伝統板・第二
【41年祭】 - 伝統
2026/06/13 (Sat) 11:42:17
今月の6月17日は、谷口雅春先生の【41年祭】。
谷口雅春先生の最後のお言葉 上野志保子
seimeinojissoh( 2022/05/09)
https://www.youtube.com/watch?v=2C1cE6If68k
昭和60年6月13日(朝)3時30分 【谷口雅春先生 最後のお言葉】
『”病なし! 迷いなし! 罪なし!”
これが生長の家の根本真理であります。
それでは、神様ただ今より眠らせていただきます』
その後、眠りに入り、
神様から託された使命を全うし、
昭和60年6月17日午前7時53分、
眠ったまま最高級神界に旅立たれました。
《感謝・合掌》
・・・
<関連Web>
(1)生長の家“本流宣言”掲示板~「谷口雅春先生【26年祭】 (2737)」
→ http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=535 消滅
(2)生長の家“本流宣言”掲示板~谷口雅春先生【27年祭】 (10234)
→ http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2425 消滅
(3)生長の家光明掲示板・第一 ~谷口雅春先生【28年祭】 (9307)
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1767 消滅
(4)生長の家光明掲示板・第二 ~谷口雅春先生【29年祭】
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1796 消滅
(5)伝統板・第二 ~谷口雅春先生【30年祭】
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6515046
(6)伝統板・第二 ~谷口雅春先生【31年祭】
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6915417
(7)伝統板・第二 ~谷口雅春先生【32年祭】
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7584255
(8)伝統板・第二 ~谷口雅春先生【33年祭】
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7754408
(9)伝統板・第二 ~谷口雅春先生【34年祭】
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7875202
(10)伝統板・第二 ~谷口雅春先生【35年祭】
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7989381
(11)伝統板・第二 ~谷口雅春先生【36年祭】
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8200675
(12)伝統板・第二【37年祭】
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8266645
(13)伝統板・第二【38年祭】
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8329119
(14)伝統板・第二【39年祭】
→ https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8377159
<感謝合掌 令和8年6月13日 頓首再拝>
谷口雅春先生最後の御講話 - 伝統
2026/06/14 (Sun) 11:44:59
谷口雅春先生最後の御講話は、
昭和六十年五月二十六日、長崎・総本山の団体参拝練成会での御講話
谷口雅春先生 最後のご講話 全てを拝み『殺す勿れ』昭和60年5月26日
http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/51458034.html
(以下は抜粋です)
(1)「袖振り合うも他生の縁」
①他の生涯に生まれとった、その時からの縁で深い深い因縁によって
こうして集まってこられて。
例えば私が釈迦無尼如来として生まれて、インドで講演しておった時に、
あの時に、皆さんもその釈迦無尼如来の説法を聞いて、そして悟りを開いて
菩薩となったような、そういう人もこうたくさん集ってきておられる。
これが他生の縁である。
②おんなし真理の話を聴いて尚一層悟りを深める、こういうね、
有難い因縁を一緒にこう持つということは、これは滅多に得られない
ところの深い深い因縁であるわけでありますね。
(2)「鶴は千年 亀は万年」
①人間は万年どころじゃない。無量寿如来である。
②皆さんはみんな無量寿如来の命をいただいて、
でここに生まれ変わって来ておられるのである。
③あなたの命も無量寿如来の命が宿っている、
私の命も無量寿如来の命が宿っている。
互いに兄弟である。ということを自覚して、そして仲良く
交際していくようにしていただきたいと、私は思うのであります。
(3)一切衆生悉く仏性有り
①人間の命の仏性は、仏の命が宿っているのであるということを、
皆さんは毎日思い出すがいい。
②人間は未だかつて女の子宮から生まれたんじゃないのである。
そういうように見えとるだけである。
③皆さんはみな無量寿如来の命が宿っている。如来さまですよ。
人間は自覚した程度にその人の生活が高まっていき、
極まっていくものであります。
人間は無量寿如来の命がここに宿って生かされているので、
