伝統板・第二
ひかりの一日一言132~ひかりの語録(3月) - 伝統
2026/03/01 (Sun) 04:48:36
月替わりに合わせ、今月より『栄える生活365章』から
真理の言葉を紹介してまいります。
はしがき
人類の歴史を顧みると、それは自然との戦いであり、自然の脅威に対して
自己の生活を如何に健康に護るかの戦いであり、自然が埋蔵する宝庫を解放して
如何に富を発掘してくるかの戦いであったということができるのである。
しかし健康を護り、富を発掘して来る方法は大抵、今まで物質的方面から研究され
工夫され、そして現代の巨大なる物質科学の発達をみるに至ったのであった。
しかしそのために色々の衝突は起こり、奪い合いや戦争や、心の世界の葛藤が
人体に影響して、科学ではどうすることもできない”癌”が死亡統計の高順位に
のし上がるようなことになっているのである。
人間は幸福を求めて此処まで来た。
そして物質的方面での幸福はある程度目的を達した。
と同時に、これ以上物質的方面からのみ人間の幸福を追求していると、
空気の汚染や河川の汚染や更に人間の心の汚染で、各方面から色々の公害を惹き起こし、
原子戦争の危機まで間近に迫って来つつあるのが現状である。
物質文明の轍(わだち)の進むところ、重力で加速度が加わるように、その位の
満足の程度で物質文明の発達を一応停止して、幸福に平和に今を安全に生活した方が
よいのではないかと提言したとて、互いに競争的に各方面に進歩しつつある物質文明が、
今までの惰力で奈落の底へと向けて突進し行くのを停止せしめることはできそうにない
のである。
こうして人類破滅の危機に向ってひた走っている人類の文明という高速車を停止せしめる
ことができないとするならば、これを救う道は、その高速車を停止せしめるのではなく
方向転換させるほかなないのである。
では、どの方向へ進路を転換したら好いだろうか。
今まで、唯物論的に物質を先にもとめて幸福生活の安定や精神的安定を得ようと
求めていたが、それでは恒久的な幸福生活の安定も、精神的安定も究極的には得られない
と知れた今では、その求める順序を逆にして、唯物論的追求を先にするのをやめて、
唯心論的に人類文化の進歩の方向を転換することが、個人の幸福生活の安定を得る方法
でもあるし、同時に人類の平和の安定を得る確実な方法でもある筈である。
それは単に”筈”であるだけではなく、実際に吾々の提唱する唯心的方法に従って
生活して、肉体的には健康に、経済的には事業繁栄に、精神的生活は平和と歓喜に
満たされた生活を送っている人々が沢山あるのである。
その生きた実証として、その生活を集めた本に別府正大著『繁栄物語』というのが
別に出ている。謂わば吾々の提唱する生活法は、”実用的唯心論”ともいうべきもの
である。
実用にならない唯心論は、単なる観念論として排斥されても仕方がないが、これは、
各人が実行して直ちに実際生活に効果をあらわす方法である。
それは宇宙の”存在の大海”を広義の”心”として観て、”心”の世界から自分の
欲するものを発掘して繁栄でも健康でも平和でもそれらを思いのままに現実世界に
あらわす方法であるのである。
今から来年の幸福生活を計画しておいても早すぎるということはないと思う。
無論、本書はいつから読んでもよいのであるが、その特徴は”日めくり暦(こよみ)”
のように1年12ヶ月を12篇に配し、12篇を各々の日数に配して365章から
成っているのである。
まず全体を、休暇つづきの連休期間にでも一応読んで置いてその大意を体得しておき、
更に来る新年の元旦から必ず1章ずつ読んで、その日その日の自分の心の栄養をとる
ことにして、その指示する如く生活に実践せられらば、必ず諸君は栄える生活の
大道を驀(まっしぐ)らに進んで行かれるに相違ないと信ずる。
尚(なお)、吾々のこの実用唯心論の実践で、栄えつつある人々の集りに
”栄える会”というのがあり、東京で本部があって毎月1回集って相互研鑽している
のであるが、
本書はその会のテキストとなるよう考えながら編纂したものであることを付け加えて置く。
読者諸賢の繁栄と健康をこの書を通して私は祈るものである。
昭和42年10月10日
著 者 し る す
【目次より】
第一篇 平和と繁栄の雲を招ぶ
第二篇 幸福と繁栄の根本原則
第三篇 神を自分の父として
第四篇 自己の尊厳を自覚して
第五篇 今、神の祝福を受けて
第六篇 幸福に生きる根本道
第七篇 完全なる実相の実現を目指して
第八篇 "絶対者"を生きる
第九篇 健康・幸福・繁栄の源泉
第十篇 "無限"を実現するには
第十一篇 実相円満の世界を現実化する
第十二篇 希望を成就するための十二の鎖の輪
今月の「ひかりの語録」としては、日付を合わせるため、
【第三篇 神を自分の父として】からの紹介となります。
