伝統板・第二

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あなたはいつも健康である ⑥ - 伝統

2024/10/05 (Sat) 11:11:55


健康美を讃賞せよ

        *「光明法語(10月5日)」より

健康美の発現を悦べ。

それが体操であれ、スポーツであれ、舞踊であれ、
健康美の表現されているものを素直に悦ぶ心がなければ、
ただの健康は得られても健康美ある肉体の美しさは得られないのである。

何でも愉快に体操でもスポーツでも舞踊でも、
健康の美の発現を実際に喜んで実践するとき健康美はあらわれる。

何でもそれを讃えてやり賞(ほ)めてやり喜んでやったならば、
それは益々発達しその完全なる姿を現すのだ。


肉体美もその通りである。
肉体を軽蔑してはならぬ。

・・・

<関連Web>

(1)光明掲示板・第一「あなたは常に健康である (3205)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=626

(2)伝統板・第二「あなたはいつも健康である①」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6853324

(3)伝統板・第二「あなたはいつも健康である②」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7654851

(4)伝統板・第二「あなたはいつも健康である③」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7836726

(5)伝統板・第二「あなたはいつも健康である ④」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8005480

(6)伝統板・第二「あなたはいつも健康である ⑤」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8270979

       <感謝合掌 令和6年10月5日 頓首再拝>

病気にならないための6箇条 - 伝統

2024/10/06 (Sun) 08:49:16

病気にならないための6箇条
コバシャールく(2024/10/05 )
https://www.youtube.com/watch?v=6Hgxyp6ZmKk

(1)良質な酸素
(2)良質な水

(3)運動
(4)ストレスが少ない

(5)解毒
(6)軽い食事

       <感謝合掌 令和6年10月6日 頓首再拝>

【毎日10分の運動を!】 - 伝統

2024/10/07 (Mon) 11:35:06


     *メルマガ「人の心に灯をともす」(2023年08月11日より

   (内藤誼人氏の心に響く言葉より…)

   「気落ちしやすい人」には、特徴があります。

   それは、あまり身体を動かさないこと。

   頭であれこれ考えてばかりで、身体をほとんど動かさないのです。

   こういうタイプは、くよくよと思い悩むことが多くなってしまいます。


   では解決策はというと単純な話で、毎日運動する習慣をつけることです。

   「健全なる精神は健全なる身体に宿る」というように、
   運動をしていると、小さなことに悩まされにくくなります。


   カナダにあるプリティッシュ・コロンビア大学のグラント・アイバーソンは、
   さまざまな年齢のボランティアに協力してもらい、
   一日にどれくらい身体を動かしているかを調べる一方で、

   抑うつの度合いを測定する心理テストを受けてもらいました。

   すると、45歳以下では、運動する人に比べ、
   運動しない人は7・4倍もうつになりやすいことがわかりました。

   55歳以下の女性については、
   なんと15・7倍も うつになりやすかったそうです。

   なぜかというと、男性に比べて、
   女性のほうがあまり身体を動かさないからでした。


   「でも、毎日忙しくて、ジムに通ったりする時間がとれないんです」
   という人もいらっしゃるでしょう。

   けれども、必ずしもジムに通ったり、
   本格的に運動したりする必要はありません。

   毎日の運動は、10分もすれば十分なのです。

   ちょっとした筋トレや軽いジョギングなら、
   どんなに時間がなくともできるはず。

   もし、一日のどこかで10分すらとれないというのであれば、
   それは時間がないのではなく、ただやる気がないだけです。


   いったい、どれくらいの時間、運動をすると
   心がイキイキとしてくるのかについても、
   すでに米国ノーザンアリゾナ大学のシェリル・ハンセンが調べています。

   ハンセンは、自転車こぎの運動を開始してから10分後、20分後、30分後の
   「活力の高まり」(疲労、緊張、うつの減少)を調べたのですが、

   10分間も運動すれば十分で、20分以上やっても、
   活力はそれ以上、高まらないことも明らかにして います。

   だから、毎日の運動は10分間でOKなのです。

     <『いちいち 気にしない心が手に入る本』王様文庫>

            ・・・

「運は動より生ず」という言葉がある。

運というのは、動くことによって生まれてくる、ということ。

つまり、「運」は、実践すること、行動することによってしか発生しない。

これを「運動」と呼んだ。


頭であれこれ考えているだけでは、事態は一ミリも改善しない。

物事が動くのは、実践があってこそだ。


1日に10分の運動で、うつも改善するという。

まさに、「運は動より生ず」だ。


毎日10分の運動を心がけたい。

・・・

<参照>
【女性が語る】いちいち気にしない心が手に入る本【本要約】
心理学から学ぶ、不安を消す「5つの行動」
読書タイム(2023/08/11 )
https://www.youtube.com/watch?v=XoEMobUi42A