これがわかることが、これがすべて道徳の根本である。
④みんな天界に在しますところの、無量寿如来の命の別れが天下ってきて、
そしてお母さんのお腹に宿って、そこから生まれてきたんだ。
その命の本物が、本元が、無量寿如来、すなわち阿弥陀如来です。
(4)教育
①教育はエデュケーション(education)。
エデュケート(educate)と云うたら、引き出すということである。
②すべての人間が、いま如来の命が宿っているというその實相(じっそう)を
拝ましていただく、それを引き出すのがこれが教育です。
③一切衆生仏性有り、仏、仏性、仏の本性がみんなに宿っている。
それをね、自覚させるのがこれがほんとの教育だ。
(5)拝む世界
①拝む世界に悪は出てこない。
「合掌すれば天国へは現る、父を拝まん母を拝まん」と言う僕の歌があります。
合掌すれば天国ここに現れる。
②父を拝まん、母を拝まん。父と母だけじゃない。
すべての人間は無量寿如来のおんなじ命の兄弟であるから、
父を拝まん、母を拝まん。
③それだけじゃない、すべての衆生、すべての人類を拝ましていただきます。
そういう心になったらその心が以心伝心、相手に伝わり、
それが世界中に広がるようになれば、戦争はなくなる。
(6)殺す勿れ
①戦争は人を殺し、すべての十善(じゅうぜん)、十(とお)の善。
あらゆる善のその一番最初の項目は何かと云うと不殺生、
殺生せずということがすべての道義、道徳の根本である。
②「殺すなかれ」モーゼの十戒も、あるいは仏教の十善の徳も、
みんな最初の項目は「殺すなかれ」である。
殺すのはいかん、というのは人間の命は如来の命である。
如来を殺して、大変な仏罰があたる。
③生長の家は「殺すなかれ」だから戦争はない。
すべての人間を生長の家に導いて「殺すなかれ」の最高道徳を
政治家に実践させるように導くように、みなさんどうぞ皆さんの
息子を、娘を、兄弟を導いてあげていただきたいのであります。
<感謝合掌 令和8年6月14日 頓首再拝>
「不滅のご慈愛」~昭和六十年六月十五日の出来事 - 伝統
2026/06/15 (Mon) 10:33:01
(谷口雅春先生の「生命の實相」を学ぶ(二〇一四年一月二八日)
http://blog.livedoor.jp/seimeinojissoh/archives/35971892.html)
「不滅のご慈愛」 ご復活の日・六月十七日を偲んで
宮澤次郎(故人)
昭和六十年六月十五日(土)朝、いつものように四時四十分ごろ起床し、
洗面を終えて五時過ぎに、毎日の行事である氏神さま氷川神社への
朝詣でに出かけようとしましたが、
ふと長崎の雅春先生ご夫妻にしばらくご無沙汰をして申し訳ないなあ、
という気持ちがこみあげてきました。
今日は土曜日でもあるし、よし、長崎へ行こうと決め、
電話で午前八時五十分発の航空券予約をとりました。
長崎空港に到着した私はすぐに公衆電話で総裁公邸にお電話しましたところ、
お側付きの人から「総裁先生(雅春先生)は長崎大学の病院にご入院中である」
とお答えを耳にし、瞬間愕然として信じられない思いが致しました。
更に確かめると、ご病室をお教えいただき、これは事実だ、
思いもかけない事が起った、と胸がドキドキする思いで
空港の屋外へ飛び出しました。
ちょうど市内行きのバスが出発しようとしているころに乗せてもらい、
バスのスピードのおそいのを気にしつつも大学病院に着いて
先生のご病室のドアをノックしました。
出て来られたお付添いのお話で、
先生はいま静かにおやすみになっておられること、
輝子先生は現在公邸にいたっしゃるが、
恵美子先生方は担当医師とのご対談中で、別室に居られるとのこと、
などを知りました。
私としては、恵美子先生がたが医師との話を終えられたあと、
ご一緒にご病室に入らせて頂こうと思いしばらくお待ちしましたが、
時間がかなり経過し、遂に待ち切れず再びドアをノックし、
お付添い人の了解を得て、ようやくご病室の先生に拝顔することができました。
このように病院のベッドの上にお寝みになっている先生に
お目にかかれることは、今朝東京を出発するときには
夢にも考えていなかっただけに、
私は夢中の思いで先生のベッドに手をつき、
お耳に自分の口を近づけて思わず大声で
「先生、宮澤次郎です、お見舞いに参りました。おわかりになりますか」
と叫んだのでした。
先生は、それまでウトウトしておられたようですが、
有難いことに私のことばをお判り預けたと見え、
そのときお眼をはっきりとお開きになり、再度うなずいて下さいました。
そしてその後はまたお瞼を閉じられ静かにお寝みになるご様子でした。
ご病床の先生は、少しおやつれの気配は拝されるものの、
お顔色も唇の色も平常と変わりなく、そのときには
ご病状の急変が起ることは全く予想されない思いで、
私は静かにご病室の外に出ました。
ご病床にあらせられる先生のご慈愛あふるるご温容には、
平生と些かの変りもなかったことが私の心にはっきりと灼きつけられています。
このようにして私がお目にかかることができた日の翌々日の朝七時五十三分、
雅春先生は従容としてご天寿を全うされご昇天あそばされたのでした。
私は、偶然にこの最後の先生とのお別れとなった日の勿体ない貴重な思い出を、
生涯自分の胸裡に刻んで大切にさせて頂きます。
私は、雅春先生の身に余る勿体ない深い温かいご愛念の中に
抱かれて今日まで生きてくることができました。
ご生前のなつかしい思い出の数々は到底筆紙に尽し切れない
感謝と感激と感銘の連続でした。
先生のおかげで私の人生は此の上もなく輝かしい充実した人生となりました。
僭越ではありますが、私の拝する限り、雅春先生が
そのご生涯を通じて凡ての人々に垂れ給うたご愛念は、
まことに限りも無く偉大であり深遠であり、
