観じても、
そう漠然と思うだけで赦していないことがある。
それは自分の家はもうすっかり不浄のものを洗ってしまって
洗濯物はないと信じていても、
押入の隅っこに「汚れ物」をつくねて忘れていることがあるのと同じである。
その「汚れ物」を発見し、それに清らかなる水を灑(そそ)いで
洗い浄める事が必要なのである。
過去より今まで嘗て憎み恨み憤りたりし相手を思い起こし、
一々その顔を眼瞼(まぶた)の内に思い浮かべ、
「私は貴方を赦しました。貴方も私を赦しました・・・」と
心の中に唱えるのである。
<感謝合掌 令和7年5月27日 頓首再拝>
懺悔によって赦されよ - 伝統
2025/07/14 (Mon) 09:41:58
*「光明法語」(7月14日)より
「赦された」と云う実感は、神と自分とを隔てていた堤を取り去る事になり、
其処からして神の癒力が流れ入るのである。
キリストの「汝の罪はゆるされたり」の言葉が、
よく難治の病者をいやしたのも此の理によるのである。
悪は悪と気がついたとき、その罪は消えたのである。
何故なら、悪が悪と気がつくとき、
もう自分は上の境涯に立って過去の自分を見ているからである。
かかるとき、キリストは言った。
「汝の罪ゆるされたり、去って再び罪を犯す勿れ」。
<感謝合掌 令和7年7月14日 頓首再拝>
《自分自身の欠点を許す》 - 伝統
2025/09/01 (Mon) 11:16:34
*『生命の實相』第38巻幸福篇下(9月1日)より
われらはすべての人を赦さなければならないのである。
すべての人の中には、自分自身を含んでいるのである。
自分自身の欠点を赦さなければならないのである。
あなたの欠点に向かって、心の中で次のように唱えて
その欠点を赦すのが一つの良き方法であるのである。
「自分はすでに赦されたり。
神によって完全にせられたのである。
もはや、欠点もなく浄(きよ)められたのである。」
こう繰り返し繰り返し念じて、神の光明の中へ融け込んで、
完全に雪のごとく清浄にせられたる自分を瞑想するのがよいのである。
<感謝合掌 令和7年9月1日 頓首再拝>
【人を憎む前に】 - 伝統
2025/10/19 (Sun) 10:40:31
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.6.29)より
(順天堂大学医学部教授、小林弘幸氏の心に響く言葉より…)
人間関係の悩みがもっと深いゾーンに入ると、
誰かを憎むという感情が芽生えてきます。
しかし、相手を憎んで過ごす時間は、
もったいないとしか言いようがありません。
人生は一度きりであり、時間は今この瞬間も刻々と過ぎています。
手のひらにすくった砂が少しずつこぼれ落ちていくように、
私たちに与えられた時間も失われているのです。
そう考えると、誰かを憎んだ時の自分への「言い方」は、
次のようなものになるのではないでしょうか。
自分A 「あいつのことは、絶対に許せない」
自分B 「そう考えているオレの顔を鏡で見てみなよ。
あいつみたいに醜い顔になっているよ」
自分A 「だけど、この気持ちを止められない」
自分B 「あいつのせいで醜くなるなんて、さらに被害が増えるだけだよ。
オレの人生がもったいないよ」
自分A 「これ以上、かき乱されるのはごめんだ。
憎んでも自分が損をするだけか」
自分B 「あいつはどうせバチがあたるんだから、放っておこうよ」
丁寧に、丁寧に、対話してください。
心の奥に刻まれた感情は、なかなか消せません。
しかし、対話を重ねることで、徐々に小さくなっていくはずです。
心の傷は、手術の傷跡に似ています。
メスで刻まれた傷口は、縫合することで
徐々に皮膚同士がくっついて、やがて一枚の皮膚に戻ります。
対話は、手術でいうところの縫合のようなもの。
最初は人工的な処置ですが、
人間が本来持っている自然治癒力が働いて、徐々に傷が目立たなくなります。
強い憎しみを抱えている場合、
自分対自分の対話でさえも、ジクジクとした痛みが伴うかもしれません。
しかし、結局はそれが傷口を癒す近道になるのです。
<『人生で一番役に立つ「言い方」』幻冬舎>
・・・
江原啓之(ひろゆき)氏は「憎む」についてこう語っている。
『あなたを憎む人のことを、憎み返さないでください。
誰かとトラブルになって、憎しみや悪意にさらされていると感じたとき、
憎み返さないのは難しいでしょう。
けれど、スピリチュアリズムでは「憎んでくれる」という言い方をします。
それはあなたに「憎まれる苦しみ」を教えるために、
その人が「人を憎む」というマイナスの経験を背負ってくれているからです。
そのマイナスの経験は必ず本人のもとへ還っていきます。
にもかかわらず、憎んでくれる。