       <感謝合掌 令和6年10月7日 頓首再拝>

人を憎んでいては、健康にはなれない - 伝統

2024/11/01 (Fri) 11:51:42


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月1日)より

春に出る新芽は春になって初めてできるのではない。
もう11月の頃から、
あるいはもっと早くから用意されているのである。
この用意が不完全だったら、よい新芽は出ないのである。

まちがい上に本物を建てることはできない。
健康になりたい人はまずまちがいを捨てなければならない。
まちがいの上にどんな立派な建物を建ててもそれは倒れてしまう。

「まちがい」とは、それが《ある》かのように見えても本来、
「当に有るべからざるもの」すなわち「不当有(ふとうう)」で
あるから、不当有(ふとうう=まちがい)の上に
物を建てたものは、いずれも壊(くだ)けてしまうのである。

人を憎んでいて健康になどなれるものではない。

憎みは「不当有(あるべからざるもの)」であるから、
神に対する背反である。

神は「生命(せいめい)」であるから、
「憎み」のあるかぎりその人は「生命(せいめい)」
に背反しているのであるから、その人の健康が不良なのは当然である。

「憎み」を持続しながらその人の健康を維持しているように見えても、
それは表面のことであって、その人が、「神」すなわち
「生命(せいめい)」に背反している限り、
すでにその人の健康は危殆に瀕しているのである。

       <感謝合掌 令和6年11月1日 頓首再拝>

健康の鍵「ミトコンドリア」の再生 - 伝統

2024/11/02 (Sat) 08:53:18


【みるみる元気かになる最強のミトコンドリア再生の法則】
ひまわり健康チャンネル(2024/10/14)
https://www.youtube.com/watch?v=C2do6Z6Xirg

【動画の目次】

00:00. イントロ
01:32. ご挨拶
02:14. 疲労の本当の原因 ミトコンドリア機能障害
10:44. 最強のミトコンドリアへの再生の法則

      サーカディアンリズムを改善

     (1)睡眠不足の改善(マイトフアジー)
     (2)メラトニン
     (2)メラトニン以外でミトコンドリアを
        活性化してくれる食材
       ①ザクロ~エラジタンニン(抗酸化作用)
       ②アムラ~若返りのフルーツ
       ③スピルナ~非常に強力な抗酸化作用

26:26. take home message

       <感謝合掌 令和6年11月2日 頓首再拝>

霊は健康で迷わざるものである - 伝統

2024/11/12 (Tue) 09:15:54


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月12日)より

霊的自己 ―― 迷わぬ自己 ―― ただ一つ ―― 二つは無い。
迷っている自己、病んでいる自己、そんなのもは無い。
自己は二つない。一つきり。

健康な自己だけ。そのほかの自己を神は創(つく)らない。

霊は健康で迷わざるものである。

       <感謝合掌 令和6年11月12日 頓首再拝>

下痢あり、嘔吐あり、そのまま健康 - 伝統

2024/11/13 (Wed) 11:00:06


       *「光明道中記」(11月13日《夫婦互いに調和する日》)より

【周囲の人は自分の生活の鏡。(『生命の實相』第四巻)】

維摩が病気で寝ていたとき、****菩薩が病問の使者として来た。
維摩は****に対して、「衆生病むが故にわれ病む」と答えている。

生長の家ではあまりに病気が治りすぎるために、
またあまりに現象的利益が得られるために、

現象的な利益に傲(おご)り驕(たかぶ)って、
病気のないことを悟の証拠にしようと思ったり、
金の儲かることを悟の証拠にしようとするような危険がある。

これは厳重に避けなければならない錯誤である。

「従容録」第三十六則馬師不安の公案がある。
不安と云うのは病気と云う意味である。

馬師の話は七月二十一日の欄でも触れたことがあるが、馬大師が病気で寝ていた。
そこで寺の院主が「和尚(おしょう)近日(きんじつ)尊位(そんい)如何(いかん)? 」
とやった。 「近頃病気は如何(いかが)でございますか」と云う程度の問だ。