人々の魂に深く染み透り、人々の生命を真に蘇らせて下さいました。
「神は愛なり」という真理のことばは、とりもなおさず
「谷口雅春先生は神なり」という永遠不滅の事実を啓示している
ものと私は信じます。
谷口雅春先生は生死を超越され人類への無限の愛の象徴として
無量寿如来として、現在から未来に向け永遠に私たちを導き給うことを
固く信じております。
(以下略)
(宮澤次郎の稿、終了)
『心のかけはし』誌 平成18年
<感謝合掌 令和8年6月15日 頓首再拝>
谷口雅春先生の羽化登仙 - 伝統
2026/06/16 (Tue) 11:21:10
*谷口恵美子先生・著「わたしの玉手箱(P192~199)」より
「お父様、ありがとうございました。羽化登仙なさったのですね」
私と上野さんは、父のベットの両側にひざまついたまま、
あたたかく柔らかい父の手を、両方からそれぞれの合掌の中に囲むように、
そっと持ってうつむいて泣きました。
「先生が・・・」
「え? 」
と上野さんの視線を追うと、閉じた父の左の目から、
ひとしずくの涙がスーッと耳の方につたわりました。
「きっと皆様とのお別れの涙なのね」
こんなときにも、私は自分の父でありながらも、
多くの方達の大いなる父であることが忘れられずに心の中でつびやきました。
「きれいなお顔をなさって・・・」
と私は父のやわらかな髪を撫でながら、その清らかな美しさにみとれました。
九十一歳なんて、とても信じられません。
(中略)
(「碧巌録」の終講の辞という長い文章に)
それには皆様への別れのご挨拶と、
次の境涯で再会できるということなどが書いてありました。
主治医のすすめで点滴を受けられることになりましたが、
食事は一口もとされず、朝の牛乳だけは
半分ほど召し上がっていた六日目、飲むものもいらない風になりました。
背中を撫でてあげると、寝返りを打ちながら、
「もう、お別れかもしれないね」
と、やさしい声で、まるで人事(ひとごと)のように言われるのです。
私はその夜、眠れないまま思いました。
昆虫はさなぎになる前に、青葉を食べるだけ食べると、
ある時期に何も食べなくなってしまう。
そして、さなぎになり、さなぎが蝶になって飛び立とうと、静かに、静かに、
自然に自然に羽化するそのとき、決して邪魔をしてはならない。
(中略)
少しでもよくなられたら、食べられるようになられたら、
という人々の願いのままに入院ということになりましたけれども、
父は羽化の過程を進めつづけられた。
『甘露の法雨』には次のごとく書かれています ――
汝ら明かに知れ、繭は蚕に非ず、
然らば肉体は人間に非ずして、
人間の繭に過ぎざるなり。
時来らば蚕が繭を食い破って羽化登仙するが如く、
人間もまた肉体の繭を食い破って霊界に昇天せん。
汝ら決して肉体の死滅をもって人間の死となす勿れ。
人間は生命なるが故に
常に死を知らず。
「ほんとうに、ありがとうございました・・・」
あたたかき御手のうちに、どれだけ多くの人が救われたか知れません。
その方たちの想いも込めて、私は合掌し感謝を捧げたのでした。
<感謝合掌 令和8年6月16日 頓首再拝>
昭和六十年六月十七日早朝、帰天 - 伝統
2026/06/17 (Wed) 11:49:52
*「白鳩」(昭和60年10月号)より
~谷口輝子先生「師と仰ぎ 夫と仰ぎて」
結婚して65年たつ今年、私の夫は初めて病院に入院された。
それは体のどこかが悪いからというわけではなく、
食欲が減って来て、(中略)
6月5日には、孫の荒地佳代子が、祖父の好物の海苔巻きのお寿司を、
心を込めて作ってくれたが、それを嬉しげに、じっと見つめただけで
箸を取られなかった。
その日から6日間、絶食がつづいた。
(中略)
主治医に、絶食して居られることを電話したら、
主治医はすぐにやって来られ一応全身の診察をして下さったが、
「6日間も絶食していて、淡々とした顔をして居られる原因が
判らないほど、体に異常がない。一度長崎大学病院にお連れして、
診察して貰われたら如何でしょう」
(中略)
11日の午後、主治医が夫に同乗して、別の車で、恵美子と雅宣と
貴康と上野さんが随行した。
(中略)
”6月13日、午前2時20分頃、先生が、
「お茶が飲みたい」
と言われたので、公邸より持参したお茶をお入れして、
ベッドの上半身の方を高くして、お湯呑を受け取られた先生は、
お茶を三口、『ゴク、ゴク、ゴク』と美味しそうな音を立てて
飲まれました。”
わたしは後で考えたことは、この時のお茶が、お口に入れるものの
最後のものだったから、世に言う「死に水」に当たると思われた。
”13日の午前3時30分頃、先生が、
『病無し、迷無し、罪なし、これが生長の家の根本真理であります。
それでは神様、只今より眠らせて項きます。
それでは神様、只今より眠らせて頂きます』
と同じ言葉を2回くり返された”
上野さんの文章はこれで終っていた。
夫の肉体の命はこの現象世界を去る時、
神様に永眠することを挨拶されたのであった。
6月17日の朝であった。
わたしはまさか今日夫が死去されるとは思っていなかったのに、
昔から俗に言う『虫が知らす』と言うことか、
白羽二重の着物の仕上がりが気になって来た。
(中略)
すると8時前に家人が私の部屋に急いではいって来た。
「只今病院からお電話でございます。
先生は今お亡くなりになりましたと・・・」
(中略)
間もなく玄関の戸が静々に開けられた。
仰向けになり、白布で顔を覆われた夫の遺体は
何人かの男たちに持たれて座敷へ運ばれて来た。
敷布団の上に移されると、恵美子、雅宣、貴康たちの手によって、
手早く甲斐しく白羽二重の着物に着替えさせられ、
『写経』の着物を拡げて覆われた。
(以下省略)
<感謝合掌 令和8年6月17日 頓首再拝>
通夜・遷霊祭、葬場祭・帰家祭 - 伝統
