伝統板・第二
生命の教育 ⑭ - 伝統
2026/06/05 (Fri) 12:01:53
「生命の教育」(令和8年6月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉
《子供の生命を正しい道に乗せること》
子供のしつけ
~【 “しつけ”は、子供を抑圧するものではなく、
内に宿る神性を引き出すため 】~
《子供の生命を正しい道に乗せること》
*(新編『生命の實相』第22巻79~80頁)
頭注『生命の實相』第14巻教育篇(P132~133)
生命は、すこやかにその正しい道に伸ばさしめる事が必要である。
正しい道にということが肝腎である。
幼児は生命(せいめい)にみちあふれている。
彼はじっとしていられない。
何かせずにはいられない。
生命(せいめい)は「動(どう)」がその本体だからだ。
その「動」の生命(せいめい)を正しき道に乗せる事が必要だ。
正しき軌道を走るように導く事が必要だ。
これが教育である。
あまりに満ちあふれた生命(せいめい)は脱線しがちである。
脱線した生命(せいめい)の電車は周囲を傷つけると共に
自分自身を破壊する。
彼は乱暴をする、 いたずらをする、 破壊する。
彼にとっては、活力の《はけ場》がないために已(や)むを得(え)ずに
した行為が叱られたり罰せられたりする原因となる。
しかし両親がその子供の溢(あふ)れでる生命力の正しい使い方を教えない
でいながら、子供が乱暴をはたらくといって罰するならば、
それは生命の完全な生長の妨(さまた)げとなる。
鞭(むち)は指南車(しなんしゃ)ではない。
それは正しき方向を決して指し示さない。
活力に充(み)ちあふれて《やり場》のない幼児の生命(せいめい)は
迸出(へいしゅつ)(編注:ほとばしり出ること)と抑止との
板挟みとなって浪費される。
子供の悪傾向は叱責(しっせき)で抑止されるかも知れない。
しかしそれは積極的な生長とはならない。
生命の動きを圧迫するところに積極的な生長は起り得ない。
善と真(しん)との発達は生命の圧迫から来るのではなく、
正しき道に生命をのせることによって来るのだ。
幼児の充(み)ち溢(あふ)れる生命を抑圧によって萎縮させるものは
生命を尊ばない者のすることだ。
・・・
<参照>
「生命の教育」誌(令和8年5月号)
https://www.shinkyoren.jp/pages/34/
・・・
<関連Web>
(1)伝統板・第二「生命の教育 ①」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6833626
(2)伝統板・第二「生命の教育 ②」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7673404
(3)伝統板・第二「生命の教育 ③」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7745476
(4)伝統板・第二「生命の教育 ④」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7812318
(5)伝統板・第二「生命の教育 ⑤」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7865326
(6)伝統板・第二「生命の教育 ⑥」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7966921
(7)伝統板・第二「生命の教育 ⑦」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8019877
(8)伝統板・第二「生命の教育 ⑧」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8203325
(9)伝統板・第二「生命の教育 ⑨」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8262390
(10)伝統板・第二「生命の教育 ⑩」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8308316
(11)伝統板・第二「生命の教育 ⑪」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8338935
(12)伝統板・第二「生命の教育 ⑫」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8384849
(13)伝統板・第二「生命の教育 ⑬」
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8420407
<感謝合掌 令和8年6月5日 頓首再拝>
《子供が善くなることが親の喜びであると分かるように》 - 伝統
2026/06/06 (Sat) 11:59:25
「生命の教育」(令和8年6月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉
子供のしつけ
~【 “しつけ”は、子供を行く圧するものではなく、
内に宿る神性を引き出すため 】~
《子供が善くなることが親の喜びであると分かるように》
*(新編『生命の實相』第22巻162~163頁)
頭注『生命の實相』第14巻教育篇(P190~191)
「下手だ」とか「悪い」とかいって叱りつけて、
児童の心に自己の悪い方面を印象せしめるような旧式の教育法
は断然改めなければならないのである。
といって、下手のままで「これで善い」と慢心せしめるような教育法も
失敗だといわなければならないのである。
「非常に上手(じょうず)に出来たが、ここをもう少しこうしたら
一層出来ばえがよくなるだろう。それ御覧、こうなるだろう。
今度はここをもう少し注意してやって御覧なさい。
きっとまだまだ上手になる。
この子は少しでも善くないところはすぐ改める子だから、
どれだけでも上手になる子だ。
将来どれだけ天才になるか、私はお前を楽しみにしているのだ」
こういうふうな言葉を使って、
善くないところを改善することに歓びを見出(みいだ)すような
誘導法を用いるのが最も好(よ)いのである。
常に子供を批評するときには、確定的な言葉で、彼の将来を祝福してやり、
子供の上達に親たちが望みをかけており、
彼が上達することが真に親たちの喜びであることを、
ハッキリと彼の心に感じられるようにしてやるが好(よ)いのである。
子供は親に喜ばれることをどんなに喜ぶか!
