伝統板・第二

3780652
本掲示板の目的に従い、法令順守、せっかく掲示板社の利用規約及び社会倫理の厳守をお願いします。
なお、当掲示板の管理人は、聖典『生命の實相』および『甘露の法雨』などの聖経以外については、
どの著作物について権利者が誰であるかを承知しておりません。

「著作物に係る権利」または「その他の正当な権利」を侵害されたとする方は、自らの所属、役職、氏名、連絡方法を明記のうえ、
自らが正当な権利者であることを証明するもの(確定判決書又は文化庁の著作権登録謄本等)のPDFファイルを添付して、
当掲示板への書き込みにより、管理人にお申し出ください。プロバイダ責任制限法に基づき、適正に対処します。

生命の教育 ⑬ - 伝統

2025/08/11 (Mon) 11:08:51


「生命の教育」(令和7年8月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉

自己の内部理想

【美しい日本の再建ー悠久の日本の歴史をふりかえる】

自己の内部理想

     *(新装新版『青年の書』15~16頁)

すべての植物を植えると、それは上へ上へと伸びてゆくのである。
そして光の方へ光の方へと向かって行く。

そこには生命の力が見出されるのであって、生命の力は
地球の引力の下へ下へと下向(げこう)せしめる力に抗して、
無限に上へ伸びて行こうとするのである。

(中略)

生命の力は物質の下向的および静止的力よりも強いのであって、
物質の自然の引力に抗して、物質をかえって天へ天へと引きあげ、
それを理念の力は改造するのである。

すべての生物は、それが生命をもつている限りに於(おい)て
天に向かって上昇する傾向をもつているのであるが、
人間は、特に造られたるものの中で最高の顕現として
最も高く天に向かって上昇せんとするものなのである。

人間が天に向かって上昇するのは、必ずしも肉体の背丈(せたけ)
がのびて物質的に上昇するのではないのである。

物質的に天に向かって上昇せんとする働きは、
見事にバベルの塔に於て、神によって破壊されたのである。

人間の上昇は物質を超えて霊的に天に向かって
上昇しなければならないのである。

それこそが本当の人間の向上である。

吾々の中には、神の「完全理想」が宿っているのである。

神の「完全理想」は常に吾々に向かって中(うち)より、

「汝(なんじ)高邁(こうまい)であれ。
 汝(なんじ)気高(けだか)くあれ。
 汝(なんじ)正しくあれ。
 汝(なんじ)尊くあれ」

とささやきかけているのである。


・・・

<参照>

「生命の教育」誌(令和7年8月号)
https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

特集 「美しい日本の再建」

・・・

<関連Web>

(1)伝統板・第二「生命の教育 ①」
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6833626

(2)伝統板・第二「生命の教育 ②」
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7673404

(3)伝統板・第二「生命の教育 ③」
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7745476

(4)伝統板・第二「生命の教育 ④」
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7812318

(5)伝統板・第二「生命の教育 ⑤」
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7865326

(6)伝統板・第二「生命の教育 ⑥」
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7966921

(7)伝統板・第二「生命の教育 ⑦」
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8019877

(8)伝統板・第二「生命の教育 ⑧」
     → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8203325

(9)伝統板・第二「生命の教育 ⑨」
     → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8262390

(10)伝統板・第二「生命の教育 ⑩」
     → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8308316

(11)伝統板・第二「生命の教育 ⑪」
     → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8338935

(12)伝統板・第二「生命の教育 ⑫」
     → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8384849

       <感謝合掌 令和7年8月11日 頓首再拝>

「大和の理念」は天壌無窮 - 伝統

2025/08/15 (Fri) 11:06:01


「生命の教育」(令和7年8月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


【美しい日本の再建ー悠久の日本の歴史をふりかえる】


「大和の理念」は天壌無窮

     *新装新版『真理』第4巻(77~78頁)
     *「真理」第4巻青年篇(P92)より

日本の国は「大和(だいわ)の理念の国」なのである。
詳しく言うならば瑞穂の国である。

「ミズホ」の国とは、水火国(ミズホノクニ)なのである。
水は陰であり、火は陽である。
「陰陽和合の理念」である。

陰 (西欧) と陽 (東洋) とは和合しなければならないのである。
その契機を司(つかさど)る「大和の理念」こそ日本の国なのである。
陰 (物質) と陽 (霊) とは和合しなければならないのである。

その契機を司るのが「大和の理念」であるのである。

(中略)

日本国は、 「物質」でも「領土」でもない、
「《理念》国家」であるのであるから、
「二二ンが四」の理念が久遠不滅であって、
機会ある毎(ごと)に、現象界にその姿をあらわすが如く、
機会ある毎(ごと)に「大和の理念」はその姿をあらわすのである。

天壌無窮(てんじょうむきゅう)の日本国は今や、
再びその姿をあらわさんとしつつあるのである。

       <感謝合掌 令和7年8月15日 頓首再拝>

大調和の理念による建国 - 伝統

2025/08/19 (Tue) 12:07:07


     *新装新版『真理』第7巻269~270頁
     *『眞理』第7巻悟入篇(P321~322)

日本民族は、国というものを一つの生きものとして、
又(また)体と同じように、一つの理想を有(も)つ一個の
「有機的生命体」であるとして考えたのであります。

それが日本の民族精神であります。
だから日本人の民族精神の表現である『古事記』には、
人間の生(うま)れるまでに先(ま)ず「国」があるのであります。

「国わかく浮(う)き油(あぶら)の如(ごと)くして暗気(くらげ)なす
ただよえるときに生(あ)れましし神の御名(みな)は……」
と書かれております。

先(ま)ず国家の「理念」があって、其(そ)の理念が具象化して
瓊々杵命(ににぎのみこと)なる姿になって天(あま)降(くだ)ってきて、
その理念が沢山(たくさん)人間という細胞をうみ出した。

それが日本民族であって、その民族が、
それを生みだした「大和(やまと)」の理念に従って
一大団結して建国したところの国が日本国(やまとのくに)として
実現したのであります。

だから日本民族の「理念」というか「精神」というか
「魂(たましい)」というか「指導理念」というべきか、
とも角(かく)、そういう「精神的なもの」が天降ってきて
それが子孫をうみまして、
そこに一大団結するところの国家が形成されたのであります。

それを譬喩的(ひゆてき)に又(また)は、象徴的象に言うと、
「天孫降臨(てんそんこうりん)」と云うことになるのです。

      <感謝合掌 令和7年8月19日 頓首再拝>

神仏を礼拝する習慣が子供を強くする - 伝統

2025/09/03 (Wed) 12:00:01

「生命の教育」(令和7年9月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


【根を培う教育~神仏を敬う心が子供を幸せにする】

神仏を礼拝する習慣が子供を強くする

    *新編『生命の實相』第22巻102~104頁)
     頭注『生命の實相』教育篇(P148~149)

円満な神の姿を小児の心にえがかせよ。
完全な仏の姿を小児の心にえがかせよ。

いかなる場合にも、自己が全能なる神又は仏の愛の手に
いだかれていてなんの危険もないものだ、
という自信を子供の時代から人間の心に植えつけよ。

幼時からこの自信は将来その人の運命を決するものだ。


(中略部分これから)

子供の教育に当っては、人間だからと言って自分の子供を
謙遜(へりくだ)って
「この子はとてもイタズラ好きで駄目なんです」とか
「この子は随分馬鹿でして」などというな。

かくのごとき謙遜は子供の想像力を自分の欠点の方へ働かしめ、
子供の自信力をめちゃめちゃにして子供の生長に邪魔を置く
ことになるのである。

自身を常に「駄目だ駄目だ」と言われている時は、
その言葉の力でその子供の周囲や表情には、一種のダメな無力な
沈衰した感じが付きまとい、
彼の将来の運命を真に駄目にしてしまうのである。

諸君よ、何も神のつくったところの人間を指して、
それがたとい自分自身だからとて、
また自分の肉身の子だからとて、
駄目だとか、馬鹿だとか、かりそめにも悪く言わねばならない
理由はないではないか。

それは創造神(つくりぬし)への冒涜である。

それはわれわれをつくって生命を与え給える
「ある者」をけがすものだ。

けがすだけではない。

自分自身の運命を、自分自身の子の運命を、
知らず識らずのうちにダメにしつつあるものだ。

(中略部分これまで)


子供をして彼自身を「神の子なり」と信ぜしめよ。

神父(ちち)はその子をその全能の力にて常に完全に導き給い、
無限生長に導き給い、どんな不遇の場合にも必ず守りていたまう
ことを信ぜしめよ。

どんな場合にも失望しない心、
取り越し苦労をしない心、
摂理(せつり)に信じまかせ切って、
晏如(あんじょ)たるを得る心、

倒れても倒れても又すぐ起き上がることの出来る心、

これらは幼時に心に刻まれた完全円満なる神を父とする
想像から力強く生れ出て来るものなのだ。
・・・

<参照>

「生命の教育」誌(令和7年9月号)
https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

            <感謝合掌 令和7年9月3日 頓首再拝>

子供のビックリする心を大切にせよ - 伝統

2025/09/04 (Thu) 12:06:26


「生命の教育」(令和7年9月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉

【根を培う教育~神仏を敬う心が子供を幸せにする】

子供のビックリする心を大切にせよ

    *新編『生命の實相』第22巻118~119頁)
     頭注『生命の實相』教育篇(P159~160)

この幼年時代の「ビックリする心」を平凡化するな。

この神秘に驚異する心をいたわり育ててやるようにつとめよ。


諸君は、子供が

「なぜ空にお星様があるの、お星様は何故落ちないの、
 お星様はなぜ何故光っているの……」

などというほとんど無限に尽きない質問を矢(や)つぎ早(ば)やに
浴(あ)びせかけられて弱らされたことはないであろうか。

(以下は中略部分)

「もうこの子のうるさいのには閉口する」と
小言(こごと)をいったことはないであろうか。

(以上は中略部分)

「お星様が光っているのは当り前じゃないか。
 花が咲くのは当り前じゃないか」などと

あらゆる神秘を「当り前」という説明に押しつけて、
子供の「ビックリする心」を押し消してしまったことはないであろうか。

そういう時にはこういって答えよ――
「それは実に貴(とうと)い不思議なことだ。
 眼(め)に見えない不思議な神様の息がかかるとお星様は光るのだ。
 眼に見えないところにも神様はいなさるのだ。

