伝統板・第二
ひかりの一日一言121~ひかりの語録(4月)」 - 伝統
2025/04/01 (Tue) 05:01:18
ひかりの一日一言《1日》
本当の神と云うのは一切の創造主(つくりぬし)、無限智慧、
無限生命(せいめい)、無限供給であります。
神の智慧と云うのは
人間の智慧才覚のような小さなものではありません。
宇宙に満つる無限の叡智 ―― これが神の智慧でありまして、
吾々が、神に対して心を打ち開いた程度に従って、
神の叡智が無限大に吾々のうちへ流れ入(い)って来るので
あります。
わたくし心(こころ)がなくなればなくなる程、
計(はか)らい心(こころ)がなくなれななるほど、
神の叡智は吾々の内部に驀(まっしぐ)らに流入して来て、
凡(あら)ゆる点に於いて吾々の導きとなって呉(く)れるので
あります。
*「百事如意」(P3)
<感謝合掌 令和7年4月1日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《2日》 - 伝統
2025/04/02 (Wed) 05:02:14
人間心(こころ)を出さない程度に応じて、
吾々の智慧の個人的な極限(かぎり)は破れ、
その程度に応じて宇宙的な智慧 ―― 即ち神の智慧が開けて
来る ―― 計らいのない智慧 ―― 無際涯の大智慧 ――
それが得られるのに何故(なにゆえ)、
吾々は自分自身の小さな垣根(かきね)の中からのみ吾々の
生活の導きを得ようとする必要があるのでしょうか。
*「百事如意」(P3)
<感謝合掌 令和7年4月2日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《3日》 - 伝統
2025/04/03 (Thu) 04:29:30
天地に満つる大きな清浄な空気 ―― それが得られるのに
何故(なにゆえ)吾々は狭い室内の空気を吸おうとする必要が
あるのでしょうか。
(中略)
吾々は大自然を信頼しなければなりません。
信じたら必ず戸障子を解放して
戸外の空気を吸うようになるべきです。
そうすると、吾々が宇宙に満つる神の大智慧の源泉を仰がないのは、
要するに、神の大智慧を信頼していないからでありましょう。
信じさえすれば、心の戸障子を解放して神の大智慧を吸わずには
いられないでありましょう。
*「百事如意」(P3~4)
<感謝合掌 令和7年4月3日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《4日》 - 伝統
2025/04/04 (Fri) 05:04:31
吾々が心の戸障子を完全に解放して
神の大智慧に直接の導きを求めますとき、
吾々自身に既に『神の子たる実相』が顕現され、
最早吾々は『小智(しょうち)』の奴隷ではなく、
学問の奴隷ではなく、権威の奴隷ではなく、
無限の叡智を内(うち)に包蔵(ほうぞう)し、
その内なる導きに導かれている神の子そのものに
なってしまうのであります。
*「百事如意」(P4)
<感謝合掌 令和7年4月4日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《5日》 - 伝統
2025/04/05 (Sat) 05:05:12
英国の大詩人ブラウニングは、真理に達した人だけあって
次のように歌っています。
叡智と云うものは常に内にある、
どんなに外のものを信じようとも、
外のものからは叡智は湧いてこない。
吾々にはその内奥(ないおう)の深い処に中心がある。
その中心に無限の真理が宿る、
その真理を発掘すること、
それを吾々は叡智を汲み出すと云うのである。
*「百事如意」(P4~5)
<感謝合掌 令和7年4月5日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《6日》 - 伝統
2025/04/06 (Sun) 05:05:25
神は自己の内に宿る、叡智は自己の内に宿る、真理は自己の内に宿る。
自己の内に神が、叡智が、真理が宿っていないで、
神とか、叡智とか、真理とか云うものが自己の外にのみある
ものならば、人間は永遠に自由になることは出来ないでありましょう。
神とか、真理とか云うものが吾々の『外(そと)』にばかりある
ものならば、神とか真理とかに従う云うことは、吾々自身は決して
自由にはなれないのであります。
神とか、真理とか云うものが自己の『内(うち)』に埋蔵されている
真性であるからこそ、神に従うこと、真理に従うことが、自己に
埋蔵されている真性を伸び伸びと外に出すことになるのであります。
*「百事如意」(P5)