<感謝合掌 令和8年6月6日 頓首再拝>
内在する神性を現し出すように - 伝統
2026/06/07 (Sun) 11:58:17
*新編『生命の實相』第64巻57頁
頭注『生命の實相』第40巻 ?
優しい素直ないい子供をこしらえようと思ば、 親が本当に子供を
愛しているぞということを、言葉で以って、微笑(ほほえみ)で
以って、態度で以て、行いで以て、実際にそれを示すことにしましたならば、
必ず子供は本来神の子なのですから、善良なる模範児童が出来あがるので
あります。
<感謝合掌 令和8年6月7日 頓首再拝>
《いのちが神様である》 - 伝統
2026/07/06 (Mon) 12:21:12
「生命の教育」(令和8年7月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉
いのちの尊さを知ろう
《いのちが神様である》
*(新装新版『真理』第3巻37~39頁)
『眞理』第3巻初學篇(P44~46)
古(いにしえ)の聖者は、「唯(ただ)一つの善は神のみである」と云いました。
見えないでも神はいらっしゃるのです。
「神」は目に見えない姿がカクレていますから
「カクリミ」(隠身)と云うのです。
「カクリミ」の上の文字と下の文字とが残って、中がつづまって
「カミ」となったのであります。
どうして目に見えないのに神があると云うことがわかるかと云う人が
あるかも知れませんが、あなたは生きているでしょう。
自分で生きていることがわかりましょう。
生きているのはいのち生命(いのり)があるからでしょう。
その生命(いのち)があると云うことは自分自身にわかりますが、それなら、
その生命(いのち)あなたに見えますか。
見えないけれども、あることはわかるでしょう。
あなたが眠(ねむ)っている間にも、その「いのち」は肺臓を呼吸させ、
心臓ぞを鼓動させ、血液を循環させ、胃腸に消化をつづけさせて、
あなたの身体(からだ)を養(やしな)っているではありませんか。
あなたの肉体(にくたい)はこの「《いのち》」に支えられて
其(そ)の形を保っているのです。
あなたの身体(からだ)が一定の形を保っているのは、
それを支えている「いのち」の力なのです。
(中略部分として
「いのち」の中に一定の「心の形」の模型があって、
その形に肉体を保っているのですから、「肉体の形」は「いのち」の
中の「心の形」の影だと云いことが出来るのです。
これを「肉体は心の影」と生長の家では簡単に云っているのです。
だから「肉体」から「いのち」が脱(ぬ)け出るとと、
もう「肉体」はもとの形を保っていることが出来ないで腐敗し分解し
くだけて形はなくなるのです。
すると、肉体よりも「いのち」の方が元であって「いのち」の中の
「心の形」(これを理念と謂います)のとおりに、肉体はなるので
あります・)
《いのちが神様である》
その「いのち」こそ神様なのです。神様は「お札(ふだ)」や
「金佛(かなぶつ)」や「お社(やしろ)」ではありません。
眼(め)に見えない「不可思議」な智慧で、到る処に生き物を
をうみ出し、人間をつくり出しているのです。
だから、 「いのち」の宿(やど)っている《もの》には、
皆(みな)、神がやどっているのです。
・・・
<参照>
「生命の教育」誌(令和8年7月号)
https://www.shinkyoren.jp/pages/34/
<感謝合掌 令和8年7月6日 頓首再拝>
「生きている」とはどんなことですか - 伝統
2026/07/07 (Tue) 12:01:48
「生命の教育」(令和8年7月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉
いのちの尊さを知ろう
「生きている」とはどんなことですか
*(新装新版『真理』第1巻170頁)
『眞』第1巻入門篇(P196~197)
それでは生きていると云うことはどう云うことでしょうか。
「生きているもの」と、「死んでいるもの」との区別は、
「生きているもの」には「心」があり、
「死んでいるもの」には「心」がないということです。
「心」がぬけたら結局、おそいか早いか、地に帰るのです。
九十数元素の物質が、或る形にならんで、
鳥(とり)は鳥の形、犬は犬の形、猫は猫の形、象は象の形、
人間は人間の形、
人間は人間でも、太郎さんは太郎さんの顔、
次郎さんは次郎さんの顔、花子さんは花子さんの顔、
芳子さんは芳子さんの顔をしているのは何故でしょうか。
それは、その体の中にやどっている「心」の形がちがうからです。
みんな「心」のとおりの「形」をしているのです。
だから、どんな「心」をしているかは、
その人の顔を見ればわかるのです。
観相家でなくとも、顔を見れば、だいたいどんな心の人か、
怒っているか、喜んでいるか、不平でいるかがわかるのです。
<感謝合掌 令和8年7月7日 頓首再拝>
心が明るいと生命(せいめい)は伸びる - 伝統
