伝統板・第二

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今・ここ ⑥ - 伝統

2025/02/19 (Wed) 12:45:38


”ぐずぐず”するな、今、行動せよ!

        *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月19日)」より

時間を大切にするということは、《いのち》を大切にするということである。

現象界の《いのち》は時間の流れに展開する。
時間の流れにしたがって《いのち》も過ぎ行く。
時間を大切にしないものは酔生夢死する。

しかしわたしたちは時間を本当に大切にしているだろうか。

時間は眼に見えないものであるから、
そして使わずに置いても消えてゆくものであるから、
ともすれば浪費しがちである。

「使わないことが浪費であって、使えば使うほど増える」という
生長の家の経済学は時間に関してはいっそう真実である。

時間は箱詰にしておいても、瓶詰にしておいても、それは蒸発して消えてしまう。
時間を大切にしようと思って時間時間と考えてもイライラして心が忙しいだけである。

時間を大切にする最も有効なる秘訣は何事もすぐ実行に取りかかるということである。
《せねばならぬ》ことを次に延ばさぬことである。

《せねばならぬ》ことを次へ延ばすことは、行ないの負担を避けるために、
その避けている間中、それは心の負担となっている。
行ないは苦しみでなく、心の負担は苦しみである。

ぐずぐずの習慣ほど愚かしきものはない。

今を行かす生活、その時その場をすぐ生かす生活、具象的今を生かすことが
超時の生命(せいめい)を今生きることになるのである。

「超時の今」を生きる者は常に生きるものである。
ぐずぐずの生活を生きる者は常に死につつあるものである。

・・・

<関連Web>

(1)「“本流宣言”掲示板」内スレッド「人生の時間銀行 」
   → http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1357  →(消滅)

(2)「光明掲示板第一」内スレッド「「今」を全力を出して戦いとれ」。
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=302

(3)「光明掲示板第二」内スレッド「“今”を生かせということ (28)」
   → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=16  →(消滅)

   「伝統板・第二」内スレッド「“今”を生かせということ (光明掲示板第二)」
   → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7926275

(4)光明掲示板・第三「今を生きよ! (135)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=58

(5)光明掲示板・伝統・第一「今が時なり (54)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=35

(6)伝統板・第二「今・ここ①」
   → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6458155

(7)伝統板・第二「今・ここ②」
   → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6924605

(8)伝統板・第二「今・ここ ③」
   → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7707876

(9)伝統板・第二「今・ここ ④」
   → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7934885

(10)伝統板・第二「今・ここ ⑤」
   → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8244558

           <感謝合掌 令和7年2月19日 頓首再拝>

眼の前に「今」与えられていることを百パーセントの忠実さで実行する - 伝統

2025/04/18 (Fri) 10:13:43


           *「光明道中記」(4月18日)より
             ~全てが成功に変わる日

【自己の内に埋蔵されたる無限無尽の供給を知らないものは
 自己に対して罪を犯すものであります。(『百事如意』)】

若し躓きと見える様な事が起っても躓きと云うものは
神の造り給いし世界には無いと信ぜよ。
「躓き」とは本当は「入口」なのである。
どこの家にも入口の門は閉まっているが如く見えるであろう。

吾々は「入口」の前に往って行詰る。
否、行詰ったと錯覚するのである。
併しその時には既に奥座敷に近いのである。

吾々は野原を彷徨(さまよ)っているときには少しも行詰らないと感じる。
而も既に成功の玄関に来たときに、その前に直面した「扉」に対して、
「ハテ、行詰った」と錯覚する。

併し、吾々の前に鎖されている「扉」は決して、
吾々を閉め出すために鎖されているのではないのである。
それは吾々が当り前に開くのを待っている。

その「扉」を開くには秘密の秘伝も何もない。
ただ当り前に「眼の前にある扉を開く」と云う仕事、言い換えれば、
眼の前に「今」与えられていることを百パーセントの忠実さで実行する
と云うことによって、成功の「扉」は開かれるのである。

「今」をおろそかにする者は「扉」を開かないものである。

生命がそれ自身の本然なる自他共栄の相互活動を行なうとき、
健康になるのは当然である。

         <感謝合掌 令和7年4月18日 頓首再拝>

【今を真摯に生きる】 - 伝統

2025/05/22 (Thu) 09:35:45

      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.2.2)より

   (臨済宗相国寺派管長、有馬頼底(らいてい)氏の心に響く言葉より…)

