伝統板・第二

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英霊の言乃葉 44 - 夕刻版

2026/03/01 (Sun) 14:56:21


****社頭掲示~令和8年3月

今茲に護国の花と散り行くは

陸軍曹長  二宮 逸雄 命

昭和19年7月18日
アリアナ諸島サイパン島にて戦死

岐阜県可児郡春里村出身 26歳


今茲(ここ)に護国の花と散り行くは日本男児の本懐と、
今日有る日を心待ち致して居りました。

今茲に散り行くは言迄(いうまで)も無く、大君の為東洋平和の為と
引いては我家(わがや)子孫の為と思へば思ふままに翼を広げて
君国(くんこく)の為に働き盡す事が出来ます。


今死を目前に致して静かに考へますに、今散り行くは只今迄の
御恩返しの萬分の一にもと思ふのみで御座居ます。

又今櫻花(おうか)の如く散り行きましても、小官七度生まれて
来て必ず君国に報ゆる覚悟に御座居ます。

   皆様      左様奈良(さようなら)

                       二宮逸雄
 家内一同様

https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html

           <感謝合掌 令和8年3月1日 頓首再拝>

****社頭掲示~令和7年3月 - 伝統

2026/03/02 (Mon) 14:18:41


ココニ遺書ヲ認ム

海軍少佐  杉崎(すぎさき) 直(すなお) 命

昭和20年3月31日
南九州方面にて戦死

大分県直入郡竹田町出身 26歳

十月二十五日午前、在支米空軍大挙シテ皇土ニ来襲
大村地区ニ爆撃ヲ加フ 神州護衛ノ任タル吾等戦十機隊ハ
之ヲ邀撃(ようげき)シタルモ 大ナル戦果を挙ゲ得ズ(中略)
抑(そもそも) 吾等日本人タル者 皇國ニ生ヲ享ケアタルハ
各々其ノ分ヲ皇運ヲ扶翼(ふよく)センガ為ナリ

即チ吾等ハ国家ノ為 死スベク生ヲ享ケタルナリ
サレバ 皇運ヲ扶翼(ふよく)センガタメ分ヲ盡シテ死スルは
当然ノコトナリ 然(しか)ラバ吾人ノ分トハ何ゾ 
皇土護衛之ナリ (中略)

是(これ)ニ厳粛ニ神明ニ誓ヒタルハ
一死以テ君恩ニ報イ 南方ニ散レル戦友ト共ニ
神州護衛ノ鬼トナラン事也

國家興亡ノ秋(とき)ニ当(あた)リ
鴻毛(こうもう)ノ軽キ生命ヲ
皇國ノ礎トナシ得ルヲ思ハバ
其ノ光栄ニ感泣(かんきゅう)惜ク所ヲ知ラズ

願ハクバ 天明(てんめい)吾(わが)真心(まごころ)ヲ
享ケラレン事ヲ

   辞 世

 天皇(スメロギ)の御國護りて大空に
          二十有五の命ささげむ

 体当り今日は吾身の花見かな

           <感謝合掌 令和8年3月2日 頓首再拝>

****社頭掲示~令和6年3月 - 伝統

2026/03/03 (Tue) 14:50:37


故郷に想ひを馳せて

海軍上等水兵  市川博久命

昭和十九年七月八日
アリアナ諸島方面にて戦死

山梨県南巨摩郡豊岡村出身 二十一歳


拝啓 久しく御無沙汰致して居りました。

父上母上様には、其の後お変りありませんか、お伺い致します。

私も父上母上様の蔭ながらの御援助により無事第一線に在りて、
小さくは家門の名誉、大きくは祖国日本の為に元気に奮闘活躍させて
頂いて居ります故御休心下さい。

寒風吹きすさぶ小渕(こぶち)の里にもやうよく春が訪れ、巨摩(こま)神社の
桜の蕾も日増しに膨らみかけ、自然の美しさを彩りつつある事と
推察致して居ります。

扶美江も積年の御努力により、住み慣れし学び舎より卒業致された事と
推察し、後進の道は如何なる方向に向かはれましたか。


扶貴江も姉の意志を継いで同じ学び舎に試験を受けた由(よし)、
その後の結果はどうですか、お伺い致します。

照久も一生懸命に勉強して中学校に入学致し、父上母上を安心させて
下さる事を兄は望んで居りますと、父上より言ひ聞かせて下さい。

なほ時候の変り目には、体に無理を来す故。父上母上身様には
特に特に気を付けてくださる様、切に切に望んで居ります。
では又次便に。

                              敬具

父上母上様へ

           <感謝合掌 令和8年3月3日 頓首再拝>

****社頭掲示~令和5年3月 - 伝統

2026/03/04 (Wed) 18:15:44


一死奉公

陸軍大尉  中川 清 命

昭和20年3月10日

東部ニューギニア・ウェワクにて戦死

大阪府大阪市東区出身 30歳


吾(われ)、日本男児として生を受けて二十有余年、
祖国が国運を賭(と)する米英膺懲(ようちょう)の戦に
参加化する栄誉を担ふ。
男子の本懐之(これ)に過ぐるものなし。