私を成長させるために罪を背負ってくれている。
そう考えてみると、感謝の気持ちさえ湧いてくるはずです。』
(自分に奇跡を起こす 江原啓之100の言葉/三笠書房)より
誰かを、憎んだり、非難したり、
おとしいれようとしたり、怒鳴ったりする人がいる。
すると、その人のもとには、
「憎しみ」「非難」「陥(おとしい)れる」
「怒鳴る」ということがブーメランのように返ってくる。
江原氏のいう通り、
「マイナスの経験は必ず本人のもとへ還ってくる」からだ。
それは、たとえば、ネガティブなことを
SNSなどで発信している人は、ネガティブなことを引き寄せるということ。
そのほとんどが、倍返しの形で還ってくる。
人を憎む前に・・・
「マイナスの経験は必ず本人のもとへ還ってくる」
という言葉を胸に刻みたい。
・・・
<参照>
【6分で分かる】自律神経を整える
人生で一番役に立つ「言い方」
ニュー・ライフ・タイムズ(2020/05/02 )
https://www.youtube.com/watch?v=3VBlYoTMMsY
【目次】
①「クソッ!」の一言で、一気に自律神経は乱れる 0:39
②癒し効果の「副交感神経」を高める「言い方」 1:56
③ゆっくり話すと、なぜか「信用」されるワケ 3:04
④ゆっくり話すと、「心に余裕」ができるワケ 4:25
・・・
上氣元健康②自律神経
notehira三(2022年2月2日)
https://note.com/h1j2m2/n/nb9562b65e58e
・・・
読書記録『人生で一番役に立つ言い方』
noteまき/コラージュセラピスト(2023年2月27日)
https://note.com/huhhu222/n/n2f9273a82fc2
(以下は抜粋です)
空気を変え、素晴らしい人生を手に入れる
「言い方」をするための8つの習慣
1.朝起きたら感謝する
2.「ありがとう」を言葉に出す
3.溜息をつく
4.空を見る
5.1か所だけ片付ける
6.挨拶はゆっくり、元気に
7.就寝前に日記を書く
8.こまめに水を飲む
<感謝合掌 令和7年10月19日 頓首再拝>
すべての者をゆるせ - 伝統
2025/11/20 (Thu) 09:32:32
*「光明法語」(11月20日)より
「ただ一人に対する憎みでさえも神の国に入(い)る扉をすべて閉じる事になる」
とグレン・クラーク教授は言っている。
「七つの燈台の点燈者の神示」には
「争いの念波は神の救いの念波を能(よ)う受けぬ」とある。
自己慢心、自己憐憫、自己欺瞞、嫌悪、憎み、怒り、及び恐怖心は
同じく神の霊波の入口をとざすものである。
扉をとざす諸原因を捨てるとき、吾らは「神の国」に入る事が出来る。
如何にせばこれらの諸原因を捨てる事が出来るか。
愛と赦しと平和の思念をすることである。
<感謝合掌 令和7年11月20日 頓首再拝>
《人を赦して眠ること》 - 伝統
2025/12/15 (Mon) 11:48:27
「光明法語」(12月15日)より
イエスさえも審判いたならば審判(さば)かれて十字架に架かるのである。
普通の人間が人を審判いて幸福になれる筈(はず)はない。
「兄弟を憤る者はゲヘナの火に投げ入れられん」とまでイエスは激語している。
多くのなかなか治らない難病は
人を恨んでいる為に、又は人を赦(ゆる)していない為に治らない。
病める者は眠りしなに、赦していない者があればそれを思い出して
「私は貴方(あなた)を赦しました。貴方も私を赦しました。
私はあなたに感謝しています」と深く念ずる事によって治るのである。
<感謝合掌 令和7年12月15日 頓首再拝>
すべてを赦し、感謝して眠りに入る - 伝統
2025/12/23 (Tue) 12:03:54
*「生命の實相」幸福篇下巻(12月23日)より
わたしの『光明の生活法』の本の携帯版が気持ちのよい形で、
そんなどぎつい装飾もなしに、ととえば夜しずかに降りて
万物をうるおしてくれる夜露のように質素な、そして典雅な形で出た。
常にこの書を携帯していちいちその生活法どおり実行する者は幸いである。
この生活法を常に実行している者は常に健康であるに相異ない。
不健康とは、生活が不健康であり、
思いが不健康であることの反映であるに過ぎない。
人間の実相(そのまま)は健康であるからである。
わたしは『光明の生活法』の中で
就寝前の15分間の神想観の方法を説いておいたが、
それを病気の治癒に応用する場合に特に注意すべきことは、
就寝前に、その日、またはそれまでの日において呪っていた人々を
釈(ゆる)し、憤(いきどお)っていた人々を宥(ゆる)し、
憎んでいた人々を恕(ゆる)し、自分の好まない人たち、
反感ある人たちとその過失とをことごとく赦して眠ることである。