<感謝合掌 令和7年4月6日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《7日》 - 伝統
2025/04/07 (Mon) 05:03:14
自己に宿る真理の『呼びかけ』に心の耳を傾けるとき、
吾々は神の無限の叡智の導きを受けるのであります。
此の自己に宿る真理の『呼びかけ』を指して吾々は
或いは『良心』と云い、『神示』と云うのであります。
『良心』と『神示』とは畢竟同じものの反面であって、それは
『《より》高き自我』からの啓示であり、自己の『真性』の
開示であり、自己にの宿る神の声であります。
*「百事如意」(P5~6)
<感謝合掌 令和7年4月7日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《8日》 - 伝統
2025/04/08 (Tue) 05:00:26
『神示』は絶対性のものであって、古神道の方から云えば
直霊(なほひのみたま)の働きであり、
奇魂(くしみたま)、
和魂(にぎみたま)、
幸魂(さちみたま)、
荒魂(あらみたま)の四魂が
円満に揃いて一つの統一された働きであります。
之(これ)に反して霊示と云うのは、
ある霊界の棲息者からの精神波動の波及によって
教えられるのでありますから、
その霊界の指導者が、どの程度まで、
自己の『神なる真性』を発現させているか、
或(あるい)はまだまだ其の指導者が執着の塊であるかによって、
その霊示の特徴にも価値にも千差万別があるのです。
*「百事如意」(P6)
<感謝合掌 令和7年4月8日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《9日》 - 伝統
2025/04/09 (Wed) 04:38:11
吾々が執着を脱する程度に従って、
計(はか)らい心が無くなる程度に従って、
磨きをかければかける程度に従って、
内から多量に光を放射するダイヤモンドの如く、
内から示されてくるものが『神示』であります。
吾々は其の本性に於いて神でありますから、
『神示』を聴くと云うことは、霊媒素質の有無に拘(かかわ)らず、
自己の執着を脱する程度に従って、完全に出来るのであります。
『真の人間』は神である。
だから吾々が我執(がしゅう)の皮(かわ)を剥(は)いで
『真の人間』が其処に出たとき、
その思うところ、感ずるところが悉くが神示であります。
*「百事如意」(P6~7)
<感謝合掌 令和7年4月9日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《10日》 - 伝統
2025/04/10 (Thu) 05:06:00
神示は内流であって概ね直覚的にあらわれます。
霊示は『外からの放送』の感受であって
概ね霊媒式、二重人格的にあらわれます。
*「百事如意」(P7)
<感謝合掌 令和7年4月10日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《11日》 - 伝統
2025/04/11 (Fri) 05:02:36
神示は、我執に対して答えず、我執を捨てたとき、
おのずから現れるものでありますが、
霊示は我執にも答えてくれ、時々的中の明答をえたり、
見当違いの答えで背負い投げを食らうこともあります。
(中略)
だから吾らは常に自己の『神格(しんかく)』の内的啓示に
照らして行動するのが好いのであります。
*「百事如意」(P7)
<感謝合掌 令和7年4月11日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《12日》 - 伝統
2025/04/12 (Sat) 05:07:38
吾々が我執(がしゅう)を空(むな)しくする習慣をつけ、
自己内流の神格の囁(ささや)きに耳を傾ける習慣をつけますならば、
次第々々にその囁きがハッキリ聞こえてくるようになるのであります。
*「百事如意」(P7~8)
<感謝合掌 令和7年4月12日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《13日》 - 伝統
2025/04/13 (Sun) 05:02:05
自己内流の神格の囁きは聞くだけにして、
無視してしまって、その通り行わないでいますと、
自己の真性を欺(あざむ)くことになりますから、
いくら耳を傾けて自己神格の啓示を
聞こうとしても聞こえなくなって来ます。
吾々が、自己神格の啓示を絶えず聞こうとするならば、
絶えず『内からの啓示』に順(したが)って、己を虚(むな)しうして、
生活にそれを実行して行くということしなければならないのであります。
*「百事如意」(P8)