 お星様が落ちないのもその神様のお力だ。
 花が咲くのもその神様のお力だ。
 神様のお力をお迎えするようにこうして水をかけ土を耕して
 人間が待っているのだ」と。

かくの如(ごと)くいって子供の「神秘がる心」を生かせ。
それを押し消すな。

「神秘がる心」こそインスピレーションの源泉である。

直覚(ちょっかく)は神秘にあこがれる心にのみ、
照射(しょうしゃ)して来(く)る神秘界からの光であるのだ。

            <感謝合掌 令和7年9月4日 頓首再拝>

子供に神や仏の存在を信ぜしめよ - 伝統

2025/09/05 (Fri) 09:57:39


    *新編『生命の實相』第22巻127~128頁)
     頭注『生命の實相』第14巻教育篇(P165~166)

諸君が子供の将来の運命を栄えたものにしたいと思われるならば、
愛の神の存在、守護の神の存在を強く幼児時代から信ぜしめるように
しておかねばならぬ。

生長してから如何なる事業に手を出そうとも
結局は信念強きものが勝利者となるのである。

如何に彼が生れつきの強者(きょうじゃ)であろうとも、
守護の神を信じないもの、無限の大生命を背景にもたないものの気力は、
最後の五分間に至って敗れがちである。

だから自己の子供を運命の勝利者たらしめようとする親は、
キリスト教でも仏教でも神道(しんとう)でも好(よ)いから、

聖書や仏典や皇典(こうてん)(註・主に『古事記』や『日本書紀』
などの日本の古典をさす)にある信仰実話を引用して愛の神、
守護の諸仏(しょぶつ)の存在を信ぜしめるように導くが好いのである。

(中略部は以下)

信仰実話は数多く繰り返して子供に話してきかせよ。
しだいにそれより導いて、ついに彼をして大生命と一体であるとの
自覚にまで高め上げるのである。

(中略部は以上)

ひとたび自己を守護する大生命の存在を深く心に印(いん)せられた
ものはあらゆる事物に恐怖しない。

彼は恐怖しないが故(ゆえ)に伸び伸びと運命を生長さす。

(以下は続き部分です)

彼は恐怖しないがゆえにたとい病気に罹ることがあっても
速やかに治るのである。

彼は恐怖しないがゆえにいかなる困難にも挫折しない。

彼は恐怖しないがゆえに新しい試みをなすに躊躇しない。

今迄かかる新しい試みをなすに躊躇しなかった勇敢な人たちの
発明や発見の恩恵を人類が受けていることはいかに多いことで
あろう。

だから科学者も信仰を排斥するな。

幼時よりわが児(こ)の信仰を強めるようにはかれ。
偉大なる科学的発明は信仰を母体とする長き努力によってこそ
生まれるのだ。

            <感謝合掌 令和7年9月5日 頓首再拝>

幼児はまだ彫琢(ちょうたく)しないダイヤモンド - 伝統

2025/10/02 (Thu) 10:38:34

「生命の教育」(令和7年10月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


【子供の無限力を引き出そう】

幼児はまだ彫琢(ちょうたく)しないダイヤモンド

    *新編『生命の實相』第22巻75~76頁)
     頭注『生命の實相』第14巻教育篇(P129~130)


われわれの内に無限が宿っている。
この無限を掘り出せば人間はみんな天才となるのだ。

天才を、人間は皆もって生まれて来ているのだ。
それに人間はみんな天才にはならない。

それは不合理だ。
その不合理は誰がするか。人間が真理を知らないからだ。
親たるものが真理を知らないからだ。

ダイヤモンドをもっていながら石だと思って捨てて顧みないからだ。

人間を信ぜよ。
神の創造を信ぜよ、
生まれたままの人間を信ぜよ、それは幼児だ。

幼児に宿っている天才はまだ彫琢しないダイヤモンドだ。
傷のつかない高貴だ。

表面にまだなんの天才の閃(ひらめき)がないからとて失望するな。
表面を見て神の創造を疑うな。

神が天才を造って人間ひとりひとりの中に埋蔵(かく)しておいたのは、
神が人間をして安価な怠惰の中に腐敗せしめないためだ。

人間みずからの努力と発見とを神が喜び給うからだ。

なぜなら人間は一個の生命であるから、
発見と創造とに生きねばならぬからだ。

(天才の閃きがわが子にあらわれないからとてわが子を軽蔑するものは、
 生命を軽蔑するものだ。
 神を軽蔑するものだ。)

子供をわが子だと思うな。
子供の生命の背後には無限生命がある。

・・

<参照>

「生命の教育」誌(令和7年10月号)
https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

巻頭のことば
「「生命の教育」で子供の無限力を引き出そう」
    新教育者連盟理事長 浅川正人

今月のテーマ 「子供の無限力を引き出そう」 谷口雅春

         <感謝合掌 令和7年10月2日 頓首再拝>

人類全体の幸福のために - 伝統

2025/10/03 (Fri) 11:51:11


「生命の教育」(令和7年10月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


【子供の無限力を引き出そう】

人類全体の幸福のために

    *新編『生命の實相』第22巻174~175頁)
     頭注『生命の實相』第14巻教育篇(P198~199)

諸君よ、先(ま)ず子供に教えよ。
彼自身の生命の尊さを。

―― 人間の生命の尊さを
―― そこには無限力の神が宿っていることを。

展(ひら)けば無限の力を発し、無限の天才をあらわし、
彼自身の為(ため)のみならず、人類全体の輝きとなるものが
彼自身の内に在(あ)ることを教えよ。

彼をして彼が地上に生命を受けて来たのは、
自分自身のためのみでないこと、
人類全体の輝きを増し、人類全体の幸福を増すために
神が偉大な使命を彼に与えて来たのであることを教えよ。

この自覚こそ、最初の最も根本的な自覚であって、
この自覚が幼時(ようじ)に植えつけられたものは
必ず横道(よこみち)に外(はず)れないで、
真(しん)に人類の公(おおや)けな歓(よろこ)びのため何事かを
奉仕しようと喜び励む人になるのである。

常に子供を鞭撻(べんたつ)して、彼の善さを力説せよ。

彼の美点を強調せよ、自分自身のもつ長所を自覚せしめよ。

ここに子供を教養する極意があるのである。

美点を強調し、弱点を忘却(ぼうきゃく)せしめ、
失意に枉屈(おうくつ)する時間を
希望に躍進(やくしん)する時間に変化せしめよ。

彼もし希望に輝き、美点にのみ躍進を続けるならば、
弱点に執着し、弱点を考え、失敗を悲しんでいる暇(ひま)は
ないのである。

心を弱点に置かないとき、行いに弱点を繰返す暇がないとき、
その弱点を再び繰返す傾向はうすれて来るのである。

ここに彼の美点のみが発揮され、長所のみが生長する。

最初は彼に接する両親や教育係がそれを賞(ほ)める
―― やがては人類全体が、彼の長所を称揚し、美点を讃嘆し、
その貢献に拝謝する時が来るであろう。

ここにおいて父母たる者の子供を教養する
最後の目的が達せられたのである。

         <感謝合掌 令和7年10月3日 頓首再拝>

子供の周囲を知恵をもって取り囲め - 伝統

2025/10/04 (Sat) 11:33:49


「生命の教育」(令和7年10月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


【子供の無限力を引き出そう】

子供の周囲を知恵をもって取り囲め

    *新編『生命の實相』第22巻148~149頁)
     頭注『生命の實相』第14巻教育篇(P180~181)

いやしくも神が人間を造ってこの世に送り出したからには、
すべての人間は何らかの天分、何らかの天才を与えられていて、
それを発揮するときこの地上に天国の相(すがた)が実現するように
計画されているのである。


されば人間はおのれが地上天国建設のために選ばれる、
天の使いであるのだ。

小児の教育法ほど大切なものはない ――
それは実に神の事業の一つであり、地上天国建設の大天使を
造るための事業であるのだ。

学校の採点が天使の能力を測定したと思うものは
形式をもって生命(せいめい)を測ろうとするものだ。

子供の教育は、かくの如く偉大な、神聖な、ほとんど神業(かみわざ)
ともいうべきものであるが、その根本原則は既に述べたように
頗(すこぶ)る簡単なものである。

それは一言(いちごん)にしていえば「言葉の力」の応用に帰(き)
する。

子供と交える会話によって子供の心の生長に必要な要素を
子供の心に印象するのである。

この必要な要素とはなんであるか。

その最も必要な一つは知恵である。

子供の周囲を知慧(ちえ)をもって取り囲め。

       <感謝合掌 令和7年10月4日 頓首再拝>

「世界は一つ」と直感した日本民族 - 伝統

2025/11/16 (Sun) 11:55:04


「生命の教育」(令和7年11月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


【日本に誇りをもとう】

「世界は一つ」と直感した日本民族

    *新装新版『真理』第3巻234~244頁
     『真理』第3巻初学篇(P275~276)
               (P282~284)
               (P287)


『古事記』という本があります。
天武天皇の詔(みことのり)によって、稗田阿礼(ひえだのあれ)
が当時日本に古くから伝わっていました神話、及び歴史的事実のうち
疑わしきもの、信ずべからざるものは省(はぶ)き、

これこそ真理であり、又(また)歴史的事実であると云うものだけを
収録した記録だと云われております。

(中略)

宇宙に充ち遍満している真理を当時古代の国民が
その直感的認識によってとらえてそれを物語に
表現したものが、 『古事記』の神代(かみよ)の巻の神話であるわけです。

(中略)

先ず『古事記』の冒頭をみます時に、
「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまはら)に
 成(な)りませる神の御名(みな)は
 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」と、
こう書かれているのであります。

其処(そこ)に日本民族の個性ある表現がなされているのです。
日本民族は、生(うま)れて仰(あお)いで天を見、伏(ふ)して
地をて、そうして天地が「一」であることを直観したのであります。

「一」という字を日本では「はじめ」と読みますが、天地は二つに
分かれているけれども、本来「一つ」であるということを見たことが
その叙述の初めにちゃんと現れておるのであります。

