伝統板・第二

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真理の生活 24 - 伝統

2025/11/22 (Sat) 11:34:51


浮ついては可(い)けない。

   *「光明道中記」(11月22日《下に降(くだ)りて待つ日》)より抜粋

【弱き人を力づけ善に導く道は讃えるにある。(『生命の實相』十一巻)】

『老子』に「跂(つまだ)つ者は立たず」と云う言葉がある。

人はあまりに伸びることにのみ気をとられているときには、
知らず識らず跂(つまだ)っていることがあるものである。

無論「歩行する」には一時跂(つまだ)つことが必要である。

併し跂(つまだ)った跡には踵(かかと)を地につけることが必要である。

一歩一歩踏みしめること、脚下(あしもと)をよく見ること。

浮ついては可(い)けない。

・・・

<関連>

(1)伝統板・第二「真理の生活 ①」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6971129

(2)伝統板・第二「真理の生活 ②」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7583747

(3)伝統板・第二「真理の生活 ③」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7707100

(4)伝統板・第二「真理の生活 ④」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7796617

(5)伝統板・第二「真理の生活 ⑤」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7854421

(6)伝統板・第二「真理の生活 ⑥」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7934282

(7)伝統板・第二「真理の生活 ⑦」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7988886

(8)伝統板・第二「真理の生活 ⑧」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8016563

(9)伝統板・第二「真理の生活 ⑨」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8061815

(10)伝統板・第二「真理の生活 ⑩」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8164957

(11)伝統板・第二「真理の生活 ⑪」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8209345

(12)伝統板・第二「真理の生活 ⑫」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8238335

(13)伝統板・第二「真理の生活 ⑬」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8250384

(14)伝統板・第二「真理の生活 ⑭」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8263502

(15)伝統板・第二「真理の生活 ⑮」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8290983

(16)伝統板・第二「真理の生活 ⑯」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8305125

(17)伝統板・第二「真理の生活 ⑰」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8315921

(18)伝統板・第二「真理の生活 ⑱」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8331438

(19)伝統板・第二「真理の生活 ⑲」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8360609

(20)伝統板・第二「真理の生活 ⑳」
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(21)伝統板・第二「真理の生活 21」
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(22)伝統板・第二「真理の生活 22」
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(23)伝統板・第二「真理の生活 23」
 → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8418006

         <感謝合掌 令和7年11月22日 頓首再拝>

自然は低く謙(へりく)れるものに与えんとするのである。 - 伝統

2025/11/29 (Sat) 09:07:20


          *「光明道中記」(11月29日)より
           ~心、水の如く柔らかくなる日

【生命は常に生きている。吾々の生命は進んで行く、停止はない。(『百事如意』)】


生きているものは温い。

あまり熱くても生命は死に、あまり冷たくても生命は隠れる。
激しすぎてもならないし、熱し過ぎてもならないし、
冷たすぎても、無頓着過ぎてもならないのである。

調和した温かさこそ必要である。
激せず、熱せず、冷たくもならず、程よく温かいところに生命は大きく顕れる。

天は高きを以て低きを埋める。
水は上より下を満たし、山は崩れて低地をうずめる。

自然は《ひとり》高からんとする者を
崩して低く謙(へりく)れるものに与えんとするのである。

だから高からんことを願わずして、低きに与えんとするものは
却って天の道に護られて力が強いのである。

水は低きにつこうとするが故に力が強い。
水は柔かであるが故に力が強い。

水が若し硬ければ蒸気となって諸種の機関を動かすことが出来ない。
水が若し硬ければ滝となって降ることが出来ない。
水が若し硬ければ落差によって水力電気を起すことは出来ない。
水が若し硬ければ蒸気になって空中に飛び上がることは出来ない。

水の偉大さはその柔かさにあり、人間の偉大さも亦(また)柔かさにある。

          <感謝合掌 令和7年11月29日 頓首再拝>

《気尚(けだか)く生きよう!》 - 伝統

2025/12/01 (Mon) 11:50:33


      *「生命の實相」第三十八巻幸福篇下(12月1日)より

もっともっと気尚(けだか)く生きよう。
最も気尚(けだか)いことのほか何事も考えまい、
最も気尚(けだか)いことのほか何事も為すまい。

他(ひと)を助けよう、
他(ひと)のためになろう。
他(ひと)に愛を注ごう。
愛を注げば
愛が自分に還(かえ)って来る。

悪い人というのは本来一人もない、
地獄というものも決してない。
悪いことがそこに語られるとき
そこが地獄であり、
それを語る人が悪い人である。

汝の世界に天国浄土を実現せんと欲するならば
決して人の悪を語るな、
決して人の悪を思うな、
天国を目指しつつ人の悪を語るものは
必ずや穽(おとしあな)に陥(おちい)って地獄へと墜落せん。

            <感謝合掌 令和7年12月1日 頓首再拝>

気高き基礎に立つ生活を - 伝統

2025/12/05 (Fri) 09:18:22


      *「生命の實相」第三十八巻幸福篇下(12月5日)より抜粋

値いなしに受けようとしてはならぬ。

肉体の汗か、心の汗か、金銭か、物質的な贈物か、
いずれにせよなんらかの値いを払って受けよ。
値いなしに受けたものは、いつかは奪い返されることがある。

自己の生活が気高き基礎に立つかどうか省みよ。

なんじの生活を、愛と赦しと忍耐との上に築きて、怒りと憎みとを常に支配せよ。
怒りと憎みととは神と汝とを隔てる最も大なる敵である。

常に朗らかであれ。
不快なこと、争いのこと、憎むべきこと、人の悪しきことを忘れ去れ。
忘れ上手が光明生活の第一歩である。

          <感謝合掌 令和7年12月5日 頓首再拝>

神に対して商売的な功利主義で相対することは間違い - 伝統

2025/12/12 (Fri) 10:06:48


       *「光明法語」(12月12日《商売主義を排す》)より

イエスはユダヤ人の過越(すぎこし)の祭りのちかづいたとき、
イエルサレムの宮の境内に、牛、羊、鳩を売るもの、

両替する者などが坐っているのを見て縄の鞭をつくり、
羊をも牛をもみな宮より逐(お)い出し両替する者の金を散らし、
その台を倒し、鳩を売る者に

「これらの物を此処より取去れ、わが父の家を商売の家とすな」
と言った事が聖書に書かれている。

イエスは神を利用して儲けるところの商売主義に反対したのである。

神に対して商売的な功利主義で相対することは間違いである。

        <感謝合掌 令和7年12月12日 頓首再拝>

生命の動く儘に振舞う - 伝統

2025/12/13 (Sat) 12:51:35



       *「光明法語」(12月13日《形式主義を排す》)より

イエスは暴力を用いなかったか、絶対に無抵抗主義であったかどうか
と云う問題についての議論の際引用せられるのが此の『縄の鞭』である。

イエスは形式主義者ではなかった。
『つるぎを執る者は剣に滅ぶ』といったイエスも剣のほかに
『縄の鞭』は使ったのである。

イエスは『審判(さば)く勿れ』と教えたが、
彼は激して形式主義のパリサイ人を審判いている。

また『審判(さばき)は子にゆだね給えり』とも言っているイエスは
生命主義者であり、生命の動く儘に自由に振舞ったのである。

        <感謝合掌 令和7年12月13日 頓首再拝>

【小さな訓練で気持ちを切り替える】 - 伝統

2025/12/14 (Sun) 11:14:40


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.8.4)より

   (聖心会シスター、鈴木秀子氏の心に響く言葉より…)

   《「ついてない」という気分でいるのは、もったいない。
      小さな訓練で気持ちを切り替える。》



   新型コロナで感染が拡大したとき、いっとき
   「55歳以上は不要な外出は控えてください」などと報道されました。

   なかには、長生きしているだけで
   周囲に迷惑をかけているように感じた方もいたようです。


   こんなふうに自分をつまらなく感じたときは、
   ほんの少し、見方を変える訓練をしませんか。

   気持ちの切り替えは誰にでもできます。


   以前、数人で北海道の僻地を訪れたとき、暴風雪で飛行機が飛ばなくなりました。

   電車もいつ止まるかわからない。

   駅まではタクシーで1時間以上かかる。

   どうしたものかと途方に暮れていたとき、ある人が、
 
   「面白いじゃありませんか、こんなの大好き!」

   と言ったのです。


   どうやって解決するのか、
   パズルのように方法を当てはめていくのは楽しいと。

   この言葉で一同の気持ちはパッと晴れました。

   飛行機でなくタクシーと電車を使えば
   長く一緒にいられるし、たくさんお話もできる。

   こうして私たちは元気よく動き始めたのです。


   ついていない。

   自分なんてダメ。

   こんなふうにクヨクヨした気分で一日を過ごすのはもったいない。

   それよりも、自分ができる小さなことを見つけて行動して、
   「できる自分」 を認めるのです。



   お茶を飲んだらいつも自分がカップを洗っている。

   ゴミ箱のゴミを捨てるのはいつも私。

   シフトで自分はいつも休みの日を割り当てられる。


   「なんで私ばかり?」 こう考えるのではなく、
   できる機会があることをありがたく捉えてみましょう。

   カップを綺麗に洗える。

   ゴミを片づける気遣いができる。

   あなたが休みの日に出社することで、会社の人が安心することもあるでしょう。


   誰も認めてくれないと考えるのではなく、自分で自分を認めるのです。

   これは意識的に自分を変え、主体的に自分を育てる訓練です。


   楽観的か悲観的かは性分もありますが、訓練すれば必ず変わります。

   スポーツにしても語学の勉強にしても、
   最初はうまくできなかったことも、続けていれば、あるときから
   できるようになるのと同じです。

   壁を乗り越えると人は変わるものです。


   もう一つ、魔法のような祈りをご紹介しましょう。

   朝、目が覚めたときに、
   「今日一日幸せでした、ありがとうございます。
    明日も一日幸せです。ありがとうございます」と、
   先に感謝するのです。

   すると、本当によい気分になって、物事が好転していきます。


   隣人の嫌がらせに悩んでいたある人は、
   引っ越ししようか悩んだ挙句、この祈りを6年間も実践しました。

   するとある日、隣人が訪ねてきてすべてを詫びたそうです。

   いままで申し訳なかった、
   お宅が羨ましくて嫉妬して、6年も嫌がらせに費やして、
    私はことごとく力が尽きてしまって、目が覚めましたと。、

   だから、あの祈りは本当に効きますね、と話してくれました。

   相手を変えるのは難しいけれど、
   自分を少し変えることなら簡単に実践できます。

   今日は一つ、明日も一つ、気になることを少しだけよいほうに解釈して、
   よくできた自分を褒める。

   そうすれば毎日幸せな気持ちで眠りにつくことができます。


     <『機嫌よくいれば、だいたいのことはうまくいく』かんき出版 >

       ・・・

小林正観さんは著書、
『「ありがとう」のすごい秘密 (中経の文庫)』の中でこう述べている。


『「うたし焼き」という言葉があります。

 うれしい話、楽しい話、幸せな話、役に立つ話、
 興味深い話の頭文字をとったものです。

 自分が何かを言うときは、こうした話に限定して、
 不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句をやめること。

