伝統板・第二
真理の生活 23 - 伝統
2025/07/17 (Thu) 10:52:44
《他から同情や憐憫を求めてはならない 》
*『人生の秘訣365章』第4篇(P110~111) より
多くの慢性病患者のうちには、
現在意識の中には「治りたい希望」で一ぱいであるけれども、
潜在意識の中に「病気でありたい願い」をもっているために
治らぬ人が随分あるのである。
「病気である方が働かなくて、のんびり寝ていられる」とか、
「病気である方が人から同情される。人からいたわられる」
などという潜在観念が随分、治癒の日数を長引かせるのである。
社会保障的な無料で優遇してくれる病院が殖えれば殖えるほど、
この種の病人はふえるのである。
それゆえに、希望実現の心の法則第十二条は、
「他(た)から同情や“いたわり”を求める念」を棄てることである。
・・・
<関連>
(1)伝統板・第二「真理の生活 ①」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6971129
(2)伝統板・第二「真理の生活 ②」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7583747
(3)伝統板・第二「真理の生活 ③」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7707100
(4)伝統板・第二「真理の生活 ④」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7796617
(5)伝統板・第二「真理の生活 ⑤」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7854421
(6)伝統板・第二「真理の生活 ⑥」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7934282
(7)伝統板・第二「真理の生活 ⑦」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7988886
(8)伝統板・第二「真理の生活 ⑧」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8016563
(9)伝統板・第二「真理の生活 ⑨」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8061815
(10)伝統板・第二「真理の生活 ⑩」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8164957
(11)伝統板・第二「真理の生活 ⑪」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8209345
(12)伝統板・第二「真理の生活 ⑫」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8238335
(13)伝統板・第二「真理の生活 ⑬」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8250384
(14)伝統板・第二「真理の生活 ⑭」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8263502
(15)伝統板・第二「真理の生活 ⑮」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8290983
(16)伝統板・第二「真理の生活 ⑯」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8305125
(17)伝統板・第二「真理の生活 ⑰」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8315921
(18)伝統板・第二「真理の生活 ⑱」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8331438
(19)伝統板・第二「真理の生活 ⑲」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8360609
(20)伝統板・第二「真理の生活 ⑳」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8372647
(21)伝統板・第二「真理の生活 21」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8389298
(22)伝統板・第二「真理の生活 22」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8404795
<感謝合掌 令和7年7月17日 頓首再拝>
【「領収書の人生」と「請求書の人生」】 - 伝統
2025/07/18 (Fri) 09:37:08
*メルマガ「人間力」(2025.3.22)より
─────────────────
イエローハットを一代で一流企業に育て上げ、
「日本を美しくする会」の相談役として、
日本人の心を綺麗にする活動に尽力した
故・鍵山秀三郎さん。
その鍵山さんが教える、自らの人生を好転させ、
社会をよりよくしていく秘訣とは。
─────────────────
〈鍵山〉
「もっと、もっと、もっと」
際限なく求めて欲しがって生きるのは、
「請求書の人生」であると、
知人の有吉説志様から教えていただきました。
有吉様は、幼い頃お祖母さんから、
寺社にお参りした時は
「ありがとうございます」と請求書ではなしに
領収書のお参りをしなさい、
と教えられたそうです。
向上心や探求心は人の成長に
欠かせない大切な条件ではありますが、
度の過ぎた欲求は人を卑しくし、
ひいては国家の尊厳を傷つけることにも
繋がります。
有吉様のお話を通じて、求めるばかりではなく、
いま与えられているものごとに感謝の心を持つ
「領収書の人生」を歩めと教えていただきました。
日本には領収書の生き方をしている方が
大勢おられますが、
そういう方は世間から注目されることはありません。
請求書の生き方をする人が派手で目立つのに比べて、
領収書の生き方をする人は地味で
人目につかないところが共通しているからです。
誰からも注目されず、光の当たらないところで、
いつ報われるか分からないことにも
心を込めて取り組んでおられるそのお姿からは、
卑しさは微塵も感じられません。
他人に頼ったり、求めたりすることなく、
人の役に立つことだけを念頭において、
一途に歩み続けるお姿は、
人を惹き付ける豊かな魅力を備えています。
私は、極力人様に不快感を
与えないようにいつも気をつけています。
例えば、私は出張が多いものですから
飛行場や駅によく行きます。
そうすると、鞄をぶつけられたり、
後ろから靴のかかとを踏まれたりして
不愉快になることがよくあるんですね。
私はそのように、
自分がされて嫌なことは人にしたくありませんし、
そういうことをする人がいなくなるような
世の中にしていきたいと願っています。
吉野弘という詩人の作品に、
自分の持ち物を自分の体の一部だと
思わない人が嫌いだと書かれています。
持っている鞄を
自分の体の一部だと思っていないから、
平気で人にぶつけて歩くわけで、
吉野さんはそういう人が嫌いだというのです。
私もそういうことは嫌いです。
人に不快な思いをさせる人が出ない世の中にしたい。
それが私の心の底からの願いなんです。
いつも掃除をしに行く公園の入り口付近に、
自動販売機があります。
その側にある空き缶入れの蓋を開けると、
缶以外のゴミがたくさん入っているので、
私はいつもそれらを全部取り出すんです。
缶以外のゴミが入っていると、
回収しに来る人が嫌な気分になりますし、
その後の車の運転も荒くなって
事故を起こすかもしれません。
心の荒みがどんどん連鎖していくわけで、
これはとても恐ろしいことです。
けれども空き缶だけにしておくと、
回収に来た人も気分よく作業ができますし、
その後も心穏やかに人に接することができる
と思うのです。
また、私はタクシーに乗ると
少しだけ多めに料金を払います。
別にお礼を言ってもらいたくてやるのではなく、
後に乗る人が気分よく乗れるように
そうしているんです。
私が少し多めに払うと
運転手さんも気分がよくなって、
次のお客さんへの接客も
幾分よくなるかもしれません。
荒みと反対の、よい心の連鎖が起こるのです。
・・・
<参照>
【領収書の人生】ビッグモーターと対比される
イエローハット創業者・鍵山秀三郎
https://www.youtube.com/shorts/UBO6GZO30lc
<感謝合掌 令和7年7月18日 頓首再拝>
他を軽んじてはならない - 伝統
2025/07/19 (Sat) 11:52:01
*『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月19日)より抜粋
ひとの優劣を自分の尺度で推し測ってはならない。
自分が愚劣な心を持つから、ひともまた愚劣であろうと思ってはならない。
自分が動物的な欲望の支配下にあるから、
ひともまたかくのごとくであろうと思ってはならない。
自分のうちに悩みがあるから、世界中の人はすべて悩んでいるのだ
と思ってはならない。
本当に他人の偉大さがわかる者は、自己がそれだけ偉大であるのである。
自分の魂の高揚しただけのものを、われわれは他において見るのである。
釈尊のすぐれた人格を知る者は、
自己のうちに存在する釈尊がそれを知るのである。
釈迦やキリストといえども、時には悩み、苦しんだであろうと考える者は、
聖者を引きずり下ろして自己と同等のレベルに置こうとする卑怯者である。
彼は一種のエディプス・コンプレックスの虜囚(とりこ)なのである。
自分よりすぐれた者の存在を知ることが、
自己の驕慢心にとってたえがたい屈辱感になるのである。
われわれは、かくのごとく、ひとを引きずり下ろす醜(みにぐ)き心を去り、
自己があくまでも向上して、美しき人類の理想を成就することによって
聖者と等しきレベルにまで到達しなければならないのである。
大海に溺れつつあるある者どもが、お互いに他を引き下ろして、
それによって、自己が浮き上がろうとするのは醜悪である。
他を賤しめ軽んずることによって、
ひそかに自己を偉大ならしめようと努力するくらい
みじめな動物的行為はないのである。
他を軽んずることは、自己を軽んずることである。
他を醜くすることによって、まっさきに自己が醜くなるのである。
『従容録』には自分の口を血に染めて他人に吹きかけると書かれている。
<感謝合掌 令和7年7月19日 頓首再拝>
【かっこいいとそこに“美”を感じる】 - 伝統
2025/07/22 (Tue) 11:03:44
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.3.29)より
(斎藤一人さんの心に響く言葉より…)
品がいい人ってかっこいいよね。
それで、「かっこよく生きる」って、すごく大切なことなんです。
"イヤな金持ち”ばかり見ていると、「金持ちってイヤだなぁ」って思います。
でも、金持ちでもいい人で、 かっこよかったりすると、
その人のことをマネする人が出てくるんです。
だから、かっこよく生きるって、人のためにもなるんだよ。
人は、「憧れた人」には近づこうとします。
ヤクザに憧れる人もいるんです。
でも、それよりもかっこいい人がいたら、必ずその人に憧れるんだよ。
だから、かっこよく生きるって、すごく大切なことなの。
親鸞(しんらん)上人(しょうにん)でも、
ある人に「あなたのお弟子さんたちはすごいですね」って言われたときに
「私に弟子はいません。あの人たちは私の師匠です」って言ったんだよね。
言うことがかっこいいと、人はそこに”美”を感じます。
スピリチュアルっていうのは「内面のかっこよさ」なんだよね。
芸能界は主に「外面のかっこよさ」を競うけど、
これからの時代、それに負けないくらい
スピリチュアルもかっこよくないとダメなの。
なぜかっていうと、かっこいいから人はついてくるんだよ。
言ってることが正しいからじゃないの。
理屈をいくら話したって、理屈じゃ人はついてこない。
「その人に惚れる」っていうことが大切なんです。
影響力を使って人を動かそうとするけど、
その人がかっこよかったら、言うことを聞くんだよね。
それで、人を影響力で動かそうとする人って、人を変えようとするんです。
でも、変えようとすると人は逃げていくんだよ。
いつも説教しようとする人からは離れていきます。
それよりも、相手が惚れちゃうような生き方をすればいいの。
そうすれば、人は自然とついてくるんだよ。
<『斎藤一人 品をあげる人がやっていること』サンマーク出版>
・・・
斎藤一人さんは「かっこいい」について、こう述べている。
『いちばん大切なのは、その人の魅力なの。
オレは人前で威張(いば)ったことがないんだよ。
仕事はたいへんだけど、「仕事はたいへんだ」って言ったことがない。
で、たいへんな仕事をサッとこなすのを 「粋(いき)」 というんだよ。
たいへんなことを、「たいへんだ」って言わないで
サラッとやるから、カッコイイ。
人前で苦労話をしたり、自慢話をしたりしないの。
黙々とがんばって仕事をするの。
「カッコイイ」っていういのは、そういうことなの。』
(斎藤一人 モテモテ道/PHP研究所)より
よく人前で、「忙しい、忙しい」と言って、忙しさを自慢する人がいる。
反対に、本当は、メチャクチャに忙しいのに、そんなことを、
おくびにも出さないで、サラっと余裕で仕事したり遊んだりしている
人の方が、数段、粋でカッコイイ。
「オレは一所懸命がんばってる」
「今、すごいこと(たいへんなこと)してるんだ」
などと苦労話をしたり、自慢したりする人はカッコ悪い。
「粋」とは、気性や態度があか抜けしていることをいう。
洗練されていて、人情の機微を感じること。
「粋」の反対は野暮(やぼ)。
「粋」は日本人の美意識そのもの。
それがまさに、カッコいい人。
「かっこいいとそこに“美”を感じる」
という言葉を胸に刻みたい。
<感謝合掌 令和7年7月22日 頓首再拝>
【どうぞお先に】 - 伝統
2025/07/24 (Thu) 10:52:06
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.4.2)より
(武者小路千家・第十五代家元後嗣、
千宋屋(そうおく)氏の心に響く言葉より…)
上司とそりが合わない、
人につい辛くあたってしまう、
長いつきあいの友だちなのに最近しっくりこない、
先輩や後輩との距離感がうまくつかめない・・・
いまひとつ人間関係がすっきりしないと悩む時、
自分がどこかで間違えたのか、そもそもなぜ
相手との相性がいまひとつだったのか、と
考え込んでしまっていませんか?
あるいは、新しい人間関係の輪に入った時、
うまくなじむことができずに自分の居場所や
存在感がつかみづらいと感じた時、
自分のこれまでの発言や態度に対して、
ふと戸惑いや疑問を抱いてしまうことはありませんか?
そんな時、まずは試してみてほしい 言葉やふるまいがあります。
たとえば「どうぞお先に」という言葉や仕草。
たとえば「物をあつかう時には丁寧に」という心がけ。
子どもの頃に教えられたことばかり、と感じるかもしれませんが、
ふり返ってみ ると、いつの間にか
おろそかになっていることが多いのでは?