2026/06/18 (Thu) 11:04:50
昭和60年6月17日夕刻~通夜・遷霊祭
*Webより
午前7時53分、谷口雅春先生は此の世の使命を果たされ御昇天になられた。
通夜祭--(昭和六十年六月十七日 午後七時より 於総裁公邸)
一.手水の儀
一.開式の辞
一.修祓
一.招神歌
一.献饌
一.祭文奏上
一.祭主 玉串奉奠
喪主 玉串奉奠
家族親族 玉串奉奠
一.聖経『甘露の法雨』一斉読誦
参列者・関係者玉串奉奠
一.撤饌
一.大調和の歌
一.閉式の辞
・・・
遷霊祭--(昭和六十年六月十七日 午後八時半より 於総裁公邸)
御遺体の安置せし場所にて移霊をおこなふ。
一.開式の辞
一.修祓
一.招神歌
御遺体の前に位牌を置き、その前に座す。
一.招霊
昭和六十年六月十七日を現世の限りとして神去り給ひて、久遠実相世
界・永遠の生命に還り昇りましし、生長の家総裁谷口雅春尊師の和霊、
今し此の霊璽に天降りませと畏みて白す。
一.魂鎮め--数歌十回
一.悟りの歌二回
一.大調和の歌
一.閉式の辞
(良本峯夫講師の日記より)
谷口雅春先生 (戒名)「實相無相光明宮大真理説授正思惟大聖師」
・・・
昭和60年6月18日~葬場祭・帰家祭
*Webより
昭和六十年六月十八日
葬場祭(告別式)-(昭和六十年六月十八日 午後一時より 於総裁公邸)
一.手水の儀
一.開式の辞
一.修祓
一.招神歌
一.献饌
一.帰幽の神示
一.久遠生命の歌
一.悟りの歌
一.弔詞(祭文)
一.玉串奉奠
祭主・祭員
喪主・家族・親族
一.聖経『甘露の法雨』一斉読誦
会葬者・関係者玉串奉奠
一.撤饌
一.大調和の歌
一.閉式の辞
最後に輝子奥様の御挨拶があった。
「総裁先生は本当に此の世の使命を果たし終わられて
やすらかにお亡くなりになりましたから、
皆さんも泣かないでお送りして下さいませ」
とおっしゃった。
・・・
昭和六十年六月十八日
谷口雅春先生はお骨になって総裁公邸にお帰りになった。
帰家祭(昭和六十年六月十八日 午後七時半より 於総裁公邸)
一.手水の儀
一.開式の辞
一.修祓
一.招神歌
一.献饌
一.祭文奏上
一.玉串奉奠
祭主・祭員
喪主・家族・親族
一.聖経『甘露の法雨』一斉読誦
関係者玉串奉奠
一.撤饌
一.大調和の歌
一.閉式の辞
(良本峯夫講師の日記より)
・・・
谷口家の墓 東京都府中市多摩町4丁目
https://x.com/bosenbei/status/1924062662096498930
<感謝合掌 令和8年6月18日 頓首再拝>
追善供養祭 - 伝統
2026/06/19 (Fri) 12:02:09
昭和六十年(1985年)七月二十二日追善供養祭
*Web:「谷口雅春先生を語る」より抜粋
この偉大なる人類の霊的指導者である、谷口雅春先生は、
昭和六十年(1985年)六月十七日午前七時五十三分、
九十一歳で帰天されたのであります。
まさに、
「自分の身体が燃え尽くすまで、蝋燭のように
みづからを焼きつつ人類の行くべき道を照射する」
の御言葉の通りの御生涯でした。
昭和六十年(1985年)七月二十二日、長崎の生長の家総本山で
谷口雅春先生の追善久養祭がおこなわれました。
暑い日でした。約一万人の信徒が集まりました。
私は、海外代表として参加いたしました。
この時の出来事で忘れられないのは、輝子奥様が追善供養祭の最後に、
集まった人々に対して、喪主としてのご挨拶をされた時の御言葉です。
その内容は、谷口雅春先生が帰天されてから、
お山に来る手紙は、どれも谷口雅春先生が亡くなられて悲しい、
涙に泣きくれていると云う内容のものが殆どであったそうです。
ですから、輝子奥様にとっては、
日本中の信徒がみな泣いてばかりいるように感じられたそうです。
輝子奥様は「甘露の法雨」に書いてあるように、
「人間の生命は永遠」であり、
「人間は死なないものである」
ことを、本当に信じてくださいと、話されまして、
「悲しみの涙は、総本山のお庭に捨てて、これからは魂になって自由自在な活動を
活発にしていらっしゃるであろう谷口先生と一体になって、光明化運動を活発にして、
谷口先生のお心に応えて戴きたいと思うのです。」
と述べられました。
そして、輝子奥様は、追善供養祭の参列者一同に対して結びの言葉として、
「どうぞ、お泣きなるような暇(いとま)があったら、
人類光明化運動を一所懸命なさって戴きとう存じます。」と、
このように御自分の胸の内を披露されたのであります。
*谷口輝子先生の結びの言葉としては、別のWebには次のようにあります。
『皆様どうしてそんなに悲しんでいるのですか?
私は淋しくはありますが、悲しくはありません。
谷口雅春先生は生涯を通して、いのちは永遠不滅であるということを
お説き下さいました。
泣いている時間があったら「人類光明化運動」にお励み下さいませ。』
(http://hikarinoshingun.giri.jp/02-gyouseki/0201gysk-sendou-kouen/19-sensei-wo-kataru.htm)
<感謝合掌 令和8年6月19日 頓首再拝>
谷口雅春先生四十一年祭を終えて(総本山) - 伝統
2026/06/20 (Sat) 11:04:02
【受け継ぐ真理、羽ばたくいのち…谷口雅春先生四十一年祭を終えて】
Facebook:総本山~楠本 忠正(2026.6.18)
皆さま、おはようございます。
昨日6月17日、ここ生長の家総本山にて、
生長の家創始者・谷口雅春先生の四十一年祭が厳かに、
滞りなく執り行われた。
谷口雅宣総裁ならびに谷口純子先生がご臨席くださり、
遠方からは山口県また九州周辺地域から、またライブをとおして
祈りを寄せてくださった皆さまと心を一つにして、
雅春先生のご遺徳を偲ぶ尊いひとときとなった。
そして、結びに賜った雅宣先生のご挨拶では、