<感謝合掌 令和7年4月13日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《14日》 - 伝統
2025/04/14 (Mon) 04:51:57
若(も)し、貴方(あなた)がある問題に関し静坐し、神想観し、
其の時、他(た)を押さえて自分をのみ生かすような考えが
内(うち)から浮かび上がって来ます場合には、それは真に
『自己神格の内流』ではない ――
言い換えれば、神の御声ではないのであって、『真の自己』の
仮面(かめん)を被(かぶ)れる『ニセ物の自分』の啓示で
ありますから、そんな啓示に従ってはならないのであります。
*「百事如意」(P9)
<感謝合掌 令和7年4月14日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《15日》 - 伝統
2025/04/15 (Tue) 05:05:27
『良心』は吾々の中に宿る自己神格の内流でありますから、
吾々は『良心(りょうしん)』を捨ててはならない。
神示は所謂(いわゆ)る『良心(りょうしん)』よりも大きく、
広く内外包容的に出て来るところの内部的光耀(こうえつ)で
ありますが、
それは本質に於いて良心と同じき本源から流れ出て来るので
ありますから、良心の囁きに一致しないものは決して神示では
ありません。
それは、或る低級霊の示唆か、《ニセ物の自分》の
好(よ)い加減な潜在意識の囁きにすごないのであります。
*「百事如意」(P9)
<感謝合掌 令和7年4月15日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《16日》 - 伝統
2025/04/16 (Wed) 05:05:53
吾々の『生命(せいめい)』は本源に於いて神と同一流れの
『生命(せいめい)』を汲んでいるのでありますから、
吾々がその本源に対して心の堰(せき)を設けず、出来るだけ、
心の耳を傾けてその本源の智慧に聴くようにしますならば、
吾等にとって必要なる智慧は吾等の心に流入してくるのであります。
*「百事如意」(P9~10)
<感謝合掌 令和7年4月16日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《17日》 - 伝統
2025/04/17 (Thu) 05:03:59
美しい世界は窓を開かなくても既に窓を開く前から
其処に展開しているのであります。
ただ、窓を開けば、その美しい世界の光景が
自分のものとなるのであります。
此れは実相の世界は既に在(あ)る ――
吾等が心の窓を開(あ)ければそれが現実世界のものとなる
ことの譬(たと)えであります。
と同時に、これは又、神の智慧が吾々の内(うち)に流れ込んで
来る事実の譬(たと)えであります。
だから、心の窓を開きなさい。
そうすれば神の智慧が貴方の智慧となるのであります。
*「百事如意」(P10)
<感謝合掌 令和7年4月17日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《18日》 - 伝統
2025/04/18 (Fri) 04:58:27
心の扉(とびら)を開くにはどうしたら好いかと云いますと、
心の窓を閉(し)めている扉(とびら)とは何であるかを
知らねばなりません。
心を鎖(とざ)いるして扉(とびら)が何で出来ているかを
知らねばなりません。
心をとざしている扉(とびら)とは、人間の小智才覚であります。
人間の小智才覚を捨てることが、心の扉(とびら)を開くことに
なるのであります。
*「百事如意」(P10))
<感謝合掌 令和7年4月18日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《19日》 - 伝統
2025/04/19 (Sat) 05:03:09
聖典『生命の實相』に書いてある通りを信じ得、実行し得た
人々が、医療不治の病(やま)いから回復した実例が
頻々(ひんぴん)としてあるのは、
人間の小智才覚を捨て得たとき、本当の智慧、神の智慧、
一切を生かす智慧が其の人の内(うち)に流れ込んで来た
からでなくて何でしょうか。
*「百事如意」(P10)
<感謝合掌 令和7年4月19日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《20日》 - 伝統
2025/04/20 (Sun) 05:01:22
聖典『生命の實相』に示されてある真理を体得し、これを信じ、
生き、動くとき、医療不治の病いが解決するばかりではなく、
経済問題でも、政治問題でも、社会問題でも、家庭問題でも、
すべての問題が解決するのであります。
