伝統板・第二

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心の鏡 ⑤ - 伝統

2026/02/06 (Fri) 10:44:28


周囲の相(すがた)が観世音菩薩の顕れ

    *「光明道中記」(2月6日《一切に感謝謝する日》)より抜粋

観世音菩薩とは「世音(せおん)」即ち「世間の念波」を観じて、
その念波そのままの姿を以て顕れたまう菩薩である。
だから千手であったり、十一面であって、
三十三相随宣(ずいぎ)変貌するのである。

自分が腹立っている時に周囲が自分に腹立った相(すがた)をするなら、
その周囲の相が観世音菩薩である。


・・・

<関連Web>

(1)伝統板・第二「心の鏡」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6914324

(2)伝統板・第二「心の鏡 ②」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7769926

(3)伝統板・第二「心の鏡 ③」
    → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8009554

(4)伝統板・第二「心の鏡 ④」
    → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8311806

            <感謝合掌 令和8年2月6日 頓首再拝>

打つ心は打たれる心である - 伝統

2026/02/10 (Tue) 10:06:32


       *「生命の實相」第37巻幸福篇上(2月10日)」より
 
憎みながら叱る心で軽く打つと子供は泣く。
同じ強さで打っても愛撫する心で愛慰(あや)すような形で打ったら
子供はかえって喜ぶだろう。
痛さは心にあるからである。

かって野村義隆さんが道場で指導していた朝のことである。
禅家の道場破りを仕事にしているような物凄い格好の修行者が来た。
そしてたずねた。

「生長の家では肉体は無いというんですね。」
「そうです。」

「痛みは心にあるんですね。」
「そうです。」

「では痛みは肉体にはないんですね」。」
「そうです。」

「それではあなたの肉体を打っても痛くありませんね。
 僕はこれから君を打ってやる!」

殺気がその修行者の眼から一閃、野村さんの方へ走った。
そのままいたら野村さんを殴りでもしかねるまじき姿勢である。

と、たちまち野村さんの方が起ち上がって
その修行者の方へ近づいていったかと思うと、
ピシリとその修行者の頬を打った。
痛いか痛くないか冷暖を自知せよというのにあったらしい。

やがて野村さんは元の座へ還って来て、
何事もなかったように別の修行者と話していた。

野村さんが打たなかったら、
野村さんは修行者に打たれていたかもしれない。
野村さんの気魄の方が修行者の気魄に打ち勝ったので
修行者が打たれたのあった。

打つ心は打たれる心である。
打つことを心に描けば、その念(こころ)は形と表れて相手を打つ。

相手の気魄が強ければ、
それはかえって自分自身に還ってきて自分自身を打つのである。


阿難が釈尊に対(むか)って人を憎んだ心を相手が受けなかったら、
その憎んだ心はどこへ行きますかと尋ねたときに、

釈尊は「お前は贈り物を人に持っていった時に
相手がそれを受け取らなかったら
その贈り物は誰のものになるか」と問い返された。

阿難は「それは贈った人に返ってきます」と答えた。
釈尊は「人を憎む心もそのとおりだ」とおっしゃった。


そのころ、道場には夜も指導があって、夜間はわたしが受け持っていた。
その同じ修行者がその夜も来ていて同じようにわたしに問いかけた。

「肉体は本来無いんですね」
「そうです。」わたしは朝の出来事を知らないので何心なくこう答えた。

「痛みは心にあるんですね。」
「そうです。」

「それでは先生の肉体を僕はこれから撲(なぐ)りますが、
 傷みはありませんね。」

修行者は今にも撲りに来そうな姿勢である。
「それは痛いにきまっている」とわたしはとっさに答えた。

「なぜ痛いんだ、無い肉体がなぜ痛いんだ。
 痛ければ、今後肉体に痛みは無いなどと言うな。」

恐ろしい剣幕で修行者は詰めかける。わたしは静かに答えた。

「肉体そのものは傷まないが、お前の心が痛いのだ。
 人を撲ろうとするお前の心には痛みがある。
 『五官は心の影を見るに過ぎず』と『甘露の法雨』にある。
 五官は心の痛みを映すものだ」

『ウーム、よし!』と言ったきり、
修行者は立ち上がりかけた膝を畳に落ちつけて俯向いたまま動かなかった。

そしてわたしが他の修行者と話しているうちに
その修行者はどこかへ姿を消してしまった。


野村さんの捌(さば)き方と、
わたしの捌き方とどちらも個性が出ていておもしろいと思う。

野村さんが道場に出れば
「叱られる、叱られる。野村さんはこわい」と修行者は噂する。

ときには「道場であんなに憤怒の形相をされては生長の家の名にかかわるから
一日も早く道場へ出ないようにしてほしい」と投書して来た人もあった。

しかし野村さんに叱られて悟ったと喜ぶ人も、
叱られて病気が治ったと感謝する人もたくさんあった。

相手を愛しなければ、
公な心であんなに思うままに修行者を叱りうるものでない、
損得を考えたらあんなに叱りうるものではないと批評する人もあった。

「そんなに叱ったら生長の家へ修行に来なくなりますよ」と
忠告する人があると、

「指導の最中には相手を指導することきり考えない。
修行者が増えるとか減るとか、損得のことを考えて指導する奴があるか」
と野村さんはその人に一喝したこともあったと噂にきいたことがある。