先に北満の地に在る時、独ソの開戦に当たり愈々一死奉公の機(き)
至れるを感じ、更に南方に転進するに当たり更にその念を強くす。
今又、更に新任地に向かはんとす。

吾、生を日本に受けし所以(ゆえん)のものは、
今日の皇国存亡の秋(とき)に
一死以て皇恩の万分の一に報ひ奉らんが為なるを知る。

吾、軍隊生活既に四年、不幸未だ剣電弾雨の間、
敵と相見(あいまみ)ゆるの機なし。
幸にして多年の訓練を生かすの時来る。
血湧き肉躍(おど)るの感禁ずる能(あた)はず。

死は既に家を出ずる時、覚悟せるもの。今更何の感慨かあらん。
唯(ただ)、靖国の御社(みやしろ)に迎へらるの日を待つのみ。
僅(わず)かに日本軍人、特に将校として恥ずるなき
御奉公を希(こいねが)ふのみ。

茲(ここ)に二十有八年間の御両親様の御恩を感謝し、
今日迄の不孝を御詫びすると共に、千代子、登志子、
幼き姪(めい)甥(おい)達に何等(なんら)
兄として又、叔父として盡すことなきを残念に思ふ。

(中略)

皇国が米英を撃破して、新しき大東亜の建設成るの日あるを信じ、
吾(われ)一命(いちめい)がその一助ともならん事を喜び、
皇国の弥栄と聖寿の万歳を祈ると共に、御両親様始め皆様の御多幸と
御健康とを祈りつつ。

  昭和十八年四月八日

                   スマトラ・バレンバンに於て
                            中川 清


https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html

           <感謝合掌 令和8年3月4日 頓首再拝>

****社頭掲示~令和4年3月 - 伝統

2026/03/05 (Thu) 14:49:45


お父さんお母さん

陸軍一等兵  中村 一雄 命

昭和18年11月15日
中支・江蘇省 南京第一陸軍病院にて戦病死

東京都芝区白金台町出身 23歳



この度私が応召するにあたり、色々と御心痛並びに御散財を
おかけして申し訳ありません。

また私のためにあの様な盛大な歓送の会をお開き下さったり、
其の他数々の御配慮の程実に実に有難く涙にくれて居ります。


皇軍の一員として出征する日本男児の自覚を、何が何でも
やりぬくぞの気概をもって心おきなく征けますことは、
是偏(ひとえ)に御両親のお蔭と感謝して居ります。

(中略)

入隊の上は御期待にそむく様な女々しいい真似は誓つて致しません。
必ず元気でお務めして参ります。

僕には神様がついてゐますから決して御心配下さいません様に。

出発に際して御挨拶申し上げるべきですが、
お父さんお母さんに御挨拶することは、不覚にも涙が出そうですから
乱筆ながら紙に記しました。

(中略)

ではお父さんお母さんお身体お大切に、
一雄も元気で頑張って参ります。

   出征に際して

 六月一日                      一雄

御両親様

https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html

           <感謝合掌 令和8年3月5日 頓首再拝>

****社頭掲示~令和3年3月 - 伝統

2026/03/06 (Fri) 14:48:38


母上様

陸軍大尉  田淵克己 命

昭和20年4月30日
ビルマ・モールメンにて戦病死

鳥取県鳥取市西町出身 36歳


肇國以来、未曽有の超非常時に
大元帥陛下の御召(おめ)しを辱(かたじけな)うし、
國防第一線に立て御奉公出来る身と成りました事は、
男子の本懐として之(これ)に過ぐるものなく、
一家一門の栄誉として共に喜んで頂ける事を
此の上なく嬉しく思ひます。