感じのいい人が心がけている小さな習慣には、
「慮(おもんぱか)る」
「敬う」
「感謝する」
「心の内よりきれい好きに」「ご縁を大切に」
「わが身に置きかえる」
という6つの基本がベースに潜んでいます。
日常生活の中で、これらを意識して行動してみてはどうでしょう。
そうすれば、 おそらく自然に 心地よいふるまいができてくるはず。
そして、驚くほど周囲の反応が変わってくることに気づくことでしょう。
さて、先ほど例に挙げた
「どうぞお先に」
「物をあつかう時は丁寧に」。
実はこれらの言葉やふるまいは、
茶の湯の稽古を始める時に、最初に教わることがらです。
日本人は、人としての正しく美しいふるまいや、
周囲の人を思いやる心を育むことこそを大切にしてきました。
人と人との関係を円滑に運ぶため、
長い時間をかけて積み重ね、
工夫を凝らしてできあがった知恵と工夫です。
これらは、今では茶道をはじめとする「道」と呼ばれる日本の伝統文化に、
わずかに垣間見られるものとなってしまいました。
あえて今、もう一度ふり返ってみたい と思います。
そんな知恵と工夫のエッセンスを日々の習慣として身につければ、
人間関係の悩みがいつの間にか軽くなっていることに気づいていただける
でしょう。
<『いつも感じのいい人のたった6つの習慣』小学館>
・・・
家元後嗣(いえもとこうし)とは、
お家元の次期の後継(あとつ)ぎということ。
武者小路千家は、千利休が始祖の茶道の流派の一つ。
三千家といって、表千家、裏千家、武者小路千家の三つがある。
三千家の中では、比較的小さく、
茶道のわびさびに重きを置いた保守的な流派であり、
表千家と同様にお茶はあまり泡立てない。
ちなみに、茶道の流派は細かく分けると、
100から500あるといい、遠州流、江戸千家、大日本茶道学会、等々がある。
相田みつを氏の言葉がある。
『「お先へどうぞ…」
やさしくてうつくしい日本語ですね。
いいことは、他人(ひと)様を先に…
自分のことは後まわし。
遠い遠い、先祖の日本人がこんな美しい、
暖かい言葉を残してくれたんです。
他人のことなんかそっちのけ、
自分さえよければ…
我先に、我先に…と
みんな夢中で突ッぱしる。
もう一度「お先へどうぞ…」
という、うるおいのある美しい日本語で、
お互いに呼びかけ合える世の中になって欲しいなあ…』
(雨の日には・・・/文化出版局)より
デイビッド・ハミルトン氏は、
『あなたの健康と幸福は、「お先にどうぞ」と言った回数で決まります』という。
また、「丁寧に生きる」とは・・・
●ぞんざいな言葉を使わず、丁寧な言葉を使う。
●おざなりな挨拶をせず、丁寧な挨拶をする。
●いいかげんな返事をせず、丁寧な返事をする。
そして、一つひとつの動作を、心を込めて丁寧にする。
●動きながらではなく、一旦立ち止まって挨拶する。
●人の話は最後まで聞き、途中で口をはさまない。
●物を置くときは、投げないで、丁寧に置く。
人と人との関係を円滑に運ぶため・・・
「どうぞお先に」
「物をあつかう時は丁寧に」
という言葉を胸に刻みたい。
・・・
<参照>
『いつも感じのいい人のたった6つの習慣』
Web:サライ(2024.11.13)
https://serai.jp/living/1204026
『いつも感じのいい人のたった6つの習慣』
Web:president.online
https://president.jp/category/c06083
<感謝合掌 令和7年7月24日 頓首再拝>
深切丁寧の日 - 伝統
2025/07/25 (Fri) 09:58:07
*『光明道中記(7月25日)』より
【大我は無数の個我を包容し生かしつつそれ自身は絶対的存在なのである。
大我を「神」と称し、個我を「神の子」と称する。 (『生命の實相』第九巻)】
物凄い勢いで、南****一円の禅道場をかい撫(な)でに論破して歩こうと
思っていた青年気鋭の徳山も、山の掛茶屋(かけちゃや)の餅売の婆さんに
問答をし掛けられて、眼を白黒させて、餅を食わないで逃げ出してしまった。
餅売の婆さんは彼を看送って、
「まだそんな事では修行は足らぬ。
竜潭と云う偉い先生がいるから其処で修行せよ」と言った。
徳山は青年気鋭のその心の角がとれていない。
竜潭和尚のところへ行くと、早速例の癖が出た。
『竜潭竜潭と云うが、来て見れば何のことじゃ、竜も見えず、潭も見えず』
と大声に呼ばわった。
『汝親しく竜潭に到るや』
実にやわらかい親しみのある声が屏風(びょうぶ)の陰からした。
竜潭と徳山では段がちがう。
(心の眼を開けば此処が此の儘竜潭であり、竜宮城である。)
気鋭の徳山もまいってしまって礼拝せずにはいられなかった。
生(なま)さとりの者ほど偉そうに悟りを振り回すが、
悟ってしまった者は誰にでも慇懃丁寧(いんぎんていねい)に
挨拶することが出来るのである。
その慇懃丁寧の中に神が現れ、仏が現れているのである。
徳山も思わず竜潭を礼拝したのだ。
『夜に入って来られよ』と竜潭の優しい声がする。
<感謝合掌 令和7年7月25日 頓首再拝>
丁寧深切 ―― 礼拝 - 伝統
2025/07/26 (Sat) 08:55:45
*『光明道中記(7月26日《光を内に見出す日》)』より
【全体として調和した生活を営むのが「生長の家」の生活である。
(『生命の實相』第八巻)】
徳山は、約束した通り夜になって竜潭(りゅうたん)をたずねて教えを受けた。
教えを受けて帰ろうとすると、竜潭は親切に弟子を見送って出た。
手には手燭(てしょく)を持って足許(あしもと)を照らしながらである。
「外は暗いから気をお着けなさいよ」と云って、
竜潭は手燭を徳山に渡そうとした。
徳山はその手燭を受け取ろうとするとき、
竜潭はフッとその手燭の火を吹き消した。
そこは黒暗々であった。
一切無であった。
差別界のものは、ただ相対的に斯く見えるだけであった。
徳山は悟ったと思った。
その徳山の悟りが、どの程度のものであったかはその悟ったと称する直後、
為山(いさん)老師の法堂へ跳び込んで行って
『東より西に過ぎ、西より東に過ぎ、顧視(こし)して無無と云って出ず』
と碧巌録第四則にある記事で、略々(ほぼ)勘破(かんぱ)することが出来る。
碧巌録の編集者、雪竇(せっちょう)はこれを批評して
『勘破了也(かんぱしおわれりや)』と言っている。
悟ったほどのものがこんな乱暴な無作法なことをする筈はないのである。
徳山自身も『これは可(い)かぬわい』と気がついた。
そこで『威儀を具(そな)えて再び入(い)って相見(あいまみ)ゆ』とある。
挨拶を終わると、徳山は坐具(しきもの)を手にして、先ず『和尚』と言った。
問答の気合(きあい)である。――
・・・
*『光明道中記(7月27日)』より
~心の角(かど)を除去(とりさ)る日
【観世音菩薩でも夜叉に対しては夜叉の形相を以て現れる。
(『生命の實相』第十五巻)】
為山老師は、問答の気合いを感じて、
払子(ほっす)を取って泰然と構えようとするとき、
徳山は、『カーッ』と一喝すると、そのまま袖(そで)を払って
法堂を出て往(い)った。
こんな事を禅の修行だとか、道場破りだとか思っている者があったりするから、
禅などと云うものは、吾々日常生活には何の関係もないことだと思いまちがえられ、
十年禅林にいて修行しても、実生活を生かす道を知らない。
禅臭い禅は何にもならない。禅が実生活に生きるのが真禅だ。
為山老師はその晩、弟子たちが集ったとき
『あの新参の若僧は何処へ行ったのかな?』と訊いた。
「風呂敷を背負ってどんどん向こうへ行きました」弟子の首座(かしら)が答えた。
これは甚だ善い回答である。
当たり前のことが当たり前に答えられるのが悟りである。為山老師は、
「徳山は頭が良いが気の毒なものだ。
調和の中に真理があると云うことを知らないのだ。
あれは独り偉がりであって、弧峰頂上に向かって
草庵を盤結(はんけつ)して仏を呵(か)し、
祖を罵(ののし)り去ることを始めるだろう』と嘆かれた。
呵(せめ)るのが禅ではない。丁寧深切 ―― 礼拝が禅である。
<感謝合掌 令和7年7月26日 頓首再拝>
【魅力は悩みの量に逆比例する】 - 伝統
2025/07/27 (Sun) 11:45:39
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.3.26)より
(無能唱元氏の心に響く言葉より…)
「その人の悩みの量は、その人の魅力の量に逆比例する」のです。
すなわち、悩みを多く持つ人には魅力が少なく、
他人を引きつけることができないのでこれは、
ちょっと考えてみれば、すぐ分かることです。
前にも述べた通り、魅力とは
他人に何かを与えることによって生じ、
他人に何かを求めることによって消滅する。
この公式から考えれば、
結局、与えるということは、
他人の何かの悩みを払い去ってやることであり、
そして他人にそれをしてやるためには、
まず、「自分が悩みのない人」であることが必要になってくる
からであります。
ここで誤解されてならないのは、
悩みが多いということと、問題を多く抱えているということは
全く別問題であるという点です。
悩みとは、あくまで主観的なことで、
それは要するに、心身が緊張しているという現象にしかすぎません。
たとえば、病気だったり、破産したり、会社をクビになったとしても、
それは客観的事実としての外部的要因であり、
それについて悩んでいなければ、
その人にとっての悩みは存在しないことになります。
これは要するに、自己コントロールがうまく行なわれている状態であり、
この自己コントロールがうまく行なわれているということは、
弛緩がうまくいっているということになります。
悩みの少ない人は、他人の悩みを救ってあげることができ、
そしてこれこそが、その人の魅力を発生させる
根元的な力なのであります。
《悩みと魅力は逆比例する》
<『人蕩術奥儀(じんとうじゅつおうぎ)』竹井出版>
・・・
自分が暗いのに、人を明るくすることはできない。
自分に元気がないのに、人を元気にすることはできない。
そして、自分が悩みに悩んでいるのに、人の悩みを払い去ることなどできない。
悩みがないとは、何のトラブルや嫌なことがないということではない。
実は、目の前に、次から次へと起こる現象を、
「幸せだ」とか「不幸せだ」という色をつけるのは自分。
そのことで、「悩む」のも自分だし、「悩まない」のも自分。
現象そのものに色がついているわけではないからだ。
だから、ある人は、それがあったからこそ「幸せだ」と思い、
別のある人は「不幸せだ」と思う。
万人が「悲惨だ」、「辛い」と思うようなことでさえ、
「そのことがあったおかげで今の自分がある。幸せだ」と思う人もいる。
中村天風師は
「良いも悪いも、心の想いが人生を創る」といい、「積極思考」を説いた。
「積極思考」とは、どんな時も颯爽溌剌(さっそうはつらつ)として、
積極的な言葉、つまり、人の気持ちを明るくするような言葉、
勇気ある言葉、喜びを多く与える言葉を使うこと。
「魅力は悩みの量に逆比例する」
という言葉を胸に刻みたい。
<感謝合掌 令和7年7月27日 頓首再拝>
神のない快楽 - 伝統
2025/07/28 (Mon) 12:22:18
*『生命の實相』第38巻幸福篇(下)(7月28日)より
神のない快楽は、根を切った切花のようなものである。
やがてそれは打ち萎(しお)れ、
どす黒い苦い苦しみに変わってゆくものである。
<感謝合掌 令和7年7月28日 頓首再拝>
【不安や悩みがすぐに軽くなるアドラー心理学】 - 伝統
2025/07/29 (Tue) 08:58:49
*内藤誼人(著)より
Web:note大杉潤(2025年2月6日)
https://note.com/jun_ohsugi/n/n8e5566f7f1ae
(以下は抜粋です)
(1)アドラーの思想3つのポイント
①どんなに困難な問題があっても、諦めなければ解決できる。
②自分の人生は、自分の思い通りに変えることができる。
③だれでも考え方を変えれば、幸せになれる。
(2)「驚くほどハッピーになれる生き方」
「息苦しく感じないための、ちょっとした心がけ」
①人間、何歳になっても生まれ変われる。
②楽観的であるほど、幸せな人生を送ることができる。
③住む環境を変えてみると、悩みが消えてなくなることは少なくない。
④不安を感じたり、うつになったりするのは、
「認知の歪み」が原因であることが多い。
⑤頑張っている人を見れば、自分も頑張れる。
(3)「仕事がもっとラクになる心理テクニック」
「心のモヤモヤを吹きとばすメンタルを手に入れる」
①他の人に親切にする人ほど、幸福感を得ている。
②共感できる人ほど仕事はうまくいく。
③笑うことはエネルギーを解き放ち、力を与え、幸福感の基礎となる。
④予防のほうが、治療よりも重要。
⑤人生で大切なのはギブ、
自分が相手にどんなギブをしてあげられるかを考えて行動していくのが
幸せに生きていくコツ。
(4)「人間関係がラクになる思考法を身につける」
「素晴らしい人生を歩むために必要なこと」
①自分のことではなく、相手の立場で考えるのが、人間関係がうまくいくコツ。
②人間関係のスキルは練習でいくらでも伸びる。
③たいていの問題には解決方がある。
④あらかじめ準備しておけば、何も怖くない。
⑤事実は変えられないが、意味づけは変えられる。
・・・
<関連>
【本の解説】
不安や悩みがすぐに軽くなるアドラー心理学
超一流に学ぶチャネル(2025/02/19)
https://www.youtube.com/watch?v=STHqovxCs-k
<参照>
【毎日書評】失敗を恐れてはいけない。
アドラーの心理学で日々の仕事を楽しくする方法
Web:LIFE HACKER(2025.02.19)
https://www.lifehacker.jp/article/2502_book_to_read-1653/
<感謝合掌 令和7年7月29日 頓首再拝>
啐啄同時 - 伝統
2025/07/30 (Wed) 11:41:50
*『光明道中記』(7月30日《随所に主(ぬし)となる日》)より
【これは絶対真理、これは対気説法であると云う区別を知って
絶対真理を摑(つか)むようにしなければなりません
(『生命の實相』第十五巻)】
雲門と同時代の禅僧で、法眼宗の開祖である法眼和尚と云う人がある。
なかなか対機説法の上手な人である。
対機説法と云うものは中々難しい。
小学生に大学の講義をしても分らぬ。
猫に小判、豚に真珠である。
大学生に小学の講義をしたのでは判るには違いないが、
面白くないから逃げ出してしまう。
それは啐啄同時(すいたくどうじ)でなければならぬ。
啐(すい)は雛鳥が内からつつくことである。
啄(たく)は親鳥が外から啄(つつ)くことである。
中から出ようとしている悟りのちょうどそこを説いて
引っ張り出してやるようにしなければならない。
児童の教育でも才能が出ようとしている、
その点をその時期を失せずほめて引き出すのが骨(こつ)である。
これが出来なければ教師となり導師となることは出来ない。
禅の真理と同一の真理を説いても、生長の家では病気が治ったり、
他の宗教では病気が治らなかったりするのは、真理が異なるからではない。
雛鳥が内部から啐(つつ)こうとしている其の場所を
ちょうどこちらから啄くからである。
さて或る僧が法眼和尚に問うた。
『如何なるか是れ仏』
法眼はその刹那に答えた『汝は是れ慧超(えちょう)』と。
それによって慧超は悟ったのである。
<感謝合掌 令和7年7月30日 頓首再拝>
打てば響くが仏道なり - 伝統
2025/07/31 (Thu) 11:48:26
*『光明道中記(7月31日 打てば響く生き方の日)』より
【所を得ていない状態は、まだ実相が現れていないのであります。
(『生命の實相』第十五巻)】
「打てば響く」と云う語(ことば)があるが、
何でも打てば響くような応答が出来なければならない。
剣道の極意も、猶予なく瞬間を捉えて、その刹那に打ち込むところにある。
同じ動作をやっても、機会を失ったら何にもならないのである。
「汝は是れ慧超」と云う語(ことば)も別の機会に言ったら
別の意味を有(も)ったことになるであろう。
「如何なるか是れ仏」の問いに対して
『お前は慧超だ』と発止と応えたところに、
仏が仏であり、お前は始めから慧超であるように、
仏が仏であり、始めから成仏しているのが仏であり、
衆生本来仏であると云う意味なども、
この端的の語(ことば)の中に一切が引くるめられているのである。
楠木正成公がまだ若かった頃、
奈良の春日山に参詣した途上で一人の雲水に遇った。
その雲水に正成公が
「仏教の妙密(みょうみつ)の極意を教えて下さい」と頼んだ。
すると、その老僧はそれに応えないで、
「正成! 」とあらためて楠公の名を呼んだのである。
「ハイ」と楠公は覚えず応えた。
「そこだ、仏教の極意は、そこに何の妙密がある? 」と老僧は言った。