馬大師答えて曰く、「日面仏(にちめんぶつ)、月面仏(げつめんぶつ)だ」
これは「仏名経」に載せられている仏の名前であるが、
日面仏は昼を照らし、月面仏は夜を照らす。

昼は健康を表し、夜は病気を表している。
馬大師は「昼あり、夜あり、それが自然の健(すこや)かさ」と言ったのだ。
下痢あり、嘔吐あり、そのまま健康なのである。

晴天あり、雨天あり、そのまま日々好日である。
凡夫の晴天はそれに執(とら)われて慢心し、凡夫の雨天はそれに執われて悲しむ。

聖人にも雨は降るが、青空のように雨の染(しみ)を残さぬのである。

          <感謝合掌 令和6年11月13日 頓首再拝>

妄執を斬る日 - 伝統

2024/12/19 (Thu) 09:46:55


           *「光明道中記」(12月19日)より

【妻の非難の念波は良人(おっと)の心を淋しくする。また良人を病気にする。
                       (『生命の實相』第六巻)】

人間は健康なのが自然であって、不健康なのが不自然なのである。
そうすると不健康とは不自然な生活が起ったと云うことである。

不自然な生活の中には、憤(いか)りに耽(ふけ)ること、
人を怨み憎むこと、悲しむこと、陰気に沈むこと、笑わぬこと、
いつまでも同じ感情に沈むこと、仕事をせぬこと、
上に仕えて素直でないこと、兄弟仲よかざること、人をゆるさぬこと、
嫉妬心を起すこと、あせり急ぐこと、・・・等々の心持である。

憎んでいなくとも斬らねばならぬことがある。
愛していても斬らねばならぬことがある。

(中略)

斬れ!  自分の過去を。

       <感謝合掌 令和6年12月19日 頓首再拝>

《神常に吾を生かし吾を導き給う》 - 伝統

2025/01/21 (Tue) 11:34:53


       *「光明法語」(1月21日)より

神のすべてを生かし給う生命、吾が内に吾が心の内に、吾が魂の内に、
すべての事件の内にあらわれて生かし給う。

この神の大いなるいのち、常に新しきいのち今もわが中に流れ入りて
常にわが組織を新たならしめ給い、健全ならして給うているのである。

今この瞬間このわが頭の先からわが爪先に到るまで
輝く神のいのちに満たされているのである。

もはやわが肉体は神の肉体である。
わが肺臓は神の肺臓である。
わが胃袋は神の胃袋である。
吾が全ての内臓は神の全ての内臓である。

完全に健康であるほかあり得ないのである。

          <感謝合掌 令和7年1月21日 頓首再拝>

健康増進の日 - 伝統

2025/02/02 (Sun) 11:35:58


           *「光明道中記」(2月2日)より

【食事にうんと歓びのお菜を附けて食べよ。
 どんな粗食でも最上の栄養に変わる(『生命の實相』第八巻)】

戦前であったが、自殺して死んだ医学博士で
羽太鋭治(はだえいじ)と云う人があった。
その人が若返り法の本を書いたことがある。
その本の中に肥えたい人の食事法と、痩せたい人の食事法とが
書いてあった。

痩せたい人は畳の上に盆を置いて、
低い位置に料理を置いて身体を屈み加減にし、
消化器を圧迫しながら、出切るだけ憂鬱な気持で食べるのである。

そうすると必ず痩せると言う。

肥えたい人はその反対をするのである。
腹を伸ばしてゆっくりと高い加減の食卓に坐し、
天井に「アハハハハ」と大きく書いた紙を貼り附けて置いて、
食事をしながら、天井を仰ぎ見て、
「アハハハハ」と時々笑うのである。

笑えば心が開く。
心が開けば血液の循環がよくなる。
消化器の分泌が豊富になり、粗食からでも
豊富な栄養を吸収することが出来るようになる。

併し肥えるということは必ずしも健康の理想ではない。
或る人は痩せているがために他の内臓の能力(キャパシテー)と
平衡を得て健康を得ている。

健康とは要するに全体の調和を意味する。
心臓や腎臓の能力(キャパシテー)の小さな人には
筋肉の増大は返って負担となる。

          <感謝合掌 令和7年2月2日 頓首再拝>

体をただちに正常に戻す!この言葉を言って下さい! - 伝統

2025/03/30 (Sun) 09:42:28


【斎藤一人】体をただちに正常に戻す!この言葉を言って下さい!奇跡が起きます!
https://www.youtube.com/shorts/mlsxZBtf75E