2026/07/08 (Wed) 10:54:43
「生命の教育」(令和8年7月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉
いのちの尊さを知ろう
心が明るいと生命(せいめい)は伸びる
*(新装新版『真理』第3巻209頁)
『眞理』第3巻初學篇篇(P247)
伸びると云うことは生命(せいめい)自身の本然(ほんねん)の
姿であります。
生命(せいめい)それ自身に斯(か)くの如くあるように、本来の
性質があるのであって、それを抑えることは出来ないのです。
伸びることを抑えたら吾々は苦しむのです。
伸びるものを抑えられたら、生命(せいめい)が苦しむのは、
生命(せいめい)本来の性質が伸びることにあるからです。
吾々は楽しい時にはいのちが伸びている。
伸びられないときは、悲しく感じたり、苦しく感じたり、
陰気な憂鬱な気持ちになるわけです。
吾々の心と生命とは、互いに連鎖反応を起こすもので、
心が明るいと生命(せいめい)が伸び、
生命(せいめい)が伸びると心が明るくなりますが、
心が暗いと生命(せいめい)が伸びないし、
生命(せいめい)が伸びないと心が暗くなる。
どこまで行ってもつづくのです。
そこで吾々は出来るだけ楽しく喜ばしく明るく愉快に生きてゆく
ようにしておりますと、その人は伸びるわけです。
<感謝合掌 令和8年7月8日 頓首再拝>
ハーヴィ・S・ハードマン博士の語録より - 伝統
2026/07/27 (Mon) 10:51:35
*『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(7月27日)より
もし両親が自分の子供たちに対して性の問題を論ずるのに
フランクなうちあけた態度であることができるならば
人類の多くの不幸は除かれたとであろうと考えられるのである。
子供の無邪気さは「性」に関するあやまれるそして粗雑な考えに対して
それを防ぐところの楯をなしているのである。
その純潔なる心が、古い人類がもつところの「性」についての不純なる観念、
性的関係に関する罪についての哲学や神学の脅迫力から自分たちを守るところの
働きをしているのである。
もし父と母とが生殖の法則と人間出生の法則とを汚れなき健全な方法において子供に
説明してやらないで、まるでサンタクロースのおとぎ話の中からでも子供が生まれて来るかの
ように教えるならば、彼らは性的に堕落した青年男女から、最も神聖なる人生の行事を
間違った観念によって植えつけられるおそれがある。
ある宗教家は男女の性的結合を人間の原罪的な性質として恥ずべきことのように教えるので
あるけれども、キリスト教と呼ばれる宗教が二千年もつづいてきた後に、なお人間の性質が
すべてまちがっていると言うならば、その長い間常に人間の心の中に善き教えをふきこんで
きたと称する宗教の教師たちは今すぐに辞職しなければならないであろう。
なぜならその長い時間の間教会はアダの原罪から人間を救うための努力をしてきたので
あるからである。
わたしは人間性は本来正しきものであることを信じ、人間の自然の原理に叶うところの教えが
本当の宗教であり道徳であるのであって、外側ばかり純潔な顔をして不潔な妄想を内部に
はらんでいる人工的宗教は、本当の宗教ではないと信ずるのである。
(ハーヴィ・S・ハードマン博士の語録より)
<感謝合掌 令和8年7月27日 頓首再拝>
《久遠の生命(いのち)を生きるのは大和魂》 - 伝統
2026/08/02 (Sun) 11:36:41
「生命の教育」(令和8年8月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉
日本国の素晴らしさ―古事記神話にみる日
《久遠の生命(いのち)を生きるのは大和魂》
*『古事記と日本国の世界的使命』205頁 より
日本精神というのは、汚(きたな)い事をしてまで長生(ながいき)
したいという風な執着深い功利的精神ではないのであります。
(中略)
一個の人間が何時(いつ)までも固定し長く続いて行くというのは
日本精神ではないのあります。
日本精神というものは、現象の無常を悟り同時に実相(じっそう)
生命の永遠を悟るところの精神であります。
現象界は一瞬と雖(いえど)も止(とど)まらず移り変るのであります
けれども、現象界の一瞬一刻一点、その一点の『今』に、久遠(くおん)
の生命を生きるのが大和魂(やまとだましい)である。
・・・
<参照>
「生命の教育」誌(令和8年8月号)
https://www.shinkyoren.jp/pages/34/
<感謝合掌 令和8年8月2日 頓首再拝>
『今』の一瞬に永遠を生きる日本人 - 伝統
2026/08/04 (Tue) 10:57:21
「生命の教育」(令和8年8月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉
日本国の素晴らしさ―古事記神話にみる日本精神
『今』の一瞬に永遠を生きる日本人
*『古事記と日本国の世界的使命』206頁~207頁 より
『美』とは、そこに生命が現れているということです。それですから、
木花佐久夜毘賣命(このはなさくやひめのみこと)をお選びに
なったということは『生命』をお選びになったということであります。
生花(いけばな)を活(い)けてもそれがしいと感ずるのは、
活(い)けた人の生命がそこに籠(こも)っている。
或いはその花が萎(しお)れていないで活き活きとしているからです。
同じく天地人(てんちじん)の法則にかなった生け花でも、活けて
から十日ばかりすると何となしに同じ恰好(かっこう)はしている
けれども生気(せいき)がない。美しく感じられなくなって来るので
あります。
同じく天地人(てんちじん)の法則に適っている生け花だのに、
美しく感じられないのは萎れて生命が生きていないかであります。
生命が生きていれば必ず美しいのです。
(中略)
日本人は生気(せいき)を尊んだ民族で、
生命のないことを『気(け)枯(が)れ』と云った。
(中略)
美というものは形にあるのではなく、ものそのものの内に
生きている生命にあるのです。
『今』の一瞬に久遠(くおん)の生命を生きる人は常に生命が
溌剌として本当に美しい相(すがた)が出ているのであります。
此の真理を行(ぎょう)の上に表現せられたのが
邇邇藝命(ににぎのみこと)でありまして、
非常に尊く御行迹(ごぎょうせき)を拝察させて頂くのであります。
<感謝合掌 令和8年8月4日 頓首再拝>
朝(あした)に道を聴(き)かば夕(ゆうべ)に死すとも可なり」の生活 - 伝統
2026/08/06 (Thu) 11:45:17
「生命の教育」(令和8年8月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉
日本国の素晴らしさ―古事記神話にみる日本精神
朝(あした)に道を聴(き)かば夕(ゆうべ)に死すとも可なり」の生活
*『古事記と日本国の世界的使命』99頁~100頁 より
吾々が此の世に生きている生活も(中略)
今この《瞬間無限》を生きている、完全な生活を生きている、
その完全の連続が常に自分の生活でなくてはならないのであります。
こういう生活であってこそ
『朝あした)に道を聴(き)かば夕(ゆうべ)に死すとも可なり』の生活
だということが出来るのである。
爆弾三勇士
(編・昭和七年に起きた上海事変で、敵陣地の鉄条網を爆破するため、
陸軍工兵三名が爆弾を抱えて任務を遂行し、自らも戦死した。
この勇敢な行為に日本国民は感激し、歌や映画などでも取り上げられた)
の生活は、あれで悔(くい)なき生活であり、一瞬に永遠を生きたのであります。
(中略)
現象世界の生活は凡(すべ)て因縁所生(いんねんしょしょう)、相互依存の
生活でありますけれども、その因縁所生相互依存の生活を送りながらも、
その一瞬一瞬の生活が『久遠の我(われ)』を自覚した生活ならば
金剛不壊の生活であります。
何故(なぜ)なら『久遠の我』は金剛不壊で壊(くだ)けようがないから
であります。ですから、十字架のキリストのように、爆弾三勇士のように、
この今の瞬間に久遠を生きている為に何時(いつ)でも金剛不壊なのです。
一瞬一瞬が金剛不壊で、砕(くだ)けないところの無限の大生命を
生きているという事になるのであります。
キリストが『生命(いのち)を捐(す)つるものは生命(いのち)を得(う)』
と云ったのは此の事を道破(どうは)したのであります。
<感謝合掌 令和8年8月6日 頓首再拝>
《先祖の霊体(れいたい)は生きている》 - 伝統
2026/09/08 (Tue) 09:17:03
「生命の教育」(令和8年9月号)の
谷口雅春先生(「生命の教育」創始者)の言葉
「根を培う教育」―いのちの根はご先祖様―
《先祖の霊体(れいたい)は生きている》
*『新編『生命の實相』第43巻179―181頁 より
頭注『生命の實相』第28巻久遠仏性篇(P69~71)
吾々の祖先も肉体を滅しても霊体の波はやはり在しておりますので、
その霊体の波たるや、その人の悟りの程度に従って千差万別の状態を
現しているのであります。
それは現世(げんせ)に於(おい)てもこの肉体という波動的存在が
その人の悟りの程度に従って色々の波を現して、健康であったり病気を顕わし
たりしているのと同じことであります。
(中略)
吾々は「現世」とか「来世(らいせ」とかいうカンバスに何で
絵を描(か)くかというと、念波(ねんぱ)で絵を描くのであります。
念波という絵具(えのぐ)を以(もっ)て絵を描くのでありますから、
その念波を善くし、又よくしてあげることが必要であるのであります。
・・・
<参照>
「生命の教育」誌(令和8年9月号)
https://www.shinkyoren.jp/pages/34/
<感謝合掌 令和8年9月8日 頓首再拝>