   修行者は行脚をしますが、

    「ただ渓回(けいめぐ)り 路転(みちてん)ずるを見て 知らず 
    身の桃源に在ることを」
 
   という言葉が『禅林句集(ぜんりんくしゅう)』 にあります。

   ひたすら歩いている。

   それでいつの間にか、理想の境地、桃源郷に来ているのだけれど、
   来たということすら忘れている。


   禅は体験の仏教で、行動することが何より大切です。

   先ほどの慧能(えのう)禅師の話で言えば、
   米を搗(つ)くというその行為が尊いのです。

   それを通して、いつの間にか悟りの境地へ至っていた。

   そしてそれすらわからなかった。

   桃源郷に来ているにもかかわらず、来たということを全然、意識していない。


   平櫛田中(ひろぐしでんちゆう)さんという方がいました。

   高村光雲などと並ぶ、日本を代表する彫刻家の一人ですが、
   満百歳の誕生日を前に、三十年分の材料を仕入れたという逸話があります。

   「六十、七十は鼻たれ小僧。
    男ざかりは百から百から。
     わしもこれからこれから」

   と おっしゃったのですが、この方は、死ぬことを忘れていたのですね。


   死を忘れて、日々を精一杯に生きていた。

   あの方は、その時その時のこと、「今」しか考えてない。


   また、山口伊太郎(いたろう)さんも忘れ難い人です。

   西陣の織匠(しょくしょう)でしたが、七十歳になられた時に、
   源氏物語絵巻四巻を西陣で再現しようと思い立って、
   そのお仕事に邁進された方です。

   この方を見ていると、「丁寧に生きる」というのは、
   こういう風に心をこめて生きることなのだなと教えられました。

   平櫛さんもそうでしたが、
   一瞬一瞬を大事にしておられるのです。

   山口さんは百五歳で亡くなったのですが、百五歳になっても、
   一日に一回は必ず機(おり)の前に座っておられたと聞きます。

       <『よろこびの禅』角川oneテーマ21>

         ・・・

本書の中に慧能(えのう)禅師の話があった。

『慧能禅師が米を搗(つ)いている姿を師の五祖弘忍(ぐにん)禅師が見て、
 「求道の人は法のために体を忘れる。まさにそのとおりだ」と
 感嘆したという。

 冥想や坐禅をしなくても、日々の行いそのものがそのまま修行である
 ことを教えてくれた人だ。』



明末の読書人、陸紹?(りくしょうこう)が書いた
箴言集(しんげんしゅう)が「酔古堂剣掃」(すいこどうけんそう)がある。

その中にこんな一節がある。


人一字知らずして而(しか)も詩意多く

一偈(げ)参ぜずして而も禅意多く

一勺(しゃく)濡(ぬ)らさずして而も酒意多く

一石(せき)暁(さと)らずして而も画意多きあり

淡宕(たんとう)の故なり



まったく文字を知らない勉学も知らぬ野人である。

そんな人なのに何故か詩的であり詩人である。



座禅など一度もしたことがない。
禅の勉強もしたことがない。

それなのに何故か禅的である。
禅味あふれ飄々(ひょうひょう)としている。


まったく酒は一滴も飲めない。
なのに何故か宴席の座持ちもよい。

酒飲みとも話ができる。
酒の趣味もわかる。


石ころ一つ描くことができない。
絵を習ったこともない。

それなのに何故か絵心がある。
ちょっと味のある絵も描く。



こういう人は人間が無欲であって、
物事にあまり拘泥(こうでい)せず、淡々としているからだ。(安岡正篤)


まさに、ただひたすら歩いてきた。

桃源郷に来ているにもかかわらず、
来たということを全然、意識していない人だ。

執着がなく、恬淡としている。

人間が無欲で、淡々としている。


この今、この瞬間を

真摯(しんし)に生きる人

でありたい。

・・・

<参照>

『酔古堂剣掃』を読む
http://chibakanshi.com/top-right-up-tibakennnokannsi.html

            <感謝合掌 令和7年5月22日 頓首再拝>

【未来や過去ではなく、今を生きる】 - 伝統

2025/05/29 (Thu) 09:44:29


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.5.22)より

   (ひろさちや氏の心に響く言葉より…)