「我は神なり、愛と光なり」(10回~20回唱える)

          <感謝合掌 令和7年3月30日 頓首再拝>

元気充満の日 - 伝統

2025/04/16 (Wed) 11:05:34


           *「光明道中記」(4月16日)より

【「心が」或る一つの「迷い念」に引っかかって生命本然の自由性を失うところに、
 その「心の影」そして色々の病気があらわれる。(『光明の健康法』)】

不健康とは自然を失った状態である。
健康なのが人間の自然であるから、自然になりさえしたならば、
健康は自然に顕れるのである。

それと同じく、人間の成功も、幸福も、自然なのであるから、
人間が自然になりさえしたならば成功も幸福も自然にあらわれるのである。

健康や、幸福や、成功を何か異常な出来事であるかのように求める心が
間違っているのである。
此の間違った思想の中に誰でも生活している限り於いて
その人は本当に幸福にも健康にもなれる訳ではない。

吾々は人生観を根本的に置き換えなければならないのである。
人間は「神の子」であるから本来幸福に健康に成功するように
最初から定(き)まっているものなのである。

それなのに幸福と健康と成功とを何か特別な少数者だけのもののように、
それが異常な出来事のように考えているから、その考えが具象化して、
それが何か異常な出来事のように、少数者にしか実現しないのである。

吾々の健康の秘訣は、幸福の秘訣は、成功の秘訣は、
健康が、幸福が、成功が常に吾々を追い廻しているということを自覚するにある。

            <感謝合掌 令和7年4月16日 頓首再拝>

人間が自然の道に乗れば健康になる - 伝統

2025/04/19 (Sat) 11:34:25


           *「光明道中記」(4月19日)より
             ~相倶(あいとも)に扶(たす)くる日

【僕は何でも、過去のことは《過去として》それで善かったと思っています。
 過去は過去だ、後悔したりするのは嫌です。     (『百事如意』)】

呟(つぶ)くこと、人の悪い噂をすること、不景気の話をすること、
詰まらない話をすること
―― こんなことに時間を費やしている限り、あなたの事業は衰退する。

そんな事をする暇に光明思想の本を常に携帯していて、
それを読んで心を光明に転向すれば、事業も亦(また)光明に転向する。

健康にしても矢張りそうである。

若し不平を言うこと、呟くこと、憎むこと、人の欠点(あら)を探すこと、
尖った心を起すこと、人を遣(や)っつけたい感情を起すことを止(や)めなければ、
その人の病気は治らないであろうし、

また病気でない人も、かかる心持を持続する限り
「病気」の方向に向かって突進しつつあることを知らねばならぬ。

成功の秘訣がサービスにあることを知っている人は多いが、
健康の秘訣がサービスにあることを知らぬ人が多いのは、不思議なことである。

サービスは自分が働いて人を喜ばすことによって成立っている。

自分が働いて人を喜ばしたならば商売が繁昌するのは当然であるが、
その人の健康がよくなるのは、健康とは人間の自然の相(すがた)であるから、
人間が自然の道に乗れば健康になる。

