伝統板・第二
松下幸之助 成功の金言365(7月) - 夕刻版
2026/07/01 (Wed) 12:58:36
【 7月1日 】
《だれよりも熱心である》
私はよく、各部署の責任者の立場にある人に
対して、こういうことを言ってきた。
すなわち、その人がかりに部長だとすれば、
「君の部にはずいぶんいろいろな仕事がある。
そのたくさんある仕事を、
いかに君が部長だからといって、
神様ではないのだから、
何もかもできるわけではない。
ある仕事については部下の人のほうが才能がある
ということもあるだろう。
こういう面では、彼のほうがわしより偉いな
という場合もあるにちがいない。
そういうことがたくさんあると思う。
だから、
君が責任者であり、指導者ではあるが、
個々の面、専門的なことについては、
指導できないことが多い。
けれども、指導者の立場にあるのだから、
指導もしなくてはならない。
管理もしなくてはならない。
そういう場合、
《何がいちばん大事かということだ。
それは、君の部の経営というものについて、
だれよりも熱心であるということだ。
部を経営する熱意においては、
だれにも負けてはならない。》
知識、才能というものについては負けてもいい。
それはすぐれた人がたくさんいるだろうし、
負けてもいい。
だが、この仕事をやっていこうという熱意だけは
君が最高でなくてはならない。
そうであれば、皆が働いてくれるだろう。
『うちの部長は、ぼんやりした点も
たくさんあるけれど、
あの熱心さだけはかなわない。
あれには頭が下がる。
これは、われわれも大いにやらなくて
はならない』
というようなことになって、
皆、もてる才能というものを
存分に発揮してくれるだろう。
そういうものをもたずしては、
部長としては失格だ」
というようなことを話すわけである。
『人事万華鏡』
<感謝合掌 令和8年7月1日 頓首再拝>
【 7月2日 】 - 伝統
2026/07/02 (Thu) 14:41:28
《私の責任》
・
(前半略)
《長たるものは、その判断をするにあたって、
最終的には自分一人の責任において
これをしなければなりません。
いくら大勢で決めたことだからといって、
一度それを採用したからには、
すべての責任をみずからが負うのが本当です。
「それは私の『責任』です」ということが
言い切れてこそ、責任者たりうるわけです。》
ところが実際においては、
そういうことをわきまえている人は、
それほど多くないように思われます。
したがって往々にして、
「みんなの意見で決まったことですので…」
と言って、責任者が負うべき責任をも回避する
というようなことが起こってきます。
しかし、
たとえ多数決で決まったことであっても、
その責任者が「これは絶対によくない。
自分の責任においてできることではない」
と判断した場合は、
そのことをはっきりと明言して
それをやめさせるか、それができなければ、
みずから責任者としての地位をいさぎよく退く
ということも考えられると思います。
とにかく責任者としての出処進退を
明らかにするということです。
それをせずして、
「自分としては賛成しかねるのだけれど、
全体で決まったことなので…」
などと言うのは、
責任者として、とるべき責任の自覚が
欠けているということになるのではない
でしようか。
『社員心得帖』
<感謝合掌 令和8年7月2日 頓首再拝>
【 7月3日 】 - 伝統
2026/07/03 (Fri) 13:26:01
《進歩》
・
人の上に立つ重要な地位にある人は
常に反省する必要があるということは、
人間は知っていても、その反面では
違ったことを考えている。
すなわち自分の地位の高さ、
自分の年齢によって人が動く
ということのみを認識して、
すべてを命令によって行おうとするのである。
これは上手な方法ではない。
いや憂うべき策といったほうがよい。
このようなことがくり返されれば、
部下は自然とそ自発的、自主的な
創意を出す機会が少なくなり、
命令に従ってさえいればよい
という習性ができてしまう。
そして多くの場合、その一団の能率は下がる
という結果になるのである。
《率先垂範ということは必要ではあるが、
ただそれだけでは足りない。
これはまどろこしい点もあるであろうが、
部下に任せるということが必要である。
そのうちには、部下も必ずや一人前になり、
十分自分のかわりになり、
ときには自分以上にうまくやるようになる
であろう。
そういう人を多く擁している
会社や集団は進歩するものである。》
だが、このことは
心に余裕をもっていないとできにくい。
会社における経営者、責任者というものは、
多くの人を擁してともに仕事をするのであるから、
わがままで感情的な芸術家的潔癖さを
もっていたのでは務まらない。
このことは経営者の立場にある人や、
人の上に立つ人たちは考えねばならぬ点である。
「物の見方考え方」
<感謝合掌 令和8年7月3日 頓首再拝>
