伝統板・第二
日本精神② - 伝統
2025/11/21 (Fri) 10:41:44
*伝統板・第二「日本精神」からの継続です。
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日本精神は「量」より「質」を尊ぶ
*「生命の實相 第38巻 幸福篇下」(11月21日)より
仕事ができるばかりが能ではない。
長上に対する敬愛と従順とが失われたら価値の大半は失われる。
仕事は「量」であり、敬愛と従順は「質」である。
「質」が「量」より尊ばれるのは当然なことである。
それを逆に、「量」を「質」より尊んだのが「赤」の思想であった。
日本精神は「量」より「質」を尊ぶのである。
仕事は「量」で測られる。
それは現象的であり、空間的であり、形で測られる。
敬愛と従順は《まこと》である。
《まこと》は「形」で測られないが、「形」で測られたるものよりも
高位に置かれるものは《まこと》である。
<感謝合掌 令和7年11月21日 頓首再拝>
一切包容が日本精神 - 伝統
2026/05/27 (Wed) 12:23:16
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(5月27日)」より
偏狭をもって日本精神だと思ってはならない。
一切包容のスッポリ一枚の衣で全身を覆うのが日本精神である。
太陽光線は無色だといっても、赤外線や紫外線の無色とはちがう。
赤外線や紫外線の無色光線の中には有色光線は含まれていないが、
太陽の無色光線の中にはいっさいの有色光線も無色光線も含まれているのである。
日本は太陽の国である。
太陽がいっさいの光線を包容して無色であるように、
いっさいの宗教を包容しつつ、無色に同化しうるのが
日本神ながらの道でなければならない。
仏教やキリスト教を包容して太陽の道を伝える生長の家が
日本に生まれたのも由緒あることである。
<感謝合掌 令和8年5月27日 頓首再拝>
日本精神(大和の心) - 伝統
2026/06/02 (Tue) 10:29:25
*「生命の實相」第37巻幸福篇上(6月2日)」より
視野の狭いこころは、自分ではよいことをしているつもりで、
かえって悪いことをしていることがあるものである。
それは全体との調和を見ることができないからである。
またあらゆる視角から事物を見ることができないからである。
日本精神 ―― 大和(やまと)の心 ―― というのは
最も視野の広いこころでなければならない。
一つの事物を見て、一人はこれを「三十」であると測定し、
他の一人はこれを「十二」であると測定する。
それは尺度がちがうからである。
先の人はセンチで測っているのであるし、後の人はインチで測っているのである。
世間には往々こういうたあいもない愚かなる争いがある。
<感謝合掌 令和8年6月2日 頓首再拝>
清明心 - 伝統
2026/11/03 (Tue) 11:17:57
*「光明道中記」(11月3日《明治節、清明心の日》)より
【至上の愛は神と偕なる時おのずから出来る愛だ。
(『生命の實相』第十一巻)】
さしのぼる朝日のごとくさわやかにもたまほしきは心なりけり
明治天皇のこの御製を拝誦し奉る毎に
朝日の如き無我の心境が思われるのである。
何故(なにゆえ)朝日はあんなにさわやかなのだろうか。
それは新たに生まれたからである。
手垢がついていないからである。
心に手垢がついていないと云うことが、
こんなにも清明(さわやか)な姿を顕わしめるのである。
太陽には我はない。そのままである。従順である。
さしのぼる時がきたとき差しのぼり、
沈むときには沈んで悲しむと云うことがない。
落日を悲しいと見る者は見る人の心の反影に過ぎない。
烈々と照っても功を誇らず、常に跡をのこすことを求めず、
来って驕(おご)らず、去って悲しむと云うことがないのである。
而も一切衆生として、一物(もつ)として、
その恩恵を受けないものはない。
まことに広大無辺なる姿である。
吾々の 《いのち》 は太陽より来る。
吾等太陽の如く生きんかな。
吾等は太陽の子だ。清明心の子だ。
どんな時にも光のみを見るのが日本人である。
よろこべ、勇み、楽しみ、潔(きよ)く前進せよ。
<感謝合掌 令和8年11月3日 頓首再拝>