          <感謝合掌 令和7年4月19日 頓首再拝>

自己の生命を「神の生命」なりと観ぜよ - 伝統

2025/07/07 (Mon) 10:18:04


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月7日)より

健康を得んと欲するならば、
自己の生命を「神の生命(せいめい)」なりと観ぜよ。

神は健康であって病気に罹るなどのはずはないのであるから、
「神の生命」が自己の生命であると観じられるかぎりにおいて
健康を失うことはありえないのである。

瞑目合掌して自己の全身が「神の生命」に満たされて
光明燦然と輝いている有様を瞑視して、それに精神を統一せよ。

漠然と「健康」と観ずるよりも、
具体的に観ずるほうがいっそう効果が多いのである。

自己の顔色(かおいろ)が桜色に輝き、筋肉はたくましく、
内臓が健やかにその職能を果たしつつある事実を心に描いて観ぜよ。

次のごとく具体的に心に唱えながら観ぜよ、

「神はわが眼にプラナを流れ入らしめたまい、
 わが眼を祝福して言いたまわく、『眼よ、健やかであれ』と。
 すなわちかくなりぬ。

 この眼は神の眼であって、神はこの眼を通して
 自己の創造の美しさを鑑賞したまうのであるから、
 毎日いっそうわが眼の視力は増大するのである。


 神わが耳にプラナを流れ入らしめ給いて、
 わが耳を祝福して言いたまわく『耳よ、健やかであれ』と。
 すなわちかくなりぬ。

 この耳は神の耳であって、神はこの耳を通して
 大自然および神の子たる人間の音楽のいかに美しきかを
 鑑賞したまうのであるから、毎日いっそうわが耳の聴力は微妙で
 あっていかなるデリケートな音調でも聴き分けることができるのである。


 神わが鼻より咽喉、気管、気管支、肺臓および肋膜に
 プラナを流れ入らしめたまいて、これらを祝福して言い給う
 『呼吸器よ、健やかであれ』と。すなわちかくなりぬ。

 わが肺臓は神の霊が神の生命(せいめい)を呼吸するための器官として
 具象化したまいしものであるから霊的実在であるのである。
 だから決して黴菌に侵(おか)されるようなものではないのである。

 自分はこの内臓が病菌に侵されるというような
 人類の共通観念を今かなぐり捨てたのである。

 神の祝福したまいしごとくわが肺臓は健やかであるのである。

 神わが心臓にプラナを流れ入らしめ給いてこれを祝福して言い給う
 『心臓よ、健やかであれ』と。すなわちかくなりぬ。

 わが心臓は神の霊の具体化であるのである。
 だからわれは神がすべての人を愛したまうごとく
 われもまたすべての人々を愛したのである。

 神がすべての人々をゆるし給うごとく
 われもまたすべての人々をゆるしたのである。

 だからわが愛の感情は常に平安である。
 わが愛の感情は平安であるがゆえに常に
 わが心臓も平安であるのである・・・」

このようにして「神が祝福し給う」という観念と言葉を通して
現実的に一つひとつの身体各部を健全化して視るのである。

「神プラナを流れ入らしめ給いて・・・」と念ずるときに、
神のプラナを吸い込むような気持ちで呼吸をそれに合致せしめると
いっそうよいのである。

         <感謝合掌 令和7年7月7日 頓首再拝>

汝の憎みを捨てよ - 伝統

2025/07/11 (Fri) 11:17:15


       *「光明法語」(7月11日)より

人を憎んでいて健康は期待できない。
尤もデリケートな体質と、頑丈な体質とに於いては、
その精神的毒素の影響が迅速であったり緩慢(ゆるやか)であったりする。

それは一杯の盃に酔う人もあれば、一升飲んでも酔わぬ人もあるのに似ている。
だから一時的に見るならば、割合人を憎まない人が病気になったり、
大いに人を憎む人が健康でいたりするように見える。

併し時が来る。
集積した精神的毒素の総量がその人の体質に耐えられない極量程度に達した時に、
初めて大木が倒れるが如く、如何に頑丈なる体質も、病を発して倒れるのである。

         <感謝合掌 令和7年7月11日 頓首再拝>

「自分は健康だ」との観念を徹底させる - 伝統

2025/08/07 (Thu) 11:14:47

     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月7日)より

健康を破壊してどうしても快復し難いのは、
その人が「自分は健康を損なった」という観念にしがみついているからである。

いろいろの療法や、思念や、聖典読誦が功を奏さないのは、
一方に「自分は病気だから、こうして治そう」というように、
「自分は病気だから」の観念に固くしがみついて、
それと相撲をとっているからである。

「病気はない」は真理であり実相であるから、
その健康なる実相を招(よ)び出そうとしながら、

「自分は病気だから」という考えの上に
いつまでも足踏みしているようなことでは
「病気はない」の観念を招(よ)び出すことはできないのである。

「自分は病気だから」の観念を抛擲(ほうてき)して、端的に、
「自分は健康だ」の観念に置き換えたらその病気は癒えるのである。


ではその方法はいかん?

