伝統板・第二
祈り(10) - 伝統
2026/04/08 (Wed) 10:10:13
祈りとは人格的交わりである
*「光明法語」(4月8日)より
祈りと云うものは必ずしも結果をもとめて祈るものではないのである。
祈りは「神」と「神の子」との人格的交わりである。
神から与えられた生命であるところの「神の子」なる人格は、
親なるところの神に心を転回して、神と人格的に交わる時間を
持つことは是非共必要なところの行事である。
それ自身が荘厳きわまりなき処の行事であって、
結果があるとか無いとかの問題ではなく、
直接的にそれ自身が目的である。
神から生れた人間にとっては、
神へ生命(いのち)を転回し振り向けることは、
唯嬉しい行事である。
・・・
<関連Web>
(1)本流宣言掲示板「人は何のために「祈る」のか (4612)」
→ http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=965
(2)光明掲示・第一「祈りとは」
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1417 (消滅)
(3)光明掲示板・第二「「不断念仏」「平生業成」」
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2014(消滅)
(4)伝統板・第二「祈り」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6818447
(5)伝統板・第二「祈り(2)」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7543475
(6)伝統板・第二「祈り(3)」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7738427
(7)伝統板・第二「祈り(4)」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7866654
(8)伝統板・第二「祈り(5)」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7980268
(9)伝統板・第二「祈り(6)」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8139198
(10)伝統板・第二「祈り(7)」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8254440
(11)伝統板・第二「祈り(8)」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8319284
(12)伝統板・第二「祈り(9)」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8389939
<感謝合掌 令和8年4月8日 頓首再拝>
喜悦の祈り - 伝統
2026/04/10 (Fri) 11:02:28
*「光明法語」(4月10日)より
神に祈るときは喜びの感情を以って祈るべきである。
神に対して泣きついてはならない。
若し、久し振りに逢った実子が其の親に対して、
自己の不幸を嘆き訴えたならば、
その親は実際好い気持ちがするであろうか。
またかかる実子は親孝行だと云えるだろうか。
親に会ったとき、唯会うだけで嬉しい感情に満たされるのが
親孝行の子供ではないであろうか。
神に対して泣き言を訴えるな。
私は幸福です。健康です。豊かに暮らしていますと言え。
これが本当の親孝行の「神の子」の祈りである。
<感謝合掌 令和8年4月10日 頓首再拝>
明るい心持で祈るがよい、しかし、酒は飲まぬ方が好い - 伝統
2026/04/11 (Sat) 11:27:29
*「光明法語」(4月11日《酒は飲まぬ方が好い》)より
祈りをする時には茶断ちの如き「断ち物」は要らないのである。
祈りは親に会う時であるから憔悴したる如き顔付をして見せるな。
寧ろ神の恵みであるすべてのものを豊富にとり、顔を剃り、脂(あぶら)を塗り、
髪を梳(くしけず)って元気な顔をして祈るべきである。
全て明るい心持は明るい事物を引き寄せるのである。
併し酒は飲まぬ方が好い。
酒を飲むと一時気分を明るくするが、それは麻酔剤であるから
一時の心の暗さを誤魔化すのであって、次が乱れて来る。
生活に節度がなくなり、
節度がない事を豪傑ぶって自慢にするようになる。
<感謝合掌 令和8年4月11日 頓首再拝>
《祈りは必ず成就する》 - 伝統
2026/04/12 (Sun) 11:39:23
*「光明法語」(4月12日)より
吾々の祈りは必ず成就する。それは間違いのなきことである。
併しながらその祈りとは、数分間、神社または祭壇でとなえることのみが
祈りではないである。
祈りと云うのは生命(いのち)の宣言(のりごと)である。
生命の奥深くで、念じていること、唱えていること、呟いていることは
悉く”いのり”である。
だから、不幸を呟いている者は不幸が来るように祈っているのである。
病気を呟いている者や、常に人に苦痛を訴えている者は病気や苦痛が来るように
訴えているのと同じことである。
<感謝合掌 令和8年4月12日 頓首再拝>