   古い映画ファンであれば知っておられる名台詞があります。

   「昨夜、どこにいたの ?」

   「そんな昔のこと、覚えていない」

   「今夜、会ってくれる ?」

   「そんな先のこと、分からない」


   映画『カサブランカ』の中での、男女の会話です。

   わたしは、この台詞から、次に引用する釈迦の言葉を思い出します。

   いや、じつは、本当は逆なんです。


   釈迦の言葉を引用するとき、
   いつもこの『カサブランカ』の名台詞 を思い出すのです。



   過去を追うな。

   未来を願うな。

   過去はすでに捨てられた。

   未来はまだやって来ない。

   だから現在のことがらを、
   現在においてよく観察し、

   揺ぐことなく動ずることなく、

   よく見きわめて実践すべし。

   ただ今日なすべきことを熱心になせ。

   誰か明日の死のあることを知らん。(マッジマ・ニカーヤ)



   仏教において釈迦は、未来に対しての権利放棄と同時に、
   過去に対しての権利放棄をも表明しているのです。

   だから、「過去を追うな。未来を願うな」なんです。

   ということは、「反省をするな! 希望を持つな!」になります。



   わたしたち日本人が言う希望は、その本質は「欲望」です。

   出世をしたい、金持ちになりたい、一流大学に入りたい、
   甲子園に出場したい、オリンピックで金メダルを取りたい等々、
   いずれも欲望・願望です。

   そして、その欲望はエゴイズムです。

   わたしが出世するためには誰かが失脚してくれないといけないし、
   金持ちになるために貧乏人が必要です。

   ある高校が甲子園に出場すれば、他の高校は出場できません。


   そんな利己的な欲望を、釈迦は推奨するでしょうか。

   だから、釈迦は、「希望を持つな!」と教えるのです。


   過去についても同じです。
   わたしたちは過去の失敗をいくら反省しても、
   その反省だけで現在が変わるわけがありません。

   大学受験に失敗して、
   《しまった!もう少し勉強しておけばよかった》と悔やんでも、
   失敗を取り消すことはできません。

   ならば、反省するだけ無駄です。

   ぐじぐじ後悔しないで、
   来年の受験に向けていま一生懸命に勉強すればいいのです。


   (でもなあ、それでも過去に自分が犯した過ちは気になるなあ・・・。
    やはり反省すべきじゃないのか?) と思われる方も大勢いるでしょう。

   しかし、そう思われる方は、反省と懺悔を混同しているのです。


   懺悔は、過去の罪を神に告白し、赦(ゆる)しを乞うことです。

   仏教の場合は、"懺悔"を"さんげ”と発音しますが、
   やはり仏に罪の赦しを乞うことです。

   これは宗教的行為です。


   だから、罪を犯したのであれば懺悔をする必要はありますが、
   大学受験に失敗したのは、なにも仏に対して罪を犯したわけではないのですから、
   懺悔する必要はありません。