それは、すでに自分は健康である、完全に創造されている
との前提の下に神に感謝するのである。

合掌神想観をなして、次の如く神に感謝すべきである。

「神はすべてのすべてであり、完(まつた)き生命(いのち)であり、
 完(まつた)き叡智(みちえ)であり、完(まつた)き聖愛(みあい)である。

 すべてのもののうちに神の生命(いのち)は生き、神の叡智(みちえ)は充ち、
 神の聖愛(みあい)は満ちている。

 その例に漏れず自分のうちにも神の完(まつた)き生命(いのち)、
 完(まつた)き叡智(みちえ)、完(まつた)き聖愛(みあい)は充ち、
 それによって自分は完全に健康に生かされているのである。

 自分は今まったく完全に健康に生かされているのでございます。
 ありがとうございます。ありがとうございます。

 自分は今まったく完全に健康に生かされているのでございます。
 ありがとうございます。ありがとうございます。・・・」

こう、現に今健康で”ある”ところの思いに浸りきって、
如実にそれを実感して本当に感謝の言葉を述べることは、
「自分は今病気だから、治すために・・・」
などという考えを一転せしめる力がある。

最後の「今まったく完全に健康に生かされている、ありがとうございます」
の言葉をできるだけ実感せまる調子で、心のうちに幾回でも、
その実感が徹底するまで繰り返すがよいのである。

      <感謝合掌 令和7年8月7日 頓首再拝>

精神活動の統一と健康 - 伝統

2025/08/27 (Wed) 11:43:06


       *「光明法語」(8月27日)より

人間が健康になるには喜んで働く事である。

「自分の活動を正確に目的の方向に向ける時
 吾々の心理的・生理的機能は、最も完全に調和を来たすのである」
とアレキシス・カレル博士も言っている。

又博士は
「精神活動の統一は、
 内臓や神経機能のより以上の調和を齎(もたら)すものである」
とも言う。

病床にいて仕事もなく、あれを考え、これを憂え、
精神活動に何の統一も集中も無なくただ病気の悪くなる事のみを
心に描いて心配している様な生活が病気に悪いのは勿論である。

      <感謝合掌 令和7年8月27日 頓首再拝>

無限の健康調和 - 伝統

2025/10/02 (Thu) 10:36:25


        *「光明法語(10月2日)」より

各々の細胞がその個性を発揮しながら完全なる協力を遂げているとき
人体の健康は最も完全に実現するのである。

完全なる協力は 「本来一」 の自覚より生ずる。
人間の健康も先ず人間同士が完全に 「一」 である自覚をもって互いに相結ばれ、
人間相互にその感情が調和している時にのみ真に実現し得るのである。

人間同士の感情が争っているときには、肉体は心の影であるから、
心の乱れている限り真に無限の健康は発揮されようはないのである。
汝ら互いに調和せよ。

      <感謝合掌 令和7年10月2日 頓首再拝>

完全なる健康の自覚 - 伝統

2025/10/03 (Fri) 11:43:43


        *「光明法語(10月3日)《物質の自覚》」より

完全なる健康の裏には「完全」なる調和の念がなければならないのである。

先ず肉体は「物質」であるとの念を捨てよ。

物質は結局バラバラのものであって互いに漠然とした一体の自覚なきものであるから、
吾々の肉体が物質で出来ているものだとの考えが吾々の心を占めている限り、
自己の肉体はバラバラのものであると云う念を抱いていることになるから、
その念があらわれて完全なる健康は得がたい。

完全なる健康は、吾は「霊なる完体なり」の自覚から生まれるのである。

       <感謝合掌 令和7年10月3日 頓首再拝>

「吾が肉体は神の最高美の理想的顕現である」と念ぜよ - 伝統

2025/10/04 (Sat) 11:44:35


        *「光明法語(10月4日《肉体健康の秘訣》)」より

肉体を健康ならしめるためには、肉体を愛しなければならない。
肉体を霊の敵であると憎んでいる限りに於いて、その肉体は健康になる事は出来ない。
肉体を「霊の完全なる表現」であると信じ、それを愛し敬しなければならない。

肉体を醜いものと考えてはならないし、
それを神の人間理想の最高顕現であると見なければならない。

常に神想観する時に「吾が肉体は神の最高美の理想的顕現である」と念ぜよ。
而(しか)して病気を見る勿(なか)れ、病気を想念する勿れ。

       <感謝合掌 令和7年10月4日 頓首再拝>

健康美を讃賞せよ - 伝統

2025/10/05 (Sun) 09:55:55


        *「光明法語(10月5日)」より

健康美の発現を悦べ。

それが体操であれ、スポーツであれ、舞踊であれ、
健康美の表現されているものを素直に悦ぶ心がなければ、
ただの健康は得られても健康美ある肉体の美しさは得られないのである。

