伝統板・第二

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すべてに感謝!⑨ - 伝統

2026/09/07 (Mon) 10:23:41


《大急ぎで先ず感謝するがよい》

     *『 生長の家 』(昭和46年10月30日)の法語より

金光教には 「 百節の御理解 」 という神言(しんげん)
百種類があるのである。

そのなかに

「 大急ぎで頼みに来る人は多いけれども、大急ぎでお礼に来る人は少い 」

という警句がある。

病気で医者が手を放したというと、家族が大急ぎで
「 何とか神様の力で治して頂きたい。
 どうぞ神さまのお蔭(かげ)を頂きますように祈って下さい 」

と頼みにくるくせに、

さて その病気が治ってしまうと、ケロリとしてお礼にも来ない人がある。

来るにしても、‘ 大急ぎ ’ で お礼には来ないのである。

本当は 「 お礼を言うのが先であるのが最もよいのである 」


だから イエスがラザロを復活せしめられた時に、イエスは先ず

「 父よ、常にわが祈りを聴き給いし事を感謝いたします 」

という意味をとなえて神に感謝しているのである。

吾々もこれに倣(なら)うべきである。

・・・

谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐
天国を現実化する祈り     谷 口 雅 春 先 生
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=32

・・・

<関連Web>

(1)伝統板・第二「本流掲示板「感謝」 」
   → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7820143

(2)「光明掲示板・第一」内スレッド「感謝の日々 (1211)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=278 (消滅)   
(3)伝統板・第二「光明掲示板第二<すべてに感謝!>」
   → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7822652

(4)「光明掲示板・第三」内スレッド「すべてに感謝! (32)」
   → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=17 (消滅)

(5)光明掲示板・伝統・第一「すべてに感謝! (49)」
   → http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=wonderful&mode=res&log=31

(6)伝統板・第二「すべてに感謝!①」
   → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6462213

(7)伝統板・第二「すべてに感謝!②」
   → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=6833611

(8)伝統板・第二「すべてに感謝!③」
   → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7651763

(9)伝統板・第二「すべてに感謝!④」
   → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7822757

(10)伝統板・第二「すべてに感謝!⑤」
   → http://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=7987955

(11)伝統板・第二「すべてに感謝!⑥」
   → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8213529

(12)伝統板・第二「すべてに感謝!⑦」
   → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8319420

(13)伝統板・第二「すべてに感謝!⑧」
   → https://dentou.bbs.fc2bbs.net/?act=reply&tid=8403621

       <感謝合掌 令和8年9月7日 頓首再拝>

「先に感謝」 - 伝統

2026/09/13 (Sun) 08:20:41


先に"感謝"した人から未来が変わる...
『感謝の法則』を使うと人生が好転する理由とは?
くろ丸。ミステリー( 2026/07/12 )
https://www.youtube.com/watch?v=3CDX8t9CGQ4

・・・

<参照>

超自然になる
「先に感謝」が教えてくれた意外な真実
note:釈和-(小林 正和)(2026年8月2日)
https://note.com/syakazu/n/n97b6f552f04f

       <感謝合掌 令和8年9月13日 頓首再拝>

忍辱から感謝へ - 伝統

2026/10/11 (Sun) 11:03:36


    *「光明道中記」(10月11日《精進堅固の日》)より

【悟りの中間過程にある時は、信念を以て怠らず進め。
                    (『生命の實相』第六巻)】

波羅蜜多(神格の内流による自覚)を得る方法に尚三つある。

尸(し)羅波羅蜜多(持戒波羅蜜多)、せん提波羅蜜多(忍辱波羅蜜多)、
毘利耶(びりや)羅蜜多(精進波羅蜜多)の三波羅蜜多がそれである。
これはいずれも「良心として顕れる神格の内流」に関係している。

神格の内流の愛行面が「布施」であり、
神格の内流の悟道面が般若と禅那(換言すれば智慧と静慮)とである。
そして神格の内流の道徳面又は良心面が持戒、忍辱、精進である。

神格(仏性)そのものは一つであって不可分であるけれども、
それに波長を合わせる方面から言うと、
布施、持戒、忍辱、精進、禅定、般若の六つを立てて六羅蜜多としたのが
仏教である。

生長の家では忍辱の方面はあまり言わぬ。
如何なる不遇、不幸、逆境、侮辱に対しても克(よ)く耐え忍ぶことによって
仏性を開顕せんとする忍辱に代って感謝を強調したのである。

