伝統板・第二
業の否定② - 伝統
2026/09/07 (Mon) 10:12:13
伝統板・第二「業の否定」からの継続
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如何なる業もそれを超越して弥陀の本願は救い給う
*「光明道中記」(9月7日《自然と悪癖が治る日》)
【仏教の無明縁起は「創世記」の第二章アダムの原罪に一致する。
(『生命の實相』第十三巻)】
(歎異抄十三条)
弥陀の本願不思議におはしませばとて、悪をおそれざるは、
また本願ぼこりとて、往生かなふべからずといふこと。
この条、本願を疑ふ、善悪の宿業をこころえざるなり。
・・・そのかみ邪見におちたるひとあて、
悪をつくりたるものをたすけんといふ願にてましませばとて、
わざと好みて悪を造りて、往生の業とすべきよしをいひて、やうやうに
あしざまなる事のきこえ候ひしとき御消息に、
くすりあればとて毒をこのむべからずと、
遊そばされて候ふは、かの邪執をやめんがためなり。
またく、悪は往生のさはりたるべしとには非ず。
阿弥陀仏のどんな悪人でも救わずに置かぬ本願が如何に不可思議力であるからとて、
それでは盛んに悪を犯してやれと云うのでは「本願ぼこり」と云うものであって
往生極楽は出来ない――
斯う云う議論をする者は救いは絶対であり、
業は相対なのである事を知らぬものである。
如何なる業もそれを超越して弥陀の本願は救い給う。
その絶対的救いの否定し難き事実とは別に、
悪人を救おうと云うのが弥陀の本願であるとてわざと
好んで悪をする者がある由(よし)聴えて来たときに親鸞聖人は
「くすりあればとて毒をこのむべからず」とお書きになった。
<感謝合掌 令和8年9月7日 頓首再拝>