何でも愉快に体操でもスポーツでも舞踊でも、
健康の美の発現を実際に喜んで実践するとき健康美はあらわれる。

何でもそれを讃えてやり賞(ほ)めてやり喜んでやったならば、
それは益々発達しその完全なる姿を現すのだ。


肉体美もその通りである。
肉体を軽蔑してはならぬ。

       <感謝合掌 令和7年10月5日 頓首再拝>

人を憎んでいては、健康にはなれない - 伝統

2025/11/01 (Sat) 11:00:17


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月1日)より

春に出る新芽は春になって初めてできるのではない。
もう11月の頃から、
あるいはもっと早くから用意されているのである。
この用意が不完全だったら、よい新芽は出ないのである。

まちがい上に本物を建てることはできない。
健康になりたい人はまずまちがいを捨てなければならない。
まちがいの上にどんな立派な建物を建ててもそれは倒れてしまう。

「まちがい」とは、それが《ある》かのように見えても本来、
「当に有るべからざるもの」すなわち「不当有(ふとうう)」で
あるから、不当有(ふとうう=まちがい)の上に
物を建てたものは、いずれも壊(くだ)けてしまうのである。

人を憎んでいて健康になどなれるものではない。

憎みは「不当有(あるべからざるもの)」であるから、
神に対する背反である。

神は「生命(せいめい)」であるから、
「憎み」のあるかぎりその人は「生命(せいめい)」
に背反しているのであるから、その人の健康が不良なのは当然である。

「憎み」を持続しながらその人の健康を維持しているように見えても、
それは表面のことであって、その人が、「神」すなわち
「生命(せいめい)」に背反している限り、
すでにその人の健康は危殆に瀕しているのである。

       <感謝合掌 令和6年11月1日 頓首再拝>

霊は健康で迷わざるものである - 伝統

2025/11/12 (Wed) 10:14:32


     *「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月12日)より

霊的自己 ―― 迷わぬ自己 ―― ただ一つ ―― 二つは無い。
迷っている自己、病んでいる自己、そんなのもは無い。
自己は二つない。一つきり。

健康な自己だけ。そのほかの自己を神は創(つく)らない。

霊は健康で迷わざるものである。

       <感謝合掌 令和7年11月12日 頓首再拝>

下痢あり、嘔吐あり、そのまま健康 - 伝統

2025/11/13 (Thu) 11:29:15


       *「光明道中記」(11月13日《夫婦互いに調和する日》)より

【周囲の人は自分の生活の鏡。(『生命の實相』第四巻)】

維摩が病気で寝ていたとき、****菩薩が病問の使者として来た。
維摩は****に対して、「衆生病むが故にわれ病む」と答えている。

生長の家ではあまりに病気が治りすぎるために、
またあまりに現象的利益が得られるために、

現象的な利益に傲(おご)り驕(たかぶ)って、
病気のないことを悟の証拠にしようと思ったり、
金の儲かることを悟の証拠にしようとするような危険がある。

これは厳重に避けなければならない錯誤である。

「従容録」第三十六則馬師不安の公案がある。
不安と云うのは病気と云う意味である。

馬師の話は七月二十一日の欄でも触れたことがあるが、馬大師が病気で寝ていた。
そこで寺の院主が「和尚(おしょう)近日(きんじつ)尊位(そんい)如何(いかん)? 」
とやった。 「近頃病気は如何(いかが)でございますか」と云う程度の問だ。

馬大師答えて曰く、「日面仏(にちめんぶつ)、月面仏(げつめんぶつ)だ」
これは「仏名経」に載せられている仏の名前であるが、
日面仏は昼を照らし、月面仏は夜を照らす。