雅春先生ご昇天から四十一年の間に、
世界がいかに大きく変化したかを振り返られた。
戦争や対立が続き、AIの進歩によって情報の真偽さえ見極めにくくなった現代…。
世界が「力の論理」へとより傾いているからといって、
その流れに決っして従わず、宗教者として良識と平和の声を挙げることの
大切さを説かれた。
また、宗教には、時代を超えて変わらない根本真理と、
社会や文化の変化に応じて改めるべき表現があることを示された。
その変わらぬ核心とは、
「人間は、性別を問わず、すべて等しく神の子である」
という真理。
さらに、雅春先生と輝子先生の歩みについて、
懐かしさと深い敬意を込めて語られた。
その折、雅宣先生が声を詰まらせられる場面もあり、
私も胸が熱くなりました。
雅春先生は、輝子先生の理解と協力がなければ、
人類光明化運動を続ける勇気を失っていたかもしれないとの趣旨を述べられ。
お二人は、一人が先を歩き、もう一人が黙って従う関係ではなく。
困難な道にあっても互いを励まし、祈り合い、同じ使命に向かって
共に走り続ける…まさに人生の伴走者だった…
世界巡錫中、雅春先生が体調を崩されたときにも、
輝子先生はそばで祈り、励まし続けられた。
ブラジル巡錫を断念しかけられた時には、神様のお導きがあるから大丈夫と
雅春先生を力づけられ、その後の巡錫は、多くの歓喜と実りのうちに
成就したと伝えられている。
互いの内にある神性を信じ、使命を支え合うお二人。
そのお姿こそ、現代に受け継ぐべき男女平等の精神であり、
信仰を生活にあらわす尊い実践であると、深く胸に刻まれた。
年祭を終え、少し疲れを癒そうと近隣を歩いていると、
軒下から可愛らしい鳴き声が聴こえてきた。
見上げると、巣の中で寄り添いながら
親鳥を待つツバメの子どもたち「チューチュー」
先人から受け継いだ尊い真理と使命もまた、この小さないのちのように、
次の世代へと大切に育まれ、やがて大空へ羽ばたいてゆくのでしょう。
昨日の感動と学びを「新生の決意」へと変え、
今日からまた、平和と愛の道を一歩ずつ歩んでまいります。
巣の燕
親より受け継ぎ
おおそらへ
ご参列、ご視聴、そして温かな祈りをお寄せくださった皆さまに、
心より感謝申し上げます。
感謝合掌
<感謝合掌 令和8年6月20日 頓首再拝>
ご昇天20日前のご文章 - 伝統
2026/06/21 (Sun) 12:15:12
【谷口雅春先生ご昇天20日前(昭和60年5月28日)のご文書】
~「實相と現象」(谷口雅春著作集第4巻)「はしがき」から抜粋
・・・
「神真理を告げ給う」の冒頭には、次の如くに述べられている。
「”わたし”は今まで多くの教祖や哲人を通して人生の意義を説いて来た。
君たちのうちには熱心に真理を色々の書物を読み、色々の学者の説を読み、
それに基いて思索をし既に人生の意義を知ることが出来た人もある。
しかしそんな人は非常に稀であって、
大抵は自分の偏見や既成概念の中を迂路チョロしていて、
悟ったつもりで実際は悟っていないか、
真理なんて求めても到底得られるものではないのだ
という絶望感で、"聖なる求め"を放棄している人もある。
そのような人達に”わたし”"は今再び真理を知らせてあげたい愛念によって、
今此処に谷口雅春を通して真理を説こうと思うのである。」
更に次の節には、
「・・・それらの宗教教祖や碩学や大悟の中に”わたし”は宿って、
人々を導くために”わたし”は書いたり、説いたりして来たのである。
真理は人間の肉体から生まれて来るものでも、
人間の脳細胞から生まれて来るものでもなく、
実にそれらの人々に宿っている
”わたし”がそれを説いているのである・・・・。」
「しかし”本当の教祖”というべき”真理の啓示者”"は
”實相世界”にある”神”のみである。
イエス・キリストも『師というべき者は、唯ひとり天の父のみである』
といっているし、谷口雅春も、”自分は教祖ではない。
実相世界に生長の家の本部はある”といっているのである。」
この”わたし”は勿論、言うまでもなく神である。
このような文章 ―― 神の言(ことば)に接する毎に、
私は畏れ平伏(ひれふ)すのである。
そして、 図り知れない神のはからい、摂理、お導きに、
谷口は十二分にお応えし得たであろうか、
この九十余年の生を以て些(いささか)かの悔いることなく
尽くし得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。
そして谷口に賜った神々の大いなる恩寵に、唯々感謝合掌、
悦びが、悦びの波紋が見渡す限り拡がる様を、心眼に拝するのである。
(中略)
諸賢が、”聖なる求め”を放棄することなく、
日に日に高きを望み、深きに入り真理を体得せらんことを、
神に代わり切に切に望むものである。
<昭和六十年五月二十八日 谷口雅春 識す>
<感謝合掌 令和8年6月21日 頓首再拝>
谷口雅春先生ご昇天約一ヵ月半前(昭和六十年四月末頃)のご文章 - 伝統
2026/06/22 (Mon) 09:52:47
*『碧巌録解釈』後篇――『碧巌録』終講の辞より P854~
私が毎日『碧巌録』を本誌(編註。「生長の家」誌)に於いて
第九十一則まで講義を続けて来たが、
本稿に於いてその講義を締めくくることにする。
それは何故かと云うと、
『碧巌録』第九十二則「世尊陞座(しんぞ)」の項に、
「****白槌(びゃくつい)して云く、諦観法王法(たいかんほうおうほう)、
法王法如是(ほうおうほうにょぜ)。世尊便ち(すなわち)下座」
とあるからである。
即ち私も『碧巌録』第九十二則の世尊に倣(なら)って
講座から下座すべき時が来たと悟ったからである。
印度以来の仏法の講座の法式で、禅家に於いては、
法座のレギュラーの講師に較べても
をさをさ劣らぬ最高の学者的人物が 白槌師(びゃくついし)と云う