<感謝合掌 令和8年3月1日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《1日》 - 伝統
2026/03/01 (Sun) 04:51:22
第三篇 神を自分の父として
(3月1日)
生活に活用できる真理
”生長の家”は一宗一派の宗教ではないのである。
それは新興宗教でもないのである。
それはあらゆる宗教が、若しその宗教が人を救い得る
”真理”を内に蔵するものであるならば、
その人を救い得る凡ゆる宗教に共通せる”真理”だけを
純粋に冶金し精錬し、抽出して、
わかり易く、”《ここ》に君たちの祖先が信じて来た宗教の
「人を救い得る真理」の神髄がある”と端的にその”真理”を
夾雑物ぬきに示すのである。
それによって祖先伝来又は自己の従来信仰せる宗教の、
《どこ》に中心真理があるのか今まで判らないで、
ただ葬式の時だけ職業宗教家を呼んで来て、
葬式の儀式を行うだけに過ぎなかった人たちが、
祖先の宗教に内包せられている真理が、如何なるものであるかを
ハッキリ知ることができ、その真理を日常生活に生きる道を
”生長の家”によって教えられる事になるのである。
即ちこれを算式によって示せば、
祖先の宗教+生長の家=生活に生きて活かし得る真理
となる訳である。
<感謝合掌 令和8年3月1日 頓首再拝>
現実生活を救い得る宗教 - 伝統
2026/03/02 (Mon) 05:01:35
(3月2日)(P53)
宗教は霊魂を救う者だと在来から考えられて来たのであるが、
霊魂は肉体が死んでからだけ存在するものではなく、
肉体が生きている間にも、肉体を内部から操縦しているものは
霊魂であるから、
肉体死後に霊魂が幸福になれる真理あるならば、
肉体が生きている間にも其の霊魂が救われ、その霊魂が操縦している
肉体も幸福に健康に裕(ゆた)かになれなければならいのである。
だからその宗教が現実生活を幸福にし得るかどうかは、
その宗教の「霊魂を救い得る真理」が
目覚めているかどうかの示標になるのである。
その宗教でも、生長の家に来(きた)って
「ここにあなたの宗教の”人を救い得る真理”あり」と指摘されれば、
その宗教が内包せる真理が目覚めて、活性を帯び来たり、
日常生活に奇蹟的な功徳をあらわし得るようになるのである。
それは多くの体験談が実証しているのである。
<感謝合掌 令和8年3月2日 頓首再拝>
先ず”心の世界”に敗北はあらわれる - 伝統
2026/03/03 (Tue) 04:56:57
(3月3日)(P54)
先ず”心の世界”に敗北はあらわれる
「真理とは何(なん)ぞや?」
真理とは、人間は”神の子”であり、
”自由人格”を備えている者であり、
自由に自己の運命を”内部”より創造し得るものである
ということである。
若(も)し人間が自己創造の力を失い外部からの圧迫によって、
自己独自の生活や、個性を歪められ、他(た)の人の見解に
不承不承屈従して、自主的に義(ただ)しい生き方を失うなだば、
それは敗北であるというほかはないのである。
自己の実相が”神の子”であり、自己の内(うち)に無限力が
あり、何者も自己を傷つけることができないという自信がある
限りに於いて、何者もその人を傷つけることはできないのである。
何故なら、自分の環境は自分の心の影であり、
”自分の心”が敗北してはじめて、自分の環境又は運命に
敗北があらわれるのだからである。
但(ただ)し、この場合”自分の心”というものは、
単に現在意識のみならず、潜在意識をも引(ひ)っくるめて
のことなのである。
凡(あら)ゆる状況が不利に見えても
信仰はその状況に打ち勝つことができるのである。
現在意識と潜在意識の微妙な作用の説明は別に『人間性の解剖』
という本があるからそれを読んで頂きたい。
・・・
<参照>
新・人間性の解剖
https://www.ssfk.or.jp/p/a/105141.htm
<感謝合掌 令和8年3月3日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《4日》 - 伝統
2026/03/04 (Wed) 05:04:15
(3月4日)(P54~55)
”心の世界”に悪と困難とを抹殺せよ
「汝は真理を知らざるべからず、真理は汝を自由ならしめん」と
キリストは訓(おし)えているのであある。
「真理」とは、別の語(ことば)でいうならば存在の「実相」である。
「人間は”神の子”であり、一切の存在は神より出(い)でたる
ものであるから完全円満であって悪はない」ということである。
肉眼で見える現象世界が如何に自分に不利な状況をあらわしていても、
この真理をしっかり自覚すれば、その自覚する《程度に従って》
現象界の如何なる困難なる状態も克服してしまうことができるので
ある。
吾々を苦しめる如きすべての困難は、神の創造(そうぞう)し給える