 日本の政治が悪いとか、経済が悪いという話はしないほうがいいです。

 私は旅先で夜な夜ないろいろな話をしてきましたが、
 世の中が悪いとか、政治経済が悪いといった話を一切してきませんでした。

 これは私自身で決めたことです。

 面白い話、気持ちいい話の収集家ということを考えながら生きてきましたから、
 旅先などでは、 うれしい話や楽しい話、幸せな話、役に立つ話、
 興味深い話をしてきました。

 その結果として、講演してくださいという話をいただくようになりました。

 こうした話ばかりをしていると、
 周りに明るくて楽しい人が集まるようになります。

 逆につらいとか、悲しいとか、苦しいといった話ばかりしていると、
 その人自身も気がつかないうちに、聞いている人も気がめいってきます。

 顔を合わせるたびにそうした話題しか出てこないと、人は離れてしまうものです。』


自分のまわりに起こる様々なできごとには、
「いいニュース」もあるが、「悪いニュース」もある。

広くは世界情勢や政治から、身の回りの小さなできごとまで。

その中で、自分がどのニュースに着目するか、で日々の「幸せ度」は変わってくる。


嫌なニュースばかり見ていれば、気持ちは暗くなり、
文句や悪口やグチを言いたくなる。

そして、不平不満や泣き言ばかりいう人がまわりに集まる。


反対に明るいニュース、楽しい話に着目すれば、人生は明るいものとなる。

そして、楽しい、嬉しい、愉快だ、ありがとう、幸せ、という人がまわりに集まる。


日々起こる現象の中に、何を見るかだ。

気分が明るくなること、楽しくなること、感謝すること、を見つけるのか、

それとも、暗くなること、辛くなること、嫌になること、を見つけるのか。

日頃の「見方」の訓練次第。


「小さな訓練で気持ちを切り替える」

という言葉を胸に刻みたい。

・・・

<参照>
[本の紹介] 
「機嫌よくいれば、だいたいのことはうまくいく」
不安な時代を乗り切る心の処方箋
note:kanako (2024年11月11日 )
https://note.com/kanako6483/n/nc38f60fe0862

        <感謝合掌 令和7年12月14日 頓首再拝>

【心配をやめる】 - 伝統

2025/12/20 (Sat) 11:01:24


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.8.7)より

   (Testosterone(テストステロン)氏の心に響く言葉より…)


   心配すんな。

   起こるかどうかもわからない未来の出来事に
   いまのあなたの心の平穏を荒らさせるな。

   時間の無駄だ。

   心に多大なストレスもかかる。


   未来に起こる出来事なんていくら考えたって
   わからないから考えても意味がないよ。

   人間は未知のことに不安を覚える。

   未来は未知だ。

   未来のことを考えたら不安になって当然だ。

   人生はただでさえ問題だらけなのだから、
   まだ起きてもいない、起きないかもしれない問題を頭の中で勝手に創り出して
   ストレスを溜めるのはやめよう。


   寿命が縮んじゃうよ。

   心配は何も解決しない。

   心配することによって取り除かれるのは
   未来の問題ではなく現在の心の平穏だけだ。

   心配し始めるとキリがないぞ。


   やることやったら、あとは心配したってなるようにしかならん。

   気楽にいこうぜ。


   心配とは存在しない敵を脳内で創り出し、
   その敵に己の時間を奪う権限と、多大な心理的ダメージを与える権限を与える
   愚かな行為だ。

   心配すんな。

   いまを楽しめ。


   未来がどうなるかなんて心配してる暇があったら、
   未来はこうするぞと希望を抱け。

   そっちのほうが楽しい。

        <『ストレスゼロの生き方』きずな出版>

       ・・・

あのトンチで有名な一休禅師が、亡くなる前に弟子達に三巻の遺言を残したそうです。

もしお寺でどうにもならないほど、困ったことがあったら、
この三巻の遺言を開けなさい、と。

一休さんが亡くなって何年かして、
お寺にほんとうに困ったことが起こり、その遺言書を開けることにしました。


すると…

一巻目には  大丈夫

二巻目には  心配するな

三巻目には  何とかなる


困ったときに、一番ほっとする言葉は「大丈夫」です。

そして、安心する言葉は「心配するな」

希望が持てる言葉は「何とかなる」です。



中村天風師は

『一度だけの人生だ。
 だから、今この時だけを考えろ。
 過去は及ばず、未来は知れず。
  死んでからのことは宗教にまかせろ。』

と言ったそうです。

過去はどうやっても変えられません。

そして、未来は誰もわからないのです。


すると残るのはこの今だけ。

ならば、この今を一所懸命生きるしかありません。

一所とは、今この場です。

そこに命を懸(か)けるのが一所懸命。


心ここにあらざる時に不安になるのです。

一心不乱に仕事をしたり、
わき目も振らずに集中しているときは他のことを忘れています。


困ったことや、心配ごとの9割以上は実際には起きないと言われています。

考えたって仕方ありません。


「心配をやめる」

という言葉を胸に刻みたいと思います。

・・・

<参照>

【アニメで】テストステロン「ストレスゼロの生き方」
を世界一わかりやすく要約してみた
【本要約】( 2020/01/15)
https://www.youtube.com/watch?v=5vfCAzYpIlE

▼【目次】
0:00 ご挨拶・導入
0:50 本日のお品書き
0:55 ①限 夢を持つのをやめる
2:24 ②限 他人に期待するのをやめる
3:54 ③限 時間がないを捨てる
4:40 本日のハイライト

         ・・・

これであなたのストレスともおさらばできる!9
分で学ぶ『ストレスゼロの生き方』【テストステロン】
学識サロン(2020/01/21 )
https://www.youtube.com/watch?v=yVfBnSZsx00

【目次】
1:17 ①「コントロールできないこと」で悩むのをやめる
2:22 ②心配をやめる
3:04 ③嫌われたくないと思うのをやめる
4:15 ④欲望を抑え込むのをやめる
5:17 ⑤「でも」と「だって」を捨てる
6:07 ⑥愚痴を捨てる
7:30 ⑦本当に辛いときは逃げる

・・・

【ストレスゼロを目指す!】
心が軽くなる習慣をテストステロン氏から学ぼう!
note:笑顔のケア人-なお(2024年12月18日)
https://note.com/egao_no_care_nao/n/nfcf9b48be5ed

          ・・・

『ストレスゼロの生き方」から学んだこと(箇条書きメモ)
note:とかげさん(2021年4月2日)
https://note.com/yuuki_blog_ygd/n/nda72b91f1967

          ・・・

【書評】ストレスゼロの生き方~心が軽くなる100の習慣
note:半導体Times(2024年5月5日 )

~(Vol.1)
https://note.com/semicontimes/n/n37bffa3deb26

~(Vol.2)
https://note.com/semicontimes/n/n67d705d8cc27

~(Vol.3)
https://note.com/semicontimes/n/naa9816f2c7ae

~(Vol.4)
https://note.com/semicontimes/n/n5c716e8504bc


       <感謝合掌 令和7年12月20日 頓首再拝>

【「良心」と「思いやり」が人間関係のすべて】 - 伝統

2025/12/23 (Tue) 11:59:34


         *メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.8.10)より

   (富増章成(とますあきなり)氏の心に響く言葉より…)

   《「良心」と「思いやり」が人間関係のすべて》


   孔子は「仁」=「愛」こそが、
   すべての人間関係における普遍的な原理であるとしました。

   さて、これをもっと具体化したのが次の一節です。


    「参(曾子・そうし)よ、私という人間は、ただ一つの原則で貫かれているのだよ」

   この孔子の言葉に、曾子はただ「はい」とうなずいただけであった。


   孔子がその場を立ち去ると、居合わせた門人が曾子にたずねた。

   「どういう意味かわかりませんでしたが」

   「先生は、良心を偽らぬこと (忠)と、他人への思いやり (恕・じょ)とが
    人倫の根本だとおっしゃったのだ」


   自分の良心への誠実さと、他人に対する思いやり。

   「仁」を分解すると、この「忠恕(ちゅうじょ)」という因子が見える。

   すると、「礼」という正答が導き出される。
    これが、人間関係における真理なのでしょう。


   《孔子が導き出した人間関係の真理》

   ●礼とは、社会秩序を保つための行動規範

   ●仁とは、人を愛すること

   ●恕とは、他人への思いやり

   ●忠とは、自分の良心への誠実さ


    <『「まぁ、いっか。」と心がラクになる東洋哲学』王様文庫 >

        ・・・

忠恕や礼や仁は、「公」の意識を持っているかどうか、ということだ。


「みんなのために」とか、「世のため人のため」と言った「公」の意識が薄い人は多い。

自分の利益や自分の損得が第一で、公の利益などいうのは偽善的だ、と。

この傾向は、「きれいごとを言うな」「ガンガン稼ぎまくれ」
といった高度成長経済の価値観で育った年配者や老人に多い。


反対に、若い人たちには、公の意識が高い人が多い。

それは、常に新たな勉強をし続けているのか、ということに由っている。

若い人たちは、SDGsやCSR(企業の社会的責任)、
CSV(企業の事業活動を通じて社会課題の解決をはかる)等々の事例を勉強している。

それは、スタートアップの若者のイベントなどでのテーマやアイデアを見るとよくわかる。


人間関係も同じで、
自己中心的で自分のことしか考えなかったら、人間関係はうまくいくはずがない。

常に、相手の気持ちを汲(く)んでいるのか、人を喜ばせようとしているのか。


忠恕すなわち、「良心」と「思いやり」。

『「良心」と「思いやり」が人間関係のすべて』

という言葉を胸に刻みたい。

・・・

<参照>

すばやく一気に決する
note:西原宏夫(2025年8月10日)
https://note.com/hiroo117/n/n0016835b71ce

        <感謝合掌 令和7年12月23日 頓首再拝>

常に、後味のよいことを考える - 伝統

2025/12/25 (Thu) 11:02:46


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月25日)より

憎みを考えるものではない。
話題をそういう問題から常に避けるようにしなければならぬ。
常に、愛のことを、深切のことを、心に残る後味のよいことを
考えるようにしなければならぬ。