日本民族は総(すべ)てバラバラに分かれているのを
一つに綜合(そうごう)するところの天分を持っているのでありまして、

日本の国の名前を「大和(やまと)」と名づけられたといことも、
「や」というのは「弥々(いよいよ)」と云う字が当てはまるので、
いよいよ多いという意味であります。

「《まと》」というのは「纏(まと)める」という意味であります。
弓で射(い)る「的(まと)」を「まと」というのも、
同じことでありまして、中心に「纏(まと)まって」いる姿を現わして
います。

いろいろに分かれていても、その悉(ことごと)くが一つに
纏(まと)まるべきものであって、決してバラバラのものは存在しない、
宇宙は一つである、世界は一つであるというところのその人生観が、
古代の日本民族を通して現在の日本民族に至るまでずっ貫き通している
ところの民族的信念とでもいうべきものなのであります。

(中略)

初めに天と地とは分かれているようだけれども、
一つであると云(い)うのが日本の心であります。

日本民族は「大和(やまと)」と国を号(ごう)して
すべての国々は皆家族であるとして、一切のものを一つに調和せしめる
使命を持っているのであります。

・・・

<参照>

「生命の教育」誌(令和7年11月号)
https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

巻頭のことば
「世界で最も古く歴史ある皇室を持つ天皇国日本」
    新教育者連盟理事長 浅川正人

今月のテーマ 「日本に誇りをもとう」 谷口雅春

         <感謝合掌 令和7年11月16日 頓首再拝>

天之御中主神様は宇宙の最深最奥に存在する - 伝統

2025/11/17 (Mon) 10:32:26


「生命の教育」(令和7年11月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


【日本に誇りをもとう】

天之御中主神様は宇宙の最深最奥に存在する

    *(新編『生命の實相』第21巻117頁)
      頭注『生命の實相』第12巻万教帰一篇(P171)

天之御中主神様という神様はどういう働きの神様であるかということを
一纏(ひとまと)めにして申します、中心に帰一(きいつ)する作用を
もつ神様であり、陰陽二つ揃(そろ)った働きのある神様であります。

これが宇宙の最深最奥(さいしんさいおう)に存在する基本設計とでも
いうような理念でありまして、この理念に随(したが)うとき一家が
栄えるのであります。

         <感謝合掌 令和7年11月17日 頓首再拝>

日本の理想に向かうのが日本人としての生き甲斐 - 伝統

2025/11/19 (Wed) 10:45:59


「生命の教育」(令和7年11月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


【日本に誇りをもとう】

日本の理想に向かうのが日本人としての生き甲斐

    *新装新版『真理』第7巻272~273頁
     『真理』第7巻初学篇(P320)

愛国心の昂揚(こうよう)などと言っても、愛し得(う)る値打(ねうち)
ある国というものがあれば愛するけれども、
愛し得る国としての資格があるかないかわからん現状のような
日本国では愛することができないというのは、それは国というものを、
唯、単に形にあらわれている現状の国

――即ち現象の国家――だけを日本国だと思っているために、
こんなに強盗や、強姦や、失業者や、ストライキや、戦争や、
つまらないことばかり充満している此のような国家は、
愛することはできないということになるのでありますけれども、

その現実の奥に「理念の日本の国」なるところの、
目に見えざる「国の本体」なるものをみたならば、
其処に希望が生まれ、其の国に生きていることに、生甲斐を感じ、
其の国を愛することができるのであります。

外面の現象は如何にともあれ、
それを内在の理念――理想に近づけて行くところに希望が持て、
勇気が出、生甲斐は感じられて来るのであります。

         <感謝合掌 令和7年11月19日 頓首再拝>

朝起きたときの心掛け - 伝統

2025/12/14 (Sun) 11:31:34


「生命の教育」(令和7年12月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


子供を幸せにするコトバの力

朝起きたときの心掛け

     *( 『人生読本』333頁)
       『人生読本』(P284)

世の中で最も大きく成功した者はみんな心の明るい愉快な人ばかりです。

朝起きたとき先ず、「自分は楽しい、自分の前途には光が輝いている」
と三べん心の中で言って、微笑してから起きなさい。
微笑をもって一日を迎えるのです。

必ずその日一日楽しく勉強や仕事ができるでしょう。
先生や目上の人から誉められるでしょう。

どんな難かしいことがきても、
先ず微笑してその難かしく見える事柄に対(むか)って、

「ねえ、君、君と私と仲よしになりましょう。
 仲よくなったら、君は私に難かしい顔をしないでしょう」

と微笑み掛けて、その事柄に、愉快に楽しく朗らかにぶっつかることです。

必ずあなたは、その難かしく見えた事が、容易(やさ)しくなり、
スラスラと事を運ぶ事ができるでしょう。

朗らかな愉快な微笑は、
どんな難かしいことでも易しく滑らかにする油の役目をするものです。

・・・

<参照>

「生命の教育」誌(令和7年12月号)
https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

        <感謝合掌 令和7年12月14日 頓首再拝>

言葉を心に服(の)ませる法 - 伝統

2025/12/15 (Mon) 12:14:30


「生命の教育」(令和7年12月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


子供を幸せにするコトバの力


言葉を心に服(の)ませる法

      *( 『人生読本』316~317頁)
       『人生読本』(P269~270)

そこでクーエは考えついたのです。
朝眼が覚めてまだ寝床から出ない前と、
寝床に入ってもう眠くなって来た自分に、

「これから毎日一層すべての点で自分はよくなる」

と言う言葉を自分に聞こえるくらいの小さな声で、
ニ十ぺん口のうちで唱えて自分に聴かせて、

「ほんとうにそうだ。必ずよくなる」と心から思い込むようにするのです。

これが「精神一到」です。

心で「必ずよくなる」と思い込んで、
最後までその思いを変えなければ必ずよくなるのです。

何の病気もなく、これという事柄もない時なら
「これから毎日いっそう全ての点で自分はよくなる」
と毎朝、毎晩二十ぺんずつ唱えるだけで、
全ての点でその人は必ずよくなりますが、

一日か二日位それをやってみて、「こんな事でよくならぬ」と思って
捨ててしまってはなんにもなりませぬ。

それでは「よくならぬ」という心を服(の)んだことになりますから、
その心の通りにすべて「よくならぬ」ということになってしまいます。

(中略部分)

  特に、病気ででもあるときには、
  「人間神の子、病気はない、病気のように見えていても
   これは嘘だから、すぐ治る」
  と朝晩ニ十ぺんずつ口のうちで称(とな)えるようにすると
  その病気が速やかに治るのです。


仕事のときでも試験の時でも、まず最初に心の中で
「神様と一緒させていただきますから必ずよくできる」
と五、六ぺん称えてから、本当に神様と一緒にいるつもりでおれば
必ずよくできるのです。

「できる」という言葉を常にとなえているようにすれば、
常に「できる」という心になり、その心は必ず形にあらわれて、
本当にできるようになるのです。

        <感謝合掌 令和7年12月15日 頓首再拝>

心で註文(ちゅうもん)する言葉を変えよ - 伝統

2025/12/16 (Tue) 11:49:45


「生命の教育」(令和7年12月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


子供を幸せにするコトバの力

心で註文(ちゅうもん)する言葉を変えよ

       *新装新版『真理』第2巻54頁
         「眞理」第2巻基礎篇第3章(P62~63)より

欲するものを強く主張する人は
ついにそれを得(う)ることが出来るのである。

人生の色々の料理 ―― 貧乏、富、病気、健康、調和、争闘
・・・その他(た)何でも貴方が心に強く描いて主張すれば
「人生」と云う名前の料理屋の「法則」と云う給仕人が
それを持って来てくれるのである。

はっきり貴方は心の内で、
どの料理の名前を唱えているか考えて御覧なさい。

貧乏、病気、不幸などと始終心の中で唱えてはいませんか。
心で呟くことは、それを心で唱(とな)えていることになります。

そんな料理の名前を貴方が唱えている限り、
「法則」と云う給仕人が貴方の前に出してくれる料理は
やっぱり貧乏、病気、不幸と云う種類のものであります。

不幸の人々よ、あなたが始終心の中で唱えている
「註文」の言葉を「明るいもの」に更えて御覧なさい。

        <感謝合掌 令和7年12月16日 頓首再拝>

常に人の美点を見つけましょう - 伝統

2026/01/09 (Fri) 10:17:34


「生命の教育」(令和8年1月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


心で理想を高く掲げましょう

常に人の美点を見つけましょう

     *( 新装新版『生活読本』234〜236頁)
         『生活読本』(P214~216)

常に明るいことのみを心に描きましょう。
常に人々の美点のみをみつけてそれを賞嘆(ほめててえる)しましょう。
人々の美点を他山の石(じぶんのためにするたとえ)として
尚一そう大いなる美に到達するのを自分の理想といたしましょう。

みにくき欠点を見ないで、いよいよ高く美しき理想を描きましょう。
自分の描く理想は自己の生活する人生の性格を一変してしまうものなのです。

人は理想に従って、その人の人生の色彩、匂い、動作、性格、方向、運命等が
自(おのず)から変ってくるものなのです。

もし理想が低ければ、
吾々の人生の全体の調子が低いものとなってしまうでありましょう。
そこから、堕落と下向(げこう=したへむく)とが始まるのです。

もし吾々の理想(りそう=だい一のきぼう)が高く清く尊きものであるならば、
それは必ず吾々の日常の言行動作(げんこうどうさ=おこない・うごき)に
現われるのであります。

強いてそれを他(ひと)に告げずとも人々は、
その人から発する所の雰囲気によってそれを知り、
その周囲に自(おのず)から集まって来て、
彼をその高き理想まで、おしあげてくれる仕事をしてくれるのであります。

かかる人の全身(ぜんしん=からだじゅう)からは
何となき崇高(すうこう=けだかい)なる雰囲気がたちのぼるのです。
かくの如き人こそ常に天国に住む人といわなければなりません。

天国に住む人とは、富の俗悪(ぞくあく=げびてみにくい)な物質のがらくたが
山積(さんせき=山のようにつもる)している中に埋もれてすむことではなくして、
斯くの如き天国的な雰囲気の中に住む人こそいうのであります。


すべてこれらのことは、
心の習慣によって人間の雰囲気が変ることを示しているのであります。

今日(こんにち)行う勉強とか教養とかの目的は、
人間を粗野(そや=いやしくげひん)なる欠点ばかり見つける習慣から
美なるものを見つける崇高な習慣へあらためさせることにあるのであります。