今日まで御老齢の御身(おんみ)でありながら家事に
又子供の世話に一日として御身体の休まる日とてなく、
何時何時までも御苦労ばかりお掛け致しました。

出征後は何かと此の上の御心労(ごしんろう)の事も
多からうと御気の毒に思ひますが何卒、御身体(おからだ)に
無理な事は、決して為さらぬ様くれぐれもお願ひ致します。

私は喜び勇んで出発致します。
西南の役に於けるお祖父(じい)様の武勲を汚(けが)さぬ様、
専心軍務に励み皇恩の満分の一に報い奉る決心で出征致します。

出発に際しての色々の御心(おこころ)盡し、嬉しく存じます。
くれぐれも御身(おんみ)御大切に祈ります。

                         克 己

母 上 様

           <感謝合掌 令和8年3月6日 頓首再拝>

****社頭掲示~令和2年3月 - 伝統

2026/03/07 (Sat) 14:45:52


遺言書

陸軍歩兵軍曹  齊藤東一 命

昭和13年11月11日
中華民国 湖南省 江山坪にて戦死
福井県南條郡神山村出身 23歳


一、大君へ命を捧げて出征出来る健全なる身体を造って下さった
  父母様の恩は征途直前にあたり益々うれしい。

一、皆々、大君の恩、国家の恩、一時も忘れてはなりませぬ。

一、再び故郷に足を入れぬ覚悟。

一、名誉の戦死をしたなれば、墓碑は山根の田の隅(すみ)に
  林さんの墓に並べて建てて頂きたい。

一、家の事は何も心配する事はない。
  唯(ただ)皆々及び一族の反映と和楽を希望する。

一、私が戦死したなれば、後は昭三にして頂きたい。

一、お父様お母様ありがたう、では行って来ます。
  私は一人で皆々様の分も働いてきます。

一、一族の皆様ご壮健でお暮しを願ひます。


天皇陛下万歳

  昭和十二年九月二日

                         齊藤東一

齊藤庄左エ門様
家族へ 

    (https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html )

・・・

拝殿掲示

 なりはひに春はきにけりさきにほふ
      花になりゆく世こそ待たるれ
         
                 昭和天皇御製

   (https://www.jalan.net/yad311911/blog/entry0005310630.html

           <感謝合掌 令和8年3月7日 頓首再拝>

****社頭掲示~平成31年3月 - 伝統

2026/03/08 (Sun) 14:12:40


遺書

陸軍伍長 森 浅吉命

昭和二十年三月ニ十九日
モルッカ諸島モロタイ島 にて戦死

兵庫県 飾麿郡家島町出身 二十九歳



その後も達者で暮らしてゐる事と思ふ。
俺も相変はらず元気だ。安心してくれ。

和子、本当にお前に苦労かけてすまん。
俺は感謝してゐる。
弘子も大きくなってゐるだろうね。

どうか弘子を強く元気に育ててやってくれ。
俺は安心して行く。

(中略)
何時かの、あのお祭りの夜の思ひ出が、俺れの頭の中に深く残っている。
お前もきっと何か想ひ出してゐるだろう。

いやいや今は、こんな馬鹿な事を考えてゐる時ではない。
現在の俺は一命を国家に奉げた身だ。
お前も元気で、銃後の妻として立派に働いてくれ。

俺は笑って南海の地に行く。

お父様やお母様に宜しく。
お叔母様にも宜しく頼む。

俺の事は少しも心配するな。
遠き南海の空から、皆様の健康と幸福を祈ってゐるだろう。


                       森 浅吉

和子殿

  ( https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html ~平成31年3月)


           <感謝合掌 令和8年3月8日 頓首再拝>

****社頭掲示~平成30年3月 - 伝統

2026/03/09 (Mon) 13:22:01


遺書

陸軍伍長 西川久治命

昭和二十年三月十六日
台湾台北市方面にて戦死

東京都下谷区入谷町出身 二十歳


拝啓

父上様、母上様、永い間お世話になりました。
十九歳の今日まで何一つ孝行をできず、本当に申し訳ございません。

自分もいよいよ、待ちに待った南方の第一線へ行く事ができる
ようになりました。もとより生還を期せず、一死君国に報いる覚悟です。
今度こそはきっと立派な孝行を致します。

大君の為にきっとやります。

では父上様、母上様には、自分の事には御懸念無く、
お元気にて末永く御繁栄の事を祈ります。

(中略)

では最後に、御一統様の御健康を祈ります。

 遺歌(自作)