役割を演ずる。
現代で謂わば司会者となるのである。
そしてその司会者が、三度槌を打ち鳴らし、
「法筵龍象衆、常観第一義」と言い、
新たにカチンと一つ槌を打ち鳴らし、
それが合図に説法が始まる。
そしてその説法が済んだという時に、
その司会者の白槌師が再び進み出て、
「諦観法王法、法王法如是」即ち
「これで法王の説法は終わりました。如是――是の(この)通り終わりました」
という意味を告げることになっている。
「法筵龍象衆」と云うのは、仏法の講座(法筵)に参聴するために集まったところの、
動物で謂えば神通自在の「龍」や、哺乳類のうちでは最も巨大な象にも比すべき
大人格者たちを尊敬して呼びかける語(ことば)である。
即ち「此の講座に参聴せられた龍象にの比すべき大人格者たちよ」
と呼びかける挨拶語である。
茲(ここ)では、
「今迄、私の書いて来た『碧巌録』の講座を毎号御愛読下さった
偉大なる読者諸賢様よ」
と呼びかける言葉である。
弁舌を揮う講座ではないところの、文章に於いては、司会者たる白槌師が無いから、
筆者の私自身が白槌師の役をつとめる譯(わけ)である。
宇宙の真理と云うものは、それを長廣舌を揮って詳密鄭寧に書けば
一生涯続けても、書き終わるを得へく簡単なものではないが、
それを百歳の長寿を保って最後の時が来るまで書き続けても
書き終わり得るべきものでもない。
もう九十三歳の歳を迎えているので
何時、私の霊魂も現世から他界へ移住するよう
神から命ぜられるかもわからない。
『碧巌録』の最後の章まで毎月一章づつ書いているのでは、
それをとても書き了える日時まで現世の寿命を保ちえるという
保証も自信も私にはないのである。
好き機会に終講のチャンスを捉えて諸君とのお別れの挨拶を書いて置くのも
老人の智慧であると思いついたので、
読者諸賢に、今まで御愛読下されたそのご愛念に
感謝の辞を述べて置くのが老人の智慧であり、礼儀でもある
と思いついたのである。
それで、そのような意味のご挨拶を述べさせて置いて貰った方が、
一言の挨拶を述べないで頓死してしまったような無ざまな死に方をするよりも、
行き届いて生前の御礼を言って置いて、
何時他界しても皆さまに挨拶もしないで別れて行くよりも、
此の世に思い残すことがなくなり、
もう何も此の世でして置くことは残っていないと心の肩の荷を卸して、
他界へ移転して行く方が思い残すことが何もない、
気楽な気持ちで他界へ移住することが出来ると考えついて、
私は今、この様なあいさつ文を書いているのである。
それでは、「左様なら!!とニッコリ笑って、皆様とお別れ致しましょう。
しかし今別れても次の境涯で皆様と再会する時期が屹度来ると信じます。
私は今年(編註:昭和六〇年)四月の何日でしたか、好天に恵まれまして
「西海橋」と、その別れにふさわしい再会を約したような名称の。
長崎に住んでいる人なら誰にでも再会のできる西海橋公園に参りました。
その日は見渡す限り桜花爛漫と咲き揃っている公園で、
昨年此処で出会った人々とまた今年も斯うして再会できる喜びを
祝ったことでありました。
まことに西海橋公園は、彼岸(彼方の岸)に渡す橋の下に見渡す限り桜花が
爛漫と咲き揃っているのでした。
橋を通って彼岸に渡ってしまわないで、その下へ墜落しても、
此処が再会極楽浄土になっているという実相常楽世界を
象徴的に再現したような世界(公園)なのです。
この世界そのものが公園なのです。
私は此処へその日、好天気に恵まれまして観光に参りました。
私がいつでも出かけようと思う日は、いつも好天に恵まれるのです。
いえ、それは、その日が好天だから出掛けようと思ったと云うような
順序で起こる現象ではないのです。
私が自由意思で、”今日は出掛けよう”と思うと、
今まで雨が降り様に一天掻き曇っているような時にも、
急に雲が動き出して間もなく晴れ渡って蒼空になってしますのです。
まるで、”天の司(つかさ)“が私の外出を霊感によって察知し、
空の雲を蹴散らしてしまうようにです。
もう十数年前の事になりますが、私たち夫婦がドイツに参りました時には、
恰も多分十月頃だったと記憶しますが、
その頃にはドイツは朝雨が屡々降る季節なのです。
その頃私をドイツ旅行で案内して下さったのは、
日独交換教授で其の頃ドイツに
滞在中の山田先生と云われる方でした。
ある日私たちは一行が出かけようとすると、
山田先生は、今にも一雨降りそうな暗黒なお空の様子を見て、
「今日は外出を止めときましょう。雨降りですから」と言われました。
「いいえ、私たちが出かける時には雨は降らないことになっているのです」と
私は言って、観光に出掛けましたがお空はいつの間にか晴れ渡って
一滴の雨もその日は降りませんでした。
何でも私たちが外出して行動をおこそうとすると、
天候までも私たちの行動を祝福するが如く、
降りかけている雨もやんでしまうのです。
こう云う現象を私は「潤滑現象」と名づけました。
その後、日本の若い学者の心霊現象研究のグループの機関誌を拝見していますと、
それには、そのように何事もスラスラと潤滑に滞りなく日常生活が行われる現象を、
やはり「潤滑現象」と名づけておられるのを拝見しました。
三界は唯心の所現でありますから、
皆さん自身の心境の如何によりまして何事も、
そんなに力まないでも、何事でも、自分の日常生活が潤滑に滞りなく行われる
――潤滑現象が起こるようになり得るのです。
現世浄土と云う語がありますが、
自分の心境が何事にも滞らずに潤滑になりますから、
唯心所現の世界ですから現世がそのまま、極楽浄土の顕現になるのです。
釈迦牟尼如来は大無量寿経をお説きになりました直後、
「如来の當(まさ)に為すべきことはなし了(おわ)れり」と
仰せられたと伝えられております。