無理に「怺(こら)える」のでは和解が出来ていないと説かれている。
感謝が出来たとき「怺(こら)える」ことが要らないので
辱(はずかし)めが消えるのである。

           <感謝合掌 令和8年10月11日 頓首再拝>

感謝の心を積極的に起す - 伝統

2026/10/12 (Mon) 12:39:05


    *「光明道中記」(10月12日《人を全部宥(ゆる)す日)》)より

【人を恨む心を以てしては恨み心を解くことは出来ぬ。(『生命の實相』第七巻)】

尤も仏教でも忍辱(にんにく)と云う到彼岸法(はらみたほう)を
ただ如何なる苦痛も、迫害も、圧迫も、意地悪も耐え忍ぶと言う如く
「怺(こら)える」程度に於てのみ説いている訳ではない。

これは「忍辱」の第一段階であって
他より害を加えられたのを耐え忍ぶところの
(一)”耐忍”である。

更に仏教では(二)”安忍”と云うのが説かれている。
単に怺えるのではなく、安んじて忍受するのである。
受くべきものは受けるより道はない。
逃れようとすればする程苦しいのだと云う真理を知って安んじてうけるのである。

この境地に於ては病気が治ることさえある。
生長の家でも、病苦に喘いでいる人にこの「安忍」を説くことによって
病苦頓(とみ)に癒される実例さえある。

更に仏教ではその上の段階の「忍辱」が説かれている。
それは(三)諦忍(たいにん)と言うので、
迫害する者も迫害される者も、それらは”有る”ように見えても本来存在しない
と道理を諦めることによって瞋(いかり)の心を除くようにするのである。


生長の家ではもう「忍」と言わずに(四)感謝を説くのである。

迫害者も被迫害者も本来存在しないと否定して諦(あきら)めるのではなく、
斯く見えているのは観世音菩薩が我らを済度し給う為にわが心の相(すがた)を
仮りに斯くの如くあらわし示し給うのである。

有難いと、感謝の心を積極的に起すのである。

           <感謝合掌 令和8年10月12日 頓首再拝>

一切を感謝に変える生長の家の到彼岸(はらみた)術 - 伝統

2026/10/13 (Tue) 12:10:14


    *「光明道中記」(10月13日《甘露を飲む爽やかな日》)より

【一つの憎みは十人の憎みを招び、一つの愛念は百人の愛念を招ぶ。
                    (『生命の實相』第十一巻)】


「忍」がまだ自覚されているのは「忍」の最上のものではない。
キリストは、「終りまで耐え忍べ」と言ったし、
また「汝の敵を愛せよ」とも言った。

「終りまで耐え忍べ」と云う語(ことば)には「忍」がまだ忘れられていないし、
「汝の敵を愛せよ」と言う語は、
「忍」が超えられて「愛」に変じている点では
一段の進歩ではあるけれども、まだ「敵」が忘れられていない。

生長の家では「敵はない」と言い、
「忍」に代うるに「感謝」を以てするのである。

永嘉大師は、
「他の謗(ぼう)するに従(まか)せ、他の非するに任(まか)す。
 火を把(と)りて天を焼く、徒(いたずら)に自ら疲るるのみ、
 我れ聞いて却(かえ)って甘露を飲むに似たり、
 鎖融(しょうゆう)して頓(とみ)に不思議に入る」

と言われたそうであるが、
この境地は素晴らしい高い大きな境地であるが、相手を見下げた感じがある。

「火を把(と)りて天を焼く、徒(いたず)らに自ら疲るるのみ」
と云う語(ことば)には、相手に対する呪詛さえある。
その心境には感謝がない。
「我れ聞いて甘露を飲むに似たり」には、一種の独善的な感じがする。

どうしても一切を感謝に変える生長の家の到彼岸(はらみた)術は
忍辱波羅蜜多以上のものである。

           <感謝合掌 令和8年10月13日 頓首再拝>

真の「ありがたさ」 - 伝統

2026/10/28 (Wed) 11:47:58


     *『生命の實相 幸福篇下 第三十八巻』(10月28日)より

感謝は必要であるが、
ただむやむにありがたいばかりでは足りないのである。

神がすべてのものをすでに与えられている実相を知っての
ありがたさにならなければ本当ではない。

ただ手段として「ありがたい」を言っていれば
無限供給やいろいろの利益が与えられると思うのは
「ありがたい」を手段として、方法としたのである。
手段や方法は過程であり、実験室でのことである。

ある程度の功徳は実験せられるかもしれないが、
大生命の海原にそのまま坐しているような
大きな功徳はないのである。

法悦というものは手段としての「ありだたさ」でもなく、
方法としての「ありがたさ」でもなく、
利益が得られたからの「ありがさた」でもなく、
そのまますでに与えれている意味での「ありがたさ」である。

        <感謝合掌 令和8年10月28日 頓首再拝>

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