  身はたとひ砕け散るとも君が代を
    思ふ心の一すじに


  今日の日待ちて惜しみし我が命
    愛機と共に今ぞ咲くらん

 昭和十九年十二月三日

                    西川久治 

  ( https://www.yasukuni.or.jp/history/will.html ~平成30年3月)

・・・

 明治天皇御製
           春來日暖  (明治3年)

  ふく風ものどかになりて朝日かげ
  神代ながらの春をしるかな

  (http://sukurari1945.blog48.fc2blog.us/?mode=m&no=3794 )

           <感謝合掌 令和8年3月9日 頓首再拝>

****社頭掲示~平成29年3月 - 伝統

2026/03/10 (Tue) 15:03:24


遺言


陸軍少尉 戸倉 勝人 命 

昭和二十四年十月二十三日
ソ連ハバロフスクにて戦病死
山口県下関市豊浦出身 
四十五歳


皇國の御為この身を捧ぐること、予てよりの願望なるも
召されて軍人として戦陣に死所を得るは、
本懐これに過ぎたるものなし。


 母上

今よりは靖国の杜に参り候。
御健勝祈り上候、生前の御恩今こそ御礼申し上候。


 緑子 勝禮 純子へ

父は皇國の為、戦争に征く。
汝等は母様や祖母様の訓へを守って強い立派な日本人となり、御國の為に尽しなさい。
父は何時でもお前達の成長を見て居ります。


 春子へ

母上によく仕へ子供達を私の気持ちのやうに伸び伸びと育てて貰ひたい。

(中略)

その後、困難なことがある場合は、何事によらず勝馬に相談すること。
                                                    
以上

 昭和十八年八月十三日

 勝人 誌

・・・

『3月拝殿掲示』
       

   明治天皇御製

       神祇      (明治44年)

     ちよろづの神のみたまはとこしへに
     わが國民をまもりますらむ

   (http://sukurari1945.blog48.fc2blog.us/?mode=m&no=3385 )

           <感謝合掌 令和8年3月10日 頓首再拝>

****社頭掲示~平成28年3月 - 伝統

2026/03/11 (Wed) 14:46:05


芳子さんへ


陸軍兵長 的場 裕 命 

昭和十八年八月六日
ソロモン諸島コロンバンガラ島
西北方約十粁海上にて戦死

香川県綾歌郡陶村出身 
二十九歳


コクミンガクコウノ イチネンセイ ゲンキデ

ベンキヨウ スルンダヨ 

ミナミノウミハ キレイデス サンゴノハヤシガ

キレイダヨ コカゲハ スズシイヨ 

ツバメガ スイスイ トンデユク

ヨシコガ ガクコウヘ ユクコロハ ツバメガ

ナイチヘ カヘルダロ

チイサイ ノブコヤ タカヨシト ナカヨク

アソンデ ヤルンダヨ

ヨシコサンヘ


                以上

           <感謝合掌 令和8年3月11日 頓首再拝>

****社頭掲示~平成27年3月 - 伝統

2026/03/12 (Thu) 13:08:12


遺書

陸軍兵長 山下光雄命

昭和十九年四月六日
ソロモン諸島にて戦死

三重県三重郡菰野町出身 
三十七歳


まい日 元気で学校へ通って居ますか 
学校では先生のおっしゃることをよく聞いてよく学び
元気で遊びなさい

お家へかへったら かならず其の日先生からおしへ
ていただいたことをよく習っておきなさい

おばあさんやお母さんの言ひつけをよく守りなさい

お父さんが居なくともよく勉強をすれば 中学校へ
入れてくださいますから
そしてりっぱな日本人になりなさい

お父さんはお前と四日市の駅でわかれて りっぱな
兵隊さんになって居ます
じきに戦場へ出かけてアメリカやイギリスの兵隊を
みんなヤッツケてやります

おとうさんが りっぱなてがらを立てて金しくんし
ょうをもらふのと 穆がよく勉強して先生からほう
びをもらひ級長になるのと きょうそうをしませう

からだを大せつにして よくべんきょうをしなさい
さよなら
                     父より
穆(あつし)君へ              

           <感謝合掌 令和8年3月12日 頓首再拝>

****社頭掲示~平成26年3月 - 伝統

2026/03/13 (Fri) 14:48:23


笑って護国の花と散ります


陸軍上等兵 高山晴次命

昭和十七年三月七日
ビルマ国ペグーにて戦死

香川県小豆郡四海村出身  
二十四歳


母上様。
長らく御世話に成りました。

此の二十一年間、何一つ喜ばし、又、安心させた事もなく、
只御心配ばかり掛けまして誠に申訳御座居ませんが、
日本男子と生れて国防の第一線に立ち、男として一花咲かせます。

