伝統板・第二
英霊の言乃葉 36 - 夕刻版
2025/07/01 (Tue) 19:02:20
****社頭掲示~令和7年7月
遺言状
陸軍上等兵 打田(うちだ) 武雄 命
昭和十九年七月十八日
マリアナ諸島にて戦死
愛知県名古屋市中村区出身
父上へ
色々と二十二年の間無理ばかり申し、大変御世話様に成りました。
三男として少しも孝らしき行(おこない)をせずに
先へ死んで行きますが、之も自分の体であって天皇陛下の体です。
國家の為に散った親不孝者と何卒御あきらめ下さい。
憎き米英をたたきつぶす迄は、幾多の日本人の魂を必要とするからね。
後残る者は未だ小さき妹三人で、成人する迄は
余程苦労を要し、私亡き後は本当に悲しいですが、
之も世の中の運命とあきらめ、どうか若い氣になって
張り切ってやって下さい。御願ひします。
御婆さんも相当の年です。
たまには無理を云ふでせうが、何分年寄りの事ですから、
せいぜい大事にしてあげて下さい。
(中略)
自分の希望する事は一家仲良くいつもにこにこ顔で、
永久に打田家の繁栄を祈るものです。
天皇陛下の為に笑って死んで征きます。
父上も呉々も体に気を付けてね。
では又あの世で。
さやうなら。
<感謝合掌 令和7年7月1日 頓首再拝>
****社頭掲示~令和6年7月 - 伝統
2025/07/02 (Wed) 14:05:25
弟安男君へ
海軍一等飛行兵曹 上村(うえむら) 治男 命
昭和二十年一月二十八日
黄海にて戦死
和歌山県那賀郡西貴志村出身 二十一歳
安男、元気かね。
兄さんも相変らず元気に安男達の様に、否(いや)もっと強く、
青空の如く大きな希望に満ち満ちて楽しく日々の課業に励んでゐるよ。
休暇の時はもっともっと面白い話でもと思ってもゐたが、
色々の事で忙しくよっくりと話す事も出来ずに過ごした事を
残念に思って居ます。
もう又桜も咲き、土筆(つくし)の出る暖かい日も直(す)ぐだらう。
さうすれば農学校の試験も直ぐやって来るぞ。
準備は如何に?
一つ大いに頑張って見事突破する様に、
兄さんもそれのみ楽しみにしてゐるからね。
頑張って頑張って頑張り通すのだ。
そのかはり安男や秀ちゃんの分まで御国の為、
一生懸命御奉公するからね。
此れからは安男始め兄弟三人は競争だ。
いつまでも末っ子として御両親に迷惑をかける様な事の無い様に、
偉くならなくとも真面目な強い日本の男子となりさへすれば、
どんな所にも役立つ人間となれるからね。 (中略)
安男も早や国民学校も卒業だ。
此れ等若葉の如く生々と明るく大きな希望を持って、
爾後(じご)奮闘する様祈ってやみません。
最後に安男の卒業をお祝ひする。
ではお元気で、
お父さん、お母さん、おばさん、秀ちゃん等によろしく。
君の為 我が里いでて 武蔵野の
むらさき匂ふ 花と散らなん
<感謝合掌 令和7年7月2日 頓首再拝>
****社頭掲示~令和5年7月 - 伝統
2025/07/03 (Thu) 12:58:32
お父さん
陸軍伍長 山本 明 命
昭和ニ十年九月一日
ビルマ国ヒールメンにて戦病死
佐賀県産養基郡宣三川村出身 二十五歳
君国(くんこく)のために死す。
死として是位名誉な死が又とあり得(え)ようか。
国家の干城(かんじょう)として一家一門のため大東亜樹立の礎石、
男子と生まれこれに過ぎる喜びはありませうか。
永々(えいえい)と愛護の腕に抱かれて育つた私は、何一つとして
御恩に報(むく)いる事が出来ず去るのを残念に思ひます。
(中略)
有為転変(ういてんぺん)極まりなきは人生。
人間一生には様々の憶(おも)ひ出がありますね。
花咲く春あれば、葉落ちるの秋あり、
秋の落日を見て悲しむ時あれば又、
一点の曇りなき初日(はつひ)を見て、歓び合ふ時は必ず来る。
順風あり逆風あり、二十幾年かの人生を一期(いちご)として終りて、
身は他界に住むとも、その精魂永遠に活(い)きて、
尚お父さんと共にあり。
悲しみ事あれば教へて下さい。
共に語らひ共に悲しみ共に悦(よろ)ぶ。
住む世界は異(こと)にして居やうとも、私達血肉を分けた親兄弟には
その真髄(しんずい)に或(あ)る一貫としたものが流れて居りましたね!
お父さんは余り体が丈夫の方ではありませんでした。
私亡き後、無理をして体でもこはされたら家庭は真つ暗です。
無理をせず体に適応しただけの仕事をしてください。
さうして弟妹(ていまい)達をより一層末(すえ)ながく愛してください。
(中略)
父上も今後益々お骨(ほね)折(お)りの事と思ふ。
姉上には幼い時から人一倍苦労を見てゐられるので、
特に良くしてやつて下さい。
では呉々(くれぐれ)もお体を大切に御機嫌用さやうなら。
父上
<感謝合掌 令和7年7月3日 頓首再拝>