伝統板・第二

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神の創造 ④ - 伝統

2025/08/12 (Tue) 09:51:35


創造は分化と綜合

       *「光明法語」(8月12日)より)

神の創造は分化と綜合との弁証法的方法によって行われる。

陰陽への分化は、絶対なる神の「自己限定」である。
自己限定によってのみ「表現」は遂げられるのである。

画家は筆を揮(ふる)うこと自由自在にして
何もそれ妨げるものがなければ、「表現」は出来ないのである。

画筆の運行に摩擦するところの画板(カンパス)あって
はじめて絵をかき得るのである。

摩擦は抵抗であり、制約である。
体は霊に対して抵抗であり、制約である。

しかしその抵抗と制約とを通して霊は自己を表現する。

・・・

<関連>

(1)伝統板・第二「神の創造」
    →  http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7538249

(2)伝統板・第二「神の創造 ②」
    →  http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7889480 

(3)伝統板・第二「神の創造 ③」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8216866

            <感謝合掌 令和7年8月12日 頓首再拝>

神は「一」より凡ゆる変化差別を生ず - 伝統

2025/08/18 (Mon) 11:43:02


        *「光明法語」(8月18日《人間性の無限の味》)より

神は「一」より凡ゆる変化差別を生ぜんが為に
「一」より陽陰、愛と智慧を分化し、
それを結び合わせて無数の配合(コンビネーション)を作ったのである。

「一」より二生じ、二より四生じ、四より八生じ、八より十六生じ、
十六より三十二を生じ、三十二より六十四生ず・・・・・・・・・・

かくの如くして無限に一切のものは発展するが故に、
全ての人間も単に「愛に強き人」とか「義に強き人」とか
概括して言うことは出来ない。

愛の強き人のうちにも、不思議に「義に強き人」もあり、
その人間味はまことに掬(きく)すべき哉(かな)。

            <感謝合掌 令和7年8月18日 頓首再拝>

無限の生長と前進 - 伝統

2025/09/10 (Wed) 09:27:38


    *「光明法語」(9月10日)より

かくて大生命の創造は、大生命の歓喜の爆発であるとも言える。
大生命は内に無限を包蔵するが故に、
その表現されるものは常に一層大きく、
一層豊かに、一層美しきものであるほかはない。

それは無限の生長であり、無限の前進である。
時として過去に見出すことが出来ないところの
全然新しいものを創造するのである。

その新しき創造はつきることはないのである。

大生命は無限の新しきものを包蔵する。
その大生命が吾らのうちに流れ入って吾らの生命となっているのだ。

        <感謝合掌 令和7年9月10日 頓首再拝>

新しきものの創造 - 伝統

2025/09/11 (Thu) 11:39:10


    *「光明法語」(9月11日)より

汝らの内に宿る生命は大生命の一部分であるが故に、
大生命と同じき本性をもっている。
それ故に絶えず新しきものを創造する事に生命の歓喜を感ずるのである。

大生命は、吾々の一々の小生命を、創造の各々の中心として、
その各々の中心に於いて新しきものを表現し、創造せしめる。

吾々は各々創造の中心として新しきものの表現に創造に歓喜を感ずる。

新しく伸びないもの、新しく創造しない小生命は、
大生命に歓ばれることは出来ない。
それは大生命のバックを受けられない。

       <感謝合掌 令和7年9月11日 頓首再拝>

生命の純粋律動 - 伝統

2025/09/17 (Wed) 11:25:55


        *「光明法語」(9月17日)より

生命の純粋なる律動は感情である。
感情は音楽とひとしく、知的な、又は理論的な根拠は伴わない。
それは理窟なしにただ動く生命の純粋なる波動である。

しかしそれが既に波動的にあらわれた結果を理解すれば、
それは知的な理論的な構成をもっているであろう。

それは純粋感情の創造せる結果を知的に分解したに過ぎないのであって、
「知」の創造ではないのである。
「知」は創造の結果を分析して体系づけるに過ぎない。

創造は感情によって行なわれる。
愛は感情である。

       <感謝合掌 令和7年9月17日 頓首再拝>

歓喜の創造 - 伝統

2025/09/19 (Fri) 11:13:03


    *「光明法語」(9月19日)より

歓ばない人間は、神の生命の歓喜の出口を閉塞するものである。

喜ばない人間は健康になることが出来ない。
喜ばない人間は勝利することは出来ない。
喜ばない人間は如何に盛んなように見えても最後に挫折するのである。

イザナギの神様は「あなにやし、好乙女(えおとめ)」と
歓喜して世界を創造したのである。

イザナミの神様は「あなにやし、好男(えおとこ)」と
歓喜して世界を創造したのである。

喜ばない人間は創造することが出来ない。
喜びは創造する力である。

           <感謝合掌 令和7年9月19日 頓首再拝>

創造の最初に感情あり - 伝統

2025/09/20 (Sat) 11:42:00


    *「光明法語」(9月20日)より

最初に感情が動いて、軈(やが)て
ハッキリした行動又は構図の設計的なものが心に浮ぶ、
それが想念である。

たとえば或る人が腹が立つ。腹が立つのは感情である。
まだハッキリした形は心に浮ばない。

軈(やが)てそれが握り拳となる。
即ちハッキリした形に思い浮び、
それが行動を指導することになるのである。

腹が立つのは悪い方の引例であるが、
善い方の例を引けば「可愛い」と云う感情が起る。
それは最初は明確な形を豫想しないが、
軈(やが)てそれは愛撫の形をもって顕れる。