東洋永遠平和の為、散らして行きます。
此れ日本男子の本懐で有ります。

すでに母上様も入営当初より御覚悟は出来て居る事と思ひますれば、
私も何一つ思ひ残す事なく、笑って護国の花と散ります。

なほ、もし私の骨が帰ったなれば只一言、よく死んで呉れた。
あっぱれと褒めて下されば、なほ嬉しく思ひます。

私の石碑は、ほんの印(しるし)だけで結構です。
故、残金は全部国防献金して下さい

(中略)

茂君も丈夫で、立派な帝国海軍軍人と成って、海に活躍せられん事を祈る。
孝江も真面目に働いて良き夫に付き、幸福に暮らされん事を草葉の陰より祈る。

又、兄上様一同に色々と心配を掛けた晴も、
だうやら一人前の日本男子と成った様です。
私も此れに越したる喜びは有りません。

だうか母上様をよろしく御頼み致します。 (後略)

                              晴 次
母兄弟妹様

・・・

『3月拝殿掲示』

     大正天皇御製

       待 花           (大正3年)

    わが園の並木のさくら咲かむ日を
    今日か明日かとまつが楽しさ

    (http://sukurari1945.blog48.fc2blog.us/?mode=m&no=1914

           <感謝合掌 令和8年3月13日 頓首再拝>

****社頭掲示~平成25年3月 - 伝統

2026/03/14 (Sat) 15:03:45


決シテ涙ヲ流シテ下サイマスナ


海軍少佐 天野一史命

昭和二十年三月十九日
九州東南方海面にて戦死

奈良県吉野郡黒瀧村出身
二十五歳


御父母上様

私ハ此ノ様ナ拙文デモ、今度戦地ヘ出タラ再ビ御出会出来ヌモノト思ヒ、
真心コメテ書ク事ノ出来ル資格ニナッタカト思ヘバ、
本当ニ感謝ノ念デ胸ガ一杯デアリマス。

中学以来航空ニ志シ、父母ノ了解ヲ待タズ色々ナ心配ヲカケ、
決戦ガ血戦ヲ生ンデ、昨夏全学徒ヨリ飛行予備学生ガ募集サレルヤ、
小生ノ応募ヲ許シテイタダイタ時ノ喜ビ、
先祖代々ヨリ伝ハル至誠尽忠ノ赤キ血ハ躍ルヲ覚ヘマシタ。

而シテ時ハ早クモ一年ハ流レ、
艦爆隊士官トシテ近ク決戦ノ大空ヘ飛立ツ事ト相成リ、本ヨリ生還ハ期セズ。

(中 略)

想フニ此ノ年マデ私ヲ教育シテ下サレ、父母ノ慈愛ノ下ニ過シタ生活ハ、
私ハ本当ニ幸福デアリマシタ。

私ハ此ノ御恩返シハ、只々一身ヲ国ニ捧ゲテ立派ナ死ニ方ヲスレバ、
御両親モサゾカシ喜ンデ下サル事デセウ。

一史戦死ノ報ガアリマシテモ、決シテ涙ヲ流シテ下サイマスナ。

一史ノ写真ニ只一言「良クヤッテ呉レタ」
ト言ッテ下サレバ、私モ大手ヲ振ッテ靖國神社ヘ行ケマス。

我々青年士官ガ頑張ラナクテハ、他ニ誰ガ元ノ日本ニ戻ス事デセウ。

想ヒ出ハ尽キズ。
又、想ヒ出セバ想ヒ出ス程胸ガ一杯デス。
何卒、今マデノ不孝ヲ御許シ下サイ。

御両親様モ御体大切ニ、余生ヲ御送リ下サイ。

  昭和十九年八月二日 
      午後四時半 於 書院

御両親様ヘ
   出陣ニ際シ
                   
                       海軍少尉 天野一史

・・・

 『3月拝殿掲示』

   皇后陛下(現上皇后陛下)御歌

   慰霊碑に詣づ(硫黄島)   (平成6年)

    慰霊地は今安らかに水をたたふ
    如何ばかり君ら水を欲りけむ

    (http://sukurari1945.blog48.fc2blog.us/?mode=m&no=1463 )