   ましてや反省する必要はありません。

   それで釈迦は、「反省するな!」と教えるのです。


   わたしたちは、「現在」に生きるのです。

   「過去」や「未来」に生きるのではありません。

   だが、その「現在」は、過去のさまざまな因縁の総和・集積の結果です。


   某年某月某日、散歩をしていたあなたが道を左に曲がった。

   そのほんのちょっとした偶然が運命のいたずらによって、
   現在のあなたをつくっています。

   あのとき、あなたが道を右に曲がっていたら、
   あなたは大金持ちになっていたかもしれません。

   それとも、あなたが殺人犯になって、死刑になっていたかもしれない。


   それは、人間には分からないことです。

   その分からないことを、くよくよ考えてはいけません。

     <『阿保の知恵』角川oneテーマ21>

             ・・・

我々は、「希望」や「夢」を持つな、と言われるととまどってしまう。

子供の頃から学校や家庭で、「希望」や「夢」を持て、と教え込まれてきたからだ。

「希望」や「夢」は明日や未来のこと。


しかし、仏教においては、未来ではなく、「今、ここ」しかない、と言われる。

それは、明日になっても、明後日になっても、
気がつけば、我々には「今」しかないからだ。

もちろん、過去も同じだ。


だからこそ、我々は「今、ここ」をしっかり生きるしかない。

しっかり生きるとは、人生を楽しむことだ。

それは、言い換えると、「人生を遊ぶように生きる」ということ。


「楽しむ」には、「苦しむ」という対義語があるが、
「遊ぶ」には対義語がない、仏教的な絶対の境地。

たとえば、「遊行(ゆぎょう)」とは、
僧侶があちらこちらをめぐり歩くことであり、
行脚(あんぎゃ)とも言われる。



また、山田無文老師は「遊戯三昧(ゆげざんまい)」について、こう語る。


「働くことがそのまま遊びなんです。

 人のためにすることがそのまま遊びなんです。

 苦しい目に逢うこともまたそのまま遊びなんです」

      (禅、「あたま」の整理/知的生き方文庫)より



つまり、この世の道中を、道草したり、寄り道したり、
遠回りしたり、迷ったりして、それを面白がって、
楽しみながら、遊ぶように生きるということ。


「未来や過去ではなく、今を生きる」という言葉を胸に刻みたい。

        <感謝合掌 令和7年5月29日 頓首再拝>

天国は「今」を生かすにある - 伝統

2025/06/26 (Thu) 10:34:47


       *「光明法語」(6月26日)より

「日々是好日」と云うのは趙州和尚の垂示である。

”Every day is best day in the year ”
(毎日毎日が1年中で最も良き日である)
とエマースンは言っている。

達人の言うところ古今東西を通じて同じである。
天国は「今」を生かすとき其処に現前する。

真の幸福は高価な貨幣を支払わずとも得られる。
鳥にとっては樹の枝と空中とが天国であり、
魚にとっては海中と藻の間が天国である。
生物それぞれに天国が異なる。

海魚おどって鳥の天国に到らんとして木に昇れば即ち死す。
他(ひと)の華(はな)を美しいと羨んではならぬ。

        <感謝合掌 令和7年6月26日 頓首再拝>

今始める人だけが本当に事物を始めうる - 伝統

2025/06/29 (Sun) 10:59:18


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月29日)より

日記をつけかけてからすでに6カ月間たった。
振り返ってみると、ずいぶんいろいろなことが書いてある。
一度にこれだけのことを書けといっても書けるものではない。

零細の時間を利用して日記つけていると、
いつの間にか纏まった感想集ができているのである。

気がついたときに今始める人だけが本当に事物を始めうるのである。
明日から、または来年正月から始めようと思っているような人は
結局始めない人であるであろう。

老年で恩給退職になって、経済的にも時間的にも余裕ができるようになったら
『生長の家』を発行しようと思っている間は、
『生長の家』は発行できなかったのである。

今、このまま、ここに生命的にも経済的にも無限力があるのだ! 
との自覚で、現象的には余裕のない中から、
気がついて即刻始めたのが『生長の家』である。

日記一つつけることが億劫でできないようなことでは、
何一つ大事ができないであろう。

           <感謝合掌 令和7年6月29日 頓首再拝>

「今」を生かせ - 伝統

2025/07/01 (Tue) 10:31:59


       *「光明法語」(7月1日)より

人ひとたび決意したる以上は、決して退くべからず、「今」すぐ着手すべし。
1分間を争うなり。
今、夏だと思っていても秋が来る。

「今」して宜しき事も1分間後には悪しきことあり。
今踏切を渡れば安全なるに、1分間のちには汽車にひかれることあり。

今日(きょう)すべき事を明日(あす)に延ばすな。
明日には明日の使命がある。

冬に樹の葉落ちるも冬の「今」を生かしているのであって、
決して懶(なま)けているのでも延ばしているのでもない。

着々として春咲くべき花の用意が整うているのである。

            <感謝合掌 令和7年7月1日 頓首再拝>

徳山和尚が、餅売の婆さんに仕掛けられた「今」問答 - 伝統

2025/07/24 (Thu) 10:58:00


     *『光明道中記(7月24日《万事謙遜に出来る日》)』より

 【驕慢とは「実相我」を隠蔽し「肉体我」を強調する誤れる自尊である。
                     (『生命の實相』第七巻)】


徳山和尚が円熟してそのまま素直に有難い境地になっていた頃の逸話は
『無門関解釈』に書いて置いた。

「碧巌録」の第四則に出て来る徳山和尚はその若い頃のことである。
徳山、姓は周氏、****の蜀の人、大変な学者で、殊(こと)に「金剛経」に
精通していたので周金剛又は金剛王と云う別称(べつのな)を以て
人から称(よ)ばれていたほどの人である。