【 7月4日 】 - 伝統
2026/07/04 (Sat) 13:27:12
《正しい意志決定》
・
すべての問題をその場で即決するのは、
実際問題としてむずかしいと思う。
ある程度検討したり、
他の人の意見も聞いてみるといったことが
必要な場合もあろう。
ただ、そういうときでも、
なんとなくあいまいのままに
ほうっておくのはいけない。
部下も意欲をなくしてしまうだろう。
「これは、今は即決できない。
少し考えてみたいから一日待ってくれ。
あすまでに決めよう」とか、
「こういう大事な問題は、
多少研究する必要があると思うから、
一週間ほど待ってほしい」
というように言えば、部下も安心すると思う。
そのように、意志決定はできるだけ
すみやかに行うことが大事だが、
ただ早く決めればいいというものではない。
その決定が正しいものでなくてはならない。
即断して、誤った意志決定をしてしまった
のではなんにもならない。
それでは、
どうしたら正しい意志決定ができるのか。
これは実際は非常にむずかしい問題だと思う。
神様でもないかぎり、
常に正しい意志決定をするということは
不可能だといってもよいだろう。
けれども、やはり、できるだけすみやかに、
できるだけ誤りのない意志決定を
行なっていかなくては、
人を使う立場としての職責は果たせない。
そこで、自分の体験なり見識にもとづきつつ、
その時々の情勢を勘案して総合的に
決定していくわけである。
ただ、その場合一つ
《大事なことは、根底に、
一つの人生観、事業観、社会観というものを
もつことではないかと思う。
つまり正しい人生観、正しい社会観と
いったものを常にみずから養い高めつつ、
それにもとづいて意志決定をしていく
ということである。》
そういうものでないと、ともすれば
場当たり的なものになってしまうし、
また部下を十分納得させることができない
おそれもある。
『人事万華鏡』
<感謝合掌 令和8年7月4日 頓首再拝>
【 7月5日 】 - 伝統
2026/07/05 (Sun) 09:45:56
《具体的な指示》
・
「これはいかん」と思うたらね、
自分が乗り出さないかん。
自分がすぐ飛んでいかないかん。
今までのあいだにね、だいたい皆に任しとる。
「君はやれる、君はきっとやれるぞ、やってくれ」
と言うて任す。
任したけれども、
必ずそのとおりいかん場合がある。
叱るだけではいかん。
やっぱり手に取って教える。
技術は手に取って教えることは、
こっちは知らんからできないから、
「君は向こうへ行って聞いてみたまえ。
必ずあの人は技術もってはるよって
聞いてきたまえ。
わしが知つとったら、君に言うけども、
君の今の技術はどうもいかんように思う。
きれいにできてへんやないか。
だから頭を低くして訪ねていって
教えてもろてこい。
このことはどこへ行って教えてもろてこい」
といちいち指示したわけや。
その指示もしない、
その指示もしないとただ
「ええもんせえ、ええもんせえ、
君はけしからん」
と、そんなことではだれも働かない。
だから、
《私は人の長所を見て
その長所を使ってきた。
しかし、その長所が出ないという場合には
自分がかわってやる。
しかし、かわってやるというても
実際にできないから、
かわってやるがごとき具体的な指示をした。
しかし、具体的な指示ができないときには、
具体的な指示に等しい方法を提案した。》
「君はどこへ行って会社を見てこい、
だれに会うてだれにこういうことを聞いてこい。
それじゃ、君よくわかるで。
それでもわからんなんだら、
君はほかへかわれ、ほかの人に譲れ。
そしてほかで仕事せえ」
と、そこまでやったわけである。
それをいちいちやってきたわけである。
それをやらずしてこの会社できないです、
ほんとうは。私はそう思うんですよ。
やっぱりね、社に長たる人は、部に長たる人はそ
の分に応じてその仕事をせないかん。
実際に指示せないかん。
ただ「しつかりやってくれ」だけではいかん。
『松下幸之助経営百話(下巻)』(昭和51年の発言より)
<感謝合掌 令和8年7月5日 頓首再拝>
【 7月6日 】 - 伝統
2026/07/06 (Mon) 13:19:38
《見本を見せる》
・
今まではリーダーとして
当を得たらそれでよかったけれども、
今はリーダーとして当を得るだけやなくして、
みずから一兵卒となって働くということも
可能でなければならん。
そういうことをしなければ、
とうていこの乱世に会社を全うすることが
できないと、かように思うんです。
これを皆さんにひとつお願いをしておきたい。
だから、今までは事業部長に聞いてやっていた、
事業部長がそれを命令したらそれでよかった。
けれども、今は命令を待つということなく
部下が働かないといかんし、
事業部長も命令するんやなくして、
自分みずから命令する前にやっていく
というようなことが一面に必要である。
乱世のときは必ずそうである。
それに勝ちぬいたならば、