ピシリと相手をやっつけても、
そのあとで心が後味の悪さで苦しむようでは、
その相手に負けているのである。

勝つとは、後味までも歓べることである。

        <感謝合掌 令和7年12月25日 頓首再拝>

難癖をつける習慣をやめよう - 伝統

2025/12/28 (Sun) 11:50:15


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月28日)より

「勝てる」という自信はよいが、「負けまい」という焦燥は自分自身を殺すものである。
「勝てる」という自信はその人を寛大にし、「負けまい」という焦燥は人に難癖をつけて
不条理に蹂躙(ふみにじ)ろうとする。

難癖をつける心は、一方に相手の立派さを認めながら、それを強いて逆に蹂躙(ふみにじ)ろうと
するのであるから、その人の心中は自己葛藤に満たされる。

自己葛藤は自己自身を粉砕し、自己の人格を低卑にし、自己の健康を傷つける。
この場合、人格の低卑と健康と不良とは同意義である。

・・・

        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月29日)より

人々よ、今日(きょう)から他(ひと)に難癖をつける習慣をやめようではないか。

あなたがもし他(ひと)に難癖をつける習慣を改めるならば、
あなたの周囲がきっと前よりもいっそう輝き出すだろう。

世界が明るくなるであろう。
人々もあなたにまた難癖をつけることをやめるであろう。
世界が広々とした海闊明朗な世界になるであろう。
全体があなたを祝福し、あなたは今よりも幸福になるであろう。

呟く歌や悲しむ歌を雑誌などに書いている人を見るごとに、
わたしはその人をかわいそうと思わずにはいられないのである。

いたるところに眼を開けば光が充ち満ちているではないか。


   観終わり東(ひんがし)の空を見てありき燃ゆるがごとく雲流れけり

   太陽も大空も樹(き)も空も鳥もすべて生きてあり生かされてあり

            <感謝合掌 令和7年12月28日 頓首再拝>

神の心、太陽の心、親分の心 - 伝統

2025/12/30 (Tue) 09:53:14


        *「生命の實相」幸福篇下巻(12月30日)より

健康が心の中にあるのみではなく、財福もその人の心の中にあるのである。

親分の心になることが、自分自身の運命を親分にまで推し進める。
いつまでも子分の根性で功(こう)を同僚の間で争い、
眼を偸(ぬす)んで安らかさを希(こいねが)っているようなことでは、
その人の運命はいつまでも子分であるのであろう。

親分の心の最大なるものは、神の心である。

すべてを赦し、すべてのものを太陽のごとく照り、温(あたた)め、
みずからは光線と温熱と生命(せいめい)を投げ出すのみで、
敢(あ)えてみずからは求めぬのが神心(かみごころ)。

太陽の心。太陽の心。これが親分の心である。
かくのごとき人はよく衆(しゅう)を率(ひき)い
大いに伸びるのである。

            <感謝合掌 令和7年12月30日 頓首再拝>

【遊ぶように楽しむこと】 - 伝統

2025/12/31 (Wed) 09:29:17


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.8.30)より

   (臨済宗円覚寺派管長、横田南嶺氏の心に響く言葉より…)

   七日の午後は、 曹洞宗の藤田一照(いっしょう)さんにお越しいただいて、
   三時間にわたって坐禅のご指導をいただきました。

   もっとも印象に残った言葉が、「hard work から joyful play へ」でした。


   我々の修行は、「厳しい修行に堪えることだ」と長い間教わってきました。

   厳しい修行に歯を食いしばって堪えてこそ、
   何かが得られるのだと教わりました。

   しかしながら、元来仏陀の坐禅は、楽しくそして、遊ぶが如くという教えには、
   目を開かされる思いでした。


   私自身、この頃少しずつ坐ることの楽しみが分かりかけてきたところであります。

   ひょっとしたら、この修行が楽しいものではないか、
   坐禅はやはり安楽の法門ではないのかと、ようやく気付き始めてきました。

   仏陀が、長い間、瞑想の修行をしたり、苦行をしたりというのは、
   「hard work」であっ て、厳しいことに堪えて、
   何か特別の能力や成果を得ようというものでした。


   しかし、それらをすべて放下して、樹下(じゅか)に坐ったのは、
   「joyful play」だという一照さんのお話でした。

   お釈迦様のもとに、あれだけ多くの人たちが集まったのは、お釈迦様自身が、
   真に楽しんで幸せに満ちていたからだという説明をなされていました。

   一照さんご自身、ティク・ナット・ハン師について修行されていて、

   「Issho, smile! Practice should be enjoyable」
    (一照さん、ほほえみなさい。 修行は元来楽しいものです)

   と言われて気がついたと話されていました。


   私など、四十年以上坐禅してきて、ようやく気がついてきたところです。

   しかし、今二年ないし三年くらいしか修行しない人たちでも、
   単に「hard work」に堪(こた)えるだけではなく、
   少しでも坐禅の奥深さ、楽しさに気付いてもらい、
   「joyful play」に触れて欲しいと願います。

   楽しいことは、言われなくても進んでやってゆくものです。

   僧堂を出てから、坐禅しないというのではなく、
   坐禅が楽しくて仕方がないと、そのようになって欲しいと願って、
   お忙しい藤田一照さんにお越しいただいたのです。

         <『無駄骨を折る』草思社>

      ・・・

「joyful play」とは、禅の「遊戯三昧(ゆげざんまい)」と同じだ。

遊行者(ゆぎょうしゃ)のような生き方でもある。

この世の旅路を、遊行者のように、淡々と楽しみながら生きていこうと心がけること。

それは、人生を一つのゲームのように考えて、
「明るく、楽しく、面白がって」暮らすことでもある。


遊びには目的がない。

成功も失敗もなく、ただただ楽しいから遊ぶのだ。


山田無文老師は真の「遊戯三昧」の境地をこう教えている。

「働くことがそのまま遊びなんです。

 人のためにすることがそのまま遊びなんです。

 苦しい目に逢うこともまたそのまま遊びなんです」


我々は、この世に遊びにきたのだ、と思うこと。

それを、舞台でいうなら、
誰もが色々な役を与えられ、それぞれの役を演じる。

ときには、通行人だったり、商人だったり、殿様だったり、家来だったりする。


その役は、ご縁によって決まる。

どんな役を与えられても、その役になりきって、面白がって遊ぶこと。


「遊ぶように楽しむこと」

という言葉を胸に刻みたい。

・・・

<参照>
無駄骨を折る
臨済宗円覚寺(2025.05.28)
https://www.engakuji.or.jp/blog/39065/
(動画)
https://www.youtube.com/watch?v=WewIc1pJhT0


病は不自信の処にあり 2025/11/26
note:拙人(2025年11月26日)
https://note.com/shuzoman/n/n22d5d6ff508f

       <感謝合掌 令和7年12月31日 頓首再拝>

天鼓と曼陀羅華とで飾られたる天国 - 伝統

2026/01/03 (Sat) 11:09:22


       *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月3日)より

人生の唯一の目的は神の国をこの世に実現するということである。
神の国とは天人常に充満し、絶えず天鼓(てんく)の響きを妙(たえ)に、
摩訶曼陀羅華の花降る世界である。

天鼓(てんく)とは天の鼓ではない。
人間の人を賞(ほ)め讃える声である。

曼陀羅華とはインドにある華(はな)ではない。

華(はな)の笑(え)むように
和やかな微笑、深切な言葉、思いやりのある行ないが
天上から降る曼陀羅華である。

これら天鼓(てんく)と曼陀羅華とで飾られたる
妙(たえ)なる世界の姿が天国である。

天国とは別の世界のことではない。
われらの思いと、言葉と、行ないとの中にある。

           <感謝合掌 令和8年1月3日 頓首再拝>

善事をなすという習慣を続ける - 伝統

2026/01/05 (Mon) 09:43:50


          *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月5日)より

一日だけで、やりかけた善事を止めてしまうような者は、
何事も成功から墜落する。

つまらないことのようでも小さき善事を継続することによって、
その人の魂は進歩し、環境は天国化するのである。

一日ぐらい懶(なま)けてもいいだろうというような考えから、
善事をなす習慣をたった一日廃絶したことによって
堕落した人は世間にたくさんある。

昨日(きのう)きめた、
朝起きた時に家族一同に優しい言葉を朗らかな調子で
投げかけることを今日も続けなければならない。
そしてさらに進んでいっそうの善事をつけ加えることをしたい。

食膳で感謝することである。
食物の本源である神の生かす力に、それを造ってくれた百姓の労苦に、
それを調理してくれた妻・娘または召使にである。

食物はまずくとも決して小言を言わぬことである。
食物の小言を言ったために終日その家庭が不快になったような経験は、
人類の誰でもが持っていることである。

食物そのものよりも、心の愉快さと、空腹とが食物の味を増すのである。
遠足に行って食べる梅干と握り飯の美味しさを思えば、
このとこの真理は解る。

心が愉快でないときどんな食物もまずい、
まずいのは自分自身の心の罪であり、
料理をしてくれる他(た)の家族や召使の罪ではない。

空腹でないために、美味しくないのは、
習慣に捉えられて空腹でないのに食事をするためである。

精神的に進歩したい人は、朝食を廃して、
出勤前の2時間を善き読書に費やすがよい。
毎朝2時間の読書の習慣は、その人をかなり向上もさせれば、
博学多識にもする。

時間がないという者は、時間を造らない人のことである。
時間は、他の多くの道具などと同じく、
人間によって製造せられるものである。

           <感謝合掌 令和8年1月5日 頓首再拝>

仕事の秘訣 - 伝統

2026/01/06 (Tue) 10:22:09


      *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月6日)より抜粋

常に人の《ため》になる仕事、常に世の《ため》になる仕事、
たゆみなくかかる仕事に従事している人には魂の喜びが伴う。
仕事が無上の喜びとなり、仕事の中に休息と慰安とがある。

金(かね)を貰って働いている人も、
金を貰って働くと思えばその時から魂の喜びは消えてしまう。

金(かね)を頂くのは、
それが多いにせよ少ないにせよ神様から恵まれたものであると感謝し、
仕事は仕事で人のため世のためへの自分の魂の献(ささ)げ物であると思って、
人のために尽くすという喜びの中に仕事をするがよいのである。

