伝統板・第二

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放てば、自由⑤ - 伝統

2025/06/13 (Fri) 11:48:57


心の拳(こぶし)を開く

        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月13日)より

われわれが他(ひと)に何事かを尽くして喜びを感ずるのは
自他一体の実相から来るのである。

「わたしがこれほどあなたに尽くしてあげました」という程度の尽くし方では、
まだほんとうに自他一体がわかっていない。
したがって本当の意味でその人は尽くし方が足りないのである。

「わたしは神様にこれほど尽くしてあげましたのに、お蔭がない」と不平に思う人は、
そのこれほど尽くしましたと力む「自分」という存在はどこから来たのか
考えてみるがよい。

「自分」というものは本来どこにもないのである。
みんな神から来たものばかりである。

それをわたしがした自分がしたと力むその根性がまちがっているのである。
そんなまちがいの信仰からお蔭がもし来るものならば、神様の方がまちがっている。


二人の信者が神社へお詣りして、

甲は「わたしはこれこれの善事をつくしましたから
神様どうぞ祝福して下さい」といって祈った。

乙は「わたしはなんの力(ちから)もないものです。
すべて善きものは神様から来るのです。
どうぞ御心の栄えますように」と祈った。

どちらが神様からお蔭を戴くものであるかとイエスは弟子たちにたずねた。
弟子たちは正しく答えることができなかった。

イエスは「本当にお蔭をいただくものは乙である」と言った。

「甲はまだ無我になっていない。
善き事が神以外の《自分》から来るようにまだ思っている。
《自分の力》に誇っている者は神から卑(ひく)くせられるものだ。」


イエスの教えも無我の教えであり、釈尊の教えも無我の教えである。
「天(あめ)の御陰、日(ひ)の御陰と隠(かく)りまして」
と祝嗣(のりと)にとなえる《日本神(にっぽんかん)ながら》の道(みち)も
無我の教えである。

「自分は本来ない」これが生長の家の教えである。
「自分」を握っていながら、お蔭を戴こうなどというのは大それた考えである。

握っている手掌(てのひら)の中には日光は射し込まない。
拳(こぶし)を開くことをしないで「お蔭がない」と不足を言っても
神様の御存知ないことである。

指導者の役目は「握っている心の拳(こぶし)」をひらかせることである。

相手の心に「我(が)」を握らせておいて、
神想観とかいうX光線みたいな光で
握ったままの掌(てのひら)を明るくすることはできない。

神様は開きうる拳(こぶし)を与えていられるのである。

・・・

<関連>

(1)光明掲示板・第一「無執着 (9518)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1806 (消滅)

(2)光明掲示板・第三「無執無縛 (1208)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=250

(3)光明掲示板・伝統・第一「放てば、自由」
    → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=20

(4)伝統板・第二「放てば、自由①」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6464501

(5)伝統板・第二「放てば、自由②」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7082385

(6)伝統板・第二「放てば、自由③」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7991199

(7)伝統板・第二「放てば、自由④」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8266158

           <感謝合掌 令和7年6月13日 頓首再拝>

放つということ - 伝統

2025/06/27 (Fri) 10:37:29


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(6月27日)より

一度放(はな)してもまた知らぬ間に握っていることがある。
そしてその時は握ったと気がつかないで放したつもりでいるのだから始末が悪い。

放つということはよほどむつかしい。
物を放したら、いつの間にかまた「無(む)」を握っている。

なんにも無いということは「一切が常にある」ということを知ることである。
「《一つだけ》がすでにある」ように思ったり、
「ある特定のものだけ」があるように思ってことさらに執しているのが執着である。

一つを放しても、どの特定が逃げ出しても、
「すでに無限のものが与えられている」と知るのが智慧である。

            <感謝合掌 令和7年6月27日 頓首再拝>

執着を脱して始めて自由 - 伝統

2025/07/25 (Fri) 10:01:53


       *「光明法語」(7月6日)より

「我はいと勝(すぐ)れた者である。一切のものに執着しない。
 慈愛(じあい)悉(ことごと)く解脱してみずから覚(さと)る」。

これは釈迦が菩提樹下で悟りを開いて
いと静かに鹿野苑(ろくやおん)の方へ歩まれた時、

異学の優陀(うだ)と云う者が、
釈迦の容貌気色清浄(ようぼうけしきせいじょう)妙(たえ)にして
面光照りわたりたるを見て訊ねた時に
答え給うた言葉の一節である。

「われはいとすぐれたる者だ」とみずから宣言せられたのであるが、
その何がいと優れたる者であると云うと、一切のものに執着しない事、
あらゆる愛を盡(ことごと)く解脱していることであった。