最初からの禅僧ではなく、当時****の南方に禅学が盛んに行われていたので、
自分の「金剛経」の知識で悉く禅の道場破りをしてやろうと云う意気込みで、
笈(おい)にうんと「金剛経」の註釈書(ちゅうしゃくしょ)を入れて
旅立った。

ほう洲(ほうしゅう)と云う州まで行き、
その山の下で餅売(もちうり)の婆さんに
「おい、今その餅を食うからくれ」と言った。

その語調が如何にも高慢らしいので、餅売の婆さん、徳山和尚に言った。

「餅はあげないこともありませんが、私の問に対する答が出来なかったら、
 あげることは出来ません。
『金剛経』の中(うち)に『過去は過ぎ去ったから無い。
 ”今”と言って一定の時を捉えたら、それはもう過去になっているから無い。
 未来はまだ来ないから無い』とあります。

 あなたは『今』その餅を喫(た)べられませぬよ。
 あなたは其の餅を何時(いつ)食べるのです」
と訊いた。

       <感謝合掌 令和7年7月24日 頓首再拝>

捉われない、今しかない - 伝統

2025/12/06 (Sat) 09:25:35


だからそこに捉われない 今しかないんだから. 今をとにかく充実させてもらう.
Adham Drama (2025/12/05)
https://www.youtube.com/watch?v=69gp79a_5T4

        <感謝合掌 令和7年12月6日 頓首再拝>

永遠の今を生きる日 - 伝統

2025/12/08 (Mon) 09:49:13


           *「光明道中記」(12月8日)より

 【今日いちにち心乱さず神性の自覚に生きよ。(『生命の實相』第十二巻)】

人間の成功の程度は形の大きさではないのである。
「宇宙の《いのち》」を今生きているとき、
「今」の瞬刻に永遠無量の《いのち》を生きているのである。

永遠無量の《いのち》を生きることに比ぶれば、
形や大いさによって計られる成功は、
どんな大なる成功であろうとも取るに足りない。
太陽の前の星のようなものである。

《今》の瞬間に永遠の《いのち》を生きようとせず、ただ権力の増大や、
名誉の高揚や、自己の勢力範囲の拡大のために目指されたる成功は、
その成功の範囲が如何に大きかろうとも、
宇宙大にくらぶれば、いと小さきものである。

では今の瞬刻に永遠の《いのち》を生きるにはどうすべきか。
外面的働きから見れば同じ仕事をしているかも知れない。
併し、内容が更正(うまれかわ)らなければならないのである。

その仕事の動機が自己拡大のためではなく、
何らか相対的な対抗気分によるからでなく、
自己の権力増大のためではなく、ただ神への献身のために、
人類相愛の無我奉仕のためにその仕事が遂行されねばならないのである。

かかる無我奉仕にはおのずから外的成功が伴うが、それは随伴現象に過ぎない。

            <感謝合掌 令和7年12月8日 頓首再拝> 

「今」の瞬刻を生きる日 - 伝統

2025/12/18 (Thu) 11:39:50


        *「光明道中記」(12月18日)より

【尊敬されたい者は、ひとを尊敬せよ。
世界は正札(しょうふだ)であって掛引きはない。
 支払っただけのものが自分に返って来る。(『生命の實相』第七巻)】
 
過ぎ去った花やかさを追うこと勿れ、
未来はそれよりも一層華やかなる運命が待っているであろう。

過ぎ去った悲しみを喞(かこ)つこと勿れ、
それは既に無きものなのである。

犬は良人と分かれても、もうそんな良人を懐かしがらないし、
自分の生んだ子を、一匹、一匹と他の人に与えられても、
もう明日は別離の悲しみを忘れてしまった如くに見えるのである。