           <感謝合掌 令和8年3月14日 頓首再拝>

****社頭掲示~平成24年3月 - 伝統

2026/03/15 (Sun) 14:14:54


遺書

陸軍少尉 南 正夫命

昭和十八年三月三日
ニューギニア島ラエ東北方
約四五哩海上にて戦死

大阪府北河内郡星田村出身
二十四歳


大東亜戦争今ヤ酣(たけなわ)ナリ。
我モ亦、帝国軍人トシテ壮途ニ上ル。
固(もと)ヨリ生還ヲ期セズ。

サレバ予メ此処(ここ)ニ遺書ヲ記シ、
以テ謹ミテ南家御一同ニ示サントス。


我生ヲ禀(う)ケテ、ココニ二十有三年。
其間南家ノ長男トシテ祖父母、父母様方ノ此(この)上(うえ)ナキ
御慈(いつく)シミヲ受ケ、誠ニ浮世ノ苦難ヲ知ラヌ、
多幸ナル生涯ヲ送リ得タリ。

コレ偏(ひと)ヘニ、我ガ祖先就中(なかんずく)、
祖父母様父母上ノ山ヨリモ高ク、海ヨリモ深キ御恩ナリト厚ク御礼申上候。

然ルニ我、此処ニ死ス無窮(むきゅう)ノ恩ニ報イルニ
夭折(ようせつ)ヲ以テスルハ、深ク我ノ遺憾トスル所ナリ。

サレド我ハ今、天皇陛下ノ御楯トシテ皇国ニ殉ジタルナリ。
然モ忠孝一本ハ我国道義ノ精粋(せいすい)ナレバ、
皇国ニ殉ズルヲコソ親ニハ孝ナレト謂ハン。

我ハ心身一切ノ力ヲ尽クシ、
従容(しょうよう)トシテ悠久ノ大義ニ生キタルナリ。

幾(こいねがわ)クハ此ヲ以テ、
我ノ親ニ対スル最大ノ孝ナリト思召(おぼしめし)下サレヨ。

我ガ死ヲ聞カバ、孫ヨ倅(せがれ)ヨ良クヤッタリト御褒メ下サレ度候。

(中 略)

 大日本帝国万歳  南家万歳


    辞  世

花ト咲キ 花ト散ル身ノ 我ナレハ
      カネテコノ日ヲ 待詫ヒシナリ

頓首
昭和十七年一月七日                 正 夫

南家
御一同様

・・・

『3月拝殿掲示』

  御製
       硫黄島      (平成6年)

    戦火(いくさび)に焼かれし島に五十年(いそとせ)も
    主なき蓖麻(ひま)は生い茂りゐぬ
             (*蓖麻-トウゴマ。種子からとれるのがひまし油)

     (http://sukurari1945.blog48.fc2blog.us/?mode=m&no=938

           <感謝合掌 令和8年3月15日 頓首再拝>

****社頭掲示~平成23年3月 - 伝統

2026/03/16 (Mon) 12:34:45


硫黄島からの近況報告


海軍少佐  高野與三郎命

昭和二十年三月十七日
硫黄島にて戦死

神奈川県横須賀市坂本町出身 三十九歳


拝啓、無事御帰還の事と遙察致して居ります。
新聞で既に御覧の通り、司令が退隊されて三日後の大挙空襲に際し、
味方指揮官がB‐24に体当りを敢行、見事一機撃墜致しました。

思はずあの指揮所から万歳を絶叫しました。
司令退任前、是非一度お見せしたかったと語り合って居ります。

その後は、三十機の新「レコード」でやって来ますが、
こちらのHA射撃精度向上に連れ、敵の高度も次第に高くなり、
被害も次第に少くなって居ります。

気候も次第に良くなり、一般の健康状態も良好となり、
士気大いに揚って居ります。

殊に、最近次々と挙る神風特別攻撃隊の体当りの戦果に感奮し、
全員肉迫挺身の意気に燃えて居ります。

お蔭様を以て十一月一日、大尉に進級致しましたから何卒御安心下さい。

   (中  略)

先夜は又、第二照射空隊が見事照射捕捉して司令官より色紙を賜る等、
各部共次第に技量の向上を認められ、之(これ)全く和智司令の御教訓を旨とし
精進したる賜物と、只々感謝致して居ります。

北○○島にも近くMG増勢の予定にて、最早(もはや)出発準備完了致して居ります。
先づは近況御報告迄で。

十一月三日

                             高野與三郎

和智大佐殿

机下

           <感謝合掌 令和8年3月16日 頓首再拝>

****社頭掲示~平成22年3月 - 伝統

2026/03/17 (Tue) 14:53:18

涙の出る限り泣いてください


海軍大尉 橋 本 光 雄 命

昭和二十年三月十一日
インドシナ東方海上にて戦死

福島県双葉郡久之浜町出身
二十六歳


光雄、このたび海軍予備学生に志願中のところ、
採用予定者として一週間の後、家郷を出でんとす。

(中略)