かかる仕事の中からは不断の喜びが湧く。
金と仕事とを交換的に考えてはならぬ。

仕事はいかなる「金(かね)」よりも尊いものであるがゆえに、
仕事のために「金(かね)」を貰っているという考えが起こるや否や、
仕事の歓びは半減される。

仕事を常に支配すること。
仕事に支配されてはならぬ。
仕事を追い回すことは、仕事から追い回されない秘訣である。

仕事に予定を立てておいて、そのゴールまで突進するのは
仕事を捗(はかど)らせる良き方法である。

しかし、ゴールに到着しない日があっても焦(あせ)ってはならぬ。
一日の労は、一日の労で足りるのである。

常に働いていながら、その仕事が捗らないのは、
何か神の摂理(おぼしめし)があるのであろうと、
またそのことに感謝するがよい。

そこからいらいらした心持(こころもち)が
和(なご)やかになり、平和が魂に戻ってくるであろう。

急がず、たゆまずに進むのが仕事の秘訣である。

        <感謝合掌 令和8年1月6日 頓首再拝>

緩急自在な生活 - 伝統

2026/01/07 (Wed) 10:15:02


       *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月7日)より

常に仕事をすると言っても、緩急がなければならぬ。
緩急のない生活は、張り切ってばかりいる弓の弦(つる)のように、
次の矢をつがえることができぬ。

一張(ちょう)一弛(し)の交代によって弓の矢は的(まと)を射抜(いぬ)く。
張り切ってばかりいる弦(げん)はついに切れる。

さればといって、仕事をする時に懶(なま)けよと言うのではない。
弓を射るときには一心(しん)でなければならぬ。
仕事をするときにも一心でなければならぬ。

本当に張り切ったとき仕事は前に命中する。

仕事が終わるか、定められた休息の時間が来るか、家に帰って家族と
うち寛(くつろ)ぐ時が来た等のときには本当に打ち寛(くつろ)がねばならぬ。

仕事は渋面(じゅうめん)をつくるためにあるのではない。
仕事は喜びを感ずるためにあるのである。
仕事を渋面をつくるためにあるように思ったり、
渋面をつくらねば真面目でないと思ったりするのはまちがいである。

団欒のときには楽しくすることが一つの仕事である。
家庭の団欒が忘れられているがために、妻が不平を言ったり、家族が病気になったり、
良人が危険の淵に近づいてゆくことも考えねばならぬ。

人間は金を積んで走る馬車馬のために造られているのではない。

            <感謝合掌 令和8年1月7日 頓首再拝>

団欒と仕事との調和を考えること - 伝統

2026/01/08 (Thu) 09:51:10


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月8日)より

あまりに四角四面な余裕のない押しつめられた生活からは
幸福な生活は生まれぬ。

曲線と直線とが巧みに調和していなければ
美術でも生活でも美しくないのである。

団欒と仕事との調和を考えること、
あたかも美術家が曲線と直線との調和を考えるがごとくでなければならぬ。

            <感謝合掌 令和8年1月8日 頓首再拝>

八方正面の心境で自由自在に生きる - 伝統

2026/01/13 (Tue) 10:32:29


      *「光明道中記」(1月13日《八面玲瓏の日》)より

【心が柳の枝に雪折れなしの様な状態になったら神経衰弱が治りました。
                      (『生命の實相』第三巻)】

すべての人の立場を認めるとき、吾々は八方正面の心境に到達するのである。
八方正面とは隙がないことである。
凡ゆる立場に於ける相手の位置が、その儘に自分の心の中に映り来るのである。

すべての立場を認めることが出来ず、一つの立場のみを正しいと思い、
その立場にのみ心を執しているとき、その他の方面は全然隙だらけになって
打ち込まれてしまうのである。

あのことに熱中していましたので、つい忘れていましたと言うのは、
弁解にはならないのである。

剣も碁も兵法も商道も、すべての方面見て行き届かねば名人ではない。

如何に鋭くとも折れ易い刃は役に立たない。
人間は剃刀(かみそり)の如く鋭い一面も必要ではあるが、
柳の枝のような強靭性も必要である。

世の中は「硬(かと)う柔(やわら)こう、柔こう硬う、
円(まる)う四角う、四角う円う」
自由自在に生きなければならないのである。

仏教に通達するには無字の門関を透過しなければならぬ。
無字を透過するは、柳の枝の如く無抵抗に、そして
「我れ地に穏かを出さんが為に来れるに非ず、剣を投ぜん為に来れるなり」
と言った基督のように鋭くならん為である。

            <感謝合掌 令和8年1月13日 頓首再拝>

《その所に於いて生き切れ》 - 伝統

2026/01/15 (Thu) 08:40:10


       *「光明法語」(1月15日)より

すべての人は神の子であるから、
必ず何か特殊のその人でなければならない才能が宿っているのである。

その才能を伸ばしさえすれば必ず自己は幸福となり、世界も亦、
それによって幸福を得るのである。

その才能とは何であるか、自己に与えられている才能が何であるかが
自分に解らないときには、現在の仕事と環境に於いて、
自分の出来るだけの力を尽くして精出せばよいのである。

全て既に与えられている所のものを充分感謝してそれを生かせば、
必ずそれは真の自己の才能を伸ばす所の踏み台となり、第一歩となるのである。

           <感謝合掌 令和8年1月15日 頓首再拝>

《惰性的安定感に堕ちてはならぬ》 - 伝統

2026/01/16 (Fri) 09:29:57


         *「光明法語」(1月16日)より

新しい想念を入れることが出来ず、変化すべき時に変化に抵抗し、
新しき経験が自分の生涯に入(い)り来(きた)ることを拒む人間には
進歩はない。

この種の抵抗は前途に対する不安恐怖の念から来る。
今までやってきたことが一番安全だという
愚かしき固定概念に支配されているからである。

もしすべての人類がかくの如き固定概念に支配されていたとしたならば
この世界にも人間にもどんな進歩も発達も得られなかったのである。

現在の状態の崩壊することは悲しいことのように見えるけれども
それは却(かえ)って進歩と幸福への契機である。

           <感謝合掌 令和8年1月16日 頓首再拝>

【今を生き、祝う】 - 伝統

2026/01/18 (Sun) 11:09:25


      *Web:未知未来ワールド(2023年2月1日)より

(1)あなたは一瞬一瞬、自分の現実を創っているのです。
   あなたは自分の現実の創造者です。

(2)良いことを考えれば考えるほど、
   それはあなたの人生経験の一部となります。

   悪いことについて考えなければ考えないほど、
   それはあなたの人生経験の一部ではなくなるのです。

(3)人生の意味を知りたければ、自分の心を見つめ、
   自分自身でその答えを発見してください。

(4)人生とは自分を創ることであり、
   自分の欠点を指摘することではありません。

(5)私たちは皆、同じ量の可能性を持って生まれてきますが、
   その使い方は人それぞれです。

   ある人は他の人よりも創造的です。
   ある人は他の人よりも芸術的です。
   ある人は他の人よりも想像力が豊かです。

(6)この世界には、
   正しいやり方も間違ったやり方もなく、
   あるのは自分のやり方と他人のやり方だけです。

   どのように生きるかは、すべて個人の自由なのです。

(6)周りの世界を変えたいなら、
   まず自分の心を変えることから始めましょう。

(7)心の核心に迫り、その化学的・生物学的変化をもたらす
   唯一の方法は、瞑想なのです。

(8)執着することなく、
   心の中の過ぎ去る思考を観察することができれば、

   今まで経験したことのない喜びと至福があなたの中に生まれます。

(9)人生とは、すべてを完璧にすることではありません。

   人生とは、毎日の一瞬一瞬に喜びを見出し、
   その一瞬を最大限に生きることなのです。

(10)人生は、過去や未来に生きるには短すぎる。
   今を大切に、人生の一瞬一瞬を楽しんでください。

(11)人生で最も大切なことのひとつは、お祝いすることです。

   お祝いをするには、
   小さなことをお祝いに変えられることが必要です。

   自分の誕生、そして人生の中の小さなことでさえも祝おう。

(12)新しいことを恐れないようにしましょう。
   変わること、成長すること、花を咲かせることを恐れないようにしよう。

   人生のすべてを祝福し、美しくしていこう。

(13)今、自分の人生に前向きな決断をし、
   毎日を祝うことを始めましょう。

   あなたの日常を幸せにするものであることを祝ってください。

   お祝いの回数が多ければ多いほど、幸せが増えるのです。

(14)毎日をこの世で最後の日と思い、楽しむことが大切です。

   今日があなたの残りの人生の始まりなのです。

   祝おう。

           <感謝合掌 令和8年1月18日 頓首再拝>

心清き人になる - 伝統

2026/01/19 (Mon) 09:16:24


       *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月19日)より

心が清くなることを心がけよ。
衣裳や****(おしろい)で飾っても、心の清さには及ばない。

心を清くするには悪を思ってはならない。
特に他人(ひと)の悪を思ってはならない。
他人(ひと)の悪を思ったら、他人(ひと)の悪が入って来る。

これは「自分に深切でない」ことである。
心を汚(けが)すのが唯一の罪であり、唯一の穢(きた)ないことである。

それでも他人(ひと)の悪が自分の心の中へ毒薬のように入って来たならば、
その毒薬の害毒を避ける道は、赦すことである。

腹を立てたり、興奮してはならない。
その人が善に立ち戻ることができるように静かに祈り、
かつその人のために考えてやらねばならぬ。

         <感謝合掌 令和8年1月19日 頓首再拝>

深刻と暗黒とを混同するなかれ! - 伝統

2026/01/25 (Sun) 11:53:36


        *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月25日)より

悲劇は深淵であり、どん底であり、暗黒であるかもしれぬが、
悲劇を深刻だというのはまちがっている。

深刻とは深切と同じ意味の言葉であって、
人間の 魂 の深奥から湧き出でるところの、
深々とした生命(せいめい)の表現、叡智の表現、法愛の表現が、
深切であり深刻であるのである。

深切を親切などとまちがえて書かれている世の中であるから、
なれなれしく親しくするのが深切だと思っている人もあるが、
深切とは時として峻厳な統制であり、
仮借(かしゃく)することなき規律である。

人類の 魂 の《深》奥から《切》実に深々として湧き出でるかぎり、
どんな明るいものでも深刻である。

人類は深刻と暗黒とを混同する愚(ぐ)から避けねばならぬ。

           <感謝合掌 令和8年1月25日 頓首再拝>

心朗かに、日に日に進歩する - 伝統

2026/01/30 (Fri) 09:55:24


       *「光明道中記」(1月30日《美点を見る日》)より

【憂欝になって来た時哄笑(こうしょう)を爆発させよ、
 之(これ)が健康と若さを保つ秘法である。(『生命の實相』第十一巻)】

心朗かになる道は、世の中に悪と云うものが
決して存在せぬことを根本に知ることである。

一局部だけを見ずに大局を見る。
短かい眼を以て見ずに長い眼を以て見ることである。

冬のうちに春の兆(きざ)していることを知ることである。
陰極は必ず陽転することを知ることである。

心朗かになる道はすべての人を赦すことである。
憎しみを放ち去ること、憤(いきどお)りを含まぬこと。
すべての人の美点を見ること。

相手の立場に自分を置いて考えること。
気にくわぬことは忘れること。
呟(つぶや)かぬこと。罵(ののし)らぬこと。

みずから立ちて我れに無限力ありと思い返すこと。
他と協力するのは好いが、こちらが弱者的角度から同情を請わぬこと。

人生の戦いはその人の執(と)る生活の角度で最初にきまるのである。

負ける人は常に負ける角度から出発し、既に負けているかの如く呟き、
既に負けているかの如く左顧右眄(さこ うべん)し、
既に負けているかの如く人に依頼し、依頼心を裏切られたと言って
嘆き悲しみ呪い呟く。

