伝統板・第二
松下幸之助 成功の金言365(3月) - 夕刻版
2026/03/01 (Sun) 14:54:46
「松下幸之助 成功の金言365」
【 3月1日 】
《“なぜ”と問う》
(前半略)
《日に新たであるためには、
いつも“なぜ”と問わねばならぬ。
そしてその答えを、自分でも考え、
また他にも教えを求める。
素直で私心なく、熱心で一所懸命ならば、
“なぜ”と問うタネは随処にある。
それを見失って、きょうはきのうのごとく、
あすもきょうのごとく、
十年一日のごとき形式に堕したとき、
その人の進歩は止まる。
社会の進歩も止まる。》
繁栄は“なぜ”と問うところから生まれてくるのである。
『道をひらく』
<感謝合掌 令和8年3月1日 頓首再拝>
【 3月2日 】 - 伝統
2026/03/02 (Mon) 14:10:15
《世の中はむずかしくない》
成功の道と不成功の道はきわめて簡単だと思うんです。
私は、
《世の中というのは決してむずかしくないと思うんです。
むずかしくないものをむずかしくするのはだれかというと、
本人自身ですわ。
自分自身がむずかしくしている。
ほんとうは坦々たる大道がひらけているんです。》
『松下幸之助発言集第11巻』(昭和37年の発言より)
<感謝合掌 令和8年3月2日 頓首再拝>
【 3月3日 】 - 伝統
2026/03/03 (Tue) 14:48:08
《“新しい解釈》
実際問題としては、私も常に深刻な悩みにぶつかる。
これは人間だからしかたがない。
しかし、ぶつかってからどうするかということである。
ぶつかりっぱなしではどうしようもない。
ぶつかっても、すぐに思い直すのである。
自問自答というか、自分自身に言い聞かせる。
これは悩んではいけないのだ、
悩まないようにしよう、というように考える。
そして、そう考えるだけでなく、
同時に、その悩みを生じている問題を乗り越えるような
見方というか解釈をするのである。
(中略)
もっと複雑な問題が多い。
だから、そういう新しい解釈はすぐには出てこない。
それで、そういう解釈にたどりつく前には、
やはり何時間か、また長いときには何日間も悩む。
これはやむをえない。これはしかたがない。
そのように、
《私も常に悩みをもっているのである。
ただ、その悩みに負けてしまわない。
最後の結論においては、
自分なりに新しい見方、解釈を見出して、
その悩みを乗り越えていくわけである。》
『人を活かす経営』
<感謝合掌 令和8年3月3日 頓首再拝>
【 3月4日 】 - 伝統
2026/03/04 (Wed) 18:13:17
《素質》
・
私は、お互い人間はあたかもダイヤモンドの原石
のごときものだと考えている。
つまり、ダイヤモンドの原石は
磨くことによって光を放つ。
しかもそれは、磨き方いかん、
カットの仕方いかんで、さまざまに
異なる燦然とした輝きを放つのである。
それと同じように、
《人間はだれもが、磨けばそれぞれに光る、
さまざまなすばらしい素質をもっている。
だから、人を育て、生かすにあたっても、
まずそういう人間の本質というものを
よく認識して、
それぞれの人がもっているすぐれた素質が
生きるような配慮をしていく。
それがやはり、基本ではないか。》
もしそういう認識がなければ、
いくらよき人材がそこにあっても、
その人を人材として生かすことはむずかしいと思う。
『人を活かす経営』
<感謝合掌 令和8年3月4日 頓首再拝>
【 3月5日 】 - 伝統
2026/03/05 (Thu) 14:47:28
《一日一回》
・
「松下君、君は素直な心になったらいいという。
わかったようなわからないような、
わかるような感じもするのだけれども、
それではどうすれば素直な心になれるのか」
と、こういう質問を受けました。
それで私はそのとき、
「ぼくは素直な心にならなければいけないと
自分でも思っているし、君にも話したのだが、
素直な心というのは非常に尊いものだ。
その尊いものは、一朝一夕には得られない
とぼくは思う。
《もし君が素直な心になって
ものを見ていこうと欲するならば、
毎日、朝起きたときに、
きょうも素直な心で物事を見ていこう、
対処していこうということを、
神様に向かってでもいいし、
仏様に向かってでもいいから、