「実在の世界」には《真(しん)には》存在しないのであって、
それは吾らの「迷いの心」の反映でしかないのである。
私たちは困難や行き詰まりの状態に面したならば、
「神のみが創造主(つくりぬし)であり、神は善であり、愛である
から、悪(あ)しき状態や、人を苦しめる如き状態は単に自分の
顛倒妄想(まよいのこころ)の反映である」
ということを繰り返し念じで、その顛倒妄想(てんどうもうそう)
を消し去るときその困難な状態も自然に克服され消滅するのである。
<感謝合掌 令和8年3月4日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《5日》 - 伝統
2026/03/05 (Thu) 04:58:20
(3月5日)(P55~56)
先ず自己に宿る”無限の力”を認めよ
人は自己が想像し、そして信ずる通りのところのものとなるのである。
あなたが”神の子”であるということは、神の後嗣ぎ息子又は
後嗣ぎ娘として神のもち給えるすべての”力(ちから)”と
すべての”智慧”を必要に応じて引き出し得る権利を与えられている
ということなのである。
必要でないのに引き出すことは許されない。
必要以上の力が出る事になればタオルを絞ったらタオルが千切れて
しまい、土地を踏んだら土地が《めり》込んでしまうことになるかも
知れない。
それ故、神は必要に応じて必要なだけの力を引き出すことを赦し給う
のであり、困難の度が強ければ、それを解決するだけの強い力を
出さしめ給うのである。
併し、その力を出すには「認める」ことが必要なのであり、
”力(ちから)”が宿っていても、それを認めなければ
”力(ちから)”が出て来ないのは、
財布の中の紙幣のようなものであって、
自分の財布に「これだけの金(かね)がある」とみとめて、
初めてそれを使うことができるようなものである。
<感謝合掌 令和8年3月5日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《6日》 - 伝統
2026/03/06 (Fri) 05:01:54
(3月6日)(P56~57)
あなたの希望は既に実現している
あなたが真に必要として求めるものは、
既に、“霊の世界”に於いてはあなたの掌中にあるのである。
既にあなたの掌中にあればこそ、
その《ある》ことを直感してそれを実現したくなるのである。
だからイエスは
「求むるに先立ちて神はなくてならぬものを知り給う」
と、いっていられるのである。
これは「求むる前から、その求める対象物は与えていられる」
という意味である。
既に与えられていても、それに気がつかなければ、
それを利用することも活用することもできない訳であるから、
イエスは、その与えられている事実を先ずハッキリ認めるように、
「汝ら祈りて何事にも求めるとき、既にそれを受けたりと信ぜよ。
即ち汝はそれを得ん」と訓(おし)えられているのである。
「希望は実現の母である」と生長の家の”智慧の言葉”には
訓(おし)えられている。
「母」は既に内(うち)に”子(こ)”(実相)を
孕(はら)んでいるのである。
自信をもって勇敢にその”希望の子”を育てるがよい。
<感謝合掌 令和8年3月6日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《7日》 - 伝統
2026/03/07 (Sat) 05:03:40
(3月7日)(P57~58)
心を転ずれば到る処に無限の富がある。
肉眼で見えるいるだけの分量をあなたの富だと思ってはならない。
肉眼はただ「氷山の一角」か、大海に深く根を張っている
大きな岩礁の頂上を見ているに過ぎないのである。
眼に視(み)えない海中に没している容積の方が、眼に視(み)える
分量よりも余程大きな氷山や岩礁のようにあなたの富は肉眼で見て、
数えられる分量よりも余程大きな富を与えられているのである。
何故(なぜ)なら、あなたの富は、神の無尽蔵の宝庫につながって
いるのだからである。
あなたが海岸に出て其処に美しき濱(はま)の景色を見る。
その時、その「美しき景色」をあなたは「あなたの心」の中に
所有したのである。
その濱(はま)の法律上の所有権がどうあろうとも、それは役場の
帳簿の上に、そう書かれているだけであって、帳簿上の所有主は今、
心の中にその「景色の美」を現実には所有していないのである。
心に取り入れたものだけが現実に今その人の所有となるのである。
法律上の所有権や、国際上の所有権などを争うから労働争議とも
なれば、国際戦争ともなるのである。
そして心は鬼になり、常の相手を憎しみ、
くるしんでいなければならないのである。
何故(なぜ)人間はもっと物質的に取り入れるよりも、精神的に
自己にその美を摂取することの方を大切に考えないのであろうか?