世人或は云はん。
何も大学まで進みながら、最も危険なる航空に志願せずともよろしからんにと。
されど大学は立身出世の為の大学にあらず。

祖国日本なくして大学なく、祖国なくして家もなし。

(中略)

世人或は云はん。
光雄一人くらゐ志願せずともよろしからんにと。
されど皆かく考へるに至らば、最後には祖国を護る者、
遂に一人も残せざるに至るべし

(中略)

光雄は祖国の急を救ふため、男子の本懐として雄躍征って参ります。

(中略)

光雄が死ぬときは
天皇陛下萬歳
大日本帝国萬歳
と呼んだら、すぐ心の中で母ちゃんと呼びます。

心の中で呼んでも母ちゃんにだけは聞こえる様に呼びます。

(中略)

人様の居らぬ所ではいくら泣いても良いです。
お父さんは怒るかも知れませんが、
お父さんだって泣きたいのを男だから痩せ我慢して居るだけでせう。
かまはぬからお二人で涙の出る限り泣いてください。

(中略)

生涯(こしかた)を光雄(われ)の将来(ゆくへ)に捧げたる
母が慈愛(なさけ)に何と報(こた)へん

(中略)

昭和十八年九月一日

御両親様

     ( https://japansdf.com/archives/787 )

・・・

『3月拝殿掲示』

御製 硫黄島(平成6年)

「精根を 込め戦ひし 人未だ
 地下に眠りて 島は悲しき」

           <感謝合掌 令和8年3月17日 頓首再拝>

****社頭掲示~平成21年3月 - 伝統

2026/03/18 (Wed) 14:14:58

心身一片の雲なき気分です


陸軍大尉 寺村 義夫命

昭和二十年三月二十七日
比島ルソン島クラーク山中にて戦死

滋賀県彦根市芹橋町出身 二十八歳


御両親様

前便にて色々申上ました通り、何ら思ひ残す事もありません。
北條からの母上様の御便り入手致しました。
何から何まで都合よく、本当に小生、幸福者でした。

父上様には愈々御健勝に長生きして下さい。
二十有七年の御教育、今こそ義夫身を以て具現(ぐげん)致します。
今、故国を離れるに当り、この決戦に参兵出来る身を喜ぶのみです。

戦局、正に皇國(こうこく)興廃(こうはい)の関頭(かんとう)に立ちました。
征(ゆ)きます。攻めてく攻め抜きます。

(中略)

本当に心身一片の雲なき青空の気分です。

征きし報、伝はらば大いに祝って下さい。

では 征きます 御達者で             義夫

御両親様


・・・

明治天皇御製

「花」(明治38年)

「近からば わが庭ざくら 北****の たむろに折りて やらましものを」

           <感謝合掌 令和8年3月19日 頓首再拝>

****社頭掲示~平成20年3月 - 伝統

2026/03/19 (Thu) 14:54:58

遺 書

陸軍歩兵伍長 福田誠一命

昭和十四年三月十日
****江蘇省山後村附近にて戦死

広島県安芸郡倉橋島村出身 二十五歳


弟進へ
進よ、兄は戰争に行く二度と会ふ事は出来ぬ、
進よ、兄が戰死と聞いたなら内の責任は君の双肩にあり、
父母によく仕へ立派な人間になって呉れ、兄の墓を建てゝ呉れ、
兄が最後の願ひだ、

君は生活に苦しむと言ふ事は無いと思ふが立派に暮して呉れ、
何事も打勝つと言う事だ、
父母を頼む、

これから社会へ立つのだ、一歩一歩進み行けよ。


妹富美子へ
富美子よ、君は勝氣なるが故に兄は心配をする、
女の道は只實直に進むのだ、君の今の病氣に負けてはならぬ、
恋愛に落ちるので無い、今君の責任は大である、
君故にお父さんは心痛して居る、何事も父に打明けて相談せよ、
わからぬ父では無い、