呟くひまに、呪うひまに、悲しむひまに、嘆くひまに、
日に日に進歩する者はついに勝利するものである。

        <感謝合掌 令和8年1月30日 頓首再拝>

時処相応の真善美の生活 - 伝統

2026/01/31 (Sat) 10:10:57


          *『生命の實相』第三十七巻幸福篇上(1月31日)より

事件に巻き込まれてはならない。
また時処(じしょ)に超然としてもならない。
生命(せいめい)は時処を超越しながら時処の中に美しき華を開く。

「真(しん)」は時空の外に超越している存在であるが、
「善」と「美」とは真(しん)が時処(じしょ)相応(そうおう)を
得たときにあらわれる。

「二二ンガ四」は「真(しん)」であるが、
「三三ンガ九」が必要な時処(ときところ)に
「二二ンガ四」が出て来たのでは時処相応でないということでそれは悪である。

数理の「真(しん)」の世界には無限の数の組合せがあるが、
そのうちで時処相応はただ一つである。

生命(せいめい)の「真」の世界においても
無数の生命(せいめい)の行き方があるが、
その中で、ただ一つだけ「時処相応」がある。

常に「時処相応」の生活をしている人は生活の名人である。
われわれはこの生活の名人になるべく常に心がけたいものである。

常に神の叡智の導きに耳を傾けよ。
そこから本当の時処相応の真善美の生活が顕われてくるのであろう。

        <感謝合掌 令和8年1月31日 頓首再拝>

【笑顔が招く福 】 - 伝統

2026/02/03 (Tue) 08:29:21


       *メルマガ「心の糧」(2025.9.29)より

(1)笑顔だと良いことがいっぱいあります~7選

  ①笑顔だと人に好印象、温かな雰囲気を与えられます。

  ②人から笑顔をもらうと、喜びが生まれます。

  ③互いに笑顔だと、人間関係が良くなれます。

  ④笑顔だと気持ちが明るくなります。

  ⑤笑顔で仕事をすると楽しくなります。

  ⑥笑顔だと健康にもいいです。

  ⑦笑顔だといい人やいい仕事に恵まれます。


(2)笑顔は最高の美容法

  ①笑顔があなたの最高の美しさを引き出して、
   笑顔があなたを若々しくします。

  ②「一笑一若一怒一老」

   一つ笑えば一つ若くなり、
   一つ怒れば一つ老いるのです。


(3)笑顔の心「12か条」

  ①「はい」と素直に言える笑顔の心

  ②「ありがとう」といつも言える笑顔の心

  ③「ごめんなさい」「すみません」と
   頭をさげる笑顔の心

  ④「よかったですね」と喜びあえる笑顔の心

  ⑤「がんばります!」と前向きに言える笑顔の心

  ⑥「お願いします」と信じて言える笑顔の心

  ⑦「おかげさまで」と感謝できる笑顔の心

  ⑧「会えてよかった」と感動できる笑顔の心

  ⑨「がんばりましょう」と励ましあえる笑顔の心

  ⑩「だいじょうぶ」と受けとめられる笑顔の心

  ⑪「うれしいです」と感激できる笑顔の心

  ⑫「よかったなあ」といつでも喜べる笑顔の心

        <感謝合掌 令和8年2月3日 頓首再拝>

《自分の立場を捨てること》 - 伝統

2026/02/05 (Thu) 10:29:47


           *「光明法語」(2月5日)より

自分の立場だけを考えては可かぬ。
人には色々の立場があり、その立場に立って思い、考え、
感じ、悲しみ、苦しみ、喜んでいるのである。

彼の立場に立って同喜同悲してやるのでなければ本当に愛深いという事は出来ぬ。
愛とは自分の立場に立たず、彼の立場に立って、彼のために考えてやることである。

「汝みずからの如く汝の隣人を愛せよ」とのイエスの聖訓はまさにこの事に他ならない。

『甘露の法雨』を読んでも神想観をしても治らぬ病人で
「自分の立場を捨てよ、頑固に自分を主張する心を捨てよ」と
教えられて治った人もある。

        <感謝合掌 令和8年2月5日 頓首再拝>

どんな事が起っても小言を言わず、小言を思わない - 伝統

2026/02/06 (Fri) 10:42:49


         *「光明道中記」(2月6日 一切に感謝謝する日)より抜粋

【天気に小言を言うな。すべてについて小言を言うな。小言はすべて暗い気分を招く。
 暗い気分は病気と不景気のもとだ。(『生命の實相』第十一巻)】


「あなたは心に不平を持っているから、それを直さなければ、
その病気は治らないでしょう」と、
道場へ来た人に助言してあげることがある。

すると「私は決して不平など心に持ったことはありません」と答える人が多い。
そう云う人は、自分の心に反省がないのである。

負債があるのに負債のあることに気附かず、
借金があるのに借金をしていることに気附かぬ人である。

そんな人は恐らく借金を払おうとしない人だろうし、
自分の悪癖(あくへき)を直そうとしない人で、
最も始末に了(お)えない種類の人間である。

そんな人が道場から帰る時間になって雨でも降って来たなら直ぐ
「チェッ雨が降って来て弱った!」と言って
天気の小言を言う現場を度々見せられているのである。

不平を持たぬ心とは、どんな事が起っても小言を言わぬ、小言を思わぬ心である。

            <感謝合掌 令和8年2月6日 頓首再拝>

【笑顔を心がける】 - 伝統

2026/02/07 (Sat) 10:18:01


     *メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.10.1)より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   笑顔のない人って、本当に損をするんです。

   人の話を笑顔で聞き流せば、
   相手の言うことを聞かなくても絶対に嫌われない。

   ところがブスっとしていると、たちまち
   「嫌な人」「自分勝手な人」「ガンコで融通のきかない人」っていう
   印象になって嫌われるからね。


   例えば会社を辞める時だって、ブスっとしながら辞めるより、
   最後まで笑顔の方がいいに決まっています。

   たったそれだけで、「惜しい人が辞めちゃったね」って思われるの。

   仲間からいい波動をもらいながら辞めるのと、
   「嫌なやつがやっと辞めてくれた」っていう
   ネガティブな波動をもらいながら辞めるのとでは、
   あなたのその後の人生にだって関わってくるよ。


   いい波動をもらいながら辞めた人は、次の会社でも絶対にうまくいきます。

   反対に、嫌な波動をもらいながら辞めた人は、
   その後どんな仕事をしようとうまくいかないだろうね。

   うまくいかない人に限って
   「会社を辞めると言ったら、みんなに意地悪された」とか
   被害者じみたことを言うんだけど、本当はそうじゃないんです。

   会社を辞めるから嫌われたわけじゃなくて、
   あなたが人に嫌われるような表情や言葉、態度をとったからだよ。


   だって、会社を辞めると言っても、最後まで惜しまれる人もいるでしょ?

   どんな時でも、感じよく笑顔を心がけるの。

   たったそれだけのことで、人生は激変するんだ。

          <『楽しんだ人だけが成功する』PHP文庫>

          ・・・

笑顔でいるといいときは、会社を辞めるときだけではない。

たとえば・・・

【初対面のとき】 

さわやかな笑顔で会ったら「感じのいい人だな」と、第一印象が違う。


【人にお願いするとき】 

笑顔でお願いされたら、面倒なことでも
「仕方ないな」と思っても協力してしまう。


【別れの場面で】  

卒業や、引っ越し、転勤、等々色々な別れのシーンがある。
ここで笑顔があるかどうかで、相手の心に残る印象は違う。


いい笑顔は「また会いたいな」という余韻を残してくれる。

他ににも「コンビニで会計のとき」「家族に朝の挨拶をするとき」
「友人にありがとうと言うとき」・・・


笑顔でいることは、あらゆる場面で、その人の印象をよくする。

「あたたかい人」「優しい人」
「おだやかな人」「信頼できる人」
「感じのいい人」・・・そんな魅力がある人。


どんな時も、笑顔を心がける人でありたい。

・・・

<参照>

『楽しんだ人だけが成功する』
ワケミタマ【斎藤一人さんの言霊】( 2023/04/13 )
https://www.youtube.com/watch?v=4EBQGZ4760U

0:00 はじめに
0:07 楽しさが足りてない
1:43 人が生まれてきたのは楽しんで幸せになるため
5:58 幸せになるためには楽しい波動を出すこと
10:26 成功するには『遊び』が必要
13:57 思い次第で現実は変わる
16:46 みんなが幸せに生きる世界へ

         ・・・

斎藤一人】楽しんだ人だけが成功するが本当だった件!
実践してみた!!笑
しもやん隊長TV(2020/01/14)
https://www.youtube.com/watch?v=LS-4apNCdq0

         ・・・

【人生うまくいく方法!!】
"斎藤一人 楽しんだ人だけが成功する"
ハッピー研究所( 2021/12/24 )
https://www.youtube.com/watch?v=fZSQYQfRDL0

         ・・・

成功するのに苦労は入りません!
人生を楽しむ秘訣11選!
YouTube図書館(2021/11/23)
https://www.youtube.com/watch?v=cBm4O23e5XI

00:00 オープニング
01:19 自分らしくいることが1番幸せ
02:34 人から信頼される秘訣は遊び
04:18 豊臣秀吉がモテたくて天下を取った
06:24 好きを極めた人が一流になる
08:19 軽く考える人が成功する
09:47 一人さんは財布を落としても何とも思わない
10:52 実証のないものは間違い
12:42 成功したら目立つのは当たり前
13:16 お金の勉強は3歳から始めていい
14:41 まず幸せになってから行動する
16:58 遊びを1つ足せば仕事は面白くなる
17:53 まとめ

       <感謝合掌 令和8年2月7日 頓首再拝>

【ガンバルより楽しむ!】 - 伝統

2026/02/09 (Mon) 11:31:27


     *メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.10.4)より

   (山崎拓巳氏の心に響く言葉より…)

   以前、野生のイルカと泳ぐ、ドルフィンスイムの達人から
   聞いた話を思い出しました。

   はじめて泳ぐ人は、何がなんだかわからず
   イルカと遭遇し、大いに楽しみます。

   二回目の方は楽しさを知っていますから
   「イルカよ!来て!」と強く思うわけです。


   その「一緒に泳ごう! また楽しませて」
   という気持ちは人間のエゴです。

   そういった人間のエゴが伝わると、
   イルカはけっして近づいてこないんです。


   それでは、どうするかと言えば、

   「こんな泳ぎ方しておもしろいッ!」とか
   「下から上を見るとすごくきれいッ!」というふうに、
   自己完結した喜びの中に入るのです。

   誰かに与えられる喜びではなく、
   自分で自分自身を楽しませる。

   そうやって遊んでいると、イルカは
   「なんだ? なんだ?」とやってくるらしいのです。


   求めてしまうと、近づいて来ないけど、
   求めないで遊んでいると、
   「一緒に遊ぼう」という感じで近づいてくるのです。

   この「イルカの法則」を、
   はじめてのフライフィッシングのときに、
   自然と使っていたのかもしれません。

   「魚よ、来い来い」ということを強く思うのではなく、

   「竿を振っているだけでも楽しいなぁ」と思っていると、
   魚がやってくるのではないかという仮説です。


   魚に逃げられても、楽しい。

   釣れなくても、楽しい。

   こうやって自然の中にいるだけでも、楽しい。


   魚を釣りたいという目標(目指すこと)はあるのですが、
   絶対に釣ってやるという執着(執着すること)は手放しました。

   それが良かったのか、見事3匹も釣ることができました。

   魚さん、ありがとうございました。



   自分の生き方としても、
   「目指すこと」と「執着すること」の違いを
   理解しておかないといけません。

   自分がどうありたいと「目指す」のはいいけれど、
   「執着を持ち始める」と生き方の選択肢を間違ってしまいます。


   執着をなくした努力!