常に間断(かんだん=たえま)なく
一そう高き理想に邁進(まいしん=おそれずすすむ)するものは、
常によき雰囲気を得るのであります。

偉大なる人格とは常に美点のみを見て欠点を見ず、常に光のみを見て闇を見ず、
善悪ともにそのあたたかき光にて包んでしまう太陽の如き人をいうのであります。

・・・

<参照>

「生命の教育」誌(令和8年1月号)
https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

            <感謝合掌 令和8年1月9日 頓首再拝>

理想を高くもっても小さな事が大切です - 伝統

2026/01/10 (Sat) 11:42:45

「生命の教育」(令和8年1月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


心で理想を高く掲げましょう

理想を高くもっても小さな事が大切です

     *( 新装新版『生活読本』238〜239頁)
         『生活読本』(P214~216)

蟻の穴から堤(つつみ)が崩れるという諺があります。
野鼠があけた小さな穴から、堤が崩れて
オランダ全体が海の底に沈んでしまおうとしたことがありました。

オランダという国は海の水の高さよりも土地が低いので
その海の水の侵入(しんにゅう=はいってくる)を
防ぐために堤防をきずいているのであります。

ある時その堤防の底の近くに
小さな野鼠の穴があいているのをみつけた少年があったのです。
満潮になって段々と水嵩(みずかさ)が上がって来ますと、
水が滔々(とうとう)とポンプのようにその穴からふきだしました。

その少年は「これはオランダ全体の大問題だ」と思いました。

「もしこの穴から段々水が入って、
 オランダ全体が水の下に沈んでしまうことになれば大変だ」

と思いまして、その少年はその水の吹きでる穴を自分の掌(てのひら)で
一所懸命押さえつづけていたものです。

蟻の穴のような小さな所からでも水がもれておれば、
土が崩れて段々穴が大きくなり、しまいには堤が崩れて、
もうどうにもならなくなるのが普通なのです。

ものは小さい内に防ぎとめておかなければ、
大事になってからは防ぐことは到底できないのであります。

その少年は鼠の穴を自分の手のひらで押さえながら
町の人が通りかかるのを待っていました。
そして人が通りかかると大声をあげて「この穴を防(ふさ)いでくれ」と叫びました。

町の人々が集まって来て其の堤を修繕しました。
こうしてこの少年はほっておけば遂にオランダ全国が滅びてしまうのを
救う事ができたのであります。

            <感謝合掌 令和8年1月10日 頓首再拝>

日本国家は理念の中にまず造られた - 伝統

2026/02/04 (Wed) 11:51:49


「生命の教育」(令和8年2月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


日本の心の教育

日本国家は理念の中にまず造られた

     *新装新版『真理』第1巻58~65頁)
         『眞理』第1巻入門篇(P67~~76)

「国」と云うものは一人々々の人間が集って、
そこに寄合世帯が出来たのが国だと思っている人もありますが、
そんな考え方を唯物的な考え方と申します。

(中略部分)

   一軒の家で考えてみましても、
   一つ一つの材木が建物の形に集って出来たものが「家」であって、
   「家」のどこを探しても「物」ばかりで、
   どこにも家全体の「精神」と云うようなものはないのだと云うように、

   世の中のもの、すべて「物」ばかりが寄り集って出来たものだ
   と考える考え方を唯物論と申すのであります。

   《唯物論と唯心論》

   貴方の住んでいる「家」のどこを探し廻っても
   「心」と云う奴(やつ)には出会(でくわ)さないし、
   「精神」と云う奴にも出会(でくわ)さないでしょう。

   床だって「物」だし、「窓掛(まどかけ)」だって「物」だし、
   「窓掛」だって「物」なんだから、
   この建物は「物」のほかの何物でもない
   と斯うお考えになるのは間違がないように思えましょう。

   併し、若し建物が「物」ばかりで出来ているのでしたら、
   その「物」が勝手に動き出して好きな形に重なり合って
   建物になったでしょうか。そうではないでしょう。

   その建物が出来るまでに、設計者の「心」の中に建物がつくられて、
   その「心」でつくられた建物の形の通りに建築が進んで
   家がつくられて行ったのです。

   「心」が若し無かったら
   建物は今こんな一定の形でいる訳に行かないのです。

   「心」が元で、その心の中に作ったとおりの形に
   色々の物が積み重ねられて、建物が出来たのです。

   建物ばかりではない。
   すべて形あるものは、「心」が先で出来上ったのです。

   この考え方を唯心論と申します。


   《日本民族は寄せ集めではない》

   日本民族も熊襲(くまそ)の人間や、出雲の人間や、
   蝦夷(えぞ)の人間や、南洋から来た人間などが寄り集って
   日本国と云う国を作ったと云うような寄せ集め物だ
   と考えている人がありましたら、
   これは民族に対する唯物的な考え方と云うものです。

   寄せ集めものならば離れる時がまいりましょう。
   それでは日本民族と云うことは出来ないのであって、
   寄せ集め民族と云わねばなりません。


先ず日本民族と云う民族の設計が神の心の中に出来たのです。

設計と云うと、絵に描(か)いた図面のように思われますが、
図面に描(か)く前に心の中で思わねば描けません。

神の心の中で思われた「日本民族」の設計がもとになって
現実の日本民族が出来上ったのです。

家でも、大工の心の中で思った通りの形に出来上るように、
神の心の中で思われた通りの特色をもって
日本民族は出来上ったのです。

神の心の中で思われた設計図を理念と申します。

(中略部分)

   理念がだんだん形の世界にあらわれて来るのは、
   大工が家の図面をひいたら、だんだんその図面通りの形に
   出来上って来るのと同じです。

   神は「日本民族」と云う大きな図面をお描(か)きになったのです。
   すると、日本民族と云う家がだんだん図面通りの形に
   出来上ってまいりました。

   家が建つのにも、材木や瓦(かわら)やセメントや色々のものが
   集って来なければならぬように、
   日本民族が出来上るにも色々のものが集って出来たのです。

   併し、いくら色々の材料が集って家が建ったと云っても、
   材料や瓦やセメントは、それは材料であって、家ではないのです。

   「この材木が家ですか」と問われると、
   「そうではありません」と云うほかはありません。

   「それでは、この瓦が家ですか」と訊(き)かれると、
   「そうではありません」と答えるほかに仕方がありません。

   「それでは、このセメントが家ですか」と尋ねられると、
   これまた「そうではありません」と答える他(ほか)はありません。

   材木も瓦もセメントも「家」ではない。

   それでは、材木や瓦や壁やセメントのほかに
   何処に「家」がありますか。

   此の問題を考えることに致しましょう。

   《スフィンクスの謎》

   昔、ギリシャの或る町に夜な夜なスフィンクスと云うお化けが出て
   「生れたときには4本足で歩いて、大分大きくなれば2本の足で歩き、
    もっと経(た)つと3本の足で歩くものは何だ」と云う謎を出して、

   その答の出来ない者はみんな捕えて食べてしまったと云うことですが、
   此の謎よりも尚々(なおなお)むつかしい問題が、
   今私が出した問題です。

   材木も瓦も壁もセメントも「家」でなければ、
   どこに「家」はあるのかと云う問題です。

   答は次の通りです。

   生れた時に4本足で歩き、生長して2本足で歩き、
   やがて杖をついて3本で歩く者は人間なのです。

   スフィンクスの謎は誰も大抵お答えが出来ますが、
   材木も瓦も壁もセメントも家ではないとすれば、
   「家」とは《どれ》が「家」であるか。


   第一の答

   「家とは材木も瓦も壁もセメントも、
    それら全てを一つの形に寄せ集めたものが家なのです。」

   第一の答は常識的な答ですが、それでは材木や瓦や壁やセメントを
   無茶苦茶に寄せ集めてもそれは家であるか?


   第二の答

   「材木や瓦や壁やセメントを無茶苦茶に寄せ集めたものは家ではありません。
    それを心に思った家の形に寄せて建てねば家ではありません。」

   「家の形に誰が建てるのですか?」

   「それは大工が建てるのです。」

   「大工の何が建てるのですか?」

   「大工の腕が建てるのです。」


   「大工の腕が建てるのなら、大工の腕を一本ここへ斬って来て、
    それを材木の上へころがして置いても家が建ちますか。」

   「いいえ、それでは家が建ちません。その腕にはもう心がないからです。
    心がなければ腕は動きませんから、家は建たないのです。」

   「腕が動けば家が建つのですね。」

   「そうです。」

   「それでは材木の上で滅多矢鱈に腕を動かせば家が建つのですね。」

   「いいえ、腕を動かすにも、心に思った通りの形に
    その材木やセメントがなるように腕を動かさねば家は建ちません。」

   「腕は何が動かすのですか。」

   「心が動かすのです。」


   「心はどこにあるのですか。」

   「心は見えません。」

   「その見えない心が主人で、腕は道具ですね。」

   「そうです。」

   「それでは心の通りに腕が動き、心の通りに家が建つのですね。
    形の家が出来るまでに、心の中に家があるのですね。」

   「その形の家の出来るまでの心の中を『理念の家』と云うのですか?」

   「そうです。形の『家』は心の中の『家』の通りの形が此の世へ映り出たのです。
    この世の中を現世(うつしよ)とか現象世界とか云うのです。
    そして材木や瓦や壁やセメントは『家』ではなくて、
    『家』を此の世にあらわす材料に過ぎないのです。


   日本建国の実相

   そこで日本国家と云う家も色々の部分が集って出来ていますが、
   そこに住んでいる何々人種が日本国家ですかと云っても、
   それは日本国家ではありません。

   此の机が日本国家ですかと云っても、机は日本国家ではありません。

   この土が日本国家ですかと云っても土が日本国家ではありません。

   それらすべては日本国家を形づくる材料であって、
   「家」にすれば、材木や瓦や壁やセメントに当たるものなのです。


神話的に云いますならば、日本国家は、
天照大御神の理念(おほみこころ)の中に先ず造られて、
それが

「千五百(ちいほ)秋の瑞穂の国は世々わが子孫(うみのこ)の
 王(きみ)たつべき地(くに)なり」

と云う天孫降臨の神勅となってあらわれています。

神話と云うのは、作者が誰と云う一定の人間ではなくて
古代の民族が、その民族全体の精神によって作られたものであって、
民族全体の一致した信念の協同作品と云うようなものであります。