心を転ずれば到るところに無限の美があなたの富として
ころがっているのに気がつかないとはまことに残念なことである。
<感謝合掌 令和8年3月7日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《8日》 - 伝統
2026/03/08 (Sun) 04:27:17
(3月8日)(P58~59)
神の大地に、肥料を与えましょう
「与えよ、さらば与えられん」が無限供給の根本となる法則である。
種子(たね)を播(ま)かずして
果実を収穫しようと思ってはならないのである。
種子(たね)を播(ま)いて世話をすれば、
必ず播(ま)いた分量より多く収穫が得られる。
「与えよ、さらば、与えられん」の法則なのである。
私たちは、すべての供給が、米でも、木材でも、セメントでも
石材でも、石油でも、一切の医療資源でも、悉(ことごと)く
大自然(神)から与えられたものであることを知るべきである。
では、神からそのように与えられながら、吾々は「供給の十分の一」
ぐらいは割(さ)いて是を神の道をつたえるために、神様の御用の
ために献(ささ)げるのが何が惜しいのであろうか?
何でも「取り得(どく)」をしたら儲かるという考えが間違い
なのである。
肥料をやらないで、毎年収穫ばかりしていたら、
ついに地力(ちりき)は痩せてしまって収穫は皆無になるであろう。
それと同じで吾らは神に感謝して収入の十分の一を大地に肥料を
与えるつもりで神の御用に献(ささ)げるとき、
いつまでも肥沃の土地から無限の収穫を得ることができるのである。
<感謝合掌 令和8年3月8日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《9日》 - 伝統
2026/03/09 (Mon) 05:09:51
(3月9日)(P59)
究極的には「悪」は存在しない
「元始(はじめ)に神天地(てんち)を創造(つく)りたまえり。
地は定形(かたち)なく広空(むな)しくて暗黒渕(やみわだ)
面(おもて)にあり、神の霊(れい)水(みず)の面(おもて)を
覆いたりき。神、”光あれ”と言いたまいければ光ありき。」
モーゼが霊感によって書いたこの『創世記』の冒頭にあるように、
暗黒(やみ)から光が出て来るのである。
悲しみから同情が生まれ、愛が生まれる。
悪意や憎悪から真の和解と相互理解とが生まれて《来る》のである。
本来一体なるものから陰陽が分離し、その分離と思われるものが
一層緊密に結合して、次なる子々孫々を繁栄せしめることになる
のである。
神の創造(そうぞう)したまえる世界には、
究極的に”悪”は存在しないのである。
<感謝合掌 令和8年3月9日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《10日》 - 伝統
2026/03/10 (Tue) 04:56:41
(3月10日)(P60)
世界の奥には”神の政府”がある
此の世界には、肉眼に視えざる奥に、神の君臨し給える「神の政府」が
あって統治してい給うのである。
これが聖書に謂う「みこころの天に成れる世界」であり「実相世界」である。
現象世界が如何に混乱をきわめたように見える時にも、この実相世界は、
その混乱の隙間を縫うて、その完全状態を現象世界にあらわしめようと
しているのである。
その隙間を縫ってあらわれようとする光が、神の使徒である「聖なる人々」
にインスピレーションを与えて色々の宗教のリーダー又は講師たらしめて
人々を導くのである。
大(だい)なる光を受ける人あり、小なる光を受ける人あり、
それは様々であり、その役割も様々である。
時として対立すると見える者も神の指令に導かれているのである。
<感謝合掌 令和8年3月10日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《11日》 - 伝統
2026/03/11 (Wed) 04:27:14
(3月11日)(P60~61)
あなたは毎日一層高き理想に近づく
あなたは毎日一層高き理想に近づくのである。
理想はあなたを呼ぶ。
あなたは一層高き理想に近づかずにはいられないのである。
何故ならば、あなたを呼ぶものは
「理想」と称せられるところの神の声であり、
呼ばれるものは、