あるいは、そういうものなしに
自分の心にそれを言って聞かせても、
それはどうでもいいけれども、
とにかく一日一回はそういう気分になることだ」》
(後半略)
「社員稼業」
<感謝合掌 令和8年3月5日 頓首再拝>
【 3月6日 】 - 伝統
2026/03/06 (Fri) 14:45:53
《素直な心》
・
それでは素直な心とは
どういう心であるのかといいますと、
それは単に人に逆らわず、従順である
というようなことだけではありません。
むしろほんとうの意味の素直さというものは、
力強く、積極的な内容をもつものだと思います。
つまり、
《素直な心とは、
私心なくくもりのない心というか、
一つのことにとらわれずに、
物事をあるがままに見ようとする心と
いえるでしょう。
そういう心からは、
物事の実相をつかむ力も生まれてくる
のではないかと思うのです。》
だから、素直な心というものは、
真理をつかむ働きのある心だと思います。
物事の真実を見極めて、
それに適応していく心だと思うのです。
(中略)
素直な心が高まっていったならば、
賢さがしだいに高まってきて、
ついには神のごとく聡明に賢くなるというか、
神のような叡智をもつことができるようになる
といえましょう。
そこからは、常に判断を過たず、
強く正しく行動できるようにもなってくる
と思うのです。
『素直な心になるために』
<感謝合掌 令和8年3月6日 頓首再拝>
【 3月7日 】 - 伝統
2026/03/07 (Sat) 14:43:28
《自然の営みにふれる》
・
お互いが素直な心を養っていくために
大切なことの一つに、
自然と親しむというか、大自然のさまざまな営み、
姿というものにふれるということも
あるのではないでしょうか。
自然の営みというものには、
私心もなければ、とらわれもないと思います。
いってみれば、文字どおり素直に物事が運び、
素直なかたちでいっさいが推移していると思うのです。
したがって、そういう大自然の営みの中に身をおいて、
静かに自然の形を見、その動きを観察していくならば、
しだいしだいに素直な心というものを肌で理解し、
それをみずからの内に護っていくということもできる
ようになると思うのです。
「素直な心になるために」
<感謝合掌 令和8年3月7日 頓首再拝>
【 3月8日 】 - 伝統
2026/03/08 (Sun) 14:08:58
《口に出して唱える》
・
お互いが素直な心の大切さをよく認識し、
素直な心になりたいと強く願いつつ
日々の生活を営んでいくところから、
しだいに素直な心が養われていくのではないか
と思いますが、
実際には往々にして日々の忙しさにとりまぎれ、
素直な心になることをつい忘れてしまう
ということもあると思われます。
そこで、
《お互いが素直な心になるということを
忘れてしまうことのないように、
折にふれ、時に応じて、
お互いに「素直な心になりましょう」とか
「素直な心になって」ということを、
いわば一つの合言葉のように口に出して唱えあう
ということが必要ではないかと思います。》
たとえば、朝起きてお互いが顔を合わせたならば、
「おはようございます。
きょうも素直な心で過ごしましょう」
とあいさつをかわす。
(後半略)
『素直な心になるために』
<感謝合掌 令和8年3月8日 頓首再拝>
【 3月9日 】 - 伝統
2026/03/09 (Mon) 13:18:40
《自己観照》
昔から“山に入る者は山を見ず”とかいいますが、
山のほんとうの姿は、
あまり山の中に入りすぎると
わからなくなってしまいます。
(中略)
山の全貌を正しく知るには、
やはりいったん山から離れて、
外から山を見るということもしなければならない
と思うのです。
お互い人間の心についても、
これと同じことがいえると思います。
(中略)
もちろん自分の心を内から外へ出し、
そして外から内を眺めるというように
心を去来させることは、
ほんとうはなかなかむずかしいと思います。
しかしそれを心がけ、
みずから訓練していくことによって、
しだいにできるようになると思うのです。
要は、そういう自己観照によって、
みずからのとらわれに気がつき、
これを正していくということです。
つまり正しく己をつかむことによって、