早く病氣を治して良い家に嫁いて呉れ、
君の顔を一目見たいが会はずに兄は征く、
君の花嫁姿は何処かの地下で手をたゝいて嬉んで見て居る。

  (https://ameblo.jp/maximum-the-chicken/entry-10232920785.html

           <感謝合掌 令和8年3月19日 頓首再拝>

****社頭掲示~平成19年3月 - 伝統

2026/03/20 (Fri) 14:52:42


「嫁ではなく、我子と思つて」

海軍工作兵曹長 小笠原嘉明 命

戦艦「大和」乗艦 昭和二十年四月七日
九州坊ノ岬南方沖合にて戦士
愛知県出身 二十九歳


我、軍人としての本分を立派に果し、
神風大和艦上に最期を飾るは、
我、無上の譽れと深く心に銘記し笑つて死すものなり。


御両親様、妻愛子は良嫁になかりしが、我の妻で御座居ます。

夫婦の契を立て、二世を誓ひし以上は、
我と一心同体なりし事は申す迄もないと存じまする。
ましてや我は國難に殉じる軍人です。
其の家族が軍人の家族らしからぬ事、此の世に多しと承り、
此に一言遺書を記すものなり。

(中略)

一、里方へ歸るも可なれど、里方にては御迷惑せられますれば、
  我家にゐては居辛く本人としては我家を出て静かに自活したき希望なれば、
  本人の希望通りに自力自活の道に進む様御願ひ申し上げます。

  其の上にて再婚の道有ればお進め下さい。
  再婚致す迄は愛子の籍は我が妻として置て戴きたくお願ひ申し上げます。

一、人間は感情の動物なれば、憎きやつと思へばだんだんと遠ざかり、
  可愛がれば愛子とても孝養せなくてほならなくなると我は存じますれば、
  嫁とは思はず、我子と思はれまして可愛がつて下さいます様御願ひ申し上げます。

(後略)

  (http://ryuzoji358.hatenablog.com/entry/2017/12/02/130231 )

           <感謝合掌 令和8年3月20日 頓首再拝>

****社頭掲示~平成18年3月 - 伝統

2026/03/21 (Sat) 15:02:25


海軍少佐 篠崎眞一命

横須賀海軍航空隊
昭和十九年六月二十九日内南洋方面にて戦死
東京都出身 二十四歳


「玲子」

玲子は日本一、否世界一の妻なりと思ってゐる。
苦勞のみかけ、厄介ばかりかけ、何等盡し得なかった事済まなく思ってゐる。
四月十五日以来僅な月日であったが、私の一生の半分に價する月日であった。

父母に孝養を盡してくれ、私の分迄。
私に逢ひ度くば空を見よ、飛行機を見よ、軍艦旗を見よ。
私は其処に生きてゐる。

結婚のすべての手續き、六月十二日に横空で完了して置いた。
くれぐれも後を賴むよ。

私の出来なかった事も玲子には出来る。
後顧の憂、一つなく征ける身の幸福を感謝してゐる。

最愛の玲子、御身を常に見守ってゐるよ。

           <感謝合掌 令和8年3月21日 頓首再拝>

****社頭掲示~昭和47年3月 - 伝統

2026/03/22 (Sun) 14:55:39


「獄中より最後の願ひ」

陸軍憲兵准尉 藤井 力 命

昭和二十一年四月二十二日 上海にて法務死 

徳島島麻植郡鴨島町出身 四十一歳


一、私は敏子を離別します。
一、敏子に再婚させて下さい。
一、私に成仏させて下さい。

私は敏子が現在の不幸に打勝つて再婚し、
母となり幸福になつた時成仏出来ます。
その他に成仏はありません。

追善供養は不要です。

お父様、お母様、敏子をいたはつてやつて下さい。
彼女が涙もかれてしまひ、精も根もつきる程の不幸に落したのは私です。

亦悪い星の下に生れた私であり敏子でありました。
どうかいたはつて下さいませ。

最後の願はこれ丈です。
彼女が戦火の中に身を挺して来てくれたのも
斯うなる私に天が与へた最後の御慈悲であつたことでせう。

私は人生の喜びも、彼女によつて与へられました。

収容せられても此の淋しい獄舎にて、暖い便りや衣類を送つて呉れ、
その愛情につゝまれて居ります。

私の心は幸福でした。

前後の事情は彼女がお父様、お母様に報告して呉れませう。

皆様にも、もう会へませんが、左様なら 左様なら。

お父様お母様御長生下さい。御機嫌よく。

三月二日    力
お父様

お母様


http://ryuzoji358.hatenablog.com/entry/2017/12/02/130231

           <感謝合掌 令和8年3月22日 頓首再拝>

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