しかしこれは犬が諦(あきら)めが好いからでもなく、
犬が過去の好さをいつまでも追うことの愚かさを悟ったからでもない。

また過去は「既に《ない》」と達観したからでもない。
犬はその心の感じが人間ほどに発達せず、
人間ほどに鋭感(デリケート)でないからである。

私が、人間に対して、過去を追うなと教えるのは、
人間に対して犬の如き低位の感覚度になれと言うのではないのである。

人間は過去も懐(おも)い、未来も想いめぐらし、
痛みも感じ、苦しさも感ずるだけの
デリケ-トな心の琴線を有(も)ちながら、

それを《感じ得ない》のではなく、
感じ得るにも拘(かかわ)らず、意識的努力によって、
感ずべき波と感じてはならない波とを区別して、それを避け得る。

鈍感なのではなく、鋭感であって、鋭感に支配されず、鋭感を支配する。

        <感謝合掌 令和7年12月18日 頓首再拝> 

【今日という一日をどう生きるか】 - 伝統

2025/12/29 (Mon) 09:26:26


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.8.29)より

   (大坂巌(いわお)氏の心に響く言葉より…)

   たとえ健康に気をつけていても、
   たとえ明日の予定がぎっしり詰まっていても、
   死はそんなことをおかまいなしにやってきます。

   だからこそ、
   私たちは「今をどう生きるか」という問いに、
   真正面から向き合わなければならないのです。


   “死の入り口”に立ったとき、人は何を思うのか。

   それは人によって違うかもしれません。

   とはいえ多くの人が口をそろえて言うのは、
   「もっと人生を楽しめばよかった」
   「もっと自分に素直に生きればよかった」
   という後悔です。


   心の底から湧き上がる後悔の多くは、
   もっと“丁寧に生きておけばよかった”という思いなのです。

   そしてその後悔は、
   命の危機に直面してからでは、もう取り返すことができません。


   だからこそ、私たちが“生きている今”にできることはたくさんあります。

   たとえば、
 
   感謝の気持ちを言葉にして伝えること。

   少しだけ時間をとって、大切な人と向き合ってみること。

   あるいは、自分の人生で大切にしたい価値観を、一度整理してみること。


   どれも大げさなことではありません。

   むしろその積み重ねが、

   「もし今この瞬間に命が終わっても、私には悔いはない」

   と言える人生を作っていくのです。


   死を考えることは、決して不吉なことでも、
   ネガティブなことでもありません。

   むしろ、「今日という一日をどう生きるか」を見直すための、大切な視点です。

   “死の入り口”を意識することで、
   "今を生きる”ことの意味が、くっきりと浮かび 上がってくるのです。

         <『納得する生き方』KKロングセラーズ>

        ・・・

斎藤一人さんは、人が死んだとき、神さまから
質問されることが2つあるという。

一つは、「人生を楽しみましたか?」

もう一つは、「人に親切にしましたか?」


「人生を楽しむ」とは、

目の前の現象(病気や事故やトラブルも)を
「嬉しい、楽しい、幸せ、愛してる、大好き、ありがとう、ツイてる」というように
喜びの心を持って捉えることができる、ということ。

「幸せ」や「不幸」という現象はなく、それをどうとらえるかが問題だからだ。

目の前に現れた現象をすべて、
「感謝の気持ち」「おかげさま」「有(あ)り難し」そして、

「自分の魂を成長させるために、(自分で選んで)この世に生まれてきた」
と捉えることができれば、「人生を楽しむ」ことはできる。


しかし逆に、すべての現象を、
「不平不満、愚痴・泣き言、悪口・文句、許せない、ツイてない」と言って暮らしていれば、
「人生を楽しむ」ことはできず、不満だらけの人生となる。


また、「人に親切にする」とは、「人に喜ばれること」をしてきたか、ということ。

「笑顔」「思いやりのある言葉(愛語)」
「気づかい」「やさしさ」「明るさ」がある人は、人に喜ばれる。


反対に、いつも「不機嫌でブスっとしている」
「(相手の気持ちを冷やすような)冷たい言葉を使う」
「(人のことを考えず)自分のことばかりの自己中の人」
「かわいげや愛嬌がない」「暗い人」なら、人には喜ばれず、嫌われる人となる。


だからこそ・・・

この世に生ある限り、「人生を楽しむこと」「人に親切にすること」。


「今日という一日をどう生きるか」

という言葉を胸に刻みたい。

・・・

<参照>

納得する生き方
納得する生き方(2025/08/10)
https://www.youtube.com/watch?v=HhiNZwB7HhA

 90%の人が知らない人生を変える「あ」上手とは?

