伝統板・第二
ひかりの一日一言114~ひかりの語録(9月) - 伝統
2024/09/01 (Sun) 03:14:54
ひかりの一日一言《1日》
古き天と地は過ぎ去り
⇒ 霊的自覚において生れ変ること。
新たなる霊的自覚を持つこと。
あなたの心を新しい鋳型に嵌め込むこと。
*「信仰の科学」( P55)より
<感謝合掌 令和6年9月1日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《2日》 - 伝統
2024/09/02 (Mon) 05:04:45
天国に入るとは
實相においていかなる存在であるかを事實として認識すること。
*「信仰の科学」( P56)より
<感謝合掌 令和6年9月2日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《3日》 - 伝統
2024/09/03 (Tue) 05:04:48
宗教の本質
⇒ 日毎日毎に新たなる人生を生きること。
*「信仰の科学」( P56)より
<感謝合掌 令和6年9月3日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《4日》 - 伝統
2024/09/04 (Wed) 05:00:45
天地創造・・・暗黒(やみ)に対する光の進軍。
*「美しき生活」(P151)
<感謝合掌 令和6年9月4日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《5日》 - 伝統
2024/09/05 (Thu) 04:52:24
日本敗戦
・・・あやまれる軍国主義を排泄するところの働きとして
「生命」の進軍である。
*「美しき生活」(P152)
<感謝合掌 令和6年9月5日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《6日》 - 伝統
2024/09/06 (Fri) 04:41:05
神のみ、善のみ實在でありますから、
悪や不調和をアルと観るのは錯覚に過ぎません。
我(われ)自身も、吾らの一切の有(も)ちものも、良人も、妻も、子も、
悉(ことごと)く唯(ただ)神様のもののみでありまして、
自分のものはひとつもないが、
『神によって造られざる物なし』であります。
*「美しき生活」(P154)
<感謝合掌 令和6年9月6日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《7日》 - 伝統
2024/09/07 (Sat) 05:01:32
神の創造
神は宇宙の内面に在(まし)まして
一切のものの中に神のいのちが宿っていて、
丁度、種(たね)の中の生命(せいめい)が自然に
内部から展開して花を開くと云う風(ふう)に
宇宙の内面に充満していられる神が、
自然に展開して萬物を生じたのであります。
神が創造の方法又は道具としてお用(もち)いになるのは
『言(ことば)』であります。
『言(ことば)』と云うのは、
人間の咽喉(のど)から出る言葉ではなく、
宇宙に充ちて眼に見えないところの生命(せいめい)の振動
なのであります。
生命(せいめい)の振動これが『言(ことば)』であります。
目的意志があり、智慧があり、愛があり、慈悲があり、赦しがあり、
法則があり、救いがあるところの眼に見ない叡智的な振動 ――
これが神の『言(ことば)』であり、
此の『言(ことば)』の波動(ひびき)が総(すべ)ての造り主で
あって、それが宇宙に充ち満ちているのでありまして、
その宇宙に満ちている生命(せいめい)・叡智(えいち)。愛・
意志・力(ちから) ――
その一切の本源が全能の神様であります。
その全能の神様は遍在していられるのであります。
と申します意味は
一切のところに在(い)まさない所とてない
事であります。
*「美しき生活」(P155~156)
<感謝合掌 令和6年9月7日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《8日》 - 伝統
2024/09/08 (Sun) 00:06:27
時(とき)と処(ところ)を得る
総(すべ)ては、神であり、
それ相応の生命(せいめい)を有(も)っていますが、
相応(ふさ)わしい時(とき)と処(ところ)を得て初めて
それが生きてくるのであります。
ですから、吾々は神の生命(いのち)を粗末にしないと云うことは、
すべての物に処(ところ)を得させると云うことであります。
節約節約と云っても時(とき)と処(ところ)を得ない節約は
却(かえ)って物を殺しますし、
又時(とき)と処(ところ)を得ない贅沢も
物を殺すことになるのであります。
*「美しき生活」(P158)
<感謝合掌 令和6年9月8日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《9日》 - 伝統
2024/09/09 (Mon) 05:00:39
美しいとは調和あること
神は真(しん)善(ぜん)美(び)であります。
だから神の生命(せいめい)が発現すれば
そこに美があらわれます。
併しその発現には所(ところ)を得ることを要するのであります。
*「美しき生活」(P159)
<感謝合掌 令和6年9月9日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《10日》 - 伝統
2024/09/10 (Tue) 05:05:19
『美』とはそこに生命(せいめい)が現れている事であります。
生命(せいめい)が現れていると云う事は、
時(とき)と所(ところ)と云う事であります。
時(とき)と所(ところ)を得なければ、
生命(せいめい)が現れないのであります。
生命(せいめい)は無始(むし)無終(むしゅう)の永遠の存在で
ありますけれども、時(とき)と処(ところ)を得た時に
初めて地上に顕現したのであります。
*「美しき生活」(P160)
<感謝合掌 令和6年9月10日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《11日》 - 伝統
2024/09/11 (Wed) 05:03:10
時と処を得(う)ることは
秩序を得ることであり、坐作進退、法(ほう)に適(かな)うことであり、
善き日常動作を得ることであります。