(中略部分)

   この民族全体の協同信念によって各人が集団して、
   日本は天皇中心の国家を形作ったのでありますから、

   日本国家が天皇中心の国家であると云うことは
   最も民主的なことであります。

   この民族全体の協同精神が謂わば日本国家の設計のようなものでであって、
   その協同精神の通りに、形の世界の日本国は、家が色々材料が集められて
   徐々に出来上がるように、出来たのです。

   だから


日本国家の本質及び設計は、
天皇国家の姿をとるべく日本民族全体の心の中に既にあったのであります。

それが世の中の進むに従い、形の世界に徐々に出来上がって来たのであります。

そして神武天皇が大和(やまと)に都をはじめ給うたのは、
天皇中心の国と云う日本民族全体の精神が具体化した
第一期工事の完成だと云うことになります。


(上記、中略部分は、とりあえずの紹介です。、
 「生命の教育」誌(令和8年2月号)では紹介されておりませんので、
 飛ばしてお読みください)

・・・

<参照>

「生命の教育」誌(令和8年2月号)
https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

            <感謝合掌 令和8年2月4日 頓首再拝>

日本建国の理想 - 伝統

2026/02/05 (Thu) 10:37:00

「生命の教育」(令和8年2月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


日本国家は理念の中にまず造られた


日本建国の理想

     *新装新版『真理』第1巻65~66頁)
         『眞理』第1巻入門篇(P75~76)

神武天皇の建国も神話であって、
神武天皇は実在の人物でなかったと云う人が、
戦後に日本の歴史家の中にも出て来たのであります。

併(しか)し神武天皇が実在であろうがなかろうが、
その神話を古代の日本民族がつくったと云うこと其のことが大切であって、
日本の国を建設した古代民族の心の中にある「建国の理想」が、
人格的に表現されて「神武天皇」となったのであります。

そしてその神武天皇が、建国の理想として
「八紘を蔽(おお)いて宇(いえ)と為(な)さん」と仰せられた。

これを吾々は一口に「八紘一宇」の建国の理想と申しておりますが、

(中略部分)

   これを、まるで世界侵略思想のように
   外国人は巣鴨法廷で裁判したのでありますが、

   天地間に外国は無い、

何処(どこ)も彼処(かしこ)も一家族で
兄弟であると云う理想を表現せられたのであります。

このように、日本国はその建国のはじめから、
全世界の人間は互いに兄弟であると云う
民主主義理想のリーダーとして神武天皇が描かれているところに
日本民族の理想を見るべきであります。

       <感謝合掌 令和8年2月5日 頓首再拝>

日本精神とは「愛」のこころ - 伝統

2026/02/13 (Fri) 11:12:57


「生命の教育」(令和8年2月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


日本国家は理念の中にまず造られた


日本精神とは「愛」のこころ

     *新装新版『真理』第3巻233頁)
         『眞理』第3巻初學篇(P274)

「人類は互に一つだ」と云う
大和(だいわ)の精神が日本精神でありますから、
日本の建国の理想は「愛」だと云うことが出来るのです。

「愛」と云うのは、どの人種も、
元は一つと云う自他一体の自覚であります。

自分と他(ひと)とは形の上では別々であっても、
生命は一体だと云う自覚です。

「私はあの人を愛する」と云うことは、
あの人と私とは本来一つである。

そこで彼の悦びを私の悦びとし、
彼の悲しみを私の悲しみと感ずる、

これが「愛」であります。

       <感謝合掌 令和8年2月13日 頓首再拝>

《子供は無意識の中で教育される》 - 伝統

2026/02/20 (Fri) 10:59:09

           *「光明法語」(2月20日)より

無意識の心的影響は、親が子供に対して教育する場合には特に著しくあらわれる。

母親が姑に対して物言うまいと決心したりしていると、
時として物言わぬ白雉の子供が出来たりすることがある。

親が人々に対して好悪の感を著しく抱いていると、
子供が食物に対して好き嫌いをするようになったりする。

親がうちの子は間違いないと信じていると間違いない子供になる。
うちの子供は虚弱であると信じていると、実際虚弱になってしまう。

しかし信ずると云うことは捨てて置くことではない。
信じて好(よ)き機会を与えることである。

         <感謝合掌 令和8年2月20日 頓首再拝>

高声、憤怒の調子を帯びた言葉で話してはならない - 伝統

2026/02/25 (Wed) 11:20:32


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月25日)」より

たえず親から叱られつづけてきた子は、どうも気遅れしがちである。
そうでなければ極端に反抗的に乱暴である。
 
この世の中に悪人はいないということ、もし欠点を指摘してくれる者があったら、
その人は決して悪意からでなく、自分をよくしてくれるために教えてくれるものである
ということを幼い時から子供に知らすことが肝要である。

子供の(大人も同じであるが)欠点を直すために指摘する際に、
腹立ち声を出すことはなんの益もない。ただ気遅れのする子供をつくるだけである。

その性質は生長後も時として一生涯つきまとい。
その人の運命の重荷となることがあるものである。
親が子を害していると知らないで、どんなに多くの子を害していることであろう。
 
心理学者の実験によると、幼児は一定以上の高声または高音響に対して
本能的に恐怖の表情を示すのである。そのことは学童以上の年齢になっても継続する。

もし子供をよくしてやりたいとの親切から子供の欠点を指摘するような場合には、
普通の話以上の高声を出したり、憤怒の調子を帯びた言葉で話してはならないことである。

もし相手に訓示を与える際に相手に恐怖や不快の念を与えたら、
それは反抗となってせっかく話したことが反対の結果になることがある。
 
恐怖は閉じる心である。形は心の影である。蛤を見て悟るがよい。
高音を出して恐れさせれば、その蛤は貝殻を閉じるであろう。

貝殻を閉じる蛤のような気遅れする人間に育てたのは、
物を教えるときに使う荒立った高声(こうせい)である。  

           <感謝合掌 令和8年2月25日 頓首再拝>

天分・天才を発揮するには - 伝統

2026/03/06 (Fri) 11:53:38


「生命の教育」(令和8年3月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


「みんな天才」

天分・天才を発揮するには

     *新装新版『真理』第2巻275~276頁)
         『眞理』第2巻基礎篇第12章(P324)


多くの青年は、自分はこれでないかも知れぬと思って
躊躇し逡巡し、そのために何事にも真剣になれず、
時間を浪費し、精力を労して、

ついに老年に到るも何事にも偉大なる事績をのこすことなく
此世を去って行くのである。

すべて人間には其の賦与(わりあて)られたる天分があるのであって、
それを意識的に発見しなければ、その天分を発揮出来ない
と云うようなものではないのである。

杉の木が杉の木として亭々(ていてい)と伸びているのは、
杉の木たらんと意識して努力しているのではない。

ただ生命(せいめい)の営みを其の儘与えられた通りに
一日も休む暇(ひま)なく続けているのである。

この「ただ営む、与えられたままに、休む暇なく」
と云うことが大切である。

すると与えられたままの天分が伸びるのである。

・・・

<参照>

「生命の教育」誌(令和8年3月号)
https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

            <感謝合掌 令和8年3月6日 頓首再拝>

個性が違うところに価値がある - 伝統

2026/03/07 (Sat) 09:12:46


「生命の教育」(令和8年3月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


「みんな天才」

個性が違うところに価値がある

     *(新編『生命の實相』第47巻129〜130頁
       頭注『生命の實相』第30巻児童教育篇第12章(P99)

人間というものは皆個性が異う。
個性が異(ちが)うところにそこに価値がある。

桜の花と薔薇(ばら)の花とはどちらが美しいかというと、
これは評者の好き嫌いで定(き)まるので、

桜が一層美しいという人もあれば、
薔薇(ばら)が一層美しいという人もあります。

それを自分だけの好き嫌いでもって、

「お前桜のように、そんなに一晩(ひとばん)で散るような
  淋しい姿じゃいかん。薔薇(ばら)の花のようにならねばいかん」

といったところが、それは出来ない事を望むのであります。

桜は桜でその良さを認め、薔薇(ばら)ば薔薇(ばら)でその良さを
認めなければならないのであります。

            <感謝合掌 令和8年3月7日 頓首再拝>

本来良き花を育て引き出そう - 伝統

2026/03/08 (Sun) 11:18:44


「生命の教育」(令和8年3月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


「みんな天才」

本来良き花を育て引き出そう

     *(新編『生命の實相』第47巻131〜132頁
       頭注『生命の實相』第30巻児童教育篇第12章(P89~90))

子供にはすべて、自己独特の個性的方法に於(おい)て
表現する自由を与えなければならぬのであります。

しかし、子供の思想および活力を正しい方向にむけるように
誘導してゆくことは教育者の役目であります。

教育とは圧迫ではなく、誘導であり、 「引き出し」であります。

子供の欲望の中にはまだ整理されない雑草があることは
認めなければなりません。

この雑草を刈りとるには、善きものを誘導することによって、
雑草が自然に枯れるような方法を採(と)るのがもっともよい
のであります。

(中略部分として)

  およそ庭を持っておられる方なら知っておられましょうが、
  庭の雑草というものは、それを引かなければ、
  あるいは刈りとらなければすぐ伸びてくるのであります。

  せっかくよき花を植えましても、一方でわざわざ種を植えて
  良き花を生長せしめたいと思いましても、

種子(たね)も何も植えない雑草の方が急に生長したら、

せっかく良き花を咲かせたいと思った草花が、なんでもない雑草に
圧迫されて生長しないことになるのであります。

ですから、児童教育にもその点を注意して、児童の生命を、
その本来良き花を育て引き出すようにして、
雑草を枯らすようにしてゆくとよいのであります。

            <感謝合掌 令和8年3月8日 頓首再拝>

育児の根本は報本反始(ほうほんはんし)にある - 伝統

2026/03/09 (Mon) 09:20:40


     *「光明道中記」(3月9日《父母の恩を知る日》)より

【執愛は捉われている愛である。「愛の愛たるは愛に非ず」。
                   (『生命の實相』第十一巻)】


初めて子供が生まれたときにどんなにその母親は勿論、
父親もその子供を可愛く思うであろう。
その愛は尊き愛である。

その愛がなかったならば幼い脆弱(ぜいじゃく)な肉体を有った赤ん坊は
生活し得ないで大人まで成長する者は稀(まれ)であろう。

子供を生かすのは、そして吾々を今日まで生活することを得しめたのは
兎も角も父母の愛である。
吾々は此の点に於て父母に感謝しなければならない。

子が生まれたとき父母に感謝せよ。
育児の根本は報本反始(ほうほんはんし)にある。

科学的な育児法がどんなに巧みに行なわれても、若しその若き父母が、
その老いたる自分の父母に感謝し得ない時には
育児の根本は覆われて了うのである。

最初に生まれた子供がどんなに可愛いからとて、
その愛に溺れて、無暗に抱きかかえたり、頬ずりしたりして、
折角安静に眠っている赤ん坊の神経を掻きみだしてはならない。