       <感謝合掌 令和7年7月25日 頓首再拝>

手放しの合図 - 伝統

2025/07/31 (Thu) 11:19:20

【手放しの合図】あなたはこれからどう生きる?
MK虹の架け橋チャンネル(2025/07/29)
https://www.youtube.com/watch?v=IRBcG5mU-mA

       <感謝合掌 令和7年7月31日 頓首再拝>

真の愛は放つ - 伝統

2025/09/24 (Wed) 11:32:25


        *「光明法語」(9月24日)より

真の愛は放つということである。
そのものの生命(いのち)のままにそのものを行かしめることである。

朝顔の蔓(つる)に牡丹の花を咲かせようとすることではない。
小鳥を籠の中に閉じ込めることではなく、自由に山野に放つが如く、
自分の子供を放つと云うことである。

個人個人は神の創造の一つ一つの中心であるのである。

個人個人の自由を縛るのは、
神の創造の一つ一つの中心を束縛すると云うことである。
それは個人に対する冒涜であるばかりでなく、
神の創造のみわざに対する冒涜である。

           <感謝合掌 令和7年9月24日 頓首再拝>

「愛憎、善悪を放つ」ところに不死身を得る - 伝統

2025/10/16 (Thu) 11:41:45


         *「光明道中記」
          (10月16日《誰も赦した、憎む人のない日》)より

【実在すなわち光明、これを不可思議光と言い、如来自在と言う。
                 (『生命の實相』第十一巻)】

   善し悪しやにくや可愛いと思わねば世界がまるでわがもの

誰の歌か知らぬがなかなか好い歌である。
生長の家の教は「天地一切のものと和解せよ」との教えである。
さてその和解はどうしたら出来るのか、答えて曰く、総感謝であると。

そんなに和解していたら戦争は出来ぬではありませぬかと
質問されたこともあった。
和解した時本当に不死身の力が出て来る。

こんな話がある。

戦争のときに敵の間諜を捕えたが、軍の掟で斬らねばならぬ。
そう云う時にその間諜が平然として微笑したり、
平然として合掌していたりするとどうしても斬ることが出来ぬ。

そこで何か侮辱を与えて間諜を怒らせる
 ―― 憤ると云うことは「斬る心」を起すことである。
間諜が憤って「斬る心」を起して
憎らしそうな顔をした時に思い切ってバッサリ斬れる。

斬られるのは、「斬る心」を起したからである。


無心の小児は斬ることが出来ぬ。
愛憎を超え、善し悪しを超えたところに不死身を得るのである。

キリストも
「此の幼児(おさなご)の如きものならずば神の国に入ること能わず」と言ったし、

白隠禅師も
「是非憎愛総に拈抛(ねんほう)すれば、汝に許す生身(いきみ)の観自在」と
言ったが、愛憎に心が捉われるから地獄が現出するのである。

           <感謝合掌 令和7年10月16日 頓首再拝>

愛憎のないところに自由自在を得る - 伝統

2025/10/17 (Fri) 11:51:22


    *「光明道中記」(10月17日《愛憎を超える日》)より 

【真に人を救う道は無我の愛にて相手を目覚めさせるにある。
                   (『生命の實相』第二巻)】

地獄とは自在を失った状態である。
自在を失うから苦しいのである。

では自在とは何であるか。
何ものにも囚(とら)えられないことである。

愛憎は人間の心を最もよく囚えて自由自在を失わしめる。
愛憎のないところに自由自在を得るのである。

死ぬのが恐ろしいと云うのも、生を愛し死を憎むからである。
生を愛し死を憎むことがなかったら生死に囚えられぬ。
生死に囚えられなかったら生死に於て自由自在である。

沢庵禅師が柳生但馬守と立会ったが、剣聖但馬が斬り込もうと思っても
斬り込む隙がなかったと云う話がある。

日本へ来て北条時宗の悟の師となった祖元禅師は
元の兵来たって彼を斬ろうとした時平然として
「人空(にんくう)また法空(ほうくう)、電光影裡、春風を斬る」と
一喝を諷して首をさし伸べたが斬ることが出来なかった。

