伝統板・第二
素直(すなお) ③ - 伝統
2024/07/03 (Wed) 11:55:45
「ハイ」の「無限力」
*「光明法語」(7月3日)より
最も重き言葉は最も簡単なる言葉である。
それは「ハイ」の一語である。
一切の事物は「ハイ」の一語にて成就する。
汝、使命を感ぜんか、唯「ハイ、ハイ」とのみ言え。
然してこれを實行せよ。然(しか)らば必ず成就せん。
「ハイ」とは決意である。使命に対する決意である。
如何なる困難も、吾使命を感ぜんか、
「ハイ」の決意にてその困難はきり拓(ひら)かれ、坦々たる大道となる。
「ハイ」は汝を自由ならしめる。
「ハイ」は實相その儘である。
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<関連>
(1)伝統板・第二「素直(すなお)」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6898756
(2)伝統板・第二「素直(すなお) ②」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7741268
<感謝合掌 令和6年7月3日 頓首再拝>
素直に笑い、無邪気に受け入れる - 伝統
2024/08/17 (Sat) 10:54:01
*『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月17日)より
家庭光明寮は婚前の処女に花嫁としてのあらゆる資格を与えるために訓練する学校であるが、
ある時、その中に一度結婚して、姑との折合いが悪くてついに離婚になった美しい娘が、
もう一度花嫁としての修行をするため寮生の中に混じっていた。
彼女は目立って美しかったが、目立って知的ですましこんでいるので、他の寮生とが全然
異なる雰囲気を持っていた。
なぜこの美しい知的な娘が結婚生活において今まで不幸であったのだろうか。
それは彼女自身が間もなく「他の寮生たちが何でも無邪気に、箸の転んだのにまでも
愉快そうに笑うのが低級に見えて皆さんと合わない」と申し出たことによって
ハッキリわかったことであった。
彼女は何事にも素直にそのまま美しいと無邪気に受け容れる性質を
持っていなかったのであったのである。
素直に笑う事ができないものは
「笑う門に福運来たる」の法則にすでに背いているのである。
その上、まだ素直に笑っている少女たちを低級だとか何だとか非難しているのである。
彼女の眼から見るならば、素直に食卓に談笑している舅姑たちも低級に見えたのであろう。
それならば彼女が舅姑から排斥されて離縁になったのも無理はない。
だれでも低級だと見られて喜んで、その批評者を迎えるものはないからである。
しかし、なぜ、無邪気に笑っている少女たちが低級なのであろうか。
そう感じられるなんじの心がかえって低級なのである。
無邪気に笑う樹草の花が人間に愛でられるのは、無邪気に生命が笑っている――
そのこと自身がすでに価値があるからである。人間も同じことである。
価値に「なぜ?」という理窟づけをしたときに、
その人はもう知恵の樹の実を食べたイブになったのである。
そして彼女は永遠にエデンの楽園から追い出されねばならないのである。
彼女が離縁になったのも無理はない。
価値は、理窟なしに価値なのである。
<感謝合掌 令和6年8月17日 頓首再拝>
素直に飛びつく者は愛される - 伝統
2025/02/14 (Fri) 10:54:41
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月14日)」より
素直に飛びついて来る子供はかわいがられる。
素直に舅 姑の懐にとびついて来る嫁はかわいがられる。
素直に先生の懐に飛びついてくる生徒はかわいがられる。
夫婦仲が悪いとか、家庭はおもしろくないとかいう人があるけれども、
それは互いに飛びつくような素直さをなくしたからである。
神のみふところに飛びつく者は神に愛される。
<感謝合掌 令和7年2月14日 頓首再拝>
素直第一の日 - 伝統
2025/06/01 (Sun) 11:24:18
*「光明道中記」(6月1日)より
【自分の顛倒妄想でさえぎらねば無限の生命がながれ込む。
(『生命の實相』第十一巻)】
「天地の主なる父よ、われ感謝す、此等(これら)のことを智(かしこ)きもの
慧(さと)き者に隠して嬰児(みどりご)に顕したまえり」
(「ルカ伝」第十章二十一)
素直がいちばん可(よ)いのである。
まず空っぽになることが必要である。
空っぽの者はすべてを知るであろう。
空っぽの器(うつわ)の中には一切が流れ入るが如くにである。
すぐれたる人の生活は常に支配者の生活を営(いとな)むのである。
他人への支配者であるよりも寧(むし)ろ自分自身の心を支配する者が
真の勇者であり、勝利者である。
外界は内界(こころ)の投影であるから内界を支配し得ないでいながら、
外界を支配しようとするとき其処に矛盾を生じ、衝突を生じ、自壊が生ずるのである。
自分を浄(きよ)めること、真面目であること、愛深くなること、忍耐づよきこと、
「今日」を大切にし一歩をゆるがせにせず、毎日自分を堅実に築いて行くこと。
自分がからっぽになって神の聖旨(みむね)を満たし得る盃(さかずき)になること。
常に祈ること。み心が「自分」に来るように祈ること。
<感謝合掌 令和7年6月1日 頓首再拝>
「ハイ」の「無限力」 - 伝統
2025/07/03 (Thu) 11:31:41
*「光明法語」(7月3日)より
最も重き言葉は最も簡単なる言葉である。
それは「ハイ」の一語である。
一切の事物は「ハイ」の一語にて成就する。
汝、使命を感ぜんか、唯「ハイ、ハイ」とのみ言え。
然してこれを實行せよ。然(しか)らば必ず成就せん。
「ハイ」とは決意である。使命に対する決意である。
如何なる困難も、吾使命を感ぜんか、
「ハイ」の決意にてその困難はきり拓(ひら)かれ、坦々たる大道となる。
「ハイ」は汝を自由ならしめる。
「ハイ」は實相その儘である。
<感謝合掌 令和7年7月3日 頓首再拝>