昔から「総領(そうりょう)の甚六(じんろく)」などと言って
長男は頭が鈍(にぶ)かったり、祖父(じい)さん祖母(ばあ)さんに
育てられた子供が「甘え手(た)」で我儘(わがまま)で
始末が可(い)けない場合が多いのは、
生まれた最初からあまり抱きかかえ過ぎるからである。

赤ん坊の言葉は「泣く」ほかないのであるから、
泣いたからとて必ずしも抱いてはならない。

           <感謝合掌 令和8年3月9日 頓首再拝>

皆から喜ばれると人は生長する - 伝統

2026/03/10 (Tue) 11:15:09


「生命の教育」(令和8年3月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


「みんな天才」

皆から喜ばれると人は生長する

     *(新編『生命の實相』第47巻134〜135頁
       頭注『生命の實相』第30巻児童教育篇第3章(P92))

何よりも大切なのはみんなから喜ばれるような
深切(しんせつ)な行ないをするように
仕向けてあげることがいいのであります。

人から喜ばれる歓びを知ったならば、
人は決して堕落するものではありません。

みんなから喜ばれますとその人が生長するのであります。

これは念波の感応の原理によるのでありまして、

人から「あの人がいるのでありがたい」と善念を送られますと、
われわれの魂(たましい)の生長は人々の良き念波を栄養として
生長するのでありますから、

人からありがたがられる事はその人自身が生長すること
になるのであります。

           <感謝合掌 令和8年3月10日 頓首再拝>

“生命の教育”の原理 - 伝統

2026/03/11 (Wed) 11:58:02

【“生命の教育”の原理】
  ~放送人生読本・あなたの子供を天才にする道(光の泉昭和48年11月号)
by 道産子(2019/11/17 (Sun) 08:16:30)
https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7914048

その原理にあった書物が、
此の『生命の實相』の第十四巻の教育篇のところです。

ちょっとそのはじめの一節だけ読んでみます。

『われわれを神が造った。
 神と呼ぶのが嫌な者は生命と言ってもよい。

 神の力を疑うものは馬鹿者だ。
 神が造った万物の中でその主位にある
 人間の力を疑うものは真理を見る目のない者だ。

 われわれの内に“無限”が宿っている。
 この無限を掘り出せば人間はみんな天才となるのだ。
 
 天才を、人間は皆持って生まれて来ているのだ。

 それなのに、人間はみんな天才にはならない。
 それは不合理だ。
 その不合理は誰がするのか。

 人間が真理を知らないからだ。
 親たるものが真理を知らないからだ。

 ダイヤモンドを持っていながら
 石だと思って捨てて顧みないからだ。

 人間を信ぜよ。
 神の創造を信ぜよ、
 生まれたままの人間を信ぜよ、

 それは幼児だ。

 幼児に宿っている天才は
 まだ彫琢(ちょうこく)しないダイヤモンドだ。
 瑾(きず)のつかない高貴だ。

 表面にまだ何の天才の閃きがないからとて失望するな。
 表面を見て神の創造を疑うな。

 神が天才を造って
 人間のひとりひとりの中に埋蔵(かく)しておいたのは、
 神が人間をして安価な怠惰の中に腐敗せしめないためだ。

 人間自らの努力と発見とを神が喜び給うからだ。

 なぜなら人間は一個の生命であるから、
 発見と創造とに生きなければならないからだ。

 天才の閃きがわが子にあらわれないからとて
 わが子を軽蔑するものは、生命を軽蔑するものだ・・・・・』


ずーッとまだ続いているんですが、テキストを読むのはこれ位にして
―― そういう原理の実践によって教育された子供が、
どのようになってゆくか、

それに関する実例を、その子供自身が談(はな)した録音の
筆記を朗読することによって明らかにしたいと思います。

(次に続く)

           <感謝合掌 令和8年3月11日 頓首再拝>

子供には神性が宿っている - 伝統

2026/04/05 (Sun) 11:42:36

「生命の教育」(令和8年4月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


「子共の観方」

子供には神性が宿っている

     *(新編『生命の實相』第22巻133〜134頁
       頭注『生命の實相』第14巻教育篇(P170)


諸君よ、子供を道理のわからぬ者として軽蔑するな。

腕力や叱声(しっせい)のほかに彼らをため直す方法がないと思うな。

子供にも神性がやどっている。

神性は天の理である。道理そのものである。
「道理」が道理にしたがうのは自然である。

大人に対してうように、子供に対しても諄々(じゅんじゅん)として
説いてきかせよ。

もし諸君のいうことが道理にかなっているならば、
子供はその道理に従うことを必ず喜ぶものだ。

・・・

<参照>

「生命の教育」誌(令和8年4月号)
https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

           <感謝合掌 令和8年4月5日 頓首再拝>

道徳的善の土台をつくる - 伝統

2026/04/06 (Mon) 11:22:44


「生命の教育」(令和8年4月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


「子共の観方」

道徳的善の土台をつくる

     *(新編『生命の實相』第22巻136〜137頁
       頭注『生命の實相』第14巻教育篇(P172)

子供の性質や欲望を正しき善(よ)き方向に訓練するは
強制的方法をつかってはならないのである。

子供には強制するよりも、子供自身に宿る神を生かすように
深切(しんせつ)な優しい語調で求めるがよいのである。

「こうしてくれれば母さんはどんなに嬉(うれ)しいだろう」という
調子に善き行為をなすことを子供に対して求めるのである。

かくのごとくするときは、子供は善きことをすれば人が喜ぶものである
ことを覚えはじめる。

人が喜ぶのを見ることは自分もどんなにまた嬉しいものであるかを
体験しはじめる。

ここに彼の心の底に本当の道徳的善の土台石が出来上がるのである。

           <感謝合掌 令和8年4月6日 頓首再拝>

悪しきことをした場合は…… - 伝統

2026/04/07 (Tue) 11:30:52


「生命の教育」(令和8年4月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


「子共の観方」

悪しきことをした場合は……

     *(新編『生命の實相』第22巻172〜173頁
       頭注『生命の實相』第14巻教育篇(P197)

子供が過(あやま)って悪(あ)しきことをしたならば、諄々と
その何故(なにゆえ)に悪(あ)しきかの理由を説いて聞かせて、
かかるがゆえにかかる行ないが神の子たるなんじには相応(ふさ)しくない
行ないであるということを知らしめよ。

かかる行ないが神の子としての誇(ほこ)りを傷つけるものでこと、
神の子としてはもっと他(た)の善き行ない方がること、
また真(しん)に神の子らしき善き行ないは人々を喜し、人々を喜ばすことが
また自分の真(しん)の喜びとなるものであることを知らしめよ。

かくの如く言葉に現して説いて聞かすところの真理の力によって、
子供のうちに宿る真理 (神)を目覚めしめよ。

真理は真理を、招(よ)ぶのが心の法則である。

           <感謝合掌 令和8年4月7日 頓首再拝>

無限力の神が宿っていることを教える - 伝統

2026/04/08 (Wed) 10:08:08


「生命の教育」(令和8年4月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


「子共の観方」

無限力の神が宿っていることを教える

     *(新編『生命の實相』第22巻174〜175頁
       頭注『生命の實相』第14巻教育篇(P198~199)

先ず子供に教えよ。彼自身の生命の尊さを。

 ―― 人間の生命の尊さを ―― そこには無限力の神が宿っていることを。

展(ひら)けば無限の力を発し、無限の天才をあらわし、
彼自身の為(ため)のみならず、人類全体の輝きとなるものが
彼自身の内に在(あ)ることを教えよ。

彼をして彼が地上に生命(せいめい)を受けて来たのは、
自分自身のためのみでないこと、人類全体の輝きを増し、
人類全体の幸福を増すために
神が偉大な使命を彼に与えて来たのであることを教えよ。

この自覚こそ、 最初の最も根本的な自覚であって、
この自覚が幼児に植えつけられたものは必ず横道(よこみち)に
外(はず)れないで、真に人類の公(おおや)けな歓(よろこ)びの
ため何事かを奉仕しようと喜び励む人になるのである。

常に子供を鞭撻(べんたつ)して、彼の善さを力説せよ。
彼の美点を強調せよ、自分自身のもつ長所を自覚せしめよ。

ここに子供を教養する極意があるのである。

美点を強調し、弱点を忘却せしめ、失意に枉屈(おうくつ)する
時間を希望に躍進する時間に変化せしめよ。

彼もし希望に輝き、美点にのみ躍進を続けるならば、
弱点に執着し、弱点を考え、失敗を悲しんでいる暇はないのである。

心を弱点に置かないとき、行いに弱点を繰り返す暇がないとき、
その点を再び繰返す傾向はうすれて来るのである。

           <感謝合掌 令和8年4月8日 頓首再拝>

〝自分の思うまま〞とそれを〝妨げるもの〞 - 伝統

2026/05/04 (Mon) 11:47:56


「生命の教育」(令和8年5月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


「親の願い・子の願い」

〝自分の思うまま〞とそれを〝妨げるもの〞

     *(新装新版『真理』第2巻255〜256頁)
       「眞理」第2巻基礎篇第11章(P301~302)

子供は愛されたい、人から認められたい、賞められたい、
自分の思うままにしたい(行動の自由)を望む。

そしてそれが妨げられるときそれを妨げた人々を憎むのである。
そして子供はまったく、自主的である(悪く謂えば利己的である。)