『爾来(じらい)兵を用いること自在無礙、
恰(あたか)も自己の手足をつかうが如し」
とは楠公自身の述懐である。
打てば響くが仏道である。
<感謝合掌 令和7年7月31日 頓首再拝>
《足を踏みしだくこと》 - 伝統
2025/08/01 (Fri) 11:11:08
*「光明道中記」(P238)より
上位は下位を下属せしめなければならぬ。
天は地を覆い、地は天を載せなければならない。
吾々はそれを日々行じなければならないのである。
先ず自分自身にそれを行じなければならぬのである。
心に行じ、身に行じ、体に行じなければならぬのである。
真理の実践である。
人々は姿勢を軽んずるが、まず真理は自分の最も近いところの自分の身の形(姿勢)に
上位をして完全に下位を下属せしめていることを実現しなければならないのである。
姿勢の根本は腰にあって腹の膨大にはない。
腰は後屈を忌む。即ち腰くだけを忌むのである。
併し足の位置整わずして意志の力にて腰のみを正しく《立てる》(屈み腰の反対)
ことには、到底長時間は耐えられない。
腰を正しく立てるには左足の足蹠(つちふまず)が会陰部(えいんぶ)を下より覆い、
左足の甲全体を右足の足蹠(あしうら)によって下より覆い右足の足趾(ゆびさき)は
左足の外側踝(くるぶし)に稍々(やや)触れる位に重ね、足全体を完全に全身の下位
にあり、隠れしめねばならぬ。
会陰は一切の陰になる部位(足を含む)と相会し隠れて了うのである。
肛門は足蹠又は踵(かかと)よりに後部に落ちる。
斯くの如く坐して腰を前方へ張出す如くして腰部に上体の支点を置き、
その上に上体を垂直にフウワリと位置せしめるろ頂部を天上に釣り上げられる如き
気持ちで坐せば、自(おのずか)ら肩の力が落ちて、
上位、下位の真理が如実に行ぜられるのである。
<感謝合掌 令和7年8月1日 頓首再拝>
【習慣は第二の天性】 - 伝統
2025/08/03 (Sun) 09:37:05
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.3.23)より
(キケロの心に響く言葉より…)
「習慣によって第二の天性がつくられる」(キケロ)
習慣というものが第二の天性となる。
これは習慣の重視をいった言葉である。
生まれつきの才能も確かに重要だが、
習慣というものによって新たな才能が開花することがある。
ヒルティも 『幸福論』の中で唱えているが、
十九世紀頃のヨーロッパやアメリカの教訓書で
一番重んじられたことの一つが習慣論であった。
習慣こそが人格そのものになるという考え方が徹底されていたため、
当時は若い青年でも早起きし、悪事を働いたり、
酒を飲み過ぎて度を外す人は少なかった。
その頃の欧米は、地球の他の部分より
断然活力があったといえる。
勉強もまた一種の習慣である。
習慣とは人間そのものであるということを
子供のときから教えたいものである。
<『ローマの名言一日一言』(渡部昇一/致知出版)>
・・・
キケロは、紀元前106年に生まれた、ローマの政治家であり
同時に、弁護士、哲学者、文筆家だ。
生まれ持った才能を変えるのは難しいが、
《習慣》を変えることで、《第二の天性》がつくられる、と言った。
また、サミュエル・スマイルズの「習慣」について、こんな言葉がある。
『よく言われることですが、人間というものは、
習慣を束にしたようなものです。
そして習慣は、第二の天性です。
人間を若いころに教育して、
よい習慣をつけさせることの重要性は、
いくら強調してもしすぎることがありません。
若いころに習慣づけるのは、とても容易です。
そして、いったん習慣ができてしまえば、一生もちます。
木の皮につけた刻み目と同じことで、
時間とともに成長し、大きくなります。』
(大人の気骨/講談社)より
また、平澤興氏はこういう言葉を残している。
「今が楽しい。今がありがたい。今が喜びである。
それが習慣となり、天性となるような生き方こそ最高です。」
良き習慣を自分の第二の天性とすること。
人間は「習慣」でできている。
「習慣は第二の天性」という言葉を胸に刻みたい。
・・・
<参照>
一条真也の読書館(2013.11.28)
『ローマの名言一日一言』渡部昇一編(致知出版社)
https://ichijyo-bookreview.com/2013/11/post-65.html
<感謝合掌 令和7年8月3日 頓首再拝>
【美しい姿や言葉】 - 伝統
2025/08/05 (Tue) 09:40:29
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.4.25)より
(鍵山秀三郎氏の心に響く言葉より…)
美しい姿や言葉、優しい仕草(しぐさ)は、
その人を活き活きとさせるだけではなく、
周囲の人々の心までも潤(うるお)す力を持っています。
背筋を伸ばし、姿勢を正している姿 そのものが周囲を浄化させるのです。
残念なことに、このような人に会うことが少なくなりました。
反対に、日本はいま、普段口にするのが憚(はばか)られるような
乱れた汚い言葉が氾濫するようになりました。
街頭や乗り物の中にあっては、
聞きたくなくても聞かざるを得ず、心が暗く沈んでしまいます。
美しい姿や言葉、凛とした姿勢が周りの人々の心を潤すのとは反対に、
汚い言葉や卑しい仕草、横着で醜い態度が人々の心を暗くし、
苛立たせるのはいうまでもありません。
言葉と態度・表情・仕草は一連のものであり、
すべてその人の心から生じています。
<『平凡を極める生き方』致知出版社>
・・・
老子は、人間として大切な四つの側面がある、という。
『それが、
「側隠(そくいん)」
「羞悪(しゅうあく)」
「辞譲(じじょう)」
「是非」
の四つ。
「側隠」というのは思い遣り。
「羞悪」というのは恥を知る。
「辞譲」というのは譲る。
「是非」というのは、善悪の判断ができるということ。』
(大きな努力で小さな成果を/育鵬社)より
まさに、美しい姿や言葉、凛とした姿勢でいる人の必須条件だ。
人間の区別は「上品か下品しかない」、という。
中品という言葉がないからだ。
つまり、上品な人以外はすべて下品な人、ということになる。
SNSなどでは、聞くにたえないようなひどい言葉が横行している。
人は、自分の発する言葉の通りになる、と言われる。
どんなときも・・・
「美しい姿や言葉、凛とした姿勢」
でいる人でありたい。
<感謝合掌 令和7年8月5日 頓首再拝>
【薫習(くんじゅう)】 - 伝統
2025/08/07 (Thu) 09:16:36
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.4.30)より
(枡野俊明(しゅんみょう)氏の心に響く言葉より…)
「薫習(くんじゅう)」という禅語があります。
日本では昔から衣替えの習慣があります。
冬に着ていた服を、春になれば仕舞い、春物の服を出してくる。
服を仕舞うときには、防虫剤としてお香を入れていました。
そのお香の香りが、仕舞っておいた服に移っている。
本来、服には何の匂いもありません。
それが季節をまたぐうちに、とても良い香りを身にまとっているのです。
実は人間もまた、これと同じだと思います。
美しい心をもつ人の近くにいれば、自然と自分の心も美しくなっていく。
邪(よこしま)な心をもち、悪行を重ねている人の傍にいれば、
自分もまた悪いほうへと流さ れていく。
人間とは互いに影響を受け合いながら生きているものです。
お香の香りが服につくように、人間の心もまた、まわりに移っていきます。
であるからこそ、尊敬できる人の近くに身を置くことが大事なのです。
みんなに慕われている人。
その人の傍に身を置いて、その人の言動をよく見ることです。
きっとその人は努力をしている。
自分のことよりも先に、まわり人のことを考えている。
細やかな気遣いを心がけ、相手の気持ちを慮(おもんぱか)っている。
何もせずに慕われる人などいません。
その人の一挙手一投足を見つめながら、
自分の行動を顧(かえり)みることです。
そしてときには真似をしてみるのもいい。
その人のもつ香りを精一杯、自分の身に移らせることです。
もしかしたら、そこにこそ
「人づき合い」のテクニックなるものがあるのかもしれません。
<『比べず、とらわれず、生きる』(PHP文庫)>
・・・
道元禅師様の言葉を記した『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』
の中にこんな言葉がある。
『霧の中を行けば、覚えざるに衣湿(ころもしめ)る。
よき人に近づけば、覚えざるによき人となるなり。』
霧の中を歩いていると、知らないうちに着ている物が濡(ぬ)れてしまう。
同じように、よき人に近づけば、知らないうちによき人になる。
まさに「薫習」のことだ。
親が仏壇や神棚に毎日手を合わせている家庭は、
子供も強制されたわけではないのに、知らずに手を合わせるようになる。
茶道などの習いごとでも、師匠の香りが弟子に知らずに伝わる。
同様に、親が商売をしているなら、
後を継げと強制されなくても、子供が自然に跡継ぎになるようなこと。
尊敬する人、慕われる人のそばにいることは
もちろん大事だが、人生の後半生を過ぎたら、
自分が慕われる立場になっているかを考える必要がある。
親として、子供によき影響を与えているか。
リーダーとして、部下や後輩によき影響を与えているか。
人として、まわりの人によき影響を与えているか。
「薫習」という強制ではなくよき影響を与えること。
よき香りを人に移すことができる人でありたい。
・・・
<参照>
【本の3分解説】 比べず、とらわれず、生きる
超一流に学ぶチャネル( 2023/10/11)
https://www.youtube.com/watch?v=HgeJwRrDesk
・・・
「今」という一瞬を丁寧に生きる禅の教え
聴く書店(2024/02/18)
https://www.youtube.com/watch?v=aHMkfX828kA
00:01:08 一切唯心像
00:02:48 主人公
00:04:39 日日是好日
00:05:50 開門福寿多
00:07:10 切磋琢磨
00:09:17 一期一会
00:10:58 禅即行動
00:12:27 安閑無事
・・・
「比べず、とらわれず、生きる」枡野俊明
YouTube図書館( 2022/12/07)
https://www.youtube.com/watch?v=tFWbSXUH_UY
01:19 一切唯心造~不安や心配事は心が作り出すもの ~
03:01 本来無一物~誰も、何も、もってはいない~
04:45 無縄自縛~あなたを縛っているのは、あなた自身~
06:16 主人公~人生の主人公は、あなた自身~
07:57 心外無別法~幸せとは、なるものではなく、感じるもの~
09:10 水急不流月~比べることの愚かさ~
10:17 日日是好日~不安や悩みは一生続かない~
11:52 悟無好悪~好き嫌いは、自分の心が生み出している~
13:07 薫風自南来~縁は平等に訪れるもの~
14:51 禅即行動~暇が焦りを生む
<感謝合掌 令和7年8月7日 頓首再拝>
「証上の修」 - 伝統
2025/08/08 (Fri) 10:08:49
*『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月8日)より
知的に知ることと、信仰的に知ることと、それを思念することとは、
いずれも別のことである。
知的に知っても信仰的に信じていない人もあるし、
信仰的に信じていてもそれを知的に知らない人もある。
知的に知り、同時に信仰的に信じながら、
なおかつその人から不幸が消えないならば、
それは思念が足りないのである。
思念は一種の実行であり、力であるのは、
油田を掘鑿(くっさく)するようなものである。
科学的にここに豊富な油田があることを測定しえ、
そして石油の存在を信念的に信じていてさえも
掘鑿しなければ石油が噴出しないのと同じように、
『生命の實相』によって自分の「生命の実相」が、
神そのままの分け”いのち”にて完全なることを知り、
信仰的にそれを信ずるとも、神想観を修しなければ、
その実相の完全さが実現しないことがある。
道元禅師はこれを「証上の修」と説いた。
悟った上での修行であって、修行して悟ろうとするのではない。
悟ったればこそ修行せざるにはいられないのである。
真宗でも、どうしないでも救ってくださっている
阿弥陀仏の慈悲を感ずるがゆえに、
南無阿弥陀仏と称えずにはいられないのである。
やはり証上の修である。
<感謝合掌 令和7年8月8日 頓首再拝>
「道は邇(ちか)きにあり」 - 伝統
2025/08/10 (Sun) 11:03:27
*『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月10日)より
世界を天国にする最も迅速な方法は、自分の最も手近な務めを、
熱心に喜んで十分尽くすことである。
自分に手近にある事物が、自分にとって神より与えられたる事物なのである。
食物も自分の手近に生産されるものが一等自分を活かしてくれるのである。
その日、その時、自分の食膳に上ったものが
自分にとって最も消化しやすい栄養であるのである。
手近にあるものを感謝して受けるのが素直な生活であり、聖者の生活である。
古人も「道は邇(ちか)きにあり」と言った。
神の国も邇(ちか)くにあり、天国浄土も邇(ちか)くにある。
邇(ちか)くを忽諸(ゆるがせ)にするものはついに天国に到ることが
できないのである。
「道」は ――小なりといえども「道」に背かずんば、それは偉大なる生活であり、
大規模の生活なりとも、「道」にそむけば、矮小なる生活である。
何か歴史的な英雄じみたことをしなければ生き甲斐が感じられないのは、
野心の生活であり、真理の生活ではないのである。
真理は平凡であり、太陽は毎朝東から差しのぼってなんの変哲もないがゆえに
偉大なのである。
<感謝合掌 令和7年8月10日 頓首再拝>
伸びるしかない - 伝統
2025/08/23 (Sat) 10:07:14
*『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月23日)より
不満足さえも、またまことにありがたいことではある。
不満足があるので、われわれは信仰に志し、
真理に到達し、救われることができたのである。
不満足に対してさえもわれらが感謝するとき、どこに真の「不満足」があるか、
「不満足」と見えたのは「満足」の偽装であり仮面にすぎない。
陰極陽転の理は昭々として明らかである。
資源不足して人造の代用品いたるところに満ち、人知の進歩かえって増大する。
不足は増大の本である。
窮せずんば伸び、窮すればさらに伸びる。
人はまことに伸びるしか知らぬ偉大なる存在である。
<感謝合掌 令和7年8月23日 頓首再拝>
何者をも、誹(そし)り罵(ののし)る必要はない - 伝統
2025/08/24 (Sun) 11:12:33
*「光明道中記」(8月24日《人を謗らぬ日》)より
【幼な児の親にたよるが如く神に頼り切れ。(『生命の實相』第十一巻)】
(歎異抄第七条)
念仏者は無礙の一道なり。そのいはれいかんとならば、
信心の行者には天神・地祇も敬伏(きょうぶく)し、
魔界・外道も障礙することなし。罪悪も業報を感ずることあたはず、
諸善もおよぶことなきゆへに無礙の一道なりと、云々。
念仏もうす者は無礙の唯一道を歩むものである。
念仏は人間自身のはからいによって称えるのではなく、
絶対他力 ―― 時空を超越せる絶対神大実在の、救わずにおかない大慈悲力が
廻向(えこう)し来って、念仏となえる行となってあらわれるのであるから、
念仏の進むところ天の霊、地の霊もこれを敬いたまいて平伏し、
魔界外道、仏界以外のものも、何ら念仏の前には障りとなる訳のものではない。
だから真実念仏の行者であるならば、魔界外道のものと言えども、
決してそれを誹(そし)り罵(ののし)る必要はない。
念仏の力によって包容し救うだけの力がなければ
「念仏者は無礙の一道なり」と云うことは出来ない筈である。
「念仏は最善の行であるが故に、どんな自力の行よりも功徳の多いものであって、
念仏の世界には罪悪も業報を信ずることあたわずだ」と親鸞聖人は仰せられた。
これは「念仏(実相)の世界には罪悪は本来無い」と生長の家で言うのと同じである。
<感謝合掌 令和7年8月24日 頓首再拝>
自己の内なる敵を殺す - 伝統
2025/08/27 (Wed) 11:40:39
*『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(8月27日)より
愛するも憎むも心であるが、それは本心ではない。
愛憎の心は妄心である。
妄心とは本来”ない”心である。
本心は愛憎を離れた心である。平等の心である。