禅宗六祖の慧能も神秀の弟子行昌(ぎょうしょう)が来って
斬ろうとしたとき平然として首をさし伸べたが
三たび剣を揮えども斬ることが出来なかった。

「善し悪しやにくいや可愛い」があるからこそ、通力を失って斬られるものを。
通力を失うのは囚われるからである。
囚われなければ吾々は白隠禅師の言ったように生身の観自在菩薩であるのだ。

病気などに罹(かか)るのも愛憎に捉われて通力を失うからである。

           <感謝合掌 令和7年10月17日 頓首再拝>

愛憎に囚われない道は、必勝の道 - 伝統

2025/10/18 (Sat) 12:00:41


    *「光明道中記」(10月18日《愛憎を捨てる日》)より

【ひらいた掌(てのひら)だけが新しいものを掴むことが出来る。
                   (『生命の實相』第十一巻)】

沢庵禅師が柳生但馬守と試合(たちあ)ったとき、
沢庵禅師に少しも隙がなかったが、
禅師が柳生但馬守に授けられた『不動智神妙録』と云うのがある。

それには和解が必勝の道であると云うことが書いてあるのである。
和解と云うのは愛憎に囚われない道であるから
同時に必勝の道となるのである。

『不動智神妙録』の一節に

「物に心が止(とどま)り候へば、いろいろの分別が胸に候間、
 胸のうちにいろいろに動き候。
 止まれば止まる心は動きても、うごかぬにて候。

 たとへば十人して一太刀づつ我へ太刀を入るるも、
 一太刀を受流して跡に心を止めず、跡を捨て跡を拾ひ候はば、
 十人ながらへ働きを欠かさぬにて候。

 十人十度、心は働けども、一人にも心を止めずば、
 次第に取合ひて、働きは欠け申す間敷候(まじくそうろう)。

 若し又、一人の前に心が止まり候はば、一人の打つ太刀をば
 受流すべけれども、二人めの時は、手前の働き抜け申すべく候。

 千手観音とて、手が千御入(おい)り候ば、弓を取る手に心が止まらば、
 九百九十九の手は皆、用に立ち申す間敷(まじく)候。・・・」

心が一つ物に囚えられたなら、
千本手があっても他の手がお留守になって自由自在を失う。

           <感謝合掌 令和7年10月18日 頓首再拝>

「我」の求めをすべて放下せよ - 伝統

2025/10/30 (Thu) 10:13:13


    *「光明道中記」(10月30日《求むるに先立ちて財宝集る日》)より抜粋 

ただ、神の中へ溶け込むことのみをこそ求めなければならないのである。
溶け込むとは固まりがなくなることである。
「我」の求めがなくなることである。

偉くなり、富を得たい、光栄を得たい、
すべての野心、野心がとげられない悲しみ。
一切の怒り、不安、恐怖、呪詛(のろい)、
之(これ)らすべてのものを放下せよ。

真に神の神意でありますようにと祈れ。

おお! その中にこそ全てがあるものを。

神を、聾(つんぼ)扱いしてはならぬ。
大声で怒鳴らなければ聞こえない者だと思ってはならない。
注文をして置かなければ、神はこの問題を忘れ給うかも知れぬと思うな。

           <感謝合掌 令和7年10月30日 頓首再拝>

過去を放つ - 伝統

2025/11/24 (Mon) 10:51:26


    *「光明道中記」(11月24日《あとに苦味の残らぬ日》)より

【過去を捉えて離さないのは自分の心である。
 過去の過(あやまち)を消す極意は過去から心を放つにある。
                   (『生命の實相』第一巻)】

人間が時々好きになったり、嫌いになったりすることがある。
嫌いになるのは人間の実相が晦(くら)まされているときである。
先生でも人間が嫌いになることがあるのですかと言われると、仕方がない。