私は今まで本誌に『碧巌録』の講義を書き続けて来ましたが、
本講を以て、釈尊と同じく
「谷口雅春如来の當に為すべきことは成し了れり」
と申すことにしたいと思うのです。
『碧巌録』の第九十二則の「世尊陞座(しんぞ)」の項の垂示には、
「絃(げん)を動かして曲を別つ、千歳にも逢い難し」
と云う句で始まっているが、
これは****の古典『列子』にある伯牙(はくが)と云う人と
鐘子期(しょうしき)と云う人との間に交わされた故事のことを
指しているのだと伝えられているのである。
それはある日、伯牙が琴を掻(か)き鳴らして、
「志、高山に在れば…」と上の句を歌い始めると、鐘子期は、忽ちそれは何の
曲であるかを瞬時にして察知して、
「峩々(がが)として泰山の如し」とその下の句を一緒に朗々と
歌い出したと云うのである。
つづいて伯牙が、
「志(こころざし)、流水に在れば、」と上の句を歌い始めると、
鐘子期は
「洋々として江河の如し」とその下(しも)の句を合唱したとう云う。
現代の事実を以て例示すれば、生長の家から出版している「日めくり日訓」の
或る日の項の上の句に、「愛は最後の勝利者である」とあれば、
「恒久的に敵する者は無い」とその下の句を並べて書いてあるのにも似ている。
これは対句になっていて時数も互いに同数である。
『碧巌録』にたくさんの此の種の対句がある。
例せば、その第九十三則の「大光作舞(まいをなす)」の項には、
挙(こ)す、僧、大光に問う。
「長慶道(ちょうけいいわ)く、
“齋(さい)に因って慶讃す”その意旨(いし)如何」
大光、舞を作(な)す。
「舞を作す」とは「全く有り難いことでございます」と
慶讃の意を動作に表現したのである。
光云(こういわ)く、
“□(イ偏に爾)、箇のなにを見て礼拝したる哉”
僧舞を作す(まいをなす)。
(伝統補足・・・□(イ偏に爾):お前、あんた)
光云く “這の野狐精(このやこせい)(野狐の霊が人間に化けて出現して
人間の真似をして礼拝しているので、礼拝の意義も何も分からずに動作を
真似ているだけだぞ。そのボロが禿げたぞと喝破した語である。)
これで『碧巌録』第九十三則の”本則”が終わっているのである。
大光禅師とは、もと京兆の人で、法を石霜禅師に嗣(つ)ぎ、
その後潭州大光山の禅院に住持しておられた居誨(こかい)和尚の事だと云う。
ある日、一人の僧來って問う。
「祗(た)だ達磨の如きは是れ”祖”たりや否や」と。
仏法は達磨が教祖となって創始した宗教ではないから、大光禅師は、
「是れ祖ならず」と答えた。
すると、問僧は、
「既に祖に非ずんば、又來って何を為す」と問う。
「ただ□(イ偏に爾)等の薦(すす)まざるが為すなり」
(お前達が本当に祖を薦挙しないからだ)
と応えている。
すると僧は、「我等が誰かほかの人を推挙した後は、如何?」と反問している。
すると、大光は、
「方(まさ)に彼を祖とするに足らず」とハッキリ答えている。
ほかの人を推挙しようが、推挙しまいが方(まさ)に宇宙の法則として、
彼は教えの祖として推挙するに足りないのである。
私が『碧巌録』の講義をここに連載しようが、連載しまいが方に(まさに)
私は『碧巌録』講義の祖ではないのである。私の今まで書き綴ってきた講義は、
単に先師の講義せられたところに啓発されたところの祖述に過ぎないのである。
『碧巌録解釈』後篇 [完]
(上野さんが一人でお傍にいるとき、父は四月の末頃に書いておいた
『生長の家』誌の「碧巌録」の終講の辞という長い文章を読み返し、
「日本教文社か、その関係の人に渡して下さい」と渡されたと)
<感謝合掌 令和8年6月22日 頓首再拝>
谷口雅春先生ご昇天約十ヵ月前(昭和五十九年八月一日)のご文章 - 伝統
2026/06/25 (Thu) 12:13:55
*谷口雅春著作集第1巻「光明法語<道の巻>」はしがきより抜粋
生長の家の運動が真理の文書伝道と講演行脚を二大柱として
その理想目的を貫いて来たことは、その当時から偉大なる特色である。
特に私の執筆せる原稿が、毎月のすべての月刊誌に欠かさず大量に掲載
されて来たことは、恐らく専門の文筆家でも為し得ないことでなかった
ろうか。
(中略)
私の執筆は止むに已まれぬ使命感がそれを促したのだった。
私は神のラッパとして真理を語り、ペンを持たらせて来たのだった。
霊感に導かれて溢れる発想を紙に移すのに、
筆が間に合わないほどであった。
(中略)
さて私も今は既に九十歳を越え、執筆に要する体力も減衰して来たので、
一応、までの執筆を「谷口雅春著作集」として順序を整え、日本教文社
で編纂発行することになった。
その第一巻に『光明法語』を選ばれたのは、とりわけ私にとっても
読者にとってもこの巻が最も懐かしく印象深いからである。
(中略)
第一巻と偕に、続巻の書も繰り返し日々精読いただけば、
生長の家の指導の神・龍宮住吉大神の歓喜の守護を読者は授かること
になり、光明一元の幸福生活を如実に現象界に実現し得られることに
なると思う。
(以下略)
・・・
<参照>
谷口雅春著作集第一巻「光明法語」
谷口雅春著作集第ニ巻「即身成仏の真理」
谷口雅春著作集第三巻「女性の本質」
谷口雅春著作集第四巻「實相と現象」
谷口雅春著作集第五巻「人間無病の原理」
谷口雅春著作集第六巻「霊性の目覚め」
谷口雅春著作集第七巻「真佛教の把握」
谷口雅春著作集第八巻「無限供給の扉を開く」
(当初は「運命の転換」)
谷口雅春著作集第九巻「幸福の哲学」
谷口雅春著作集第十巻「人生は心で支配せよ」
<感謝合掌 令和8年6月25日 頓首再拝>
この真理を全人類に捧げる~人間不滅の真理(その1) - 伝統
2026/06/28 (Sun) 11:31:49
谷口雅春著作集第八巻「無限供給の扉を開く」序にかえて
(「生長の家」昭和59年11月号所載)(9月or8月頃のご文章?)