愛憎を離れた平等の本心のみ、よく自己の心中の敵を殺し、
自己の内なる敵を殺す者よく自己の外に敵手を必殺する。
無敵流の兵法の極意はここにある。
<感謝合掌 令和7年8月27日 頓首再拝>
【生まれては、死ぬるなりけり】 - 伝統
2025/09/08 (Mon) 10:09:20
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.5.3)より
(浜松医科大学名誉教授、高田明和氏の心に響く言葉より…)
《生まれては 死ぬるなりけり おしなべて
釈迦も達磨も 猫も杓子(しゃくし)も》
(一休宗純)
生死と人生の本質を述べている素晴らしい言葉です。
一休宗純禅師は「頓智(とんち)の一休さん」として親しまれていますが、
実は毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい人物です。
理由の一つは、師である大徳寺の華叟宗曇禅師を
口をきわめて批判したことです。
もう一つは、晩年に盲目の森女という美女を愛し、
それを詩にしていることです。
しかし、それでも私は、一休禅師は非常にすぐれた僧だと思っています。
彼が詠んだ次の歌も、やはり人生の本質をストレートに示しています。
《何事も みないつわりの 世の中に
死ぬるというぞ まことなりける》
人は結局みな死ぬのだと思うと、
敗北の屈辱も失敗の痛みも、そう苦しくなくなります。
私もたくさんの嫌な目にあいました。
とくに青春時代は、心を傷つけて平気でいる 先輩たちに対して、
怒りや憎しみに震えたこともしばしばあったのです。
しかし、彼らも今はみな亡くなっています。
文句のつけようもありません。
死がすべてを清算してしまいました。
そんなこと、あんなことをすべて飲み込んでしまうのが死です。
傷つけた人も傷ついた人も、勝った人も負けた人も、
この世から消えてゆきます。
死はすべてをきれいさっぱり始末する因縁の取り決めのように思えます。
因縁の法則によれば、この世で私たちがしたこと、されたことは
だいたい清算され、貯金も「苦しみもなくこの世を終わる」ことで
支払われるのでしょう。
<『一瞬で不安をしずめる 名言の知恵』成美堂出版>
・・・
高田明和氏は「魂をゆさぶる 禅の名言/双葉社」の中でこんなことを記している。
『朝比奈宗源(あさひなそうげん)老師の知り合いの僧が
ある寺に住持していました。
彼は博打(ばくち)が好きで、村の人の集まりで博打をやって負けて帰ってくると、
「あいつもやがて死ぬやっちゃ」と独り言をいっていたということです。』
宗源老師が、博打好きな僧侶を
「あいつも、しかたのないやつだ」としみじみと言った言葉。
「はらわたの煮えくり返ることを言われた人」も、
「怒りに打ち震えるような仕打ちをされた人」も
「あいつだけは許せない」、「あの人は嫌いだ」
と思った人も、100年経てば、この世には誰もいない。
まさに、「あいつもやがて死ぬやっちゃ」。
「生まれては、死ぬるなりけり」
という言葉を胸に刻みたい。
・・・
<参照>
『一瞬で不安をしずめる名言の知恵』より
のびルブ(2021.10.31)
https://nobirub.com/459/
<感謝合掌 令和7年9月8日 頓首再拝>
【ポジティブな姿勢を保つには】 - 伝統
2025/09/09 (Tue) 09:35:17
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025-05-16)より
(ティボ・ムリス氏の心に響く言葉より…)
《明るい性格は大金よりも価値がある。
それは訓練すれば身につけることができる。》
アンドリュー・カーネギー
(スコットランド生まれのアメリカの実業家、慈善家)
あなたは自分の心の姿勢を環境に左右されるか、
何が起ころうとそれを完全にコントロールするか、
どちらでも選ぶことができる。
あなたは自分の心の姿勢に責任を持たなければならない。
そのためには、他人の悪影響を受けて
自分の心の姿勢が揺るがないように気をつける必要がある。
しかし残念ながら、ほとんどの人は他人の悪影響を受けやすく、
ネガティブな心の姿勢に陥りがちだ。
もちろん、あなたはそうであってはいけない。
ポジティブな心の姿勢を維持し、
ふだんの人間関係で周囲の人に好ましい影響を
与えるように努める必要がある。
ポジティブな心の姿勢を維持するための具体的な方法を説明しよう。
(1)相手に微笑みかける
・・・誠実な気持ちで自分から微笑みかけよう。
(2)他人の悪口を言わない
・・・その場にいない人の陰口は慎もう。
(3)相手を批判しない
・・・相手を批判するのではなく理解しよう。
(4)相手の話に耳を傾ける
・・・話すことを少し控えて相手の意見を聞こう。
(5)相手を励ます
・・・困っている人に優しい言葉をかけよう。
(6)建設的な意見を述べる
・・・相手の立場や心情に配慮して意見を述べよう。
要は、自分がしてほしいことを相手にもするということだ。
この習慣は自分にも相手にも計り知れない恩恵をもたらす。
《周囲の人の人生を明るく照らす希望の灯りになろう。》
<『理想の自分をつくる100の法則』ディスカヴァー>
・・・
ポジティブな姿勢を保つには、
肯定的な言葉を多用することだ。
例え、ネガティブな状況になっても、
ポジティブな言葉に言い換える。
つまり、やせ我慢でもいいから、
「かっこいい言い方」に変換する。
「疲れた」「もうだめだ」「忙しい」という言葉を・・・
「よく頑張った!」
「いよいよ佳境に入ってきた」
「まだまだドッコイ!」。
そして、不機嫌ではなく上機嫌でいる。
つまり、笑顔でニコニコしている。
皮肉を言いそうになったら、
相手をひたすらほめる。
明るい人は、ポジティブな人。
暗い人で、ポジティブな人はいない。
どんなときも、
ポジティブな姿勢を保つ人でありたい。
・・・
<参照>
「理想の自分をつくる100の方法」目次
https://d21.co.jp/book/detail/978-4-7993-2594-0
①「理想の自分をつくる100の方法」
Eagles読書(2021/09/06)
https://www.youtube.com/watch?v=cQv8b9MztA8
②「理想の自分をつくる100の方法」
Eagles読書(2021/09/13)
https://www.youtube.com/watch?v=Hbponctjy3c
③理想の自分をつくる100の方法
Eagles読書(2021/09/20)
https://www.youtube.com/watch?v=caLX0vIQkyE
④「理想の自分をつくる100の方法」
Eagles読書(2021/09/27)
https://www.youtube.com/watch?v=i_vyKvWs6nE
<感謝合掌 令和7年9月9日 頓首再拝>
「善行を誇る」「悪行を悲嘆する心」を捨て、実相に乗托せる心を出して来る - 伝統
2025/09/10 (Wed) 09:25:13
*「光明道中記」(9月10日)より抜粋
「自分の善行(ぜんこう)」だと誇る心、
「自分の悪行(あくぎょう)」だと悲嘆する心、
この善悪二つながらに捉われる心を踏み超えてはじめて、
本当の心 ―― 何物にも捉えられない
実相に乗托せる心を出して来ることが出来るのである。
「自分の善行」だと誇る心も
「自分の悪行」だと悲しむ心も倶(とも)に虚仮不実(ほんとうにない)
の心として棄(す)てて了わねばならないのである。
<感謝合掌 令和7年9月10日 頓首再拝>
善智識に遭い、善き書物に触れる、それは如来より廻施(えせ)せられたる機縁 - 伝統
2025/09/12 (Fri) 11:09:09
*「光明道中記」(9月12日《神に催される日》)より抜粋
【吾が生命は、よき水脈に穿たれた井戸のように汲めども尽きぬ。
(『生命の實相』第十一巻)】
「信心よろこぶそのひとを如来とひとしと説き給う。
大信心は仏性なり。仏性すなわち如来なり」
(『弥陀和讃』・親鸞聖人)
信心は内部に宿る仏性の催しなのである。
而も仏性はどうして内部から開発され催して来るのであるのか。
善智識に遭い又は善き書物に触れることである。
善智識に遭い、善き書物に触れるのは「自己のつくれる過去の業」によるか
―― そうすれば、自力となるのである。
然らず、それは如来より廻施(えせ)せられたる機縁である。仏縁である。
仏縁おろそかならず、善智識はその人にとり弥陀であり、
善き書物はその人にとり弥陀の説法である。
<感謝合掌 令和7年9月12日 頓首再拝>
【「また今度」という言葉】 - 伝統
2025/09/13 (Sat) 09:39:55
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.5.11)より
(豊留菜瑞(とよどめなつみ)氏の心に響く言葉より…)
「ごめん、今日は忙しくて ・・・・・・また今度ね」
何気なく口にする「また今度」。
私たちはこの言葉を、まるで無限の時間があるかのように使っています。
しかし、その「また今度」は本当に来るのでしょうか?
ある数学者が「人生の残り時間」を計算したところ、
衝撃的な結果が算出されました。
幼い子どもが「公園に行こう!」と手を引っ張る瞬間。
小学生になれば、もう手をつなごうとはしなくなります。
その時が訪れるまで、あと5年だとしたら。
週に1回だとしても、残り260回。
たった260回しか、その小さな手を握る機会は残されていないのです。
両親から「今度、家に来ない?」と電話がかかってくる瞬間。
両親の年齢が50歳だと仮定し、
その両親が80歳まで生きたとして、
仮に年に2回会っても、残り30年×2回=60回。
たった60回しか、両親と会う機会が残されていないのです。
親友から「久しぶりに会わない?」とメッセージが届く瞬間。
30歳の人が、80歳まで生きられたとして、
3ヶ月に1回会っても、残り50年×4回=200回。
たった200回しかない貴重な機会を、
本当に「また今度」で済ませていいのでしょうか?
これらの「今」は、二度と同じ形では訪れません。
そして、この計算は最も楽観的な場合です。
私たちには、この回数すら保証されていないのです。
「また今度」という言葉の裏に隠された現実。
それは、私たちの「時間」が思っているより、
ずっと少ないということ。
先日、私はある40代の女性から胸が詰まる話を聞きました。
「母が突然、亡くなってしまいました。
『また今度会いに行こう』って思っていた矢先のことでした。
それまで、仕事が忙しくて。
『会いに行きたいけど、今は忙しいから』って、
何度も何度も後回しにしていたんです。
『また今度』 って、言ってたことを後悔しています・・・」
彼女の声は震えていました。
私たちは「忙しい」という言葉で、
どれだけ多くのものを諦めているでしょうか。
<『忙しさ幻想』サンマーク出版>
・・・
2001年のアメリカの同時テロの時に、有名になった詩がある。
「最後だとわかっていたなら」
(ノーマ コーネット マレック)
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは
あなたを抱きしめて
キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声を
あげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは
その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・
「あなたを愛してる」と
わたしは伝えただろう
今日は最後の日ではない、と誰もが信じている。
明日もあると思うから、忙しいから、「また今度」と言ってしまう。
例えば、レストランにおいて、
「これが最後の食事」というお客様が来たとしたらどうだろう。
人生最後の食事にこの店を選んでくれた、
そんな方になら、 きっと涙を浮かべて必死にサービスするに違いない。
「一期一会」とは茶道の言葉。
あなたと出会っているこの時間は、二度とない、生涯に一度きりの機会。
だからこそ、 茶会では、
心からのおもてなしをする、という意味だ。
「また今度」と言う言葉・・・
「一期一会」の気持ちで一日一日をすごしたい。
・・・
<参照>
【忙しさ幻想】その幻想をぶち壊す!?
忙しい人のための要約チャンネル(2025/06/09)
https://www.youtube.com/watch?v=3wn1QSUQXR8
・・・
忙しさ幻想
YouTube多教養大學( 2025/06/02)
https://www.youtube.com/watch?v=r7w5LCyTico
・・・
【本要約】忙しさ幻想(著:豊留菜瑞さん)
Web:noteちゃむ(2025年4月21日 )
https://note.com/noble_chamcham/n/n3969d404111b
<感謝合掌 令和7年9月13日 頓首再拝>
【議論はしない】 - 伝統
2025/09/15 (Mon) 10:11:31
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.5.5)より
(北川八郎氏の心に響く言葉より…)
《釈尊はいう。欲にひかれ、好みにとらわれている人が、
どうして自分の偏見を超えられるであろう。
彼は(いつも)自ら自分が完全であるとみなして、
知るにまかせて語るであろう。
人から尋ねられたのではないのに、
自分で自分のことをいいふらすのであるから、「下劣な人」である。》
時に、TVに目を奪われることがある。
TVにスイッチが入り、画面が展開されると、
内容はとるに足らない物でも、ただ目が吸いとられて、ハッと気づき、
TVから遠ざかる。
TV討論会等で、大学の教授たちが出て持論をくり返し、
相手をあげつらっている番組を見た時、釈尊の、このことばが浮かぶ。
釈尊は「議論をふきかけられても、応じるなかれ、
相手に論で勝っても、感情まで納得させるのは難しい」と
二千五百年前にいっている。
なぜなら、そのことが正しいか、そうでないか、立証できないことは、
ただ、欲と好みに捉われた偏見にすぎないという。
そんな人こそ、自分と自分の論は、完全であるとみなして、
ただ、本によって得た知識にまかせて喋っているにすぎないからであるという。
人から尋ねられて自分のことをいうのではないから、
それは自分の頭の良さ、知識の広さの自慢、つまりいいふらすのであるから、
その論も、その人も、下劣な人というのであろう。
人格に地位や名誉や財の有無は関連しない。
その人の泡を飛ばす口元を見れば解るものを・・・。
静かに瞑想の時を過ごす方がいい。
<『ブッダのことば「百言百話」』致知出版社>
・・・
ひろさちや氏の「捨てちゃえ、捨てちゃえ/PHP研究所」の中に
こんな話がある。
『あるとき、釈迦はひとりのバラモンから
さんざんに罵詈雑言をあびせかけられた。
わたしたちは、釈迦は偉い人であって、
他人から非難されるようなことはなかった、と思っている。
しかし、それは誤解である。
釈迦のような人でも、ときには非難攻撃を受けるのだ。
だから、わたしたちが他人から非難攻撃されたとき、
その故をもって悲観してはいけない。
どんな人だって、他人から悪口を言われ、
攻撃されるのだということを、しっかり銘記しておきたい。
問題は、その非難攻撃に対する、こちらの応じ方である。
釈迦は、罵詈雑言をあびせるバラモンに向って、こう言った。
「バラモンよ、きみのところに客がやって来て、きみがその客に食べ物を出す。
しかし、その客がその食べ物を受けなければ、その食べ物は誰のものになるか…」
「そりゃあ、もちろん、客人が食事を受けなければ、
その食事は主人のものになる」
「では、バラモンよ、わたしはきみの罵詈雑言を受けない。
だから、その悪口はきみのものだ」』
あの釈迦でも、人から攻撃を受けた。
だれも、人から非難されたり、攻撃されたら落ち込んでしまう。
しかし、問題は、その対処の仕方だという。
議論はしないこと。
釈迦の
「わたしはきみの罵詈雑言を受けない。だから、その悪口はきみのものだ」
と言う言葉を胸に刻みたい。
・・・
<参照>
笑い飛ばす(北川八郎人生を変える出会い)
【公式】北川八郎(2024/08/27)
https://www.youtube.com/watch?v=C9SHhhTwErk
<感謝合掌 令和7年9月15日 頓首再拝>
【相手の心をつかむには】 - 伝統
2025/09/16 (Tue) 08:55:19
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.5.23)より
(レス・ギブリン氏の心に響く言葉より…)
人と話すときは、相手が最も興味を抱くテーマを選ぼう。
では、すべての人にとって、この世で最も興味深いテーマは何か?