彼は環境と云うものを認めないで、自分のしたいことをしたいと欲する。
しかしそれを妨げる者のある事を知る。

他(た)の人々も行動の自由を欲する。
他(た)の人々も愛され、賞められ、認められることを欲する。

しかも互いの行動が、一方が思うように行動しようと思えば、
他(た)の人は、その自由を侵害されることがある。

自分を愛して貰いたいのに、
自分よりも他(た)の人を愛したり賞めたり認めたりする
ことのあることを知る。

そして自分の内部からの要求と環境との調節が必要となって来るのである。

・・・

<参照>

「生命の教育」誌(令和8年5月号)
https://www.shinkyoren.jp/publics/index/34/

           <感謝合掌 令和8年5月4日 頓首再拝>

大人と子供の違い - 伝統

2026/05/05 (Tue) 10:29:01


「生命の教育」(令和8年5月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


「親の願い・子の願い」

大人と子供の違い

     *(新装新版『真理』第2巻257頁)
       「眞理」第2巻基礎篇第11章(P302~303)

大人と子供と何処(どこ)が異(ことな)るか。

子供は自分のしたい事のみを遮二無二遂行しようと思うが、

大人はそれが他(た)の人の自由と衝突する場合、
自分の「行動の自由」を他(た)の人の「行動の自由」に譲って、
自己の自由を他(た)の方面の自由で代償しようとする。

その代償作用が、一層高きものを創造する方面に
崇高化される程度に従って、
その人の人格は高いと謂(い)われるのである。

人を殴ったり、破壊したりしたい子供の衝動は高次化されて、
野球や庭球やゴルフなどの球を擲(なぐ)る遊戯となる。

児童の「物を擾(か)き廻したい」心持(こころもち)は高次化されて
クレオン等で画用紙に無暗に線を引く動作となり、
それがやがて絵画と云う文化的作品ともなる。

生(なま)の衝動を高き次元に代償させる方法を教えることが大切する。

           <感謝合掌 令和8年5月5日 頓首再拝>

子供を教育する極意とは? - 伝統

2026/05/06 (Wed) 10:05:44


「生命の教育」(令和8年5月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉


「親の願い・子の願い」

子供を教育する極意とは?

     *((新編『生命の實相』第22巻174〜175頁)
       頭注『生命の實相第14巻教育篇(P198~199)

先ず子供に教えよ。彼自身の生命の尊さを。

 ―― 人間の生命の尊さを ―― そこには無限力の神が宿っていることを。

展(ひら)けば無限の力を発し、無限の天才をあらわし、
彼自身の為(ため)のみならず、人類全体の輝きとなるものが
彼自身の内に在(あ)ることを教えよ。

彼をして彼が地上に生命(せいめい)を受けて来たのは、
自分自身のためのみでないこと、人類全体の輝きを増し、
人類全体の幸福を増すために
神が偉大な使命を彼に与えて来たのであることを教えよ。

この自覚こそ、 最初の最も根本的な自覚であって、
この自覚が幼児に植えつけられたものは必ず横道(よこみち)に
外(はず)れないで、真に人類の公(おおや)けな歓(よろこ)びの
ため何事かを奉仕しようと喜び励む人になるのである。

常に子供を鞭撻(べんたつ)して、彼の善さを力説せよ。
彼の美点を強調せよ、自分自身のもつ長所を自覚せしめよ。

ここに子供を教養する極意があるのである。

美点を強調し、弱点を忘却せしめ、失意に枉屈(おうくつ)する
時間を希望に躍進する時間に変化せしめよ。

彼もし希望に輝き、美点にのみ躍進を続けるならば、
弱点に執着し、弱点を考え、失敗を悲しんでいる暇はないのである。

心を弱点に置かないとき、行いに弱点を繰り返す暇がないとき、
その点を再び繰返す傾向はうすれて来るのである。

ここに彼の美点のみが発揮され、長所のみが生長する。
最初は彼に接する両親や教養係がそれを賞める ―― 

やがては人類全体が、彼の長所を賞揚(しょうよう)し、
美点を讃嘆(さんたん)し、その貢献に拝謝する時が来るであろう。

           <感謝合掌 令和8年5月6日 頓首再拝>

《人の特長を拝む日》 - 伝統

2026/05/07 (Thu) 09:46:52


       *「光明道中記」(5月7日)より

【他を自分の型に嵌めようと思う者は躓く。(『生命の實相』第十一巻)】

親の精神状態にそれほどの葛藤(いらいら)も争いも憎みもないのに
子供が不従順な場合は学校に原因があることがある。
学校と連絡し、学校の先生と親しく和解しなければならない。

学校で教師にいじめられたり、仲間にいじめられたりする子供は
家に帰って親に対して不従順になり勝ちである。

子供の生活のうち、最も伸びねばならぬ学校生活の半日が ―― 否(いな)、
その子供にとっては半日ならぬ殆ど全日に感じられる期間、彼はいじめられたり、
不快な眼に逢って来たので、それに対する反抗を表現したいが、
それを学校では表現することが出来ないから、その反抗を家庭で表現しているのである。

それに対して、家庭の親が暴君的に圧迫を加えるならば
子供は内心の犯行を表出する捌け場所を失って、病気になるか、
不快な事を見まいと云う精神力の反映から近視になるか、

それを聞くまいとして中耳炎を起すか、
頑固に鼻の奥にブツクサ言っていて素直に通さないところの蓄膿症を起すか、

親が子供の成績の良くなることを希望しているのに、逆に成績を良くしないことが
親に反する切(せ)めてもの反抗であると云うようなことになることがある。

愛撫して抱きし締めながら学校の模様を聞いてやること。

       <感謝合掌 令和8年5月7日 頓首再拝>

親自身が子供の前で嘘をついてはならぬ - 伝統

2026/05/08 (Fri) 09:29:56


     *「光明道中記」(5月8日《愛して放つ日》)より

【執愛は捉われている愛である。「愛の愛たるは愛に非ず」とも言える。
                    (『生命の實相』第十一巻)】

子供を無理にあやまらせるものではない。
もう今後一切そんなことはしませんと誓わしてもならない。

大人自身あやまることの不快と、
一度禁煙を誓っても幾度でも煙草(たばこ)が
廃(や)められない大人が沢山あることを考えれば
「誓う」と云うことが何にもならないと云うことが判るであろう。

一度誓ってそれを犯したら、それは「自分は誓を破(やぶ)った罪人だ」
と云う自覚の念にいつも付きまとわれた人間になり、自信力を失うか、
毒を喰(くら)わば皿まで式に、
「どうせ汚(けが)れた身体(からだ)だからもっとやろう」と
云うようになるかする。

また、守れるかどうか判らないことを誓わせるのは
嘘つきを奨励しているのと同じことになる。
あやまるのを好まぬ子供にあやませると、
今度は嘘をついてあやまる不快を免れるようとする。

子供に正直の美徳を教え込もうと思うならば
親自身が子供の前で嘘をついてはならぬ。
子供の前で居留守を遣う親は沢山ある。

子供にだけ嘘をついてはならぬと言って自分が嘘を言う親は
二重に嘘をついているのである。

人間は本当のことを言いたいのが本性(ほんしょう)だから、
本当を言っても叱られないとなれば却って本当のことを言う。

         <感謝合掌 令和8年5月8日 頓首再拝>

真の愛と言葉にて子供を癒やす - 伝統

2026/05/09 (Sat) 09:03:13


   *「光明道中記」(5月9日《何事にもイライラせぬ日》より)

【他(ひと)を審判(さば)く者は、
 天に於いてまた自分も審判(さば)かれる。(『生命の實相』第三巻)】


子供が不従順な場合は健康を害しているか、疲労しているために
何に対しても焦々(いらいら)してヒステリックになっている場合もある。

頭から叱り付けでも、子供の精神障害を一層大きくするばかりで、
百害あって一利なしである。

それどころか子供を叱っていると、
親自身が焦々(いらいら)して来るから子供の心に
親のイライラを反映させて決して教育効果などのありようはないのである。

教育はイライラや叱責や気持の悪さで行なわれるものではない。
教育は「善」の権威を示すことによって行なわれるのである。

善の権威とは
暴風の如く狂暴に暴(あば)れ狂う殺伐(さつばつ)さではない。
善の魅力、愛の魅力である。

獄中にいて検察官を手古摺(てこず)らせた左翼の闘士でさえも、
親の愛の前には転向せざるを得なかったと云う。

教育は鞭(むち)ではない。
愛である。

その愛も、盲愛であったり熱愛であったりしてはならない。
智慧をもって急所急所を抑えて行かなければならない。

病気だとしていたわりすぎると、
病気を口実にして不従順や嬾惰(らんだ)の習慣が附くのである。
病気だと云う言葉を家庭の中で使ってはならない。

静かに抱(だ)くか愛撫するかして
「あなたは好い子なのです。屹度親の言うことを聴いてくれます」
と断定的に言いなさい。

愛は癒す。
言葉の力は癒すのである。

        <感謝合掌 令和8年5月9日 頓首再拝>

愛により、子供の心の悩みの表出に動機を与えてやることが必要である。 - 伝統

2026/05/10 (Sun) 10:07:07


   *「光明道中記」(5月10日《三界唯心を悟る日》より)

【全ては自分の心の影であるから目のとどく限り神示とも言える。
                 (『生命の實相』第十一巻)】

子供は学用品を紛失して、
親からひどく叱られるのを恐れて隠していることがある。

何でも子供は《もの》を隠しているときには、
強情に陰気に塞ぎ込み勝ちのものである。

「父さん母さんは決して叱らないから、
 隠していることを心に持っていて、自分ひとりで苦しまないで、
 母さんにそれを打明けて一緒に苦しいことは二人で分けましょうね」

こう言って愛撫して、愛を表現しながら、
子供の心の悩みの表出に動機を与えてやることが必要である。

幼いときから持ちつづけた感情の悩みが大人(おとな)になってからの
神経的疾患として発病することもある。

子供の怠惰、朝寝、不勉強は権力者に対する無言の抵抗であることがある。

大人でも権力によって拘束せられる場合には、無言の怠惰 ――
飢餓罷業(ハンガー・ストライキ)や怠業(サボタージュ)を
行なうことは誰でも知っている。

ガンジーのような高潔な人格者でも、
ハンガー・ストライキやサボタージュはやるのである。

子供の怠惰も必ずしも人格の低下の標識(しるし)ではない。

それは却って子供の自尊心の強さから、
自尊心を傷つけられたことに対する反抗の顕れであることもあるし、
先生や、親や、友達が認めてくれない絶望からの自暴自棄である
こともある。