わたしは昨日から今朝(けさ)にかけて大変重大な真理を発見したのである。
それは私が九十二歳になって歯の幾本かの寿命が尽きて、
その歯が蝕(むし)くったからではない。
健康な歯であるのに、その歯が下から歯の根が浮き上がって来る
その体験を通じて気がついた「生命の實相」の真理である。
すべて現象に於ける事物には定められた寿命があるということである。
寿命というよりも定命(じょうみょう)と謂(い)う方が
適切な定義になるかも知れない。
すべて現象界の事物は、はじめから(本来)存在するのではなく、
途中から生じて來たものである。
そして「途中から生じて来た」ものは、
「生じたものは必ず滅する時が来る」という「生滅の法則」の
支配下にあるのである。
人間の肉體というものも
「本来《ある》もの」即ち「實在」ではなくして一種の現象であって、
途中から現れて来たところの象(かたち)に過ぎないのである。
だからそれに現象の持続する有限な期間というものがある。
現象界の事物は、その扱い方によって、存続の期間を短くも、
また稍(やや)長くも持続するように出来るけれども、
永遠の長期間にまで延ばすことはできないのである。
(つづく)
<感謝合掌 令和8年6月28日 頓首再拝>
この真理を全人類に捧げる~人間不滅の真理(その2) - 伝統
2026/07/02 (Thu) 11:27:17
谷口雅春著作集第八巻「無限供給の扉を開く」序にかえて
(「生長の家」昭和59年11月号所載)
こんな事を考えるようになったのは、自分が九十歳を越える老境に
達してから、自分の身體に起こる色々の生理的現象の體験からであるが、
老衰した歯が別に蝕歯(むしば)でもないのに歯齦(はぐき)から
浮き上がって来る体験からである。
「老衰して定命(じょうみょう)が来てその根から浮き上がって来る体験」
を、私は今まで数本の歯で体験したが、それは歯の根に定命が尽きたからだ
と漠然と考えていただけだったが、それを「異物排除」の自然の生命現象で
あると、又別の観点から考えるようになったのは最近になってからである。
老衰して《そこ》から自然に浮き上がって来るのは、
生命の尽きた歯で、もう生きている生命體の一部分ではないのである。
それはもう「生命體」につながっていないから「異物」の一種である。
しかし、以前から生命體の一部であったから、
「生命のない異物」になってからも尚、習慣的に
歯齦(はぐき)という生命體につながっているのである。
だから、生きている歯齦(はぐき)は自己が生命體であるから、
「異物排除の法則」に従って、もう生命體ではなく異物になってしまって
グラついている歯を排除して體外に放出しようとするのである。
それは病気ではなく、健全生命の自然のはたらきであって、
肛門から異物を排除しようとする脱糞作用が健全なる生理作用であって、
病気ではないと同様に、
老衰して異物になってしまっている歯を
グラつかせて排除しようとするのも、
健全なる生理作用の一面である。
これは単にグラつく歯のみの考察であるが、
人間全体にも生理作用が、その健全なる一面として、
肉體全體の存在をグラつかせる「死」の現象が同様に、
誰でも、どんな健康な人間にでも起こるのである。
(つづく)
<感謝合掌 令和8年7月2日 頓首再拝>
この真理を全人類に捧げる~人間不滅の真理(その3) - 伝統
2026/07/03 (Fri) 08:46:01
谷口雅春著作集第八巻「無限供給の扉を開く」序にかえて
(「生長の家」昭和59年11月号所載)
その「死」の現象を如何に解釈するかであるが、
それを、人は昔から生老病死を、
どんな人間でも経過しならなければならない
「健康」が弱って来た自然の経過として起こるものだと、
在来は一般的に解釈されていたのである。
しかし、私は「死の現象」を、「死」を生體とする現象ではなく、
「老又は病によって使い難(にく)くなって異物化して来た肉體」を、
「生命」が一層完全にその自由自在性を発揮するために、
異物排除のはたらきとして、
その不自由な肉體を自己の遺物として除去するはたらきが、
「肉體の死」であると分かった。
肉體が真の自己に非ざるものとして排除される――
即ちこの際、異物として排除されるのは、生命體の如く
「粉飾されていたニセモノの自己」であって、
本来、靈なる生命だけは、粉飾體を棄(す)てて却(かえ)って
生命の實相たる完全自由を得るのであって、
今まで一般に生命が死するが如く錯覚せしめられていた「生命の死」は、
實に於いては存在しないのである。
それは却って、自己の生命の本體たる、「靈的生命」が
一層完全なる自由を発揮するために、
ニセモノの「物質性」を粉飾した生命が、
その粉飾物質をかなぐり棄てるために「物性」を脱皮する
一過程に過ぎないのである。
真の人間そのものの生命には、「死」はないのである。
これこそ「生命の實相」につながる人間不滅の真理である。
この人間不滅の真理を、合理的な論理を以(も)って
全人類に献(ささ)げることを悦びとする。
著者識す
<感謝合掌 令和8年7月3日 頓首再拝>
谷口雅春著作集第三巻「女性の本質」はしがき~その1 - 伝統
2026/07/10 (Fri) 09:05:49
谷口雅春先生ご昇天約四ヵ月前(昭和六十年ニ月吉日)のご文章
谷口雅春著作集第三巻「女性の本質」はしがき~その1
冬来りなば春遠からじと、盡日(じんじつ)、
彼は春を尋ねて野に出ることはして見たが、
一向、春らしい景色はないのであった。
併(しか)し或る朝、彼は、今日もまた春を求めて野に出て見て
野原一面にまだ冬景色であるのに失望して帰って来て、
生長の家の邸の庭の前まで来ると、ハッと気がついた。
邸の前の日光のよく当たる庭前に、建物が寒風を遮(さえぎ)るので、
吹きさらしの広い野原より春が早く訪れて来ていて、寒さがウソの
ように温かい陽射しが、萬物を照らしているのだった。
彼はこれを見たとき、寔(まこと)に不思議と言う他はない
有難い大自然のはからにであると思わず合掌している自分を見い出した。
<感謝合掌 令和8年7月10日 頓首再拝>