   快楽すら感じるチャレンジ!


     <『世界一やさしい 成功法則』知的生き方文庫>

       ・・・

夢や目標というのは、ある意味
「自分の欲望」や「エゴ」だともいえる。

だからこそ、人はその夢や目標達成しても満足せず、
「もっともっと」と求め続けてしまう。

その結果、人生の途中経過を楽しまず、
ゴールだけを追いかけてしまう。


でも、人生は旅でいうならその道中を楽しむもの。

夢や目標はあってもいいが、
それに執着してしまうと不機嫌になり、苦しくなる。

むしろ、夢や目標は、本当はなくてもいいかもしれない。


目標至上主義者は、夢が手に入ったら楽しいが、
そうでなければ楽しくない、だから、
達成するまでは耐える、我慢する、となる。

結果、道中を楽しめない。

しかし、大事なのは、「今、この瞬間をどう楽しむか」。


楽しんでいる人には、まわりに人が自然と集まってくる。

反対に、つらそうな人のところには人は寄ってこない。

たとえば、商店街の後継ぎ問題も同じ。

両親が楽しそうにお店を営んでいなければ、
子どもが「後を継ぎたい」と思うはずがないからだ。

親が仕事中、深刻な顔して、不機嫌で、
辛いオーラを出して、まわりに愚痴ばかり
言っていたら、子どもは絶対に寄りつかない。

楽しくない努力やガンバリは続かない。


「ガンバルより楽しむ!」

という言葉を胸に刻みたい。

       <感謝合掌 令和8年2月9日 頓首再拝>

《一寸でも愛に反(そむ)く行為をするな》 - 伝統

2026/02/10 (Tue) 10:04:08


           *「光明法語」(2月10日)より

ベージル・キング氏はその著書のなかで、
人の見ないところでも一寸でも不深切な行為をすることを全然やめた時に、
自分の資産が著しく増加することになったと云う事を書いている。

これも「天地一切のものと和解した」ために
神の愛の流れに入口をひらいた為であると言い得る。

キング氏は

「神と自分との間にある通路は、
 實に何でもないとおろそかにする小事によって
 塞がれてしまうことがある。

 一寸したズルい行為。
 一寸した不深切な嘲笑。
 一寸した世間話。
 一寸した酷評。

 すべて一寸した愛にそむく行為によって」

と言っている。

          <感謝合掌 令和8年2月10日 頓首再拝>

責任を喜ぶ日 - 伝統

2026/02/11 (Wed) 09:58:25

           *「光明道中記」(2月11日)より

【罪を他に帰するは、自分を土偶(でく)人形にすることである。
                 (『生命の實相』第二巻)】

責任回避は生長の家の生き方とは大凡(おおよそ)反対のものである。
宗教的生活とは、すべての結果に対して
其の原因を自分に反照して自分自身を浄(きよ)める生活である。

自分が若し他から害を受けたことを承認するならば、
それは既に自己が弱者であることを自己確認したのである。

そして自己が弱者であることを自己確認する位ならば、
他から害を受けたことに就いて呟くことなかれ。

弱き者は結局他から害を受けるほかはないのであるからである。
若し汝が弱者であるならば、原因を他動的なものに帰してはならない。

若し自身が不幸であるならば、
自己を傷つけたものは自分のほかにないと自分自身に語れ。

いずれにしても他を恨み、
他を憤(おこ)るべき理由は一つもないのである。

最大の優強者は自己を以て宇宙の一切の事物に責任ある者だと
自覚を持つ聖者である。

世の中の人々が、まだ全部、光明思想によって救われ切らないのは、
自分の罪だと私は言いたい。

        <感謝合掌 令和8年2月11日 頓首再拝>

《後ろから卑怯に斬るな》 - 伝統

2026/02/12 (Thu) 10:17:08


           *「光明法語」(2月12日)より

本人のいない前で悪口を言うのは実に卑怯な行為である。
若し相手が悪いのならば本人に直言すべきである。

若し相手に悪がないのに虚構して悪口するのであれば尚一層卑怯である。
誰も警戒していないのに後ろからバッサリやるのは昔から“悪ざむらい”の所行である。
本人のいないところで悪口言うのは後方からバッサリ斬るのと同じことだ。

そんな行為は常に自分と神との間を遮断するものなのである。

そんなことは愛深き神の波長と会わないのである。

幸福になろうとする者は人の美点を賞めることから始めよ。

          <感謝合掌 令和8年2月12日 頓首再拝>

とげとげしい心を捨てるには - 伝統

2026/02/15 (Sun) 10:02:47


        *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月15日)」より

どんな美しいバラの花でも、その棘に触ったときにはハッと驚いて捨てられる。
人に嫌われるのは心に棘があるからである。

これだけ立派な仕事をしているのに人が自分を遠ざけるというような人は、
これだけ美しい花が咲いているのになぜ人が自分を捨てるのだろうと、
みずから疑うバラの花のようなものである。

とげとげしい眼、とげとげしい言葉、とげとげしい行動、
その一つ一つを抑えようとしてもなかなか直るものではない。

まずとげとげしい心を捨てなければならぬ。
とげとげしい心を捨てるには「とげとげしい心」を
アリとして抑えてもなかなか直るものではない。

暗は暗をいくら押さえてみても消えるものではない。
暗を消すには光を持ってくるにかぎる。

とげとげしい心が自分にあると気づいたら、その反対を持って来るのである。
「自分は優しい優しい人間であって、とげとげしいところはちょっともない」と、
その反対の念を自分自身にいって聞かせればよいのである。

           <感謝合掌 令和8年2月15日 頓首再拝>

凋落の兆し - 伝統

2026/02/20 (Fri) 11:01:14


        *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月20日)」より

伸びることを忘れた時に凋落が始まる。

樹木を見て、その真理を悟れ。

            <感謝合掌 令和8年2月20日 頓首再拝>

【矛盾を生き切る】 - 伝統

2026/02/21 (Sat) 08:45:20

     *メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.10.12)より

   (行徳哲男師の心に響く言葉より…)

   《人は過ちを犯すからこそ、見えてくるものがある》


   一見真面目、一見律儀、 一見実直な人間たちの持つ偽善性を
   私は山ほど見てきた。

   それは見せかけなんだ。

   綺麗な言葉が飛び交って、
   やたらと人を褒め上げたりする八方美人にすぎない。

   その人間たちがまとっている真面目さという仮面を剥いだら、
   そこに出てくるのは卑怯さ、冷たさ、小賢しさだ。


   それを教えてくれたのがカール・ヤスパースという
   二十世紀を代表するドイツの歴史哲学者ですよ。

   彼が日本に来て京都・広隆寺の弥勒菩薩を見てなんと言ったか。

   「存在する人間の最高の姿を表したものだ」と言ったんだ。


   彼は長年にわたって世界の彫刻作品を見て回ったけれど、

   「弥勒菩薩に優る美しさと気高さを備えた作品は世界のどこにもなかった。
    この姿こそが人間が達し得る最高の美しさだ」

   と評した。

   そして、そのあとに続く言葉が素敵なんだ。


   「過ちを犯した人じゃなかったら、この美しさと気高さは表現できない」

   と断言したんだね。

   思わず唸った。
   ヤスパースらしいなんとも深い言葉だね。

   ますます煩悩や過ちを犯して 生きても大丈夫なんだという気になるよ。


   いろいろ失敗したり、つまずいたりしたときには、
   僕はすぐ弥勒菩薩のところに行く。

   弥勒菩薩を見たら落ち着くんだ。



   相田みつをさんじゃないけど、
   つまずいたっていいじゃないか。

   失望して、ときには自ら命を絶ちたいほどの気分になっても、
   それが人間なんだから。


   世界に禅を知らしめた鈴木大拙先生は無心ということを言われたけれど、
   現代人は頭がいいからなかなか無心になれない。

   そして、なんでも整合しようとする。

   整合しようとするところから人間の偽善や欺瞞が始まっているんだ。


   矛盾は整合するものじゃない。

   大拙先生も矛盾を整合するなと言っている。

   人間は矛盾だらけを生きてこそ人間なんだ。


   矛盾の中にしか真実はないよ。

   矛盾を生きることが真実を生きることだ。

   それなのに我々現代人は矛盾を整合しようとする。

   そこから偽善と欺瞞が始まっている。


   「言っていること」と「やっていること」は全て合致するものではない。

   それを整えようとすると、そこに作為が入る。
   すると人間が人間から乖離してしまう。

   乖離しないためにはとにかく矛盾を生きること。


   いや、矛盾を生きるだけではダメだな。

   矛盾を生き切らなきゃ。

   「嘘つき」と言われようが嫌われようが、そんなものは相手に任せればいい。


   現代人は他人が自分をどう見ているかばかり気にしている。

   だから、人に見せる自分をつくってしまって、
   その結果、自分が本当の自分じゃなくなっている。



   「汝の道を行け、しかして、あとは人の語るに任せよ」

   とダンテは言っているよ。

   人から「嘘つき」と言われて、
   なんでそんなことにこだわらなきゃいけない?
   囚われなきゃならない?
   どうせろくなことは言ってないでしょう。

   そんな人間に気を配る必要なんてない。


   なんでこちらがそっちへ寄せて行かなきゃならないんだ。

   そんなのは向こうの勝手に任せておけばいい。

     <『強いメンタルをつくる「人生の授業」』致知出版社>

         ・・・

以前、以前属していたある会で、
京セラの稲盛和夫会長と対談したことがあった。

そのとき、お聞きしたことがある。


「塾長は、いつも愛とか、きれいな心とか、善とかおっしゃってます。

 しかし、片方で、経営者として、
 非常に厳しい、ある意味冷酷とも思える決断もなさっています。

 その一見矛盾したことをどうお考えですか」


すると、稲盛塾長は、「うーん」と言って、1分くらい黙ってしまった。


「それは、すさまじい質問だ。

 私も、時々、精神的におかしいのではないかと思うこともある。

 しかしながら、一見矛盾する相反することを、
 いとも平然とやってのける人のことを名経営者というのだと思う」



我々は、

「謙虚でありたい」と言いながら、
「心の奥では認められ、脚光をあびたい」と望む。

「与える人でありたい」と願いながら、
「どこか見返りを求める」自分もいる。

「不断の努力が必要だ」と思いながら、
「少し怠けたい」と思ったりもする。

「偉そうな人や傲慢な人」を嫌いながら、
「時々、威張ったり、横柄」になったりもする。


「矛盾を生き切る」という言葉を胸に刻みたい。

・・・

<参照>

人間の“深さ”を、取り戻したい!
note:しんか(2025年6月6日)
https://note.com/honest_ibis4990/n/n811a44c96705