何故なら此の聖典に示されている神の智慧は無限であり、
神の子なる吾らの実相のうちには一切が備わっているからで
あります。
*「百事如意」(P11))
<感謝合掌 令和7年4月20日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《21日》 - 伝統
2025/04/21 (Mon) 04:40:45
『人間の本質が神の子であり、自己の内に智慧でも、愛でも、
生命(せいめい)でも、供給でも、一切が無限蔵に内在する』
と云う真理を信ずることが出来ない者はこれらの完全なる供給の
神(かん)流れを受け入れることが出来ないのであります。
即ち神の智慧の供給が乏しいために吾々は事毎(ことごと)に失敗し、
愛の供給が乏しきが故に、家庭の愛情や知友の交わりが疎遠になり、
生命(せいめい)の供給が乏しき故に色々の病気が形をあらわし、
もの皆の供給乏しき故に一切が豊富に集まらないのであります。
*「百事如意」(P11)
<感謝合掌 令和7年4月21日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《22日》 - 伝統
2025/04/22 (Tue) 04:25:30
自己に埋蔵されたる、無限無尽の供給を知らないものは
自己に対して罪(包<つみ>)を犯すものであります。
他(ひと)に対して
内に埋蔵されたる無限無尽の供給を知らしめない者は、
他(ひと)に対して罪(包<つみ>)を犯すものであります。
凡(およ)そ布施のうちで
何が最も大きな布施(ほどこし)であるかと云いますと、
彼自身に埋蔵されたる無尽の宝庫に目覚めさせてあげるほど
偉大なる布施(ほどこし)はないのであります。
外から金銭財宝などを施(ほどこ)してあげる
布施(ほどこし)は使い尽くしたらやがて『無くなるもの』を
施(ほどこ)すのでありますが、
内在無尽の宝庫に目覚めさせてあげれば、
もうそれは無くなることがない、
使い尽くしようがないからであります。
*「百事如意」(P11~12))
<感謝合掌 令和7年4月22日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《23日》 - 伝統
2025/04/23 (Wed) 05:05:09
諸君は有限な人間の内(うち)に『内在無限の宝庫』などが
ある筈(はず)がないと思われますか。
人間を有限だと見るものは、
それは神の子であるところの実相人間をみないで、
仮現(かりのあらわれ)であるところの肉体人間を
見ているからです。
*「百事如意」(P12)
<感謝合掌 令和7年4月23日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《24日》 - 伝統
2025/04/24 (Thu) 05:02:03
(「百事如意」(P12~14)の『井の中の蛙』について
は、スレッド「或る譬話・寓話からの学び⑤」井の中の蛙
2025/04/23 (Wed) で確認できます。
https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8002545 )
人間の真の発達は神の無限無尽の大智慧に内部から繋がること
により、それが外に形まで顕れて来ることによってであります。
内部からの無限の供給に栓をして置いて
外部へばかり栄えをあらわそうとしているのは、
植物に地下水を与えないで、外部に美しい花や葉を
咲かせようと焦っているのと同じであります。
根のない植物は外を茂らせれば茂らせるだけ却って枯れます。
吾らは植物を移植して根が傷ついていましたならば、暫く、
根の充分回復するまで外部の枝葉(えだは)を切り込んで
置くのであります。
根を培(つちか)うのには外部の枝葉(しよう)を一時
切り込んで置くことが必要なのであります。
即ち外面的な『人間智慧』を一時(じ)すっかり捨てると、
そのうちに根が蔓(はびこ)って、その根の力で、
今度は本当に外部にも善い智慧が芽を出して来る。
これなら、外部に出て来る智慧でも本物の智慧であって、
本源の地下水につながっているから涸(か)れようがない
のであります。
*「百事如意」(P14))
<感謝合掌 令和7年4月24日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《25日》 - 伝統
2025/04/25 (Fri) 05:02:33
若し吾々が日常生活に採(と)るべき道を誤り病気に罹ったり
経済的に失敗することがありましょうとも、
それは神の大智慧の地下水が足りないのではない、
神の大智慧の地下水を吸収する根を蔓(はびこ)らせていない