 ①あたえ上手 - 分かち合う喜び

 ②あそび上手 - 心を若く保つ力

 ③あまえ上手 - 助けを求める勇気

 ④あやまり上手 - 関係を修復する技術

 ⑤あきらめ上手 - 手放す知恵

これができる人は、病気になっても、年齢を重ねても、
最後まで自分らしく輝いて生きています。

         ・・・

『納得する生き方』出版記念LIVE
納得する生き方(2025/08/26)
https://www.youtube.com/watch?v=KIShDF5TDPc

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今読みたいおすすめの本
『納得する生き方』(著者:緩和ケア医・大坂巌先生)
note:きき(2025年7月28日)
https://note.com/ksmmsk/n/n6a19eff52bed

・・・

大坂 巌 | 医師 | 国際コーチング連盟認定コーチ |
緩和医療専門医・指導医
note:大坂 巌
https://note.com/gan0127

        <感謝合掌 令和7年12月29日 頓首再拝> 

「今」のなかに生活せよ。「今」は常に新しく喜びに満ちている。 - 伝統

2026/01/02 (Fri) 09:40:27


       *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月2日)より

すんだことの中に生活せず、「今」のなかに生活せよ。
「今」は常に生きている。「今」の中にはあらゆるものが輝いている。
「今」は常に新しく、「今」は常に喜びに満ちている。

過去にどんな悲しいことがあったにしても、それについては思い煩うな。
「今」天地一新したのである。
もう別の天地に生きているのである。

過去に寒風に吹き暴(さら)されたことを嘆かないで、
「今」梅の花は喜びに満たされて咲いている。
梅の花よりも尊く強く逞しきが人間である。

喜ぶべきことしかないのが人生である。

           <感謝合掌 令和8年1月2日 頓首再拝>

【 一日は一生の縮図】 - 伝統

2026/02/03 (Tue) 08:24:55


    *森信三・著「幻の講話」第一巻
      致知BOOKメルマガ(2025.09.24)より

わたくしたちが、自分の人生を真に充実して生きようとしたら、

結局「今日」の一日を、いかに充実していきるかということが、
最後の「秘訣」といってよいでしょう。


それというのも、人間の一生といいましても、
結局は一日一日の積み重ねの他ないからであります。

したがって、もし今日わたくしが、
当然すべきであり、かつやる気になればやれる仕事を、
もししなかったとしたら、それは結局明日に延ばすことになりましょう。

      (略)

ところが、一生といっても、
結局は一日一日の積み重ねの他ないわけですから、

その日の予定を翌日に延ばして平気でいるということは、
そういう人の仕事は、結局あの世へ持ち越しとなるわけであります。

すなわちその人の人生は、真の完成にはならないのであります。

随って一人の人生が、真に充実した一生になるかならないかは、
その人が「今日」一日の仕事を、
やり遂げるか否かによって分れるわけであります。

そしてそれを他のコトバで申しますと、

われわれの人生は、
結局「今日」という一日の上に、その「縮図」が見られるわけであって、
それが今日わたくしがテーマとして掲げた

「一日は一生の縮図なり」

ということになるわけであります。

・・・

関連として、森 信三・著「運命を創る100の金言」
「一日は一生の縮図なり」より

(1)「一日は一生の縮図なり」というのは私の信条だ。

   一生は過ぎ去ってみないことにはわかりっこない。

   だが、自分の一生がどうなりそうかということは、
   いまのうちに見当をつけなくてはいけない。

   そしてその見当を見るには、いまいうように、
   一日の予定がどこまで果たせたかどうか
   ということを、常に見ておらねばならない。

   つまりわれわれが、朝目を覚ますということは、
   赤ん坊として生まれたということ。

   夜寝るのは、棺桶へ入るということだ。

   一生の縮図がそこにあるのだ。


(2)戦国時代一の出世頭、
   豊臣秀吉さんのお話が好きです。

   あるとき、こんな事を尋ねられます。

   「太閤さまにまで出世されるには、
    違った心がけが、あったことと思いますが……」

   すると、秀吉さんはこう答えました。

  「ワシは、太閤になろうなどとは思ったことがない。

   草履取りのときは草履取りを一心に努めたら、足軽に取り立てられた。

   ありがたいことだと一生懸命仕えたら、侍になった。
   侍の仕事に夢中になっていると、いつしか侍大将になっていたのだ。
   ついに姫路一城を拝領するにいたった。