一にも二にも行動!
note:西原宏夫(2025年10月12日)
https://note.com/hiroo117/n/n5a1208d77837

徳とは無類の明るさ
note:西原宏夫(2025年6月6日)
https://note.com/hiroo117/n/n3a7aa39c8da5

         <感謝合掌 令和8年2月21日 頓首再拝>

【 つねに、プラス面を見る人】 - 伝統

2026/02/24 (Tue) 08:56:35


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.10.26)より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)


   《どんな出来事にも、プラスに見えるところと
    マイナスに見えるところが同居している。

    プラス面を評価するようになり、 ものや人の見方が変わると、
    多くの人が笑顔で近づいてくるようになり、「奇跡」がたくさん起こる。》



   かつて台風で青森県のリンゴの9割が落ち、
   741億円もの壊滅的な被害を生じたことがあります。

   ところが、その中に1人の変わった人がいました。

   多くの人が落ちた大量のリンゴを見て悲しんでいるのに、その人は1割の
   “落ちなかったリンゴ” をなんとかしようと考えました。

   そして、「落ちないリンゴ」の名で販売し、
   1個1000円にもかかわらず、受験生などに飛ぶように売れました。


   どんな出来事にも、つねにプラス面とマイナス面があります。

   私たちは現象が持つ肯定的な面に目を向けてもいいのです。

   「人生にトラブルが多い」と言う人もいますが、
   それは人や出来事のマイナス面ばかりを見ていて
   批判的になっているからかもしれません。


   一方で、物事を好意的に、プラスに見始めると、
   それほどいやなことに囲まれているわけではないことに気づきます。

   物事をプラスに見るようにしていけば、
   その人が発散する“気”もとげとげしくなくなりますから、
   多くの人が近づいてきます。

   頼まれることも多くなり、笑顔で話しかけられることも多くなり、
   人生は楽しくなります。

   その結果、「奇跡」も起こるようになっていきます。


       《すべてを受け入れる考え方》

       <『心を軽くする言葉』イースト・プレス>

           ・・・

世の中には、マイナス面ばかりに目が向いている人がいる。

特に、ネット上の批判や中傷がほとんどそうだ。

相手を否定し、汚い言葉で罵声をあびせ、人の心を傷つける。


肯定的な人は・・・

「ものごとの良い面を見つけるのが上手な人」

「人を批判しない人」

「“おかげさま”と“感謝”多き人」

「ニコニコ笑顔の人」

「ゆるしと受け入れる心多き人」


何でも否定したり、批判したり、ケンカ腰で生きる人は、どこか暗い。

しかし、どんな場面でも肯定から入る人は、明るくて笑いがある。

そして、人から好かれる人気者だ。


ものごとを「好意的」に見ること。

そこに「希望の光」を見ること。


つねに、ものごとの「プラス面」を見る人でありたい。

・・・

<参照>

心を軽くする言葉(イースト・プレス)
第2章すべてが腑に落ちる「ものの見方」・力を抜く・落ち着く理由・
3つの負の感情・神の領域・念を投げかける朗読してご紹介。
株式会社SKP(2026.2.24)
https://www.youtube.com/watch?v=27hBwJYLLFQ&t=26s

          <感謝合掌 令和8年2月24日 頓首再拝>

【人の値打ちは明るさで決まる】 - 伝統

2026/02/25 (Wed) 08:16:10


      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2026.2.3)より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   ●《人の値打ちは明るさで決まるんだよ》

   どれだけ資産があるか、どれだけ成功しているか、
   どれだけの地位や名誉があるのか、どれだけのファンがいるのか、
   そんなことで人の価値を決めていないかい?

   一人さんから見ると人の値打ちはそんなの関係ない。

   一人さんのことも、
   「納税額日本一になったから尊敬している」という人がいるけれど、
   俺の価値はそこではないの。


   俺は、他にはいないだろうってぐらい明るいの。

   たとえ暗いことがあったとしても明るいんだよ。

   それが俺の魅力だし、値打ちなんだ。

   明るい思いが、人の価値を決めていく。

   一人さんはそう思っているんだ。


   ●《目指すは「真面目で軽い」そんな人》


   今の時代、真面目なだけじゃ勝つことはできないの。

   真面目な中にも明るくて、ちょっと軽いほうが、
   1つ上に行くことができるんだよ。

   明るくて軽い人は、肩に力が入らないから、
   実力以上の力を出すことができるの。


   甲子園だって、坊主にしない学校も優勝できるようになっているだろ?

   今は高校球児だってカッコいい、軽いほうがうまくいくんです。

   真面目過ぎなくていいんだよ。

   結果が出ないなら、少し軽さをプラスしてごらん。

       <『斎藤一人 超 一日一語』ぴあ>

        ・・・

●明るい人のまわりには、明るい人が集まる。

いつも機嫌がよくて、明るくて、笑ってばかりいるような人たちだ。


逆に、暗い人のまわりには、暗い人が集まる。

いつも不機嫌で、暗くて、反対したり、文句ばかり言っているような人たちだ。


明るい仲間がいる人は幸せだ。

人生はどんな仲間と一緒にいるかが大事だからだ。

楽しくて、明るくて、いつも機嫌のいい仲間。


だから・・・

《人の値打ちは明るさで決まる》




●明るい波動を出す人は、楽しい波動も一緒に出している。

だから、一緒にいると楽しい。


「あかるい」とは、「あ、軽い」だ。

何でも重く、重く考える人は明るい波動を出すことができない。

重く考えれば考えるほど、
気持ちは晴れ晴れとせず、「どんより」してくる。


安岡正篤師は「徳とは無類の明るさのことである」と言われた。

明るく、人好きで、世話好きで、人に尽くすことができる人。

それが徳のある人。


《目指すは「真面目で軽い」》

という言葉を胸に刻みたい。

・・・

<参照>

【斎藤一人…2/3節分までに見て!】
2月3日の節分から2026年のエネルギーに
切り替わります。
【斎藤一人】ありがとうch(2026/01/31 )
https://www.youtube.com/watch?v=Ot0mlMm6vFo

           ・・・

【斎藤一人】「年を取らない話」「脳に天国言葉を入れる」
「おかしい」
神様ありがとうsounds(2025/09/25)
https://www.youtube.com/watch?v=tOfHFIU0HpI

           <感謝合掌 令和8年2月25日 頓首再拝>

十分合理性を持たせて事件を落着させることが大切である。 - 伝統

2026/02/26 (Thu) 11:10:48


          *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月26日)」より

腹を立てることと、相手に対して悪意を抱くことは相手を殺すことになる。

今日(きょう)、中島さんが入って来てこんな話をした。
○○電気局長のN氏、ある婦人と婚約したが、
しばらくの後その婚約した婦人のところへN氏から送られて来たものは、
N氏がすでに別の婦人と結婚したという通知のハガキであった。

あとで聞いてみると、さきの婦人はその時ハッと思っただけで
深く怨みに思ったわけではなかったというが、ともかく重大な問題について
約束を破られたのであるから、強い衝動を受けたということは明らかである。

それからが問題である。――

爾来、N氏の結婚生活は不幸であった。
N氏の新妻は常に病気で、ほとんど健康な日とてはなかった。
その間に一人の女児を儲けたが、
N氏の家族は妻の病気のために不快な日がつづいた。

N氏が三回目に逓信省の辞令によって洋行したとき、N氏はどういう考えだか、
その夫人との13年間の結婚生活を解消すべく離縁状を送った。

夫人が結婚生活以来13年間の病気は、その結婚解消と同時に
たちまち完全に治ってしまったのであった。

N氏は今また別の婦人と夫婦生活を営んでいるが、
常に夫婦喧嘩の絶え間がないそうである。
中島さんの話はこれだけである。

あとはわたしの感想である。

第一の約束は先取的特権として最高権威をもち、
ぜひとも守られるべきものである。

守らないくらいならば、
イエス・キリストも「誓うなかれ」といったように
約束すべきではなかったのである。

やむをえずに約束を破らねばならぬようになったならば、
一片の葉書などで破約すべきではない。
先方が大調和の心持で快諾するまで十分話し合って、
心残りのないように十分合理性を持たせて事件を落着せしむべきものである。

最初の約束を破って、N氏が結婚した二人目の夫人が始終不健康であったのは、
最初の婦人の恨みの念が、二番目の婦人を縛っていたのだとも解することが
できるのである。

あるいはN氏自身の自己審判の潜在意識が夫人に移入して
夫人が13年間も病気していたのだとも解せられる。

ともかくとうとうN氏は二番目の婦人を去ることによって、
最初に約束をしたその婦人に申し訳をしたのである。

言葉で十分相手に申し訳をして潜在意識がその行為の合理性に
納得せしめられていたならば、生活や行為に不幸な現象を現わして
最初の夫人に申し訳する必要はなかったに相違ないのである。

           <感謝合掌 令和8年2月26日 頓首再拝>

《自分を見苦しく広告してはならない》 - 伝統

2026/02/27 (Fri) 10:25:51


《広告はサービスである》

           *「光明法語」(2月26日)より

広告をよくすれば品物が売れると云うのは、広告は一種のサービスであるからである。

若し広告が出なければ何処にどう云う品物を売っているか気がつかないので、
人間は無駄に処々方々を尋ねまわって所要の品を探さねばならない
その苦労を少なくしてやる働きが広告なのである。