からです。
神が悪いのではない。
自分が悪いのであります。
欠点は自分にあり、失策は自分にあるのでありますから、
これを治(なお)す道は、神を怨)うら)むことでも、
神に対して号泣(ごうきゅう)することでもない。
自分自身の『根』を培(つちか)って、神からの地下水の
供給を吸い上げるようにすれば好(よ)いのであります。
他(ひと)がしてくれるのなら、頼りなくて当てにならない
かも知れませんが、自分がするのでありますから
確実に雑作(ぞうさ)がないのであります。
吾々が若(も)し、常に大智慧の地下水から、日々(にちにち)
の智慧の供給を受けるようにしていましたならば、決して
斯(か)くの如き失敗をなすことはないのであります。
何故(なぜ)なら吾々の魂の内部から光が射(さ)して来て
吾々を導いてくれるからであります。
その光は、永遠に導き誤ることのない
無限に完全な神の智慧の光であるからであります。
*「百事如意」(P14~15)
<感謝合掌 令和7年4月25日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《26日》 - 伝統
2025/04/26 (Sat) 07:11:25
諸君が若(も)し、外部的なあらゆる方面に解決を求めて
尚(なお)解決の道に迷うような問題に直面した場合には、
よろしく静坐『神想観』して、
『神と一体なるところの自分はすべての事物と調和している。
されば此の問題を解決するに適当なる智慧はおのずから
自分の内に湧き出て来る』
と暫(しばら)く祈り念じて、心のうちに湧き出て来る啓示に
従えば好(よ)いのであります。
*「百事如意」(P15))
<感謝合掌 令和7年4月26日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《27日》 - 伝統
2025/04/27 (Sun) 05:04:08
吾々が毎朝神想観して、
『今日(こんにち)の仕事に必要な智慧は
神の大いなる智慧の海から流れ込んで決して失敗はない』と
繰り返し念じつつ精神統一に入(い)り、然(しか)るのち
実際の仕事に出掛けるならば、神想観は吾々にとって
日々(にちにち)の精神的パンであるとも云えるのです。
*「百事如意」(P16)
<感謝合掌 令和7年4月27日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《28日》 - 伝統
2025/04/28 (Mon) 05:03:14
吾々の生活には物質的なパンも必要ではありますが、
精神的パンは尚更(なおさら)必要であります。
その日その日の最善の智慧が、
毎朝の神想観によって湧いて来るとしますと、
もう吾々は前日から明日の問題に就(つ)いて
思い煩(わずら)う必要はない、
『一日(にち)の苦労は一日(にち)にて足れり。』
もう吾々は明日のことに就(つ)いて
思い煩(わずら)い、そのために不眠症になったり、
神経衰弱になったりする恐れはないのであります。
*「百事如意」(P16))
<感謝合掌 令和7年4月28日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《29日》 - 伝統
2025/04/29 (Tue) 04:05:13
吾々の霊は神より来(きた)れるものであって、
その本源なる無限の霊に溶け込み澄み切るとき必要に応じて
全(すべ)てのものは知らされるのであります。
此の事実を認めるとき
吾々は全(すべ)ての取越し苦労から解放されるのであります。
必要に応じて必要なる全(すべ)てのものが知らされると
したならば何のために取越し苦労の必要がありましょう。
*「百事如意」(P16)
<感謝合掌 令和7年4月29日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《30日》 - 伝統
2025/04/30 (Wed) 04:05:24
『取越し苦労をするな』と申しましても取越し苦労をせずには
おられぬと云う人がありますが、それは必要な時に応じて
必要なる全(すべ)てのものが知らされると云うことを
信じ得ないからであります。
だから『取越し苦労をするな』と云うよりも、
『吾々は神より来(きた)れる神の子であって、全智の父から
必要に応じて必要なる全てものを知らされる』と云うことを
自覚させてあげる方が根本的なのであります。
この自覚がありましたら、吾々はどんな時にも取越し苦労を
しない、本当に常に平和な心境を持続することが出来るので
あります。
*「百事如意」(P16~17)
<感謝合掌 令和7年4月30日 頓首再拝>