それは、「自分」である。
誰もが自分について話すときは、夢中になり、すっかり心を奪われる。
自分について話す機会が得られると、
誰もがその機会を与えてくれた人に好意を抱くものだ。
あなたの会話の内容が「目の前の相手について」なら、
あなたは適切なコミュニケーションをとっている。
それは人間の心理に従ったやり方だからだ。
しかし、あなたの会話の内容が「自分自身について」なら、
あなたは間違ったコミュニケーションをとっている。
それは人間の心理に反するやり方だからだ。
あなたの語彙から「私」という単語を排除しよう。
そして、「私」を「あなた」という単語に置き換えよう。
「あなた」(=目の前の相手)は、
ふだん使っている言葉の中で最も強い力を持つ単語である。
「あなた」について話せば、相手の心をつかむことができる。
もちろん、会話の内容を「私」から「あなた」にするのは
難しいので練習を積む必要があるが、
それによって得られる恩恵は計り知れない。
「すべての人の最大の関心事は自分自身だ」
という事実を活用する方法がもうひとつある。
それは、相手が自分自身について話せるように、うまく誘導することだ。
すると、相手はあなたを好きになる。
そして、相手がほかのどんな話題よりも、
自分について話したがっていることが、手に取るようにわかるだろう。
相手が自分の話をできるように誘導するには、
次のような問いかけが効果的だ。
「今の会社にはどのくらい勤められているのですか?」
「○○さん、ご出身はどちらですか?」
「○○さん、これについてどのように思いますか?」
「ご旅行は楽しかったですか?」
ほとんどの人は自分のことばかり考え、自分のことばかり話している。
だから、相手の心をつかむことができない。
大切なのは、あなたが自分の発言に満足できるかどうかではなく、
相手がそれをどう思うかである。
したがって、人と話すときは、
「目の前の相手」について話すことが最も効果的だ。
相手が自分の話をできるように話題をふろう。
これこそが会話上手になる秘訣である。
<『幸せな人生は人間関係で決まる』ディスカヴァー携書>
・・・
レス・ギブリン氏は誰もが
「重要人物として扱われたい」という願望を持っているという。
つまり、相手に「自己重要感」を持たせる、ということだ。
軽く扱われて喜ぶ人はいない。
無視されたり、見下されたりしたら、
相手には確実に反感をいだき、嫌いになる。
相手に、自己重要感を持たせるには、
「相手の話を聞く」というスタンスが最も大事なこと。
相手が自分の話をしやすいように、
相手の「最近の関心事」や「経歴」、「趣味」、「継続していること」、
「特技」などをさりげなく聞く。
それが、「相手の心をつかむ」こと。
・・・
<参照>
人間関係の悩みから解放される方法
note:南英世のクロネコ日記(2025.5.23)
https://note.com/minamighcdxn_mx5/n/nca3087229fff
「聞き上手」は得をする
note:西原宏夫(2025.5.23)
https://note.com/hiroo117/n/nf2c6afd97887
温かい人たちとの出会い
note:小林 博重(2025.5.18)
https://note.com/ouen_dancho120/n/n1faeb594c6c2
”良い人間関係を構築する15のルール”
ルール1 相手に微笑みかける
ルール2 すべての人の最大の関心事は「自分」
ルール3 すべての人が「大切にされたい」と願っている
ルール4 「相手」を会話の主体にする
ルール5 反論しない
ルール6 じっくり聞く
ルール7 第三者からの評価を活用する
ルール8 「イエス」と言いたくなる理由を与える
ルール9 相手が何を求めているかを見きわめる
ルール10 心をこめてほめる
ルール11 建設的に注意する
ルール12 誠実に、はっきりと、小さなことでも感謝を伝える
ルール13 人前では、明確かつ簡潔に、自然体で話す
ルール14 自分の存在価値上手に伝える
ルール15 行動する
人の心をつかむ15のルール
note:TOMO(2020.2.13)
https://note.com/tomosasaki1990/n/nfb1db804ae07
<感謝合掌 令和7年9月16日 頓首再拝>
【新たな次元の扉を開く魔法の言葉】 - 伝統
2025/09/17 (Wed) 11:02:00
*はづき虹映(著)、サンクチュアリ出版(刊)より
(1)傷付くことは、気付くこと。
あなたが傷付いたと思ったとき、
それは今まで味わったことのない新たな体験を味わった証拠。
たくさん傷付けば、 気付けるチャンスも、また増えます。
傷付くことで、気付けたあなたはより強く、より輝きを増すのですから。
(2)「ごめんなさい」は「癒しの言葉」。
大抵のことは、素直に
「ごめんなさい」と伝えることができれば、解決します。
周りに誰もいなくても、今ここで、
素直に「ごめんなさい」と声に出して唱えるだけで、
相手にもあなたにも、大いなる癒しが訪れる。
(3)「ホ・オポノポノ」
「愛してます」
「ごめんなさい」
「許してください」
「ありがとうございます」
この4つの言葉を唱えるだけで奇跡が起こると言われている、
伝統的な「心の浄化法」の一種であるハワイの秘法、「ホ・オポノポノ」。
(4)仕事をする本当の目的、それは「味わうこと」。
さまざまな経験を、すべての体験を、あらゆる感情を、
より効率的に、バランスよく味わい尽くすこと。
それが仕事に隠された、真の目的。
(5)雨が降るのも自分の責任。
何が起こっても、すべては自分の責任。
その深い覚悟と潔さが、あなたの人生を輝かせてくれることになるのです。
(6)すべての感情をただ味わい尽くすこと。
それが、私たちの生まれてきた、ただひとつの目的。
(7)太陽の光、新鮮な空気、清らかな水、大地の恵み、この命、肉体・・・。
本当に大切なものは、すべて無償で与えられています。
(8)すべての人間関係は、あなたの内面を映し出す鏡です。
すべての人間関係は、自分自身をみるための鏡のようなもの。
そこに映し出されているのは、他の誰かではなく、自分の姿。
すべてはつながっているのです。
(9)新たなものはすべて、つながることから生まれてくる。
すべてのご縁は、人と人との出会いから。
(10)「すべてはうまくいっている」
この世で起こることは、すべて「必然・必要・ベスト」の出来事。
(11)自らを癒すことに手を抜かない。
あなたは自分の癒しにだけ責任を持てばいいのです。
あなたが癒された分だけ、周りは勝手に、
自然に癒されることになるのですから。
(12)「きれい」は「気・零」。
「気」が、クリアに整っている状態。
(13)自らの何かを信じているかで、自信の深さが決まります。
自信が持てないのは、
「本当の自分」が何者かであるかがわかっていない証拠。
(14)「寿命」とは「命」の「寿」、御祝いです。
すべての人は「寿命」がきて、亡くなるのです。
この世をめでたく卒業して、やっと我が家に戻るようなもの。
だから安心して、
「じゃあ、またね」と笑顔で見送ってあげましょう。
大丈夫。「すべての道は『あの世』に通ずる」のです。
(15)「すべての命が無限に光り輝きますように」
(16)振り向けば、そこはすべて花道。
(17)「だいじょうぶ、だいじょうぶ、絶対だいじょうぶ」
何の根拠がなくても、絶対、大丈夫ですから。
(18)「想っていること」「話していること」「行動していること」
この3つの差がなくなり、
ぴったりと一致して統合した状態が「悟り」です。
(19)「私は日々、あらゆる面でますます光輝いています」
<感謝合掌 令和7年9月17日 頓首再拝>
【神や宇宙から支援がある人】 - 伝統
2025/09/23 (Tue) 11:10:22
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.5.24)より
(小林正観さんの心に響く言葉より…)
病気が辛いとか、事故に遭って辛いというときにはどうすればよいか。
お釈迦様が言ったのは「受け容れる」ことです。
受け容れれば、どこにも問題がなくなってしまいます。
そして、その受け容れることの頂点が、
松下幸之助さんのような生き方なのでしょう。
努力や頑張りによって神が応援するのではない。
努力や頑張りをしてもいいのです。
でも、努力して頑張った結果として、
「こんなに頑張っているのに、どうして自分は恵まれなくて、
こういう結果しか出てこないの」
と言った瞬間に、
全部、結果がゼロになって出てくるようになっているようです。
その努力、頑張りは、まったく宇宙の中では評価されていない。
自分の目の前に起きたことについて何一つ
不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わないということが、
地球や宇宙や神様から評価をされます。
その起きることというのは、病気や事故、災難、トラブルも入ってきます。
そのことに不平不満を言わない。
そしてさらに「夕焼けがきれいだね」「青空がきれいだね」
「自分の目の前にいる友人が、全部素敵な人で、
私はありがたい人間関係に囲まれている」と、
ありとあらゆることに喜びを感じ、幸せを感じて、
さらに「ありがとう」と感謝を感じている人は、
努力や頑張りには関係なく、
神や宇宙から支援をいただけるようです。
<『喜ばれる』PHP>
・・・
「受け容れる」とは
自分に降りかかる現象に対して「肯定的解釈」をすることだ。
つまり、「肯定的に生きる」ということ。
松下幸之助氏は生涯、「自分は運がいい」と言い続けたという。
たとえば、大阪湾内で、松下少年は、夏の日に海に落ちたことがあった。
この時、船が気がついて、松下少年は事なきを得たが、
「わしは運が強い」、
「もし冬の日だったら、病弱な自分は助からなかっただろう。
落ちたのが夏でよかった。わしは運が強い。」
と言ったという。
船から「海に落ちた」という現象に対して、
多くの人は「運が悪かった」という。
しかし、松下幸之助氏は、
それを「運がよかった」と肯定的に解釈している。
そして、そのことに感謝までしている。
「自分の目の前に起きたことについて
何一つ不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わない」
すべてを肯定的に受け容れ、感謝する・・・
すると、神や宇宙から支援がある、という。
・・・
<参照>
小林正観「喜ばれる」
https://yukinomeigen.blog.jp/archives/37725746.html
(以下は抜粋です)
(1)ニコニコ笑いながら人の好意に甘えて、
自分のできることをして喜ばれるように
生きて行くと、心も体も楽になります。
(2)楽しい人生の3つの法則
①地球や宇宙を敵に回さない。
②宇宙の現象、地球の現象を味方につける。
③神様を味方につける。
(3)今、目の前の人を大事にして生きる。
(4)人間の最大の罪は、不機嫌である。(ゲーテ)
(5)人間は何のためにこの世に肉体生命をもらったか
というと、「喜ばれる存在」になるため。
それはイコール「ありがとう」と言われて生きていくことです。
<感謝合掌 令和7年9月23日 頓首再拝>
【心豊かな人の年令の重ね方】 - 伝統
2025/09/24 (Wed) 11:21:04
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.5.30)より
(藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…)
中国の古典の『礼記』に、こういう教えがあります。
まず二十代の人は「弱(じゃく)」といいます。
これは「冠(かん)す」、冠をつける年齢だということです。
二十代というのは、まだだらしないところがある。
だから、冠をしっかりつけて威儀を正していかなくてはいけない、
という意味です。
三十代は「壮(そう)」といいます。
壮年の壮。
エネルギーが溢れている年代ですね。
四十代になると、
それに体験が加わって「強」になる。
そして五十代は「苅(がい)」というんですね。
この字には「頭に白いものが交じる」という意味がありますけれど、
同時に「刈り取る」という意味もあります。
つまり、三十代、四十代は一所懸命で力任せだから、
いろんな無駄なものを身体につけている。
その無駄なものを取り払っていく年齢が五十代だ
といっているのではないかと思います。
それから六十代。
六十代は「耆(き)」というんですよ。
人生の黄金期です。
「耆」というのは「耂(おいかんむり)」の下に「旨」と書いています。
「旨」はうまいという意味です。
「旨」に魚ヘンをつけると「鮨」です。
鮨は刺身でご飯を食べるのとは違いますね。
独特のうまさを持った味です。
「旨」に手ヘンをつけると「指」です。
指は独特のデリケートな働きをします。
これは余談ですが、二本足で歩き、指を使えるようになって
人間は人間になっていったのです。
つまり「耆」というのは、人生のあらゆる味、
甘いもしょっぱいも酸っぱいも辛いも苦いも、あらゆる人生の味を
みんなミックスした味が出てくるのが六十代だということです。
だから六十代は人生の最高の時です。
では七十代は何か。
七十代は「老人」です(笑)。
ただ皆さん、この「老」は、ただ老いるという意味だけではない。
「練り上がっていく」という意味があります。
そして、「熟していく」という意味がある。
六十代のなんともいえない味が
さらに練り上がって、成熟していく年齢が七十代です。
八十代、九十代は、
『礼記』は「耄(もう)」といっています。
「もうろくする」という意味です。
しかし八十は「薹(てつ)」ともいいます。
「老」が「至る」ということです。
佐藤一斎の 『言志四録』の一つに
「言志薹録(てつろく)」というのがあります。
あの「耋」ですね。
なんともいえない旨味が練り上がって
熟していったものが、さらに至る。
そういう年齢だというふうに解(かい)することもできます。
学んでいる人はそういうふうに年を取っていくのだ、
ということを安岡教学は教えています。
<『安岡正篤 心に残る言葉』致知出版社>
・・・
《その年齢にふさわしい知恵を持たない者は、
生きることについて困難を抱えることになる。》
(ボルテール ・17~18世紀/フランス)
いくつになっても、どの年代であっても、
我々のほんとうの値打ちは「学び続けているかどうか」によって決まる。
学ぶ心がなければ、自分の魂を磨くことはできないからだ。
「徳は孤(こ)ならず、必ず隣(となり)有り」という論語の言葉がある。
徳を積んだ人は、必ずその人に共感し協力する者が現れる。
だから、決して孤立することはない、と。
つまり、学び続けて、徳が高まった人の晩年は、
たくさんの支持者やファンに囲まれて過ごすことができるということだ。
反対に、まったく学ばず、魂も磨かず、
ただいたずらに年を取ってしまった者は、寂しい老人になるしかない。
いくつになっても、学び続け・・・
心豊かな人生を送りたい。
・・・
<参照>
もうと思うかまだと思うか、決めるのは自分次第
note:代表世話人(2022年1月17日)
https://note.com/sugiura_yoshi/n/nfa113aba4678
花は香り、人は人柄
note:西原宏夫(2022年1月12日)
https://note.com/hiroo117/n/ncc4d783a2a94
学ぶことによって変わる
note:西原宏夫(2022年5月5日)
https://note.com/hiroo117/n/n127ea3eb9056
忘れることは、時にありがたい
note:西原宏夫(2025年3月25日)
https://note.com/hiroo117/n/nb211ae467d7f
人は何にしびれるか
note:西原宏夫(2025年5月30日)
https://note.com/hiroo117/n/nf5d07411ab03
<感謝合掌 令和7年9月24日 頓首再拝>
【生き生きと行動する】 - 伝統
2025/09/30 (Tue) 09:05:16
*メルマガ「成功への道しるべ 」(2025年5月30日)より
動物園に行くと
「動物にエサをやらないでください」
という標示がいたるところに貼られています。
食べ物を投げたくなる理由は簡単です。
動くのが見たいからです。
じっとして動かないトラやライオンを見ても一向に面白くありません。
人間も同じです。
人を引き付け、魅力ある人間と思わせるには、生き生きと行動することです。
もしあなたが、いつも動きのないノロノロした動作の人間なら、
それだけでアイツはつまらない人間だと評価され、
誰からも見向きもされなくなってしまう危険があります。
ミスタージャイアンツといえば長嶋茂雄です。
技術や記録で彼を上回る選手は他にもいますが、
ミスタージャイアンツといえば長嶋茂雄です。
(長嶋茂雄さんは、令和7年6月3日逝去しました)
過剰なまでのダイナミックな動作がファンを魅了するのです。
私は生れつきそんな素質は無いから、
とてもできそうにないなど思う必要は全くありません。
「Act As If〜」(あたかも〜のごとく行動する)の原理を活用するのです。
今日から、
あたかも生れ付き生き生き人間であるかのごとく行動することです。
必要なのは、ちょっとした勇気です。
<感謝合掌 令和7年9月30日 頓首再拝>
保身の術 - 伝統
2025/10/01 (Wed) 10:50:30
*「光明道中記(その身まったし)」(10月はじめの言葉)より抜粋
あらわれて出ることだけを知って
隠れることを知らない者は自己を滅ぼすのである。
緊張ばかりを知って弛緩の道を知らない者も自己を滅ぼすものである。
昼のみあって夜なきときは人はついに滅びてしまうのであろう。
みずからを護る術を知る者はよくみずから隠匿する者である。
水遁、火遁、自由自在にして、変幻出没するものでなければ、
大をなすことは出来ない。
(中略)
保身の術は自ら韜晦(とうかい)して顕れざる位置に隠れ、
人を押し上げて人をも生かし、自分も生きるのである。
自分が暫く顕れることを焦ったために、
自分自身が出る杭として壊滅するのみかは、
自己に頼っていた幾十万の人々を帰趨する処なからしめる。
その人のためを思いて顕われた位置に置かない
私の心を汲むものは稀である。
<感謝合掌 令和7年10月1日 頓首再拝>
【不平は不平を引き寄せる】 - 伝統
2025/10/08 (Wed) 10:19:13
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.6.17)より
(マーク・レクラウ氏の心に響く言葉より…)
不平を言うことは無益な行為だし、そういう人はまったく魅力的ではない。
それは被害者意識の表れだ。
だから、あなたはそうであってはいけない。
不平を言うのをやめて、状況の改善に努めよう。
時間がないと愚痴らず、1時間早く起きよう。
自分の体重に文句を言わず、運動を始めよう。
上司や政府、景気に ついて不平を言うのをやめて、自分の人生に責任を持とう。
人生の不満を他人のせいにせず、自分で状況を変えることができる
という事実に気づくのが早ければ早いほど、より早く夢の実現に向かって
邁進することができる。
現状に不平を言うことは、それに意識を向けることになり、
いやなことをますます引き寄せてしまう結果になる。
あなたはこの悪循環を断ち切り、ほしいものに意識を向けなければならない。
《不平をすべて列挙しよう。 その不平で、あなたは何を成し遂げただろうか?》
<『習慣を変えれば人生が変わる』ディスカヴァー>
・・・
不平を言えばいうほど、不平を引き寄せてしまう。
なぜならそれは、不平不満を言う対象に、意識を向けているからだ。
つまり、そのことにスポットライトを浴びせ、フォーカスしている。
すると、望んでいない状態をさらに引き寄せてしまう、ということ。
「引き寄せの法則」からすると、
不平不満などのネガティブな言葉は、ネガティブな現実を引き寄せる。
不機嫌な人が、不機嫌な人を引き寄せるのと同じだ。
「何かに意識を向ける」ということは、そこにチャンネルを合わせるということだ。
「不平不満」にチャンネルを合わせれば、「不平不満」のドラマが見られる。
「感謝」にチャンネルを合わせれば、「感謝」のドラマが見られる。
「笑顔」にチャンネルを合わせれば、「笑顔」のドラマが見られる。
「不平は不平を引き寄せる」
という言葉を胸に刻みたい。
・・・
<参照>
【6分で分かる】習慣を変えれば人生が変わる
ニュー・ライフ・タイムズ( 2020/11/30 )
https://www.youtube.com/watch?v=g2h0atH9VN4
・・・
習慣を変えれば人生が変わるの本の全目次・要約を紹介!