*「美しき生活」(P161)
<感謝合掌 令和6年9月11日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《12日》 - 伝統
2024/09/12 (Thu) 05:04:11
人間は神の子であると申しますと皆平等であるように思いますけれども、
―― 一様に誰も神の《いのち》が宿っていると云う本性に於いては
皆平等であるけれども(一切衆生悉有仏性)、
万物は矢張り所(ところ)を得(え)なければ
本当の生命(せいめい)が発現して来ないのであります。
『所(ところ)』得(う)るということは差別によって
出て来るものであります。
*「美しき生活」(P160~161)
<感謝合掌 令和6年9月12日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《13日》 - 伝統
2024/09/13 (Fri) 05:07:34
美と云うものは総(すべ)てものの普遍しているのです。
美は一ヶ所にあるのではないので宇宙に充ち満ちているのです。
宇宙に満ちている美が或る不相応な結合をする場合には
美しく感ぜられないと云う事は、
それは時(とき)を得ず、《所(ところ)を得なく》なった
からであります。
時と所を得なくなったとき生命(せいめい)が顕(あらわ)れず、
生きて来ないから美しく感じないのであります。
生命(せいめい)はそれ自身で本質的に美しいのです。
けれども、《ところ》を得なかったら美しさが発現しないので
あります。
そこで吾々人間の《いのち》も美しいものであるのですが、
その人間も時と所を得なければ矢張り美しくあり得ない。
又生きて来ない、生き生きして来ないのであります。
*「美しき生活」(P161)
<感謝合掌 令和6年9月13日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《14日》 - 伝統
2024/09/14 (Sat) 01:00:57
人間は平等であると云いましても、
生きる場所なり、役割なり、使命なりによって、
現れに差別が生じてまいります。
*「美しき生活」(P161)
<感謝合掌 令和6年9月14日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《15日》 - 伝統
2024/09/15 (Sun) 04:41:13
人間でも一人ひとりに神の《いのち》が宿って生きているのですから、
生きている限り美しいのであります。
尤(もっと)も死んだら汚(きたな)く感じられます。
生きている時には美しい人だ、一寸(ちょっと)触れてみたいと
思うような人でも死骸になって異臭を放つようになると汚い感じがする、
それは《いのち》が生きていないからであります。
《いのち》が生きているもの ―― 《いのち》の発現しているものは
皆美しいものであります。
*「美しき生活」(P162~163)
<感謝合掌 令和6年9月15日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《16日》 - 伝統
2024/09/16 (Mon) 05:05:08
総ての人間は皆生きているから美しい。
その価値は平等であります。
これは本質の平等でありますが、
人間にも平等のほかに差別があります。
人間は皆(みん)な神の子である点に於いて
その本質的価値には甲乙がないけれども、
各(おの)おの個性の味わいが異(ちが)います。
本質的価値が平等でありながら。
差別的価値には相違があるのであります。
だから平等にして差別がある。
差別あるものが所を得て渾然(こんぜん)と
大調和に結ばれた時に愈々(いよいよ)
その美しさを発揮するのであります。
*「美しき生活」(P163)
<感謝合掌 令和6年9月16日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《17日》 - 伝統
2024/09/17 (Tue) 05:07:14
全(すべ)てを平等に置いたら人生は成り立たないのであります。
総(すべ)ての人間は皆各々(おのおの)の個性に従い、能力に従い、
その相応しい位置に置かれた時に、
その人各々(おのおの)の《いのち》が完全に生きて来、
各々(おのおの)の価値を完全に発揮することが出来るのであります。
*「美しき生活」(P164)
<感謝合掌 令和6年9月17日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《18日》 - 伝統
2024/09/18 (Wed) 05:05:20
差別を統一するものは中心。
差別あるバラバラのものが集まっていながら、
そこに美が生きていると云う事ができるのは、
一切の力がひとつの中心の力に統一されて活動している
からであります。
*「美しき生活」(P164~165)
<感謝合掌 令和6年9月18日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《19日》 - 伝統
2024/09/19 (Thu) 05:05:12
実相と仮象
現象を分かって
(1)真象
(2)偽象
とに分かちます。
真象と云うのは、神の生命(せいめい)の顕現として、
実相界に創造せられたる儘(まま)の完全なる神羅万象でありまして、
神の完全なる意志、神の完全なる智慧、神の完全なる美、
完全なる力とによって成り立っている世界であります。
智慧と愛と生命(せいめい)とにより
妙楽の荘厳(うつくしさ)を実現している世界が実相世界であります。
*「美しき生活」(P166)
<感謝合掌 令和6年9月19日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《20日》 - 伝統
2024/09/20 (Fri) 05:04:15
神の創り給いし実相の世界は、
神より観るとき、又は実相覚より観るときは、
厳然たる具体的な美的存在なのであります。
*「美しき生活」(P167)
<感謝合掌 令和6年9月20日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《21日》 - 伝統
2024/09/21 (Sat) 05:05:45
この実相世界こそは現象世界に対しては、