           <感謝合掌 令和8年2月10日 頓首再拝>

《無意識の心的影響》 - 伝統

2026/02/19 (Thu) 10:35:01


           *「光明法語」(2月19日)より

吾々の人々に与うる影響は、意識的に与うる影響よりも、
無意識的に与えている影響の方が強いのである。

意識的に相手に好(よ)き影響を与えようとして
一所懸命相手に深切丁寧をつくしても、心の中に反感や、嫌悪の念や、
けむたがるような感じをもっている限りは、
相手は決してこちらに対して好感をもってくれるものではないのである。

世間によくある姑を恐れつつ、しかも形の上では丁寧慇懃をきわめながらも、
却ってギコチない感じを姑にあたえて、
姑からいじめられている嫁の如きはそれである。

           <感謝合掌 令和8年2月19日 頓首再拝>

温かいところには人が集まり、冷淡なところからは逃げ出す - 伝統

2026/02/20 (Fri) 11:03:08


      *「光明道中記」(2月20日《雪が融ける日》)より 

【他が自分に対して薄情である場合は、
 自分自身に何か暗い冷たさがある思え。(『生命の實相』第四巻)】

温かいストーブの周囲にはおのずから人が集る。
人を拝めば人が集る。

荒木松衛さんが、熊本県立白川学園と云う不良児の感化院で
園長をしていられたときに一人の生徒が脱走した。

その時、荒木さんは風邪を引いて寝ていられたが、
「私の懐は温かいのだ。生徒よ帰って来い。
 私はこの温かい心で汝を抱擁するのだ」という意味の思念をせられたら、
脱走した生徒が急に帰園したくなって帰って来た
という話を聞いたことがある。

若し、他が自分に対して薄情であり冷淡であるならば、
それは自分の中に「温かさ」がないからである。
暗い冷たい世界からは何人(なんぴと)でも逃げ出そうとするものである。

また内心に温かいものを持ちながらでも、
他(ひと)を責め、人を指す心を起すとき、それは相手を追い出す心になる。

如何に多くの愛深き妻が、良人を責める心を起したがために、
その良人が堕落の淵に堕ちたであろう。

だから「他を責める心、人を刺す心は人を逐(お)い出す心」
(『生命の實相』第二巻))であり、

「他の欠点をあげたい心が既に神に背(そむ)いた心である」
(『生命の實相』第五巻))と示されている。

            <感謝合掌 令和8年2月20日 頓首再拝>

(世界の)現実は、人類意識を映し出す、巨大な鏡 - 伝統

2026/03/07 (Sat) 09:06:32


このあと何が起こるのか、すべてお伝えします。
ルナの銀河啓示録( 2026/03/06)
https://www.youtube.com/watch?v=8dvuRvyqMTY

        <感謝合掌 令和8年3月6日 頓首再拝>

【ミラーの法則】10選 - 伝統

2026/03/12 (Thu) 10:12:48

【ミラーの法則】自分に全て返ってくる驚きの法則10選
Sleep-Z( 2024/10/14 )
https://www.youtube.com/watch?v=kO5nvH1qSLE

(1)バカにすれば、バカにされる。

(2)悪口を言えば、悪口を言われる。

(3)嘘をつけば、嘘をつかれる。

(4)笑えば、笑ってくれる。

(5)嫌えば、嫌われる。

(6)優しくすれば、優しくされる。

(7)挨拶すれば、挨拶が返ってくる。

(8)幸せを願えば、幸せが訪れる。

(9)壁を作れば、相手も壁を作る。

(10)人を助ければ、自分も助けられる。

        <感謝合掌 令和8年3月12日 頓首再拝>

観る世界は観られる世界である - 伝統

2026/04/01 (Wed) 08:56:19


      *光明道中記(四月「相倚りたすける」【燦爛輝く桜花】)より

観る世界は観られる世界である。

能観(のうかん<あるもの>)の中に
所観(しょかん<みられる>)の世界があり、
所観の世界の中に観る人の心がある。

観る者と観られるものとは本来一体であるのである。
これを吾々は心の影と言っている。


日本に美しい桜の花が多いのも、
日本人の心が桜の花のように美しく潔いからであり、
執拗でなく淡白であるからである。

本居宣長の『敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花』
と云う歌は日本精神を詠んだものとして
その内容に就て色々と解釈せられているが、

『朝日に映(は)えている爛漫たる相(すがた)』が日本精神だとか、
散りぎわの潔い相(すがた)が日本精神だとか、互に言い争って、
その解釈の優劣を決定する必要はないのである。

観る世界が観られる世界であると云う真理が本当に解るならば、
日本の国の相、日本の樹木の相、日本の風光の相、すべて、
日本人の心を現していないものはひとつもないのである。

風土が人間を感化するとも言えるが、
桜も生命であり、心の表現であり、
人間も生命であり、心の表現であるから、

日本人が桜を感化し、桜が日本人を感化し、
日本人の中に桜があり、
桜の中に日本人があるのである。

差し昇る朝日に映える桜花を鑑賞する日本人の心には、
差し昇る朝日に映える桜花の心があるのである。

            <感謝合掌 令和8年4月1日 頓首再拝>

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