広告を自己宣伝の利己主義的なものだと思っている人は、
広告をしても下手に広告をするだろうし、人もそんな広告を見て心はひかれはしないのである。

お客様のためと思ってする広告こそ人を魅(ひ)きつける力がある。

・・・

《自分を見苦しく広告してはならない》

           *「光明法語」(2月27日)より

吾々の生活は一言一行が広告である。
それは「此処にこんな人がいる」と云うことを広告して歩いているのだからである。

怒りっぽい人は「此処にこんな怒りっぽい下らない人間がいる」と広告をしているのだし、
ニコニコした人は「此処にこんなニコニコした人がいる」と広告しているのである。
膨れっ面は、不平な人を広告しているし、泣き面は悲しい心持を広告しているのである。

何のために諸君はそんなに自分の見苦しい面ばかりを広告してあるくのか。
それは人生を見苦しくし、諸君自身の値打を下げる。

           <感謝合掌 令和8年2月27日 頓首再拝>

今、目前の仕事にサービスせよ - 伝統

2026/03/01 (Sun) 11:26:48


           *「光明法語」(3月1日)より

若し諸君に職業が見つからぬならば、金を得る仕事だけを職業だと思うな。
諸君の前に偶然あるところの何の仕事にでも(便所掃除でも、カド掃きでも、
障子硝子拭きでも)報いを求めることなしに奉仕せよ。

これが無条件に与えると云うことである。
やがて其処から諸君に最も必要にして適切なる仕事を得る
緒(いとぐち)が得られるであろう。

神は決してケチではないのである。
人間が与えることにケチなのである。

そして入り口をひらかないものだから神の恵みが流入しないのである。

           <感謝合掌 令和8年3月1日 頓首再拝>

自己の使命感を生かせ - 伝統

2026/03/02 (Mon) 10:34:03


           *「光明法語」(3月2日)より

或る有名な音楽家のところへ一人の娘がたずねて来て、
どうしたら自分は早くラジオに出られるようになりますか。
オペラのシンガーになることが出来ますかとたずねた。

その有名な音楽家は答えた。

「どんな天才でもそのような気持ちで天才を伸ばすことは出来ません。
歌手が歌手として成功するためにはどんな苦労をしてでも歌を立派に歌いたい
と云うような一念にならねばなりません。

かくて其の一念不動の決意によって音楽が自分自身をさえも
魅するような上手さに達した時他の人々をも魅することが出来るのである」と。

           <感謝合掌 令和8年3月2日 頓首再拝>

使命感と天分を目的とせよ - 伝統

2026/03/03 (Tue) 11:32:49


           *「光明法語」(3月3日)より

名声や金儲けを目的にしているのは本道(ほんみち)ではない。
それは天分のない証拠だと言えるのである。

私が早稲田の文科にいたとき、その分科が甲クラス乙クラスとに分かれて、
乙クラスは専門に文学のみを修業して中等学校の英語教師たる資格を
抛棄(ほうき)する。

甲クラスは若し文学で飯が食えねば
英語教師に無試験検定でなれる資格を保留することにしたのである。

その時、乙クラスにみずから進んで入学をした者は僅か数名だったが、
彼らは文壇でとも角有名人になった。

西条八十、木村毅、細田民樹、細田源吾、鷲尾雨工・・・・・等々。

           <感謝合掌 令和8年3月3日 頓首再拝>

【人は情けの下にすむ】 - 伝統

2026/03/05 (Thu) 09:22:22


       *メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.10.13)より

   (臨済宗、梶妙壽(かじみょうじゅ)氏の心に響く言葉より… )

   《あゆは瀬にすむ、鳥は木にとまる、
             人は情けの下にすむ》(良寛 )


   私が、良寛の生き方に心から尊敬の念を抱いたのは
   父の教育の感化であると思う。

   いつの頃からか、このお詩(うた)が私の心にしっかり響いている。


   混とんとした世相の中で、人はどうかすると
   果てしのない自己の欲望の上に幸せを築こうとする。

   良寛の言う「人は情けの下にすむ」とは
   あらゆる生命との共存、他人へのいたわりや思いやりであり、
   仏の大慈悲である。


   今私共が忘れかけている和の心、祈りの心、
   合掌、尊敬と信頼、感謝の心である。

   娑婆世界の宿業から目覚め、み仏の光の中に身をまかせたならば、
   人はどんなにか心やすらかなる日々を過ごせることでしょう。


       <『心を豊かにする100の言葉』PHP>

       ・・・

梶妙壽(かじみゅうじゅ)氏は
20歳で家電業界の裕福な実業家に稼ぐ。

花柳流師範となり、花柳寿千姫として活躍、海外でも公演を行う。

家庭不和、自身の不倫、離婚などを経て、
昭和62年、臨済宗大本山天龍寺平田精耕老師のもと得度出家。

浄土宗尼僧専門道場で修行。

慈受院住職となる。



行徳哲男師は「情」についてこう語る。

『知と知、理と理では人は結ばれない。
 人が結ばれるのは情と情、すなわち
 感応道交(かんのうどうこう)である。

 感じて応じあってこそ道の交わりがある』
      (感奮語録/致知出版)より



感応道交とは、本来は、仏や師匠の教えを、
弟子が瞬間的に感じとることであり、
また身近な人同士が分かり合うことにも使う。

人は、知識や理屈ではテコでも動かない。

「感動」という文字のように、感じるからこそ人は動くが、
「感動」は、「情動」であり、人は情で動くとも言える。

政治でも、経済でも、経営でも、芸術でも、
スポーツでも、そして人間関係でも、
突き詰めると、全ては「情」や「感情」で動いている。

つまり、好きか嫌いか、だ。


現代社会は、「情」とは反対の、「理」がみちあふれている。

「論理」や「理性」「理屈」・・・。

人は、「理」では動かない。


「人は情けの下にすむ」

と言う言葉を胸に刻みたい。

・・・

<参照>

幸せを呼ぶ人
note:西原宏夫(2025年10月13日)
https://note.com/hiroo117/n/ne3d035b40657

           <感謝合掌 令和8年3月5日 頓首再拝>

一事を見て万事を判断してはならぬ - 伝統

2026/03/06 (Fri) 11:48:56


           *「光明法語」(3月6日)より

霊的の事物は霊的に理解してのみ其の真実意を汲み取ることが出来るのである。

だから自分が霊的に発達した程度に随って、
聖書でも仏典でも本当に理解することが出来るのである。
生長の家の教えも同じことである。

郡盲象を評するような調子で、色々に理解したり批評したりしているけれども、
象には耳もあり、牙もあり、脚もあり、胴体もある。

牙に触れたものは猛獣だと思うかも知れないが、実は至極おとなしい動物であり、
その象牙も彫刻すれば素晴らしい価値が出て来る。

         <感謝合掌 令和8年3月6日 頓首再拝>

悪事を断ち切る道 - 伝統

2026/03/07 (Sat) 09:08:33


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月7日)」より

悪事はさらに悪事を生む。
善事はさらに善事を生む。

幸福者とは悪事を未だ犯さなかった人のことではない。
悪事が次に悪事を招(よ)ぶのを断ち切ることのできた人だ。

悪事を断ち切る道は、
この悪事をしているのは本当の「私」でないと知ること。

そして本当の「私」でない者に、
今日かぎり断じて加勢しないと決心することにある。

            <感謝合掌 令和8年3月7日 頓首再拝>

自己弁護する自分は「本物の自己でない」 - 伝統

2026/03/08 (Sun) 11:15:11


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月8日)」より

自己弁護をする者は、まだ本当に真理を求めているものではない。

「本当の自己」は常に昭々として輝いており、弁護してかろうじて
その尊厳の保たれるようなさもしい存在ではない。

弁護しなければならぬような自己は、
ただその「弁護しなければ尊厳が保てぬ」という理由だけで
「本物の自己でない」ことを証明している。

            <感謝合掌 令和8年3月8日 頓首再拝>

【笑顔でコツコツと】 - 伝統

2026/03/09 (Mon) 09:16:03

      *メルマガ「人の心に灯をともす」(2025.10.20)より

   (斎藤一人さんの心に響く言葉より…)

   この世の中は「道理」でできています。
   道理を無視して、成功なんて、しようがありません。

   道理と強運は違うものじゃないんです。


   ビルの上から飛ぶび降りたら、世界中の誰もが下に落ちます。

   イエス・キリストだって、ビルから飛び降りたら下に落ちます。


   ところが飛行機だけは、飛ぶようにできている。
   飛ぶように作っているんだから、当たり前ですね。


   その、当たり前のことなんです。

   この世の中は道理でできているんです。

   私たちは、神様と、ある約束をしているんです。

   「正当な努力をして、魅力的な人間になって神様のもとへ帰る」

   という約束です。

   このことを守っていたら、神は絶対、味方をしてくれます。


   ところが、正当な努力もしない。

   一発、大当たりを狙うようなことを考える。

   それって、神を敵にまわしているんですよ。


   「強運がほしいんです。競馬、当たらないかな。
    パ〇ンコ、当たらないですか?」って、

   楽しんでやるぶんにはいいけど、
   本気になってギャンブルで金持ちになろうなんて、
   ふざけたこと言ってるんじゃないよ(笑)。

   そういう人は、強運の「キョウ」の字が違うんです。

   大凶の「凶」なんだよ。

   まさに「キョウ違い」なんですよ(笑)。


           <『強運』PHP研究所>

      ・・・

「道理」とは、たとえば・・・

●いつもニコニコして笑顔の人のまわりには、人が集まるが、

 「仏頂面(ぶっちょうづら)で、
 不機嫌をまき散らしているような人のまわりからは人は逃げていく。

●まわりの人の心を傷つけたり、
 気持ちを冷やすような言葉を言っていると、
 いつか自分も同じような目にあう。

●「ラクして儲かる」とか、「一瞬にして大金持ちになる」、
 というようなうまい話はない。



そして、一足飛びに何段も大股で上るのではなく、
目の前にある階段を一つ一つコツコツと上ること。

すると、いつの日か、「ああ、こんなに上ったのか」と気づくときがくる。


それを二宮尊徳は「積小為大(せきしょういだい)」と言った。

小さな努力の積み重ねが、やがて大きな成果となって返ってくる。

それを、鍵山秀三郎氏は
「大きな努力で、小さな成果を得ること」と言った。

「一攫千金」や、「ギャンブルでお金を手に入れようとする」ような、
安易な考えとは真逆の考え方。


「笑顔でコツコツと」という言葉を胸に刻みたい。

       <感謝合掌 令和8年3月9日 頓首再拝>

時節に乗ることが大切 - 伝統

2026/03/14 (Sat) 11:44:52


        *「生命の實相」第37巻幸福篇上(3月14日)」より

現象界においては時節が事を成就する。
時節に乗ると乗らぬとは、成敗(せいはい)の基(もとい)である。

時節に乗る秘訣は神に一致すること。
神に一致するには、《今ある》状態をまずありがたいと享受して、
そこで百%を行ずること。

急ぐはことを破壊し、急ぐ息はセク息である。

            <感謝合掌 令和8年3月14日 頓首再拝>

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