あなたの内にある「実相」即ち”神の子”であるからである。
あなたは呼ばれる所に行き、呼ばれる通りの仕事をするのである。
だからあなたの仕事は神の仕事であり、
神の仕事であるから必ず成就するものであり、
如何に忙しくとも労(つか)れるなどということはないのである。
如何なる小なる仕事といえども、すべて神に仕事であるから、
あなたは決して《おろそか》にそれを為すことはないのである。
このように思って仕事をすれば
草臥(くたび)れることはないのである。
そんな小さな深切でも、
あなたは軽蔑することなく行うのである。
どんな小さな義務でも
大(だい)なる義務であるかの如く行うのである。
あなたの行くところ、
常にそこに神が偕(とも)に在(あ)るのである。
何故ならばあなたの行動は愛に満ちており、
”愛”は”神”であるからである。
<感謝合掌 令和8年3月11日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《12日》 - 伝統
2026/03/12 (Thu) 04:09:48
(3月12日)(P61~62)
如何なる問題も、あなたを害するためにあるのではない
宇宙の凡(あら)ゆる力は、あなたの《もの》である。
何故なら、宇宙の凡(あら)ゆる力は、”神”より出(い)で、
あなたは”神の子”として神の跡継ぎ息子であるからである。
あなたの前には常に新しき「魂を磨く機会」が待っているのである。
如何なる問題が起って来ようとも、
それは決してあなたを苦しめるために現れているのではなく、
ああなたの魂を磨くためにあらわれているのであるから恐れることなく、
勇気をもって対処して行くがよいのである。
ただそれは暴虎馮河(ぼうこひょうが)の勇(ゆう)であってはならない。
それには神の智慧を授からなければならないのである。
常に神想観を修(しゅう)して、
神との一体感を深め、神の智慧の導きに従って
勇敢且(か)つ周到に事(こと)を搬(はこ)ぶがよいのである。
<感謝合掌 令和8年3月12日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《13日》 - 伝統
2026/03/13 (Fri) 05:07:54
(3月13日)(P62)
あなたの生活を「使命」の上に乗せよ
あなたが”神の子”として地上に誕生したという事は、
決して無意義な事ではないのである。
それはあなたに与えられた特殊の使命があるのである。
使命があるということは
「霊的責任」を負わせられるということを意味する。
各人悉(ことご)く、顔の異なる如く特殊の使命があるから、
あなたは他(た)の人が、他(た)の処に於いて、
成功しているにしても、決して羨(うらや)む必要はないのである。
あなたは他(た)人の型に従って造られた存在ではなく、
”あなた自身”でなければならないのである。
あなたは、単に”頭脳の心”では、何があなたの使命であるか
判らないのであるけれども、毎日神想観をして、神の智慧の導きに
従って行動するならば、自然にあなたの歩んでいる道が、
使命に到る道に乗っていることになるのである。
神想観を常に怠らぬことが肝腎である。
<感謝合掌 令和8年3月13日 頓首再拝>
ひかりの一日一言《14日》 - 伝統
2026/03/14 (Sat) 04:03:30
(3月14日)(P62~63)
生活に無駄をなくするには
普通の人たちは、随分無駄な生活を送っているのである。
重複した労苦や、しないでもよい取越し苦労をしたり、
持ち越し苦労や、憎しみや、恨みや、恐怖や、
読む必要のない部分の新聞記事を読む事に時間を費やし、
ある迷信邪教に労働奉仕に往って救われたかと思ったり、
崩れて来た土砂に打たれて重傷を負って死んでみたり、
自動車が手に入ったといって、それに乗ったら幸福どころか、
衝突事故を起こして瀕死の重傷を負ってみたり ――
そのような愚かな事が起こるのは
本当の神の智慧に一致していないからなのである。
あなたは今後、一層神想観を励んで神の智慧を頂き
神の智慧に一致して行動せられるがよいと思う。
短い現象界の生涯でも、若(も)し、生活に無駄な繰り返しを
しないで、常に新たな創造をするならば普通人の2倍以上の
仕事を為し遂げ得るのである。
<感謝合掌 令和8年3月14日 頓首再拝>