モクホンTV【本の目次を紹介するチャンネル】(2024/03/27 )
https://www.youtube.com/watch?v=EP2MgpyAyCo
・・・
習慣を変えれば人生が変わる
YouTube多教養大學(2025/03/04)
https://www.youtube.com/watch?v=0m80eh2TfI4
・・・
「習慣を変えれば人生が変わる」マーク・レクラウ
YouTube図書館(2022/10/20 )
https://www.youtube.com/watch?v=nhtuH1RXkDE
・・・
習慣を変えれば人生が変わる
が教える自己責任の力
note:双子のドラ猫(2025年8月23日)
https://note.com/nekonyannko222/n/nfb000dd4e206
<感謝合掌 令和7年10月8日 頓首再拝>
「下をむいていたら、虹を見つけることはできない」 - 伝統
2025/10/09 (Thu) 09:45:55
「下をむいていたら、虹を見つけることはできない」~チャールズ・チャップリン
*Web:今日も良いことがあるように(2020/11/24)より
(1)人に大切なのは、自信を持つことだ。
私が孤児院にいたとき、腹をすかせて街をうろついて
食いものをあさっていたときでも、
自分では世界一の大役者ぐらいのつもりでいた。
つまり勝ち気だったのだ。
こいつをなくしてしまったら、人はうち負かされてしまう。
(2)人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ。
(3)幸福を手にするための戦いは美しいものです。
(4)私は雨の中を歩くのが好きなんだ。
そうすれば、誰にも泣いているところを見られなくて済む。
(5)人生は恐れなければ、とても素晴らしいものなんだよ。
人生に必要なもの。それは勇気と想像力、そして少しのお金だ。
(6)必要なのは知識でなく思いやりである。
思いやりがなければ残るのは暴力だけである。
心に愛を知らぬものだけが憎しみ合うのだ。
人生はもっと美しく、もっと素晴らしいはずだ。
https://lucky.t-nakai.work/2020/11/24/story-120/
<感謝合掌 令和7年10月9日 頓首再拝>
【なぜ年々、時が経つのが早くなるのか】 - 伝統
2025/10/11 (Sat) 11:57:29
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2022.6.22)より
(清田予紀(よき)氏の心に響く言葉より…)
目を覚ましたあなたの目にカレンダーが飛び込んできたとする。
あなたはきっと思うでしょう。
「1年が経つのってホントに早いな」
しかも歳をとればとるほど、
1年はどんどん短くなっていくように思える。
子どもの頃はあんなに1年が長かったのに......。
なぜそう思うのでしょうか。
その答えらしきものを世に発表した人がいます。
それが「ジャネの法則』の発案者ポール・ジャネ。
ジャネは19世紀のフランスの哲学者。
甥にピエール・ジャネという心理学者がいて、
その甥が著作で紹介したことで
この法則は世に知れ渡ることになりました。
その法則とは、
「生涯のある時期における時間の心理的長さは、年齢の逆数に比例する」
というもの。
たとえば、30歳の人間にとって1年の長さは人生の30分の1ほど。
でも、3歳の子どもにとっては3分の1に相当する。
つまり、30歳の大人にとっての10年間は、
3歳の子どもにとっての1年間にしか感じられないということ。
10歳の頃と比べてみても、
30歳の大人にとっては1年が3分の1に目減りしているわけだから、
それは短く思えて当然だろうというわけです。
逆に言えば、10歳の子どもの1日は、
30歳の大人の3日分もあるということになります。
小学生の頃の夏休みは長かったと感じ、
大人になってからの休暇があっという間に終わってしまうように
感じるのも致し方のないことかもしれません。
心理学者の中には、こんな考え方をする人もいます。
子どもの頃は、見るもの聞くもの未経験のことばかり。
それら一つひとつが、強烈な思い出や記憶となって
心に刻まれるので、時間が長く感じられる。
けれど大人になると、未経験のものはどんどん減り、
“経験”によって処理できることが多くなる。
その分、新鮮さや強い印象が薄れる上に、
無意識のうちにやってしまえることも多くなる。
だから時間を短く感じてしまうというのです。
これに似たことは、初めての場所へ行ったときなどにも経験することがあります。
ちょっと思い出してみてください。
行きは目的地に着くまでの時間はとても長く感じられたのに、
帰りはそれほどでもなかったという経験をしたことはないでしょうか。
それは、行きは知らない道、知らない店、初めて見る景色など、
新鮮な刺激をいっぱい受けるので時間が長く感じられるのに対し、
帰りは一度見たものばかりで刺激が乏しい上に、
無意識でも歩を進めることができるので
時間を短く感じてしまうということ。
無意識のうちに行なうと、時間は相対的に短くなってしまうのです。
いつもの調子でボーッとスマホをいじっていて、
「あっ、もうこんな時間だ」とあわてることになってしまうのも、
同じ原理が働くから。
つまり、新鮮で刺激的なことを体験した時間は
「長かった」ように感じられるけれど、
すでに経験済みの判で押したようなことの繰り返しでは、
無意識のうちに過ごしてしまう時間が増えるので、
その結果、とても「短く」感じられてしまうということ。
歳をとればとるほど同じことの繰り返しが多くなり、
新しい刺激を受けたり体験をすることは難しくなります。
だから、一日、そして一年がどんどん短くなっていくように思えるのでしょう。
ということは、歳をとっても未知の分野に積極的に取り組めば、
新たな刺激を受けるので、
それだけ時間を長く感じることもできるということ。
もしあなたが、子どもの頃のような時間を取り戻したいと思うなら、
ぜひ新鮮な体験、たとえば知らない土地を旅したり、
新たな恋にトライしたりしてみてほしいもの。
そのあいだはきっと、充実したひとときを過ごせるはずですから。
<『時間を忘れるほど面白い 人間心理のふしぎがわかる本』王様文庫>
・・・
子供の頃は、すべてが新しい経験。
何をするにしても、初めてのことだからだ。
しかし、歳を重ねるほど、新しいことはなくなり、毎日が繰り返しとなる。
特に、定年退職後は、仕事もなくなり、テレビや昼寝、散歩など、
毎日が同じパターンで、「もう一週間もたったのか」と驚くことになる。
だからこそ、歳を重ねれば重ねるほど、
「新しいこと」に触れること、
「好奇心を持つこと」
「挑戦すること」
「冒険すること」
が大事。
それはたとえば・・・
「最新のスマホを手に入れること」
「最新ガジェットを買うこと」
「便利なアプリを入れること」
「最新のデジタル関連の情報を取ること」等々。
また、昨今、とりわけ大事なのは、「ChatGPT」を使いこなすこと。
日々、マンネリにならず・・・
常に「新しいこと」に挑戦する人でありたい。
・・・
<参照>
今年も折り返し!月日が経つのが
年々早く感じるのは一体なぜ?
YogaFull(2025.6.22)
https://yoga-lava.com/yogafull/9814/
「時間が経つのが早い理由と法則・・」
アザエンジニアリング(2018年12月28日)
https://www.aza-eng.co.jp/archives/5957
<感謝合掌 令和7年10月11日 頓首再拝>
【人生はシナリオ通り】 - 伝統
2025/10/12 (Sun) 09:58:24
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.6.25)より
(小林正観さんの心に響く言葉より…)
《人生は、シナリオどおり。
今、目の前にあることを大切にするだけで大丈夫です。》
私たちは自分が自由意志で道を選んでいると思っています。
しかし、完璧に見事に100%、
本人が生まれる前に書いたシナリオどおりに選んでいるのです。
それはシナリオを書いた魂が、
今、「私」という肉体の衣を着ているからです。
これまでの人生を振り返ってみて、何かの選択を迫られた際に、
果たしてどちらかを自由に選ぶことができたのだろうか。
よく考えてみてください。
必ず一方しか選べなかったということに気がつきます。
「あのとき、あの人と結婚していたら、もっと幸せになれていたのに」
と言う人がいますが、それはないのです。
必ず、その人と結婚するようになっていた。
「子どもにあの学校を受験させておけば」とか
「こちらの会社を選んでおけば」とか言いますが、
いいえ、それはないのです。
必ず、その選んだほうの選択肢しかなかったのです。
それがわかってしまったら、もう体中の力が抜けるわけです。
私たちができるのはたった一点だけ。
「念を入れて生きる」ということだけなのです。
<『たくさんの「奇跡」が舞い込む感謝の法則』宝島社>
・・・
小林正観さんは、「念を入れて生きる」についてこう語っている。
『「念」という字を分解すると、「今」の「心」となります。
「念」を入れるということの意味は、
とてもわかりやすく文字にこめられているのです。
「今」を大事にする「心」。
今、目の前にいる人を大事にし、
今、目の前にあることを大事にすることです。
目の前の人を大事にし、目の前のこと一つひとつを大事にやっていったとしたら、
その「念」を入れた生き方は、必ずや“未来”につながっていくでしょう。
「今」が独立して存在しているわけではありません。
「今」の積み重ねが“未来”をつくっているのです。』
(「き・く・あ」の実践―今すぐ幸せになれる方法/サンマーク文庫)より)
目の前の一つ一つのことがらに、心を込めて、丁寧に生きるということ。
「今、ここ」にある一瞬一瞬を大切に生きるということ。
それを、禅では、〈即今・当処・自己〉という。
〈即今〉は「いま」。
〈当処〉は「ここ」。
そして〈自己〉は「わたし」。
もし、人生が自分が書いたシナリオ通りだとしたら、
そのできごと一つ一つに文句をいうのは筋違い、だということになる。
不平不満、愚痴、泣き言、悪口は言えなくなる。
自分に起きた、病気や、嫌なことも、すべてシナリオ通り。
では、なぜ、自分で「幸せしかないシナリオ」を書かなかったのか。
それは、この世には、幸福という現象も、不幸と言う現象もないからだ。
それをどう解釈するか、ということが自分が書いたシナリオの意味。
あの出来事があって「ありがたい」と思うのか、
それとも、「最悪だ」と思うのか。
人生は、シナリオどおり。
今、目の前にあることを 大切にする人でありたい。
・・・
<参照>
本、覚え書き
「たくさんの『奇跡』が舞い込む感謝の法則」
https://note.com/joyness/n/n7f104a531121
<感謝合掌 令和7年10月12日 頓首再拝>
【「い」から「り」の価値観へ】 - 伝統
2025/10/13 (Mon) 09:23:05
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.6.27)より
(精神科医、斎藤茂太氏の心に響く言葉より…)
《「い」で置いてきたものを「り」で拾う》
これまで人間が目指してきたことはなんだろう。
それは「速い」「強い」「高い」ではないだろうか。
この思想がジェット機や新幹線を生み、武器を生み、
天を突くような高層建築をつくりだしてきた。
私も武器はともかく、新幹線やジェット機は大好きである。
「速い」「強い」「高い」という価値は充分に認めたい。
しかし、そこに目を奪われるあまり、忘れがちになっていたものがある。
それは「ゆっくり」「のんびり」「ゆったり」の価値だ。
「速い」「強い」「高い」の 「い」が一番と重要視され、
「ゆっくり」「のんびり」「ゆったり」の
「り」が無視されることとなった。
もっとも、最近は、「い」の現代文明に対する反省が
あちこちで始まっているように思える。
たとえばファストフードに対するスローフード。
また、温泉、ブーム。
それも山の奥や人里はなれた一軒家の温泉、源泉を求めての旅。
あるいは園芸ブーム。
海外でも人気となっている盆栽の流行などだ。
どれもが、現代社会の加速された
スピードに反するものばかりである。
「早く、早く!」が求められるから、
人はバランスをとるために「スロー」を目指しはじめたのだろうか。
もちろん「い」の価値は、今後もさらに追求され、
人はその達成に力を注ぐだろう。
それが文明というものだ。
しかし一方、その逆の「り」の価値、効用が見直されてきたとしたら、
私たちの文明はさらに一歩成熟したものとなるだろう。
「脇目もふらず」だけでは、豊かな社会とはいえない。
ちなみに私は昔の二翼の飛行機や、ゆうゆうと海原をゆく客船や、
海岸線に沿って走る在来線の鈍行が大好きだ。
脇目をふりほうだいの時間に心が満たされる。
「い」で置いてきてしまったものを
「り」で拾うことができるのである。
<『「いそがない人」がいい人生を送る』知的生き方文庫>
・・・
小林弘幸氏の「ゆっくり生きる」という記事があった。
『もし誰かに「究極の健康法を教えてください」と言われたら、
「ゆっくり生きること」と私は即座に答えます。
ところが、現代社会を生きる私たちは、とにかく忙しい。
時間的、物理的に忙しいだけでなく、
「あれが心配だ」「こんな悩みがある」
「気がかりなことがなくならない」など、
精神的にも落ち着くことがありません。
私たちの体の調子を支配しているのは自律神経。
心臓や胃腸を動かしたり、血液をつくり、血管の収縮を管理するなど
「自分では意識して動かせない部分」の
すべてを担っているのが自律神経です。
この自律神経が乱れると、体の調子が悪くなり、
果ては病気になってしまう。
残念ながら、多くの人が送っている「忙しく、落ち着かない日常」は、
自律神経がもっとも乱れやすいライフスタイル。』
(ゆっくり生きれば遠くまでいける/大和書房)より
長生きは、「長息(ながいき)」だと言われる。
長く深く鼻から息を吸い、長く深く口から息を吐く。
ヨガや禅で行われる腹式呼吸の呼吸法だ。
呼吸が速くなれば、呼吸も浅くなる。
呼吸が浅くなれば、血流が悪くなる。
「われらは遠くから来た。そして遠くまで行くのだ」という言葉がある。
人類は、長い長い歴史を生きてきた。
あくせくせず、淡々と…
『「い」から「り」の価値観へ』
と言う言葉を胸に刻みたい。
・・・
<参照>
「いそがない人がいい人生を送る」斎藤茂太
YouTube図書館(2022/05/14)
https://www.youtube.com/watch?v=nT7jUO4jMJw
・・・
【ゆっくり歩む者が遠く行く】
note高原茂(2025年3月15日)
https://note.com/takaharashigeru/n/n6e3ab4c946e7
【読書日記】 ゆっくり生きれば、遠くまでいける
noteのってん(2023年2月23日)
https://note.com/fair_cosmos72/n/n4d7395a3bd5f
<感謝合掌 令和7年10月13日 頓首再拝>
無欲について - 伝統
2025/10/17 (Fri) 09:27:46
無欲について
伊勢ー白山 道(2025/10/16)
https://isehakusandou.blog.jp/archives/59475009.html
<感謝合掌 令和7年10月17日 頓首再拝>
【二念を継がない】 - 伝統
2025/10/18 (Sat) 11:56:52
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025-07-06)より
(泰岳寺副住職、泰丘良玄(やすおかりょうげん)氏の
心に響く言葉より…)
「彼から、連絡ないなあ」って思ったとき。
「するって言ったくせに」ってイライラして、
「なんでしてこないのよ!」と爆発する。
「今日、急に飲みに行くことになったから遅くなるね」って
夫から電話があったとき。
電話を切ったあとで、
「私は子育てしてるのに、ずるい」と思い始め、
「なんで私ばっかり頑張らなきゃいけないの...」と悲しい気分になる。
こうした「彼氏あるある」や 「子育てあるある」は、
はたから聞けば単なる痴話ゲンカですが、
当人にとっては深刻な問題になってしまうことがあります。
こんなときにとっても役に立つのが、受け流すこと。
ある事実や事象があったとき、そこから
腹立たしい、悲しい、つらい、許せない・・・など、 様々な感情が噴き出し、
余計なことを考えてしまうのは、感情に囚われてしまっている合図です。
その気持ちにがんじがらめになると、
他でもない、自分が苦しくなってしまいます。
「思考」は、注目することにより大きくなるという性質を持っているのです。
だから、そういうときは、余計なことを考えない
「二念を継がない」という簡単なトレーニングをおすすめしています。