        <感謝合掌 令和8年5月10日 頓首再拝>

子供が病気や疲労を現したら、親自身が自分の心を反省する - 伝統

2026/05/11 (Mon) 10:12:26


      *「光明道中記」(5月11日《魂の浄(きよ)まる日》)より

【病気は悪くなる行程ではない。浄化の行程である。(『生命の實相』第十一巻)】

子供が病気らしく見える場合や、疲労していると見える場合に、
親自身が驚いたり、周章狼狽した態(さま)を見せては可(い)けない。

親の心や態度は直(ただち)に子供に反映するものである。
それは生みの子だけに反映するのではなく、養子にでも養女にでも反映する。

子供が病気や疲労を現したら、親自身の心がイライラしていないか、
誰かと争いの心持を有(も)っていないか、心配事はないか ―― と、
よく親自身が自分の心を反省して自身の心を落着け争いを解くことである。

12歳以下の子供の病気や疲労は親自身の心の葛藤(いらいら)が反映しているのが
90%以上であろうし、16歳以下の子供の病気や疲労の50%位までは
親自身の心の葛藤(いらいら)の反映であると言っても好い。

17歳以上になると子供も大体人格の独立を得るから
親の精神状態に影響されることは段々少なくなると言い得る。

併し、どんな人でも自他一体
 ―― 一つの生命の波の中に浸って生きているのであるから
他の人の精神波動の影響を受けないと云うことはあり得ない。

夫婦は大人(おとな)であるが互いにその精神波動を感応して
互いの身に病気や事業の失敗を起させる。

況(いわん)や親子の間は大人になっても互に影響し合うものである。

            <感謝合掌 令和8年5月11日 頓首再拝>

エディポス錯綜(コンプレックス) - 伝統

2026/05/13 (Wed) 09:02:56


     *「光明道中記」(5月13日)より
        ~《善一元を悟る日》

【すべて行為を善き動機から来るものとして言葉で賞(ほ)めよ。
                      (『生命の實相』第十一巻)】

父と云うものは厳父であると同時に慈父でなければならない。
父を憎んでいる子供は、児童教育にたずさわって見るとかなり多数だ
と云うことが発見される。

父と子との争闘は精神分析の方では
ギリシャのソフォクレスの戯曲「エディポス王」の名を藉(か)りて
エディポス錯綜(コンプレックス)と命名した。

子供と云うものは本能的に母の****を吸った記憶から
母を「自分のもの」として見ようと云う傾向のあるものである。

母との一体感はその記憶の上にも明らかであるけれども、
「父」より自分が出たところの記憶はない。

「父」と「自分」とが一体であることが自覚されているならば、
「父」が「母」の上に権力を揮(ふる)っても、
それは「自分」と同体であるところの
「父」(自分の延長)が「母」の上に権力を揮うのだと云うことが判るから、
子供自身はそんなに憤激を感じないけれども、
そうでない場合はそんな子供は父を憎むようになり勝である。

父母が子供の前であまりに仲が悪い時にはその子供は結婚忌避症になり勝である。
子供の家庭の紊(みだ)れは此処に芽生える。

精神分析に就いての詳しい説明は
拙著『人間性の解剖』及び『精神分析の話』を読んで戴きたい。

・・・

<参照>

新・人間性の解剖
https://www.ssfk.or.jp/p/a/105141.htm

新版 精神分析の話
https://www.ssfk.or.jp/p/a/105135.htm

         <感謝合掌 令和8年5月13日 頓首再拝>

子供の盗み癖は、愛を与えれば消える - 伝統

2026/05/16 (Sat) 10:11:21


       *「光明道中記」(5月16日)より
         ~《父を憶(おも)う日》

【贅沢を羨むな。今日一日生かされてある事実に感謝せよ。
               (『生命の實相』第十一巻)】

子供が親の物を盗むのは「盗み」と云うことが分からないで
自他一体の気持ちでする場合と、
親を愛している証拠でする場合がある。

後者は《親のもの》即ち
 ―― 「親」《そのもの》を自分に抱いていたいのである。

それは必要に迫られて、欲しいと言っても得られない場合に
止むを得ずする場合もあるし、親を憎んで親に対する反抗心で
親の大切なものを盗む場合もあるが、

反抗心も結局は愛の裏返しになったのある。

その子供は親を愛しているのだと知って、
その子供を憎まないことが肝要である。

「金」は大抵親が儲けてくるものであるから、
子供にとっては「金」は父親の象徴(しるし)として
存在するのである。

その「金」を隠れて浪費する子供は、父親を浪費したい
 ―― そんな父親はなくなれば好いと思っているのである。

そんな子供は大抵あまりに厳格な父親の下に育っているので、
父親と云う束縛者がなければ好いと思っているのである。

兄弟がある場合に、兄弟のものを盗むのは、
兄弟の一方が自分より愛されていると想像される場合、
その「愛」の象徴を盗みとろうとするのであって、
それは本当の盗みではない。

愛されたいと云うに過ぎない。
愛を与えれば、そんな盗みは消えて了うのである。

       <感謝合掌 令和8年5月16日 頓首再拝>

他の人にも、善き面があることを教える - 伝統

2026/05/18 (Mon) 10:18:25


         *「光明道中記」(5月18日《欲を捨てる日》)より

【人間の悩みのもとは皆欲から来るのである。欲は迷から来るのである。
                     (『生命の實相』第十一巻)】

あまりに幼児の美貌を賞めたり、
常にクラスの首席であると云うことを誇りにさせてはならない。

自分の顔に自信のないのも不幸であるが、容貌を鼻にかけている女性が、
次第にその容貌が衰えて来たのを見て、失望と落胆とで
狂気(きちがい)になった実例をフロイドは挙げている。

また小学、中学とずっと引続いて級中首席を占めて来た子供が
高等学校の入学試験に失敗して、突然の失望落胆から精神病に
なった実例は吾々屡々(しばしば)見聞する処である。
クラスの第一番と云うことは他を見下すための虚栄心の満足でしかないのである。

人間は容貌でも成績でも、自分だけが偉くて
他の人はみんな駄目なのだと云うような教え方をしてはならないのである。

「人間・神の子」の信条は、他の人も神の子であり、容貌での能力でも、
何等かの点に於て、他の人にも優れた天分美質があり、人間の天分は別々であり、
自分にも他に劣らぬ美質があることを知らせて、
成績の悪い者にも必ず善い処があることを知らせて置かねばならぬ。

容貌の美も年齢に応じて夫々(それぞれ)の美があること、
若さだけが美でないことを教育すべきである。

         <感謝合掌 令和8年5月18日 頓首再拝>

肉体の自己玩弄に繋がる環境を避ける - 伝統

2026/05/20 (Wed) 11:22:45


        *「光明道中記」(5月20日《自由自在の日》)より

【義務と思えば重く、愛して行えば歓びが得られる。
                    (『生命の實相』第四巻)】

幼児より爪を咬む習慣のある児童は、あまりに家庭で束縛され、
心が内面にばかり陰気に向いている証拠で、
自涜(じとく<肉体の自己玩弄>)の一種である。

心が明るく愉快に外面的に伸びて行く場合には
肉体の自己玩弄(がんろう)は起らないのである。

明るく愉快に、心が自己玩弄に向う時間がない程に
肉体運動を奨励するが好い。
疲れて眠くなるまで無理に眠らせないが好い。

肉体の自己玩弄を看付けた場合には、
余り激しく「罪悪」として叱り附けてはならない。

余り激しく叱り附けられると恐怖心の結果、
「恐いものをやって見たい」の欲望で、
隠れて肉体を自己玩弄するようになり易い。

男女とも13歳位になったら素地(きじ)の粗(あら)っぽい布の
猿又(さるまた)を着用して眠らせるが好い。

あまりに柔らかい布の下着は接触の快感を連想せしめて、
肉体の自己玩弄に導いて行くことがある。
また蒲団は軽く硬いものが好い。

男子は柔剣道、駆歩(かけあし)などを盛んにやって
妄想の余裕を与えぬこと。

少年に対しては、恋愛小説、放送番組のラブ・シーン、
レビューのダンス、卑猥なる週刊雑誌を避けねばならぬ。
これを見せれば梅干を見れば唾液が湧く程度に****を興奮せしめる。

高潔なる思想家、英雄豪傑の伝記などを読み、
****を想像せしめる読物を廃するが好い。

         <感謝合掌 令和8年5月20日 頓首再拝>

適者生存の原理を教え込む - 伝統

2026/05/22 (Fri) 11:43:32


        *「光明道中記」(5月22日《真に幸福なる日》)より

【知らずに犯す残酷ほど残忍なものはない。(『生命の實相』第四巻)】


あまり親が愛してくれて、何でも自分の欲することを協(かな)えてくれるものだと
思い込ますようにすることは、子供の利己心を増長させるようなものである。

そんな子供は自己中心であって、周囲の事物一切は自分の快楽を満足させてくれる
ためにあるものだと考えるようになり勝ちである。

そんな子供が成長して社会へ出ると、周囲の人々はなかなか自分の快楽を
満足させてくれたりするものではない。
そこに期待の不充足に対する不平が起り、社会国家を呪うようになり易い。

人間は他が自分に調和してくれるまで、自分の方からは調和しないでいても好いと
考えるようになっては、決して世の中に容れられず出世しないものである。

人間は天地間に生まれて、自分の方から、その世界に適するように動き出して行く者が
勝利を得るのだと云うことを知らねばならない。
即ち適者生存の原理を知らなければならないのである。

適者と云うのは自分が全体の幸福のためにどれだけ献(ささ)げ得るかの程度に
随(したが)って定(さだ)まるのであり、全体のために幸福を献げ得る者のみが、
自分がまた幸福になり得るのだと云うことを教え込まねばならない。

         <感謝合掌 令和8年5月22日 頓首再拝>

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.