自分本位に陥らず、物事を判断する
ことができるようになると思うのです。
したがって、この自己観照は、
とらわれのない素直な心を生むことに通じますし、
その素直な心をしだいに高めて、
常にものの実相を正しくつかむことが
できるようにもなると思います。
したがって、
《自己観照とは、
素直な心を養うための一つの実践であり、
お互いに事にあたり時に応じてこの自己観照を
心がけていきたいものだと思うのです。》
「素直な心にをるために」
<感謝合掌 令和8年3月9日 頓首再拝>
【 3月10日 】 - 伝統
2026/03/10 (Tue) 15:00:38
《絶えず先を見る》
坂本龍馬は、現状に捉われず、
いつも先々を見ていました。
そして、そういう、
《現状にとらわれない、
絶えず先を見るというような姿は、
やはり素直な心が働いているところから
生まれてくるものではないでしょうか。》
『素直な心になるために』
<感謝合掌 令和8年3月10日 頓首再拝>
【 3月11日 】 - 伝統
2026/03/11 (Wed) 14:42:21
《創意と工夫》
人より1時間、よけいに働くことは尊い。
努力である。勤勉である。
だが、今までよりも1時間少なく働いて、
今まで以上の成果をあげることも、また尊い。
そこに人間の働き方の進歩があるのではなかろうか。
それは創意がなくてはできない。
工夫がなくてはできない。
《働くことは尊いが、
その働きに工夫がほしいのである。
創意がほしいのである。
額に汗することを称えるのもいいが、
額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう。》
怠けろというのではない。
楽をする工夫をしろというのである。
楽々と働いて、
なおすばらしい成果があげられる働き方を、
お互いにもっと工夫したいというのである。
そこから社会の繁栄も生まれてくるであろう。
『道をひらく』
<感謝合掌 令和8年3月11日 頓首再拝>
【 3月12日 】 - 伝統
2026/03/12 (Thu) 12:55:38
《三百六十度の視野》
世の中というものには、絶対の善や悪はない。
つまり、
こういうものは絶対必要である、
こういうものは絶対いかん、
というものはないんですね。
(中略)
だから、
《視野を狭くしてはいかん。
あらゆるもの、あらゆる善悪を取り入れて、
それをそれぞれの立場に生かしていくということが
大事なことやないかと思うんです。
それを、視野を狭くして、
この視野に入るものだけが正しいんだ、
この視野以外のものは正しくないんだという断定は、
容認してはならないのやないかという感じがするんです。》
(中略)
よく寛容の精神をもって
視野を広げるということをいいますが、
寛容の精神で視野を広げるということではいかん。
本質的に広げないといかんですね。
三百六十度の視野をもって、
その中にあるいっさいのものがどうしたら生きるか
というような考えをもつことが、
本質的に広げることやと思います。
『松下幸之助発言集第5巻』(昭和42年の発言より)
<感謝合掌 令和8年3月12日 頓首再拝>
【 3月13日 】 - 伝統
2026/03/13 (Fri) 14:46:46
《いくらでも考えることがある》
・
皆さんはこの会社に入った以上は、
もちろん上長なり先輩に対する礼儀、
これはどこまでも必要ですが、
社員としての責任感に立って、
いいと思うことに対しては、
どんどん提案してもらいたいと思います。
《考えていけば、一つの事柄について、
いくらでも考えることがあると思います。
考えなかったなら、
三十年たっても、四十年たってもわからない、
ということです。》
『社員稼業』
<感謝合掌 令和8年3月13日 頓首再拝>
【 3月14日 】 - 伝統
2026/03/14 (Sat) 15:00:40
《常識からの解放》
・
常識というものは
いわば先人の知恵の積み重ねですから、
もちろん大事です。
けれども、
《新しいものを生み出すためには
一度常識から自分を解放しなければならない。
そのためには熱意が強く要請されるのです。》
多くの知識を身につけた人ほどそれを超える
強い熱意が必要だともいえますな。
『人生談義』