要は、“受け流す” 練習です。
坐禅しているとき、「無」になるのはとても難しいです。
「あ~、お腹すいたな」とか「眠いな~」とか、
ふと思う「一念」はどうしてもやってきてしまいます。
頭の中が空白状態になるなんて、相当なトレーニングが必要ですから。
でも、肝心なのは、“その次”を考えないことです。
“その次”とは、
「あ〜、お腹すいたな」という一念のあとに、
「カレーが食べたいな〜」って思うこと。
衝動的に絶対やってきてしまう 「一念」はしかたないとしても、
そこから派生して「食べるならカレーかなぁ・・・」と
欲をつなげてしまうのが「二念」です。
一念は、いい。
でも、二念からは「欲」に囚われているからやめましょう。
これが、「二念を継がない」ということです。
「彼から連絡がないなあ」 って一念がきたら、
そのあと「連絡するって言ったくせに!」につなげない。
「連絡がないなあ」だけで終わりにする。
その意味をつかもうとしない。
「急に飲みに行くことになったから遅くなるね」
って夫から電話があったときも、
「私は子育てしてるのに、ずるい」という二念につなげない。
「遅くなる」の先は、考えない。
二念を継いでしまったら最後、
あれしたい、これしたい、あれしてくれなかった、これしてくれなかった
という欲がどんどん膨れ上がっていくからです。
欲にはゴールがありません。
際限なく「もっとこうしてほしい」は生まれてきます。
彼から連絡がなくて悩んでいる人は、
仮に連絡してくれるようになったとしても、嬉しいのはつかの間。
今度は、「もっと会ってほしい」、「もっと優しくしてほしい」と、
どこまでいっても終わりなく欲が出てきます。
<『人生はブレていい。』ワニブックス>
・・・
「二念を継がない」とは、白隠禅師の教えだ。
無心になるための最短の方法としてこれを説いたという。
誰かに嫌なことをいわれたとき、
最初にわきあがってくる思いは仕方がない。
それが「一念」。
一念で、「嫌だな」「テンション下がるな」「カチンときた」
という思いがわきあがる。
しかし、それに続けて、
「言い返してやろうか」
「なんで私がこんなこと言われなけれ
ばならないんだ、バカにしてる」
「あんただって同じだろう、嫌なヤツ」
と二念で考えてしまう。
この、二念、三念と続くうちに、
理性が吹き飛び、感情の奴隷になってしまうからだ。
行きつくところは、ストーカーだったり、
復讐(ふくしゅう)や嫉妬の亡者(もうじゃ)と化してしまう。
一念は、わきあがってくるままにしておく、ということだ。
その練習を続けると、最後はその一念もなくなってくるという。
枡野俊明氏は、感情は「浮かぶに任せ、消えるに任せる」という。
自分を上の方から見ていて、
「ああ(けっこう)、カチンときてるな」と、他人事のように自分の感情を見る。
「ああだ、こうだ」と、そこに「二念」という別の感情を足さない。
「二念を継がない」という言葉を胸に刻みたい。
・・・
<参照>
Radio130.泰丘良玄さん
note音の巡礼(2022年10月2日)
https://note.com/pilgry/n/nec0ca62c90af
<感謝合掌 令和7年10月18日 頓首再拝>
思考の嵐から抜け出し、心の静けさを取り戻す - 伝統
2025/10/25 (Sat) 11:55:45
思考の嵐から抜け出し、心の静けさを取り戻す鍵は「右脳」にあった
Web:宇宙の兄弟たちへ(2025年10月24日)
https://www.spacebrothers.jp/2025/10/blog-post_24.html
(以下は抜粋です)
(1)思考のループ
①私たちの内側には、常に働き続ける「思考」の部分があります。
これは、物事を論理的に分析し、計画を立て、
言語で世界を理解しようとする、非常に賢く重要な部分です。
②過去の経験から学び、未来のリスクを予測することで、
私たちを危険から守ろうと必死に働いてくれています。
この働きは、現代社会を生き抜く上で欠かせない能力です。
③しかし、この「思考」の働きが過剰になると、
私たちはいつの間にか「思考の檻」に閉じ込められてしまいます。
まだ起きてもいないことを心配し、過ぎ去ったことを悔やみ続ける…。
④この思考のループは、私たちから「今、この瞬間」を奪い、
心に不安や恐れ、焦りを生み出す原因となるのです。
(2)心配事の源泉「左脳」と、安らぎの海「右脳」
(3)「思考」から「感覚」へ。心のバランスを取り戻す方法
①自然の中に身を置く。
②アートや音楽に没頭する。
③瞑想や深呼吸を試す。
④軽い運動をする。
⑤あえて利き手ではない方を使ってみる。
<感謝合掌 令和7年10月25日 頓首再拝>
【もし、百年たったら】 - 伝統
2025/11/02 (Sun) 09:08:38
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.7.15)より
(リチャード・カールソン氏の心に響く言葉より…)
友達のパティが、愛読している作家から学んだという知恵を教えてくれた。
それは私の人生観に大きな広がりを与えた。
時の流れのなかで百年というのは、それほど長い時間ではない。
しかし、確実なことが一つある。
いまから百年後、私たちはこの地球にはいないということだ。
それを念頭においておけば、
人生の危機やストレスにみまわれたときも客観的な視野にたてる。
タイヤがパンクした、鍵をなくして家から締め出されたとしても、
百年たったらどんな意味があるのか?
誰かに意地悪をされる、
夜勤を続けるはめになる、
家が汚くてまるでブタ小屋だ、
コンピュータが壊れた、
休暇旅行にいくお金、新車を買うお金、
もっと大きいアパートメントに引っ越すお金がない
・・・そんなことが百年後にどんな意味がある?
いまから百年後を視野に入れると、
こういったことに対する見方が変ってくる。
今朝も私は仕事のことでちょっとした緊張状態におちいった。
手ちがいでダブルブッキングをしてしまい、
二人のクライエントが同時に現れたのだ。
過度のストレスと緊張におちいらずにすんだのは、
百年後にはこの瞬間を覚えている人、
気にする人はだれもいなくなるだろう
という考え方のおかげだ。
私は冷静に自分の間違いの責任をとり、
彼らの一人が快く予約を変更してくれた。
これもまた「大ごと」に発展したかもしれない「小さなこと」の例といえる。
<『小さいことにくよくよするな!』サンマーク出版>
。。。
高橋歩氏のこんな言葉がある。
『人生は有限であるということ。
遅かれ早かれ、自分も死に、大切な人も亡くなるということ。
それは、誰もが受け入れなければならないリアル。
死を身近に感じることで、生への緊張感が生まれる。
メメント・モリ 〜死を想え〜
限られた時間の中で、最高の人生を送るために。』
(人生の地図/A-Works)より
どんな失敗であろうと、
人に非難されたことも、責められたことも、
百年たったら誰も覚えている人はいない。
すべては些細(ささい)なこと。
悠久の人類の歴史からみたら、一刹那(いちせつな)の時間。
「この今という時間は、刻々、すぐに過去となり、
時が経てば、やがてすべては忘れ去られる」
どんな悩みも、歴史の中ではさざ波のようなもの。
もし、百年たったら・・・
すべての心配事や、苦悩は、
「小さいこと」となる。
・・・
<参照>
くよくよしないコツは”今ここ”に生きること
「小さいことにくよくよするな
リチャード・カールソン著」の本解説。
本解説のしもん塾【プロ読書家】(2019/10/01 )
https://www.youtube.com/watch?v=KqUoZhUVjqQ
・・・
【11分で解説】小さいことにくよくよするな!
(リチャード・カールソン / 著)
YouTube図書館(2020/11/05)
https://www.youtube.com/watch?v=M401qyaBuBI
・・・
【本要約】「小さいことにくよくよするな!
(リチャード・カールソン)」を15分で解説してみた
10分読書@しまこ(2024/04/28)
https://www.youtube.com/watch?v=7ccXcmNCTxw
●目次●
0:00 ご挨拶
0:24 ①小さいことにくよくよするな!
2:32 ②死んでも「やるべきこと」はなくならない
4:29 ③戦うなら賢く
6:31 ④どこに行っても自分と道連れ
7:19 ⑤100年後は、すべて新しい人々
8:22 ⑥この一幕もまた過ぎていく
10:35 ⑦平凡のなかに非凡を見いだす
12:05 ⑧今日が人生最後の日だと思って暮らそう
14:07 まとめ
・・・
小さいことにくよくよするな!【リチャード・カールソン】
フェルミ漫画大学(2022/08/30)
https://www.youtube.com/watch?v=aHFcVyxnJV4
0:00 はじめに
1:10 完璧を目指さない
4:14 今ここに集中する
5:40 人生は不公平が当たり前
7:24 全てのものはいつか壊れる
9:38 人のせいにするのをやめる
11:09 早起きをして自分の時間を作る
12:57 期待を捨てる
14:44 植物をかわいがる
16:29 自分の内なる声を聞く
18:25 相手の話を最後まで聞く
19:31 まとめ
20:38 END
<感謝合掌 令和7年11月2日 頓首再拝>
【人生は遊行】 - 伝統
2025/11/04 (Tue) 10:33:16
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.7.16)より
(佐藤伝氏の心に響く言葉より…)
鎌倉時代のお坊さん、一遍上人をご存知でしょうか。
楽しく踊りながら念仏を唱える踊念仏
という方法で教えを広めたことでも有名です。
一遍上人は、人生は「修行」ではなく 「遊行(ゆぎょう)」だと説いたことから、
別名を遊行上人とも呼ばれました。
「人生はつらく厳しい修行の旅だ」と考えると、実際そのとおりになります。
つらく苦しい体験に歯を食いしばって耐えながら、
一歩一歩前に進むそんな人生になるのです。
しかし「人生は遊びだ」と考えたらどうでしょうか。
どんな出来事も、どんな出会いも
「お〜、なるほど。今度はそうきたか」と受け止めるのです。
言い換えれば、映画の主人公になったようなもの。
人生の出来事すべてを見て、感じて、味わいつくして「遊ぶ」のです。
人生が終わるとき、ほとんどの人は
「あれをやればよかった」と後悔します。
「あれをやらなければよかった」と悔やむ人は少ないのです。
人生を後悔で終えないためにも、
「この世界は ラボ(=実験場)だ」と思ってください。
何も実験しないなんて、もったいない!
何でも試してみればいいんです。
《何も実験しない人生はもったいない! 楽しいことをしよう》
(実験とは、失敗もトラブルも、大切なプロセスと考えて楽しむもの。
人生も壮大な実験。なんでも試してみればいいのです)
<『なぜかうまくいく人の「秘密の習慣」』(ディスカヴァー)>
・・・
無能唱元師は著書「人蕩術奥儀/致知出版社」の中でこう語っている。
『「魅は与によって生じ、求によって滅す」
魅力というのは、与えることによって生まれ、
欲しい欲しいと求めることによって無くなります。
その魅力の元にあるのが、余裕。
「ゆとり」や「余裕」といった雰囲気を漂わす人です。
では、このような余裕を得るには、どのようにしたらよいか、というと、
それには、人生を楽しもう、と決心することです。
また、自分の人生を一つのゲームである、と思うことです。
言い替えれば、あまり真剣に「何が正しいことか?」
などということを追求するのをやめて、
「明るく、楽しく暮らす」ように考えることです。
「遊行者(ゆぎょうしゃ)」と仏教ではいいます。
この世の旅路を、淡々と楽しみながら生きて行こうと心がけることです。
人間界にあってなお、空を行く雲のごとく
こだわりのない人があったなら、その人はまさに
「最高の魅力のある人」と私は呼びたいのです。』
「頑張る」とか「耐える」というような努力や修業ではなく・・・
人生を、もっとしなやかに、もっと軽やかに生きる。
まさに、今東光和尚のいう、
「人生は冥途(めいど)までの暇つぶし」。
人生をあたかも、遊行者のように生きてみたい。
・・・
<参照>
なぜかうまくいく人の「秘密の習慣」【佐藤伝】
フェルミ漫画大学(2022/04/26)
https://www.youtube.com/watch?v=3WvZ08vR3e4
0:00 はじめに
1:16 小さな習慣が人生を変える
2:42 プラスの言葉を口にする
4:00 お金は必要なものに喜んで使う
5:21 8割聞いて、2割話す
6:35 毎朝3分間手帳タイムをつくる
7:53 夜は自分を癒す時間を作る
9:10 楽しいことを考えながら早く寝る
10:25 重要度でやることを決める
11:42 まとめ
12:37 END
<感謝合掌 令和7年11月4日 頓首再拝>
【「好きなこと」ではなく「新しいこと」をやる】 - 伝統
2025/11/05 (Wed) 09:16:59
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.7.19)より
(長倉顕太(けんた)氏の心に響く言葉より…)
環境適応能力を語る上で、もう1つ欠かせないキーワードが「好奇心」だ。
好奇心がある人は、新しいことを知るたびに
ワクワクし、どんどん深掘りして学ぶ。
その知識を実践に活かす。
結果的に、自然と環境の変化にも乗りやすくなる。
では、好奇心は生まれつきのものなのかと言えば、私はそうは思わない。
好奇心は訓練によって育てることが可能だ。
特に読書はそのトレーニングとして最適だ。
本を選ぶ際に、あえて自分が無関心だったジャンルを手に取ってみるのもいい。
こうした経験を何度か積むうちに、自分の中でアンテナが広がっていく。
もともとは興味がなかった分野に対しても、
「もしかしたらおもしろい要素が潜んでいるかも」
と考えられるようになる。
鍛えられた好奇心は、どんな環境変化に直面しても
「まずはやってみよう」「まずは調べてみよう」
という積極的な姿勢を生み出す。
この姿勢は読書に限らず、人生においても重要だ。
私は、「好き嫌いではなく、新しいことをやれ」というメッセージを伝えている。
つまり、「やったことがないこと」をやれ ということだ。
人は「慣れ」を無意識に求めている。
だから、「やったことがないこと」を避ける傾向にある。
また、世の中には「好きなことをやろう」
「好きなことで稼ごう」みたいなスローガンも多い。
一見、魅力的なスローガンなので、影響を受ける人も多い。
でも、どうだろうか。
好き嫌いなんて価値観は、過去に誰かに押し付けられたものにすぎない。
それから解放される意味でも
「やったことがないこと」を選択していくべきなのだ。
《やったことがないことを選ぶと、成果につながりやすい》
<『本を読む人はうまくいく』すばる舎>
・・・
好きなことだけをやっていくと、
「意外性」や「よき偶然」は生まれにくい。
自分の好きな分野、好きな人、好きな情報だけが集まってくるからだ。
ニュースも、SNSの投稿も、
YouTubeのおすすめも、自分の好きなものや
価値観が同じものばかりが出てくるのと同じだ。
検索エンジンやSNSは我々の過去の好みや、クリックした履歴をもとに
「あなたはこれが好きでしょう」という情報を選んでくれる。
ニュースでも、自分の嫌いなニュースは出て来ない。
するとそこが、自分のコンフォートゾーンになってしまう。
だから必要なのが「新しいこと」。
自分がまだ経験したことのないこと。
それは、多くは人からの「頼まれごと」から始まる。
「頼まれごと」の多くは、自分の意図していないことがやってくる。
好きとか嫌いとか、得意とか苦手とかいうのにも関係なく、オファーがくる。
それがつまり自分にとって「新しいこと」。
そして、これは読書も同じこと。
Amazonでは自分の好みの本ばかりがラインナップされる。
だからこそ時には、リアルの書店に行き、
棚の本を眺めて、手に取ってみることが必要なのだ。
すると、新しい本が目に飛び込んでくる。
『「好きなこと」ではなく「新しいこと」をやる』
という言葉を胸に刻みたい。
・・・
<参照>
やはり読書は最強だった【本要約】
本を読む人はうまくいく (長倉顕太)
ハッシーと本と【本要約Youtuber】
(2025/06/21)
https://www.youtube.com/watch?v=nFESqjjus-k
・・・
『本を読む人はうまくいく』
note:大杉潤(2025年6月29日)
https://note.com/jun_ohsugi/n/nef86ac181dd7
【3分要約】『本を読む人はうまくいく』
note:みな@外資ITコンサル(2025年7月6日)
https://note.com/mina_it7a/n/ne69a14218fd2
<感謝合掌 令和7年11月5日 頓首再拝>
永遠価値のものを愛し、考え、求めよ! - 伝統