眠っている間に最も多くの癒しの神力(自然療能)は進行するのである。
「私はもうあの人を憎んでいない。」
あの人があの時ああいう態度に出たことは、
かえってわたしにとって必要なことだったのである。
わたしが彼を憎んでいたのは、わたしの観察眼が狭いために、
あの人がああいう態度に出たことを、
自分に害があるように思って思いちがいしていたにすぎないのである。
本当はあの人がああしてくれたので、わたしの《ため》になったのである。
わたしはあの人に感謝する。何某(なにがし)よ、
わたしはあなたに感謝する。本当に感謝する。
わたしはあなたに感謝し、あなたを祝福するものである。
ありがとうございます。ありがとうございます。
こう、精神を静かに調(ととの)えながら、繰り返し繰り返し念じて、
全き平和の心境に達したとき寝てしまうのである。
一日の最後の時間を赦しと感謝とで満たすこと、
それは健康に重大な関係があるのであるが、健康に関係がなくとも、
それはそのままありがたいことではないか。
寝床(ねどこ)に入(い)れば、
すぐ次のごとく念じて感謝のうちに熟睡に入(い)るべきである ――
「枕よ、ありがとう。寝床(ねどこ)よありがとう。蒲団よ、ありがとう。
寝巻よ、ありがとう。空気よ、ありがとう・・・」と
なんでも周囲に見出され、思い浮かべられるすべてのものに
感謝の言葉を心のうちに唱えながら眠りに入(い)るのである。
こうすれば不眠症の人でも直ちに熟睡に入(い)ることができるものである。
<感謝合掌 令和7年12月23日 頓首再拝>
あなたを自由にする「許しと和解」のワーク - 伝統
2025/12/24 (Wed) 12:21:51
【聖夜の奇跡】あなたを自由にする「許しと和解」のワーク
宇宙の兄弟たちへ(2025年12月24日)
https://www.spacebrothers.jp/2025/12/blog-post_24.html
(以下は抜粋です)
(1)キリスト意識とは、「無条件の愛」であり、「許し」のことなのです。
もし今、あなたの心の中に、
「どうしても許せない人」 「顔を思い出すだけで胸が痛む人」
「謝りたくても謝れなかった人」
がいるとしたら。
その重たい感情を、聖夜の光で溶かしてしまう大チャンスです。
(2)「許す」ということは、相手の行為を肯定することではありません。
「もう、あなたに私の人生を支配させない」と決めて、
執着のコードを断ち切ることなのです。
許しは、相手のためではなく、
あなた自身を自由にするための、最高のギフトなのです。
(3)【聖夜の許しと和解のワーク】
①場の設定
②対象者を招く(イメージ)
③想いを伝える
④許し、または謝罪の言葉
【相手を許したい場合】
「私は、あなたとの間にあった苦しみを、今ここで手放します。
私はあなたを許します。そして、私自身を自由にします」
【謝りたい場合】
「あの時は、本当にごめんなさい。 私の未熟さを許してください。
私は私を許します。そして、あなたとの関係を光に戻します」
⑤光への昇華
<感謝合掌 令和7年12月24日 頓首再拝>
赦し、仲よく、日の丸の心を持つ - 伝統
2026/02/03 (Tue) 08:35:52
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月3日)」より
争っていた者が仲よしのなることほど嬉しいことはない。
失われた一匹の羊が帰って来ることは、
亡(うしな)われない九十九匹がそこにいるよりも
嬉しいとイエスは言った。
仲直りぐらいありがたいことはない、喜ばしいものはない。
争っていた者が仲直りをしたために、ただそれだけの簡単な出来事のために、
医者で治らない病気が治った実例がたくさんある。
『生命の實相』の巻頭に「汝ら天地一切のものと和解せよ」
とある一句を忘れていて
病気が治らないとかこっている人はないか。
あらゆる心の持ち方が整っていても、和解ができていない人は、神の前に
足りない人である。神は《まこと》である。《まこと》は円相である。
《まこと》とは《○(まる)こと》である。○(まる)は和解のしるしである。
まんまるい、まんまるい、あのお月様のような心こそすべての病を治す心である。
なんじの心の中の羊をしらべてみることが大切である。
亡(うしな)われたる羊はないか。
あなたを憎んで去った人はなかったか。
誤解があったならば誤解を互いにほどくこと。
憎んでいたならば赦すこと。
恨んでいたならば恨みを解(と)くこと。
心の思いと、物の負債とにかかわらず、借りものがあったら
利息をつけて返すこと。
神の前に出て、もう誰とも仲の悪い人はございません。
争っている人はございません。
