伝統板・第二
九月の法語 - 伝統
2026/09/01 (Tue) 04:54:33
このスレッドでは、他の掲示板等から、次の7つの法語を紹介してまいります。
(1)『 生長の家 』 昭和二十三年 九月号法語
*次のWeb「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱」からの転載です。
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=86
(2)『 生長の家 』 昭和二十四年 九月号法語
*次のWeb「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐」からの転載です。
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=31
(3)『 生長の家 』 昭和二十五年 九月号法語
*次のWeb「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の壱」からの転載です。
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=100
(4)『 生長の家? 』 昭和33年9月の法語
*次のWeb「本流宣言掲示板」からの転載です。
→ http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=944 (→ 既に消滅)
なお、日付不明のため、順次の紹介となり、18日分で終了となります。
(5)『 理想世界 』昭和42年9月の法語
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7069750
(6)『 理想世界 』昭和43年9月の法語
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7775396
(7)『 理想世界 』昭和45年9月の法語
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7916166
・・・
【一日の法語(9月1日)】
(1)《生命は智慧によって生命体となる》
(全文は)
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=86
(抜粋として)
生命は 智慧によって働き、
智慧は 秩序をもって展開して 生命体になる。
だから 智慧ある生活は 生命体を健康ならしめるのであるが、
智慧のない生活は 生命体を不健康ならしめるのは当然である。
智慧のない生活は 生命体の秩序を破壊するのである。
・・・
(2)《無限の宝庫は 今 此処 にある》
(全文は)
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=31
(抜粋として)
有名なゴルコンダーのダイヤモンド鉱の発見された歴史が或る本に書いてあった。
あの哀れなるアーリー・ハーフェッドが(ダイヤモンドを求めて)
遠く さすらい歩かないで、
ただ自分の家でじっとして今あるものに完全に感謝して
今に全力をつくしていたならば、
飢え死に一歩手前で身投げするどころか
全世界第一の大富豪になっていたはずであった。
彼のもっていた農園地帯全部が
無数の宝石を蔵しているダイヤモンド鉱であったのである。
無限の富は すでに 今 ここに 与えられているのである。
・・・
(3)《人間は奴隷になってはならぬ》
(全文は)
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yu0529&mode=res&log=100
(抜粋として)
俗世間の毀誉褒貶は、彼ら自身が、わが実相の完全円満なることを
見る力がないことをみずから表明しているに過ぎないのである。
他(ひと)によってうごかされるものは奴隷である。
奴隷のみが世間的名誉を求めるのである。
・・・
(4)《すべての物は神の賜物である》
キリストが或る時、奇蹟を行った。
五つのパンを五千人に分けたら食べ飽きて尚
籠十二杯に山盛りのパンが残った。
そんな馬鹿らしいことがあるものかと一見思われるのであるが、
聖書を注意して読むと、
イエス『一片のカケラも残らないやうに其のパンの屑を集めよ』
と弟子に指令しているのである。
茲に真に無限供給の原理があるのである。
一片のカケラもすべて神からの賜なのである。
その賜を尊重する心のあるところに、そのカケラが増進して、
ついに十二杯の籠に山盛りのパンともなったのである。
神からの賜を尊重しないで、唯単にそれを物質的な塊だと、
軽くあしらっているところに、人間が貧しくなる原因があるのである。
物質はそのまま『神の愛の実現』である。
百丈和尚は一枚の菜の葉が川へ流れて行ったのを駈足で追って行き、
それを拾って『佛物』として頂いたと云うことである。
・・・
(5)《吾々は外界の事物をいかにして認識するか》
(全文は)
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7069750
(抜粋として)
客観的の存在そのものは、われわれの眼や耳という感覚器官に直接はいって
来るのではなく、客観界の存在から発せられる或る波動がわれわれの
感覚器官に衝動を与え、その衝撃を、感覚器官が感受する、
その感受した衝撃を伝えられた意識が、複雑に伝えられた色々の衝撃を
分析及び総合して、そこに客観界にこのような物体があるのだと
みとめるのである。
そして或る人は、其処に本当にそれがあると信ずる。
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(6)《人間の生命は商品ではない》
自分が働く先で如何ほどの給料を貰うかについて考えるな。
それを考える事は自分自身の生命を「商品」として考える事で、
自己侮辱の始まりである。
「自分は『商品』ではない、神から地上に、或る使命を果たすべく
遣わされたる”神の子”であり、天使である。
その使命を今果たしつつあるのである。
だからこの自分の働きは、金銭的価値を越えたる地上の価値である。
その価値は神から賞讃される絶対価値であって、比較を絶した価値である」
と考えながら仕事をするがよい。
・・・
(7)《人は“杖”をもって人生を歩いてはならない》
生活の裕さというものは、おおむねその人を惰弱にしてしまうものである。
何故なら彼は自ら立つ努力を必要としないで、”富”というものを
自分の“杖”にして人生を歩もうとする者であるからである。
一人で立つ力を得ようと思う者は杖をもってはならないのである。
杖にすがって歩いている限り、
その人は渾身の力を振り絞る必要がないからである。
渾身の力を振り絞らないで50%や60%の力だけを
いつも出しているのでは、その残りの50%乃至40%の力は、
内に籠って錆びついてしまって役に立たなくなるからである。
・・・
<参考>
(1)『 光明法語<道の巻> 』(九月の法語「「大生命の歓喜)」)
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=235
(光明掲示板・第一)(消滅)
(2)『 生命の實相 』第三十八巻幸福篇(九月「苦難すでになし」)
→ http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=106
(光明掲示板・第二) (消滅)
(再掲示)伝統板・第二「苦難すでになし(光明掲示板・第二)」
→ http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7900397
(3)『 光明道中記 』(九月「こころ極まる」)
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=27
(谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐)
<感謝合掌 令和8年9月1日 頓首再拝>