   ワシは、一職をうれば一職、一官を拝すれば一官、
   その職官に没頭して今日にいたったのだ。

   ほかに出世の秘訣は、なにもない」

   目の前のことを一生懸命やっていった結果、
   自分では想像もつかないところまで駆け上がっていったのです。


   「一日は一生の縮図なり」

   今日も一日がんばりましょうね♪

・・・

<参照>

【毎日日一言】「一日は一生の縮図なり」
ショート動画(5か月前)
https://www.youtube.com/shorts/HU3adTnXLQg


一日は一生の縮図。今日の積み重ねで未来ができる!
[愛されたい人たちへ Vol.1]
【公式】朝倉千恵子チャンネル(023/04/29)
https://www.youtube.com/watch?v=OaNJjw6qL3c

       <感謝合掌 令和8年2月3日 頓首再拝>

「超時の今」を生きる者は常に生きるものである - 伝統

2026/02/19 (Thu) 10:44:25


        *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月19日)」より

時間を大切にするということは、《いのち》を大切にするということである。

現象界の《いのち》は時間の流れに展開する。
時間の流れにしたがって《いのち》も過ぎ行く。
時間を大切にしないものは酔生夢死する。

しかしわたしたちは時間を本当に大切にしているだろうか。

時間は眼に見えないものであるから、
そして使わずに置いても消えてゆくものであるから、
ともすれば浪費しがちである。

「使わないことが浪費であって、使えば使うほど増える」という
生長の家の経済学は時間に関してはいっそう真実である。

時間は箱詰にしておいても、瓶詰にしておいても、それは蒸発して消えてしまう。
時間を大切にしようと思って時間時間と考えてもイライラして心が忙しいだけである。

時間を大切にする最も有効なる秘訣は何事もすぐ実行に取りかかるということである。
《せねばならぬ》ことを次に延ばさぬことである。

《せねばならぬ》ことを次へ延ばすことは、行ないの負担を避けるために、
その避けている間中、それは心の負担となっている。
行ないは苦しみでなく、心の負担は苦しみである。

ぐずぐずの習慣ほど愚かしきものはない。

今を行かす生活、その時その場をすぐ生かす生活、具象的今を生かすことが
超時の生命(せいめい)を今生きることになるのである。

「超時の今」を生きる者は常に生きるものである。
ぐずぐずの生活を生きる者は常に死につつあるものである。

           <感謝合掌 令和8年2月19日 頓首再拝>

眼の前に「今」与えられていることを百パーセントの忠実さで実行する - 伝統

2026/04/18 (Sat) 11:02:14


           *「光明道中記」(4月18日)より
             ~全てが成功に変わる日

【自己の内に埋蔵されたる無限無尽の供給を知らないものは
 自己に対して罪を犯すものであります。(『百事如意』)】

若し躓きと見える様な事が起っても躓きと云うものは
神の造り給いし世界には無いと信ぜよ。
「躓き」とは本当は「入口」なのである。
どこの家にも入口の門は閉まっているが如く見えるであろう。

吾々は「入口」の前に往って行詰る。
否、行詰ったと錯覚するのである。
併しその時には既に奥座敷に近いのである。

吾々は野原を彷徨(さまよ)っているときには少しも行詰らないと感じる。
而も既に成功の玄関に来たときに、その前に直面した「扉」に対して、
「ハテ、行詰った」と錯覚する。

併し、吾々の前に鎖されている「扉」は決して、
吾々を閉め出すために鎖されているのではないのである。
それは吾々が当り前に開くのを待っている。

その「扉」を開くには秘密の秘伝も何もない。
ただ当り前に「眼の前にある扉を開く」と云う仕事、言い換えれば、
眼の前に「今」与えられていることを百パーセントの忠実さで実行する
と云うことによって、成功の「扉」は開かれるのである。

「今」をおろそかにする者は「扉」を開かないものである。

生命がそれ自身の本然なる自他共栄の相互活動を行なうとき、
健康になるのは当然である。

         <感謝合掌 令和8年4月18日 頓首再拝>

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