           <感謝合掌 令和7年9月20日 頓首再拝>

「霊の振動」で、万物が生じた - 伝統

2026/01/05 (Mon) 09:47:30


     *「光明道中記」(1月5日《万物皆霊を知る日》)より

【エーテルとは「無」を「有(う)」として仮に名づけた別名である。
                  (「生命の實相」第十一巻)】

人は無限の力を有する。
有すれども自覚せざれば使うことが出来ないのである。
自覚によって展開するのが人間の無限力なのである。

それを展開して引き出すのが教育である。

凡(およ)そ力と云うものは「霊」より来る。
「物」には力と云うものはあり得ないのである。

エーテルの大海中に、換言すれば「無」の深海中に、
ただの「無」ではなくして、そこに動き始むる力があった。

それが神の霊である。

「神の霊水の面(おもて)を蔽(おお)いたりき。
 神光あれと言い給いければ光ありき」である。

エーテルの大海中に「霊の振動」が起る
 ―― 即ちコトバ起れば、宇宙電気となり、大火焔
の渦巻(うずまき)を生じ、星雲を生じ、万物を生じ、
万物を支配する者としての理念が形に顕現して人間と成る。

エーテルの大海に、真空の海原に、「無」の深海に大動乱を起して、
万物を生じたものは霊である。

霊のほかに力はない。
凡そ力と云うものは霊より来る。

物質のエネルギーと云うものは要するに、
霊の力の第二次第三次の反影(リフレクション)である。

吾々は物質の力を使わないのではない。
物質と見えるものも霊の力であるが、より多く本源に汲む者は勝利する。

            <感謝合掌 令和8年1月5日 頓首再拝>

第一の創造は神の「世界および人間創造」 - 伝統

2026/03/01 (Sun) 12:07:46


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月1日)」より

啓示 ――

人間は小宇宙である。
大宇宙の力すなわち神が万物を創造したがように、われわれも万物を創造する。

神が心をもって万物を創造し給うたように人間も心をもって万物を造りだす。
神が万物を言葉によって創造したように、人間も言葉をもって
万物を創造(つく)り出すのである。

人間もこの意味において創造主(つくりぬし)だ。

第一の創造は神の「世界および人間創造」である。

神はすでに世界を創造し給うたのである。それは常に現在完了である。
人間はすでに神の肖像(にすがた)に創造られたのである。(「創世記」第一章)
そしてすべてのもの善し(「創世記」第一章)である。このことは否定できない。

「創世記」第一章の天地人間の創造はすでに完了しているのである。
すでに完全であり、過去も、今も、未来も常に現在完了である。

しかして常に善である。
病気の人間もおらぬ。貧乏の人間もおらぬ。苦しんでいる人間もおらぬ。

これは「全てのものはなはだ善しと宣(のたも)うた」
「創世記」第一章の神の宣言にあらわれている。

神の宣言は履(くつがえ)すことはできない。
すべてのものはなはだ善しである。

人間はその霊長である。
人間はすべての物を支配する権を与えられたとある。
黴菌も、気候も、衣食住もわれわれを支配することはできぬ。

人間に病気はない。

            <感謝合掌 令和8年3月1日 頓首再拝>

創造は「今」行なわれている - 伝統

2026/04/01 (Wed) 08:59:48


     *「光明道中記」(4月1日《天地の開くる音を聴く日》)より

【父の愛と母の愛、天の生気と地の生気と両々そろって万物は育成する。
                           (生命の實相第十一巻)】 
    
「一(はじめ)に神天地を創造(つく)り給えり」と云う言葉を、
何か遠い昔に神様が天地を創造し給うたのであって、何かもう現在には何の関係もない、

たとい関係があるにしても、それは既に「創造り終え給うた創造」の惰力のようなものに
過ぎないので、今からどうにでも出来ないものであると考えるのは誤りである。

創造は「今」行なわれているのである。
「一に神天地を創造り給えり」と云うのは
「今」が一(はじめ)であり、「今」が終(おわり)である。

一は、一、ニ、三、四・・・の現象的相対的一ではなく、原始(はじめ)であり、
終末(おわり)であり、一(アルファ)であり、一(オメガ)であるところの
「一」である。


「今」わが運命は、わが健康は、創造られつつあるのである。何によって。
それは言(ことば)によって、言(ことば)は神であり、それに生命(いのち)あり、
すべてのもの言(ことば)によって創造られつつあるのである。

「物質」は《無い》 ―― 《無い》と云うことがよく理解し得ないものは、
一旦は「物質」は《ある》 ―― と思っても好い。

併し「物質」は如何なるものであるか、それはエーテル波動であり、
エーテル中の結紐(むすぼれ)であり、旋渦(うずまき)であり、而(しか)も
アインシュタインの相対性原理出でて以来、
エーテルは「無」を仮に名附けたものであることが判明した。

           <感謝合掌 令和8年4月1日 頓首再拝>

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