すべての憎みと恨みとは完全に水に流しました。
もう誰にも負債はありませんと、
おおらかな気持ちで言いうるようになれない人は、
まだ心に病のある人である。
人の世に生活して、それほどの心になれる人は少ないにしても、
それほどの心になれないかぎりわたしたちは神の前にいと小さなる者である。
もしわたしたちが神の前にいと小さき者であるならば、
わたしたちは人を責める資格はない、人を怒る資格はない、
人を恨む資格はない。
わたしたちは人を赦すほかに仕方がないのである。
ただわたしたちが、人を赦したときのみ神に赦されるのである。
ただ人と仲よしになったときのみわたしたちは神と仲よしになることが
できるのである。
仲よしになった時の愉快な心持を本当に知るものは、
人と仲が悪くなれるものではない。
人が人と仲よしになれないのは、
幸福というものはただ「心の愉快である」ことだという
かくも平明な真理に眼を閉じていて、
幸福というものがなんじの心の愉快にあるのでなく、
物の多いということにあると考えたり、
虚栄、虚名が多いということにあると考えたりして、
物と、虚栄、虚名を断じて放すまいとして傲然として構えているからである。
傲慢ということはかかる心持を云うのである。
謙虚、《へりくだり》の心持は正直に事物をまともに見る心である。
まちがっていたと気づいたら素直にあやまれる心である。
放たねばならぬ物は素直に放つ心である。
本来ありもせぬ栄えとか虚名とかを、
あるかのごとく装おうとする心が苦しむのである。
隠しない心、正直の心は謙虚な心の一面である。
無邪気につき合える人というのはこういう謙虚な心持の人である。
相手が警戒心をもって近づいてきて、どうも親しくなれないのは、
こちらに隔(へだ)て心があるからである。
隔てのない心。角のない心。仲のよい心。
○(まる)い心。○(まる)はいっさいを包んでいる。
隔てもなければ、角もない、実に実に仲のよい心が日の丸の心である。
<感謝合掌 令和8年2月3日 頓首再拝>
家族互いに赦す日 - 伝統
2026/02/08 (Sun) 08:37:50
*「光明道中記」(2月8日)より
【地獄の家庭では、主人が「怒っても好い権利」を捨てぬし、
細君は河豚(ふぐ)のように「ふくれても好い権利」を主張する。
(『生命の實相』第四巻)】
審判(さば)く人、閻魔の庁の御役人のような人、
青鬼のようなヒステリックな人、赤鬼のように興奮した人、
こんな人たちが住んでいる世界が地獄であり、
そんな家族の住んでいる家庭が「地獄の家庭」である。
誰の家庭でも此の地獄的分子の多い少ないによって、
その地獄的性質に多少の色合が変化するのである。
赦すこと、すべての家族を赦すこと。
赦さないから、筋肉が突張るものを。
赦さないから、肩が凝るものを。
外部的治療は一時的効果しかない。
癌と心の中に「品」物を「山」のように積んでいるのは愚かなことである。
あなたの癌を治すためには心の中の癌を取り除くことが必要である。
「富める者の天国に入るの難きこと駱駝が針の孔を通るが如し」
とキリストは言っている。
心の中に色々の品物を貯え置くのは愚かである。
心は常に空虚が好い。
妻たるものは優しくあれ。
良人に物を言われて、立った儘返事をするようなことでは、
その家庭は屹度面白くないであろう。
柔らかい女性の天性はどこまでも柔らかくなければならぬ。
<感謝合掌 令和8年2月8日 頓首再拝>
どうしても許せない人はいますか? - 伝統
2026/02/18 (Wed) 09:16:12
どうしても許せない人はいますか?視点を180度変えるコツ!
5次元への最終課題を超えていく【スピラジ】
茶柱御殿( 2026/02/16)
https://www.youtube.com/watch?v=aCAR0XKY7FM
<感謝合掌 令和8年2月18日 頓首再拝>
人の罪をゆるせ - 伝統
2026/03/23 (Mon) 11:53:48
*「光明法語」(3月23日)より
病気は罪の現れであるとイエスは見ている。
其の証拠に彼は「汝の罪ゆるされたり」と言って
人の病気を治しているのである。
そこで病気が治る為には罪が赦されると云うことが必要である。
そころが如何にしたら罪がゆるされるかと云うと、イエスは
「汝等もし人の過失(あやまち)を免(ゆる)さば、
汝らの天の父も汝らを免し給わん」
(「マタイ伝」第六章十四)
と言っている。
人の過失(あやまち)を見る心(過失<あやまち>は本来無であるから)
そのものの實相の隠蔽(包み ―― 罪)であるから、
人の過失(あやまち)を見ず、
その奥に輝く彼の神性を観るとき罪がなくなるのである。
<感謝合掌 令和8年3月23日 頓首再拝>