模型の世界、原型の世界、プロトタイプの世界、雛型の世界、
既に『天(てん)』に成れる世界を成しているのであります。
*「美しき生活」(P167)
<感謝合掌 令和6年9月21日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《22日》 - 伝統
2024/09/22 (Sun) 05:04:29
この『天(てん)』に成れる世界こそ実在の世界でありまして、
神のコトバの展開せる世界であり、肉眼では見えないですけれども、
五官に見える世界よりもまだまだ立派な美的世界であって、
金剛不壊に砕けることのない世界なのであります。
*「美しき生活」(P167)
<感謝合掌 令和6年9月22日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《23日》 - 伝統
2024/09/23 (Mon) 04:28:44
時間空間を超えて存在する世界が実相の世界であります。
実相世界は金剛不壊のものであり、
そこに住んでいる吾々人間の本体は永遠の存在として
生きとおしであります。
*「美しき生活」(P168)
<感謝合掌 令和6年9月23日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《24日》 - 伝統
2024/09/24 (Tue) 07:03:52
総(すべ)てのものの中には永遠性というものがあり、
その『永遠性』のもの即ち『理念』が適正の縁に触れて
展開してくるのであります。
その適正の縁というのは、時と処(ところ)と人との
和適(わてき)ということであります。
時と処(ところ)と人との和適(わてき)が整うてはじめて
そこに『美(び)』が顕れて来るのであります。
『美(び)』が顕(あらわ)れるということは
其処に生命(せいめい)が顕(あらわ)れていることであり、
『永遠の理念』が顕(あらわ)れて来たことであります。
*「美しき生活」(P169)
<感謝合掌 令和6年9月24日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《25日》 - 伝統
2024/09/25 (Wed) 05:06:17
形(かたち)の『美(び)』結局《うつろう》ものでありますが、
『美しきもの』を見ておりますと、結局はその『うつろうもの』の
中に『永遠性』が感じられてまいります。
『瞬間に即した永遠(えいえん)』であります。
『久遠の今』であります。
『朝日に匂う山桜花の美』であります。
『明日(あす)炉(ろ)の中に投げ入れらるべき百合の花にも
宿る永遠の美』であります。
*「美しき生活」(P169)
<感謝合掌 令和6年9月25日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《26日》 - 伝統
2024/09/26 (Thu) 04:32:12
永遠の美は、時(とき)と、場所(境)と、人(ひと)との和解に
よって発揮せられたのであります。
一言(ごん)にして云えば、それは『ところを得(う)る』と
云うことであり、ところを得(え)たとき初めて有限の中に
無限の美しさが発現する事になるのであります。
*「美しき生活」(P169~170)
<感謝合掌 令和6年9月26日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《27日》 - 伝統
2024/09/27 (Fri) 04:55:27
総(すべ)て《ところ》を得なければ
《もの》の美が生きて来ないのであります。
下駄(げた)は日本の着物に対して調和している、
靴は洋服を着たときに調和致します。
すべて、これが『和』でありまして、『和』が調(ととの)うたときに、
『物質』そのものならぬ、『物質』の奥に宿る生命(せいめい)が
生きて来るのであります。
*「美しき生活」(P170)
<感謝合掌 令和6年9月27日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《28日》 - 伝統
2024/09/28 (Sat) 04:51:20
総(すべ)て《ところ》を得(う)る事が肝腎であります。
生長の家の大調和と云う事は、一言(げん)で云えば
《ところ》を得(う)ると云う事であります。
《ところ》を得(え)た時にいのちが生きてくる、美が生きてくる、
価値が生きてくると云う事になるのであります。
*「美しき生活」(P170~171)
<感謝合掌 令和6年9月28日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《29日》 - 伝統
2024/09/29 (Sun) 04:57:34
『物質はただ心の影(かげ)』であります。
物質と云うものは影(かげ)であるから、
現(あらわら)れたと思ったら消えてしまうのです。
併(しか)し乍(なが)ら消えたと思っても
又現(あらわら)れて来られるのは、
その本質に『生命(せいめい)』なる実質がある。
『本当に有るもの』が背後にある。
それが現れてくるからであります。
その移り変わる相(すがた)の奥に存在する久遠(くおん)の実質
―― それを指(さ)して『実相』とか『実在』とか云うのであります。
さてその実在はどんなものであるかと云うと、
神の造りたもうた其の儘の存在 ―― ものそのもの ―― であって、
永遠にして滅ぶる事なきものであります。
*「美しき生活」(P171)
<感謝合掌 令和6年9月29日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《30日》 - 伝統
2024/09/30 (Mon) 05:03:40
眼に見える朝顔の花は常住なきものである。
不断に朽ち、不断に萎んでなくなるものなのであります。
だから本当はそんなものは無いのであります。
この無いものを有ると思う顛倒妄想(さかさま)が
『迷い』であります。
(中略)
本当に《ある》朝顔の花は未(いま)だ嘗(かつ)て萎んだ事がない。
何時(いつ)も美しく咲いているのであります。
だからその美しく咲いている実在の花の影が映る
―― それが現象界の花であります。
現象界の花は縁が整うてはじめて現れます。
*「美しき生活」(P171~172)
<感謝合掌 令和6年9月30日 頓首再拝>