降参するほかはない。
実際人間がたまらなく嫌いになることがあるので、掛値は言わない。
偉がろうとも思っていない。

解からない人間は耐(たま)らなく嫌いであり、
虫の好すぎる人間もたまらない。
功績を鼻にかける人間も耐(たま)らない。

先生でもそんなに好き嫌いがあるのですかと言われると、
やっぱり、冷たいものは冷たく感ずるし、
熱いものは熱いと感ずるし、快いものは快いし、
不快なものは不快だと言うほかはない。

冷たいものが熱く感じられたり、熱いものが冷たく感じられたり、
下手な音楽が上手だと感じられたりしなければ悟でないと云う
のだったら私はもう悟は御免を蒙(こうむ)りたい。

先生それでは先生は常人と同じではありませんかと言われれば、
そうかも知れない。

ただ常人は一度熱いと執したら冷たい膾(なます)でも熱いと
囚(とら)われるが、
私が異(ちが)うのはただ痕(あと)がのこらないことである。

      <感謝合掌 令和7年11月24日 頓首再拝>

自分の立場、考えに執着しない - 伝統

2026/01/12 (Mon) 10:58:56


       *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月12日)より抜粋

わたしはこれをこう考える
 ―― と言うときわたしは一つの立場に立つ。

一つの立場に立つかぎり、
「彼はこう考える」という立場をも許してやらねばならぬ。

球体の眼球(がんきゅう)を有するわれわれは、
穹窿(あおぞら<きゅうきゅう>)は球状であって
宇宙も球状であると考える。

しかしその考えをわれわれがもし三角ガラスの眼を
もった人種に強(し)いるならばまちがいである。

宗派を立ててはならぬ。偏狭がいっさいの争いの因(もと)である。
神のうちには争いはない。神はいっさの争いを、
いっさいの背反を包容している。

釈迦が未(いま)だかつて何々宗という仏教を
説いたことはなかったのである。

何々宗という多数の宗派は釈迦滅後に生じたのであって、
いっさいの背反を包容する超越的立場が失われたときに
生じたのである。

だから釈迦は宗派争いをしたことはない。
ただ後世の仏徒 ―― いな反仏徒が宗派争いをするのである。

宗派ばかりではない。
個人の生活でも争いができるのは、
おおむね超越的立場から墜落した者の挑戦から来るのである。

         <感謝合掌 令和8年1月12日 頓首再拝>

よく放つとき、よく生きる - 伝統

2026/02/17 (Tue) 10:49:55


           *「光明道中記」(2月17日 自在を得る日)より

【一つのものにでも執(しゅう)したら、苦しみは其処から始まる。
                       (『生命の實相』第十一巻)】
 
解脱を仏と言う。解脱とは執なきを言う。
執のなきを自在と言う。執を縛(ばく)と言う。
執は一定のところに縛り附けて其の自由を奪って了(しま)うからである。
 
子供に執すれば、子供はその自由を失って
病気に罹ったり成績が悪くなったりするであろう。
執愛は縛愛(なくあい)であり、
一定の場所に相手を縛りつけて自由を失って了う愛であるからである。
 
子を愛する者は、子を《よく》放たねばならぬ。
小鳥を愛する者は小鳥を《よく》放たねばならぬ。

小鳥を愛すると称して籠の中につなぎとめて置くとき、
その小鳥は永生きしないであろう。
放たれてこそ、小鳥はその生命の自由を発揮して健全なるを得るのである。
子も亦斯くの如くよく放つとき、よく生きる。

「愛」を釈迦は煩悩のうちに数えた。
愛をキリストは神性のうちに数えた。
愛は煩悩より出でて神性にまで昇るものである。
愛は神性より出でて煩悩にまで墜落するものである。
 
愛が愛である使命を果たすには智慧に導かれねばならぬ。

            <感謝合掌 令和8年2月17日 頓首再拝>

愛は相手を完全なものとして、其のまま放つ - 伝統

2026/03/16 (Mon) 11:00:57


           *「光明法語」(3月16日)より抜粋

愛によって育てられる子供は健康の育つ、
けれども愛とは執着することではない。

愛は相手の神性を拝むのである。

愛は相手を弱き者としていたわることではないのである。

相手を完全なものとして、其のまま放つのである。

信と敬と解放とである。

         <感謝合掌 令和8年3月16日 頓首再拝>

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