それで勝利を得るわけである。
会社の経営も、こういうときは事業部長が
最先端に立ってやらないといかん。
会社であれば、社長、会長が
最先端に立ってやらないといかん。
だから、実務的知識、実務的才能が
この際要求されると、こう私は思うんですね。
その実務的才能は、
大きな会社になるほど薄くなっている。
そして、大きな観点でものを見る。
そういうようにやってきているわけである。
けれども
《今は違う。
今はそういう最高位にある事業部の部長、
会社であれば社長、会長という人が
いちばん率先してあたる、それで見本を見せる。
“こういうように販売するんや、
こういうように売りこむんだ”
ということをやれるだけの人でなくてはいかん。》
事あるたびに発展する会社と、
事あるたびに左前になっていく会社とがあるのは、
やはり首脳者の心がまえ次第だと思うんです。
首脳者の心がまえによって、無から有が
生まれてくるということがいえる。
そういう点を十分心得て、
今後の経営に取り組んでいただくことを
お願いいたします。
『松下幸之助発言集第28巻」(昭和53年の発言より)
<感謝合掌 令和8年7月6日 頓首再拝>
【 7月7日 】 - 伝統
2026/07/07 (Tue) 14:00:57
《決断》
・
問題が複雑な場合には、一つの決断を行えば、
さらにまたつぎの決断を迫られ、
そのあとも続いて決断すべきことが出てくる
といったように、
決断が決断を生むというような姿も出てくる。
だから決断をすればそれで万事が終わり、
といった簡単なものではないわけである。
けれども、そうはいっても、
初めに決断がなければ、何をしていいか
わからないということにもなりかねない。
《決断があってはじめて、何をなすべきか、
どういう方向へ歩んでいけばよいか、
といったことが明らかとなるのである。》
だから、そういう点からいえば、
決断というものは非常に大事であり、
いかに正しい決断を行うかが、
やはりきわめて大切な問題といえるわけである。
『決断の経営』
<感謝合掌 令和8年7月7日 頓首再拝>
【 7月8日 】 - 伝統
2026/07/08 (Wed) 12:52:54
《説得力》
・
政治家や経営者にとって、最も大事なものの
一つは説得力だとよくいわれる。
よい考えをもっていても、
それを他の人に理解、納得させるには、
それ相応の説得力が必要だというわけである。
確かにそのとおりだと思う。
ただ、
《説得力というものは、
自然に生まれてくるものでもなければ、
口先だけの技術でもない。
やはり、これが正しいのだ、
こうしなくてはいけないのだ、
という強い信念なり熱意が根底にあって
はじめて生まれてくるものであろう。》
『思うまま』
<感謝合掌 令和8年7月8日 頓首再拝>
【 7月9日 】 - 伝統
2026/07/09 (Thu) 14:41:49
《心は最前線》
・
部下に任せるということは
きわめて大事だけれども、その一方で、
いつでも自分が率先垂範するというか、
身を挺して事にあたるという気迫を
もっていなくてはならないと思う。
そういう気迫、心がまえをもちつつ、
部下に仕事を任せるということである。
いわば、
《形の上では仕事を任せているが、
精神的には自分が直接やっているような
気迫を一面にもっていることが大切なのである。
体は後方にあっても、心は最前線にいる
というようなものである。》
そうすれば、部下の人も
そうした社長の気迫を感じ取って、
自分は社長にかわってこの仕事をやっているのだ、
というような気持ちでそれに取り組んでいくと思う。
それによって、仕事の成果もあがり、
人もほんとうに育ってくるだろう。
まあ昔の武将でいえば、織田信長などは
そうしたいい例ではないかと思う。
信長は、
秀吉とか光秀とか柴田勝家といった部下に
軍をあずけて、各地を攻略させている。
けれども、彼自身はいざというときには、
あの桶狭間の合戦で単身先頭に立って
城から討って出たように、
いつでも率先して戦いに臨もうという気迫を
もっていたのだと思う。
それが部下たちにも強く感じられたから、
みな信長の心をわが心として戦った。
そこに、
あのようにわずかのあいだに天下統一への歩みを
急速に進めえた原因があると思う。
「人事万華鏡」
<感謝合掌 令和8年7月9日 頓首再拝>
【 7月10日 】 - 伝統
2026/07/10 (Fri) 15:09:37
《人を育てるということ》
・
(前半略)
《人を育てるというのは、
結局、経営のわかる人、
どんな小さな仕事でも経営的な感覚をもって
できる人を育てることである。
そのためには、何でもあれこれ
命令してやらせるのではいけない。》
(中略)
やはり仕事は思い切って任せることである。
そうすることによって、その人は自分で
いろいろ考え工夫するようになり、
そのもてる力が十分発揮されて、
それだけ成長もしてくる。
『実践経営哲学』
<感謝合掌 令和8年7月10日 頓首再拝>