2025/11/06 (Thu) 11:40:39
*「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月6日)より
万事物質的なものは遷りかわるものであり、
その遷りかわるものに心惹かれているかぎりは、
波にさらわれた小舟のようなものであって不安は去らない。
われわれは遷り変わらないものを愛しなければならぬ。
永遠価値のものを愛しなければならぬ。
絶対的なものを愛しなければならぬ。
すべて心を労してもとめても、
やがて価値の変わるものに心を労してはならぬ。
神より出ずるもの、神の属性であるもののみ無限価値がある。
愛は無限の価値あるものである。
赦しは無限価値あるものである。
忠、孝はむろんのこと、
すべて肉体を超えて永存する価値のことを考え、求めねばならぬ。
<感謝合掌 令和7年11月6日 頓首再拝>
【感情は放っておく】 - 伝統
2025/11/14 (Fri) 09:33:09
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.7.22)より
(精神科医、和田秀樹氏の心に響く言葉より…)
神経症の治療法として世界中に広まっている森田療法には、
「感情の法則」と呼ばれる考え方があります。
詳しく説明すると専門的になりますが、
その中に一つだけ、ものすごくシンプルなものがあります。
「感情は放っておけばだんだん収まってくる」という法則です。
不快なことを気にすれば、よけいに不快な気分になりますが、
感情というのは放っておけば、そのうち静まってくるのです。
「腹が立つ」・・・放っておく。
「悔しい」・・・放っておく。
「憎い」・・・放っておく。
森田療法の基本的な考え方は「あるがまま」ですから、
腹を立てることも悔しがることも、他人を憎いと思うことも、
あえて否定はしません。
どれも感情の仕業ですから、
あるがままに放っておけばいいと考えるのです。
実際、「怒るな」といわれてもムリです。
「悔しがるな」「他人を憎むな」、
あるいは「嫉妬するな」「疑うな」「悲しむな」、
すべてムリです。
理性では、そういった感情が
少しもプラスにならないとわかっていても、
わたしたちはつい感情的になってしまいます。
問題はそのあとです。
自分が感情的になったとき、
そのイヤな感情にこだわれば
よけいにイヤな気分になってきます。
たとえば他人のちょっとした物言いや態度に腹を立てたとき、
「この人はいつもこうだ」とか
「わたしをバカにしているんだ」と考えれば
怒りはしつこく居座ります。
「わたしがあんな人にバカにされる理由はない」と思えば、
怒りはさらにふくらんできます。
すると、ささいなことにも腹が立ってきます。
急ぎの仕事を回されただけで、
「なんでわたしが」と不快になります。
頼みごとを断られれば、「みんな自分勝手だ」と恨みます。
これが、「感情的になっている」状態です。
一方の「腹が立つ」とか「悔しい」「憎い」といった気持ちは、
単なる感情です。
わたしたちは感情の生きものですから、
そんなものはごく自然なこころの動きなのです。
<『感情的にならない本』PHP文庫>
・・・
「二念を継がない」という白隠禅師の教えがある。
無心になるための最短の方法として、これを説いたという。
誰かに嫌なことをいわれたとき、
最初にわきあがってくる思いは仕方がない。
それが「一念」。
一念で、「嫌だな」「テンション下がるな」「カチンときた」
という思いがわきあがる。
しかし、それに続けて、「言い返してやろうか」
「なんで私がこんなこと言われなければならないんだ、バカにしてる」
「あんただって同じだろう、嫌なヤツ」と二念で考えてしまう。
この、二念、三念と続くうちに、
理性が吹き飛び、感情の奴隷になってしまうからだ。
まさに、「感情は放っておく」ということだ。
小林正観さんは、それを
「ボーっとすること」「ピリピリしないこと」
だという。
精神を張りつめて、跳ね返すことではなく、
自分をガードすることでもなく、戦うことでもない。
力を抜いて、鈍(にぶ)くなることだ。
あれこれ考えず、心を空っぽにすること。
執着を捨て、流れに身をまかすことでもある。
「感情は放っておく」という言葉を胸に刻みたい。
・・・
<参照>
感情的にならない本 不機嫌な人は幼稚に見える
超一流に学ぶチャネル(2023/12/06 )
https://www.youtube.com/watch?v=0okn07nMyhQ
『感情的にならない本』読書メモ
note:ミッチェル(2024年12月31日)
https://note.com/cute_viola302/n/n24d63800a7fd
<感謝合掌 令和7年11月14日 頓首再拝>
【心の弦をゆるませる】 - 伝統
2025/11/17 (Mon) 10:21:30
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.7.27)より
(小林弘幸氏の心に響く言葉より…)
世の中には楽観的な人もいれば、悲観的な人もいます。
それは性格なので「どちらがいい」ということはありません。
ただ、自律神経の観点からすると、
やはり悲観的な人より楽観的でいられるほうが
いいコンディションをキープしやすいとはいえます。
私自身、性格的には楽観主義だと思うのですが、
これはなにも「きっとうまくいく」 と思っているわけではありません。
私の思考はむしろ逆で
「人生、そんなに甘くない」「うまくいかなくて当たり前」と思っています。
まさに期待しない生き方。
私がよくいう「Don't believe anybody」
(誰も信用しない 【=すべては自分の責任】)も基本は同じ考え方です。
それだけ聞くとひどく悲観的に感じるかもしれませんが、
人生なんてそんなものだから、何があっても大丈夫。
大丈夫どころか、それが普通。
私はいつも、そんな「シン・楽観主義」で生きているのです。
たとえば、私はよく講演を頼まれます。
わざわざ集まってくれた人たちにとって、少しでも役立つ情報を与えたい、
有意義な時間、楽しい時間を過ごしてほしいと願っ ています。
しかし、集まってくれたすべての人に、
その価値を感じてもらうのは不可能。
人生そんなに甘いものではありません。
だから私は、たったひとりでも「よかった」と感じてくれる人がいるならOK。
そう考えるようにしています。
書籍にしてもそうです。
読んでくれる人全員を満足させるなんて無理な話。
もちろん常に全力は尽くしますが、結果に過度な期待はしません。
でも、それが私の自律神経を整え、
いいコンディションといいパフォーマンスにつながっています。
どんなことも「そんなにうまくいくわけがない」。
こんな「シン・楽観主義」も案外おすすめです。
<『始める習慣』日経ビジネス人文庫>
・・・
誰かに、ああだこうだと指摘されたり、上から目線で偉そうに言われたりすると、
カチンときたり、ムッとしたりすることがある。
「何故私があなたに言われなければならないんだ」
「あなたに(そこまで)言われる筋合いはない」
「なぜそんなに下に見られなければならないんだ
(私のが上なのに)」
と思うからだ。
心の奥底には、自分は「ちゃんとしている」
「なかなかのものだ」「大したものだ」という思いがある。
ある面での、うぬぼれ、驕(おご)り、高ぶり、傲慢だ。
逆に言うなら、
人に何か言われて「カチン」ときたら、
「ああ、今自分は『大したものだ』と思っているんだな」
「今、自分は『偉そう』になっているんだな」
と気づくことが必要だ。
それが、心の弦がピーンと張って、臨戦態勢に入っている状態。
小林正観さんは、そんなときは、
自分は
「大したものじゃない」
「ろくなものじゃない」
と思うことが必要だという。
実際、よく考えてみれば、欠点もあり、
間違いや失敗もするし、ダメなところも多い、ろくなものじゃないのが人間だ。
人と争い、戦って、競争して生きてきた人は、
心の弦(つる)が常にピンと張っている。
神経がいつもピリピリしている。
それが嵩(こう)じると、心の病になりやすい。
だから、大事なのが、弦をゆるませること。
それは、ボーっとして、力を抜くことでもある。
どんなことも「そんなにうまくいくわけがない」「人生なんてそんなもの」
という考え方も同じで、心の弦をゆるませる言葉。
それが、自律神経を整え、いいコンディションと
いいパフォーマンスにつながる。
・・・
<参照>
【本要約】「はじめる習慣(小林弘幸)」を
14分で解説してみた
10分読書@しまこ(2024/04/18)
https://www.youtube.com/watch?v=-fAobBvh3h0
●目次●
0:00 ご挨拶
0:26 第1章「まず、はじめてみる」
0:29 今日が新しい人生のはじまり
2:35 「はじめるハードル」はとにかく低く
4:36 最初にやるのは「机の上をきれいにする」
6:13 第2章「ストレスを減らす毎日のひと工夫」
6:17 トラブルは「リカバリーしない」と決める
7:35 流れが悪いときほど「自分」に目を向ける
9:28 第3章「年齢に向き合う」
9:31 「自分を活気づけるもの」を生活に取り込む
10:38 毎日の「ワクワク度」が若さに比例する
・・・
【ベストセラー】はじめる習慣 小林弘幸【8分で要約】
ふとん大学(話題の本を紹介!)(2024/01/14)
https://www.youtube.com/watch?v=18nMZyCdX7k
【動画の目次】
00:46 最初にはじめるべきこととは?
01:48 新しいことを学ぼう
03:58 寝不足の日ほど活動モードに!
05:35 気象病の対処法
06:35 まとめ
<感謝合掌 令和7年11月17日 頓首再拝>
【八風吹不動】 - 伝統
2025/11/19 (Wed) 10:20:55
*メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.8.24)より
~ どうでもいい人 ~
(曹洞宗徳雄山健功寺住職、枡野俊明氏の心に響く言葉より…)
《八風吹不動(はっぷうふけどもどうせず)》
(マウント攻撃はさらりとかわし、毅然と自分の人生に集中)
「マウントをとられる」「マウント合戦」などといった言葉が、
いまやすっかり定着しましたね。
友人や知人同士で、仕事の場で、あるいはSNSを通じて
・・・マウントをとった、とられたという話は、
ごく自然に発生していることと思います。
「マウントをとる」ということは、
基本的には「私はあなたより優れている」と誇示する行為です。
さりげなく嫌味や自慢を放り込んでみたり、
遠回しに相手を貶めてみたり、その方法は さまざまだと思いますが、
マウントをとられた側としては、当然、
愉快な気持ちにはならないものでしょう。
つい張り合って、言い返したくなるのも当然だと思います。
けれど、そこで応戦してしまえば、
結果的にあなた自身の品位も下げるとともに、
その心を摩耗させることになってしまいます。
ですから、まるで足元を見るかのような言動をとられたときも、
「その挑発に乗らない」ということが最善の策となります。
もっと言うと、マウントなど超越した、高い次元に行くということです。
「そう、よかったですね」と軽く受け流し、取り合わないようにしましょう。
質の悪い言動をとってくる人については、
みだりに相手をしない、その後もそのことに ついて深く考えない。
その姿勢を徹底すれば、
精神がかき乱されることも激減していくと思います。
禅に、
「八風吹不動(はっぷうふけどもどうぜず)」という言葉があります。
人生においては、さまざまな風が自分に吹いてくるもの。
そういったなかで、どんな風が吹いてきても、
平常心を保つことの大切さを表現した言葉です。
吹きつけてくる風にその都度、翻弄され、動揺していては、
やがて自分の行き先を見失うこととなってしまいます。
もちろん、もやもやしたり、怒りを覚えたりもするでしょう。
その感情自体は、否定しなくてもよいのです。
ただ、ある程度その感情を味わったら、いつまでも溺れているのではなく、
さっと気持ちを切り替えるようにしてみてください。
なぜならばあなたには、無遠慮な相手のことで思い煩うよりも、
もっとエネルギーを注ぐべきことがあるからです。
そしてマウントをとってくる人というのは、
根本的には自信がなく、劣等感に苛まれているもの。
だから必死で自己アピールをすることで自分を保っているのです。
その心理に気がつき、慈悲の心で見つめることすらできたなら、
あなた自身の人としての成熟度も、さらに増していくように思います。
<「凜と生きるための禅メンタル」飛鳥新社>
・・・
斎藤一人さんは、
お弟子さんの枡岡はなゑさんから、すごくいい話を聞いたという。
それは、
「普通は『好きな人』と『嫌いな人』がいるよね。
でも、私の場合はね、『好きな人』と『どうでもいい人』しかいないんだ」。
「好きな人」と「嫌いな人」ではなく、「どうでもいい人」というジャンル。
「嫌いな人」や「苦手な人」だと思うから、相手の言動にいちいち反応してしまう。
しかし、「どうでもいい人」の言葉なら、何を言われても「どうでもいい」。
汚い言葉や、乱暴な言葉、などの質の悪い言動に対して、
いちいち反論したり、言い負かそうとしたら、自分の品位が落ちる。
相手のレベルと同じになってしまうのだ。
つまり、「運」が悪くなる。
「どうでもいい人」からは、何を言われても「どうでもいい」。
「八風吹不動」という言葉を胸に刻みたい。
・・・
<参照>
【本の解説】 あらゆる悩みが消えていく
凛と生きるための 禅メンタル
超一流に学ぶチャネル( 2025/08/11)
https://www.youtube.com/watch?v=1Ne7bYg6_oA
・・・
書評「凛と生きるための禅メンタル」
note:松島光希(2025年7月7日 )
書評「凛と生きるための禅メンタル」
https://note.com/yasuko2020/n/n513f45e17294
生きづらさを感じるすべての人に
~禅の知恵で心を整える~
note:tomoyuki(2025年7月7日)
https://note.com/tomoyuki963/n/n5073bc829c17
<感謝合掌 令和7年11月19日 頓首再拝>
怒りは免疫力を下げ、思いやりのある行動は免疫力を上げる - 伝統
2025/11/20 (Thu) 09:23:14
一度“怒る”だけで免疫力が6時間以上も低下する!?
科学的に証明された病気を遠ざける「最強の習慣」
with online (2025.11.19)
https://news.yahoo.co.jp/articles/4fcfcea6b43431f0f6d5ee80b14a3c7ce43954ac
(以下は抜粋です)
(1)ロンドン大学の研究によると、
一度怒るだけで免疫力が6時間も下がってしまうのだそうです。
(2)古代ギリシャの哲学者ピタゴラスも、
「怒りは無謀をもってはじまり、後悔をもって終わる」と言っています。
(3)怒ると6時間以上も免疫力が下がりつづけ、
他者へのいたわりや慈しみの感情を抱くと、
24時間以上も免疫力が高まりつづけるということが、
ロンドン大学のグレンらの実験で示されています。
(4)心が穏やかになる映像を観ると免疫系機能が高まる。
(5)思いやりのある行動をとると免疫力がさらに増加する。
<感謝合掌 令和7年11月20日 頓首再拝>
味わい深い人になる日 - 伝統
2025/11/21 (Fri) 10:33:29
*「光明道中記」(11月21日)より
【家族に礼を言うこころになれ。(『生命の實相』三巻)】
親が死んでも泣かぬのが悟ではない。
大いに泣いて後が残らぬのが悟である。
弟子が下手に音楽を奏するならば、
その下手さがよく判って不快なのが悟である。
時にはその下手さに腹が立って弟子を擲(う)っても悟である。
禅家ではよく先輩が三頓(とん)の棒や三十棒を喰わせると言うが、
雪の積った竹を叩くのは、竹を憎むからではなく竹を愛して
雪を払ってやるためである。
叩かれて相手に咬み着く犬の様な心にはなりたくないものである。
と言って私は叩くことを奨励する訳ではない。
何事が起っても、淡々として空言のような顔をして
空嘯(そらうそぶ)いている人には深い味わいは感じられない。
味わいの深い人は、やっぱり人間味の深い人であると思う。
じっと人を抱きしめるような思い、一緒に咽(むせ)び泣きたい思い、
味方のチームが優勝したといっては歓喜の乱舞をしたい思い、
病人を見ては何とかして救ってあげたい思い・・・
現象は無いことは無いとして、心に跡を残しはしないが、
その時、その時の、出て来ることに
真剣に魂の底から感じて行ける人間は味がある。
併し、いつまでもクヨクヨ思っているのは見苦しい。
****菩薩が維摩を病問に来たときに「不来の相で来た」と云う語があるが、
「鳥飛んで跡を残さぬ心で深く行ずる」ことが大切である。
<感謝合掌 令和7年11月21日 頓首再拝>