昼は健康を表し、夜は病気を表している。
馬大師は「昼あり、夜あり、それが自然の健(すこや)かさ」と言ったのだ。
下痢あり、嘔吐あり、そのまま健康なのである。

晴天あり、雨天あり、そのまま日々好日である。
凡夫の晴天はそれに執(とら)われて慢心し、凡夫の雨天はそれに執われて悲しむ。

聖人にも雨は降るが、青空のように雨の染(しみ)を残さぬのである。

          <感謝合掌 令和7年11月13日 頓首再拝>

妄執を斬る日 - 伝統

2025/12/19 (Fri) 10:13:11


           *「光明道中記」(12月19日)より

【妻の非難の念波は良人(おっと)の心を淋しくする。また良人を病気にする。
                       (『生命の實相』第六巻)】

人間は健康なのが自然であって、不健康なのが不自然なのである。
そうすると不健康とは不自然な生活が起ったと云うことである。

不自然な生活の中には、憤(いか)りに耽(ふけ)ること、
人を怨み憎むこと、悲しむこと、陰気に沈むこと、笑わぬこと、
いつまでも同じ感情に沈むこと、仕事をせぬこと、
上に仕えて素直でないこと、兄弟仲よかざること、人をゆるさぬこと、
嫉妬心を起すこと、あせり急ぐこと、・・・等々の心持である。

憎んでいなくとも斬らねばならぬことがある。
愛していても斬らねばならぬことがある。

(中略)

斬れ!  自分の過去を。

       <感謝合掌 令和7年12月19日 頓首再拝>

《神常に吾を生かし吾を導き給う》 - 伝統

2026/01/21 (Wed) 10:46:03


       *「光明法語」(1月21日)より

神のすべてを生かし給う生命、吾が内に吾が心の内に、吾が魂の内に、
すべての事件の内にあらわれて生かし給う。

この神の大いなるいのち、常に新しきいのち今もわが中に流れ入りて
常にわが組織を新たならしめ給い、健全ならして給うているのである。

今この瞬間このわが頭の先からわが爪先に到るまで
輝く神のいのちに満たされているのである。

もはやわが肉体は神の肉体である。
わが肺臓は神の肺臓である。
わが胃袋は神の胃袋である。
吾が全ての内臓は神の全ての内臓である。

完全に健康であるほかあり得ないのである。

          <感謝合掌 令和8年1月21日 頓首再拝>

健康増進の日 - 伝統

2026/02/02 (Mon) 11:55:04


           *「光明道中記」(2月2日)より

【食事にうんと歓びのお菜を附けて食べよ。
 どんな粗食でも最上の栄養に変わる(『生命の實相』第八巻)】

戦前であったが、自殺して死んだ医学博士で
羽太鋭治(はだえいじ)と云う人があった。
その人が若返り法の本を書いたことがある。
その本の中に肥えたい人の食事法と、痩せたい人の食事法とが
書いてあった。

痩せたい人は畳の上に盆を置いて、
低い位置に料理を置いて身体を屈み加減にし、
消化器を圧迫しながら、出切るだけ憂鬱な気持で食べるのである。

そうすると必ず痩せると言う。

肥えたい人はその反対をするのである。
腹を伸ばしてゆっくりと高い加減の食卓に坐し、
天井に「アハハハハ」と大きく書いた紙を貼り附けて置いて、
食事をしながら、天井を仰ぎ見て、
「アハハハハ」と時々笑うのである。

笑えば心が開く。
心が開けば血液の循環がよくなる。
消化器の分泌が豊富になり、粗食からでも
豊富な栄養を吸収することが出来るようになる。

併し肥えるということは必ずしも健康の理想ではない。
或る人は痩せているがために他の内臓の能力(キャパシテー)と
平衡を得て健康を得ている。

健康とは要するに全体の調和を意味する。
心臓や腎臓の能力(キャパシテー)の小さな人には
筋肉の増大は返って負担となる。

          <感謝合掌 令和8年2月2日 頓首再拝>

あなたが完全健康になるには - 伝統

2026/02/15 (Sun) 09:59:28

あなたが完全健康になるには
seimeinojissoh(2024/03/20)
https://www.youtube.com/watch?v=2LwmMrExA-o

          <感謝合掌 令和8年2月15日 頓首再拝>

《人間を物質だと思うな》 - 伝統

2026/03/21 (Sat) 11:29:43


           *「光明法語」(3月21日)より

人間を物質だと思っている
 ―― その信念の程度に随って人間は物質の法則に支配され易くなり、
物質と同様に疲労と老衰と病気とに曝(さら)されるのである。

物質は大生命より発した波動のうちで最も粗雑低級な波動であるから、
霊の無限、無消耗性をあらわすことは出来ないのである。

人間を物質だと観ずる念波は、
自分の生命にこの無雑低級な消耗性を引寄せることになるから、
自分自身を消耗性の姿をあらわすことになり、
それだけ自分自身を不健康にあらわすことになるのである。

          <感謝合掌 令和8年3月21日 頓首再拝>

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